「K A R Y Y N」と一致するもの

Georgia Anne Muldrow - ele-king

 怒濤の〈Brainfeeder〉祭り、続きます。かつて〈Stones Throw〉からデビュー・アルバムを発表し、マッドリブとのコラボや、エリカ・バドゥ、モス・デフ、ディーゴらの作品への客演で知られるLAのシンガーソングライター/マルチインストゥルメンタリストのジョージア・アン・マルドロウが〈Brainfeeder〉と契約、同レーベルより最新作をリリースします。国内盤CDとデジタルは10月26日に先行発売(輸入盤CD&LPは11月2日発売)。なお、10月24日発売予定の『別冊ele-king』には、彼女のインタヴューが掲載されます。そちらも合わせてご期待ください。

Georgia Anne Muldrow

現代のニーナ・シモンとも称される才媛、ジョージア・アン・マルドロウ、
フライング・ロータスをエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、
設立10周年を迎えた〈Brainfeeder〉から待望の最新アルバムを発表!
アルバムから先行配信曲“Aerosol”が解禁!

彼女は本当に素晴らしいよ。ロバータ・フラックやニーナ・シモン、エラ・フィッツジェラルドを彷彿とさせる。特別な存在だよ。 - Mos Def
これからは彼女の時代だ。 - Ali Shaheed Muhammad(A TRIBE CALLED QUEST)

今年設立10周年を迎え、夏にはソニックマニアでステージをまるごとジャックしたアニバーサリー・イベントを大盛況のうちに終え、ますます勢いを増すフライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉。ロス・フロム・フレンズ、ドリアン・コンセプト、ルイス・コール、ブランドン・コールマンと怒涛のアルバム・リリース攻勢が続く中、フライング・ロータス自らがエグゼクティブ・プロデューサーを務めたジョージア・アン・マルドロウの〈Brainfeeder〉移籍第一弾アルバムが発売決定。

ケンドリック・ラマー、エリカ・バドゥ、ATCQ、ブラッド・オレンジ、マッドリブ、ビラル、ロバート・グラスパーら名だたるアーティストが支持する現代のニーナ・シモンとも称されるジョージア・アン・マルドロウにとって3年ぶりのオリジナル・アルバムとなる本作は、大半の楽曲を引き続き自らがプロデュースを行い、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得した先行シングルにしてタイトル曲“Overload”を含む4曲では、50セントからスヌープ・ドッグ、TDEやOFWGKTA諸作などを手がけてきた西海岸屈指のプロデューサー・デュオ、マイク&キーズ、共同エグゼクティブ・プロデューサーとしてフライング・ロータスに加え、アロー・ブラック、公私ともにパートナーであるダッドリー・パーキンスが参加した力作となっている。

アルバムからは2枚目となるシングル「Aerosol」が9月14日に公開。オランダ人ヒップホップ・プロデューサーのムーズを迎え、回顧的なリリックが映えるスローモー・ファンクを披露している。

Georgia Anne Muldrow - 'Aerosol'
https://youtu.be/nqGOU6d5pLA

「アルバム『Overload』は抑制の中での実験なの。私は、世界中の才能あるアーティストたちの力を借りて、できるだけ明瞭に自分自身を何らかの形に押し込めている。ライブはその解釈を実験する場になる。そこで私と(私のバンドである)ザ・ライチャスは、押し込めたその内容を楽しげな騒音に解放する。この二つのエネルギーがずっと私の中でバランスを取ろうとせめぎ合っていた。生まれたときから……あるいは何かをレコーディングしたいと思ったそのときから。そして、忍耐と規律と忠誠のおかげで、どこが力を入れるベストなポイントなのか、少しずつ明らかになってきた」

と本人が語る通り、彼女の偉大なキャリアにおいてもターニングポイントとなるであろうニュー・アルバム『Overload』は〈Brainfeeder〉より国内盤CDとデジタルが10月26日(金)に先行リリース(輸入盤CD/LPは11月2日発売)。国内盤CD歌詞対訳、解説書が封入され、ボーナストラックが追加収録される。またiTunes Storeでアルバムを予約すると、公開中の“Aerosol”、“Overload (feat. Shana Jenson & Dudley Perkins)”がいち早くダウンロードできる。

また、今回のリリースは〈Brainfeeder〉10周年キャンペーン対象商品となっている。


Brainfeeder10周年キャンペーン実施中

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label: BRAINFEEDER / BEAT RECORDS
artist: Georgia Anne Muldrow
title: Overload

国内盤CD BRC-583 ¥2,400+税
ボーナストラック追加収録 / 解説・歌詞対訳冊子封入

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9857
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Tower Records: https://bit.ly/2xhrPvp
iTunes:https://apple.co/2Qo7axs
Apple Music:https://apple.co/2N6pJbz

Swamp Dogg - ele-king

 これはぶち飛んだ。この4月にリリースされたマウス・オン・マース『ディメンジョナル・ピープル』には数多のゲストがフィーチャーされ、そのなかでもスワンプ・ドッグがクレジットされていたことにはかなり驚き、その経緯についてヤン・ヴァーナーにも訊いてみたばかりだった(「エレキング」22号参照)。それだけのことでスワンプ・ドッグの新作を聴いてみようと思った。いや、それだけではない。タイトルに「オート・チューン」と入っていたことが決め手だった。『愛と喪失とオート・チューン』。どんなタイトルだろうか。スワンプ・ドッグことジェリー・ウイリアムズ・ジュニアは今年77歳になるヴァージニア州のブルースマン。これが、そう、オート・チューンで声を変形させ、ブルースやソウルを歌いまくっている。“I'll Pretend”ではボン・イヴェールことジャスティン・ヴァーノンまで従えている。サイケデリックである。細かいギターのカッティングではじまり、シンセ・ベースに導かれた”$$$ Huntin’”などはもはやエレクトロだし、アルバート・キングがモダン・ブルースで、ファンタスティック・ネグリートがコンテンポラリー・ブルースなら、『愛と喪失とオート・チューン』はそれこそフューチャー・ブルースというしかない。ほとんどフィードバック・ノイズだけでソウル・ナンバーを歌い上げる”Sex With Your Ex”やブレイクビーツでがっしりとしたリズムを刻む“She's All Mind All Mind”も素晴らしい。

(全曲試聴可)
https://www.npr.org/2018/08/30/641286054/first-listen-swamp-dogg-love-loss-and-auto-tune

 プロデューサーはまさかマウス・オン・マースじゃないだろうなと思ったらライアン・オルスンという人で、どうやらボン・イヴェール周辺の人らしい(よく知らない)。カニエ・ウエストの『808s&ハートブレイク』など最近の音楽はオート・チューンだらけだなあと感じていたスワンプ・ドッグはどうやらオルソンに自分の曲を好きにいじらせたらしく、言ってみればギル・スコット・ヘロンのラスト・アルバムをジェイミー・XXがリミックスして『ウイ・アー・ニュー・ヒア』(11)として生まれ変わらせたのと同じ経過をたどったものだと想像できる。元々、サイケデリックな表現を核としてきた人なので、そのようにして曲が変形していくことにはこれといった抵抗もなかったのだろう。出来上がったサウンドを聴いて「驚いちゃったね、もう(I was knocked out by what I heard. I couldn't believe it was me. It's some of the greatest and outrageous music I've ever heard come out of the Swamp Dogg.)」みたいな発言をしている。『ウイ・アー・ニュー・ヒア』と大きな違いがあるとすれば作者名にオルスンの名前は入れず、自分の名前だけがクレジットされているところだろう。リリース元のホームページでは「スワンプ・ドッグは国宝だから」とまで言い放っていて。

 「1977年にローリング・ストーンズはいらない」と歌ったクラッシュの歌詞をまともに受け取り、阿木譲の『ロック・マガジン』で紹介されていたディスコやニューウェイヴばかり聴いていた僕は1986年にロンドンで忌野清志郎と知り合い、彼の音楽に打ちのめされたことで一種のアイデンティティー崩壊を起こしてしまった。それまで否定していたオールド・ロックに感動してしまったのだから、これはもう大変なショックで、価値観が揺らいだままどうすることもできず、どっちも好きなのが自分だと思えるまでに1年間も悩んでしまった。いまから思うと、よくもそんなことで世界の終わりでも来たかのように悩み続けられたなとも思うけれど、あの時期の自分に聴かせてやりたいと思うアルバムが『愛と喪失とオート・チューン』です。驚いただろうな、オレ~。それともまったく意味がわからなかっただろうか。

 それにしても、ジョン・ハッセルといい、ジョージ・クリントンといい、今年は70代がどうかしてますよね。山根会長とか。

Animal Collective - ele-king

 アニマル・コレクティヴの逃避主義を考えるとき、彼らが浮上した00年代前半のアメリカの空気を思い出す必要がある。高いビルに飛行機が突っこみ、国内世論は内向きになり、大量破壊兵器という理由をでっち上げて戦争の準備を進めていた不穏さのさなかで、たとえばブライト・アイズのように曇りのない目で、古くからのフォーク・サウンドとまっすぐな反抗心から社会に立ち向かう若者もいた。だが、そうではなく、「フリー」の冠をつけたやたらに音響化されたフォーク・ミュージックを鳴らす若者たちもいっぽうではいて、彼らは彼らなりに荒んだ世のなかへの抵抗を試みていたのかもしれない。同じように曇りのない目で……『キャンプファイア・ソングス』、『ヒア・カムズ・ジ・インディアン』、そして『サング・トンズ』といったアルバムからは、こことは違う世界をいつもとは違う感覚で体験したいという欲求が聞こえる。リヴァーブやディレイを多用する彼らの茫漠とした音は、違う世界に行ってみたいと願っていたたくさんの子どもたちを実際に引き連れてヒプナゴジックと呼ばれたそれなりに大きな潮流を生み出し、そして、00年代後半に向けてポップへと化していく。
 彼らのモチーフが動物や自然に向かうのも当然だった。なぜならサイケデリアは幻覚剤に頼らなくても、そもそも自然のなかに息づいている。動物の身体の模様や植物の色彩、あるいはそれらが鳴らす音自体が生み出すトリップ。それは明確な意見を強要してくる息苦しい社会をしばらくの間忘れさせてくれたのだろう。

『タンジェリン・リーフ』はアニマル・コレクティヴにとって2作目のオーディオヴィジュアル・アルバムで、海洋学者とミュージシャンからなる「アート・サイエンス・デュオ」であるコーラル・モーフォロジックとのコラボレーションだ。音だけでも聴けるが、そもそも映像とともに観ないと意味を成さない作品である。50分以上にわたって、神秘的な光を反射する珊瑚礁の揺らめきとエレクトロニック・アンビエントに浸ることとなる。
 リスボン在住のため参加していないパンダ・ベアを除く、それ以外の3人ではじめて作られたアルバムでもある。ということは自然と力点はエイヴィー・テアに置かれることとなっており、近年のアニマル・コレクティヴの作品群(『センティピード・ヘルツ』~『ペインティング・ウィズ』)よりもエイヴィー・テアのソロ作『ユーカリプタス』からの連続性が強い。敢えてアニコレで言えば『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』期のエレクトロニック・サウンドが基調になっていて、細かく配置された電子音効果がぐるぐると聴き手を取り囲むように回っているが、当然『メリウェザー~』のポップさは完全に融解している。それにビートがクリアだったここ数作とは明らかにモードが異なっており、音こそフリー・フォークではないが、フィーリングとしては『キャンプファイア・ソングス』の1曲めを飾る10分の“Queen in My Pictures”を引き伸ばしたものだと言えばいいだろうか、アニコレのもういっぽうを特徴づけるパーカッシヴな高揚感はなく、ひたすら瞑想的な時間が続く。導入、水に潜っていくようなくぐもった音響が演出されるとゆっくりと下降していくようにヘヴィなドローンとなり、20分を過ぎた辺りで拍子がズレていき強力な酩酊が聴覚を覆いつくす。エイヴィー・テアは英語で何か歌っているようだが、その意味が剥ぎ取られるように長音とリヴァーブで響きのなかに消えていく。
 それにしても、音に囲まれながら映像をじっと見ているとこんな生きものが地球にいるのかと、ファンタジー世界を描いているのではないかという気分になってくる。様々な色でゆらゆらと波打つ触手はまあまあグロテスクだが、70年代の前衛ダンスのように妖しげで美しいとも感じる。ある意味とてもエロティックだし……幾何学的な構成を取る画面にあっても、どこか生々しいのだ。そして終盤、40分を過ぎたころからスペーシーな音がやってくるとそこが果たして海のなかなのか宇宙なのかもわからなくなってくる。この体験をしている人間は、気がつくと知らない場所にいる。幻想的で、感覚だけが支配する場所に。
 ここから喚起されるのは、圧倒的にその「知らない、わからない」という認識である。ここに映されている奇妙な生き物たちがそもそも何なのかわからない。この音響体験で何を得られるのかも知らない。だがそれでいい。何も判断しなくてもいい。ただ浸ればいい……。ポップの欠如という点で批判的なレヴューもいくつか目にしたが、それは“My Girls”を期待しているからであって、彼らの本質を理解していない態度だろう。『タンジェリン・リーフ』はあまりにもアニマル・コレクティヴらしい作品である。

 このコラボレーションは2010年頃から続いている両者の交流の結果であり、今年こうしてまとまった形で発表されたのは偶然にすぎない、が、このような純度の高い逃避がいまこそ求められているのではないかとどうしても思ってしまう。たとえば同様に00年代のブルックリンを彩ったギャング・ギャング・ダンスの久しぶりの新作『カズアシタ』は、社会の混乱を目にしつつも、だからこそニューエイジの陶酔とメディテーションに向かった。アニマル・コレクティヴはあり方としては基本的にずっと同じだったわけだが、「ピッチフォークが一番推すインディ・バンド」などではなくなったいまだからこそ、再びそのコアを露にし始めている気もする。
 アメリカはいっそう荒れている。そのなかで音楽は……この秋で言えば、僕はボン・イヴェールとザ・ナショナルによるプロジェクトであるビッグ・レッド・マシーンのコミュニティ主義に相変わらず心を打たれている。彼らの理想主義、シェアという感覚は、近年アメリカで顕在化し始めたという社会主義者を自称する若者たちの存在と呼応しているだろう。だが、その立派さをどこか手放したくなるときがあるのも事実だ。「知らない、わからない」と無責任に言ってしまいたい瞬間が。立派なことをひとつも言えない子どもたちもいるだろう。『タンジェリン・リーフ』はそんな弱々しさを柔らかく包みこみ、疲れた者たちを海のなかへと連れていく。光や音と戯れているうち、そこは宇宙かもしれないし、意識のなかかもしれない。


interview with Cornelius - ele-king

 『Mellow Waves』は、決してトレンディなサウンドというわけではないし、シーンを調査して作ったというよりは独自のアプローチを持っていて、日本のポップスとしては珍しく、言うなればここ数年のジェイムス・ブレイクからザ・XX、フランク・オーシャンらをはじめとするメランコリーな潮流にリンクするアルバムだった。歌の主題はバラ色の生活でもなければ太陽でもなく、雨や夜と共鳴する内省的なものばかりで、しかし音のほうは新鮮だった。時代感覚に優れているし、たとえばエイフェックス・ツインや坂本龍一と同じステージに出ていっても違和感のない日本のロック・ミュージシャンは、小山田圭吾のほかに誰がいるのだろう。控え目に言ってもこれはすごいことだし、日本のことに若い音楽の多くが政治と同じように内向きになっている現状を考えれば、どんなに歳をとっても尖っていて、土着性に対してもドライでいられるコーネリアスは、いまでも希有な存在だと言える。
 この度リリースされる『Ripple Waves』は、『Mellow Waves』と同じ時期に発表されたアルバム未収録曲とリミックス・ヴァージョンをひとつにまとめた編集盤で、いわば企画盤。当然ながら小山田圭吾はこの場で、彼らしい悪戯っぽさと音楽との戯れとを見せ、楽しみの部分を膨らませている。つまりちょっとうれしくなるCDだ。言うまでもなくうれしくなることは、良いことだ。たとえちょっとでも。
 だいたい1枚のアルバムにおいて、ドレイクのカヴァーとフェルト(※80年代前半のチェリー・レッドを代表するバンドのひとつで、暗く切なく叙情的なギター・サウンドとヴォーカルを特徴とする)のリミックスを並列させるという大胆な発想は、面白い。細分化され、ともすれば趣味の差異化を競い合うだけになったシーンを見透かすようで、あるいはまた、“夢の奥で”のようなコーネリアスからのヴェイパーウェイヴへの回答と呼べるような曲もあるが、これもアルバムの一部としてハマっている。

 フェルトは別格(というか特別枠)として、リミキサーのラインアップからは彼なりの“いま”が見える。UKジャズを代表するレーベルのひとつ、〈22a〉で活躍するレジナルド・オマス・メイモードIV、NYのインディ・ロック・バンド、ビーチ・フォシルス、メルボルンのソウル/ファンク・バンド、ハイエイタス・カイヨーテ、先述したフェルトのローレンス、そして細野晴臣と坂本龍一という巨匠ふたり。なかでも坂本龍一によるアンビエント・ミックスは、『Mellow Waves』というプロジェクトの最後を飾るのに相応しく、これがまた……、まったく素晴らしい切なさと美しさを携えている。
 こうした企画盤の多くはコア・ファンを対象にしたものなのだろうけれど、『Ripple Waves』はそれだけで片付けてしまうにはもったいない、『Mellow Waves』とは別の輝きをもっているわけです。ひょっとして、三田格に言わせれば食品まつりがいないじゃないかとなるのだろうけれど、まあいいじゃないですか、それでもここにはコーネリアスと一緒にドレイクとヴェイパーウェイヴと坂本龍一とフェルトがいる。こんなイカれた企画盤はそうそうあるもんじゃない。E王(推薦盤)でしょう。

『Mellow Waves』はひとつ自分で全部世界観を作っているものなんですけど、これはそこから派生していったものなので、半分は自分であり、それぞれのアーティストの作品だから。というかほぼリミックスというよりも彼らの作品に近いような感じになっている。

『Mellow Waves』をリリースして、日本全国ツアーからはじまって、アメリカとヨーロッパに行って。ずっとライヴで忙しかったんじゃないですか?

小山田:うーん。まぁまぁですかね。今年はライヴをやっていましたね。

去年から。

小山田:まぁ去年から。

その前に『FANTASMA』のツアーをやっていますが、今回のライヴツアーとは全然違ったと思います。やっていてどうですか?

小山田:楽しかったですね。まだちょっとあるんだけど。

例えば、US、UK、あるいはソナー、ヨーロッパとか今回の新しいセットで行ってリアクションはどうでしたか?

小山田:うーん。良いんじゃないかな(笑)。いままでのなかでいちばん楽しいツアーですね。

どんな意味で楽しかったのですか?

小山田:いろいろかな。ちゃんとできるようになってきたというか。日本でやっている感じをそのまま持っていけている感じがします。行程的にもそこまで過酷じゃなく、お客さんもわりと皆喜んでくれて。

ロンドンにいる知り合いが、仲の良いレコード店から連絡があって、「今日コーネリアスが店に来た!」って言っていたそうです(笑)。

小山田:どこの? シスター・レイかな……。

どこかわからないけど2カ月くらい前かな。

小山田:ロンドンで結構レコード屋に行きましたね。

ちょうどそのときその人は、細野晴臣さんのライヴに坂本龍一さんと髙橋幸宏さん。小山田君たちが出たときのライヴを観ているんですよ。

小山田:YMOで出たとき。それはたまたまコーネリアスでヨーロッパに行っていて。細野さんがロンドンでやるというから、ロンドンに残って細野さんを観て帰ろうと思っていたら、じゃあやるよ! みたいな感じになって(笑)。

急遽でることになったんだ(笑)。

小山田:そうです(笑)。

UKはブリクストン?

小山田:ブリクストンのフィールド・デイというフェスです。

ヨーロッパはソナー?

小山田:うん。

(といいながら、電子タバコを吹かしている様子を見ながら)

小山田君、タバコを止められなくて苦労しているでしょ(笑)。

小山田:いや、いまこれがお気に入りで(笑)。

宇川(直宏)君がタバコを辞めたのを知ってる?

小山田:そうなんだ! そういえば吸っていなかったような気がする。でもウーロンハイをガボガボに飲んでいましたよ(笑)。

どこであったの? 

小山田:「AUDIO ARCHITECTURE展」という展覧会の関係でこの前ドミューンに出演したときに久しぶりに会いました。

ドミューンにでたんだ! すごいね。

小山田:いやぁすごいなぁ宇川君……。こっちでスイッチングしながら、こっちでツイートしながら、俺と喋って、ウーロンハイを飲むという(笑)。それでこっちで喋って参加したりしながら。4人分くらいのことをやっていたよ(笑)。全部がハイテンションで。

すごいよね(笑)。

小山田:聖徳太子みたいだった(笑)。

たしかに(笑)。このリミックスとか未発表曲とかは、『Mellow Waves』を録音したときに作った曲もあれば、それ以降に作った曲もあって、それをまとめたものだと思うんですけど、本当に良いアルバムだなと思いました。いちいち驚きがあったんだけど、ドレイクの“Passionfruit”のカヴァーに結構驚きました。こんなのいつのまにだしていたんだと思って。

小山田:これはSpotify Singlesという、Spotifyだけのシングルみたいなものがあって。

ニューヨークで録ったんでしょ?

小山田:そうです。Spotifyの会社のなかにスタジオがあって。

ドレイクの“Passionfruit”にしたのはなぜ? 好きだからなんだろうけど。

小山田:Spotify Singlesは、1曲オリジナルで1曲カヴァーみたいなことが決まっていて、最初全然違うのを言ったんですけど、そうしたら向こうのマネージャーやレーベルの人にそんな誰も知らないような曲をやっても意味ないとか言われて。それでえぇーと思ってこれを思いついて。逆に皆びっくりして良いかなと思いました。曲が好きだったんですけどね。

その場で決めたの?

小山田:その場ではなくて、行くちょっと前に決めてこれやりますよと一応言ってから。

小山田君がドレイクを聴いていることがすごく意外だった。

小山田:そんなにちゃんと聴いていないですけどね(笑)。でもこの曲は好きだった。

未発表曲が全部CD化されたのもすごくはまっているなと思いました。“夢の奥で”なんかもこうやって聴くと良い曲ですよね。

小山田:曲なのかなんかわからないけど……。

これはヴェイパーウェイヴを意識したわけではないでしょ?

小山田:うーん、ヴェイパーウェイヴに近いものはありますよね。これはうちのおじいちゃんがしゃべっているんですよ。ヴィデオもあって、MVもあるんですけど自分で作りました。子供の頃の自分がしゃべっている声がこれに入っているんですけど、実はその映像が残っていて、その映像を使って作りました。

これもすごく良かったな。アルバムの後半はリミックスが続くわけですが、このリミキサーの人選はもちろん小山田君が自分で選んだのですか? 

小山田:うん。そうです。

どうしてこの人選になったんですか?

小山田:最初はSpotifyとかそういうサブスクリプション用にリミックスを何曲か作りたいと言われて、何人か名前を出したんですよ。坂本さんと細野さんは『Mellow Waves』が出たときに『サウンド&レコーディング』のリミックスを付けるという企画でお願いしたやつです。ほかの人選に関しては、国とか世代とかジャンルとかがばらける感じで、自分が聴いてみたいと思う人という感じですかね。

フェルトのローレンス(笑)。これはいちばん笑いました(笑)。

小山田:これはねぇ、いちばんヤバイですね(笑)。

よくコンタクトが取れましたね。

小山田:コンタクトが取れるという話があって、ローレンスのマネージャーという人と連絡がつきました。高校性ぐらいからずっと大好きで、どういう人かというのも何となく知っていたし、相当な変わり者だという話も聞いていました。リミックスとかやったことが無いと思うのでどうゆうものがでてくるのかなぁっていう。

たくさんのニューウェイヴ・バンドというか、好きなものがたくさんいるなかでなぜフェルトだったの?

小山田:なんか……、好きなんですよね(笑)。興味があったんですよね。やってくれそうな感じもちょっとしたので。

フェルトを聴き直していたとかそういうことじゃなくて?

小山田:フェルトは常に聴いていますね。今年ちょうど再発したんですよね。それでまたちょっと気になって。

再発したこととかよくチェックしてるね。

小山田:チェックはしていますよ。ローレンスのことは気にしています常に(笑)。〈Heavenly〉というレーベルが作った『Lawrence of Belgravia』というローレンスの映画があるらしいんですよ。日本語訳は出ていないんだけど、ローレンスのドキュメンタリーみたいなやつで、それをすごく見てみたいなと思いますね。

ある種の伝説みたいな人になっているのかな?

小山田:そうじゃないのかなぁ。

孤高の人だもんね。

小山田:本当に孤高の人だし、フェルトの作品はフェルトというものとしてすごく完成されているし、相当いろんな人に影響を与えていると思うんだけど、評価がだいぶ低い。人としても音楽としても興味がある人ですよね。

『Mellow Waves』のテイストとフェルトというのは、たしかにあるなとは思ったんだよね。

小山田:ちょっとあるでしょ。

だから『FANTASMA』のときではないじゃん。

小山田:じゃないですね。なんか曇っていて悲しげみたいな感じはフェルトにすごくありますよね。

これは歌ったり演奏したりしたわけではないんだね。

小山田:声が入っているんですよね。コ〜ネ〜リア〜ス♪って入っていて、ぼくの名を呼ぶ声が入っている(笑)。自分は暴力温泉芸者とかを思い出したんだけどね。中原君のコラージュとかを思い出したんだけど。ああいうちょっとナンセンスなセンスみたいなものがあるなぁと思って。彼はミュージシャンではないというか、楽器を演奏したりということはあんまりしないから、どういうものになるのかなと思っていたけど、フェルトとかいまやっているゴーカート・モーツァルトとかともまた全然違う感じになっておもしろかった。

これはコーネリアスの昔からのファンからしてみたらいちばんうけるというか。

小山田:曲は置いといて。

この組み合わせはなるほどと思いましたよ。ぼくはビーチ・フォシルスを知らなかったんだけど、ニューヨークのインディ・バンド?

小山田:ブルックリンの若手インディ。

これは若い世代にひとつ託そうみたいな感じ?

小山田:うん(笑)。単純にビーチ・フォッシルズのアルバムが好きだったんです。いまどきの若いインディーのバンドをひとつ入れたいなと思って。いわゆるインディー・ロックっぽい感じでね。

レジナルド・オマスさんも意外だったね。ぼくもロンドンのこの辺の人たち、〈22a〉周辺の人たちの音がすごく好きで聴いています。

小山田:かっこいいですよね。この前ブリクストンのフィールド・デイというフェスでライヴがあって、近所だから行くと言ってきてくれて会いました。若い人でした。ヒップホップなんだけど、全然オラオラしている感じじゃない。プリンスとかスライとか、あとリズムが独特で好きなんですよ。

やっぱり聴いて?

小山田:うん。好きで聴いていて。

ハイエイタス・カイヨーテはメルボルンのバンドだよね? これも知らなかったな。

小山田:この人たちは結構話題になったよね。メジャーだし。

ヴィジュアルだけみると、ロータリー・コネクションみたいな感じだね(笑)。

小山田:たしかに(笑)。ロータリー・コネクションぽいね(笑)。音楽的にも近いかもね。ちょっとサイケデリックなソウル・ファンクみたいな感じで。めっちゃ演奏が上手くて、プレイやーとしても皆すごくて。ビートの解釈がすごく斬新。

これも聴いて好きだったからやろうという感じ?

小山田:うん。

最後は、巨匠ふたりのリミックスで見事に締められるわけですが、ぼくはこれで初めて聴いたんだよね。

小山田:本当にいろいろなメディアで発表していたから、ひとつにするとやっとちゃんと聴ける。

細野さんはベースを弾いているわけではない?

小山田:たぶん弾いてはいないと思うんだよね。

普通にリミックス?

小山田:うん。

坂本さんは『async』に入っていてもおかしくないくらいの曲になっていて。

小山田:うん。『async』の世界ですよね。

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アナログだけで出ているやつもあるし、Spotifyだけとか、YouTubeだけとか。それだけだとまとめて聴けないからこういう形にコンパイルしたものという感じで。

『Mellow Waves』は一枚の完成されたアルバムだから、ひとつの世界にまとまっていてすごく緊張感がある作品だけど、今回の『Ripple Waves』は基本的には『Mellow Waves』の兄弟アルバムみたいな感じなんだけど、逆に遊び心があって、良い意味で気楽に聴けるリラックスした作品かなという感じもしました。『Mellow Waves』とは対照的な明るいアルバムになっているでしょ? それがすごく良かったんですよ。小山田君自身は聴いてみてどうだった?

小山田:『Mellow Waves』はひとつ自分で全部世界観を作っているものなんですけど、これはそこから派生していったものなので、半分は自分であり、それぞれのアーティストの作品だから。というかほぼリミックスというよりも彼らの作品に近いような感じになっている。

特に後半はね。この新曲はこのために録ったの?

小山田:このためというか、このあとツアーがあるんですけど、ツアーで新曲を一曲やりたいなと思っていて、ツアーでやる曲として作りました。これで聴くとなんだかよく分からないと思うんだけど(笑)。

“Audio Check Music”って何の企画だっけ?

小山田:テクニクスのターンテーブルのための企画を発展させた曲で、オーディオをチェックするため用の曲。言うとおりにしていくとステレオの調整ができるという。

これを1曲目持ってくるところが良いよね。コーネリアスらしい遊び心からはじまるという。

小山田:これは1曲目しかないですよ(笑)。

たしかに(笑)。しかし、贅沢なオーディオ・チェックCDだよね。

小山田:音楽としても聴けるからね。

このなかで小山田君が良く聴く曲は? 好きな曲は? わりと客観的に聴けるでしょ?

小山田:そうですね。なんでしょうね。みんな好きですけどね。ビーチ・フォッシルズの曲は好きですね。みんな好きです。ハイエイタスも良いし。

そうだね。個性がすごいそれぞれでているよね。

小山田:自分の曲を聴いている気がしないですね(笑)。

ドレイクは?

小山田:ドレイクは、これはまぁ……。スタジオでせーので録音しなくちゃならなかったので、さらっとやった感じですね(笑)。

そうなんだ。でもコーネリアス・サウンドにちゃんとしているもんね。R&Bみたいなものも聴くの?

小山田:ちょいちょい。

全体的に最近気になった音とかある?

小山田:それ毎回聞かれるけど、毎回同じものを答えている。クルアンビンっていう人知っている? テキサスのバンドで、3人組でタイの音楽とかが好きとか言っていて、ほぼインストなんだけど。ドラムのやつが黒人でヒップホップのDJかなんかで、ギター・インストみたいな感じの。独特で。

ちょっとワールドっぽい、インドネシアとかタイとかそんな感じのやつ。あれ良いよね。

小山田:ビートの感じとかヒップホップが好きそうな感じで。頭の拍だけ抜いたり、すっごいセンスが良いなと思って。

あれが好きなんだ。

小山田:あれを良く聴いている。

ぼくも好きです。今年の頭くらいにでたやつね。

小山田:あとなんだろう、ちょいちょいあるけど。

これだけインターネットでいろいろなものが手に入るから、昔みたいにレコード屋とかになかなかいかなくなるじゃない。どういう所で新譜をチェックするの?

小山田:新譜はYouTubeとかSpotifyとかが多いですね。

YouTubeとかって?

小山田:YouTubeは動画を観る感じだけど。iTunesで買ったりもするし、CDもたまに買うし。

Spotifyとか新しいリスニング環境には慣れた?

小山田:うん。ガンガン使っています。

ガンガン使っている(笑)。あれに馴れる人と馴れない人がいるみたいだね。やっぱりCD、レコード時代を知っている世代だと。

小山田:いろいろあってめんどくさいけどね。Spotifyで聴いていて、買ってiTunesに取り込んで、Spotifyでは聴けないみたいな(笑)。アナログだけ持っているみたいなのとか。

Spotifyとかこんなに便利なもので、こんなにたくさん聴けるなんて。電車に乗っていてもこれさえあれば時間潰せるしって思うくらい聴いちゃうんだけど。でも家で聴くときはCDで聴きたいかなっていう。

小山田:え、盤で聴いている? CDをかけて聴いているんだ。それは結構珍しいんじゃない?

あとはアナログ盤。

小山田:アナログ盤ね。アナログ盤はたまに聴く。CDを盤で聴くことは無い。CDはリッピングしてパソコンで聴く。

えぇーそうなんだ。

小山田:まぁいろいろだね(笑)。

でも最近ついに若いDJで、CDで音楽を聴いたことがないという世代に会いましたよ。だから逆にUSBかアナログ盤。

小山田:アナログはまだ使うんだ。

逆にアナログは若い子たちが好きだから、むしろアナログを買う人たちって結構若い子たち。カマシ・ワシントンの8000円のアナログ盤を一生懸命買っているやつとかいるからね。

小山田:うちの息子もそうだ。レコードは俺より全然買う。

DJやるときはアナログ盤にまた戻ってきているんだよね。

小山田:うちの息子はたまにDJをやっているけどアナログだね。

そうでしょ。10代〜20代前半の人で最近は多いよね。逆にCDJの使い方が分からないというのが面白い。音楽の聴き方の選択肢がホントに増えたよね。

小山田:このアルバムがまさにそういう感じなんだよね。アナログだけで出ているやつもあるし、Spotifyだけとか、YouTubeだけとか。それだけだとまとめて聴けないからこういう形にコンパイルしたものという感じで。

じゃあこういう作業って、ひとつにまとめる意味でも重要だよね。

小山田:うん。これからそういうのにきっとなるよね。というか、もういまなっているのか。

そういう意味では、プラット・フォーム的なメディアとしてCDは全然役目があるでしょう。

小山田:CDというかアルバムという概念が、アイコン的なものがジャケットとしてあって、まとめられないとちゃんと聴けないというのはまだあるよね。

ドレイクのカヴァーとか、ぼくは知らなかったもんなぁ。ところで、今回のジャケットも『Mellow Waves』と同じ路線だね。

小山田:版画の中林(忠良)さんという僕の叔父さん。

『Mellow Waves』のジャケットは何とも言えない、何もない感じがあるのに対して、『Ripple Waves』のジャケットは人が複数いるじゃない。だからそれも今回のアルバムを象徴しているのかなって。

小山田:そんなイメージです。

コーネリアスはリミックスを自分もやったり、あるいはリミックスされたりということが多いわけだけど、小山田君のなかではリミックスをしてもらうという作業が好きだよね。

小山田:単純に自分が興味ある人に頼んでいるので、どんなのになるのかというのは楽しいですよね。

それは人選も含めて?

小山田:うん。

このあとこれだけツアーがあって、しばらくはコーネリアスとしての活動というのはライヴを中心にやっていく感じですか?

小山田:そうですね。ツアーが終わったら、日本でのツアーはやらないと思うんですけど。このあとアジアがあって、来年またアメリカとかヨーロッパとかちょっと行こうかなと思っていますけどね。

今年の『Mellow Waves』のツアーはこれが最後だ。

小山田:うん。1年くらいやってきたんで。

このセットでは最後だね。

小山田:去年やっていたセットでまだできていなかった曲とかもだいぶ増えるので、もうちょっと完成版みたいな感じになる。前はライヴハウスだったんだけど、今回はホールなので、中高年の人にやさしい(笑)。そういうところでしかできない演出とかもあると思う。

去年のリキッドルームでのライヴとはまた全然違うコーネリアスが。

小山田:やっぱりライトとか映像とかライヴハウスだと天井が低いから、あんまりわからないと思うんだよね。

じゃあ『Point』のころ並みのすごいライヴをやるの? あのときのライヴって映像とかシンクロして。

小山田:全然こっちのほうがちゃんとしていると思う。

え! あれよりもさらに進化している(笑)。ライヴを楽しみにして、『Ripple Waves』を聴くようにということですね。ありがとうございました。

小山田:ありがとうございました。

 

※『Ripple Waves』と同時に、『Mellow Waves』のアナログ盤もリリースされます。ダブルジャケットで、こちらはまたアートワークが見応えもある。

UK Afrobeats & UK Rap - ele-king

 イギリス独特のサウンド文化はこの20年以上でジャングル、ドラムンベース、ガラージ、グライムと進化・深化してきた。こうしたジャンルは常にジャマイカやアメリカの音楽の影響を受け、「ラップ」が挑戦的な音楽に受けて立ち音楽性を拡張してきたといえるだろう。そして、UKのサウンド・カルチャーの新たな1ページに「UKアフロビーツ」や「UKラップ」と呼ばれるラップ・ミュージックがある。UKアフロビーツはユーチューブ等ストリーミング・サービスで広く聴かれ、ポップ・ミュージックとして認知されている。このシーンのアンダーグラウンドな盛り上がりを知りたければ、2017年に〈MOVES Recordings〉からリリースされた『MOVES : The Sound of UK Afrobeats』(Spotify)は最適な1枚だ。

 UKラップは「トラップ」や「ドリル」といったUSのトレンドのラップ・ミュージックの影響を強くうけ、若者に人気のジャンルだ。UKアフロビーツは、BPM 90~110前後のリズム、アフリカの音楽やダンスホール・レゲエを取り入れたビート・パターンを基調としている。今のUKラップ・ミュージックが音楽的に面白いのは、ラップ・ミュージックのプロデューサーがUKサウンド、USヒップホップ、レゲエ、アフリカ音楽と多様な音楽をマッシュアップし、新たなUKサウンドを作り上げていることだ。

 ラッパーに比べるとスポットライトが当たることは少ないが、プロデューサーからお気に入りのサウンドを探すのもなかなか面白い。


■ JAE5 (w/ J Hus, NSG...)

 東ロンドンのプロデューサー、ジェーファイヴ(JAE5)は、2015年に出所したばかりのラッパー J・ハス(J Hus)にビートを提供し、J・ハスのアルバム『Common Sense』(Spotify)をフル・プロデュースしたことで一気に知られるようになった。

J Hus - Did You See

 マリンバやギターなど、生楽器の音の重ね方や差し引きは素晴らしく、J・ハスのギャングスタ・ラップをポップに彩っている。ジェーファイヴは昔からダブステップにのめり込んでいたという。音はどちらかといえばヒップホップやダンスホール寄りだが、彼のビートの精緻な組み方は彼が“昔ハマっていた”というダブステップにもどこか通じている部分がある。

Jae5 - Against The Clock
https://www.youtube.com/watch?v=uNdQYMmeBpg
※ジェーファイヴが10分でビートを作り上げる、英メディアFACTの番組。


■ Nyge (w/ Section Boyz, AJ Tracey, Lancey Foux...)

 セクション・ボーイズのヒット曲“Lock Arff”のプロデュースで一躍知られるようになったナイジ(Nyge)は、エージェー・トレーシー(AJ Tracey)やランシー・フォックス(Lancey Foux)といった気鋭のラッパーのプロデュースで名を馳せてきた。

Section Boyz - Lock Arff

AJ Tracey - Butterflies (ft. Not3s)

 浮遊感のあるパッドとシャープなドラムはナイジのプロダクションの持ち味になっていて、彼がプロデュースした Renz “Flexing”は2017年に〈XL Recordings〉からリリースされた『NEW GEN』(Spotify)にも収録されている。

Nyge : Studio Sessions Ep 1


■ God Colony (w/ Flohio, Kojey Radical...)

 Wikipediaによれば、ゴッド・コロニー(God Colony)はロンドンを拠点に活動する2人組のデュオとのことだが、あまり情報がない。それでも彼らのことが気になるのは、彼らのプロダクションは1曲に色々なアイディアが詰まっていて面白いからだ。UK Funky や Gqom のサウンドを昇華したクラブ・トラックをロンドンのMC・フロヒオ(Flohio)に提供したかと思えば、コージェイ・ラディカル(Kojey Radical)にはエクスペリメンタルなR&Bを提供するなど、作風の幅も広い。

GOD COLONY "SE16" feat. FLOHIO

God Colony - Howling feat Kojey Radical & Ebi Pamere


10 イン・サークルズ(3) - ele-king


 8月も半ばを過ぎると急に涼しい日が訪れることはまだ例外になっていないようで、ひと段落つくのと同時に何か始まるような気がする一刻があるものだが、ともかくそんな秋めく日に岡田拓郎の「The Beach EP」が発売された。そんな日のように安堵と焦燥をもたらすこの音楽は、1回でも多く再生されればこの上ないが、僕の上にも別種の安堵がやってきた。安心を求める道理もないのだが、結局のところ少し気持ちが整ったのだろう。自分で勝手に決め込んだ心配ごとを気遣っていることに気がついたとも言える。それは打楽器についてで、告白するとコラムの第1回「はじめにドラムありき」というタイトルは野田さんにつけてもらったもので、その意味を今になって感じはじめているというわけだ。自分が思っているよりも打楽器のことを考えているみたい。

 その少し前のお盆辺りには、ひどい猛暑を抜けて阿蘇へ行った。阿蘇の記憶と言えば、とくに何もはいっていないリュックサックを自慢げに背中にしょって、火口すれすれを歩いたことで、小学校にあがるずっと以前のことだと思う。記憶には、ロープウェイも、エメラルドグリーンの火口湖も、柵も、待避壕も、強風もなく、ゴツゴツとした赤茶の地面を歩きながら、すぐ左下に見える急斜面に全視線を注ぎ込み、スリルと絶対に落ちない理由ない確信が入り交じりただ恍惚として歩いたことが残っている。今度はどうかとぼんやり思っていたが、とくになんの引き金もなく、ただ地震にて立ち入り禁止になったロープウェイ乗り場と外国人観光客を横目に強風の中をルート通りに歩いておわった。記憶のアップデートは、思い出すことのきっかけになりするすると引き出してくれる場合のみ有効で、壊さずに元の境界からいまの場所に移し替えるのはなかなか困難で、そこに時間が加われば余計にそうみたいで、現実の閾で肝心なものが消え失せるならさっさと踵を返した方がよいこともある。地元大分に拠点を移してからは、よりそのことに気をつかっていないといけない。

 打楽器に関しての最初の記憶は、薄暗い音楽室にあったギロについてで、どうしてか使い方がわかっているはずなのに、扱ってみると当然上手くいかず、本来醸し出すはずの雰囲気を遠目に感じるだけで終わった。使い方がわかっていたというイメージ先行は、テレビのドキュメンタリーで見た南米の葬式の演奏がえらく陽気だったことや、親のカーステで流れていた“コンドルは飛んでいく”が只管はいったカセットの影響からだろうか。

 このギロについてはいまアップデートしている。元々パーカッションに興味を持ったのはシェイカーやマラカスからで、持続音が鳴っているところになにかリズムの肝が隠れているのではないかと感じたところからはじまった。そこを感じてから打音の太鼓やドラムへ行こう、と。2年前大分に戻るにあたって購入したシェケレを山で振っているときも、あらためてそんなことを思い出して、これは相当いい楽器だなと思ったものだが、いまギロでさらに身の程をしらされている。マラカス3年ギロ8年とはよく言ったもので、なかなかどうして奥が深い。あの独特な遠心力のかかったビートを出せたときはきっと気持ちいいだろう。目的を醸すとすればOLD DAYS TAILORのドラムに生かしたいからで、わかりやすいノリのある音楽ではないからこそ直接見えないビートが肝になってくることにメンバーで気づきはじめたからだ。ギロがヒントのひとつになりそうだ。

 言うまでもなく今年の夏はひどく暑く、クーラーを使えたことは幸運だったけど、読書すらままならず、ギロとアフリカンチームでの練習に明け暮れた。ドラムは夕方にならないと陰らない山練習は自殺行為だし、夕方は夕立が怖いので、1階のカフェの営業時間外にブラシで小さい音で叩いた。しかし夕立がこんなに少ない夏はもはや珍しくもないのだろうか。パーカッションはいろいろ習ったけど、ドラムを習ったことは一度しかない。それは15年程前、のちの師匠からシェイカーの極意を伝えてもらった次の日で、その極意のままだと必然的に叩く軌道のスタートは胸のあたりからはじまって、また胸のあたりに「返す」ことになるのだが、そのとき言われたのが「スティックの場合はここからなんだよ」ということで、そのときスティックの先のチップはスネアのすぐ上にあった。ドラマーなら誰でも知っている。自分も知っていた、つもりだった。でも突然思い出して、現実の閾とリンクした。小さい音で叩いたせいか。アップデート。堂々巡り。イン・サークルズ。

Kelly Moran - ele-king

 いやあ、これはサプライズでしたね。これまで5枚の作品を発表しているマルチインストゥルメンタリストのケリー・モーランは、OPNが新作『Age Of』のリリースにともなって開催しているショウ「M.Y.R.I.A.D.」のバンドに、キイボーディストとして抜擢されたことで注目を集めましたが(ニューヨーク公演ロンドン公演にも参加、そしてもちろん本日の東京公演にも出演します)、去る9月6日に突如〈Warp〉との契約を公表、11月2日に同レーベルよりフルレングスをリリースします。先行公開された“Helix (Edit)”を聴くと、OPNとはまた異なるスタイルで感情を煽ってくる感じで(『Drukqs』+ドローン?)、アルバムへの期待が高まります。今後要注目のアーティストですよ。


KELLY MORAN

いよいよ今日に迫った Oneohtrix Point Never の来日公演 M.Y.R.I.A.D. でもバンド・メンバーとして参加する大注目のケリー・モーランが〈WARP〉からはデビュー・アルバムとなる『Ultraviolet』のリリースをアナウンス! アルバムより“Helix (Edit)”を先行解禁!

作曲家、プロデューサー、キーボーディスト、そしてマルチプレイヤーでもあるケリー・モーラン。いよいよ今日に迫った Oneohtrix Point Never の来日公演でもバンド・メンバーとして参加をしている彼女が、〈WARP〉からは初めてとなるアルバム『Ultraviolet』を11/2にリリース! 先行解禁曲として“Helix (Edit)”が公開!

「Helix (Edit)」
https://www.youtube.com/watch?v=JHLJMlTzTMQ

ニューヨークで行われたダンス・パフォーマンスとのコラボレーションと、長年ジョン・ケージのコラボレーターを務めたマーガレット・レン・タンに向けた作曲を行ったことがきっかけで、注目を集めたケリー・モーラン。それはちょうど〈Telegraph Harp〉からの前作、『Bloodroot』が2017年にリリースされて注目を集め始めた時だった。

『Bloodroot』は革新的なピアノ使いとケリー・モーラン専用に作られたエレクトロニック・アコースティックな楽器、そして彼女がインスピレーションを感じた多様な音楽のスタイルが詰め込まれた作品だ。

その多様な音楽のスタイルの影響はローリング・ストーン誌のエクスペリメンタル、ニューヨーク・タイムス誌のクラシック、そしてニューヨーク・オブザーバー誌のメタル、と様々なジャンルのアルバム・オブ・ザ・イヤーのリストに選出されたことからも明らかだろう。そして彼女は2018年に Oneohtrix Point Never の M.Y.R.I.A.D. ツアーでのアンサンブルに参加し、世界の名門ベニューでのプレイを経験してきた。

今回、〈WARP〉からのデビュー・アルバムとなる『Ultraviolet』においても、彼女の豊富なインスピレーションの探求は続いている。

彼女は次のように感じたことを覚えていると語った。
「私は森の中でうずくまっていた。風邪や動物の音を聞いていて、全てが響きあって私を取り囲んでいた」。
「私は自分自身にこう問いかけてた。“どうやったらこんな風に感じる音楽を作れるんだろう。自然で、強いつながりを感じて、寄り添ってくるような音楽を”」。

『Ultraviolet』はジャズやドリームポップ、クラシックな構成、ブラックメタル、暗闇と光、様々な要素が一体となった神秘的なアルバムとなっている。「自分のアーティストとしての表現のプロセスを再検証することで、自分を自由にする事ができた」とモーランは語る。

ケリー・モーランの〈Warp〉からリリースされる『Ultraviolet』はCD、LP、デジタルの各フォーマットで11月2日に世界同時リリース。
iTunes Storeでアルバムを予約すると、“Helix (Edit)”が予約限定楽曲としてダウンロードできる。

label: Warp Records / Beat Records
artist: Kelly Moran
title: Ultraviolet

release date: 2018.11.02 FRI ON SALE

iTunes: https://apple.co/2x4zmwy
Apple Music: https://apple.co/2CFgZUM
Spotify: https://spoti.fi/2x40LPd


interview with Cosey Fanni Tutti - ele-king

 9月12日、(それはおそらくこの記事のアップ日)に、スロッビング・グリッスルの再発第二弾として、『Heathen Earth』(1980/一般的には最終作とし知られる)、『Mission Of Dead Souls』(1981/最後のライヴを収録)、『Journey Through A Body』(1982/イタリアのラジオ局のために制作された)の3枚がリリースされる。
 また同時に、創設メンバーのひとり、コージー・ファニ・トゥッティの自伝『アート セックス ミュージック』の日本版も刊行される。

 現在、日本で〈ミュート〉と契約しているトラフィック・レーベルの好意によって、今回ふたたびコージーのインタヴューを取ることができた。質問のいくつかはぼくが作成し、それを『アート セックス ミュージック』の訳者でもある坂本麻里子さんが、いつものように臨機応変にアレンジなりアドリブなどを交えて取材はおこなわれている。
 『アート セックス ミュージック』は、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーというノイズ/インダストリアルの話であると同時にエロ本のモデルおよびストリッパーの物語だが、それ以上に、ひとりの女性のサヴァイヴァルとその人生哲学をめぐるかなり勇敢な回顧録と言える。原書が500ページ、日本版は二段組にしておよそ500ページ、平均的な単行本の3冊分というなかなかの大著だ。
 以下、これもまた、ひじょうに長いインタヴューになるが、これでもかなり削ったです。どうか最後までお付き合い下さい。

だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちはすでにあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

まずはあなたの『アート・セックス・ミュージック』の日本版を刊行できることをたいへん誇りに思います。しかしものすごい分量ですね。

コージー:ええ。

この労作を執筆しようとした動機のひとつに、TGの成り立ちやその実態について歪んだ情報が流布しているということがあったということですが、よくぞ書いてくれたと思います。日本には昔から熱心なTGファンがいることはご存じでしょうか?

コージー:ええ、彼らの存在はずっと知っていたわ。ただ、わたしはこれまで日本に行ったことがなかったから……。そうは言ってもファンが存在することはずっと前から気づいていたし、かなり初期の頃から日本のレーベルがTGのアルバムをリリースしてくれていたわけで。だからわたしたちも、そうね、70年代後半〜80年代初期あたりから、日本にファンがいることは認知していたわ。それに、日本にはクリス&コージーのファンだっているし。というわけで……日本にファンがいるのはわたしも知っているし──だから、本が日本で出版されることになって本当にわくわくさせられている。うん、とてもハッピーだわ。

最後の日記が2014年4月30日になりますが、刊行までおよそ3年かかっています。じっさいものすごい文字量の大著になりますが、執筆に当たってもっとも苦労されたところはなんでしょうか? 

コージー:だからあの本はまるまる、わたしの人生についての本なわけよね。そして、わたしの人生で何が起きたか、ということについてであって。わたし以外の人間にとっての「こうすべきだった、こうするべきではなかった」という内容ではないし、だからわたしはああいう書き方であの本を書いた。というのも、あれがわたしの身の上に起きたことだった。あれらが(コージーにとっての)事実だった、と。で、あそこに書かれたことを信じずに、彼らが信じることを選んだなんらかの「神話」みたいなものについていきたいのであれば、それは読んだ人びとの自由、彼ら次第だわ。
 わたしは別に、あの本から人びとがなにを得るのか、そこを指図するつもりは一切ないから。あれはわたしのストーリーであって、他の誰の物語でもない、という。というわけで……あの本の執筆中に、自分が知っていた以上のさらなる「嘘」が明るみになったのよね(苦笑)。あの点が、わたしにとってはもっとも難しかった。というのも、自分がその場に居合わせなかった状況では、知らないところでいったい何が起きていたかまったく知らなかったから。たとえば、わたしとジェネシスとの関係のなかでのいくつかの場面だったり。そこがもっとも苦労したところね。だから、わたしと彼の関係において、様々な事柄がどれだけ間違った形で伝わっていたのか、その度合いをわたし自身はまったく知らなかった、という。そんなわけで、その点を知ったときは……執筆中に何週間か足止めを食らわされた。自分の思いをしばらくの間どこか別の場所に持っていかなくてはならなかったし、その上で(気持ちを落ち着かせた上で)再び自分の物語に立ち返った、という。だから、あの部分はとても難しかったわ。一方で、あれを体験してとても良かった、というところもあってね。というのも、(苦笑)あのおかげでいまや、わたしも自分の過去を正しく理解できるようになったわけだから。

ひとりの人間の人生が描かれているわけですが、ヒッピー・コミューンからセックス産業など、それ以上のものすごくたくさんのことがこの本には詰め込まれています。おそらく音楽ファンにとっては、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーの話がより知りたい部分なので、まずはそこから訊きたいと思います。

コージー:なるほど。

ある意味では、COUMやTGというのは神話化されていると思いますし、サイモン・フォードの『Wreckers of Civilization』はその神話をより強固なものにしているかもしれません。

コージー:ええ。

長いあいだ、それこそ1998年からその神話やストーリーが続いてきた、と。その意味で、あなたの本は偶像破壊的でもあると思うんです。そうした神話化されたTGの信者たちをある意味では裏切るというか、その神話をいちど破壊するというか、本当にリアルなTGの姿が明かされたわけですよね。もちろん、いわゆる「暴露本」だ、というつもりはないのですが、一部の読者にとってはこの本はショックだったんじゃないか? と。昔ながらのTGファンからの、そのへんに関する反応はありましたか? あなたの本はTG「神話」を売りつけられてきたファンたちを動揺させたと思いますか?

コージー:ええ、たぶんそうだったんでしょうね。けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、わたしは自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。この星の上で共に生きている人間同士として、わたしたちはお互いになにかを負い合っているわけよね。ということは、ただお互いに対して親切に振る舞うだけではなく、敬意も抱き合って生きるものだ、と。ところがそのリスペクトの念は消えてしまったわけ。だから、ここでジェンダーの問題を持ち出させてもらうけれども──COUMトランスミッションズとスロッビング・グリッスル唯一の女性メンバーだった身として、わたしにはいっさい発言権がない、ということになる。あれらのグループの実際がどうだったか、それを声に出すことはわたしにはできない、わたしが黙らされるという犠牲を払うことでそれが成り立っている、と。となると、それはやはりどこか間違っているわよね、人びとのなかにあっという間に事実とは違うヴァージョンの話が流布してしまうわけで。
で……それはなにも、スロッビング・グリッスルそのものを破壊しよう、ということではないのよ。というのも、わたしはどんな風に、スロッビング・グリッスルがどんな風にはじまったか、それをありのままに本のなかで説明したし、その背後にあった興奮もちゃんと書いた。それに、わたしたち全員がTGに送り込んだ突きの勢いについても描写したしね。あれは単にひとりの人間のやったことではなかったし、ひとりの人間のアイディアから生まれたものでもなかった。もちろんCOUMトランスミッションズは、ジェネシスがあのグループを命名したことで始まったものだった。けれどもそれ以降、COUMは参加者みんなのものになっていったわけ。「COUMは誰もに属するもの」という、それはそもそもあのグループの気風の一部だったんだしね。ということは、ではどうしてわたしが自分自身のストーリーを本に書く行為が、(苦笑)スロッビング・グリッスルのそういう気風を破壊するということになるのか? という。それはつじつまの合わない話よね。
 それに、誰かが神話を信じようとすること、それだっておかしな話であって。というのも、COUM/TGは神話以上にもっと興味深いものだから。だから、あの当時実際になにが起きていたのか、そこをまず理解しなくてはいけないし、それらを知った上で、いままで知ってきたことをまだ信じ続けていきたいか、その判断を自分で下してもらわないと。というのも、あそこで起きていたのはかなり害をもたらすものだったし、そこでわたしたちもツケを払わされて……とは言っても実際のところわたしたち3人(コージー、クリス・カーター、スリージー)は、スロッビング・グリッスルをなんとか軌道に乗せ続けたのよね。3人以外のメンバーとの間で起きた様々な難関にも関わらず、わたしたちはスロッビング・グリッスルをあるべき形で具体化させることができた、という。その点は、人びとも「すごい、よくやった」と考えるべきだと思う。いろんな困難が生じたにも関わらず、スロッビング・グリッスルは人びとが「そうあるべきだ」と考えた、そういう形でちゃんと存在していた。というのも、なにが起きてもTGはTGで変わらない、かつてあったそれそのものの強さ、そしてパワーをいまだに備えているわけで。ただ、いまや人びとは、その内面に関するもっと深い洞察を得ることになった、という。どんな風に物事がはじまっていったのか、人びとがその点を知るのは大事なことだとわたしは思っていて。それを知ったからと言って、別になにかが損なわれることはないだろう、そう思っているし。

ええ、それはないです。たとえば、『RE/SEARCH』マガジンの4&5号(1982年)に掲載されたスロッビング・グリッスルの取材を読むと、「スロッビング・グリッスルのインタヴュー」と銘打たれている割りにテキストのほぼ90%はジェネシスが発言しているんですよね。

コージー:フム。

彼に焦点が当たり過ぎだ、という。いまの自分からすればスロッビング・グリッスルはリーダー格不在の真の意味で民主的なバンドだったのに、当時のメディアでは誤ったバンドの提示の仕方がおこなわれていたんだな、と感じます。あれじゃ、まるで「ジェネシスのグループ」という印象ですし。

コージー:ああ。でも、その点に関しては、本でも触れたと思うのよね。だから、わたしたち3人は自分の声を大きく張り上げるとか、自分自身を宣伝することに興味がなかったわけ。そういうことにわたしたちは入れ込んでいなかったけれども、ただ、ジェネシスは自己宣伝を楽しんでいたし、人びとから注目を浴びるのをエンジョイしていた、と。でも我々残る3人はそれよりももっと、音楽を形にすることやテクノロジーetcに関する色んなリサーチにもっと力を注いでいたのよね。それにまあ、ああした取材のいくつかは、わたしたち自身が知らない間におこなわれてもいたんだしね!

はっはっはっ!

コージー:──だから……(苦笑)バンドの一員にも関わらずそのなかで個人的な自己プロモーションをおこなっていた人間がいた、ということだし、ずっと後になるまでそういう行為がおこなわれていたのをこちらも知らずにいたわけ。それは良くないことよね。それによって問題が引き起こされ、バンドにひびが入りはじめてしまった。というのも、あのバンドは個人云々の存在ではなかったわけだから。ところが、バンドがいったん終わったところで、また他の誰かがバンドを宣伝するようになったわけだけれども、彼らはそこでバンドの名前を傷つけていった、という。そんなわけで、わたしたち3人はまったく関与していないところで、とても奇妙な、心理的なあれこれが起きていた、ということになるわね。それは他の誰かが勝手にやっていたことだった、という。

でも、あなたの本のおかげでわたしたち読者にもスロッビング・グリッスルの真の姿がクリアに掴めるようになりました。4人が平等な民主的な、しかもまったくDIYのバンドとしてのTGを描いたということは大きいと思います。

コージー:ええ。

にしても本当に、可能な限りご自分たちでなにもかもやっていたんですよね。DEATH FACTORYのTシャツもあなたの手製だったわけで。で、このDIYの気風、Tシャツからプロモ写真はもちろん音楽まで、制作/生産面に関して可能な限り直接関わるという、このTGの気風はどこから生まれたんですか?

コージー:それはもともとは……取材の最初の方で、あなたも本に書かれたヒッピー文化について触れていたわよね? で、あの頃、1968年、69年頃から、わたしはもう(ヒッピー系の)Tシャツだのズボンだのを作って売っていたわけだし。単純な話、当時自分たちの身の回りには買いたくてもああいうものは売られていなかったし、それを作ってくれる場も存在しなかった。だから当時のわたしたちのDIYの気風というのは、自分たちの求めていたものは通常の商業ルートでは手に入らなかったし、したがって自分たちで作るほかなかった、と。ところがそれをやった結果として、DIYなら実際、自分のやりたいことを完全にコントロールできるじゃないか、という点に気づかされるのよね。なにもかも、完全に掌握できる。というわけで、その点はスロッビング・グリッスルにとって非常に重要だったし、またクリスとわたしにとっても、クリス&コージーのはじまりからいま現在に至るまで、いまだに重要な点であり続けている。

ロバート・ワイアット、AMM、ジョン・ダンカンといった名前がわりと重要な場面で出てきますが、こういうところからもいままであまり語られなかったTGの音楽的背景を伺い知ることができました。それはたぶん、TGやあなたたちのことを「インダストリアル・ミュージック」という括りでわたしが捉えていたからだと思います。あれら3組の名前は必ずしもその括りには入らないわけで、その意味で驚きだった、ということでしょうが。

コージー:思うに、いまあなたが例にあげた名前を考えてみれば……というか、それら以外の影響のいくつか、それこそもっとポップ音楽系な人たちのことを考えてみてもいいと思うけれど、彼らのことをじっくり考えてみれば、実は彼らのアプローチもわたしたちのそれととても似通ったものであるのがわかるはずだわ。非常にパーソナルで、心のなから、お腹の底からから出て来たものであり、そして自分のやることに対する自分自身を信じるパワーを持っている、という意味でね。だからなのよ、繫がりが存在するのは。それは必ずしも音楽的な意味での繫がりではなくて、その人物そのものとのコネクションかもしれない。ただ、彼らには、彼ら自身の、そして彼らの作品の背後に、そういう打ち込みぶり、そして意志の強さとが備わっている、という。

ジェネシス・P・オリッジの素顔について書くことはやはり神経を使われたことと思います。彼はあなたたち3人に続々と困難や苦情のタネを持ち込んだわけですが、それでもはやりフェアに書かなければならなかったわけだし、かつ本として客観性も維持しなくてはいけなかったわけで。かつての恋人であり、コラボレーション相手であり、しかしいつしか破壊的な存在になっていった、そういう人物を描くのは難しかったのではないかと思うのですが。

コージー:まあ、わたしがこの本を書きはじめた頃──いつになるかしらね、2015年には書き終えていたわけだから……

ああ、そうだったんですか(※英オリジナル版の出版は2017年)。

コージー:ええ。だから、さっき話に出た「日記からの最後の引用が2014年」というのも、もっと意味がわかりやすくなると思う。というのも、あの時期からわたしは本の執筆をはじめていたし、そこから出版社のフェイバーがこちらにアプローチをかけてきて。と同時にその頃、わたしは「ハル・シティ・オブ・カルチャー 2017」企画にも取り組んでもいて(※シティ・オブ・カルチャーは4年に一度選ばれる「イギリス文化都市」で文化やアート振興を目指し長期にわたって多彩なイヴェントが組まれる。コージーの生まれ故郷ハルは2017年にその座を射止め、ハルが初期の拠点だったCOUMトランスミッションズの大々的な回顧展も開催された)。
というわけである意味なにもかもが、わたしにとってきちんとこぎれいなパッケージとしてまとまっていった、みたいな。フフフッ! 自分の本の執筆、そしてCOUM回顧、という形でね。わたしがCOUM展のためにやっていたリサーチ、それがまた本向けのリサーチにも流れ込んでいた、という。そんなわけで、エモーショナルなアプローチと共に、わたしはある種客観的なアプローチも用いることになった、と。この、パラレルを描くふたつのアプローチの仕方、これが実際、わたしには上手く機能したのよね。というのも、それならわたしは客観的であると同時にまた、主観的にもなれるわけで。で、わたしは自分の本を、なんというか……なにも「積年の恨みを晴らす」めいたものにしたくはなかったから。そういう本ではないんだしね。

(苦笑)はい、もちろん。

コージー:そうではなくて、これはわたしの人生についての、わたしの物語を書いた本だ、と。で、とある誰かがわたしに対して、あるいは他の面々に対して本当にひどい仕打ちをしてきたこと──それは彼らの側の、その人間の問題であって、わたし自身の問題ではないわけ。そういう連中は、わたしのストーリーのなかに登場するキャラクターに過ぎない。彼らがあまりにひどい振る舞いをしたことについても、(苦笑)それが彼らの人なり/実像なんだから仕方ない、と。その事実を変えることは、わたしにはできなかったしね。それと同じで、逆に誰かがわたしに本当に良くしてくれたら、その事実を書き換えるつもりはないわ。それに実際の話、わたしの物語にしても、他の誰かがしでかした悪質な行為のいくつかに負っていたんだし。というのも彼らのそうした行為のせいで、わたしが立ち向かい対処しなくてはならないシチュエーションも生じたわけで。で、それらの行為はわたしの人生に本当に大きなインパクトを与えた、と。
というわけで……当時なにが起きていたか回想する意味では、それが困難だった、ということは一切なかったわ。というのも、いろいろな状況をくぐり抜けていた時点で、その都度それらに対処し乗り越えていったから。ただ、さっきも言ったように、本当に困難を感じた点というのは、本を書いていくなかでわたしはある意味欺瞞の程度の深さを明るみにすることになった、その根深さを初めて知った、そこだった。だから、自分というのは本当に、彼が敵対していたものの縮図的な存在だったんだ、その事実に気づかされたことは難しかったわね。悲しいことに、彼はそれらすべてを否定しているけれども──彼がいつも使う手口、それは「敵対」なわけだし。あの点は、だから厄介だった。

ある意味、本を書くことで嘘を発見し、あなたは再び傷つけられた、ということになりますね。

コージー:そうね。

もちろん、そのつもりで執筆したわけではないけれど、結果的に更なる嘘がばれていった、と。

コージー:そうそう、結果的に、自分が気づいていた以上の嘘があったことが明るみになった、という。

(苦笑)ひどいですね。

コージー:ほんと、まったくよね。

やぶへびになってしまった、と。

コージー:ええ、そういうこと(苦笑)。まったくもう、キリがないっていうね(苦笑)。クックックッ……。

とくに後半の6章ぐらい、TG再集合のくだりでジェネシスのやったとんでもない仕打ち等々、書いていて決して楽しくはないことにも触れていますよね。普通の人だったら伏せておきそうなところも、あなたは本に収めています。ありのままを伝えよう、あなたの経験をできるだけ忠実に書き記そう、ということだと思うのですが。

コージー:それはそうよ。だから、あれらすべての事情がまた、わたしのストレスを大きくしてもいたわけで……それ以前に、わたしとクリスは息子を病気で失いかけた、そんな大きな心的負担もこうむっていた。ところがあの時点で、わたしは他の誰かから余計なストレスまでもらう羽目になった。しかもその人間には明らかに、わたしとクリスが当時どんな状況をくぐっていたか、そこに対する同情心が一切欠けていたわけで。とにかく、心労の上にさらなる心労が重なっていって。それで遂には、わたしは疱疹で倒れることになったし、体調も相当悪くなって。自分たちの上に山積みにされていったすべてのストレスの結果がそれだったわけよね。
で……と同時に、わたしたちにはスロッビング・グリッスルのファンたちに対する責任もあったわけで。だから、あれはもう──「これがわたしの人生。こんなにつらいのに、どうやったらこの人生を好きになれる?」みたいな(苦笑)。あれはわたしの人生のなかでも大きなポイントだったし、人びともスロッビング・グリッスル再結集劇については読みたがるだろう、と。ただ、あの背後で起きていたのは、わたしたちが味わった数々の困難の物語だったのよね。

けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。

『アート セックス ミュージック』にはユーモアもありますよね? クリスが何気に感電して、部屋の隅にまで飛ばされたり──

コージー:(苦笑)ああ。

それとか、彼がドリルで指に穴を開けてしまい、その数日後に今度は別の指を折った場面とか。

コージー:(笑)そうね、あれは可笑しい。

よく考えたらすごいことをさらっと書いていますよね。クリスの健康面で言えば冗談じゃなかったでしょうが、あなたの淡々とした書き方が逆に笑いを誘うところがあって。

コージー:でも、あれが……(笑)だから、ユーモアはわたしの人生のなかで大きな役割を果たしてきた、ということ。それから、「笑い」ね。っていうのも、わたしはべつにダークで陰気な、鬱でふさぎ込んだ人間ではないんだし。人生を愛しているし、楽しんでいる。で、わたしは他の人たちには見つけられないような場所にも、ユーモアを見出してしまうのよね。だから……そうねぇ、人生の大半を自分は笑顔を浮かべながら過ごしてきたんじゃないか、自分ではそう思ってる。もしかしたらそのせいで、わたしのかいくぐってきた色んな問題が逆にもっと際立つことになっているんじゃないか? とも思うし。
 でもほんと、ああいう「手榴弾」(※本文中に出てくるジェンからの報復/嫌がらせの比喩)にはなんとか対応しなくちゃいけないのよね。それにユーモアで応じてやろう、と。ユーモアはわたしの人生のとても大きな部分を占めてきたし、とても、とても大事なことだわ。

そういうユーモアというか茶目っ気は、スロッビング・グリッスルのメンバーも共有していましたよね。

コージー:そうね。

たとえば、『20ジャズ・ファンク』のプロモ写真で──

コージー:(苦笑)ああ。

ジェネシスがYMOのシャツを着てかっこつけていたり、TGのライヴの最後をマーティン・デニーで締めるっていうことにも通じているように思います。

コージー:ええ、だからアイロニーもあったわけよね。で、あれはちょっとこう、「ミューザック」というコンセプトで遊んでみた、というところもあったし。だから、スロッビング・グリッスルを通じてはらわたに響くとてもフィジカルななにかを体験した後で、聴き手を軽く落ち着かせてあげよう、と。あの経験の後には最高に素晴らしいマーティン・デニーのミューザックが待ち構えている、というね。彼はレズ・バクスターなんかと共にひとつの新たなジャンルをはじめたんだから、それってすごいことだと思う。

他愛のないユーモア、いたずらっ子めいた側面があったわけですね。

コージー:そう。だから、スロッビング・グリッスルとは真逆なことよね。

そのふたつは、TGのコインの裏表だったんですね。

コージー:だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちは既にあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

(笑)。

コージー:それにその神話は、当時のスロッビング・グリッスルすら喧伝していないものだったんだしね。わたしたちはそういう神話を絶えず自分たちで破壊してきたし、TGを終結させたのもそれだった。そうすれば、神話もなくなるわけだし。その点を人びとは誤解していたのよね。TGというのは、人びとがTGにインスパイアされて彼らがそれぞれ自ら作品を生んでいく/仕事していくための、その媒体を提供する存在だった。だから、わたしたちは人びとのために色んなドアを開けていった、ということ。せっかく開けたそのドアを人びとが閉ざしてしまい、わたしたちの実際の姿とは異なる「TGとはなんだったか」を彼らに定義してもらうことは、こちらは望んでいなかった。

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だから女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。

ハルという暴力的な地方都市のなかで、労働者階級の娘として生まれ育ったあなたから見た1960年代の英ヒッピーのコミューン文化の描写も、興味深かったもののひとつです。この意見は間違っているかもしれませんが──少なくともわたしが思い出す限り、イギリスの「60年代カウンター・カルチャー追想記」や「シックスティーズの物語」みたいなものの多くは、いわゆる「スウィンギング・ロンドン」が中心に描かれてきたな、と。

コージー:ああ、そうよね。

なので、当時ロンドンから遠く離れた地方都市で生きていて、基本的にはロンドンのヒッピーたちと同じようなことをやっていた人の目線から書かれた文章を読むのはとても新鮮でした。というか、「コージーはどうしてこういうことをやれたんだろう?」とすら。「なにもロンドン(首都)にいなくたって、アンダーグラウンドのカルチャーや精神に触発されるのは可能だ」と確認できて、その意味でも励まされました。

コージー:なるほどね。たしかに(地方都市で)ああいうことをやるのは、とても難しかった。そう言っても、自分の周りには仲間がいたし──かなり少人数のグループだったけれども。ただ、その小規模な集団だって、やがてどんどん大きなグループへと花開いていったんだけれどね……とはいえ、ハル全体の人口からすれば、わたしたちはごくちっぽけな集団だった。それでも、自分たちのやりたいことはこれだという、その決意はとても固い集団だったわね。

平たく言えば、あなたたちは「ハルの変人集団」だった、と。

コージー:そう。わたしたちは変人だった。

でも、あの時期のコミューン描写を読んでいて驚かされた──というか、いまでは驚きではないかもしれませんが、60年代文化というのはずっと「ラヴ&ピース」的に描かれてきたわけですよね。ところがあなたの本を読むと、実際は非常に男性優越主義なカルチャーだったことがわかる、という。

コージー:ああ、ほんと、そうだったわ。

女性であるあなたは掃除・洗濯・食事作りの役目を負わされて、一方で男性連中は居間でなごみながら政治だの革命的なアイディアを話し合っている、という図式。あれを読んで、やはりちょっと驚いたんですよね。

コージー:うん、だから、あなただってヒッピー・ムーヴメントが起きていた時期というのは、「フリー・ラヴ」の時代だった、と思うでしょうし……

ええ。男女問わずフリー、なので平等だったのかと思っていたら、そんなことはなかったわけです。

コージー:ええ、それはなかった。あの時点ではまだ男女平等は見えていなかったし……そうは言っても、ここで思い出さないといけないのは──あの当時、女性は避妊剤、ピルを手に入れられるようになったわけよね。女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。
 だから、ええ、わたしたち女性も自由にセックスできるようになった。けれども、それは男性たちにとっても、誰かを妊娠させることなく、好きに誰とでもセックスできるようになった、ということであって。それは男性から見れば都合の良い、二重の勝利だったわけだけど、当時の女性にとっては決してそうではなかった、とわたしは思っていて。突如としてこの自由が手に入ってわたしたちはとても喜んだわけだけど、それが男性優越主義にどう影響するか、そこまで考えてはいなかった。わたしたちはただ「自由だ、最高」とばかり思っていたし、これで家庭から出られる、婚約し結婚して子供を作り、そして職に就くという、当時若い女性が進むべきとされていたルートから出られる、そうやって自由になれる、そう考えていた。ところがその自由は、制約や条件付きのそれだった、わたしはそう思っていて。というのも、当時わたしたちの周囲にいた若い男性たち、彼らにしてもまだ「家庭の主たる男」という考え方を持ち、そうなるべく育てられた、そういう世代の人間だったわけで。で、男は家庭において女性から奉仕されるもの、という。

そういう男性たちにとって、ある意味60年代はハーレムのような状況になったわけですね。

コージー:そう! うん、実はそういうものだったんだと思う。そうは言っても、当の男性たちだって「自分たちはフリーだ、女性も解放された」、そう考えていたわけだけれども。そうやって分析してみると興味深いものよね。

もちろん、男性がハーレム状況を作ろうとした、とは言いませんが──

コージー:それはないわよ。

ただ、ピルにしても100%安全な避妊法ではないし、望んでいない妊娠をしてしまう女性もいるわけですしね。

コージー:わたしもそうだったしね(苦笑)。

ええ……。で、妊娠は難しいなと感じるんですよね。わたしは子供を持たない身ですが、子供ができるのは素晴らしい経験だろうな、とは思うんです。母親になるのも女性にとっての新たな開花でしょうし。ただ、同時にそれが女性にとって足枷になる場合もあるわけです。男性は妊娠しないので、そういうジレンマは起こらないんだろうな、と。

コージー:そうね、男性の人生は妊娠にまったく左右されることなくそれまで通りに続いていく、と。妊娠による妥協というのは存在するし、そこで妥協させられるのはまず女性なのよね。だから、「子供を持とう」という覚悟を決めないといけない。子供を持つと自分自身の人生に影響が及ぶ、それを理解した上で決心しないと。それは自分に依存する誰か、自分自身よりも優先するべき誰かが自分の人生に現れるということだし、子供がまず第一になる。そういう責任を負うことになるわけよね。わたしとクリスが息子のニックを授かったときは、わたしもその点は理解していた。ただ、17歳で初めて妊娠したときの自分には、子供を持つことが自分になにを意味するか、まったくわかっていなかったのね。だから……とてもつらかったわ。というのも、いざ子供を持ってみると、若い頃の自分がやったこと、そのリアリティが再びぶり返してきてショックを受けるわけで。本当に、悲しいことだから。

中絶や流産、そして妊娠といったことは、男性と女性とで影響の出方が違うでしょうしね。男性でも、大きくショックを受ける人ももちろんいますし。

コージー:ええ、それはもちろんそう。これは、女性も男性も共に、両方で進んでいかなくてはいけない問題だし。というのも、とてもエモーショナルな経験だから。子供を持つこと、その実際面も親の人生にもとても大きく影響するわけだけだけれど、「子供を持とう」と決心すること、それは男女双方にとって本当にエモーショナルな面で大きな決断なのよね。軽い気持ちでやれることではないから。ほんと、とても大変だしね。

あなたとあなたの父親との関係から、当時のサブカルチャーやアート界であなたが味わったひどい経験、そしてジェネシス・P・オリッジの存在もふくめて、『アート セックス ミュージック』では父権社会というものが浮き彫りにされていきます。これは、意図して描いたものなのでしょうか、それとも包み隠さず書いていったらそうなったということなのでしょうか?

コージー:ええ、隠さずに自分の人生を書いていったらこうなった、ということね。というのも、実際に起きてしまったことは変えようがないんだし。あなたは父権社会というカテゴリーに入れるかもしれないけれど、それは実際にわたしが体験したのがそういうものだったから、なのよね。それ以外にも、男性優越主義、女性嫌悪といったものもそこにぴったりと収まるわけ。ただ、それらはわたしが自分で自分に対してやったことではなかった。

ええ、どれもあなたの外部から発したものですよね。

コージー:そう! だからなにも、人びとの集まったところにわたしが入っていって、「どうぞ、女性嫌悪者として、できるだけひどい振る舞いをわたしに対してやってください。その体験について本を書くつもりなので」なんてお願いしたわけではなかったんだし。でしょう? 

(笑)ええ、もちろん。

コージー:だから……あれらが事実だった、ということ。で、事実というのは一部の人間の口に合わないこともあるわけよね。そういう人たちは、わたしはお立ち台に立って父権社会や女性嫌悪、抑圧云々について叫んでいるだけだ、そう考えたがっているわけだけど、そんなことはない。そうではなく、わたしはあれらを実際に「生きた」わけ。だからといって、それによって……わたしは犠牲者ではないのよね。自分が犠牲者だとはちっとも感じない。だからユーモアの存在も、そうした抑圧を乗り越えるための戦略だったんでしょうね。そしてまた、わたしを実際よりちっぽけな存在だと思わせようとする連中や、わたしの潜在的な可能性やなりたいものを目指す思いを引き留めようと足を引っ張る人間たち、彼らに対して挑んで反抗していく、という。自分の人生のはじまりの段階にしたって、父親とは──そうね、彼がいろんなやり方でわたしをコントロールしようとしたにも関わらず、わたしはいつだってそれを無視して外出し、やりたいことをやって支配に反抗してきた。そうやって外に出て、やりたいことをやったおかげで、わたしは最高に楽しい思いとものすごい充足感とを味わうことができた。で、そうやって楽しい思いをすること自体、支配に対するカウンター攻撃の一部でもあったのよね。そのせいでお仕置きを受けたわけだけれども、それにしたってまあ……罰を受けたりいろいろあったけれども、自分はこの家を出て行くんだ、それはわかっていたし、実際10代で家を出たわけだし。だから、家を離れる日が来るまで、自分はできるだけ楽しんでやる、そう思っていた。そうは言っても、門限を破っては父にぶたれていたわけだけど(苦笑)。

にしても、せっかく父親から「逃れた」ところで、続いてあなたはジェネシスに出くわしたわけですよね。彼も最初のうちは一見フリーな精神の持ち主、ルネッサンス・マンっぽかったものの、やがてあなたを支配し意のままに操ろうとする面が出てきた。せっかく父親のコントロールから逃げ出せたのに、またもや人生に同じようなタイプの男性が存在することになったのは、あなたとしてもさぞやがっかりさせられた体験だっただろうな、と思いましたが。

コージー:ええ。でも、そこを見極めるのに半年しかかからなかったわ。

(苦笑)なるほど。

コージー:彼との恋愛関係のはじまりの段階から、わたしはかなり懐疑的だったのよね。まあ、あなたからすれば「なんだってまた、彼女は彼を愛していると思ったんだろう?」と、さぞや不思議でしょうけれども。ただ、もうひとつあったのは、あの関係がはじまったときというのは、両親の家の外に広がっている自由な世界がわたしに見えたときと重なっていたのよね。で、その自由に至る道というのは、ヒッピーのコミューンに参加することだった、と。さっきも言ったように、付き合いの最初の頃から懐疑的だったし、だからあのコミューン内でも初めのうちは自分だけの一人部屋を借りていて、ジェネシスと一緒に暮らすことはしなかった。というわけで、そうね、家を出てわたしは外の世界に出て行ったし、ありのままの自分になれて、いろんな機会にも出会い、世界の中心に自分はいる、そんな思いを味わっていた。で、そこでもこの……イライラのタネに対処しなくてはならなくなったわけだけれども、あの手の苛立ちは、実家にいた頃から父親相手に体験してきたわけで。わたしにはもう経験済みのものだった、と。きっと、だからなんでしょうね、たまに「あんな目に遭わされたのにどうして我慢したんですか?」と、わたしの行動の理解に苦しむ、と言ってくる人がいるのは。でも思うに、そうね、17年ものあいだ父を我慢してきた経験を通じて、自分自身を失わずにいるには、自分のやりたいことをやるにはどうすればいいか、なんとかそれをやっていく方法を見つけ出していたわけで。それに、ある意味では……彼のやったこと、そして彼がどういう人間だったか、それらはわたしにとっても有用だったんだし。彼はわたしの役に立ってもいた、という。その面も考えに入れるべきよね。あの場にいたことは、実際わたしの役にも立ったんだし。

なるほど。でも、そうやって自分に有利なものへと状況を引っくり返せたのは、あなたがそれだけ強い人だった、ということでもあるんでしょうね。仮にあなたと同じようなつらい立場に立たされた女性がいたとしたら、彼女たちの何人かは屈服させられ、黙らされていたでしょうし。

コージー:それはもちろん! だからなのよね、人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。というのも、「逃れることができない」とその人間が感じる理由は本当にいくらでもあるんだし、それは感情面が理由なこともあるし、実際面や金銭面、ときに政治的な理由ということもあるし、あるいはまた、アートをやっていくために、その状況から脱出できないことだってあるわけで。
 わたしがジェネシスと別れたのは、COUM〜スロッビング・グリッスルが本当に好調に進んでいたときだったわけよね。だから、あれは本当に大きな決断だった。というのも、わたしが彼から去ってしまったらCOUMもTGも終わるだろう、それは承知していたから。だけど、(笑)実はそれはどうでもいいことだったのよね。というのも、その先にはもっと素晴らしい、もっとずっと素敵なものが待ち構えていたんだし、それがクリスだった。でまあ、この本に関するインタヴューを受けるたび、話題はジェネシスに集中しがちなんだけれども、わたしの人生でもっとも大きかった存在、それはクリス・カーターなのよね。

それは、わたしも本を読んで強く感じました。彼はどれだけあなたにとって意味のある存在なのか、と。

コージー:そう。だからそれ以前に起きてきたことはすべて、わたしがクリスに出会う瞬間、その場面にわたしを連れていってくれるのに役立ってきたものだった、という。で、彼と出会ったところで、それまで自分の経てきたなにもかもの意味がわかるようになった。だから、彼と出会う以前に自分に起きてきたこと、そのなにもかもが、彼とわたしのあいだにある「これ」、この関係こそ自分がこれから保っていくものなんだ、と気づかせてくれた、というか。そしてまた、愛とは本当はどういうものなのか、自分のアートや自分自身に対して満ち足りた思いを抱くのはどういうことなのか、そこにも気づかされた。
 というのも、クリスのおかげでわたしはわたしを完全に信頼し、応援してくれる人を得たんだし、しかも彼にはわたしをコントロールしようという面が一切なかったわけで。それだけ、彼はわたしを愛してくれているのよね。でも、それが愛というものなのよ。愛している人間を変えようとは思わないでしょう? というのも、あなたはその人間をまるごと愛しているんだから。

この本は、COUM〜TG〜クリス&コージーそしてX-TGへの物語であり、同時にひとりの女性の人生譚/サヴァイヴァル譚でもあります。女性からの共感が多かったと聞きますが、男性からのリアクションで、なにか面白い感想があったら教えて下さい。

コージー:どうなのかしらね、わたしは「女性/男性」と分けて考えることはないから……「人びとのリアクション」としか考えない。もちろんそういう見方をとることもできるけれども、それでもやっぱり、わたしはあらゆるジェンダー、セクシャルな性向に向かっていきたいし、それが本の基盤にもなっているわけで。だから、「ある人間」についての本なのよね。もちろん、「男性VS女性」の図式とか、トランスジェンダーだとか、みんなそれぞれに違う。ただ、これはある人間についての、かつあなたがいま言ったように、サヴァイヴァルについての物語であって。そうは言っても、わたしは自分に生まれついて与えられたもの、渡されたカードに対して闘ったことはなかったんだけれども。とにかくただ、自分には自分の人生のなかでやりたいことをやる権利がある、そう信じてきただけのことで。だからなのよね、この本に「男性/女性」という見方でアプローチしないことが重要なのは。
 というのも、性別がなんであれ、やりたいことをやる権利は誰にとっても大切なことだから。そうは言っても男性のほうが、「自分にはこれをやる権利があって当然」という感覚が女性よりも強いものだけれども。ただ、自分自身を信じて、これはやらなくてはいけないと強く感じることをやっていくこと、それは誰にとっても大切。で、そうやって「自分はいったい何者なのか」を理解していくこと。それは大きな課題だわ。自分が誰かを理解するためには、様々な人生経験を経ていかなくてはならない。シェルターのなかに身を隠しているわけにはいかないのよね。というのも、人びとや経験、世界はそこに存在しているんだから。けれども……本当にたくさんの人たちから、本に対してとても素晴らしい反応をもらってきたわ。とは言っても、わたしはフェイスブック等々はやっていないから、あの手の場でなにを言われているかは知らないけれども。そもそも興味もないし、ゴシップだらけだしね。

でも、この本を読み終えて真っ先に個人的に感じたのは、「若い女性に広く読んで欲しいな」ということだったんですよね。あなたの本なのでスロッビング・グリッスルやクリス&コージーのファンがいちばん読むでしょうが、いま「女性に読んで欲しい」と言いましたが、実際もっと広く、性差etcに関わらず様々な形での抑圧や支配に苦しんでいる人に読んでもらえたらいいな、と。そうしたコントロールに対する対処の仕方も書かれている、ドキュメントになっている本なので。

コージー:そういえば、面白けれども、友人から「世界最初の小説は日本人の女性が書いた」と教わったのよね(※紫式部の『源氏物語』と思われます)。

ああ、はい。

コージー:だから、日本人女性のあなたから、わたしの本に対してそういう感想をもらうのはとても興味深いわね……うん、本当にそう思う。というのも、大昔の日本の宮廷で宮仕えしていた、そういう女性が小説を書いたわけでしょ? だからそれを考えてみれば、何百年も前の世界ですら、女性たちは「自分の思いを、言葉を聞いてもらいたい」という必要を感じていたわけで。で、彼女たちには耳を傾けてもらう権利がある。わたしたち女性はなにも、「沈黙したままの多数派」ではない、という。でも、そうね、とにかくこの本が、色んな層の多くの読者に届いてくれることを願っている。で、本を読んだ人たちにとっても、彼らの持つポテンシャルを活かして自分のありのままの姿を追求する、そのインスピレーションになってくれたら本当にいいな、そう思っているわ。彼らは彼ら自身であればいいんだし、流行りのファッションだとかを真似する必要はない。というか、わたしのやったことをコピーする必要すらないのよ。それくらい、誰の人生だってみんなそれぞれに違うんだし。

人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。

スロッビング・グリッスルという言葉は男根の暗喩ですよね。男根はパワーの象徴で、歴史的にも崇拝されてきましたが、それを敢えてグループ名にしたのはどうしてですか? ひとつのアイロニーというか、TG内においても暗黙のなかで反父権社会的/反マチズモ的なものがあったからでしょうか?

コージー:まあ、あのタームを使うことにしたのは、わたしの友人のレズ、彼がペニスを意味するタームとしてあれを使っていたからなのよね。その意味合いは彼がすっかり説明してくれたし、あれはそれまで、わたしたちの誰ひとり行き当たったことがなかった言葉で。それに、もうひとつあったのは……あれはバンドが普通だったら絶対にバンド名にしない、そういうものだったところ。

(笑)なるほど。

コージー:というのも、あれはパンク以前の時代だったわけで。あの頃、「包皮」とか、そういう名前のバンドは存在していなかったでしょ。というわけで、スロッビング・グリッスルという名前は……だから、さっきも話した「笑える」点、ユーモアも関わっていた、ということ。誰かがレコード店に行って、「スロッビング・グリッスル(陰茎)のレコード、ありますか?」と尋ねる場面を想像する、という。

(笑)。

コージー:だから、「バンドの名前だ」とわかっているつもりでも、そこにはダブル・ミーニングもある、という。そうはいっても、あの名前は「TG」に縮められてしまったんだけどね。クリスはあの名前が嫌いだから。

らしいですよね。彼はいつも「グリッスル」か「TG」としか呼ばなかったそうで。

コージー:ええ。それから、前身だったCOUMトランスミッションズとの繫がりもあった。COUMのシンボルには「COUMペニス」があったし、あのペニスは性交後の萎えたそれだったけれども、そこからTGになったところで、勃って準備万端、世界を相手に固く立ち向かっていく存在になった、と。それが、わたしの見方ね。

1970年代、セックス産業に与しているという理由によってフェミニストから批判されたあなたが、いまとなってはフェミニズム的な文脈のなかで評価されていることをあなたはどう感じていますか?

コージー:まったく問題なし。だから、どういう文脈にわたしの作品を当てはめるかそれ次第だ、という。わたしやわたしの代理人のギャラリー側に「こういう展覧会があるので作品を貸してほしい」という提案が届くと、わたしたちは話し合い、その展示の文脈にわたしの作品の本来持っていた意味がフィットするかどうか考えるし……だからとにかく、わたしの作品に対する評価の変化というのは、時代の変化、そして物事への姿勢が変化した結果だと思っていて。だからある意味、何年も前に自分のやっていたことに時代が追いついたんだな、と。いまの人びとはあの作品をありのままに眺めるけれども、発表した当時の人びとにはそういう風に観ることができなかった。ということは、早過ぎたのかもね? どうしてそうだったのかは、わたしにもわからないけれども。ただ、あれらの作品は現在の時代に居場所を見つけてみせた。とは言っても、そこまで何年かかったのかしら……それこそ、40年近く?

(笑)ですね。長かったですね。

コージー:(苦笑)ええ。

ただ、やっぱりあなたにも新鮮な気分だったんじゃないでしょうか。「受容」や「評価」があなたの目的だったことはなかったし、自分の作りたいアートを作るのみだったとはいえ、ああして時代が追いついたことは嬉しかったのでは?

コージー:まあ、クリス&コージーの作品にしたって、人びとがあれに追いつくのに10年近くかかったわけだしね。

ああ、たしかに。

コージー:で、人びとが追いついた頃には、わたしたちはもうカーター・トゥッティに変わっていた、という。でも、それはいまでも続いているのよね。人びとはカーター・トゥッティ・ヴォイドを求めているけれども、わたしたちは既に他のなにかに取り組んでいる。たとえわたしのやる仕事の一部に対する人びとからの受けが良いからといって、それに足止めを食らわされるわけにはいかないから。わたしのやっているのはそういうことではないんだし……いま現在にしたって、わたしは他のことに取り組んでいるけれども、それでも人びとからはわたしたちが10、20、30年くらい前にやっていたようなことをやって欲しい、と求められる。だけど、自分の持ち時間のなかで、自分にやりたいことは他にもっとあるから(苦笑)。

常に先を行っているんですね。

コージー:いいえ、そんな風に考えたことはない。とにかく、常に自分のやりたいことをやっているだけ(笑)。

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まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。

フェミニズムに限らず、70年代、80年代のUKの音楽シーンはどこかしら政治思想、イデオロギーとリンクしていたと思います。アナキズム、社会主義、コミュニズム、反資本主義等々。

コージー:フム。

でもスロッビング・グリッスルにせよあなたにせよ、ああいう風におおっぴらに「政治的」だったことはなかった気がします。特定の政治的な「派閥」に同調したことはなかったのではないか? と。あなたは意識的に様々な「〜イズム」とご自分の作品との間に距離を保っていたのですか?

コージー:まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。ただ、個人のレヴェルでそこに関わっているだけ。でも個人的であっても、最終的にはとても政治的になっていくものであって。いまのようになにかひとつ、個人としてのレヴェルで物事がまずくなっている状況があったとして、ではそれを地球規模で考えるとどうだろう? と。イギリス国内に留まらず、アメリカやドイツ、世界各地のことを考えてみると、誰もが政治のせいでパーソナルな面で苦しめられているわけよね。そういう段階こそ、パーソナルが非常にポリティカルになる場面だ、と。
 というのも、政治を再び正しい軌道に戻さなくてはいけないわけだし。多数の人びとの声を代弁させなくてはならないし、ただ単にキャリアを求め権力を手にしたがっていて、金儲けをしたいだけ、そういう手合いを代弁しているわけにはいかないだろう、と。政治はそういうものじゃないんだしね。たとえばここイギリスみたいに、わたしたちにいまある政治状況では、それこそ国そのものが崩壊しかねない。人びとは権力に酔い、経済面での利害を追求している。完全に狂っているし、まったく理解できない。だから、わたしとしても民主主義社会に生きているつもりでいるのが本当に難しくて──というのも、人びとはこれを民主主義と呼んでいるけれども、実際はそうじゃないわけで。……どうもわたしも、いまやすっかり政治的になってるみたいだわね(苦笑)?

いまはそうならざるを得ないですよね。もっとも、どの時代でも困難な状況はあったでしょうが。

コージー:ええ。でも、いまは危機的状況じゃないか、わたしはそう思っているわ。

すでに『D.o.A.』の頃にはメンバーそれぞれの分担作業になっていたTGですが、それでもグループとしてのパワーを発揮していたというのはすごいことだと思います。再結成のライヴもそうですが、TGにはバンドとしてのマジックがあったんでしょうね。そのことをあなたはいろんな言い方で表現しているように思います。言葉で捉えて表現するのはそれくらい難しいなにか、だったんでしょうか。

コージー:ええ、というか、みんなどう表現すればいいか困るんだろう、と思う。あれは言葉で言い表せないなにかだったし、どうして自分は聴いてああいう感覚を受け取るのか、その理由が見出せないものであって。というのも、ひとつの空間にたくさんの人間を集めて、そこでサウンドとエモーションを同時に相手にして取り組んでいると……だから、その場の全員が一緒にそれに関わっている、という。観客の側からもらうエモーショナルなフィードバック、反応、そしてエネルギーとが、プレイしている音楽に入ってきてエネルギーを与えてくれるんだしね。だから、全員が関与しているわけ。で、あれはとても不思議な感覚で……というのも、ある意味、自分自身から抜け出すようなセンセーションが生まれるから。それぞれと繫がり合うのではなく、むしろあのエネルギーそのものとコネクトしてひとつになっている、というか。あれは集団的なエネルギーだったし、なにもわたしたち4人だけの作り出すエネルギーではなかった。とにかく、口では説明しきれない(苦笑)。

(笑)でも、本のなかであなたはかなりがんばってあれを描こうとしましたよね。

コージー:ええ、そうよね! だから、音楽やアートをやるときと同じで、とにかくただ、それが「起きる」という感じ。でもそれって本当に、それ以前に起きた様々なことの組み合わせから生じるものなのよね。で、それらを(ライヴの場という)短い瞬間のなかに凝縮させていくと、どういうわけかすべてがまとまって、完璧なものになる。そういうことを意図的に引き起こすのは不可能だったし、とにかくそれが「起こった」。というのも、その場面に至るまでに過去にやってきたいろんなこと、そしてその場での精神状態とが合わさってああいうものが生まれたんだしね。だから自らをオープンにして、様々なことが通過していく「導管」になる、ということ。ある意味、瞑想をやるときに似ているわね。

TGにライヴ音源が多いのも、それだったんでしょうね。通常の「ロック・コンサート」ではなく、そのときの、その場の、人びとの記録だった、という。

コージー:そうね。

ちょうどこの9月に再発される『Mission Of Dead Souls』は、あなたが本のなかでもっともお気に入りのライヴのひとつに挙げているサンフランシスコでのライヴを収録したものですよね? 

コージー:ええ。

どうしてあのギグが印象に残っているんでしょう? 第1期TGの終わりを告げた作品だったから、ですか?

コージー:それは、自分がほとんどもう外側から音を発しているような気がした、そういう感覚を抱いた唯一のギグがあれだったから、だわね。わたしは実際あの場にいたけれども、でもあの場にいないような感覚があった、という。ほんと、さっきギグについて話したことと同じだけれども、それまでやってきたことのなにもかもが組み合わさってライヴが生まれるわけよね。で、あれは(第1期)TGが最後にプレイしたギグだったし、そのぶんすごいものにもなった、と。
 というのも、あそこですべてが、TGも、なにもかもが最後を迎えていたわけで。それにサンフランシスコ公演の前のロサンジェルスで、わたしたちは言い合いをしたわけよね──例の、あの問題人のせいで。あのときわたしたちは「サンフランシスコではちゃんと元に戻そう、まとまらないといけない」と話し合った。っていうのも、責任は自分たちにあったわけでしょ? あれがTGのラスト・ギグになることになっていたんだし、たとえお互いに対してどれだけ個人的な問題を抱えていたとしても、わたしたち全員が揃えばそれを越えたもっとすごいものになれるんだ、と。で、あのギグはまさにそういうものだったし、素晴らしかった。あのギグ以上にアメイジングだったものと言えば、TGが再結集して初めてやったアストリア公演に……それに、クリス&コージーの音楽を久々にやったとき、でしょうね。あの3本のギグが、わたしにとっては他のなによりも際立って記憶に残っている。

その『Mission Of〜』ですが、あらためて聴くとTGからクリス&コージーへの架け橋的なサウンドにも思いました。たとえばシングル“ディシプリン”以降のテクスチャーやビートは、その後クリス&コージーに受け継がれていくものじゃないかと。

コージー:その意見は興味深いわ。というのも、あの“ディシプリン”のリズムというのは、これは本当の話だけど……ほぼもう、スロッビング・グリッスルがはじまったのとまさに同じ頃から存在していたのよね。

ほう!

コージー:クリスの手元にはいろんな実験をやったテープが残っていて、彼は最近それらを聴き返したのね。で、あの“ディシプリン”リズムはそのテープに含まれていたし、あのテープは本当にごく最初期の、まだわたしたち4人がスロッビング・グリッスルとしてライヴを始める前に録ったもので。

そうだったんですか。

コージー:だからある意味、これも円が一周して閉じた、ということじゃない? クリスがあのリズムをやり始めていて、それと同じ頃にTGもスタートしていたわけよね。ところがあなたにとってあの“ディシプリン”のリズムは、その後のクリス&コージーに至るヒントをもたらすことになった、という。だからほんと、クリスなのよね、物事を繋ぎ止めていた「岩」の存在というのは。

でも、驚きですね。あのリズム/ビートは、その後のいわゆる「インダストリアル・ミュージック」のテンプレートになって、さんざんコピーされたわけですし。

コージー:ええ。本当に、パワフルなものよね。

でも、それはTGの始まりから存在していた、と。

コージー:だから、棒立ちで動かない人間のリズムを無視することはできない、ということで(苦笑)。

(笑)で、今回の3枚の再発で、ほかに『Journey Through A Body』と『Heathen Earth』を選んだのはどんな理由からですか?

コージー:あのすべてになんらかの繫がりがある、そうわたしは思っているから。この3枚のまとまりは、再発企画で同じグループに入れられた他のタイトルほどその理由は明確に映らないかもしれない。タイミングも異なる作品だしね。ただ、あの3枚はスロッビング・グリッスルについてなにかを語っていると思うし、でもそれはノーマルな文脈のそれではない、というか。だから、いつもとは違う……普通よく言われたり書かれてきたスロッビング・グリッスルに関するあれこれからは外れた作品群だ、と。だから、これらを同時に出すのは大切なことだと思ってる。

「アザー・サイド・オブ・TG」とでもいうか、より即興性の強い、ライヴでルーズな側面を物語る作品、ということですか?

コージー:というか、聴き手にも気づいて欲しいのよね。これらの作品もまた、いわゆる「スロッビング・グリッスルのアイコニックな楽曲」と看做されてきた、そういう曲群と同じ時期に生まれていたものだという点を。だから──スロッビング・グリッスルは「これ」というひとつの存在ではなかったわけ。TGは“ディシプリン”とか“ウィ・ヘイト・ユー”とか、そうした1曲に集約されるものではなかった。『D.o.A.』でやったアンビエント調の楽曲や『20ジャズ・ファンク〜』(のラウンジ〜ディスコ解釈)にしても、わたしたちはハードコアなライヴ・パフォーマンスをこなしながら同時にああいうこともやっていた、その点を考えてもらいたいな、と。だから、スロッビング・グリッスルというのは人びとの考える「インダストリアル・ミュージック」というもの、それ以上のなにかだったのよね。要するに、機械工具だの金属製品を買い込むだとか、そういうことではない、と。

(笑)ええ。

コージー:それにTGには、さりげないところもあったしね。だから、実験だった、ということ。わたしたちはあらゆる類いの実験をやっていた。たとえば金属塊をぶっ叩き、ハードなリズムを鳴らし、苦痛に喘いでいるようなヴォーカルをそこに乗っけるとか、それって安易過ぎでしょう? TGはそういうものではなかったし、もっとそれ以上のなにかだったから。

『D.o.A.』そして『20ジャズ・ファンク』のレコーディング過程に関するあなたの本での記述は、TG1作目『セカンド・アニュアル・レポート』のそれに較べると割と簡潔であっさりしている気がしました。あの2枚にあまり文字数を費やさなかったのはどうしてでしょう。

コージー:それはだから、作ったアルバムごとに「我々はいかにしてこの作品を作ったか」みたいに詳述した本を書くつもりは自分にはなかったから。それとか、レコーディングのテクニカル面に関する解説だとか。わたしがあの本で語りたかったのは、わたしがこの世界で経てきた体験についてだった。で、わたしがこの世界で体験した様々なことは、「このアルバムの録音には何インチのテープを使った」とか「どんなタイプのテープを使ったか」といった点に終始するものではない、と。スロッビング・グリッスルの用いた技術だったり使用機材に関する分析は他の人間もやってきたし、これからもその分析は続くでしょうしね。わたしもクリスと一緒になることでそうした面を知ったけれども、詳しいところまではわからない。ただ、あの本はそうした点についてのものではない。あれはわたし自身の人生についての本だ、という。

最後の質問になります。これまでの人生を振り返って、いろいろなピンチな局面があったと思いますが、やはり病に倒れたことは大きいと思います。そもそも、あなたが体調を悪くされていたこともこの本で知りましたが、最近はいかがでしょうか? 

コージー:その日ごとに症状を抑えてコントロールしなくてはならない、そういう状態ね。だから、とても、とても厄介。というか、(本に書かれた2014年までの頃よりも)いまのほうがもっと難しいことになっている。

ああ、そうなんですね……。

コージー:ええ。

これについて質問したかったのは、あなたをなんとしてでも来日させたがっている友人がひとりいるからなんですよ。

コージー:でも、この症状があるからわたしには無理ね(苦笑)。行きたくても行けない、その主な理由が心臓の病気だから。

長時間のフライトができない、と?

コージー:そう。それはいまや、アメリカも含んでいて(※2008年頃まではコージーもアメリカでツアーや展示をおこなっていた)。

ああ、そうなんですか。

コージー:ええ。それに……だからこれまでも、ブラジルだとか、世界各地から招聘は受けてきたのね。ただ、とにかく肉体的に、わたしにはそれらの招きに応じることができない、という。そんなわけで、わたしは来る日も来る日も自分の体調を管理しなくてはならないし、ときにはとても体調が良い日もあって、「よし、不調は消えた!」なんて思うわけだけど(笑)、2〜3日したら症状がぶり返して、安静にして薬を服用しなくてはならなくなったり……。ただ、これに関しては自分でもあまりえんえんと話したくはないの。というのも、いわゆる、病弱でめそめそした、そういう人間にはなりたくないから。
 そんなわけで、どうしてわたしが一部の招待や依頼を断るのか、そこを理解してくれない人は多いのよね。ただ、そうやって様々な招待を辞退している最大の理由は、実のところ、わたしが自分にあるエネルギーを使って仕事をやろうとしているから、であって。もちろん、ライヴだってわたしたちの仕事の一部ではある。けれどもいまの時点では、わたしは物事に優先順位をつけていかなくてはならない。というのも……とにかくいまのわたしにとって、(長旅を含む海外渡航は)肉体的にあまりに課題が大きいから。

日本の側でファン・ツアーを組織して、あなたがパフォーマンスするのを観にイギリスに出向くしかないかもしれませんね。

コージー:(苦笑)そうね。ただ、イギリス国内のギグですら難しいかもしれない。というのも、多くの人間は気づいていないでしょうけど、ギグというのは……たとえば、わたしはもう夜遅くまで演奏し続けることはできない。ところが、イギリスではライヴのトリは普通、夜が更けてから出演するものと思われているわけで(※イギリスのコンサートではヘッドラインは早くて9時半頃に登場。クラブ系のイヴェントでは出演が深夜を回ることもある)。単純な話、わたしにはそれは無理。そんなわけで、誘ってくれてどうもありがとう、でも、お断りします、という。

分かりました。今日は、お時間いただけて本当にありがとうございました。長々喋ってしまいすみません。

コージー:いいのよ、気にしないで。良い質問だったわ。

ありがとうございます。本の日本語版出版が楽しみですし──

コージー:わたしも。実際に本を目にするのが待ち遠しいわ! 素晴らしいでしょうね。

お元気になられることを願っていますので。どうぞ、お大事に。

コージー:ええ、ちゃんと自分の面倒は見るわ。あなたも、元気でね。

ララージ来日直前企画 - ele-king

 どうも最近、現代文明からの離脱の機運が昂まりつつあるように見える。ふだんからよく書店に足を運ぶ方は、年々「縄文」コーナーが充実していっていることにお気づきだろう(たとえば『縄文ZINE』は書評でとりあげようかと思ったくらい、ユーモラスでおもしろい)。日本だけではない。今年の夏は、まさにいま流行の「アントロポセン」というタームを体現するかのように、世界じゅうで酷暑が猛威をふるったけれど、その影響でイギリスでは新石器時代の遺跡の残像が地上に浮かび上がってきてもいる。産業革命以降のハイテクノロジーの時代へと回帰してくる、文明以前的なものの兆し。エイフェックス新作のアートワークに暗示されたコーンウォール由来のぐるぐるモティーフはたぶんもっと近代的なものなんだろうけど、にしても、このとち狂った現代社会からの逃走の回路が次々と発現しているのは興味深い。それは、ロハス的なものだったりマインドフルネス的なものとはまた異なる逃走のあり方である。

 1943年にフィラデルフィアに生まれたララージことエドワード・ラリー・ゴードンは、幼い頃にいくつかの楽器を学び、ワシントンではハワード大学へ通う。その後ニューヨークで役者として活動していたが、70年代に東洋の神秘主義と出会い、改めて音楽の道を目指すことになる。彼の代名詞となるツィターを手に入れたのもその頃で、自ら改造を施しつつNYのストリートでパフォーマンスを重ねていく。1978年には本名名義で『Celestial Vibration』を発表(2010年に〈Soul Jazz〉傘下の〈Universal Sound〉からリイシュー)。そうしてワシントン・スクエア公園で演奏している際に、訪米していたブライアン・イーノと出会い大きな転機を迎えることになるわけだけれど、ゴードンのツィターの奏法は、ちょうど「オブスキュア」から「アンビエント」へとコンセプトを発展させていたイーノにとっても新しい試みに映ったに違いない。ララージ名義の最初のアルバム『Day Of Radiance』は、「アンビエント」シリーズの第3作として1980年に〈Editions EG〉からリリースされることとなった。
 タイトルどおりきらきらと瞬くそのツィターの音の連なりは、たしかにアンビエントの領域を拡張したと言えるだろうが、他方でそれはエキゾティックな趣を携えてもおり、采配次第では同年のジョン・ハッセル『Fourth World』とも接続しうるポテンシャルを秘めていたのではないだろうか。しかしララージはむしろ80年代のニューエイジ・ブームのなかでその評価を高めていくことになる。1984年には100枚限定のカセットテープ『Vision Songs』を発表し、自身の歌まで披露(今年初頭に〈Numero Group〉からリイシュー)。実質的なセカンド・アルバムとなる『Essence / Universe』は1987年に〈Audion〉からリリースされ(こちらは2013年に〈All Saints〉からリイシュー)、ニューエイジ要素が全面化した長尺ドローンが展開されている。

 90年代に入ると、おもにイーノとかかわりの深い〈All Saints〉をとおして、マイケル・ブルックをプロデューサーに迎えたアンビエント作『Flow Goes The Universe』(1992年)や、オーディオ・アクティヴとコラボしたダブ作『The Way Out Is The Way In』(1995年、日本盤はのちに〈ビート〉から)などをリリースする一方、ビル・ネルソン、ロジャー・イーノ、ケイト・ジョンらとともにチャンネル・ライト・ヴェッセルを結成、80年代的な音響を維持しつつポップな要素を取り入れた『Automatic』(1994年)と『Excellent Spirits』(1996年)の2枚のアルバムを残している。そこまではある意味で時代との接点を保っていたとも言えるが、1997年の『Cascade』ではそれを完全に振り切り、リラクセイションの極みへと到達(副題は「Healing Music」。ちなみに、その2年後には日本で坂本龍一の「energy flow」がヒーリング・ミュージックとして大ヒットしているけれど、それは単なる偶然なのか、はたまた世紀末の一現象なのか)。その後00年代にも作品を発表してはいるものの、グライムやダブステップの時代にあって、次第にその影は薄くなっていったのではないだろうか。
 ところが10年代に入ってその風向きが変わる。上述の作品を含め、さまざまなレーベルからララージのリイシューが相次ぎ、新作も発表、コラボレイションも活性化していく。注目すべきはそのコラボ相手とレーベルだろう。2011年には〈RVNG〉からブルーズ・コントロールとの実験的な共作『FRKWYS Vol. 8』がリリースされているが、2015年から16年にかけてはマシューデイヴィッドの〈Leaving〉から、80年代に録音されていた音源を発掘した『Unicorns In Paradise』『Om Namah Shivaya』が発売。2017年の新作『Sun Gong』『Bring On The Sun』や、今年出たそれらのリミックス集『Sun Transformations』ではカルロス・ニーニョやラス・Gなど、明確にLAビート・シーンとのコネクションが堅固になっていく。さらに昨年はブラジルの大御所サンバ歌手、エルザ・ソアーレスをリミックスと、老いてますます現役感が増していっている。

 そのような再起の動きのなかでもとりわけ重要なのは、2016年のサン・アロウとの共作『Professional Sunflow』だろう。当時のニューエイジ・ブームの後押しがありつつも、それとは一線を画した実験的サウンドを響かせる同作は、ララージが他方でマインドフルネス的な文脈と親和的でありながらも、そこには回収されえない実験主義を標榜していることをも示してくれたのだった。

 80年代のニューエイジ・ブームが新自由主義の猛威に対応していたのだとするならば、この10年代にふたたびそれが勃興しているのは、資本主義が当時以上に加速していることのあらわれである、と結論づけることも一応は可能なんだろうけど、でも90年代や00年代だって世の中は相当ひどかったわけで、そんなふうにすっきりと整理できるものではない。しかし、そういった世相の反映はありつつも、〈RVNG〉と接触したりLAビートの文脈で再評価されたりしている彼の姿や、あるいはサン・アロウとの刺戟的なコラボ作を聴いていると、少なくともそれが資本主義のヴァリエイションのひとつでしかないロハス的なものとはかけ離れていることがわかるし、彼の奏でるニューエイジには逃避という一言だけでは片付けられない種々の可能性が孕まれているような気もしてくる。そんなニューエイジの微妙な揺らぎを体現するララージは、きたる来日公演においていったいどんなパフォーマンスを披露してくれるのか。それを目撃するのが楽しみでしかたない。


Laraaji Japan Tour 2018

澄み渡る空、開かれる静域。巨匠 Brian Eno に見出され、近年のニューエイジ/アンビエントの再興により生ける伝説となったNYCのパーカッション奏者/電子音楽家 Laraaji (ララージ)待望の単独初来日ツアー。

9.13 thu WWW X Tokyo
9.15 sat WWW Tokyo
9.16 sun Nanko Sunset Hall Osaka
9.17 mon Metro Kyoto

テン年代初頭よりエレクトロニック・ミュージックの新潮流の一つとして拡張を続けるニューエイジ/アンビエントの権化とも言える、ミュージシャン、パーカッション奏者、“笑い瞑想”の施術者でもある Laraaji (ララージ)の東京は単独公演、全席座りで2回のロング・セットを披露、大阪、京都を巡る待望の単独初来日ツアーが決定。そのキャリアは70年代のストリート・パフォーマンスから始まり、Brian Eno に発見されアンビエント・シリーズへ参加以降、Harold Budd、Bill Laswell、John Cale、細野晴臣、Audio Active などとコラボレーションを果たし、近年のニューエイジの再興から発掘音源含む再発で再び注目を集め、後世に影響を与えたオリジネーターとして新世代の音楽家 Blues Control、Sun Araw、Seahawks とのコラボレーション作品、遂には新譜もリリース、各国でのツアーやフェスティバルに出演し、ワールドワイドに活動の幅を広げている。風のようにそよぎ、水のように流れる瑞々しいアルペジオや朗らかなドローン、土のようにほっこりとしたソウルフルなボーカルや温かなアナログ・シンセ、ドラム・マシーン、テープ・サンプリング、瞑想的なアンビエントから時にボーカルも織り交ぜたパーカッシヴなシンセ・ポップ、ヨガのワークショップまでも展開。風、水、空、土といった自然への回帰と神秘さえも感じさせる圧倒的な心地良さと静的空間、情報渦巻く現代のデジタル社会に“癒し”として呼び起こされる懐かしくも新しいサウンドとヴィジョン、ニューエイジの真髄が遂に本邦初公開を迎える。

ツアー詳細:https://www-shibuya.jp/feature/009311.php

■9/13木 東京 追加公演 at WWW X
Title: Balearic Park - Laraaji - *FLOOR LIVE
OPEN / START 19:00
ADV ¥3,300+1D / DOOR ¥3,800+1D / U23 ¥2,800+1D
Ticket Outlet: e+ / Lawson [L:71297] / PIA [P:127-579] / RA / WWW *8/22(水)一般発売
LIVE: Laraaji / 7FO [EM Records / RVNG Intl.] / UNIT aa (YoshidaDaikiti & KyuRi) / Chihei Hatakeyama [White Paddy Mountain]
DJ: Chee Shimizu [Organic Music / 17853 Records]
more info: https://www-shibuya.jp/schedule/009420.php

■9/15土 東京 単独公演 at Shibuya WWW
Title: Laraaji - Tokyo Premiere Shows -
1st set OPEN 16:00 / START 16:30
2nd set OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥5,500+1D *各セット150席限定・全席座り / Limited to 150 seats for each set
Ticket Outlet: e+ / Lawson [L:73365] / PIA [P:125-858] / RA / WWW *8/1 (水) 一般発売
LIVE: Laraaji *solo long set
more info: https://www-shibuya.jp/schedule/009310.php

■9/16日 大阪 at Nanko Sunset Hall
Title: brane
OPEN 17:30 / START 18:00
ADV ¥4,800 / DOOR ¥5,500
Ticket Info: TBA
LIVE: Laraaji + more
Visual Installation: COSMIC LAB
info: https://www.newtone-records.com

■9/17月・祝 京都 at Metro
Title: Laraaji Japan Tour in Kyoto supported by 外/Meditations
OPEN 18:30 / START 19:30
ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000
Ticket Info: 公演日・お名前・枚数を(ticket@metro.ne.jp)までお送りください。
LIVE: Laraaji + more
more info: https://www.metro.ne.jp

https://laraaji.blogspot.com




Ava Luna @Music hall of Williamsburg


 以前コーネリアスをNYで見たときのオープニング・バンドがAva Lunaだった。そのときはコーネリアスに気を取られて気にしなかったのだが、昨日、彼らの新アルバム『Moon 2』のリリース・ショーに行ったら、キレキレ最高のパフォーマンスに圧倒された。
 2007年結成のブルックリン・バンドは、男女人種混合のソウル、ファンク、R&B、クラウトロック、ポストパンクなどのジャンルをミックスした5人組。メインのヴォーカルが3人(白人女子、ヒスパニック系女子、ラテン系男子)いて、楽器も曲毎に変わり、一曲一曲が全く別の構成になる。3重ハーモニーの美しさは、ダーティ・プロジェクターズを思わせるが、メンバーのフェリシア(ヒスパニック系女子)は、新ダーティ・プロジェクターズのツアー・メンバーでもある。彼らはそれぞれ別のプロジェクトを持ちつつ(Gemma、Jennifer Vanilla、NADINEなど)、ミスター・ツインシスター、スピーディ・オーティズ、フランキー・コスモスなどのプロダクションやアレンジを手伝ったりもしながら、この個性ある彼らが集まると、Ava Lunaになるところが自然なアウトプットなのだろう。
 彼らの良いところは、やり過ぎになりがちをギリギリに抑えている点にある。ハーモニーも良い塩梅を保ち、バランスを大切にしているし、突き出たシアトリカルなパフォーマンスでも、それぞれの役割を徹底して、お互いに出しゃばらない。だから全体を見たときに、きちんと纏まって見える(スタイリッシュな女子2人と、さえない文化系男子3人)。
 ことに歌のうまさとハーモニーには、目を見張るものがある。その風貌からは想像できない(失礼)、メインガイ、カルロスの甘いR&B声を聴いたときは、神様からの贈り物かと思った。昔は、彼が前面に出ていたのだが、現在は女子2人が前に出ていて、彼はあくまでバックを固めている。フェリシアの磁石のような息遣いのする声とグルーヴィな動き、レベッカのエキセントリックな声とコレオグラフィー的な動きが回転し、見ていて全く飽きないのだ。最後にはドラマーがギターを持ち(ドラムは打ち込み)、全員が前に出て演奏する一面もあった。可能性は無限に、アメーバの様な動きをするAva Lunaは、ブルックリンを代表する注目株だ。

 ちなみに、ペンシルベニアのファームキャンプでプレイしていたFleabiteのJadeが、Ava Lunaのサウンドを担当していた。彼女はBowery presentsのショーのサウンドを担当しているので、偶然ではないが(ファームキャンプでもサウンドを担当していた)、こうやって、ブルックリン・コミュニティが築かれていくのだろうと思い、ひと目でAva Lunaの物販だとわからないグッズたち(歌詞のタイトル “Steve Polyester!” のスウェットや、“do you moon?” のタイダイTシャツなど)を見ながら会場を後にした。

https://avaluna.bandcamp.com

https://en.wikipedia.org/wiki/Ava_Luna

https://fleabite69.bandcamp.com

Yoko Sawai
9/8/2018

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