「K A R Y Y N」と一致するもの

Mary Halvorson - ele-king

 なんだかよくわからない、が、なぜだか魅了されてしまう。メアリー・ハルヴォーソンが奏でる音楽はそのようにして聴き手の耳を掴まえていく。

 わからないとはいえいくつかの特徴を列挙してみることならできる。ゴツゴツと刻まれる乾いた弦の響き。流暢というよりはどこか無骨に辿られるフレーズ。あるいはエフェクト・ペダルを使用して急にピッチをあらぬ方向へと変化させ、メロディーやハーモニーがつんのめるような感覚に陥らせる奏法。むしろこれらの特徴は非常に強く表されていて、一聴して彼女が弾いているとわかるほどに個性的なサウンドだ。

 それだけではない。彼女が作る楽曲もまた特徴的なのである。どこかで聴いたことのあるメロディーが顔を覗かせたかと思えば、わたしたちの予想を斜め上方で裏切りながら、次から次へと奇妙な展開をみせていく。ポピュラー・ソングの断片がとてつもない想像力によって縫合されているかのようだ。楽曲のテーマというのは緊張から弛緩へと連なることで解決=快楽をもたらすものだが、ハルヴォーソンの場合はいつまでも経っても解決らしい解決が訪れることはなく、あるいはつねに緊張状態であり弛緩状態でもあり、だから聴き馴染みのある叙情的なハーモニーは琴線ではなくあくまでも鼓膜に揺さぶりをかけてくる。

 ポピュラー・ソングにはふつう喜びを表すメジャー・キーと悲しみを表すマイナー・キーがあるものの、ハルヴォーソンの音楽はこの二分法にまったくひっかかることがない、あるいはどちらにもひっかかりながら人間の複雑な感情を複雑なままに提示する。とにかくここには確立された固有の響きと固有の構造がある。だがそれらがなぜ魅力的に聴こえてくるのかはやはりわからない。聴けば聴くほどに謎は深まるばかりなのである。

 1980年に米国マサチューセッツ州ブルックラインで生まれたメアリー・ハルヴォーソンは、幼少期はヴァイオリンに親しみ、子供たちが集うクラシカルなオーケストラにも参加していたという。だが10代前半で出会ったジミ・ヘンドリクスの音楽に衝撃を受けてギタリストとしての道を歩むようになった。始まりはジャズではなかったものの、両親に勧められてイスラエル出身のジャズ・ギタリストのもとでギターを学び始め、ほどなくしてジャズの世界にのめり込んでいった。実は父親が大のジャズ・ファンだったらしく、家には聴ききれないほど大量のレコードがあったそうだ。

 高校卒業後はウェズリアン大学に進学しアンソニー・ブラクストンに師事する。ここでの体験が自らの音楽人生に決定的な影響を与えたことをハルヴォーソンは複数のメディアで公言している。ただし同時期にはギタリストのジョー・モリスによるプライベートなレッスンにも通っており、ブラクストン同様に大きな影響を受けたという。モリスの指導は非常にユニークなものだった。ハルヴォーソンが独自のギター・サウンドを獲得するために、スタイルの模倣には陥らないよう、モリスはギターではなくコントラバスを弾いて教えていたそうだ。ハルヴォーソンのあまりにも個性的なギター・サウンドとコンポジションは、ブラクストンとモリスというふたりの偉大なミュージシャンなくしては獲得しえなかったものであるに違いない。

 2002年にニューヨーク・ブルックリンへと拠点を移したハルヴォーソンは、04年に最初期のレコーディング作品をクレイトン・トーマス、中谷達也とのMAP名義でリリースする。当初はフルタイムで昼の仕事も兼ねていたというが精力的に音楽活動もおこない、アンソニー・ブラクストンをはじめトレヴァー・ダン、ウィーゼル・ウォルターら数多くのミュージシャンと共演。ドラマーのケヴィン・シェイと結成したアヴァン・ロック・デュオ「ピープル」やヴァイオリン奏者のジェシカ・パヴォーンとの継続的なデュオ活動ではメランコリックなヴォーカルも披露している。

 2008年には自身の名義による最初のアルバム『Dragon's Head』を〈Firehouse 12 Records〉から発表した。ベースのジョン・エイベア、ドラムスのチェス・スミスを従えたギター・トリオ編成を核としてハルヴォーソンの作曲作品を演奏するというコンセプトはその後も継続し発展していく。そこには師であるブラクストンの「より大きな編成のための作曲を」というアドヴァイスも影響していたようだ。10年から12年にかけてはトランペットのジョナサン・フィンレイソンとアルト・サックスのジョン・イラバゴンを加えたクインテット編成で2枚のアルバムをリリース。さらに13年にはテナー・サックスのイングリッド・ラウブロック、トロンボーンのジェイコブ・ガーチクを加えセプテットとして『Illusionary Sea』を出し、ここでリーダー作では初めて既存の楽曲のカヴァーもおこなった。16年にはペダル・スティール・ギターのスーザン・アルコーンを迎えオクテットとなり『Away With You』をリリース。その間に初のソロ・ギター作品でありジャズ・レジェンドから同世代まで様々なミュージシャンの楽曲のカヴァー集でもある『Meltframe』を完成させた。

 他にも数え切れないほどの録音があり、これまでに100枚を超すアルバムに参加してきている。だが一貫して言えることがひとつある。メアリー・ハルヴォーソンは確立された個性を身につけながらもつねに新しい音楽へと挑み続けているということだ。今回リリースされた『Code Girl』もまた個性的かつ新鮮な響きに溢れている。

 これまでソロを特異点としてトリオからオクテットまで共通したコンセプトのもとに〈Firehouse 12 Records〉からリーダー作を出し続けてきたことを踏まえると、メンバーを一新した本盤は方向性を大きく変えて新境地へと突き進んだものだとひとまずは言えるだろう。ベースのマイケル・フォルマネクとドラムスのトマ・フジワラはハルヴォーソンが2011年に結成したトリオ「Thumbscrew」のメンバーでもある。そこにトランペットのアンブローズ・アキンムシーレとヴォーカルのアミリタ・キダンビが加わった編成だ。そして本盤の特徴はハルヴォーソンがヴォーカリストとともに組んだ初のリーダー作であるという点にある。

 アミリタ・キダンビはこれまでダリウス・ジョーンズのア・カペラ・グループで活躍する一方で、ルイジ・ノーノやカールハインツ・シュトックハウゼンの声楽曲をこなすなど、クラシック音楽あるいは西洋現代音楽の分野でも才能を発揮してきたヴォーカリストである。ポピュラー・シンガーに比して器楽的に声を使用することに長けた声楽家としての技量が本盤では見事に発揮されている。歌は入っているものの通常のジャズ・ヴォーカル作品のように歌が主役としては聴こえない、それどころかまったく「歌もの」にさえ聴こえない。声がアンサンブルのなかにごく自然なかたちで溶け込んでいるのだ。それはどこかハルヴォーソンの歌声を彷彿させる物憂げなキダンビの声質にもよるのだろう。自らをあまり主張することのない声質と器楽的な声の使用法。ハルヴォーソンはおそらく歌声を特権的なものとして扱わずに他の楽器群と同等の地平で捉えながら、演奏全体がひとつのアンサンブルとして成立するように『Code Girl』を構想していたものと思われる。

 たとえば本盤ではキダンビを除いたインストゥルメンタル・トラックが2曲収録されている。“Off The Record”と“Thunderhead”だが、どちらも「歌声が欠如している」というふうに聴こえることがない。だからわざわざ他の楽曲と区別して「インストゥルメンタル」と呼ぶのも本当は正しくない。それほどこの2曲は他の楽曲と同じように、あるいは他の楽曲がこの2曲と同じようにアンサンブルとして成立している。

 極めつけはハルヴォーソンとキダンビのデュオ・トラック“Accurate Hit”だろう。ふつうギターとヴォーカルのデュオであればギターは歌声を彩る伴奏楽器になるわけだが、ここではコードのストロークとアルペジオに工夫が凝らされた、一小節ごとにサウンドのありようを変えていくハルヴォーソンのギターが前面に出てくる。もちろん歌声が反転してギターの伴奏を務めているわけではない。それは同じくデュオ・トラックである“Armory Beams”において、まるで鯨の鳴き声のようなアキンムシーレのトランペットの響きがギターと絡み合うように、声とギターが主従関係を結ばずに対話することで成り立つ音楽なのだ。いずれにしても本盤はジャズ・フォーマットに則りヴォーカル・アルバムとしての体裁を保ちつつ、メアリー・ハルヴォーソン色に染め上げられた奇妙にポップなコンポジションのなかで声をアンサンブルに溶け込ませた傑作であると言えるだろう。

 ちなみに『The Wire』のウェブ版では本盤を制作するにあたってハルヴォーソンがインスピレーションを受けたという楽曲のプレイリストが掲載されている。「種明かし」というよりも、こうした影響源がありながらこれまで述べてきたようなアンサンブルが編み上げられてしまう「離れ業」のほうに驚きを感じる。なぜ『Code Girl』のような傑作が生み出されたのか。やはりメアリー・ハルヴォーソンの音楽は謎めいている。

 ラジオを聴いていて、カマシ・ワシントンの新曲、“Fists of Fury”がかかると「おっ」となる。もう圧倒的に際立っている。6月22日に発売予定のアルバム、「天国と地球」という、じつに壮大なスケールの『Heaven and Earth』を楽しみにしている人は多いでしょう。
 今週の水曜日(30日)に発売される別冊エレキングのジャズ特集号では、カマシ・ワシントンの最新ロング・インタヴューがどこよりもいち早く読むことができます。カマシは記事のなかで、彼の音楽観からブルース・リーへのシンパシーまで、そして新作についてのコンセプトなどなど惜しみなく語っております。新作を聴く前の予習としても、ぜひ読んでいただければと思います。ところで、今日にスピリチュアル・ジャズ・ブームを巻き起こした張本人である、ロサンジェルスを拠点とするこのサックス奏者は、今回のアルバムをロンドンの〈ヤング・タークス〉からリリースします。ここにもまたいまの時代が見えます。つまり、UKにおけるジャズ(ではないジャズ)の再燃です。

 UKにおけるジャズ(ではないジャズ)は、いまもっとも勢いを感じるシーンです。アシッド・ジャズの時代を知る世代にとってはちょっとした驚きでしょう。ほとんど30年ぶりのUKジャズ熱ですから。本サイトでもコンピレーション・アルバム『We Out Here』松浦俊夫のソロ作品においてその断片をレポートしてきましたが、「ジャズ」をキーワードにしたそれらいろいろは、英国らしい雑種を良しとするものとして、どこかに中心があるわけではないのにリゾーム的にどんどん拡大しています。さまざまな人種のジャズの演奏家/DJ/ビートメイカー/シンガーたちは、お互い交錯し合って、さまざまなプロジェクトを組みながらいくつもの魅力的な作品を生んでいます。ちょっとしたムーヴメントです。
 特集では、しかし今日のUKジャズにおいてもっとも重要なアーティストであろう、シャバカ・ハッチングスのロング・インタヴューをフィーチャーしました。記事のなかでは彼のバイオ、彼の思想、彼の信念が語られています。
 ほかにもあります。新進気鋭のピアニスト、ジョー・アーモン・ジョンズ、ブロークン・ビーツをアップデートするカマール・ウィリアムス(ヘンリー・ウー)、昨年素晴らしいアルバムを発表したシンガーのザラ・マクファーレンのインタヴュー。また、小川充氏の全面協力のもと、シーンを知る上で押さえておきたいいくつかのトピックを挙げつつ、ディスクガイドとして80枚の主要作品を紹介しています。インプロヴィゼーションからアフロビート、ブロークン・ビーツからハウスまで、あらゆるものを飲み込みながらのこのシーン、いまもっとも熱いです。

 もうひとつの小特集は、NYのフリー・ミュージックのシーンにスポットを当ててみました。このきっかけを与えてくれたのは、もちろん女性インプロヴァイザーのメアリー・ハルヴァーソンです。こちらは細田成嗣氏の全面協力のもとで現在のNYのもっとも先走っているシーンを捉えることができました。
 自分たちで言うのもなんですが、かなり力の入った特集です。どうぞどうぞ、ご高覧ください~。

■ロング・インタヴュー
カマシ・ワシントン──地上と楽園、スピリチュアル・ジャズ曼荼羅

■特集:UKジャズの逆襲
・UKジャズ史──それはいかに根付き、発展したのか
・UKジャズ人脈図
・21世紀UKジャズ・ディスク・ガイド80枚

 INTERVIEW
 シャバカ・ハッチングス──ブラック・アトランティック大航海
 ザラ・マクファーレン──当世UK風ジャズ・シンガー、レゲエを歌う意味
 カマール・ウィリアムス──南ロンドン・ペッカム発、ジャズ・ファンク物語
 ジョー・アーモン・ジョンズ──期待のピアニスト、その若々しい混交とハーモニー

 COLUMNS
 トゥモローズ・ウォリアーズ──UKジャズの重要拠点
 トニー・アレンとジャズではないジャズ
 UKにおけるサン・ラー
 ジャズ・ロックの同心円
 新世代ソウル──キング・クルール以降のシンガーたち
 ブロークン・ビーツなる出発点
 デトロイトとUKジャズの関係
 グライムからハウス、ジャズへ
 電子音楽家としてのエヴァン・パーカー

■特集:変容するニューヨーク、ジャズの自由
・NYジャズ人脈図
・NYジャズ・キーワード(アンソニー・ブラックストンからウィリアム・パーカーまで)
・NYジャズ・ディスク・ガイド30枚
・対談:多田雅範×益子博之

Superorganism - ele-king

 サムシング・フォー・ユア・マーイン、といえば90年代テクノ・キッズにとってはスピーディーJの1991年の代表曲(2001年にはファンクストラングによってリミックスもされている)なので、元ネタのC’hantalの"The Realm"の同じフレーズをサンプリングどころかもっと大胆に引用して脱力ポップ・サウンドに仕立てた"Something For Your M.I.N.D."が掌の上の小さなスマートフォンから見知らぬプレイリストに乗って流れてきたときには、その強烈なインパクトに思わず動作が止まったものだ。
 スーパーオーガニズムは昨年のその時点でまだ謎の存在で、そこからこの曲はどうやらフランク・オーシャンやヴァンパイア・ウィークエンドのエズラが紹介したことがきっかけで人気に火が付いたらしいと判明し、ヴォーカルが17歳の日本人の女の子だという話題性も加わって世界と同時進行で日本でも徐々に注目されていく。
 今年2月の初来日公演はファースト・アルバム発売前にも関わらず、なんとソールドアウト。インターネットを介してじわじわと浸透していくスピードはいかにも現代的で、見ていて痛快だった。"Something For Your M.I.N.D."はいまやサッカーゲームの「FIFA18」のサウンドトラック曲として、ザ・XXやスロウダイヴ、ザ・ナショナルなどの大御所とともに使用されているほど。

 そもそもスーパーオーガニズムの構造自体が面白い。アメリカに在住していたヴォーカルのオロノが2015年の夏休みに帰省した際に、来日していたジ・エヴァーソンズのライヴを観に行ったことをきっかけに彼らとインターネット上で交流を深めていき、バンドのメンバーのうちの4人がコーラス兼ダンサーの3人を加えて新たに始めたプロジェクトのヴォーカルにオロノが大抜擢された、と何だか架空のプロフィールのようによくできた話。
 軽快なビートに親しみやすいメロディと超ダルそうな歌声を重ねた不思議な音はかつてのチボ・マットを彷彿させ、デーモン・アルバーンの新しいプロジェクトだと疑われたというのも納得できる。多国籍なメンバーで構成されたサンプリング多用のヒップホップ的な感覚はザ・ゴー!チームと似ているかもしれない。
 しかし実際の彼女たちの映像を覗いてみると、敢えて狙ったような荒っぽさやローファイ感は一切感じられないニュータイプのようで、メンバーのなかで誰よりも若くて小さいオロノは奇妙な仲間を引き連れた賢者のように勇ましく見えるし、まったく愛想を振りまかずに堂々としているところもステレオタイプな日本人のイメージを覆せと言わんばかりでカッコいい。
 現在8人のメンバーはイギリスのシェアハウスにて共同生活を行っているそうで、曲づくりは基本的にチャットグループの会話でアイディアを出し合い、ファイルを共有して制作されているのだとか。しかし現代のテクノロジーを駆使しながらも世の中の主流に異を唱える姿勢はしっかりと見せ、アーティスト写真にしか登場しないロバートがMVなどの映像制作を、ドラムのトゥーカンがミキシングを担当、ジャケットのイラストはオロノが手掛けるという徹底したDIYっぷり。

 ちょうど最近目にした文章の中にDIYについて書かれた興味深い一文があって、それによると、DIYには自分で人生をコントロールできると感じ、疎外感がなくなる利点があるという。何かを生み出すことでしくみがわかり、視点が変わり、世界が違って見えるということ。スーパーオーガニズムの音楽のなかでは目覚ましが鳴り、鳥が鳴き、水が流れ、子供たちが笑い、りんごをかじる音が聞こえ、ゲームの音や緊急地震速報やクラクションが鳴らされる。そこに無機質なドラムが歪んだギターと強度のあるモーグシンセが絡まってストレンジな音に膨れ上がると、上がりすぎた熱を下げるようなクールな歌声が聴いている者を気軽に出入りできる自由な空間へと導く。コーラス隊の奇妙なダンスも、シンセを操るエミリーの耳で揺れるイヤリングも、キラキラと光るフェイスペインティングも、どれもが音楽の一部として自信に満ち溢れ、存在感を放っている。それは新しい世界のように眩しくて、生き生きとして、未来のようでもあって。

俺とお前でこの世界を照らせるんじゃないかな
今夜はみんなスターなんだ
なんでだかは知らないけど

 そう歌う"Everybody Wants To Be Famous"だけは、アルバムに収録されている曲のなかで唯一、公開時のアートワークをオロノではなく日本人の高校生の伊勢健人が手掛けている。一昨年ザ・コレクターズの30周年記念シングル"愛ある世界"のジャケットのイラストを描いた彼もまた、元々オロノとネット上の友だちだったそう。ほらね、現代には国や性別や年齢や経歴が違う人たちと気軽に交流できる便利なツールがあって、その気になればひとつに集まって超個体(スーパーオーガニズム)に変身できるのだ。隣にいる嫌なやつはあんたの仲間じゃない。だから仲良くしようじゃないか、世界と。

interview with Kamaal Williams - ele-king

 まずは“Catch The Loop”を聴いてくれ。


Kamaal Williams
The Return

Black Focus/ビート

Broken BeatJazzFunk

Amazon

 ジャズ・ファンクにはじまり、ヒップホップ・ビートに転じるこの展開はそうとうに格好いい。この曲を聴けば、カマール・ウィリアムスのアルバム『ザ・リターン』への期待も膨らむというものだ。もう1曲チェックして欲しいのは、“Salaam”という曲。ドラム、ベース、そしてキーボードというシンプルな構成を土台に、この音楽はアクチュアルなファンクを描く。ときには突っ走り、ときにはスローに展開するが、エネルギーが損なわれることはない。
 さて、カマール・ウィリアムスとはヘンリー・ウーの本名で、ヘンリー・ウーとはこの2〜3年のUKのディープ・ハウスを追っているファンのあいだではわりともうビッグネームである。生演奏のときはカマール・ウィリアムス、打ち込みのときはヘンリー・ウーというわけだ。中国系とアラブ系の両親を持つ彼は、多人種が暮らしている南ロンドン・ペッカムで生まれ育ったトラックメイカーであり、キーボード奏者。10代前半でヒップホップにはまって、やがてごくごく自然にロイ・エアーズやロニー・リストン・スミスやドナルド・バードなどを聴き漁るようになった彼のバイオ的な話は、別冊エレキングのジャズ特集「カマシ・ワシトン/UKジャズの逆襲」に長々と収録されているので、宣伝になってしまうが、ぜひそちらを読んで欲しい。生粋のペッカムっ子である彼が、ペッカム出身ではない人間が運営する〈Rhythm Section International 〉において、なぜ「Good Morning Peckham」なるEPを出したのかというエピソードは、自分が言うのもなんだが、じつに面白い。
 以下に掲載するインタヴューは、誌面に載せきれなかった部分であるが、これを読んでいただければ、フィーリングはつかめると思う。カマール・ウィリアムスたちのコミュニティがどんな感じで、この音楽がどんな風に生まれたのか──それではweb版「UKジャズの逆襲(2)」、カマール・ウィリアムスのインタヴューをどうぞ。

あの手の音楽をいまの時代に持ち帰ってきて、新たな聴き手に提示する、そうやって再びクールなものに、いまの人びとにとっても今日性のあるものにしたい、そういう責任を感じた。で……自分はその役目を果たしたな、そう思っていて。だからだしね、バグズ・イン・ジ・アティックに4ヒーロー、それにベルリンのジャザノヴァみたいな人たち、彼らがみんな、俺を「同類」と看做してくれるのは。

とてもムードがある作品だと思いましたが、今作においてあなたが重視したのはどういった点でしょうか?

KW:俺たちが重視したのは……まず何よりも、「自分たちはある時間のなかのある瞬間を捉えようとしているんだ」っていう、そのアイディアだね。

ああ、なるほど。

KW:ある時間のなかに生じる瞬間、それを捉えるのは、俺からすればもう……本当の意味での「旅路」だったからね。っていうのも、まず第一に……俺はユセフ・カマールを作り出して、あれは本当にビッグなものになったけれども、にも関わらず、(YK解散によって)俺はまた一からやり直さなくてはいけなくなったわけ。だから、作品にあるエネルギーやエモーション、それらは部分的には悲しみだったし、葛藤でもあったし、と同時に歓喜も混じっていた、と。というのも、俺は自分を改めて発見しなくちゃならなかったからね。自分でも思ったんだ、「人びとは俺のことを信じていないな」と。だから、みんな疑っていたんだよ、「ヘンリー・ウーはこれで終わった。あれが彼の絶好のチャンスだった、ユセフ・カマールが彼のひとつっきりのチャンスだったのに」って具合に。

それは厳しいですね……。

KW:ほんと、そう言われていたんだよ。「せっかくのチャンスをあいつは潰してしまった」って風に。メイン・ステージに出ることができて、みんなが音楽に耳を傾けていたのに、ユセフ・カマールは解散してしまった、と。で、そこからどうやってお前にカムバックができるんだ? と。

あらためて自分の実力・力量を証明しなくちゃならなかった、と。

KW:そう、そういうこと。「ファイト」だった。だからあのアルバムは自分を再び証明する、そういう作品だし──とは言っても、別に他の連中に自分を証明するってことではなくて、自分自身に「自分はやれる」と証したかっただけだけどね。それもあったし、神に対しても自分を証明したかった。だから、「神よ、もう1回俺たちにチャンスを与え給え」と……そうやって、どうぞ自分に家族を支えていけるようにしてください、と。っていうのも、音楽が俺の生き方なんだし、音楽の面でうまくやっていけないと、自分には何もないからさ。

(笑)それってもう、いにしえのジャズ・ミュージシャンみたいな生き方ですよね。

KW:(苦笑)。

アルバムに参加したメンバーについて教えて下さい。ドラムのマクナスティとベースのピート・マーティンについて教えて下さい。彼らはどのようなミュージシャンなのでしょうか?

KW:マクナスティは友だちで、彼とは8年来の付き合いだね。一緒にプレイしたことがあって……一緒にいくつかショウで共演したんだ。で、会ってその日に即、すっかり意気投合して仲良しになってさ。「わぁ、こいつ良い奴!」みたいに、たちまちお互いに親愛の情が湧いたんだ。だから、たまにいるよね、会ってすぐに「うん、こいつとは理解し合える」って感じる、そういう相手が。

ええ。

KW:で……でも、彼とは8年音信不通でね。いや、っていうか、共演した後の7年間かな、それくらいコンタクトをとっていなかったんだ。彼も忙しかったし、子供が3人いる人で、南アフリカに住んでいて。で、ユセフ・カマールが解散したとき、彼に電話をかけたんだよ。「マクナスティ、いまどこにいるんだ?」と。彼の返事は「南アフリカに住んでる」ってもんで、俺は「どうしてもお前に南ロンドンに戻って来て欲しい」と。「俺のために、ひとつギグをやってくれないか?」と。で、「自分にはすごく大事なギグが控えていて、細かいことをいまここでいちいち説明している余裕はないんだけど、お前がロンドンに来てくれたらすっかり説明してやるから、とにかく来い」と(苦笑)。

(笑)はい。

KW:彼は「ほんとにぃ? マジな話なの、それって?」と怪しんでいたんだけど、俺は「いや、これはマジにシリアスな、めちゃ大事な話だから!」と。

(笑)。

KW:で、彼に言ったんだよ、「(彼がロンドンにいた)2010年以降、いろんなことが起きたんだって!」と。だから、あの頃とは違って、俺は自分自身のプロジェクトをやっていて、自分の拠点も持っているし、サクセスも掴んでいるんだよ、と。彼はそういった過去数年の変化をまったく知らなかったんだ。というわけで、彼は南ロンドンに戻ってきてくれた、と。で、彼が戻ってきて……彼に会ったのはキングス・クロス&セント・パンクラス駅だったな(※同駅はユーロスターの発着所のひとつ)。

はい。

KW:で、俺たちはそのままブリュッセル、ベルギーに向かうユーロスターに乗り込んだ、と。ってのも、俺が話していた「ギグ」の第一弾は、ブリュッセル公演だったから。彼に言ったんだよ、「イギリスに戻ったら、そのままキングス・クロス&セント・パンクラスに直行してくれ」と。ってのも、ブリュッセル行きの列車が発車するまで10分しか余裕がなかったから。

ハハハハッ!

KW:(笑)で、彼はホームに走ってきて、「来たよ!?」と。そんなわけで、俺たちは列車に間に合って──

(笑)。

KW:その晩のギグに向かった、と。会場に直行して、そこでサウンド・チェックをやることになったんだけど、会場は広くてね。キャパは1000人くらい。で、会場を前にして、マクナスティは「おい、本当にここでいいのか? 住所間違ってるんじゃない?」みたいな。

(笑)。

KW:こっちは「イエス! 俺たちは今夜ここでプレイするんだよ」と答えたわけ。そしたら、マクナスティが「以前、自分もここでプレイしたしたことがあるよ」と教えてくれてね。何年も前の話だけど、彼は当時人気のあった、すご〜〜くビッグなポップ・アーティスト、キザイア・ジョーンズって人のバックで演奏したことがあったんだよ。

ああ、覚えてます。

KW:……(苦笑)で、マクナスティに「なあ、ヘンリー? なんだってお前はこの会場、キザイア・ジョーンズと同じヴェニューでライヴをやれるようになったんだ??」と訊かれたから、俺は言ったんだ、「ギグにようこそ! いらっしゃいませ!」と。

(笑)。

KW:(笑)。で、そのショウを終えた後……彼はすっかり状況を気に入ってしまってね。「すごい、信じられない!」みたいなノリで、バンドに残る、と言ってくれて。ロンドンに戻るし、このギグは続けたい、と。そんなわけで、その後の12ヶ月間、彼は俺のドラマーになってくれた、と。

ピートはどうですか?

KW:ピート、彼は……当時はトム・ドゥリーズラー(YKのメンバー)がベースを弾いてくれていたんだけど、ギグを2本終えたところで、トムが言ってきたんだよ、「どうだろう、自分はこのギグには不向きな気がするんだけど」と。ってのも、変化したからね。マクナスティが加わったことでリズムが変わったし、ヴァイブも変わった。だから俺たちは、誰か……新しいヴァイブにフィットする人間を見つけてこなければならなかった、と。そしたらマクナスティが「ぴったりの人材を知ってる」と言い出して。「その人は6年近くプレイしていないし、彼の連絡先も知らないけど、とにかく探し出そう」ということになって。そこで彼の連絡先を突き止めて、マクナスティが彼に電話してっていうね。

ああ、そういうことだったんですね。

KW:で、ピート、彼は俺たちよりもずっと歳上でね。彼は50歳なんだ。90年代末から00年代にかけて、コートニー・パインともプレイしたことがあったんだよ。

わーお。

KW:だから、コートニー・パインのバンドのベーシストだった、と。それにピートはデニス・ロリンズ、フランク・マッカムといった優れた面々ともプレイしてきた、そういうUKベーシスト界のレジェンドみたいな存在なんだけど、長いこと活動していなかった、もうギグはやらない、という状態にいたんだよ。ところがマクナスティが「これは特別だから!」と彼を説得して。
 で、この作品のストーリーにはマクナスティの帰還って面も含まれていて、彼が音楽の本当のエッセンスに帰ってきた(returning)、という。ってのも、彼はここ10年近くポップ・ミュージックをプレイしていたし、だからこれは彼が本当に愛する音楽に帰還した、という意味でもあるんだ。それはピート・マーティンにしても同じことで、彼もまた、彼の愛する音楽のエッセンスに回帰を果たした、という。
 ってのも、忘れちゃいけないのは、ピート・マーティンは70年代に育った人だし、ウェザー・リポートにハービー・ハンコックに……だから、彼はああいうレコードが発表された当時、まさにその頃にベースを学んでいたっていう。俺が後にHMVで買いあさっていたああいうレコード、ドナルド・バードだとか(※別冊ジャズ特集参照)、ああした作品が世に出た頃に彼はもうこの世に生きていて、ああいうベースラインを自分のベッドルームで弾いていた、っていうね。
 だから、彼からすれば「おおー、こういう音楽がまだいまの時代に存在するのか!」ってもんだったし、マクナスティにとってもそれは同じだった。俺としては「カムバックするぞ」という思いだったし、映画みたいなものにしたいな、と。
 だから、俺たち3人が集まった経緯も映画っぽかったし、そこで「オレたちにはまだもうひとつ、やり残した仕事がある」みたいな。そんなわけで、とてもエモーショナルな作品なんだ──っていうか、俺は毎回音楽を通じて自分のエモーションをチャネリングさせているんだけどね。決してただ単に「こういうサウンドの音楽を」ってだけの話ではないし、その音楽をプレイしていて、そこで自分は何を感じているのか、自分は何を考えているのか? そこだからね。で、あそこで考えていたのは、「これが自分に残されたすべてなんだ」ってことで。だから、「もしもこれが俺にとっての生き残っていくための術(すべ)であるのなら──どうか神様、お願いです、俺にチャンスを与えてください」と。そして、「どうか、この音楽が聴く人びとにとって何か意味を持つものにしてください」と。この音楽をプレイすることで、人びとに何かをお返ししたい、そうやって聴く人びとが喜びを感じ取ったり、あるいは彼らに安心感を与えられれば、と。

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ああ、シャバカ! シャバカはレジェンドだよ! 彼とは2009年に一緒にプレイしたことがあってね、ブリクストンで。ちょっとしたジャム・セッションを彼とやったんだ。だから彼のことは知ってるし、彼は本当に長いことプレイしてきた人だし、うん、ものすごくリスペクトしているよ。とても、とてもリスペクトしている。

お話を聞いていると、あなたは「松明を受け渡す」ということにとても意識的みたいですね? あなた自身のヘリテージはもちろん、ジャズからダンス・ミュージックに至る長く多岐な歴史、その歴史を受け継ぎ、そして未来の世代に渡していこうという、その意識はあなたの音楽的なDNAなのかもしれません。

KW:うん、その点は間違いなくあるね。

どうしてそういう意識が強いんでしょう? その「伝統の継承」が、現在のシーンには欠けているから?

KW:うん、だから、どこかにそういう人間がいなくちゃいけない、というか……思うんだよね、要するに、デジタル音楽が一般的になって──ダウンロード、ストリーミングなんかが発展していった時期……2006年後期から2008年くらいの時期だったと思うけど、あの時期に、たくさんの音楽やアーティストが消えてしまったんじゃないか?と。たとえばバグズ・イン・ジ・アティックとか、アシッド・ジャズ系のアーティストとか。というのも、あの時期はまだいまみたいなソーシャル・メディア網が存在していなかったし、彼らのようなアーティストたちにはソーシャル・メディアという手段がなかったわけ。

なるほど。

KW:彼らは違う世代から出て来た人びとだし、彼らはこの、新たに変化した音楽産業にどう適合していいか、そのやり方を知らなかった。そんなわけで、彼らのような世代のアクトたちは(デジタル・メディア/音楽の世界から)姿を消してしまったんだよ。だから、俺の系統の元にあった人たちはみんな消えてしまった、みたいな。
 対して俺は、ソーシャル・メディア時代に生まれた、っていうか、ぎりぎりその世代に含まれる時期に生まれたわけだよね。だから自分は新世代の人間だし、でもああしたかつての音楽を聴いていた、と。そこで感じたんだよ、責任感を。あの手の音楽をいまの時代に持ち帰ってきて、新たな聴き手に提示する、そうやって再びクールなものに、いまの人びとにとっても今日性のあるものにしたい、そういう責任を感じた。で……自分はその役目を果たしたな、そう思っていて。だからだしね、バグズ・イン・ジ・アティックに4ヒーロー、それにベルリンのジャザノヴァみたいな人たち、彼らがみんな、俺を「同類」と看做してくれるのは。
 というのも、俺の音楽を聴けば、彼らにも俺が彼らの音楽を聴いてきたこと、彼らの音楽を聴いて育ってきたのがわかるだろうし、しかも、いまや俺は彼らを再びシーンに引き戻すこともできる、と。今後、自分のレーベル、〈Black Focus〉からアフロノートのアルバムを出すつもりだし、カイディ・テイタムやマーク・フォースのアルバムも出そうと思ってる。そうやって、彼らを新しい時代に生き返させることで、自分の受けてきた彼らからの影響に敬意を表したい、ということなんだ。

“Rhythm Commission”のようなディスコ調のファンク、こういうリズムはペッカムのハウス・シーンのトレードマークのひとつと見て良いと思いますか? 〈Rhythm Section International〉あたりから出てくるサウンドもこのようなリズムが多く見られます。

KW:っていうか、あれは「ペッカムのトレードマーク・リズム」じゃなくて、「ウーのトレードマーク」なんだよ。

(笑)なるほど、了解です。

KW:(笑)だから、ヘンリー・ウーのトレードマークってこと! あれが俺のシグネチャー・サウンドの鳴り方なんだ。アルバムのなかに何か、橋渡しをするもの……ジャズ・ファンクとハウスとの間のギャップを繋げるもの、そういうものを入れたかったからね。だからあの曲は、むしろ「ヘンリー・ウーのチューン」、「ヘンリー・ウーのビートが鳴ってる曲」みたいな。だからなんだよ、あの曲をアルバムに入れたかったのは……アルバムはもちろんバンドと作ったけれども、あの曲を含めることで文脈の繫がりを見せたかったっていうか、「ほらね、(名義は違うけれども)中身は同じなんだよ」と。だから本当に、聴き手にこのアルバムをじっくり聴いて欲しいと思っていて。エレクトロに聞こえることもあれば、ジャズ・ファンクな面もあって、新しいんだよ。だから、ただ単に(昔ながらの)「ジャズ・ファンク・アルバム」ではないし、モダンなサウンドやシンセも入っている。わかるよね? だから、フレッシュなものにしたかったんだよ。

“LDN Shuffle”に参加しているマンスール・ブラウン(Mansur Brown)ですが、彼はTriforceで演奏して、今年のはじめに出たコンピレーション・アルバム『We Out Here』にも参加していますよね。

KW:うん。

で、あなた自身はシャバカ・ハッチングスやジョー・アーモン・ジョーンズなんかとも繋がりはあるのでしょうか?

KW:ああ、シャバカ! シャバカはレジェンドだよ! 彼とは2009年に一緒にプレイしたことがあってね、ブリクストンで。ちょっとしたジャム・セッションを彼とやったんだ。だから彼のことは知ってるし、彼は本当に長いことプレイしてきた人だし、うん、ものすごくリスペクトしているよ。とても、とてもリスペクトしている。ジョー・アーモン・ジョーンズ、彼は逆にすごく若い世代って感じの人で──

エズラ・コレクティヴをやっている人ですよね?

KW:そう、エズラ・コレクティヴ。で……彼はもっと若いし、グレイトな、ファンタスティックなミュージシャンだと思う。すごく優れたキーボード奏者だよ、彼は。ただ、シャバカは……彼のことは本当に昔から覚えているし、だからそんな彼がいまや有名になって雑誌の表紙を飾ったりするのを見るのは、俺も本当に嬉しいんだ。彼に対してとても良かったな、と思う。ってのも彼は実にハードに働いてきた人だからね。10年経ってもまだがんばって活動を続けている、そんな人がいまや成功を収めるようになった、そういう光景を見るのは俺には最高なんだ。そういうのを眺めるのは大好きだね。

“Broken Theme”のような曲もまた、あなたなりのブロークン・ビーツの挑戦ということだと思うのですが、カイディ・テイタムやディーゴのようなオリジナル世代からの影響はありますか?

KW:うん、それは確実にそう。彼らからはものすごい、ビッグな影響を受けたよ。ああいう連中は……だから彼らは、いまの俺がやっていること、それと同じようなことを過去にもうやっていた、みたいな。もちろん、彼ら独自のスタイルで、ね。彼らみたいな人たちがほんと、フュージョンの手法を開拓していったんだし……っていうか、ディーゴ、彼はドラムン・ベースのオリジネイターだったからね、彼があれを見つけたっていう。彼みたいな人たちだったんだよ、ドラムン・ベースをはじめていったのは。で、それが後になってブロークン・ビートの一部になっていったわけだし、一方でカイディはちょっと若い世代で、だから彼はブロークン・ビートにそのまま入っていって……カイディはアメイジングな人だよ。ってのも、彼はライヴでの演奏もできるし、しかもビートも作っていたから。だから彼は、俺みたいなアーティストなんだよな。

なるほどね。

KW:でも、カイディに関して言えば、彼はバンドとのライヴ・アルバムを1枚も作ったことがなくてね。で、俺は「彼があのバンドとのライヴ作品を作っていてくれたらなぁ」と思ってしまうんだ。というのも、彼がバンドとやったライヴは何回も観たし、どのショウも素晴らしくて。だから「なんで彼はあのバンドとの生演奏のライヴ、あのショウを作品化しなかったんだろう? 惜しい!」と。そんなわけで、俺はいまだにカイディにお願いし続けているんだよ。「カイディ、ぜひライヴ・アルバムを作ってくださいよ」って。

今作を作るにあたって、70年代のロイ・エアーズであるとかロニー・リストン・スミスのような人たちの作品を参照しましたか?

KW:ああ、そういう人たちみんな、だね。アルバムのサウンド、そして自分たちがどんなものをプレイしたいか、その面で大きな影響だった……それから、ヴァイブなんかも。まあ、俺が本当に一番好きな時代、それは70年代だ、みたいなもんだしね。ロニー・リストン・スミス、ロイ・エアーズ、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポート……ああいったレコードは、俺のオールタイム・ファイヴァリットなんだ。

カール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラの作品なんかはあなたの今作『ザ・リターン』とも似たムードを持っているんじゃないでしょうか?

KW:なるほど……。でも、正直なところ、彼らのアルバムはちゃんと聴いたことがないんだよ。だから何とも言えないけど、うん、もちろんカール・クレイグはよく聴いてきたし、彼の音楽がどういうものかは知っているけど、そのアルバムは聴いたことがないな。

なるほど。いや、あなたの友人であるK15はデトロイトのカイル・ホールのレーベル〈Wild Oats〉からも作品を出していますよね。なので、そういうデトロイト繫がりがあったのかな? と。

KW:ああ、まあ、俺はデトロイトの音楽は何でも好きだしね。それに、K15(ケー・ワン・ファイヴ)、彼はたしかにモロにそういう感じだし、彼はデトロイトから強く影響を受けているから。

ヒップホップで育ったあなたがラッパーとは組まないのは何故でしょうか?

KW:いや、ラッパーと仕事はしているんだけどね。ただ、これまでの段階では、まだちゃんとしたものはやっていない、というか……作品はまだ何もリリースしていないんだ。というのも(やや慎重に言葉を選びながら)──UKラッパーたちというのは、いずれ俺も一緒にやっていきたいと思っているけれども……自分は過去にもうやってしまったことだからね。ガキの頃、成長期の若かった自分の背景はUKラップにあったわけで、それはもう自分はやり終えたことだ、みたいな。そこから自分は前進・発展していったと思っているし……それにUKヒップホップは、現時点ではそんなに良い地点にいないんじゃないか?と思ってもいて。俺が大きくなっていった時期、あの頃のUKヒップホップはすごく良かったけれども、いまではMC云々という意味で言えば、むしろグライムの方が「UKの声」になっていると思うし。でも、いずれ将来的にはMCやラッパーと仕事したいと思っているよ。

さきほども話に出ましたが、あらためて訊くと、アルバムのタイトルの『ザ・リターン』とは何を意味しているのでしょうか?

KW:俺たちの帰還──音楽の本当の意味でのエッセンスに回帰していくこと、音楽の純粋さに立ち返る、ということなんだ。だから、俺は、俺は……自分のハートに戻っていくんだ、と。自分のハートに響く音楽に戻っていく、というね。それに、一緒にプレイしてくれるグループ、彼らとも素晴らしいコネクションを結べているし、とにかくポジティヴなんだ。これはポジティヴな帰還だよ。……それに、ちょっと映画っぽいよね? だから、俺はブルース・リーの映画『Return of the Dragon』(※『ドラゴンへの道』のアメリカ公開タイトル)が好きだし(笑)。だから、そういう面も少しある作品なんだ、映画みたいに作った、という。

K15とのWu15プロジェクトでの作品は予定されていますか?

KW:うん、ぜひやりたいね! ってのも、日本のブラザーたちがこのアルバムを気に入ってくれるのは自分でもわかるし、俺が日本に行くと彼らはK15も聴いてくれていて……K15は俺の大親友のひとりなんだ。だから、彼と俺とで一緒にアルバムをやることになった暁には──それはきっとすごくスペシャルなものになるはず。で、そのときは間違いなく、東京にいるブラザーたちが真っ先にそのニュースを知るようにするよ! うん、なるべく早くKu15のアルバムを作れたら良いな、そう思ってる。

※なんどもうるさいですが、このインタヴューの前半は、5月30日発売の別冊エレキング『カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』に収録されております。カマール・ウィリアムスの良い兄さんぶりをぜひ、そちらでもチェックしてください。

Courtney Barnett - ele-king

 自信? あるわけないだろ。ぼくたちは不安の時代に放り出されている。セルフヘルプというアメリカ型ビジネス社会の生き方がほぼ世界基準となっている今日では、それ相応に賢く生きる人は多いし、移民のような社会的に不利な立場の人たちのなかにもテメーのことはテメーでやらんとなと腹をくくって逞しく生きている人が少なくないことは、音楽を聴いている人にはよくわかる。そして、もちろん、そこで腹をくくれない人たち、逞しくなれない人たちもいる。いつだって気が晴れない、どんなに強い酒を飲んでもこの違和感だけは払拭しようがない。コートニー・バーネットはそうした不安定さを生きる、不安を生きざるを得ない人たちにとっての最高のソングライターである。『ときには座って考えて、ときにはただ座る(Sometimes I Sit And Think, And Sometimes I Just Sit)』に続く彼女のセカンド・アルバム、『あなたが本当にどう感じているのか私に教えて(Tell Me How You Really Feel)』は期待通りの内容だ。

 一匹狼とも言えない
 普通の人にもなれない “Hopefulessness”

 1曲目の題名、強いて訳せば“より少ない希望”とでもなるのだろうか、この言葉はさりげなく彼女の特徴を表している。何故コートニー・バーネットが世界で支持されているのかといえば、オーストラリアのこの女性ロッカーは、もとよりロックが扱っていた疎外感や失意といった負の感情をじつに的確に、そしてうまい具合に叙情的に描いているからだ。まあ、生徒会長めいた社会派なんぞではない、いまや貴重な(?)素晴らしき内省派というわけだ。
 話が逸れるが、たったいま、2018年の上半期のベスト・ポップ・ソング20というコラムを来月末発売の紙エレキング用に書いているのだけれど、3曲はすぐに言える。アンノウン・モータル・オーケストラの“いまや誰もが狂ったふりをする(Everyone Acts Crazy Nowadays)”、ヤング・ファーザーズの“Toy”、そしてコートニー・バーネットの“Need A Little Time”。本当によく聴いている。ちなみに3曲ともロック・ソングで、つまりロックはいまでもぜんぜん生きている。で、この3曲のなかではバーネットの“Need A Little Time”だけがケレン味のないオーソドックスなロック・ソングだ。そのなにが良いのかを問われれば、ロック・ソングの普遍的な良さが詰まっているとしか言いようがない。

 みんなが好き勝手に自分の意見を言いたがる
 交通事故が起こらないかと、ずっと思いながら “Need A Little Time”

 スキャンダルこそ現代のエンターテイメントだ。ツイッター上で誰かが誰かを批判しているとか、その手の話が好きな人はじつに多い。バーネットは「私には少しの中断が必要(I need a little time out)」というフレーズを繰り返す。メロウなギターのフレーズが言葉と溶け合い、得も知れないカタルシスがもたらされる。ぼくはこの曲を少なくとも50回以上は聴いているし、これから先も聴くだろう。マッチョな男社会を批判する“Nameless, Faceless”も良い曲であることは間違いないし、彼女らしいガレージ・ロックのドライヴ感が効いた“Charity”も魅力的だが、とりあえず1枚通して聴いて言えることは、この音楽は時代から目をそらさず生まれたものであるってこと。内省的であってもだ。もちろんポップスターの胡散臭さもない。この音楽が誠実であることもすぐにわかる。彼女の声を聴けば。その声はものすごく憂鬱な声だが、難しい話を難しく話すのではなく、難しい話をかんたんな言葉で伝えることができる。

 恐くないフリはしなくていい
 みんな同じように恐いんだから “Charity”
 

 ディア・ハンターはもう何10回と見ているが、同じ内容のショーはない。ボールルーム・マーファとメキシカン・サマーがオーガナイズするマーファ・マイス。バーニングマンに音楽要素がもっと入ったフェスティヴァル、ワークショップだ。そのミュージシャン・イン・レジデンスに選ばれたのが、ディアハンターのブラッドフォード・コックスとケイト・ル・ボン。
 ケイト・ル・ボンは、マニック・ストリート・プリチャーズ、ネオン・ネオン、スーパー・ファーリー・アニマルズなどとのコラボレーションで知られる引っ張りだこのシンガー・ソングライター。ウエールズ出身で、現在LA在住。最近は、ホワイト・フェンスのティム・プレスリーとドリンクスとして活動している。で、マーファ・マイスのセッションは〈メキシカン・サマー〉からEPとしてリリースされる。そしてブラッドフォードはそれだけでは終わらない。ディアハンターのニュー・アルバムのレコーディング中だった彼は、マーファ・マイスの開催地であるウエスト・テキサスにバンドを呼び寄せると、ケイト・ル・ボンにプロデュースさせてアルバムをレコーディングした。

 そして、そのニュー・アルバムが届く前にニューヨークで2日間のショーが催された。ブルックリンのエルスホエア、マンハッタンのル・ポワソン・ルーグ、どちらのライヴもソールドアウト。ニュー・アルバムの曲が聞けるということで、みんなの期待も大きかった。
 1日目はほとんどMCもなく、新曲、ヒット曲を組み合わせのウォームアップ・ショー。2日目は調子が出てきたのか、ブラッドフォードは喋る喋る。自分のギターのノイズが気になると、5回ぐらい曲をやり直し(”element”)、その曲についての説明をし(氷河期についてらしい)、アルバムについての説明をした。
 アンコールで何曲かプレイした頃には、すでに1時間半以上経っていた。ショーも終わりかというところで、「良いアイディアがある」と言って、フロアから友だち(=アニマル・コレクティブ)を呼び、自分のiPhoneから彼らに曲を選ばせて再生するが、それでは物足らず、結局みんなでジャムることに。エイビー・テアがヴォーカル、ディーキンがサンプラー、ジオロジストがキーボード、そしてディアハンターという、インディ・ファンよだれ物のラインナップがじつげん。そこにオープナーのシンディ・リー(元ウーメン)も加わり、20分ほどのジャムが続いた。
 さすがと言うか、録音しなかったのを後悔するほどインプロのほうが活き活きしている。観客も、予期しない展開に大ノリで歓声を送った。

 終わった後もブラッドフォードの喋りは続いた。今回のショーでは300本限定の10曲入りのカセットテープ、「The Double Dream of Spring」が発売されたが、1日目でソールドアウト。ブラッドフォードは、それを転売業者から決して買わないようにと呼びかける。で、この音楽はみんなの物だからと言って、自分のiPhoneからカセットの曲を流したままショーを終える。
 ちなみに、欲しい人には、サインアップすればカセットが送って貰えるようになっていた。いつもヒヤヒヤさせられるが、ディアハンターのショーはだから見逃せない。


Yoko Sawai
5/23/2018

Oneohtrix Point Never - ele-king

 昨晩、マンハッタンのアップタウンにあるパークアベニュー・アーモリーでOneohtrix Point Never(以下、OPN)の待望のライヴ・パフォーマンスが開催された。アーモリーというのは米軍の元軍事施設のことで、そこをリノベーションして作られた会場は、NYでも有数のスケールの大きなイベントスペースのひとつ。19世紀当時の重厚で綺羅びやかな内装がエントランスまわりの空間に残されつつも、メイン会場は広々とした大きなハコになっていて、数々の世界的なアーティストのパフォーマンスやアートショーなどが開催されている。

 5月25日に発表になる2年半ぶりのオリジナル・アルバム『Age Of』を引っさげての今回のOPNの単独ライヴは、アーロン・デヴィッド・ロス(Aaron David Ross)、ケリー・モラン(Kelly Moran)、イーライ・ケスラー(Eli Keszler)の3人のミュージシャンたちを引き連れての初のアンサンブル形式になると聞いていた。開催が決定していた2日間分のチケットは販売日に即刻ソールドアウト、すぐに追加公演も決まった。才能溢れるアーティストたちとの新しい試みになるであろうこのライヴに対する期待値は、品格のある会場のチョイスとともに、開催前からどうしたって上がっていた。

 当日の会場は、20時ドアオープンなのにもかかわらず、19時半から観客が列を作りはじめていた。その観客層は幅広く、若いキッズたちだけでなく、ジャケット姿で普段はクラシックやオペラを聴きに行っていそうな年配のカップルまでが集まっていた。ふと、本当にいいレストランには老若男女のお客がいるものだと教わったことを思い出した。ブルックリンのアンダーグラウンド・ノイズ・シーンからはじまり、〈Warp〉に移籍し、FKA ツイッグスやデヴィッド・バーンやまでを手がけて「メジャー」になったOPNがいま、こうも幅広い層に受け入れられるよう進化していることが印象的だった。

 会場内は一人ひとりに席が与えられた着席式で、天上には2つのスカルプチャーが浮きながら回っていた。舞台上にはいくつかに分裂したスクリーンが設置され、床には大きな黒いビニール袋が舞台装置のように横たわる。しかも観客各々の手元には解説書のようなブックレットが置かれていて、まるでシアターのような空間でパフォーマンスははじまった。

 ケリー・モランが奏でるチェンバロ音に続いてイーライ・ケスラーのマジカルなドラム音が巨大な会場に響き渡り開始早々観客を一気に飲み込んだ。音に息吹が吹き込まれているような彼らの演奏はエフェクトをかけた音でさえ生々しく感じられて、複雑に入り組んだOPNの曲をまるで目の前で解体してみせてくれているような感覚に陥る。そして曲目が進むにつれてOPNことダニエル・ロパティンが弾き語る歌声がさらに観客をぐっと引き付けた。そう、今回ダニエルは多くの楽曲を自ら歌っている。アメリカーナ調の歌を歌うダニエルの姿は、「カオスで実験的なエレクトロニック・ミュージック」といったOPNのイメージを裏切り、多くの観客を驚かせたかもしれない。でも、最新アルバム『Age of』で彼が描く人間が生み出す4つの時代「ECCO」「HARVEST」「EXCESS」「BONDAGE」を表現する上で、このマシーンが作ったようなサウンドと組み合わされたダニエルによる「ヒューマン」な声は、欠かせない主要な要素となっていた。

 今回のライヴではプロローグにはじまり、この4つの時代を描いた曲目を順次演奏し、エピローグで締めるというシアトリカルな構成で進められたのだが、ブックレットによる各時代の解説、変化する舞台演出、“Black Snow”ではPVと同じダンサーたちの登場と、アルバムをよりわかりやすく立体的に表現するものとなっていた。

 また豪華なゲストの登場も華を添えた。“Same”ではダニエルに「叫びのジミー・ヘンドリックス」と言わしめたプルリエント(Prurient)がシャウトし、エピローグ直前には“Last Known Image Of A Song”でケルシー・ルー(Kelsey Lu)が鳥肌が立つようなチェロのソロを奏でた。


 
 エピローグまで終わると会場中は拍手に湧き、スタンディングオベーション。それに呼応して“Child Of Rage”と“Chrome Country”の2曲が追加演奏されファンを喜ばした。

 すべて聞き終わって会場を後にしたとき、先日インタヴューした際に今回のアルバムを「僕にとっては、いろいろな音楽的歴史を通じて広がる、ある特定の種類のアメリカを描いた絵のように感じる」と言っていたことを思い出した。人間の性を表現したような4つの時代。それをぐるぐると回る今のアメリカへの警告のようなもの。そのときはあまりしっくりこなかったけれど、ライヴを経てそれがよくわかった気がした。そして先日公開されたラッパー、チャイルディッシュ・ガンビーノ(Childish Gambino)の“This is America”ともリンクした。彼のいまのアメリカ社会に対する痛烈な描写が話題になっているが、ほぼ同時に同じくアメリカをテーマにした楽曲が30代半ばのアーティスト2人から生まれたというのは、偶然ではない気がする。

XOR Gate - ele-king

 昨年2017年はドレクシア関係の動きが目立った年であった。まず、ドレクシア=故ジェームス・スティンソンの変名ユニット、ジ・アザー・ピープル・プレイスの『Lifestyles Of The Laptop Café』が〈Warp〉からリイシューされた。さらにはドレクシアの『Grava 4』(2002)もリイシューした。そうかと思えば元メンバーのジェラルド・ドナルド(とミカエラ・トゥ=ニャン・ バーテルによる)の別ユニット、ドップラーエフェクトが10年ぶりのアルバム『Cellular Automata』を発表する。この作品はオーセンティックなシンセ的な音響を生成・展開しつつも、単なる懐古主義に陥ることなく、現代のエレクトロニクス・ミュージックのモードへと見事に接続されていた。

https://open.spotify.com/album/6Qf0Ot0oJb32jhtBl4L4Ol

 そして2018年、ジェラルド・ドナルドはXOR Gate名義でアルバム『Conic Sections』を送り出す。リリースはベルリンを拠点とするレーベル〈Tresor〉からである(ちなみに〈Tresor〉はSecond Womanの新作EP「Apart / Instant」もほぼ同時期にリリースしているのでそちらもぜひ注目していただきたい)。

https://open.spotify.com/album/3XwsVsVnnRKB3HnKNq3sAd

 ここで重要な点がある。先に記したようにジェラルド・ドナルドは2017年にドップラーエフェクト名義で『Cellular Automata』をベルリンの〈Leisure System〉からリリースしているが、本作『Conic Sections』もベルリンのレーベルからのリリースだ。つまりドイツ発の音楽でもあるのだ。
 その音楽と音響性にはドイツという電子音楽史における重要な土地への深いリスペクトを感じさせるものだ。端的にいえばどこかに(微かに)クラフトワークの影響を感じるのだ。私は不思議とクリス・カーターの新作との親近性を(あちらは多様な短い曲を集めたものだが)聴きとってしまったのだが、思い返してみればクリス・カーターの新譜もクラフトワークの影響を強く感じさせる作品である。つまり、フォームは違えども、どこかドイツ電子音楽への憧憬を強く感じ取れるのだ。これは現在の電子音楽がクラフトワーク的なるものに遡行しつつ例としても貴重な例ともいえよう。これはもちろん原型への回帰ではない。そうではなく、原型の拡張とでもいうべきものだ。

 では、本作における「新しさ」はいかなるものなのか。なぜなら、このアルバむは単なる「懐古」的な作品ではないからだ。クラウトワーク・リヴァイヴァルでもデトロイト・リヴァイヴァルでもない。同時代的な音響のアトモスフィアが濃厚に漂っているのである。それはいかなるものか。
 この『Conic Sections』は、『Cellular Automata』を継承するようにビートレス30分1トラックの長尺曲でもある。とはいえドローンやアンビエントのように一定の音響的な持続が変化していくサウンドではない。このXORでは複数(8つ)のサウンド・モジュールが次第に接続され、展開していく構造と構成になっている。音の数学的結晶体を思わせるトラックを形成しているのだ。
 まず、ユニット名からしてコンピュータの論理回路のひとつ「排他的論理和演算回路」のことを指しており、本作が極めてマシニックな音楽を目指していることがわかる。じっさい、私はマシンのなかにヒトの心が解体されていくかのような感覚を覚えてしまった。「アンビエント・インダスリアル」とでも形容したいほどに。
 しかし同時に、このアルバムの音響には、冷たい鉄の質感に触れたときに感じる独自の「哀しみ」も感じとれた。いわばマシン・ブルースとでもいうべきものである。といってもそれは音階のことではない。デトロイト・テクノを継承する抑圧された(というべきだろう)「感情」の発露といったものだ。いわば機械と心。このふたつの共存と拡散……。
 じじつ、冒頭の緊張と柔軟が交錯するシーケンスのトラックから、その機械と人間の交錯が鳴っている。以降、トラックはマシニティックとヒューマニティが交錯するような断続的なシーケンシャルなトーンへと変化し、まるで深海を潜航するようなムードを醸し出していく。持続と変化。接続と融解。対立と交錯。1トラックを通して変化する世界を形成しているわけだ。ビートの粒子が融解するかのごとき音響彫刻的なフォームを生成しているとでもいうべきか(まるでアクトレスの近作やアルカの作品のように……)。物質と粒子のニュー・マテリアル・テクノの実現である。

 ジェラルド・ドナルドは、たしかにドレクシアを継承し、デトロイト・テクノの本質を受け継ごうとしている。と同時にエレクトロニック・ミュージックを新しい同時代的な音響体へと結晶させようともしている。そのためにサウンドからビートを融解させ、多層的なエレメントが接続される30分のトラックにする必要があったのではないかと思う。
 XOR Gate『Conic Sections』は(2017年のドップラーエフェクトの『Cellular Automat』がそうであったように)、ジェラルド・ドナルドによるテクノロジカルな音響による同時代への研究報告書のようなアルバムである。同時に、この時代の無意識へと拡散する(言葉のない)「詩」のごとき音の結晶体でもある。ヒトとマシンの交錯と融解。その表現の実践と実現において非常に重要なアルバムといえよう。

Cardi B - ele-king

 リタ・オラの新曲、“ガールズ”が炎上している。女性、そしてLGBTQ+の人々をエンパワーするはずの曲が、強烈なバックラッシュに遭っている。ゲイやバイセクシュアルのコミュニティから批判の的となっているのは、主に「時々、女の子たちにキスしたくなる/赤ワイン、女の子たちに口づけしたい」というコーラスの歌詞で、要は「私たちのセクシュアリティは“一時的な”感情ではないし、ましてや“酔っ払ったときの”気の迷いなんかではない」というわけだ。

 オラ本人は謝罪文をツイッターに投稿した。いわく、「女性とも男性とも恋愛関係にあったことは事実であり、それを表現することで同様の立場の人々をエンパワーしたかった」。その後、彼女は「(バイセクシュアルであることをにおわせるハリー・スタイルズの“Medicine”が賞賛され、オラの曲がリンチされるのは間違っていると主張するコラムを書いた)ユスフ・タマナ、ありがとう!」と書いたポストが批判され、それを消すなど、事態は複雑な様相を見せている。当事者性やメイル・ゲイズ――レズビアン表現を性的に消費するヘテロ男性の問題などが絡み合っており、一言では説明がつかないイシューだろう。

 同曲に客演し、「あなたの口紅にだってなれる、一夜だけなら」というリリックで火に油を注いだ格好になっているのがカーディ・Bで、彼女も同様に謝罪文を投稿している。カーディは、「これまでに多くの女性と経験がある」と弁解しているが、そのロマンスがゲイやレズビアンたち固有のセクシュアリティの切実さに見合うものであったかどうかは、誰にもわからない。この一件は、むしろシスジェンダー/ヘテロセクシュアルとLGBTQ+の人々との断絶を強調してしまったのではないか。繊細なイシューを単純化し、グラデーションや複雑さを縮減してしまうこと、あるいは差異を認めることなく「私も同じだ」と同質性を主張してしまうことに、当事者たちは殊の外敏感である。誠実さをもってそこを乗り越え、何ができるのだろうか。そこまで議論を進めなければ、“ガールズ”の一件からは何も得られない。

 渦中にあるカーディ・BがLGBTQ+のコミュニティと連帯できるかどうかはわからない。しかし、恋人からの被DV経験があり、臀部の整形手術をし、ストリップ・クラブという性風俗産業に身を置いていたカーディは、すくなくともフェミニストたちとは連帯できるだろう。彼女は言う。「私はなんだってできる――男ができることだったらなんだって」。出世曲となった“ボダック・イエロー”のコーラスはこうだ。「私がボス、あんたはただの労働者」。カーディは度々ビヨンセの名前をラップしているが、彼女は力強いリーダーであるビヨンセとも、優等生のジャネール・モネイとも異なる立ち位置でスピットしている――それは、「バッド・ビッチ」だ。あくまでもダーティなバッド・ビッチたるカーディは、男が女を消費するように、男を消費してみせる。「彼、ハンサムだよね/名前は?/バッド・ビッチは男をナーヴァスにする」(“アイ・ライク・イット”)。彼女の手にかかれば、男女関係を反転させることなど他愛ないことだ。

 ピッチフォークは、カーディ・Bのデビュー・アルバム、『インヴェイジョン・オブ・プライヴァシー(プライヴァシーの侵害)』のレヴューで、彼女を「新しいアメリカン・ドリーム」だと褒め称えている。ソーシャル・メディアやリアリティ・TVを通じて成功を手にしたカーディは、ソーシャル・ネットワークの荒野で油田を掘り当てたのだ。ゼア・ウィル・ビー・ブラッド。カーディは、まさしく現代のアメリカン・ドリームだろう。元ブラッズの一員で、「血まみれの靴(クリスチャン・ルブタン)」を履いた足で男たちを踏みつけるこの力強いビッチは、しかし、繊細な一面も見せる。ケラーニをフィーチャーした“リング”ではこうだ。「私が先に電話したほうがいい?/決められない/電話したいけど/ビッチにもプライドはある」。フィアンセであり、二人の間に授かった子の妊娠も発表したミーゴスのオフセットの浮気を糾弾するラインも、一つや二つではない。「私には気をつけたほうがいい/何をやっているのかわかっているの?/誰の感情を逆なでしているのか、わかっているの?」(“ビー・ケアフル”)。穏やかではない。

 ジャスティン・ビーバーの『パーパス』やカミラ・カベロの『カミラ』と並ぶような、実に現代的なポップ・アルバムである本作には、親しみやすいメロディがあり、自身のルーツを活かしたトレンディなラテン・ビートがあり、ダーティなトラップ・ビートがある。先のピッチフォークのレヴューにならうなら、「ポップ・ラップからトラップ、バラード、もったいぶったプロムナードまで」をも包括していると言えるだろう。それは、フーディニからグッチ・メインやフューチャーまで、さらにマライア・キャリーを経て、ケイティ・ペリーもテイラー・スウィフトも、カーディはお気に入りのクリスチャン・ルブタンの赤い靴底で踏みつけているということだ。ここには(自覚的か無自覚的か)フェミニズムがあり、リアリティ・TVとインスタグラムがあり、恋心とジェラシーがあり、アルコールとセックスがあり、ラップ・ミュージックの典型的な成功物語がある。なんとも心強いではないか。あくまでもダーティなバッド・ビッチとして、不遜なハスキー・ヴォイスをもってして、カーディ・Bはアメリカン・エンターテインメントの頂点に躍り出た。

NRQ - ele-king

 「Retronym(レトロニム)」とは、元来あった概念や事物を、後に出現した同様のものと峻別するために生まれた表現のこと。例えば、音楽コンテンツのリリースにおけるデジタル配信が定着してからのちは、それまで単純に「リリース」と言われていた発売行為を、CDやレコードなどの有体物をもってする場合は「フィジカル・リリース」と派生的に言い換えることなどがわかりやすい例だろう。他にも、カラープリント技術発展後に、それまで単に映画といっていたものを「モノクロ映画」としたのも代表的なレトロニムの例。
 
 では一体、音楽における「レトロニム」とはなんだろう。それは、音楽ジャンル一般を概念化して言語で語る際には、頻出するものとなる。ポピュラー・ミュージックが発展していくときに逆説的に現れた様々なレトロニム。ガレージ・パンク、初期パンク、オーセンティック・スカ、戦前ブルース、ルーツ・ロック、オールドスクール・ヒップホップ。そしてそもそも、19世紀産業革命以降の大量消費社会出現後に現れた商業音楽とそれまでの音楽を隔てる「クラシック」という語がそうだし、「ワールド・ミュージック」という80年代以降に頻用されるようになった語も、かつては単に「世界の何処かの音楽」としてあったものがグローバリゼーションの発展により逆説的に発見され周縁的存在として再定義されたレトロニムであるといえるかも知れない。

 しかし。NRQ=New Residential Quartersとは、翻訳すればすなわち「新興住宅地」。新興住宅地とはまさに、サバービアの住宅地を思い起こさせる通り、旧来の都市中心部における住宅地の周縁に新たに開発された居住地のことであり、いわゆる「新語」とされるもの。即ち今回バンドが4枚目のアルバム・タイトルとして掲げた「レトロニム」の、全き反対概念に思われる。
 「ブルース、カントリー、ジャズなど過去の音楽遺産を継承するように様々な要素を消化し、オリジナルな編成で演奏する個性派集団」という、これまでバンドに与えられがちだった牧歌的評価とこのバンド名が孕むイメージの齟齬は恐らく、牧野琢磨氏の頭の中には活動当初から予測されていたものだったろう、と彼本人を知る私などは推察するのだけれど、ここへ来て4枚目のアルバムに「レトロニム」というタイトルを付けたことは、そうした齟齬の実相に自ら分け入っていくような勇敢さ(もしかしたら諧謔なのかもしれない……)を強く感じるのだった。
 だからこそ、この挑戦的とも言えるタイトル「レトロニム」について、さらに厳密に考えることこそ、ここから聞こえてくる彼らならではの音楽観を我々に引き寄せる正道であるとも思えるのだ。

 テクノロジーの発展やイノベーションによる後続の概念の提出により、それまで一般的に使われていた概念は、時間軸上においてレトロニムとしての語が与えられたときを基点として、過去の側へ意味を伸長する概念となる(「モノクロ映画」というレトロニムは「天然色以前の映画」という意味が与えられる)。しかしながら、語の指示するそういった意味論的レベルとは別の次元では、元来包摂的なものとしてあった概念が「その時点で」「あらたな語」を付与されるという作用がそこにあることに注目したい。この作用こそは、レトロニムが語としては過去向きの意味性を帯びるのとは無関係に、むしろ極めて現在的視点からの行為に引き起こされたたものであると言える。言い換えるなら、その指し示す意味内容に関わらず、レトロニムもまた、その時に生まれる「新語」であることに変わりはないのである。
 そして、この「新語」たるレトロニムを発生させるパースペクティヴこそが、現在から過去を眺める視点すなわち歴史意識と呼んで差し支えないだろう(現在のスマホの存在を知らない人はどうしてかつてのケータイのことを「ガラケー」と呼びかえるだろうか)。
 要するに、いまこの時点で獲得される視点をもってして、過去を位置づけようとするという意識がなければ、そもそもレトロニムは生まれてこない、という当たり前の事実を述べているわけだが、そうしたパースペクティヴと、逃避的懐古主義のようなものがいかに簡単に混同されやすいか、という問題もあるから話は単純でない……。ジョン・コルトレーンによる60年代のカルテット吹き込みを礼賛すること自体には、いわゆる懐古主義といったものは本来備わっていない。しかし、それに耽溺し、耽溺する自己が歴史意識を剥奪されたときにこそ、現代の視点から浮遊した懐古主義は顔を出してくる(「たかが趣味程度にそんな区別は不必要では……しかもインターネット空間において過去の遺産へのアクセシビリティが格段に向上して享受したいものをそれぞれが享受できるこの2018年に……」という議論もまあ、ある面では説得的かもしれないのだが、歴史意識を持ちつつ過去のものを愛でている健全な人たちが、単なるノスタルジストと混同されているのを耳にしたり目にすると心が痛むものだ)。
 やや脱線してしまったが、要するに、懐古と回顧は全く違うものなのだ。
 レトロニムとは、現代に生き、現代からものを見ることができる者のみが指し示すことのできる概念なのである。

 広範に渡る音楽知識、パースペクティヴ、そして膨大な演奏経験を持つ牧野琢磨、中尾勘二、服部将典、吉田悠樹の4人による2015年以来にして4枚目となるアルバムは、そんなレトロニミスト(この言葉いま作りました)集団の面目躍如というべき内容となっている。
 それぞれが腕っこきであることは勿論のこと、ここではエマーソン北村、おきょん、王舟、谷口雄というゲストプレイヤーが参加し、これまでの彼らの作品中でもっとも華やぎを感じる作品だ。
 昨年2017年にソロ・アルバムもリリースし高い評価を得た吉田による二胡の演奏は、よりスポンテニアスさを増しつつ、吉田以外にそのような奏法の者が見つからないという性質をもってして、この音楽に圧倒的且つ説得的な記名性を与える。そしてやはりテクスチャー上においても吉田が紡ぎ出す(二胡の演奏風景というのは本当に何か紡ぎものの手仕事を行っているように見える)サウンドこそが、NRQらしさの決定的要素であることを実感させてくれる。
 中尾勘二によるドラム・プレイは、「味わい」ということばをそのまま音素に置き換えたような変わらずの滋味とパンキーなチャームを振りまきながらも、意外な(?)ほどシャープ&ファンキーに疾走する時間もある(とくにM1“ADHD”の後半部やその名も“Funky Solitude”と名付けられたM5など)。また、今回はホーン・アレンジメントで遠藤里美が迎えられているが、中尾は一人多数の管楽器を操りそれを多重録音することで、アンサンブル全体のの広がりと彩りも格段に増すことになった。服部によるアコースティック/エレキベースは、トリッキーなプレイを挟みつつも、「バンドらしさ」を下支えする盤石と自信に満ちており、しかも「ベースラインだけを追っていても楽しい」という快楽を聴くものに提供してくれる。また、チェロやバイオリンのプレイによって、バンドのアンサンブルはいっそう豊かになっている。
 そして、何と言っても牧野のギターの卓越ぶりだろう。恐らくいま世界中を探してみたとしても、強い個性を持ちながらもこのようにブルース〜ジャズ〜ロック〜ラテン〜レゲエ etc.を横断するスキルと歴史的視点を獲得しているギタリストは簡単に見つかるものではないだろう。様々なギター演奏に精通していることを伺わせるネッチリとしたオブリガードやジェントル極まりないタッチ。それでいて即興音楽の濃密な「一回性」とも共通するような強烈な個性。ガボール・ザボやラリー・コリエル、マーク・リーボウやビル・フリゼールといった歴史性と革新性を兼ね備えたギタリスト達のプレイを受け継ぐ存在であると言えるだろう。
 コンポーザーとしての各人の魅力も縱橫に発揮される。中尾勘二によるM2“三鷹の人”におる「インストの歌もの」とでも言いたい歌謡曲的メロウネス。牧野作M6“在宅ワルツ”、吉田作M9“ロソロソ”などにおける東京サバービアへの哀感溢れる黄昏のサウダージ感。服部作M7の東ヨーロッパ風洒脱。そして、グルーミーな王舟のボーカルによって幕開けする、牧野の作によるM10“ナイトほ〜ク”の、まるでNRQ版ザ・フー“クイック・ワン”とでもいうべき壮大且つ躍動感に満ちた組曲世界。

 なるほどNRQという集団は、過去の音楽遺産へと愛に満ちたオマージュを捧げている。しかし、プレイにおいてもアレンジにおいても、そしてコンポーズにおいても、確かな歴史意識を持って自らの手でアウトプットする。そこに生まれる作用こそが、レトロニムが生まれる時に起こる作用と同じく、過去の音楽を現在の視点から相対化し、ひいては現在において「新語」を創り出すということそのものなのである、と確信を持って教えてくれる。
 飄々としつつも一筋縄ではいかないこの音楽家集団は、音楽における「新しい」レトロニム作りをせっせと行っている。今2018年、新興住宅が建つここ東京郊外でしか出来ないやり方、そして見方で。

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