「K A R Y Y N」と一致するもの

Phobophobes - ele-king

 2010年代後半に興ったサウス・ロンドン・シーンにはふたつの道がある。ひとつはシェイムゴート・ガールなど広く一般的に知られた道で、そこから派生し現在のサウス・ロンドン・シーンと呼ばれているものができあがった。もうひとつの道はその祖ファット・ホワイト・ファミリーからの影響を色濃く残したバンドたちが選んだ道だ。暗く、しっとりとした色気があって、危険な匂いのするそれ、ミートラッフルやワームダッシャーのようなファット・ホワイト・ファミリーの同志とも言えるような年長のバンドから闇鍋を囲む魔女の集団のようなマドンナトロンまで直轄の〈Trashmouth Records〉のバンドはもちろん、ヨークシャーの若きワーキング・メンズ・クラブはシェフィールドに駆けつけてファット・ホワイト・ファミリーの教えを仰ぎ、素晴らしいデビュー・アルバムを作りあげそして噛みつく牙を磨き上げた。クラッシュ・パピーズ(Krush Puppies)もこの流れの中におそらく含まれているだろうし、ホンキーズ(Honkies)なんかもきっとそう、プレゴブリンは言わずもがな、元バット‐バイクのジョシュ・ロフティンが結成したティーニャ(Tiña)もこの流れに入るのかもしれない。

 そしてそう、フォボフォブス(Phobophobes)はもちろんだ。音を聞いてもらえば一発でわかる、ここにはファット・ホワイト・ファミリーの匂いが染みついていると。ぼんやりとしたランプの灯、薄暗く煙の充満する地下室に入った瞬間に感じる匂い、そもそもなんでこんなところにやってきたのか? そう後悔してももう遅い、逃れられない運命のようにダウナービートの渦の中に飲まれていく。ファット・ホワイト・ファミリーの、特に 3rd アルバム『Serfs Up!』のゆったりとした陶酔感のある曲たちをかみ砕いて消化して血肉となったそれ、1st アルバムからファット・ホワイト印の音楽を奏でていたがこの 2nd アルバムはその純度があがってヤバさを感じる空気の濃度が一気にあがった。チンピラとギャングの違いと言うか一目見てこいつはただ者ではないとわかる感じだ。余裕すら感じられる。

 漆黒の世界へいざなうオルガンの音、低くささやくような歌声、“Hollow Body Boy” (この曲はプレゴブリンのジェシカ・ウィンターとの共作でもある)で幕を開け、2曲目の “Blind Muscle” で軽快に進むかと思えばそうではなく益々深みにはまり込み、3曲目の “Moustache Mike” に入るあたりでもうどっぷりと浸かり込んでいる。ゆったりとしたビートは気持ちをせき立てることなく、鳴り響くオルガンの音色と歪んだギターの音が空気を作る。そこにスリルはなく、危険な世界に生きているのが当たり前といった感じの緊張感があるのと同時にまたリラックスもしているという雰囲気。小粋なジョークが飛ばされて、その後に銃声が鳴り響くようなギャング映画のあの雰囲気だ。“I Mean It All” は喪失感を優しい響きで包みこみ映画終盤に流れていそうな匂いを醸し出している。タイトル・トラックの “Modern Medicine” も同様に素晴らしく、諦め達観したようなヴォーカルとオルガンの音が突き抜けた悲しみを癒やすような効果を発揮している。ファット・ホワイト・ファミリーはもちろん、時折クランプスやイギー・ポップの姿も見え隠れする。そこに目新しさはないのかもしれないけれど、極上の雰囲気にどっぷり浸かれるだけの質がある。

 ファット・ホワイト・ファミリーの初代ドラマーであるダン・ライオンズが初期のメンバー(現在は脱退)、その同志たるミートラッフルのオルガン奏者クリス OC が参加しファット・ホワイト・ファミリー本隊やゴート・ガールと練習スタジオを共にする、その出自からもフォボフォブスがどのようなバンドかわかるが、この 2nd アルバムを聞いているとここに漂う空気こそ伝統的に受け継がれてきたロンドンのアンダーグラウンドの空気なのではないかという気がしてくる。パブに通い詰める人から人へ年月を重ね代を経て伝わっていったような物語、いまを生きそして唄うヴォーカルのジェイミー・バードルフ・テイラーの歌声はしかしどこか失われてしまった過去を思わせノスタルジックに響く。かつて素晴らしかったものがいまはもうそうではない、それを自分は知っている、アルバム全体にそんな喪失感と哀愁が漂っている。

 シェイムやソーリー、ブラック・ミディブラック・カントリー・ニューロード、最新の音楽を取り入れて貪欲に変化するバンドに対して、フォボフォブスはどこか不器用にそれに抗う。品行方正のメインストリートから離れたような薄暗い裏道、危険が漂うアンダーグラウンドの匂い、こうした音楽がずっと残り続けているからこそ厚みが生まれる。何代にも渡りその血を更新してきたサラブレッドの歴史のように、シーンは枝分かれし広がっていき、そして再びどこかでクロスする。フォボフォブスは60年代から続くブリティッシュの伝統を受け継いでアンダーグラウンドの空気を未来へと運ぶ。残り続けているからこその特色がいつか色濃くなって顔を出す。フォボフォブスのこの 2nd アルバムには節々に刻まれた歴史のロマンが詰まっている。音楽やポップ・カルチャーは受け継がれ枝分かれし変化しながら続いていく、だからこそきっと素晴らしいのだ。

Interview with Phew - ele-king

 ツアー先の英国で手渡された一枚のメモをきっかけに生まれた『Vertigo KO』は既発の電子音楽作品を編んだ、いわば単独者=Phewの集成ともいえるものだった。そこにはアンビエントな風情のエレクトロニック・ミュージックの傍らに本家を漂白したかのようなレインコーツのカヴァーがあるかと思えば、幽玄の境地にあそぶ電子音とヴォイスによる山水画のごとき作品もあった。この多彩さは2014年の『A New World』を皮切りに、2017年の『Voice Hardcore』、翌年のレインコーツのアナとの共演による『Islands』とつづくPhewのソロ時代が、いかにひろがりをもつかの証でもある。あるはいその起点を、小林エリカ、ディーター・メビウスとのProject Undark名義の『Radium Girls 2011』にみるなら、東日本大震災の翌年にリリースのしたこのアルバムからそろそろ10年の月日がたとうとしている。
 十年紀をひとつのサイクルとして、そこに意味をみいだすことに私たちはなれきっている。とはいえ体感をもって俯瞰可能な時間の厚みは事後的な気づきをうながしもする。『Vertigo KO』から間を置かずとどいたPhewの新作のタイトルが『New Decade』と知ったとき、私は来たるべき十年紀への無根拠な楽観より、いままさに終わろうとする時代への透徹したまなざしを感じたのだった。むろんこのことは『New Decade』が後ろ向きだということではない。電子音楽という、いささかクラシカルな用語が、テクノロジーをさすばかりか、私たちの身体のかかわりを問い直すことで新たな展開をみせてきたように、Phewはこの新作で最初のいち音が導く過程をたどってエレクトロ-アコースティックの新領域に達している。電子音だけでなく、そこには声があり、ギターとノイズがあり、リズムがあり、言語と意味の切断線が走っている。聴覚的な快楽とも観念的自足ともちがう、Phewの新十年紀を問うた。

まず構想とかコンセプトから離れるということがおおきかったです。ひとつの音を出してその音に導かれて次の音が出てくるみたいなつくり方でみんな録音しています。最初に構想を立てるのではなく、なにもないところでまず音を出し最初の音が次の音を呼んでく。

『New Decade』の制作は去年の秋口にははじまっていましたよね。

Phew:自主制作でね。松村さんに、音源ができてもいないのにライナーをお願いしましたよね。

それもあってトラフィックの中村さんにご連絡いただいてちょっとおどろきました。

Phew:今年に入ってから、1月あたりに中村さんからご連絡をいただき、私もびっくりしたというか、それはすごくうれしいおどろきだったんですけど。

偶然ですか。

Phew:偶然です。私は自主で出すつもりでいろいろすすめていたので。

そもそも自主で出そうと思ったのはいつで、きっかけはなんだったんですか。私が拝聴したのは『Vertigo KO』が出てまもない時期だったと記憶しています。

Phew:このアルバムはそもそも『Voice Hardcore』を録音し終えたあと、次のステップのつもりで、ずっと温めていました。家で録音はしていたんですが、一昨年録りためたものはこれはダメだということ全部捨てたんです。

どこがダメだったんですか。

Phew:聴いてこれはダメだと(笑)。アルバムにつながるものではないということですよね。(『Voice Hardcore』と)同じところで足踏みしている作品だと思ったといいますか、これはいっぺんゼロにしてイチからはじめたのが2019年です。その年は海外のツアーが多かったです。

『Vertigo KO』は海外ツアーの結果生まれたアルバムともいえますよね。

Phew:レーベル(Disciples)に未発表音源をおくって、曲を選んだのが2019年の暮れでした。そこから選曲が終わった時点で次のアルバムということで、制作、録音を再開したときは2020年になっていました。

『Voice Hardcore』の続編の位置づけとなると、その要素は――

Phew:電子音とヴォイスということですね。

じっさい『New Decade』はその感触ですよね。途中で制作を断念したものの『Voice Hardcore』のながれは生きていたんですね。

Phew:ながれは継続しているんですけど、いっぺん録りためたものを2019年で全部チャラにして、新たにつくろうと思ったのは2019年のツアーから帰ってきた12月、もしくは2020年あけた直後ですね。

2020年の秋口に私は1曲だけ、いま“Into the Stream”になっている楽曲の音源を拝聴しましたが、最初に手がけられた楽曲でしょうか?

Phew:そうです。『Vertigo KO』の最後の曲、ヴォイスだけの短い曲(“Hearts And Flowers”)のつづきからできた感じです。キーも同じだと思います。

“Hearts And Flowers”から“Into The Strom”ができた、と?

Phew:そうです。

ということは『Voice Hardcore』だけでなく『Vertigo KO』からのながれをふまえていた?

Phew:はい。

ギターは弾いたというよりは鳴らした――がちかいかな(笑)。ギターの音は好きでね、ここにギターの音があれば、と思って、やむをえず自分で弾いたんですが、こうしたい、でもできないというギャップは楽しかったですよ(笑)。

よくある質問ですが、『New Decade』を制作するにあたっての構想はなんだったんですか?

Phew:そうね、まず構想とかコンセプトから離れるということがおおきかったです。ひとつの音を出してその音に導かれて次の音が出てくるみたいなつくり方でみんな録音しています。最初に構想を立てるのではなく、なにもないところでまず音を出し最初の音が次の音を呼んでく。そのうえで“Into The Stream”などは途中にハイチのヴードゥっぽいリズムがほしい、と頭のなかでそれが鳴りはじめるようなことがあった、でも最初から決めていたわけじゃない。

電子音と声という枠組みはあっても内実は出たこと勝負だったということですか?

Phew:自分が出した音がどこに連れて行ってくれるかなということですよね。だけど、それを1枚のアルバムにするときに、ちょっと行き詰まったといいますか。とくに2020年にパンデミックになったじゃないですか。ずっと家にいて、出てくる音が閉所恐怖症的なものになると、自分で聴いていてもしんどいんですよ(笑)。中村さんにご連絡をいただいたのが2020年の1月で、その時点でアルバムにするだけの長さはあったんですけど、それで1枚にするのは私はいいとしても、聴くほうはヌケ感がなくてしんどいかもしれない。そんなことを考えていた今年1月、アルバムの制作も終盤にさしかかっていたころ、rokapenisこと斉藤洋平さんがANTIBODIES Collectiveの東野祥子さんの映像を撮るということで音楽の依頼があったんです。映像作品の場合、音楽をつけてはみたものの、うまくいかなくてボツテイクになるトラックがあるじゃないですか。それをアルバムにあてはめてみるとすごく解放感をおぼえた。その結果できたのが2曲目の“Days Nights”です。第三者の視点といいますか、あれはおおきかったですよ。第三者の依頼がなければ、ああいうリズムボックスの曲はできなかったですよ。

リズムのニュアンスから次の“Into The Stream”の露払い的なイメージでしたが、関連はなかったんですね。

Phew:後から並べてみた結果でした。

東野祥子さんは京都ですよね。

Phew:そう聞いています。

お会いして相談されたわけではなさそうですね。

Phew:全部メールとZoomです。斉藤さんはライヴのVJをやってもらったり、これまでご一緒させてもらったこともあるんですけど、東野さんはANTIBODIESの公演はみたことはありますけど、お話したことはなくて、いまはみんなそういう感じですすんでいくから実感がないですよね。

たしかに私も『Vertigo KO』のときもオンラインで、今回もそうですから、Phewさんとお話はしてもお会いしてないですもんね。

Phew:誰とも会ってないですよ。2日ぐらい前にひさしぶりに録音があって、そこに生きている人間がいるだけでベタベタさわりたくなっちゃいました(笑)。

わからなくもないですけど、では生活はたんたんと変わらず、といった感じでしょうか?

Phew:もともと積極的に外に出て行くほうではないので、ずっとうちにいるのは苦にはならないんですけど、それって選択じゃないですか。どこにでも行けるけど私は家にいるというのと、家に居ざるをえないというのはぜんぜんちがいますよ。

作品を音楽的な要素に分解して分類するのが正しいかはわかりませんが、『New Decade』を聴くと、電子音と声のほかに打楽器音が耳につきます。それとギターがあります。今回Phewはギターを弾かれたとうかがいました。

Phew:弾いたというよりは鳴らした――がちかいかな(笑)。ギターの音は好きでね、ここにギターの音があれば、と思って、やむをえず自分で弾いたんですが、こうしたい、でもできないというギャップは楽しかったですよ(笑)。

2000年代以降のアナログシンセのリヴァイヴァルはギター・サウンドの退潮とパラレルだったと思うんですね。アンチギター・ミュージックとして電子音といいますか。

Phew:だってギターは弾けなきゃはじまらないですか。電子音楽は(鍵盤楽器が)弾けなくてもできてしまう。パンクのとき、みんな楽器をもったことなくてバンドをはじめたということになっていますよね。でもやっぱり弾いているんですよ。スリーコードであってもコードを押さえているしドラムも稚拙とはいえエイトビートを叩いている、その点でパンクのなかでいちばんパンクだったのはモリ・イクエさんですよね。

私もDNAを思い出していました。

Phew:なにがもっともパンクかといえばDNAのモリさんのドラムですよ。だってね、パンクといってもみんなリズムを刻んで、どんなにズレていてもフィルインを入れたりしますよね。だけど、モリさん、DNAは曲の途中でドラムが止まったんですよ。これはすごいと強烈に思いました。ドラムはリズムを刻む楽器だという役割からこのひとは自由なのだと。『No New York』では、私は圧倒的にモリ・イクエさんのドラムとマーズですね。DNAはギターで語られることが多いじゃないですか。

アートさんのギターの革新性はよく話題になりますよね。

Phew:ちがいます(笑)。新しかったのはモリ・イクエさんのドラムです。ギターも好きですけど、新しいとか新鮮というのはちょっとちがう。ご本人はとくに意識していなくて、やりたいようにやった結果だと思いますが。逆説的にいうと、ほとんどのパンク・バンドは制度から自由じゃなかった。最低限のことはできるように練習はしましたから。

Phewさんも当時練習されました?

Phew:私はヴォーカルだから(笑)。ギターがヘタだとかいわれつつも、ちゃんと練習はしていたし巧い。今回ギターを演奏してみてギターをやっているひとはみんなすごいなと思った。Fがね。

何年音楽をやっているひとと話しているかわからなくなりますが、家にギターがあってもPhewさんはふだんギターを手にとることはなかったわけですね。

Phew:定期的にさわってはいたんですけど、コードという時点で止めちゃうんですね。かといってデタラメに弾いておもしろいことってそんなにないというか、すぐあきてしまう。弾けないと自由にあつかえないというかおもしろいことができるようになかなかならない。

そこまでわかっていてもギターの音がほしかったからつかってみたということですね。

Phew:頭のなかでピーンっという音、単音なんですが弦を弾いて出る音が鳴ったんですね。その弦の感じがほしかったんです。

“Into the Stream”にもその音がありますね。

Phew:ギターのノイズっぽい音がはいっていますね。

最初にとりかかった“Into the Stream”にギターがはいっているということは、ギターも音色のパレットの上に最初からあったということですね。

Phew:極一部ですけどね。それとB面の1曲目。CDだと4曲目の“Feedback Tuning”です。

最初につくったのが“Into the Stream”で最後“Days And Nights”だと、のこりの順番はボーナストラックの“In The Waiting Room”をのぞくとどうなりますか?

Phew:2作目が“Snow and Pollen”。3月で雪が降っていて花粉症と雪が一緒に来たということを歌っていたんですけど――

私はライナーで東日本大震災をひきあいに出しましたが、ひとつの考えということでおゆるしいただくとして、では3作目に手がけた楽曲は?

Phew:“Feedback Tuning”ですね。それから“Doing Nothing”~“Flash Forward”とつづきます。

そして最後が“Days And Nights”がくるわけですね。曲が出そろって最後に曲順を考えたということですか?

Phew:録りためた曲を並べつつ確認していたので、“Flash Forward”も最後のほうで撮ったんですよ。今年にはいってすぐくらいかな。全体的にあまりにも声がうるさいというかね(笑)。情報量のない曲が必要だと判断したんですね。

『Voice Hardcore』や『Vertigo KO』でも声はそれなりの比重を占めていたと思いますが、それらとはちがうんですか?

Phew:活字の情報をいっぱい調べていて、情報つかれが去年、今年とあると思うんですね。

「意味」ということですよね。

Phew:「ひとのことば」ですね。「意味」のないことをいっていても、人間の声はそこにあるだけで耳をそばだたせてしまう。私たちは意味があろうとなかろうと、声から情報をとろうとするが習慣になっている。それは自分の声だけじゃなくてひとの声もそうです。それがしんどい。どうしてもしゃべっているひと、声を出したひとのなにかが伝わってしまう。

私などは習性的にそこに意味を読もうとする傾向がつよいのかもしれません。Phewさんのおっしゃるとおり、2曲目や5曲目に疎らな空間があることでくりかえし聴けるポイントになったと思います。

Phew:この感覚っていまが最初ではなくて、震災後は歌を聴くのがしんどかったですよね。どうしようもないことが起こっていて、現にひとが進行形で死んでいて、それはどうすることもできない状況で、そんなときに音楽、歌って……というのと似ている気がしますよね。

それもあって震災から10年目にあたる今年世に問わなきゃいけないと考えたのではないか、とライナーで述べた気がします。

Phew:世に問うつもりはなかったですが、つながった気がしてすごく助かりました。でも自主制作じゃなくて中村さんから声をかけてもらって、外の世界とつながりができたのが、生き延びさせられてもらった感じがします。

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人間の声はそこにあるだけで耳をそばだたせてしまう。私たちは意味があろうとなかろうと、声から情報をとろうとするが習慣になっている。それは自分の声だけじゃなくてひとの声もそうです。それがしんどい。どうしてもしゃべっているひと、声を出したひとのなにかが伝わってしまう。

外の世界とのつながりであるとともに、『New Decade』のリリース元に〈Mute〉が名を連ねていることを考えると、過去とのつながりでもあると思います。

Phew:たしか92年だったと思いますが、『Our Likeness』というアルバムが〈Mute〉から出たのは来日した元DAFのクリスロ・ハースが私を探しあててくれたからなんです。

そうなんですか!?

Phew:はい。彼が私を捜しあててアルバムをつくりたいといってくれたんです。クリスロがドイツのコニーズ・スタジオでのレコーディングも〈Mute〉のダニエル・ミラーとのあいだもつなげてくれたんです。ダニエル・ミラーはクリスロをすごく買っていたというかファンだったんですね。クリスロがダニエル・ミラーに話して〈Mute〉からのリリースにこぎつけた。クリスロは80年代だったかな。コニーズ・スタジオに行ったときに見学に来ていたんです。クリスロは80年にコニーズ・スタジオに行ったときに見学に来ていたんです。

ああPhewさんのファーストのときですね。

Phew:当時私は彼のことは知らなかったんですけど、その直後にDAFの2枚目『Die Kleinen Und Die Bösen』(1980年)が〈Mute〉から出て、再会のときはなんとなく憶えていました。結局はコニーズ・スタジオでの録音がずっと尾を引いているということですよね。

クリスロ・ハースはなにかの仕事で来日していたんですか?

Phew:当時のパートナーが日本人だったんです。プライベートにちかかったと思います。

92年あたりだとPhewさんも東京にいらっしゃいましたよね。

Phew:そうですね。

知り合いつてでたどりついたということでしょうか?

Phew:前後の経緯は憶えていないんですけど、パートナーのひととクリスロと会って話がどんどんすすんでいきました。クリスロのパートナーはエツコさんというんですけど、ノイバウテンのメンバーとも親しくて、それでアレクサンダー・ハッケも参加することになったんですよ。

ということは『Our Likeness』ではクリスロさんがバンマス的な役割をはたしていたということになりますね。

Phew:そうですね。それとコニーズ・スタジオのクリスタ・ファスト、コニーのパートナーのクリスタと私はずっと友だちだったんですけど、彼女の尽力も大きかった。ふたりとも故人ですけどね。

クリスロさんは2004年に他界されました。

Phew:眠るように亡くなったと、クリスタから連絡をもらいました。『Our Likeness』はクリスロのおかげですよ。たしかそのときにダニエル・ミラーともロンドンで会いました。日本ではアルファ・レコードから出たのかな。

Phewさんのファーストと『Our Likeness』はディス・ヒートのファーストとセカンドの関係にちかい気がしますけどね。

Phew:そんな(笑)、ありがとうございます。ジャケットとかもぜんぜん知らなくて、ドイツのほうでみんなつくってくれました。

縁があったんですね。

Phew:さいきんアレクサンダー・ハッケとダニエレ・ド・ピシェット(Danielle de Picciotto)というハッケのパートナーから連絡があって、いまコラボレーションしているんですよ。ダニエレはラヴ・パレードのファウンダーのひとりで、ハッケ・ド・ピチェットというバンドもやっていて〈Mute〉から11月に出る予定です。

当時Phewさんは初期のDAFとかリエゾン・ダンジェルーズとかがお好きだったんですよね。

Phew:DAFの最初の2枚は大好き。ヴァージンに移ってからも好きですけどね。

Phewさんの音楽にクリスロさんからの影響があるとしたら、どういったところでしょう。

Phew:ヴァージンがアイドルとしてDAFを売り出すにあたってクリスロはDAFを追い出されましたよね。余計なメンバーを排除したわけです。そのときコニー・プランクがクリスロにはものすごく才能があるといって、Korgのシンセをあげたんですよ。これをやるから音楽をやれ、と。そのシンセを、『Our Likeness』の録音のとき遊びで弾いているのをみてびっくりしました。私はクリスロの演奏している場面はコニーズ・スタジオのレコーディングではじめて目にしたんですが、およそシンセで出そうにもない音を出している。音楽的な影響というのではないかもしれないですけど、音楽家はこうあるべきだという姿勢を、私はクリスロから学んだのはたしかです。影響というよりお手本かもしれないですね。彼のことはいつも頭にありますよ。当時彼に未発表音源を聴かせてもらったんですけど、すばらしかった。世には出ていないですけど、ほんとうにすごい。それはまわりにいたひと、アレクサンダー・ハッケなんかは口をそろえていうことです。でも彼は出さなかった。レコーディングでもすごく的確でした。なにかの音が足りないと思ったら、クリスロのアイデアで、コントラバスのちょっとした音をくわえてみる、すると途端に曲がよくなったりするんです。ミュージシャンが誰かのソロ・アルバムに参加する場合、いわゆる「演奏者」になりがちですが、クリスロはおおきな視点でみられる、捉えられるひとでした。リエゾン・ダンジェルーズなどは彼の才能のほんの一部で、あれだけのひとが自分の力を発揮できなかった音楽業界に対する不信感――みたいなものはやっぱりありますよね。

たしかに『New Decade』制作時のお話をうかがうと共通する構えのようなものを感じますね。ところで『New Decade』の全部のレコーディングが手離れしたのはいつだったんですか?

Phew:今年の3月の頭ぐらいだったかな。2月終わりか3月頭ですね。

即興といえば即興なのかもしれないですけど、いわゆる即興演奏ではないですよね。私は絵は描けませんが、絵を描いていると次はこういう色というのが描いていると出てくると思う、それにちかいんじゃないかな。

ボーナス・トラックの“In The Waiting Room”は未発表音源ですか、それとも新録ですか。

Phew:これは新たにつくりました。ちょうど〈Longform Editions〉というデジタル・レーベルから20分以上のトラックを提供してくれという依頼をずいぶん昔にうけていて、ずっととりかかれなれないでいたんですが、そのための作品としてつくっていた音源で、CDの最後にいれるのにふさわしい曲という両面から考えてあの曲になりました。

“In The Waiting Room”の曲名が次作への布石を思わせますが、すでになにか構想されているんですか?

Phew:次はね、考えてはいるんですけど、1枚のアルバムはひとの時間を奪うということじゃないですか。

はい、ひじょうにPhewさんらしいご意見だと思います(笑)。

Phew:出す側は1枚とおして聴いていただくことを念頭に置いていているんですね。じっさいそういう聴き方はあまりされないのでしょうけど、1枚分、40分なりの時間を奪わないアルバムということを考えています(笑)。まだぼんやりとした段階ですけど。だってね、3分や4分のMVが動画共有サイトにあげても、平均視聴時間を調べると全部みているひとってほとんどいないんですよ。何十秒、長くて1分。みんな時間を奪われたくないんだと思ったんですね。それでも音楽は時間にかかわってしまう。それを考えていて“In The Waiting Room”という曲ができたんです。20分以上の時間のなかでも、たとえば絵の展示ならひとが好きなように視線をめぐらせることができますよね。あのトラックは音のそういうあり方を考えてつくりました。次につながるかもしれないし、そうならないかもしれない。まあでももうつくっていますよ、いろいろ。4、5曲ありますよ。

どんなスタイルですか?

Phew:電子音です。わりといまはだた音を出しているのが楽しいですね。

それこそ10年という周期のなかで、Phewさんの純粋なソロの作品でも、最初は電子音だったものがちょっと変わってきていると思うんですね。ギターも、もちろん声もあります。だんだん変わっている、その総括としての「New Decade」の表題かなとも思ったんですけどね。

Phew:それはちょっと大袈裟かもしれないですけど(笑)、そういう部分もあるかもしれない。

アナログシンセを中心とした音づくりというよりは、ご自分のほしい音を追求するスタンスに変わったということでしょうか?

Phew:(作品が)完成するまでの段階に作為は必要ですが、つくる前にそういうことを考えるのはいっさいよそうと思っているんですよね。

“Feedback Tuning”などではひとの声をふくめた具体音を使用されています。それらの音も電子音やギターの弦を弾く音と同列ということになりますか?

Phew:あれはフリー素材なんですけど、なんとなくああいう音、ウッという声がほしいけど、それは自分のウッではないということで素材をつかったんですよね(笑)。それこそプロセスが導くんですね、そしてそれがおもしろい。

とはいえ即興ともまたちがう思考方法ですね。

Phew:即興といえば即興なのかもしれないですけど、いわゆる即興演奏ではないですよね。私は絵は描けませんが、絵を描いていると次はこういう色というのが描いていると出てくると思う、それにちかいんじゃないかな。

その喩えはわかりやすいです。

Phew:“In The Waiting Room”はそういう感じだったんです。待合室にいろんな退屈なものが並んでいる。お医者さんの尾待合室はすごく退屈じゃないですか。そのさい時計やかかっている絵なんかに視線をめぐらせる、そんな感じ。

ただ現代は退屈をことのほか敵視しますからね。待合室でもきっとスマホみていると思うんですよ。

Phew:よいわるいじゃなくて、でもそういうふうに変わってきているともいえるわけですよね。

現状を追認するばかりでも仕方ないとも思いますし、無視をきめこむと理解をえられないのかもしれないですね。その点でPhewさんの次作以降もすごく楽しみなんですが、MVについてもうかがっておきたいです。“Into The Stream”のMVはそれこそスマホでも視聴できますが、どういういきさつで撮影することになったのでしょう。

Phew:“Into The Stream”は青木理沙さんという『Vertigo KO』のときも映像を制作してくれた方にやっていただいたんですね。『Vertigo KO』のときはロケーションなどを私が提案したんですが、今回は青木さんにおまかせしました。

「Feedback Tuning」など、今回のアルバムには映像喚起的な楽曲もありますよね。Phewさんご自身がこんご映像を手がけられる予定はありますか?

Phew:7~8年前にやりかけていたんですけどね。

いまはなきスーデラ(SuperDelux)で拝見したことがあります。よかったですよね。

Phew:やりたいんですよ。映像って機材の問題があるんですよ。

いつも機材の話をされている気がしますね(笑)。

Phew:(笑)映像はデータが重いんですよ。自分のもっているパソコンだと編集ソフトが動かなくて、放ったらかしになっているんですけどね。

スーデラのときPhewさんのつくった映像がすごく印象にのこっていて、『Voice Hardcore』を聴いたとき、Phewさんのあの映像が頭で再生した憶えがあります。

Phew:今回は「Days Nights」のMVも塩田さんにつくっていただいたんですよ。はじめての映像作品みたいですよ。

ジャケットも塩田さんですよね。ジャケットのヴィジュアルのコンセプトを教えてください。

Phew:表1の写真は塩田さんが〈目から〉というタイトルで撮りためているなかから選ばせてもらいました。カーブミラーの写真です。

選んだポイントは?

Phew:まなざしですね。自分以外のまなざし、それが全部みている。そういうイメージです。抽象的ですけど、音に導かれて次の音が出て来て一枚のアルバムができた、そこに自分以外のまなざしというか、自分以外のものがあることが大切だったんですね。またこのジャケットがね、CDもLPも、こんな凝ったことムリだろうと思うくらい、とても贅沢なスペシャルな仕様なんですよ。実現できてすごくうれしかった、ぜひ実物を手にとってもらいたいです。

DELAY X TAKUMA - ele-king

 なんとなんと、モダン・クラシカルとエクスペリメンタルあるいはアンビエントを自由に往復する音楽家・渡邊琢磨の楽曲をダブ・テクノの騎手ヴラディスラヴ・ディレイがリミックスするというのは、良いニュースです。しかもただのリミックスではありません。最新作『ラストアフターヌーン』に収録の2曲を1曲に再構築するという、これが2ヴァージョン(つまり4曲が2曲に再構築されている)、かなりの迫力ある音響に仕上がっています。デジタル配信は11月5日、来年の1月にはUKの〈Constructive〉から12インチとしてリリースされる。
 野党も共闘していることだし、音楽もジャンルの壁を越えています……なんてね。

Delay x Takuma
Constructive
※ヴァイナルは2022年1月7日発売

Moritz Von Oswald Trio - ele-king

 よく音楽は時間芸術だと言われる。が、音楽は空間芸術でもある。たとえばJポップには「Aメロ→Bメロ→サビ」の定型を保守した曲が多いけれど、音楽の魅力は展開=物語のみにあるわけではない。その対極にあるのが反復による音楽で、それは時間を宙づりにする。音は物語ではなく「場」になる。

 ミニマル・テクノの巨匠、モーリッツ・フォン・オズワルドひさびさのフルレングスがリリースされた。アルバムとしては4年ぶり、トリオとしては6年ぶりの新作だ。『Dissent』は、長いキャリアを誇るヴェテランの新作として申し分のないクオリティを具えた1枚に仕上がっている。ミニマル・テクノが生まれてから30年を経たいまとなっては大きな驚きはないかもしれないが、しかし若さだけでは創出できないだろう、素晴らしいサウンドがここでは鳴り響いている。

 オズワルドの音楽のキャリアは、1980年代に活躍したノイエ・ドイチェ・ヴェレを代表するバンドのひとつ、パレ・シャンブルグの後期メンバーとしてはじまっている。ホルガー・ヒラーとトーマス・フェルマンというふたりの個性が率いたそのバンドが、当初の前衛的サウンドからダンスへと移行した時期だった。
 けれどもオズワルドの名がテクノ・シーンにおいて大きな意味をもって記憶されるようになるのは、彼がベルリンでレコード店「ハードワックス」を営み、レアグルーヴとレゲエの研究家でもあったマーク・エルネストゥスと出会い、ベーシック・チャンネル(BC)を始動させてからだ。いや、正確に言えば、BCがシーンに衝撃を与えた初期の重要曲 “Phylyps Trak” をリリースした時点においても、オズワルドの名はまだ知られていない。というのも、デトロイトのURに多大な影響を受けたふたりは、当初は正体を明かさず徹底した匿名主義を貫き、取材もいっさい受けなかったからだ(編集長によれば、90年代なかばにUKのダンス系メディアがオズワルドの写真をすっぱぬいて、そのころになってようやく、どうやらメンバーに元パレ・シャンブルグのオズワルドがいるらしいと情報が広まっていったそうだ)。
 BCは、ジェフ・ミルズと双璧をなすミニマル・テクノのパイオニアだ。ミルズよりもさらに抽象的なそのサウンドは、当時としては革命的だった。ゆえに大量のフォロワーを生んでいるが、たとえばポールヴラディスラフ・ディレイはBCがいなければ登場できなかっただろう。

 革命を成し遂げたオズワルドとエルネストゥスは、90年代半ばになるとラウンド・ワン(~ラウンド・ファイヴ)名義でハウスにチャレンジ、90年代後半から00年代前半にかけてはリズム&サウンドを名乗り、よりレゲエ/ダブに寄ったアプローチを探求していく……が、やがてふたりは異なる道を歩むことになる。リズムを求めアフリカへと向かったエルネトゥスに対し、オズワルドはミニマル・テクノの可能性をさらに追求していった。
 その最初の成果たるモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオ(以下MvOT)のアルバム『Vertical Ascent』が送り出されたのは、2009年のことである。MvOTからはその後『Horizontal Structures』(2011)、『Fetch』(2012)と立て続けに2枚のアルバムが送り出されているが、ほぼ同時期、彼はデトロイト・テクノの創始者ホアン・アトキンスとのスリリングなコラボ作品も発表している。2015年にはMvOTにトニー・アレンを招いて『Sounding Lines』をリリース、エレクトロニクスとアフロビートとの見事な邂逅は記憶に新しいところだ。
 ほかにもカール・クレイグとの『ReComposed』(2008)やノルウェイのジャズ・トランペッター、ニルス・ペッター・モルヴェルとの『1/1』(2013)、キルギスタンの民族音楽グループ Ordo Sakhna との共作(2017)など、クラシック音楽にジャズに民族音楽にと、00年代以降オズワルドの関心の幅はどんどん広がっているわけだが、そのすべてに通底しているのは、ミニマル・テクノはいかに拡張できるのかという発想である。新作『Dissent』も例外ではない。

 今回、オズワルド以外のメンバーは総入れ替えとなっている。ひとりは10年代エレクトロニック・ミュージックの重要な担い手たる、ローレル・ヘイロー。本作ではキーボードを任され、メロディの部分を担当している。もうひとりはドイツのジャズ・ドラマー、ハインリヒ・ケッベリンク。〈ECM〉からリリースを重ねるピアニスト、ジュリア・ハルスマンのクァルテット/トリオで活躍する人物だ。オズワルドによるダブ処理やシンセ、総合的なディレクションが本作の核をなしているのはもちろんなのだけれど、ヘイローの奏でる上品な旋律とケッベリンクによる生のドラムがこれまでのMvOTにはなかった新鮮な表情と、親しみやすさをもたらしている。
 たとえば “Chapter 2” で、からからと心地よく鳴るパーカッションにユニゾン的に重ねられるオルガン。あるいは “Chapter 4” や “Chapter 8”、“Chapter 9” などで聞かれるジャジーな和音~旋律は、MvOTの新機軸と言えるだろう(かつてニルス・ペッター・モルヴェルがトランペットで果たしていた役割を引き継いでいるとも解釈できる)。
 ドラムも聴きどころで、生楽器の躍動がヴィヴィッドなセッション感を演出している。とはいえ、おそらくオズワルドによって巧みにコントロールされているのだろう、けっして「ドラムでござい!」と暴れまわっているわけではない。前回のトニー・アレンしかり、オズワルドは凄腕のドラマーのプレイをある種の「機材」として扱うことで、自身のミニマリズムを更新しようと実験しているのかもしれない。
 かつてなくヴァラエティに富んでいるところも本作の特徴だ。前景に構える鍵盤&ドラムと、遠くでかさかさと音を立てるパーカッションとの絶妙な距離感を楽しませてくれる “Chapter 3” はアンビエント・テクノだし、具体音を活用した “Chapter 7” やナイヤビンギを想起させる “Chapter 10” なども興味深い。前半は抽象的ないしは落ち着いたムードの曲が並んでいるが、後半は4つ打ちも登場、アルバムはどんどん盛り上がりを見せていく。もっとも印象的なのはディープ・ハウスの “Chapter 5” だろう。おなじ昂揚はラストの “Epilogue” でも味わうことができる。

 アルバムを通してオズワルドは、未知の他者によるプレイをまさに制御することによって、自身のミニマリズムを堅守しつつ、そこに新たな命を吹き込もうと奮闘しているのだ。ミニマル・テクノは、はたしてどこまで進むことができるのか? その回答がこのアルバムには示されている。ヴェテランの気概にあふれる1枚だ。

interview with Lucy Railton - ele-king

 今春、イギリスのレーベル〈SN Variations〉から、本稿でご紹介するチェリスト/作曲家のルーシー・レイルトン(Lucy Railton)と、ピアニスト・オルガニストのキット・ダウンズ(Kit Downes)による作品集成『Subaerial』が送られてきた。アルバム1曲目“Down to the Plains”の中程、どこからともなく聴こえてくる木魚のようなパルス、篝火のように揺らめくパイプオルガンの音、ノンビブラートのチェロが直線的に描き出す蜃気楼、そして録音が行われたアイスランドのスカールホルト大聖堂に漂う気配がこちらの日常に浸透してくる。その圧倒的な聴覚体験に大きな衝撃を受けた。

 ルーシー・レイルトンの〈Modern Love 〉からリリースされたファースト・アルバム『Paradise 94』(2018)は、当時のドローン、エクスペリメンタル・ミュージックを軽く越境していくような革新的な内容であると同時に、音楽的な価値や枠組みに留まらないダイナミックな日常生活の音のようでもあった(アッセンブリッジな音楽ともいえるだろうか?)。その独自の方向性を持ちつつ多義的なコンポジションは、その後の諸作でより鮮明化していくが、前述の新作『Subaerial』では盟友キット・ダウンズとともに未知の音空間に一気に突き進んだように思われる。絶えず変化し動き続ける音楽家、ルーシー・レイルトンに話を伺った。

私には素晴らしい先生がいました。その先生はとても反抗的で、クラシック音楽の威信をあまり気にしない人だったので、その先生に就きたいと思いました。というのも、私はすでにクラシック音楽に対して陳腐で嫌な印象を持っていて、何か別のことをしたかったので。

ロンドンの王立音楽院に入学する以前、どのようにして音楽やチェロと出会ったのでしょうか。

ルーシー・レイルトン(LR):私はとても音楽的な家系に生まれたので、子供のころから音楽に囲まれていました。胎内では母の歌声や、父のオーケストラや合唱団のリハーサルを聞いていたと思います。父は指揮者で教育者でもありました。母はソプラノ歌手でした。父は教会でオルガンを弾いていたのですが、その楽器には幼い頃から大変な衝撃を受けてきました。私は、7歳くらいになるとすぐにチェロを弾きはじめました。その道一筋ではありましたが、子供の頃はいろいろな音楽を聴いていて、地元で行われる即興演奏のライヴにも行っていました。即興演奏やジャズは、私がクラシック以外で最初に影響を受けた音楽だと思います。そこから現代音楽や電子音楽に引かれ、ロンドンで本格的に勉強を開始しました。

王立音楽院在籍時印象に残っている、あるいは影響を受けた授業、先生はいましたか?

LR:英国王立音楽院では、特別だれかに影響を受けたことはありませんでしたが、私には素晴らしい先生がいました。その先生はとても反抗的で、クラシック音楽の威信をあまり気にしない人だったので、その先生に就きたいと思いました。というのも、私はすでにクラシック音楽に対して陳腐で嫌な印象を持っていて、何か別のことをしたかったので。その先生は、私に即興演奏や作曲することを勧めてくれて、練習の場も設けてくれたので感謝しています。
 それから、ニューイングランド音楽院(米ボストン市)で1年間学んだときは、幸運にもアンソニー・コールマンと、ターニャ・カルマノビッチというふたりの素晴らしい音楽家に教わることができました。彼らは私のクラシックに対する愛情を打ち破り、表現の自由とはどのようなものかを教えてくれました。同院にはほかにも、ロスコー・ミッチェルのような刺激的なアーティストが来訪しました。彼はたった1日の指導とリハーサルだけで、ひとつの音楽の道を歩む必要はないことを気づかせてくれました。私はその時点でオーケストラの団員になるつもりはなく、オーディションのためにドヴォルザークのチェロ協奏曲を学ぶ必要もありませんでした。創造的であること、そしてチェリストであることは、オーケストラの団員になるよりも遥かに大きな意味があることを理解しました。これはその当時の重要な気づきでした。

私は、チェロに加えて新しい音の素材を探していたのですが、それらのとても混沌としたシンセは、私が作りたい音楽にとって必要十分で甚大なものだと感じました。自分の好みが固まったところで、すべてのものを織り交ぜる準備ができました。

ジャズや即興演奏に触れる稀有な機会のなかで、クラシック以外の音楽に開眼されていったとのことですが、電子音楽やエレクトロニクスをご自身の表現や作品制作に取り入れるようになった経緯も教えていただけますか。

LR:それは本当に流動的な移行でした。まず、ルイジ・ノーノの『Prometeo』(ルーシーは同作の演奏をロンドンシンフォニエッタとの共演で行っている)のような電子音響作品や、クセナキスのチェロ独奏曲のような作品に、演奏の解釈者として関わりましたが、その間、実に多くの音楽的な変遷を遂げていきました。それは、私がロンドンのシーンで行なっていたノイズやエレクトロニック・ミュージシャンとの即興演奏、キット・ダウンズとの演奏、そしてアクラム・カーンの作品(「Gnosis」)におけるミュージシャンとの即興演奏に近いものです。インドのクラシック音楽のアンサンブルである「Gnosis」のツアーに参加した際、即興演奏の別の側面を見せてもらいましたが、それは実験とは無縁で、すべてはつながりと献身に関連していました。
 また20代の頃は、自分でイベントや音楽祭を企画していたので、自然と実験的な音楽への興味を持つようになりました。そういった経過のなかで、何らかの形で私の音楽に影響を与えてくれた人びとと出会いました。とくに2013年から14年にかけては多くの電子音楽家に出会いました。ことピーター・ジノヴィフとラッセル・ハズウェルとのコラボレーションでは、即興と変容が仕事をする上で主要な部分を占めていて、そういった要素を自分で管理することがとても自然なことだと感じ、いくつかのモジュールを購入して、シンセを使った作業を開始しました。
 それから、Paul Smithsmithに誘われてサリー大学のMoog Labに行き、Moog 55を使ってみたり、EMSストックホルムに行ってそれらの楽器(Serge/Blucha)を使ってみたりしました。
 私は、チェロに加えて新しい音の素材を探していたのですが、それらのとても混沌としたシンセは、私が作りたい音楽にとって必要十分で甚大なものだと感じました。自分の好みが固まったところで、すべてのものを織り交ぜる準備ができました。私のアイデンティティのすべてを、何とかしてまとめ上げようとしたのが『Paradise 94』だったと思います。

テクノロジーや電子音と、ご自身の演奏や音楽とのあいだに親和性があると考えるようになったのはなぜでしょうか。あるいは、違和感を前提としているのでしょうか。

LR:これらの要素を融合させることには確かに苦労しますし、まだ適切なバランスを見つけたとは言えません。チェロのようなアコースティック楽器をアンプリファイして増幅することは少々乱暴です。しかし、スタジオでは編集したりミックスしたり、あらゆる種類のソフトウェアやシンセを使ってチェロをプッシュしたりすることができて、それはとても楽しいです。ライヴの際、チェロをエレクトロニック・セットのなかのひとつの音源として使いたいと思っていますが、それをほかのすべての音と調和させるのは難しいですね。
 なぜなら、私がチェロを弾いているのを観客が見ると、生楽器と電子音のパートを瞬時に分離してしまい、ソロ・ヴォイスだと思ってしまうことがあるのです。また(チェロが)背景のノイズや音の壁になってしまうこともあり、観客だけではなく私自身も混乱してしまうことがあるのです。スタジオレコーディングでは何でもできますが、ライヴでの体験はまだ難しいです。

そして2018年に、〈Modern Love〉から鮮烈なソロ・デビュー・アルバム『Paradise 94』をリリースされます。先ほど、ご自身のアイデンティティのすべてをまとめ上げようとしたのが本作であるとお伺いしましたが、本作の多義的なテクスチュアや音色は、生楽器と電子音によるコンポジションと、そのコンテクストに静かな革命をもたらしていると思います。本作における音楽的なコンセプト、アイディアは何だったのでしょうか?

LR:私は、ミュージシャンとしてさまざまなことに関わってきた経験から多くのことを学んだと感じていました。『Paradise 94』を作りはじめるまでは、自分の音楽を作ったことがなかったので、いろいろな意味で自分の神経を試すようなものでした。私は初めて自分の声を発表しましたが、それは当然、自分が影響を受けてきたものや興味のあるものを取り入れたアルバムです。自分の表現欲求と興味を持っている音の世界に導かれるように、このふたつの要素を中心にすべてを進めていったと思います。素材や少ないリソースから何ができるかを試していましたが、このアルバムはその記録です。

‘Paradise 94’

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それぞれの楽曲は、別々の時期に制作されたものですか? また制作過程について教えてください。

LR:はい。完成までに約3年かかりました。終着点のない、ゆっくりとした登山のようなものでした。私は期限を決めずに作業をしていました。時間をかけて、気分的にも適切な時にだけ作業していましたし、その時期は、ロンドンとベルリンを頻繁に行き来していました。ロンドンではフリーランスのミュージシャンとして活動していましたが、ベルリンでは自分の仕事に専念するようになりました。その為このアルバムは、さまざまな場所や状況と段階で制作されたので、多くの点で焦点が定まっていませんでした。だからこそ、ヴァラエティに富んだレコードになっているのかもしれません。私はこの点はとても気に入っています。

本アルバムには、巻上公一さんが、“Drainpipe(排水管?)”で参加されてますね。巻上さんとはどのようにして知り合ったのですか?(私事ですが、巻上さんがコンダクトしたジョン・ゾーンの『コブラ』に参加したことがあります)

LR:巻上さんとは、日本のツアー中に出会いました。彼の芸術性には刺激を受けましたし、とても楽しい時間を過ごすことができました。実際にはアルバムのなかでは、あまり実質的なパートではなかったのですが、巻上さんとロンドンで一緒にパフォーマンスをしたとき、彼は’drainpipe’を演奏したのですが、それはとても特別なものでした。彼のエネルギーが、その時の私に語りかけてきました。当時の私は、レコーディングのためにいろいろな音を集めて準備していたのですが、巻上さんが親切に彼の音を提供してくれました。それは今も、素材の網目のなかに埋め込まれ、彼のインスピレーション記憶として存在しています。彼のパフォーマンスは、私のライブにも影響を与えてくれました。彼は素晴らしいアーティストです。

あらゆる点で。私は音楽業界に近づくことよりも、創造性に焦点を当て、自分と同じ価値観を共有できる人々と時間を過ごすことが重要だと感じています。私が音楽をやる理由はそこ(業界)にはありません。

2020年には多くの作品をリリースしています。はじめに、ピーター・ジノヴィエフとのコラボレーション作品『RFG - Inventions for Cello and Computer』についてお伺いします。あなたとピーターはLCMFで出会って、コラボレーションのアイディアについて話し合いました。それから、あなたの即興演奏を録音したり、ピーターがエレクトロニクスを組み立てたりしながら、一緒に作品を作り上げていきました。このプロセスから生まれた作品をライブパフォーマンスでおこなう際、そこに即興の余地はあるのでしょうか?

LR:『RFG - Inventions for Cello and Computer』における演奏は、固定された素材と自由なパーツの混在から成る奇妙なものです。そのため、ライヴで演奏するのは難しく、チャレンジングな部分があります。ピーターのエレクトロニクスは固定されているので、私は彼と正確に(演奏を)調整しなければならないので(その指標として)時計を使います。もちろん時計は融通が効かないので、更にストレスがたまります。このように苦労はしますが、これもパフォーマンスの一部であり、意図的なものです。私は作曲時に固定した素材を使って即興で演奏していますが、時には素材から完全に逃れて「扇動者」、「反逆者」、「表現力豊かなリリシスト」のように振る舞います。また、電子音のパートと正確に調整する際には、通常の楽譜を使用することもありますし、例えば、ピーターのパートとデュエットすることもあれば、微分音で調律された音のシステムを演奏することもあります。本作の演奏方法は、既知のものとかけ離れていることが多いので、ガイドが必要になります。それはなければ即興演奏をすることになりますが、(作品には)即興ができる場所と禁止されている場所がありました。

一般的にピーター・ジノヴィエフは、EMS Synthiなどのシンセサイザーを開発した先駆者と言われていますが、このコラボレーションにおいてピーターは、実機のシンセサイザーではなく、主にコンピュータを使用したのでしょうか?

LR:はい。実はピーターはアナログシンセで音楽を作っていたわけではないのです。もちろん、彼がアナログシンセを開発した功績は称えられています。しかし作曲家としては、伝統的なアナログ・シンセはあまり使っておらず、所有もしていませんでした。『RFG - Inventions for Cello and Computer』では、彼の2010年以降の他の作品と同様、コンピュータの技術やソフトウェアを利用しています。彼は常に私の録音を素材としていたので、作品のなかで聞こえるものはすべてチェロから来ています。彼がおこなった主な作業は、Kontaktやさまざまなプラグインを使って音を変換し、電子音のスコアをつくることでした。彼はソフトウェアの発展に魅了され、コンピュータ技術の進歩に驚嘆し魅了されていました。それと同時に彼は、人間と楽器(私やチェロ)がコミュニケーションをとるための新しい方法を常に模索していました。ですから、私たちの実験の多くは、コンピュータによる認識、特にピッチ、リズム、ジェスチャーに関するものでした。

同年、オリヴィエ・メシアンの『Louange à l'Éternité de Jésus』がリリースされましたが、このレコードの販売収益を、国連難民局のCovid-19 AppealとThe Grenfell Foundationに均等に分配されています。10年前に録音された音が、この激動の時代に明確な目的を持ってリリースされたことに感銘を受けました。

LR:LR:これは、私が24歳の時の演奏で、家族の友人が偶然コンサートを録音してくれたのですが、そのときの観客の様子や経験から、ずっと大切にしてきたものです。それが録音自体にどう反映されているかはわかりませんが、その演奏の記憶はとても強く残っています。そのことについては、ここで少し書きました
 当時の私は、自分が癒される音楽を人と共有したいと思っていましたが、この曲はまさにそれでした。最初は友人や家族と共有していましたが、その後、リリースすることに意味があると気づきました。その収益を、Covid-19救済を支援していた団体に寄付しました。そのようにしてくれた〈Modern Love〉(マンチェスターのレコードショップ’Pelicanneck’=後の’Boomkat’のスタッフによって設立された英レーべル)にはとても感謝しています。

INA GRMとの関係とアルバム「Forma」の制作経緯について教えてください。

LR:彼らは若い世代の作曲家と仕事をすることに興味を持っており、2019年にINA GRMとReimagine Europereimagine europeから(作品制作の)依頼を受けました。私はすでにミュージック・コンクレートや電子音楽に興味と経験を持っていたので、GRMのアクースモニウム(フランスの電子音楽家、フランソワ・ベイルによって作られた音響システム)のために作曲するには良い機会でした。この作品を初演した日には54台のスピーカーがあったと思います。私は主にチェロの録音、SergeのシンセサイザーとGRMのプラグインを使って作業しました。ただ、マルチチャンネルの作品を作ったのはこれが初めてでしたし、非常に多くのことを学びました。この作品が(音の)空間化の旅の始まりになりました。GRMのチームは、信じられないほど協力的で寛大です。作曲からプレゼンテーションまで、チームが一緒になって新しい作品制作を行います。私はこれまでとても孤独な経験を通してレコードを作ってきましたが、それらと(本作は)全く違いました。「Forma」(GRM Portraitsより、2020年リリース)では、とてもエキサイティングでチャレンジングな時間を過ごし、この作品を通して自分の音楽に新しい形をもたらしたと感じました。

'Forma'

Editions Mego · Lucy Railton 'Forma' (excerpt) (SPGRM 002)

今年の初めに、Boomkat Documenting Soundシリーズの『5 S-Bahn』がレコードでリリースされました。Boomkatのレヴューによると、ロックダウン下にご自宅の近所で録音されたそうですね。このアルバムに収められたサウンドスケープを聴いていると、あなたの作品は音楽的な価値や枠組みから逃れて、よりダイナミックな日常生活の音に近づいているように思えます。パンデミック以降、日常生活はもちろんですが、音楽制作に変化はありましたか?

LR:そうですね。あらゆる点で。私は音楽業界に近づくことよりも、創造性に焦点を当て、自分と同じ価値観を共有できる人びとと時間を過ごすことが重要だと感じています。私が音楽をやる理由はそこ(業界)にはありません。私は、業界の人びとがいかに自分の成功を求めて、互いに競い合っているかに気づきました。これまで音楽制作においても社会生活においても、彼らの期待や要求に気を取られ過ぎていました。いまでは、自分の価値観や芸術的な方向性をより強く感じていますし、それは1年以上にわたって家やスタジオで充実した時間を過ごしたからです。自分の方向性が明確になり、それを認めてくれる人やプロジェクトに惹かれるようになりました。ですから、今の私の音楽作りは、よりパーソナルなものに自然となってきています。来年には変わるかもしれませんが、それは誰にもわかりません。

新作『Subaerial』についてお伺いします。キット・ダウンズと一緒に演奏するようになったきっかけを教えてください。

LR:キットと私は、2008年にロンドンに留学して以来の知り合いで、長い付き合いになります。主に彼のグループで演奏していましたが、他の人とも一緒に演奏していました。『Subaerial』は、チェロとオルガンを使ったデュオとしては初めてのプロジェクトです。この作品は私たちにとても合っています。私は、ジャズクラブでチェロを弾くのはあまり好きではありませんでした。というのも音が悪いのが普通で、特にチェロの場合、私は音質に敏感です。オルガンのある教会やコンサートホールで演奏するようになってから、突然快適になり、アンプリファイの問題も解消され、表現力を発揮できるようになりました。
 教会では、音に空気感も温かみもあり、空間や時間の使い方もまったく違うものになります。このアイディアに辿り着くまで13年かかってしまいましたが、待った甲斐がありました。このアルバムは、私たちにとって素晴らしい着地点だと思います。私たちはお互いに多くの経験をしてきたので、自分たちの音楽のなかに身を置き、一緒に形成している色や形に耳を傾ける時間を持つことができます。チェロがリードしているように思えるかもしれませんが、実際にはそんなことはなく、私は部屋のなかの音に反応しているだけなのです。
 キットは最高の音楽家ですから、彼がやっていることからインスピレーションを得ることも多くありますが、私たちはすべてにおいてとても平等な役割を担っています。お互いが、非常に敬意を持って深く耳を傾けることができるコラボレーションに感謝しています。

Lucy Railton & Kit Downes Down ‘Subaerial’

このアルバムは、アイスランドのスカールホルト大聖堂で録音されたものです。あなたとキットは、なぜこの大聖堂をレコーディングに選んだのでしょうか? また、レコーディングの期間はどのくらいだったのでしょうか?

LR:車を借りて、海岸沿いの小さなチャペルからレイキャビックのカトリック教会まで、いくつかの教会をまわりました。実際にはすべての教会で録音してみましたが、スカールホルトでは最も時間をかけて録音しました、というのも場所、音響、空間の色が適切だったからです(太陽の光でステイングラスの赤と青の色が内部の壁に投影されることがよくありました)。だから、私たちは快適で自由な気分で、一週間を過ごしました。しかし、アルバムに収録されている音楽は、ある朝、数時間かけて録音したものを42分に編集したものです。

このアルバムは、基本的に即興演奏だと聞いています。レコーディングを始める前に、あなたとキットは何かコンセプトやアイデア、方向性を考えていましたか?

LR:いえ、私たちはただ何かをつかまえたかったのです。新曲を作るつもりではありましたが、しばらく一緒に演奏していなかったので、その演奏のなかで再開を楽しみました。また、ピアノではなくオルガンを使った作業は、私たちデュオにとってまったく新しい経験だったので、「音を知る」ことが多く、その探究心がこのアルバムに強く反映されていると思います。なので、ある意味では、新しい音を求めるということ自体がコンセプトでしたが、音楽を作ることは常に、未来への探求、そして発見だと思います。

今後の予定を教えてください。

LR:実はまだ手探りの状態で、先が見えない不安もあります。しかし、パンデミックが教えてくれたのは、このような状況でも問題ないということ、そして期待値を下げることです。「大きな」プロジェクトも控えていますが、最近は最終的なゴールのことをあまり考えないようにしています。その代わり、もっと時間をかけて物事をより有機的に感じ取るようにしています。なぜなら、そのポイントに向かう旅路が最も重要だからです。たとえすべての予定がキャンセルになったり、何かがうまくいかなかったとしても、創造の過程にはすでに多くの価値があり、それはすべて集められ、失われることはありません。

Lucy Railton & Kit Downes
タイトル:Subaerial
レーベル:SN Variations (SN9)
リリース:2021年8月13日
フォーマット:Vinyl, CD, FLAC, WAV, MP3

ルーシー・レイルトン/Lucy Railton
ベルリンとロンドンを拠点に活動するチェリスト、作曲家、サウンドアーティスト。イギリスとアメリカでクラシック音楽を学んだ後、即興演奏や現代音楽、電子音楽に重点を置き、Kali Malone、Peter Zinovieff、Beatrice Dillonほか多岐に渡るコラボレーションを行っている。また、Alvin Lucier、Pauline Oliverosなどの作品を紹介するプロジェクトにも参加している。2018年以降、Modern Love、Editions Mego/GRM Portraits、PAN、Takuroku等から自身名義のアルバムをリリースし、約50のリリース(ECM、Shelter Press、Ftarri、Sacred Realism、WeJazz、Plaist)に客演している。https://lucyrailton.com/

Lucrecia Dalt & Aaron Dilloway - ele-king

ノイズを無視するとかえって邪魔になる。耳を澄ますと、その魅力がわかる。 
 ——ジョン・ケージ『サイレンス』(柿沼敏江 訳)


 アーロン・ディロウェイなるアーティストは、今日日のノイズ好きにとってはほとんどカリスマのひとりなのだが、ふだんはノイズを聴かないリスナーのなかにもファンは多くいる。昔から過剰に多作なノイズ界において、ディロウェイのアルバムはたびたび広く注目され、海外のメディアでも積極的に紹介されている。『モダンな道化師(Modern Jester)』(2012)や『ダジャレ名簿(The Gag File)』(2017)といった代表作の題名からも匂うように、そこには「狂気」とともに「笑い」が含まれていることがその理由のひとつであろうと、ぼくはにらんでいる。『ダジャレ名簿』のアルバム・スリーヴは腹話術で使う人形のバストショットだったが、見方によってはある種気味の悪さがあり、別の見方によっては滑稽でもあり、さらにまた別の見方では可愛くもある。こうしたアンビヴァレンスは、ディロウェイ作品の魅力であり、彼のノイズの本質を代弁していると言えるだろう。

 ミシガン州デトロイト郊外の町ブライトンで生まれ育ったディロウェイにとってのもっとも初期の影響は、少年時代に出会ったバットホール・サーファーズだ。子供だったこともありバンド名からしてゲラゲラ笑ったそうだが(but holeにはケツの穴、いやな奴などといった意味がある)、これがパンクってもんだと教えられた彼にとって、あとから聴いたセックス・ピストルズは、ただただ凡庸なロックにしか聴こえなかった。
 ディロウェイの影響でもうひとつ大きかったのは、キャバレー・ヴォルテールの『ザ・ヴォイス・オブ・アメリカ』だ。テープ・コラージュ(高尚に言えばミュジーク・コンクレート)という、彼の創作におけるもっとも主軸となる手法を彼はこのアルバムによって知った。で、それをもって、1998年にミシガン州デトロイト郊外の町アナーバー(デストロイ・オール・モンスターズの故郷)にて、インダストリアル・ノイズ・バンド、ウルフ・アイズを結成、ディロウェイ自身のレーベル〈Hanson〉からデビューする。とは言うものの、ディロウェイは、ウルフ・アイズがゼロ年代半ばに大手インディの〈サブ・ポップ〉からアルバムを出すくらいにまでになってしまうと、プロモーションなどが面倒でバンドを去る。以来彼は、コラボ作こそ多くあれど、基本的にはソロ・アーティストとして活動を続けている。
 ディロウェイはかつて、イギリスのFACTマグの依頼でDJミックスを作成したことがある。選曲はすべてビートルズやらストーンズやらボウイやらといった超有名どころの、ただしコピー・バンドの演奏を集め、エディットし、そこに不快で奇妙なノイズをミックスしたものだった。安倍晋三ではないが自分たちサークルの正統性を振りかざし、その外部を批判ばかりしている人たちを舐めきっているかのようなノイズ、いかにもディロウェイらしいキッチュなものへの愛情、いかがわしさへの関心は、有名ロック・バンドのライヴ映像の海賊版VHSへの偏愛にも言える。いささかアイロニカルとはいえ、ディロウェイの創作にはメタな視点があり、彼の諧謔性はキャプテン・ビーフハートやザ・レジデンツにも通じている。奇怪なその音響、サウンドプロダクションに関して言えば、AFXの牧歌的ではない側面が(も)好きなリスナーにも推薦したい。
 
 コミカルで、よく見ると不気味なスリーヴアートをあしらったディロウェイの新作は、〈Rvng Intl.〉からの作品で知られる、現在はベルリン在住の電子音楽家、ルクレシア・ダルトとの共作『ルーシー&アーロン』、これがじつに良かった。考えてみれば、男女のデュオという点では前回レヴューしたマリサ&ウィリアムと同じで、ふたりの個性が合流することでマジックが生まれているという点もまた同じ、音楽性は著しく違っているけれどね。なにしろこちらはディロウェイのバカバカしいテープ・ループ、不快なミニマリズム、ダルトの妖しい声と幻想的なシンセサイザーによるシュールで魅惑的なガラクタというか呪文というか。しかもユーモアと恐怖が交錯する『ルーシー&アーロン』には、曲によってはグルーヴもあり、所々ぼくにはファンキーに聴こえたりもする。ひとつの感情に凝り固まらない、安易にディストピアでもない、こうした毒の入った笑える音楽は、自分の正気を保つためにもいま必要なのだ。
 現在はオハイオ州オバーリンで暮らしているディロウェイは、ダルトとは数年前のツアー中に知り合っている。お互いを賞賛し合っているふたりはアルバムを作ることを決め、その多くはNYで録音されている。残りの作業はそれぞれの自宅、ベルリンとオバーリンで終えたそうだ。なお、ディロウェイはこの10月末、ジョン・ケージの作品を蒐集し、整理し、広める非営利団体「ジョン・ケージ・トラスト」からの招待を受けてケージの12台のレコーダーを使用したテープ音楽作品「Rozart mix」をディロウェイなりの解釈で演奏することになっている。また、キム・ゴードンとビル・ネイスによるプロジェクト、Body/Headにディロウェイが参加した作品『Body/ Dilloway/Head』も直にリリースされる。
 
 

Abstract Mindstate - ele-king

 今夏に Kanye West が立ち上げたレーベル、〈YZY SND〉(=Yeezy Sound)の第一弾アーティストとして登場した、Olskool Ice-Gre と E.P. da Hellcat という男女デュオによるヒップホップ・グループ、Abstract Mindstate。実は2001年に 1st アルバム『We Paid Let Us In!』でデビューしており、さらに何枚かのシングルやミックステープを発表するものの、2000年代半ばにはすでにグループとしての活動を停止していた。知る人ぞ知るというよりも、実際はシカゴ以外ではほぼ無名の存在の彼らだが、『We Paid Let Us In!』にもプロデューサーとして参加していた Kanye West の提案により、約15年ぶりに本作『Dreams Still Inspire』にて復活することとなった。

 プロデュースも Kanye West が全曲手がけているのだが、ほぼ同じタイミングでリリースされた Kanye West の最新作『Donda』とのサウンド面での違いにまずは驚かされる。サンプリングを軸としたノスタルジックなプロダクションは2000年代半ばにリリースされた Kanye West の最初の2作『The College Dropout』、『Late Registration』を彷彿させるものだが、過去に作られた楽曲を引っ張り出してきたわけではなく、全て Kanye West が新たに制作したビートが使用されているという。アルバム・タイトルからも伝わってくるように、Olskool Ice-Gre と E.P. da Hellcat のスタイルはストレートなコンシャス・ラップで、イントロ的な一曲目 “Salutations” から長いブランクを経て復活した自らの状況をポジティヴに捉えたリリックが展開されている。例えるならば Kanye West もプロデューサーとして参加していた『Be』の頃の Common とも非常に近い匂いというか、40代以上のヒップホップ・リスナーであればあの時代のシカゴ・ヒップホップの空気感を思い出す人も少なくないだろう。

 ある意味、いまのヒップホップのトレンドとは全く逆行している作品でもあるわけで、アメリカでの評価は高くないというか、一部ではむしろ酷評すらされており、Spotify での再生回数も『Donda』の1000分の1以下だ。筆者自身も古臭さを感じないわけではないが、このアルバムにはどうしても惹かれてしまっている部分があるのは否めない。“I Feel Good” のようにシンプルに鳴り響くドラム・サウンドと2MCの安定感あるラップの組み合わせは純粋に格好良いし、先行シングルともなった “A Wise Tale” の多少説教臭いような内容のリリックも、声ネタを巧みに用いた Kanye West ならではのセンスの効いたトラックによって、良い意味でポップに仕上がっている。

 Abstract Mindstate を新レーベルの第一弾アーティストとして選んだのは、単なる Kanye West の気まぐれなのかもしれないが、いまなお革新的なヒップホップ・サウンドに取り組み続けている彼のルーツを改めて再確認するという意味でも、非常に興味深い作品だ。

interview with Jeff Mills + Rafael Leafar - ele-king

override:乗り越える、覆す、制御不能

「ぼくがやろうとしていることは、人に理解させることではない、人の注意を喚起させることだ」とジェフ・ミルズは言った。いまから26年前の取材でのことだ。「まったく違う観点からまったく違う思考をすること」
 これはUKの批評家コジュオ・エシュンが言うところの「ソニック・フィクション」の概念と重なっている。旧来の思考から解放され、音楽をもって世界をとらえ直すこと。で、これこそ、アフロ・フューチャリズムの思考法と言っていいだろう。ジェフ・ミルズの新作『オーヴァーライド・スウィッチ』は、彼がこの30年に渡って追求してきた未来的思考の最新型の成果だ(ジェフは2009年のWIREの取材のなかでこう言っている。「ずっと前から、黒人として、黒人の子供として、僕ははるか先を見なければならないんだってことは理解していた」と)。
 1967年のデトロイトの大暴動では、それを鎮圧するために派遣された軍に市民がさらに応戦するという、その夏の暴動においてもっとも熾烈なものとして記録されているが、まさにその真っ只中、市街から安全な場所へと避難するため彼の両親が子供たちを連れて行ったところがモントリオールの万博だった。彼の地に展示された未来主義とユートピア、そして宇宙旅行は、幼少期のジェフ・ミルズの記憶に深く刻まれたという。
 なるほど。暴動と未来主義、これはたしかに初期ジェフ・ミルズや初期URを語る上では有効かもしれない。執拗にハードで、そして当時としてはダンスの範疇を超えた速さと日常を超えた空間。スウィングよりもスリル。地球人よりも宇宙人。プログラムされた思考を超越すること。が、あくまで30年前の話だ。最新作の『オーヴァーライド・スウィッチ』にもジェフの未来主義は貫かれている。それはいまも実験的ではあるけれど、より優雅で円熟した音楽として録音されている。
 『オーヴァーライド・スウィッチ』は、ジェフ・ミルズがデトロイトのマルチ楽器奏者、おもにジャズ・シーンで活躍するラファエル・リーファーと一緒に制作した。昨年ブラック・ライヴズ・マターの高まりのなか発売された、詩人ジェシカ・ケア・ムーア擁するザ・ベネフィシアリーズのソウルフルな1枚、トニー・アレンのバンドでピアノを担当していたJean-Phi Daryとのザ・パラドックス名義による官能的なフュージョン作品——新作は、ジャズ・シリーズとでも呼べそうなこれら2枚と連続しているようだが、趣は異なっている。パーカッションと管楽器の数々をフィーチャーした本作はおおよそフリー・ジャズめいているし、異空間を描こうとするアンビエントめいたフィーリングもあり、もちろんテクノも残されている。この30年間追い求めているユートピアへの夢もある。まあ、ひとことで言うなら、ジェフ・ミルズ宇宙探索機に導かれたアフロ・フューチャリズムのアルバムということだろうか。
 ちなみにアルバムの担当楽器は以下の通り。

Jeff Mills : Keyboards, electronic drums and percussion
Rafael Leafar : Bass Flute, Bass Clarinet, Soprano & Tenor Sax, Soprano Sax, Double Soprano-Sopranino Saxes, Fender Rhodes, Wurlitzer, Moog Synth, Moog Sub 37, Yamaha CS, Oboe, Contra-Alto Clarinet

 パンデミック以降、ほとんどすべてのDJのギグが中止になってしまったなか、与えられた時間のほぼすべてを創作に費やしているひとりがジェフ・ミルズだ。彼はこの間、無料で読めるオンラインマガジン『The Escape Velocity』を創刊させ、未来主義にこだわったその誌面はすでに3号までが公開されている。彼の〈Axis〉レーベルからの作品数にいたっては、この2年ですでに50作以上を数えている。そのなかで、ジェフ・ミルズ自身のソロと彼が関わっている作品は10作以上(※)。さらにまた、今年は30周年を迎えたベルリンの名門中の名門〈トレゾア〉からは初期の名作の1枚『Waveform Transmission Vol.3』(常軌を逸した時代のミニマル・テクノの金字塔)がリイシューもされている。
 ほとんどワーカーホリックと言えるこのベテランのDJ/プロデューサーは、パンデミック以降ようやく動きはじめたヨーロッパのダンス・シーンのツアーから帰ってきたばかりだった。じつは昨年もジェフ・ミルズには別冊エレキングの「ブラック・パワー」号のためにzoomで取材させてもらっているので、今回は二年連続の取材となる。ジェフはいつものように温厚に、自らのうちに秘めている思考について話し、デトロイトからはラファエル・リーファーーが彼のジャズへの熱い思いを語ってくれた。

いまの世のなかは間違ったことがあまりにも多くて、解決の糸口を探す合理的なアプローチが必要だ。何事にもそれを超越できる、あるいは避けて通る方法があるという希望を提案したかった。

ヨーロッパでのDJはどうでしたか?  

ジェフ: みんなまたパーティに来ることができてハッピーな雰囲気だった。とはいえ、やっぱりいままでとはちょっと違う。他人と近づいて息がかかったりすることが自然と気になったりしてしまう。いままでは気にも留めていなかったことに注意を払うようになってしまった。でもお客さんはみんなマスクなしで、飲んで騒いでって感じだったけれどね。

とくにすごかったのはどこですか?

ジェフ:クラブではロンドンのファブリックかな。もっとも最近ではアムステルダムだったかな。屋内で1000人くらいの規模のイベントがあったんだけど、年齢層が低くて、みんなマスクしてなかったんだよね。

マイアミはどうなんですか?

ジェフ:マイアミではクラブはかなり前からオープンしているよ。だからパーティに行くことができるし、DJもプレイできる。僕は数ヶ月前にジョー・クラウゼルを観に行ったくらいしか出かけていないけれど、そのときもいろいろなところを触らないようにしようとか、人とあまり近づかないようにしようとか、感染しないように気をつけていたけど。

アメリカのコロナの状況はいま(10月9日)はどうなっているのでしょうか?

ジェフ:いま現在のことで言えば、感染者も死者も数は減ってきている。

日本と同じですね。

通訳:いやー、日本とはちょっと規模が違います。(10月9日発表ではフロリダ州の昨日の感染者は3141人。パンデミックがはじまってから300万人以上の感染者、56400人の死者を出していますから、日本とは比較にもならない。フロリダの人口は約2200万人。ちなみにアメリカのワクチン接種率は現在56%)

ラファエル・リーファーさんとは初めてなので、バイオ的なことを質問させてください。デトロイトでは多くのヒップホップとロックと、あと少しのテクノ‏/ハウスだと思いますが、ジャズというのはかなり少数派なのではないでしょうか? もちろんデトロイトには70年代のトライブ・レーベルがあったように、ジャズの伝統があることは知っていますが、あなたはどうしてジャズの道を選んだのか教えてください。

ラファエル:家族が音楽好きで、それがまずはいちばん大切なポイントだった。8人兄弟の家族で、つねに音楽に囲まれて育ったからね。ジャズ、ファンク、ロック、ソウル……両親は僕が本当に小さい頃からジャズを聴かせていてね、4〜5歳のときには父と一緒にトランペットを吹いたりしていたほどだ。そんな幼い頃からジャズに出会ったことは幸運だったと思っているよ。
デトロイトはいまでもジャズに関してもパワーハウスと呼べるけどね。外にいる人たちからは見えないかもしれないし、業界としての重要性はないかもしれないけれど、いつだってミュージシャンはデトロイトに存在していて、その影響力は変わっていない。ちなみに、1940年代はデトロイトに古くからあるスタジオのサウンドシステムを求めて多くのジャズ・ミュージシャンがレコード制作をしている。マイルス・ディヴィスやチャーリー・パーカーもそこでレコーディングしたことがある。経済的な理由からスタジオはニューヨークやカリフォルニアに移っていってしまったけれど、僕たちはまだここにいるんだ(笑)。ウェイン・ステイト大学、ミシガン州立大学、ミシガン大学など優秀なジャズ・プログラムのある学校も多いのもミュージシャンが集まってくる理由のひとつだね。

あなた個人はなぜジャズを選んだのですか?

ラファエル:僕は自分のことをジャズ・ミュージシャンと思っていない。それがデトロイトのユニークなところかもしれないね。ジャズはデトロイトのシーンのバックボーンとしてつねに存在しているけれど、音楽家として生き残っていくためにはジャズ以外のさまざまな音楽にも精通していなくてはならないんだ。ひとつのジャンルにこだわっているわけにはいかない。ニューヨークだったらジャズ一本でやっていけるかもしれないけど、デトロイトではそういうわけにはいかないんだ。

曲制作というのはストーリーテリングのようなものだ。アフロ・フューチャリズムが好きな人たちが、このアルバムに興味を持ってもらうにはどのようなしたらいいか、何か特別な方法があるかは考えた。

このプロジェクトは、もともとジェフの頭のなかにあったものなんですか? それとも、ラファエルさんと出会ったことで生まれたのでしょうか?

ジェフ:ラファエルと出会ってからだね。タイトルの『オーヴァーライド・スウィッチ』、何かを超越するというコンセプトは、レコーディングの最初のほうで、たぶん“Homage”を制作しているときに思いついた。制約できないもの、妥協できないもの、カテゴライズができないもの。すべてを超越して、リセットするようなものを共同制作したいと思ったんだ。普通に考えられる音楽、好きか嫌いかで判断される音楽はこのアルバムには当てはまらない。一緒に作業をはじめてますますこの考えに確信を得るようになった。ラファエルが僕のトラックに加えてくる音を聴いて、僕は次の作業に移る基礎を考えることができたし、彼と会話をすればするほど、どんどん組み上げられていった。そうしているうちに、このコラボレーションが単なる共同作業ではないとますます痛感していったね。ジャズとか、テクノ、エレクトロニック・ミュージックなどといった範疇を超えていったと思う。だから『オーヴァーライド・スウィッチ』というタイトルがコンセプトと合ってふさわしいと思った。

ラファエルさんはどのようにしてジェフと出会ったのですか?

ラファエル:URのマイク・バンクスを介してだね。サブマージのビルにあるスタジオを借りていた時期があって、そこでマイクと出会ったんだ。会話するようになって、僕がやっている音を聴いてもらったり、音楽全般の深い話をするなかで、あるときジェフの名前が出てきたことがあってね、ジェフの昔の曲を僕に聴かせてくれたんだ。で、ある日、マイクがジェフの最新作を持ってきて、「これに君の演奏を重ねてジェフに送ってみたらどうだろう?」と言った。それで僕は軽い気持ちでそれをやった。それをジェフが気に入ってくれたと。

ジェフは、The Beneficiaries、The Paradoxなど、ここのところコラボレーションが続いていますが、それは理由があるのですか?

ジェフ:とくにコラボレーションを探し求めているわけではないんだ。でも機会に恵まれたときは、二度とないチャンスかもしれないから積極的に取り組むようにしている。だいたいこういうことは、狙ってできるものじゃないからね。それに、他のミュージシャンと交わることは刺激的だし、同じヴィジョンや似たような考えを持ったアーティストと出会う幸運に巡り会えたら、何かを作ろうと思うのは当然のことだ。長いキャリアのなかでずっとひとりで制作し続けるほうが不自然だよ。

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音楽は人びとの心を自由にするものだということをつねに忘れてはいけない。そのプロセスにはさまざまなアプローチがある。『オーヴァーライド・スウィッチ』」はマインドをリセットして、何か目の前の障害に向かっていくというようなテーマだ。

いままでのジェフの作品とはリズムへのアプローチが違っていますよね。それはなぜですか? 今回のリズムのコンセプトについて教えてください。

ジェフ:ひとつは、トニー・アレンと共演して学んだことが今回のプロジェクトに反映されている。アコースティックのドラムスがエレクトリック・ドラムとマッチしたときに生まれる特別な感覚、アルバムにはそれがある。ストリングスやベース・ラインでも表現したいアイディアがあって、自分だけでスタジオで作業していたものもあった。とはいえ、ラファエルとは青写真があったわけではなかった。とくにディレクションもなしで、トラックをラファエルに送って、彼がどう感じるか、何をきっかけに次のレベルに進展させていくのかとても楽しみにしながら、制作は進行したんだよ。

お互いの音をなんども往復させたんですか?

ジェフ:だいたい2回往復だったかな。僕がトラックを送って、ラファエルがそれに音をかぶせて、それにさらに僕が音を足したりしてからミックスをして。エディットもだいぶした。音を省いたり、動かしたり。ポストプロダクションの作業はけっこうやったけど、ふたりのあいだのやり取りは2回だったと思う。

離れたところで音を加えながら、セッションしている空気感を出すのはなかなか難しいと思うのですが、その感じは出ていますよね。

ジェフ:そこはラッキーだった。ラファエルはスタジオを移動する最中で機材をいろいろと変えたりして、逆に音にヴァリエーションを持たせる結果になった。ラファエルはじつにたくさんのホーンのパーツを送ってきたから。多くの音源から選ぶことが可能だったし、送られてきた音を聞くだけで何時間もかかるような作業だった。そこから、どの音を残し、どの音を削るか、そしてどう楽曲を構築していくかを考えていった。パーカッションを加えたり、必要な要素を加えて、リズムやメロディをエディットした部分もあるけれど、大まかにはラファエルが演奏した段階で曲の構成は出来上がっていたと言っていい。空気感に関しては、最初からアルバムを制作する意図があったから、違和感のないように同じテクスチュアを持たせるように心がけた。もっとも、細かい計算をしたわけではなく、あくまでもフィーリングを大切にしたんだけどね。

ラファエルは出来上がった曲を聴いてどんな風に思いましたか?

ラファエル:すごく興奮したよ。ジェフがどういう風に自分の送ったホーンを料理するのかを楽しみにしていたから。じっさい、いまジェフが言ったように、ものすごい量のパーツを送ったからね。彫刻を作るような感じかな。ジェフが渡した素材を形づくって彫刻にしていくような。

出来上がった曲は想像していたようなものでしたか? それともまったく違った?

ラファエル:そうだな。想像と違ったというべきかな。最初に送られてきたのはドラムトラックのみだった。

2曲目の“Crashing”やそれに続く“Homage”、後半の“Soul Filters”にはサン・ラーやアフロ・フューチャリズムを感じたのですが、意識されました?

ジェフ:曲制作というのはストーリーテリングのようなものだ。その方法論はたくさんある。最初からはじめるものもあれば、話の途中からはじまるストーリーや終わりからはじまるものもある。そいう意味で自由に曲の構成を決めた。アフロ・フューチャリズムやフューチャリズムが好きな人たちが、このアルバムに興味を持ってもらうにはどのようにしたらいいか、何か特別な方法がないものかと思考したよ。圧倒的なホーンを中心に、その他のパーツの順序やアレンジを決めるのにかなり頭を使った。ラファエルはディープで重圧感のあるホーンをたくさん用意したから、それらを聴くというよりは体で感じるように集中して、たとえば重圧感が感じられるようなフリーケンシーを音のレアーの下の方に置いたりとか、ずいぶん工夫した。そうやることで、ストーリーがよりカラフルにヴィヴィッドになるからね。

サン・ラーの影響はありますか?

ジェフ: いや、サン・ラーよりはクラシック作曲家のグレゴリー(ジョルジュ)・リゲティの影響が大きい。彼の作品は次に何が起こるかわからない。突発的なものが次から次へと続いていく。ホーンを中心にそのような雰囲気で曲を作っていくのが面白いと今回は思った。“Sun King”がその良い例だ。長い楽曲で構成が定まらず流れに身をまかせるしかない。

ラファエル:ジェフが最初に言っていたことは同感だ。僕のリスペクトするアーティスト、ジョン・コルトレーンはかつて「私はときには曲の終わりから演奏をはじめる」と言ったことがある。コルトレーンの演奏は予想できないし、同じ曲でもまったく違って聞こえる。僕もそういったアプローチがつねに頭にある。
アフロ・フューチャリズムというのは、過去と未来に重点を置いて、過去の重圧、地球に根を張りつつも未来、宇宙との繋がりを考えるという思想だけれど、僕は未来を考えるには、いま現在も大切だと思っている。自分がソロ演奏するときにはいま、この瞬間を体現する必要がある。だから僕がアフロ・フューチャリズムを考える場合には過去からつながる現在を表現し、それが演奏中のインプロヴィゼーションになっていく。さまざまなホーンでいろいろな音を表現して。

アフロ・フューチャリズムとは、過去の思い出よりも未来の可能性にかける、というような意味合いもあると思います。このアルバムは、昨年盛り上がったBLMムーヴメント以降に制作されたアルバムなわけですが、そのようなサブジェクトが潜んでいるのでしょうか?

ジェフ:それは正しいと言える。つまり、いまの世のなかは間違ったことがあまりにも多いじゃないか。いま必要なのは、解決の糸口を探す合理的なアプローチなんだ。このアルバムで、いまあるものを超越できるということ、あるいは避けて通る方法はあるんだという希望を提案したかった。困難を乗り越えることができる精神状態を作れるよう自分に暗示をかけるみたいなもので、どんな苦しい状況にあっても進化への道筋は残されていると。誰が何をしようが、何を言おうが、振り回されない、前に進むための自信をつかむというか。それがこのアルバムの基本的な考えだ。こうした考えがフューチャリズムと同じとは言わないけれど、方法論として似たところもあると言えるんじゃないかな。違った考え方を啓蒙することで未来がより良くなるという、そういう思想。それは否定的な思想にもなりうるけれど、このアルバム『オーヴァーライド・スウィッチ』の場合はポジティヴな思考を主張している。僕らの音楽が少しでも人の役に立てればいいと思っているんだ。

ジョン・コルトレーンはかつて「私はときには曲の終わりから演奏をはじめる」と言ったことがある。コルトレーンの演奏は予想できないし、同じ曲でもまったく違って聞こえる。僕もそういったアプローチがつねに頭にある。

昨年世界中で盛り上がったBLM以降、何か状況の変化の兆しはありましたか? UKではDJネームを変えるような人たちもいたり(例:ジョーイ・ネグロ)、レーベル名を変えたりとか(例:ホワイティーズ)、変化がありますが。

ラファエル:BLMはあまりにも大きなテーマだな。そして黒人のなかにおいても、それをひとつのトライブと捉えていいのかという議論もある。世のなかにはさまざまの肌の色のさまざまな考えを持った美しい人たちがいて、僕がそれを代表して何かを言うことはできないと思っているし。でも、DJネームを変えるような些細なことはかえってムーヴメントの妨げになっていると思うよ。重要なのは、この400年のあいだ、黒人が何を成し遂げようとしてきたのかということで、まずはそのことを考えるべきなんだ。表層的な政治性は本当に必要な変革を達成するうえでは邪魔だと言える。

ジェフ:僕も同感だ。400年ものあいだ、黒人の生命はおもちゃのように扱われ、弾圧され続けて、ひどく破壊されてきた。BLMは400年に渡る制度的な拷問に対抗する闘いで、黒人家庭、黒人街、黒人教育などに対するすべての破壊と闘っている。これは、今後も継続していく戦いだ。BLMによって改善されたこともあるし、変化も起きた。一時的でないことを希望するよ。でもBLM以前より黒人の人生が良くなったと結論づけるのは難しいね。時間が教えてくれるだろうけれど、少なくともより多くの人の意識が高まったのは事実だ。そして結果を見る機会は再び訪れるだろうね。アメリカ国民がよりブラウン(非白人)になるにつれて、白人の恐怖感を見る機会は増えるかもしれない。白人はいままでよりいっそう内省的になるかもしれない。彼らはいままでには経験しなかった気持ち、かつてのように優遇されている状況ではないことをより意識するようになるかもしれない。それがBLMによる変化なのか、単なる偶然かはわからない。でも事実は変わらない。この国はかつてないスピードでブラウンが増え続けている。いまはこの変化に気づく最初の段階なのかもしれないね。アメリカはいつだって白人だけの国ではなかったし、黒人の人口比率は彼らが思っているほどに低くはない。もちろん黒人以外の非白人も増え続けているからね。

なるほど。それはそうと、ジェフはこのコロナ禍で『The Escape Velocity』というオンラインマガジンを創刊しました。今回の『オーヴァーライド・スウィッチ』もそうですが、何かから脱出したいというような気持ちがあるのでしょうか?

ジェフ:音楽は人びとの心を自由にするものだということをつねに忘れてはいけない。そのプロセスにはさまざまなアプローチがある。『オーヴァーライド・スウィッチ』はマインドをリセットして、何か目の前の障害に向かっていくというテーマだ。『The Escape Velocity』は瞬間、比率、A地点からB地点へ到達して自由になる過程をテーマにしている。ふたつのプロジェクトに類似性はあるけれど、どちらも結局は音楽が人を解放するという僕の基本概念に基づくものだ。無から何かをクリエイトすることはとてもパワフルなことだし、そこには自分の感情の延長が存在する。音楽を通して、言葉とは違う次元での会話が可能になる。

なるほど。最後にラファエルさん、最近のデトロイトの音楽コミュニテイはどんな感じしょうか?

ラファエル:若いミュージシャンがたくさんいるよ。デトロイトはいつだってミュージシャンの巣窟だ。素晴らしいジャズ、ゴスペル、ファンク、R&Bのミュージシャンなど多くの才能を輩出しているからね。デトロイトには、例えばロスアンジェルスとハリウッドのつながりのような、いわゆるプラットフォームがない。昔はモータウンがあったけれど。それに、ジェフもよく知っていると思うけれど、デトロイトの公立学校では音楽教育が廃止されてしまった。けれど、それでデトロイトの子供たちのクリエイティヴィティがなくなったわけではない。才能を止めることはできず、何かしら違う形で姿を現してくると思う。僕がデトロイトのシーンで素晴らしいと思うのは、すべてのジャンルがつながっていることだ。それがユニークなサウンドを生み出しているんだと思う。

ジェフ: 違うジャンルのミュージシャンの交流はあるの? ジャズとエレクトロニックとか、ヒップホップとか。

ラファエル:もちろん。とくに若い子たちのあいだでは。お互い何をしているかチェックしあっている。同時に才能ある者はデトロイトを出ていってしまい、他の都市のシーンを支えているという事実もある。ニューヨークに行けば、どんなジャンルでも必ずデトロイト出身のミュージシャンがいるよ。ロスにはたくさんのデトロイト出身のヒップホップ・プロデューサーがいる。例えばKarriem Riggins。ジャズとヒップホップをミックスした最初のプロデューサーのひとりだ。もちろんJ. Dillaも。ニューヨークにもデトロイト出身の偉大なジャズ・ミュージシャンが大勢いる。Gerald Cleaverとかね。

ジェフ:デトロイト・テクノとジャズのミュージシャンのあいだの交流は?

ラファエル:それはマイク・バンクスが長年やってることだよね。Shawn Jones、Jon Dixonといったアーティストはマイクが後押ししてきた。僕もそれに加担している。やらない理由がないだろう?

そうですよね。では、これからもデトロイトから面白い作品が出てくるのを期待しましょう。今日はありがとうございました。ところで、ジェフはDJのブッキングはこの先もけっこう入っているのですか?

ジェフ:じょじょに増えてきているよ。2022年はもうスケジュールがいっぱいになりつつある。いままではプロモーターも政府の要請がいろいろと変わって、なかなか前もってイベントを企画することができなかったけれど、状況が良くなってきて、ヴェニュー、アーティストなど事前にブッキングできるようになってきたので今後は元に戻っていくと思うよ。

(※)The Escape Velocityからのリリースが現在44作品(すべてジェフ以外のアーティスト)、Millsart名義のEvery Dogシリーズがvol.5~13 まで9作(すべてデジタルのみ2020年)、ソロ作品では『Clairvoyant』(アルバム)、「Think Again」 (Millsart名義)、Jeff Mills + Zanza21による「When The Time Is Right」。また、エレクトロニック・ジャズ系のリリースでは、ジェフ自身が関わったThe BeneficiariesとThe Paradoxをはじめ、Byron The Aquarius、Raffaele Attanasioといったアーティストの作品もリリースしている。

Marisa Anderson / William Tyler - ele-king

 ジョン・フェイヒィも影響を受けたというエリザベス・コットンを聴いて、マリサ・アンダーソンはギターにはいろんなチューニング法があることを知った。この、19世紀末生まれの黒人女性フォーク・ブルース歌手のオープンチューニングとその独特なフィンガーピッキング(左利きのコットンは親指でメロディを弾いて残りの指でベースを弾いた)による古典的名曲のひとつ、“Freight Train”でアンダーソンは練習を重ねた。ちなみにコットンの死から26年後の2013年には、アンダーソンはリスペクトを込めてコットンとのスプリット7インチ盤を出している。
 マリサ・アンダーソンの卓越したギター演奏の多くはゴスペルとブルース起源に集約されるかもしれない。が、それがすべてというわけではない。ブルース・ミュージシャンとは異なるオープンチューニングを発明したUKのデイヴィ・グレアムもまた彼女のヒーローのひとりだ。フォークからはじまった彼の音楽がやがてジャズやグローバル・ミュージック(アイルランド、アラブとインド)ともリンクしたように、1本のギター演奏によって描ける音世界はじつに広漠であることを彼女は知っている。初期作品こそブルースが色濃いものの、〈スリル・ジョッキー〉に移籍してからの2018年の『Cloud Corner』や昨年のジョン・ホワイト(ダーティ・スリーのドラマー)との共作ではもっと遠くを歩いているし、自由奔放なアンダーソンの音楽には、行ったことがないところを歩いているときに感じる景色が開けていくような感覚がある。ぼくは彼女の音楽のそんなところが好きなのだ。

 1970年サンフランシスコ生まれのマリサ・アンダーソンの生い立ちでぼくが興味深く思うのは、彼女が19歳のときに大陸横断平和行進に興味を持ったことだ。昨年の『Wire』の記事によれば、のちに彼女は、NYからスタートし、ラスベガス郊外のネバダ核実験場まで歩く行進に参加したという(いったい何ヶ月かかったのだろう)。そう考えるとアンダーソンがウィリアム・テイラー(1979年生まれ)との共作『失われた未来(Lost Futures)』における重要なインスピレーションとしてマーク・フィッシャーの名を挙げていることも充分にうなずける。
 失われた未来──フィッシャーは未来を描けず過去の郷愁に依存する現在をそのように呼んだわけだが、これは先進国全般に見られるひとつの傾向で、いわく「未来の不在は何か別のものに偽装される」。それは音楽商品に即して考えるとわかりやすい。すぐに結果が求められる新自由主義の社会では、新しいことへのチャレンジよりもかつて成功したものの模倣のほうが自然と(あるいは無意識のうちに)促される。とはいえ、欧米のインディ・シーンがそうした閉塞感を打破しようとする意欲を失っていないことは、昨今のUKの若手インディ・ロック・バンド(フォンテインズDCからブラック・ミディまで)を見ていてもわかることで、我々が住んでいる世界のことを伝えようとするマリサ・アンダーソンとウィリアム・テイラーとの共作もまたこの硬直した現在からの解放をもくろんでいるというわけだ。

 ふたりはともにギタリストで、ギター1本で自分のソロ作品の多くを作ってきた人たちではあるけれど、当たり前の話、その演奏表現においてはそれぞれの特徴がある。変則チューニングとフィンガーピッキングを活かし、よりフリーキーな演奏をするアンダーソン、アメリカーナを土台とし、ときにはアンビエントな領域にまで達するテイラー。曲のなかにおける互いの個性は、控えめながら各々の表情を出しているようだ。たとえば表題曲“失われた未来(Lost Futures)”の出だしはアンダーソンだろうし、途中から耳に入ってくるアルペジオはテイラーだろう。“生命と死者(Life And Casualty)”という曲は、美しくシンプルにはじまり、ジャズの即興演奏のように曲が崩れては戻っていく。それから、本作にはギター以外の弦楽器(シタール、ダルシマーなど)の演奏もミックスされている。ゆえに“天国についてのニュース”にはじまり、“水に憑かれて”で終わる『失われた未来』は、テーマこそ重いが、楽曲の音色は豊かで、総じてメロディックな作品になっている。メロディにはアメリカ文化の多様性があり、曲全体からは先述したように、景色が開かれていく感覚がある。それはすこぶる心地よい。

 なお、本作には、“雨に祈る(Pray For Rain)”と“水に憑かれて(Haunted By Water)”といった曲名があるが、これは昨年のポートランドにおける気候変動による山火事(煙で太陽が覆われたほど数日間にわたって延焼し、結果、ロサンジェルスと同じ面積が焼失した)が大いに関係していると察する。今年に入ってもオレゴン州では強烈な熱波と強風から来る大きな山火事が繰り返されている。本作における「失われた未来」には、環境破壊によって失われつつあるものへの言及も含まれているに違いない。

P-VINE & PRKS9 Presents The Nexxxt - ele-king

 レーベル〈Pヴァイン〉とメディア「PRKS9(パークスナイン)」がタッグを組んだ。両者の共同監修によるヒップホップのコンピレーション『The Nexxxt』が本日デジタル限定でリリースされている。タイトルどおり、ヒップホップの次世代を担うアーティストにフォーカスした内容で、〈Pヴァイン〉と「PRKS9」それぞれが選出した計9組が参加。ヒップホップの未来を担う新たな才能たちに注目だ。

P-VINEとメディアプラットフォーム、PRKS9が監修するネクストブレイカーにフォーカスしたコンピレーション『The
Nexxxt』がデジタル限定で本日リリース!

 設立45周年を迎えたレーベル〈P-VINE〉と日本のHIPHOPを中心とするメディアプラットフォーム〈PRKS9〉(パークスナイン)が監修し、お届けするネクストブレイカーなヒップホップ系アクトにフォーカスしたデジタル限定のコンピレーション『The Nexxxt』が本日リリース!
 本作は、P-VINEとPRKS9がそれぞれの視点で「これからブレイクが期待される」アーティストをセレクションした全9曲。PRKS9サイドから嚩、p°niKaとの3人組のフィメール・クルー〈Dr. Anon〉に所属しながらソロとしてもSoundCloudを中心に活動している〈e5〉(エゴ)、7月にリリースしたデビューアルバム『@neverleafout』も話題なコインランドリー生活を送る〈vo僕〉(ボーボク)、名古屋出身のDJ/プロデューサー〈329〉とのジャンルを横断するhyperなコラボ曲を提供した東京出身のラッパー〈AOTO〉(アオト)、自身の留置所体験を記録したnote等で唯一無二な表明を続け、ファーストEP「PISS」のリリースで注目を集めたスカム・ミューズ〈Yoyou〉(ヨユウ)の4組が参加。P-VINEサイドからはS名義でkillaのBLAISEらと結成したクルー〈BSTA〉でも活動し、改名後に本格的なソロ活動をスタートさせた〈STILL I DIE〉(エス・ティル・アイ・ダイ)、15歳の頃からマイクを握り始めて地元福岡は天神親富孝通りを中心に活動し、所属するクルー〈WAVEMENT〉の活動でも注目を集めている〈Evil Zuum〉(イーヴィル・ズーム)、沖縄を拠点に活動し、2021年4月に公開された"HUSTLERz RESPECT"のミュージック・ビデオがすでに26万強の再生数を記録して各所で話題となっている〈UUUU〉(ユーフォー)、MASS-HOLE関連作品への参加でも知られ、全曲NAGMATICビートのEP「M.D.A.S.T ep」のリリースも話題な信州長野の〈MIYA DA STRAIGHT〉(ミヤ・ダ・ストレート)、東京・品川区出身のクルー〈Flat Line Classics〉としても活動し、昨年ソロEP「Get Busy」も発表したオーセンティックなラッパー〈BIG FAF〉(ビッグ・ファフ)の5組が参加。また、アートワークはSATOHの各作品、AOTOの"midrunner feat. Lingna"などでも知られるShun Mayamaが手掛けている。
 多様化していく「ヒップホップ」というジャンルを体現するかのように独自の手法/価値観で音楽をクリエイトしている全9組をピックアップした本コンピレーション。もし気になるアーティスト/楽曲に出会ったなら他のリリース作品も是非ディグって欲しい。

[作品情報]
タイトル: P-VINE & PRKS9 Presents The Nexxxt
レーベル:P-VINE, Inc.
配信開始日: 2021年10月14日(木)
仕様:デジタル
Stream/Download:
https://p-vine.lnk.to/BuzCrK

[TRACKLIST]
1. e5 / KUNOICHI (Prod by KidOcean)
2. vo僕 / The Black Dog (Prod by immortal)
3. Yoyou / Newtype (Prod by Efeewma)
4. AOTOx329 / 808 landing on water (Prod by 329)
5. S TILL I DIE / weakness (Prod by EPIK BEATS)
6. Evil Zuum / Do Better (Prod by QICKDUMP)
7. UUUU / Pusherman (Prod by MRK a.k.a DJ MORIKI)
8. MIYA DA STRAIGHT / yukiyama dojo (randy young savage remix) feat. Eftra, MAC ASS TIGER, BOMB WALKER (Prod by MASS-HOLE)
9. BIG FAF / We Can Do This (Prod by Sart)

【PRKS9】
PRKS9は2020年9月に始動した、国内HIPHOPの新たなハブチャンネル。若手のMVを公募し、PRKS9チャンネルから纏めて公開するMVを広めるためのサブミッション機能を持ちつつ、リリース等のニュース記事掲載、インタビューの実施、MVを始めとした映像制作も請け負う。主要アーティストの情報をカバーすることはもちろん、まだ音源数も少ない、これから来る有望アーティストをいち早く掘り起こすことでも定評がある。

HP:https://prks9.com
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