「K A R Y Y Nã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
空しい気持ちに包まれたとき、こだま和文の音楽はより親密に響いてくる。これほど空虚さに寄り添ってくれる音楽をぼくは知らない。彼がUndefinedと作り上げた『2 Years / 2 Years In Silence』は、いまのぼくにとって最良のサウンドトラックだ。打ちひしがれた空しい夜の友である。
作品とは関係のない話をすることをお許し願いたい。1週間前の土曜日のことである、二度勝ち越しながら二度追いつかれたとき、哀しみではなく、空しさだけがぼくを包んだ。引き分けに終わったジュビロ磐田戦で、清水エスパルスのJ2降格を覚悟したとはいえ、一縷の望みがなかったわけでもなかった。が、しかしそれにしても、最終節のコンサドーレ札幌戦は劇的なまでにいまの清水を象徴する試合だった。「らしかったな」とひと言、静岡の高校時代の友人からメールが入った。金を使うばかりで、肝心なソウルの部分をおろそかにするからこんなことになるのだ。
音楽ライターの原雅明が主宰するレーベル〈Rings〉からリリースされた『2 Years / 2 Years In Silence』は、前半4曲のダブ・ヴァージョン4曲が後半という構成になっている。後半はアンビエントを意識したということだが、アルバムでぼくがとくに注目したいのは、Undefinedのトラックだ。極論をいえば、こだま和文のトランペットが入っていないヴァージョンも聴いてみたくなるほど、この人たちのダブ・サウンドは傑出している。ベーシック・チャンネルの系譜を思わせるそのミニマリズムは、作品の後半においてよりラディカルに解体されているのだ。素晴らしい沈黙が創出されているそれら4曲は、ぼくが近年聴いたダブと形容される音楽においては、もっともクリエイティヴなもののひとつであることは間違いない。
悲観論者として知られるこだま和文がいまどんな心境にあるかは、この音楽を聴かなくとも察するにあまりある。2022年は、あまりにも大きなことが起きた1年でもあった。CDのアートワークにあるささやかな美しさは、いまもミクロな次元では希望があるのだということを暗示している。思えばこだまの音楽はずっとそんな調子だ。最悪ななかにも小さな最善はあるのだ。それをみつけて今日を生き、明日を思う。彼はいま、数ヶ月前から立川でTHE DUB STATION BANDのライヴを再開しているが、そうした小さな場面では良きことは起きているし、音楽シーンや身近なところにはほかにもポジティヴなことはある。スペシャル・インタレストは「もうがまんできない」とは言わず、より現実主義的にこの厳しい時代を「耐えていこう」と言った。そうだ、小さな希望を見つけて耐えていこう、そして昔のように、まずは地元のサッカー少年少女が憧れるチームになって欲しい。
ミュート・ビートの時代から、こだま和文の音楽を聴いているとその折々の自分を思い出す。『2 Years / 2 Years In Silence』は、戦争があって元首相が暗殺されて、清水エスパルスが降格した2022年のアルバムだったとぼくのなかでは記憶されだるろう。直感的な作品なのかもしれないが、ぼくにとっては、この音楽にはそのすべてのことが詰まっているのだ。
〈ブラウンズウッド・レコーディング〉を主宰するDJのジャイルス・ピーターソン、インコグニートのリーダーとして活躍するブルーイことジャン・ポール・マウニックのふたりが手を組み、周囲のミージシャンを巻き込んで結成したプロジェクトのSTR4TA(ストラータ)。1970年代後半から1980年代初頭に勃興した英国のファンク・バンドやジャズ・ファンク・バンド、通称ブリット・ファンクと呼ばれるムーヴメントにインスパイアされたのがストラータで、実際にブリット・ファンクの時代から活躍するブルーイや彼と交流のあるミュージシャンたち、さらにアシッド・ジャズのころから一時代を築いてきたミュージシャンも参加し、2021年にファースト・アルバムの『アスペクツ』を発表した。アルバム・リリースに際してジャイルスへインタヴューをおこない、ストラータ誕生の話などを聞いたのだが、タイラー・ザ・クリエイターのブリット・アワードにおける「ブリット・ファンクから影響を受けた」というスピーチがひとつのきっかけになり、改めてブリット・ファンクを世に知らしめ、いまの時代にリアルタイムで表現しようというのが結成に理由だったそうだ。
『アスペクツ』ではブリット・ファンクを下敷きに、そこにディスコ/ブギー、アシッド・ジャズ、クラブ・ジャズといったジャイルスが通過してきたエッセンスも加えつつ、あえて現代的な補正や加工を加えたりすることなく、サウンドが生まれたままの粗削りさをそのまま提示し、そうしたところがカッティング・エッジな音楽性も作り出していた。インコグニートのような洗練された音楽とは真逆をいくスタイルで、そこがストラータの魅力のひとつでもあったわけだが、そんな彼らが一年半ぶりとなるニュー・アルバム『ストラータスフィア』を完成させた。セッション・ミュージシャンが主となり、いわゆるゲスト・ミュージシャンの参加がなかった『アスペクツ』だが、今回はオマー、ロブ・ギャラガー、ヴァレリー・エティエンヌなど、かつてのアシッド・ジャズの時代からジャイルス主宰の〈トーキン・ラウド〉で活躍してきたヴェテラン・ミュージシャン、そしてエマ・ジーン・サックレイ、シオ・クローカー、アヌーシュカといった、ジャイルスやブルーイよりずっと下の若い世代のミュージシャンなどが幅広く参加する。そんな若い世代のアーティストとのコラボにより、『アスペクツ』からさらに進化した世界を見せてくれるのが『ストラータスフィア』である。今回のインタヴューにはジャイルスとブルーイの両名が揃い、そんな『ストラータスフィア』の世界についてじっくり話をしてもらった。
日本は70年代に誕生したジャズやフュージョン、ジャズ・ファンクなど、特別なシーンがあるから、それを記念するようなプロジェクトを僕たちでやろうと考えていた。今後やるかもしれないし、いまでもやりたいと思っているよ。(ジャイルス)
ミュージシャンというのは不思議なもので、特別な何かができあがったとしても、その特別さを忘れてしまって、次なる特別なものを求めてしまいがちだ。(ブルーイ)
通訳:こんにちは! 今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます。通訳のエミです。ジャイルスさんとは以前、日本でお会いしたことがありますが、ブルーイさんは初めてです。今日はエレキングという雑誌のインタヴューで質問原稿をジャーナリストの方からお預かりしているので、それを読んで進めていく流れです。よろしくお願いします!
ブルーイ(以下B):こちらこそどうぞよろしく、エミちゃん¬♡
■昨年ファースト・アルバム『アスペクツ』を発表したストラータですが、このたびセカンド・アルバムの『ストラータスフィア』がリリースされます。ファースト・アルバムの後にリミックスEPもリリースされ、それからさほどインターバルを置かずにセカンド・アルバムのリリースとなるわけですが、ファースト・アルバムに対する世間やリスナーからの反響はいかがでしたか? いい手応えや反響があったからこそ、こうしてセカンド・アルバムへ繋がっていったのかと思いますが。
ジャイルス・ピーターソン(以下GP):このような流れでブルーイと一緒に制作ができたことに正直驚いているんだ。僕とブルーイは以前から一緒に作品を作りたいと思っていたんだけど、これだと思うプロジェクトになかなか出会わなかった。プレス・リリースを読んでもらったらわかると思うけれど、僕たちは何年も前からずっと一緒に仕事をしてきた仲なんだ。そしていつだったか、日本でアルバムを作ろうという話をしていた時期があった。その話は実現に至らなかったんだけど、日本は70年代に誕生したジャズやフュージョン、ジャズ・ファンクなど、特別なシーンがあるから、それを記念するようなプロジェクトを僕たちでやろうと考えていた。今後やるかもしれないし、いまでもやりたいと思っているよ。とにかく、(プロジェクトの成り立ちとして)僕たちはロンドンにいて、お互いに近いところに住んでいるという状況だった。そしてふたりとも、イギリスのグラミー賞に値するブリット・アワードを見ていたんだけど、タイラー・ザ・クリエイターが特別功労賞(ライフタイム・アーカイヴメント・アワード)を受賞したときに、彼はスピーチでブリット・ファンクが大好きだということを述べたんだ。そこで僕はブルーイに電話して、「ブリット・ファンクのレコードを作ろう! タイラーのようなアーティストも好きだと言っているし、音楽界という広い領域でブリット・ファンクが評価されているんだよ」と彼に伝えた。これが僕たちの機動力となり、プロジェクトをスタートするきっかけになった。ロックダウン中という奇妙な時期に誕生したプロジェクトだったけど、素晴らしいプロジェクトになった。
ファースト・アルバムの反応にはものすごく驚いたよ! だからすぐに次のアルバムを作りたくなった(笑)。でも今回のアルバムでは、後で詳しく話すけれど、ブリット・ファンクの域を超えて、それがどのように進化していったのかというのを表現したかった。だからアシッド・ジャズやストリート・ソウル(*1980年後半から1990年代前半のUKのクラブ・シーンや海賊ラジオなどで用いられた用語。ヒップホップやエレクトロの影響下にある80年代前半頃のソウルを指し、ドラムマシーンによるエレクトリックなビートやダブを取り入れたベースライン、ロー・ビットなアナログ・シンセの音色が特徴)を経て、シオ・クローカーやエマ・ジーン・サックレイといった最近のアメリカやイギリスの新たなジャズ・ムーヴメントを代表するアーティストたちまで包括されたものになっているんだ。
B:ファースト・アルバムは驚きだったね。私にとっては旧友を訪ねるような感覚だったから。同じような会話がなされると思っていたから。しかもレトロな感じで。つまり過去のことについて話すのかと思っていたんだ。でもこのプロジェクトでは、その古い言語を使って新しい音楽を作ったんだ。ミュージシャンというのは不思議なもので、特別な何か(この場合はブリット・ファンク)ができあがったとしても、その特別さを忘れてしまって、次なる特別なものを求めてしまいがちだ。それが成長の一部なんだがね。そして成熟とともに洗練さも増してくる。あの音楽(ブリット・ファンク)は当時の無垢な感じがあって、洗練さは欠けていた。ジャイルスはそれを見抜いていて、それを再現するのが上手だった。ジャイルスは私に「いったん俯瞰して、このテイクを使おうじゃないか」と言った。私はサウンドを洗練させようとしていたけれど、ジャイルスはあえてそれをしたがらなかった。彼は洗練度を取り除こうとしたんだよ。そのおかげで私は物事を考えすぎないで楽しむことができた。昔は時間がなかったり、資金がなかったりしたけれど、若さというエネルギーがあった。それらの要素が融合して音楽ができていた。今回は私と一緒に作品を共同プロデュースしてくれる人がいたということが重要だったと思う。そうでなければインゴグニートのアルバムがもう1枚できてしまっていたかもしれないからね(笑)。ジャイルスはインコグニートとこのプロジェクトの見分けがはっきりついていたから、その点が素晴らしかった。
■ファーストのリリース後、ジャイルスが主催する「ウィ・アウト・ヒア」ほか、スペインの「プリマヴェーラ・サウンド」といったフェスティヴァルに参加し、「ジャズ・カフェ」などでライヴ・ステージも披露していますね。ライヴ・アクトとしてのストラータはどんな方向性を持つのですか? 以前のインタヴューではブルーイたちの生演奏を軸に、そこへジャイルスがDJミックスやエフェクトを加えていくということを伺ってましたが。
B:アルバムの音を荒削りにしたのと同じように、生演奏も荒削りな感じにしようとした。即興演奏をしたり、サウンド・エフェクトを入れたり……もっとジャズっぽい感じにしたんだ。私たちのバンドはライヴではより一層ジャズ色が強まる。
GP:フェスやライヴに出演するのは最高だったよ。あれ以来たくさんの出演依頼が来た。「プリマヴェーラ」は観客が僕たちのことをあまり知らないという、新しい層の人たちだったから面白かった。テストとして良かったと思うし、エキサイティングだった。「プリマヴェーラ」はナイトライフという文脈で行われているイベントだから、僕たちのバンドもクラブに近い状況でライヴをやったし、DJの存在も重要だった。そういう新しい領域でライヴをやり、熱狂的な反響を得られたことは、僕たちやバンドのみんなにとっても新鮮な体験だったと思う。「ジャズ・カフェ」でのライヴは、「プリマヴェーラ」よりもずっと安心感があった。「ジャズ・カフェ」は昔からある会場だから。日本(の東京)で言うと…「ブルーノート」みたいなところかな。あと、もうひとつのところ……なんだっけ?
B:「ブルーノート」はむしろ「ロニー・スコッツ」(訳注:ロンドンにある老舗のジャズ/ブルースのライヴ・スポット)に近いと思うな。ジャズ・カフェは……あれとあれの間だよ。えーと……
GP:「ビルボード」?
B:いや、「ブルーノート」と昔の(東京・新宿にあった)「リキッド・ルーム」だ。
GP:ああ、そうかもしれないね。ロンドンでは会場のチケットが即時で完売する。そしてチケットを買う人たちは昔からファンだった人たち、つまり年齢層が少し高めなんだよ。だからライヴも少し違ったものになる。最近は自分の音楽をさまざまな文脈に置き換えて、さまざまな空間に当てはめていくということをしていかないといけない。今回のストラータというプロジェクトに関しては、ストラータを従来の文脈、すなわち人びとが聞いたことのある会場や想定できる観客から取り出して、真逆の文脈(「プリマヴェーラ」など)に当てはめたりすることに楽しみを感じている。ストラータはそういう表現方法にとても適しているんだ。
B:ストラータの来日という目的だけのために(かつて東京・西麻布にあったクラブの)「イエロー」を再開させないとだな。
通訳:それは最高ですね!
GP:本当に最高だね。「イエロー」だったら完璧だ!
素晴らしいレコード・コレクションがあることはひとつの資質だが、レコードを2、3枚選んで、「これを参考にしてほしい。でもこれと同じ音楽は作りたくない。新しい音楽を作りたいんだ」と私に伝えられるということは、また別の資質なんだよ。(ブルーイ)
僕が15か16歳のころ、いろいろなレコード会社に手紙を書いていたんだ。「自分はDJで、大勢の前で音楽をかけている」って嘘をついてね(笑)。そしたらアンディー・ソイカはプロモ用の12インチを僕に送ってくれたんだ。(ジャイルス)
■『ストラータスフィア』の制作に入るにあたり、次はこうしようとか何か話し合いましたか? 基本的にはファースト・アルバムの延長線上にあるもので、1970年代後半から1980年代前半のブリット・ファンクを下敷きにしたプロジェクトということに変化はないと思いますが。
B:ジャイルスのブリット・ファンクに関する知識と、私がそういう音楽を作ってきたという経歴は、この音楽を再び作るにあたり最高のコンビネーションだった。ファースト・アルバムで作ったのは1970年代後期の音楽だったんだが、『ストラータスフィア』は1980年代に踏み込んでいる。最初のトラックをいくつか作る前に、私はジャイルスに「80年代前半から中旬までの音楽を聴いてくれ」と言われた。ドラムマシーンやプログラミングを使い、そこにライヴの要素を加えるような音楽だよ。私は当時(80年代前半~半ば)その道を行かなかったから、今回はその旅路をすることができて興味深かった。当時は多くのバンドがその道に進んでいたけれど、私はそっちには行かないと決めていた。80年代の話だよ。私はインコグニートの活動でファンクをやっていて、その炎をまだ掲げていた。プログラミングとライヴの音をミックスする方向には行きたくなかった。ジャイルスは私にレコードを持ってきてくれた。自分の活動で忙しかった当時の私が体験しなかった時代の音楽を聴かせようとしてくれたんだ。私はジャズ・ファンクをやっていて、その流れから離れたくないと思い、80年代はレゲエの方向性に進み、マキシー・プリーストとアルバムを5枚作った。その後はアメリカに渡り、マーカス・ミラーと仕事をした。マーカスと一緒に音楽をやっていた時期は、クラブで80年代の音楽を聴いて踊ったりしていたよ。TR-808などの機材を使った80年代初期の音楽だ。ジャイルスはそういうレコードを私のために選んでくれた。私の家にレコードを持ってきてくれたんだが、ジャイルスが自宅に戻る前に、私はすでに新しいトラックをひとつ作っていたよ。ジャイルスも絶対気に入ってくれると思った。私たちのように音楽に対する認識が通じ合っていると、細かいことを話し合わなくても、完璧な曲が作れるんだ。ジャイルスにアイデアがあって、俺にアイデアがあったら、完璧にこなすことができるのさ。
GP:とても自然な流れでできたよ。ブルーイはご存じの通り、素晴らしいエンジニアで、素晴らしいミュージシャンだ。だから、非常にいい基盤があるし、スタジオでもリラックスして作業できる。僕がアイデアや考えを持ち込んでも、バンドがすぐに対応してくれるんだ。時間のプレッシャーもなく、数週間くらい時間をかけて、ブルーイは僕からの情報をゆっくりと消化して、音楽へと変換する。それを後で聴かせてくれて、僕が「イエス」とか「ノー」とか「素晴らしい!」とかコメントする。
B:私がジャイルスにミュージシャンを紹介するときもある。
GP:参加してもらいたいミュージシャンがロンドンに滞在中だと聞けば、その人たちをスタジオに呼ぼうという話になる。「エマ・ジーンにはこのトラックに参加してもらおう」とか「オマーも入れたらいいんじゃないか」とか「ピアノ演奏者のピート・ハインズにも再び参加してもらおう」など。ファースト・アルバムの要素を引き継ぐ形で今回のプロジェクトも進めた。とてもイージーで素敵なプロセスだったよ。僕とブルーイは昔からの仲だから、お互いのことも理解し合っている。僕の役割はA&R(訳注:レコード会社における職務のひとつ。アーティスト・アンド・レパートリーの略。アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する)に近い感じだったね。でもA&R以外のこともやった。A&Rとプロダクションの間を担当する役割の名前があるとしたら、そういう役職だったね。
B:プロダクションA&Rだよな。
GP:まあ、そうだよね。でもA&Rは何でも屋みたいなところもあるから……紅茶を入れるのが仕事のA&Rだっている(笑)。
B:A&Rのきめ細かさというのを私は昔から評価してきた。インコグニートの時代の当初、私はジャイルスにインタヴューされたことがある。そのときからジャイルスの音楽に対する理解というか認識は素晴らしいものだと思ったよ。ジャイルスは素敵なレコード・コレクションの持ち主だけど、同時に音楽を介して私たちとコミュニケーションが取れるんだ。素晴らしいレコード・コレクションがあることはひとつの資質だが、レコードを2、3枚選んで、「これを参考にしてほしい。でもこれと同じ音楽は作りたくない。新しい音楽を作りたいんだ」と私に伝えられるということは、また別の資質なんだよ。ジャイルスは音楽に対する理解や見解が明確なんだ。わかりやすく伝えることができる。普通だったら、「このレコードのベースラインを使えばいいのか?」とか、「このドラムを使いたいのか?」とか、「これと同じキーボードのサウンドを入れたいのか?」などと考えてしまいがちだ。でも私にはわかる。ジャイルスが言いたいのは、「このレコードの素晴らしい要素を取り入れたい。その素晴らしい要素が何かというのは自身で聴きとってほしい」ということなんだ。曲の全体的な要素やフィーリングを感じてほしいということなんだよ。
[[SplitPage]]80年代初期のレコードが再び人気を博している。ストリート・ソウルと言われる音楽をいまかけている若い世代の人たちがいるということなんだ。だからいま、リイシュー盤が出ているんだよ。(ジャイルス)
計画なんて全くなかった。ファーストでもなかったし、今回もなかった。これが私たちのコミュニティであり、私たちの世界なんだ。周りの環境なんだ。近所に住んでいる仲間もいるし、仕事仲間もいる。みんな私たちの知り合いであり、私たちの世界の人間なんだ。(ブルーイ)
■『ストラータスフィア』というタイトルは、ブリット・ファンクの代表的アーティストであるアトモスフィアからインスパイアされているのでしょうか? ストラータに参加するピーター・ハインズもアトモスフィアのメンバーでしたし、ブルーイも近い位置にいてライト・オブ・ザ・ワールドなどで活動していました。もちろんジャイルスにとっても、かつてアトモスフィアは大好きなバンドでしたし、ストラータとアトモスフィアはいろいろ関係が深いのかなと。
GP:そのとおりだよ。『ストラータスフィア』の綴り(STR4TASFEAR)はアトモスフィア(ATMOSFEAR)と同じで最後が「FEAR」となっているだろう? それがひとつのヒントだよ(笑)。
B:当時はライバル関係にあったバンドもいて、セントラル・ラインやハイ・テンションなどはインコグニートのライバルだった。だがアトモスフィアは違って、私たちにインスピレーションを与えてくれる存在だった。そのおかげで、アトモスフィアに対してはいまでも親愛なる感情を抱き続けている。
GP:ブリット・ファンクについて語るとき、忘れてはならないのは最近亡くなってしまったアンディー・ソイカだ。彼がDJとしての僕に初めてタダでレコードを送ってくれたんだ。僕が15か16歳のころ、いろいろなレコード会社に手紙を書いていたんだ。「自分はDJで、大勢の前で音楽をかけている」って嘘をついてね(笑)。そしたら(レーベルもやっていた)アンディーはプロモ用の12インチを僕に送ってくれたんだ。レヴェル42の “サンドストーム” とパワー・ラインの “ダブル・ジャーニー” という曲が入った両A面のシングルで、とても良いレコードだった。レーベルは〈エリート・レコーズ〉。僕にとっては嬉しくも、懐かしい思い出がある。それに、彼とはサッカーをやる機会もあったんだ。アンディーはミュージシャンたちが作るアマチュア・サッカー・リーグの審判を務めていたから、そのときに彼と初めて会った。僕は当時、自分のレーベル〈トーキン・ラウド〉のチームでサッカーをしていたんだ。とにかくアンディー・ソイカのレガシーは素晴らしいもので、彼はアトモスフィアのバンド・リーダーだっただけでなく、〈エリート・レコーズ〉を運営していたから、レヴェル42とレコード契約をして、彼らのファースト・アルバムのプロデューサーも担当していたと思う。それから、エキサイティングなストリート・ソウル系のレコードも数多く出していた。実はちょうど昨日、ストリート・ソウルのリイシュー盤が届いたところなんだ。ビヴァリー・スキートの7インチだよ。
B:彼女はインコグニートでもヴォーカルを務めてくれた。
GP:このような80年代初期のレコードが再び人気を博している。ストリート・ソウルと言われる音楽をいまかけている若い世代の人たちがいるということなんだ。だからいま、リイシュー盤が出ているんだよ。そういう形でアンディー・ソイカの輝かしいレガシーが受け継がれている。アトモスフィアは、フリーズと同様に普通という枠からはみ出ていたという印象があったね。アトモスフィアは比較的エレクトロニックで、実験的で、ダークで、それはそれで面白かった。その一方でフリーズはニュー・ウェイヴ色が強かった。アトモスフィアとフリーズは、従来のブリット・ファンクとは少し違う感じがあって、そういうところが僕には魅力だった。もちろん従来のブリット・ファンクも大好きだけどね。
B:アトモスフィアはピーター・ハインズがメンバーだったし、フリーズは私も結成に関わったバンドだよ。初期のメンバーだったんだ。そして今は、ピーターも私もストラータにいる。
GP:ハインズが一緒にステージで演奏してくれたら最高なんだけどな。彼はやってくれそうかい?
B:いや……
GP:スタジオでの演奏を好むほうか。
B:そうだな。ステージだと疲れるかもな。
■ブルーイを軸に、ピーター・ハインズ、マット・クーパー、スキ・オークンフル、フランセスコ・メンドリア、リチャード・ブル、フランシス・ハイルトンなど、ファースト・アルバムの面々がそのまま参加していますが、今回はゲスト・ミュージシャンが多くフィーチャーされている点が特徴です。まず、オマー、ロブ・ギャラガー、ヴァレリー・エティエンヌと、アシッド・ジャズ時代から長い付き合いの友人たちが参加していますが、彼らにはどのように声をかけたのですか?
GP:最初から計画されたものではなかったよ。
B:計画なんて全くなかった。ファーストでもなかったし、今回もなかった。これが私たちのコミュニティであり、私たちの世界なんだ。周りの環境なんだ。近所に住んでいる仲間もいるし、仕事仲間もいる。みんな私たちの知り合いであり、私たちの世界の人間なんだ。だからさまざまなミュージシャンが自然に思いつく。このプロジェクトの話をしているときだけでなく、日常生活でも彼らの名前が出てくるからね。たとえばクラブに遊びに行ったときや、フェンダー・ローズのプレゼンテーションを「ロニー・スコッツ」でやったときでも、私が例として名前を挙げたミュージシャンが実際に5、6人くらいクラウドのなかにいるとか……そんなことがしょっちゅうあって、彼らと現場で話したりする。それがロンドンの素晴らしいところなんだ。このレコードは、さまざまなミュージシャンたちのハブであるロンドンで作られたものなんだ。ロンドンはいまでも才能ある人たちが世界各地から集まる坩堝なんだよ。シオ・クローカーが今回のアルバムに参加することになったのは、シオがロンドンでギグをやったときに観に行ったことがきっかけだった。ジャイルスにそのライヴに誘われるまで、そんな会場がロンドンにあることさえ知らなかったよ。あのころはコロナの真っ最中だったけど、私たちはライヴに行ってパーティーを楽しんだのさ。
GP:今回はアヌーシュカも参加していて、彼らは当時のフリーズを彷彿とさせるから面白い。僕は彼らのアルバムを〈ブラウンズウッド〉からリリースしたことがあるし、彼らの最近のアルバムは〈トゥルー・ソウツ〉から出ている。そのアルバムにお気に入りの曲があって、僕はその曲をラジオでかけていたから、曲のリミックスをしてくれないかとアヌーシュカに頼まれたんだ。そこでブルーイと僕でリミックスを作った。良いリミックスができたから、ストラータのアルバム用のヴァージョンをもうひとつ作ろうということになった。そこでアヌーシュカの曲のストラータによるリミックスではなく、ストラータがアヌーシュカをフィーチャリングする曲を作ったんだ。違うヴァージョンなんだけど、アヌーシュカの曲を使っている。それも自然な流れで思いついたことだけど、今回のアルバムに入れたらいいと思った。アヌーシュカはブライトンを拠点にしているミュージシャンなんだけど、とてもクールで、感じのいい人たちなんだ。
ヴァレリー・エティエンヌが参加してくれたのも素敵だった。彼女はブルーイのシトラス・サンというユニットでヴォーカルを務めていたし、いまではジャミロクワイのシンガーのひとりとして活躍しているなど、素晴らしいキャリアの持ち主だ。彼女も……
B:すぐそこに住んでるんだよ。
GP:そうなんだ、ご近所さんなんだよ。そして、ロブ・ギャラガーと結婚している。ロブはストラータのアルバムのアートワークもやっているんだ。“ファインド・ユア・ヘヴンズ” という曲では、彼は歌詞も担当している。非常に素晴らしい詩人であり作詞家だからね。ロブは作詞家としても幅広く活躍していて、エヂ・モッタなどにも歌詞を提供している。
B:スキ・オークンフルにも歌詞を提供していたよ。
GP:そうだったね。それからエマ・ジーンが参加してくれたことも良かった。彼女はアーティストとしても特異な存在だからね。彼女がどのように貢献してくれるのかわからなかったけど、僕たちが用意した音源にヴォーカルだけでなく、トランペットなどを加えたりして素晴らしい曲を作り上げてくれた。
B:私たちの音楽に花とキャンドルと紅茶を加えてくれたのさ(笑)。
GP:とても素敵だったよね。オマーの参加も良かった。周りの人は「オマーには何を歌ってもらうんだい?」と聞いてきたけど、オマーにはヴォーカルじゃなくて、シンセを弾いてもらいたかった。
通訳:ちょうど次の質問がオマーについてです。
■“ホワイ・マスト・ユー・フライ” でのオマーはてっきりリード・ヴォーカルをとると思ったのですが、そうではなくシンセサイザーを演奏していて驚きました。どうしてこの起用になったのですか?
B:この曲を作っているときに、何か要素を加えたいと思っていて、私たちで「ファン・ファン・ファーン♪」みたいな変な音を口から出していたんだ(笑)。それでお互いを見て、「なんでこんなことやってるんだ!? オマーにやってもらおう!」と言って、変な音を出すことが得意な彼に連絡を取ったんだ。
GP:オマーの全体的な音楽性は賞賛に値するし、〈トーキン・ラウド〉からリリースした作品も最高だ。その後はアメリカのシーンでも活躍して、エリカ・バドゥやコモンなどと共演したりして、素晴らしいキャリアを築いている。アメリカでも大人気だ。スティーヴィー・ワンダーとも共演したよね。しかもオマーはものすごく優れたプロデューサーでもあるんだ。
B:ミュージシャンとしても卓越している。腕の良いミュージシャンという枠を超えている。私が知っているなかで最も才能のあるミュージシャンのひとりだと思っているくらいだ。作曲も譜面に起こしてできるし、ストリングス向けの作曲もできるし、ブラスのアレンジもできる。彼のアレンジ能力はまるでチャールス・ステップニーのようなんだ。彼は真の逸材だよ。
GP:いまはイギリスのテレビ番組にも出演しているよ。「イースト・エンダーズ」という有名なテレビ番組に出ているんだ。
通訳:それは知りませんでした!
GP:イギリスでいちばん有名なソープ・オペラだよ。僕はまだ観ていないんだけど、出ているらしい。ブルーイは見たかい?
B:ああ、知ってるよ。オマーが殺されたかどうかまでは知らないが。ソープ・オペラは酷い結末じゃないと意味がないからな(笑)。
■一方で “トゥ・ビー・アズ・ワン” ではあなたがヴォーカルを披露していますね。これも意外でしたが、どんなアイデアから歌おうと思ったのですか?
GP:僕は強制的に歌わされたんだ(笑)。
B:バック・ヴォーカルに、「作業中の男」の荒っぽい声を入れたくてね(笑)。
GP:とても楽しい経験だったよ。歌が下手な人でも、まあまあ上手いように聴こえさせることのできるとても良いツールがエンジニアのためにあるなんて、いままで知らなかったよ! だから僕の声も悪くなかった。でもライヴではできない。絶対に失敗する(笑)! でもレコードを聴くと、自分の声だと認識できるよ。
通訳:私もあなたの声だとわかりましたよ!
GP:そうかい、なら良かった。エンジニアの人たちはいい仕事をしてくれたよ。あれが最初で最後の機会だね。いや、じつは以前にも一度ある。これはジャーナリストの人がディグったら面白がるかもしれない。僕の別名のひとつにアンジェロ・へクティックというのがあるんだが、その名義で “フォー・オール・ザ・ガールズ・アイヴ・ラヴド” という名の曲を7インチで出している。(ロブ・ギャラガーが運営する)〈レッド・エジプシャン・レコーズ〉からのリリースとして入手可能だよ。最近ではかなり値が上がってるみたいだけどね(笑)。
通訳:それは貴重な情報ですね。ありがとうございます!
■オマーらヴェテランの一方で、エマ・ジーン・サックレイ、シオ・クローカー、アヌーシュカといった若いアーティストも参加しています。特にエマとシオはジャズの新しい世代を牽引するアーティストとして注目を集めているのですが、彼らをゲストに迎えた意図はどんなものですか?
GP:僕はシオのことをけっこう前から知っていて、僕が日本に行くときは上海にも寄って、上海でDJをやっていたことがあったんだけど、そのときに彼と会ったんだ。シオは上海に何年か住んでいたんだよ。不思議な出会いだった。彼は僕がDJしているクラブに来て、一緒にジャムしていたんだ。毎回とても楽しいセッションだったよ。その後、 彼はディー・ディー・ブリッジウォーターと仕事をすることになって、彼女は彼のメンターになった。しかも彼の曾祖父はめちゃくちゃ有名なジャズ・トランペット演奏者なんだよ。名前が……なんだっけなあ。ルイ・アームストロングとかそれクラスの人だよ。そうだ、ドック・チーサムだ! だからシオはすごい血統から来ている。スタジオでの彼を見ても一目瞭然だよ。ワンテイクで済ませたからね。
B:しかも頭も相当キレる。ロサンゼルスのライヴでは、その場でラップもしはじめて……シオというアーティストにはものすごい尊敬の念を抱いているんだ。
GP:シオはJ・コールなどの大御所ラッパーたちとも一緒に仕事をしているよね。エマ・ジーン・サックレイも興味深い人物だ。彼女はこないだ日本でライヴをしていたよね。彼女のアルバムを買おうと、日本人のお客さんが長い列を成している画像を見た。あんな光景は初めてだよ! 彼女は唯一無二の存在で、彼女のようなアーティストはほかにいない。ジャズ・シーンに属してもいない。属してはいるんだけど、属してもいない。独自の道を歩んで、自分でなんでもやってしまう。仕事としてクラシックの室内管弦楽団のストリングスの演奏も引き受けられるし、クラシックの作曲もできる。ポップ・ソングを作ることもできるし、本当にさまざまな領域で才能を発揮できる人だ。それが彼女をとても刺激的なアーティストにしていると思う。
B:自由奔放という印象があるね。それに彼女のキャラクターも大好きなんだ。ずっと一緒にいたいと思うような人なんだよ。ジャズ・アワードに出席したときも、彼女の隣に座ってずっとおしゃべりしたいと思った。
偉大なジャズ・ミュージシャンはルールに従わなかった奴らばかりだ。ファラオ・サンダースが登場したときも、彼はルールに従わなかった。他のミュージシャンが出しているサウンドと同じようなサウンドを出したくなかったんだよ。(ブルーイ)
“ファインド・ユア・ヘヴンズ” はディスコ・ブギー調の曲で、ストラータとしては、多少は新しい領域だと思われるかもしれない。でもそのシーンも当時は人気で、ディスコ・ブギーとブリット・ファンクは密接に関連していたんだ。(ジャイルス)
■アヌーシュカをフィーチャーした “(ブリング・オン・ザ)バッド・ウェザー” やエマ・ジーン・サックレイをフィーチャーした “レイジー・デイズ” など、今回のアルバムはヴォーカル面にも重点を置いたメロディアスな楽曲が目立ちます。ある意味でインコグニートにも通じる楽曲だと思いますが、ファーストからセカンドに向かう中で歌について何か意識した点はありますか?
B:俺はまさにそういう理由(インコグニート風になってしまう懸念)から、ヴォーカル面に関してはプロデューサーとして一切関与していないんだよ。ヴォーカルに関しては、ヴォーカルを担当した人自身にプロデュースを任せたんだ。そのほうが、私がプロデューサーやアレンジャーとして、自分のアイデアやヴォーカルやメロディや歌詞の方向性を持ち込んで作り上げるヴォーカルよりも、彼ら自身のヴォーカルが作れると思ったから。彼ら自身にメロディを作曲して歌を歌ってもらい、彼らの考えやサウンドを表現してもらうようにした。だから今回のレコードは特別なものに仕上がっていると思う。
GP:たとえば “ファインド・ユア・ヘヴンズ” はディスコ・ブギー調の曲で、ストラータとしては、多少は新しい領域だと思われるかもしれない。でもそのシーンも当時は人気で、ディスコ・ブギーとブリット・ファンクは密接に関連していたんだ。シェリル・リンなどのレコードは当時のDJがよくかけていたからね。
B:この曲を初めて聴いたときには少し戸惑ったよ。ロブとヴァレリーがまとめていたものだった。ロブが作曲してヴァレリーが歌っていたからね。ジャイルスとスタジオに入るとき、じつは私にはすでに自分でイメージしていたヴォーカルの方向性やメロディの方向性があった。だが、そういう案は彼らに送ったり聴かせたりしないで、彼らのやりたいようにやらせることにした。だから彼らのヴァージョンを聴いたときには、想定外のものができていて、少し驚いた。でも曲を聴いていたら、曲の終盤には「これは特別な作品ができたな」と確信に変わっていたよ。
GP:エマ・ジーンの “レイジー・デイズ” に関しては、デモがすごくエキサイティングで僕は大好きだった。あれはマット・クーパーが主に作曲したものなんだよ。
B:ああ、彼がバック・ヴォーカルの大部分を作曲した。
GP:とても良いデモができたから、これをエマ・ジーンに渡そうということになった。そして彼女がさらに曲を展開して全く違う、素晴らしい曲に仕上げてくれた。あの曲は面白いフェイズを経て完成したよね。
B:そうだったな。
■“ヴァージル” はヴォーカル・ヴァージョンとありますが、これはもともとインストのヴァージョンがあったのですか? なお、この曲に見られるようにホーン・セクションの人数が増えて、ファーストよりさらに分厚く、ゴージャスなサウンドになった印象があります。
GP:そうかもしれない、インストのヴァージョンがあるなあ! それは近日リリース予定。まだはっきりとは言えないけど、ボーナス・トラックとしてあるんだよ(笑)。
■今後もサード・アルバムなど継続的にストラータは活動していくのでしょうか? 今後の展望や計画などを教えてください。
B:じつを言うと、私はジャイルスとスタジオに行くのが恐ろしいんだ。スタジオに行ったらサード・アルバムの制作がはじまってしまうからな(笑)。
GP:僕はジャパニーズ・ヴァージョンのアルバムを作りたいな!
B:もし私にロサンゼルスで2、3曲作らせてくれるならやってもいいぜ。ロサンゼルスで一緒に仕事をしたいミュージシャンを何人か見つけたんだ。
GP:それはまた別のプロジェクトだよ。
B:本当にすごいミュージシャンたちなんだ。君も絶対に惚れ込む。シオと一緒に演奏しているミュージシャンたちだよ。
GP:それもやろうじゃないか。でも、ジャパニーズ・アルバムも作るべきだよ。
B:ジャパニーズ・アルバムか、よし。
GP:僕は絶対にジャパニーズ・アルバムを作りたい。
通訳:それは素晴らしい企画ですね。日本のファンは大喜びしますよ!
GP:日本にはレジェンドがまだ何人か健在だからね。若手もいるし。
B:でもジャイルスは焼酎を飲みすぎるから、そこだけ気をつけてもらわないと(笑)。
GP:お行儀良くしますよ(笑)。
通訳:その企画が実現したら最高ですね! 今日はおふたりともお時間をありがとうございました。
B:年末にインコグニートで来日するから、そのときに会えるのを楽しみにしているよ。
通訳:そうなんですね。では日本でお待ちしています。ありがとうございました!
これまで〈Mexican Summer〉などからリリースを重ねてきたニューヨークのプロデューサー、フォテー。9歳の若さでエイフェックス・ツインの音楽と出会いながら、その後ギニアへの旅を経てアフリカン・パーカッションとフィールド・レコーディングに目覚めたという、興味深い経歴を持つプロデューサーだが、その彼がLAのキーパーソン、カルロス・ニーニョをフィーチャーした2作、『An Offering』と『More Offering』が特別仕様のCDとしてリリースされることになった。環境音に電子音、サックスやハープなどが交錯する美しいサウンドスケープに注目したい。
Photay with Carlos Niño
『An Offering & More Offering Special Edition』
2022.12.14(水) 2CD Release
天才ビートメイカーとも評されるフォテーと、現代スピリチュアル伝道師カルロス・ニーニョによる共演作『An Offering』と『More Offering』が、2枚組のスペシャル・エディションとしてCDリリース!! 水に反射する様々な色彩や風景から、レイヤーや奥行きを感じさせる視覚的な体験をサウンドスケープとして聴かせる。豪華ミュージシャンも多数参加した、強力なコラボレーション作品の完成!!
西アフリカのギニアへの旅を経て、サンプリングとフィールド・レコーディングの可能性を拡げる実験へと乗り出した早熟のプロデューサー、フォテーが、カルロス・ニーニョやミカエラ・デイヴィスらを招いて作ったサウンドスケープを、どう表現してよいかまだ言葉が見つからないでいる。だが、そのことがとても心地よく思えるほど、何度でも繰り返して流しておきたい音楽がここにある。(原 雅明 ringsプロデューサー)
参加ミュージシャン:Photay - Synth、Mikaela Davis - Harp、Randal Fisher - Tenor Saxophone、Mia Doi Todd - Voice、Carlos Niño - Percussion、Natt Ranson - Trombone、Aaron Shaw - Tenor Saxophone、Diego Gaeta - Keyboards、Nate Mercereau - Guitar Synth、Iasos - Voice
【リリース情報】
アーティスト名:Photay with Carlos Nino(フォテー・ウィズ・カルロス・ニーニョ)
アルバム名:An Offering & More Offering Special Edition(アン・オフアーリング・アンド・モア・オフアーリング・スペシャル・エディション)
リリース日:2022年12月14日(水)
フォーマット:2CD(一部店舗にて、Tシャツ付き限定バンドルあり)
レーベル:rings / International Anthem
解説:原 雅明
品番:RINC97
価格:3,000円+税
【トラックリスト】
《 An Offering 》
1. PRELUDE
2. CURRENT
3. CHANGE
4. EXIST
5. PUPIL
6. MOSAIC
7. HONOR
8. ORBIT
9. EXISTENCE (feat.Iasos)
《 More Offering 》
1. ECHOLOCATION (featuring Randal Fisher)
2. PUPIL (Photay's Tributary Mix)
3. EXISTENCE (Photay's Infinite Mix)
4. EXISTENCE (Photay's Infinite Mix)(Club Diego Version)
5. FLOATING TRIO PART 3 (Photay Carlos Niño and Randal Fisher)
6. QUARTET IMPROVISATION 053021 (Carlos Niño & Friends)
7. FEELING NOW
8. NOW FEELING
9. PHASES (Solstice Mix)
販売リンク:https://photay.lnk.to/Ob68Z6Kx
オフィシャルURL:https://bit.ly/3WD9KSx
「あ、畜生、夢かよ。」
アンビエント・デュオ、Salamandaのレギュラー・アルバム第三作目となる『ashbalkum』。この得体不明なタイトルはいわゆる「夢オチ」展開を指すネット・ミームを発音ごと英字化したものだ。いや、なんで? 確かにリード・シングルでオープナー “Overdose” のビートはだんだん深海のように変わっていく周りの響きと合って、まるで階段を降りていく脚の動きのように聞こえて、夢に入り込むイメージがきちんと浮かぶ。けど、ただ夢うつつに落ちる(もしくは起きる)のでなく、なぜ「畜生」な状態なのか? 正直いまでもこのアルバムを、いや、彼女らの音楽を前にするたび、ますますわからなくなるばかりだ。
SalamandaのメンバーであるUman Therma (a.k.a. Sala)とYetsuby (a.k.a. Manda)のDJふたり組は、10年代末からソウルのアンダーグラウンドなクラブやイベントで活発にDJingをしている。そしてプロデューサーとしても個人・チーム両方にかけて持続的に良質な作業の結果を出すことで、ローカルのアングラ界隈だけでなく、世界のレフトフィールド・ファンからも注目を集めている。個人名義の活動はより電子的なダンス・ミュージックに近い様子だ。彼女らの運営する小規模のダンス・レーベル・プロジェクト〈Computer Music Club〉のコンピレーション・シリーズを見ると、Umanは打撃強めで波形の尖ったテクノ曲を中心に提出する。クラシックを専攻して電子音楽に移ったと言われるYetsubyも同じく〈CMC〉と唯一のソロ・アルバム『Heptaprism』(2019)などでサンプルとグリッチの複雑な絡み合いを得意に見せる。
このようにダンスフロア・ミュージックを中心に奏でる彼女らがチームSalamandaとして見せる音楽は、ミニマル/アンビエント色がさらに濃くなる。この激変(?)に関してふたりは即興演奏(improvisation)への興味などで意気を統合し、生活のなかの騒音を活かしたミニマル音楽のマスターピースを作りたいという目標を共有すると明かす。ガチャガチャとする土俗的なリズムの運用がさらに強調されてなおチームの色として成り立つと私は感じている。が、ダンサブルな感覚を捨てるわけではない。本作の場合、“Rumble Bumble”でアフロなビートの逆再生と見られるレコードは、まるでヒップホップのようにも聞こえる。“Coconut Warrior”の規則的なリズム、“Hard Luck Story”の分厚いベースはまさにバンガーと言っても良いくらいだ。
今作を前作群から区分づけられるところは、アルバム全曲にかけて「声」を利用することである。全曲にかけて、だ。エレクトロニック楽曲でヴォイス・サンプルを使うことはごく自然なことだが、作法そのものをコンセプト化するのは確かに興味深い。その特徴が最も突出するところは“Mad Cat Party”で猫—Ringo the Cat—の鳴き声を用いる様子だろう。このリンゴ・ザ・キャット公の声に魅入っていると、いつのまにか遠景からはファンファーレを知らせるシンセ音が通り過ぎていく。
『Pitchfork』誌のフィリップ・シャーバーンが記したように、“Coconut Warrior”と“Catching Tails”の赤子じみた声のサンプルはボーズ・オブ・カナダを連想させるし(BoCもサンプルデリア的ヒップホップとみなせることを踏まえるとさらに興味深い)、同題材をシェアする“Melting Hazard”と“Living Hazard”がパーカッションを排除して、それぞれブライアン・イーノ的、エイフェックス・ツイン的なアンビエント質感のなか、オルガンや声で宗教的な残響を奏でる意味深なシーケンス、そしてフィールド・レコーディングからはじめて声をグリッチのようにばら撒く“Kiddo Caterpillar”と実際にグリッチを使って声みたいに演出する“Stem”の対比的反復など、これまた何かしらコンセプチュアルだ。
これら全てを「夢みたい」と一言で片付けるのは簡単だ。私も早くそうさせたいし、実際そうするつもりだ。そして未来から聞こえてくる読者の声、「おい、こん畜生、まーた夢オチかよ!」
夢オチがミームな理由は、物語内で論理的に完結しないままこれまで積んできた物語の展開を無効化する虚しさによるもので、何より夢オチはもう陳腐になってしまい、そこから意義を見出しづらいからだ。
アルバムというメディアから人びとはだんだん何らかの統一性・凝集性を求めるようになった──私もそのひとりだ──が、一次的に意味を発さない音を紡いでナラティヴを貫通させるのは決して簡単な作業ではないだろう。特に言語を載せなかったりそれが主ではないジャンルに関してはなおさらだ。『Tonplein』誌のチョ・ジファン(조지환)はSalamandaの『Our Lair』(2019)の評にて「反復中の変形を方法論として多彩な印象を時々刻々と新しく塗り加えていく」と描写し、「勤勉に動くアルバム」だと評した。本作においても、言える言葉はあまり変わらないだろう。そう、変わらないのだ。
だからこそ私はここでコンセプトに注目する。本作は声をサンプリングする作法を軸に、はっきりと約束された意味が通用しない音の動きを一作品として凝集し、かつ前作たちと差別化を図る。「あまり変わらない」音を使って、だ。陳腐性を逆利用するそのアイデアに感嘆し、また本作を流してみる。畜生、わかった気でいたのに、夢かよ。
インディ・シーンはロンドンだけのものではないぞ。6月にEP「SAKANA e.p.」をリリースし、今年はフジロックフェスティバルの”ROOKIE A GO-GO”ステージへの出演はじめ各所夏フェスへも出演し、その存在感を徐々に増して来た目下注目のインディ・バンド、downt。
来年2023年からは、新たに自主企画「Waste The Moments」をスタートさせる。 第一回目は、1/15(日)下北沢SHELTERにて、ゲストアクトに"明日の叙景"を迎えて、ツーマンにて開催。ヤングな君たちは集まれ!
downt presents “Waste The Moments”
2023.01.15.sun OPEN / START:OPEN 18:30 / START 19:00
会場:下北沢SHELTER
出演:downt、明日の叙景
Ticket: avd¥2,500 door¥3,000 *without 1drink Ticket
Info:LivePocket https://t.livepocket.jp/e/9nwgn
Total Info:下北沢SHELTER
TEL 03-3466-7430 https://www.loft-prj.co.jp/SHELTER/
【downt profile】
2021年結成。富樫(Gt&Vo)、河合崇晶(Ba)、ロバート(Dr)の3人編成。東京をベースに活動。 同年10月に1st「downt」をungulatesからリリース(CD&CT共に完売)。 6月22日に新作EP「SAKANA e.p.」をリリース、そして7月21日より東・名・阪のリリースツアーも決定。7月22日には1st ALBUMと新作EPの編集盤レコード「Anthology」もUK/EUのレーベルDog Knights!よりリリース。 この夏は、FUJI ROCK FESTIVAL ’22 ”ROOKIE A GO-GO”のステージをはじめ各地の野外フェスへも出演。 緊迫感のある繊細且つ大胆な演奏に、秀逸なメロディセンスと情緒的な言葉で綴られ、優しく爽やかな風のようで時に鋭く熱を帯びた歌声にて表現される世界観は、風通しよくジャンルの境界線を越えて拡がりはじめている。 来年2023年1月より自主企画「Waste The Momonts」をスタートさせる。第一回目は1/15(日)下北沢SHELTERにて、明日の叙景を迎えて2マンにて行う。
downt official:
https://twitter.com/downtband https://www.instagram.com/downt_japan/
これほど歌詞を知りたくなるバンドはそうそういない。絶賛ばかりの英語圏のレヴューを読めば読むほど、いったいどんなことを歌っているのか気になってくる。そのダンサブルなパンク・サウンドだけでも十分ひとを惹きつけるスペシャル・インタレストの新作『Endure(耐える/存続する)』は、大変なことがつぎつぎと起こる2022年にこそふさわしい、きわめて時代的なアルバムになった。
彼らの音楽はひと言でいえば、パンクの鋭利さをディスコやハウスの歓喜へと接続するものだ。両者を結びつけるスペシャル・インタレストのセルフ・プロデュース能力は、この3枚めのアルバムにおいてかつてない高みに達している。
冒頭の “Cherry Blue Intention” とつづくシングル曲 “(Herman's) House” の昂揚はそうとうなもので、とりわけアリ・ログアウトのヴォーカリゼーションは素晴らしく、(おもにノイズを担当するギターにかわって)メロディアスにグルーヴを紡ぎだすベースは、それぞれの曲で決定的な役目を果たしている。
パンクとエレクトロニックなダンス・ミュージックの結合それ自体は新しいものではない。ポスト・パンクの時代からあった発想だし、LCDサウンドシステムが注目を集めた、00年代前半に起こったリヴァイヴァルを思い出すひともいるかもしれない。『Loud and Quiet』が指摘しているように、スペシャル・インタレストの特別さは──パンクやハウスが既存の支配的な価値観に対抗的だったように──ストレートに、今日の世のなかに対してメッセージを発しているところにある。
クィアネスは彼らの音楽の要素のひとつだ。けれども彼らはそれを表看板として掲げることはない。多様性の称揚が企業にとって都合のいいものであること、アイデンティティ・ポリティクスが資本主義を補完するものであるかもしれないことに、彼らは気づいている。『Endure』とは、このきつい時代をなんとか生き延びようということであって、言いたいことを我慢することでなないのだ。彼らは、冷静なまなざしで、現代社会が抱えるさまざまな問題に容赦なく切りこんでいく。
うまく歌詞が聞きとれているわけではないので間違っているかもしれないが、ぼくがリサーチしたかぎりにおいては、たとえばパンク・チューンの “Foul” は低賃金労働者の惨状を歌っていたり、“Kurdish Radio” はアメリカと中東の非対称な関係を浮き彫りにしたりしているようだ。上述の “(Herman's) House” は冤罪で40年以上も収監されていたブラック・パンサー党員についてのものだし、BLM蜂起の直後に書かれたという “Concerning Peace” では、おなじく元ブラック・パンサーのストークリー・カーマイケルや思想家のフランツ・ファノンが参照されたり、殺される人間よりも割れた窓ガラスを気にする良識派が揶揄されたりしているらしい。
ともすれば重くなってしまいがちなメッセージを搭載しつつ、しかしスペシャル・インタレストは誰の耳にも親しみやすいサウンドとして飛翔する。彼らの音楽は、ポップ・ミュージックとしての吸引力も持っている。朝の6時にクラブを出ても孤独を感じている女性に捧げた、ラッパーのミッキー・ブランコをフィーチャーした曲 “Midnight Legend” は、クラブ・カルチャーの痛々しいリアルな場面への愛の籠もったオマージュである。
闇雲に怒り狂うのでもなく、ペシミスティックにふさぎこむのでもなく、喜びに満ちた時間を演出する──無実の罪で放りこまれたハーマン・ウォレスが獄中にあっても活動をつづけたように、スペシャル・インタレストもまた前向きに、現代社会の「外部」を探求しているのではないか。別の世界を想像することはまだ十分可能なのだと、そして──パンクやいくつかのダンス・ミュージックがそうであるように──ポップ・ミュージックのなかにもラディカルな可能性が潜んでいるのだと、そう彼らは素朴に、心から信じているのだろう。
状況が困難であればあるほど、絶望するのはたやすい。スペシャル・インタレストがやっているのはその絶望を踏まえたうえで明日を生きる活力を醸造し、ぼくたちがついつい忘れがちになってしまう「前向きになること」を思い出させてくれる。
Low(ロウ)のドラマー兼ヴォーカリストであるミミ・パーカーが55歳で亡くなったことを昨日の6日、海外のメディアが報じている。2020年より患った子宮癌が悪化しという。
1994年にデビューしたLowは、最初はスローコアと括られ、数少ない熱心なファンに支えられながら、しかし90年代を通じて、アメリカにおけるもっとも重要なオルタナティヴなロック・バンドへと発展した(最初の3枚はじつに素晴らしい)。途中から〈Kranky〉を拠点として、素晴らしい作品を何枚も発表している。とくに近年の『Double Negative』と最新作『Hey What』は傑出していた。
ミネソタ州ベミジー郊外の小学校で出会い、高校時代から交際していたという、パートナーでありバンドメイトのアラン・スパーホークは次のようにコメントしている。「友よ、宇宙を言語化し、短いメッセージにするのは難しいけれど、彼女は昨夜、あなたを含む家族と愛に囲まれて亡くなりました。彼女の名前を身近に、そして神聖に感じてください。この瞬間をあなたを必要とする誰かと分かち合ってください。愛はたしかに、もっとも大切なものです」
「1億年前、ルイジアナ州の中心部からやや南に空から大きな岩が落ちてきた。そう、その時はまだルイジアナとは呼ばれてないけどね。岩が落ちた衝撃で大きなくぼみができ、少しずつそのくぼみは埋まっていったものの、くぼみは依然としてくぼみのままだった。そこに水が溜まり、クーチー・ブレイクと呼ばれる沼になったんだ。この沼は海とは繋がっていなかった。このことに意味があった。その沼はペルシャ湾から200マイル離れていて、そこにいれば世界情勢には無縁でいられた。ローカルというのは常にそういうものだけど。沼では起きるはずのない不思議なことがよく起きていた。何人かの若者がクーチー・ブレイクでキャンプをしていて、彼らはそこにはあるはずがない花崗岩の大きな塊を見つけて登ってみた。彼らは洞窟を発見し、キクの花の陰に運命が潜んでいると考えた。大事なことは彼らがそこにじっと座り続け、クーチー・ブレイクの声に耳を傾けたことだった。彼らは成長してザ・レジデンツになった。彼らの音楽は記憶だけでできている。クーチー・ブレイクを覆う怪しい霧と不気味な形、そして意表をつく音の記憶で」
(Sonidos De La Noche『Coochie Brake』より)
ザ・レジデンツがソニドス・デ・ラ・ノーチェ(=夜のサウンド)名義で11年にリリースした『Coochie Brake』はバンドの成り立ちを題材にしたもので、これが契機となってザ・レジデンツの構成メンバーや彼らがルイジアナ出身であることが明らかになっていく。ヴォーカルのランディ・ローズが親の介護でバンドを離れていたため、曲はチャールズ・ボバックとボブが3ピース・バンドの振りをして録音。ギターとキーボード、そしてドラムだけの演奏にもかかわらず(1人2役のふざけたクレジットが笑える)、プレス・プラドーを思わせるマンボやエキゾチック・サウンドのダークサイドを掘り当てたサウンドがこれでもかと繰り広げられた。電子音がほとんど鳴らないのに、しっかりとザ・レジデンツ・サウンドに聞こえるのは不思議だったけれど、翌年からボバックはドローンをメインにソロ活動を活発化させ、ボブことノーラン・クックもデス・メタルのバンドに時間を割くようになる。チャールズ・ボバックことハーディ・ウィンフレッド・フォックス・ジュニアはそして、「医者がさっき薬物を投与した(笑)」とSNSに投稿して脳腫瘍であることを明かし、翌18年に他界。現在はボブとランディ・ローズの2人でザ・レジデンツを名乗り、『Leftovers Again?!』や『A Nickle If Your Dick’s This Big 1971ー1972』など主に未発表音源のアーカイヴをカタログに付け加えている。
ランディ・ローズが復帰し、ボバックが亡くなるまでの間に3人は自分たちの辿った軌跡を題材にした3本の大掛かりなツアーを行った。『ザ・ランディ、チャック&ボブ3部作(the Randy, Chuck & Bob Trilogy)』と名付けられたこれらのツアーは幽霊と死をテーマにした「Talking Light」(2010ー2011)、愛と性をテーマにした「The Wonder of Weird」(2013)、生と再生と輪廻と臨死体験をテーマにした「Shadowland」(2014ー2016)で、ボバックは体力が続かずに「Shadowland」ツアー中にグループを脱退。『So Long Sam 1945-2006(さよならアメリカ 1945-2006)』は「Talking Light)」ツアー中にキャバレー・ショーという体裁でバークレー美術館で行った「Sam’s Enchanted Evening(アメリカの魅惑的夕べ)」のライヴを記録したもので、2010年に4曲入りシングルとして限定配信されていたものの完全版。コンセプトはアメリカでヒットしたメジャー曲のカヴァー集となり、CD1はヴァイオリン2台とキーボードにアコーディオン、そして、ヴォーカルとパーカションという室内楽編成、CD2はそのリハーサル・デモ(=つまりスタジオ・テイク)を収録。『Meet The Residents』や前述の『Coochie Brake』と同じく基本的にはエレクトロニクスを重用しないザ・レジデンツのアコースティック・サイドである。
ステージの雰囲気はランディ・ローズに負うところが大きく、とにかく情熱的。畳み掛けられるダミ声のシャウトは80年代にパルコで観たライヴのそのままが蘇る。フィールド録音のフィリップ・パーキンスを正式メンバーに加えて録音された『The American Composer's Series』やエルヴィス・プレスリーを題材にした『The King & Eye』といったコンセプト・アルバムの類いとは異なり、好きな曲を気ままに取り上げたカヴァー大会の様相を呈し、MCも全部拾っているためにアット・ホーム感に満ちている。オーディエンスの反応もとても暖かい。“September Song”や“Mack the Knife”など演劇的な要素のあるミュージシャンならば気合が入るのも当然なクルト・ヴァイルの曲はやはり真骨頂。対照的に『ティファニーで朝食を』の主題歌“Moon River”やボビー・ジェントリー“Ode To Billie Joe”といった映画にちなんだ曲も説得力がある。ルイジアナ州の雰囲気が濃厚に漂うとされる“Ode To Billie Joe”はBサイドに回された曲ながらビルボード1位になった自殺の歌で、10年後に映画化されるまでビリー・ジョー・マッカリスターが自殺する前日に河に何を投げたのかという議論が絶えなかった曲でもある。ザ・レジデンツの音楽的ルーツのひとつなのだろう。
全体に60年代に対するノスタルジーが強く、ブライアン・イーノやブロンディーもカヴァーしたジョニー・キャッシュ“Ring of Fire”やドアーズからジーザス&メリー・チェインなどのカヴァーで知られるロック・クラシックのボー・ディドリー“Who Do You Love?”といった王道が手堅く取り上げられる。バート・バカラック作は2曲あり、ジーン・ピットニー“True Love Never Runs Smooth”とディオンヌ・ワーウィック“Walk On By”はどれも原曲に恐怖を吹き込み、不安を煽るアレンジが実にザ・レジデンツらしい。これらを聴いているとシクスティーズの能天気さにヨーロッパ流の悲壮感を植えつけていくというのがザ・レジデンツの基本的なアイディアをなしているということがよくわかる。意表を突かれたのはミシェル・ルグラン“The Windmills of Your Mind(風のささやき)”で、これも原曲のセンチメンタルなテイストは取り払われ、不安しかないザ・レジデンツ仕上げ。『池袋ウエストゲートパーク』の着メロでおなじみステッペン・ウルフ“Born to Be Wild”を室内楽にアレンジしたものはペンギン・カフェを思わせるところがあり、ロックからアンビエントへ移行したイーノのミッシング・リンクを聴いているかのよう(イーノが『Commercial Album』に参加していたことも最近になって明かされた)。77年にはライヴで演奏され、『Dot.Com』などにも収録されているローリング・ストーンズ“Paint It Black”も圧巻。これはもうかなり年季が入っていることが窺えて言うことなし。
ライヴ本編の締めくくりはやはり69年のクィックシルヴァー・メッセンジャーズ“Happy Trails”で、60年代にとらわれているわけではないと言いたいのか(タイトルも『1945-2006』だし)、中盤では郷ひろみ“Goldfinger'99”の元曲であるリッキー・マーティン”Livin’ La Vida Loca”もピック・アップ。それなりによくできているけれど、むしろ70年代以降は見事に空白だということが目立つばかり。これでエミネム“Lose Yourself”でも取り上げていれば現代にも目を配っているバンドに見えたかもしれないけれど、さすがにそこまでのキャパシティはなかった。彼らのモダンさはここが限界だったのかなと思うのはCD2のみに収録されているドナ・サマー“Mac Arthur Park”(78)のカヴァーで、17分を超える組曲を7分弱にまとめてディスコビートを抜いた弦楽中心のホラー・ドローンに仕上げている。これはアンチ・ディスコという意味ではなく、“Mac Arthur Park”からどれだけヨーロッパ的な感性を引き出せるかという試みなのだろう。ザ・レジデンツには“Diskomo”やイビサ・クラシックとなった“Kaw-Liga”といったディスコ・ナンバーがあり、ボバックは脳腫瘍を公表する時に『Freak Show』で声優を務めたスティーヴン・クローマンと結婚していることも公にし、ザ・レジデンツがゲイ・カルチャーと共にあったことも伝えている。“Mac Arthur Park”のドローン風カヴァーは、僕にはドイツのファウストとダブって見える。前々から僕は『Meet The Residents』とファウストの初期衝動は似ていると思っていて、クルト・ヴァイルの演劇的な感性を軸に諧謔性と悲壮感を同居させるためにアメリカからアプローチしたのがザ・レジデンツなら、ヨーロッパのインプロヴィゼーションに諧謔性を塗り込めたファウストが結果的に似たものになったのではないかと。60年代の熱気をエレクトロニクスに変換させることで80年代のオルタナティヴとなったザ・レジデンツに対して、ディスコ~レイヴ・カルチャーがひと段落してようやく90年代末に復活するファウストが共に00年代にそれなりの存在感を示したこともなんとなく符号に感じるところである。
文:小林拓音
まもなく来日を控えるクラック・クラウド。いまのインディ・シーンにおいてとても重要なバンドだと思うのでこれを機に紹介しておきたい。
ぼくが彼らの存在を知ったのは最近のことだけれど、カナダのカルガリーで始動した彼らについて、イギリスのメディアは4年前の2018年から賛辞をもって注目している。2枚のEPを合体した編集盤『Crack Cloud』が世に出たタイミングでもあった。まずは大手『ガーディアン』が「いかにして彼らはパンクを活用し薬物中毒を治療したか」との見出しで、まだ駆け出しのこのカナダのバンドのインタヴューを掲載。翌年には『クワイエタス』がバンドのさらなる背景に迫るインタヴューを敢行し、大きくフィーチャーしている。以下、それらの情報をもとに彼らの来歴をたどっておこう。
いわゆるフロントマン的なポジションを担うドラマー兼ヴォーカルのザック・チョイは、中国人の父とウェールズ人の母のもとカナダで生を受ける。11歳のとき、父を亡くした悲しみから酒に溺れ、ほかのドラッグにも手を出すようになった。依存症から脱するきっかけになったのは、おなじく父の遺したレコード・コレクションだったという。
なかでも大きかったのはブライアン・イーノだったようだ。その穏やかさに触れた彼は、イーノの「非音楽家」なるアイディアに惹きつけられる。おそらく、専門的な訓練を受けていなくても音楽はできるという考え方に勇気づけられたのだろう。かくして誕生したのがクラック・クラウドというわけだ。
メンバーは一応7人ということになっている。けれども表に立つ彼ら以外にも映像作家やデザイナーなど、クラック・クラウドには多数の人間が関わっている。アート表現と日常生活が一体になったその活動は、家であると同時にスタジオでもありヴェニューでもある、アルバータ州カルガリーのスペースではじまり、その後ヴァンクーヴァーのイーストサイド──アナキズムの歴史がある一方、ドラッグや貧困などの問題も根強かった地域──で継続されることになった(Casanova S.氏の情報によれば、そのイーストサイドもジェントリフィケイションによって破壊され、現在メンバーたちはばらばらに暮らしているらしい)。
このように彼らは──音楽性は異なるが、ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーのように──たんなるバンドというよりも、生活をともにする共同体という意味でのコミュニティなのだ。そのあり方は、カネとSNSのつながりだけが人間関係であるかのように見える現代において、じっさいにひととひとが助け合いながら生きていくこと、その可能性を模索するある種の運動だともいえるかもしれない。アナキストたちが自治を獲得しているコペンハーゲンのコミューン、「クリスチャニア」を彼らが訪れていることも、見逃すべきではないポイントだろう。
なんて部分ばかりを強調すると、なにやら過激な政治集団のように思われるかもしれないが、クラック・クラウドの核にあるのは「薬物依存症からの回復」と「メンタルヘルスのケア」だ。じっさい、クラック・クラウドのまわりには元ドラッグ中毒者だった者たち、あるいは現在その状態にある人びとを助ける仕事に携わっている者たちが集まっている。
たとえばキーボードのアリ・シャラール。パンジャブ系移民の親を持つ彼は、DVと人種差別を経験し、自殺願望にさいなまれ、チョイ同様ドラッグの深みにはまった過去を持つ。シャラールが「ぼくらはアート学生じゃない」と発言しているように、バンドをやることが生きていくことと同義であるような、ぎりぎりの場所から彼らは音楽を鳴らしているのだ。
そのことは、ファースト・アルバム『痛みのオリンピック(Pain Olympics)』(2020)のタイトルにもあらわれている。初期の特徴だったギャング・オブ・フォー的ポスト・パンク・サウンドをある程度は引き継ぎつつ、コーラスや電子ノイズの導入などにより音楽性の幅を広げた同作は、大いに称賛を受けることとなった。
それから2年。チョイの亡き父、すなわちバンド立ち上げのきっかけになった人物のことばからはじまるセカンド・アルバムは、音楽的にさらなる飛躍を遂げている。コーラス、管楽器、鍵盤の三つが重要な役割を担い、ほとんどの曲が起伏に富んだ展開を見せている。アーケイド・ファイアを引き合いに出しているメディアもあるが、初期のシンプルなスタイルからここまでアレンジの幅を広げたことは驚嘆に値するだろう。
ブラスが特徴的なサード・シングル “Costly Engineered Illusion” にせよ、女性の合唱ときらきらのギター、ラップ寄りの歌がうまい具合に調和する “Please Yourself” にせよ、ドラム・スティックが印象的な表題曲にせよ、とにかく祝祭性にあふれている。ぼくの英語力ではちゃんと歌詞を聴きとれないのが残念だけれど(対訳付きの日本盤を希望)、少なくともサウンドのみにフォーカスするかぎり、このアルバムはポジティヴな感覚にあふれている。きっと、共同生活とともに追求してきた「回復」の結果が本作なのだろう。
精神的に追いこまれ薬漬けになることは、けっして自己責任に帰せられるような個人の問題ではない。原因は、資本主義をはじめとする社会のほうにある。そこからの脱却の可能性を、コミュニティの実践をとおして垣間見せるクラック・クラウドの音楽は、すさんだ現代を生きるぼくたちにとって大いなるヒントとなるにちがいない。
文:Casanova S.
クラック・クラウドは集団である。カナダ、ヴァンクーヴァーの同じ家に暮らし、共同生活を送る中で彼らは音楽を制作し、映像を生みだし、衣装を作り、アートを通し世界と向き合った(ヴィジュアル・アーティストにダンサー、フィルムメーカー、ありとあらゆるクリエイターがクッラク・クラウドの中には存在する)。別働隊、N0V3L、ミリタリー・ジーニアス、ピース・コードをその身に宿し、クラック・クラウドは牙を向く。ギャング・オブ・フォー、あるいはワイヤーのようなヒリヒリとした感触を持った2018年のセルフ・タイトルの編集盤『Crack Cloud』で話題になり、セリーヌのエディ・スリマンのショーの音楽に起用されるなどするなか、彼らの牙はずっとアンダーグラウンドで研がれ続けていた。
2020年のデビュー・アルバム、『Pain Olympics』はシニカルでダークなアルバムだった。相対する世界への抗い、蔓延するオピオイド依存の危機、エコーチェンバー、社会の腐敗、そのなかでもがく自己。直線的だった『Crack Cloud』からより複雑に音が組み合わされまるでSFのドラマ・シリーズのように世界が語られる。効果音のように響くシンセサイザー、腐敗した世界のなかで生まれた希望を祝福するかのように鳴り響くホーン、SF世界のアート・パンク、それを描いた『Pain Olympics』は紛うことなく傑作だった。
それから2年がたち状況がだいぶ変わった。『Pain Olympics』が書かれた家はヴァンクーヴァーの再開発による住宅事情によって取り壊され、同じ場所に住んでいたメンバーはそれぞれヴァンクーヴァー、モントリオール、ロサンゼルスに離れて暮らすようになり、プロジェクトの節目ごとに集まるようになった。
そのなかでパンデミックが起こった。クラック・クラウドのドラム/ヴォーカルであり中心メンバーのザック・チョイはロックダウンの時期を他のメンバーと切り離されて過ごすことになったという。この孤立した時期について彼は同時に解放されたような気分を味わえた時期だったとも語っている。子どもの頃に戻ったような気分だったと。アートとの関係、家族との関係、自分自身との関係、強制的に活動のほとんどを止められたために外的なプレッシャーを感じることもなく、自分自身と深く向き合うことができたというのだ。
あるいはそれがこの 2nd アルバム『Tough Baby』の出発点だったのかもしれない。このアルバムの温度や色や質感は 1st アルバムとはだいぶ変わった。1st アルバム同様にささくれだってはいるが、世界が色づいたようにカラフルになり、その手に構えられていた武器も下ろされているようなそんな気配が漂う(朝日が昇った後、ピアノ、トランペット、サックス、メロトロン、コーラス・ワーク、それは様々な楽器に彩られた世界だ)。1st アルバムが抗いの物語だとしたら、この 2nd アルバムで描かれる物語は、抗い生き残った後の世界でどう生きるのかということをテーマにしているのではないかというように感じられる。それはザック・チョイの内面に潜るような物語だ。
最初の曲、壁に囲まれた部屋のなかで響くテープの音声、“Danny's Message” に収められたその声はザック・チョイの父親の声だ。29歳のときに白血病で亡くなったダニー・チョイ、彼の声は告げる。「これから私が伝えることから、みながたくさんのことを学んでくれると願っている」「音楽は怒りを吐き出す最良の方法だ、全てを紙に書いてしまうんだ」。家族に向けて残されたメッセージの間に別の声のカウントが挿入される。テープの前の人間の声、そんなふうにして息子の物語の幕が開く。なめらかになだれ込む “The Politician” のザック・チョイの声は物憂げに優しく響き、ジリジリと進むベースがストーリーのラインを作り上げていく(そこで唄われるのは29歳のザックが生きるパンデミック以降の世界だ)。
あるいは “Criminal” の記憶の再生のようなサウンド処理のなかでその思い出はもっと直接的に唄われる。「彼はここにいない/俺が9つのとき死が彼を迎えに来たから/それ以来俺の心はひどくシニカルだ」。子どもの頃の思い出と成長するまでの出来事が入り交じり、過去と未来が行き来する。それはまるで物語の途中に挟まれる回想シーンのように曲のなか、アルバムのなかで展開していく。「結局のところ骨格はいつもクローゼットのなかにある」。インタヴューでザックが語ったこの言葉通り、そしてレコードに封入されているザック・チョイのメッセージの通りにこのアルバムは自己を形成してきた過去を受け入れ、向き合うということがテーマになっているのだろう。そうしてそれが癒やしとなり理解となり、やがて希望へと形を変えていくのだ。
こうしたテーマを扱った作品をザック・チョイ個人の活動ではなくクラック・クラウドという集団でやるということに大きな意味があるのではないかと私は思う。クラック・クラウドの音楽、とりわけアルバムはとても映画的/映像的で、曲をシーンとして捉えているような節がある。サウンド・コラージュを駆使し断片をつなげ、そうやってイメージを物語にしていく。そこで鳴っている音はカメラワークであってセリフであって、音楽ジャンル、さらには媒体の枠を越え展開していく(たとえばその断片はビデオのなかでおこなわれるダンスに、あるいはその世界観に形を変え広がっていく)。個人の体験を元に集団のなかで物語が作られて、つなぎ合わされたイメージの断片に因果関係が生じる。そうやってイメージが共有され自己を離れた客観視された物語ができ上がる。それは他者の物語で、そうしてその物語を通し自らの内面を理解する。それがクラック・クラウドの言う「セラピーとしてアート活動」ということなのではないだろうか。
あるいは “Please Yourself” のビデオとそのビデオに寄せられたメッセージこそがこのクラック・クラウドの考えを象徴するものなのかもしれない。2nd アルバムのジャケットにも使われているビデオのメッセージでクラック・クラウドは言う。
「子どもの頃、私のベッドルームは祭壇のようでした。壁に貼られたイメージは私がいかにそれらに憧れ、目標としていたかを示しています。このようなポップ・カルチャーの神格化は、たとえそれがでっち上げられたものであっても、自分自身の物語の感覚を強くしてくれました」
ベッドルームの壁に神格化された過去と未来(それは訪れなかった未来も含まれる)が張り巡らされ、その部屋の周りで映像と現実の世界の間にいる半実体の集団クラック・クラウドが踊り、音楽が奏でられる。それがジャケットに写る彼女の、そしてクラック・クラウドの音楽を求める私たちの周りにあるものだ。不安を抱く心を理解してくれるようなサブ・カルチャーとの連帯、それは誰かの物語で本物ではないが、しかしリアルを感じられる。それこそが心の支えになるものなのだ(だからこそ “Please Yourself” の声が合わさるその瞬間に心が震える)。
だが同時にクラック・クラウドはそれがメディア・インダストリーをパラドックスに陥らさせているとも言う。
「それは人びとのインスピレーションの源であると同時に、作られた幻想でもあります」
人生を救うエンジニアード・イリュージョン、そのパラドックスのなかにクラック・クラウドは生き、答えを探す。自分たちは何者であるのか、そして何者でありたいと願っているのか。
「アートとは、癒やしと発見のためのメカニズムです。アートから学び、成長する、私たちの文化ではアートを数値化し、認可し、製造する傾向にあります。しかしその根底にあるものは、人生を探求する形なのです。自分自身をより理解するために、人生の深淵を解き明かす方法を学ぶのです。そしてお互いに理解しあえることを」
「Tough Baby」と名付けられたこのアルバムはアートを通しクラック・クラウドがいかに生き、そしていかに理解への冒険を進めているのかを示している。不安が意味するもの、恐怖がもたらすもの、物語、音楽、映像を通しそれらを文脈化し、理解していく。理解への欲望、人生への探求、生きるということ、クラック・クラウドの音楽は断片化された世界を繫ぎ、連帯する人間の物語を感じさせてくれるのだ。