「K A R Y Y N」と一致するもの

 先日のモッキーとのライヴも超パンパンだった坂本慎太郎のほやほやニュースです。
(以下、レーベルからの資料のコピペ)
 サンパウロのO Ternoのニュー・アルバム『atrás/além』に、坂本慎太郎、デヴェンドラ・バンハート1曲参加。その参加曲「Volta e meia」を、zelone recordsより7inchリリース。
 ブラジル・サンパウロを拠点に活動するバンド、O Ternoのニューアルバム「atrás/além」に坂本慎太郎とデヴェンドラ・バンハートが1曲参加し、その参加曲「Volta e meia」の7inch vinylを、5月22日(水)にzelone recordsより発売が決定しました。 
 坂本慎太郎がソロ初LIVEを行なった、2017年ドイツ・ケルンで開催された”WEEK-END Festival #7”にO Ternoとデヴェンドラ・バンハートも出演。そこでの交流がきっかけとなり、O Ternoからのオファーで実現した今回のコラボレーションです。
 共演曲「Volta e meia」は、O Ternoの今までのソウル/ロック路線とはまた違う、淡いサウダージとメロウネスを醸し出す、洗練されたソフトサイケなMPB。c/wの「Tudo que eu não fiz」は、ニューアルバムの冒頭を飾る、ほのかにサイケな珠玉のトロピカリア/ソフト・ロック・チューンで、どちらも新作を代表する2曲です。
 zelone版7inchは坂本慎太郎によるアートワーク仕様になります。
 この「Volta e meia」は4月16日、ニュー・アルバム『atrás/além』は4月23日にブラジルより世界配信されます。

2019年5月22日(水) zelone recordsより発売!

Volta e meia / O Terno feat. Shintaro Sakamoto & Devendra Banhart

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SIDE A: Volta e meia / O Terno feat. Shintaro Sakamoto & Devendra Banhart [3:17]

Biel Basile – drums, mpc, percussion
Guilherme D’Almeida – bass
Tim Bernardes – vocals, acoustic and electric guitars, synthesizers
Felipe Pacheco Ventura – violins
Amilcar Rodrigues – flugelhorn, trumpet
Shintaro Sakamoto - vocals
Devendra Banhart - vocals


SIDE AA: Tudo que eu não fiz / O Terno [3:47]

Biel Basile – drums
Guilherme D’Almeida – bass
Tim Bernardes – vocals, electric and acoustic guitars
Felipe Pacheco Ventura – violins
Douglas Antunes – trombone
Amilcar Rodrigues - trumpet
Beto Montag - vibraphone

O terno: Biel Basile, Guilherme D’almeida and Tim Bernardes
Compositions, arrangements and musical production: Tim Bernardes
Co-production: Gui Jesus Toledo, Biel Basile, Guilherme D’almeida

Recording and sound engineering: Gui Jesus Toledo
Mixing: Tim Bernardes
Mastering: Fernando Sanches

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品番: zel-019 (45rpm)
発売日: 2019年5月22日(水)
形態: 7inch Vinyl (exclusive 7inch)
価格: ¥1,000+税
Distribution: JET SET https://www.jetsetrecords.net 
More info: www.zelonerecords.com

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●O Ternoプロフィール●  

Tim Bernardes、Guilherme D’Almeida、Biel Basileによるサンパウロのソウル / ギター・ロックバンドで、新世代ブラジル音楽の重要な担い手として注目を集める。
2012年6月、1stアルバム「66」をリリース。The Globe誌によって”ブラジルのバンドの最も印象的なデビューディスクの1つ”と、Rolling Stone Magazine Brazil による2012年の25枚のベストアルバムに選出された。 
2013年、Tom Ze EPのFeicebuqui Courtのために2曲をレコーディングし、EP 「TicTac-Harmonium」リリース。
2014年に、Charlie and the MalletsとLuiza Lianのような7つの他のバンドと共に、レーベル”RISCO”を結成。
同年8月、メンバーによって書かれた12曲を含む2ndアルバム、「 O Terno」をリリース。
2015年3月、バンドの編成が変わり、Victor Chavesが脱退し、現在のBiel Basileがメンバーに加入、そして新生O TernoとしてLollapalooza Festivalに出演。
2016年、RISCOレーベルの最初のコレクション、レコーディングに参加し、 5月下旬から6月上旬にかけて、”Primavera Sound Fes”を含むEUツアーを敢行。
9月には3rdアルバム「Melhor Do Que Parece」をリリース、”トロピカリズム、ロック、ソウル、そしてブラジルの音楽のミックス”、と世界的に評された。 
2017年、ドイツケルンで開催された”WEEK-END Fes#7”に出演。そのフェスには、ソロ初のLiveを行なった坂本慎太郎、そしてデヴェンドラも出演。 
同年、Vo, GuitarのTim Bernardesは、ソロアルバム「Recomeçar」をリリース。"現代ブラジルのブライアン・ウィルソン"とも評されている。

https://www.oterno.com.br

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Sam Kidel - ele-king

 音楽は気持ちいいほうが良いに決まっている。気持ち良さなしで生きることは不可能だと、UKはブリストルのヤング・エコーのメンバー、サム・キデルは2016年のQuietusのインタヴューで言っている。が、気持ち良さだけでは思考停止する。アドルノのそんなところに影響を受けてしまったキデルは、「快適さのために生まれた音楽」=「ミューザック」を反転させ、快適であると同時に政治的という『Disruptive Muzak(破壊的ミューザック)』なるコンセプトを練り上げた。いわく「アンチ資本主義アンビエント」。いかなるアンビエントも政治から逃れられないというのがキデルの意見だ。
 「破壊的ミューザック」においてキデルは、マーク・フィッシャーが『資本主義リアリズム』のなかでこれぞ中心なき資本主義のカフカ的迷宮だと説明した「コールセンター」のやりとりをサウンドコラージュした。物事がすべて合理的に、そしてスムーズにいくように見えながら反対側の現実へとすり抜けていくような感覚、何度もかけ直しながらなにげに希望が薄れていくその反対側の現実──〈The Death of Rave〉からリリースされた「破壊的ミューザック」は、この感覚をうまく捉えている。

 本国では昨年末にリリースされ、今年に入って日本のレコード店でも出回った『シリコン・イアー』なる2曲入りは、サム・キデルのコンセプチュアルなエレクトロニック・ミュージックのあらたなる成果だ。
 アナログ盤のインナーでは、それぞれの曲のタネ明かしが記されている。A面の“Live @ Google Data Center”は、曲目の通り「グーグル・データ・センターにおけるライヴ」……というわけではない(笑)。さすがにそれは無理だし、これはあくまでも「そのシミュレーション」、ということである。
 キデルは、グーグルのサーバ・ルームの写真および建築図面から“場”を推測し、ソフトウェアを使って“場”(スペース)の音響学的特性を推測した。彼はこれを「擬態ハッキング」(mimetic hacking)と呼んでいる。
 そのサウンドをたとえるなら、オウテカの「アンチEP」の21世紀版ないしはレイヴ系IDMとでも言おうか、「破壊的ミューザック」もそうだったけれど、キデルの音楽はあらゆるエレクトロニック・ミュージックの混合である。前作がアンビエント/ヴェーパーウェイヴに焦点が当てられていたとしたら、今回の“ライヴ@グーグル・データ・センター”はダンス・ミュージックに寄っている。
 グーグルやヤフーといった検索機能とニュース・サイトを併せ持つオンライン世界における問題点、おもにパーソナライズドに関する議論は、イーライ・パリサーの『フィルター・バブル インターネットが隠していること』(井口耕二訳/早川書房)という本に詳しい。利用していたつもりが、じつはインターネットに閉じ込めらているんじゃないかという感覚があるとしたらそれはどこから来ているのかということを掘り下げた本だ。キデルはそのヒンヤリとヌメっとした不気味な感覚をサウンドで表現しつつも、無機質な空間に不釣り合いなダンス・ミュージックのビートをぶつけている。かなり歪んだものではあるが。
 もう片面の“Voice Recognition DoS Attack”は、音声認識ソフトの誤作動(弱点)を応用したオーディオ・パッチに基づかれている。声を使ったアンビエント系IDMで、ロバート・アシュレー(『前衛音楽入門』参照)風ではあるが、遊び心たっぷりに展開している。
 それにしても……たった2曲で2400円は高いぞ! しかしまあ、それはともかく昨年ローレル・ヘイローのアルバムを出したフランスのこのレーベル〈Latency〉は要チェックだ。ほぼ同時にリリースされたMartina Lussiのアンビエント・アルバム『Diffusion Is A Force』も良かった。 

interview with Akira Kobuchi - ele-king

 昨年末マンスール・ブラウンのレヴューを書いたときに改めて気づかされたのだけれど、近年はテクノやアヴァンギャルドの分野のみならず、ジャズやソウル、ヒップホップからグライムまで、じつにさまざまなジャンルにアンビエント的な発想や手法が浸透しまくっている(だから、このタイミングでエイフェックスの『SAW2』がリリース25周年を迎えたことも何かの符牒のような気がしてならない)。Quiet Waveと呼ばれるそのクロスオーヴァーな動向は、もはや2010年代の音楽を俯瞰するうえでけっして語り落とすことのできない一翼になっていると言っても過言ではないが、ではなぜそのような潮流が勃興するに至ったのか──いま流行の音像=Quiet Waveの背景について、元『bmr』編集長であり『HIP HOP definitive 1974 - 2017』や『シティ・ソウル ディスクガイド』の著作で知られる小渕晃に話を伺った。


もはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

ここ数年アンビエント的な手法がいろいろな分野に浸透していて、テクノの領域ではノイズやミュジーク・コンクレートと混ざり合いながらさまざまな展開をみせていますが、それはQuiet Waveというかたちでジャズやソウル、ヒップホップにも及んでいます。

小渕:今は求められている音像が、どのジャンルでもみんな同じですよね。歌モノをやっている人にもインストをやっている人にも、ジャンルの垣根を超えてアンビエントが広がっている。FKJなんかがそのちょうど真ん中にいる印象で。歌モノもやるしインストもやる、ハウスもやればジャズもやる。FKJにはぜんぶ入っている気がします。


FKJ
French Kiwi Juice

Roche Musique / Rambling (2017)

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Yuna
Chapters

Verve / ユニバーサル (2016)

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Nanna.B
Solen

Jakarta / Astrollage (2018)

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Richard Spaven
Real Time

Fine Line / Pヴァイン (2018)

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彼はフランスですよね。Quiet Waveは、たとえばユナはマレーシアでナナ・Bはデンマークというふうに国や地域がばらばらという点もおもしろいですが、やはりジャンル横断的なところが特徴ですよね。

小渕:歌モノとジャズなど他ジャンルの才能たちが一緒になってやっていますよね。もう分けてはやらなくなっている。

リチャード・スペイヴンを聴いて、当初ダブステップの文脈から出てきたフローティング・ポインツも同じ観点から捉えられるのではないかと思ったのですが、そのフローティング・ポインツが発掘してきたファティマもアンビエント的なタッチでLAビートとグライムを繋いでいます。

小渕:クラブ・ミュージックや四つ打ちの流れから出てきた人たちが今また歌モノをやっているというのはありますね。アンディ・コンプトンやノア・スリーがそうですし、エスカを手がけているマシュー・ハーバートや、FKJのレーベルメイトのダリウスもそうです。

ただジャンル横断的とはいっても、比較的ソウルとの親和性が高いのかなとも思ったのですが。

小渕:くくる側の意識次第だと思いますよ。たとえばトム・ミッシュって、昔ならロックに分類されていたと思うんです。でも今なら、彼の音楽はソウルとくくられることが多い。ですが、彼のやっていることは音楽的にはジョン・メイヤーに近くて。時代が違ったからジョン・メイヤーはロックと呼ばれているだけで。ジョーダン・ラカイもそうだと思います。今の人たちってもはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。その音像も時代が違ったら変わっていくものですが、今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

R&Bのサブジャンルというわけでもないんですよね。

小渕:R&Bって、何より歌の音楽なんです。とにかく歌を聴かせるためのもので、基本的にラヴソングなんです。Quiet WaveがR&Bと異なるのは、たとえば自らの孤独について歌ったりもしていて、けっしてラヴソング一辺倒ではない。そして、彼らは自分のヴォーカルも完全にサウンドのひとつとして捉えてやっている。たとえばソランジュも、最近出た新作については「私のヴォーカルだけじゃなく、サウンド全体を聴いてほしい」というようなことを言っています。R&Bのワクからはみだしている決定的な理由はそこなんです。

誰か突出した人がQuiet Waveのスタイルを発明して、みんながそれを真似しているというよりも、自然発生的にそういう状況になっていった、という認識でいいんでしょうか?

小渕:間違いなくそうですね。ヒップホップとかR&Bとか、ブラック・ミュージックって特に集団芸なんですよ。誰かひとりの天才が何かを発明する音楽ではない。みんなでやっているうちにすごいものができて、するとみんながそれを真似していく。だから個人ではなく、常にシーン全体がオモシロイ、興味の対象となる音楽なんです。Quiet Waveもそうです。ただもちろん、そのなかからフランク・オーシャンのような突出したヴォーカリストも出てくるわけですけど、サウンドに関してはそれを生み出したシーン全体がすごいのであって、誰かひとりが偉いという話ではないですね。


80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じています。けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れない。


Fatima
And Yet It's All Love

Eglo / Pヴァイン (2018)

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Andy Compton
Kiss From Above

Peng / Pヴァイン (2014)

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Noah Slee
Otherland

Majestic Casual / Pヴァイン (2017)

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Darius
Utopia

Roche Musique (2017)

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とはいえ、いくつか起点となった作品はあるんですよね?

小渕:Quiet Waveの2010年代の動きを決定づけた作品のひとつは、2011年のジェイムズ・ブレイクのファーストだと思います。イギリスの音楽ならではの特徴といえばレゲエとダブからの影響ですよね。それはジャマイカからの移民の多さがもたらす、アメリカにはないもので、イギリスの良い音楽家はみなレゲエやダブから影響を受けている。ジェイムズ・ブレイクの場合はダブですが、はずせないのはマッシヴ・アタックの存在です。今は彼らの子や孫の代が活躍している時代という言い方もできると思います。
 それともうひとつイギリスの音楽の特徴として、ニュー・オーダーやザ・キュアー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの影響力の大きさを挙げることができます。そういった80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じていますね。あとアメリカではザ・スミスの人気が00年代になってから火が点きましたよね。アメリカではUKのオルタナティヴなものが遅れて盛り上がる感じがあって、その影響が今になって出てきているのではないかと。だから今流行りの音像、Quiet Waveについては、けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れないんですよね。

ブラックもホワイトもアンビエント的な音像に流れている。

小渕:今の時代への影響という点で重要なのがU2なのではないかという気がしています。彼らの『The Joshua Tree』という決定的な作品のサウンドを作ったのは、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワですよね。だから今流行りの音像、Quiet Waveも遡れば実は、アンビエントの第一人者であるブライアン・イーノに行き着くのかなと。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのシューゲイズ・サウンドをアンビエント的な観点から捉えたのもイーノでしたよね。その後じっさいにスロウダイヴとは共作していますし。U2にかんしても、イーノ本人のアンビエントとは分けて解釈する見方もあるとは思うのですが、僕は『The Joshua Tree』のギターの残響やシンセ遣いにはイーノとラノワの影響が強く表れていると考えています。

小渕:その通りだと、僕も思います。それで、イーノとラノワはU2の次にネヴィル・ブラザーズの『Yellow Moon』を手がけていますよね。

これもふたりの色が濃く出たアルバムですね。

小渕:収録曲のひとつがグラミーを受賞していて、音楽好きなら知らない者はいないくらいの名盤ですが、やはりその影響力はすごく大きいと思います。僕は初めてジェイムズ・ブレイクのファーストを聴いたとき、『Yellow Moon』を思い出したんですよ。ボブ・ディラン“With God On Our Side”のカヴァーが入っているんですが、完全にノン・ビートで、アンビエントな音像のなかをアーロン・ネヴィルがひたすら美しく歌っている。ジェイムズ・ブレイクが自分なりの歌モノというのを考えたとき、ダブのバックグラウンドと、ネヴィル・ブラザーズのあの曲などをヒントにして、自分なりのヒーリング・ミュージックを作ったのではないでしょうか。

すごく興味深い分析です。

小渕:他方でアメリカでは、ジェイムズ・ブレイクの1年後、2012年にフランク・オーシャンの『Channel Orange』が出ています。ふたりは共演してもいますし、ジェイムズ・ブレイクのファーストからの影響は少なからずあるはずです。加えて、フランク・オーシャンはニューオーリンズ育ちです。ネヴィル・ブラザーズのホームタウンです。そして、アメリカのサウスといえば、これはテキサス発祥ですけれどスクリュー&チョップです。その影響も大きいと思いますね。

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今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。


Tom Misch
Geography

Beyond The Groove / ビート (2018)

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Jordan Rakei
Cloak

Soul Has No Tempo / Pヴァイン (2016)

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James Blake
James Blake

Atlas / ユニバーサル (2011)

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Frank Ocean
Channel Orange

Island Def Jam / ユニバーサル (2012)

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もう少し近いところでQuiet Waveの源流となるような動きはあったのでしょうか?

小渕:ティンバランドがアリーヤとやっていたことは大きいですね。

あの赤いアルバムですか?

小渕:その前後です。今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。死により伝説になったからというのもあるのでしょうが、それ以上に彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。ティンバランドはトラックを作るとき“下”=ドラムスをポリリズムで敷き詰めましたけど、そうして“上”には広大な空間を作りだしました。だから自由に歌えるし、アンビエンスも多い。“We Need A Resolution”などがその好例ですが、その影響が今いろいろなところに表れています。

目から鱗です。アリーヤをアンビエントの観点から捉えたことはありませんでした。

小渕:そのアリーヤ由来のアンビエント・スタイルの流れを決定づけたのが、ジェネイ・アイコです。彼女のオフィシャルなファースト・アルバム『Souled Out』は、完全に今の流れの先駆けですね。彼女は日系だから、わび・さびのような感覚も持ち合わせていて、それがQuiet Waveを表現するのに適していたとも思うんですけれど、ヴォーカルはそこまで歌い上げる感じではない。いわゆるディーヴァではないんですよ。では、どうやって自分のヴォーカルを活かすかというのを考えたときに、アリーヤのように小さい声でささやくように歌うことを選んだのではないかなと想像しています。2014年当時ジェネイ・アイコは、アメリカでは新しい歌モノのアイコンになっていました。ケンドリック・ラマーとも共演していましたし。そこでアンビエントな音像、アブストラクトなメロディ、囁くような歌、というフォーマットが確立されて、今に至る。それがアメリカの流れですね。

その流れに、ミシェル・ンデゲオチェロのような90年代組も乗っかってきている。

小渕:彼女はもともとこういうサウンドが好きな人でしたけれど、ブラック・ミュージックってやっぱりそのときの流行に乗っていかなきゃいけない、乗っていくからオモシロイ音楽なので、たとえばレイラ・ハザウェイのようなヴェテランも今はアンビエントなサウンドでやっています。ミシェルの場合はさらに、ディーヴァ系ではないので、今流行りのスタイルがハマるというのもあると思います。やっぱりディーヴァ系の人がQuiet Waveなサウンドでガーッと歌ってしまうと、「ちょっと違う」ということになってしまうのではないでしょうか。たとえばマシュー・ハーバートがサウンドを作っているエスカ、彼女はものすごいゴスペルを歌えちゃう人なんですよね。でもちゃんとハーバートの求める歌い方ができている。ほんとうにしっかり歌い上げてしまうとQuiet Waveにはハマらないのかなと思います。

ビヨンセはアウトだけど、ソランジュならイン、ということですね。

小渕:ソランジュはデビュー当時から姉とは違うオルタナティヴなスタンスでやっていて、ディーヴァとして歌い上げなかったんですよね。だからこそ、今のQuiet Waveの流行のなかでは姉より輝いている。ビヨンセは今に限って言えば、次に打つ手がないのかなという気もします。たった今は、あのハイパーな歌は合わないんですよ。ただ音楽の歴史は反動の繰り返しですから、いまこれだけアンビエントが流行っていると、次はまたハイパーな時代が間違いなく来ると思います。


10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。


Jhené Aiko
Souled Out

Def Jam / ARTium (2014)

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Meshell Ndegeocello
Comet, Come To Me

Naïve / Pヴァイン (2014)

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Eska
Eska

Naim Edge / Pヴァイン (2015)

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ビヨンセは『Lemonade』の“Formation”で#ブラックライヴズマターとの共振を示しました。サウンドは異なりますが、ソランジュも同じ年の『A Seat At The Table』で人種差別にかんする歌を歌っています。そういうポリティカルな要素も、Quiet Waveに影響を与えているのでしょうか?

小渕:コンシャスになっているというのは確実にそうでしょうね。たとえば今調子がいいのは、ほとんどがシンガー・ソングライターです。スティーヴィ・ワンダーが最大のロールモデルになっていて、逆にメアリー・J・ブライジのように誰かに書いてもらった曲を歌うというタイプのシンガーが出にくくなっている。それはやはり、自分の言葉で歌わないとリアルじゃないという、ヒップホップ以降の感覚が浸透した結果だと思うんです。

70年代のソウルも社会的・政治的でした。

小渕:ニュー・ソウルと呼ばれるものはそうですね。1971年にマーヴィン・ゲイの『What's Going On』が出て、ダニー・ハザウェイやカーティス・メイフィールドもすごく社会的なメッセージ性のある音楽を発していました。ただ『What's Going On』って、毎日聴きたい音楽ではないんですよ。毎日メッセージばかり聴いてはいられない。そこで、1975年にスモーキー・ロビンソンが『A Quiet Storm』というアルバムを発表していますが、ずっとコンシャスなものばかり聴いてはいられないよ、ということだったんだと思います。アメリカでは70年代半ば頃から増えてきた中間層に向けた、夜のBGMとして作っていた側面もあったと思います。中間層向けだから演奏も洗練されたもので、ベッドのうえのBGMでもあったからうるさくない。今のQuiet Waveの要素は、スモーキー・ロビンソンの“Quiet Storm”にすべて入っていたのかなという気がしています。「Quiet Storm」という言葉はその後ラジオのフォーマット、ひいてはジャンル名にまでなってしまうくらいでしたが、それくらいすごい曲だったんだと思います。

社会的・政治的であることに対するカウンターということですね。

小渕:今の時代の人びとにとっての『What's Going On』って、ディアンジェロの『Black Messiah』ですよね。ただあれは、ずっとそれだけを聴いていられる音楽ではない。Quiet Waveはその反動なんだと思いますね。あるいは「#ブラックライヴズマター疲れ」と言ってしまってもいいかもしれない。10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。大きくて強いムーヴメントが起こると、必ずそのカウンターが来る、というのがアメリカの音楽業界ですね。

弁証法的ですね。

小渕:音楽はとにかくカウンター、カウンター、カウンターで進んでいくことが、歳を取るとほんとうによくわかります。その前に流行っていたものに対するカウンターが次の時代を拓いていく、そういう動きが何十年も繰り返されている。いま静かでアブストラクトなQuiet Waveが流行っているのは、そのまえのEDMやエレクトロ・ポップのブームが強大だったからこそだと思うんです。


テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。

Quiet Waveの流行は、テクノロジーの変化も関係しているのでしょうか?

小渕:実はそれが最大の要因かも知れなくて。今の聴取環境の主流は、欧米はサブスクリプションですよね。サブスクは定額だから、ずっとつけっぱなしで曲を鳴らすことができる。そうすると一日のなかで、うるさい曲をずっと続けて聴くことはなくて、むしろBGM的に流している時間のほうが多い。あと、サブスクはイヤフォンかヘッドフォン、あるいはスピーカーでもハンディなもので聴くことが多いと思うんですが、そういった機器で聴いたときに気持ちの良い音像って、音数が少なくて立体的なものです。Quiet Waveはそういう聴取環境の変化にも対応していると思いますね。これは細野晴臣さんがラジオで言っていたことなんですが、今の音はヴァーチャルだと。

それは、生楽器ではなく打ち込みである、という意味ですか?

小渕:いえ、打ち込みが2010年代になって進化したという話です。たとえば低音って、以前は実際に「ブーン」と出ていて、身体にボンッと振動が来ていたわけですけれど、細野さんいわく、今の音は実際には波動が出ていないんだと。でもあたかも低音が「ブーン」と鳴っているかのように作れてしまうと。

物理的に違ってきていると。

小渕:それは、ハリウッド映画のサウンドから始まり、波及してきたそうなんですけど、音楽で最初にやったのはDr. ドレーだったと思うんです。『2001』(1999年)は音楽の新時代のはじまりでした。あのアルバムは、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のために作ったTHXという映画用のサウンドシステムのシグネイチャー音で幕を開けます。あれは、「これから一編の映画がはじまる」という合図であるのに加えて、「これまでとはサウンドの次元が違うんだ」ということをドレーは言いたかったんだと思うんですよ。『2001』から打ち込みサウンドがかつてない、超ハイファイになって、ひとつ違う段階に入った。あのときと同じように、10年代になってから、テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。ソランジュも新作について、歌詞を削ってでもビートを、サウンドを聴かせたかったと言っています。ひとつのドラムの音を決めるのに18時間かかったと。彼女のような人にとっては、10年前とまったく違う音楽を作れることがおもしろくてしかたがないんじゃないでしょうか。

Quiet Waveはヴェイパーウェイヴともリンクするところがあるのではないかと思っています。おそらくリスナー層はかぶっていないんでしょうけれど、ヴェイパーウェイヴもある意味で現代のアンビエントですよね。

小渕:おっしゃるとおりだと思います。いまのサブスク時代の聴取のあり方を考えると、20代とか10代にとっては、ああいうちょっとアンビエントなスタイルがいちばん合っているんでしょうね。僕はサンプリングが好きだからヴェイパーウェイヴもよく聴くんですが、小林さんのおっしゃるとおり動きとしては重なっていると思いますよ。

時代の無意識のようなものですね。

小渕:聴取環境の変化と制作機材の進化、そのふたつがいちばん大きいですね。それを背景に、アンビエントな音像とメロディのアブストラクトな歌モノが合わさって出てきたのがQuiet Waveで。もちろんそれは前の流行に対するカウンターでもありますから、次はきっとまた違うスタイルの音楽が盛り上がっていくことになるでしょうね。

φonon - ele-king

 昨年スタートしたEP-4の佐藤薫によるレーベル〈φonon(フォノン)〉が、初となるショウケース・イベントを開催する。題して《φonon 2days 2eras》。4月30日はDOMMUNEにて、5月2日は神楽音にて、と2日間にわたっての開催だ。詳しくは下記をご覧いただきたいが、Radio ensembles Aiida、Singū-IEGUTI、HOSOI Hisato、森田潤、EP-4 [fn.ψ]といった同レーベルからリリースのある面々のみならず、DOMMUNEには学者の市田良彦や毛利嘉孝も出演するとのことで、なんとも興味深い。GWの予定は空けておこう。


〈φonon〉初のレーベル・ショーケース・イベントが2デイズ開催決定!

2018年初頭に発動した〈φonon (フォノン)〉レーベル初の本格的ショーケースイベント「φonon 2days 2eras」が、4月30日と5月2日の元号をまたぐ2日間にわたりDOMMUNEと神楽坂の神楽音で催されることが決まった。

〈φonon〉はEP-4の佐藤薫がディレクターを務め、CDメディアを中心にエレクトロニクス/ノイズ/アンビエント──系のアルバム作品をリリースしている先鋭的レーベルだ。これまでに8枚のCDアルバムをリリースし、4月19日に2枚の最新リリースを控えている。

〈φonon〉試聴リンク:https://audiomack.com/artist/onon-1

そんな〈φonon〉のすべてがわかる2デイズだが、普段一同に会することの稀な東西のアーティストによる2日間のパフォーマンスに加え、4月30日のDOMMUNEでは思想史家・市田良彦と社会学者・毛利嘉孝を迎えたトークタイムも用意され、音と時代を超えるマニフェストが言葉と音量子によって語られることになる。(市田によるφonon 2018 活動報告は事前に必読! https://www.webdice.jp/dice/detail/5727/

出演アーティストは、Radio ensembles Aiida、Singū-IEGUTI、HOSOI Hisato、森田潤、EP-4 [fn.ψ](佐藤薫+家口成樹)──など、〈φonon〉から単独CDをリリースした面々を中心に、コンピレーションに参加したZVIZMO(テンテンコ+伊東篤宏)、4月19日にCDをリリースするbonnounomukuroとHeteroduplexなど、その顔ぶれはとても多彩。特に半数は関西圏のアーティストなので、めったにないこの機会を逃す手はないだろう。

両日のラインアップや詳細は以下のとおり。

《φonon 2days 2eras 概要》

■day 1(talk & live):
日時:2019年4月30日 (火・祝) 19:00〜
場所:DOMMUNE( https://www.dommune.com )
料金:¥3,000(要予約)

出演:
市田良彦
毛利嘉孝
佐藤薫
伊東篤宏
ほか…… (以上talk)

Radio ensembles Aiida
Singū-IEGUTI
HOSOI Hisato
森田潤
Heteroduplex
bonnounomukuro
ZVIZMO (以上live)

■day 2(live):
日時:2019年5月2日 (木) 18:00 open / 19:00 start performance
場所:神楽音( https://kagurane.com )
料金:Adv. ¥2,800 Door. ¥3,000

出演:
Radio ensembles Aiida
HOSOI Hisato
Heteroduplex
bonnounomukuro
EP-4 [fn.ψ]
伊東篤宏
森田潤
DJ 小林径

問い合わせ
φonon
sp4non@gmail.com

φonon オフィシャルサイト
https://www.slogan.co.jp/skatingpears/


CAFROM - ele-king

 スカやロックステディを取り入れながら、甘いメロディにハードな歌詞を載せるバンド、CAFROMがいまライヴハウスのシーンで話題になっている。昨年暮れに〈Feelin'fellows〉から出した1st EP「Letter To Young Djs」は瞬間的に完売、そのセカンドEPがこのたびリリースされる。
 CAFROMとは、松田CHABE岳二が下北沢のライヴハウスTHREEにて毎月9日に行われている〈9Party〉のために、身近なバンドマンに声をかけてはじまったバンド。新作は、はRAMONESとジャポニカ・ソング・サンバンチのカヴァー2曲(ひとつは反レイシズムの曲ですね)。完売した1st EPのリプレスも同時リリースされます。
 また、レーベルの元でもあり、このバンドの拠点である下北沢THREEのパーティ〈Feelin'fellows〉の拡大版が5月でリキッドであるので、そちらもぜひどうぞ〜。

Cosey Fanni Tutti - ele-king

 『トゥッティ』のなかに一貫して存在している、不吉で、ゾッとするような、何かを引きずって滑っていくような感覚──いいかえるなら、すぐ側にまで迫りくる湿り気のある暗さが生む、閉所恐怖症的な強度。オープニング曲“トゥッティ”の単調なベースラインと機械的でガタガタと騒々しいパーカッションのなかにはそうしたものがあり、そしてそれはそのままずっと、クロージング曲“オレンダ”のもつ、近づきがたいような重い足どりのリズムのなかにも存在しつづけている。最初から最後までこのアルバムは、息苦しいほどの霧に、隙間なく包まれている。

 この霧をとおして、おぼろげな影がかたちを結んでいく──ときに現れた瞬間に消えてしまうほどかすかに、そしてときに水晶のような明るさのなかにある舞台を貫き、それを照らしだしながら。オープニング曲では、トランペットのような音が暗闇を引き裂いていく一方で、5曲目の“スプリット”における、音の薄闇のなかを進んでいく、かすかに光る金属の線のような粒子は、おぼろげだが、しかし距離をおいてたしかに聞こえてくる天上的な雰囲気をもったコーラスによって、悪しきもののヴェールを貫いてるそのメランコリックな美しさによって、そのまま次の曲“ヘイリー”へと繋がっていく。

 おそらくはきっと、メランコリーの感覚へとつづいていく、ガス状のノスタルジーのフィルターのようなものが存在していて、それがトゥッティのこのサード・アルバムに入りこんでいるのだろう。このアルバムは、コージー・ファニー・トゥッティの2017年の回想録『アート・セックス・ミュージック』のあとに作られる作品としては、またとないほどにふさわしいものとなっている。というのもそれは、部分的に、彼女の生まれ故郷であるイングランド東部の街ハルで、同年に開催された文化祭のために作られたものをもとにしているからだ。やがてロンドンにおいてインダストリアルの先駆者となるバンド、スロッビング・グリッスルを結成する前の時代を、彼女はその街を中心にして過ごしていたわけである。

 1969年における、パフォーマンス・アート集団COMUトランスミッションの結成からはじまり、スロッビング・グリッスルやクリス&コージーによるインダストリアルでエレクトロニックな音の実験を経由する、過去50年にわたる経験と影響関係を描いていくなかで、過去について内省し、ふかく考えるそうした期間が、『トゥッティ』という作品の性格を、根本的な次元において決定づけているようにおもわれる。その回想録や近年に見られるその他の回想的な作品をふまえると、トゥッティはこのじしんの名を冠したアルバムによって、ひとつの円環を──はじめてじしんの名義のみでリリースした1983年の『タイム・トゥ・テル』以来の円環を、閉じようとしているのだという感覚がもたらされる。

 だが、コージー・ファニー・トゥッティはまた、まとまりのあるひとつの物語のなかに収めるにはあまりに複雑で、たえずその先へと向かっていくアーティストでもある。たしかにトゥッティは、幽霊的な風景をとおって進むビートとともに、彼女の作品のなかに一貫して拍動している人間と機械の連続性のようなものを、じしんの過去から引きだしている。だが彼女にとって過去とは、みずからの作品を前方へと進めていく力をもったエンジンなのである。『タイム・トゥ・テル』におけるリズムは、捉えがたく、ときに純粋なアンビエントのなかに消えさっていくようなものだったが、それに比べると『トゥッティ』は、はるかに攻撃的で躊躇を感じさせないものとなっている。こうした意味で、この作品に直接繋がっている過去の作品はおそらく、比較的近年にリリースされた、クリス・カーターと、ファクトリー・フロアーのニック・コルク・ヴォイドとともに制作された、2015年のカーター・トゥッティ・ヴォイドでのアルバムだろう。とはいえこの作品と比べると『トゥッティ』は、より精密に研ぎすまされ、より洗練されたものとなっていて、その攻撃性や落ちつきのなさは、節度をもって抑えられている。

 ゾッとするような暗さをもつものであるにもかかわらず、そうした落ちつきのなさと節度の組みあわせのなかで、『トゥッティ』はまた、これ以上ないほどに力強い希望の道を描きだしてもいる。というのも、このアルバムが強力で完成されたものであればあるほど、そこらからさらに多くのものがもたらされるのだという兆しが高まっていくからだ。
(訳:五井健太郎)


A sinister, creeping darkness slithers through “Tutti” – the claustrophobic intensity of humid darkness that clings too close. It’s there in the grinding bassline and mechanical, clattering percussion of opening track “Tutti”, and it lingers on in the grimly trudging rhythm of the closing “Orenda”. From start to finish, the album is wrapped tight in a suffocating fog.

Through this fog, shapes take form – sometimes faintly, fading away as quickly as they appeared, sometimes piercing through and illuminating the scene in a moment of crystal clarity. On the opening track, a trumpet cuts through the darkness, while on “Split”, solar winds seem to shimmer matallic through the sonic murk, joined on “Heliy” by a celestial chorus, blurred but distantly chiming, a touch of melancholy beauty piercing the veil of evil.

There’s perhaps a gauzy filter of nostalgia to the melancholy that creeps into the Tutti’s later third, which is fitting for an album that comes off the back of Cosey Fanni Tutti’s 2017 memoir “Art Sex Music” and has some of its roots in work she created for a culture festival in her hometown of Hull that same year, which she based around her own early years before leaving for London with her then-band, industrial pioneers Throbbing Gristle.

This period of introspection and reflection seems to have informed “Tutti” on a fundamental level, drawing on five decades of experiences and influences from the founding of the COUM Transmissions performance art collective in 1969, through the industrial and electronic sonic experimentations of Throbbing Gristle and Chris & Cosey. Taken together with her memoir and other recent reflective works, there is a sense that Tutti is closing a loop with with this self-titled release – her first album solely under her own name since 1983’s “Time to Tell”.

But Cosey Fanny Tutti is also too complex and forward-thinking an artist to let that be the whole story. Certainly “Tutti” draws from the past, with the beats punding through the ghostly soundscapes a continuation of a man-machine heartbeat that has always pulsed through her work. However, for her the past is an engine powering her work ahead into the future. Where the rhythms of “Time to Tell” were subtle, occasionally dissolving into pure ambient, “Tutti” is far more aggressively forthright. In that sense, the release it hews closest to is perhaps the comparatively recent 2015 “Carter Tutti Void” work, produced with Chris Carter and Factory Floor’s Nik Colk Void. Still, “Tutti” is a more finely honed, more refined work, its aggression and restlessness tempered by restraint.

Through its creeping darkness, it’s in that combination of restlessness and restraint that “Tutti” also holds out its strongest line of hope, because as powerful and accomplished as this album is, it also extends the promise of more to come.

YUKSTA-ILL - ele-king

 東海3県(三重、愛知、岐阜)を拠点とするヒップホップ・コレクティヴ、NEO TOKAI/TOKAI DOPENESSの一員であり、いまの東海シーンを代表するレーベル/クルーであるRC SLUM/SLUM RCの中心メンバーであるYUKSTA-ILL(ユークスタイル)の、約2年ぶり3枚目となるソロ・アルバム『DEFY』。これまでもさまざまなアーティストやプロデューサーとともに作品を作り上げてきた彼だが、本作ではフィーチャリングゲストはいっさい入れず、計12名のヒップホップ・プロデューサーと一対一の真剣勝負を繰り広げる。2013年にはKID FRESINOやPUNPEEなど東京のビートメイカー6名と組んだEP『tokyo ill method』をリリースしているが、今回は地元東海エリアや東京勢はもちろんのこと、北は北海道から南は九州まで、ベテランから若手まで年齢層も幅広く揃え、このバラエティに富んだ人選は直接、作品としての厚みにも繋がっている。

 JJJによるドラムとウワモノが深く絡みつくビートに乗って、本作に対する所信表明とも言える“DEFY INTRO”でアルバムの幕は開け、さらに畳み込むようにOMSBが手がけるド直球なファンク・トラックが最高な“SELFISH”、そして“RUMOR'S ROOM”では1982sの盟友であるMASS-HOLEのトラックの上で、嘘と噂が蔓延する世の中へ皮肉を込めたメッセージを放つ。この冒頭3曲だけでもトラックのスタイルは実に多種多様であるが、YUKSTA-ILLは変幻自在なフロウによってこれらのトラックを見事に操り、言葉ひとつひとつをしっかりと耳にはめ込んでくる。

 名古屋の重鎮、刃頭によるいぶし銀なトラックの“LONELY CLOWN”、2000年前後のアンダーグラウンド・ヒップホップにも通じるレイドバック感溢れるDJ Whitesmithの“OWN LANE”、曲のテーマ通りのインダストリアル・テイストなJUNPLANTによる変則チューン“ASTHMA 059”を経て、アルバム中盤の個人的なピークは田我流およびstillichimiya周辺の謎のトラックメイカーとして知られるFALCONが手がけた“COMPLEX”だ。YUKSTA-ILLの地元のシーンに対する愛憎交わる熱い思いが、ヴァースごとに小技がいろいろと効いたFALCONのトラックに乗ることによって、結果的に愛情豊かな1曲として見事に仕上がっている。後半では、オールド・エレクトロのテイストも感じられるDJ HIGHSCHOOLによる“IT'S ON ME”、北のベテラン、DJ SEIJIによるブーンバップ全開な“MY STANCE WIT' ATTITUDE”、クリーンかつ深く耳に突き刺さるDJ MOTORAの“PIECE OF MIND”、昨年リリースのアルバム『here』でも共演したKOJOEがトラックを手がける、まるで永遠に時が続いていくような感覚の“TILL THE END OF TIME”と続き、ラストは前述の『tokyo ill method』にも参加していたBUSHMINDによるドリーミーなメロディが印象的な“DEFY OUTRO”で、アルバムの幕は綺麗に閉じる。

 全てYUKSTA-ILL自身が選んだプロデューサーおよびトラックであり、当然、そこに一貫した流れはあるわけだが、ラッパーとしてこれほどの多彩なメンツをひとつにまとめる手腕は実に見事だ。そして、自らの内面やヒップホップ・シーン、あるいは社会に対する時にストレートで時に屈折した感情が込められたYUKSTA-ILLのライムの説得力と、スキルに裏打ちされたフロウの力が、本作の完成度を高めている最大の要因であることは言うまでもない。1曲ごとに「次に何が出てくるか?!」というワクワク感を楽しむためにも、ぜひアルバム単位で頭から最後までじっくりと堪能して欲しい作品だ。

 十和田市現代美術館での毛利悠子さんの個展《ただし抵抗はあるものとする》の目玉作品であるインスタレーション《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ》の展示室にむかう廊下の壁面には映像作品《Everything Flows : Interval》を映写している。いや「いた」と過去形で書くべきなのは、毛利さんの個展は北の地に桜前線がおとずれるよりひとあしさきに十分咲きの桜のごとく好評のうちに先週末に千秋楽をむかえたからであり、私はまことに残念なことに会期中に彼の地をおとずれることがかなわなかったが、3月初旬に毛利さんとナディッフで対談したおり、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929年)を抜粋再編したという《Everything Flows : Interval》を壇上で拝見した。毛利さんがなぜジガ・ヴェルトフの映画を題材にしたかは、私の能書きよりも個展の図録にして現在の彼女の思索の一端がかいまみえる展覧会と同名の著書を繙かれるのが近道だが、映画の黎明期をいくらかすぎ、20世紀モダニズム文化が花開いた時代に、ロシアを舞台に当時最先端の技法をもちい、映画を撮ることについての映画を撮ったジガ・ヴェルトフの、1932年の日本公開時の邦題を『これがロシヤだ』というモノクロ、サイレントのドキュメンタリーフィルムから毛利さんが抜いたのは、しかしこの作品を映画史の前衛たらしめたシーンよりむしろそれらのあいだをつなぐなにげない余白のような場面だった。その意図については、それだけでかなりの紙幅を割くことになる──ネットですけれどもね──のでここではたちいらない。ただひとことつけくわえると、フィルムは撮影者の意図しない映像をとらえることがしばしばある、この機制は映画にかぎらず、写真や録音物といった近代テクノロジーを媒体にもつ表現形式にはつきもので、その点で映像の初発的な偶然性をレコード、ことに実験音楽や即興音楽における記録のあり方に敷衍したデイヴィッド・グラブスの『レコードは風景をだいなしにする』(フィルムアート社)の論点にかさなるものがあると、私はそのさいもうしあげた。すなわち主たる対象にあたらないものが接続詞の役割をえて、作品の力動の淵源になっており、それをぬきだせばつくり手にひそむものがみえる(かもしれない)ことが過去の映像や録音物にふれるにあたっての旨味のひとつともなる。再解釈、再定義、再発見をふくむ聴取や視聴のあり方は眼前にそそり立つアーカイヴの存在に気づいたころにははじまっており、毛利さんをふくむ誠実な方々の表現はそこに内在する批評の感覚でアーカイヴを触知する、そのような作家の身体/感覚は90年代をひとつのさかいに十年期の終わりにはさらに深まっていった。

 ザ・シネマティック・オーケストラ(以下TCO)がグループをひきいるジェイソン・スウィンスコーの勤め先だった〈ニンジャ・チューン〉から『モーション』でデビューしたのは90年代と20世紀が終わりかけた1999年だった。いま聴き直すとアシッド・ジャズ、トリップ・ホップないしブレイクビーツなることばが矢継ぎ早に脳裏をかすめ、目頭を熱くさせるこのアルバムは、しかしいわゆるモダン・ジャズやスピリチュアル・ジャズを土台に、室内楽風のストリングスや緻密に構築したリズムを加味したことで、クラブ・ジャズがリスニングタイプに脱皮する画期となった──というのは大袈裟にすぎるのだとしても過渡期をうつしだしていたのはまちがいない。さらにTCOは世紀をまたいで3年後にあたる2002年のセカンド『エブリデイ』ではヴォーカル曲をふくむ構成で、先の傾向をより盤石なものとした。アリス・コルトレーン風のハープの爪弾きで幕をあけるこの作品は前作以上に曲づくりに重点を置き、起伏に富む曲調が名は体をあらわすかのごとき佇まいをしめしている。往年のソウル歌手フォンテラ・バスを担ぎ出し、音的にも意味的にも厚みを増したサウンドは今日までつづくTCOの音楽性の雛形にもなった。ゆっくりと立ち上がりじっくりと語りゆく音の紡ぎ方はさらに映像喚起的になり、なるほどシネマティックとはよくいったものよ、との慨嘆さえ漏らさざるをえない『エブリデイ』の扇の要の位置に置いたのが“Man With The Movie Camera”すなわち「カメラを持った男」と題した楽曲だった。

 私はこのとき、来日したスウィンスコーに話を聴いた憶えがあり、ジガ・ヴェルトフの映画についても質問したはずだが、昔のことなので記憶はさだかではない。それとも取材したのは次作のときだったか。いずれにせよ、『エブリデイ』の次作は2003年に世に出た。タイトルを『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』という。すなわち『カメラを持った男』だが、じつは2作目と3作目は前後関係が逆なのだった。『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』は表題のとおり、ジガ・ヴェルトフの同名作の全編にわたり音をつけた作品だが、もとはEU主催の文化事業で映画に生演奏をつけるプロジェクトの一貫として2001年におこなわれたものが2003年にレコードになったのだった。したがって『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』の演奏はライヴがもとで、耳をそばだてるとリズムのゆらぎも聴きとれる一方で音像にはスタジオ録音以上に奥行きが感じられる。映像と音を同時に再生すると楽しさもひとしおというか、YouTubeにも映画とサウンドを同時再生した映像があがっているので、公式か非公式かはぞんじあげないが、興味のある方はご覧いただくとして、そのなかでも『エブリデイ』に収録(再録)した表題曲“Man With The Movie Camera”からインタールード的な“Voyage”~“Odessa”を経て“Theme De Yoyo”にいたるながれは白眉である。その最後に位置する“Theme De Yoyo”はアート・アンサンブル・オブ・シカゴがモーシェ・ミズラヒ監督による1970年のフランス映画『Les Stances à Sophie』に提供したサウンドトラックからの抜粋で、原曲の歌唱はAEOCのレスター・ボウイーの奥方でもあるフォンテラ・バスが担当している。この背景が『エブリデイ』の“All That You Give”や“Evolution”へのバスの参加のきっかけだったと推察するが、おそらく同時並行的に進行していた『エブリデイ』と『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』へのとりくみがTCOをコンセプト主導型のプロジェクトから音楽的内実を備えた集団に脱皮させた、そのような見立てがなりたつほど2000年代初頭の作品は力感に富んでいる。

 上記3作を初期のサイクルとすると、その4年後に世に出た『マ・フラー』は彼らの次章にあたる。花を意味する仏語を冠したこのアルバムでTCOはこれまで以上に歌に比重を置いている。前作につづきフォンテラ・バス、新顔のパトリック・ワトソンとルイーズ・ローズが客演した『マ・フラー』は映像喚起的というより音がイメージそのものでもあるかのように運動し、ジャズの基調色は後景に退いている。作品の自律性をみるひとつの指標である空間性が『マ・フラー』にはあり、それが彼らの代表作たるゆえんでもあるが、なかでもしょっぱなの“To Build A Home”はTCOの世界にリスナーをひきこむにうってつけである。TCOの首謀者スウィンスコーは最新のオフィシャル・インタヴューでこの曲について「当時あれを〈Ninja Tune〉に届けた時、彼らはああいう曲を期待していなくて戸惑ってた」のだという。ところがこの曲は「本当にたくさんの人に響いた」ばかりか、ストリングスやピアノなどのクラシカルな編成を効果的にもちいた編曲はTCOがアレンジによる色彩感、ときにくすみ、ときに鮮烈でもある色彩感を自家薬籠中のものとしたことを意味していた。

 まさに「ホームを建てた(Build A Home)」というべき『マ・フラー』をものしたザ・シネマティック・オーケストラだったが、しかし彼らはその後12年の長きにわたる沈黙期に入ってしまう。12年といえば、きのう生まれた子どもが中学にあがり、干支がひとまわりするほどの時間である。いかに居心地のいいわが家とはいえ手を入れなければならない箇所も目立ってきた。とはいえリフォーム代もばかにならない。悩ましいところだが、手をこまねいていてはますます腰が重くなる──おそらくこのような生活感とは無縁の地平で、スウィンスコーは『マ・フラー』以降のTCOの行き方を熟考し動き出した。

 そこには環境の変化も寄与していた。スウィンスコーは長らく住み慣れたロンドンを離れ、2000年代なかばにはニューヨークへ、その後ロサンゼルスに拠点を移している。実質的に「ホーム」を離れていたのだが、それにともない他者との共同作業を中核に置く音づくりの方法も必然的に変化した。結果、新作『トゥ・ビリーヴ』は歌への志向性で前作をひきつぎ、旋律線の印象度はさらに深まったが、それ以上に歌唱と編曲の多様性で前作をうわまわるレコードになった。そもそも前段の発言の直前にスウィンスコーはこうもいっている。「僕は自分のやったことを繰り返したくないし、繰り返すことに意味を見出せない」このことばは生き馬の目を抜く音楽業界でいかに誠実に音楽をつくりつづけるか、その決意をしめしたものともとらえられるが、発言はさらに音楽が生きながらえるにはスタイルにとらわれないことが肝要だとつづいていく。スウィンスコーの発言を裏書きするように、『トゥ・ビリーヴ』は形式よりもリズムや音響といった音楽の原理にちかい部分に注力し、何度聴いても聴くたびに滋味をおぼえる一作になっている。私はこのアルバムを最初、レコード会社主催の試聴会で、さらにレコード会社のストリーミングで発売後はCDで愛聴しているが、再生環境やデータの種類のちがいによらず、音の表情に相同性があるのは、細部の再現性に気を配っているからで、そのようにすることで各エレメントがパズルのピースをくみあわせるように聴覚上でぴったりかみあうのである。その意味で『トゥ・ビリーヴ』は人声から器楽あるいはサンプリングのいち音にいたるまでどれが欠けてもなりたたないが、なかでも、フライング・ロータスからサンダーキャットまで、現行のLAシーンと深くコミットするミゲル・アトウッド・ファーガソンの手になるストリングスの存在感はきわだっている。『トゥ・ビリーヴ』でスウィンスコーの片腕となったドミニク・スミスのひきあいで参加し、96テイクものトラックを提供したというアトウッド・ファーガソンは通常のオーケストラの編成ともちがう、何挺もの同種の弦をかさねており、意図的に帯域を狭くとったなかにそれらが輻輳することで、クラシック音楽をたんになぞるだけではない『トゥ・ビリーヴ』の音響感覚を特徴づける音響空間ができあがっている。この実験的なサウンドデザインが『エブリデイ』以来の登場となるルーツ・マヌーヴァや、LA人脈のモーゼス・サムニーや常連のタウィアの歌声と併走するとき、ザ・シネマティック・オーケストラの新章はふくよかなイメージの広がりとともに延伸する、その過程をこの目で確認する機会がちかづいているとは、なんともはやラッキーなことといわねばならない。

Kelsey Lu - ele-king

 朗報です。ソランジュケレラOPNブラッド・オレンジなどの諸作に参加してきたチェリスト兼シンガー兼プロデューサーのケルシー・ルーが、ついにファースト・アルバムをリリースします。プロダクションにはジェイミー・XXやスクリレックスが参加している模様。昨年公開されたシングル“Due West”と10ccのカヴァー“I'm Not In Love”も収録。楽しみですね。

artist: Kelsey Lu
title: Blood
release: 2019.04.19
label: Columbia

Tracklist:
01. Rebel
02. Pushin Against The Wind
03. Due West
04. KINDRED I
05. Why Knock for You
06. Foreign Car
07. Poor Fake
08. Too Much
09. I'm Not in Love
10. KINDRED II
11. Atlantic
12. Down2ridE
13. Blood

Kode9 - ele-king

 アルバム『Nothing』から4年、スペースエイプとのEPから数えると5年。最近はローレンス・レックによるインスタレイションの音楽を担当したり、ベリアルとのミックスを発表したりしていたコード9が、いま新たな動きを見せている。彼とニック・ドワイヤーが監修を務め、2017年に〈Hyperdub〉よりリリースされたコンピレイション『Diggin In The Carts』は、日本のゲーム音楽に特化するというそのコンセプトから少なからぬ注目を集めたわけだけれど、来る5月、同作のリミックスEPが発売されることとなった。全4曲のリミックスを手がけているのはコード9で、ソロ作品としては久しぶりのリリースである。素材に選ばれたのは細井聡司(『The麻雀・闘牌伝』)、石橋浩一(『デザエモン』)、古代祐三(『アクトレイザー』)、新田忠弘(『サークII』)の計4組。現在そのなかから1曲が先行公開されている。か、かっこいい……。

チップチューン黎明期アーカイヴが80/160bpmで踊りだす!
KODE9 と森本晃司による伝説のA/Vライヴで使用されたリミックス音源が遂に公式リリース!

Nick Dwyer と Kode9 が監修を行い、80年代後期から90年代中期にかけて、日本のゲーム・ミュージックが生んだ貴重かつ革命的な楽曲ばかりを集め、世界を驚愕させたコンピレーション作品『Diggin’ In The Carts』。同作のアートワークも手掛けたアニメーション作家、森本晃司と Kode9 によるオーディオ・ヴィジュアル・ライヴは東京からバルセロナの SonarFestival まで多くのフリークスを熱狂させた。そして、同セットで披露され、音源化が熱望されてきたリミックス・トラックが遂に Kode9 にとって実に5年ぶりとなるEP作品としてリリース!! 一見で虜になるスリーヴ・デザインは、森本晃司のアニメーションを操った Konx-om-Pax が手掛けている。

title: Diggin In The Carts Kode9 Remixes
release: 2019.05.03
label: Hyperdub
format: 12inch, Digital
link: https://fanlink.to/digginremix

Tracklisting:
A1. Soshi Hosoi - Mister Diviner [The Mahjong Touhaiden] Kode9 Remix
A2. Koichi Ishibashi - Bad Data [Dezaemon] Kode9 Remix
B1. Yuzo Koshiro - Temple [Actraiser] Kode9 Remix
B2. Tadahiro Nitta - An-Un (Ominous Clouds) [Xak II] Kode9 Remix

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