「K A R Y Y N」と一致するもの

 NYではガバナーズボールやパノラマなどビッグなバンドが出演する音楽フェスティヴァルが絶賛開催中だが、今回はペンシルヴェニア州のスプリング・ヒルファームへ、手作りの素敵なミュージック・フェスティヴァルに行った。NYから車で約3時間、ここは Mirah の家族が所有するファームである。

 Mirah は、マイクロフォーンズなど多くのバンドとコラボレートし、〈Kレコーズ〉から何枚も作品を出しているシンガーソングライター。今回の出演アーティストは Mirah の友だちがほとんどで、Tara Jane O’Neil、Rebecca Gates (ex. The Spinanes, Decemberists)、Kimya Dawson (ex. the Moldy Peaches)、Fleabite (mem. Aya Neko)、Diane Cluck、Lonesome Leash (ex. Dark dark dark, Hurray for the riff riff)、Death Vessel、TubaFresh などなど計17バンド。
 広い牧場には馬、鶏、羊などがいて、池では泳ぐこともできる。数々の簡易トイレが設置され、夜はキャンプ・ファイアがあり、バンドもお客さんもそれぞれテントで寝る。40歳以上と子供が多く、若者はほとんどいなかった。200人ほどの参加なので、3日間いると自然に顔も覚えてしまった。



 ファームで取れた果物や野菜などを使った、健康的な食事も朝昼夜と提供される(キヌア、ビーツサラダ、タイカレー、パンケーキなど)。アルコールはコンブチャとアップルサイダーで、他は持ち込み。
 皆さん大人なので、アルコールを飲んで大騒ぎをする人もいない。
 料理担当、掃除担当の人もいて、みんなでお皿を洗ったり、なんだか合宿みたいだった。
 昼は池で泳いだり、ハンモックで読書したり、ヨガをしたり、かなりのリラックスぶり。このフェスでは財布を持たなくていい。

 ライヴはアコースティック・セットが多く、最近のトレンドの逆行をいくインディ音楽好きのものだった。演奏中も長いテーブルはそのままで。座って見てもいいし、前でかぶりついてみるのも良し。
 Mirah は、フェスに来たみんなにお礼を言った。そして、彼女のお父さんが音楽を聞かせてくれたおかげでいまの自分があると語った。
 最後の“Energy”と言う曲では、Tara、Chanell (TubaFresh)、Maia がステージに上がり、一緒に演奏した。それが泣いているように聞こえたでの、後で聞くと、彼女のお父さんが危篤状態だったそうだ。数日前に意識が戻り、彼女のステージを見にきたという。彼は車椅子に乗って、ブランケットに包まれ、Mirah を見ていた。
 8回も日本に行っている Tara Jane O’neil は、余裕にウィットに富んでいて、ギターだけなのに、とても安定感があった。Shondes というバンドの Eli と一緒に、REMの“You Are The Everything”をカヴァーした。今後はトータスのドラマー、John Herndon とツアーを回るそうだ。
 ブルックリンの Fleabite は、Aya Neko のメンバーが被っていて、パンクでファジーなロックンロールを奏でた。Death Vessel は、バンドで見るのは初めてで、コントラバス、キーボード、美しいハーモニーなどが加わり、インディ・ブルーグラス風の曲がより光っていた。知ってるバンドもあらためて見ると、また印象が変わる。周りの環境と Mirah の人徳が、このフェスをスペシャルなものにしていた。

 音楽と自然に包まれ、コマーシャル感のまったくないフェス。キャンプファイアを見ながら、大切な物を感じた夜だった。


Mirah & Todd (主催者)

Amen Dunes - ele-king

 60年代後半のサイケ・ロックの名盤がアニマル・コレクティヴ『サング・トンズ』を通過して蘇ったような……と書けば、褒めすぎなのはわかっている。だが、〈セイクリッド・ボーンズ〉最後の秘宝といった佇まいだったエイメン・デューンズが、この通算5作めでこれまでにない注目と称賛を集めているのは紛れもない事実だ。はっきりとブレイクスルー作である。21世紀、サイケはインディの内側でインになったりアウトになったりを繰り返してきたが、このニューヨークのサイケデリック・フォーク・バンドはシド・バレットなどを引き合いに出されながら、どこか悠然と、のらりくらりと自分たちの酩酊を鳴らし続け、ますます逃避が難しく感じられるこの時代にこそインディのフロントラインに立った。僕は今年、このアルバムをもっとも多く聴いている。

 00年代のアニマル・コレクティヴのようなゆるいパーカッションの打音とヨレた歌があるが、ただし、『サング・トンズ』~『フィールズ』ほど音響化しているわけではない。よく聴けば奥のほうでノイズや細かな音の処理がされており、モダンな空間設計はあると言えばそうだが、本作を魅力的にしているのはクラシック・ロックの伝統の血筋を引いたソングライティングのたしかさである。これまでも光るものが確実にあったが、TVオン・ザ・レディオ、ビーチ・ハウス、ギャング・ギャング・ダンスなどの仕事で知られるプロデューサー、クリス・コーディの手腕が大きいのだろう、過去のローファイ作よりメリハリの効いた音づくりでメロディが立っている。ギターのアルペジオの柔らかく余韻たっぷりの響きもじつにいい。気持ちよく酔わせてくれる。アルバム冒頭の“Intro”を経て、実質的なオープニング・トラック“Blue Rose”で軽やかにコンガが聴こえてくれば、そこはすでに楽園である。ゆっくりと広がるユーフォリア。エイメン・デューンズは実質デイモン・マクマホンのプロジェクトだが、彼の歌と演奏は力が抜けつつもたしかに人間の体温を感じさせる。
 もうひとつ、『フリーダム』を特徴づけているのは反復だろう。時間が引き伸ばされるようにギターのアルペジオのリフとドラミングが繰り返されるが、それはクラウトロックのマシーナリーさではなく、あくまでオーガニックなものとしてある。シンプルなコード進行の循環と懸命な歌で聴かせる“Time”、ゆるい躁状態にあるようなラリったダンス・フィールが感じられる本作中もっとも軽快な“Calling Paul the Suffering”、存外に厚みのあるギター・サウンドを持った“Dracula”、よりモダンなアンビエントの音響が聴けるクロージング“L.A.”、どれも捨てがたいが、ベスト・トラックには眩いフォーク・ソング“Believe”を推したい。スロウなテンポでメロウなメロディを大事そうになぞる歌。上がりきらずに、しかし静かな盛り上がりを演出する抑揚の効いたリズム。ラスト1分におけるギターの情緒たっぷりの反復がいつまでも続けばいいのにと思う。

 その“Believe”は、マクマホンの母親が末期癌を患った経験から影響を受けてできた歌だそうだ。「あなたのためにしよう/ぼくは落ちこんでなんかない」。これはとてもパーソナルな心の動きがもとになった作品で、彼の震える声はそのまま彼の内面の機微である。前作の『ラヴ』に引き続いての『フリーダム』……と、この期に及んで愛に続いて自由とは、どれだけレイドバックしているんだと思うが、それは愛の夏とは違うもっと小さなものだ。アンノウン・モータル・オーケストラやフォキシジェンなどのいまどきのサイケ・ロック勢にはユーモアや皮肉を交えた知性が感じられるが、エイメン・デューンズはもっと率直に内省的だ。彼が歌う「フリーダム」ははっきりとした言葉にすらならない。「ナナナ、ナナナ、イー、イー、ナナナ、ナナナ、自由を手に、自由を」……。
 足元がフラつくフォーク・ソング“Miki Dora”で歌っているのは、5~60年代のカリフォルニアにおける伝説的なサーファーであるミキ・ドーラのことだという。ファッション・リーダーでカリスマ的な魅力を備えた彼は有名な波乗りとなったが、詐欺でのちに収監されている。アウトローのアイコンなのだという。マクマホンがニューヨークにいながら、なぜ西海岸の夏の海を憧憬せずにいられないのかはわからない。が、彼はここで欠点を持った人間のことを思い出しているのではないだろうか。この、ポップ・ミュージックに立派なステートメントがごった返す時代に。そして歌う……「波は行ってしまった」。ミキ・ドーラは、そして、刑務所のなかにいてもなお「終わらない夏」の象徴なのだと言うひともいたという。『フリーダム』のサイケデリック・フォークの温かさは、行ってしまった「愛の夏」ないしは「終わらない夏」の残響なのだろうか。それでもここに溢れ返る揺らぎと震えは、人間の欠点や弱さをも飲みこんでわたしたちを陶然とさせる。

interview with Eiko ishibashi - ele-king






E王


石橋英子

The Dream My Bones Dream


felicity

ExperimentalSound CollageMinimalPop



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いまだとらえどころのない、石橋英子の過去作品を簡略して言い表すことはできないけれど、そのすべては決してアプローチしづらいものではない。ポップと呼べるかどうかはさておき、その多くには歌があり、リズミカルな旋律があり、ピアノは美しく響き、なんだかんだ言いながらも優美で、曲によってはかわいいメロディや爽やかさもあったのではないかと思う。それは敢えて描かれた、廃墟から見える青空なのか、あるいは自然に出てきたものなのか、ぼくにはわからないけれど、たとえ破壊的な何者かがその奥底でうごめいていたとしてもそうそう気が付かれないような、表面上の口当たりの良さはあった。シンガーソングライターと勘違いされるほどには。
新作はしかし、そういうわけにはいかない。そして同時に、ムシのいい話で恐縮だが、この作品こそぼくがこの異端者に求めていたものではないかとさえ思う。『The Dream My Bones Dream』は、彼女の新しい文体、新しい描写による新しい冒険だ。まっさらなカンバスに描かれる時間の旅行。遷移する「瞬間」の連続。それがある種のミニマル・ミュージックを呼び起こす。型にはまらない音楽をやることは簡単なことではないし、また、それがゆえに人がすぐに理解しうるものではないかもしれないけれど、この作品には、ゆえに生まれたであろう美しい何かがあると思う。それは難しい話ではない。ただ耳を開けば、聞こえてくるもの。『The Dream My Bones Dream』は素晴らしいアルバムだ。



聴こえてくる音と外の世界と心のなかを混ぜてひとつの方向にむかう。そういう行為を続けているだけかもしれないです。自分がどう世界を見るのか、どう対峙するかというときに、これしかできないからというのがあります。この歳になってますますそう思います。


いやー、素晴らしい作品ですね。

石橋:ありがとうございます。

まずこの作品は、これまでとは音楽に対するアプローチを変えている作品ですよね。4年ぶりのソロ・アルバムになるわけですけれど、この4年の間にカフカ鼾であるとか、公園兄弟とかあって、石橋さんとしてはいろんなチャレンジがあったと思うんですけど、しかし、石橋英子のソロ作品だけを追っている人からすれば、今作には驚きがありますよね。とくに『アイム・アームド』みたいな作品を「石橋英子」というふうに思っている人からみたら、「おや?」っていう感じになると思います。だって、今回のアルバムには、ある意味石橋作品のトレードマークであったピアノの演奏がないんですから!

石橋:トレードマーク(笑)? “To The East”という曲だけピアノを弾いています。あとは、ローズとかCPとかシンセですね。

言ってしまえば、ドローンとかミニマルとか、サウンド・コラージュというかミュージック・コンクレートみたいなものを大幅に導入しています。やっぱり石橋さんの作品のひとつの特徴は、ピアノの響きと変拍子であったり、転調であったり……なんかひとつの石橋作品の世界があると思うんですけど、今回はいまで構築してきたそういう自分の世界をいちどまっさらにして、まったく違うアプローチを見せているんですよね。

石橋:そう聴こえるかもしれませんね。

そういう意味では、大胆な変化に挑戦した作品ですね。歌われている歌詞は、日本語でも英語でもなく中国語であったりしますし。この大きな変化はどのようにして起きたのでしょうか?

石橋:自分ではいままでのそういう特徴といわれているものは、作る音楽にとって必要とされ、自然に出てきたことなので、そういう意味では今回も同じといえば同じなのです。4年の間に、もっと言えば6、7年くらいかな、バンドキャンプにいろいろ上げていた作品とかあるんです。フルートだけで作ったりとか、声だけで作ったりとか、シンセの作品など。
そういうものと、4年の間で自分のまわりに起きたこと、いろんな作品、例えばお芝居や映画の音楽を作ったりとか、ノイズの方と一緒にやったりとか。そういうものが全部出ていると思うんですよね。自分がそれを意識してこのような作品になっていったというよりは、ライヴとかレコーディングとかがないときに、4年間、毎日音を探した結果ではないかと思います。今回のアルバムができるまでの行程はひとりの作業が多かった分、その結果がいままでよりも前に出てきたのだと思います。

じゃあわりとごく自然に?

石橋:そうですね。だから、アプローチとかを変えていったというよりは、例えばこのアルバムにとって列車の音というのがひとつのキーになったので、曲によっては列車をイメージしたドラムのリズムから作っていきました。

2曲目“アグロー”とか、3曲目“アイロン・ヴェール”とか?

石橋:そうですね。ドラムのある曲は全部ドラムから作っていこうかなと思って。

この4年の間に秋田昌美さんとコラボレーションをしたり、海外ツアーに行かれたり。そして最近は地方に引っ越しもされて、東京から離れた。いろいろな経験があるなかで、もっとも大きな影響を与えているものは何ですか?

石橋:作品に直接反映させるつもりはあまりなかったのですが、こういう作品になったキッカケとして、あるとしたら父の死は大きいかもしれないですね。音的なことで言うと、引っ越しをしたこともすごく大きいですね。ドラムをずっと叩いても大丈夫というか、長い時間ドラムを叩いても誰も何も言わない環境(笑)。

それは大きいですね。

石橋:大きい音でスピーカーから音を出しながら音を作っていても誰も何も言わないというのはすごく大きいと思いますね。

いままでは都内で叩いていたんですよね?

石橋:都内で叩いていましたよ。雨戸を閉めて(笑)。いまはドラムが家のなかですごく良い感じに響くんですよね。叩いていてすごく楽しくって。響きで何倍もご飯いけるみたいな(笑)。

しかしドラムから作ったというのは意外ですね。

石橋:1曲目の“プロローグ:ハンズ・オン・ザ・マウス”は、実験的にエレクトリック・フルートでいろいろ音を重ねていくうちにできたり。曲によってアプロ―チが違うのですけど、ドラムのある曲はそうですね。実際の録音のドラムは山本達久さんとジョー・タリアさんに叩いてもらっています。ふたりの繊細なドラムの響きは今回のアルバムの大きな特徴です。“Tunnels To Nowhere”という曲はシンセとコラージュから作りました。

お父さんの死というのは石橋さんにとってはすごく個人的なことであり、リスナーに共有して欲しいということを望んでいるわけではないと思うんですけど。

石橋:はい、全然そこは望んでいないですね。

お父さんの死別みたいなものがこの作品にとってひとつキッカケというか何か方向性であるとか、そういうものを与えたとしたらどんなことですか?

石橋:父は生前に全然語りたがらなかったんですけど、満州の引き上げの人で、そのときの写真とかが出てきて。父の死の前後、母と喋ったり親戚から聞いたりして。やっぱりそのことが気分というか頭を支配していて、いろいろ自分なりに調べていったことが曲に反映されていったということがすごくあると思いますね。満州のことについてどういう状況だったのかとか。父はどうやって引き揚げてきてそのあとどうなったのかとか。どういう状況で暮らしていたのかとか。学校でもそのときの歴史をあまり学ぶことができないので、そんな昔のことではないのに、遠い過去の出来事のようになっていると思いました。外国に短い間だけしか存在しなかった国があり、自分の国の人びとがそこにユートピアを求めたという異常な出来事なのに。

満州国ですね。

石橋:満州国の成り立ちを調べていくうちにいまの日本が置かれている状況とあまり変わらないと思いました。だからといってそのことをテーマの中心に置くつもりはなかったのですが、自分はいまの時代と、昔と未来とがすごく繋がっている感じがします。そのことを考えているうちにできあがっていった音が今回のアルバムを構成していきました。

アルバムの途中に出てくる汽車の音がすごく印象的でした。ところで、今回のアルバムを聴いていて、初めて石橋さんの言葉が耳に入ってきたんですよね(笑)。日本語で歌われている曲の歌詞が。

石橋:面白い(笑)。

いままでは、歌は入ってくるのですが、言葉までクリアに耳に入ってきたのは今回が初めてです。

石橋:歌い方が変わったかもしれないですね。

ぼくだけかもしれませんが(笑)。ところで、いまの満州の話を聞いて、なぜ中国語で歌われたのかもわかりました。

石橋:ドラムで作りはじめたときは考えていませんでしたが、曲になるにつれ、どうしても中国語を必要とする曲になっていったのだと思います。

これはどなたかが中国語に訳しているのですか?

石橋:程璧(チェン・ビー)さんというシンガーソングライターの方に私が書いた詩を翻訳して頂いて、デモを歌ってもらいました。

ぼくは日本人なので、すごく興味深い感覚にとらわれますよね。中国という遠くて近い外国、日本との歴史、当事者でありながら、東アジアをどういう風に見たらいいのか、まだぼくたちはよくわかっていないところがあると思います。

石橋:私も中国に実際行ったことがないし、遠くに感じるときもあります。でも実際、身の回りや歴史を見渡すと私たちの生活やルーツに深く関係している国だし、未来のことを考えるときに避けては通れないと思います。

そうですね。ところで、今回はなぜピアノを全面には出さなかったのですか? ある意味では石橋印と言えるじゃないですか(笑)。

石橋:いやいやいや! 自分がそう思っていないからかもしれないですね。自分をピアニストだと思っていないということはあると思いますね。

『アイム・アームド』みたいなアルバムを出しておいて(笑)。

石橋:そうですね。あれは平川さん(※felicityのA&R氏)の希望で(笑)

あれがすごく好きだって人が多いよね(笑)。

石橋:私は残念な事にまだ自分を「◯◯の人」と言う事ができないんです。

いつも思うのですが、石橋さんの音楽はジャンル分けができないんですよね。

石橋:どこに行っても居心地が悪いですよね(笑)。

いまでも良く覚えているのは、石橋さんに最初にインタヴューをしたときに、自分は本当はステージに立ちたくないんだと仰っていたことです。ステージに立ちたくないし、ピアノも楽しくないと。それがすごく印象に残っています。いまでもそうなんですね。

石橋:そうです、そうです。

で、あのあとも思ったのですが、石橋さんはなぜ音楽を作っているのだろうって。すごく大きな話で失礼ですけれど、そういうふうに思ったんですよ。

石橋:それは私もいつも思います。聴いたことのない音、自分を別の場所に連れていくような不思議な響きを追い求めているだけかもしれないです。楽器はなんでも良くて。ライヴをやっていてもそうだし、作品を作っていてもそうだし。聴いたことがない、見たことがない、音の世界を探しているだけという感じはします。


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父の死の前後、母と喋ったり親戚から聞いたりして。やっぱりそのことが気分というか頭を支配していて、いろいろ自分なりに調べていったことが曲に反映されていったということがすごくあると思いますね。満州のことについてどういう状況だったのかとか。父はどうやって引き揚げてきてそのあとどうなったのかとか。






E王


石橋英子

The Dream My Bones Dream


felicity

ExperimentalSound CollageMinimalPop



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もうひとつよく覚えている話は、高校生のときに地方に居て、いちばん好きだったことは音楽を聴きながら自転車で徘徊をすることだったと仰っていたことです。それはヘッドホンをして?

石橋:そうですね。ウォークマンとかで聴いていました。

いまの話を聞いて、それとリンクした話なのかなと思いました。

石橋:そうですね。聴こえてくる音と外の世界と心の中を混ぜてひとつの方向にむかう。そういう行為を続けているだけかもしれないです。自分がどう世界を見るのか、どう対峙するかというときに、これしかできないからというのがあります。この歳になってますますそう思います。

どんどん円熟を極めているじゃないですか。

石橋:どうかなあ。

高校生のときにヘッドホンをしながら自転車で徘徊をすることが好きだったということは、当時の石橋さんにとって音楽というものは、シェルターみたいなものだったのですか?

石橋:そうですね。うん。

生々しい日常みたいなものから離れられるもの?

石橋:というよりも、生々しい日常をどう見るかというフィルターみたいなもの。

『キャラペイス』を作ったときもインタヴューをしたと思うんですけれど、『キャラペイス』は甲羅という意味だから、自分は殻に閉じこもるということ。

石橋:そうですね。子供のときも家の部屋でラジオとかを大きな音でかけるとすごく怒られました。でもラジオっ子だったし、音楽を聴くことがすごく好きだったので布団のなかに潜って聴いていたんですよ。だからそういうのもあるかもしれないですね。

石橋さんは子供の頃からというか、思春期の頃からひとりでいても平気なタイプだったんじゃないのかなという気がします。

石橋:平気かどうかはわからないけれど、ひとりでいないといけない時間があったと言ったほうが正しいのかな(笑)。人と何かを共有したい気持ちはあったとは思うのですが、子供の頃は自分の気持ちをちゃんと話せるタイプではなかったので、共有できない事と決めていた方が楽だったのでしょうね。本当は人と共有できていたことなのかもしれないですけどね。

でもそうやすやすと共有させたくないという気持ちが石橋さんの音楽にはあるじゃないですか。

石橋:どうでしょう。そういう気持ちはないですが、ひとりで部屋にこもって日々つくっているものを、わりとそのまま作品にしているわけですから、難しいとは思います。共有したいという気持ちがあっても。

そうでしょうね。作っている以上は。なんだろう、それは僕の質問の仕方がおかしかったんですけど、例えば、音楽のなかで、語られる物語がいろいろあるとしたら、わりと安易に人と人が出会うじゃないですか。そういう音楽ではないんじゃないかと?

石橋:うんうん。そうですね。そういうものに自分は惹かれていないかもしれないですね。やっぱり自分も何回も何回も同じ音楽を聴くことが好きだし、そうやって聴いていくなかで見えてくるものを探したいと思っているし、自分もそういうふうにしか音楽を聴かないのでやっぱりそういうふうに聴いて欲しいなとは思います。

なんとなく共同体意識を持つんだったら、ひとりで居る方が良いくらいな感じ?

石橋:そうですね。人と人が出会うということは同時に別れていることも含まれているから、共同体意識というのはそもそも幻想でしかないと思います。たとえば私が小さな所でライヴをやるとお客さんがひとりでフラッとやってきて、所在なさげにひとりで帰っていくんです。私も所在なく機材を片付けて帰る……でも何かは共有している、そういうのが好きです。


また全然別の話で、こっちの話はもうどうでもいいとは思っているのですが……一昨年にニューキャッスルのフェスに出たときに、即興演奏で共演する予定だった方は私のことをネットで調べ「シンガーソングライター」だと定義し、即興をできない、あるいはやらない人だと思ったそうです。また逆のこともあるのです。どこに行っても端っこですね(笑)。

つい最近、ele-kingでイアン・マーティンがジムさんにインタヴューをさせてもらって。すごく面白かったのですが、石橋さんとジムさんは似ているところがあるなと思ったんですよね。例えば、こないだ松村と一緒にやったインタヴューであれはちょっと失礼な質問だったかなと思ったのは、なんで前野健太さんと一緒にやっているんですか? みたいな質問をしたんですよ。

石橋:いまなぜか私も前野さんのことを思いました!

たとえば、ジムさんって、アカデミックな教養もあるから、ちょっとマニアックな現代音楽家の名前や理論が出てくるんですね。それで「さすがジムさん」みたいなノリがネット上で起きたりするわけです(笑)。
しかし、ジムさんにおいて重要なのは、リュック・フェラーリやローランド・カインのような人のことを並列して、真顔で『L.A.大捜査線/狼たちの街』のことやコメディの下ネタの話までしていることですよね? 現音系をありがたがってしまう人には下ネタは入ってこないんでしょうね(笑)。ちょっと昔の言い方でたとえると、ジムさんは決してハイカルチャーじゃないんですよね。

石橋:全然! 全然!

ローカルチャーと言ったら前野さんに失礼だけど、要するにそういったものを転覆したいから、あのように言っているわけで。石橋さんのなかにも、そこは同じような転覆があるんじゃないかと思います。そこがまた、ある種石橋さんのわかりづらさというものというか……。

石橋:私のなかでは、たぶんジムさんにとっても、ローランド・カインも、前野さんも、フリードキンも全部つながっているので、ハイカルチャーとかローカルチャーとかよくわかりませんが、わかりづらさといえば、前野さんの作品をこの前プロデュースしたときに実感したことがありました。私と岡田(拓郎)さんと、武藤(星児)さんと荒内(佑)君という4人でプロデュースをして。アルバム全体ではなく何曲かだけプロデュースというのは難しいなと思いながら、前野さんの歌がとても素敵なのでチャレンジしてみることにしました。歌の向かう場所を探してアレンジし、演奏の熱量をそのまま音にしたことは古いやり方かもしれませんが、そのやり方がいいと思いました。しかしあのアルバムのなかにあって、パッと聴いた感じは決して聴きやすくはない、と実感しました。前野さんの歌のなかに深く潜りたかった、でもそれがいいのか悪いのかはまた別なのではないかといまでも葛藤しています。
また全然別の話で、こっちの話はもうどうでもいいとは思っているのですが……一昨年にニューキャッスルのフェスに出たときに、即興演奏で共演する予定だった方は私のことをネットで調べ「シンガーソングライター」だと定義し、即興をできない、あるいはやらない人だと思ったそうです。また逆のこともあるのです。どこに行っても端っこですね(笑)。

異端ではあると思いますね。じゃあ何が主流なのか? という話でもあるんですよ。

石橋:そうですね。わかりませんね。

だから石橋さんとか、ジムさんみたいな人は逆にいえば作り甲斐があるんじゃないですか? つまり、それが普通にこれがドローンやミニマルやミュージック・コンクレートだけの作品だったら、それこそピエール・シェフェールとか昔のミニマリストたちの名前をあげて説明をすれば良いだけの話だけど、それでは完結できない何かがあるからこそ歌われたりしているんだろうし。そこがすごく新しいんじゃないかなと思うんですよね。

石橋:シンプルにはみえない。

でもそのシンプルさに対抗をしているわけじゃないですか。

石橋:対抗するつもりはなかったんですけど、こうなっちゃった(笑)。でも対抗するつもりはなかったんです。なんでこうなっちゃったんだろう(笑)。教えてください(笑)。

はははは。でも今回は聴き易いです。逆に言うとドローンとか、ミニマルとかミニマリズムとかそういうものを導入していると言っちゃわない方がむしろ良いのかなと感じます。音のテクスチャーはぜんぜん違いますけど、コンセプト的にはイーノの『ビフォアー・アンド・アフター・サイエンス』とか『アナザー・グリーン・ワールド』とかにもリンクするんじゃかって。だから、聴きづらいとはまったく思わなかったですし、むしろ入りやすかったですよね。

石橋:私のなかですごく繋がっているから、今回変えたぜ! みたいな感じではないんですけど、聴きやすいと言われます。

そりゃそうですよ! ピアノがないんだもん(笑)。ピアノがないし、あぁいういつもある転調とかがないし、根幹にあるのはミニマリズムだしね。でもだからと言って、これがわかりやすいミニマムのアルバムとして着地をしていないんですよ。そこがやっぱり良いんじゃないですかね。

石橋:やっぱり、良い意味でも悪い意味でも正直にしか作品を作れないんだなというふうに思いますね。アルバムを作るにあたってたくさんの音や言葉のメモがあるのですが、これから作品として出すのかどうかは別として、終わってからもしばらくこのテーマがまだ続いている感じがあるんですよね。いつも作品が終わったら、大体いろんなデータとかを消してしまうんですけど。でも今回は消さないでいます。

“サイレント・スクラップブック”からタイトル曲にいく流れがすごく最高でした。 “ゴースト・イン・ア・トレイン”もすごく好きな曲。このタイトルってどういう意味?

石橋:アルバムタイトルですか? そのタイトル曲を弾き語りで作っているときに自然に出てきた言葉だったんです。自分が直接体験してなくても、あるいは話を聞かなくても、あれは、私だったかもしれないと想像する力、あるいはDNAレヴェルで伝わるものがあるということがあるのではないかと思ってそのタイトルにしました。

最後の曲、“エピローグ”はイェイツの詩からとっているんですよね?

石橋:「Innisfree」というサブタイトルはイェイツの詩からとりましたが、歌詞は私が書きました。ジョイスやイェイツの、生きている人と死んでいる人がつながっている世界観に子供の頃にすごく影響を受けたと思います。

“プロローグ”のオーケストラはコラージュですか?

石橋:2本くらいトランペットが入っていますけど、それ以外はフルートを加工してトランペットやホルンやチューバの音にして実際に吹いて作りました。歌は船のなかで歌っている子供のニュアンスを出したくて、タバコのケースのビニールを使いました。

ちなみに録音はいつからいつまで? 構想を含めるとやっぱりお父さんが亡くなられてから? 

石橋:構想を含めたら、3年前くらいからはじまった感じかな? 実際にバンドの方たちにお願いしたのは去年ですね。ドラムの録音をやったりとか、ストリングスの録音をやったりとかは去年ですね。その後、半年くらいひとりの作業と、ジムさんとのミックスについてのやりとりが続きましたね。

とく時間がかかったのって何?

石橋:もちろん曲の土台作りは全部時間がかかっていますが、自分の作業以外だと、ジムさんのミックスじゃないかな。自分の作業はそれぞれ全部に時間がかかっているから……。フルートもたくさんかさねました。

どのくらい重ねたんですか?

石橋:たくさん重ねましたが最終的には20本くらいですね。短波ラジオや汽車の音のコラージュなども結構時間がかかったなぁ。

フルートを録るだけでも相当時間が掛かっていますよね。

石橋:そうですね。

汽車の音はフィールド・レコーディングをしたんですか?

石橋:資料として、当時満州で流れていたであろう昔のロシアの歌のレコードや日本の歌などのレコードなどを集めていて、その中に蒸気機関車のレコードもあり、それは満州の蒸気機関車の音ではなかったのですがそのレコードから録音しました。

それ以外は全部演奏したもの? ミックスしたり、コラージュしたりとか。

石橋:そうですね。あとは短波ラジオの音も録音しました。

短波ラジオはジムさんのアルバムでも楽器として使ったと言っていましたよね。

石橋:そうですね。私も去年ハードオフで見つけて。ジョンさんとツアーをしたのが大きかったかもしれないですね。私もジムさんも。元々ジョンさんが短波ラジオで音源とかを作っていて。ジョン・ダンカンさんのツアーで私たちも短波ラジオモードになりました(笑)。

短波ラジオってどうやって使うんですか?

石橋:短波ラジオはこうやって動かしながら、それにマイクを当てて、そこでかかっているオペラの様な音楽やニュース、雑音やチューニングの音も全部録音して、曲のイメージのなかに置き換えて解釈してコラージュしました。

石橋さんは自分の内面みたいなものを音にはしようと思わないんですか?

石橋:どうなんだろう。

以前、セシル・テイラーがすごく好きだって仰っていましたね。ジャズの人というのはわりと自分の内面を音で表現したりするものじゃないですか。

石橋:内面は出そうとするものじゃなくて、どうしても出てしまうものなので、けっこう自分ではこれでもエモいと思います(笑)。

そうなんですね(笑)。僕が誤解していたな。もっとすごくストイックに作っているのかなと。

石橋:そぎ落としはします。内面を音にしているからこそ、ストイックにならなければと思っています。

いまでもヘッドホンをして自転車で音楽を聴いたりとかはしているんですか? 

石橋:いまは車ですね。車で暗闇のなかを(笑)。音楽を聴きながら車を走らせていますね。暗い夜道を。

あ、もう東京じゃないから。

石橋:暗―いですよ。電灯とかも無いから。暗―い夜道を音楽を聴きながら。

どんな音楽を聴くんですか?

石橋:うーん。いろいろ。いまは車のなかでZ'EVがかかっている。オウテカ、イングラム・マーシャルも車のなかにいっぱいあります。

それを暗闇のなかで聴いて交通事故を起こさないで下さね(笑)。

石橋:はい、気を付けます(笑)。

Jamie Isaac - ele-king

 深夜のチルアウト。彼は午前1時過ぎの深い時間が大好き。ひとりで、ときには友人を誘って、ときには煙をくゆらせながら真夜中に音楽ばかり聴いている。自堕落かつロマンティックな時間帯。なんの生産性もないが幸せな時間帯。そんなときに似合う音楽とは、最近の例で言えば、Burialであり、ザ・XXであり、ジェイムス・ブレイクであり……、そしてジェイミー・アイザックの本作もそうだ。いま売れているトム・ミッシュと同じカテゴリー(南ロンドン出身/ソウル・ジャズ系SSW)にも括られる23歳の若者だが、不眠症に合うのは間違いなくこちら。孤独な音楽。午前4時30分の怠け者。この10年顕著なひとつの潮流=悲しみの男の子たち。

 とはいえ、カリフォルニアで書かれてロンドンで録音されたこのセカンド・アルバムは、ボサノヴァのリズムからはじまる。“Wings”という曲、これがなかなか洒脱で、ごくごく初期のエヴリシング・バット・ザ・ガールとジェイムス・ブレイク世代との出会いというか、じつにスタイリッシュにまとめられている。日本独自のサブジャンル「ネオアコ」的感性にも訴えそうだ。“Slurp”という曲にもブラジルからの影響が聞こえる。(その曲もぼくは気に入っている)
 ジャジーでポップな“Maybe”は、シャーデーとジョー・アーモン・ジョンズとの溝を埋めるかのようだが、しかし歌は終始一貫してか細く、クレッシェンドすることもない。ダブステップ以降のビート感、アトモスフィア、空間的音響、チルアウト、そして夜の世界に見事にマッチしている。それは夏の大三角形のはるか下の、ベッドルームで揺れる蝋燭の炎と共振するかのようだ。曲の主題は、表題曲は不眠症ともリンクしているそうだが、あらかたラヴ・ソングの体をとっている。
 
 猛暑の夜のメランコリー。地球温暖化と異常気象、地震への恐怖、腐敗した政治家たち、暗黒郷と化す街並み。豊かにならない生活……こんな時代でも、いやどんな時代でもか、深夜にひとり、好きな人のことを考えている時間帯は幸せなんだと。まあたしかにね。

Sigur Rós - ele-king

 忌野清志郎が『カバーズ』の発売中止に抗議してラジオでスタジオライヴをやる前の週だったと思うんだけど、“アイ・シャル・ビー・リリースト“が話題になり、それまでザ・バンドは聴いたことがなかった僕は次の収録日までに聞いておきますと返事して、そのままタワー・レコードだったかに買いに行った。家に帰って早速、アナログ盤に針を落として、“アイ・シャル・ビー・リリースト“を聴きながら、僕はあることを思っていた。スタジオライヴ当日、僕は「聞いてきましたよ」と清志郎さんに告げると、「想像と違っただろ」と返された。そう、僕は初めて“アイ・シャル・ビー・リリースト“を聴きながら「想像していたのと違う」と思っていたのだ。これには驚いた。どうしてわかったんだろう。そして、その日は赤坂のスタジオで“アイ・シャル・ビー・リリースト“や“軽薄なジャーナリスト“など『カバーズ』の発売中止が発表されてから新たにつくられた曲が次々と目の前で演奏されていった。中止が発表された週よりはスタジオの雰囲気も物々しくはなく、収録はとてもスムーズに行われた。いつもと同じく清志郎も座ったまま歌っていたので、感情も適度に抑えられ、安定した歌い方だったと思う。その頃は「体が怒って寝られない」と睡眠不足が続いていたみたいなんだけど、とくにパフォーマンスに支障があったわけではなく、むしろサポートの三宅伸治と呼吸がぴったり合っていたことで、その勢いをタイマーズに持ち越していくという流れが生まれた夜でもあった。そこからは怒涛の日々に突入してしまったので、清志郎さんに「想像と違っただろ」と言われたことは振り返る余裕もなく、どうしてそう思ったのかを訊くタイミングもなくなってしまった。

「想像していた」のは、もっとプロテスト調の強い歌い方だったのかもしれない。しかし、ザ・バンドのそれはとてもか細い歌い方で、とても「いつの日にか自由になれる」と思えるようなものではなかった。歌詞とは裏腹にダメかもしれない、自由にはなれないと思えてくるような歌い方で、だから、むしろ印象に残るとも言える。「想像と違った」のは清志郎も同じだったから僕にもそう言ったのではないかと思えるし、“僕の自転車の後ろに乗りなよ”や“うわの空”など、あきらかに初期のRCサクセションは“アイ・シャル・ビー・リリースト“に影響を受けた歌い方になっている。オーティス・レディングだけで清志郎の歌い方が出来上がっているわけではない。そして、“アイ・シャル・ビー・リリースト“から導かれている感情を、僕は「慈しみ」と呼んでみたい。我の強さが声にそのまま出ている清志郎にとっては、ある意味、裏技のようなものであり、それだけに説得力が違うとも。
 シガー・ロスを初めて聴いた時も僕はこの感じにおそわれていた。とくに“Starálfur“はオーケストレイションの妙味も手伝って「慈しみ」が曲の隅々にまで広がっていくように思えた。90年代後半はレイヴ・カルチャーに少し飽きて、再び「歌」を聴く季節になっていたこともあり、シガー・ロスが浮上してきたタイミングは絶妙としか言えなかった。あれがもうそろそろ20年前になるとは。歳をとったなーというよりも、だんだん時代との距離感がわからなかっていくなー。

 昨年、セルフ・リリースでリリースされていた『Route One』は全編がインストゥルメンタルで構成され、これを最近になって〈XL〉がライセンス。曲名はすべてアイスランドの地名を経緯度で表したものらしく、海岸沿いの道を東回りに辿っていたかと思うと4曲目だけ急にトんだりする。コンセプト的には『アウトバーン』のドローン・ヴァージョンといったようなもので、しかし、スピード感はあるとも言えるし、ないとも言える。アイスランドの穏やかな景色を思い浮かべながら聴くのが順当なんだろうけれど、僕にはほとんどの曲がシガー・ロスの「慈しみ」を抽象化して再提示しているように聞こえ、ぼんやりとした気分を楽しむことに終始してしまう。穏やかでいることに心を砕き、けして心躍るような状態には導かない。瞑想状態に招くという感じもなく、音が物理的なものに感じられるという意味ではコーネリアスを思い出したりもする(ぜんぜん違うけど)。“64º46'34.1''N 14º02'55.8’’W”など、これまでにリリースされた曲のインストゥルメンタル・ヴァージョンにしか聞こえない曲もあるし、それがまたとてもいい。「響き」が頭に残り、それが「慈しみ」に変化していくような気がするから。全部似たような曲なのに、見事にそれらは違っていて、重くもなければ軽くもない。改めて彼らは独特な存在だったんだんだなと。
 元々は2年前に24時間ドライヴをしながらストリーミング配信をする「スローテレビ」のためのサウンドトラックとしてつくられたそうで、その時のパノラマ映像はこちら→https://www.youtube.com/watch?list=PLze65Ckn-WXZpRzLeUPxqsEkFY6vt2hF7&v=ksoe4Un7bLo

Gaika - ele-king

 昨年の来日公演で強烈なパフォーマンスを見せてくれたガイカ、オルタナティヴなダンスホール・サウンドを聴かせる異才が、ソフィーと共同で作り上げた新曲“Immigrant Sons (Pesos & Gas)”のMVを公開しました。この曲は7月27日にデジタルで配信されるデビュー・アルバム『Basic Volume』収録曲で、同アルバムは9月28日にフィジカル盤もリリースされます。これは楽しみ。

ジャム・シティも参加したニューアルバム『Basic Volume』より、
ソフィーと共同プロデュースをした楽曲、
“Immigrant Sons (Pesos & Gas)”のミュージック・ビデオを公開!
また『Basic Volume』のフィジカル・リリースも9月28日(金)に決定!

代名詞であるゴシック・ダンスホールとインダストリアル・エレクトロニックの融合が一つの到達点に達した作品となっている、ガイカのデビュー・アルバム『Basic Volume』。その中から新たに“Immigrant Sons (Pesos & Gas)”のミュージック・ビデオが公開された。

MV「Immigrant Sons (Pesos & Gas)」
https://youtu.be/1zesioegOY0

今回公開された“Immigrant Sons (Pesos & Gas)”はガイカとソフィーが共同プロデュースを行っており、ガイカがガイカたる所以である、彼特有のエッジーなサウンドを保ちつつも新たにメロディアスな領域に彼自身を突入させた一曲となっている。
また、映像は先日公開された“Crown & Key”と同じ、Paco Ratertaによって製作されたビデオとなっており、撮影はフィリピンで行われた。
スモーク、廃墟、ギャング等々、荒廃した景色を映し出す中、集団の中でリーダーのように振る舞うガイカ本人が暴力的かつどこか神秘的な感じも漂わせる映像に、ガイカのキャリア史上一番ポップで感情を揺さぶるような楽曲が乗り、まさにガイカ・ワールド炸裂といった内容に仕上がっている。

また、待望のデビュー・アルバムとなる『BASIC VOLUME』は、7月27日(金)にデジタル配信で世界同時リリースが決まっていたが、9月28日(金)にフィジカルでもリリースされることが決まった。

label: Warp Records
artist: GAIKA
title: BASIC VOLUME

release date: 2018.09.28 Fri On Sale

[ご予約はこちら]
BEATINK: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9780

digital release date: 2018.07.27 Fri
iTunes: https://apple.co/2xTIA2b
Apple Music: https://apple.co/2HtiXVy

[TRACKLISTING]
01. Basic Volume
02. Hackers & Jackers
03. Seven Churches For St Jude
04. Ruby
05. Born Thieves
06. 36 Oaths
07. Black Empire (Killmonger Riddim)
08. Grip
09. Clouds, Chemists And The Angel Gabriel
10. Immigrant Sons (Pesos & Gas)
11. Close To The Root
12. Yard
13. Crown & Key
14. Warlord Shoes
15. Spectacular Anthem

PSYCHEDELIC FLOATERS - ele-king

 不肖柴崎の監修により新たなリイシュー・シリーズがスタートします。その名も「PSYCHEDELIC FLOATERS(サイケデリック・フローターズ)」。

 「サイケデリック」というと、その語自体が伝統的なロック・ミュージック観と分かちがたく結びいている故に、1967年のサマー・オブ・ラヴ、ヒッピー、LSD、ティモシー・リアリー、サイケデリック・アート、ジェファーソン・エアプレイン、……という連想を反射的に起こさせるものだったし、そういった理解がいまだ一般的なものだろう。ドラッグ・カルチャーと変革の時代が生んだ徒花的存在として、その徒花性が故に「あの時代を彷彿とさせる」アイコニックなカルチャーとしてその後も生きながらえてきた。70年代にはアンダーグラウンドに潜伏しながらもオーセンティックなサイケデリック・ロックを演奏するバンド群は根強く存在していたし、80年代にはオルタナティヴ・ロックの胚珠として「ペイズリー・アンダーグラウンド」なるリヴァイヴァルも勃興し、90年代以降も特定のテイストとして都度アーティストたちに取り入れられる一要素として「サイケデリック」という意匠は生き長らえてきた。

 しかし、本来この「サイケデリック」には、そうした単線的な視点・史観のみでは捉えきれない複層的な空間が広がっている。幻夢的な酩酊感、あるいは静的覚醒感。そういった、サイケデリックから抽出される特有の質感を「浮遊感=フロートする感覚」として捉え直すことで、大きく視野が切り拓かれることになる。快楽性とテクスチャーにフォーカスして音楽を捉え直すという感覚は、90年代に、かつてのソウル観に対する概念として「フリー・ソウル」というタームが出現したときのそれに近しいと言えるかも知れない。そう、ドアーズやエレクトリック・プルーンズ、ブルー・チアー(も素晴らしいけど)ではなく、後期ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやカン、マニュエル・ゲッチング、ウェルドン・アーヴィン、ピーター・アイヴァース、ネッド・ドヒニー、ヨ・ラ・テンゴ、アンノウン・モータル・オーケストラフランク・オーシャン……。それらから共通して抽出されるタームこそを「サイケデリック・フローターズ」と呼びたい。

 そして、昨今のポスト・ヴェイパーウェイブ的趨勢の中、ニュー・エイジ、アンビエント、バレアリック、あるいはシティ・ポップやヨット・ロックが次々と注目・再発見されていく流れにあって、「サイケデリック・フローターズ」という切り口をそこに加えることで、いまこそ再び聴きたい(聴かれるべき)多くの隠れた名作が浮かび上がってくるのだった。これまで「サイケデリック」という文脈では一般的に語られることのなかった幅広いジャンルに存在する「無自覚なサイケデリック」とでも言うべき作品を発掘し、これまでのリイシュー・シリーズとは一線を画した視点で数々のタイトルを紹介していくつもりだ。

 では、今週7/18にリリースとなる第一弾の2作品を紹介しよう。

Jack Adkins / American Sunset

 米ウェストバージニア州出身のシンガー・ソングライターによる84年作の世界初CD化。
 少年期よりガレージ・ロック・バンドで演奏活動を始め、その後も全米サーキットで音楽活動を続けてきたジャック・アドキンス。80年代に入りマイアミに移住しその地の風景に心を打たれたことをきっかけに、北米各地の夕暮れ(Sunset)の風景を歌い綴ったアルバムを制作することにした。歌とギター、リンドラム、そしてシンセサイザー(ローランドジュピター8)を中心に、ほぼ全ての楽器を自身で演奏し録音されたこのレコードは、当時はごく少数のみプレスの超激レア作。
 まさに知る人ぞ知る存在だったこの盤の存在が知られるきっかけは、ダニー・マクレウィンとトム・コベニーというハードなディガーふたりによるユニット PSYCHEMAGIK が選曲を担当したヴァイナル・コンピレーション『PSYCHEMAGIK PRESENTS MAGIK SUNSET PART 1』(2015年)に、アルバム・タイトル曲が収録されたことだった。
 ジュピター8の独特の音色に80’s的風情を強く吹き込むリンドラムの響き、そしてジャック・アドキンス本人のマンダムな歌唱が融合した世界は、まるでルー・リードとアーサー・ラッセルが邂逅したかのような至高のニューエイジ・フォーク作となっている。キラキラと海を照らすオレンジ色の黄昏のような音楽に、バレアリックな哀切が掻きてられる。

Jack Adkins - American Sunset
Boink Records / Pヴァイン

Amazon Tower HMV


Chuck Senrick / Dreamin’

 米ミネソタ州出身のジャズ系シンガー・ソングライター、チャック・センリックによる唯一作(76年作)の世界初CD化。
 地元のバー・ピアニストとして演奏活動をおこなっていた彼が、愛する新妻との結婚生活を綴ろうと制作した作品で、自身のヴォーカルとフェンダー・ローズ、そしてKORG社製のリズムボックス「ドンカマチック」を伴い、友人宅のリヴィング・ルームでひっそりと録音されたものだ。マイケル・フランクスやケニー・ランキンといったヴォーカリストを思わせる切々としたクルーナー・ヴォイスに、透明感のあるローズの響き、そしてキッチュとも言えるドンカマのリズムが融合し、シンプルながらも不可思議な酩酊感を湛えた世界が(ささやかに)繰り広げられる。
 ヨット・ロックのブームを決定づけることになった米〈Numero〉からリリースされたコンピレーション『SEAFARING STRANGERS: PRIVATE YACHT』(2017年作)に、本作から“ドント・ビー・ソー・ナイス”が収録されたことでも一部ファンの注目を集めていた。そういったAOR再評価の最深部的作品としても実に味わい深いが、やはり注目すべきはその幸福な浮遊感に満ちたイノセントかつナイーヴな肌触りだろう。
 これぞまさしくアンコンシャス(無意識的)なサイケデリック・ミュージックの最良の例だと言えるだろう。

Chuck Senrick - Dreamin'
A Peach Production / Pヴァイン

Amazon Tower HMV


 「サイケデリック」についてあれやこれや考察するよりも、あるいは「いまっぽい」という視点ばかりに拘泥するよりも、何よりもまずはその浮揚するサウンドスケープに耳を委ねてみるのが良い。
皆さんのリスニング・ライフに少しの刺激と安らぎを与えてくれるであろう本シリーズ、今後も様々な知られざるレア作や埋もれた名作のリリースを予定していますので、是非ご愛顧のほど宜しくお願いします。

追記:
「サイケデリック・フローターズ」をより楽しんでいただけるように、Apple Music と Spotify 上にプレイリストを作成しました。是非併せてお楽しみください。

AppleMusic

Spotify

※配信曲有無の関係で、AppleMusic と Spotify で若干プレイリスト内容が異なります。

The Sea And Cake - ele-king

 あのザ・シー・アンド・ケイクが、『Runner』(2012)以来、6年ぶりの新作アルバム『Any Day』を発売した。相変わらずとても良い。手に入れてからというもの何度も繰り返し聴いている。リリースはお馴染みの〈スリル・ジョッキー〉だ(日本盤リリースは〈HEADZ〉)。
 初夏から夏にかけてのムードに合う爽やかなアルバムだが、むろん、それだけが繰り返し聴き込んでしまう理由ではない。彼らの音楽は「間」のアンサンブルが絶妙なのだ。このアンサンブルの独特さはなんだろう? と思いつつ、気が付けば20年以上もずっとアルバムを買い続けている。
 なぜだろう。いわゆる最小限のアンサンブルが風通しが良いからだろうか。だが、ザ・シー・アンド・ケイクは、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスという、ごく普通のロック・バンド編成にも関わらず、まったく普通ではない妙味がある。演奏とヴォーカルの関係性、ドラムとベースの関係性など、これまでのアルバムを聴き込んでいけば一目瞭然だ。こんなロック・バンドはほかにない。ポップであっても変わっている。変わっているけど変ではない。聴きやすく、ポップで、やさしくて、まろやか。一筋縄ではいかなくて、それでも音楽は親しみやすい。少し不思議な音楽。それがザ・シー・アンド・ケイクの印象だ。

 もちろん、サム・プレコップ、アーチャー・プルウィット、ジョン・マッケンタイア、エリック・クラリッジら希代の演奏家・音楽家らがメンバーなのだから、豊穣な音楽性を有していることは当然といえば当然である。じっさい、サム・プレコップのフローティングするようなヴォーカル、アーチャー・プルウィットの味わい深いギター、ジョン・マッケンタイアの複雑にして軽やかに弾むドラミング、エリック・クラリッジの個性的なベースというアンサンブルは「必然と魔法」のように、ザ・シー・アンド・ケイクの本質を形作っていた。
 だからこそ、前作以降、病で演奏活動ができなくなったエリック・クラリッジの脱退は、バンドにとって、ほとんど存続にかかわる事態だったのではないか。そう、本作は、エリック・クラリッジが不在のままサム・プレコップ、アーチャー・プルウィット、ジョン・マッケンタイアら3人によって制作されたアルバムなのである。
 彼らはエリック・クラリッジの代わりに新たなベーシストを入れることをしなかった。たしかに3曲め“Any Day”に、ザ・ジンクスや、ユーフォンで知られるニック・マクリがゲスト・ベーシストとして参加しているが、そのほかの曲はジョン・マッケンタイアがシンセ・ベースを演奏している。

 空白をほかの誰かですべて埋めるのではなく、空白は空白のままにしておくこと。彼らはエリック・クラリッジ脱退以降、そんな方法をとった。これは素晴らしい選択に思える。
 なぜか。その「間」を活かした方法論が、とてもザ・シー・アンド・ケイクらしいのだ。むろん、エリック・クラリッジのベースがなくなったことでバンドのアンサンブルは変わった。当然だ。しかしジョン・マッケンタイアのシンセ・ベースは、その空白を埋めようとはしていない。彼のベースを模倣するのではなく、あくまで空白を空白のままにしておくように、シンプルなベースラインを刻んでいる。
 これは新しいベースを全面的に導入するよりは、ザ・シー・アンド・ケイクがザ・シー・アンド・ケイクであるための重要な選択だったと思う。むろんベースという文字通りバンド・アンサンブルを支えていた存在を失った事実は途轍もなく大きい。だが彼らは「間」のアンサンブルのバンドなのだ。不在を不在のまま存在に変えること。

 喪失から継続へ。このアルバムは人生における喪失への哀しみと、しかしそれでも続いていくこの美しい世界への慈しみがある。全10曲、まるでアートワークに用いられたサム・プレコップの写真そのもののような作品だ。こうして新作が録音され、リリースに至ったことは、ひとつの「奇跡」にすら思える。人生の傍らで鳴り続ける音楽がここに。

Actress × London Contemporary Orchestra - ele-king

 ここ日本からは想像しにくいかもしれないが、海の向こうにおいてアフロフューチャリズムは一定の文化的地位を獲得している。たとえば昨秋アテネでは、世界各地から多くのアーティストを招いたアフロフューチャリズムのフェスティヴァルが開催されており、サン・ラー・アーケストラを筆頭に、ドップラーエフェクトやア・ガイ・コールド・ジェラルドといったヴェテラン、ムーア・マザーやンキシといった新世代がパフォーマンスを披露している(アブドゥル・カディム・ハックやオトリス・グループなどもゲスト・スピーカーとしてレクチャーを担当)。アクトレスことダレン・J・カニンガムもそのフェスティヴァルに出演していたひとりだ。
 自らをホアン・アトキンスの系譜に位置づけるアクトレスがデトロイトのエレクトロ~テクノから多大な影響を受けていることは間違いない。けれども彼はそのサウンドをあからさまに模倣することはせず、むしろ他のさまざまな音楽を参照し、それらの要素を独自に結び合わせ、まったくべつのものとして提出してきた。そのあり方にこそダレン・カニンガムのオリジナリティが宿っていたわけで、ようするに彼は物真似をしないということ、すなわち己自身の想像力を研ぎ澄ませるということをこそURやドレクシアから継承したのだろう。
 そのアクトレスの新作『LAGEOS』は驚くべきことに、オーケストラとの共作である。これまでさまざまな趣向でリスナーを唸らせてきたアクトレス、彼はいま、どのような想像力をもって自身の可能性を押し広げようとしているのだろうか。

 今回アクトレスの相方を務めているロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ(以下、LCO)は、2008年にヒュー・ブラントとロバート・エイムスによって立ち上げられたアンサンブルで、近年ではレディオヘッド『A Moon Shaped Pool』への参加や、あるいはリン・ラムジー監督作『You Were Never Really Here』やポール・トーマス・アンダーソン監督作『Phantom Thread』といった映画のスコアなど、ジョニー・グリーンウッドとの絡みで注目されることが多い。
 他方で彼らはこれまでマトモスやミラ・カリックスといったエレクトロニカ勢ともコラボしてきており、その経験が良き蓄えとなっているのだろう、エレクトロニクスと器楽が手を取り合うと、それぞれの歩んできた歴史の長さが異なるためか、往々にして音色/音響面で後者の支配力が大きくなってしまうものだけれど、本作においてLCOの面々はアクトレスの本懐を削がないことに苦心している。そのために彼らがとった方法は、それぞれの楽器を可能な限り器楽的な文法から遠ざけるというものだ。その奮闘ぶりは「RA Session」の動画を観るとよくわかるが、たとえばチェロのオリヴァー・コーツ(最近〈RVNG〉と契約)もコントラバスのデイヴ・ブラウンも、自身の相棒を打楽器的に利用している。

 そのようなLCOのお膳立てのおかげで、ダレン・カニンガムには大いなる想像の余白が残されることとなった。彼の卓越した編集術はまず、冒頭の表題曲に素晴らしい形で実を結んでいる。か細いパルス音をバックに、ヴァイオリンとヴィオラが独特の酩酊をもたらす2曲目“Momentum”では、ゆったりとヴィブラートをかけることによって紡ぎ出された妖しげな揺らぎが、カニンガムによるエディットを経由することで何かの声のような奇妙な響きを獲得している。3曲目“Galya Beat”では、跳んだり跳ねたりする低音とノイズの背後で弦がドローンを展開しようと試みるものの、途中で弓を折り返さねばならないからだろう、持続は完遂されず、ここでも不思議な揺らぎが生み出されている。ミニマルに反復する高音パートを少しずれた間合いで低音がかき乱していく4曲目“Chasing Number”も、グルーヴという曖昧な概念をメタ化しようとしているようでおもしろい。
 後半もよく練り込まれていて、パンダ・ベアからインスパイアされたという“Surfer's Hymn”では鍵盤とノイズがじつにスリリングなかけ合いを繰り広げているが、そこにさりげなくエレクトロのビートを差し挟まずにはいられないところがアクトレスらしい。「器楽インダストリアル」とでも呼びたくなる“Voodoo Posse, Chronic Illusion”も聴きどころ満載だけれど、キャッチーさで言えば、昨年シングルとして先行リリースされた“Audio Track 5”に軍配が上がる。坂本龍一がラジオでかけたことでも話題となったこの曲は、機能的なビートがひゅーう、ふゅーうとさえずるストリングスと手を組むことで、素晴らしい陶酔を生み出している。

 とまあこのように、『LAGEOS』はカニンガムのたぐいまれな編集センスを堪能させてくれるわけだけれど、本作にはその逆、つまりLCOが既存のアクトレスの楽曲を再解釈したトラックも収められている。『Splazsh』の“Hubble”と『R.I.P.』の“N.E.W.”がそれで、いずれもまったくべつの曲へと生まれ変わっている。LCOの面々も負けていない。
 アフロフューチャリズムがSF的な想像力を駆使することによって現実を捉え直したように、つまりは逃走することによって新たな闘争を実現したように、既存のテクノからもオーケストラからも遠ざかることによって未知の音楽の可能性を開拓した本作は、アクトレスとLCO双方のキャリアにとって画期となるのみならず、テクノとオーケストラとの、エレクトロニクスと器楽との共存のあり方をも更新している。これはもう素直に、LCOの寛容さ・柔軟さと、ダレン・カニンガムの冒険心を讃えたい。コラボたるもの、かくあるべし。


Krrum
Honeymoon

37 Adventures / ホステス

SoulElectronic

Amazon Tower HMV iTunes

 2017年のアップル・ウォッチのCMを見た人はいるだろうか? 「ゴー・スウィム」というシリーズの第2弾で、時計をつけたままプールで泳ぐというフィルムなのだが、そのバックに流れていたのがカラム(綴りはKrrumで、発音的にはクラムが近い)というアーティストの“イーヴル・ツイン”という曲である。近年のアップル社のCM曲に起用されたUK勢には、ハドソン・モホーク、サム・スミス、ムラ・マサなどがいるのだが、旬の人だったり、またはこれからブレイクしそうな人だったりと、人選がいいところをついている。これらCM曲は、エレクトリックな佇まいを感じさせながらも、どこかソウルフルで人間的、温かみだったり、可愛らしさだったりを感じさせる作品が多いのだが、カラムの“イーヴル・トウィン”もそうした1曲である。なお、この“イーヴル・ツイン”のミュージック・ヴィデオもあって、何かのオーディション会場にマイケル・ジャクソン、ボーイ・ジョージ、ニッキー・ミナージュ、ブリトニー・スピアーズのソックリさんが現れるのだが、彼らはみな年季の入った太めのLGBTという感じで、重たそうな体でキレのないダンスを繰り広げるコミカルなものだ。そして、カラム自身も審査員役で登場している。

 カラムはプロデューサー/シンガー・ソングライターのアレックス・キャリーによるプロジェクトで、英国のリーズを活動拠点とする。長い山羊髭に黒縁のロイド眼鏡と、ファッションもなかなかユニークでキャラが立っている。彼はダービーシャー州のダーク・ピークスという田舎町出身で、13才の頃から作曲を始め、地元のスカ・バンドでトランペットを演奏していた。その後、リーズの大学に進学して音楽制作を学び、その頃にゴリラズからボン・イヴェールなどいろいろな音楽の影響を受け、吸収していった。2016年1月に同じアパートに住む友人のハリソン・ウォークと“モルヒネ”というシングルを発表し、この曲や“イーヴル・ツイン”を含む初EPを同年3月にリリース。Shazamやハイプ・マシーンのチャートを賑わせた後、前述のように“イーヴル・ツイン”がアップルCMに使用され、さらに話題を呼んだのである。その後、楽曲制作と並行してピッチフォークやBBCなどが主催するフェスティヴァルにも参加し、人気を伸ばしていったカラム。そして、“イーヴル・ツイン”ほか、“ハード・オン・ユー” “スティル・ラヴ” “ムーン”などのシングル曲を含むファースト・アルバム『ハネムーン』が満を持して発表された。盟友のハリソン・ウォークがソング・ライティングで参加しているが、彼もギタリスト兼シンガー・ソングライターで、ニック・マーフィー(元チェット・フェイカー)を彷彿させる味のあるヴォーカルだ。基本的にアレックスがトラックを作り、ハリソンが歌うというのがカラムのスタイルである。そして、ミキサーにはアデル、ベック、アルバート・ハモンド・ジュニアなどの作品に携わるベン・バプティ、そしてトゥー・ドア・シネマ・クラブ、ムラ・マサなどを手掛けるティム・ローキンソンが参加。また、コリーヌ・ベイリー・レイの楽曲を手掛けたジョン・ベックとスティーヴ・クリサントゥが、それぞれ“フェーズ”と“ハニー、アイ・フィール・ライク・シンニング”でソング・ライティングに加わっている。

 カラムは『ハネムーン』について、ややシニカルな見方をしている。「たいていハネムーンというと、ポジティヴなとらえ方をする人が多いけど、その反面、子供でいることや自由であることが終わりを迎えたという時期を意味するのではないのかな」ということで、このタイトルをつけたそうだ。物事に対して客観的で斜に構えた見方をしており、たとえばラヴ・ソングの“スティル・ラヴ”も「恋愛関係を前進させたい思いが強いけれど、踏みとどまってしまう自分がいる。なぜなら直感的に、その関係より先に進めなくてもいい、妄想で終わらせてもいいと思っている自分がいるから」という思いを表現している。“フェーズ”は「あなたは私の人生の通りすがりの男だから」と、自らを言い聞かせて関係を断ち切るという切ないラヴ・ソング。“ムーン”は「好きな人と関係性を結ぶためには、通らなくてはいけない告白という儀式がある。でも、その引き金を引くと、自分が思いもよらなかった結果が待ち受けていることがある」という具合に、彼の歌にはどこか鬱屈した感情が見受けられる。“アイ・ソート・アイ・マーダード・ユー”や“ハニー、アイ・フィール・ライク・シンニング”などの曲名も意味深だ。このように屈折したフィーリングをデジタル・プロダクション主体のサウンドに乗せるスタイルで、基本的にはエレクトリック・ソウル~オルタナR&B系のシンガー・ソングライターと位置づけられるだろう。そして、シニカルでクールに物事を俯瞰する視線は、とてもイギリス人らしいと言えそうだ。

 ジェイムズ・ブレイクやサム・スミスの成功以降、UKの男性シンガー・ソングライターにはジェイミー・ウーン、クワーブス、クウェズ、サンファなど逸材が多い。今年ブレイクした筆頭のトム・ミッシュほか、ジェイミー・アイザックやプーマ・ブルーなど、若く才能のあるシンガー・ソングライターが続々と登場している。カラムもこうした中のひとりであるが、たとえばトム・ミッシュあたりと比較するとプロダクションはずっとエレクトリック寄りである。トム・ミッシュがギター・サウンドを主体とするのに対し、カラムの軸となるのはシンセ・サウンドで、そこにホーン・サンプルとオート・チューンなどで加工したコーラスを加えていく。“イーヴル・ツイン” “ウェイヴズ” “スティル・ラヴ”がこうしたプロダクションの代表で、“アイ・ソート・アイ・マーダード・ユー”あたりに顕著だが、全体的に1980年代風のエレクトロ・テイストを感じさる点も特徴だ。“ユー・アー・ソー・クール”のようにポップで爽快感を感じさせる曲も魅力的だが、“ブレッシング・イン・ア・ドレス”や“ドーム・イズ・ザ・ムード・アイム・イン”などヘヴィーなヒップホップ系ビートの骨太の曲、“イフ・ザッツ・ハウ・ユー・フィール”のようにオルタナ感満載のベース・ミュージック寄りの曲と、いろいろとヴァラエティにも富んでいる。そして、どの曲からもポップなセンスが感じられる。アップル繋がりではないけれど、ムラ・マサの楽曲や、そのアルバムにも参加していたジェイミー・リデルの作品に通じるところも見受けられるし、クワーブス、ソン(SOHN)あたりに近い部分も感じさせる、というのがカラムの印象だ。“ハード・オン・ユー”のようにソウルフルなフィーリングとエレクトリック・サウンドの融合が、彼の真骨頂と言えるだろう。


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