「K A R Y Y N」と一致するもの

Miki Yui - ele-king

 ドイツ・デュッセルドルフを拠点に活動する美術家/音楽家ミキ・ユイ、その待望の新作が、マンチェスターのエクスペリメンタル・レーベル〈Cuspeditions〉からでリリースされた。前作『Oscilla』から3年ぶりである。マスタリングは『Oscilla』から引き続きラシャド・ベッカーが手掛けた。
 彼女は故クラウス・ディンガーのパートナーであり、その遺作『JAPANDORF』の共同制作者でもあるのだが、多くの音響リスナーが知っているように、ミキ・ユイは『Small Sounds』(1999)、『Lupe Luep Peul Epul』(2003)、『Silence Resounding』(2005)、『Magina』(2010)、『Oscilla』(2015)などの音響作品を継続的にリリースし続けてきた音響作家である。

 2015年に自主レーベルからリリースされた前作『Oscilla』は、(リリース当時)5年ぶりのソロ・アルバムだったが、非常に印象深い音響作品に仕上がっていた。音が放つ空気の層が澄んでおり、聴くほどに空間と体に浸透するようなミニマルなサウンドが生成・構築されていたとでもいうべきか。電子音であるとか、フィールド・レコーディングであるとか、そんな技法的な形式に囚われず、ただ、「そのむこう」で鳴っている音/時間に満ちていたのである。
 この新作『Mills』も同様だ。本作もまたあらゆるドグマから自由な音楽/音響が、密やかに、清冽に、そして濃厚な時間の層のなかで生成している。まずは試聴して頂きたい。

 現在、テクノ〜音響派以降を経由した(主に西欧の)エクスペリメンタル・ミュージックは、ある種の現代的ロマン主義の弊害に陥っている。現代的ロマン主義とは、音それ自体から離れていく観念の肥大だ。観念をコンセプトと言い換えれば、コンセプチュアルなサウンド・アートもまたロマン主義の末裔ともいえる。いずれにせよ、音それ自体からは離れてしまう。
 Miki Yuiの音楽にはそれがない。音が音として具体的に手触りとして存在している。とくに前作から、その傾向がより強くなってきたように思える。それぞれの音が、それぞれの音として、ただ、存在し、鳴り、そして舞う。作曲者の意図が全編を覆いがちな(その結果、ロマン主義的な抽象性へと帰結してしまうような)現代の電子音楽であって、稀有な音楽/音響である。

 新作『Mills』でも、それはまったく変わっていない。音はまろやかに、同時に音の輪郭線と構造は明確だ。そのうえ風に揺れる木の葉のようにしなやかである。そう、音が、「そこ」にある感覚とでもいうべきか。
 本作にコメントを寄せたスラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアは「このアルバムは私に あたかも演劇作品を見ているかのような錯覚をあたえる。それぞれの音は独立していて、独自の役柄が巧妙なドラマツルギーにそって物語をつくりあげてゆく」と評しているが、「ドラマツルギー」と語っている点が重要に思える。音と音、その存在同志が奏でる饗宴。

 アルバムには全5曲が収録されているが、どの曲も電子音と、環境音と、微かなノイズによる落ち着いた音色/トーンのミニマル・ミュージックに仕上がっている。聴き込んでいくと分かるが、そのミニリズムは、あるとき必然のように不意に逸脱する。その逸脱の瞬間と持続がとてもスリリングなのである。
 穏やかなミニマリズムが微かなグリッチ音の介入によって僅かなズレと逸脱を生む“dial sun”、遠い夜の世界に響くような打撃音とざわめきのようなノイズが交錯する“granit”と“salute”、生成と消失を反復し空虚の中の清冽さを鳴らすミニマル/ドローンの“mica”、12分に及ぶ長尺のなか(本作の重要曲のはず)、さまざまな音と音が微かに触れ合うように蠢き、変化を遂げる“solareo”、冒頭の“dial sun”と対を成すような“dial moon”の何かを叩くような乾いた音と電子音の反復。
 これら全5曲を聴き終えたとき記憶と耳に残るものは、鉄を軽く叩くような乾いた音であった。柔らかな夢のような持続音、密やかなノイズ、環境音のミニマルな断片、それらのサウンド・エレメントが「音楽」として丁寧に織り上げられていることへの静かな驚き……。それは人が持っている原初の音の記憶のようだ。

 音に触れて、音のなかに潜むもうひとつ音を鳴らすこと。その存在を許容するように生成すること。ここには観念より、より具体的な音の手触りがある。それは、どこか「夜の音」のようだ。「夜」という時空間において、見慣れた木々がまた別の存在感を放つように。
 本作は紛れもなくミキ・ユイの最高傑作である。だが、そんな大げさな形容に意味はない。ただ、音を聴くこと、その秘密を聴くこと。リスニングの魅力と贅沢がここにあるのだから。

interview with Oneohtrix Point Never - ele-king

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 ジェイムス・ブレイクがミキシング・エンジニアを担当していると発表されたOPNの新作はほかにもアノーニなどゲストの情報が先行しているけれど、そのような人たちの影響が明瞭に聴き取れるようなものでもなんでもなく、はっきりとOPNの新作としか言いようがない作品に仕上がっている。そういったゲストの存在にはまったくと言っていいほど左右されていない。過去の作品と比べたときに手癖のようなものがあることは感じられる。しかし、昨年のレコード・ストアー・デイにリリースした2枚の『コミッションズ(Commissions)』もまたそうであったように、さらりとそれまでとは違うことをやってのけるのがダニエル・ロパティンなのである。いや、さらりとではなかった。そこにはいつもそれなりの苦闘があったことは今回のインタヴューでも確認することができた。どういうわけか彼はそういうことは正直に話してくれる。そこはいつもと変わらない。
 『リターナル』『アール・プラス・セヴン』『ガーデン・オブ・ディリート』、そして、『エイジ・オブ』と、これが4回目のインタヴューである。こんなに何度も同じ人にインタヴューしたのは忌野清志郎以来である。最初はもういい加減、訊くことはないんじゃないかと思ったりもしたのだけれど、ダニエル・ロパティンが加速度をつけて変化しているせいか、今回がいままでいちばん面白いインタヴューになった気までしている。むしろ、彼の考えていることや一貫してこだわっていることがようやくわかってきたような気もするし、取材が終わってから、訊きたいことがもっと出てきたりもした。どこに向かって疾走しているのかはさっぱりわからないものの、それがこれまでに見たことのないどこかであることだけは確かだと言える『エイジ・オブ』について、彼の話はあまりにも多岐にわたり、量も膨大になってしまったので、新作について外側から見た部分をここに、そして内側から見たパートは次号の紙エレキング(22号)で公開することにした。通訳の坂本麻里子さんとは、なんというか、何度もタッグを組んできたせいで、じつはもうどこからがどっちで、どこからが誰なのかわからないほど一体化して取材に当たっているという感じなのですが、詳細な注のほとんどは彼女の手によるものです。(三田格)

パーソナルな表現とは逆に、「ここでは演奏する人間が排除されている」という感覚だね。で、そのフィーリングもどういうわけか、僕にはとても人間的なものに感じられるんだ。

音楽ファンは必ずしも「リラックスしない音楽」を聴くこともあると思いますけど、あなたの場合は「リラックスしない音楽」を聴くことがあるとしたらそれは何のためですか?

ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin、以下DL):(ニヤリと笑ってうなずきながら)なるほど。だから……それぞれの「役目」を持つ音楽、そういうものがあってもいいだろうとは思うんだよ。機能を果たさなければならない音楽というか、聴いているうちに身体の速度が速くなって動いたりダンスしたくなる音楽だとか、寝つけないときにそれを補助して眠りに就かせてくれる音楽だとか。そういった機能的な音楽にはまったく問題がないし、実際のところ、この僕だってたぶん、音楽の持つ医薬的効果の恩恵をこうむっているんだろうしね。たとえば……スティーヴ・ローチなんかのレコードを聴きながら眠りに落ちる、だとか? けれども、僕にとってはそれは違う……だから、それは僕からすればもっとも冴えた音楽の使い方ではない、という。

ほう。

DL:僕にとって、音楽は映画に似たものなんだ。要するに、ほとんどもう鏡に身体が映るかのごとく、聴き手に自身を見せてくれるもの……そのストーリーが観る人間の精神を映し出す鏡になっている、みたいな。で、音楽のもたらす効果にはどこかしら、ほとんどもう彫刻に近い面があるんだよ。だから、音楽を聴いていると空間を思い出させられる、音楽が空間をクリエイトする、というか……そう、自分を取り囲んでいる環境を、自分の置かれた情況を思い起こさせてもらえる、と。(音楽を聴くことによって)いろんな物事を気にしたり関心を持つようになるし、そうした物事というのはさもなければその人間のマインドによって優先事項から外され、どこかにしまい込まれてしまうものなんだよ。で、マインドはこう語りかけてくるわけ、「何も心配しなくていい。とにかく労働せよ」と。「つべこべ言わずに労働し、子供をつくり、それが済んだらとっとと消えろ」とね。

(苦笑)。

DL:で、脳が求めているのって基本的にはそれでしょ?

(笑)ええ、まあ。

DL:だけど、そうじゃないんだ。僕たちはもっとそれ以上を受けるに値する、僕はそう思っているから。で、音楽というのはどういうわけか、その点を思い出させてくれるとんでもない「合図」であって……本当に生き生きとした状態になる、真の意味で生きている状態になることを思い出させてくれる、とにかく途方もないリマインダーなんだよな。

なるほど。

DL:で、他のみんなと同様に、その点は僕だってとっくに承知していてね。そりゃそうだよ、だって、やっぱりきついからさ。毎日毎日、こう……一切の悩みやしがらみから完全に解放された状態で、常時あの、「アウェアネス(気づき、知覚)」な状態で生きる、みたいな? そんなの不可能だから。それをやるには、何か補助してくれるものが必要だよ。だから若い頃は僕もサイケデリックなドラッグとかに向かったしね、その手の経験を得たいと思って。と同時に、その(ドラッグによる幻覚)体験もまた、興味深い形で音楽と組み合わさっていたんだけれども。ところが、歳を食うにつれて、自分でも悟ってきたんだよね……だから、「ほぼ音楽なしでも自分にはそういう経験ができるんだ」と。正直、すごく集中すれば、自分は音楽なしでそれをやれると思ってる。というのも、音楽はそれ以上にもっとエキサイティングだし……どうしてかと言えば、音楽というのはじつに具体的で特定な類いのアウェアネスだから、なんだよね。それは他の誰かさんがつくり出した構造だ、と。そんなわけで……うん、そうやって、他の誰かの知覚に基づいた文脈で自分を満たしてみるのは、興味深いことなんだよ。

ふーん、面白いですね。他人のヴィジョンにすっかり自分を委ねる、とでもいうか?

DL:ああ……。

自分とは違う人間の解釈や構造のなかに自らを解放する、というふうに聞こえますが。

DL:そう! だから、ひとつの関係を結ぶってことなんだよ。それにまた、他にもあり得るのは……

ってことは、それだけその音楽を信頼していないといけないってことでもありそうですよね? 自分自身を委ねるわけだから。

DL:それもあるし、また一方で、ある種アヤワスカ(※自分で調べよう!)みたいに、飲み込んではみたものの吐いてしまう、みたいなことだって起こり得るわけだよね、肉体そのものがそれを求めていなくて拒絶反応が出る、という。で……自分にはどうしても入っていけない、そういう音楽も存在するんだよ。いや、とにかく自分でも入り込もうとトライはするんだけど、そこに何らかの……「壁」めいたものを感じ取ってしまう音楽、という。それって興味深いよ。ってのも、誰だってそういうふうに、様々なアートに対して、それぞれに異なる「壁」を感じるものなんだろう、僕はそう思っているわけ。でも、こと音楽に関して言えば、自分に「壁」を感じさせるものってまず大抵の場合、そこに「あるなんらかの特定の目的を果たすために作られた」感覚を伴うもの、なんだよね。そういうのには退屈させられる。

なるほど。

DL:だから、それを聴いても感じるのは「あー、この音楽に対して聴き手の僕が何らかの行動を起こすように、そう、こっちをプログラムするべく何かつくっている人がどっかにいるんだな」というだけのことだし。で――僕はとにかく、音楽は開かれた、オープンなものであってほしい、みたいな。だから、たとえかなりしっかり構築されたものだとしても、オープンさを許す隙をそれがもたらすことはできるわけでさ。そうは言ったって、何も「すべての楽器は生で演奏されていなくてはいけない」とか……「誠意あるものでなければならない」といった意味ではないんだけどね。だって、不真面目なものだってオープンになり得るんだから。だけど、僕が好きなのは、とにかくここ(と、トントン胸を叩きながら)、ハートから生み出された感じがする、そういう音楽なんだ。そうである限り、音楽の構築の仕方はつくる人の勝手、いかようでも構わない、と。僕が感じるのはそういうことだね。


photo: Atiba Jefferson

レコーディング=記録物ですら、時間の経過につれて変化していく、変化し得るんだよ。たとえ、非常に慎重に保存されたものであっても。

どんな音楽も時代と結びついていると思いますか? それとも時代と結びつく音楽と結びつかない音楽があると思いますか?

DL:うん、時代と結びついていると思う。その点は僕もとても興味があるところで、というのも、「とあるテクノロジー」は「とある時代」に発生するものだ、その発想が好きだからなんだ。その事実が、(ある時代に)生まれてくる音楽にとっての枠組みをクリエイトするものだ、という点がね。たとえば、ハープシコード。あれだって、初期段階の音楽機械だったわけだよね? それ以外にもハーディ・ガーディとかいろいろあったけど、あれらはマシーンだったわけ。マシーンだからこそ、ある程度の自律性を実現できた、と。要するに、演奏する者とサウンドとの間の分離を生むことができた。で……その分離は、とても興味深いものでね。だろう? とても面白いよ。

なるほど。

DL:自分でも、なぜああいった「ミュージカル・マシーン」みたいなものに心惹かれるのか、そこはわからない。ただ、どういうわけか、あの手の機械に僕は強く興味をそそられる。だから……あの手の機械にある「冷たさ」というのかな? 機械が作り出す、パフォーマーとの間の距離、ということ。それに、そこから生まれるサウンドもとても興味深いしね。で、僕たちが素晴らしいと称えるものって、多くの場合……さっき話していたような、「苛烈なまでにパーソナルな表現」みたいなものなわけ。僕たちはそういう表現が大好きだし、それはやっぱり、「すごい! これはまさしくこの人間そのものの表現だ!」と思えるからなんだよね。たとえば、ジャズの偉大な即興奏者を何人か思い浮かべればそれはわかるだろうし、彼らのやることを僕たちはとても高く評価している、と。たしかに、あれはとんでもなく素晴らしい表現だよ。ところが、それとはまたまったく別物の……フィーリングみたいなものを受け取ることもある、というのかな、(パーソナルな表現とは逆に)「ここでは演奏する人間が排除されている」という感覚だね。で、そのフィーリングもどういうわけか、僕にはとても人間的なものに感じられるんだ。

ほう、そうなんですか。

DL:うん。どうしてそう感じるかは自分でもわからないんだけどね。

特定の時代に引き留められていない音楽、いわゆる「タイムレスな音楽」というのは存在すると思いますか? いまから50年前も、これから先の10年後にも、人びとに同じく聴かれている音楽はあるでしょうか。それとも、やはり作られた時代の色味を音楽はある程度は帯びてしまうもの?

DL:僕が思うのは、何かがいったん「作られて」しまったら……それは変化するものだ、ということだね。それってとんでもないことだけどね。だから、たとえばレコーディング=記録物ですら……それってとても安定したパフォーマンスのアイディアであって、それこそ「物」なわけでしょ? だから、音楽(という形にならない/目に見えないもの)を物体化したもの、みたいな(苦笑)。そうやって音楽を物にしている、という。ところがそのレコーディングですら、時間の経過につれて変化していく、変化し得るんだよ。たとえ、非常に慎重に保存されたものであっても。

それはいわゆる、テープの劣化とか、そういうことですか?

DL:ああ、それで変化するってこともあるだろうね。ただ、考えてもごらんよ!――だから、テープ云々のせいで変化するんじゃなくて、それを聴く人びとによって変化が起こる、と想像してみてごらん。その音楽にまつわる文脈が一切存在しない時期に、人びとがそれを聴くだとか……あるいは長い歳月が経過して、それこそ何千年も経った後では、人びとにその音楽は伝わらないかもしれないよね、僕たちにもはや楔形文字や象形文字が理解できないのと同じように。で、過去を理解する能力が自分たちには欠けている、その事実からは多くを学べると思うんだよ。というのも、そこから僕たちの本質へと導かれるわけだから。

はあ。

DL:だから、物事は保存されないんだ、と。で、音楽にだってそれは同様に当てはまると僕は思っていて。音楽はクリエイトされるし、その音楽が存在した時代に対して何らかのコメントを発している、と。けれども、そのアイディア自体、増強されていかなくちゃならないんだよ。というのも、時間がつねにそれを削り取ってしまうから。時間というのは、だからこう、奇妙な金槌みたいなものなんだよな。

(笑)なるほど。

DL:ゆっくりと、本当に少しずつ、時間は物事の意味合いをノミで削っていってしまう。で、思うにこれはとても……僕たちの精神の機能の仕方のなかの、たぶん悲劇的な部分なんだろうね。だけど、それと同時にエキサイティングな部分でもあるんだよ。というのも、(変化するということは)物事は何かをクリエイトしていく……というか、物事は新たなフォルムへと成長・発展していく、ということだし、その形状なら僕たちにもコントロールできるからね。僕たちにもそれを抑制することができる、と。

(音楽や記録されたものも)有機物みたいなものだ、と。

DL:っていうか、それ以外に有り様がないよね。僕たちの存在そのものの枠組みがすっかり変わらない限り、そうある以外ないんじゃないかと思う。それはほとんどもう、この宇宙(ユニヴァース)の本質だ、という気すらするよ、僕にとっては。

ユニヴァース、ですか。……(苦笑)は、話が大きいっすね。

DL:(手をパンパン叩いてウケて笑っている)ああ、僕はスケールの大きい話は大好きだからね! 普遍的なストーリーが。

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マシュー・ハーバートにはぞっこんなんだ。っていうか、もう――自分がどれだけマシュー・ハーバートが好きか、君に説明しきれないくらいだよ、ぶっちゃけ。

『グッド・タイム』はいままでのどのアルバムよりもダイナミックで伸び伸びしてると感じました。逆にいうと普段はもっと神経症的に曲を作っているということですよね?

DL:(笑)ああ、そうだね。ハッハッハッハッハッ……!

リラックスできないタチで、もっと強迫観念めいたところがある、みたいな?

DL:うん、もちろん。ほら、見るからにそうでしょ?(と、ソファにだらーっと身を預けた完全なリラックマ状態で、わざと無表情な口調で冗談めかす)

(笑)。

DL:(真顔に戻って)まあ、自分にはちょっとノイローゼ的なところがあるんだろうね。でも……どうしてそうなったかは、自分でもわからないんだよ。ただ、僕は移民家族の一員として、ボストンで育てられたわけで……自分たちみたいな家族は周囲に他にあんまりいない、そういう土地で育った、と。だから、当時うちの家族が暮らしていたエリアでは、僕たちはちょっとストレンジな存在だったんだよ。で、僕の両親は金銭面でものすごく逼迫していたし、我が家は物に恵まれてはいなかった。で……だからこう、つねに「恐れ」の感覚がつきまとっていたんだよな。というのも、両親は故国を捨ててアメリカに渡ったし、彼らは見知らぬ国で新たな環境に順応し、しかも僕ら子供たちを養わなければならなかった。だから、彼らに「リラックスしてほっと一息」なんて余裕はまったくなかったんだ。というわけで――そりゃそう、そういった面が僕に影響を残すのは当然の話だよ! いや、だから……僕の生い立ち云々をいったん脇に置いてみようか。母親が僕をお腹に宿していたとき、両親はソ連から旅立とうとしていてね。

ああ、そうだったんですね。

DL:彼らはソ連を脱出しようとしていた。だから「ホリデーでアメリカに観光」なんてものじゃなかったし、実質、嘘をついてソ連から逃げ出さなくてはならなかったんだ(※かつてソビエト連邦は海外移住するユダヤ人に高額な出国税等を課していた。詳しくは、移民の自由を認めない共産圏国家に対する最恵国待遇の取り消しを含む米議院ジャクソン=バニク修正条項を参照されたし。同条項が効力を発した1975年以後、ユダヤ系ロシア人のアメリカおよびイスラエルへの移民が増えた)。当時は閉鎖状態で、ソビエトから出国するのは難しかったからね(※OPNは1982年生まれのはずなので、ブレジネフ時代)。だから……母親は相当にストレスを感じていたに違いないよ。で、そういう心理状態が(お腹の)赤ちゃんにまで影響したか? と言われたら、僕は「きっと影響しただろう」と、そう思っていて(笑)。

(笑)はい。

DL:というわけで、僕はそういうものを受け取ったんだし、おそらくそれって、今後もとにかく付き合っていくしかないんだろうな、と。

なるほど。そんなあなた自身は自分がアメリカン・ドリームを体現したと思いますか?

DL:まあ……僕の両親からすれば、僕のやってきたことってものすごい、クレイジーな話だ、みたいなものだろうね。というのも……自分たちのような家族、海外に渡ったロシア人ファミリーは僕たちもたくさん知っているけど、そうした移民ファミリーの目標はいつだって、「子供たちにより良い生活を」なんだよ。それって典型的な移民家族のゴールだ、と言っていいと思う。……っていうか、移民に限った話ですらないのかもしれないよね? もしかしたら、多くの家族のゴールがそれ、「子孫に良い生活を」なのかもしれない。ただまあ、移民にとっては、「わたしたち家族はこの地に移住する。我々(親)はそこで犠牲を払わないといけないのは承知している。けれどもそのぶんお前たち(息子/娘)は、もっと良い暮らしをするための機会を手にすることができる」みたいな。

はい。

DL:というわけで……まあ、たぶん少々ひやひやさせたところもあったんだろうけれども、いまのこの時点では、両親はこの僕がどうにか上手くやっていて、しかも自分のやりたいことをやれるようになった、その事実をとても喜んでくれていると思う。その点を彼らは誇りに感じているし……うん、その意味ではこれもまた、「アメリカン・ドリーム」のなんらかのヴァージョンなんだろうね、きっと。ただ、それはまた「アメリカの悪夢」でもあるわけでさ。

(苦笑)タハハッ!

DL:いやだから(笑)……まあ、少し前に、あるドキュメンタリー作品を観ていたんだよ。オレゴン州に存在したカルト集団、ラジニーシプーラムを追った内容なんだけど。

ああ、『Wild Wild Country』のことでしょうか?(※2018年3月にネットフリックスが発表したドキュメンタリー。インド人宗教家・神秘思想家バグワン・シュリ・ラジニーシこと「オショウ」と、彼が1981年にオレゴン州の荒れ地に建設した巨大なユートピア型コミューン/実験都市「ラジニーシプーラム」、バイオテロ事件などの同カルトにまつわるスキャンダルを扱った内容)

DL:そう、それ! あれは奇妙なドキュメンタリーで……作品としての出来そのものは、じつはそんなに良くはないけどね。というのも、作者の意図に沿って観る側の考え方を操るようなところが少しある作品だと僕は思うし。ただ……あそこで何が起こったか、それを観ていて(目を丸くする)――要するに、インドからやってきた新興宗教のリーダー、兼マーケティングのものすごい天才みたいな人物がいて、彼のもとに集まり彼に指導された、リッチな層のヨーロッパ人がいたわけ。で、彼は富裕層の欧州人はもちろん金のあるアメリカ人からも祝福されたし、そうやって彼らはオレゴンのなんにもない辺鄙な土地に結集した、と。そんなことが起こり得る国って、他にあったら教えてもらいたいもんだよ! あれはもう、完全なる……一種の気違いじみた妄想であって、それってアメリカでしか起こり得ないものだ、と。

なるほど。

DL:で、この僕だってアメリカからしか生まれ得ないわけ。ご覧の通り、僕はこんな奴だしね。だから……良いものだけではなく同時に悪いものも一蓮托生で手に入ってきてしまう、そういうことだってあるんだ、みたいな。僕だって、何も……もちろん、それって厄介で面倒だよ。だけど……アメリカは非常におかしな場所なんだ、と。そこではたくさんの出来事が起きているわけだけど、そのほとんどは、外部の人間の目には100%の狂気の沙汰と映るようなものばかり、と(笑)。

(苦笑)はい。

DL:で、それが世界全体にとっての利益になる、そういうことだってたまにはあるんだよ。ただし、多くの場合、実際は世界に害をもたらしている、と。僕がこの「アメリカン・ドリーム」というものに対して感じるのは、そういうことだね。

サウンドトラック・メイカーとしては、いまはどこらへんがあなたのライヴァルでしょうか?

DL:ああ、ライヴァルか! 良いね~!(満面の笑顔)

『ナチュラル・ウーマン』のマシュー・ハーバートか、『ファントム・スレッド』や『ビューティフル・デイ』のジョニー・グリーンウッドが当面はライヴァルかな、なんて思いますが。

DL:マシュー・ハーバート! 彼はめっちゃ好きなんだよなぁ! それってドイツ映画?

いや、チリ人監督作品だと思います。

DL:へえー、チリなんだ。いや、その作品はまだ観てないな。ただ、音楽は聴いたよ。だから……マシュー・ハーバートにはぞっこんなんだ。っていうか、もう――自分がどれだけマシュー・ハーバートが好きか、君に説明しきれないくらいだよ、ぶっちゃけ。

(熱心な口ぶりに気圧されて:笑)わ、わかりました。

DL:とにかく、彼の『ボディリー・ファンクション(Bodily Function)』(2001)、あれは僕のオールタイム・フェイヴァリットのひとつだ、みたいな。でまあ、その、ライヴァルってことだと……ところで、「ライヴァル」って良い言葉だよね? 楽しいし、それこそスポーツ選手の話をしてるみたいでさ(笑)。

はっはっはっはっはっ!

DL:だけど――そう言われて自分が想像してみたいのは、むしろある種のクレイジーな現実だな。で、その世界では僕のライヴァルはハンス・ジマーだ、みたいな。

(笑)ええ~っ、大きく出ましたね!

DL:(笑)うん。っていうのも、僕は本当に……ある意味、ちんまりしたスコアはやりたくないっていうのかな、そうではなくて、マジにスケールの大きいスコアをやってみたくてさ。

超SF大作、ファンタジー巨編、みたいな?

DL:うん、本当に、本当にドカーンとでかい作品をやってみたい。それが自分にとってのゴールだし、もしも他の人びとが僕にやれると信じてくれないとしたら――まあ、そりゃ僕にはなんにも言えないよね。(独り言のようにつぶやきながら)ただ、見てろよ、いつの日か僕はやってやるから、と。

お話を聞いていると、あなたってじつはかなり競争意識の強い人みたいですね?

DL:ああ、相当競争心が強いよ(ニヤッと笑う)。

(笑)ちょっと意外。

DL:(笑)いやまあ、それは別としても、ハンス・ジマーは優秀だよ。彼って、少しこう……誤解されてるんじゃないかと思う。ってのも、彼ってとても……いわゆる「コマーシャルな作曲家」なわけじゃない? でも、彼の作品には信じられないくらいすごい瞬間がいくつかあるんだって! たとえば、僕は彼の担当したスコア……あれはすごくデタラメな映画で……たしかジョン・ウー作品だったと思うけど、『ブロークン・アロー』(1996)ってのがあって(※ジョン・ウーのハリウッド2作目のアクション映画)。出演はジョン・トラヴォルタに、あの俳優……『ミスター・ロボット』に出てた人……あ~、名前はなんだっけ……

クリスチャン・スレイター?

DL:そう(笑)!……でまあ、『ブロークン・アロー』のスコアはじつにクールだ、と。しかも、実際『エイジ・オブ』にも少々影響しているんだよね。っていうのも、あのスコアには一種カントリー風なトゥワングがあるし、ややこう、「西部開拓期」なヴァイブがある、みたいな?

(笑)。

DL:あのスコアは本当に好きなんだ。ある種「コズミック・ウェスタン」とも言えるスコアだから。要するに、エンニオ・モリコーネ風なんだけど、そこに本当にコマーシャル性の高いクサさを伴っている、みたいな。大好きだね(ニンマリ笑う)。

photo: Atiba Jefferson

自分には速度を落とす必要があるんだな、と。ってのも、僕は本当にスピードが速いから。瞬時に変化するってのが好きだし……数秒間以上もうだうだと同じアイディアに留まっているのは苦手なんだよ。

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『エイジ・オブ』はこれまでになくポップな内容だと思います。これはでき上がったものが自然とそうなったのか、それとも意図していたことなんですか? 

DL:ああ、意図的だったね。というのも、自分の成長期の一部に……ベックの『オディレイ』(1996)が出たときのことを覚えているんだよ。あそこで「ワーオ! これは……何もかもが1枚のなかにひっくるめられているな」と感じた。ダスト・ブラザーズの折衷性、みたいな。だから、あのレコードの相当多くの面が、長いこと自分の頭の片隅にひそかに居座っていた、という。で、僕が自分自身のキャリアをさらに奥へ、もっと深くへ辿っていくにつれて、それこそ、もう後戻りするのは無理、みたいな地点にリーチするわけだよね。自分はもうこれ以外の何者にもなれない、「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」を続けるだけだ、と。ただ、僕は本当に、音楽全般に魅了され夢中になっているんだよ。それは別に「スタイルとしての音楽」ってことではなくて、なんというか、ある種の、自分自身のステージ(段階)としての音楽、という。だから、ということは、僕には――何も「これ」といった特定のタイプの音楽をやろうってことではないけど、だから、そう……自分の思うまま、自分は好きな夢を夢見ることができるんだ、みたいな? 思いつく限り、どんな楽器を弾いても構わない、と。そんなわけで、僕はジャンルの境界線を使って遊びたいんだ。そこでは、僕は歌に自らを譲ることになるし、そこで自分に歌を書かせるわけだけど……けれども、物事は変化するし、物事は変化したっていいものなんだよね。それに、ジャンルにしたって多かれ少なかれ柔軟にこねられる、それこそプラスティックみたいなシロモノなんだし。

なるほど。

DL:で、以前の自分というのは、すごく目まぐるしいことをやってたんじゃないか? と思っていて。(指を素早くパチン、パチン! とスナップさせながら)基本的に、ひとつの小節あるいは拍子から次へとものすごいスピードで移っていく、みたいな。ところが、いまの時点での僕はそういうやり方にあんまりハマってはいないんだ。それより自分にはゆっくりしたペースと思える、そっちに入れ込んでいる、というか。だからもっとゆったり緩い変容のペースというのか、(1小節刻みではなく)1曲ごとに変化していく、もしくはひとつの曲のなかで大きなセクションごとに変わっていく、と……っていうか、じつはそれですらないかもしれないな? このアルバムは「一群の歌が集まった」ものだし、あれらの曲群はそれぞれ異なる色をつけられているかもしれないけれど、やっぱりそれ自体でちゃんと「歌」になっている。だから、アイディアという意味では、あれらの歌はそんなに素早く急激に変化しないんだよ。

アノーニデイヴィッド・バーンをプロデュースしたことが影響しているのかな? とも感じましたが。

DL:100%そう。実際、自分がやっていたのはそれだったんだし(笑)――だって、過去2、3年くらい、僕はずっと働いていたんだし。とにかく仕事、仕事、と。そんなわけで、自分でもちょっと感じるんだよ、その意味では、こう……自分は街路に立ってスープを煮ているんだな、みたいな。

(笑)。

DL:いや、だからさ、そうやっていれば、他の人びとが何を欲しがっているのか学ぶわけだよ、そうじゃない?(プフッ! と噴き出し苦笑) だから、自分のためではなく、他の人たち向けにスープを料理する、という。そうすれば、「ああ、彼らはニンジンを入れると気に入るのか」などなどわかるっていう。

タマネギを入れたほうがいいかも、とか。

DL:(苦笑)そう、その通り! で……また逆にそこで教わったのが、人びとが求めていないものは何か? ってことでもあってさ(爆笑)! クハッハッハッハッハッ……

ああ、そうでしょうね(笑)。

DL:(笑)僕はフリーク、変わり者みたいなものだし、(指をパチッ・パチッと小気味良くスナップさせながら)自分には速度を落とす必要があるんだな、と。ってのも、僕は本当にスピードが速いから。瞬時に変化するってのが好きだし……数秒間以上もうだうだと同じアイディアに留まっているのは苦手なんだよ。けれども、こう、一緒に仕事した人たちを相手に、総合的な意見みたいなものを調査したところ(苦笑)、ヒッヒッヒッヒッ!……彼らに言われるんだよね、「うん、そこ、良い! そのパートを、ただ繰り返していってもらえる?」と(笑)。で、僕はもう(予想が外れてやや意外/ちょっと違うんだけどなぁ? という感じの、微妙で皮肉まじりな表情を浮かべながら)「なるほどねー、承知しました! うん、それは素晴らしい思いつきだ」みたいな(苦笑)。

(笑)。

DL:たぶん、僕には必要なんだろうな……だから、アノーニにデイヴィッド・バーン、そのどちらからも――それにトウィッグス(FKA Twigs)もそうだけど、彼らみたいな人たち全員から「ねえ、そこの箇所、それをとにかくちょっとループしてくれない?」と言ってこられたら、そりゃやっぱり、僕はたぶんそこをループさせるべきなんだろう、と。彼らは優れた人たち、自分たちが何をやっているかをちゃんと把握している人びとだからね……クフッフッフッ(思い出し笑いしている)。

あなたのやることは凝縮度が高すぎなのかもしれませんね。少々水で薄めないと口に合わない、みたいな。

DL:ああ、ほんのちょっとだけ、ね(笑)。でもさ、じつを言えば、そうやって希釈することは自分でも気に入っているんだ。それって何も「他人のニーズに合わせる」だけのことではなくて、ほんと、自分の音楽をああいう形で耳にすること、それってリフレッシュされる体験だなと我ながら感じる、そこは認めざるをえなくて。だから、とにかくその聞こえ方は……ここのところの自分の物事の考え方にマッチしている、そう思えるんだ。

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ほとんどもう、ポップ・ミュージックにとって当たり前な言語みたくなってきたもの、聴き手に心理的な作用を及ぼすあのやり方、それらの多くに対して僕は抵抗して闘ってきたんだけどね。

E王
Oneohtrix Point Never
Age Of

Warp / ビート

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『エイジ・オブ』は前作のハードなところが減って、全体に艶やかさのようなものを感じます。『ガーデン・オブ・ディリート』は劣悪な環境、密室恐怖症的な地下環境が作品に影響していると言ってましたが、今回はいい環境で録音できたということですか?

DL:うん、今回はガラス窓がたっぷりだったよ! それこそ、前庭にある木立を眺めつつ作業する、みたいな。

そうなんですか! それはずいぶん違いますね。

DL:ああ。この作品はとても奇妙な家でレコーディングしてね。

(前作時の)地下牢(ダンジョン)ではない、と。

DL:うん、地下牢はもう後にした(笑)。で、マサチューセッツ州にある私邸に行って。とても変わった家なんだ。ガラス製なんだけど、円形でね。四角くないんだ。で、なかにいると、あの建物がとても奇妙なフィーリングを醸し出してくるっていう。日中に作業している間はとてもリラックスできるんだよ。というのも、ハリネズミだの、いろんな動物が見られて……ハリネズミにコマツグミ、青ツグミにおかしないろんな鳥たち、リスだのが木立で過ごしている様子が見えたし、それに、近所の住人たちも見えたっけ(笑)。近所の隣人たちは興味深かったな。じつは、彼らがいちばん面白かったかも。それはともかく、その一方で、これが夜になると、ガラス張りの家で暗闇のなかにいるととても無防備に感じるんだよ。それって、とても奇妙でね。というのも、ああしたガラスでてきた家に暮らすのって、こう、一種の特権、贅沢だと考えられているわけ。ところが、僕からすればあの家での暮らしって悪夢のように思えて。というのも、いったん家のなかの照明が点くと、外の周囲は何も見えなくなってしまう。で、誰かに監視されてるんじゃないか、そんな気がしてくるんだ。たとえ実際は外に誰もいなくても、いつ何時、誰かが飛び出してくるんじゃないか? みたいな気がする、と(苦笑)。というわけで、あそこは日中は地下牢ではなかったけれども、夜になると悪霊っぽい性質を伴う場所だったね。うん、悪霊っぽいところがあった。

(笑)。それって、マイケル・マンの映画に出てきそうな家ですね。『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986)って覚えてます?

DL:うん、もちろん。

あれにも出てきますけど、マイケル・マン映画ってガラス張りで外から中やアクションが丸見えの住宅をよく使いますよね。カメラがその外にあって、それを追っていく、みたいな。

DL:とんでもないよねぇ。

でも、そういう環境で実際に暮らすのは、さっきもおっしゃっていたように、相当怖いでしょうね。自分は避けたいです。

DL:怖過ぎだよ。僕には怖過ぎ。

ドミニク・ファーナウ(プルーリエント)をヴォーカルに起用するというのはかなり突飛な気がしますが、これはあなたのアイディア?

DL:っていうか、考えてもごらんよ、彼の方から「お前の新作にぜひゲストで参加したいんだけど」って言われたら、ビビるよね(笑)。アッハッハッハッ……

(笑)たしかに。

DL:でもまあ、彼のヴォイスを使う、あれは僕のアイディアだったんだ。ってのも、僕にとっての彼というのは……だから、自分が自作レコードのコラボレーターに求めることって、彼らのとても強力で、風変わりな、パフォーマーとしての側面なんだよ。だから、彼らが何かやるのを聴くと、自分の全身が思わず総毛立つ、みたいな人たちだね。で、プルーリエントというのは、僕からすると……マソーナ(=山崎マゾ、マゾンナの英語読み)と同じところから出てきた人、みたいなもので。マソーナはもう、これまで出てきたノイズ・アーティストのなかでもほぼベストに近い、そういう人なんだけどさ。で、プルーリエントは、この国(アメリカ)のなかで自分にゲットできるそれにもっとも近い存在だ、と。彼、ドミニクはすごく仲の良い友人でね。長年にわたってとても多くを教わってきたし……っていうか、ドミニクがいなかったら、そもそもマソーナのことすら僕は知らなかっただろうね。でも、ドミニクにはまた、彼は詩人だ、という考え方もあるんだよ。だから、彼はただシャウトするだけの人ではなくて、彼の発する言葉、それ自体ももう、僕にはじつに強力なもので。たとえば、彼は……アルバムの“Warning”って曲で歌っているけど、そこで「♪ガラスの家で 最低最悪だ(in a glass house / it's disgusting)」って言っているんだよ。

あー、なるほど(と、ガラスの家での体験談を思い出す)、ハハハッ!

DL:で、「♪警告・警告・警告……!(warning!)」とえんえん繰り返す、という。ふたりでただ雑談していて、僕が夏に体験したことだとか、僕たちが潜っていたクソみたいなことのあれこれを彼と話していたんだけど、そこから彼が引っ張り出してきたのがあの歌詞だったんだ。で――彼に自分のレコードに参加してもらったのは、僕にはとてもスペシャルなことなんだ。というのも、彼は古くからの友人だし、僕からすれば彼はこれまで出てきたなかでももっとも才能にあふれたヴォーカリストのひとり……マイク・パットンやマソーナあたりと同じ系列にいる、そういうヴォーカリストなんだ。いや、もちろん「いろんなスタイルを幅広くこなす」っていう意味では、「すごくレンジが広い」とは言えないタイプの人だよ。ただ、彼が得意とすること、そこに関しては、彼はすごい、非凡だと僕は思ってる。

なるほど。では逆にあなたにとってポップ・ソングの作曲家ベスト3は誰ですか?

DL:おお~!……(と、やや「難問!」という表情。真剣に考え込んでいる)……………………ワーオ! その答えは、しっかり考えさせてもらわないといけないなぁ。

(あまりに悩んでいるので)じゃあ、これはいずれまたの質問、ということで。あなたはこれまでも、ポップ・ソングを書くことに興味を示してきましたけれど、アリアナ・グランデやジャスティン・ビーバーにも曲を書いてみたいですか?

DL:ああ、トライはしてみるよ。だから、新作に“The Station”って曲があるんだけど、あれはアッシャーのために書いた曲だったりするし。

ええっ!? マジですか。

DL:(笑)うん、ほんと! もともとアッシャー向けに書いた曲だったんだよ。だから……まあ、この場では、「最終的にアッシャーが歌うことにはならなかった」という程度に留めておこうか。

(笑)。

DL:ただまあ……はたしてアリアナ・グランデ向けの曲を自分に書けるか? そこは自分でもわからないけど――ただ、挑戦を受けて立つことに、自分は絶対にノーとは言わないね。でも、自分はいわゆる「名人」ソングライターのレヴェル、まだそこには達していないと思ってる。ってのも、あの手の(ビッグなポップ・スター向けの)歌っていうのは、決まった類いのピークや価値観、インパクトみたいなものの設計図を伴う作曲である必要があるし、そこには僕はまったく興味がないんだ。だから、そういった、ほとんどもう、ポップ・ミュージックにとって当たり前な言語みたくなってきたもの、聴き手に心理的な作用を及ぼすあのやり方、それらの多くに対して僕は抵抗して闘ってきたんだけどね。いやほんと、その手法に対する僕の姿勢はつねに「それは良くないって!」ってものだったし、「やっちゃいけないって……やっちゃダメだろ!」みたいな(苦笑)。

(笑)なるほど。

DL:(笑)あーあ、やれやれ……でも、聴くこと自体は自分でもエンジョイするけどね。あの手の音楽のいくつかは、ほんと、聴いて楽しめる。そうは言っても、それは「曲そのもの」を自分が気に入ったというより、むしろ「(歌い手、演奏者なりの)パフォーマンス」が好きだ、ってことなんだろうけど。その意味では、セリーナ・ゴメズのヴォーカルは大好きで。

(笑)そうなんですか!

DL:ああ、彼女の声はすごくクールだよ! あのヴォーカルにはどこかへんてこな、ストレンジなところがあるからね。それから……ザ・ウィーケンドも大好きだし。彼はすごくかっこいいと思う。そうは言っても、彼は(先ほど言ったようなポップ勢とは)違うんだけどね。ってのも、スタイルという意味で、彼は非常に「なんでもあり」でオープンだし、受けてきた影響もとても多彩で、とっちらかっててほんとクレイジー、みたいな。だから、彼はとても新鮮なポップ・スターの一種って感じがする……すごく最新型のマイケル・ジャクソン解釈のひとつ、というのかな。でもまあ、概して言えば、僕はそんなにポップ・ミュージック好きってわけじゃないね。

そんなアメリカのポップ・チャートにいちばん足りないものはなんだと思いますか?

DL:スクリーミング! プルーリエントのやってるような、スクリームが足りない。で、いま自分がこうして指摘したから、たぶんこれからスクリームが流行るだろうね。

僕たち人間が全滅した後にAIは世界にひとりぼっちで取り残されるわけだけど、それでもAIたちは地球近辺に集まってきて悲しんでいる、という。それこそ、お墓参りに行って個人を偲ぶようにね。

今作において、全体に低音を入れないのはなぜですか?

DL:サブ・ベース音はあの家には持ち込まなかったよ。あの、ガラス製の家にはね。それをやったら、ガラスが割れていただろうし!(笑)。

(笑)マジですか。

DL:あの家を内破したくはなかったし、それに「この住宅に被害を与えた」ってことで多額の罰金を払いたくもなかったから。

ガラスが割れたら危ない、と。

DL:そう。誰にもケガしてほしくなかったし、ガラスが割れて追加料金を請求されるのはご免だったし。

でも、そもそもなんでガラスの家なんかでレコーディングすることにしたんですか? 相当に奇妙なシチュエーションですよね(笑)?

DL:どうしてだったんだろう? マジに、自分でもわからない(苦笑)。っていうか、とにかく一時的にニューヨークから離れたかったんだ。でもまあ、あれ以外のどこか他の場所をレコーディング場所に選ぶことも、たぶん可能だったんだろうけど……あの家は『エイリアン』ぽっかったんだよ、エイリアンの卵みたいなんだ。だから見ているぶんには楽しくて……

ガラスのドーム型の建物、ということ?

DL:そうだね、ドームなんだけど、本体は白いコンクリートでできていて、それをガラスが囲っている、みたいな。とても奇妙な建物だよ。

それは、築は割と最近の新しい建物? それとも60、70年代頃の古い建物なんでしょうか。

DL:70年代に建てられたものだと思うよ。あの名称は「Earth」……なんとか(※いわゆる「アース・ホーム」のことと思われます)というものだったな。正式名称はとっさに思い出せないけど、うん、建築の発想としては、「自然に溶け合った家」というものだったんだ(笑)。周囲の丘陵の描く勾配に合わせて曲線を描く、みたいな。だから、トールキン小説に出てくるホビットの住居、という感じ(笑)。

なるほど。ちなみに、『グッド・タイム』の後で「FACT Magazine」に公開したミックステープがありましたよね? あそこにあったあなたの「お気に入りの音楽」、ジョルジオ・モローダー他の映画絡みの音楽を聴いて、一種サントラ『グッド・タイム』の参照リストのようにも感じたんですが、ああいうもの、ちょっとした参照点だったり影響になった音楽は『エイジ・オブ』にも存在しているんですか?

DL:――ああ、少しあるんじゃないかな? だけど、直接的なものではなくて……だから、我ながらおかしいんだよな~。ってのも、自分が(レコーディングしていた頃に)聴いていた音楽って、ほんとストレンジなもので。たとえば、サシャ・マトソン(Sasha Matson)って人のレコードがあったよ。彼はヘンなテレビ向け音楽を書くコンポーザーなんだけど(※いわゆるB級映画/テレビの音楽を手がけてきた作曲家?)……素晴らしいレコードを作ったことがあったんだよ、こう、ペダル・スティールと室内管弦楽団が合わさった、みたいな内容の。要するにカントリーっぽいんだけど、と同時に……モダンなジョン・アダムスみたいに聞こえる、みたいな?

はっはっはっはっはっ!

DL:――いやいや、そんなふうにバカにしないでよ! あれはマジにクールなレコードだって!

了解です。

DL:というわけで、その時点の自分は「よし、サシャ・マトソンみたいなレコードを作るんだ!」と息巻いていたわけだけど――僕のお約束で(笑)、そこから一気にまったく違う方向へと転換してしまって、結局、サシャ・マトソンっぽいレコードを作るには至らなかった、と……。で、ドリー・パートンなんかを聴いていたっていう。だから、自分でもよくわからないんだよ。今回の作品はかなり奇妙で、要するに、そんなに過度に……戦略的に作ってはいない、みたいな。

「MYRIAD」の予告ヴィデオにちらっと日本のゲーム・ソフト『MOTHER』が映りますけれど――

DL:(ニヤッと笑う)。

これはなぜ? というか、あのヴィデオ自体はあなたが制作したわけではないでしょうが……

DL:いや、ヴィデオに使われたイメージはすべて僕が選んだものだよ(笑)。

あのゲームが大好きだから使った、とか?

DL:いいや。っていうか、アメリカではあのゲームは『EarthBound』って名称なんだよ。で、まず、答えA:(ダーレン・)アロノフスキーの『マザー!』が好きであること、そして答えB:AIが自分の母親に対してノスタルジーを抱く、要するに僕たち(人間=AIの作り主)をAIが懐かしむという発想ってすごいな、と。だから、僕たち人間が全滅した後にAIは世界にひとりぼっちで取り残されるわけだけど、それでもAIたちは地球近辺に集まってきて悲しんでいる、という。それこそ、お墓参りに行って個人を偲ぶようにね(※ここは、おそらくキューブリック/スピルバーグの『A.I.』のことを話していると思います)。でまあ……とにかく「MOTHER」って単語自体、はてしなく深いし、しかも面白いものだし。それに、あの(ゲームの)カートリッジに描かれたグラフィック、あれが大好きなんだよな。地球のイメージが使われていて、すごく綺麗。あれは素晴らしいよ。

『MOTHER』の作者は生みの母親を長いこと知らなくて、有名になったことでやっと会えた、という逸話があるんですよ。そのことが反映されたゲームらしいです。

DL:(目を丸くして)へえぇ~~、そうだったんだ!? それはすごい話だね!

※『エイジ・オブ』のコンセプトについて語った後編は6月27日発売の紙エレキング22号に続きます。



cero - ele-king

 これからここに書き綴ることはきっと、ceroへのラブレターのようなものになってしまうと思う。
 私は、ceroとともに「大人」になってきた。いや、決して言い過ぎじゃないと思っている。いまから10年ほど前に、友人に連れられ阿佐ヶ谷のrojiというバーで初めて髙城くん(以下呼び捨てにさせてもらいます、ゴメン)に出会ったときから、そのときどきにお互いが聴いている音楽を語り合ったり、ときには朝まで飲み明かしたり、私の友だちが彼の友だちになったり、彼の友だちが新しく私の友だちになったりした。そのなかには恋もあったし、ときには悲しいこともあったし、そして何より楽しいことがたくさんあったのだった。
 それは20代半ば、社会に出て、そろそろ気だるさと疲れに膿んできていた頃のこと。自分の周りで生まれつつある音楽が急速にエキサイティングになっていく、その只中に居させてもらったことで、おそらく私は救われていたのかもしれない。
 しかし、あたり前のことだけれど、時間はどんどんと過ぎ去っていき、そして人はどんどんと移ろってゆく。何故という理由もないけれど疎遠になってしまった人たち。仕事を変える人、辞める人、住む土地を移す人たち。恋人と別れる人、結婚する人。亡くなってしまった人たち。
 いろいろな人たちがいろいろに生活をするなかで、もちろん私にもたくさんの変化がやってきた。そしてあの時の仲間一人ひとりへも、たくさんの変化はやってきた。とくに理由もなく、いつしか私はceroの皆とも徐々に疎遠になり、仕事を抜くなら日常的にライヴ会場へと足を運ぶことも少なくなってしまっていた。けれども、彼らが発表する作品は、いつも大切に、大事に聴くようにしてきた。そうしていると、まるで彼らと話をしているようだったから。届けられる作品には、彼らがいま美しいと感じていることが、それぞれ美しい形で音楽となっていた。
 デビューEP「21世紀の日照りの都に雨が降る」を、わくわくしながらライヴ会場で手に入れたときのこと。彼らが青春を過ごしてきた武蔵野の風景が溶かし込まれた、ハイ・ブリットなインディ・ポップが詰まったファースト・アルバム『WORLD RECORD』。震災後の逡巡や沈潜のなかで、果敢な音楽的挑戦に向かい、マジック・リアリズム溢れる「失われた街」東京を描き出したセカンド・アルバム『My Lost City』。そして、世界的に興隆を見た新時代のR&B/ヒップホップ、ディアンジェロの復活などに伴う90'sネオ・ソウルのリヴァイヴァル、ロバート・グラスパーのブレイク以降に顕在化したジャズの新たな潮流、そういったムードへ濃厚に呼応し、新たなcero像を提示することになった2015年リリースのサード・アルバム『Obscure Ride』。それらの音楽は、常にそのときどきに彼らから届く大切な便りとして、私の生活を優しく勇気づけてくれた。
 そしていまceroは、この最新作『Poly Life Multi Soul』で、またしても私を、いや、私たちをこれまで以上に強く勇気づけてくれる。

 前作『Obscure Ride』で彼らが示した方向性は、たちまちにインディ・ミュージック・シーン全体の関心として共有され、以後海外から紹介されるもの含めて、時に似通ったものの供給過多状況となってしまったとも言えるかもしれない。それだけ、彼らが時代の先端を走っていたということの証左でもあるのだが。
 絶え間ない音楽的好奇心と鋭敏なアンテナを持つceroだけに、来るべきアルバムが前作の延長線上に置かれるような内容になるとはもちろん思っていなかったが、ではいったい彼らが次にどんなスリリングな音楽を聴かせてくれるのか、正直予測し難かった。しかし、近年のライヴや、伝え聞く曲作りやリハーサルの様子からすると、多くのファンへ急速に拡大しつつあった「ポップ・バンド」としてのキャリアに対し、自ら大きな挑戦を仕掛けるような刺激に満ちた内容であると予見された。

 音楽ディレクター/ライターの屋号を掲げる者としては恥じるべきかとも思うが、正直に言うと第一印象は、「これは一体何だろう?」という感情が飛び込んできた。
 ものすごくダイナミック且つ高度。破壊的であるとかアヴァンギャルドという意味での難解さとは程遠いのに、簡単な理解を拒む強靭な外郭。しなやかでメロウでもあるのだが、聴き心地として甘さはなく、むしろシャープな苦さが味蕾を刺す。リズミック且つダンサブルであるけれど、熱狂に身を任せるというより、クールな知性によって肉体性が精緻に統御されている。「何々を彷彿とさせる」というレファレンス的言語も簡単に引き寄せようとしない。単一的な解釈・理解を拒む何か。

 ……そして、何度も繰り返し聴いていくうちに、初めて聴いたときには気付くことのなかった様々な魅力を発見することになる。多層的に敷き詰められたリズムは楽器ごとに小節概念を跨ぎ超え、躍動するポリリズムとなって楽曲全体を駆動する。メロディとカウンターメロディの相互的関係性は歌と器楽演奏という古典的ヒエラルキーを内部から溶かし、多数の線や点がゆらぎのように現れて、時に面や立体を形作り、しかもそれらを幾何学的に把握させることを拒む。
 そう、これはアルバムに冠されたタイトル通り、ポリフォニックでマルチな要素が縱橫に(しかも同時に奥行きとせり出しを伴いながら)生成される、いままでに類をみない、多レイヤー的な音楽世界なのだ。

 イントロダクション的に置かれたM1“Modern Steps”は前作におけるアブストラクトなR&B世界の色香を運び込みながらも、それを壊すように、橋本によるエレキ・ギターの鮮烈なコード・ストロークがアルバムの開幕を告げる。
 ミュージック・ヴィデオも公開され、本作のキーとなる曲として位置づけられるであろう荒内作曲のM2“魚の骨 鳥の羽根”では、ドラムスが叩き出すアフロ・ビート的リズムに乗りながら、太い筆致で塗りたくるシンセサイザーが現れ、歌メロディーと呼ぶには異様なまでに奔放な旋律が器楽音と錐揉みしながら空間を進んでいく。そのくせ、近年加わったサポート・メンバーの小田朋美と角銅真実によると女声コーラスは、極めキャッチーなフレージングで彩りを加える。ファンク的な反復構成と思わせつつも、その実めまぐるしい和音進行と複雑な構成。
 続く髙城作のM3“ベッテン・フォールズ”でも、スネア・ドラムが叩き出すリズムにジャジーなギターとヴォーカルがポリリズミックなよじれを創り出し、コーラスがプリティなフレーズを添えていく。続く髙城作M4“薄闇の花”では、ピアノの裏打ちがリスナーへレゲエのイメージを提供し、いっときの安心感を与えるが、ドラムやベースによるリズム・フォルムはアフロ・ビートという方が近く、そこに多層性が宿る。ハンド・クラップが加わる段になってそのリズム構成の妙味が本領を発揮する。まるでかつてのUKレゲエ〜ダブに通じるようなクールネスをこうした複雑でいながら円味あるポップスへ昇華する手腕よ。
 そして、橋本作になるM5“遡行”でも、一聴してサポートを務める古川麦によるガット・ギターの流麗な響きに耳を奪われるので、スムースな音楽世界が期待されるが、ここでもリズム隊はあくまで硬質なビートを提供する。橋本のソングライティングの熟練とともに、かねてよりMPBの最前線など中南米音楽への強い関心を持ち続けていたバンドの面目躍如というべき出来栄え。
 レイモンド・カーヴァーの同名編から詞をとった(翻訳は村上春樹)ロマンチックなエレクトロ・ジャズ・ポエットM6“夜になると鮭は”を挟み、荒内作M7“Buzzle Bee Ride”ではふたたび太い筆致のシンセサイザーがうねり上がるなか、ダーティー・プロジェクターズを思わせる早いパッセージのコーラスが宙を舞う。リズムをサポートするふたり、光永渉によるプレイアビリティ溢れるドラムスと厚海義朗によるベースの(インタープレイとも表現したくなるほどの)演奏は、抑制されたマハヴィシュヌ・オーケストラとでも言うべきか、現在のceroが技巧的な面でもトップレベルの集団であることを強く思い起こさせる。
 続く髙城作M8“Double Exposure”は、美しい歌メロを伴う、前作からの流れを感じさせるブラック・ミュージックへのリスペクトが溢れる清涼な世界ではあるが、リズム・ボックスを思わせる素朴なビートが退場した後は、パルス的リズムとヒプノティックなドローンが交錯し、リスナーの耳を弛緩させることはしない。
前曲に続き同じく髙城作のM9“レテの子”は、フェラ・クティ・アンド・アフリカ70を思わせるキッチュなシンセの音色とフロア・タムの連打によるトライバルなビートがディープな薫りを発散させるが、それを逆手に取るがごとく、却ってその歌メロディーやリフレインはもしかしたらアルバム中もっともポップと言えるかもしれないものとなっている。
 荒内作M10“Waters”はアルバム発売情報と共にアップされたトレイラー映像でもフィーチャーされ、12inchシングルとしても先行リリースされた曲で、これも今作を象徴するトラックといえるだろう。今作のオフィシャル・インタビューにおいて荒内は、リズムの多様性について言及されることが多いが、和音構成の磨き上げについても相当に力を入れたとことを語っていたが、この曲における、モーダルでいながらその実非常に精密なコード・プログレッションを聴くと、彼の発言に強く頷くこととなる。髙城の歌唱ともラップともつかないヴォイシングは、前作以降も継続して先端的なブラック・ミュージックが持つクールネスへ大きな関心を向けてきた証左のようにも感じる。
 髙城作M11“TWNKL”のアンビエント的R&B世界も、フランク・オーシャン以降における美意識との共振を強く感じる楽曲だ。終盤、突如(だが極めてスムースに)ミリタント・ビートに以降しレゲエ化する瞬間の快感。このように音像処理とグルーヴを並立させる様は、本作のミキシング面での秀逸さも物語っているだろう。
 そして、タイトル曲にして終曲、荒内作のM12“Poly Life Multi Soul”。これまでアルバムで開陳された様々な表情を総括するような圧巻の8:36秒。ライド・シンバルの響きが優しく空間を埋めながら、様々な音素が多レイヤー的に塗り込められていく。その筆致はあくまで穏やかで、ポリフォニックなものへの賛歌を静かに、しかし力強く描き出していく。「かわわかれだれ」という象徴的フレーズに導かれるアウトロでは、エレキ・ギターのストイックなフレーズを伴いながら、リズム・パターンが4つ打ちへと変化し、「バンド」という共同体によってこそ創り出され得る、フィジカル且つ祝祭的なハウス・ビートが出現する。永遠にこのビートに身を浸したい、という誘惑が顔を出したとき、しかしアルバムはしとやかに幕を閉じていく。

 その特徴的なリリック世界にも是非各曲ごと触れたところだが、あまりに取り留めのない膨大な文字量になってしまいそうだ……。
 ただしかし、是非言及しておきたいのは、アルバム全編を通し、「川」や「雨」、「陽」や「Light」という語に宿るようにして、「水」そして「光」のモチーフが度々現れては消えるということだろう。そう、「水」も「光」も、物体、粒子であると同時に、波としての性質も重ね持っている。
 生きることとは、自らの生を認識するとことであると同時に、そして何よりそれだからこそ他者の生を見つめることでもある。生とは、個々の現象でもあるとともに、他者との交わりによって織りなされる時には、波でもある。人間とは、実存としては点でありうるが、様々にそれが交錯する時、波としてもある。
 一見、各々の生の蠢きが個的な振る舞いの無秩序な集積のように感じられるにも関わらず、そこに多層的な関係が生成しているように、我々は勝手気ままにダンスすることを通して、総体としては、躍動する社会の姿を形作っている。
 決して「全体」に収斂されることなく、我々が自身を生きるとき、その重ね合わせられたモアレは、このアルバムに収められた音楽のように美しい模様を描くことになる。
 アルバム『Poly Life Multi Soul』は、ここに描かれた音楽的風景と同じように、いまここに生きる私たちの様々な生の形を見つめ、様々なとき、場所、そして我々が知り得ない(知り得なかった)様々な生を肯定しようとする。

 こんな凄いアルバムを作り上げたceroのメンバーとともに、もしかしたらこのアルバムを聴くことで、私もまたひとつ成熟をともにすることができたのかもしれない(できていたなら嬉しいのだけど)。
 彼らとともに、この世界を眺めることができて嬉しく思う。心から、ありがとう。
 こんないびつなラブレターでごめん、落ち着いたら久々に飲みに行きたいね。

ビューティフル・デイ - ele-king

 サフディ兄弟の『グッド・タイム』は、ニューヨークを舞台に街の「ゴミ」として敗残した人間が疾走するクライム・ムーヴィーだった。圧迫感のあるクローズアップの多用と間違った選択肢を取り続けるかのような顛末に、拍車をかけていたのがOPNの担当によるスコアだ。音楽が登場人物たちの心理を説明したりシーンに叙情性を与えたりするために――つまり小道具や飾りとして使用されるのではなく、それ自体が映画の主題や動きと不可分であるという事態である。なるほどOPNの音楽がなければ映画はまったく違ったものになっていただろう、そのテーマですら。であるとすれば、リン・ラムジーの長編4作めとなる『ビューティフル・デイ』もジョニー・グリーンウッドが担当したスコアと切り離せない映画である。これもニューヨークを舞台にしたクライム・ムーヴィーだといちおうは位置づけられるが、犯罪や事件そのものは重要ではない。ここで描かれるのは街にこびりついた病理や狂気、その渦中で苦しむ人間の内面世界である。

 汚らしい姿のホアキン・フェニックスが扮する主人公ジョーは、老いた母親とふたり暮らしであり、どうやら行方不明の人間を捜索するという特殊な仕事をしながら生計を立てている。そのためには殺人もする。と同時に、彼は戦場での経験や幼い頃に受けた虐待によるトラウマを抱えており、フラッシュバックするそれらの記憶に苛まれてもいる。30分ほど、つまり映画の3分の1ほどでようやくそうした設定の骨格は見えてくるのだが、それらは断片的でしかも抽象度が高いため何がどこまで事実なのか判然としない。実際的にも観念的にも暴力と死に支配された日々のなかで苦しむジョーを見ながら、 観客は血生臭い展開に翻弄されるしかない。
 ジョニー・グリーウッドの音楽は、日本では同じタイミングで公開されるポール・トーマス・アンダーソン監督作『ファントム・スレッド』とはまったく別のアプローチを取っている。 愛と執着の異常性を描いたメロドラマを 21世紀のポスト・クラシカルからクラシックへと遡行しながら大仰に華麗に彩っていた同作での仕事に対し、『ビューティフル・デイ』ではミニマル、現代音楽、ノイズ・ミュージック、ミニマル・テクノ、ダーク・アンビエント、IDMなどを行き来しながら非常にアブストラクトかつ不穏な音像を立ち上げる。そこに中心はない。特筆すべきは、映画のなかで鳴っている音=ノイズとスコアの境目がどこにあるのか判断できない場面が何度も訪れることである。ミュジーク・コンクレートの逆の状態になっていると言えばいいだろうか? ジョーが実際に聴いている音なのか、彼の頭のなかで鳴っている音なのかこちらにはわからない。そのノイズの隙間から聞こえる旋律になかば陶然としつつ、わたしたちはジョーと、彼が出会う少女が対峙する加虐的な世界に飲みこまれていく。

 本作には児童買春、虐待、戦争によるPTSDといったセンセーショナルな問題がモチーフとして見られることはたしかだろう。だが、ラムジー監督の前作『少年は残酷な弓を射る』(11)が少年による凶悪犯罪を取り上げながらも事件自体ではなく母親の心理に迫っていたように、本作においても犠牲者として生きることを余儀なくされた人間たちの内面こそが映画の関心の中心にある。街には理不尽な暴力が溢れ、世界は汚く、そこで生きる人間たちは壊れている。本作でジョニー・グリーンウッドの音楽を体感していると、レディオヘッドにおいてトム・ヨークが取り憑かれている「世界は壊れている」という認識にいかに肉体を与えるか、という命題にグリーンウッドがつねに向き合ってきた成果が表れているように思われる。映画音楽においては冷静に「仕事人」として活躍しているようなイメージのグリーンウッドだが、じつはレディオヘッドでの役割とかなり地続きであるかのような気がしてくる。

 その物語の類似性から、本作は「21世紀の『タクシードライバー』である」というコピーがつけられているようだ。だが、アメリカン・ニューシネマの空気をたっぷりと吸い込んだ同作において、薄汚れた街でベトナム戦争の後遺症を引きずりながらも、それでもアメリカン・ヒーローになろうとしたトラヴィスの姿は『ビューティフル・デイ』にはない。弱き者を救うというロマンティシズムにも到達できないジョーは暴力によってめちゃくちゃになった人生に呆然とし、涙を流すばかり。そこに沈みこむかのようなホアキン・フェニックスの存在感の重みは言うまでもない。
 英題は「You were never really here」、「お前ははじめから存在しなかった」。つまり、ジョーはまっとうな人生を奪われた人間たちの亡霊としてここにいる。「すべては幻なのかもしれない」――本作の観念性は幾度となく観る者にそう感じさせるが、済んでのところでジョニー・グリーンウッドの音楽とホアキン・フェニックスの身体性、抑制された演出が彼に肉体を与える。ジョーはこの世界に存在することを許されるのか? ラスト・シークエンスの映画的な飛躍は、弱き者たちがこの残虐な世界に生きることが可能なのかを巡る真摯な問いかけである。


予告編

Terrence Parker - ele-king

 テレンス・パーカーと言えば、デトロイトでもっとも最初にハウスをプレイした先駆者だが、日本のファンにはDJノブとの交流でも知られている。昨年は〈プラネットE〉から久しぶりのアルバムを発表し、相変わらずのクオリティの高さにデトロイト・ファンをうならせたこのベテランがまたしても来日する。今回の共演者は、日本の大ベテラン日の DJ EMMA。
 7月7日のデトロイトと東京のハウス・リジェンドの対決(?)、目撃しようじゃないか。

Terrence Parker Boiler Room Chicago DJ Set


■Terrence Parker
7/7 (SAT)@VENT

出演:Terrence Parker〈Intangible Records〉, Detroit
DJ EMMA
And more
時間:OPEN 23:00
料金:DOOR : \3,500 / ADVANCED TICKET:\2,500

VENT:https://vent-tokyo.net/schedule/terrence-parker/
Facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/2060397747553633/

interview with Jon Hopkins - ele-king

 この透明感はどこから来るのだろう。初めて『Small Craft On A Milk Sea』を聴いたとき、その音のあまりのクリアさに驚いた。ノイジーな展開をみせる曲でさえそうなのである。洗練、あるいはある種の雅と言ってもいい。それはたぶん、イーノひとりの力によるものではなかったのだろう。共作者としてクレジットされたレオ・エイブラハムズ、そして彼の古くからの友人であるジョン・ホプキンス。彼らの貢献は想像以上に大きかったのではないか――このたびリリースされたホプキンスの新作『Singularity』を聴いて、改めてそう思った。
 じっさい、海の向こうでの彼の評価はとても高い。たとえば昨年『ピッチフォーク』で企画された特集「The 50 Best IDM Albums of All Time」では、2013年の前作『Immunity』が37位に取り上げられている。その記事のなかで選ばれた2010年代以降のアルバムが2枚のみだったことを考えると、これは快挙と言っていい(ちなみにもう1枚はジェイリンのファースト)。同作はマーキュリー・プライズにもノミネイトされており、やはりそのどこまでも豊饒なる音響とテクスチャーが高く買われているのだろう。


Jon Hopkins
Singularity

Domino / ホステス

ElectronicTechnoAmbient

Amazon Tower HMV iTunes

 そのホプキンスにとって今回の新作はじつに5年ぶりのアルバムとなる。その間に彼が出会ったのはヨガと、そして瞑想だった。新作のサウンド・デザインにもその体験は大きな影響を与えており、アルバム後半のアンビエント寄りの曲群からはもちろんのこと、本人曰く「攻撃と美しさ」をミックスしたかったという“Emerald Rush”や、あるいは“Neon Pattern Drum”や“Everything Connected”といった機能的でトランシーな曲からも、ますます磨きのかかった透明さと精密さを聴き取ることができる。
 もしいまあなたが素朴に「美しいもの」に触れたいと思っているのなら、何よりもまずこのアルバムを手に取ることを強くお薦めしたい。(小林拓音)


揺るがない世界観と自分の素直な気持ちを表現することが音楽の大きな役割。音楽に限らず、アート全般の役割だと思うね。

いろんな国からの取材を受けていると思いますが、プロモーションはたいへんですか?

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins、以下JH):アルバムがリリースされてから1週間が経つけど、いまのところ、すごくエキサイティングだよ。イギリスではトップ10に入ったけど、ああいう音楽がトップ10に入ることなんてほとんどないしね。先週最初のショウをやったんだけど、心配だったヴィジュアルもうまくいって、すべてがいい感じだった。いまからはインタヴューよりもライヴ・ショウが多くなる。あとはラジオだね。移動も多くなるし、忙しくなるよ。

前作『Immunity』が2013年ですから5年ぶりになりますよね。この間、ライヴや映画の仕事で忙しくしながら、今回の新作の準備も着々と進めていたと思います。あなたにとってこの5年間はどんな意味のある5年間でしたか?

JH:5年のうち、2、3年はツアーで忙しく、ツアーが長かったから、そのあとはちょっとオフをとった。その間はロンドンのバービカン・プロダクションの学校で教えて、そのあと2015年の終わりに今回のアルバムの制作をはじめたんだ。仕上がったのは2017年の10月。そして、いまやっとそれをリリースできてまたツアーがはじまるところ。

通訳:制作自体には2年間かかったんですね?

JH:そう。といっても、2年間まるまる制作していたわけではなくて、じっさいに制作に費やしたのは1年半くらい。制作しては休み、制作しては休み、といった感じだったね。

この5年間で、あなたのまわりの人びとや環境、あるいはUKや世界の状況など、世の中は変わったと思いますか? もし変わったとするなら、どのようなところに変化を感じますか?

JH:複雑で、どう言葉で表現したらいいかわからない。でも、その変化はすべて音に出ていると思う。サウンドのレイヤーや複雑さに自然とそれが反映しているんだよ。とくに制作をしていた2年間は波のように変化が起こっていたと思う。でも変化が起こるなか、音楽を作る上でたいせつなのは、ピュアな感情をそのまま表すことだと思うんだ。揺るがない世界観と自分の素直な気持ちを表現することが音楽の大きな役割。音楽に限らず、アート全般の役割だと思うね。それが人びとをハッピーにすると思うし、いい意味で影響するんじゃないかな。不安や恐れを振り払ってくれる。不安を抱えていても、音楽は自分のそばにいる味方、みたいな感じ(笑)。

通訳:あなたにとっていちばん大きな変化はなんでしたか?

JH:僕はカリフォルニアに住んでいたから、それ自体が人生の大きな変化だったね。住む場所が変わって、もっとヒッピーになったと思う(笑)。ヨガや瞑想をはじめたりさ(笑)。それは音楽にも深く影響していると思う。

通訳:いまもヨガは続いていますか(笑)?

JH:続いているよ。呼吸が重視されたヨガで、痩せはしないけど、精神的にすごくいいんだ。だから、身体のためには他のエクササイズもしてる。不眠症だったからはじめたんだ。おかげで治ったよ。人生でいちばん大切なのは、自分の脳内をコントロールできることだと思うね。それは学ばないと習得できないことだと思う。

人生でいちばん大切なのは、自分の脳内をコントロールできることだと思うね。それは学ばないと習得できないことだと思う。

作曲はどんなところからはじまるのですか? あなたの音楽には瞑想的な側面もあるし、アンビエントの要素もありますが、作曲は理論的にはじめるのか、それとも感覚的にはじめるのでしょうか?

JH:ほとんどは即興だね。音を即興で演奏してみて、そこから広がっていく。だから、感覚的だね。たとえば“Recovery”はピアノを弾いているうちにあのアルペジオが生まれた。あれはそのアルペジオをもとに東京にいたときも曲を書いたんだ。そこでも何も考えず、何が起こるかわからないまま音を出してみた。あの曲は、そのアルペジオをもとに曲が自分でできていった感じだね。曲によってはじまり方は違うけど、スタジオに入ると、スタジオの外で考えることはあまりない。スタジオのなかで即興で演奏して、そこから曲を作っていく流れがほとんどだよ。

先ほど少し出てきましたが、今回のアルバムの制作期間中に瞑想を経験されたそうですね。なぜ瞑想を必要としたのか、そして、じっさいに経験したことが音楽にどのようにフィードバックされたのか話していただけますか?

JH:瞑想は、はじめて3年くらいになる。瞑想をはじめてから、サウンドがもっとオープンになったんだ。そして、もっとポジティヴになったと思う。だから、このアルバムでは、前回以上に喜びが表現されていると思うよ。

通訳:瞑想はどれくらいやっているんですか?

JH:1日に2回、20分ずつ。時間がないときは1日1回。

通訳:けっこうしっかりやってますね!

JH:瞑想は、僕にとってやらないといけないからやっていることではないんだよね。やりたいからやっていることなんだ。すごく気分が良くなるから瞑想をする。課題ではないんだよね。

前作もそうでしたが、今回もアルバムの曲順は重要ですよね? アルバムは物語であり、そしてそこにはあなたの考えが潜んでいるようですが、それを教えていただけますか? それは人生についての考えですか?

JH:もちろん、曲順はいつだって重要。曲を作っている時点で順番を考えているほど、作品の流れは僕にとってたいせつなんだ。抽象的だから、その物語や考えを言葉で説明するのは難しい。込められているものは、すべて言葉では表現できない。だから、リスナーがそれぞれにストーリーを感じ取ってほしいんだ。

“Everything Connected”のような曲もその成果のひとつでしょうか? 曲名にも深い意味があるように思いますし、曲調もトランシーですよね。

JH:その曲は、セレブレイションを音にした作品なんだ。生きていることの祝福。人生は素晴らしいものだということに気づく美しい瞬間を表現したかった。このトラックを作るのは、すごく楽しかったよ。音ができていくままに自由に作業を進めていったんだ。この曲もそうだし、今回のアルバム全体が新しく、アグレッシヴで、奇妙で、長くて……話せばきりがないけど、新しいことをたくさん試みているんだ。アルバム全体が革新的だし、長い物語、旅のような仕上がりになっていると思う。

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「singularity」という言葉は、僕にとっては一体感(連帯感)と飾り気のないことを意味する。そして、少しだけ宇宙創世のビッグ・バンも連想される。すべてが何かに向かって成長していくようなイメージかな。

各曲のタイトルは詩人であるリック・ホランドとの共作となっています。前作でも彼の力を借りたそうですが、今回曲名を決める際に、あらかじめテーマのようなものはあったのでしょうか?

JH:テーマがあったというよりは、僕とリックの会話から生まれたアイディアを使って曲のタイトルを決めていったんだ。もちろん、彼が書いていた美しい詩からインスピレイションを受けたものもあるけれど、メインのインスピレイションはふたりの会話だった。テーマはあまり考えない。しばらくアイディアとして出てきた言葉を使って言葉を操ってみて、曲にフィットするタイトルを考えることがほとんどだね。たとえば“Emerald Rush”は、曲を書いているときにキラキラした緑色のカラーがイメージできていて、それを表現できる言葉は何かを考えていた。だから思いついた言葉を組み合わせていろいろ候補を考えて、あの言葉にたどり着いたんだ。

“Emerald Rush”はヒットしていますね。幻想的というか、サイケデリックとも言える響きを有していますが、この曲の狙いはなんでしょうか?

JH:それは自分でもわからないんだ(笑)。自分の直感に従って曲を書いていってでき上がったトラックだからね。とにかく、魅力的で美しい作品を作りたかった。攻撃と美しさのミクスチャーというか。目をつぶって、自分自身でも説明ができない自分の意識に導かれるがままに音を作っていった感じ。そしてあるとき、仕上げようと思って音をまとめた。だから、すごく長いプロセスだったんだ。これは、逆にシンプルにすることが大変だった曲だね。仕上げるために、思いついていたアイディアをけっこう却下しなければいけなかった。前回のアルバムとはまったく違うサウンドを作りたかったから、それが必要だったんだ。


その“Emerald Rush”にはドラムのプログラミングでクラークが参加していますが、彼はどのような経緯で参加することになったのですか?

JH:彼は仲の良い友人のひとりで、自分が知るなかでもベスト・プロデューサーのひとりだから、彼にオファーすることにしたんだ。彼は、あのトラックにさらなるパワーをもたらしてくれたと思う。

続く“Neon Pattern Drum”ではティム・イグザイルが Reaktor のパッチを作っています。彼は前作にも参加していましたが、彼とはどのように出会ったのですか?

JH:彼とは同じ事務所なんだ。その関係でベルリンで出会って、一緒にショウをやって、友だちになった。それからずっと友人なんだよ。

本作のアートワークの夜明けの写真は何を表しているのでしょう?

JH:あのアートワークは存在しない場所なんだけど、あのランドスケープがすごく気に入ったんだ。自分が持っているアルバムのイメージと一致したから、あのアートワークを使わせてもらうことにした。行きたくても絶対に行けない場所、というアイディアに魅力を感じたんだよね。なにせ、存在しない場所だから(笑)。

アルバム・タイトルを『Singularity』にしたのはなぜですか? 「singularity」は人工知能などテクノロジーの分野で使われる言葉であると同時に、哲学でも使われる言葉です。あなたはこの言葉から何を思い浮かべますか?

JH:アルバム・タイトルはシングルからとっているんだけど、じつは、そのタイトルのアイディアは長いことずっと頭のなかで眠っていたものなんだ。12年くらいかな。それ以上かもしれない。2005年だったと思うから、もうなんでそのアイディアを思いついたのかまでは覚えていないけど(笑)。でもとにかくそのアイディアがずっと好きで、でもそのタイトルの曲を作る準備ができていなかった。だから寝かせておいて、いつか曲を作るときにそのタイトルを使おうと思っていたんだ。「singularity」という言葉は、僕にとっては一体感(連帯感)と飾り気のないことを意味する。そして、少しだけ宇宙創世のビッグ・バンも連想される。すべてが何かに向かって成長していくようなイメージかな。“Singularity”という曲も、ひとつの音符からどんどん広がってひとつの曲が完成している。それがしっくりきたんだ。


今回のアルバムを聴いて瞑想に興味を持ってくれる人がいれば、そして瞑想を学ぶきっかけになってくれれば、彼らは自分以外の人間との接し方を学ぶだろうし、自分のなかの幸福が増していくと思う。

その“Singularity”にはギターであなたの古くからの友人であるレオ・アブラハムが参加しています。8~9年ほど前にあなたは彼とブライアン・イーノの3人でアルバム『Small Craft On A Milk Sea』や映画『The Lovely Bones』のサウンドトラックを作ったり、ナタリー・インブルーリアをプロデュースしたりしていました。そのため、個人的にはその3人でひとつのチームのような印象を抱いているのですが、ご自身ではどう思っていますか?

JH:どうだろう(笑)。最近はあまりその3人では作業していないから、僕にはあまりそのような感覚はないかな(笑)。2009年と2010年はけっこうコラボしたけど、最近はブライアンとは会えてもいないからね。レオは毎回アルバムに参加してくれるけど、彼はほんとうに天才なんだ。僕にとってはいちばんのギタリスト。彼は、いつも僕だけでは作り出せない彼のテクスチャーを作品にもたらしてくれる。感謝しているよ。

2年前のイーノのアルバム『The Ship』に収録されたヴェルヴェット・アンダーグラウンド“I'm Set Free”のカヴァーもそのチームによるものでした。録音自体は同じ頃だと思うのですが、あの曲を録音することになったはなぜだったのでしょう?

JH:それ、忘れてたよ(笑)。たしかにあのトラックで自分がプレイしたのは覚えているけど、流れは覚えていないな(笑)。たぶんブライアンがやりたがって、5分くらいジャムをしたのかも(笑)。自分がそのカヴァーに参加したことさえ忘れていたよ(笑)。

あなたはかつてコールドプレイをプロデュースしてもいます。あなたにとってナタリー・インブルーリアやコールドプレイのようなポップ・ミュージックはどのようなものなのでしょう? テクノやアンビエントなどのエレクトロニック・ミュージックと通ずる部分はありますか?

JH:コールドプレイに関しては、ブライアンが彼らを僕に紹介してきたんだ。それで意気投合して、彼らにもっとイクスペリメンタルなサウンドを提供した。クリス(・マーティン)のソングライティングにはいつも感心していたし、彼のスキルは素晴らしいと思っていたからね。エレクトロニック・ミュージシャンやイクスペリメンタル・ミュージックのミュージシャンは、スタジアム級の曲を作ることがいかに難しいかを理解している。だから、僕は彼をリスペクトしているんだ。すべてのジャンルに通ずる部分はあると思う。今回のニュー・アルバムでも、ポップの要素があることは聴き取れると思うよ。僕自身が、ディペッシュ・モードペット・ショップ・ボーイズ、伝統的な構成の曲を楽しんで聴いてきたから、それは影響として自分の音楽にも出てくるんだ。ヴォーカル・メロディは僕には書けないけどね。ブライアンは、そのジャンルの架け橋だと思う。テクノやアンビエントとポップ・ミュージックに限らず、質のいい音楽はすべて共有するものがあるんじゃないかな。やっぱり、良いサウンドと人を惹きつける、そしてひとつにするという点で音楽は繋がっていると思うね。

あなたはもともと王立音楽大学で学んでいましたが、クラシック音楽の道に進まなかったのはなぜでしょう?

JH:興味がなかったからさ(笑)。何百年も前に書かれたものをふたたび作ることにおもしろみを感じないんだ(笑)。学べたことは良かったとは思っているけど、影響を受けているとも感じないな。

あなたが自分の音楽をとおしてもっとも到達したいもの、もっとも表現したいものはなんですか?

JH:音楽で何ができるかをより意識していくことかな。「人びとをひとつにする」ということが、音楽にはできると思うんだ。あと、今回のアルバムを聴いて瞑想に興味を持ってくれる人がいれば、そして瞑想を学ぶきっかけになってくれれば、彼らは自分以外の人間との接し方を学ぶだろうし、自分のなかの幸福が増していくと思う。そして彼らに会ったまた他の人びとが、彼らからインスパイアされてそれを学んでくれたら嬉しい。音楽はそのきっかけになれると思うし、良いフィーリングを広げることに繋がると思うんだ。それが目標だね。

通訳:ありがとうございました。

JH:ありがとう。また日本に行けるのを楽しみにしているよ。

Idris Ackamoor & The Pyramids - ele-king

 アメリカのサン・ラーやスピリチュアル・ジャズは、昔から本国よりもイギリスやヨーロッパで評価されてきた。ジャイルス・ピーターソンなどジャズDJが多く、レア・グルーヴ・ムーヴメントを通じてそうした昔の音源の価値を知って、現代に伝承する文化が形成されてきたことが理由にあるだろう。シャバカ・ハッチングスがサン・ラー・アーケストラと共演したり、フォー・テットがそのサン・ラー楽団でドラマーだったスティーヴ・リードと共演するなど、過去と現在を繋ぐようなセッション、企画も多い。エマネイティヴによる『ザ・ライト・イヤーズ・オブ・ダークネス』(2015年)もそうしたアルバムのひとつで、2010年に亡くなったスティーヴ・リードを追悼し、その後設立された「スティーヴ・リード基金」への寄付を目的としたものだった。ここにはサン・ラー楽団の同僚でリードと数多く共演してきたアーメッド・アブドゥラーから、フォー・テット、ロケットナンバーナイン、ユナイテッド・ヴァイブレーションズ、カラクターなど新しい世代のアーティストが参加していたのだが、アーメッド・アブドゥラーと並ぶ伝説的なミュージシャンの参加もあった。それがアイドリス・アカムーアとピラミッズである。

 1950年生まれの黒人サックス奏者アイドリス・アカムーア率いるピラミッズは、1970年代に『ラリベラ』(1973年)、『キング・オブ・キングス』(1974年)、『バース/スピード/マージング』(1976年)というアルバムを自主制作で発表している。公民権運動家の母親を持つアカムーアは、オハイオ州に生まれてシカゴで育ち、大学時代の仲間と結成したバンドがピラミッズの原型である。アフロ・アメリカン系の彼らはヨーロッパへ演奏旅行に赴き、そこでピラミッズが結成され、オハイオに戻ってから『ラリベラ』を録音。『キング・オブ・キングス』発表後はカリフォルニアへ移住し、『バース/スピード/マージング』を録音している。アフリカ音楽に多大な影響を受けたジャズ・グループで、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのようなフリー・ジャズにサン・ラーのようなコズミック感覚を備えていた。多くのスピリチュアル・ジャズ・バンドがそうであったように、1970年代の彼らはジャズの表舞台では全く相手にされず、1990年代から2000年代になってDJたちによって再評価されるようになった。先の3枚のアルバムが復刻されたり、大阪の〈EMレコーズ〉によって『ミュージック・オブ・アイドリス・アカムーア 1971‐2004』(2006年)というアンソロジーも編纂されたが、そうした再評価の波を受けて『バース/スピード/マージング』発表後に解散していたピラミッズが復活する。2011年に35年ぶりとなる新作『アザーワールドリー』を発表し、その活躍によって2012年にジャイルス・ピーターソンが開催する「ワールドワイド・アワード」で表彰され、ドイツの〈ディスコB〉からも『ゼイ・プレイ・トゥ・メイク・ミュージック・ファイア!』というコンピがリリースされる。そして、前述の『ザ・ライト・イヤーズ・オブ・ダークネス』に参加した後も活動を継続し、カマシ・ワシントンの台頭などでアフリカ回帰色の強いスピリチュアル・ジャズが再び脚光を集める中、2016年に『ウィ・ビー・オール・アフリカンズ』を〈ストラット〉から発表した。ドイツ録音となる『ウィ・ビー・オール・アフリカンズ』では、同じく1970年代の伝説的スピリチュアル・ジャズ・バンドのワンネス・オブ・ジュジュのメンバーだったババトゥンデ・レアとも共演していたのだが、それから2年ぶりとなる新作が『アン・エンジェル・フェル』である。

 『アン・エンジェル・フェル』の録音はロンドンで、アイドリス・アカムーアの共同プロデューサーにマルコム・カットが名を連ねている。マルコム・カットはサイケ・ジャズ・ファンク・バンドのヒーリオセントリックスのリーダーで、DJシャドウやマッドリブなどと共演してきたドラマー/プロデューサーだ。〈ストラット〉からは過去にエチオピアン・ジャズの巨星ムラートゥ・アスタトゥケ、ジャズと東洋音楽を結んだ鬼才ロイド・ミラーなどと共演したアルバムも出しており、本作でのプロデュースはそれらでの手腕を踏まえたものだろう。カットはレコーディング・エンジニアリングやミキシングも手掛け、そうした彼のスタジオ・ワーク手腕が生かされている。サン・ラーにインスパイアされたと思わしき“ランド・オブ・ラー”にそれは顕著で、キング・タビーばりの強烈なエフェクトがフィーチャーされたアフロ・ダブとなっている。表題曲の“アン・エンジェル・フェル”でもコズミックなエフェクトが多用されており、フリーフォームで神秘的な世界観はやはりサン・ラーに共通するものだ。また、この曲では女流ヴァイオリン奏者のサンディ・ポインデクスターのオーガニックなプレイも印象に残るのだが、彼女も以前サン・ラーのトリビュート・アルバムに参加してきた人である。そうして聴くと、“サンセッツ”には明らかにサン・ラーの“スペース・イズ・ザ・プレイス”を意識したところがあることがわかるだろう。そのほかアフロビートを咀嚼した“ティノーゲ”、ラテン~カリビアン風味の“パピルス”、ラスタファリズムやナイヤビンギと結び付いた“メッセージ・トゥ・ピープル”と、アフリカ音楽をルーツとする様々な広がりを見せた作品集となっている。カンやエンブリオのようなクラウトロック風の“ウォリアー・ダンス”にも、やはりアフリカ音楽の強靭なリズムがある。一方、ミズーリ州で白人警官に射殺された黒人青年のマイケル・ブラウンに捧げた“ソリロクィ(独り言)・フォー・マイケル・ブラウン”では、1970年代から一貫しておこなってきた黒人としてのアイデンティティを説く。この曲でのアイドリス・アカムーアのテナー・サックスはジョン・コルトレーンやファラオ・サンダース、サンディ・ポインデクスターのヴァイオリンはマイケル・ホワイトを想起させるもので、彼らふたりの演奏のコンビネーションがアルバムの大きな柱となっている。南ロンドンで言えばシャバカ・ハッチングスとかエズラ・コレクティヴの音楽にも、アイドリス・アカムーアとピラミッズの影響が強いなと改めて感じさせる作品だ。

interview with Theresa Wayman (TT) - ele-king


TT
LoveLaws

LoveLeaks / ホステス

Indie RockDowntempo

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 かのハリー・スタイルズが、昨年~今年のワールド・ツアーでオープニング・アクトに指名したのは、ケイシー・マスグレイヴスとリオン・ブリッジズ、それからウォーペイントだった。ガーディアン誌は以前、この1Dのメンバーによるプリンスと同名異曲のヒット曲“Sign of the Times”を紹介する際に、NYを代表する燻し銀のインディー・バンド、ザ・ウォークメンの名前を挙げていたものだが、彼が選んだ3組――現代カントリーの花形と、レトロ・ソウルの新星、独立独歩のLAガールズ・アート・バンドという並びには、英国の白人ポップ・スターから見た「いまのアメリカ」が反映されていた気がしてならない。

 ウォーペイントのヴォーカル/ギター、テレサ・ウェイマンによる初のソロ・アルバム『ラヴローズ』の制作は、バンドが2016年に発表したサード『ヘッズ・アップ』よりも早くからスタートしていた。彼女はみずから歌い、ギターを弾くばかりか、ベースやシンセ、ビートのプログラミングまで一手に担当。ポップで開放的だった『ヘッズ・アップ』に対し、『ラヴローズ』は繭に包み込まれるように、内向きでパーソナルな音像を描いている。シューゲイザーやトリップホップの要素も見え隠れするが、実際にはこのあとのインタヴューでも語られているように、ヒップホップの影響がとにかく大きかったらしい。

 共同プロデューサーとして、ケイシー・マスグレイヴスにも携わった実兄のイヴァン・ウェイマンと、ウォーペイント人脈とも縁の深いダン・キャリー(フランツ・フェルディナンドの3作目『トゥナイト』など)がクレジットされており、バンド仲間のジェニー・リーとステラ・モズガワ、古参リスナーには驚きのマニー・マークなど多彩なゲスト陣にも目を惹かれる。しかし一方で、密室的な『ラヴローズ』は「ひとり」を強く感じさせるアルバムだ。そんな本作のテーマは「愛」。他の記事によると、かつて交際していたジェイムス・ブレイクとの破局も(あくまでポジティヴな形で)反映されているそうだが、ウォーペイントとしてデビューしてから14年が経ち、37歳の母親となった彼女は、月が夜を照らし、孤独がやさしさをもたらすように、一面的ではない「愛」のかたちを歌っている。


自分がキュレーターだとしたら、楽曲はアートギャラリーね。私はギャラリーにさまざまな絵画を並べることで、一編のストーリーを作り上げていくの。

そもそも、どういう動機でソロ・アルバムを作ろうと思ったのでしょう?

テレサ・ウェイマン(Theresa Wayman、以下TW):自分自身をもっと探求してみたかったの。それに曲を書いたり、いろんな楽器を弾いたりすることで、いちミュージシャンとしても成長したかった。そう考えて取り組んでいくうちに、100%自分の音楽をやることの必然性を感じるようになったのよ。

昔からバンド活動と並行して、そういう個人としてのレコーディングもおこなっていたんですか?

TW:ええ。昔からPCを使って少し作ってたんだけど、2009年に入ってから本格的に制作するようになって。その頃はLogicのUltrabeatという安っぽいのを使ってたんだけど、2年後にGeistというソフトウェアと出会ったことで、曲作りの仕方が一変したの。LogicとGeistを組み合わせながらの制作は自分のワークフローとすごく合っていて、アイデアもどんどん湧くようになった。

今回のアルバム収録曲とは別に、まだ世に出ていないデモもたくさんありそうですね。

TW:何百とあるわ(笑)。

そういう自分の曲って、どういうモチベーションで作っているんですか?

TW:普段から音楽をよく聴いていて、そこから自分でも曲を作りたくなるの。それで、真っ白なキャンパスのうえにいろいろ描いていくうちに、最初に想定していたのと違う方向にどんどん進んでいったりして。そういうのが楽しくて仕方がないのよね。

へぇ。

TW:例えば、アルバムに“Mykki”という曲があるでしょ。これはミッキー・ブランコの“Wavvy”を聴いていたときに生まれた曲で、ワーキング・タイトルをそのまま採用したの。とはいっても、彼の音楽とはまったく雰囲気の違う曲になったんだけど、サビの部分で「make it feel」と歌ってるくだりが、なんとなく「Mykki」って聴こえる気もするのよね。

じゃあ、6曲目の“Dram”はラッパーのDRAMから?

TW:違う(笑)。これは「ドラマティック」からきているの。

話を伺いながら納得するところも多いですが、ギタリストによるソロ・アルバムだからといって、ギターを弾きまくる類の作品ではないですよね。音作りについてはどんなテーマを設けていたのでしょう?

TW:ただ感じるがままに、それぞれの曲に相応しいものを作っていった感じかな。出だしのパートにギターを入れるのがベストだと思ったら弾くし、他のサウンドを入れるべきだと思ったらた迷わずそうする。自分がキュレーターだとしたら、楽曲はアートギャラリーね。私はギャラリーにさまざまな絵画を並べることで、一編のストーリーを作り上げていくの。そもそも、私自身いろんなパーソナリティをもっていて、ギタリストであることがすべてではない。「この楽器じゃなきゃいけない」というこだわりは特にないのよね。

ウォーペイントの一員という立場を一旦離れて、ソロになったからできたことってなんだと思いますか?

TW:ベースが弾けることかな(笑)。あと、ドラムビートを自分で作ったりね。音楽を作るのは、自分がどういった人間であるのかを理解する手段でもあると思うの。今回は私自身のためにアルバムを制作したから、いつもより自分のなかに深く潜り込むことができたと思う。きっと私は、そういう探究心が強い人間なんでしょうね。

このアルバムは、エレクトロニック・ビートも聴きどころだと思います。ヒップホップやファンクの要素も感じましたが、どんなことを意識しながら打ち込んだのでしょう?

TW:うまく言えないけど、Geistを通じて自分好みのサウンドを見つけたり、それらをPro Toolsで組み立てながら、ピッチを下げたり、フィルターをかけてファジーで温かみのある音にしていく感じかな。そうやってループを作ったら、そのバリエーションを構築していく。個人的には、ストレートなものよりもランダムな要素を入れていくほうが好き。

なるほど。

TW:私がヒップホップを好きな理由のひとつは、完璧なループさえ用意できたら、あとはそれを永遠に鳴らしているだけで曲が成立するところ。それって物凄くパワフルだと思う。あとはそうね……私の場合は、必要に応じて生ドラムも入れるようにしている。100%エレクトロニックではないかな。

いまの話にもあったように、BPMが全体的に緩やかですよね。

TW:そうね。ムードのある音楽が作りたかったし、聴き手に押し迫るようなものではない、ダウンテンポなアルバムにしたかった。でもグルーヴはあるはずだし、スロウだけど踊ることのできる音楽になっていると思う。だからこれは、夜向きのアルバムじゃないかな。

あと、歌声の使い方も興味深かったです。ウォーペイントにはあなたも含めて複数のヴォーカリストがいますけど、ここではコーラスで自分の声を重ねたり、普段と違うアプローチに取り組んでいますよね。

TW:それはハーモニーが大好きだから(笑)。ただ、声を重ねすぎるのもそんなに好きではないの。だから、(音を重ねない)一本のヴォーカルをよりよく聴かせようというのは意識したわ。そうすることで、サビで声を重ねたり、曲が進むにつれて和音を増やしたり――チョコレートケーキのように豊潤なハーモニーも活きると思うから。あと、ハーモニーのなかに低音が結構入っているはずだけど、そういう声の使い方がもたらすフィーリングも好きなの。

収録曲でいうと、“Love Leaks”のハーモニーはいいですよね。ゴスペルっぽさもあったりして。

TW:たしかに。5曲めの“Tutorial”にも、ゴスペルっぽい分厚いハーモニーが入っていると思う。


愛についてだったら、いくらでも曲が書けると思う。『ラヴローズ2』や『ラヴローズ3』だって作れるくらい(笑)。

ハーモニーという観点で、誰か好きなアーティストはいますか?

TW:いい質問ね。ヴィンス・ステイプルズの“Dopeman”かな。歌っている女の子の名前が思い出せないけど(筆者注:キロ・キッシュのこと)、ハーモニーの重ね方が素晴らしくて、あの曲には大いにインスパイアされたわ。あとはリアーナも……うーん、どうだろう(少し考え込む)。とにかく、ヒップホップのコーラスで好きなものはたくさんあるわ。

アルバムのゲストや制作陣のなかで、個人的にはマニー・マークの参加が気になったんですが、彼とはどのように知り合ったのでしょう?

TW:一緒にコラボしている友人を通じて知り合ったの。アルバムが完成目前のところでマークを紹介してくれて、2日間くらい一緒に音を出したりしているうちに意気投合してね。それで、彼の意見も知りたかったから、アルバムの音源を聴いてもらったら、「こうしたらどう?」って適切なアドバイスをしてくれたの。

前情報のせいもありますが、マークが参加している“Love Leaks”と“Tutorial”のメロウネスは、彼が鍵盤を弾いているビースティ・ボーイズのインスト曲とも重なる雰囲気がある気がします。

TW:どうだろう。さっき話したように、曲自体はほとんどでき上がっていて、彼はそこに少し音を加えてくれた感じだから。

一昨年、ウォーペイントの“New Song”をマイク・Dがリミックスしていたじゃないですか。だから、あなたがビースティの大ファンだとか、密接なコネクションがあったのかと予想していたんですが……。

TW:ううん、そうじゃないの(苦笑)。

そのあたりはさておき、ウォーペイントの『ヘッズ・アップ』では90年代のスタイルを意識していたそうですが、今回のアルバムもトリップホップなど、当時のある種の音楽と同じようなフィーリングを感じました。

TW:そこは全然意識してなかったつもりだけど、「トリップホップっぽい雰囲気だね」って感想にも納得できるの。ダークな曲調でビートがあるけど、かといってヒップホップではないし、やっぱり白人が作った音楽だなって。それに、もともとトリップホップの醸し出すムードは好きだったし、自分が若い頃にミュージシャンを志すきっかけをくれたのも、トリップホップのアーティストが多かったから。ようやくここにきて、自分でもそういう音楽が作れるようになったのかもね。

最初に「自分を掘り下げたかった」という話がありましたが、歌詞の面ではどういったことを伝えたかったのでしょう?

TW:テーマになっているのは、大きな意味での愛。実体験に基づくものもあれば、ファンタジーもあるし、束の間のロマンスや、失恋についても歌っている。ほかにも友情とか、自分を愛すること――いろんな種類の愛を歌っているけど、どの曲もすべて自分の人生経験から生まれている。私自身、母親でありながら、世界中をツアーで廻る生活をしていることに思うところもあってね。どこにも還る場所がないと感じることもあったけど、音楽こそが自分の居場所なんだなって、このアルバムを作りながら強く感じたの。

そうですよね。男女のロマンスのみに留まらない、広くて深い視点は歌詞からも伝わってきます。

TW:愛についてだったら、いくらでも曲が書けると思う。『ラヴローズ2』や『ラヴローズ3』だって作れるくらい(笑)。

愛(love)に法則(Law)があるとすれば、それはなんだと思いますか?

TW:人間関係における根本的な部分、もっとも根底にある法則こそが愛なんだと思う。お互いをリスペクトしたり、愛し合う気持ちがあってはじめて社会が成り立つわけで。でも、いまの時代は憎しみの感情が氾濫していて、バランスが取れなくなっている。

ええ。

TW:それに恋愛も含めて、人との付き合い方にはいろんな関係性があるわよね。ロマンチックなものに、友情とか家族との繋がりだってそう。それに、必ずしも上手くいく関係だけではないわけで。人との繋がりがうまく機能しなかったり、自分自身を大事にすることができなかったり、いろいろな事情で苦しむこともある。そういった話も含めて、私たちが生きていくうえで、愛はものすごく重要で大きな位置を占めている。それぐらい普遍的なテーマだと思うな。


jan and naomi - ele-king

 静かに尖っています……4月にリリースされたフル・アルバム『Fracture』がじわじわと話題のヤン&ナオミ。その収録曲“Forest”のMVが公開されているで、それをチェックしつつ、6月からのツアーの詳細も発表されているので、ライヴにも足を運んで欲しい。彼らへのインタヴューは近々ele-kingでも掲載されます!

“Forest” music video


ウェブサイト:https://janandnaomi.localinfo.jp/
ライブ情報: https://janandnaomi.tumblr.com/



■Fracture tour 2018
全公演チケット:前売り¥2,500 (税込・1Drink別・整理番号有り)
チケット発売 5/26(土)11時~
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■6/23(土) 札幌 PROVO
OPEN 19:00 / START 20:00 <チケット取り扱い>
PROVO電話予約:011-211-4821
メール予約:osso@provo.jp ※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】PROVO 011-211-4821

■7/14(土) 福岡 UNION SODA
OPEN 18:00 / START 19:00 <チケット取り扱い>
チケットぴあ P-コード: 118-465
Live Pocket : https://t.livepocket.jp/e/4dw_4
メール予約 : info@herbay.co.jp
※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】HERBAY 092-406-8466 / info@herbay.co.jp

■7/16(祝月) 京都 UrBANGUILD
OPEN 18:00 / START 19:00
guest : SOFT <チケット取り扱い>
UrBANGUILD HP予約:
https://www.urbanguild.net/ur_schedule/event/180716_fracturetour2018
【問】UrBANGUILD 075-212-1125

Orange Milk - ele-king

 これから我々はどこに行くのだろうか? ヴェイパーウェイヴ以降において、もっとも先鋭的なレーベル、〈Orange Milk〉が日本に来る! ん? サイバースペースを使ってではなくて……そのレーベル主宰のGiant ClawとSeth Grahamによる待望のジャパン・ツアーが開催される! ツアーに合わせ未発表音源を詰め込んだ日本限定のコンピや物販も会場にて販売されるようだ。ツアーは、東京、大阪などを含む全6公演が行われ、食品まつり a.k.a foodman、CVN、mus.hiba、koeosaeme、dok-s projectなどの国内アーティストも参加する。各公演のフルラインナップが発表されているのでチェック!

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