「K A R Y Y N」と一致するもの

 ブルックリンに住んでいると、タイムス・スクエアに行くことは滅多にない。夜でも昼のような電光の明るさ、多くの迷える観光客の多さ──ニューヨークの代表観光地だが文化の匂いはない。しかし、今回はミッキーマウスやクッキーモンスターの着ぐるみたちの写真攻撃を避けながら(チップを請求される)、タイムズ・スクエアにある映画館、AMCエンパイア・マルチプレックスにやって来た。3日間のイベント「インターファレンスAVフェス」、実験的ヴィデオアート、ライヴ・ミュージック……。しかも、ジェイリン、ライトニング・ボルト、サン・ラ・アーケストラが出演すると来たら、行かないほうが不思議である。
https://www.facebook.com/events/912546688904186/

 主催は、1972年からNYで現代アートをサポートするための実験的アート・プラットフォームを作って来た先駆者、クロック・タワーと公共のアート機関のタイムズ・スクエア・アーツ。こんな場所にこんな機関があったとは初耳だが、新世代のスタッフが繋げたのだろう。
 ヴィデオ集団のアンダーボルト&CO、ピーター・バー、サブリナ・ラッテがVJを担当、ロビーではザ・メディア、サフラゲット・シティ、ムーディ・ローズ・クリストファー、エトセトラ、ウィアード・ベイベズ・ジンなどが出展するジン・フェアも開催。ピザやプレッツェルを食べながらのゆるーくDJもいる。

 そして1日目のジェイリン。ステージに上がった瞬間から、もう彼女の世界。個人的に今回いちばんの衝撃。紙エレキングの年間ベストの3位に選ばれていただけあって、フットワークの鬼才と言われる彼女の音楽は、音を畳んだり曲げたり、ダークな音の粒が会場を弾け回る電子音楽。音とぴったりシンクロするヴィデオ・プロジェクションも素晴らしい。ロープが人間に、幾何学模様に、映像だけでも見る価値ありのAVフェスなので、音楽とコラボレートすると効果はさらに倍増。席のある映画館でありながら、人びとの体は揺れまくった。最後の曲は「インターネット、コンピュータ、ソーシャル・メディアで生活をめちゃくちゃにされた人びとに捧げる」。さすが。
https://www.brooklynvegan.com/jlin-sadaf-played-the-interference-a-v-festival-at-amc-empire-25-pics/

 2日目のライトニング・ボルトは人数制限で入れず、何度も見ているので写真参照。変わった会場でプレイするのが得意な彼らでさえ、タイムズ・スクエアの映画館でプレイするとは想像つかなかったであろう。
https://www.brooklynvegan.com/lightning-bolt-played-the-interference-a-v-festival-at-amc-empire-25-pics/#photogallery-1=2

 3日目はサン・ラ・アーケストラ。スウェーデンのゴートを思い出させる、きらきらの民族衣装に身を包んだ音楽集団総勢16人は、サックス、トロンボーン、チューバ、フルート、チェロ、コントラバス、ドラム、打楽器他で、ポリリズミックなジャズ・アンサンブルを奏で、そこに楽器の役割に近い、女性ヴォーカルが入る。御歳93(!)のマーシャル・アレンはアーケストラ唯一のオリジナル・メンバーで、サン・ラの音楽的指針を引き継ぎ、新アーケストラ音楽を展開させている。彼の指揮は、演奏者を、次! 次! ハイ次! と指差し、かなり強引でファンキー。音楽が膨らんだり萎んだり、自分のサックス・ソロも忘れない所がお茶目だが、サイケデリックな映像と合体すると、色の刺激が強すぎて、トリッピンな気分になる。客席をそぞろ歩きしたり、ステージでブレイク・ダンスをしたり、自由な精神の集団は、今回もっとも華やかで、会場からは拍手が鳴りやまなかった。
https://www.brooklynvegan.com/sun-ra-arkestra-played-the-interference-a-v-festival-at-amc-empire-25-pics/

 このイベントは全米からのアートへの寄付や、NYの公的資金、NY州立法機関などで提供されているが、NY市のアートへの支援愛が伝わってくる。文化イベントはだいたいダウン・タウンかブルックリンで行われるものだが、観光地のど真ん中で開催されるのはアンダーグラウンド文化が大衆と交差することを表しているのではとポジティブになる。NYは夜の市長も誕生する予定で、2018年はNYのアンダーグラウンド文化がどのように成長するのかが興味深い。

Yoko Sawai
2/22/2018

01. Meshell Ndegeocello’ - “Hot Night”(2002)

ポリティカル・コレクトネス(PC)を強く意識することは、表現者にとって規制や不自由さや縛りなどではなく、表現を磨くための糧になるということを彼女の音と言葉に接することで学ばされる。PCが表現を窮屈にするなんて考えるのは前時代的な甘い考えよ、芸風を磨き、洗練させなさい、ということだ。そう、洗練という言葉は、ミシェル・ンデゲオチェロの音楽にこそふさわしい。よく知られているように彼女は早くからバイセクシャルであることも公言してきた。

「Hot Night」が収録された『Cookie: The Anthropological Mixtape』という通算4作目となるアルバムの中には、「ハイクラスからミドル・クラスにゲットーまで」(「Pocketbook」)という歌詞があるのだが、たしかにここには汚い言葉もあれば、上品な言葉もあり、社会に“あるものはある”という前提の上で、しかし彼女なりの厳密な社会意識や政治意識に基づいた表現を追求している。ジャズ、ファンク、ゴーゴー、ヒップホップ、ポエトリー、ハードコア・ラップなどがあり、そういう点での風通しの良さも素晴らしい。

「Dead Nigga Blvd., Pt. 1」では「若いアホ共=young muthafuckas」が高級車を乗り回したり、カネを稼ぐことしか頭にないことを叱咤し、アンタたちを奴隷から解放するのに貢献したアフリカンはもっと立派だったと言う。が、また別の曲では「自分の財布にお金が入ってるのを見るのって好きでしょ、いいのよそれで」と優しく愛撫するように囁く。2パックやビギーに捧げられた曲もあり、さらになんと言っても、ロックワイルダーとミッシー・エリオットによる「Pocketbook」のリミックス・ヴァージョンではあのヤンチャなレッドマンがダーティなライムをかましている。そういう懐の深さがある。

だからタイトルの“人類学のミックステープ”は上手い。“あるものはある”。だが、達観や俯瞰とは違う。開き直りでもない。譲れない信念はある。「Hot Night」が素晴らしい。プエルトリコ出身のサルサ・シンガー、エクトル・ラボーの「La fama」からサンプリングされたファンキーなホーン・セクション、スーパー・デイヴ・ウェストの弾けるビートが“暑い夜”をさらに熱く、官能的に盛り上げる。冒頭のスピーチは、アンジェラ・デイヴィスが唱えた監獄産業システムについての演説で、彼女には『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』という著作がある。

つまりミシェルはこの曲で反資本主義をひとつの立脚点にしているが、逡巡がないわけではない。「なんかアタシったら革命のロマンティックな部分にだけ魅了されてるみたいだわ/救世主だとか、預言者だとか、ヒーローだとか」と自分にツッコミを入れる余裕はある。わかる。その上で「でもさ、それ以外に何がある?」と切り返し歌う。どこまでもクールに磨きかけられた言葉と音で。

アタシ達が生きてるこの社会はさ
レイプに、飢餓に、欲に、要求に
ファシストに、お決まりの政権、白人の男社会に、金持ちの男に、民主主義
それで成り立ってる社会でしょ?
パラダイスという名の世界貿易に悩まされながらさ


02. Crooklyn Dodgers 95 - “Return of the Crooklyn Dodgers”(1995)

昨年、『ザ・ワイヤー』というアメリカのドラマにハマった。メリーランド州ボルティモアの麻薬取締の警察と地元の黒人の麻薬組織/ストリート・ギャングの攻防を通して都市の犯罪や政治、警察組織の腐敗、ブラック・コミュニティの現実や諸問題などを描き出す、刑事ドラマとフッド・ムーヴィーを掛け合わせたようなドラマだ。HBOで2002年から2008年に放映され、非常に評価も高かった。それこそこの手のアメリカのドラマは“PCと格闘”(三田格の『スリー・ビルボード』評を参照)しながら、個々の人物や人間模様を巧みに、丁寧に描き、物語を作り出す点が見所でもある。

そのドラマの黒人のキッズのフッドでの麻薬取引のシーンを観て思い出したのが、スパイク・リーが監督したNYのブルックリンを舞台としたフッド・ムーヴィー『クロッカーズ』(1995)だった。両者が同じようなプロットとテーマだったのは、この映画の原作者である作家=リチャード・プライスが『ザ・ワイヤー』に脚本家として参加しているからだった。

そしてこの映画の主題曲と言えるのが、チャブ・ロック、O.C、ジェルー・ザ・ダメジャという3MCによるスペシャル・ユニット、クルックリン・ドジャーズ 95の 「Return of the Crooklyn Dodgers」である。ブルックリンに深い縁がありこの街への並々ならぬ愛情を持つであろう3MCは、しかし1980年代中盤以降、コカインやクラックといった麻薬そして暴力に蝕まれていったブルックリンの惨状を淡々と残酷なまでにライミングしていく。彼らはストリートとフッドを描写するライミングのなかに、この街の惨状の背景に、ベトナム戦争、社会保障の打ち切り、植民地主義、監獄ビジネスがあるという事実を巧みに折り込んでいく。

なぜ、僕がこの曲を選ぶのか。それは、過酷な現実を描くいわゆるリアリティ・ラップがプロテスト・ミュージックになり得るのか? という問いを考える際に真っ先に思い浮かぶのがこの曲だからである。N.W.A.の例を挙げるまでもなく、アメリカの保守層から、リアリティ・ラップあるいはギャングスタ・ラップは暴力を助長すると批判され続けてきた。けれども、暴力を賛美することと暴力が存在する現実を描写することは決定的に違う次元にあるということを『クロッカーズ』と「Return of the Crooklyn Dodgers」を通じて僕は知ったわけだ。DJプレミアの抑制の効いたブーム・バップ・ビートが最高にドープであることも付け加えておこう。


03. THA BLUE HERB - “未来は俺等の手の中”(2003)

「何時だろうと朝は眠い」という歌い出しからして秀逸だ。たったこのワンフレーズで労働者の憂鬱を見事にとらえている。あの出勤前の朝のメランコリーを――。時給650円の飲食店のバイトでくたびれた体とヨレヨレのジーンズの裾を引きずりながら休憩室へ行き、タバコの煙で白くなった休憩室で「自由とは何だ?」と自問する。レコードをプレスするが思うようには売れず、借金だけが増えていく。「明日は今日なのかもしれない」と理想と現実の乖離、肉体労働のルーティンに鬱々とする。状況は好転しそうにない。

ILL-BOSSTINOはこの曲で、『STILLING,STILL DREAMING』(1999)というクラシックを作り上げ、富と名声も得て名実ともに成功をおさめる以前の苦悶の日々を描いている。「未来は俺等の手の中」が発表されたのは2003年、この国でも“格差の是正”が叫ばれ始めた時代だ。エレクトロニカから影響を受けた変則的なビートと浮遊するシンセが織り成す、静寂と騒々しさを往復するO.N.Oのトラックは、BOSSの焦燥やもがきとシンクロしている。

この曲は中盤でTHA BLUE HERBのその後の成功をわずかに匂わせるものの、「しかし、何時だろうと朝は眠い」という冒頭のワンフレーズをカットインすることで労働者のメランコリーの深さから離れない。苦悶と微かな希望に留まる。仮に壮大な成功物語へと展開してクライマックスを迎えたとすれば、ラッパーのサクセスストーリーを描く曲になっただろう。「未来は俺等の手の中」はヒップホップ的セオリーを巧妙に回避することでスペシャルな1曲になった。この曲は当時、非正規雇用の労働者、フリーターの労働運動を担う人びとのあいだでも支持された。BOSSはクライマックスで、人びとのオアシスとして機能するダンスフロアの美しさを描いたのだった。


04. KOHH - “働かずに食う”(2016)

労働の拒否である。だが、労働の拒否は必ずしも怠け者の価値観を肯定することではない。KOHHは「俺は働かずに食う」「いつも遊んでるだけ/みんな仕事ガンバレ/やりたくなきゃ辞めちゃえ/時間がもったいない」と挑発的に、そう、エフェクトでヨレたように加工された声でまさに挑発的にフロウしている。せわしなく連打されるトラップのハイハットと不穏な電子音のゆらぎが挑発的な雰囲気を増幅させる。

が、KOHHが労働倫理に厳しいラッパーであることは、彼の活動を追っていれば容易に想像がつく。労働を否定して怠け者を礼賛しているものの、人一倍汗水流して働く人間もいる。それをダブルスタンダードだ、矛盾だと批判するのはお門違いだ。パフォーマンスはパフォーマンスである。KOHHというアーティストにとっての労働は皿を洗うことでも、HPの更新作業をすることでも、書類を作ることでもなく、絵を描き、ラップを録音し、ライヴをし、タトゥーだらけの身体を人前で見せる芸術活動である。

だが、さらにKOHHが一筋縄でいかないのは、芸術に生きることを肯定すると思わせておいて、「芸術なんて都合良い言葉」「言葉なんて音だ~/ただの音だ~」とそこさえもひっくり返して煙に巻いてくるところだ。KOHHのパフォーマンスには複数の、時に対立さえするメッセージが重層的に折り込まれている。

とはいえ、僕は「働かずに食う」という労働の拒否のパフォーマンスを真に受けるのは意義のあることだと思っている。一度道を踏み外してみてもいい。それは、労働と資本主義をいちど相対化する作業だ。問題はそこから個人がどう考えて行動するかにある。「働かずに食う」は『YELLOW T△PE4』というミックステープに収録されている。


05. Kendrick Lamar - “Hiii PoWeR”(2011)

近年の「ブラック・ライブズ・マター」のアンセムとなった「Alright」という意見もあろうが、しかしケンドリックの思想の根幹や原理は「Hiii PoWeR」に凝縮されているのではないか。2011年に発表され、ケンドリックの評価を決定づけたミックステープ/デビュー・アルバム『Section.80』からのリード曲だ。ビートはJ・コールが作っている。政治組織で言えば綱領のようなもので、ケンドリックの理想を明確に打ち出した曲だ。

「Hiii PoWeR」の3つの“iii”は、心、名誉、尊敬を表しているという。アメリカの体制や政府や社会制度というシステムによって憎悪を植え付けられ、自尊心を棄損され、打ちのめされつづけてきたアフリカ系アメリカ人が、心と名誉と尊敬の力でムーヴメントを起こし自分たちの帝国を築くのだと。すなわち自己変革を説き、自己変革が体制変革へつながると主張する曲で、マーカス・ガーヴェイ、キング牧師、マルコム・X、ブラック・パンサーなどの人物や政治組織がリリックに登場する。

だから、その理想は特別に目新しいものではないものの、この曲のリリックにも登場するヒューイ・P・ニュートンの自伝『白いアメリカよ、聞け(原題:Revolutionary Suicide)』にしてもそうだが、システムによっていかに健全な心や精神が歪められ、正常な善悪の判断が狂わされてきたのか、と体制や権力と個人の心や精神のあり方をまずつぶさに考察し、尊厳の回復を出発点にすることの重要性をいま一度考えさせられる。アレサ・フランクリンにも「RESPECT」という名曲がある。「Hiii PoWeR」そしてケンドリックの素晴らしさとは、自己変革と体制変革、精神と運動(ムーヴメント)を同時に思考し展開させることのできる洞察力にある。


長年アメリカのヒップホップをはじめとするブラック・ミュージックを紹介し続けてきた信頼すべきLA在住のライター/翻訳家の塚田桂子さんのブログ「hip hop generation ヒップホップ・カルチャーがつなぐ人種、年代、思考 、政治」の対訳と註釈を参考にさせてもらった。


06. Janelle Monáe & Wondaland - “Hell You Talmbout ”(2015)

「ブラック・ライブズ・マター」と呼応した数多くの楽曲の中で、R&Bシンガーのジャネル・モネエの「Hell You Talmbout」は、実践の場すなわちデモや集会でその威力を最も発揮する曲のひとつだろう。そういう場で歌われ、演奏されることを想定して作られているように思う。日本で言えば、デモのドラム隊の演奏とコールがあれば、この曲は再現できる。モネエとともに、彼女が設立したインディ・レーベル〈Wondaland〉のアーティストたちが参加している。警察や自警団の暴行やリンチによって殺害された、あるいはその疑いがあるアフリカ系アメリカ人の名前を挙げ、「say his name」「say her name」と聴衆に名前を叫ぶことをうながす。公民権運動に火を付けたと言われる、リンチの被害者、エメット・ティルや、警察の蛮行(Police brutality)の問題が広く議論されるきっかけになったとも言われるNY市警察による射殺事件の被害者、アマドゥ・ディアロ、ヘイト・クライムの被害者の名前も歌われる。

実際にライヴや集会と思われる場の映像をいくつか見たが、とにかく力強く、人びとを巻き込んでいく。ゴスペル・フィーリングにあふれ、ビートはドラムラインが激しく打ち鳴らす。モネエの出身地、アトランタに根付くマーチング・バンドの伝統が息づいている(『ドラムライン』という映画を観てほしい)。この曲の根幹にあるのは、慰めでも、説得でもなく、直接的な激しい怒りだ。ある欧米のメディアは、そのシンプルさゆえに力強く、コンセプト、演奏ともに“ground-level”の曲であると紹介している。つまり、“地べた”の怒りのプロテスト・ミュージックである。


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07. NAS - “American Way”(2004)

ナズの曲の中ではマイナーな部類に入るだろう。『Street's Disciple』という2枚組のアルバムに収録されている。冒頭、「近年社会意識のある政治的なラッパーの出現が見受けられます。ヒップホップ界の新しいトレンドのようです」というコメントが報道番組のニュースキャスターのような口調で読み上げられる。そして、ナズは宣言する。「ナズはアメリカに反逆する」と。つまりこの曲でナズはアフリカ系アメリカ人の立場から“反米”を鋭く主張している。

『Street's Disciple』の発表は2004年、イラク戦争まっただ中の時代だ。ブッシュ政権の下で国家安全保障問題大臣補佐官と国務長官を歴任したアフリカ系アメリカ人の女性政治家であるコンドリーザ・ライスを“アンクル・トム”として槍玉にあげ、ファースト・ヴァースの最後を「フッド出身の議員が必要だな(Need somebody from hood as my council men)」というライミングでしめくくっている。

推測するにタイトルの“American way”=“アメリカ流”は、ブッシュを象徴とするワスプのアメリカ流とナズを象徴とする黒人のアメリカ流というダブル・ミーニングではないか。客演で参加するR&Bシンガーで元妻のケリスがフックで発する「American way」というアクセントはどこか皮肉めいているし、アルバムでこの曲に続くのはストークリー・カーマイケルやニッキ・ジョヴァンニ、タイガー・ウッズやキューバ・グッディング・ジュニア、あるいはフェラ・クティやミリアム・マケバなどの“黒人のヒーロー”を称賛する「There Are Our Heroes」という曲だ。

「American way」のごっついブーム・バップ・トラックは、アイス・キューブの「The Nigga Ya Love to Hate」でも使用されたジョージ・クリントンのデジタル・ファンク「Atomic Dog」のサンプリングから成るが、ナズはアイス・キューブのこの曲を意識していたに違いない。


08. A-Musik - “反日ラップ”(Anti-jap rap)(1984)

反米を主張したり、反米を掲げるラッパーやミュージシャンやアーティストに支持を表明することは容易いように見えるが、しかし、2018年現在、“反日”という主張あるいはテーゼや思想、もしくは問題提起ですら死滅状態である。どこか大事な問題が棚上げされている思いに駆られる……そんな時に「反日ラップ」を聴くと心が奮い立つ。

数年前に僕はこの曲でラップする竹田賢一さんと昼食をともにする貴重な機会を得た。ミュージシャンであると同時に、1970年代中盤以降のこの国のジャズ/フリージャズ、前衛音楽の音楽批評を牽引した音楽評論家の大先輩との対面に僕は極度に緊張していた。それでも「反日ラップ」についてだけはどうしても訊きたかった。竹田さんはギル・スコット・ヘロンやザ・ラスト・ポエッツの音楽やそれらに関する欧米の音楽ジャーナリズムを通じて “ラッピン”と呼ばれるアフリカ系アメリカ人の話術の文化を知り、自分でも試みたのが「反日ラップ」だったと語ってくださった。すなわち「反日ラップ」は、『ワイルド・スタイル』の日本公開や原宿のホコ天、あるいは1980年代のサブカルチャーや雑誌文化とは異なる水脈から生まれた日本のラップの初期の一曲である。

さらに重要なことは、アフロ・アメリカンの抵抗の音楽/芸術を日本のアジア諸国に対する経済的な植民地支配への抵抗と結びつけ表現したことだ。なにしろ「反日ラップ」のリリックの中身である。A-Musikのサイトにはリリックについてこう記されている。「『反日ラップ』のテクストは、東アジア反日武装戦線KF部隊<準>による『生まれ出でよ!反日戦士──フレ・エムシ第1詩集──』の冒頭に収録されている、『ワレらが旅立ち』という詩」であると。

そして、じゃがたらのホーン・セクションの要であったサックス奏者の篠田昌已、FLYING RHYTHMSでの活動やKILLER-BONGとのセッションでも知られるドラマーの久下恵生、シカラムータの大熊ワタルらが生み出す演奏は、ジャンク・ファンク・ジャズと形容したくなる猥雑なサウンドだ。

A-Musikはヒップホップ・カルチャーとは無縁だったし、いまも深い関わりはない。が、ブラック・カルチャーとは深い関係があった。ブラック・パンサーに多大な影響を与えたフランツ・ファノンのポストコロニアル理論は東アジア反日武装戦線の思想の背景でもあった。2パックの伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』を観たり、あるいは近年のケンドリック・ラマーの活躍を見るたびに、ブラック・パンサーの武装闘争路線なども含めた活動の総括や反省や回顧そしてそれらをめぐる議論が耕したアメリカの黒人社会の土壌がなければ彼らの存在もなかったのではないか、そんなことを思う。

いまの時代に反日を主張したり、問題提起することでさえ、僕だってカラダが底冷えするぐらいに恐ろしい。けれども、「反日ラップ」や「反日ラップ」を通じた東アジア反日武装戦線をめぐる議論はいまこそ意義があるのではないかとは思う。「反日ラップ」を作った勇気ある音楽家たちは偉大である。


9. THE HEAVY MANERS – “Terroriddim (Rudeboy Anthem) Feat. Killer-Bong”(2008)

ベースの太さと強靭なスネアとバスドラ、心をざわつかせるフライング・シンバルの細かい律動はそれだけで何かを訴えかけてくる底知れぬパワーを発することができる。その“何か”の背後や背景にはもちろん理屈や思想があるのかもしれないが、理屈や思想だけでもない。そのことは、レゲエ・ベーシスト、秋本武士率いるレゲエ・ダブ・バンド、THE HEAVY MANERSのこの曲の演奏を聴けば、それ以外余計な説明はいらない。

しかし、バンドの演奏だけではない。Killer-Bongのラップ、咆哮が凄まじい。Killer-Bongは「Terroriddim」というタイトルをヨレたようなフロウでくり返すが、その発音は「テラーリディム」なのか「テロのリディム」なのか判別不可能だ。もちろん全編をとおしてリリックもある。が、言葉の意味は断片的にしか入ってこない。ほとんど読解不可能だ。抵抗(プロテスト)というより、たしかにこれは全身全霊の身体の反乱(レベル)である。

この反乱には明確な方向性はないように思えるが、言葉や文脈を不明瞭にすることで広がっていく反乱の地平があるのだと教えてくれる。「Rudeboy Anthem」という副題のとおり、この曲は路面をのたうち回りながら生きるこの国のルードボーイのアンセム。「Terroriddim (Rudeboy Anthem) 」を渋谷のクラブで体感したときに全身から沸き上がってきた得も言われぬ感情や反抗心はいまだに説明できない。


10. JAGATARA - “都市生活者の夜”(1987)

JAGATARAとプロテスト・ミュージックであるから、「もうがまんできない」という選択肢もあった。『超プロテスト・ミュージック・ガイド』の執筆者のひとりである荏開津広は「クニナマシェ」をプレイリストに入れている。が、午前4時少し前のダンスフロアの何にも代えがたい高揚と思索と憂いの時間を生きる活力にする身からすれば断然「都市生活者の夜」なのだ。JAGATARAと江戸アケミの表現が総じてそうであるように、この15分にも及ぶ大作は、ダンス・ミュージックでありながら、いや、ダンス・ミュージックだからこそ、個人と集団がせめぎあい、結果的に人間が独りであるという事実を突き付けてくる。それはやはりどこか心許ないものの、とても心地良く、強烈なカタルシスを伴う。そのカタルシスが果たしてプロテストにつながるのかと問われると、いまだ答えに窮するのだが、「都市生活者の夜」がなければ乗り越えられなかった、人びととの連帯の日々が僕にはたしかにあったのだ。


11. Major Lazer - “Get Free ft. Amber Coffman”(2012)

僕はこの曲を、友人が教えてくれたジャマイカで撮影されたMVで知った。そして、そのMVの印象が強烈だった。舞台はジャマイカだ。ジャマイカの人びとの躍動が伝わってくる。汗、熱気、ダンス、匂い、煙。ジャマイカに行ったことはない。この映像は当然ジャマイカのいち側面でしかないし、だいぶロマンティックに描いているのだろう。それゆえに、そのあまりの美しさに同時に不安な気持ちになる。

例えば、水曜日のカンパネラのシンガポールの下町で撮影された「ユニコ」のMVで、コムアイがその街や食事や人びとともに呼吸し生々しく躍動する様にうっとりする一方で、しかしMONDO GROSSOの「ラビリンス」のMVで満島ひかりが香港の猥雑な街の中を踊り歩く姿にはどこか違和感を拭えないように(満島ひかりは大好きだが)。もしかしたらこれは何かが違うのではないかと。ここでの街や人はただの舞台装置や背景なのではないかと。それでも「Get Free」からは有無も言わさず、直接的に伝わってくるものがある。

ディプロ擁するメジャー・レイザーが作り出すゆっくりと波打つダンスホール・リディムと空間を広げていくエモーショナルなシンセ、そこに絡みつく元ダーティ・プロジェクターズのアンバー・コフマンの透き通ったヴォーカルとやるせなさと自由への希求をシンプルな言葉で綴った歌詞の組み合わせは、ジャマイカに息づく生活、文化、音楽へのリスペクトの上に成り立っている。ダンスホール・レゲエのリディムとルーツ・レゲエのブルースを見事に掛け合わせている。この曲を聴くときに体の中から引き出されるやるせなさと解放感は、日々の激しいストレスとプレッシャーから心をプロテクトしてくれる。朝方のダンスフロアで聴いて踊りたい。

interview with Tomoko Sauvage - ele-king


Tomoko Sauvage
Musique Hydromantique

Shelter Press

AmbientExperimental

Amazon

 Mark Hollisのように1枚の傑作を残せれば、その作品を最後に音楽をやめてもいい。とずっと思ってきた。けれど僕自身はいまだにそういう作品をつくれていない。
 去年の10月ごろ一時帰国したパリ在住のトモコさんと、町田良夫さんの家で食事をした。その時に、8年ぶりの新作をリリースするというトモコさんが「この作品が出せたら、もうこういう音楽をやめてもいいと思ってる」と言っていた。その作品『Musique Hydromantique』は、ele-kingでもデンシノオトさんのレヴューや、WIREなどの海外のメディアでも話題になっている。

 個人的に90年代後半から00年代中盤までは、デジタル・テクノロジーが音の世界でどこまで何ができるのかという、先が見えない楽しさの中で動いていた。グラニュライザーやロング・ディレイが一般的になった頃からアンビエントやドローンの量産がはじまって、デジタル・ミュージックへの関心が急になくなった。ちょうどその頃、西洋医学から東洋医学への意識の移行もあったので、時代に動かされた要素も大きいだろう。仲のいい友だちもライヴでラップトップを使わなくなりはじめたのは00年代後半。それからちょうど10年を経て1周したように個人的にはデジタル・テクノロジーおよび西洋医学の再評価がはじまってはいる。

 そんな流れの中で、即興演奏を加工・編集なく構成されたトモコさんのこのアルバムは、アナログな音を即興的にデジタルで加工して演奏をする。という、この時代を象徴するひとつの演奏スタイルの集大成的な作品のように思う。特筆すべきは、デジタル・リヴァーブ全盛の時代に大きな楕円形の会場でジェネレックのモニタースピーカー10台を鳴らすことで作り出したアナログ・リヴァーブを収録した1曲目だろう。
 最近は、アナログよりもデジタルの方がいい音楽も増えてきている中で、この音楽は、レコードの方が圧倒的にいい。はじめの数秒でそう確信してクレジットをみるとマスタリングはRashadBecker。初回限定版のクリスタル・レコードとジャケットのデザイン、そして音の透明感……、針を落とした30秒後には2017年のベスト・アルバムが決まった。

 音楽にとっていまも昔も変わらない大切なことは、音が「生じる」というその瞬間の神秘性だと僕は思っている。その音の発生する「瞬間」、そしてテクノロジーも含めた「現在」にこだわり続けて10年。ついに完成されたTomoko Sauvage(トモコ・ソヴァージュ)の音楽は、人類史にしっかりと刻まれる傑作だ。
 音の振動は周囲に影響を与えながら減衰していく。その影響は永遠に消えることはない。フランスから届けられたこの音楽が、世界中のあらゆる時間と場所で再生され、世の中の振動が、静逸な調和へと導かれることを心から願う。そんな想いもあってレヴューを書きはじめて、トモコさんにインタヴューまでしてしまったので、それを共有させてください。

水かさを変化することによって、調性、ハーモニーを少しずつ変えていっていますが、やっているのはそれだけです。録音は、西南仏の田舎のとある村にあるフェスティヴァルで、会場に使われた、いまは使われていない公民館のようなところで録音しました。

録音の環境や、機材に関して教えてください。

T:録音に関してですが、すべて4トラック、2本のマイク(ノイマンのKM184ステレオ)と、ミキサーからのステレオアウトです。
 ハイドロフォン(Aquarian Audio / H2a-XLR)は私は楽器の一部としてとらえています。waterbowlsは、大きさの異なる6つの磁器のボウルです。白磁で有名なフランス、リモージュ市のセラミック研究所で作ってもらいました。リムザン地方の山の中にある La Pommerieというアーティスト・レジデンスでのプロジェクトの一環です。いちばん大きいものは直径50センチほど、小さいものは直径20センチほど。水の量によって音程を調節します。それぞれのボウルの水の中にハイドロフォンを沈めて、左手で常にフェーダーの操作できるよう、私の左手にミキサー。右手は水の中、左手は乾いていてフェーダーの上、という感じで演奏をしています。レコードのジャケット写真のように、氷のしたたる音を使っていると思われる方が多いのですが、もっと簡素なドリップシステムで水滴をたらしています。ジャケット写真は、楽器から派生させたインスタレーション作品(2010年)のベルリンでの2度目の展示風景です
 磁器のボウルは私の身体の一部とでも思えてしまうぐらい、大切なものです。飛行機の移動で何度か割れてしまい、トイレで泣いたこともあります。氷が落ちてきたら嫌なので、私の大切なボウルの上には絶対つるしません! 壊れた破片をヤスリで磨いて、それでインスタレーション作品を作ったこともあります。インスタレーション用のボウルは、お店で買えるものを使っています。
 ここ8年間で、25カ国、100回以上コンサートをするうちに、ルーム・アコースティックにものすごく左右される楽器だということ、それをいかにコントロールするかを探ってきました。やっとマスターできた、と思えたのは去年あたりからです。スピーカーの数、位置、それからもちろんミキサーやミキサーのEQなどのクオリティやなどでもものすごく変わります。

それぞれの曲について教えてください。

1曲目:Clepsydra

T:2009年のアルバム『Ombrophilia』でも多用した、水滴でボウル鳴らすテクニックです。ボウルの水かさを変化することによって、調性、ハーモニーを少しずつ変えていっていますが、やっているのはそれだけです。録音は、西南仏の田舎のとある村にあるフェスティヴァルで、会場に使われた、いまは使われていない公民館のようなところで録音しました。楕円形、3層、真ん中が吹き抜けの変な構造になっていて、オーガナイザーが音響に詳しい方だったので、いろんなところにいろんな種類のスピーカーを置いてもらって、建物全体が良く響くようにしてくれました。
 スピーカーの一部として、ジェネレックの小さいスタジオモニター用スピーカーを10台位設置してくれたり、かなり豪華に音響を施してくれました!
 こういった、理解あるオーガナイザー、エンジニア、そしてそれをサポートする国の補助金(税金でまかなわれている)によって、私の音楽は育てられたと思っています。今回は全てフランス国内のそういった、オーガナイザー(でも彼ら自身もミュージシャンなど、若い人たち)のサポートによって録音を実現出来たので、アルバムはフランス語のタイトルにしています。ときどき建物がきしんで、みしみしする音が入っていますが、これは狙いではなく消せなかったものです。

2曲目:Fortune Biscuit

T:気泡の出る素焼きのセラミックを水に沈めることによって音をならしています。泡がはじける音、泡が穴から出てくる時の音が、毎回違うので、フォーチューンクッキー(アメリカ系中国の、中にメッセージが入ったクッキー)にちなんでタイトルをつけました。ビスキュイは、そういった素焼きのフランス語名です。これはマットな音環境の普通のスタジオで録音しています。80年代のソニー製のお宝高音質オープンリールで録音しています。

奇跡を信じて強く生きていかなければならなかった時期、フィードバックがきれいに鳴ることに、一種の奇跡を感じていたというか、日本語で言うと願掛けみたいのかな。強く祈るような気持ちが私の編み出したフィードバック奏法と密接につながっていると思います。

3曲目:Calligraphy

T:これは、私がここ8年以上オブセッションのように追求してきた、ハイドロフォンとスピーカーのフィードバックで演奏しています。もともと手芸用品のDMCの工場で、今はがらんどう、コンクリート、天井高6、7メートル、その部屋は小さめの35-40平米位だったと思いますが、残響が10秒ぐらいある、いままででも最高の音響で録音しています。スピーカーは4台のNEXO。普段は鳴らない周波数のフィードバックもどんどんなって、もう奇跡じゃないかと思うくらいすごかったです。以前鈴木昭男さんが、残響のあるところで笛を吹くと自分が天才になったみたいに上手く吹けるけど、野っ原に行って吹くと途端に天才じゃなくてがっかり、とおっしゃっていました。残響があるところだと鳴る以前の音が鳴るんだ、というような言い方をされていましたが、このフィードバックもそういうことですよね。フィードバックって、なんか幽霊みたいですよね。
 電気も音も目に見えないものだから、幽霊的なものがあるような気がします。
 時々どこからきているかわからないノイズとかがのったりして、すべて科学で証明できるものとはいえ、それでもなにか神秘を感じてしまうのです。
 じつは、当時3歳だった娘の病気が発覚したのが2013年の4月、その約4ヶ月後の演奏、録音です。
 奇跡を信じて強く生きていかなければならなかった時期、フィードバックがきれいに鳴ることに、一種の奇跡を感じていたというか、日本語で言うと願掛けみたいのかな。強く祈るような気持ちが私の編み出したフィードバック奏法と密接につながっていると思います。
 それで『Musique Hydromantique』というタイトルです。古代ギリシャなどで行われていた水占い。現代では占いの結果をどう解釈するかは個人の自由だし、それよりも、占う時の強い気持ちに、なにか意味があるんじゃないかと……
 “Calligraphy”では、複数のボウルの複数の周波数のフィードバックが同時に鳴っています。これ実は結構コントロールが難しいのです。左手でミキサーのフェーダーを超微妙にコントロールしながら、増幅しつつある周波数に耳を傾けて音が強くなりすぎないよう注意を払いつつ、減衰しつつある周波数のフィードバックを増幅するべきフェーダーをアップして……
 バランスポイントを微妙にキープし続ける、集中力を要するプロセスです。この録音ではそういった、瞑想に近い集中力に達することができたと思っています。
 それから、水を揺らし波を作ることで、増幅しつつある周波数が落ち着くんです。
 また、こぶしを水に浸すことによって水かさを増やすことも、増幅しつつある周波数を落ち着かせるテクニックです。その時にできる、カーブ、音楽用語でいったらポルタメント、グリッサンド、ピッチベンドが、とにかくすごく好きなんです。母書道をやっていた母が、完璧な美しいライン、カーブを描くために執拗に練習していたのを見て育ちました。なんかそれに通じるものがあるなーと思ってのタイトルです。インド音楽のガマカなんかに通じるものがすごくあるとも思っています。
 と、とにかく奥深くて、ここ8年間の私の人生の半分位をしめた(!)といってもいい水のフィードバック奏法、語り始めたら止まりません(笑)。
 ちなみに、フィードバックは、幽霊を写真に撮るように、録音が非常に難しいと感じます。一度録音エンジニアと語ってみたいです! 素人として思うのは、フィードバックって、フィジカルに身体に貫通する、骨で聴く音なのではと。身体で直接ヴァイヴレーションを受け取るというか。マイクはそれを感知できないところがあるみたいで、毎回録音に非常に苦労しました。
 実はこの3曲目も、もともと録音状態がひどくて、アナログやデジタル技術を駆使して友人に修復してもらったものなのです。この難しさが今回のアルバムに時間がかかったいちばんの理由です。
 余談ですが、つい先日スウェーデンでのコンサートで、私の到着時にエンジニアがスピーカーチェックのためにこのアルバム、『Musique Hydromantique』をかけていて、ああ音悪いなあと思いながら聴いていて、実際サウンドチェックしたらすごく音がよかったので、音が悪いのはアルバム……。次作は本当の音にもっと近づけるように頑張ります。

この作品を出したらこういう音楽をやめてもいい。とおっしゃっていましたが、WIREなどの世界中のメディアから反響を受けたあと、その心境に変化はありましたか?

T:ええええ、そんなこと言いましたっけ!? 全然覚えがないです。もしかしたら、次へ進むという意味で、違ったスタイルを追求したいという意味で言ったのかもしれませんね。以前から、この楽器は、私の幸せにしてくれる魔法の楽器だと感じていて、誰もよんでくれなくなっても一生演奏し続けているとおもいますよ。先週もレコーディングしていて、楽しくて仕方なかった。次作、早く出したいです。『Musique Hydromantique』はもうだいぶ時間がたってしまい、私がいまやっている演奏スタイルとはだいぶ異なりますが、次作は全然違った雰囲気になると思うので期待していてください(笑)!

悪女/AKUJO - ele-king

 昨年のワースト・ムーヴィーは『ワンダーウーマン』だった。ストーリーが単純な上にとにかくテンポが悪い。『ハリー・ポッター』シリーズは監督が変わってもテンポが遅いのは子どもに観せるという大前提があるからだろうけれど、『ワンダーウーマン』にそんな制約があるとも思えない。余韻がどうという場面もないし、じっくりと観せるシーンもなかったのに、どうしてあんなにゆっくりとしか展開しなかったのか。しかし、『ワンダーウーマン』は全米で年間3位の大ヒットだったという。『ワンダーウーマン』を絶賛している声を表面的に掬い取って見ると、世間のことは何も知らない女性が性善説に基づいてアクションしまくることがいいらしく、アン・ハザウェイやジェシカ・チャスティンといった中西部受けしない女優たちが絶賛し、ヒーローものにしては女性客が50%を超えていることがひとつの特徴だという。人類にはもともと悪い心はなく、悪魔がそうさせているだけなので、純粋無垢なワンダーウーマンがその悪を退治するという展開……と書くと、やっぱり子ども向けにしか思えなくなってしまうけれど、『スリー・ビルボード』もリベラルのおとぎ話みたいなところがあると書いたばかりなので、トランプ政権下で文化系リベラルが求めていた捌け口が集約された作品なのかなと思うばかりである。

 女が激しく戦闘するだけなら日本占領下の朝鮮半島を描いたチェ・ドンフン監督『暗殺』でチョン・ジヒョン演じるアン・オギュンも記憶には新しい。あれは銃があまりにも重くて、狙撃用のライフルを構えるだけでも大変だったらしい。そして、同じ韓国映画でチョン・ビョンギル監督『悪女/AKUJO』も冒頭から女の戦いっぷりは凄まじい。キム・オクビン演じるスクヒはいきなりヤクザの本部に乗り込み、組織ごと全滅させてしまう。ここまでがあっという間。ドミノ倒しのように殺されていくヤクザたちはまるで死ぬために生まれてきたかのように次から次へと倒されていく。物語はここから始まると言いたいけれど、警察に逮捕されたスクヒが連れて行かれたのは国家のためにさらに精度の高い暗殺マシンを養成する施設で、彼女はそこでさらに高度な訓練を施されることになる。この過程がまたシステマティックに構成されていて実に楽しい。スクヒはそして、国家が命じる暗殺をやり遂げればいままでとは異なる身分を国家から与えられ、自由の身になると告げられる。これが絶対に困難なミッションだろうと思っていると(以下、ネタばれ)、拍子抜けするほど簡単で、スクヒはすぐに釈放されて自由の身になれる。所内で産んだ子どもと共に彼女は新たな人生を生き始めることになる。


『悪女/AKUJO』

 その後に起こることは実はどんなストーリーでもよかったのではないかと思う。スクヒは要するに売春組織から抜けられない売春婦の比喩なのだと思う。彼女は徹底的に国家から監視され、それ以上は関わらなくてもよかったはずのことにも駆り出され、自分の人生などというものは持てないどころか、むしろ過去との接点は増えていく。『悪女/AKUJO』を観ていて僕はコリーヌ・セロー『女はみんな生きている』を思い出した。韓国の売春組織がどれほど高度なものかは知らないけれど、ヨーロッパのそれが極めて複雑で女性たちにとって絶望的な組織論によって支配されているかは各種ドキュメンタリーや国連がそれに関わっていることを暴いたラリーサ・コンドラキ監督『トゥルース 闇の告発』がアメリカでは上映できなかったことでも深刻さは伝わってくる(確かガスランプ・キラーがこれについてラップしていた)。フランスの新自由主義を批判するイントロダクションから始まった『女はみんな生きている』は次第にヨーロッパの地下に張り巡らされた売春組織の実態に肉薄していき、主役の女性たちはこれに思いっきりカウンターを食らわせることになる(ファンタジーとはいえ、その方法論はとても痛快だった)。『悪女/AKUJO』もこれと似た展開をたどり、クライマックスでは長丁場のカーアクションも圧巻だし、女性がアクションしまくるという意味では何も申し分はない。しかし、この作品は『ワンダーウーマン』と同じ客層を呼ぶことはできないだろう。それはスクヒにはあまりにも葛藤があり、それが物語を根底からドライヴさせている要因をなしているからである。逆にいえば口コミ型で広まったという『ワンダーウーマン』は何ひとつ葛藤がないことが女性客を引きつけたということなのだろう。

 どうして『ワンダーウーマン』を観たのかと聞かれれば、アメリカで再燃しているフェミニズムがどこかしらにテーマとして盛り込まれているからではないかと予想したからである。しかし、そのような要素はなかった。それどころか反トランプで動いている女性たちと『ワンダーウーマン』にもしも関係性があるとしたら、この運動はヤバいかもと懸念せざるを得なくなってしまった。『ワンダーウーマン』の幼児性がもしもウイミンズ・マーチやタイムズ・アップにも浸透しているとしたら、女性の尊厳というようなテーマからも一気にそれてしまうし、それこそカトリーヌ・ドヌーヴの言うように「女は子どもじゃない」と言いたくなる衝動も理解できないことはない。『ワンダーウーマン』は女性しかいないアマゾナスで育ち、世界のことは何も知らないという設定で、それは確かに子どもということでしかない。子どもが悪と戦う映画を女性客が喜んで観ているというのは……どうなんだろう。ソフィア・コッポラの新作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』がそして、男性とは隔絶された女子寄宿学園で暮らす女性たちの話であった。1971年に公開された『白い肌の異常な夜』と同じ原作を映画化したもので、反戦や人種問題をばっさりとカットし、女性だけの空間に負傷兵がひとり紛れ込んでくるという設定だけを踏襲している。そして、男性に興味を示す女性たちの心理が事細かに描写され、前作よりも心理劇の要素が比重を増している(そして、アメリカ南部なのにヨーロッパにしか見えない衣装と)。


『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』

『白い肌の異常な夜』では負傷兵の体を拭くのは黒人メイドの仕事である(この時のセリフが実に印象的)。コッポラ版ではこのような仕事をニコール・キッドマン演じる園長のミス・マーサにやらせている。男性の肌に触れるマーサの内面を推し量るようなショットが最も雄弁にこの作品の意図を物語っている。キルスティン・ダンスト演じるエドウィナ、エル・ファニング演じるアリシアもコリン・ファレル演じるマクバニー伍長には興味津々で、クライマックスでマクバニー伍長が動き出すまでは男性にも女性にもいわゆる「理はない」としか言えない場面ばかりが積み重なる。結果的には悲劇ではあるものの、その過程は『白い肌の異常な夜』のようにあらかじめ男性=悪という描き方はせず、男性の内面はあくまで未知数になっているところが現代的だった。ウイミンズ・マーチやタイムズ・アップに対して、結果だけを見てモノを言うのはどうなんだろうという疑義がこの作品に潜んでいないとはとても思えないし、『ワンダーウーマン』を観てはしゃいでいた女性コメンテイターの感想を聞いてみたい作品ではある。とはいえ、『ワンダーウーマン』を監督したパティ・ジェンキンスはかつてシャーリーズ・セローンのブスメイクが話題を呼んだ『モンスター』を撮った監督でもある。リドリー・スコット『テルマ&ルイーズ』が元ネタにしていた事件を忠実に再現した『モンスター』はかいつまんで言えば、自分が愛した女性のために次々と男たちを殺していった娼婦の話である。世界のことは何も知らない、子どもみたいな女性が連続殺人鬼になるか、アクション・ヒロインになるか、パティ・ジェンキンスにとってはもしかすると大した違いはなかったのかもしれない。


『悪女/AKUJO』予告編

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』予告編

 SWANKY SWIPE / SCARSでの活動でも知られ、数々のクラシック作品をリリースして人気/評価を不動のものとしたラッパー、BES(ベス)。MONJU / SICK TEAM / DOWN NORTH CAMPのメンバーとして、そしてソロ・アーティストとしてこれまでに膨大な音源をリリースし、近年の活発な活動にも注目が集まっているラッパー、ISSUGI(イスギ)。旧知の間柄であり、これまでにも幾度かコラボレーションしてヘッズを狂喜させてきた両者のジョイントによる噂のオリジナル・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』(ヴィリジアン・シュート)のリリースへ向け、Teaserが公開! 同作のレコーディング風景を使用し、収録曲“RULES”をいち早くプレヴューしている。また2/21よりiTunes Storeでのプレオーダー受付とその“RULES”(Prod by GWOP SULLIVAN)、“WE SHINE”(Prod by GRADIS NICE)の2曲の先行配信もスタート! リリースはいよいよ来週、2/28!

*BES & ISSUGI 『VIRIDIAN SHOOT』 Teaser

BES& ISSUGI
VIRIDIAN SHOOT

2018年2月28日発売予定
レーベル:P-VINE, Inc. / Dogear Records

[トラックリスト]
1. ALBUM INTRO
 Prod by 16FLIP
2. SPECIAL DELIVERY
 Prod by GWOP SULLIVAN
3. NO PAIN MO GAIN
 Prod by GWOP SULLIVAN
4. GOING OUT 4 CASH
 Prod by GWOP SULLIVAN
5. NEW SCHOOL KILLAH
 Prod by 16FLIP
6. 247
 Prod by BUDAMUNK
7. RULES
 Prod by GWOP SULLIVAN
8. BIL pt3 feat. MICHINO
 Prod by GWOP SULLIVAN
9. EYES LOW
 Prod by 16FLIP
10. HIGHEST feat. MR.PUG, 仙人掌
 Prod by GWOP SULLIVAN
11. VIRIDIAN SHOOT
 Prod by GWOP SULLIVAN
12. SHEEPS
 Prod by DJ SCRATCH NICE & GRADIS NICE
13. BOOM BAP
  Prod by DJ SCRATCH NICE
14. WE SHINE
  Prod by GRADIS NICE
〈BONUS TRACKS〉
15. GOING OUT 4 CASH REMIX
  Prod by GWOP SULLIVAN
16. SPECIAL DELIVERY REMIX feat. MR.PUG
  Prod by GWOP SULLIVAN

Georg Gatsas - ele-king

 見たまえ。いま産業メガシティが生まれつつある。この10年、街の景観はおそろしいほど変わった。五輪を目前にいまも急激に変わりつつある。そこら中が工事だらけであり、スポーツジムだらけであり、広告だらけだ。東京だけの話ではない。ぼくの故郷の静岡もディストピア映画そのものの高層ビルおよびショッピングモールが建てられ続けている。共同体を破壊しながら。

 この血も涙もない再開発は世界中で起きている。イギリス映画でここ最近のロンドンの街並みが写されるのを見るたびに気分が落ち込む。自分がよく知っている時代のロンドンは見る影もないが、90年代後半にはすでにその兆候があった。企業の資本が入った大型クラブの登場は、都市がそのローカリティーや共同体よりもビジネスの主戦場であることを優先するというメッセージだった。「ロンドンはどこまで新自由主義化するのか?」マーク・フィッシャーが嘆く。「私たちは目的を持たない資本主義のラボラトリーのなかで暮らしている」。が、しかし、快楽主義的娯楽施設から文化を生み出すことはできなかった。ロンドンの文化を救ったのは、そうしたラボラトリーには属さない/属せない、疎外された人たち/場所だった。それがグライムであり、ダブステップであり、ベース・ミュージックだった。ギル・スコット=ヘロンが言ったように、革命は本当に放映されたりはしない。

 本書『SIGNAL THE FUTURE』は写真家のGeorg Gatsasによる、2008年から2017年までのロンドンのダブステップのシーンを中心にとらえた写真集だ。2008年というとダブステップがメインストリームの支配的なジャンルにまで上り詰めた時期で(なにせスクリームの「Midnight Request Line」が2006年だ)、むしろダブステップそのものは衰退が見えはじめた時期ではあるが、Georg Gatsasはその後のアンダーグラウンドを見逃さない。伝説となったクラブ〈プラスティック・ピープル〉をはじめとするアンダーグラウンド・クラブ・シーン(クラバーやその場面)、そしてDJやプロデューサーの写真が街の風景とともに展開されている。その風景写真がまず素晴らしい。
 Burialが表現したような、夜の街、雨に濡れて、人がいない街角からはじまる。再開発によって建てられたハイパーモダンなデザイン(魅惑的な未来都市)の高層ビル、スクリームをモデルにしたヘッドフォンの広告板(それらに混じってファティマ・アル・カディリやケイティBのポスター)、地下鉄とその監視カメラ群の写真が、ローファ、マーラ、コード9、スペースエイプ、アイコニカ、ジェイミーXX、リー・ギャンブル、シルキー、ヤングスタ、ローレル・ヘイロー、ピアソン・サウンド、ヴィジョニスト、ピンチ、DJラシャド、ザ・バグ、キキ・ヒトミ、PAN……などなどのポートレイトに混ざっている(つーか、このメンツのなかにジェイミーXXがいることに驚くんだけど)。

 4人のライターが原稿を寄せている。そのひとりは、偶然というかなんというか、たまたま先日レヴューしたばかりの『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャー。「Burialは私に悲しみを抱くことを許してくれた」というその原稿は、変わりゆくロンドンを例によって資本主義批判の立場で分析する。ファレル・ウィリアムスの“ハッピー”を新自由主義に支配された夢見るロンドンに重ねながらこっびどく皮肉り、Burialの『Untrure』においてもっとも重要な曲、“Archangel”にサンプリングされた一節、「If I trust you...」というなかば疑問的な言葉を解読する。
 ほかの3人の原稿も読ませる。都市を描写する音楽、リンスと FWD、家賃の高騰と疎外された人たち、「重要なものはアンダーグラウンドから生まれる」、アフロ・フューチャリズム、シャンガーンなどアフリカとの接続……、エトセトラ・エトセトラ。読んでいるとこの10年で何が本当に重要だったのかがあらためてよくわかる。ハイプ・ウィリアムスを現代のTGと表現した文章には個人的にとても共感した。

 いま冬を生きている。サマー・オブ・ラヴに対する冬、まさしく“レイヴ・カルチャーへのレクイエム”、その象徴がダブステップとグライムだったと。冬のはじまりであり、バレアリックとは対極の、しかしこれはしぶとく生きている道筋なのだ。それを携帯に突っ込んだイヤフォンで満足してはならない。足下から聴こう。アンビエントとしての低音。「いまの私たちにそれを信じることは難しいだろうが……」フィッシャーは意外なことにこう結んでいる。「資本主義リアリズムの冬は終わり、夏はやってくる」と。
 限定1000部という話だが、この時代を忘れないためのじつに貴重な写真と言葉である。もし私があなたを信用できるのなら……。

C.E meets PLO Man - ele-king

 Skate ThingとToby Feltwellが率いるファッション・ブランド〈C.E〉のイベントでは国内外のカッティング・エッジなアーティストたちを迎えてきた。3月2日(金)、CIRCUS Tokyoにて開催される今回のイベントにその名を連ねるのは、ベルリンを拠点にミステリアスなリリースを続けるレーベル〈Acting Press〉の主宰者、PLO Man(ピーエルオー・マン)だ。
 〈Acting Press〉はアンダーグラウンドで精力的に活動している謎多きレーベルで、リリースされる12インチ・シングルは毎回すぐに売り切れてしまう。PLO Manは約1年ぶりの来日で、2月24日(土)には今回のイベントに先駆け大阪NOONでもDJを行うとのこと。
 また今回のイベントにはインダストリアル・ミュージック・デュオのCARREと、ここ最近精力的な活動を見せているMori Raも出演予定。来週金曜日は迷うことなく会場へ足を運びましょう!

C.E presents PLO Man

PLO Man
CARRE
Mori Ra

開催日:2018年3月2日金曜日
オープン/スタート:11:00 PM
会場:CIRCUS Tokyo https://circus-tokyo.jp
料金:2,000YEN

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

■PLO Man
インディペンデントでアンダーグラウンドなエージェンシー/音楽レーベル〈Acting Press〉の代表としてワールド・ワイドな展開の指揮を執る、ドイツはベルリンを拠点とするアーティスト/DJ。2015年の発足以降、Acting Pressはじっくりと着実に、一貫した姿勢を崩すことなく、ヨーロッパをはじめ世界中のアンダーグラウンドで活動を続け、有形文化財的な価値すら見出せるような、経年劣化にも耐え得る強靭な作品を世にリリースし続けています。
https://soundcloud.com/plo_sound
https://berlincommunityradio.com/PLO_RADIO

■Carre
インダストリアル・ミュージック・デュオ。
NAG : RHYTHM MACHINE, BASS MACHINE, SYNTHESIZER
MTR : BOX, OSCILLATOR, GUITAR
https://mindgainminddepth.blogspot.jp/

■Mori Ra
TV/ラジオのレコーディングスタジオで培ったオープンリールEDITのスキルとレコーディング知識を武器に大阪を拠点に活動するDJ。 オブスキュアでレフトフィールドなダンスミックスを軸にあらゆるジャンル、年代から独自のコンセプトを基に構成するミックスを得意とし、15年以上続くパーティーPURMOOONを主催する。
2015年からヨーロッパを中心にオーストラリア、韓国など海外DJ公演も多数経験。海外に和モノを知らしめた Japanese Breeze MIXの他、Mori Ra、Oyama Editの名義でEDITをリリース。まもなく、ドイツCockTail d'Amore から12"EP、スペインHivern DiscsからJohn TalabotとのSplit10"がリリース予定。

Discography:
Mori Ra - The Brasserie Heroique Edits Part 3 (Berceuse Heroique,UK,2017)
Mori Ra - Akebono (Balearic Social Records,2017,UK)
Mori Ra - Tasogare (Balearic Social Records,2017,UK)
Mori Ra - Trapped In The Sky (Tracy Island,UK,2017)
Mori Ra - Jongno Edits Vol 4 (Jongno Edits,South Korea,2017)
Mori Ra - Oriental Forest (Forest Jam Records,US,2016)
Mori Ra - Passport To Paradise (Passport To Paradise,2016,UK)
Mori Ra - Sleeping Industry (Macadam Mambo,FRA,2015)
御山△EDIT( Oyama Edit ) - Ghost Guide 12”EP (Most Excellent Unlimited,US,2015)
Mori-Ra & ASN/Tokyo Matt / - Balearico Cosmico Editsu 12”EP (Macadam Mambo,FRA,2014)
Oyama Edit / Sad Ghost – Edits 12”EP (Rotating Souls Records,US,2013)
Various - Magic Wand Vol 5, 6, 8 (12”)

BPM ビート・パー・ミニット - ele-king

記憶するということと/思い続けることは違います/たいていの人間は/時とともにすぐに忘れてしまう/それが一番/むずかしい事です 清水玲子『パピヨン』1994

 カンヌ国際映画祭には2010年に創設された「クィア・パルム」という独立賞があり、全上映作品の中からセクシュアル・マイノリティに関する要素を持つ作品が候補作として選定される。昨年この賞(カンヌではグランプリも獲ってるが)を受けたのが本作『BPM』で、3年前(2014年)のクィア・パルム受賞作は『パレードへようこそ(原題:Pride)』。

 LGSM(Lesbians and Gays Support the Miners)の軌跡を描いた『パレードへようこそ』の舞台は1984年の英国で、創設メンバーの一人であるゲイ・アクティヴィスト、マーク・アシュトンは1987年2月11日にエイズのため死去している。米国における、エイズ施策に消極的な政府や、感染当事者の要望に応えない製薬会社などに対する直接抗議行動団体「ACT UP」がニューヨークで始動したのが1987年の3月なので、彼はそのムーヴメントの萌芽を見ることなくこの世を去ったことになるが、さらに2年後の1989年には英国の対岸フランスで「Act Up-Paris」が活動を開始する。『BPM』が舞台に設定したのはその頃、90年代前半のパリである。

 実際にAct Up-Parisのメンバーでもあったロバン・カンピヨ監督はこの映画を、実在した過去の人物を役者に割り振ることをせず、あくまでフィクションとして再構成した。それは「フランスにおける90年代前半のエイズ・アクティヴィズム」といった言葉で記憶されるであろうムーヴメントの渦中にいた人々に、改めて顔と名前を与える作業とも言える。いかにあの時代の空気から乖離せずに描くか、という困難な作業をナウエル・ペレーズ・ビスカヤート(個人的に印象深いのはアルゼンチンからベルギーのパン屋のおっさんに身請けされる青年を演じたデヴィッド・ランバート監督の『Je suis à toi』)やアデル・エネル(『午後8時の訪問者』ほか。余談ながらパートナーは同性)を始めとした俳優陣が過不足なく体現することで成立させている。また監督が「出演者の大部分がオープンリー・ゲイだった」と語っていることからは、制作現場が現在と過去とがせめぎ合う空間であったことも窺える。

ゲイ社会にとってエイズはいまだに終わっていないのだ、と心に留めておくことが大切だ。僕の俳優たちはカクテル療法や併用療法の時代しか知らなかった。彼らは予防的治療の時代を生きている。にもかかわらず、未だに彼らはどこにでも存在する忌まわしい伝染病を抱えて生きなければならない。この映画の時代と現代では25年の歳月が経過しているのにね。 (監督インタヴューより)

 映画が始まって割とすぐ、Act Up-Parisの定例ミーティングに初めて来た若者に古参のメンバーが活動内容などを矢継ぎ早やに説明した後で実にさり気なく、こんな一言を付け足すシーンがある。「あ、あと君らの(HIV)検査結果がどうであれ、この活動に参加した時点で世間からはHIV感染者ってことにされるからね」。この実にあっけらかんと軽く、かつ絶望的なジャブを繰り出された観客は、かつて存在した空気の中に引きずり込まれる。

 早期に適切な治療にアクセスできれば、という条件付きではあるが現在、少なくとも先進国においてはHIVに感染しても生きるか死ぬか、というものではなくなった。が、90年代前半にはまさしく生きるか死ぬかの問題だったのであり、加えて感染者に近づくことすら避けられるような、無知に基づく恐怖が社会に充満していた時代である。当事者とその関係者以外(もちろん政治もである)のマジョリティーができるだけエイズについて考えないことで事態をやり過ごそうした果てに感染は拡がり、そしておびただしい数の人々が死んだ。マドンナが1989年に発表したアルバム『ライク・ア・プレイヤー』の日本盤ライナーには枠囲みで「AIDS(エイズ)に関する事実」というタイトルのコラムがあり、オリジナルのブックレットには見当たらないこのテキストが収録された経緯はよく判らないが、最後の一文はこうだ:「AIDSはパーティーではありません」。

 それから、だいたい四半世紀が経った。2018年現在、医療の進歩によってHIVウィルスの影響自体は効率的に抑えこむことが可能となっている(適切な服薬によりウィルスが検出されない状態を保つことができる)のに、いまだ感染者への差別――日本に限定すればお馴染みの「ケガレ」に近い忌避感、と言い換えてもいいだろうか――だけがスモッグのように残ってしまった状態である。感染しても取りあえず死なないらしい、という曖昧な雰囲気が関心を薄れさせている状況は、現実に向き合って判断していないという意味では「AIDSがパーティー」だった頃と似たようなものだ。

 この映画の仏語原題は『120 Battements par minute』である。音楽のテンポとしてならBPM 120は割と普通にあるけれども、安静時の心拍数としては早すぎる(走っている時にはこのくらい出るだろうが)。もしかすると本タイトルにおける「ビート(Battement)」はどちらとも取れるように「120」に設定されたのかもしれないが実際、この映画もビートとともに始まる。そして心拍としてのビートは、血液のイメージにも接続される。本来体内を循環するのが役割であるはずが、時に思いも寄らないところにまで運ばれ、また思いも寄らないものを運んでしまう血液のイメージが視覚的にも随所で使われ、なまじリアルな流血をこれでもかと繰り出すより効果的に作用している。

 登場人物がほぼ10~20代の若者たちで、かつアーバンな首都の生活者で、ある一時期ヒートアップしたムーヴメントを描いた映画であるのは間違いないので、この映画を観て受け取った感動をつい「駆け抜けた青春」などと形容しそうにもなるが、当時の渦中ただ中にあった人にとっての現実は、何も考えずに歩いていた道が実はランニングマシーンだった(止まったが最後、容赦なく地面に叩きつけられる)ことに気づいてしまったようなもので、ひたすらに追いかけてくる現在の中で自らの青春にうっとりしている余裕などなかったであろう。ハードコアな日常に否応なく放り込まれた彼らの顔は、だからどこか茫洋としている。

 『BPM』の中で彼らが束の間の陶酔を表情として見せるのは、観ていて息苦しくなるようなセックス・シーン(フェラチオする時にコンドームを付けたほうがいいのか大丈夫なのか、といったノイズがいちいち邪魔をする)ではなく、ほぼ深夜のクラブでのシーンに留められている。彼らが昼間の活動を終えた後でゆらゆらと漂うクラブで流れるサウンドはあくまで90年代風に作られた、ただしその音の硬さがあの頃の音とはどこか決定的に違う響きを持った新曲が大半を占めているが、そこからも制作者の「これはフィクションである」という明確な意志が伝わってくる。それはつまり、下手を打つと間違い探しによって内容がぼやけてしまう「事実に忠実な再現ドラマ」という枠組から自由になるために選ばれた語り方である。

 確かにエイズはパーティーではなかった。が、どうしようもなく熱を持っていた時期があった。やがてその「フィーヴァー」は去り、しかし終わったわけでもない25年後のいま、ノスタルジアを極力排した映画『BPM』が届けようとしているものは、かつてその熱が何を奪い、何を生んだのか? という人と社会の動きについてであり、そして一番にそれが届けられるべきなのは現在、この映画の中を生きた彼らと同年代の人々と言うことになるだろう。苦闘した先人たちを英雄的に描くことで若者に恩を着せるのが目的では無論なく、この先も人間社会は似て非なる愚行を幾度も繰り返すだろうし、幾ら歴史を学んでも過去が現在のシミュレーションではない以上、眼の前の事象にどう対処したらいいのかの判断は、その場に立ち会ってしまった未来の誰かがするしかないのだ。先に道を歩いてきた者は、さらにその先へと進もうとする誰かに「覚悟だけは決めておけ(幸運を祈る)」とだけ伝えて倒れていくほかに、できることはないからだ。


Mika Vainio + Ryoji Ikeda + Alva Noto - ele-king

 2002年9月23日。英国のニューキャッスルにあるバルティック・センター・フォー・コンテンポラリー・アーツにて、ミカ・ヴァイニオ、池田亮司、アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)らによる最初で最後の競演が行われた。今から16年も前の出来事である。しかし、その音響は明らかに「未来」のサウンドだ。今、『Live 2002』としてアルバムとなったこの3人の競演を聴くと、思わずそう断言してしまいたくもなる。
 この『Live 2002』には、音響の強度、運動、構築、逸脱、生成、そのすべてがある。11のトラックに分けられた計45分間に及ぶ3人のパフォーマンスを聴いていると、00年代初頭のグリッチ・ノイズ/パルスを取り入れた電子音響は、この時点である種の到達点に至っていたと理解できる。強靭なサウンドで聴き手の聴覚を支配しつつも、無重力空間へと解放するかのような音響が高密度に放出されているからだ。このアルバムのミニマル・エレクトロニック・サウンドは、00年代初頭の電子音響・グリッチ・ムーヴメントの最良の瞬間である。
 2002年といえばカールステン・ニコライはアルヴァ・ノト名義で『Transform』を2001年にリリースし、いわゆる「アルヴァ・ノト的なサウンド」を確立した直後のこと。池田亮司も2001年に『Matrix』をリリースしそれまでのサウンドを総括し、翌2002年には弦楽器を導入した革新的アルバム『op.』を発表した時期だ。ミカ・ヴァイニオも Ø 名義で2001年にアルヴァ・ノトとの競演盤『Wohltemperiert』を、ソロ名義で2002年にフェネスとの競演盤『Invisible Architecture #2』を、パン・ソニックとしてもバリー・アダムソンとの共作『Motorlab #3』、翌2003年にはメルツバウとの共作『V』もリリースしており、コラボレーションを多く重ねていた。
 つまり彼らは、これまでの活動の実績を踏まえ、大きく跳躍しようとしていた時代だったのではないか。逆に言えばそのサウンドの強度/個性はすでに完成の域に至っていた。そう考えると『Live 2002』の充実度も分かってくる。3人の最初の絶頂期において、その音が奇跡のように融合したときの記録なのだ。この種の「スーパーグループ」は単なる顔合わせに終わってしまうか、今ひとつ個性がかみ合わないまま終わってしまう場合が多い。しかし本音源・演奏はそうではない。以前から3人が競作していたようなノイズ/サウンドを発しているのだ。

 とはいえ3人揃っての競作・競演はないものの、カールステン・ニコライと池田亮司はCyclo.としてファースト・アルバムを2001年にリリースしていたし、ミカもカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトと共作『Wohltemperiert』を2001年にリリースしているのだから、すでに充実したコラボレーションは(部分的にとはいえ)実現していた。
 ゆえに私はこの『Live 2002』の充実は、才能豊かなアーティストである3人がただ揃っただけという理由ではないと考える。そうではなく2002年という時代、つまりはグリッチ以降の電子音響が、もっとも新しく、先端で、音楽の未来を象徴していた時代だからこそ成しえた融合の奇跡だったのではないか、と。
 むろん『Live 2002』を聴いてみると、このパルスは池田亮司か、このノイズはミカ・ヴァイニオか、このリズミックな音はアルヴァ・ノトか、それともCyclo.からの流用だろうか、などと3人のうちの誰かと聴き取れる音も鳴ってはいる(M4、M5、M6、M10など、リズミック/ミニマルなトラックにその傾向がある)。
 しかし同時にまったく誰の音か分からないノイズも鳴っており(クリスタル・ドローンなM7、強烈な轟音ノイズにして終曲のM11など)、いわばいくつもの電子音の渦が、署名と匿名のあいだに生成しているのである。それは3人が音を合わせたというより、この時代に鳴らされた「新世代サウンド、ノイズ」ゆえの奇跡だったのではないか。グリッチ電子音響時代の結晶としての『Live 2002』。

 90年代中期以降に世界中に現れたグリッチ的な電子音響音楽は、グリッチの活用による衝撃というデジタル・パンクといった側面が強かったが(キム・カスコーン「失敗の美学」)、00年代初頭以降は、それを「手法」として取り込みつつ、電子「音楽」をアップデートさせる意志が強くなってきたように思える。つまり電子音響が、大きくアップデートされつつある時期だったのだ。彼ら3人の音もまたそのような時代の熱量(音はクールだが)の影響を十二分に受けていた。先に描いたようにちょうどこの時期の3人のソロ活動からその変化の兆しを聴きとることもできるのだ。
 膨大化するハードディスクを内蔵したラップトップ・コンピューターや独自のマシンによって生成された電子音響/音楽/ノイズは、和声や旋律、周期的なリズムなど「音楽」的な要素を持たなくとも、その多層レイヤー・ノイズやクリッキーに刻まれるリズムによって聴き手の聴覚を拡張し、音楽生成・聴取の方法までも拡張した。90年代以降の電子音響は、21世紀最初の「新しい音楽」であったのだ。
 そのもっとも充実した時期の記録が本作『Live 2002』なのである。このアルバムは2017年に亡くなったミカ・ヴァイニオへの追悼盤ともいわれているが、〈ラスター・ノートン〉からの「分裂」(という言い方は正しくはないかもしれない)以降、カールステン・ニコライが主宰する新レーベル〈ノートン〉のファースト・リリースでもある以上、単に過去を振り返るモードでもないだろう。「追悼と未来」のふたつを、21世紀の最初の新しい音響/音楽に託して示しているように思える。
 じっさい『Live 2002』を聴いていると、そのノイズ音響は明晰で、強靭で、もはや2018年のエクスペリメンタル・ミュージックにしか思えない瞬間が多々ある。2002年という「00年代電子音響の最初の充実期」において、ミカ・ヴァイニオ、池田亮司、カールステン・ニコライの3人は2018年に直結する刺激と破格のノイズを鳴らしていた。16年の月日を感じさせないほどに刺激的な録音である。

 2002年、電子音楽には未来のノイズが鳴っていた。そして2018年、その過去との交錯から今、電子音楽/音響の歴史が、また始まるのだ。


interview with Toshio Matsuura - ele-king


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Jazz not Jazz for dancefloor

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 まあとにかく集まって、互いに音を出す。思わずディナーショーの席を立ち、汗まみれのダンスフロアに向かう。エクレクティックな音楽をやる。SoundCloudからは見えないそのシーン、いわば現代版「Jazz not Jazz」現象がUKでは注目を集めている。松浦俊夫のソロ・アルバムは、まさにその瞬間にアクセスする。
 彼の新しいアルバム『LOVEPLAYDANCE』は、表向きには90年代のクラシックをカヴァーするアルバムとなっているが、それは表層的な情報で、目指すところは「過去」ではない、「現在」だ。参加メンバーを紹介するのが早いだろう。
 メルト・ユアセルフ・ダウンやサンズ・オブ・ケメト、あるいはフローティング・ポインツでドラムを叩くトム・スキナー。レディオヘッドにも参加しているバーレーン出身の女性トランペッター、ヤズ・アーメド。アコースティック・レディランドのベーシスト、トム・ハーバート。ヘンリー・ウーとのプロジェクト、ユセフ・カマールのユセフ・デイズ。ザ・コメット・イズ・カミングのダン・リーヴァーズ……そして『We Out Here』にも参加した今年の注目株のひとり、アフリカ系の女性サックス奏者、ヌビア・ガルシア。要約すれば、UKジャズの新たなるエース、シャバカ・ハッチングス周辺、そしてフローティング・ポインツやペッカムのフュージョン・ハウス・シーンのキーパーソン、ヘンリー・ウー周辺の人たちである。
 DJはプロデューサーであり、オーガナイザーであり、ときにはジャーナリストでもある。松浦俊夫とジャイルス・ピーターソンは、たったいま南ロンドンで起きていることをとらえて、そのエネルギーを90年代のダンスフロアで愛された楽曲にぶつけた。こうして生まれた『LOVEPLAYDANCE』は、ノスタルジーという誘惑を見事に退けて、現在から明日へ向けられるアルバムとなった。しかもこのタイミングでのリリース。これは大きいかも。

この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。

まずはアルバム、『LOVEPLAYDANCE』のコンセプトについて教えていただけますか? いままでのご自身のキャリアのなかでとくに思い入れのある曲ということで選んだんでしょうか?

松浦:曲目を見ていただけるとわかると思うんですけど、90年代前半の曲が意外となくて、90年代半ば以降のサンプリング・ミュージックからすこし移行したあたりの楽曲が中心になっています。最初に何百曲か選んでみて、サンプリング・ミュージックをいま生でやり直すということってどうなのかなと思うところがあったんですよね。サンプリングを通過したクラブ・ミュージックが展開していくうえで、逆にミュージシャン的な人たちを必要とした時期があって。生のバンドでやり直すんだったらそこらへんなのかなと思ったんです。

時期を限ったというか。ところで、ご自身のDJ歴はいつからになるんですか? 

松浦:人前で名前を出してDJをしたのは、川崎のクラブ・チッタが出来たころですね。クラブキングにいたときに、「革命舞踏会」というイベントを(桑原)茂→さんがやっていたんですね。そのクラブ・チッタのイベントでやってからなので、実は今年でちょうど30年目なんです。

30年前ですか。

松浦:クラブキングの頃もそうですし、ジャズ・クラブで働いていたときもそうだったんですけど、自分の音楽歴の要所要所ですごくターニング・ポイントになることがあって。そのターニング・ポイントの入り口を作ってくれたのが、ケニー・ドーハムの『Afro-Cuban』というブルーノートから50年代半ばに出たアルバムなんですけど、それをいまやるのも違うなと思ったんですね。やっぱりいまの時代にリプレイして聴き直す、あらたに世のなかにプレゼンテーションするとしたらなんなんだろうか、というところが実はいちばんこだわったポイントです。
とくに時間的な縛りを設けたというよりは、自分が作り手として出す以上にDJとしていまの時代に出すという意味も含めて考えたときに、自分は作曲だとは思っていないんですけど、曲を作ることと曲を紹介するということが両立出来ないといけないなと思ったんですね。それはどちらかに寄せるだけでもいけないなと思ったので、すごく難しいところではあると思うんですけど。コンセプトはすごくシンプルなんですけど、この楽曲ラインナップになるまではけっこう迷い続けていたところがあったかもしれないですね。

なるほどね。たとえばカール・クレイグの“At Les”やロニ・サイズの“ Brown Paper Bag”みたいな曲とか、ニューヨリカン・ソウルの曲(“ I Am The Black Gold Of The Sun”)はそれ自体がカヴァーだったので違いますけど、クルーダー&ドーフマイスターみたいな人たちの打ち込みの曲なんかは、やっぱりそのローファイな音質やアナログ・シンセの音があって成立する曲かなと長いあいだ思っていたんですね。でも松浦さんの今回のアルバムを聴いて、楽曲そのものの良さというのが他の人がやっても生きているというように思ったんですよ。20年くらい前の曲が入っていますけど、20年経ったいまも楽曲として生きていますよね。そういう意味でいま松浦さんが仰ったことの主旨には納得しましたし、アルバムを聴いたときにもそれは感じました。だから、ひとつにはこういう90年代の打ち込み主体の曲が、いまも楽曲として生きているということを証明するアルバムとも言えるじゃないかと。

松浦:録音自体は4日しかなかったんですけど、そこまでに時間がかかりましたね。実は収録していない曲もあったりして、もしこれが世のなかに認知されたら続編というかたちもあるかなと思ってあえて入れなかったんですね。未完成の状態だったので、新たに作り直したほうがより楽曲としてこなれるだろうなと。どちらかと言うとテック寄りの楽曲だったので、もうちょっと良くなると思って今回はあえてカットしました。

全部ロンドンで録音したんですよね? ぼくもこの2年くらい南ロンドンのペッカム周辺のシーンを好きで聴いていたんですが、松浦さんのアルバムがそのシーントリンクしていてすごく嬉しく思いました。だからこのアルバムはノスタルジーになっていないんですよね。こういうことをやるときってそこが微妙じゃないですか!

松浦:そうなんですよ。だから許される条件として当事者であるということと、いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。トム・スキナーというミュージカル・ディレクターのドラマーの彼はすごく音楽を知っていて、“At Les”なんかも好きだって言っていたんですけど、基本的にほとんどのプレイヤーは“Brown Paper Bag”も知らないという人たちがほとんどでした。でも逆に知らなくて良かったのかなと思いますけどね。

知らないからこそ良かったんでしょうね。

松浦:事前に楽曲データを送って、余裕があれば聴いてくださいねとは伝えていたんですけど、みんな忙しかったのでロクに聴いていないという(笑)。でもそれが逆に良かった。思いもよらないようなアレンジが途中で出て来たりしたので、それはそれで自分の考える「ジャズ」みたいなものにとっては結果オーライだったんじゃないかなと思っているんですよ。もともとジャズを作ろうと思ってやっているわけではないですし、ジャズはジャズ・ミュージシャンのものだと思っているので。気持ち的にジャズの精神みたいなところ、新しいものに挑戦していくということと、すべてを吸収するものがジャズだという考えであれば、このプロジェクトはOKじゃないかなと思ったんですよね。

ある意味では意図した部分ではあるんでしょうけど、すごくフレッシュな演奏ですもんね。楽曲を知っているヴェテランがやってしまったら……。

松浦:いわゆるカヴァーになっちゃうと思うんですよね。打ち込みの音楽を生でやりました、というか。

ああ、ありましたね。なるほど(笑)。

松浦:いわゆるスタンダードをいなたく、いまのミュージシャンを使ってやるというだけだとたぶん失敗するなと思ったんですね。そこに関してはスタジオでもかなり気を使いました。

なるほどね。なるべくオリジナルに囚われない自由な発想で演奏してほしいということですよね。

松浦:そうですね。だからそもそもイギリスでやろうと思ったのはそこが大きいと思います。

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いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。

ロンドンはこのところジャズ・シーンみたいなものがとても活気づいていますよね。シャバカ・ハッチングスの新しいジャズの流れもあるし、ヘンリー・ウーみたいにカニエ・ウェストを聴いて育った世代が途中でジャズに向かったような流れもありますよね。今回のアルバムに参加しているヤズ・アハメドやヌビア・ガルシアみたいな人は、シャバカ周辺の人たちで、ヘンリー・ウー周辺ではユセフ・デイズが参加していますよね。このあたりの雑食的な感じがぼくはロンドンのいちばん好きなところで、本当に今回のアルバムではその現地の感じもパッケージされていて、嬉しかったんですよね。

松浦:活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ(・デイズ)なんかはそうですし。

ユセフさんは親が移民なんですか?

松浦:親が移民ですね。だからパスポートはみんなイギリスなんですけど、ヤズ(・アーメド)はバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。いわゆる生粋のイギリスの白人というのは3人くらいかな。アメリカの多人種とは違うおもしろさがありますよね。
ロサンゼルスとかニューヨークを中心とするアメリカのジャズというのはすごくまとめやすい状況だと思うんですよね。(シーンが)ひとつになっているというか。イギリスの場合は多種多様でジャンルも跨っていて表現しようとしているので、それぞれが違うことをやっているというか。グルーヴがあるようなものを中心としてやっているなと思っていて。

そうですよね。ハウスやドラムンベース、テクノともリンクしていますよね。

松浦:それが自分のいままでいた30年間みたいなもので考えると、もちろんアメリカのシーンもおもしろいんですが……。バック・トゥ・ベーシックじゃないですけど、自分が90年代で1枚目のアルバムからロンドンでレコーディングをしていたんで、そういう意味では久しぶりにホームに戻った感じですよね。

まあU.F.O.(ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション)はロンドンですからね。

松浦:そうですね。

UKのジャズ・シーンは自己流っていうか、USのように楽器はうまくないけど独創的な味がありますよね。

松浦:ヘンリー・ウーにしてもある意味で自己流なんですよね。音楽大学に行っていたわけじゃないですから、音楽理論というよりはもうちょっと感覚的にやっている。だからこそおもしろいものが出来てくるのかなと思います。かと思えばフローティング・ポインツみたいな、より数学的なところのアプローチをしている人もいて、作曲の仕方も違うんだろうなと思いつつ。そういういろいろな才能があってひとつのイギリスのシーンになっていると思うので、その人たちと個々それぞれでやっている人たちがひとつになって、東京から来た自分が入ることによってまた違う反応が起きるんじゃないかなということをすごく期待していました。それは自分が期待していた予想以上に反応が起きてくれたのですごくよかったかなと思います。

とはいえ、90年代のスピリットみたいなものをいまの人たちにも伝えたいという思いはありますか?

松浦:あります。ただその伝え方は難しいかなと思っていて……、ノスタルジックなことではないし、昔はよかったということではなくて、知っておいてほしいことがあるなと。それがバトンだとすると、自分は90年代にキャリアをはじめたとき、どちらかというと先人が残したものをコラージュして新しい物を作ろうとしていて、それを聴いた人たちがその次にバトンを受け取って、さらにその次の世代に渡してもらえる、というように考えていたんですね。でもとくに国内においてはそのバトンがいまひとつうまく渡しきれていなかったかなと思っていますね。
シーン自体が細分化して自分たちが好きなものに特化して、小さなサークルにしてしまったために、全体のシーンというものがいまひとつ見えづらくなっちゃって、なにが起こるかわからないというよりは「これ、レアなんだよね」みたいなところに落ち着いちゃって、趣味の世界に行っちゃったのかなと思うところもあるし。それぞれが刺激し合ってその化学反応が自分だったらこうするみたいのところで、また新しいアプローチが生まれるみたいなことが、イギリスに比べると圧倒的になくなってしまったのかなと思います。

これは今日話したかったことなんですけど、ぼくが松浦さんと初めて会ったのってどこか覚えています?

松浦:どこでしょうかねえ。リキッドルームとかですか?

いやいや。これはすごく笑える話なんですけど、僕が90年代の『ele-king』で初めてU.F.O.にインタヴューしたときは矢部(直)さんひとりだけだったんですね。その当時ぼくはシニカルな質問もよくしたので「なんでU.F.O.はそんなにスーツにこだわるんですか?」みたいな質問をしたんですよ。そのときに矢部さんがどう答えたか、細かくは覚えていないけど「そんなにこだわっているわけじゃない」云々、みたいなことを返してきたんですよね。そのインタヴューが掲載されてからしばらくして、「イエロー」で酔っ払っている松浦さんが僕に突っかかってきたんですよ(笑)。「なんだ、あのインタヴューは!」って(笑)。

松浦:はははは(笑)。

で、ぼくも酔っていたから「なんだ?」みたいな感じになって、当時『bounce』にいた栗原聡さんって編集者のかたが僕と松浦さんのあいだに入って「まあまあ」って(笑)。

松浦:そんなことありましたっけ(笑)。

パチパチ火花を散らしていましたね(笑)。

松浦:そうですか(笑)。すみません。

いえいえ、こちらこそすみません(笑)。松浦さんはたしかそのとき日本代表のユニフォームを着ていなかったっけな(笑)。それは別のときだったかな?

松浦:余計熱くなっちゃってますね(笑)。

いや、でもパチパチやるぐらい真剣だったんですよ。みんな状況を良くしたいから、シーンに良い意味での緊張感がありましたからね。

松浦:その緊張感がなくなってしまったほうが良いか悪いかということの判断基準ではなくて、やっぱりそういう側面はなきゃいけないんじゃないかなという気はしていて。それは頭のなかで考えてどうこうするものではなくて、アティチュードみたいなものがあるというか……喧嘩を売るつもりではなかったと思いますが。

はははは、笑い話ですけど(笑)。

松浦:自分はクラブ・シーンのなかでは一番下っ端みたいな年齢で入ってきたので、怖い大人に比べれば、どちらかと言うと柔らかいほうだったと思うんですけど。ただ、いまは時代が経ったうえで、ある程度下の世代からレジェンド扱いされてお終いにされちゃうというか。レジェンドって言葉の使いかたもちょっとイージーになりすぎているみたいなところがあって。マイルス・デイヴィスはレジェンドだけど(ロバート・)グラスパーはまだレジェンドにはなっていないだろう、みたいなことだと思うんですよね。そういう意味でもうちょっとスリリングで研ぎ澄まされた感じや、体のなかにたぎる青白い炎みたいなものがもうちょっとあってもいいのかなと。そういうものも含めて今回のプロジェクトでなにか動き出すというか、「あ、そうだよね」と思って当時そこにいた人たちも含めてそうやって感じてくれる人がいればいいなというのは大きいですね。

でもこれはもう「Jazzin'」に行っていた世代にとっては「待ってました!」という感じだと思いますよ。もちろんヘンリー・ウーから入っている子たちにも聴いてほしいし。

松浦:それこそサチモスを聴いているような子たちにも届かなきゃいけないなと思っているので。

松浦さんはこの21世紀の現代に対してどう思っていますか? 抽象的な質問で恐縮ですが、どんなところに変化を感じます?

松浦:この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。
このシーンにおいていうと起点の頃からいるので、なんとかしなきゃなという思いはずっと持ち続けていますが、ただ時代のなかで変わっていくということも当然のことながら必要なことであって。それは音楽だけじゃなくて必要だなと思っていて、そのスピリットはなんとか変えずにいく方法はないかなと思っているんですけど。もしかしたらそれが意固地だと思われているかもしれないし、もしかしたらそれがストッパーになっているのかもしれないなと。リミッターみたいなものにかかっているのかなとは思うので。

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ロンドンは活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ・デイズなんかはそうですし。ヤズ・アーメドはバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。

前に取材させていただいたのがHEX(ヘックス)のときで、HEXのときは松浦さんがモーリッツ・フォン・オズワルドの影響を受けていて、アシッド・ジャズのリスナーが望んでないかもしれないことに挑戦したというか、長いキャリアのなかでも違う側面を見せたじゃないですか。しかし今回は、「バック・トゥ・ベーシック」に立ち返って、それを現代版としてアップデートして見せるみたいな感じでやったと。今回のプロジェクトをはじめるにあたって、なにかきっかけはあったんですか? 

松浦:結局自分が納得のいくものを作っても聴いてくれなければ意味がないなと思っていて、HEXの場合は本当にやりたいことだけやったというところがあって、すごくコアな層に届いて、ブルーノート・レコーズ社長のドン・ウォズにも気に入ってはもらえてアメリカでアナログをリリースするかもって話にはなったんだけど、結局出ずじまいになってしまって。説得力に欠けたかもしれないなと思ったんですよね。いま野田さんが仰って下さったようなことがリスナー全員にわかってもらえるとは限らないので。

長い活動をしていれば当然求めているものもあるので、そことのバランスの取りかたというのは難しかったと思いますね。


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松浦:もしかしたらこの新しいアルバムでなにか拡げることができたら、HEXをもう一度やり直すこともあるかなという気持ちもあったんですよね。だからどうしてもひとつひとつに全部を集中しようとすると、U.F.O.だったらその名のもとにできたんですけど、ただ自分でやるとなってアウトプットをどうしようかと考えたときに、これをやり終えてみて肩の荷が下りたところがあったので、いまはもっといろんなことをやってもいいかもと思えるようになったというか。だったらHEXだけじゃなくて、いろんな名前でいろんなことをやるほうが伝えやすいのかもしれないなというのはやってみて思ったことですよね。これで自分がいったんこのシーンにピリオドをつけられたかなと思っていますね。ジャイルス(・ピーターソン)はアシッド・ジャズも含め、いわゆる「ジャズ」という括りのなかで表現されないようにすごく気をつけているのを感じたんですよね。

それはどういうことですか?

松浦:「ジャズ」というカテゴリーのなかに自分を当てはめられたくないというようなことですね。イギリスってクールかどうかというところが大事じゃないですか。だからいまの時代はオルタナティヴみたいなほうがクールというか、そういうところで評価されたいのかなということを傍から見ていて思うんですよね。

それはたとえば『マーラ・イン・キューバ』だとか、南米の音楽との接続というか。

松浦:そうですね。いまも(ジャイルスは)キューバに行っていますけど。なにか未知の物を求めたがるので、そこで新たな出会いを求めるというのが彼の場合はブラジルだったり、キューバだったりしたのかなとは思いますね。ヨーロッパのシーンだと人によってはアフリカのほうが多いじゃないですか。レアなアフリカの音源とか、アフリカのディスコ音源とか。そういうなかで彼の関心は、いま南米のほうにあったのかなという気はしますね。

しかし今回は、“L.M.Ⅱ (Loud MinorityⅡ)”は驚きましたけどね。

松浦:これももともとは(原曲を)やり直そうとしていました。いままでにミュージシャンと三度プレイしたことがあるのですが、90年代の新宿のリキッドルームでU.F.O.のパーティをやったときに、マンデイ(満ちる)さんやMONDO GROSSOのミュージシャンの方々に協力していただいて生演奏したのが最初で、2回目は3年前にユニットでクロマニヨンとHEXが対バンでライヴをやったとき。あともう1回は2016年にスタジオコーストでジャイルスと一緒にソイル(&ピンプ・セッションズ)と日野(皓正)さんを組み合わせたり、ミゲル・アトウッド・ファーガソンとサンラ・アーケストラが出演したりしたイベントがあったんですけど、そのときにソイルにやってもらったんですけど、結局やってもらっておきながら、さっきの話じゃないですけどサンプリング・ミュージックを生でやってもそれ(原曲)を超えることが出来ないというところに行き着いてしまったんですね。
ただ去年で“Loud Minority”を作って25周年だったということもあって、いわゆるクラブ・ジャズみたいなものだったり、自分はもう所属していないもののU.F.O.がもっと評価されていいんじゃないかという思いもあったりして、だったら抜けた人間だけどもカヴァーして聴かせるということがプロジェクトの肝にもなっていたんですね。とにかくその3回の生演奏を自分で客観的に聴き直して「なんか違うな」というところに行き着いて、すごく矛盾しているんですけど今回のスタジオに入るというときに、いかに“Loud Minority”から離れられるか、というかいかにサンプリング要素を削ることができるかということに挑戦しはじめて、その結果曲の途中で一瞬だけベースが出てくるんですけど。

僕はこの曲にHEXとの繋がりを感じたんですよね。だってCANみたいじゃないですか(笑)。

松浦:完全にそうですね。だから本当はオーヴァーダビングするかもしれないということを想定して、ドラムとベースとキーボードの3人での30分くらいセッションが残っているんですけど、最初にああじゃないこうじゃないといろいろやってみて、リズムとかも変えてみて、瞬間的にこれだというのがリズムから出たので、それを中心に回してくださいってことをエンジニアに言ったら、それで演奏が始まっちゃったからもうほっておいたんですよね。それで30分くらいしたら止めたから(笑)、これでOKってことで。あとでオーヴァーダビングもしなくていいからこのままにしようってことで、あとで自分がエディットしたものを聴いてもらうから、それでよければこれでOKですってことでセッションは終わったんですけどね。そのときにこれってHEX2かもしれないって思ったんですよね。もしかしたらこれが次のヒントになると思っていたんですけど……これはたぶんリキッドルームの壁に書かれている「alternative / jazz」ってことなのかなと。それが体現できたかなと思いますね。

ちなみにアルバム・タイトルは最初からこれ(『LOVEPLAYDANCE』)に決まっていたんですか?

松浦:これも悩みました。「ジャズ」とか「クラブ・ジャズ」という言葉を入れるべきか入れないべきかみたいなところでいろいろ考えて、当初は『DANCEPLAYLOVE』か『PLAYDANCE&LOVE』だったんですよ。ちょうどそれを決めなきゃいけないときにトマト(TOMATO)のサイモン・テイラーが来日していて話をしたんですけど、自分が考える英語とネイティヴの連中の英語のニュアンスの受け取り方はたぶん文字以上に違うだろうなと感じていて、「&LOVE」にするとすごく感傷的になると言われたんですね。そのニュアンスは自分にもあったんですよ。クラブでも出会いと別れがたくさんあったような気がするなあと(笑)。それも含めてだったんですけど、その感傷はいったん置いておこうと思ったんですね。「LOVE」を頭に持ってきたほうがおもしろいし、ワン・ワードのほうがいいってサジェストしてくれたので、それにしようと代官山のデニーズで決めました(笑)。

(笑)。「DANCE」は松浦さんがずっとやってきたことで、ダンス・ミュージックということが基本にあると思うのでわかるんですけど、この「LOVE」というのはどうやって出てきたんですか?

松浦:だからやはり出会いと別れですよね(笑)。

そういう意味なんですね。

松浦:音楽をプレイすることも好きだったし、踊ることも好きだったし、人を愛することもすべてそこにあったというか、それがすべてだったような気がしていて。それで人生が回っていたのってすごく幸せだったんだなと。ノスタルジックになっちゃいけないんですけどね。

でもそれはいまでも絶対にあるものだと信じていますね。

松浦:だからそれも含めて「&LOVE」じゃなくて「LOVE」を頭に持ってきて、このジャケットをぶつけたというのはあえて先入観を取り払うためというか。ちょっとポップに見えるじゃないですか。昔だったらもっと渋いジャケットになっていたんだろうと思うんですけど、ポップだけど狂気があるみたいな感覚を表現したかったんですよね。こういうデザインも、作るまではすごく試行錯誤をして悩んだりしたんですけど、最終的には一瞬で決まったんですよね。だいたいそうやって直感的に決まるものはのちのちうまくいくというか、“Loud Minority”然りなんですけど。

“Loud Minority”が当時どれだけすごかったかというのは本当にリアルタイムで知らないとなかなか伝わらない部分があると思うんですけどね。

松浦:2日間くらいスタジオに篭って、卓の下で順番に仮眠を取っていましたからね。だからエンジニアの人辛いなあと(笑)。3人がかりでずっと寝ないで立ち会われているから大変だったと思います。

当時はものすごくヒットしたじゃないですか。

松浦:そういうのがいまの20代の人たちに掘り起こされているということも感じていて。ただし、今回は“L.M.Ⅱ”という名前に改題してオリジナルにしようと思ってやりましたね。

そうですよね。これだけは、カヴァーではなく、ほとんど松浦さんのオリジナルですもんね。

松浦:まだ“Loud Minority”の可能性は残していたときにある人に聴かせてみたんですよ。そしたら一瞬だったんですけど、聴き終わったときにその人の表情を見たらちょっと顔ががっかりしているんですよ。“Loud Minority”じゃないって(笑)。

(一同笑)

松浦:それがわかって、これは(曲名を)変えたほうがいいかもしれないと思ったんですよね(笑)。作っているほうは新しいことができたから「これぞ“Loud Minority”じゃないか」と思っていたんですけど、“Loud Minority”に強い思いを持っている人こそ「なんで!?」って思いが聴いたときに出ると思うんですよね。

それはそうでしょうね(笑)。難しいですよ。去年のゴールディの“Innercity Life”のブリアル・リミックスが賛否両論であったように(笑)。では最後に松浦さんの今後の抱負をお聞かせください。今日も会った瞬間からさっぱりされているなと思ったんですけど、下手したら4年前よりも元気なんじゃないかなと(笑)。

松浦:そうですね。昨日も氷点下のなか10キロくらい走ったりしていたので。

はははは。運動のしすぎはダメですよ(笑)。

松浦:この時期は寒いのに抵抗力ができますからね。12月くらいはすごく寒くてへこたれたんですよ。だからダメだなと思って日々心がけて運動をしていたら、この寒さのピークのときに寒さを感じなくなったので、こういうことだなと思って。とくにこのアルバムが出るのが3月ですし、毎年東日本震災の子どもたちのチャリティでランニング大会をやっているんですね。今年の3月11日は日曜日で、皇居周りをみんなで走るという企画を毎年やっているんですよ。

松浦さんが主催なんですか?

松浦:そうです。基本的には僕がやっています。その参加費をみなさんから集めて、それを現地の子どもたちのために動いてくださっているNPOのかたに送るというのを毎年やっているんです。

本当にえらいですよね。

松浦:いやいや。やっぱり何者でもなかった自分が音楽に拾われたみたいなところがあって、いままでこうやって生業みたいなこととしてできてきたことが幸運だっただけに、恩返しは続けていかないといけないなという思いがあるので。意固地になっている部分はあるのかなと思いますけど。自分も好きなことをやるためにはもっと土台をしっかりさせないとさせなければいけないなと感じますよね。でも前向きなので、根拠のない自信ではあるんですけどなんとかなるんじゃないかなと思っています。

それは重要ですよね。ありがとうございました。

※このページもぜひチェックしてみて! 80年代のUKソウル/ジャズから現在までが聴けます。
https://www.universal-music.co.jp/toshio-matsuura-group/news/2018-02-13-playlist/

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