「K A R Y Y N」と一致するもの

Miami Angels in America - ele-king

 本誌5号にてドッグ・レザー(Dog Leather)のインタヴューにも名前があがったボルチモアの男女ふたり組、ノイズ・フォーク・デュオ、エンジェルス・イン・アメリカ(Angels in America)の新作テープは(ナイトピープル)よりドロップ。
 エンジェルス・イン・アメリカのエスラ嬢(Esra)に出会ったのは本誌5号でも触れた昨年のSXSWでのハウス・パーティの夜で、その日はもうホント、マジ混沌を極めていた。いや、たしかにロスからオースティンまでの風景がループしているかのような砂漠を僕のバンドのペーパー・ドライバーのふたりと無免許で無職のフランス人(もちろんハイウルフです)を乗せて18時間の運転を経て、スリープ∞オーバー(Sleep∞Over)やピュア・エクスタシー(Pure X)をサポートし、サウザント・フット・ウェイル・クロー(Thousand Foot Whale Claw)として活動するアダムとマットに到着後はじめて出会ったにも関わらず、快く寝床を提供してくれただけでなく、最高に強烈なウィードを大量に御馳走になり(ニューメキシコ、テキサスはメキシコとの国境がすぐ近くにある事ことあり、検問が厳しいので同ふたつの州では違法であるメディカルウィードをロスから持っていくことを僕は前もってキャメロンとゲドに口すっぱく止められていたので、これは効いた)、ロクに寝ずに次の日遊び回った末がこのパーティだったので、僕の疲労と体内に循環するTHCの量は半端じゃなかったことを差し引いたとしても、この日のパーティは狂っていた。
 集合時間にだいぶ遅れ、〈NNF〉主宰のブリットに軽く怒られながら(僕はこの日自分のバンドのサポート・ギターを彼に頼んでいた)、僕はこの日のパーティに集まっていた連中にあんぐりさせられていた。前日すでに会っていたが、サヴェージ・ヤング・テイターバグ(Savage Young Taterbug)のチャールズが引き連れて来たクルーはまるでゴミ捨て場の妖精のようで、洗っていない一線を越えた彼らの服が放つクラスティな甘い香りが部屋には充満していて、「ジョイント吸おうよ。拾ったタバコを混ぜたから味ちょっと変だけど、えへへへへ」と語りかけながら、つねにテンパっているように見えるトレーシー・トランス(Tracy Trance)のタイラーは、カシオトーンで超絶テクを披露し、僕の度肝を抜くものの、何故誰も彼の絶対拾ってきたであろうワンピースとハイヒールにはツッコまない事が不思議でならないし、ソーン・レザー(Sewn Leather)、ドッグ・レザーことグリフィンのママに「うちの息子のソーン・レザーとDJドッグディック(DJ Dog Dick)はご存知なの?」と訊かれた僕とブリットは裏庭でその日のライヴのリフと展開を話していたものの「母ちゃんが犬チンって言っちゃうのかよ!」という思い出し笑いで、練習にならないし、そんな状況だから僕の手もおぼつかなくなり、キッチンの床にまき散らしてしまったビールを拭いていたところをいつの間にか横で手伝ってくれていたエスラのはにかんだ笑顔に僕のハートは一気に持っていかれた。
 彼氏にメチャメチャ睨まれながらも、僕は朦朧とした意識のなか、彼女との会話を弾ませることに全神経を集中した。「PYG(ショーケン、ジュリーのアレ)のレコードをずっと探しているのよ! 見つけたらぜひ私のためにゲットしてよ!」と言われ、何でそんなもん知ってるのかとそのときは思ったものの、(もちろんボリスのカヴァーで知ったのだろうが)たしかに彼女のエンジェルス・イン・アメリカの前作のレコードと今回のテープを聴いていると何となく合点する。冒頭でノイズ・フォークと形容したのは、このバンドは弾き語りではなくシンセ・ノイズだからだが、全身全霊を込めて絶叫する彼女のポエトリー・リーディングをきいて背筋に走る冷たいものは日本のあの時代のズブズブでドロドロの怨念フォークのそれだ。
 そもそもDJドッグ・ディックといいソーン・レザーといい、ボルチモアのこのノイズ+ポエムという方法論は、パンクは楽器を弾けなくてもいい、ヒップホップはビートと哲学があればいい、という流れの最終型にあるんじゃないかと思ってしまうのは大袈裟だろうか? エンジェルスやドッグディックはシンセこそ使っているもののソーン・レザーやまた先ほど話に出たサヴェージ・ヤング・テイターバグなんかほぼカラオケだし、それは本人のポテンシャルがすべてであり、それがショウとして成立しちゃってるのだ。

 話をあの日の夜に戻そう。自分のライヴも終え、エスラともさらに打ち解けてきた僕はようやく彼女の電話番号とアドレスを交換するために自分の携帯を取り出した。そこにブランク・リアルム(Blank Realm)のサラが現れ、「兄貴に迎えに来てもらいたいから電話かりるわね」と携帯を取られてしまった。もう読者は気付いているだろうが、このレビヴューを書いているのも、もし今後ボルチモアに行く機会があり、彼女のところに転がり込む日が来るならば何かあればいいなと期待しているからに過ぎないのだ。
 あの日の僕の最後の記憶はテイターバグの連れであるサムのワンマン・プロジェクト(名前失念)がゴーグルと猫耳、そしてもはやハミチンとかそういうレヴェルではないブーメランを装着し、ステージで絶叫していた。現在ヨーロッパをツアー中のエンジェルス・オブ・アメリカとソーン・レザーはきっとあのような混沌とした日を過ごしているに違いない。あぁ、ライフ・イズ・カオス。

Battles - ele-king

つまり識は「テクノ」にへと 文:三田 格

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 「踊れるサムラ・ママス・マンナ」。それがバトルズの正体だろう。SMMは70年代にスウェーデンで結成されたプログレッシヴ・ロックの4人組で、例によって解散→再結成を経てゼロ年代からはドラムスにルインズの吉田達也が参加している。悲しいかなバトルズは超絶技巧だけでなく、ユーモアのセンスまでSMMを模倣していて、オリジナルといえる部分はレイヴ・カルチャーからのフィードバックと音質ぐらいしか見当たらない。疑う方はとりあえずユーチューブをどうぞ→
https://www.youtube.com/watch?v=yqSmqh-LdIkhttps://www.youtube.com/watch?v=ZYf7qO9_MV8https://www.youtube.com/watch?v=jkWL1lOi1Hg、etc...

 ......といったことを割り引いても、昨年の『グロス・ドロップ』はとても楽しいアルバムだった。バーズやP-ファンクにレイヴ・カルチャーを掛け合わせたらプライマル・スクリームで弾けまくったように、SMMにレイヴ・カルチャーを掛け合わせてみたら、思ったよりも高いポテンシャルが引き出された。そういうことではないだろうか。おそらくはまだロックにもそうした金鉱は眠っているはずである。テクノやハウスだって、どう考えてもそれ自体では頭打ちである。何かを吸収する必要には迫られている。アシッド・ハウス前夜にもどれだけのレア・グルーヴが掘り返されたことか。そう、アレッサンドロ・アレッサンドローニやブルーノ・メンニーなんて、もはや誰も覚えちゃいねえ(つーか、チン↑ポムなんてザ・KLFのことも知らなかったし......)。ためしに誰かブルース・スプリングスティーンにレイヴ・カルチャーを掛け合わせてみたらどうだろう......なんて。

 本題はそのリミックス・アルバム。人選がまずはあまりにも渋い。しかも、様々なジャンルから12人が寄ってたかってリミックスしまくっているにもかかわらず、おそろしいほど全体に統一感がある。シャバズ・パレス(元ディゲブル・プラネッツ)の次にコード9だし、Qのクラスターからギャング・ギャング・ダンスなどという展開もある。しかも、そこから続くのがハドスン・モーホークとは。全員がバトルズに屈したのでなければ、セルフ・プロデュースの能力が異常に高いとしか思えない。

 オープニングからいきなりブラジルのガイ・ボラットーが情緒過多のミニマル・テクノ。マカロニ・ウエスターンに聴こえてしまうギターがその原因だろう。ミニマルの文脈を引き継いだシューゲイザー・テクノのザ・フィールドは、一転してヒプノティックなテック-ハウス仕上げ。続いてドラマ性に揺り戻すようにしてヒップホップを2連発。このところ壊疽=ギャングルネとしての活動が目立っていたアルケミスツはソロで90年代末に流行ったダンス・ノイズ・テラー風かと思えば、昨年、一気にダブ・ホップのホープに躍り出たシャバズ・パラスは彼の作風に染め上げただけで最もいい仕事をしたといえる。ダブステップからUKガラージに乗り換えつつあるコード9はそれをまたコミカルに軌道修正し、2年前に"エル・マー"のヒットを飛ばしたサイレント・サーヴァントやラスター・ノートンからカンディング・レイはそれぞれのスタイルでダブ・テクノに変換と、いささかテクノの比重が高すぎる気も。これは自分たちにできないことをオファーしているのか、それとも自分たちが次にやりたいことを先行させているのか。いずれにしろ、その結果はユーモアの低下とリズムの単調さを招き、チルアウト傾向ないしはリスニング志向を強めることになった(クラスターの起用はまさにその象徴?)。

 後半で最大の聴きどころは、珍しく同業のパット・マホーニーを起用した"マイ・マシーン"で、シンプルなリズム・ボックスに絡むゲイリー・ニューマンのヴォーカルは最盛期の気持ち悪さを思わさせるインパクト。ジャーマン・トランスにありがちなリズム・パターンなのに、ロック・ミュージックとして聴かせてしまう手腕はかなりのもので、思わず、ほかにはどんなリミックスを手掛けているのだろうと調べてみたら、まったくデータが見つからなかった(これが初仕事?)。エンディングはヤマタカ・アイで、トライバルとモンドの乱れ打ちはこの人ならでは。ダイナミズムよりもリスニング性を優先したことで最後に置くしかなかったのかもしれないけれど、それはちょっと消極的な判断で、僕ならギャング・ギャング・ダンスとハドスン・モーホークのあいだに置いただろう(バトルズの意識が「テクノ」に向かっている証拠ではないか)。

文:三田 格

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そして『グロス・ドロップ』の完全なる分解 文:松村正人

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 アンダーグラウンドのスーパーバンドから『ミラード』で転身したバトルズはタイヨンダイ・ブラクストンは抜けたが、『グロス・ドロップ』で前作をさらに発展させ、そこでは初期のハードコアを構築し直した鋭利な、しかし同時に鈍器のようだったマス・ロックの風情は退き、かわりにポップな人なつこい音が顔を出した。強面だった数年間からは考えられない柔和な表情をしていたが、いまのパブリック・イメージはむしろこっちである。それまでのいくらかすすけたモノトーンはツヤめいた内蔵の色に塗りこめられた。ジャケットがそれを暗示する。有機的であり抽象的であり生理的でもある。私は以前にレヴューを書いてから聴いていなかった『グロス・ドロップ』を、『ドロス・グロップ』を書くために、しばらくぶりに苦労してひっぱりだして聴いたが、おもしろかった。たしかここに書いたレヴューは最初おもしろくないと思ったと書いたと思ったが、聴き直したらやはりおもしろくないことはなかった。私は『ドロス・グロップ』を先に聴いて、原曲をたしかめるために聴いたからかちがいがおもしろさを後押ししたが、オリジナルとリミックスの幸福な相乗効果がうまれたのは、前者が音で語ることに腐心したアルバムであったことに多くを負っている。そこには内面は投影されていない。語るのはあくまで音楽であり、バトルズの連中ではない。それに任せる。タイヨンダイというアイコニックな人材を欠いた逆境がある種のスプリングボードとなり、バンドを、音楽の生成を何よりも彼ら自身がたのしんでいる(たのしまざるを得ない)、陽性の作品性へ追いこんだのだと穿つこともできなくはないが、この結果はいってみれば、往時のダンスカルチャーの匿名性を思わせるものであり、その意味で、リミックスという行為との親和性はいうまでもなかった。
 
 アルバムは先行した4枚の12インチを若い順に並べた。テクノ~ヒップホップ~(ポスト)ダブステップ~ミニマル~ワールド~ディスコパンクなど、ゼロ年代以降のダンスミュージックを巡礼する構成で、総花的なつくりでもあるが、散漫な印象を与えないのは、カテゴリーの遍歴そのものが音楽を前のめりにさせるからだろう。サンパウロのギ・ボラットとストックホルムのザ・フィールド、〈コンパクト〉勢のループは『ミラード』までのバトルズの交響的な――つまり縦軸の――ループを横倒しにしたように、渦を巻き滞留するようでありながら、前方へジワジワと音楽を煽り、ヒップホップ/ブレイクビーツ~2ステップ/UKファンキーのブロックへバトンタッチすることでアルバムのタイムラインは最初の山と谷(もちろん逆でもいい)を経過する。山はすくなくともあとふたつはあるようである。3つかな?と思うひともいるであろう。それはどっちでもいいが、この高低差は現行のダンスカルチャーの地形図であり、すくなくともリミキサーたちは所属するジャンルに奉仕する職人的な仕事に徹することで、楽曲を解体するだけでなく、原曲とリミックスとの間の、あるいはトラックごとの偏差が彼らの特質をあぶりだしもする。なんであれ解釈が生じる場合、ズレがうまれる。その隙間を広げるか埋めるかが、音を仲立ちにした対話では焦眉の問題になるが、原曲はどうあがいても完全な姿で回帰しない。このあたりまえのところにうまみがある。
 私は先に職人的な仕事と書いたが、解釈はいずれも大胆である。とくにクラスター、ブライアン・デグロウ(ギャング・ギャング・ダンス)、ハドソン・モホークのブロックは原作を再定義したというか、たとえばデグロウのリミックスは原曲のリフの音色が喚起するリズムのつっかかりをビートに置き直し『グロス・ドロップ』でいちばんポップでカラフルだった"Ice Cream"をデジタル・クンビア的な疑似アーシーな場所にひきつけることで、スラップスティックかつフェイク・トロピカリアとでも呼ぶべき原作のムードを二重に畳みこんでいく。ハドソン・モホークの着眼点もたぶん同じで、クラスターの作家性とはちがう――しかしそれはこのアルバムのアクセントでもある――が、デグロウ=モホークの視点はバトルズのそれとも同期し、元ネタの笑いをトレースし、さらに展開する、難儀な作業を的確にやっている。もっともそのユーモアはモテンィ・パイソンがミンストレル・ショーを実演するような、ねじれた、くすぶった笑いではなく、現代的な抑制が利いたものなのだが、であるからこそ、LCDサウンドシステムのドラマー、パット・マホーニーのディスコ・パンク調の"My Machine"という最後の山だか谷だかのあとのヤマンタカ・アイの、原作にひきつづきシンガリをつとめた"Sundome"で『グロス・ドロップ』は完全に分解したように思える。そして私は聴き終えたあと、ヘア・スタイリスティックスが聴きたくなった。

文:松村正人

KABUTO (LAIR/FACTOR) - ele-king

LAIR CHART


1
Amir Alexander - Violence - Vanguard Sound

2
Gemini - Revolution EP - NRK

3
BAAZ - Carbon Hair - Slices Of Life

4
Omar-S / Patrik Sjeren - 998 - FXHE

5
Da Sampla - M3 Sessions - M3

6
Pierre LX - Hypothesis (Big Strick Remix) - Initial Cuts

7
Ryan Elliott - Kicking Up - Spectral

8
FRANCO CINELLI - LATIN MORPH - Ilian Tape

9
Two armadillos - Golden age thinking Part 1 - Two armadillos

10
Ricardo Miranda - Round Plastic Archives - Bosconi

Odd Future - ele-king

 なるほど橋元さんの言う通りである。『イナズマイレブン』のことではない。ましてやコロコロコミックのおまけでもない(紙エレキングVol.4 参照)。南アからダブステップを打ち出してきたスプー・マサンブがセカンド・アルバムから〈サブ・ポップ〉に移ったら、これが急にメジャーを意識したような音楽性に成り果てていて、かなりたじろいでしまったからである。どんな必要があって、こんなことになってしまうのだろう。才能がひとつぶッ潰れたような印象さえ持ってしまった。ウォッシュト・アウトに起こったことがまったく同じことかどうかはわからないけれど。

 ウォッシュト・アウトは、しかし、〈サブ・ポップ〉に移る前から僕は受け付けなかったので、そのせいで、チルウェイヴの影響下から現れたクラウド・ラップというシーンもおそらくは馴染まないだろうと最初から僕は遠ざけていたw。しかし、毎週のようにジェット・セットに行くと、たいていのものは売り切れていくのに、クラウド・ラップでは初のフル・アルバムだといわれるメイン・アトラキオンズは1ヶ月を経過してもぜんぜん売れ残っている。訊いてみると、いち度売り切れて再入荷というわけでもないらしい。いくら半年ばかりデータ先行だったとはいえ、3月のヴィンセント・ラジオでも特集され、あれだけツィッターなどで話題になっているんだから......ツィッターで話題になっているとフィジカルはあんまり売れませんよね、そういえば。

 そこで少し考えた。ウォッシュト・アウトは何もかもが受け付けられないけれど、ひとつの要因としてリズムの貧しさがまずは耐えられない。それぐらいのことが......レイヴ・カルチャー通過後にはなかなかクリアーできなくない。レイヴに突入する以前はあれだけ好きだったレニゲイド・サウンドウェイヴもリズムが単調で聴く気が半減してしまったように、踊るための音楽ではないというイクスキューズがどうあっても成り立たなくっている(エディットが流行る理由はそこでしょう)。リズムが貧しい音楽は、ただ座って聴いていても気持ち悪いことこの上なく、それを補ってあまりあるものがなければ、存在価値があるとは思えない。とりあえず僕は聴けなくなってしまった。

 チルウェイヴに端を発しているとはいえ、クラウド・ラップは曲がりなりにもヒップホップの新潮流である。ということは、下部構造には少しは期待していいのかもしれない。そう思って、メイン・アトラキオンズを視聴用のターンテーブルに乗せてみた。......買わなかった。ははは。

 次の週、やっぱり買ってみた。理由はよくわからない。ジャケット・デザインがちょっとユーモラスだったから? クラムス・カジノが1曲だけプロデュースしていたのも気にはなった(https://www.youtube.com/watch?v=WZ57C53bSNY)。家に帰って、何度か聴き直してみると、ジューク(?)みたいな"ヴェジタブル"とかレゲエ・タッチの"モンダー・モ・マーダー"とかいいのもあったけど、基本的にはアンチコンというか、ドーズワンと同じだなーと思い、そういえばしばらくドーズワンのソロは聴いてないなーと思って検索してみたら、ちょうどサウンドクラウドに昨日アップしたという新曲があり、これが半分を過ぎたあたりからあまりにもユーフォリックなので驚いてしまった。チルウェイヴやクラウド・ラップの醍醐味というものがなんなのかまったくわかっていないので、困ったものだけれど、スモーキーでトベるとか、そういうことなら別にドーズワンの新作でもいいような......

 オッド・フューチャーも、そして、クラウド・ラップに数える人がいる。そうなのか。本当にそうなのか(電気グルーヴ風に)。

 タイラー・ザ・クリエイターやジ・インターネットのアルバムが先行したオッド・フューチャーも例によってイーグルスやレズビアンたちと揉め事を起こしながら、11人総出でクルー・アルバムをリリース。当然のことながら曲調も多岐に及び、PVの世界観を反映したようなフザけた曲調からサイプレス・ヒルのパロディ(?)など、シンプルで乾いたムードを浴びせ続ける(ジ・インターネットやメロウ・ハイプは逆に超ウェットで、むしろいいアクセントになっている)。ジャケットが何種類かあるようだけど、スケーターのルーカス・ヴェルチェッティを使ったものが通常盤らしい(?)。

 それにしても、このフザけ方(https://www.youtube.com/watch?v=fN-xq7t6pKw)は、彼らがまだティーンエイジャーだということもあるだろうけれど(なぜか人体の変形ネタが多い)、ウータン・クランの時期=90年代と違って、貧しいのが黒人だけではないという時代背景も反映しているのではないだろうか。ビル・クリントンによって中道政権が誕生したことによって左翼の位置にいることが難しくなったジェシー・ジャクスンが黒人の最下層を支えていたネイション・オブ・イズラム(同時多発テロ以降、統一教会と合体)に金銭的なサポートの打ち切りを伝えなければならなくなったときと違って、経済格差と人種問題はいまやリンクしなくなっている。それこそカニエ・ウエストがオキュパイNYを支持したところ、「お前は1%だろ」といって追い返されたり、ジェイ・Zとのジョイント・アルバム『ウォッチ・ザ・スローン』でも、満を持して復帰したのに人気が回復しなかったジェイ・Zが金では買えないものがあるとラップする傍から、なんでも買えて嬉しいな~と能天気にラップしていたカニエ・ウエストは不評サクサクと、同じアルバムでも聴きたい部分と聴きたくない部分があるなどと『ニューズウィーク』にも酷評され、金がなくても楽しくやるさという気運が共有される範囲はまったく人種とは重ならなくなっている(......といってる沙汰からオッド・フューチャーがカニエ・ウエストとスタジオ入りしたという情報がw)。

 また、L.A.で銃による抗争を続けているのは、いまや「あぶない刑事」ぐらいで、ひと頃のようなギャング・モードではないという話も聞いたので(いまの流行りはツィッターで示し合わせた人たちが同時に同じデリなどを襲うフラッシュ・モブ)、オッド・フューチャーの表現自体がすでにパロディとしてのそれだという見方もある。すべてを笑いに還元できるわけではないけれど、オッド・フューチャーに関する限り、笑いの要素は少なからず彼らの知性を反映していることはたしかで、そのことがシリアスなかたちで曲になったエンディングなど、とにかく多様な聴き方ができるアルバムである。クラウド・ラップとのつながりはよくわからなかったけど......。

*『ジ・OF・テープス Vol.1』はちなみに2008年にリリースされていて、来月CD化されるらしい(?)。タイラー・ザ・クリエイターのサード・ソロ『ウルフ』も5月リリース予定。

interview with Eli Walks - ele-king


eli walks
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 ここ1~2年は、なんだろうか......、日本の若い世代からエレクトロニック・ミュージックの作品が出てきている......いや、ずっと出てきているのに僕が気がついていなかっただけなのだろうけれど、とにかく顕在化しているのはたしか。15年ぶりだ。作っている人はいまこの波に乗ろう。フラグメントの初めてのインスト・アルバムとほぼ同時期にリリースされたイーライ・ウォークスのデビュー・アルバム『パラレル』もこの機運を印象づけている。
 アメリカ人の父親と日本人の母親のあいだに育ったイーライ・ウォークスは......、なかなか気持ちの良さそうな青年で、そのドリーミーな佇まいは彼の音楽にも繋がっているようだ。イーライ・ウォークスは、『アンビエント・ワークス』時代のエイフェックス・ツイン、『ジオガディ』の頃のボーズ・オブ・カナダ......そしてゼロ年代の〈ブレインフィーダー〉の申し子だ。ビートの太さと遊び心あるチョップからは「フライング・ロータス以降」を感じさせ、ロマンティックなハーモニーや美しい音色、そして風景がゆっくり変化していくような展開からはボーズ・オブ・カナダを彷彿させる。とはいえ、当然のことながら、彼の音楽は、ラスティなんかとも似た、モダンな質感を持っている。音色的にも、そして伸びと伸びとしているところとか。

沖縄にいたころは父親が米軍基地で働いていて、基地の外で日本人が「出てけ」って運動してたりするのを目の当たりにしてた。母親は日本人だから、僕はほんとにどうしたらいいんだろうって考えざるをえなくて......。

『パラレル』に関していろんな説明がありますよね、IDMとかエレクトロニカとか......三田格は「フライング・ロータス以降」と解釈してましたけれど、ご自身としてはどのように思われてますか?

EW:たしかに自分としてはいろんなところからインスピレーションを受けていると思っているよ。たとえばむかしはメタルをやってたり、ギターを弾いてたりしたしね。けれど直接的な影響といえばやっぱりIDMは自分のルーツだと言えるかな。もちろんフライング・ロータスが出た〈ロウ・エンド・セオリー〉もよく通ったし。

フライング・ロータスとエイフェックス・ツインというふたつの選択があって強いてひとつを選ぶとしたら、エイフェックス・ツイン?

EW:イエス! その通りだね。

まずは、あなた自身が音楽制作に向かうことになった経緯をおききしたいんですが。

EW:いい質問だよね! 昔はロック・ミュージックをプロデュースしてたんだけど、そこでは少しエレクトロニックな音のエフェクトが欲しいってなったときに、制作の過程の最後で僕とは違う人間を入れてやらなきゃいけなかったりしたんだ。けれどその違う人の味が自分の音に乗っかって、自分の音を変えていってしまうことがすごくいやだった。曲はすべて自分でコントロールしたい。だからすぐにコンピュータを買って、自分で音楽をつくりはじめたね。たまたまそのとき僕のまわりではエレクトロニック・ミュージックを聴いている人が多かったから、CDをもらったり借りたりできたし。

それは何年くらいの話ですか?

EW:18歳くらいかな。

聴いたところによると、あなたは幼少期からご両親のお仕事の関係で住居を転々とされていたということですが、そうしたあなたの生い立ちとエレクロニック・ミュージックに惹かれたということとはなにか関係があると思いますか?

EW:転々としてるからこそ、いろんなところでいろんな音楽を吸収できたりもしたね。僕自身小さいころから音楽が大好きだったっていうこともあるんだけど、その環境のおかげで音楽に対してすごくオープンになったかな。いろんなものを経験して音楽への愛は大きくなったんだけど、直接的にエレクトロニック・ミュージックの影響を受けたのは東京に来たときのことだったと思う。16歳くらいのときかな。

へえ? 東京ではどんなふうにそういう音楽と出会ったの?

EW:16歳くらいのころからほんとよくクラブで遊んでて、そこでエレクトロニック・ミュージックを聴いたりしてた。アメリカから姉が帰ってきたときに、ボーズ・オブ・カナダとオウテカのCDをくれてすごく影響を受けたり、もうひとりの姉はそのころトリップ・ホップにハマってたりして、たまたま東京にいたときにすごくエレクトロニック・ミュージックを聴く環境が整ってたんだよ。

それはなんだろう、東京という街にそういう音があったってことなんでしょうかね。それともそういう音楽そのものがあなたに強い影響を与えたということなんでしょうか。

EW:そうだな......やっぱりクラブってものの影響が大きかったかもしれない。最初に行ったときは自分がそういう音楽を受け入れてたかどうかわからない。クラブは最初は楽しさがわからなかったけど、通ってまわりを観察してるうちに、「みんなこんなに楽しんでるんだな」って、エレクトロニック・ミュージックの影響の大きさを感じたかな。あと、マッシヴ・アタックも大きいよ。彼らはロックとエレクトロニックとを混ぜた。当時は彼ら以外の人たちもそういうことをやりはじめた時期だったけど、マッシヴ・アタックに出会ったことで、それまでわからなかったものの扉を開くことができたんだ。

ちょうど『メザニーン』のころですね。

EW:イエス。『メザニーン』!......イエス!

そうか、イーライ・ウォークスの音楽を聴いたときに、僕はボーズ・オブ・カナダが好きっていうのはよくわかるんですよね。だけどクラブってちょっと意外で、ダンスというよりはアトモスフィアやムード、アンビエントみたいなものを伝えたいのかなって思っていたので。

EW:当時クラブで流れてたのはプロディジーだったりケミカル・ブラザーズだったりしたけど、そこから入ってどんどん音のエフェクトとかテクスチャーとかに興味を持ちはじめたんだ。たぶん最初にボーズ・オブ・カナダを聴いたときには自分でもまだ難しかったんだと思うけど、だんだんとハマっていって、細かいところや具体的な部分が見えてきたんだ。

話は戻るんですけど、日本に来る前はどんなところをめぐってきたのか、ざっくりと教えてほしいんですが。

EW:カリフォルニアに生まれて、6~7歳くらいは沖縄。で、ノース・カロライナ、沖縄、東京、カリフォルニア、東京......

(笑)じゃ、日本とアメリカの各都市をいったりきたりしてたんですね。

EW:ははは、そうなんだ。だから日本語も英語もあまりうまくない(笑)。

(笑)自分のアイデンティティって考えたことはありますか?

EW:そうだな、むかしから転々としてたから、仲良くなったグループともすぐお別れしなきゃならない。そんななかで自分を見つめ直したりしながら、アイデンティティについて考えることは多々あったね。

ご両親を恨んだりはしませんでしたか(笑)?

EW:ははっ、すごくサポーティヴな両親だったから恨むってことはなかったけど、中学のときにせっかく仲良くなった友だちと別れることになったときは、さすがに言葉で責めたりはしたね。ノース・カロライナのときだった。けど、心では恨んだりしたことないな。

なるほど。それだけ行ったり来ているしてると、どっちにいるかわからなくなったりしませんか(笑)。アメリカにいるのに日本にいるときのようにふるまって失敗するとか。東京と沖縄でもすごく差があるのに、まして日本とアメリカなんて文化土壌がぜんぜんちがうわけじゃないですか。

EW:たしかにね。しょっちゅうそう思うよ。アメリカでは、ごく親切でしてるだけのつもりなのに「この人ほんとに静かだな」って思われてたりね。たとえば日本ではみんな電車でも静かに乗ってお互いを尊重しあってるけど、アメリカでは突然知らない人が話しかけてきたりする。ほんとにちがってて混乱することがあるよ。

カート・ヴォネガット(Jr.)は知ってる?

EW:いや、聞いたことはあるけど......

スローターハウス5』って小説を思い出しました。主人公が訳もわからずにタイム・ワープしていくんですけど、宇宙人に囚われたかと思えば、いきなり第二次世界大戦下のドレスデンでナチスの攻撃を受けてるっていう話でね(笑)。

EW:ワオ! はははは。

自分にいちばんしっくりくる街っていうのはあったりするんですか?

EW:うん、やっぱりそれが理由で東京に戻ってきたっていうこともあって、東京がいちばんだなっていまは思ってる。ただ、ほんとそのときそのときの自分の年齢にもよるかな。沖縄にいたころはまだほかの世界があるってことを知らなかったから、沖縄がいちばんだって思ってたこともあった。けどいまいろんな場所を経験したあとで、東京がいちばんしっくりくるって感じるよ。

ロスには3年でしたっけ?

EW:5年かな。

ロサンジェルスって、ここ10年、いろんな話をきいていると、文化的にすごく盛り上がっているといいますよね。〈ロウ・エンド・セオリー〉しかり、インディ・ロック・シーンみたいなものも含めてなんですが、あなたのその5年間にロサンジェルスから受けた影響について教えてください。

EW:すごくいろいろな影響を受けているよ。ロサンジェルスに行く前は、エレクトロニック・ミュージックといってもすごく実験的なものしかやっていなくって、もう、人には理解してもらわなくったっていいっていうような音作りしかしていなかった。けど〈ロウ・エンド・セオリー〉に行って、エレクトロニック・ミュージックでみんなこんなにもパーティしてるんだってことを知って衝撃的だったんだ。僕の行ってた音楽学校では、自分と同じような境遇の人がいっぱいいて......つまりいろんな国から生徒が集まって実験的な音楽を追究している子たちも多かったなかで、〈ロウ・エンド・セオリー〉の影響はとくに大きかったね。 

それは、なんでしょう、東京にいたころはよりエクスペリメンタルなことをやっていたと。それでロスに行って、もうちょっと自分の幅が広がったというようなことでしょうか。

EW:東京にいた頃はボーラみたいなよりレフトフィールドなものにハマったんだけど、そうだね、もっと、なんていうか......。

ボーラみたいなエクスペリメンタルなものにそもそもあなたがハマっていった理由というのはどういうものなんでしょう?

EW:さっきも言ったボーズ・オブ・カナダはすごく素晴らしい、自分を変えるきっかけになったような音楽なんだ。ふつうの人でもきっと聴けるサウンドなんだけど、自分では彼らの音をより深く聴いていくうちに、もっといろんなテクスチャーやビートを掘り下げて知りたいと思うようになって、それがボーラとかにつながっていったのかもしれない。どんどん好奇心が生まれてエレグラにいったりとかしたんだよ。

それが〈ロウ・エンド・セオリー〉に行ったことによって、オープン・マインドになったってことなんでしょうか?

EW:そうだね、〈ロウ・エンド・セオリー〉に行ったことは自分をひらくものだったかもしれない。あとは学校の生徒たちの存在が大きいよ。まわりの友だちがディーバの音楽をサンプリングしてチョップ・アップしてたりとか、すごくいろんなことをやっていたから、そういうものに大きく刺激を受けたと思う。

なるほど。

EW:そのときにいた環境のパッケージ、というかね。

以前フライング・ロータスにインタヴューしたときには、彼はロサンゼルスの学校時代、クラスメイトたちからはすごく変わり者として思われていたと言っていました。まわりはだいたいメイン・ストリームのヒップ・ホップを聴いているのに、自分だけはDJクラッシュとかデトロイト・テクノとかを聴いていて、そんなやつはクラスにひとりしかいなかったって言ってましたけどね(笑)。

EW:ふつうはそうなんだろうね(笑)。でも僕の行ってた学校はほんとうにエクスペリメンタルなことをみんなが追求してる集団で、いろんなことがやれたんだよ。クレイジーだったね(笑)。

〈ロウ・エンド・セオリー〉って、なんだか日本ではストイックで、渋いアブストラクトな印象が広まっているんですが、カセット出しているような、アンダーグラウンドなロック・シーンとも繋がっているんですよね。実験的だけど、ちょっと享楽性のあるような(笑)。

EW:うんうん。当時思ってたのは、ほんとにクリエイティヴな場所だなってことで、あれと同じようなムーヴメントはないなって思えるようなイヴェントだったね。

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クラブは最初は楽しさがわからなかったけど、通ってまわりを観察してるうちに、みんなこんなに楽しんでるんだなって、エレクトロニック・ミュージックの影響の大きさを感じたかな。


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どんな経緯で今回のアルバムは生まれたの?

EW:ええと......。そうだね、いろいろな要素があると思う。まず自分が聴いていいなと思ったものを、自分の手で再現していきたいと思ったこと。あと学校ではシンセを手作りしたりしてたんだけど、自作のシンセで遊んだりしてるうちに、これをきちんと音にしたいなとも感じた。それからむかしギターで書いた古い曲をエレクトロニック・ヴァージョンにしてみたいって気持ちもあった。そういうものが全部重なりあって、この作品になったと思うよ。

なるほど。あなたのなかでエレクトロニック・ミュージックの魅力とは何なんでしょう?

EW:エレクトロニック・ミュージックって、すごいいろんな色を持ったものだと思うんだ。バンドにはギターがあってベースがあってドラムがあって、そのそれぞれにエフェクトをかけたりすればいろんな音は出せると思うんだけど、エレクトロニック・ミュージックにはもっと無限の可能性があって、まるで3Dみたいに、すごく狂った体験ができると感じるんだ。

僕は今日、ええと、笑わないでほしいんだけど、ブルース・スプリングスティーンをずっと聴いてて(笑)。それで思ったんですが、アメリカのポップ・カルチャーの多くが、ヒップホップにしてもロックにしても、アメリカ社会を反映したものが作品になってると思うんですね。そういう社会との関係性ということを考えたときに、エレクトロニック・ミュージックとはどのようなものだと思いますか。

EW:いまってすごくいろいろなものが変化していて、インターネットが生まれたことで国やジャンルの境界線がなくなってきてたりするよね。そんななかでアメリカでもエレクトロニック・ミュージックのポジションが変わってきていると思う。カニエ・ウェストとかダフト・パンクとかがいろいろやったりして、エレクトロニック・ミュージックはほんとにメイン・ストリームになったなって思うよ。

それはほんとにそう思います。20年間聴いてきたんですが、90年代は、エレクトロニック・ミュージックはヨーロッパ中心のものだったし、アメリカからはあまり聴こえてこなかったですよね。それがこの10年でほんとにアメリカで広がったんだなって思います。

EW:たとえばニューヨーク出身のアーティストでも、まるでUK出身みたいなエレクトロ・サウンドのバンドがいたりするし、そのへんの境界はほんとになくなってきてると感じるよ。

それってなんなんでしょう、アメリカの古い価値観が崩れていくというようなことでもあるんでしょうか?

EW:うーん、そうだなあ......

ははは。もう、昔はね、シンセサイザーの音が入ってるってだけで、アメリカでは「オカマっぽい」って言われたりしたんですよ。

EW:ああ、うんうん。そこはすごくオープンになってきてるんじゃないかな。で、その古い価値観っていうのもすごく残ってはいると思うんだけど、アメリカってすごくメイン・ストリームに左右されるところで、メイン・ストリームがやったことがすごく強調されるんだ。カニエ・ウェストとかがやることは、メイン・ストリームに広がったりするから、たしかに(マイノリティの問題等についての)受け取り方はオープンになってきていると思うよ。ケイティ・ペリーが「I Kissed A Girl」って歌うと、アメリカ中の女の子たちに、あ、それはアリなんだって伝わっていく。メイン・ストリームを通せばそういうオープンな価値観も広がるんだ。

なるほどね。それでいま3年めでしたっけ? 東京に移ってきたわけなんですが、ぶっちゃけ、放射能とか怖くないですか?

EW:はっはっは。あんまり。

(笑)。

EW:そりゃ、現場に行けば怖いだろうなって思うよ。東京でもデリケートな人たちは「水もあぶない」って言ったりしてるけど、飲んじゃってるし。

では、アルバムのタイトルを『パラレル』にした理由はなんなんでしょうか?

EW:アルバム制作にいたるまでに、予期せぬできごとがすごくたくさんあって、いろんな人との出会いとか、このレーベルとの出会いとか、いろんな偶然もたくさんあったんだ。そしてとても立ち止まって考えていられないほど、すべてのことがシンクしてた。僕は頭の中でひとつの線を思い描いていて、ちょっと数学的なんだけど、そうやって線を描きながらものごとを考えたときに、すべてがシンクしていくことがよくわかった。だからこのアルバムは、なにか線で表現したいなって思ったんだ。それで「パラレル」って言葉を思いついたんだけど、平行って、すごくそういうイメージでしょ。

へえ、なるほど。

EW:状況が変わればアルバムの見え方も変わるとは思うんだけど、自分の人生の中にはパラレルなものが多いなって感じるんだ。日本とアメリカのふたつのものの間をいったりきたりしてるのも、パラレルのイメージだしね。

日本にいるととくになんですけど、アメリカと日本をめぐっていろいろと政治的な複雑な関係を耳にすると思います。そういうことは気になったりしますか?

EW:じつは沖縄にいたころは父親が米軍基地で働いていて、基地の外で日本人が「出てけ」って運動してたりするのを目の当たりにしてた。母親は日本人だから、僕はほんとにどうしたらいいんだろうって考えざるをえなくて......。そういう、日本とアメリカとの関係性について考えざるをえない場面っていうのは僕の人生のなかに何度もあったよ。いまはあんまり考えないようにしてるんだけどね。

それは重たい話ですね......ご自身の作品のコンセプトというか、リスナーをどうしたいとか、そういうものはありますか?

EW:とくにコンセプトといえるほどのものはないんだけど、たとえばタワレコとかに行ったときに、はじめて試聴するときのインパクト、それは与えたいなって思ってたんだ。だからこれまで書きためてた曲で好きだったものを選んで、自分でパーフェクトだって思えるまで死にものぐるいで作ったよ。あと、そうだな、最初はコンセプトと呼べるものはなかったものの、いま『パラレル』ってタイトルをつけたあとで目をつむって曲を聴いていると、ふしぎと線だったり形だったりが10曲の中でつながっていくよ。

ではこの音楽のなかで展開される叙情性みたいなものは、あなたのなかのどういうところからくるものだと思いますか?

EW:やっぱりいろんなところに引っ越しているから、友だちとの別れとか、恋愛だったりとか。あとは両親が音楽好きなんだけど、父親がすごく音楽をエモーショナルに聴く人で、レディオヘッドとか聴いててもいきなり巻き戻して「ここの部分聴いてみろ」とか言うんだ。

はははは!

EW:(笑)そんなところにすごく影響されてるかも。

あ、お父さんがレディオヘッド好きなんだ(笑)。レディオヘッドが好きなお父さんてすごいね!

EW:ははっ、父さんはすごいクールだよ!

ははは、じゃ小学校のころに『キッドA』聴かされたりしてるんだね。あの、わりと最近は都内でライヴされたりしてますよね。先日もフラグメントといっしょにやったりとか、あるいはちょっと前にコウヘイ・マツナガくん(NHK)とやったりとか、日本のトラック・メイカーと関係することがあると思うんですが、いっしょにやってみて面白いなって思った人はいますか?

EW:最近同じイヴェントに出てたジェラス・ガイっていう女の子のビート・メイカーがいるんだけど、その子のパフォーマンスがすごくよかった。

へえ、日本人なんですか?

EW:そう、〈ソナー〉にも出るっていう子なんだけど。あとはタナベ・ダイスケさんとかパフォーマンスが素晴らしいって思うし、あとはオオルタイチさんとか。みんなそれぞれ違った要素があって、共演させてもらう人たちからはいろんなことを学んでるよ。NHKはすごい観たかったんだけど、前回は時間が重なっていて、すごく残念だよ。

彼は見た目からして、危険な男ですよ。

EW:はははは!

このイーライ・ウォークスの作品が出たのと同じ時期に、僕はそういう若い日本のトラック・メイカーの作品を耳にすることがすごく多かったんです。ひょっとしたら、まあ、すごい偶然なのかもしれないけど......あなたと同じようなタイミングで、新しい世代が出てきたのかもしれないっていう印象を受けたんです。ご自身ではそういう感覚はありますか?

EW:最近はみんながコンピュータを持っている時代で、「エイブルトン」を使いこなしていたり、「ガレージバンド」でも音楽を作れてしまうから、ここ最近はすごくそういう音作りのブームっていうのが起きてると思うんだ。だからこの数年はほんとに楽しみにしてるよ。

なるほど、ありがとうございました。僕は10曲めの"ミスト"って曲がいちばん好きでした。

EW:(日本語で)ああ、ありがとうございます!

いちばん人気がある曲って何なんですかね。1曲めもすごくいいですけどね。

EW:あ、みんなけっこう"ムーヴィン"はいいって言ってくれるかも。なぜかiTunesだと"フリーフォール"。

ああ、そう。それはおもしろいね!

EW:そうなんだ......

ははは、ありがとうございました!

interview with Sharon Van Etten - ele-king


Sharon Van Etten
Tramp

Jagjaguwar/ホステス

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 昨年の個人的なベスト・シングルの1枚がザ・ナショナルの「シンク・ユー・キャン・ウェイト」だったのだが、そこにコーラスで参加していたのがシャロン・ヴァン・エッテンだった。「やってみるよ、でもいまよりマシにはなれないだろう」と繰り返されるコーラスを、中年男個人のぼやきではなく人びとに共有されるものとして表現するために、彼女のあらかじめ憂いを含んだ声が必要だったことはよくわかる。ザ・ナショナルをはじめボン・イヴェールやメガファウンらとギターを抱えて共演するシャロン・ヴァン・エッテンは、現代アメリカの新しいフォーク・ミュージックのネットワークにおけるミューズのような存在になりつつある。
 そのザ・ナショナルのサウンドの要、双子のデスナー兄弟のアーロンがプロデュースしたシャロン・ヴァン・エッテンの新作は、ベイルート、ジュリアナ・バーウィック、ダヴマン、ワイ・オーク、そしてロブ・ムースといったゲスト・ミュージシャンが集まり、その界隈の人脈の充実を示すものとなっているが、それはあくまで、以下のインタヴューで彼女自身が答えているように「私の友だちとアーロンの友だちが混ざり合った結果」である。
 そして何より、そんな自分のことを「放浪者」と冗談めかして呼ぶシャロン自身の声が中心にある作品で、これまでの作品よりも歌のエモーションの幅が演奏のスケールと共に広がっている。ギターの音色が多彩になっているのはアーロンの手腕だろう。その抑制が効いたフォーク・ロックに乗せて、シャロンはときに唇を噛み締めるように、ときに諦めたように、あるいは慈愛をもって、女と男の感情のすれ違いや重なりを歌う。彼女の歌にはどこか恋愛の嘆きの段階を終えてしまったような柔らかい時間があって、そこでは恋の憂鬱が緩やかに受容されていく。それは、彼女の声が悲しみを纏いながらも、愛を求めることをやめないからだろう。

「私の手を取って 震えないでいられるようにして/きみは大丈夫だよって言って」 "ウィ・アー・ファイン"  
 僕はシャロンの演奏を奈良の小さなカフェで観たことがある。「鹿が可愛かった」というシャロンは、ジーンズのよく似合うボーイッシュな佇まいのキュートな女の子だった。が、足を組んでアコースティック・ギターを鳴らし、ひとたび歌いはじめると、空間はひとりの女性が持つ複雑な感情の揺らぎでゆっくりと満たされていった。そんなシャロン・ヴァン・エッテンの声が、これからさらに広い場所に響こうとしている。

ザ・ナショナルのファンだったのよ。彼らに最初に連絡を取ったときは、すごく緊張した。でも、カヴァーしてくれるぐらいなら、きっと私の音楽も気に入ってくれているんだろうと思って、勇気を出して連絡したのよ(笑)。

『トランプ』はインナースリーヴにアーロン・デスナーとあなたのふたりの写真があるように、あなたとアーロンのふたりが中心となって作った作品です。あなたが前作『エピック』のあとで彼と知り合って、プロデュースを依頼する決め手となったのはどういったポイントだったのでしょうか?

シャロン:アーロンと個人的に知り合うようになったきっかけは、友だちとツアーをしていてモントリオールにいたときのことなの。ある朝起こされてヴィデオを見せられたんだけど、それはアーロンたちがオハイオのミュージック・フェスで、私の曲、"ラヴ・モア"をカヴァーしているものだった。彼らが毎年やっているフェスだった。そのフェスのテーマは「コラボレーション」で、みんながほかのみんなのセットに参加してプレイしていたんだけど、そのなかで私の曲をカヴァーしてくれてたのよ。それで友だちが、彼らにコンタクトしてみるように勧めてくれて、そのとき作っていたセカンド・アルバムでプレイしてくれないかってお願いしてみたんだけど、アーロンたちもそのときちょうどレコーディング中で忙しくて、私のアルバムには参加してもらうことができなかった。
 でも、アーロンと私はその後も連絡を取り続けて、アーロンが「デモを録りたいときは、いつでも力になるよ」って言ってくれたから、できるときにちょっとずついっしょにデモを作るようになったの。そんななかでいろんな自分たちの考えを話し合ったり、好きな音楽について語り合ったりしながら仲良くなって、ある日デモが20曲ぐらいになったとき、アーロンが、「デモはもう十分なんじゃない? レコードを作ろうよ」って言ったのよ(笑)。だから1年ぐらいメール交換したり、会って話したり、デモを作ったりしながら、自然にレコードを作ろうって流れになっていったの。

彼らがあなたの曲をカヴァーしたって聞く前から、彼らの音楽は知っていましたか? どう思っていましたか?

シャロン:うん、前からザ・ナショナルの音楽は知っていたし、実際彼らのファンだったのよ。だから、彼らに最初に連絡を取ったときは、すごく緊張した。でも、カヴァーしてくれるぐらいなら、きっと私の音楽も気に入ってくれているんだろうと思って、勇気を出して連絡したのよ(笑)。

あなたの目から見て、アーロンのプロデュースはどういったものでしたか? 具体的に特に印象的だったことはありますか?

シャロン:彼との作業は、すごく快適なものだったわ。最初はちょっと緊張していたけどね。でも、何か新しい仕事をはじめるときって、そういう感じじゃない? 慣れて、どうやったらいちばん良いかってわかるまでに、ちょっと時間がかかる。でも、1回慣れたらすごく落ち着いて、快適に作業ができたわ。彼とは、なんていうか、いっしょにグルーヴをうまく捕まえられるって感じがした。彼の作業の仕方は、私がこれまでやってきたものとは、まったく違ったけどね。私はこれまで、余計なものはまったく入れないで、一直線にレコーディングをするようなやり方をしてきた。でも、彼はできるだけいろんな可能性を最初に全部取り込んで、そこからいらないものを排除していく。私のやり方とは真逆だった。でも面白かったわ。ジェンガって知ってる? まるでジェンガみたいだと思った。何本ピースを取ったら、全体が崩れちゃうかっていうような。積み上げて、そこから崩れるぎりぎりまでピースを外していくっていうか(笑)。

このアルバムにはたくさんのミュージシャンによるたくさんの楽器の演奏がありますし、非常にアレンジのスケールが増しています。

シャロン:作っているなかで、今回はたくさん友だちに参加してもらおうと思ってはいたのよ。でも、誰がいつレコーディングに来られるかはわからなかった。しっかりとしたスケジュールを組んで、他のミュージシャンの予定を押さえてとか、そういうやり方をしたわけじゃないから。ここで1週間、またこの時期に2週間、誰かこのタイミングで来られる? みたいなやり方だったの。参加してくれたメンバーは、私の友だちとアーロンの友だちが交ざり合った結果だけど、すごく計算してこういう形になったわけではなかったわ。

これまでの作品と、制作のプロセスでもっとも違う部分はどういったところでしたか?

シャロン:私自身にとって大変だったのは、他の人に、私が求めている音は具体的にこういう音なんだって、言葉にして伝える方法を学ぶことだった。音を言葉で説明することが、あまり上手じゃなかったのよ(笑)。実際、アーロンが私の通訳になって、他の人に私が求めている音を説明してくれたりもしたわ(笑)。私にはどうやって伝えたらいいのかが、わからなかった。それは私にとって、新しい挑戦だったと思う。誰かが参加してくれた場合、その人が曲に自由にアイディアを持ち込んでくれることは素晴らしいと思うけど、時には私自身がどういう方向性で作品を作り上げようとしているのかってことを、伝えなきゃいけない必要もあった。今回作業したことで、そういうコミュニケーションの仕方が前よりは上手になったって思うわ(笑)。

本作のたくさんのゲスト・ミュージシャンのなかではジュリアナ・バーウィックの参加が意外だったのですが、彼女とはどういった経緯で知り合ったのですか?

シャロン:彼女は大好きよ。もともと、彼女の音楽がすごく好きだったの。ファンだった。去年いっしょにツアーもしたんだけど、いっしょにいてすごく楽しいし、面白くて思いやりがあって、とても美しい音楽も作る、最高の人よ! それで、アルバムに参加してくれないか頼んだら、もちろん!って。すごく嬉しかった。

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もっとも聴いたのは、パティ・スミスやジョン・ケイル、イギー・ポップとか。そういったニュー・ヨークのバンドとか......。そういう影響って、無意識のなかにはすごく大きく影響しているものだと思う。


Sharon Van Etten
Tramp

Jagjaguwar/ホステス

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"ウィ・アー・ファイン"、"マジック・コーズ"ではベイルートのザック・コンドンとデュエットしていますが、曲のヴォーカルを男女のパートにわけるアイディアはどこから出てきたんでしょうか? また、デュエット曲にザックの歌声を選んだ理由は?

シャロン:ザックとは前にいっしょにプレイしたことがあって、いろんなものの考え方や感じ方で意気投合してたの。社会的な期待にどうやって応えるかとか、それにともなうストレスや不安、みたいなものについて話し合ったりして。もともと、"ウィ・アー・ファイン"を作りはじめたころは、私がひとりでハーモニーを入れて歌っただけで、他のヴォーカルは入れてなかったの。でも何かが足りない気がした。他の楽器を入れてみたり、いろんなことを試してみたりしたんだけど、何か違うって気がしていたのよ。そんなある日、ふと気づいたの。この曲はもともと、ふたりの人が会話しているっていう内容の曲。だから、もうひとり別のヴォーカルに入ってもらって、本当の会話をするように歌えばいいんだって。それで彼のことが真っ先に頭に浮かんで、頼んだら快く歌ってくれることになったのよ。

"ケヴィンズ"、"レナード"と男性の固有名詞がタイトルに入った曲が続きますが、それぞれの曲で歌われている男性のイメージというのは別のものですか?

シャロン:ああ、あの曲ね(笑)。曲を書いていたころは、いろんなところを放浪してたんだけど、一時期、ケヴィンズ・ハウスっていうところに滞在して、デモを作っていた時期があったのよ。それで、当時作っていたデモに、ケヴィンズ1、ケヴィンズ2、ケヴィンズ3って仮タイトルをつけてたの。アルバムに入った"ケヴィンズ"は、デモの"ケヴィンズ1"で、"レナード"は"ケヴィンズ2"だった。でも、1枚のアルバムに、"ケヴィンズ"ってつく曲が2曲あるのは嫌だな、って思って。そのころちょうど、レナード・コーエンの曲をたくさん聴いていて、彼のサウンドにインスパイアされたような部分があったから、"レナード"ってタイトルにすることにしたの。"ケヴィンズ2"より、いいでしょう?(笑)

あなたの書く歌詞では、恋愛関係におけるコミュニケーションの齟齬がよく描かれていて、これはデビュー作から一貫したモチーフであるように感じます。そういった複雑に絡んでしまった関係や感情を多く歌うのは、ご自身ではどうしてだと思いますか?

シャロン:難しい質問ね......。私は自分が経験した難しい人間関係について書くことが多いわ。強くなろうとしたり、よりよくなろうと努力したり。他人の過ちを許すことで、自分自身の過ちも受け止められるようになったり......。でも結局、自分でできるだけのことをしたら、後はなるがままに任せるっていうか......。いまはすごく精神的にも落ち着いているし、良い関係のなかにいるの。いろんなことがうまくいってる。だから、いまはあまり行きづまった苦しい曲は、書かないかもしれない(笑)。

歌詞のモチーフは、個人的なものとフィクションの部分のどちらの割合が多いですか?

シャロン:基本的には個人的な経験、っていえるかな。自分だけのことじゃなく、たとえば友だちがいま経験していることっていうのもあるかもしれないけど、基本的にはいつも、「私」と「あなた」の曲を書くことが多い。それはまったくゼロから生まれてくるものじゃなく、誰とも同じレヴェルで自分が経験しているかのように感じて、語りかけるような言葉を書こうとしているってこと。

作詞の部分で影響を受けたアーティストはいますか? ミュージシャン以外でもかまいません。

シャロン:そういう意味でもっとも聴いたのは、パティ・スミスやジョン・ケイル、イギー・ポップとか。そういったニュー・ヨークのバンドとか......。そういう影響って、レコードを聴いたときにはっきりと聴こえてくるものではないかもしれないけど、無意識のなかにはすごく大きく影響しているものだと思う。

『トランプ』というタイトルは、レコーディングのあいだあちこちを渡り歩いたあなた自身のことを指しているそうですが、同時に本作の歌のテーマと繋がっている部分もありますか? 私には、ここで描かれている様々な関係や、そこで生まれる感情を「放浪」しているような意味にも取れたのですが。

シャロン:曲の多くは、そのとき自分が経験していた関係のなかで、自分自身が感じていた感情を分析したものだと思う。そのなかで、どうやって生きていくかを模索して、私は変わっていった。ある意味、その時期に自分が付き合っていた人を振り返るようなことにもなっていたけどね。ちょっとジョークでもあるわけだけど。男の人が女をTrampって呼ぶときって、決していい意味ではないでしょう?(浮気女、いろんな男と寝る女みたいな意味がある) だから、そういうのもバカらいしんじゃない? って、ジョークにしちゃう意味でも使ってるのよ。

日本から見ても、あなたの周りのネットワークというのは非常に充実しているように感じます。ボン・イヴェール、ザ・ナショナル、メガファウン、ベイルート、スフィアン・スティーヴンス......とどこまでも広がっていきますし、お互いの尊敬と愛情で成り立っている、ある意味で家族的な、親密なコミュニティができているように思うのです。あなた自身は、そこに属しているという想いはありますか?

シャロン:そうねぇ......。でも、友だちのミュージシャンたちって、みんなツアーに出てるから、全然家にいないのよ(笑)。顔を見合わせていっしょにいられる時間って、ほとんどない。でも、仲間意識みたいなものは確実に存在していると思う。誰もがみんな同じ経験をしていて、みんなそれがどんな経験かっていうのをそれぞれの場所で経験している。大変な経験だけど。ずっとツアーに出てるわけだから、どこでもホームだと思えないとね。そしてファミリーが世界中に散らばっているんだって思うことにしている。そう考えたら、すごく素敵なことなんじゃないかなって感じられるの(笑)。

私は奈良のカフェであなたの演奏を聴いたのですが、まるで時間の流れが遅くなるような濃密な体験で、素晴らしかったです。また次のライヴを観るのを楽しみにしていますが、このアルバムを携えてだと、バンド形式になるのでしょうか?

シャロン:そうね。バンドでツアーをしていくわ。いまは4ピースでプレイしてる。それでレコードのほとんどをプレイできていると思う。音を削った部分もあるけど、すごくベーシックなスタイルって、90年代のロックみたいで気に入ってるわ。いまはライヴもすごく楽しいし、いろんなことができて面白い。メンバーのふたりはいろんな楽器が弾けるから、いろんな音の幅が出ているしね。私は歌とギターに専念してるけど、みんながいろんな要素を足してくれていて、いまのライヴは、かなりロックっぽくなってるわ(笑)。

これまでも非常に充実した活動をされてきたと思うのですが、 ミュージシャンとしてチャレンジしてみたいことはありますか?

シャロン:やってみたいことは、たくさんあるわ。いま、何曲かピアノで作ってる曲があるの。それから何曲かエレクトロニックの曲も作ってる。

全然違うじゃないですか(笑)。

シャロン:そうなの。何が次に来るかはわからない(笑)。他の人とコラボレートする方法も学んだし、ヘザーといっしょに曲を書いたりもしてるし、試したいことは本当にたくさんあるわ。

青葉市子 - ele-king

 4月8日、桜も満開に近づき、代々木公園ではお花見を楽しむ人たちに溢れるなか、僕は原宿の〈VACANT〉で定期的に開催されている青葉市子さんの独奏会に参加してきた。〈VACANT〉は原宿から連想されるそれとは大きく異なる、木と鉄をコンセプトにした、一種原宿から切り離された内装と、アットホームな空間が魅力的なフリースペースで、イヴェント・スペース、アート・スペース、ギャラリーなどの他にも、ショップやカフェも展開している。

 会場に入り、客席を見渡し、あらためてこの1年での変化にまず驚く。僕がはじめて青葉市子さんの演奏を見たのは去年の震災前の新宿タワーレコードのインストア・イヴェントで、当時お客さんも30人程度だったのに比べ、当日は100人近くのお客さんが集まり、以前よりも世代が分散されている事にも気づく(先日行われた新宿タワーレコードのインストア・イヴェントも数多くの人が集まっていた)。

 日が暮れ出しはじめた夕方の18時頃、ひっそりと会場に姿を現し、「こんばんわ」のひと言を言い終え、深く息を吸い込み、そして青葉市子さんの演奏は静かにはじまった。白いワンピース、クラシックギター、楽譜、いままでと変わらない風景も立ちこめるなか、彼女自身の変化にもじょじょに気づかされていく。演奏が続くなか、音と空間が交わり、声にも表情が見えはじめてきた頃、どこかあどけなさが残る印象の裏に、見えない自信と演奏を楽しんでいるさまが垣間見れ、当時僕が見た彼女のそれとは大きく異るものを感じさせられた。しかし、いままでと変わらない線の細い、しかしどこか力強い、声という楽器が奏でる音色と、優しく包み込むように奏でられるギターの音色が情景を鮮やかにし、透き通るまばゆい音の風景にお客さんたちは彼女の世界を旅し、深く入り込んで行く。目をつむって音を聴く人。何か答えを見つけるように深く考え聴き込む人、笑みがこぼれ、彼女を幸せそうに見つめる人、表情もさまざまだ。一部が終わり、二部が少しあいだを開けて開始される。

 途中のMCでは七尾旅人さんのカヴァーを少し披露したり、細野晴臣さんの"悲しみのラッキースター"(デイジーホリデイでも以前披露)、この日のために用意した妖怪人間ヴェムの曲などを披露。演奏中の間や、アレンジ、即興性、遊び心のある空間の演出などにもこの1年で培ってきた良い意味での余裕が感じられた。演奏も終盤に差し掛かり、サード・アルバム『うたびこ』からの楽曲、"奇跡はいつでも"、"ひかりのふるさと"を披露。いままで異なっていた表情もこの場面ではたくさん目をつむって聴き込んでいる様子が多く伺えた。ここで僕は以前彼女が演奏中のMCで、こんな難しい時代だからこそ、こういう場では自分を解放して欲しいと言っていたのをふと思い出した。
 アンコールを含む2時間弱の演奏全てが終わり、彼女は「終わりです」とだけ言い残し、ひっそりと独奏会は幕を閉じた。青葉市子さんの音楽は僕らの意識のなかに内在する音や感覚であって、こんな時代だからこそ信じたい、そして触れて欲しい音だなとつくづく思った。終了後、久しぶりに会う彼女にいくつか質問をしてみた。


お疲れさまです。

青葉:ありがとうございます。

いくつか質問していくのでよろしくお願いします。まず、〈VACANT〉で演奏会を開かれてますけど、〈VACANT〉を選ぶ意味とか理由とかありますか?

青葉:うーんと、なんというか、堅すぎず、緩すぎず、っが良いかなと。以前はクラシックホールなどで演奏していたんですけれど、自分がどういう場所で演奏したら良いのか当時は定まってなかったんですね。この期間いろんなところで演奏して、〈VACANT〉さんでも演奏させて貰った時に凄く音の響きが良くて、それで木で作ってあるから何か温かい音になるかなと。お客さんにも皆こう、ちゃっと椅子に座るんじゃなくて、伸び伸びしてもらいたくてここを選びました。

演奏中のMCでたまに同世代の方が今日はたくさん来てくれて嬉しいとおっしゃてたりするじゃないですか、青葉さんの周りには細野(晴臣))さんや、小山田(圭吾)さん、七尾(旅人)さんなど、比較的年上が多い気がするのですが、平成生まれだという意識とか自覚みたいなものはあったりしますか?

青葉:うーん、それは全然ないですね。ただやっぱり同じ時代を同じように成長しながら生きてきた人達と自分の音楽を共有できることはとくに嬉しいなとは思っています。

なるほど。

青葉:刺激を受けた時期が同じ人たちってやっぱり勘が鋭いというか、言いたい事をすぐキャッチしてくださったりしますし。でも平成生まれとして意識をして活動をする、みたいなことはとくにないです。

今日もたくさんいろんなアーティストさんの楽曲をカヴァーしてましたね(当日は細野さん、ユーミンさん、七尾さんなどをカヴァー)。去年の夏にお話したとき、あんまり意識して自分から音楽を聴かないっておっしゃってたのが凄く印象的だったんですが、あれ以降その意識とか変わったりしましたか?

青葉:変わってないですね。この曲を聴こうみたいなことがあんまりなくて。これはたぶん言っちゃいけないことなのかもしれないんですけど、貰ったCDとかもあまり聴かないんです。私は生で鳴ってる音が一番好きで、CDとかは、そこで鳴っているもの、という感覚しかどうしてもなくて。うーん、これは凄く難しいんですけど、私は目に見えないもの、例えば会話とかその場でしか起こらないもの、ライヴもそうですよね。そういうものが好きです。

今日の演奏でもすごく感じたことなのですが、以前よりも今おっしゃっていた、その場でしか起こらない、例えば即興性、MCなんかもそうなんですけど、青葉さん自身以前より楽しんで取り組んでいるのが凄く印象的で。

青葉:多少上手になったのかなとは思いますけど(笑)、うーん、そうだなあ、臨機応変の力っていうのは場数を踏んで、ちょっとは出来るようになってきたかなとは思うけれど、こう来たらこうしようみたいなのは全然考えてないです。

ずっと僕個人的に気になってたことがあって、SOUNDCLOUDに、Joe Meekみたいな打ち込みのエレクトロの曲とかをアップしてらっしゃるじゃないですか、ああいう曲をこれからもっと全面に押し出して、例えばアルバムに入れてみたり、ライヴでも取り入れてみたりとかは考えてたりはしないんですか?

青葉:おお、凄い。それどんなライターさんにも訊かれたことなかったです(笑)。アンテナが凄いですね。

やった(笑)!

青葉:実はそういうのは凄く興味があって、なんでもできるものはやりたいので、できればいいなーとは密かに思ってます。あれはMacのガレージバンドで適当に遊んだだけなんですけど(笑)。ちゃんと機材も揃えたいんですけど、まだお金が......(笑)。

そういうものは小山田さんとかたくさん持ってると思うので借りたらいいと思います(笑)。

青葉:ふふふふふ(笑)。小山田さん、要らないものがあればください(笑)。

そういうセットでも小山田さんとか、細野さんとかとライヴで絡めたら面白そうですね。新しい世界が広がりそうで。

青葉:私もそう思ってます。出来る事は全て取り入れたいと思ってるので。エレキギターとかもいつかまた使ってみたいなあとも思ってるので、是非楽しみにしててください(笑)。

なおさら今後も期待ができそうですね。楽しみにしております。お疲れさまです、以上です。短いインタヴューでしたが、今日はどうもありがとうございました。

青葉:なんかひっかき回されてすごく面白かったです(笑)。話を聞いてて、事務的な人が多いなかで、いまみたいなスタイルはとても楽しいし、そのスタイルを変えないで頑張って欲しいです。

は、はい! ありがとうございます(笑)。僕と世代がまったく一緒ですし、初めてのインタヴューが青葉さんで本当に良かったです。僕自身もすごく取り組みやすかったです。本当にありがとうございました。


 僕は去年行われた青葉さんとアミーゴさんが企画をしたイヴェントから、青葉さんをひとつの目標としてここまで頑張ってきたので、こういう形での再会は信じられないくらい嬉しくて、帰り道震えが止まらなかったです。

 青葉さんはこの演奏会の翌日、「RISING SUN ROCK FESTIVAL」への出演を発表。僕ももっともっと頑張らなくてはと強く思った。〈VACANT〉でのライヴは来月の5.12(土)も開催予定。素敵な空間で、彼女が言う、生の音はたしかに鳴っています。是非会場へ!

Mouse On Mars - ele-king

 1990年代生まれのリスナーが何曲か聴いたら、モードセレクターの曲をハドソン・モホークやフライング・ロータスがリミックスしたんじゃないかと勘違いするかもしれない。いやしかし、そのきめ細かいトリックに「おや」と思うだろう。マース・オン・マーズ(MOM)の6年ぶりのお茶目なIDM、〈モードセレクター〉のレーベルからのリリースとなるそれは、ラップトップのソフトウェアによるグリッチの効いたファンクが耳に残る。
 グリッチ――「不具合、予期せぬ事故、誤った電気的信号、電流の瞬間的異常」は、1990年代のドイツのエレクトロニック・ミュージックにおいて発展した一種の技だと言える。それは「失敗の美学」に基づいて、オヴァルを発端としながら、ドイツにおけるIDM/エレクトロニカというクラブ・ミュージックと微妙な距離を保っていた傍観者によって磨かれているが、MOMもそのいち部だった。MOMが初めて来日したとき、彼らがファンだったという中原昌也と対談をしてもらったが、話は「どうやってあの音を出しているのか?」という話題で沸騰した。MOMは、まずはテープで録音して、そのテープをグチャグチャにして、金槌で叩いたあと、そして2階から放り投げて、さらに足で踏みつぶして、それを再生して取り込むんだよと、秘密を明かしてくれた。このような微妙なユーモアがヤン・ヴェルナーとアンディ・トマのIDMにはある。
 MOMは、90年代なかばの最初の2枚のアルバムをインディ・ロック系の〈トゥ・ピュア〉からリリースしていることが物語るように、彼らにはたしかにクラウトロックの申し子のようなところがあり、先述した通りの「クラブ・ミュージックと微妙な距離を保っていた傍観者」だが、結局のところクラブ・ミュージックとの関わりを完璧に絶っているわけでもないように思える。MOMは、反動的なセクト――ある種のエリート意識で、オウテカがもっとも気を遣っていたところ――にとらわれた時期があったのかもしれないけれど(とはいえ、ヴェルナーとオヴァルによるマイクロストリア名義の作品は魅力的だった)、ポップを見失ったことはない。たとえオヴァルとともにロンドンの由緒あるバービカン劇場にてシュトックハウゼンの"少年の歌"を演奏したとしても......。

 この手の「捻り」に個人的に久しく接していなかったからだろうか、10枚目のスタジオ・アルバム『パラストロフィックス』を初めて聴いたとき、僕にはMOMがあらためて新鮮に思えた。このアルバムは、喩えるなら、クラフトワークの『コンピュータ・ワールド』やサイボトロンの、いわば80年代的なエレクトロをラップトップのなかで「グチャグチャにして、金槌で叩いたあと、そして2階から放り投げて、さらに足で踏みつぶして、それを再生して取り込んだ」ような強烈なファンクネスを感じる。"The Beach Stop"は本当に心地よい曲だ。人工的な女性のささやき声、フレンドリーのようでいて、穏やかに歪んでいくサウンドスケープ......初期の2枚に顕著だった無垢な遊び心は18年目経ったいまも健在で、その芸当は緻密になっている。
 ビートが際だっている"Metrotopy"や"Wienuss"、"Polaroyced"のような曲には可笑しさ、巧妙さ、そして強力なエネルギーがある。グルーヴィーなのだ。しかしリスナーは"Cricket"や"Baku Hipster"のような曲に含まれている悪意にも気をつけなければならない。パンキッシュな"They Know Your Name"は、マーク・E・スミスとのヴォン・スーデンフェッド名義による『トロマティック・リフレクションズ』(2007)を思い出すが、MOMはリスナーにとってつねに「いい人」であるとは限らない。批評的だし、彼らにはハードコアな側面、IDMにありがちな「やり過ぎ」たところもあるし、はっきり言えばからかいもある。それでも"Chord Blocker, Cinammon Toasted"や"They Know Your Name"には、知性派の嫌らしさを感じさせないぐらいのファッション性があるのだ。少なくもぐったりと疲れているときにお薦めできる音楽ではないが、不思議なことに、たっぷり睡眠を取った翌朝に聴くと「よし、やるぞ!」という気持ちになれる。ホント、不思議なことだが。

曽我部恵一BAND - ele-king

季節を背に 文:木津 毅

「人生は前にしか進まない。後ろに進んだら大変だ」 
――アキ・カウリスマキ『過去のない男』より


曽我部恵一BAND
Rose Records

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 どこかのインタヴューで、曽我部恵一がアキ・カウリスマキの作品を観ていたく感銘を受けたと話していたのを読んだ記憶があるが、それは非常に納得のいくものっだった。僕にとっては、フィンランドで自分のスタイルを頑なに曲げずに映画を撮り続けてきたカウリスマキと、曽我部恵一が表現していることは極めて近いところにあるように思えるからだ。そして、そのキャリアのなかでも態度としてもっとも近いのが曽我部恵一BANDであって......いや、まずは、カウリスマキの話からはじめよう。
 アキ・カウリスマキが映画で主人公に据えるのは、必ずと言っていいほど経済的な弱者や労働者だ。しかもそれは、格差やホームレス、グローバリズムや失業といった同時代の社会問題を反映させたものであり、彼らは豊かな国・フィンランドのイメージから程遠い貧しい暮らしをしている。だが、カウリスマキの映画なかでは、彼らは貧しく生きていない。監督が敬愛する古典映画のスタイルを借りてきて作り上げた厳格なミニマリズムのなかで、貧しき者たちは映画の主人公となる。彼らは終始無表情だが、とりあえず前を向き、そして恋をしたり労働をしたり、あるいはファム・ファタールに惑わされたりしながら(!)、なぜだか味わい深い物語を生きていくのだ。
 曽我部恵一BANDがファースト・アルバムでやっていたことはまさにそれだった。大して金もなく何ら特別でもない、迷ってばかりの若者たちがそこでは歌の主人公となって、ロックンロールの力でリリカルな物語を転がっていく。冒頭で引用した台詞は、ホームレス同然の暮らしをしているおじさんが場末の酒場で呟くものだ。曽我部恵一が、天使を「サラリーマン風の、冴えないおじさん」だとしたのととても似通ってはいないだろうか。

 ただしこれまでのアルバムでは、そうして匿名的に物語を紡ぎつつも、曽我部恵一やバンド・メンバーの固有性もその内側に入り込んでいた。バンドにとって3作目となるこのセルフ・タイトル・アルバムにおいてもそれは変わらないが、15曲で70分近いヴォリュームを通して、より群像劇的な、短編小説集のような形式になっている。オープニングの"ソング・フォー・シェルター"では、とりあえず曽我部恵一そのひとの言葉で幕を開けるが、そこにエフェクト・ヴォイスを駆使したコーラスを重ねることによって、多声的なものとして視点を広げている。そうして、15曲で様々な男女の生活の描写やそこに宿る感情がひとつずつ現れて去っていく。また、これまで曽我部恵一BANDがやってきたようながむしゃらなロックンロールだけでなく、思いがけずグルーヴィなダンス・フィールがある"ロックンロール"、アンビエント風の小さなトラック"誕生"、ノイズがとめどなく流れて収拾のつかないまま終わる"胸いっぱいの愛"、ラフな録音の生々しいフォーク・チューン"たんぽぽ"......と音楽的にも雑多だ。より多くの登場人物が、ここには集まっているようだ。
 そしてこれまでよりも、遥かに苦い味が加わっている。胸がときめくようなラヴ・ソングも変わらずあるが、それ以上に、やりきれなさ、無力感、行き場のなさ......そうしたものがこのアルバムをどうしようもなく貫いているように思える。冒頭の"ソング・フォー・シェルター"で設定されるのは、「壁に貼ったジョーストラマーのポスターがはがれ落ちる」、そんな地点だ。「今日のサイレン/明日の雨/この歌は僕たちの隠れ家のため」――非常事態を経験した、その後を生きるわたしたちの歌。曽我部恵一BANDはかつて、青春そのものを、迷える若者たちのある種代役としてロックンロールを鳴らすことで生き直すようなことをしていた。しかしバンドは、ここではその季節を後にしようとしている。
 なかでも象徴的なのは"街の冬"だ。生活保護を必要とする「とっても仲のいい」姉妹と、事務的な対応をするしかない区役所のおじさん。その侘しいはずの物語はしかし、アップテンポの激しいロックンロールで演奏される。あくまで温かく語られる姉妹の日々、上りつめるエレキのソロ、悪戯っぽく跳ね回る鍵盤、そして着地点を見つけないまま疾走し続けるビート! ここではたしかに貧困が描かれているが、絶対にそれを貧しい生き方として扱いはしない。その気迫において、この曲を社会や政治の歌だと簡単に呼ぶことは憚られてしまう。これはつまるところ、この国の片隅で埋もれそうになっている、ある人生についての歌だ。僕には生活保護ギリギリの生活をしている知人もいるし、公務員をしている友人もいるが、彼らが共に毎日必死に生活していることを知っている。空疎なシステムが生み出したそのあいだの埋まらない溝でこそ、曽我部恵一BANDはロールする。

 そうしてアルバムは、ラスト・トラック"満員電車は走る"へと集約されていく。興味深いのは、ブルース・スプリングスティーンの新作『レッキング・ボール』に収録された"ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ"とモチーフが共通していることだ。その「国」にいるあらゆる人間を乗せて、走る汽車/電車......。ただ決定的に違っているのは、スプリングスティーンが記号的に様々な人間を汽車に乗せるのに対して、曽我部恵一は満員電車に乗るひとびとの生活を具体的に活写していることだ。そして前者が、それがたとえアメリカン・ドリームの破れかぶれの残滓としての「希望と夢の土地」だとしても目的地を持っているのに対して、後者には向かう場所などない。ただ、「からっぽの心を詰め込んで」わたしたちの満員電車は走るのである。それがこの国だということなのだろう。もはや明るい未来なんてまったく見えない場所でこそ、このフォーク・ソングは鳴らされているようなのである。それでも、人生は前にしか進まないのだから。
 最後には、また曽我部恵一そのひとが発声したものへと言葉は還っていく。「心がどうしようもないとき/あなたの心が壊れてしまいそうなとき/音楽は流れているかい?/そのとき音楽は流れているかい?」

文:木津 毅

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広く問われるべき15曲 文:竹内正太郎


曽我部恵一BAND
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 ロックはいまだ社会的にアクチュアルな音楽たり得るのだろうか? 21世紀の、しかも、2011年3月11日以降のこの国で?

 あるいはこうした問いはいま、ほとんど意味を持たないのかもしれない。だが、少なくとも曽我部恵一BANDにとっては愚問ではないだろう、私はそう思う。そう、ロックンロールと作者の実人生、あるいは不定形な社会との接触面、そこにどんな表現が成り立つのか? 『キラキラ!』(2008)は、ある時代のひと時において、そのアンサーとして完璧な作品だった。日常にふと訪れては気まぐれに去っていく、ごく個人的な幸福の感情を、できる限り現在形で捉えようとする、誇りを持った内観の表現。海の向こうで戦争がはじまることを自覚しながらも、その破壊や暴力と同じ空の下に生きる私たちの、膿んだ成熟社会にも成り立ついくつかの幸福をハッキリと証言すること。あるいは、学者に社会問題視されるような頼りない生活にも、キラキラしたとっておきの感情が湧き得ること。そう、彼らは反論者だった。「まず曽我部恵一BANDのあり方がコンセプチュアルだから、時代に対するカウンターであって欲しいと思ってる」、かつて弊誌・野田編集長のインタビューに曽我部はそう答えている(『remix』誌・216号)。

 結論的に言うなら、3年ぶりのフルレンス『曽我部恵一BAND』は、これまでの曽我部恵一BANDとは大きく距離を置いた作品である。そう、曽我部恵一BANDは、曽我部恵一BANDであることをある意味ではやめている。ジャケットの写真は暗転し、トレードマークの笑顔は(おそらくは意図的に)消されている。『ハピネス!』(2009)から「プレゼント」(2009)にかけて、緻密にまで煮詰められた、煌めくようなポップ・パンクのギター・プロダクションは、"サマーフェスティバル"など、ごくいち部の限定的な立場に控えられ、tofubeatsのリミックスが先行で話題になったダンス・トラック"ロックンロール"に代表されるように、アレンジの制約、楽曲の形式という点で大幅な解放が見受けられる。全体的にはアコースティック・セッションを織り交ぜたいく分かメロウ・アウトした作品となっており、とくに、ザ・バンド風の柔らかいアメリカン・ロックで兵士の最期を看取る"兵士の歌"、あるいは、"ブルー"(2007)の続編のような美しいバラード、ポストモダニティ・ライフにおける実存不安に静かに潜っていくような"月夜のメロディ"では、近年のソロ・アルバムのような素晴らしい歌声が聴ける。

 議論となるのは、アルバムの最後を飾る"満員電車は走る"で、曽我部はそこで、狂気的なまでの密度で詰め込まれた満員電車にもれる、誰かの声にならないツイート、軋むような心の声を拾って読み上げる、という、ある種の三人称表現を採用している。そこからやがて一億二千七百六十万にまで一気に飛躍する、観察と想像によるその描写は、一級のポップ作家による社会への思いやりであり、素朴な優しさでもあるが、カメラの立脚は、対象からはやや遠く思える。だから、私が気になったのは、音の変化ではなく、多くの曲で言葉の分解能が下がっているように思われたことだ。例えば、「街は知ってる/ぼくたちの情けなさや優しさを」と歌う"ポエジー"や、「悲しい世界ねって/貧しい世界ねって/泣きながら揺れてた」と歌う"たんぽぽ"は、確実に誰かの姿をとらえつつも、言葉の握力はやや弱いようにも思える。もちろん、具体性をある程度排し、一般性を追求することは、ポップ・ミュージックの普遍性でもあるが、過去二作における実人生の、街の、人びとのホットな接写を前にすると、本作における詩作の立場はやや曖昧で、聴き手の顔を想像しようとすると、そこには靄がかかる。

 忌憚なく述べよう。「キラキラしていてね/いつもきみ/ずっと負けたってかまわない」"キラキラ!"、「ハードコアな人生かも/だけどトキメキのパスポート持ってる」"I Love My Life"と歌った前二作を、仮に誇り高き敗北主義の表明だったとすれば(それはインディペンデンス・ロッカーの態度として見事な説得力を生んでいた)、大量の留保を抱え込んだいまの日本で、曽我部にはもっと歌えることがあったのではないか、とも思う。
 その点、"街の冬"は、本作屈指の傑作であると同時に、提起する問題のあり方として異彩を放っている。報道でも大きく取り上げられた、社会から驚くほど呆気なく孤立してしまった札幌の姉妹が過ごした孤独の冬を、優しくエモーショナルに歌うこの曲は、まずそのアッパーさにおいてショッキングだ。曽我部はそこで、享楽的な鍵盤、踊るようなラインをなぞるベースが、まるで何かを祝福するかのようにファンキーに跳ねるなか、生活保護の申請者を取り上げ、同情のトーンで揃えられた世論を遠ざけるように、健康で文化的な最低限度の生活が保障されなかった日々にも、たとえ一瞬ではあっても美しい時間、あたたかい時間があったのでは、という、希望の眼差しを投げかける(そして、曲は最後、ちぎれるように終わる)。

 マクロな社会欠陥がどれほど近くに忍び寄ろうとも、人間として正しい生き方に立てば、個人の幸福はいつだって強く成り立つということ。曽我部恵一BANDの核となってきたそうしたメッセージ性をドラスティックに展開した、このような曲を擁しながらもなお、本作の立場がやや曖昧に見えるのは、カウンターすべき相手の曖昧さが、前掲のインタヴュー時に比してさらに増しているからでもある。そう、言うまでもなく、私たちの身の回りの世界は絶えず変化し続けているし、この国の曖昧さはますます高くなったように見える。だから、3月で断絶したままの誰かの日常や、原子力危機に晒された飼い殺しのような日常がある一方で、それでもなお、絶望の国に生きて、ディズニーランド的な幸福を何不自由なく享受できて「しまう」日常も混在する曖昧さそのものを、彼らには取り上げて欲しかった気もする。津波が引いた境界線や、同心円状に描かれた分布図以上に、私たちの日常は細分化されてしまったのだから。繰り返そう。果たして、ロックはいまだ社会的にアクチュアルな音楽たり得るのか? 21世紀の、しかも、2011年3月11日以降のこの国で? 判断はすべての聴き手に委ねたい。発売はもちろん、〈Rose Records〉から。広く問われるべき15曲である。

文:竹内正太郎

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<CRUE-L>主宰瀧見憲司ニュー・ミックス!バレアリック~スロー・ハウス/ニュー・ディスコ/リエディットetc..独特すぎる世界観で繋 いだ圧巻の約70分。

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Joaquin Joe Claussell Unofficial Edits And Overdubs 12" Promo Sampler Part ? Sacred Rhythm Music / US / 2012/3/17 »COMMENT GET MUSIC
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