「K A R Y Y N」と一致するもの

アイリッシュマン - ele-king

 CGIで若返ったロバート・デニーロがジョン・ウェインに見えて仕方なかった。ジョン・ウェインはジョン・フォードの『静かなる男』でアイルランド系アメリカ人を演じたが、『アイリッシュマン』も静かな映画だ。
 ニューヨーク生まれのイタリア移民らしいせっかちなトークで知られるマーティン・スコセッシの、しかもギャング映画を「静かな」と形容するのは妙かもしれない。セットから衣装までディテールは相変わらず饒舌ながら、『グッドフェローズ』で用いたヌーヴェル・ヴァーグの劇的な静止画像といった派手なけれんは影を潜め、画面を活気づけるポップ・ソングの使用も少なく得意な長回しのトラッキング撮影もさりげない。技巧は無駄のないカメラや構図の美しさ、ミディアム〜ロング・ショット群に自然に編み込まれている。その落ち着いたテンポはたぶん、デニーロの演じる老いたる主人公フランク・シーランによる回想という大枠設定ゆえだ。作品前半は1975年7月に彼が体験した、とある車旅を主軸に据えた一種のロード・ムーヴィー仕立て。高速道路を人生の川に見立て、おっとりしたナレーションが綴る旅路の中で過去のフラッシュバックとリアル・タイムが交錯する。

 第二次大戦復員兵シーランは、1950年代にトラック運転手として働いていたところを大物マフィア(ジョー・ペシ)に気に入られ雇われヒットマンになる。本作の真のタイトル「I Heard You Paint Houses(お前さんは家の塗装をやるそうだな)」なるフレーズは「家を(血で)塗装する業者」という、殺し屋を意味するギャングの符丁らしい。彼が汚れ仕事を続けるのに並行して、マフィアと全米労働組合と政界との癒着も描かれる。シーランは労組のカリスマティックなリーダー:ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)――1975年に行方不明になった――の側近に推薦され、マフィアとホッファのパイプ役になっていく。エルロイの『アンダーグラウンドUSA』三部作ともやや被る世界だし、キューバ危機、ケネディ暗殺等の史実も部分的に関与するとはいえ基本的にシーランの人生談だ(ちなみに原作本はその内容の真偽を疑われており、この映画に「実話に基づいた作品」のテロップは流れない)。これら様々に枝分かれした回想と複雑な人間関係が1975年の運命的なロード・トリップに合流する様は、スコセッシの熟練した手腕の見せどころ。だがその旅路の最後に待っていた悲劇が起きた後で、『アイリッシュマン』はエモーショナルなギアをぐいっと上げる。3時間半の大作だが、このラスト約1時間のためにその前の2時間半が存在したと言っても過言ではない。
 シーランは決して仲間を密告しない、命令に従い何でもやる行動力ある「兵士」だ。忠実で寡黙な、犬のような男である彼が重ねる犯罪の描写もストイックかつロジカル、「仕事」に徹している。彼はふたつの組織のトップに全幅の信頼を置かれ一種の父子/師弟関係を結ぶのだが、騎士はふたりの王に仕えることはできない。ゆえにある大きな決断を迫られることになるのだが、その果てに彼が得たものは何だったのか? 
 最後の1時間はいわば後日談に当たり、作品冒頭に登場した老人ホーム暮らしのシーランに焦点が絞られる。刑務所服役、ギャング仲間の末路や妻の死……といった事実を淡々と積み重ねていく、ドラマも少なくもっとも地味なパートだ。しかしFBIにも無言を通し続ける彼の孤独な姿は、取り返しのつかない決断の末に多くを失った後悔と恥を自覚しつつ、それを自らの選んだ道として受け入れる悲しさに満ちている。『グッドフェローズ』の主人公ヘンリー・ヒルは、ギャングなライフスタイルを満喫したもののその稼業と常に背中合わせの死に怯え、司法側に仲間を売り飛ばして我が身を救う。忠犬シーランとは対照的な「生き残り術」だが、映画のフィナーレにはシド・ヴィシャス版“マイ・ウェイ”の「でも、俺は俺のやり方で生きた」が爆音で響く。その若さゆえのブラフに対し、『アイリッシュマン』はドゥーワップ・ソングの黄昏れた哀感で締めくくられる。

 『ミーン・ストリート』、『グッドフェローズ』、『カジノ』の三部作に『ギャング・オブ・ニューヨーク』、リメイクではあるものの組織犯罪と警察の抗争が軸である『ディパーテッド』まで含めれば、本作は実にスコセッシ6作目のギャング映画。つい「またか」と思ったし、観る前に「You can’t teach old dogs new tricks(老犬に新しい技は仕込めない)」の文句が頭を過りもした――加齢で肉体が衰えるように老いると頭も硬化し凝り固まるという言い回しだが、スコセッシはさすがに柔軟だ。作品世界は彼のホーム・グラウンドだし、キャストもデニーロ、引退生活から引っ張り出したジョー・ペシ、カメオ的にハーヴェイ・カイテルと定番がずらり。パチーノのスコセッシ作品初出演は話題だが、コッポラ経由で『ミーン・ストリート』出演を打診したものの断られて以来、スコセッシはずっと彼と仕事しようとしてきた。脇を固めるのは製作アーウィン・ウィンクラー、編集テルマ・スクーンメイカーの『レイジング・ブル』以来のゴールデン・スタッフ、音楽もロビー・ロバートソンだ。さながら「ベスト・オブ・スコセッシ」の趣きだが、背景では新たな試みがおこなわれている。
 スパンの長い物語だけに現在70代後半の主役3名が若き日を演じる――デニーロに至っては20代の場面もある――のは難しいと思われていた。しかしCGI若返りテクの大々的な導入で、同じ役者がどの年齢も演じるのが可能になった。『アイリッシュマン』の構想が始まった15年前、これは技術的に難しかったはずだ。またボブ・ディランのモッキュメンタリーに続き、スコセッシは再びネットフリックスと組んでいる。その代わり劇場公開から3週間後にストリーミング開始という条件を飲まざるを得ず、アメリカの一部映画館チェーンに上映拒否されたのは生粋のシネアストである彼にはつらかったと思う。だが、スーパーヒーロー映画や人気フランチャイズで混み合う劇場スケジュールの中で、作家性のある大予算映画が「観たければ劇場まで足を運べ」を押し通すのには限界がある――その贅沢が可能なのは今やクエンティン・タランティーノ、クリストファー・ノーランくらいだ。 
 一方でテレビのクオリティが上がり、ドラマを「1本の長い映画」と捉える風潮も生まれた。原案・制作等でテレビ界ともリンクしてきたスコセッシは、これら鑑賞スタイルの変化も鑑みた上で①劇場映画としても許容される、しかし②テレビの「前編・後編」感覚で観ることも可能なこのスタイルに挑んだのではないかと思う。3時間以上の映画を劇場で観るのには少々覚悟がいるし、お恥ずかしい話、1回目に『アイリッシュマン』を観た時は前半まで観て寝てしまった(笑)。筆者のように根性のないヴューワーも受け入れてくれる、一時停止できる選択肢のあるネットフリックス経由はありがたかった。
 作りたい映画、やりたいストーリーテリングを、時代に則したフォーマットとテクニックで具体化していくこと――この意味で、『アイリッシュマン』に『ツインピークス The Return』を思い返さずにいられなかった。25年ぶりにキャストや常連が結集し、彼の多面的な作家性を凝縮したあの作品も「デイヴィッド・リンチ総集編」の感があったが、連ドラの長尺フォーマットを活かした全18(!)という大絵巻の中に多彩な撮影/編集技法、サウンド・デザイン、衝撃的にシュールなぶっ飛びシークエンスを盛り込んだダイナミックな作りは、リンチ特有な世界観を現在に構築し直していてあっぱれ。ギャング映画という定番ジャンルを映画話法と新技術のミックスで前に押し進めた『アイリッシュマン』でスコセッシがやったことも、それに近い。そこにはもちろん両作品が時間と老い、死を扱っている側面がある。他界した役者やスタッフへの献辞がほぼ毎エピソードで流れた『ツインピークス』は、名優ハリー・ディーン・スタントンの遺作のひとつになった。『アイリッシュマン』にはスコセッシのオルター・エゴを様々な段階で演じてきた役者(カイテル、デニーロ、ペシ)が揃ったものの、3者が1本の作品で顔を合わせるのはおそらくこれが最後だろう。
 言い換えれば、彼らは「残された時間」を自覚して創作を続けるクリエイターということだ。スコセッシとリンチ双方の映画に出演した役者のひとりにデイヴィッド・ボウイがいるが、彼も『ネクスト・デイ』および『』で自らの終幕を鮮やかに引いてみせたものだった。コンスタントに大作を送り出しているアメリカン・ニュー・シネマ世代はスピルバーグとスコセッシくらいになってしまったが、時代に応じてしなやかに変化し生き残ってきた老犬の智慧と力量、衰えぬクリエイティヴィティに満ちた本作には脱帽させられたし、スコセッシは既に次回作の準備に取りかかっている。「OK, Boomer」とバカにしてシャットダウンしてしまうのではなく、がっちり受け止め吸収して欲しい。

『アイリッシュマン』予告編

CHANGSIE - ele-king

 東京のアンダーグラウンドでその名を轟かせる実力派DJ、今年は〈BLACK SMOKER〉からミックス『THE FURY』をリリースしてもいる CHANGSIE (チャンシー)が、2020年1月24日、キャリア初にして渡英前最後のワンマン・パーティを WWWβ にて開催する。昨日公開されたRAのポッドキャストではUKガラージを軸にしたダイナミックなプレイを披露してくれているけれども、きたるパーティはオープンからクローズまでのオールナイトとのことで、より多彩なセットを楽しむことができそうだ。この機会を逃しちゃいけない。

interview with TNGHT (Hudson Mohawke & Lunice) - ele-king

 チョップされた音声とハンドクラップのループに導かれ、大胆不敵なホーンが飛びこんでくる。2012年にグラスゴーの〈LuckyMe〉と〈Warp〉から共同でリリースされた「TNGHT」は、トラップやジュークを独自に再解釈することで10年代初頭におけるポップ・ミュージックの最高の瞬間をマークした……とまで言ってしまうと褒めすぎだろうか。とりわけ同EPに収められた“Higher Ground”は強烈なインパクトを残し、トゥナイトを形成するルニスハドソン・モホークのふたりは大いに称賛を浴びることとなる。彼らの音楽にはフライング・ロータスのみならずカニエ・ウェストまでもが関心を示し、翌年ふたりは『Yeezus』に招かれることになるわけだけれど、スターへの階段をのぼりつめるまさにその絶好のタイミングで、突如トゥナイトは活動を停止してしまう。ビッグになりすぎると自由に音楽をつくれなくなってしまうから──どうもそういう理由だったらしい。EDMにたいする警戒もあったのだろうか。

 その後ソロとして着実にキャリアを重ねてきたふたりだけれど、ふたたび彼らがトゥナイトの新作にとりかかっていると報じられたのが2017年の6月。それから2年あまりのときを経て、ついにセカンドEP「II」がリリースされた(日本では「TNGHT」と「II」の全曲を収めた独自企画盤CDが発売)。変則的な拍子にクレイジーな犬の鳴き声がかぶさる“Serpent”を筆頭に、キャッチーな旋律がレゲトンのリズムのうえをまるで盆踊りのように舞い遊ぶ“First Body”、低音少なめの空間のなかでおなじく奇妙な旋律がくねくねと這いまわる“What_it_is”など、どの曲もこれまでの彼らの個性を引き継ぎながら、新たな切り口で素っ頓狂なサウンドを楽しませてくれる。モジュラーの音色を活かした異色の“Gimme Summn”なんかは快楽と居心地の悪さの両方を味わわせてくれ、もうやみつきである。
 彼らはなぜいまトゥナイトを復活させることにしたのか? その野心やアティテュードについて、ルニスとハドソン・モホークの両名が語ってくれた。


俺たちのアーティストとしてのゴールは、大きくなりすぎないことなんだよね。ビッグな存在になりすぎて、逆に自分を縛ってしまわないこと。知名度や観客の数が一定の規模に達すると、逆にできることが少なくなってしまう場合があるんだ。(ハドソン・モホーク)

まずは2008年にふたりが出会った経緯と、互いの第一印象を教えてください。〈LuckyMe〉の北米ツアーの際に出会ったのですよね?

ルニス(Lunice、以下L):そうだね。2008年にモントリオールで一緒にライヴをやったのが最初だった。ただ、その前にたしかスコットランドのグラスゴーでライヴをやった記憶があるけど。前からフェスでいつも顔を合わせる仲で、互いが住んでる街にも行ったりして。

ハドソン・モホーク(Hudson Mohawke、以下HM):きっかけはマイスペースだろ。

L:そういえばそうだ(笑)。僕がほかの〈LuckyMe〉のクルーとつながったのってマイスペースだ! SNSでつながって、いまに至る、だね。

なるほど。その後トゥナイトがデビューしたのは2012年です。なぜそのタイミングで? また、なぜ〈LuckyMe〉のほかの組み合わせではなく、このふたりでユニットを組むことになったのですか?

HM&L:とくに理由はないね。

HM:計画してはじめたようなものじゃないんだ。

L:最初に1回だけ、打ち合わせみたいなのはしたけどね。それから2年半ぐらいは何もしなかった。このプロジェクトがストレスになるのはいやだったし、無理に頑張ることもしたくなかったからね。自然に起こるのを待ってた。で、ロンドンにいたときだったんだけど、君が当時やってたトラックのプレミックスが終わって、僕はそのトラックを聴かせてもらってて、「ふたりでなんかやる? 手が空いたし」って話になったんだよね。

HM:そうそう。

L:それがはじまりだった。

HM:俺は、それまでほかのプロデューサーと組んでうまくいったことがなかったんだよね。誰かと一緒にやるのは難しいもんだなと思ってた。でもルニスと組んだら、全部がうまくいったんだよ。互いのやり方でやってるんだけど、相性がいいというかね。

トゥナイトは2013年にすぐ活動を休止してしまいましたが、その理由はなんだったのでしょう? 同年カニエ・ウェスト『Yeezus』の“Blood On The Leaves”に参加したことは、関係がありますか?

L:外的なことが理由だったというよりは、このプロジェクトじたいが理由になっているんだ。トゥナイトをはじめてから、物事が早く進みすぎたんだね。僕たちはふたりとも、徐々に、長い時間をかけて物事を進めていきたいタイプのアーティストなんだ。インスタントに、バズるだけみたいな音楽をつくるのは好きじゃない。まずは自分たちのためにつくりたいと思ってるからね。そうすれば、しばらくは残る音楽がつくれるんじゃないかな。それで当時は、オーディエンスの僕たちへの目線の向け方が僕たちが意図しているものとはズレてきていた。このプロジェクトのブランディングやディレクションという観点から考えた上で、少し距離を置く必要があると判断したんだ。

HM:正直に言って、似たような音楽がたくさん出てきて、俺たちの音楽が唯一無二のもののように感じられなくなると思った。人気が出てくると、どのシーンのアーティストにもおなじようなことが起こるものなんだ。まわりの期待が、つくりだされる音楽を他と似たようなものにしてしまう。俺らはそんなことは絶対にしたくなかったし、一辺倒な音楽しかつくれないループにいったん囚われたら、それがそのアーティストの賞味期限だ。

L:それはほんとに言えてる。

HM:クリエイティヴでい続けられるような環境に自分を置く努力をする必要がある。おなじ音楽ばかりつくっているんじゃなくてね。俺たちはあのとき、自由を得るためにトゥナイトから距離を置いた。オーディエンスの新しいリアクションを得るため、新しい実験をするためにね。ファースト・アルバムを出したあと、それができなくなると感じたんだ。おなじものを求められている気がして。それで、ちょっと時間を置くことにした。

L:競争率の高い世界だからね。みんなが1番になろうとする(笑)。でも僕らはそんなゲームは望んでない。本能的に、自分たちが楽しくいられる音楽をつくりたいだけなんだ。僕らのアルバムを聴いた人は、スタジオで楽しくやってる姿が見えるって言ってくれる。実際にそうなんだ。

では、今回トゥナイトを再開することにしたのはなぜ?

L:とくに理由はないよ。自然と「いまだな」っていうことで、そうなった。2017年だったはずだけど、ロス(・バーチャード、ハドソン・モホークの本名)がモントリオールのフェスでヘッドライナーをやったときに、ステージでコラボして“Higher Ground”をやらないかって誘ってくれて。オーディエンスがトゥナイトをステージで観るのは、それが5年ぶりになったね。あれはいいサプライズになったし、めちゃくちゃ楽しかった。でも当時は、トゥナイトの活動を再開するとまでは考えてなかった。そのステージのあとは、またそれぞれの活動に戻るつもりでいた。それで、2018年になってから彼がメールで「LAにいるからなんか楽しいものつくろうよ」って言ってきて。LAの日差しに当たって、綺麗な木に囲まれて、最高な環境で音楽をつくれるっていいよね。

HM:(笑)。

L:計画してたわけではなくて、ノリだよね(笑)。朝起きたらプールに入って。あーもう、ほんとうに最高だよ(笑)。ストレスフルな環境で制作するのとは大ちがいだ。

HM:ほんとに、フィーリングだったね。「音楽つくろう」、「いいよ」っていう。フィーリングが合わなければやる必要はない。楽しいっていう感情がいちばん大事。まわりに戻ってきてほしいって言われても、こっちがその気じゃなきゃね。俺たちが、楽しい、また新鮮な気分になった、って思ったのがあのタイミングだった。

お互いものすごくテンションが高くなっていて、「いまだ、いま全部やろう」って感じでどんどん進めていった。そしたら、犬が吠えはじめたんだ。スタジオの隣の家の犬がね。それもおもしろくて。その場で起こるものをそのままレコーディングに収めた。(ルニス)

“Higher Ground”のヒットは当時あなたたちに何をもたらしましたか?

L:驚き。ものすごい驚きだね(笑)。

HM:そのとおり。

L:聴く人に何が刺さるかって、つくる側では図れないものだなって痛感した。だからこそ、自分たちがやりたいこと、本能に従うことがいちばん大事なんだってわかったよね。何をつくったとしても、聴く側が気に入れば万歳、気に入らなければ残念、ただそれだけ。彼ら次第なんだ。それで、“Higher Ground”にかんしてはそれが顕著にあらわれた例だった(笑)。方程式なんてないんだなって思い知ったね。

HM:聴く人に何が響くかって、ほんとうに予想できない。“Higher Ground”をつくってる最中もつくったあとも、「これ売れる!」とかぜんぜん思わなかったからね。こっちでは予測できないんだ。だから、当たったときはマジで最高の気分になるんだよね。前もって「はい、これは当たります」って思って曲を出すわけじゃないからさ(笑)。たまにそういう曲ができる。で、結果的に当たったときはすごく嬉しい。

L:あの曲のおかげで、やっぱり自分たちの本能に従うのは大事なんだなって再確認したよ。

以前『RA』で〈LuckyMe〉の特集が組まれたときに、〈LuckyMe〉は「ビッグになりすぎずに成長すること」を心がけている、というような内容を読みました。それは現在でもそうなのでしょうか? だとしたら、その理由は?

L:それがまさに、トゥナイトが活動休止した理由だからね。ことが大きくなりすぎると、たいていの場合は結果的に、音楽のつくり方とか自分たちのプレゼンテイションがインスタントなものになってしまうと思うんだ。そのペースに、自分じしんがついていけなくなる。ちょうどいい規模の環境で制作ができれば、自由でありつづけられるし、余計なことを考えすぎず、自分たちが楽しめる状態のままで音楽をつくりつづけられる。それが、クリエイティヴでありつづけて、つくりだすものを生の状態でキープする秘訣だと思う。

HM:俺たちのアーティストとしてのゴールは、大きくなりすぎないことなんだよね。ビッグな存在になりすぎて、逆に自分を縛ってしまわないこと。俺らよりも断然、商業的に成功してる友だちもたくさんいるけど、「おなじようなものはもうつくりたくないのに」って現状を嘆いてたりする。知名度や観客の数が一定の規模に達すると、逆にできることが少なくなってしまう場合があるんだ。だから、ものすごく有名になったり経済的にものすごく成功したりすると、それまでのクリエイティヴの自由度が得られなくなってしまう。だから、俺たちが言う「ビッグになりすぎない」っていうのは、自分のクリエイティヴの自由度を守るっていう意味なんだよね。

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誰かの作品を観たり聴いたりするとき、そのアーティストがつくったものだってわかるものがいい。俺はそこで、そのアーティストのクリエイティヴィティを判断する。自分のパーソナリティをどれだけ注ぎ込めるか。(ハドソン・モホーク)

あなたたちにとってトゥナイトのプロジェクトは、それぞれのソロとどのようなちがいがありますか?

L:僕のほうは、ソロ活動のほうではより自分自身にフォーカスして、ものすごく細かいところまで気にかけながら音楽をつくっている。トゥナイトのほうはそれとはちがって、自分の持っている情報はもちろん活かすけど、あえて細かいことを気にしすぎず、あまり深いところまでいきすぎないようにしている。誰かと仕事をしていく場合は、その場の衝動だったりケミストリーを活かす、というのがこれまでで僕が学んだことだね。ソロのほうは瞑想みたいな、自分と向き合うものだから。だから、できたものは精巧なものになる。

HM:たしかに。ソロのほうは自分のクリエイティヴの限界を探る感じだよね。トゥナイトだとものすごいシンプルな感じで、考えすぎず、直感のほうが先立ってる。それは、最初から頭に置いてたことだね。ソロは自分の深いとこまでいくんだけど、トゥナイトはもっと動物的。

L:最初のほうでもおなじようなことを言ったけど、トゥナイトでは自分を出すというよりは、もっとダイナミックに音楽をつくってるんだよね。ソロとトゥナイトとのそのちがいは気に入ってる。いいバランスがとれてるよ。

制作はどのようなステップで進められるのでしょう? 役割分担があったり、あるいはどちらかに主導権があったりするのでしょうか?

L:僕がまずメロディを考えて、彼にそれを聴かせて、いろんな楽器を加えていくっていう流れが多いね。オンラインでのやりとりはしないようにしてるんだ。必ずじっさいに会って作業する。その場で最初のメロディに肉づけしていく。たとえばアルバム(『II』)の1曲目の“Serpent”は最初に完成した曲だったんだけど、全部がその場のアドリブで進んでいった。お互いものすごくテンションが高くなっていて、ロスも「いまだ、いま全部やろう」って感じでどんどん進めていった。レコーディングさえも、その場のその勢いで休みなしでやったんだ。ビートを回してるそのままの状態で録音をクリックして、レコーディングをはじめた。そしたら、犬が吠えはじめたんだ。スタジオの隣の家の犬がね。で、その声が入ったから僕は笑ってしまったんだ。でもそれもおもしろくて、その音はそのままにしている。そんな感じで、その場で起こるものをそのままレコーディングに収めた。

HM:プロセスは毎回ちがうけど、おもしろいのが、俺たちが曲をつくってると頻繁に変なアクシデントが起こるんだよね。予想もしてなかったことが起こる。で、それがうまい具合にゾーンに入ってくれる。これとこれを組み合わせるとか思ってもみなかった、とか、こんな音になると思ってなかった、とか、いい驚きがいっぱいある。クソ、このアイディア最高じゃん、みたいなのが突然降りてくる。まだ3曲しかつくってないのに、アルバム1枚よりもインパクトを感じられるものになったりする。勝手にね。そのゾーンに入る感じをいちばん大事にしてる。

“First Body”や“What_it_is”のような、ストレンジかつキャッチーなメロディと強烈なビートとの同居がトゥナイトの真骨頂だと思うのですが、自分たちではトゥナイトの最大の魅力あるいは武器はなんだと思っていますか?

HM:武器ねえ。マシンガンかな(笑)。

L:なんだろうね。愛かな(笑)。

HM:その答え最高じゃん。魅力っていうと、俺たちはなかなかいいからだしてるからね(笑)。

L:でもほんとうに、ふたりの仲の良さみたいなのは役立ってるとは思うな。まじめな話、彼が無意識に持っている音楽にたいする向き合い方がもともと好きで、僕も彼のようなスタンスでいきたいと思わせてくれる。トゥナイトのプロジェクトをはじめたのも、意識をせずにハドソン・モホークの音楽ができあがっていくのをはたから見ていて、彼が彼らしい音楽をつくっていたからなんだ。自分らしい音楽をつくることって、じつはかなり難しいからね。そこがロスのいちばん好きなところなんだ。

HM:それは俺もルニスにたいして思ってる。俺らが大事にしてることだしね。誰かの作品を観たり聴いたりするとき、どんな類のアートだとしても、そのアーティストの過去の作品と作風がちがったとしても、そのアーティストがつくったものだってわかるものがいい。誰かが演奏してたとしても、「これはルニスがつくった曲だな」ってわかるもの。俺はそこで、そのアーティストのクリエイティヴィティを判断する。自分のパーソナリティをどれだけ注ぎ込めるか。

L:僕らは、互いをひとりのアーティストとして認め合っているし、その距離感をあえてつくってる。ひとつのユニットみたいになりすぎると、変だからね(笑)。おなじようなものしかつくれなくなってしまうと思うし、なんていうか、ボーイズ・バンドみたいなノリにはなりたくないからね(笑)。だから、個のアーティストがふたりで音楽をつくっているプロジェクトであるということはつねに意識している。それで、トゥナイトという名前にしているんだ。バンド名というよりは、イヴェント名みたいな響きだからね。

ボーイズ・バンドみたいなノリにはなりたくないからね(笑)。個のアーティストがふたりで音楽をつくっているプロジェクトであるということはつねに意識している。それで、トゥナイトという名前にしているんだ。イヴェント名みたいな響きだからね。(ルニス)

あなたたちの音楽は、スマホやノートPCのショボいスピーカーから鳴らされたときでもしっかりとインパクトが残るように設計されているように感じます。それは意図していますか?

L:わかるでしょ(笑)。意図してるかっていうと、100%意図してる(笑)。悪いスピーカーほど良い。最初は良い音響を使っていた時期もあったよ。思えば、これにかんしてもロスって素晴らしいなと思うんだよ。ロスのミキシングのスタイルはほんとに狂ってる。すごくふつうのやり方で、カシオのキーボードとか、ラップトップとか、アイフォーンとか、そこらへんにある何を使っても自分の音楽をつくれるんだよ。だから僕も、高い安い関係なく、どんな機材を使っても音楽をつくれるようにしている。

トゥナイトのふたりは、ユーチューブやサウンドクラウド直撃世代という印象があります。インターネットやSNSについてはどうお考えですか? たとえば90年代であれば、インターネットは人びとに夢をもたらすもの、いろいろなことを可能にしてくれるポジティヴなものだったのではないかと想像するのですが、今日のインターネットは、人びとにむしろ悪夢をもたらすもの、人間関係をぎくしゃくさせたり、知らないうちに大企業に情報を握られたり、さまざまな弊害を生むネガティヴなもののように見えます。

L:僕らはマイスペース世代だから、SNSとの最初の付き合いはマイスペースだったけど、その後ツイッターが出てきて、インスタグラムが出てきた。僕はいま両方使っているけど、写真もやるからインスタグラムのほうをよく使っている。自分でつくった動画を投稿したりね。でも、SNSはクレイジーだから、没頭しすぎないようには気をつけてる。

通訳:90年代とはちがって、ネガティヴな方向に偏ってきているのも事実ですよね。

HM:まえから思ってたけど、フェイスブックにしてもツイッターにしてもインスタグラムにしても、みんなクソみたいなことばっか言ってるだろ。それはずっと思ってた。ただ、その考えがこのアルバムを出してちょっと変わったんだよね。自分が心の底からほんとに良いと思ってるクリエイションをSNSで発表すれば、みんなサポートしてくれる。誰しも、本能的には誰かを支持したいと思ってるもんなのかなってね。クソみたいなことばっか言い続けたいって、本気で思ってるわけないからね。最低なこと言ってくるやつもいるけど、全員がそうじゃない。

L:優しい人もたくさんいるね。

HM:そう、優しい人もいるし、本気でエキサイトしてくれる人もいる。それに気づいたのは、自分でもおもしろかった。SNSなんてまじでクソだろって、本気でずっと思ってたから。

Matsuo Ohno × Merzbow × duenn × Nyantora - ele-king

 これはすごいことになりそうだ。近年積極的にコラボレイトを重ねてきたメルツバウduennニャントラナカコー)の3者からなるユニット 3RENSA が、年明け後の1月18日になんと、『鉄腕アトム』の音響制作にかかわったことで知られるレジェンド、大野松雄(紙エレ2号にインタヴュー掲載)と公開ライヴ・レコーディングを決行する。写真家の金村修も映像担当として参加。一堂はすでに今年の2月に共演を果たしているけれども、今回はそのときのパフォーマンスをアップデイトするかたちになるとのこと。チケットなど詳細は下記より。

テレビ・アニメ《鉄腕アトム》の音楽の生みの親として知られる伝説的な音響デザイナー大野松雄と Merzbow, duenn, Nyantora(ナカコー)からなる、エクスペリメンタルユニット 3RENSA の公開ライブレコーディングが決定!!

Nyantora と duenn によるサウンドプログラム「Hardcore Ambience」。今回、テレビ・アニメ《鉄腕アトム》の音楽の生みの親として知られる伝説的な音響デザイナー大野松雄と Merzbow, duenn, Nyantora から成るクスペリメンタルユニット 3RENSA の公開ライブレコーディング “HARDCORE AMBIENCE presents 大野松雄×3RENASA_ Space Echo_Public recording” が2020年1月18日開催する事が決定した。

2019年には、第11回恵比寿映像祭のスペシャルプログラム『Anotherworld』として、写真家金村修とともにスペシャルライブを開催し、チケットが完売した事も記憶にあたらしい。今回はその時のパフォーマンスを更にアップデートする形で、“HARDCORE AMBIENCE presents 大野松雄×3RENASA_ Space Echo_Public recording” と題し、大野松雄、3RENSA の音源をパッケージングする事を目的とした公開ライブレコーディングとなる。そして、今回会場に選んだ KIWA はサウンドデザイナー金森祥之氏がプロデュースする、RoomMatch DeltaQ スピーカーを中心とする機材や、壁などこだわり抜いたライブハウス。インストゥルメンタルでも楽器をナチュラルに出せるのが特徴とのこと。さらに、映像には写真家の金村修の参加が決定していて、極上の視聴覚体験を堪能してほしい。

チケットは、2019年12月13日20時~予約開始となる。

[ライブ詳細]

「HARDCORE AMBIENCE presents 大野松雄×3RENASA_ Space Echo_Public recording」

【公演日程】 2020年1月18日(土)
【開場時間 / 開演時間】 13:00 / 13:30
【チケット料金】 前売り:¥4000 当日:¥4500 (共に1ドリンク代・要)
【会場】KIWA TENNOZ
    東京都品川区東品川2-1-3
    TEL: 03-6433-1485 FAX: 03-6433-1486
【出演者名】
大野松雄 with 由良泰人
3RENSA (Merzbow, duenn, Nyantora)
映像: 金村修 (support by CASIO)
and more...

【チケット予約】KIWA チケット予約 専用URL https://www.oasis-kiwa.com/schedule/view/604
【問い合わせ】KIWA TEL: 03-6433-1485 | https://www.oasis-kiwa.com/contact.html

shotahirama - ele-king

 これが初のフル・アルバムというのは意外だ。これまで多くの作品を送り出してきたNY出身のノイズ~グリッチ・プロデューサー shotahirama が、昨日、配信限定の新作『Rough House』をリリースしている(Spotify / Apple Music)。特筆すべきはそれが、ターンテーブルを用いて制作されたヒップホップ・アルバムであるという点だろう。東京(12月28日)と京都をめぐるリリース・ツアーも決定(詳細はこちら)。驚きの変化と、しかし相変わらず丁寧に作りこまれた音の細部を楽しもう。

shotahirama
デジタル・サブスク限定配信の新作アルバム『Rough House』12月16日発売

Apple Musicリンク

https://music.apple.com/jp/album/rough-house/1490236369

トラックリスト

01. STOP FRONTING (3:44)
02. SLACKER (3:27)
03. SLACK HOUSE (5:40)
04. WHO INDA HOUSE (3:24)
05. ROUGH HOUSE (3:06)
06. PAYDAY IS BLISS (3:48)
07. OKTOBER (4:43)
08. FLAVA (4:12)
09. DAILY BASIS (5:12)
10. FOOLS PARADISE (11:41)

ノイズ・グリッチ・ミュージックの奇才 shotahirama がターンテーブルを楽器に用いたヒップホップ・アルバムをリリース!

shotahirama の2年半ぶりにしてキャリア初となるフル・アルバムはターンテーブルを楽器に用いたサンプルベースのビート・ミュージック。丹念に作り込まれ、しかし複雑過ぎない音楽を意識したという本作にはシカゴ・ハウスやファンク、ヒップホップからの大きな影響とユーモアがふんだんに散りばめられている。ノイズとダブ・ミュージックを掛け合わせた衝撃的な前作に続き、飽くなき挑戦心が“止まらない進化”をさらに加速させる。

YouTubeリンク
https://youtu.be/HgplFGmQZo8

shotahirama プロフィール:

ニューヨーク出身の音楽家、shotahirama (平間翔太)。中原昌也、evala といった音楽家がコメントを寄せる。畠中実(ICC主任学芸員)による記事「デジタルのダダイスト、パンク以後の電子音楽」をはじめ、VICEマガジンや音楽ライターの三田格などによって多くのメディアで紹介される。Oval、Kangding Ray、Mark Fell 等のジャパン・ツアーに出演。代表作にCDアルバム『post punk』や4枚組CDボックス『Surf』などがある。

Blue Lab Beats - ele-king

 アシッド・ジャズ以降、UKのジャズはヒップホップやハウスなどクラブ・サウンドと結びついてきて、ちょうどもはやそれは伝統と言えるものになっている。現在のサウス・ロンドンのジャズはそうした典型のひとつで、カマール・ウィリアムズのように最初はDJ/ビートメイカー方面からアプローチしていった者もいれば、シャバカ・ハッチングスジョー・アーモン・ジョーンズのようにミュージシャンという立場からおこなっている者もいる。ブルー・ラブ・ビーツはそうしたジャズとクラブ・サウンドの交差点に位置するユニットで、プロデューサーでビートメイカーのNK-OKことナマリ・クワテンと、マルチ・インストゥルメンタル・プレイヤーのミスター・DMことデヴィッド・ムラクポルによる2人組。NK-OKの父親はアシッド・ジャズ時代にD・インフルエンスのメンバーとして活躍したミュージシャンで、近年はローラ・ムヴーラのマネージャーを務めるクワメ・クワテンである。

 グライムやヒップホップにハマっていやNK-OKと、ジャズ・ミュージシャンとして大学で音楽を専攻してきたミスター・DMが出会い、2013年頃にブルー・ラブ・ビーツは結成された。北ロンドンを拠点とする彼らだが、北東ロンドンのトータル・リフレッシュメント・センターをホームグランドとし、南ロンドンのミュージシャンたちとも交流が深い。2016年の初リリース作の「ブルー・スカイズEP」、2017年のセカンドEPの「フリーダム」、そしてファースト・アルバムの『クロスオーヴァー(Xover)』にはモーゼス・ボイドヌビア・ガルシアおよびネリヤ、ジョー・アーモン・ジョーンズやエズラ・コレクティヴの面々、アシュリー・ヘンリー、ダニエル・カシミール、ドミニック・キャニング、カイディ・アキニビ、シーラ・モーリス・グレイはじめココロコのメンバーなど多数のミュージシャンが参加する。
 また『クロスオーヴァー』にはラッパーやシンガーもいろいろフィーチャーされており、ロバート・グラスパーやサンダーキャット、テラス・マーティンなどに対するUKからの回答とでも言うような作品になっていた。ジャズとヒップホップやR&Bの融合から、AORやファンク、シンセ・ブギー調の作品、カリビアン・ジャズやボッサ・ジャズ、グライムやブロークンビーツ、フットワークを取り入れた作品とヴァラエティに富み、ジャズを媒介にさまざまな音楽を融合したアルバムと言えるだろう。そうしたバランス感覚や編集者的感覚に富むところは、ミュージシャンのバンドと言うよりDJ/プロデューサーが介在するプロジェクトであり、タイプとしてはジョー・アーモン・ジョーンズとマックスウェル・オーウィンが『イディオム』でやっていたことに近いが、全体的にヒップホップの影響が強い。2019年に入ると、セオ・クロカーやジョディ・アバカスらが参加したEP「ヴァイブ・セントラル」をリリースしたほか、オーストラリアのサンパ・ザ・グレートのアルバム『ザ・リターン』にも参加しており、そして2枚目のアルバムとなる『ヴォヤージ』も完成させた。

 『ヴォヤージ』にはそのサンパ・ザ・グレートも参加していて、主なミュージシャンではカイディ・アキニビやシーラ・モーリス・グレイが目につくものの、『クロスオーヴァー』に比べてゲスト・プレイヤーは少ない。そのぶんミスター・DMの演奏の比重が増したのだろう。一方フィーチャリング・シンガーは多めで、ロンドンの若手ラッパーやシンガーがいろいろ参加している。『クロスオーヴァー』でもそうだったが、日頃からトータル・リフレッシュメント・センターなどでよくセッションする同世代の仲間が集まって録音したアルバムである。
 スペイシーなイントロダクションに始まり、NK-OKの編み出すビートにミスター・DMのキーボードとギターが絡むエレクトロ・ジャズ・ファンクの“ハイ・ゼア”が、ブルー・ラブ・ビーツの基本形となるふたりのみの演奏。“オーシャン”“メモリーズ”“ノン・オブ・ザット”などもそうしたスタイルの演奏だが、特に“メモリーズ”に見られるようにヒップホップのビート感がブルー・ラブ・ビーツの根幹にあるようだ。タイトル曲の“ヴォヤージ”はそこにカイディ・アキニビのサックスが加わり、ギター・ソロと一緒にブロークンビーツを交えたジャズ・ファンク調の演奏を繰り広げる。いかにもブルー・ラブ・ビーツらしいジャズとクラブ・サウンドの融合を見せる曲だ。

 サンパ・ザ・グレートがファニーな歌声を披露する“ネクスト(ウェイク・アップ)”、キンカイのラップがフィーチャーされた“ギャラクティック・ファンク”、さまざまなラッパーがマイク・リレーをとる“ワト・R・U・ヒア・フォー?”、サフロン・グレースが歌うネオ・ソウル調の“オン・アンド・オン”や“セカンド・ソウト”、DT・ソウルのヴォコーダーをフィーチャーした“ギャラクト・インフェルノ”はヒップホップ/R&B、もしくはソウル/ファンクを下敷きとした作品。
 一方、カイディ・アキニビやシーラ・モーリス・グレイが参加した“スタンド・アップ”はアフロ・ビートで、エズラ・コレクティヴあたりに共通するタイプの演奏。ラテン・テイストの“キューバ・リブレ”やデミマがアフリカの言葉で歌う“ウモヤ”など、アフリカ~カリビアンの要素を取り入れるのもロンドンらしいアプローチだ。昨今はトム・ミッシュロイル・カーナージョーダン・ラカイ、ジョルジャ・スミス、エゴ・エラ・メイなどシンガー・ソングライターやラッパーとジャズ・ミュージシャンのコラボが盛んだが、ブルー・ラブ・ビーツのサウンドもそうしたいまのロンドンの新しい世代を代表するもののひとつだ。

 ディヴィッド・バーンが2018年のアルバム『アメリカン・ユートピア』リリース後、大ホールでのツアーを終えて、新しい形/インティメイトなスタイルでハドソンシアターにやって来た。
 ハドソンシアターは1903年にプレイハウスとしてはじまったブロードウェイのイーストサイドにある劇場で、2017年にリニューアル・オープンをしている、1000人弱を収容できる大型ヴェニューだ。
 私は、ディヴィッド・バーンがセント・ヴィンセントとコラボレイトしてからより注目するようになった。昔はトーキング・ヘッズもよく聞いたし、彼がやっている政治的なWEBサイトreasons to be cheerful(https://davidbyrne.com/explore/reasons-to-be-cheerful/about)(https://reasonstobecheerful.world)にも共感できるところがあるし、彼のイベントにもよく行った。そうえいば、数年前のセント・ヴィンセントのプロスペクトパークのショーに、ディヴィッド・バーンは彼のトレードマークである自転車で乗り付けていた。

 彼の新しい挑戦が、シアター・ヴァージョンの『アメリカン・ユートピア』だ。ディヴィッド・バーンとその仲間たち、12人のミュージシャンがシャンデリアカーテンのステージを使い、人間にできる究極のミュージカル・エンターテイメントを突き詰めるというもの。ステージにはワイヤーがなにもないので、ミュージシャンは自由にステージを動き回る。バーンはグレイのスーツに裸足、頭にはヘッドセットマイクをつけていた。そして一人きりでテーブルに座ると、人間の脳みそを持って歌いはじめる。
 すると同じスーツを着たダンサー、ミュージシャンたちが登場し、曲ごとにすべて違ったアプローチで演奏する。ときにはサークルにマーチ、ときには真っ暗のなあスポットライトのみの演出。
 バーンは曲間にオーディエンスに語りかける。政治的な内容も多かったが、このステージにおいて結局何が重要かなど人間についても語っていた。この公演でバーンは投票にいくことを呼びかけいたが、その場でレジスターもできる。

 曲ごとに演奏する楽器もライトアップも違い、ミュージシャンたちの演奏力や演技力のほか歌唱力も重要で、究極なところでは楽器を持たずアカペラだけで歌う場面もあった。ソプラノからアルト、テナーまでが交わり、さながら美しい天使の歌声が響く。『アメリカン・ユートピア』は優れたミュージカルでありながら、社会について考える貴重な空間である。

 この日は、ディヴィッド・バーンのソロ曲、トーキング・ヘッズの曲、ジャネール・モネイの曲などを含む21曲+アンコールが演奏された。10月からはじまったシアター・ヴァージョンの『アメリカン・ユートピア』だが、好評によって公演日は来年の2月までと引き延ばされている。

Baauer × Channel Tres × Danny Brown - ele-king

 新作『uknowhatimsayin¿』が好評のラッパー、ダニー・ブラウンが『グランド・セフト・オート』シリーズに登場する。ゲーム内のラジオ局にてなんと、スケプタとともにホストを務め、選曲を担当。いずれも今年力作を発表しているデンゼル・カリーやエージェイ・トレイシーフレディ・ギブス&マッドリブなどをピックアップしている。
 またそのアナウンスにあわせ、本日〈LuckyMe〉よりコラボ・シングルがリリース。バウアー×チャンネル・トレス×ダニー・ブラウンという、驚き&歓喜の組み合わせが実現している。うひょー。

DANNY BROWN
『グランド・セフト・オート』シリーズにダニー・ブラウンが登場!
バウアー、チャンネル・トレス、ダニー・ブラウンのコラボ・シングル「Ready to Go」をリリース!

最新作『uknowhatimsayin¿』が話題のダニー・ブラウンが、人気ゲーム『グランド・セフト・オート』シリーズに登場! ゲーム内のラジオ局「iFruit Radio」でホストを務めることが発表された。特別ゲストのラッパー、スケプタと共に27曲を選曲している。

今回の発表に合わせて、バウアー、チャンネル・トレス、ダニー・ブラウンのコラボ・シングル「Ready to Go」がリリースされた。

“Ready to Go” by Baauer and Channel Tres feat. Danny Brown
https://www.youtube.com/watch?v=mZKi3ANavo8

選曲された楽曲には、ダニー・ブラウンやスケプタに加え、トラヴィス・スコットやスクールボーイ・Qの人気曲、YBNコーデーとデンゼル・カリーがコラボした未発表曲などが含まれている。

『グランド・セフト・オート』シリーズではこれまでに、フランク・オーシャン、フライング・ロータス、ジャイルス・ピーターソン、ブーツィー・コリンズら豪華なアーティストを音楽にフィーチャーしている。

label: LuckyMe / Godmode
artist: Baauer, Channel Tres, Danny Brown
title: Ready to Go
release date: 2019.12.13 FRI ON SALE

label: Warp Records / Beat Records
artist: Danny Brown
title: uknowhatimsayin¿
release date: 2019.11.22 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-617 ¥2,200+税
国内盤特典:歌詞対訳/解説書封入
国内盤CD+Tシャツ BRC-617T ¥5,500+税

TRACKLIST
01. Change Up
02. Theme Song
03. Dirty Laundry
04. 3 Tearz (feat. Run The Jewels)
05. Belly of The Beast (feat. Obongjayar)
06. Savage Nomad
07. Best Life
08. uknowhatimsayin¿ (feat. Obongjayar)
09. Negro Spiritual (feat. JPEGMAFIA)
10. Shine (feat. Blood Orange)
11. Combat

Kanye West - ele-king

 様々なゴシップで世間を騒がせたり、あるいは精神的にも不安定な状態でありながら、昨年(2018年)には自らの8枚目となるアルバム『Ye』を含む、「Wyoming Sessions」と名付けられたシリーズ(Pusha T 『Daytona』、Kid Cudi 『Kids See Ghost』、Nas 『Nasir』、Teana Taylor 『K.T.S.E.』)をリリースするなど、プロデューサーとしても精力的に活動を続けていた Kanye West。そんな彼が、今年に入ってから、サンデー・サービス(日曜礼拝)と称したゴスペル・イベントをスタートし、コーチェラ・フェスティヴァルであったり、あるいは実際の教会などでも開催するなど、ファンの想像を超える活動を展開していく。本来であれば、様々なゲスト・アーティスト共にレコーディングを続けていたアルバム『Yandhi』がリリースされるはずであったが、サンデー・サービスを通して、しまいには「ラップは悪魔の音楽」「これからはゴスペルしか作らない」といった旨の発言を繰り広げ、その結果、9枚目のアルバムとしてリリースされたのが、ヒップホップとゴスペルを融合した今回のアルバム『Jesus Is King』というわけだ。

 もちろん、Kanye と宗教(キリスト教)との関わりは今に始まったわけではなく、誰もが思い浮かべるであろう、彼のデビュー・アルバム『The College Dropout』に収録された大ヒット曲“Jesus Walks”などはその代表と言えよう。『Yeezus』、『The Life OF Pablo』といったアルバムなども、そのタイトル自体がすでに宗教色が強かったりと、Kanye にとっては宗教はテーマとして常に存在していた。そもそもブラック・ミュージック自体、その成り立ちに宗教というものが深く関わっており、ソウルやファンクなどもゴスペルとは強く結びついているし、80年代からクリスチャン・ヒップホップというサブジャンルが存在するなど、ヒップホップと宗教は一部では強い関係にあった。とはいえ、これまでトランプ支持の表明など、様々な形で炎上を繰り返してきた Kanye がゴスペル・アルバムをリリースするなんて、彼のいつもの「奇行」のひとつと思う人がいるのも当然だ。まあ、筆者もこのアルバムを聞くまでは、そう思っていたのであるが、実際に聞いてみると、音楽作品としてトータルで判断する限り、十分に Kanye ならではの力作に仕上がっている。

 イントロ的な“Every Hour”ではクワイア(聖歌隊)がピアノをバックに高らかに歌い、このアルバム自体が彼が行なっているサンデー・サービスの延長上であることを伺わせる。Kanye 自らが司祭であるかのように先導し、クワイヤがコーラスを重ねる“Selah”はゴスペル・ヒップホップそのものでもあるが、リード・チューンである“Follow God”などは、トラック自体は非常にタイトで、昨年からの彼のサウンドの延長上にありながら、聖書なども引用しつつ、Kanye ならではの視点で父である神との関係をラップしている。つまり普通にヒップホップとして格好良い上で、宗教的なメッセージを彼ならではのスタイルで伝えており、まさにこれこそ「ラップは悪魔の音楽」と発言した彼が導き出した答えなのだろう。Ty Dolla $ign や久しぶりにふたり揃った Clipse をゲストに迎えるなど、ヒップホップ・ファンが喜ぶ仕掛けも入れつつ、ちゃんとエンターテイメントとして成立させながら Kanye が作り上げたゴスペル・アルバム。もちろん、批判の声を上げる信心深いキリスト教信者も当然いるだろうが、当然、そんなことは彼にとっては折り込み済みだろう。しかし、そんな Kanye 劇場のワン・シーンとして片付けるのは勿体無いくらい、非常に聞き応えあるアルバムであり、いろんなことを考えさせてくれる作品だ。

interview with Daniel Lopatin - ele-king

今回のサントラは『Good Time』とはぜんぜんちがっていて、ものすごく誇りに思っている。「これが僕なんだ」という気持ちになってね。人間としての自分に近いような作品に思えたんだ。

 監督は前回同様ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟。製作総指揮はマーティン・スコセッシ。たしかに、外部の意向が大きく関与している。映画のサウンドトラックなのだから当たり前といえば当たり前なのだけれど、ジョエル・フォードしかり、ティム・ヘッカーしかり、彼は他人とコラボするとき、基本的にはOPNの名義を用いずにやってきた。そう、幾人ものゲストを招いた昨年の『Age Of』までは。だからむしろ、サフディ兄弟と初めてタッグを組んだ『Good Time』(17)がOPN名義で発表されたことのほうがイレギュラーな事態だったのかもしれない。ソフィア・コッポラ監督作『The Bling Ring』(13)もアリエル・クレイマン監督作『Partisan』(15)もリック・アルヴァーソン監督作『The Mountain』(18)も、ダニエル・ロパティンの名でクレジットされていたのだから。
 ときどき自分が人間であることを忘れてしまう──ダニエル・ロパティンはそう語っている。今回OPN名義ではなく本名で作品を発表することになったのは、その音楽がまさに自分のものだと思えたからだという。不思議である。サウンドトラックの制作でそのように感じるのは珍しいケースなのではないか。それに、パーソナルなのはむしろ、OPN名義のほうではなかったか。つまり今回彼は、サフディ兄弟とはもちろん、ゲイトキーパーや「MYRIAD」で仲間に引き入れたイーライ・ケスラーのような他人たちと仕事をすることによって、あらためてみずからの人間らしさや自分らしさを確認しつつも、あえてコラボの解禁されたOPNではなく本名のほうで作品を発表したということで、そこには何かしら他者にたいする意識の変化が……
 とまあ、そんなふうにいろいろと深読みしてみたくなっちゃうわけだけれど、DJアールアノーニをプロデュースしたときもOPN名義だったのだから、たぶん、本人は深く考えて使いわけているわけではないのだろう。思うに、そのようなある種のユルさにこそ彼の本質みたいなものが宿っているのではないか。それに振りまわされるかたちでわたしたちはいつも、「今度はなんだ?」と気になって、独自の分析や自説を披露したくなってしまうのではないか。ようするに、彼の音楽や振る舞いは、どうにも思考誘発性が高いのである。

 今回の『Uncut Gems』でキイとなるのはおそらく、初期の彼を思わせるアナログな触感から『AKIRA』的な発想と王道のクラシカルなアレンジとスムージィなサックスの奇妙な混合へとなだれこんでいく、冒頭“The Ballad Of Howie Bling”だろう。この曲から聴きとることのできる諸要素は、声楽を活かした8曲目やサックスの映える10曲目、やはり芸能山城組を思わせる13曲目、おなじくかつての音色で思うぞんぶん感傷の湯船につかる最終曲などに、分散して登場することになる。ほかにも、これまでの彼にはなかったクラシカルな旋律を聞かせる2曲目や4曲目、ブリーピィかつミニマルな7曲目、ライヒ的な9曲目など、今回のサントラもいろいろと分析したくなる魅力にあふれている。
 そのような誘発性をこそ最大の武器に、2010年代のエレクトロニック・ミュージックを代表する存在にまでのぼりつめたダニエル・ロパティン。去る10月末、《WXAXRXP DJS》のために来日していた彼だけれど、幸運にも取材の機会に恵まれたので、『Uncut Gems』についてのみならず、かつての作品のまだあまり語られていない部分についても質問を投げかけてみた。じっさいに対面した彼は、いわゆるアメリカ人らしい陽気なナイスガイといった印象で、そのサウンドやコンセプトから連想されるような気難しさや思弁の類はいっさい身にまとっていなかった。

音楽は苦しみから生まれたっていう考えがあるんだ。太古のむかし、ホモ・サピエンスが死に直面したときの恐怖感みたいなもの、そういう本能的なものから生まれたのが音楽なんじゃないかな、と。

いまも拠点はブルックリンですか?

ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin、以下DL):ああ、不幸なことにね。

それはなぜ?

DL:もう10年住んでるからそろそろ場所を変えたいかな。

先日ニューヨークのラジオ局WNYCの「New Sounds」という番組(*1982年の開始以来、積極的にエレクトロニック・ミュージックや現代音楽などを紹介してきた番組)が終わることになって、『ニューヨーク・タイムズ』紙がそのことを「NYはかつてほどクールではなくなってしまった」という方向で記事にしていたのですが(*それらの抗議の結果、番組は継続することに)、いまニューヨークのエレクトロニック・ミュージックのシーンはどうなっているのでしょう?

DL:物価が高くなって、アートやクリエイティヴィティみたいなものが薄くなってきているね。グレイなサイクルに入ってしまっている。豊かな歴史のあるところだから残念だよ。もちろん、そこから変わって新しいものが出てくる可能性はあるよ。僕自身は新しいアイデンティティの感覚がある場所に惹きつけられるね。ニューヨークはアイデンティティがもう決まりきってしまっているというか、そういうサイクルにあるのかなと思う。たとえばメキシコシティに行ったときは、すごく新鮮なものを感じた。新しいものが出てきている感じがした。だからいまは自分の拠点を変えることを考えたり、もう少しアメリカの外で何が起きているかとか、どういうところに何があるのかを考えたりするべき時期なのかもしれないな。

いまニューヨークでおもしろいことをやっていると思えるアーティストやレーベル、ヴェニューはありますか?

DL:ニューヨークでどんな新しいクールなものが出てきているか、何が起きているかという質問に答えるのに、僕はあんまり適していないと思う。よく知らないんだ。なぜかというと、僕は影響を受けることから隠れているからね。新しいものをスポンジみたいに吸収しすぎてしまうと、自分のものがわからなくなるようなことがあるから、いま何が起きているかということからは距離を置いているんだ。でも、友だちがやっていることはおもしろいと思うよ。たとえば〈RVNG〉をやっているマット・ワース(Matt Werth)。彼がキュレイトしたイヴェントやライヴはどれもおもしろいと思う。

前回のサウンドトラックはOPN名義でしたけれど、今回本名を用いたのはなぜですか?

DL:それはほんとうにたんなる思いつきだね。父と母がいて僕が生まれたということ、自分が人間であるということを忘れてしまうときがあるんだけど、そのことを少し思い出したんだ。今回のサントラは『Good Time』とはぜんぜんちがっていて、ものすごく誇りに思っている。だからこそ「これは良い作品だ」「これが僕なんだ」という気持ちになってね。人間としての自分に近いような作品に思えたんだ。まあ、思いつきなんだけどね。

人間であることを忘れるというのは、たとえば自分を「音楽機械」のようなものだと感じることがあるということでしょうか?

DL:たしかに、音楽をつくるマシーンみたいなところはあるね。でもそれはクールな機械で、自分でも気に入ってるんだ。他方でものすごく自己中心的な、自分だけの、誰も入れないような世界がある。自分がつくっているものはパーソナルな言語みたいなところがあってね。「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」は自分だけのコミュニケイションみたいな場所なんだ。でも今回はほかのひとたちとのコラボがあったり、監督との絆やコミュニケイションも含まれてるから、もうちょっとあたたかさがあるし、そういう意味では人間的だね。

過去にも何度かサウンドトラックを手がけていますけれど、おなじ監督と組むのは初めてですよね。サフディ兄弟の映像表現はあなたの音楽と相性が良いのでしょうか?

DL:今回は彼らの最高の作品だよ。もちろん彼らは友人だし、コラボレイションがうまくいく親密な関係性ができていると思っている。サウンドトラックをつくることには彼らも関わってくるからね。ただ、彼らと仕事をするのは2回目だけど、ほかにたくさんの監督と一緒にやったわけではないから、比べられる人がいないんだ。僕は、友情がなくても良い仕事はできると思っているから、将来的にはそうじゃない人とも仕事をしてみたい。ただ、ひとつ言えるのは、彼らみたいに友人で、かつアーティスティックな面でも共感できる人と働くのはすごく楽しいし、贅沢だということ。もし一緒に仕事をしなかったとしても、彼らの映画は好きになると思う。すごく良い映画をつくっているからね。一緒に仕事することになったきっかけは、2014年の『神様なんかくそくらえ(原題:Heaven Knows What)』なんだ。あの映画を観てすごく良いと思ったし、そのひとつ前の、レニー・クックというバスケットボール選手のドキュメンタリー(『Lenny Cooke』)も観ていたから、ぜったい良い仕事ができると思っていたんだよね。

今回もサウンドトラックに台詞が入っていますね。これはじっさいに映画のなかで使われている音声ですか?

DL:4つ入っているはずだけど、それらはとくに僕がとりつかれている台詞なんだ。僕にとって重要で、この映画のソウルを代表するような台詞を選んだ。ただ、それはちょっと変な台詞で、たとえば予告編に入れられるタイプの台詞ではないんだけど、自分にとってはすごく重要なもので。僕にとってこの映画の意味を象徴するような台詞だね。

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ヴェイパーウェイヴは祈りみたいなものだと思う。自分を表現する、その瞬間を表現できる、そこに自分を捧げるような祈り。ループしているということは、その瞬間を永遠に続けられるということ、そこで自分が永遠に生きていられるということ。

今回のサウンドトラックにも声楽が入っていますけれど、これまでサンプリングだったり聖歌的なものだったり叫びだったり、あるいはチップスピーチを導入したり自分自身で歌ってみたり、毎度アプローチは異なれど、あなたは一貫して声にたいする高い関心を抱きつづけてきたのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

DL:声はものすごくユニークな楽器なんだ。地球上でいちばん変な、ユニークな楽器で、ある意味人間のあり方とか音楽のあり方、ことばとしての音楽のあり方のキイになるようなものだと思う。これから言うことは僕のオリジナルな理論ではないんだけれど、音楽は苦しみから生まれたっていう考えがあるんだ。たとえば傷ついたときとか、死に直面したときのうめきだったり、音楽はそういうものから生まれたんだっていう理論があってね。太古のむかし、ホモ・サピエンスが死に直面したときの恐怖感みたいなもの、そういう本能的なものから生まれたのが音楽なんじゃないかな、と。だから、声ってものすごく変だし、いわゆる人間的といわれているものとはぜんぜんちがう、エイリアンのようなものだったりもするけど、でも同時にほぼすべての人が持っているもので、それが人を進化させてきた。人間ひとりひとりが声を持っている。それは全員が生まれつき持っているものでありながら、ひとりひとり異なるものだ。こんなに多様な楽器はほかにないよ。そういう意味で声はものすごく興味深いね。

なるほど。そのような声にたいするアプローチは、9年前のチャック・パーソン名義の作品でも、スクリュードというかたちであらわれていました。『Eccojams Vol. 1』はヴェイパーウェイヴの重要作とみなされていますが、日本ではなぜかいまになってヴェイパーウェイヴが再流行しています。ユーチューブに音源をアップしていた当時は、どのような意図があったのでしょう?

DL:はじめはシンプルだったよ。そのころはデスクワークの仕事についていて、時間を無駄にしていたんだ。与えられた仕事が来るまでコンピュータの前で何時間も何もしないようなときがあったりね。ものすごく落ち込む仕事だった。それで、その時間にループをつくりはじめたんだ。自分にとってはちょっとした詩みたいなもので、ポップ・ソングのある部分を切りとって、それをものすごくスロウダウンさせて、瞬間を引き延ばして、そのなかで自分がポエティックな瞬間を泳げるような感覚をつくりだした。だから、ものすごくパーソナルなものだったんだ。つくり方も簡単で。やり方を学べば誰でもつくれるものだから、それを大勢の人たちがつくって、フォークロア的なものになればいいなと思ったんだ。みんながつくることでそれがひとつのプラクティスになるようなね。だから、いま日本でヴェイパーウェイヴが人気になっていたり、もしかしたらほかの場所でも人気なのかもしれないけど、そう聞いて僕はすごく嬉しいよ。喜びを感じるね。自分がはじめたころはオリジナルなものだったから、とくにユニークなものだとも思っていなくて、単純で、プラクティスみたいなものだと思っていた。誰でもできるものになっていくと思っていたから、じっさいにいまそうなっているのは嬉しいよ。(ヴェイパーウェイヴは)祈りみたいなものでもあると思うんだ。それはべつにポップ・ミュージックの神さまにたいする祈りということではなくて、自分を表現する、その瞬間を表現できる、そこに自分を捧げるような祈り。ループしているということは、その瞬間を永遠に続けられるということ、そこで自分が永遠に生きていられるということ。そこでものすごく鳥肌が立つような感覚を得たりね。そういう音楽の瞬間をつくる。それは3分間でもいいし、300分間でもいいんだけどね。

『Eccojams』のアートワークとタイトルは、セガのゲーム『エコー・ザ・ドルフィン』のパロディですよね。イルカがサメに変更されていましたけれど、あのイメージを使ったのはなぜですか?

DL:いくつかレイヤーがあるんだ。「Eccojams」ということばは、もちろんゲームから出てきたってのもあるけど、「ecco」という文字の並びが好きだったってのもある。あと、ミニットメンっていう、いろんなことばをつくったカリフォルニアのパンク・バンドがいて、たとえば「マーチャンダイズ」のことを「マーチ」って言いはじめたのも彼らなんだ。いまでは誰もが「マーチ」って言っているよね。それで彼らは、「We jam econo」という言い方もしていて、「econo」は「economy」から来てると思うんだけど、高い楽器じゃなくて安い楽器でジャムってるんだぜ、って意味で彼らは「We jam econo」と言っていて、その「econo」を使ったってのもある。だから、すごくいろんな意味があるんだ。当初は「Econo Jam」だった気がするな。それを「Eccojams」に変えた気がする。(*このミニットメンのくだりは昨年すでに『Age Of』リリース時のインタヴューで語ってくれている。紙エレ22号の32頁参照。ここではイメージの意図を尋ねたかったのだが、残念ながらうまく伝わらなかった模様)

きみはシュルレアリストのコンセプトを信じられる? 信じられないよね(笑)。あれはただその美しさを楽しめばいいんだよ。

あなたの友人であるジェイムス・フェラーロもヴェイパーウェイヴの重要人物のひとりとみなされています。『Age Of』のコンセプトは彼との読書会をつうじて生まれたものだそうですが、それはほんとうですか?

DL:音楽界でいちばん古い友人だね。だからすごく仲はいいんだけど、彼はほんとうにミステリアスで変なやつなんだ。最後に彼と会ったのは、僕がたまたまパリでギャスパー・ノエ監督を訪ねていたときで。彼(ノエ)のアパートはものすごく人が行き来する道に面しているんだけど、ドアを開けたらなぜかジェイムスがいたんだよ! ジェイムスはパリに住んでいるわけじゃないんだけど、たまたまドアを開けたら彼がいたんだ。「なんだこれ、夢なのか?」って思いながら「何してるの?」って声をかけたら、「いまフランス革命のリサーチをしているんだ」って言っていたね(笑)。まったく理解できなかったよ(笑)。彼は魔法使いみたいにクレイジーなやつでね。僕はただふつうに生活している人間だけど、彼は魔術師みたい、ソーサラーみたいなんだ。ときどきテキストでやりとりをしたりするけど、じっさいに会ったのは何ヶ月も前だな。ほんとうに変わった人だよ。

最近の彼の作品は聴いています?

DL:つねに超フレッシュな人だと思う。彼の音楽はどの曲もぜんぶ聴いてるはず。ものすごくオリジナルで、彼の脳のなかに直接トランスミッションしているような音楽、それが彼の音楽だと思う。聴いているとまるで脳のなかに座っているような感覚になるんだ。良いアート作品にはつねにそういう部分があるものだと思うけど、彼はほんとうにオリジナルだと思うよ。

いま彼がやっているポスト・アポカリプティックなフィクションについてはどう見ていますか?

DL:彼のコンセプトを信じちゃダメだよ! ぜんぶしょうもないことを言っているだけだから(笑)。インタヴューで聞くぶんにはすごくおもしろいし、まとまりもあって、僕も思うところがあるけど、彼は彼自身を含め、まわりの人みんなに嘘をついている。バカにしているところがあるんだ。でもそれはまったく悪意ではなくてね。ものすごく美しくて、シュルレアリストみたいなものだよ。きみはシュルレアリストのコンセプトを信じられる? 信じられないよね(笑)。あれはただその美しさを楽しめばいいんだよ。

(わりと信じてますけど……と言いかけたもののお尻が迫っていたのでつぎの質問へと移る)『Age Of』ではCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)の論集からインスパイアされたことがクレジットされていたため、いろんな憶測が飛び交いました。そのことについてあなた自身の口から説明してください。

DL:変な憶測だね。CCRUに影響されているのは“Black Snow”という曲だけ。ウェイバック・マシン(Wayback Machine)っていうウェブサイトをやっていた友だちが、サイバーパンクのアーカイヴのなかから一篇の詩を見つけて、僕に送ってきたんだ。その詩がまるでランディ・ニューマンの曲のように思えてね。それで少しことばを変えたりして、サイケデリックなランディ・ニューマンの曲みたいにしてつくったんだよ。ただそれだけのシンプルなこと。だから、ニック・ランドがいま言っているような政治のばかばかしいこと、それを僕は残念だと思うけど、それとはまったく関係ないね。

ニック・ランドや加速主義にシンパシーを感じているわけではない?

DL:そもそも彼についての知識があまりないね。ただ、2~3年前に彼の本を読んだときに、すごく美しくてカラフルでシュルレアリスティックなことばをつくる人だとは思った。詩人みたいな部分ですぐれたものを持っていると思う。でも、政治的なスタンスとかは、ものすごくヘイトに満ちた人だから、自分が彼とつながっている、彼に共感を持っていると思われるのはいやだな。彼が過去じっさいにそういうコレクティヴの一員だったことはたしかだけどね。僕はそれをよく知っているわけでもないし、そこに共感したということではないよ(笑)。

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