「K A R Y Y N」と一致するもの

Kukangendai - ele-king

 エクスペリメンタル・ロック・バンドの空間現代が、グラフィックデザイナー三重野龍とのコラボレーションによる、またしても特別なライヴを試みる。
 前作「ZOU」は、2020 年に開催され、入場規制も行うほどの注目を集めた。「ZOU」では、空間現代の1時間1曲の「象」に三重野が描きおろしたグラフィックを、ライヴの VJ で重ねるという形でだったが、第二弾となる本作は互いに協動し、一から創作する完全新作となる。バンドの生演奏とスクリーン投影される三重野のタイポグラフィ、そして舞台装置などあらゆる要素が融合されたもので、新たな舞台芸術作品をへと向かう。
 12月9日〜11日の3日間、ロームシアター京都にて開催。
 なお、この公演は、若手アーティストの発掘と育成を目的にもしている。ロームシアター京都と京都芸術センターが協働して行うU35創作支援プログラム“KIPPU”の2022年度に選抜され、上演されるものでもある。

 また本公演の上演にあわせ、ロームシアター京都の2020年度自主事業として上演された前作、KYOTO PARK STAGE 2022「ZOU」の記録映像を期間限定・無料で再配信。
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/71183/

空間現代×三重野龍の初めてのコラボレーション「ZOU」の記録映像を期間限定・無料で再配信します!
配信日時:2022年11月15日10:00~12月11日24:00
配信場所:ロームシアター京都公式 YouTube チャンネル
https://www.youtube.com/@ROHMTheatreKyoto2016
https://youtu.be/PPD_Dwi_K-8


【公演概要】
ロームシアター京都×京都芸術センター U35 創造支援プログラム “KIPPU”
空間現代×三重野龍『汽』
日程:2022年12月9日(金)~ 12月11日(日)
   9日(金)19:00開演、10日(土)19:00開演、11日(日)15:00開演
会場:ロームシアター京都 ノースホール
音楽:空間現代
グラフィック:三重野龍
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/71183/

幾何学模様 - ele-king

 華やかだが割合落ち着いた色合いのジャケットからスリーヴを取り出し、ジャケットよりもわずかにぶ厚い、少しゴソっとした手触りのそれから、光沢のあるオレンジ色の盤を取り出す。盤を卓に載せて、針を落とす。分数はレコードAB面で48分。ぼくらはそのあいだ、スピーカーの前に「物理的に」釘付けになる──。多分、この作品の「体験」について描写をするなら、この書き出しが最も適切なのだと思う。

 今作、『クモヨ島』は幾何学模様の5作目のアルバムにして、活動休止を告げる最後の作品である。『クモヨ島』は、幾何学模様のいままでの作品で最も多彩なジャンルを横断するもので、日本民謡もインディー・ロックもアンビエントもスピリチュアル・ジャズもモーラムも、サイケデリック・ロックが持つ「なんでもあり精神」が縫い合わせていく。
 ただ面白いのは、A1 “Monaka”、A2 “Dancing Blue”、B1 “Cardboard Pile”、B5 “Yayoi,Iyayoi” などの幾何学模様流サイケデリック・ロックが聴ける楽曲のあいだには、A3 “Effe”、B3 “Daydream Soda”、B4 “Field of Tiger lilies” といった、まるでサイケデリックな演奏を少し遠くから眺めるような、どこか俯瞰した楽曲が挟まれていくことだ。アルバムを通してロック・バンドらしい熱狂は高まっていくよりも、絶えず横にずらされ、距離が取られる。それを最も象徴するのが、最終盤の展開だ。
 今作で最も熱いギター・プレイが堪能できるB5 “Yayoi,Iyayoi” の長くドラマチックなギター・ソロが作り出すクライマックス感は、イビキのようなサウンド・エフェクトが印象的なB6 “Nap Song” により煙に巻かれ、そして今作を締めくくるアンビエント・トラックB7 “Maison Silk Road” の、ここまでのアルバム展開をどこか懐かしむような、間延びした余韻が延々と続いていく。
 このアルバム構成は、ドラマチックな「終わり」を演出するより、むしろその「終わり」がうしろに、うしろにと、退却していくようなものに思える。この作品はジャンルの垣根を越えていると同時に、始まりがあって終わりがあるという、はっきりとした時間的な輪郭もぼやかしていく。

 それにしても、あらゆるジャンルを横断するのがもはや「マナー」ですらあるようないまの音楽シーンのなかで、この作品の横断性はどれほどの意味をもつのか、とも思う。だが、そうであるにしても、この作品の横断性には、「アジア的なもの」という縦糸が走っていることは見逃せない。特に冒頭1曲目の “Monaka” には、日本民謡的な歌メロのバックで、演歌テイストのエレキ・ギターと、タイのモーラム的なフレージングのシタールが交差する印象的な場面がある。それに──ぼくらはつい忘れてしまうが──ロック・ミュージックというのは欧米圏の民族音楽のヴァリアントのひとつなのである。そのことを思い出させるように、『クモヨ島』の横断線は、ロック・ミュージックをある地方の民族音楽のひとつと言わんばかりの軽やかさで通過していく。
 微妙に繰り返しになるが、その「軽やかさ」に「アジア的なもの」という地域的な重み付けがあることによって、『クモヨ島』の持つ多様さは、「民族音楽」や、「多文化」という、内実の欠如した抽象的な表現よりも一歩奥に進んでいるように思う。
 もちろん戦前の日本の蛮行を思えば、「アジア的なもの」という括りを使用することへの警戒感も忘れてはならないが、しかし、ここ数年で勢いを増した、あらゆる文化を包摂し、接続させようとする多文化主義的言説は、ただぼくらを「外」へ、あるいは「他者」へと、強迫神経症的に追い立てては五里霧中にしてしまうばかりで、そこで生み出された「横断」や「ハイブリッド」というマジック・ワードを通して、実際ぼくらはなにと、誰と親密になれたのだろうか。むしろ出会う必要がない文化やイデオロギー同士を無駄に衝突させ、他者を排除したいというバック・ラッシュを生み出したのがこの10年余りのあいだに起きたことではなかったか。
 少なくともぼくのような日本語話者にとって、『クモヨ島』という作品はドメスティックな輪郭の「外」に連れ出してくれる、というような単純なものではない。
 幾何学模様ははっきりとした歌詞を持たないバンドで、実際に歌詞が決まっていない楽曲がほとんどなわけだが、今作にはかなり多くの日本語の「切れ端」が散りばめられていて、それは何かしらの物語に発展していかないにしても、耳馴染みのある「日本っぽい」メロディとともに、「ここは親密な場所だ」という安心感を与えながら、しかしその日本語の「切れ端」にすぐさま意味の読み取れない音韻が挿入され、さらにサイケデリックなギターや、シタール、ベース、ドラムなどの楽器群がぶつかることで、まるで「内」に、ある「親密さ」に、もうひとまわりスケールが大きい厚みが与えられていくような、不思議な経験をもたらしてくれる。この作品のアートワークのメイン・モチーフが、「ソファ」という親密な領域に位置する家具だったことをあわせて考えると、このことは示唆的だ。

 確かに幾何学模様という作家自体、いまだに白人中心主義的な権威を引きずる「ロック・バンド」という形態のあり方を脱構築していく作家だったし、今作はあらゆるジャンルを水平方向に横断していくものだ。しかし、その「水平」はところどころでこぼこしていて、「手触り」があって、少しあやふやにしても、「アジア的なもの」という輪郭を持つ。「霧」を一挙に晴らしてしまう陰謀論や、構造的に言えばそれと大差ない数々のイデオロギーの代わりに、その「手触り」のわずかな確かさは、「霧」で覆われた「少し先」を照らし、歩く足がかりになるにではないか。
 それにこの地域的な軸を持つ横断性とは、こうした音楽的な意味での横断性とは別の次元でもいえることだ。幾何学模様は世界中を飛び回るツアー・バンドとして活動するかたわら、〈Guruguru Brain〉という自主レーベルを運営しており、自身らの作品のみならずアジア圏の作家の数々のリリースを手がけている。そしてバンドの活動休止発表後、その活動はむしろ加速し、次々と新しい作品のプレ・オーダーを募りはじめた。あるインタヴューでは、自分たちが埋めていたポストを空けることで、そこに別のアジア圏の作家が入っていけるようなサポートを今後はしていきたいとも彼ら自身語っており、幾何学模様の「終わり」は、そうした地域的横断性をより促進させ、文化的、経済的な循環を志向する一要素に過ぎないことが見えてくる。
 彼らはシーンのなかに屹立する「ロック・スター」になるよりも、ある共通性を持つ作家たちとともに、ひとつの圏域を形作る一要素になることを選んだ。その選択は『クモヨ島』のロック・バンド然としたプレイの後退とも関わることだろうし、今作の「終わり」のあやふやさともつながっているだろう。

 それにしても、世界中を飛び回っていた彼らが、最後に「島」の作品を残すというのはどういうことなのだろうか。もしかしたらそれは、『クモヨ島』という作品が、自身らが耽溺するサイケデリックな夢想だけではなく、その夢想が住まい、増え広がるための、エコノミー(生態系経済)にフォーカスを当てるものだからかもしれない。『クモヨ島』の、あるいは幾何学模様の、あやふやな「終わり」は多分未来につながっている。
 水平方向に進む横断線は、あらゆる「親密さ」を縫い合わせながら、通った先に微妙な「手触り」を残し、それは動物となり、鳥となり、植物となり、その「島」は育まれていく。そして、今作のメイン・イメージのソファに誰も座っていないことが示すように、その「島」を育むのは、〈Guruguru Brain〉を通して、この先彼らと共同していくアジア圏の作家たちでも良いし、当然、極東の島国で、『クモヨ島』に針を落とすだけのぼくらリスナーだっていい。

Koshiro Hino (goat & KAKUHAN) - ele-king

 バンドgoatを率いる一方、YPY名義でも電子音楽作品を発表している日野浩志郎。昨年は鼓童とのコラボ・プロジェクトがあったが、来る12月26日、大阪の枚方関西医大小ホールにて、goatとしては5年ぶりとなる国内公演が開催される。結成10周年を迎える2023年に向け、新作も準備中とのこと。
 そしてもうひとつニュース。日野がチェリストの中川裕貴と組むユニット「KAKUHAN」の初のアルバムが数日前にリリースされている。これが素晴らしい内容なのであらためてレヴューで紹介する予定ですが、そのKAKUHAN初の単独公演が今月の19日と20日、こちらは京都芸術センター講堂にて開催。
 年の瀬も押し迫るなか、日野浩志郎の動きから目が離せない。

日野浩志郎率いるバンド「goat」、約5年ぶりの国内公演開催が決定

電子音楽ソロプロジェクト「YPY」をはじめ、舞台作品「GEIST」や、太鼓芸能集団 鼓童とコラボレートした音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021年公開、豊田利晃監督)などで知られる音楽家・作曲家の日野浩志郎を中心に活動を行うバンド「goat」が、今年の12月26日に大阪の枚方にて約5年ぶりとなる国内公演を行うことが決定した。

オリジナルメンバーの日野、田上敦巳、安藤暁彦に加え、MANISDRON、The Noupのドラマー岡田高史と、元鼓童の篠笛・パーカッション奏者である立石雷の5人編成で活動中の「goat」は、来年2023年の結成10周年に向け、約8年ぶりとなる新作アルバムを制作中だ。

今回の公演は、アルバム収録予定の新作楽曲を交えたおよそ60分ほどの演奏となる予定。

会場となるのは、昨年開館したばかりの枚方市総合文化芸術センター内にある関西医大小ホール。客席は約300席、内装壁面にレンガを採用し、豊かな響きと遮音性にも優れたホールとなっている。

宣伝美術は画家の五木田智央、音響は新作のレコーディングエンジニアでもある西川文章が担当。

公演に合わせて会場限定物販の販売や、北加賀屋 club daphniaでのアフターパーティーも予定している。

[公演概要]

goat 枚方関西医大小ホール公演

日時 12月26日(月)18:30開場 / 19:00開演
会場 枚方市総合文化芸術センター 関西医大小ホール(大阪府枚方市新町2-1-60)
チケット 前売り 4,000円 / 当日 4,500円 / U25 3,000円(https://goat-hirakata.peatix.com/)

出演 goat(日野浩志郎、田上敦巳、岡田高史、立石雷、安藤暁彦)
音響 西川文章
照明 渡辺敬之
宣伝美術 五木田智央(アートワーク)、真壁昂士(デザイン)
主催 株式会社鳥友会
文化庁「ARTS for the future! 2」補助対象事業

[プロフィール]


goat

2013年に日野浩志郎を中心に結成したグループ。元はギター、サックス、ベース、ドラムの4人編成であるが、現在は楽曲によって楽器を持ち替えていく5人編成で活動している。極力楽器の持つ音階を無視し、発音させる際に生じるノイズ、ミュート音などから楽曲を制作。執拗な反復から生まれるトランスと疲労、12音階を外したハーモニクス音からなるメロディのようなものは都会(クラブ)的であると同時に民族的。
https://emrecords.bandcamp.com/album/new-games-rhythm-sound
https://goatjp.bandcamp.com/

《 goat after party 》
日時 12月26日(月)23:00開場
会場 club daphnia(大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-5-1)
チケット 当日 2,500円+1drink *goat枚方公演参加者は1,500円+1drink

出演者:
YAMA
MITAYO



YukiNakagawa2022

KAKUHAN「musica s/tirring」

開催日時:
2022年11月19日(土)・20日(日)
開場 14:30
開演 15:00(17時終了予定)

会場:
京都芸術センター講堂/フリースペース

出演者・スタッフ・クレジット:
出演 KAKUHAN(日野浩志郎、中川裕貴)
音響 西川文章
音響プログラミング 古館健
照明 渡辺敬之
美術 OLEO
舞台監督 十河陽平
宣伝美術 白石晋一郎(写真)、清田優(デザイン)

主催 株式会社鳥友会、京都芸術センター、公益財団法人京都市芸術文化協会

チケット料金:
前売り 3,000円
当日 3,500円
U25 2,000円

予約:
peatix
https://musica-stirring.peatix.com

京都芸術センターウェブサイト
https://www.kac.or.jp/events/32818/

京都芸術センター 窓口 [10:00-20:00]
〒604-8156 京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
*窓口販売のみ。電話・FAXによる予約は不可。

アクセス:
京都芸術センター
604-8156 京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
Tel: 075-213-1000 Fax: 075-213-1004
E-mail: info@kac.or.jp URL: https://www.kac.or.jp/

地下鉄烏丸線「四条駅」、阪急京都線「烏丸駅」
22番・24番出口より徒歩5分。
駐車場はございません。公共交通機関をご利用ください。

日野浩志郎と中川裕貴によるユニット「KAKUHAN」初の単独公演「musica s/tirring」を開催します。
大阪と京都を拠点とし、国内外で活動する日野と中川はそれぞれ、ライブ演奏だけでなく、舞台や映画の音楽制作などの多様な活動を続けるなかで、既存の音楽の範疇を逸脱しながら、音楽がもつポテンシャルに対して深い思考/試行を巡らせてきました。そうした両者は、オーケストラ公演など、これまで様々な作品を共に制作して作ってきましたが、デュオという最小単位での制作は、本公演が初めての機会となります。
公演タイトルの「musica s/tirring」は、日野と中川の制作コンセプトから名づけられました。「撹拌」を意味する「stirring」。それにスラッシュが付されることで、「s/t」という「セルフタイトル」を意味する表記が形づくられています。そうした語を「musica(音楽)」と結び付けること。すなわち、日野と中川は、音楽を攪拌することと、音楽そのものであることを、時に重ね合わせ、時に両者の間を往還することで、制作を行ってきたのです。
本公演では、そのようにして両者が制作した楽曲を「負(OU)」と「角(KAK)」というふたつに分けて構成し、京都芸術センターの講堂とフリースペースにて演奏を行います。


KAKUHAN - Metal zone

KAKUHAN is
Koshiro Hino - electronics
Yuki Nakagawa - cello

A1. MT-DMZ
A2. MT-STM
A3. MT-ZN1
A4. MT-BZSR

B1. MT-SS1
B2. MT-AUTC
B3. MT-RWV
B4. MT-ZUC

NKD06
Mastered by Rashad Becker
Mixed by Bunsho Nishikawa
Lacquer Cut by Loop-O
Artwork by Shinichiro Shiraishi
Art coordination by Yusuke Nakano
Designed by Takashi Makabe
Published by Edition Golfen & Reiten / Freibank

Koshiro HinoとYuki NakagawaによるKAKUHANの1stアルバム「Metal Zone」は「電子音楽/弦楽」、「現代音楽/クラブミュージック」、「トラディショナル/コンテンポラリー」、「フィジカル/メタフィジカル」、「作曲/即興」など、様々な異なる要素がそのユニット名の通り「攪拌」されている。それは、チェロと電子音、ヒトとマシーン、アコースティックとエレクトロニクスによる別の「レフトフィールド」のかたちとも言えるのではないだろうか。
これまでEM records、Workshop、WhereToNow?、Nous、Acido、BLACK SMOKER RECORDSなどから作品をリリースしているKoshiro Hino。彼の主な作曲作品として、電子音楽とエレクトロニクスのハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、Eli KeszlerやJoe Taliaなどをゲストに迎えて行ったシアターピース「GEIST」(2018-)、FUJI|||||||||||TAと共に作曲を行った「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)がある。そしてそれら全ての作品にYuki Nakagawaはチェロプレイヤーとして参加してきた。
Yuki Nakagawaは京都を中心に活動するチェリスト、作曲家、演出家。彼は独学でチェロを学び、独自で生み出した様々な特殊奏法やチェロを使用したライブエレクトロニクス演奏に長年取り組んでいる。また近年では自作のチェロ弓を使用した演奏も行うなど、「チェロ」という楽器のもつポテンシャルを最大限に引き出すパフォーマンスを10年以上にわたり行ってきている。ただこれまで正式なリリース音源はほとんどなく、このKAKUHANの音源は彼の貴重な演奏記録ともなる。
このデュオ「KAKUHAN」の音楽制作が半ば偶発的にスタートした。「GEIST」の制作の為にスタジオに入った二人だったが、息抜き的に即興演奏をエレクトロニクスとチェロで録音したことが活動の始まりとなった。二人は単なるライブや音源作品だけでなく、舞台芸術やダンス、映画などの音楽制作など、それぞれにジャンルをまたぎ幅広く活動してきたが、特にコンセプトや目的等を設けず音楽制作を開始することから多くの発見や様々な音が生み出された。その後も2021年に複数回にわたりレコーディングセッションを行い、デュオでのライブ活動も開始。2022年にユニット名を「KAKUHAN」とし、この作品がデビューアルバムとなる。
今回のアルバムはアートワークとして、イギリスの映画監督、舞台デザイナー、作家、園芸家であるデレク・ジャーマンの庭を写真家Shinichiro Shiraishiが撮影したものが使用されている。このアートワークの中にみえる人工物/自然物、具象/抽象、動的/静的のイメージは、KAKUHANの音楽のかたちをビジュアルとして現すものだ。KAKUHANの音楽には、デレクジャーマンの庭がそうであったように、自然/人工の間にひそむ何か、また様々な音楽の「状態」が在る。
「Metal Zone」の奥から聴こえるストリングの音や声(チェロは人間の声に一番近い楽器である)、響くビートや電子音は、現代音楽/クラブミュージックがこれまで遂げてきた変貌の道の上にある。電子音とアコースティック楽器の融合、楽器の音を電子化する、電子化された音から聴覚を通じて何かを想像することは、これまでの実験音楽や現代音楽でも行われてきたものだが、KAKUHANのこのアルバムから聴こえるものは、それをさらに別のものへと転化させている。
音楽の中で無自覚に生み出され、放置された様々な「ゾーン」をKAKUHANは今、さらに攪拌する。

20世紀のもっとも気色悪い、混乱させる、
超越的な小説、映画、音楽を扱い、
『資本主義リアリズム』の著者の新作にふさわしく、
読み応えがあって明確な主張がある。
──『クワイエタス』書評(2017)より

それがなぜ「奇妙なもの」に見えるのか?
「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」という混同されがちな感覚を識別しながら、
オルタナティヴな思考を模索する

H・P・ラヴクラフト、H・G・ウェルズ、フィリップ・K・ディック、M・R・ジェイムズ、
デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー、
クリスタファー・ノーラン、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、
ザ・フォール、ブライアン・イーノ、ゲイリー・ニューマン……
思想家、政治理論家、文化評論家マーク・フィッシャーの冴えわたる考察がスリリングに展開する、
彼の生前最後の著作にして、もう一冊の代表作。

目次


奇妙なものとぞっとするもの(不気味なものを超えて)

奇妙なもの
時空から生じ、時空から切り取られ、時空の彼方にあるもの──ラヴクラフトと奇妙なもの
現世的なものに抗する奇妙なもの──H・G・ウェルズ
「身体は触手だらけ」、グロテスクなものと奇妙なもの──ザ・フォール
ウロボロスの輪にとらえられて──ティム・パワーズ
シミュレーションと非世界化──ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとフィップ・K・ディック
カーテンと穴──デヴィッド・リンチ

ぞっとするもの
ぞっとするものへのアプローチ
何もないはずのところにある何か、何かあるはずのところにある無──ダフネ・デュ・モーリアとクリストファー・プリースト
消滅していく大地について──M・R・ジェイムズとイーノ
ぞっとするタナトス──ナイジェル・ニールとアラン・ガーナー
外のものを内へ、内のものを外へ──マーガレット・アトウッドとジョナサン・グレイザー
エイリアンの痕跡──スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー、クリストファー・ノーラン
「……ぞっとするものは残りつづける」──ジョーン・リンジー

訳者あとがき
参考文献
索引

マーク・フィッシャー(Mark Fisher)
1968年生まれ。ハル大学で哲学の修士課程、ウォーリック大学で博士課程修了。ゴールドスミス大学で教鞭をとりながら自身のブログ「K-PUNK」で音楽論、文化論、社会批評を展開する。『ガーディアン』や『ファクト』、『ワイアー』に寄稿しながら、2009年に『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉訳、堀之内出版、2018年)を発表。2014年に『わが人生の幽霊たち(五井健太郎訳、Pヴァイン、2019年)を、2016年に『奇妙なものとぞっとするもの』(五井健太郎訳、Pヴァイン、2022年)を上梓。2017年1月、48歳のときに自殺する。邦訳にはほかに、講義録『ポスト資本主義の欲望』(マット・コフーン編、大橋完太郎訳、左右社、2022年)がある。

五井健太郎(ごい けんたろう)
1984年生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はシュルレアリスム研究。訳書にマーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来(Pヴァイン、2019年)、ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』(講談社、2020年)、『絶滅への渇望』(河出書房新社、2022年)、共著に『統べるもの/叛くもの──統治とキリスト教の異同をめぐって』(新教出版社、2019年)、『ヒップホップ・アナムネーシス──ラップ・ミュージックの救済』(新教出版社、2021年)など。

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
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HMV
TOWER RECORDS
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

P-VINE OFFICIAL SHOP
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紀伊國屋書店
三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア
旭屋書店
有隣堂
TSUTAYA
未来屋書店/アシーネ
くまざわ書店

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わが人生の幽霊たち』重版出来!
2022年12月2日以降順次全国の書店に入荷予定

interview with Dry Cleaning - ele-king

 『Stumpwork』というのはおかしな言葉だ。口にしてみてもおかしいし、その意味を紐解くのに分解してみると、さらに厄介になる。「Stump(=切り株)」とは、壊れたものや不完全なもの、つまり枯れた木の跡や、切断された枝があった場所を指す。そして、そこに労働力(= work)を加えるのは奇妙な感じがする。

 「Stumpwork」とは、糸や、さまざまな素材を重ねて、型押し模様を作り、立体的な奥行きを出す刺繍の一種で、もしかしたら、そこにドライ・クリーニングの濃密で複雑なテクスチャーの音楽とのつながりを見い出すことができるかもしれない。しかし、まず第一に、この言葉が感覚的に奇妙でおかしな言葉であることを忘れないでいよう。

 フローレンス・ショウは、いま、英語という言語を扱う作詞家のなかでもっとも興味深い人物の一人であり、面白くて示唆に富む表現に関しての傑出した直感の持ち主である。アルバム・タイトルでもそうだが、彼女は言葉の持つ本質的な響きというテクスチャーに一種の喜びを感じているようだ。“Kwenchy Kups”という曲では、歌詞の「otters(発音:オターズ)」という単語で、「t」を強調し、後に続く母音を引きずっているのが、音楽らしいとも言えるし、ひそかにコミカルとも言える。また、「dog sledge(*1)」、「shrunking(*2)」、「let's eat pancake(*3)」といった言葉や表現には、「あれ?」と思うくらいのズレがあるが、言語的な常識からすると、訳がわからないほど逸脱しているわけではなく、ちょっとした間違いや、型にとらわれない表現の違和感を常に楽しんでいることがうかがえる。このような遊び心あふれるテクスチャーは、「Leaping gazelles and a canister of butane (跳びはねるガゼルの群れと、ブタンガスのカセットボンベ)」のような、幻想的なものと俗なものを並列させる彼女の感性にも常に息づいている。ドライ・クリーニングの歌詞は、物語をつなぎとめる組織体が剥ぎ取られ、細部と色彩だけが残された話のように展開する。何十もの声のコラージュが、エモーショナルで印象主義的な絵画へと発展していくのだ。

*1: 正しくはdog sled(=犬ぞり)。「Sledge」はイギリス英語で「そり」なので、dogと合体してしまっているが、dog sledが正確には正しい。
*2: 正しくはshrinking(=収縮)。過去形はshrank、過去分詞はshrunk、現在進行形はshrinkingでshrunkingという言葉は存在しない。動詞の活用ミス。
*3: 正しくはLet’s eat a pancakeもしくはLet’s eat (some) pancakes。文法ミス。冠詞が入っていないだけだが、カタコト風な英語に聞こえる。

 音楽性において『Stumpwork』は、彼らの2021年のデビュー作『New Long Leg』(これも素晴らしい)よりも広範で豊かなパレットを露わにしている。ドライ・クリーニングのサウンドは、しばしばポスト・パンクという伸縮性のある言葉で特徴付けられ、トム・ダウズの表情豊かなギターワークからは、ワイヤーの尖った音や、フェルトやザ・ドゥルッティ・コラムの類音反復音を彷彿とさせるような要素を聴くことができるが、彼は今回それをさらに押し進めて、不気味で酔っ払ったようなディストーションやアンビエントの濁りへと歪ませている。ベーシストのルイス・メイナード、ドラマーのニック・バクストンは、パンクやインディの枠組みを超えたアイデアやダイナミクスを取り入れた、精妙かつ想像力豊かなリズムセクションを形成している。オープニング・トラックの“Anna Calls From The Arctic”では、まるでシティ・ポップのような心地よいシンセが出迎えてくれるし、アルバム全体を通して、予想外かつ斜め上のアレンジが我々を優しくリードしてくれる。このアルバムは、聴く人の注意を強烈に引きつけるようなものではなく、煌めくカラーパレットに溶け込んでいく方が近いと言えるだろう。

 だがこの作品は抽象的なものではない。現実は、タペストリーに縫い込まれたイメージの断片に常に存在するし、自然な会話の表現の癖を捉えるショウの耳にも、そして彼女の蛇行するナレーションとごく自然に会話を交わすようなバンドの音楽性とアレンジにも存在している。ある意味、このアルバムはより楽観的な感じがあって、人と人がつながる幸せな瞬間や、日常生活のささやかな喜びに焦点を当てているのだが、やはり、フローレンスの歌い方は相も変わらず、不満げで、擦れた感じがある。イギリスの混乱した政治状況は、曲のタイトル“Conservative Hell”に顕著に表れているのだが、私は、とりわけ混乱した状況の最中にトムとルイスと落ち合うことになった。イギリス女王は数週間前に埋葬されたばかりで、リズ・トラス首相の非現実的な残酷さが、ボリス・ジョンソンのぼろぼろな残酷さに取って代わったばかりで、リシ・スナックの空っぽで生気のない残酷さにはまだ至っていないという状況だった。

 3年ぶりにイギリスを訪れた私は、いきなりこんな質問で切り出した。

最近のイギリスでの暮らしはどのような感じですか?

トム:ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。まあ、良い点としては、次の選挙で保守党が落選することだろう。デメリットは、保守党落選まで、俺たちは、彼らが掲げる馬鹿げた政策に付き合わなければならないってことだね。

ルイス:うちの妹みたいに政治に全く興味のない人でも、「ショックー! マジでクソ高い!」って言ってるんだ。 請求書や食料の買い出しなど、いまは本当にキツイ状況になってる。

トム:まさにその通りだね。もし次の選挙で負けたいなら、国民の住宅ローンをメチャクチャにしてやればいい!


by Ben Rayner(左から取材に答えてくれたギターのトム、中央にベースのルイス、そしてヴォーカルのフローレンスにドラムのニック)

ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。

私の家族も同じようなことを言っていますよ。さて、この話題をどうやって新しいアルバムにつなげようかな......(一同笑)。先ほど、普段通りの生活をしながらも、現在の状況が断片的に滲み出てきているとおっしゃっていましたね。もしイギリスの政治情勢がアルバムに影響を与えているとしたら、それは日常生活のなかに感じられる、そういったささやかな断片なのだと思います。例えば、ある曲でフローレンスは「Everything’s expensive…(何から何まで物価は高いし...)」と言っていますよね。

トム: 「Nothing works(何をやっても駄目)」そうなんだよ。俺たちがフローの歌詞についてコメントするのはなかなか難しいんだけど、彼女は、ひとつのテーマについて曲を書くということは絶対にしない人なんだ。彼女の曲を聴いていると、脳の働き方がイメージできる。俺は以前、自転車に乗っていて車に轢かれたことがあるんだが、気絶する直前、不思議なことがいろいろと頭に浮かんできたんだ。でも、さっき俺が言った「いままでと同じような感じで進んでいる」というのは、「いままでと同じような感じで進んでいるけど、すごく抑圧的な空気が影に潜んでいる」という意味なんだ。それでも仕事に行かないといけないし、請求書も払わないといけないし、日常のことはすべてやらないといけない。ただ、政治情勢がね……俺たちは12年間この状況にいたわけで、少しでも好奇心や観察力がある人なら、その影響を受けていると思うよ。

ルイス:俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

(ドライ・クリーニングの音楽を)聴いていると、何かの断片が自分を通り越していくような感じがするんです。

トム:でも、ランダムってわけじゃない。彼女は、歌詞を一行書くと、次は、逆の内容を書くという性分みたいなものがあると思う。響き的にも、テクスチャー的にも、コンセプト的にも、まったく違うものを書くんだよ。例えば、絵を描くときに、すべての要素がうまく調和するようにバランスをとっているような感じかもしれない。

ルイス:俺たちが自分たちのパートを演奏することで彼女の歌詞に反応するという、会話みたいなことをたくさんやっているんだ。

(アルバムには)日常生活の断片のような一面もあるので、自分たちでアルバムを聴いていて「あ、この会話覚えてる……」と思ったりすることはあるんですか?

トム:ああ、たしかに俺たちの言ったこととか、自分がいた場で友だちが言ったこととかが、歌詞に入ってるよ。

ルイス:俺たちの演奏と同じように、彼女も即興で歌詞を書くことが多いし、あらかじめ考えたアイディアも持っている。バンドで演奏しているときは、その場の音がかなりうるさいから、ヴォーカルだけ別録りして、フローが言ったことを自分で聴き返せるようにしたんだ。今回のアルバムでは、ファーストよりも、レコーディングのプロセスで歌詞を変えていたことが多かったみたいだけど、それほど大きな違いはなかったと思う。

トム:それは、スタジオでの即興をたくさんやったからということもある。でも、だいたいの場合、フローは俺たちが曲を作り始めるタイミングと同じ時に作詞をはじめるんだ。曲を書きはじめる時はみんなで集まって、ルイスが言っていたように、フローがやっている何かが、俺たちのやっていること、つまりサウンドに影響することがよくあるんだよ。“Gary Ashby”を作曲しているときは、フローが、行方不明になった亀について歌っていると知った時点で、こちらの演奏方法が変わった。フローが言っていることをうまく強調する方法を探したり、フローの歌詞をもっと魅力的にできるように、もっとメランコリックにできるように工夫する。以前なら使わなかったマイナーコードなどを使うかもしれない。音楽を全部作った後に、彼女が別の場所で歌詞を書くということはめったにないよ。もっとオーガニックな形でやってるんだ。

ルイス:俺たちは、他のメンバーへの反応と同じような方法で、フローにも反応する。俺がドラムに反応するのと同じように、彼女のヴォーカルにも反応するし、その逆もしかり。(フローの声は)同じ空間にある、別の楽器なんだ。

初期のEPや、特に前作と比べて、(作曲の)アプローチはどのように変化したのでしょうか?

トム:作曲のやり方はいまでも変わらないよ。基本的にみんなでジャムして作曲するんだ。

ルイス:携帯電話でデモを録ることが多いね。みんなでジャムしていて、「これはいい感じだな」と思ったら、誰かが携帯電話を使って録音しはじめる。そして、翌週にその音源で作業することもあれば、半年間放置されていて、誰かが「そういえば、半年前のジャムはなかなか良かったよな」って思い出すこともある。ほとんどの曲はそんな始まり方だよ。今回はスタジオにいる時間が長く取れたから、意図的に、曲が完成されていない状態でスタジオに入ったんだ。

トム:そう、アプローチの違いは、基本的に時間がもっと使えたということ。前回は2週間しかなくて、なるべく早く仕上げないといけなかった。

ルイス:それに、ファースト・アルバムのときは、事前にツアーをやっていたから、レコーディングする前にライヴで演奏していた曲もあったんだ。今回は、ツアーができなかったから、アルバムをレコーディングし終わって、いまはアルバムの曲を練習しているところなんだ。

なるほど。曲を作曲している段階で、観客の存在がなかったということが、この作品のプロセスにどのような影響を与えたのか気になっていました。

トム: 実際に曲をライヴで演奏して試してみないとわからないから、何とも言えないね。その状況を受け入れるしかなかったよ。ライヴで曲を演奏することができなかったから、自分たちがいいと思うようなアルバムを作ることにしたのさ。

ルイス:(自分たちの曲を)聴くってことが大事だと思う。スタジオでは、また違った感じで音が録音されるから。スタジオで実験できるのはとてもいいことだし、俺たちの曲作りのプロセスには聴き返すという部分が多く含まれている、ジャムを聴き返すとかね。もし俺たちがレコーディングして、それを聴き直して編集するという作業をしていなかったら、ほとんどの曲は、演奏していて一番楽しいものがベースになるだろうけど、実際はほとんどそうならない。聴き返すということをちゃんとしているから。ライヴで演奏できなかったけれど、結局、同じようなことが起こったと思う。つまり、何が演奏して楽しいかよりも、何が良い音として聴こえるか、ということに重きが置かれることになるんだ。

トム:それと、1枚目のアルバムで学んだのは、あるひとつの方法でレコーディングしたからといって、必ずしもそれがライヴで再現される必要はないということ。だから、今回のアルバムをいまになって、またおさらいしているんだ。アルバムには絶対に入れるべき要素もあるけれど、また作り直していいものもある。『New Long Leg』のツアーでは、“Her Hippo”と“More Big Birds”に、新しいパートを加えたり、尺を長くしたりしていたから、この2曲は(アルバムヴァージョンより)少し違う曲になったんだ。

ルイス:偶然にそうなるときもあるよね。ツアーを通して、曲が自然に進化していくこともある。

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俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

今回のアルバムを聴いていてしばしば感じたことなのですが、曲が自然な形で完結し、これで終わりかなと思ったらまた戻ってきて、それが時にはそれまでとは全く違う感じになっているということがありました。それも、スタジオで色々と作業する時間が増えたからなのでしょうか?

トム:それにはいくつかの要因があると思う。まず、“Every Day Carry”を作ったときは、初めてスタジオで三つのパートを作って、そのなかでも即興演奏を加えたりした。“Conservative Hell”のときは、曲の最後の部分は、曲の最初の部分を完成させてから、何かが足りないと感じていたところに、ジョン(・パリッシュ、プロデューサー)が、何か作り上げようという気にさせてくれたから、出来たものなんだ。

ルイス:ファースト・アルバムでは、ジョンは曲を短くするのがとても上手だったけど、“Every Day Carry”では曲を伸ばそうという意図があった。ジョンにとっても、そのプロセスが実は楽しかったみたいだ。セカンド・アルバムのときも、ジョンはまた曲を短くするんだろうと覚悟していたんだけど、彼はもっと曲を伸ばそうとしていた。長くするのを楽しんでいたみたいだった。「曲は長い方がいいんだ!」とか言って。ジョンが曲を長くしてくれたことに、俺たちは驚きだったよ。

プロデューサーのジョン・パリッシュのことですね?

ルイス:そう。

ジョン・パリッシュは、私の地元ブリストル近辺の出身なんです。彼は、私が大好きなアルバム、ブリリアント・コーナーズの『Joy Ride』をプロデュースしたんですよ……(一同笑)。彼が他にも、さらに有名なアルバムを手がけているのは知っていますけど、私はとにかくブリリアント・コーナーズが大好きなんですよね。

トム:それがジョンのいいところだよね。自慢話をするような人ではないし、あまり有名人の名前を出したりしないんだけど、一緒に夕食をとっているときに、何か言ったりする。ジョンがトレイシー・チャップマンのレコードを手がけたって言うから、俺は「何だって!?」と思ったよ。彼にはそういうエピソードがあるんだけど、それは自然に彼から引き出さないといけないんだ。

ジョンとの制作は2回目ということで、親しみもあり、リラックスした雰囲気で仕事ができたのでしょうか?

トム:そうだね、それにはいくつかの理由があると思う。まず、自分たちの状態が安定していたということ。『New Long Leg』が好評だったことも自信につながったし、あの時点では、もっと大規模な公演にも出ていたから、とにかく気持ちが楽だったんだ。最初のアルバムでは、テイクを重ねながら、「これは絶対に素晴らしいものにしないといけないから、俺は全力を尽くさねば!」なんて思っていたんだけど、実際には、そんなこと思わなくていいんだと後で気づいた。アルバムを制作するということはとても複雑なことで、本当に数多くの段階があるから、ミキシングとマスタリングが終わる頃には、自分がそもそも何をしようとしていたのかさえ、すっかり忘れているんだ。だから、今回のアルバムでは、ある意味、ありのままを受け入れた。良いテイクを撮ろうとはするけれど、ジョンが満足すれば、次の作業に移るということをしていた。

ルイス:それにファースト・アルバムでは、ジョンと会った直後にレコーディングしたんだ。彼に会って、ほんの数時間で“Unsmart Lady”を録音して、次の曲に移って、また次の曲に移ってという感じ。バンドとして演奏する時間があまりなかったんだ。

トム:そうそう、それに前回は、彼が「それは嫌だから、変えて」とか言うもんだから、耐性のない俺たちにはショックだったよな(笑)。

ルイス:そうそう、で、トムは「え、今からですか?」ってなってたよね。前回は、日曜日に休みが1日だけあって、土曜日にジョンに「それは嫌だから、明日の休みの日の間に変えてくれ。では、月曜日に!」って言われたんだ。

トム:でも、前回のセッションが終わるころには、俺たちはすっかり溶け込んでいた。ジョンの仕事の仕方が気に入ったし、彼のコメントを個人的に受け止めなくていいってことが分かった。それに俺たちの自信もついたし、バンドとして少したくましくなったから、彼のコメントにもうまく対処できるようになった。だから、2枚目のアルバムでは、もしジョンが何かを違う風にやってみろと言ったら、俺たちは素直に違うやり方を模索した。

ルイス:それに、今回は音源に何か変更を加えるためにスタジオ入りしたという感じもある。最初のアルバムでは、多くの曲を既にライヴで演奏していたから、みんな自分のパートやアイデアに固執してしまっていて、それを変えるのは難しかった。でも今回は、もっとオープンな気持ちで臨んだんだ。

今回のアルバムは、ファースト・アルバムに比べて音の質感がかなり広がった感じがあります。それは自然にそうなったのでしょうか、それとも何か意識的に音を広げる要素があったのでしょうか?

トム:俺たちの音楽の好みが広いから、そうなることは自然だと思うんだよね。もし、もっと時間があれば、俺はアンビエント系のプロジェクトをやりたいと思うし、ルイスと一緒にメタル・バンドをやりたいとか、いつも思うんだよ。ニックはきっと何らかのダンス・ミュージックをやるだろうな。

ルイス:ドライ・クリーニングは、そうしたすべてのアイデアをさまざまな方向にうまく展開させた、素敵なコラボレーションなんだ。

トム:ルイスが1枚目のアルバムから今回のアルバムへの移行を説明したように、1枚目のアルバムでは、様々な方向に進むための余白がほとんど残っていなかった。2枚目のアルバムでは、そこから少し先に進めたという感じ。そして、もし次のアルバムを作る機会があれば、できれば3枚目のアルバムでは、さらにそれを発展させたいと考えているんだ。いろいろな道を模索していきたいと思っている。だから、もう少しアンビエントな方向に行きそうなときでも、「いや、こういう音楽は作りたくない」とはならずに、その流れに乗ることができるんだ。俺たちは、すでにそういう音楽が好きだからね。

ルイス:それに、スタジオで何ができるかということもいろいろと学んでいる。最初のEPはデモみたいなもので、2、3時間でレコーディングした。スタジオで演奏する時間があまりないから、リハーサルルームでいい感じに聴こえたものを、自分のパートとして書き留めていくような感じだった。2枚目のアルバムでは、スタジオ用に曲を書いていたという意識が強かった。曲を書いていて、トムが「この上に12弦ギターを乗せるべきだ!」などと言い出したりね。キーボードのパートがあったとしたら、ニックが静かに演奏しながら「アルバムではもっと大音量にするけど、こうやって弾くとすごくいい音になるんだよ」と言ったりね。そういう実験がもっとできるようになったんだ。

そのアンビエントな感じがもっとも顕著に表れているのが“Liberty Log”ではないかと思いますが、スポークン・ワードが大部分を占める曲のために作曲することというのは、従来のポップ・ソングのヴァース、コーラス、バースという構成に比べて、別のやり方で音楽を構成していくことになるのではないかと思うのですが。

ルイス:メンバーの誰かが「じゃあ、そろそろコーラスを演奏してみるか?」と言うんだけど、他のメンバーが「どれがコーラスなの?」って聞き返すことが何度もあったよ。

トム:そうそう、「どれがコーラス?」って。

ルイス:それで、どこがでコーラスなのか、みんなで決めるんだよ。

トム:それは実は良い傾向だと思うんだ。俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。たしかにミュージシャンとして、いろいろなものを取り入れる余地が与えられているように感じられるね。“Hot Penny Day”を書きはじめたとき、俺が最初にメイン・リフを書いたんだが、それは、『山羊の頭のスープ』時代のローリング・ストーンズみたいなサウンドに聴こえたんだけど...。

ルイス:誰かが、それをぶち壊したんだよ!

トム:それをルイスに聴かせて、一緒に演奏し始めたら、スリープみたいなストーナー・ロックみたいなものに変わり始めて、よりグルーヴィーになったんだ。

ルイス:そこにフローが加わると、一気にドライ・クリーニングのサウンドになるんだ。彼女の声や表現が、俺たちの音楽に幅を与えてくれていると思う。

トム:ミュージシャンとして、このメンバーと5年間一緒に仕事をしてきて、みんなそれぞれ、音のモチーフがあると思うんだ。ルイスだとわかる音があり、ニックだとわかる音があり、彼らにも俺だとわかる音がある。でもフローは間違いなくドライ・クリーニングという世界で、すべてを錨のように固定して、支えている存在なんだ。

by Ben Rayner

俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。

あなたがたが過去に活動していたバンド、サンパレイユとラ・シャークの作品を聴いていたのですが、例えばサンパレイユは一見パンク・バンドですが、わかりやすいパンク・バンドではないし、ラ・シャークは少しインディ・ポップ・バンドっぽいですが、これまたわかりやすいバンドではないように感じます。常に予期せぬ角度から攻めている気がするんです。

トム:俺たちが過去にいたバンドをチェックしてくれたのはすごく嬉しいよ! ドライ・クリーニングを理解するには、俺たちが過去にやってきたことがルーツになっていると思うからね。あなたが言う通り、俺たちは音楽の趣味が広い。俺が最初に経験した音楽はパンクやハードコアのバンドだったけど、スタイル的にかなり限界があると思っていたんだ。速い音楽のカタルシスも好きなんだけど、REMのメロディも好きなんだよ。ラ・シャーク(の演奏)は何度か見たことがあるけど、彼らは、明らかに歪んだ感じのポップ・バンドだったけど、後期の作品はインストゥルメンタルなファンカデリックのようなサウンドだったんだ。そんなわけだから、自分たちのいままでの影響をすべてひとつのバンドに集約するには時間が足りないんだよ。

ルイス:俺は運転中に、ふたつのバンドを組み合わせたらどうなるかっていう妄想をいろいろするんだけど、トムやニックやフローに会ったときに、そのアイデアを話すんだ。すると、彼らは「それ、やってみようよ!」と言ってくれる。で、やってみると、やっぱりドライ・クリーニングになるんだよね。ニュー・アルバムからフローのヴォーカルを抜いたら、いろんなジャンルに落とし込めそうな素材がたくさんあると思う。

フローレンスはすべての中心にいて、バンドのアイデンティティを束ねているとのことですが、同時に、彼女は少し離れているようなところもありますよね。新作では、ミックスの仕方だと思うのですが、以前よりもさらに、バンドがどこかひとつの場所で演奏しているように聴こえるのに、彼女のヴォーカルが入ってくると、まるで彼女が耳元で歌っているように聴こえるんです。まるで、自分がステージ上のバンドを観ているときに女性が耳元で囁いているような。

ルイス:それを聞いて、フローがバンドに入った経緯を思い出したよ。たしか、トムがバンド(の音楽)を演奏していたときに、フローがそれにかぶせるようにしゃべったのがはじまりだったね。

トム:俺たちは一緒にヴィジュアル・アートを学んでいて、当時は二人とも漫画の制作をしていて、その話をするために会ったんだ。彼女が「最近は他に何してるの?」と聞いてきたから、「ルイスとニックとジャムしはじめたよ」と答えた。そのときにちょうどデモがいくつかあったから、彼女に聴いてもらった。彼女はイヤホンを取り外して、「ふーん、面白いわね」と言って、喋りを再開したんだけど、まだイヤホンから音が出ていて、音楽が聴こえてきて、彼女の声がそれにかぶさっていた。ジョンが俺たちのバンドのことで一番興味があるのは、どうやってフローの声をミックスするかと言うことだと思うんだ。このアルバムでは、彼女の息づかいがかなり感じられるようになっている。フローはとても繊細なパフォーマーだから、彼女がするちょっとした仕草、例えば舌の動きとか、そういったごく小さな音も、ジョンは確実に取り込もうとする。このことについて、ジョンがインタヴューで語っているのを読んだことがあるけど、彼女がやっていることすべてを聴かなければならないと言っていた。それが第一で、それをベースにしてミックスを構築して、バンドの音を加えているんだ。

ルイス:レコーディングの時はいつも彼女も同席して、同時に彼女のトラックも撮る。スタジオには、隔離された部屋がいくつもあるから、俺のアンプは1つの部離すためにかなりの工夫がされているから、バンドの音の影響をあまり受けないようになっているんだ。トムが言ったように、ジョンはその点にかなり重点を置いている。

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The texture of broken things

by Ian F. Martin

Stumpwork is a funny word. It feels funny in your mouth, and it only gets more awkward once you start breaking it down to untangle its meaning. A stump is a broken or incomplete thing — the remains of a dead tree or the place where an amputated limb used to attach — and it seems like a strange thing to dedicate one’s labour toward.

It refers to a form of embroidery where threads or other materials are layered to create an embossed, textured pattern, giving a feeling of three dimensional depth to the image, and perhaps in this we can reach out and contrive a connection with the increasingly rich and intricately textured music of Dry Cleaning. But we shouldn’t forget that it’s first and foremost a viscerally strange and funny word.

Florence Shaw is one of the most interesting lyricists in the English language right now, and she has a remarkable instinct for interesting and evocative phrasing. Just as with the title itself, she seems to take a sort of joy in the inherent sonic texture of a word — the way she hangs on the hard t and trailing vowels of the word “otters” in the song Kwenchy Kups is both musical and quietly comical. There’s a constant delight in the awkwardness of small errors and unconventional phrasings that reveals itself in words and expressions like “dog sledge”, “shrunking” and “let’s eat pancake” that deviate disconcertingly but never incomprehensibly from linguistic norms. This playful texture is also ever-present in her instinct for juxtaposing the magical and the mundane that results in lines like, “Leaping gazelles and a canister of butane”. Dry Cleaning’s lyrics play out like a story where the connecting tissue of narrative has been stripped out, leaving only the details and colour — a collage of dozens of voices that adds up to an impressionistic emotional tableau.

Musically, Stumpwork reveals a broader, richer palette than the band’s (also excellent) 2021 debut full-length New Long Leg. The band’s sound has often been characterised with the elastic term post-punk, and you can hear elements that recall the choppy angles of Wire or the chiming sounds of Felt and Durutti Column in Tom Dowse’s expressive guitar work, but he takes it further this time, twisting it into queasy, drunken distortions or ambient haze. Bassist Lewis Maynard and drummer Nick Buxton make for a subtle and imaginative rhythm section that brings in ideas and dynamics from beyond punk and indie tradition. Smooth washes of almost city pop synth welcome you into opening track Anna Calls From The Arctic, and unexpected and oblique arrangements pull you gently one way and another throughout the album. It’s not an album possessed of an urgent need to grab your attention so much as a shimmering palette of colours to melt into.

It’s not an as disaffected and worn as ever. Britain’s confused political situation filters through, most explicitly in the song title Conservative Hell, and I catch up with Tom and Lewis in the middle of a particularly chaotic moment. The Queen has just been buried a couple of weeks prior, and the delusional cruelty of prime minister Liz Truss has recently replaced the ramshackle cruelty of Boris Johnson, but not quite yet given way to the vacant, lifeless cruelty of Rishi Sunak.

It’s been three years since I last had a chance to visit the UK, so I open with a big question.

IAN: So what’s it like living in Britain these days?

TOM: If you look at the news, it’s a living nightmare. Beyond that, though, things just carry on kind of as they were before, really. One thing that I think has happened now with the new prime minister is that this is the nadir: this is the endgame of Conservative politics. We’ve had twelve years of austerity and no growth, and even high ranking MPs are sort of admitting that they need to be an opposition party now. So one good thing about that is that the Conservatives are going to get voted out in the next election. The downside is that until that happens, we have to live with the stupid policies they have.

LEWIS:Even someone like my sister, who totally ignores it, even she’s like, “It’s shocking; it’s really fucking expensive!” — the bills, the food shopping, it’s getting really tough now.

T:That’s a really good point. If you want to lose the next election, fuck with people’s mortgages!

I:I’m hearing similar things from my family too, yeah. So seeing if I can segue this into the new album… (everyone laughs) What you were saying earlier about life going on as normal but with little pieces of the situation coming through, it feels like if the political situation in the UK informs the album, it’s in these little fragments filtering through normal life, like at one point Florence just remarks, “Everything’s expensive…”

T:“Nothing works.” Yeah, it’s quite difficult for us to comment on Flo’s lyrics, but she’s definitely the kind of person who wouldn’t make a song about one subject. Her songs remind me of the way your brain works. I remember being hit by a car on my bike once, and on the edge of the void there’s all sorts of strange things that come to your mind. But I should clarify what I said earlier about how everyone’s just getting on with things: everyone’s just getting on with things but under a very oppressive shadow. You still have to go to work, you still have to pay your bills, you still have to do all the normal things, it’s just that the political climate — we’ve been under this for twelve years, and if you’re an even slightly curious or observant person, it’s going to affect you.

L:We write together in the room at the same time, and she’ll have a stack of papers which will have lyrics that she’s written and will sort of combine and join together, and there’s lots of circling that and dragging it to that, making almost a collage where lots of different ideas come together.

I:When I’m listening, it feels like fragments of something flowing past me.

T:It’s not random though. When she writes a line, she has the sort of temperament to write the opposite line next — something completely different tonally, texturally, conceptually. It’s almost like when you’re making a painting or something, you’re trying to balance all the elements so it works nicely.

L:There’s a lot of reacting to us in the room playing our parts and us reacting to her, like a conversation.

I:There’s such an aspect of fragments of daily life to it and I wonder if there’s ever a sense where you’ll be listening to it and think, “Oh, I remember that conversation…”

T:Oh, there’s definitely things that we’ve said or things that friends have said when I was there and they’re in the lyrics.

L:And like ourselves, she improvises a lot when writing her lyrics as well as having some pre-formed ideas. We’ve had to get better at finding ways to record because the room’s quite loud when we’re playing, so a lot of times we’ll separately record the vocals so she can hear back what she said. I think on this record the lyrics changed more when it came to recording than on the first record, but not a huge amount.

T:That was partly because we improvised quite a lot of stuff in the studio. But generally, Flo will start at the same time we start writing the song. We’re all there at the start of it, and like Lewis says, a lot of the time there’s something Flo is doing that informs how we’re doing our thing as well — tonally, if that makes sense. When we were writing Gary Ashby, when I found out she was singing a song about a tortoise that’s gone missing, it changes the way you play; you find ways of punctuating what she’s saying, making it more charming or melancholy, you might use a minor chord or something that you wouldn’t have done before. It’s rare that we’ll write a whole song and then she’ll go away and write all the lyrics — that never happens, and it’s a more organic thing.

L:We’ll react to her in the same way we react to each other. I’ll react to the drums in the same way I react to the drums and the guitar, and vice versa. It’s another instrument in the room.

I:How has the approach changed, since the early EPs and the last album in particular?

T:We still write in the same way. We write by basically just jamming together.

L:There’s a lot of phone demos. We’ll be having a jam, think “This sounds OK” and someone just clicks on their phone and starts recording, and then sometimes we’ll work on it the next week or sometimes it’ll get lost for six months and someone will be like, “Hey, that jam from six months ago was quite good.” That’s how almost everything starts. This time, because we had more time in the studio, we intentionally went in with ideas less finished.

T:Yeah, the change in approach was basically that we got more time. Before we had two weeks to get it down as quickly as possible.

L:Also, with the first record, we were doing some tours beforehand, so we were playing some of that record live before we recorded it. This time we didn’t get a chance to do that: we recorded it and now we’re in the process of learning it.

I:Right, and I was wondering how not having the constant physical presence of the audience while you were developing the songs affected the process on this one.

T: It’s hard to say really, because without actually road testing the song, you never know. We just embraced it really: we couldn’t play live, so we just write the album the way we wanted to.

L:It comes down to listening, because things get captured differently in the studio as well. It’s quite nice to be able to try something in the studio and a lot of our writing process comes down to listening — like listening back to jams. It’s a nice way of doing it, because if we weren’t recording and listening back and editing from there, a lot of our songs would be based on what was the most fun to play, but that rarely happens because it’s all about listening. And I think that happens as well with not being able to play it live: it’s less about what’s fun to play and more about what sounds good.

T:I think also we learned from the first record that just because you’ve recorded a song one way, that’s not necessarily how it has to be live again, so that’s why we’re sort of relearning the album now. There’s things on the album that definitely need to be on there, but there’s also things that we can just make up again.Touring New Long Leg, there’s Her Hippo and More Big Birds where they just changed and became slightly different songs — added a new part to them, made them longer.

L:Sometimes by accident as well. Sometimes they kind of naturally evolve through a tour.

I:One thing that happens a few times on the new album is that a song will work its way to a natural sounding conclusion, I’ll think it’s ended, but then it will come back and sometimes as something quite different from what it was before. Was that something that came out of having more time to play around in the studio?

T:I think there’s several factors there. First, when we did Every Day Carry, that was the first time we did that in the studio, literally making three parts and kind of improvising some of them. When we did Conservative Hell, that whole last section of that song really came from the first part of the song down and feeling like there was something missing, and John (Parish, producer) was very good at motivating us to just go and make something up.

L:On the first album, John was quite good at making songs snappy, but with Every Day Carry we sort of extended it — and I think he quite enjoyed that process. When it came to the second album, we were kind of prepared for him to make things shorter again, but he seemed to extend stuff more. i think he kind of enjoys it, like, “It’s good when it’s longer!” He surprised us quite a lot by extending songs.

I:That’s John Parish, your producer, right?

L:Yeah.

I:He’s from around my hometown in Bristol. He produced one of my favourite albums, Joy Ride by The Brilliant Corners… (everyone laughs) I know he’s done way more famous albums than that, but they’re one of my favourite bands!

T:That’s one of the great things about John: he’s not the kind of person to brag about things or he doesn’t namedrop much, but when you’re having dinner, he’ll say something — he told me he did a Tracy Chapman record, and I was like, “What!?” He’ll have these stories, but you have to get it out of him naturally.

I:Was it more relaxing working with him this second time, with the familiarity?

T:I think in several ways. Firstly, we were more comfortable, just in ourselves; we’d been doing it longer and had more confidence. The fact New Long Leg did well gave us confidence, we’d played bigger shows by that point, and we were just feeling comfortable. I remember doing takes on the first record and feeling, “This has to be amazing, I have to give this everything!” and then you realise you don’t. Making an album is so complicated, there’s so many layers to it that by the time it’s mixed and mastered, you’ve completely forgotten what it was you were trying to do. So definitely on this one we sort of accepted things the way they were; you try to get a good take, if John’s happy, you move on to the next thing.

L:With the first one as well, we recorded it so quickly with John. We met him and within a few hours, we’d tracked Unsmart Lady, then we moved on to the next one and moved on to the next one. We didn’t have time to play so much.

T:Yeah. And it was a bit of a shock to the system last time when he would say things like, “I don’t like that. Change it.” (laughs)

L:And you’d be like, “Uh… now?” We had one day off last time, on the Sunday, and on Saturday, he was like, “I don’t like that. Change that tomorrow on your day off. See you Monday!”

T:But by the time we got to the end of that session, we were really onboard with it. We liked the way he worked and you just don’t take it personally. Because you’re more confident, a bit more robust, you can deal with it a bit better — you expect it and you welcome it. So with the second record, if he says to go and do something differently, that’s what you’re looking for.

L:And we’d go into the studio looking for things to change. With the first record, we’d been playing a lot of those songs live, so maybe people were a bit more fixed on their parts and their ideas, so that’s harder to change. This one was a bit more open to change.

I:The sonic texture of this album feels a lot broader than the first one. Did that come naturally, or was there some sort of conscious element to expanding the sound?

T:I think it’s natural in the sense that our listening tastes are so broad. I often feel that if I had more time, I’d do some kind of ambient project, or me and Lewis could do a metal band together. For sure Nick would do some kind of dance music, wouldn’t he?

L:And Dry Cleaning’s a nice collaboration of all those ideas pulling nicely in different directions.

T:The way Lewis described the transition from the first record to this one, it’s like the first record left little markers down for different directions to go in and on the second record we take them all a little bit further. And then hopefully on the third one if we get the opportunity to do another one, we’ll take it even further. It’s all about exploring different avenues. So when things seem to go a little more ambient, we’re already into that kind of music and we’ll go with it as opposed to being sort of, “Oh, I don’t want to make that kind of music.”

L:We’re learning more about what we can do in the studio as well. The first EP was really like a demo, recorded in a couple of hours. You don’t get much time to play in the studio, so you sort of write your parts for what sounds good in the rehearsal room. Writing the second record, we were writing for the studio more. We’d be writing a song and Tom would go, “There should be a twelve string on top of this!” There’d be a keyboard part here, or Nick would be playing really quietly and saying “On the record it’s going to be really big but it just sounds good the way I’m hitting it like this.” You get to experiment more like that.

I:I suppose it’s on Liberty Log where that almost ambient feeling is most pronounced, and I was wondering if writing for what’s mostly spoken word lends itself to a different way of structuring music compared to the traditional pop song structure of verse-chorus-verse-chorus.

L:There were a lot of times where one of us would say, “Should we do the chorus now?” and then we’d be like, “Which one’s the chorus?”

T:Yeah, “What’s the chorus?”

L:And we’d all have to agree on what’s the chorus.

T:Which I think was a good sign, actually. It shows how we’re all thinking in different ways but music is getting done. I think I agree: Lewis has said before in other interviews that one of the strengths of our identity is you have Flo in the middle of everything, and her voice anchors you, and certainly as a musician it feels that you’re given a lot of room to chuck things in. When we first started writing Hot Penny Day, initially when I wrote the main riff it sounded like Goats Head Soup-era The Rolling Stones to me…

L:And then someone fucked it up!

T:And then when I showed it to Lewis and we started playing it together, it started turning into something more like Sleep or stoner rock — made it more groovy.

L:And then Flo gets involved and it instantly sounds like Dry Cleaning. I think her voice and her delivery gives us a lot of scope.

T:I mean, as musicians, having worked with these guys for five years, I think we all have our own sonic motifs — I can tell it’s Lewis, I can tell it’s Nick, they can tell it’s me — but Flo definitely anchors things in Dry Cleaning world.

I:I was angles.

T:I’m really glad you checked our previous bands! I think if you want to understand Dry Cleaning, it has roots in what we’ve done in the past. Like you say, because we’ve got broad music taste, my first experiences in music were in punk and hardcore bands but I did find them stylistically quite limiting. I like the catharsis of fast music, but I also like the melody of REM. I remember seeing La Shark a few times and it was clearly a sort of skewed pop band but their later stuff sounded like instrumental Funkadelic, so it’s almost like there isn’t enough time to put all your influences into one band.

L:I’ll be driving and have little fantasies about combining two bands, and then I’ll meet up with Tom or Nick or Flo and I’ll say that, and they’ll be like, “We should do that!” And once again, it’s still Dry Cleaning. If you took Flo’s vocals off the new album, there’s so many different genres you could put stuff into.

I:You say Florence is in the centre of it all, holding the identity of the band together, but at the same time, she’s also a little bit separate from it in some ways. On the new album, even more than before, the way it’s mixed you hear the band playing, who sound like they’re in a room somewhere, but then her vocals come in and it’s like she’s right up against your ear. Like you’re watching a band on the stage and there’s just this woman whispering in your ear!

L:That reminds me of Flo’s story about her joining the band started with you playing the band and her talking over the top of it.

T:We’d studied visual art together — we were both making comics at the time, and we met up to talk about that. She asked, “What else have you been up to?” and I said, “I’ve started jamming with Lewis and Nick.” I had some demos and she listened to it. Then she took her earphones out, said, “Oh, that’s interesting,” and started talking, and I could hear the music still with her voice over the sound out of the earphones in the background. I think John’s key interest in our band is how he mixes Flo. On this record to a much greater extent you can hear bits of her breath. Flo is a very nuanced performer: just the little things she does, like the click of her tongue or something — very small sonic things that he’s very keen to make sure are in there. I’ve seen him talking about this in an interview, about how you have to hear everything she’s doing: that’s the first thing, and then around that, he builds the mix and brings the band in.

L:She’s always in the room when we’re recording, and she’s tracking at the same time. We’re lucky enough to have isolated rooms, so my amps can be in one room, Tom’s amps can be in another room, Nick could be behind some glass, Flo’s in the room with us, and she keeps a lot of those vocals. There’s a lot of effort put into isolating her vocals so there’s not too much bleed from the band. I agree with what Tom said, John puts a lot of focus on that.

Floating Points - ele-king

 先日は川崎の千鳥公園で開催された《Rainbow Disco Club》のスピンオフ・パーティ《Sound Horizon》への出演や、そのアフター・パーティとなる渋谷O-EASTでのロングセット、青山ZEROでのサプライズ・パーティなど、関東を沸かせたフローティング・ポインツ。興奮さめやらぬこのタイミングで新曲 “Someone Close” が公開されている。
 ビートレスで美しい同曲に加え、今年発表されたダンス・トラック3曲を収録する強力な12インチのリリースも決定。数量限定とのことなので、お早めに。

Floating Points

フローティング・ポインツ、新曲 “Someone Close” を公開
4曲を収録した最新12インチの発売も決定!

マンチェスターに生まれ、現在は作曲家/プロデューサー/DJとしてロンドンを拠点に活動するフローティング・ポインツ。昨年はファラオ・サンダース&ロンドン交響楽団とのコラボ作品『Promises』でThe Guardian (Contemporary)、TIME Magazine、The New York Times (Jazz)、Mojo、The Vinyl Factory他多数のメディアで年間ベストの1位を獲得、そして今年に入ってからは宇多田ヒカルの最新アルバム『BADモード』へプロデューサーとして参加し大きな話題を呼んだ。先日のRDC《Sound Horizon》やO-Eastでの日本初となるOPEN TO LASTのDJ SETを含むジャパン・ツアーも成功させた彼が新曲 “Someone Close” を公開!

Floating Points - Someone Close
https://floatingpoints.lnk.to/someone

また、今回公開された “Someone Close” に加えて、今年リリースされた “Grammar”、“Vocoder”、“Problems” を収録した4曲入り12インチを12月16日に数量限定で発売されることも明らかとなった。

“Grammar”、“Vocoder”、“Problems”は、PitchforkのBest New Trackを含む多くの称賛を受け、Resident Advisorは、シェパードを「エレクトロニック・ミュージックにおいて文句なしのMVPの一人」と評している。海外においてはGlastonbury、Coachella、Field Dayといったフェスティバルへの出演を経て、今後はクラブに戻っての活動を予定している。2023年の元旦には、ロンドンの新たな大型ヴェニューHEREでOPEN TO LASTのDJ SETを披露する。

待望の最新12インチは12月16日に数量限定で発売!


label: Ninja Tune
artist: Floating Points
title: 2022
release: 2022.12.16

商品ページ:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13136

Vinyl tracklist:
A1. Someone Close
A2. Grammar
B1. Vocoder
B2. Problems

Maarja Nuut - ele-king

 エストニアのマーヤ・ヌート、なんと12月に初来日することが決定した。彼女の民俗音楽とエレクトロニカの融合が直に聴けるのは楽しみでしかない。共演にはエストニアで交流も果たしたASUNA、そして『hinged』の日本盤リリースや本公演へのきっかけを作ったShhhhhがDJで彩りを添えます。

Maarja Nuut Japan Show 2022

日程:2022年12月6日(火)
会場:代官山・晴れたら空に豆まいて
時間:OPEN 18:30 /START 19:30
料金:ADV ¥3,800 / DOOR ¥4,300 (共に1ドリンク代 600円別途)
チケット予約:https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/news/maarja-nuut-japan-show-2022/

出演:
Maarja Nuut
ASUNA
DJ: Shhhhh

Maarja Nuut:
 1986年生まれ、エストニアはラクヴェレ出身のコンポーザー/プロデューサー/シンガー/ヴァイオリニスト。幼少期から合唱団の指導者でもあった母親の影響で音楽を親しむようになる、7歳からヴァイオリンのレッスンを受け始め、12歳からタリン音楽高等学校で学んだ後、エストニア音楽・演劇アカデミーに入学。エストニアやヨーロッパ各地の音楽祭に参加し、早くから民族音楽に興味を持つようになる。21歳のとき、オランダ人チェリストのサスキア・ラオ・デ・ハースとともにインドを訪れ、ヒンドゥスターン音楽を学んだ。
 2008年、エストニアに戻った彼女は民族音楽の道に進むことを決め、タルトゥ大学の一部門であるヴィリヤンディ文化アカデミーで学んだ。ここで、ソビエト連邦以前のエストニアの村の音楽の78回転レコードに出会い、インスピレーション得る。2011年からストックホルム大学で学び、特にポーランドの村落民俗音楽への関心を深めた。2014年に音楽の修士号を取得して卒業した。
 元々はクラシックを学んでいたが、民族〜フォーク・ミュージックへと傾倒し、伝統的なエストニアのヴィレッジ・スタイル現代的な解釈へと消化するスタイルを確立。2013年にソロ・アーティストとしてアルバム『Soolo』デビューし、タリン・ミュージック・ウィークでアーティスト賞を受賞。2016年、ソロ・セカンド作『Une Meeles』をリリースし高い評価を得た後、独自のアブストラクト・エレクトロニック・サウンドを生成するHendrikKaljujärv(別名Ruum)とのコラボレーションを開始。Maarja Nuut & Ruumのデュオ名義で2枚のアルバムをリリースし、国際的なフェスティバルへの出演も果たす。2020年にはSan Arawとのコラボ作をリリースし話題となった。そして2021年にパンデミックのタイミングで受け継がれた祖母の古い農場の開墾と修理の合間を縫って自信の海辺のスタジオでプロデュース、録音をほぼ1人で敢行した自身にとって”初めての本格的なソロ・アルバム”という『hinged』をリリースした。


Maarja Nuut
hinged

PLANCHA

・日本盤ボーナス・トラック1曲収録
・解説:松山晋也
・歌詞・対訳付き

ASUNA(アスナ):
 石川県出身の日本の電子音楽家。語源から省みる事物の概念とその再考察を主題として作品を制作。同時に音の物理現象に関する美術作品の制作/パフォーマンスも行う。代表作に「organ」の語源からその原義である「機関・器官」としてオルガンを省みた『Each Organ』(2002)、本の語源としてのブナの木を元に情報の記録・運搬について扱った作品『Epidermis of Beech』(2012)などがある。近年は、干渉音の複雑な分布とモアレ共鳴に着目した作品『100 Keyboards』(2013)で、「メルボルン国際芸術祭」(2018)、「シンガポール国際芸術祭」(2019)、「ベルファスト国際芸術祭」(2019) 、など海外のアート・フェスティバルから多数の招待を受け展示/パフォーマンスを行い、昨年も米ニューヨークの名門・BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)からの招待を受け、全公演ソールドアウトとなる単独公演を成功させた。並行した音楽制作では、10代の頃から東京の実験音楽/即興/音響シーンに関わり、様々なアコースティック楽器やPCベースによる作曲作品から即興演奏まで行いつつ、無数のオモチャ楽器と電子音楽によるパフォーマンス『100 Toys』(2007) を中心とし、録音作品では毎回多岐に渡るコンセプトながらも一貫した作品制作を行う。これまで海外25カ国以上で演奏/展示、CDやレコードなどをリリース。ドイツの電子音楽家のヤン・イェリネクや、美術家の佐藤実-m/s、トラックメーカーのshibataらと長年に渡りコラボレーションによる制作も行っている。


Shhhhh (El Folclore Paradox/ The Observatory):
 DJ/東京出身。オリジナルなワールドミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。
 執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。2018年秋よりベトナムはホーチミンのクラブ、The ObservatoryのレジデントDJに就任。
 ミャンマー伝統音楽のリミックス盤『Kalab Mixed Myanmar #1』(Rollers)のキュレーション。Worldwide FM、NTSへのmix提供など。Rainbow Disco Club 2022、Mindgames presents Balanceへの出演も。
https://linktr.ee/kanekoshhhhh

追悼:キース・レヴィン - ele-king

三田格

 P.i.L.の初来日にキース・レヴィンはいなかった。正規リリースされたライヴ盤『Paris Au Printemps(P.I.L.パリ・ライヴ)』やブートレグでは『Extra Issue, 26 December 1978』と『Profile』を重点的に聴いていた僕の耳に、あのシャープでクリアーなギターは響いてこなかった。来日直前にキース・レヴィンが脱退したことで、あからさまにジョン・ライドン・バンドでしかなくなったP.i.L.はこともあろうにレッド・ツェッペリンを思わせる演奏に変わり始め、ジョン・ライドンの歌い方が必要以上に演劇的に感じられたことをよく覚えている。いまから思えば元曲と演奏の雰囲気が合っていなかったからなのだろう。アンコールで“アナーキー・イン・ザ・UK”をやったのもサーヴィス精神とはまた別にジャー・ウォブルもキース・レヴィンもいなかったから反対するメンバーがいなかったとか、そういうことだったに違いない。あと半年早く来てくれればP.i.L.を体験することができたのに。あと半年早ければ『Paris Au Printemps』のようなオルタナティヴのピークに触れられたかもしれないのに。ちなみに初来日の模様を収録した『Live In Tokyo』に『Metal Box』の曲は“Death Disco”しか収録されていない。ジョン・ライドンからすればP.i.L.が生まれ変わらなければならないというプレッシャーを感じながらもがきにもがいてつくりあげたバンド・サウンドだったのだろう。そう、キース・レヴィンがいなくなるということは、ライドンにとってはかなりな難局だったのである。

 キース・レヴィンがP.i.L.を脱退したのは“This Is Not A Love Song”のミックスをやり直したかったレヴィンとその必要はないとしたライドンが修復できないほど悪い関係になったからとも、単にレヴィンのドラッグが原因だとも言われている。いずれにしろアルバムの半分が同じ曲で構成されたレヴィン・ヴァージョンの『Commercial Zone』が翌84年1月に、ライドン・ヴァージョンの『This Is What You Want... This Is What You Get』がそれから半年後にリリースされ、『Commercial Zone』がそれまでのP.i.L.と地続きの作品性を誇り、はるかに優れた内容であることは歴然としていた。『Commercial Zone』を『This Is What You Want... 』のデモ・テープ扱いしていた記事もいくつか見かけたけれど、一体何を聴いてきたんだと呆れるしかなく、『Commercial Zone』に収録されていた“Blue Water”が初来日のオープニングに流れていたことも思い出した。だから『Album』『Happy?』『9』と聴けば聴くほど情けなくなるジョン・ライドン・バンドに対してキース・レヴィンの活動に興味が湧くのは当然のことで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのプロデュースを経て脱退から3年を待った『2011 - Back Too Black』や続く『Violent Opposition』を相次いで手に取るも『This Is What You Want... 』よりも完成度が微妙だった時はさすがに愕然としてしまった。それどころかレイヴ・カルチャーが勃興してきた頃にはP.i.L.の誰もが存在感を失っていた。

 キース・レヴィンはシド・ヴィシャスやスリッツ及びバンシーズのリズム隊とフラワーズ・オブ・ロマンスとしてバンド活動を始め、クラッシュの創設メンバーとしてはジョー・ストラマーをザ・101ナーズから引き抜いてクラッシュのヴォーカルに付かせたにもかかわらず、自身はデビュー前に脱退。次に音楽シーンに現れた時はP.i.L.のメンバーとしてだった。P.i.L.はライドンの性格を反映して最初から大胆不敵なサウンドを構築し、ジャー・ウォブルの不気味な下降ベースとパンクにありがちな荒々しさとは違う意味で耳障りなキース・レヴィンの金属的なギターはすぐにも彼らの特徴となり、デビュー・アルバムから約1年後にリリースされた『Metal Box』でさらなるサウンド的な飛躍を遂げることに。アブラクサスのレビューでも触れたけれど、“Radio 4”はキース・レヴィンがひとりで多重録音したもので、"Poptones" でもレヴィンはドラムを叩き、“Bad Boy”という曲名はレヴィンのニックネームに由来する。ジャー・ウォブルが脱退したこともあってサード・アルバム『The Flowers Of Romance』はほぼすべての楽器をレヴィンが演奏し、彼がいなければP.i.L.は成り立たなかったはずなのに、ライドンは『Commercial Zone』のどこが気に食わなかったというのだろうか。デヴィッド・ボウイ『Let’s Dance』に寄せすぎたということなのか。

 クリエイティヴィティのピークにいるミュージシャンは同時期に何をやってもいい仕事をしてしまうもので、キース・レヴィンの才能もP.i.L.在籍時に様々な花を咲かせている。ジャー・ウォブルと組んだスティール・レッグスVジ・エレクトリック・ドレッドはドン・レッツをフィーチャーしたレゲエ色の強いP.i.L.サウンドの楽観的変奏。『Metal Box』でドラムを叩いてもらったお返しなのかカウボーイ・インターナショナルにも1曲で参加し、エイドリアン・シャーウッド周辺だとヴィヴィアン・ゴールドマンやシンガーズ&プレイヤーズの諸作に客演、スリッツやリップ・リグ&パニックからメンバーが集まったニュー・エイジ・ステッパーズにも最初は正式メンバーとして参加していた。P.i.L.を脱退してゲーム・クリエイターに転身したというニュースが入ってからもダブ・シンディケート、バーミー・アーミー、ゲイリー・クレイルと〈On-U Sound〉との絆は強く、マーク・ステュワートのアルバムでも結構な量のギターを弾いている。2010年代になるとジャー・ウォブルとのコンビを復活させてジョイント・アルバム『Yin And Yang』(12)をリリースし、キャバレー・ヴォルテール風のオルタナティヴ・サウンドからインド風の瞑想的なギター・ソロまでなかなかの充実作となったサード・ソロ『Search 4 Absolute Zero』(13)と、クラウドファンディングで募った資金を元に『Commercial Zone』の完成形『CZ2014』(15)も自主制作。やはりそれだけ引っかかっていたのかと思うと、なんともいえない作品ではある。それで気が済んだということになってしまうのか、それから7年が経った2022年に肝臓ガンによる逝去の報が届き、第1報に続く「未亡人になってしまいました」という奥さんのツイートがとても悲しかった。

 キース・レヴィンは音楽に対して貪欲な人生を生き抜いたという例には当てはまらない。ビットコインはパンク・ロックだと主張し、晩年は暗号通貨にのめり込んでいたというし、果たしてもっと才能があったのか、それともこれで精一杯だったのかということもわからないままに生涯を閉じ、『Metal Box』や『Search 4 Absolute Zero』だけが目の前に残されている。P.i.L.や同時期のポスト・パンクが破壊だけでなく、その後に創造というプロセスを見せてくれたことは二十歳前後の僕にはとても重要なことだった。パンク・ムーヴメントは確かにインパクトがあった。でも、マネをするだけだったり、パンクにカブれてチンピラまがいのバンカラ野郎になっていくミュージシャンを僕はとても受けつけなかった。『Metal Box』のような変化をもたらし、ロック的な皮肉をパンクのファンにさえ向けることができると教えてくれただけでもキース・レヴィンには感謝しかない。R.I.P.
 


 

野田努

 三田格と同じく、キース・レヴィンとジャー・ウォブル抜きの(『Metal Box』のP.i.L.ではない)P.i.L.の初来日を複雑な心境で観に行ったひとりとして、若干の付け足しを。P.i.L.のもっともスリリングだった期間を、ファースト・アルバムから『The Flowers Of Romance』までの3枚+ライヴ・アルバム『パリ・ライヴ』とするなら、その時期の音楽性において重要な働きをしたのがウォブルとキース・レヴィンであることは疑いようがない。もともとプログレッシヴ・ロックが好きで、スティーヴ・ハウに憧れてイエスのローディーもしていたレヴィンは、ギタリストとしての技術も持っていた。しかしながら彼が素晴らしかったのは、その技術を、従来のギター・サウンドを否定するかのように使ったことだった。セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズの厚みのあるギターはハード・ロックの延長にあったが、レヴィンの耳障りな金属音のようなギターは、そうした伝統へのアンチだった。因習打破なその姿勢こそが、ポスト・パンクという創造性の扉を開いたのである。
 P.i.L.ファンの議論のひとつに『The Flowers Of Romance』を作ったのはレヴィンだったというのがあるように、ある時期から、彼の存在はジョン・ライドンの脇役以上のものだった。『The Flowers Of Romance』ではほとんどギターを弾かず、パーカッションやシンセサイザーを担当したレヴィンは、自分の楽器を演奏するためだけにその場にいるミュージシャンというよりも、あの作品の方向性を決めた音楽監督というに相応しかったのかもしれない。ゆえにジョン・ライドンと衝突し、彼は脱退した。その後は三田格が書いている通りである。
 リアルタイムで言えば、メディアはP.i.L.をジョン・ライドンのワンマンバンドのように紹介したが、初来日のP.i.L.はまさにライドンのバックバンドだった。ウォブル/レヴィン時代のP.i.L.がサウンド的には全否定したはずの“アナーキー・イン・ザ・UK”をそのバンドはやった。本当に、あと半年早く来てくれれば……である。そうしたら、ギターの革新者にしてポスト・パンク・サウンドの先導者、キース・レヴィンの演奏を直に聴くことができたのだろう。

現代メタルガイドブック - ele-king

「最新の先鋭的な音楽」としてのメタルを一望する「新しいメタルの教科書」!!

ジャズやポストロック、ヒップホップやエレクトロニック・ミュージックまで、
さまざまなジャンルを貪欲に取り入れた裾野の広さ
「激しさ」「過激さ」を極限まで追求してきたエクストリーム・メタル
そしてさまざまな形でメタルの影響を受けた最新のポピュラー音楽の数々

執筆:清家咲乃、村田恭基、脇田涼平、つやちゃん、西山瞳、川嶋未来、藤谷千明、梅ヶ谷雄太

目次

1 注目すべき10アーティスト

2 HR/HM(Hard Rock / Heavy Metal)
オリジネーター │ ハードロック │ NWOBHM │ ポップメタル、メロディアスハード │ メタル系テクニカルギタリスト(80~90年代) │ ヘヴィメタル/パワーメタル │ スラッシュメタル、クロスオーヴァー・スラッシュ │ スラッシュメタル、クロスオーヴァー・スラッシュ │ プログレッシヴ・ハード/プログレッシヴメタル

3 メタルの理解を深めるにあたって重要なジャンル外音楽①:90年代まで

4 エクストリーム・メタル
グラインドコア │ 初期デスメタル(OSDM) │ ブルータル・デスメタル │ プログレッシヴ・デスメタル │ テクニカル・デスメタル │ 1st wave of Black Metal │ 2nd wave of Black Metal │ ブラックメタルの広がり │ ヴァイキングメタル、フォークメタル

5 ポストHR/HM
グルーヴメタル │ インダストリアル・メタル │ オルタナティヴ・メタル │ メロディック・デスメタル │ メタリック・ハードコア │ メタルコア(ゼロ年代以降:メロデス通過後・現在に至る意味での)、スクリーモ │ デスコア │ プログレッシヴ・メタルコア/Djent │ ゴシックメタル │ ドゥームメタル、ストーナーロック、スラッジコア │ フューネラル・ドゥーム │ ドローン・ドゥーム、メタル隣接のアヴァンギャルド音楽 │ ポストメタル │ ポスト・ブラックメタル、ブラックゲイズ │ 上記全てを包含しうる境界例的なバンド

6 メタルの理解を深めるにあたって重要なジャンル外音楽②:00年代以降

7 2010年代以降のメタル
ポップミュージックのフィールドにおける活用 │ メタリック・ハードコアの発展 │ エレクトロニック・ミュージックとの接続 │ ジャズとメタルの交差関係 │ 不協和音デスメタル │ Roadburn Festival │ オールドスクールなスタイルの再評価を起点とした新たな広がり │ エピックメタル方面 │ 2022年の傑作群

8 日本のメタル周辺音楽
大きな影響をもたらした代表格 │ 日本のプレHR/HM │ 日本のHR/HM │ メタルに近いところにある日本のパンク/ハードコア │ 日本のエクストリーム・メタル │ 日本のポストHR/HM

COLUMN
ライフスタイルとしてのメタル
メタルと英語
近代・現代音楽とエクストリーム・メタル
メタルと声
Dave Grohl(Nirvana、Foo Fighters)の地下メタル愛
メタルとヒップホップの救い──逃避と革命の音楽
ヘヴィ・ミュージックの革新性と包括性、それを示す場としてのRoadburn Festival
メタルとヴィジュアル系

索引
プロフィール


オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
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interview with Mount Kimbie - ele-king

 安心した。マウント・キンビーの新作は、LAに暮らすドミニク・メイカーとロンドン在住のカイ・カンポス、それぞれのソロ作をカップリングしたものになる──そう最初に知ったとき、てっきりこのまま解散してしまうんじゃないかと不安に駆られた。仲たがいでもしたのかと気が気じゃなかった。
 大丈夫。海を隔てようとも、ロックダウンを経ようとも、ふたりの絆はいまだ健在だ。『MK 3.5』なるタイトルが示しているように、今回は4枚目のフル・アルバムにとりかかるまえのちょっとした寄り道のようなもので、「メインのプロジェクトとは少し違ったことを実験するチャンスだと捉えて」「自分たちの頭のなかにあるアイディアを、あまりプレッシャーを感じずに、自由に実験し、探求すること」が目的だったようだ。
 といっても手抜きなどではもちろんない。00年代末、ポスト・ダブステップの時代にボーズ・オブ・カナダの牧歌性を持ちこむところから出発し、2012年に〈Warp〉と契約してからは生楽器を導入、バンド・サウンドを試みていた彼らだが、『MK 3.5』はこれまでのどの作品とも異なる新境地を拓いている。

 メイカーによるディスク1「Die Cuts」はUSメジャー・シーンからの影響が大きく、トラップのスタイルにUKらしいメランコリーが組み合わせられている。ジェイムス・ブレイク作品におけるメイカーの貢献度がいかに高いか、あらためて確認させてくれる内容だ。一方、カンポスによるディスク2「City Planning」は、彼のDJ活動からのフィードバックが大きい。徹頭徹尾アンダーグラウンドのテクノを志向しており、クラブのサウンドシステムで聴きたいミニマルなトラックがずらりと並んでいる。喚起される、夜の都市。
 ほかの面でも両者は対照的だ。「Die Cuts」にはブレイク以外にもスロウタイダニー・ブラウンなど多数のゲストが参加。サンプリングも使用されており、多くの人間たちとのコラボレイション作品と呼ぶことができる。ひるがえって「City Planning」は1曲を除き、カンポスひとりの手で制作されている。あるいは「Die Cuts」にはことばがあるけれども、「City Planning」にはない──

 みごとに性格の異なる2枚を最初から最後まで通して聴くと、長時間電車で旅をしているような、そしていつの間にか国境を越えてしまっていることに気づくような、不思議な感覚に襲われる。こればかりは2枚を通しで聴かないと味わえない。ある一定以上のまとまった時間を体験することによってしかたどりつけない風景もあるのだと、マウント・キンビーは主張しているのかもしれない。多くのリスナーがアルバム単位での聴取を手放しつつある現在、これは挑戦でもある。


向かって左がドミニク・メイカー、右がカイ・カンポス

ぼくらは、今回のアルバム制作の機会を、互いがメインのプロジェクトとは少し違ったことを実験するチャンスだと捉えてアルバムをつくった。(カンポス)

ハードなビートだけでアルバムをつくるのはどうも気が進まないんだ。ぼくは、叩くようなビートをつくることよりも、感情を表現するためにどうビートを使うか、ということのほうを意識してる。(メイカー)

メイカーさんがLAへ移住したのは2015年ころですよね。前作『Love What Survives』(2017)リリース時のインタヴューでは、LAとUKを往復しつつ、ふたりで一緒に作業したと語っていました。新作『MK 3.5』は完全な分業ですが、分業自体はファーストセカンドのころもやっていたのでしょうか。

ドミニク・メイカー(以下DM):いや、ファーストとセカンドのときは、ふたりともロンドンにいたから、一緒につくっていたよ。で、『Love What Survives』のときは、ツアーもあったし、ぼくがけっこうヨーロッパにいたから、一緒につくる時間ができたんだ。

今回、初めて互いの作品を聴いたときの感想を教えてください。

DM:めちゃくちゃ気に入った(笑)。カイのヴィジョンが伝わってきて、すごくよかった。ぼくにとって、彼の頭のなかを見るのはつねに興味深いことなんだ。もちろん、彼とはもう何年も一緒に音楽をつくってきたけど、それでもまだ、互いに出しあってないものがあるし、それぞれの世界というものがある。それに、ふたりとも今回のレコードをつくるプロセスは山あり谷ありだったから、完成した互いの作品を聴いたときは、よくぞ頑張った! と思ったね(笑)。

カイ・カンポス(以下KC):ぼくも同じだな。今回は、ドムが言ったとおり、お互いけっこうつくるのに苦戦したんだ。どうやって完成させたらいいのかわからなくなるときもあったし、ストレスもあった。でも、レコード制作の最後の10%で、いろいろなものがパズルみたいにハマっていったんだ。そして、アルバムの半分であるカイの作品を聴いたとき、その作品が素晴らしくて、作品をつくりあげる要素の最後のピースを糊づけしたみたいに感じた。彼が頑張っていたのもわかっていたから、ふたりともが頑張ってつくった作品がうまく合わさってひとつの作品になったときは感動だったね。細かいことなんだけど、一曲一曲をバラバラに聴くのと、アルバム全体をひとつの作品として聴くのって、やっぱり感じるものが違うんだよ。

相手のアルバムで好きな曲と、その理由は?

DM:ぼくは、最近公開された “Zone 1 (24 Hours)” かな。あの曲は、聴けば聴くほど引きこまれていくから。聴くたびに、新しいレイヤーの重なりに気づくんだ。聴くたびに魅力が増すって最高だと思う。カイは先週末にロンドンのファブリックっていうヴェニューでライヴをやったんだけど、アルバムの曲をライヴで聴くのもすごくクールだった。曲が、アルバムで聴くのとは、また違うフィーリングを持ってるように感じたんだよね。

KC:ぼくも最近出た “f1 racer” を選ぶ。まず、あのキャッチーなメロディがすごくいいと思った。聴いたその日じゅう、気づいたらあのメロディを口ずさんでいたしね。それに、トラックの構成自体もすごく好きだった。あのヒップホップとポップが混ざったような感じが、すごくミニマルでいいなと思ったんだ。

自分が好きだと思わない音楽をつくる方向に進むひとたちもいるけど、ぼくらのなかには、自分たちが面白いと思える、喜びを感じられる音楽をつくりつづけたいという思いがいまだに残っているんだ。(カンポス)

そもそもおふたりが大学で初めて出会ったとき、互いの印象はどのようなものだったのでしょう?

DM:ぼくは、自分以外にあそこまで音楽好きなひとに会ったのはカイが初めてだったんだ。それに、ぼくの周りには音楽をつくっている人がひとりもいなかったから、会った瞬間に興奮したよ。このためにロンドンに越してきたんだ! と思ったね。

KC:ひと目惚れさ(笑)。ドムに会ったときは、おもしろいヤツだなと思った(笑)。

今回『MK 3.5』をそれぞれ個別に制作するうえで、これだけは決めておくというか、最低限のルールのようなものはありましたか?

KC:ルールはなかったね。それでもなぜか、バランスのいいものができた。ぼくのほうが15分くらい長かったらどうしようなんて心配もしてたんだけど(笑)。あと、どっちが早く仕上げられるか、みたいな暗黙の競争みたいなのもはじまってたな(笑)。最初はドムがすごく順調に見えて焦ったんだけど、幸運なことに彼も途中で壁にぶち当たって、おあいこになったんだ(笑)。

ちなみにアウトキャストの『Speakerboxxx/The Love Below』は意識しましたか?

KC:意識はしてなかったけど、もちろんフォーマット的に同じだから、比較はされて当然だと思う。でもぼくにとっては、ぼくらの今回のアルバムとその作品はちょっと違うんだ。ぼくらは、今回のアルバム制作の機会を、互いがメインのプロジェクトとは少し違ったことを実験するチャンスだと捉えてアルバムをつくったから。でもアウトキャストのアルバムのほうは、自分たちの10年に一度のベスト・レコードの1枚を作る姿勢でつくったんだと思う。でも、ぼくらの目的はそれではなかったんだよね。あのレコードは10点満点中10点のレコードだけど、それは今回のぼくたちの目標や意識ではなかったんだ(笑)。

メイカーさんの「Die Cuts」はトラップのスタイルをUK的なメランコリーが覆っています。現在の居住地と故郷とのあいだで気持ちが引き裂かれたことはありますか?

DM:そうだね。ホームやイギリスの音楽が恋しくなるときもたまにあるから、それがノスタルジックなサウンドとして映し出されているのかもしれない。あとは、最近のラップ・ミュージックのトレンドのひとつとして、トラップの要素を取り入れるという流れがあるけど、ぼくの場合、ハードなビートだけでアルバムをつくるのはどうも気が進まないんだ。ぼくは、叩くようなビートをつくることよりも、感情を表現するためにどうビートを使うか、ということのほうを意識してる。そういうちょっと外れた感じがメランコリーに聴こえるっていうのもあるのかもしれない。メランコリーを意識しているわけではないけど、それっぽく聴こえると言われたらたしかにそうかもと思う。でも、ぼくはそういう音楽を懐かしんでいるというよりは、いまも現役でそれを聴いてるんだよね。だからそれが自然に出てくるんだと思う。

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(パンデミックについて)LAって極端でさ、最初のころはめちゃくちゃ厳しくて、みんな警戒してたんだけど、一度少し緩むと、誰も気にしなくなった(笑)。(メイカー)

前作のタイトル『Love What Survives』には、カンポスさんの解釈によれば、ファーストをつくったころの気持ちや勢い、動機が現在でも「生き残っている(survive)」、という思いが込められていました。いまも「survive」しているものはありますか?

KC:自分の数年前の発言を聞くのって、なんか心地わるいね(笑)。いまも生き残っているのは、面白い音楽をつくりたいという気持ち。音楽をつくるのと、音楽業界で仕事をするのって、まったく別物なときもある。なかには、音楽業界で働くことのほうが強くて、結果的に自分が好きだと思わない音楽をつくる方向に進むひとたちもいるけど、ぼくらのなかには、自分たちが面白いと思える、喜びを感じられる音楽をつくりつづけたいという思いがいまだに残っているんだ。高評価をもらったら、それをつくりつづけないといけないと感じるアーティストもいるかもしれないけど、ぼくらにとっては、昔と変わらず音楽づくりを楽しむということが最優先なんだよ。だからぼくたちは、いろいろなやり方で音楽をつくりつづけているんだ。いまも新作に取り掛かっているけど、そのサウンドも今回のアルバムとはまた違うしね。

通訳:もう次のアルバム制作にとりかかっているんですか?

KC:そうだよ。『3.5』は、1年以上前にはすでに仕上がっていた。で、そのあとすぐに次のアルバムをつくりはじめたんだ。

『MK 3.5』の「MK」はマウント・キンビーのことだと思いますが、「3.5」は何を意味しているのでしょう?

KC:3枚めと4枚めのあいだという意味だよ。

通訳:これは4枚めのアルバムではないということでしょうか?

KC:そう、違うね(笑)。

通訳:では、いまつくっているのが4枚めのアルバムということですね。どのようにつくっているのでしょう? バラバラに? それとも一緒に?

DM:ロンドンで一緒に作業してる。いい感じだよ。あと、ぼくらにはあとふたり、バンド・メンバーがいるんだけど、彼らも作業やソングライティングに参加してくれている。彼らが加わることで、いい意味でエナジーが変わるんだよね。集中力が高まるんだ。

『MK 3.5』が完全な分業形態になったことに、パンデミックの影響はありますか?

DM:多少はあったと思う。でも、ぼくはLAに住んでいて、カイはロンドンに住んでいるから、すでに分業形態ではあったんだよね。『Love What Survives』のツアーが終わったあとで、カイはDJ活動に集中して、ぼくはLAでプロダクション活動に集中していたから、パンデミックがなくても分業形態には自然となっていた気もする。まあそれに加えて、簡単に移動ができなくなったから、その状態が思ったより長くなったり多くなった、というのはあるかもね。

ちなみに昨秋出た限定シングル「Black Stone / Blue Liquid」は、今回の新作に連なるものというよりも、『Love What Survives』のアウトテイクだったのでしょうか?

KC:あれは、『Love What Survives』にもフィットせず、今後の作品にもフィットしなそうだったから、ああいう形でリリースしたんだ。ぼくたちがただインターネットでノイズをつくったようなトラックだったしね。ちゃんとできあがっていた曲だったから、シェアするためにはなにがベストだろうと思ってシングルにしたんだ。

ここ2年ほどのパンデミック中は、それぞれどのように過ごしていましたか? やはり家にこもっていることが多かったのでしょうか?

DM:ぼくらはふたりともラッキーで、パンデミックのあいだもスタジオに通えていたんだ。

KC:そうそう。ぼくのスタジオは、家から歩いてすぐのところにあってさ。みんな運動のために家の外に出ていいってことになってたんだけど、ぼくにとっての運動はスタジオに歩いていくことだったんだ(笑)。

DM:ぼくが家にこもっていたのは4週間くらい。あれはキツかったな(笑)。ヘッドフォンつけながら作業するのって好きじゃないんだ。でもそのあとは、スタジオに行けたからよかった。LAって極端でさ、最初のころはめちゃくちゃ厳しくて、みんな警戒してたんだけど、一度少し緩むと、誰も気にしなくなった(笑)。スタジオに入れない期間があったと思ったら、スタジオで大人数のセッションがすぐにはじまってさ(笑)。40人はいたんじゃないかな(笑)。しかもノー・マスクで(笑)。

「Die Cuts」は、ジェイムス・ブレイク作品におけるメイカーさんの貢献が非常に大きいことを確認させてくれるサウンドです。ブレイクの楽曲をプロデュースするときとはどのような違いがありましたか?

DM:違っていたのは、もちろんマインドセット。ジェイムス・ブレイクに限らず、自分以外のだれかをプロデュースするというのは、自分にコントロール権はない。でも今回のアルバムでは、自分のヴィジョンを自由に形にすることができた。ジェイムスの素晴らしいところは、カイも同じなんだけど、僕との合意点が必ずあるんだ。互いを評価しあって、最高のサウンドが生まれていく。でもやっぱり大きな違いは、タイムラインも含め、自分がコントロールを持っているかいないかだね。今回、自分がすべてのコントロールを持っている、というのを初めて経験したんだ。すごくユニークな経験だったし、その状況でどう作業していくか、かなり勉強になった。もちろん、だれかと一緒に作業すること、なにかをつくることも大好きだけど、クリエイティヴ・コントロールをすべて自分が持っているというのも、また気持ちがよかったね。

今回、自分がすべてのコントロールを持っている、というのを初めて経験したんだ。すごくユニークな経験だったし、その状況でどう作業していくか、かなり勉強になった。(メイカー)

“in your eyes” はスロウタイとダニー・ブラウンという、UKとUSのラッパーの組み合わせが興味深いです。メイカーさんはスロウタイの一昨年のシングルや昨年のアルバムにも参加していましたが、彼らふたりのラッパーの魅力はそれぞれどこにあると思いますか?

DM:スロウタイは、みんなが知っている以上に多芸多才なんだ。声だけでなく、彼のソングライティングもほんとうに素晴らしいんだよ。それに、ラップだけじゃなくて歌声も最高。あと、スロウタイとダニー・ブラウンという、イギリスとアメリカ、ふたつの異なる国のラッパーを迎えることができたのもよかった。彼らはそれぞれに独自のクレイジーなエナジーをもっているし、彼らがいると、周りにもそのエナジーが広がるんだよね。あの曲では、異なるラッパーのエナジーをつかって、いろいろと遊んでみたかったんだ。“in your eyes” は、曲自体は暗い感じだけど、ふたりが出てくることで、嵐のなかに太陽がのぼってくるような明るさが生まれる。あと、あの曲は、ふたりのショート・ストーリーがひとつの曲に入っているような感じだね。

カンポスさんの「City Planning」にはアクトレスを思わせる触感、音響性があります。じっさい、8月にアクトレスとの共作曲 “AZD SURF” が出ていますね。

KC:彼からはつねに影響を受けてる。ぼくらは、特定の時代の音楽への興味をシェアしてると思うんだ。いまって、エレクトロやダンス・ミュージックをノスタルジックな音楽と捉えてつくられているサウンドも多いよね。でも、そのなかには聴いていて面白くないものも多い。ぼくも90年代後半から2000年代のダンス・ミュージックは大好きだけど、最近つくられているものは、それをただつくりなおそうとしているものも多いと思うんだ。でもアクトレスは──それはぼくがやりたいと思っていることでもあるんだけど──ラップ・ミュージックをそういった音楽に取り入れて、ただのコピーでない新しいサウンドをつくってる。彼のそういう部分から影響を受けてるんだ。

“Satellite 9” などのエレクトロはドレクシアを、“Zone 1 (24 Hours)” などはジェフ・ミルズを想起させる部分があります。今回の制作にあたり、デトロイトの音楽を参照しましたか?

KC:デトロイト系はかなり聴いてたよ。あとは、当時のあのエリアの楽器の使い方にも影響を受けてる。でもさっきも言ったように、それをコピーしただけの、再現のようなサウンドはつくりたくなかった。それはぼくの専門分野でもないしね。でも、ぼくが好きなエリアだから、要素として取り入れたいと思った。アルバムのSFっぽさも、デトロイトの影響なんだ。

いまって、エレクトロやダンス・ミュージックをノスタルジックな音楽と捉えてつくられているサウンドも多いよね。でも、そのなかには聴いていて面白くないものも多い。(カンポス)

「Die Cuts」と「City Planning」は多くの点で対照的です。まったく異なる作品を、それぞれのソロとしてではなく、マウント・キンビーとして発表するのはなぜなのでしょうか?

KC:さっきも少し話したけど、今回のアルバムにかんしては、あまりアルバムをつくるという感覚はもっていなかったんだ。たぶん、ソロ・アルバムとして取り組もうとしていたら、もっと大変だったと思う(笑)。アルバムを意識せず、あまり構えなかったおかげで、今回のレコードでは、自分たちの頭のなかにあるアイディアを、あまりプレッシャーを感じずに、自由に実験し、探求することができたんだ。それに、ふたつの作品の対比がまた面白いとも思った。サウンドは違うけど、両方ともいまのぼくたち、つまりいまのマウント・キンビーがつくったサウンドであることに変わりはないしね。ぼくらの音楽の歴史の一部であることは変わりないから。

通訳:しかも、すでにもう、ふたりで共同作業をしながらアルバムをつくっているんですもんね。

KC:そうそう。今回の作品をつくって出したことは、次のアルバムのアプローチを定める助けにもなったしね。

通訳:次のアルバムの共同作業は、どんな感じでおこなわれているんですか?

KC:次のアルバムは、これまでのなかでいちばん共同作業が多いと言ってもいいかもしれない。アルバムを1年以上前に書きはじめたときは、ぼくがLAに行ってドムと一緒にデモをつくったし、そのあとは離れていたけど互いにアイディアを投げ合った。で、いまはドムがロンドンにいるんだ。今回は、リモートで曲を仕上げたことが一度もないんだよね。曲を仕上げるときは、かならず一緒にいるんだ。

『MK 3.5』を引っさげてツアーはしますか? その場合どのような形態になるのでしょう?

KC:まだわからないんだよね。2枚に分かれているから、それを一緒にやるとなるとどうしたらいいのかまだ考えていないんだ。ぼくはここ数年ひとりでDJをやってるんだけど、もしかしたらそういうヴェニューでぼくだけで自分の作品をパフォーマンスするのは考えてるんだよね。来年のはじめごろからやろうかと思ってる。で、来年の中盤くらいからまたマウント・キンビーでなにかやりはじめてもいいかなと。ドムがどう思ってるかは知らないけど(笑)。

DM:ぼくもDJセットは何回かやろうかなと思ってる。LAに戻ったら、またプロダクションの仕事で忙しくなるから、あまりパフォーマンスはできないかな。マウント・キンビーのアルバム制作もあるしね。

今回の『MK 3.5』のリミックス盤をつくるとしたら、参加してほしいひとはいますか?

KC:もうすでに、何人かのアーティストには頼んでいるんだ。でも、いまはまだ言えない。たくさんいるよ。発表されるのを待ってて。

通訳:以上です。ありがとうございました。

KC:ありがとう。ぼくは今年の末に日本に行く予定だから、もうすぐみんなに会えると思う。

DM:ぼくも、また日本に行けるのを楽しみにしているよ。ありがとう。

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