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今回は日本のダブステップにクローズアップしました。アンリリース音源が中心となりますが、各曲サウンドクラウドにUPされているので、是非チェックしてみて下さい。アンダーグラウンドでは、日本各地から続々ヤバいクリエイターが出現してきています。この現状を少しでも皆さんに届けられるきっかけとなれれば、幸いです。
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DJ Doppelgenger - Paradigm shift - Guruz |
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DJ Doppelgenger - Kill or sleep - Guruz |
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Goth trad - Sublimation - Deep medi |
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Ena - Analysis code - 7even recordings |
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Seimei & Taimei - Last bass samurai - unrelease track |
6 |
Ten billion dubz - Dump - unrelease track |
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Yunakajima - 47 - unrelease track |
8 |
Ryoichi ueno - New dawn - unrelease track |
9 |
Ryoichi ueno - Brain - unrelease track |
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Helmut - Case - unrelease track |
2012年の夏はストーン・ローゼズがフジロック初日のヘッド・ライナーとして登場。4月にはモリッシーの10年振りの来日公演、伝説のクラブ〈ハシエンダ〉の名を冠したハシエンダ・フェス、5月にはノエル・ギャラガーの日本武道館公演、サマーソニックにはニュー・オーダーが出演、突然のマンチェスター・リヴァイヴァルだ。本国イギリスではハッピー・マンデーズがオリジナル・メンバーで復活、マンチェスター公演のゲストはインスパイラル・カーペッツ。ローゼズの再結成を契機に、さまざまな形であの時代が思い出され、世界中からこの夏への期待が高まっている。僕自身もこの夏はここ数年ないほど楽しみだ。あの時代を懐かしみたいということではない。まだ体験したことのない、自分のなかの小さな革命のようなものを期待している。
4月28~29日、大磯ロングビーチで開催されるハシエンダ・フェスにピーター・フックは自身のバンドによるジョイ・ディヴィジョンの2枚のオリジナル・アルバムの再現ライヴをおこなう。もちろんベズもやってくる。
ココに紹介するのは、去る1月、渋谷〈VISION〉で開催されたパーティ「THE HACIENDA」のために来日した際にやったインタヴュー。これを読んだら、GWは大磯に行きたくなるはず!
■まず音楽をはじめたきっかけを教えてもらえますか?
PH:う~ん、10代の頃はそんなに音楽に興味はなかったんだよ。ごく普通にポップスを聴くぐらいでね、はじめに買ったレコードもケニー・ロジャースの「ルヴィー、ドント・テイク・ユア・ラブ・トゥー・タウン」だし。でもいま聴いても名曲だよ(笑)。まだ家にはあるはずさ。普通にポップスが好きな子供だったよ、それからハード・ロックを聴きはじめて、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなんかのね。だからジミー・ペイジが俺のギター・ヒーローだったよ。ロックよりも女の子のほうが重要だったんだ(笑)。
■フットボールは?
PH:俺はマンチェスター・ユナイテッドの練習場の横に住んでたことがあるんだけど、子供の頃はまったく興味がなかったんだ。ほんとにクレイジーなファンになったのは20歳ぐらいだよ。90年代はベッカムやギグスもよくハシエンダに来てたよ。俺がハシエンダのバーにいると「ハーイ、フッキー」(ベッカムのオカマっぽい口まねで)って声かけてきたよ(笑)。
■ジョイ・ディヴィジョンの結成のきっかけはマンチェスターでのセックス・ピストルズのライヴですよね? でもシンプルなパンク・バンドにならなかったのはなぜですか?
PH:バンドを組んで、はじめはピストルズのコピーとかをやっていたけど、練習するにつれてもっと違うスタイルでやりたくなったんだ。
■プロデューサーであるマーティン・ハネットの影響もありますか?
PH:そうだな、彼はホントに難しいやつで、クレイジーではないんだけど、かなりエキセントリックなやつだったよ。彼のなにがすごいかを説明するのは難しいけど、俺たちにはいい仕事をした。彼がプロデュースしたジョイ・ディヴィジョンのサウンドは30年たっても素晴らしいだろう? 彼のアイデアはいつも神秘的で、なんというか、カタリ派的(神秘主義的キリストの一派)なんだ。ちょうどいま、俺はジョイ・ディヴィジョンについての本を書いている、そこでレコーディングについての分析もやってるんだ、いまのようにテクノロジーがない時代に、いったいどうやってあのサウンドを作ったのかホントにわからないんだよ。彼は専門的な勉強をしたわけではないのに。
■どんなレコーダーを使っていたんですか?
PH:はじめは4トラックの古いレコーダーで『アンノウン・プレジャーズ』のときには24トラックのアナログ・レコーダーだったよ。24トラックあれば充分だね。ニュー・オーダーのレコーディングでバーニーはヴォーカルだけに99トラック使ったこともあったよ、まったくバカげてる(笑)。
■映画『コントロール』で描かれていたレコーディング風景は事実に忠実だったんですね。
PH:そう、俺もあの映画のプロデューサーのひとりだからね。あの映画はまずアントン・コービンに監督を頼む前に俺たちが企画していた。もちろんアントンは最高の映像を作ってくれた、なぜなら彼ほど俺たちを知っているやつはいないからね、知り過ぎていてこまるぐらいだったよ。あの映画はシリアスでダーク、アントンの感性もかなり衒学的だし、とても重いものだけど、美しいフィルムだと思うよ。実際に俺の思い出のなかのあの時代もモノクロなんだ、ダークなんだよ。ラストの"アトモスフィア"はすばらしいだろ、でも"アトモスフィア"はイギリスでもっとも葬式に使われる曲ナンバー・ワンなんだよ(笑)。
■『コントロール』のオープニング、イアンの部屋にはデヴィッド・ボウイのポスターが貼ってあるのが印象的でした、ボウイは好きでしたか?
PH:もちろん、ジョイ・ディヴィジョンの前の名前のワルシャワは彼の曲から取ったんだ。そう、とくにブライアン・イーノがプロデュースしたアルバムのキーボードのサウンドはほんとに参考にしたよ。『ヒーローズ』は大好きだね。
■ニュー・オーダーは数多くのダンス・リミックスを作ってますが、あなたのフェイヴァリット・リミックスはどれですか?
PH:俺たちはいつも自分たちで誰にリミックスを依頼するか選んでいたんだ、俺の好きなリミキサーはアーサー・ベイカーだな、あんまりベースをカットしないからね(笑)。最悪だったのはシェップ・ペティボーン、ベースをバッサリカットしやがったよ(笑)。アーサーがやった"1963"も"レッツゴー"も最高だよ。
■ニュー・オーダーで好きな曲はなんですか?
PH:"リーブ・ミー・アローン"だね、スコット・フィッツジェラルドの『夜はやさし』を思い出すんだ。美しい本だよ、ちょうどレコーディングのときに読んでいてね。最高のベースラインを思いついたよ。
■1988年に『テクニーク』のレコーディングで行ったイビサはどうでしたか?
PH:もちろん最高だったよ、トニー・ウィルソンには人生でいちばん高くついた休暇だってさんざん絞られたけどね。とにかくレコーディングもせず毎日パーティだったよ。
■当時はどんなDJがプレイしてました?
PH:人気があったのはアルフレドだね、でも、俺はイビサのDJのどんどん曲をミックスしてしまうスタイルは好きじゃなかった、なんせ2分ごとに曲が変わるんだ、いい曲かけてるのに。マンチェスターのDJたちはイビサのスタイルを持ち帰ったけど、自分らに合うようにプレイ・スタイルを改良したんだ。それがよかったよ。
■イビサでニュー・オーダーの曲はかかってましたか?
PH:いやぜんぜん、「ファインタイム」も出る前だし彼らはたぶん「ブルー・マンデイ」も知らなかったんじゃないかな。
■最初のエクスター体験もイビサですか?
PH:もちろんそうだよ、じゃなきゃあんなにパーティに行かないさ。でも俺は言っておきたいんだけど、俺たちニュー・オーダーやハッピー・マンデーズ、〈ファクトリー〉の連中が90年代初頭にドラッグをグラマラスに見せてしまったことは、ホントに後悔している。あれは間違いだったと思うよ。多くの友だちが死んだり、心を病んだりしてしまった。もしいま俺の子供たちがドラッグやりたいなんて言ったらブン殴って止めるよ。カーニヴァル・ライフは楽しそうに思えるけど、人生に必ず大きな借りを作っているんだ、だからいつかその借りを返さないといけなくなる。そんなことはまったくバカげているよ。
■ではハシエンダ・フェスについて話してください。
PH:俺はいま、マンチェスターで〈ファクトリー〉というクラブを運営している。そのコンセプトは過去が未来をクリエイトするってことなんだ。〈ハシエンダ〉は今年でオープンから30周年、自分らの思いやアイデアや多くのエネルギーとさらに多くの金(笑)......を注ぎ込んだのもが、また何かを生みだして欲しいってことだよ。オリジネイターの俺がジョイ・ディヴィジョンのアルバム再現ライヴをやる、マッドチェスター時代の代表バンドであるシャーラタンズも出る、〈ハシエンダ〉のクラブ時代のヒットメイカーだったエクスプレス・ツゥーがいて、最新のダンス・クリエイターやバンドが出るんだ、いいパーティにならないわけないだろ? 日本だけでなくポーランドやイギリスでもこのセレブレイト・パーティはやるんだ。
■最後にトニー・ウィルソン、アラン・マッギー、ジェフ・トラビスの3名についてあなたの印象を聞かせてください。
PH:あー、インディ・レジェンドね(笑)。トニーには実に大きな影響を受けたよ、兄貴みたいなもんさ、彼はまさにエキセントリックという言葉ぴったりの男だったね、そしてホントに芯からの英国的なひねくれ者というか、変わった男だった。金にはまったく興味がなかった、すごいことだと思うね。
アランはいい友だちだよ、あいつもかなり変わってるけどね。彼もトニーからかなり影響受けてたはずだよ。いまはリタイアして悠々自適だけど、またなにかやらかすんじゃないかな?
ジェフは俺にとって学校の先生みたいなもんだよ、「先生これ教えてください!」って感じでね。彼がインディ・レーベルのあり方を変えたし、みんなに教えたんだ。いろんな仕事を彼と一緒にしたよ、ときにはひどい喧嘩もしたけど(笑)。
いまの時代にはもう彼らのような人物はいなくなってしまったのが残念だね。彼らのようなキャラクターがいろんな人に夢を与えたとも言えるしね。ヒットを生みだすためにレーベルをやっていたんじゃない、彼らは自分の好きなものをリリースしたかったんだ。いまはもうレコード・レーベルの持っていたマジックは解けてしまったんだよ、残念だけど。
■あなたの年齢を教えてください。
B:いま47だよ、今年48になる。
■生まれも育ちもマンチェスターですか?
B:いや、サルフォードっていうマンチェスターの隣町だよ。みんなマンチェスターっていえばひとつの町って思ってるけど実際は隣のサルフォードもそれなりに大きな町なんだ。
■初めて買ったレコードがなにか覚えてますか?
B:買ったんじゃなくて盗んだんだけど(笑)、ベイ・シティ・ローラーズだったよ、まだ10歳ぐらいだったかな? でも15のときにスペシャルズの"メッセージ・トゥー・ルーディー"を聴いてから、音楽を真剣に聴くようになったよ。
■ということは、10代の頃のあなたのヒーローはジョー・ストラマーとかジョニー・ロットンですか?
B:いや、ロックよりもフットボールに夢中だったから、マンチェスター・ユナイテッドのプレイヤーだったね。12か13の頃にパンクがブレイクしてからレコードを買うようになったよ。両親の古いレコード・プレイヤーを占領してね。そしてタバコを吸うようになった(笑)。それからスペシャルズでスカを知って、ノーザンソウルとかにハマっていった。
■ショーン・ライダーと出会ったのもその頃ですか?
B:そのちょっとあとぐらいかな、1984年あたりだね。あいつはかなりのワルだったから(笑)、名前は知ってたんだ。まわりの友だちにも「おまえはショーンと気が合うぜ」って言われていたから、初めてショーンと会ったときに「おまえがショーンだろ」って言ったら、あいつも「おまえがベズだろ」っていう感じで、すぐつるむようになった。で、ハシエンダ〉に一緒にニュー・オーダーのギグを見に行ったよ。
■その頃の〈ハシエンダ〉はどんな感じだったんですか?
B:1985年には金曜日のパーティでマイク・ピッカリングがシカゴ・ハウスをプレイしてたよ、〈ハシエンダ〉はロンドンより早かったんだ。
■初めてのE体験もハシエンダですか?
B:いや、初めては85年のイビサだったよ。ほんとに夢のようだったね、あんなきれいな島でひと晩中最高の状態で踊れるんだから! ハッピー・マンデーズがダンス・ビートを取り入れるのはほんとに自然なことだったよ。俺たちはバンドだけど、俺たちが最高と思うサウンドをやりたかったんだ。
■あなたたちの最大のヒット作『ピルズンスリルズ・アンド・ベリー・エイク』はポール・オークンフォールドのプロデュースですが、どんな感じでレコーディングしたんですか?
B:重要なのはオーキーとスティーヴ・オズボーンのふたりなんだ。スティーヴはロックのバックグラウンドを持っていたし、オーキーはヒップホップとアシッド・ハウスだった、このふたつの要素がミックスされてあのアルバムができたんだよ。バンドがセッションして彼らがビートを提案してね。
■ハッピー・マンデーズでのいちばんクレイジーな思い出を教えてもらえますか?
B:う~ん、90年代前半のツアーはほんとにすべてがクレイジーだったから難しいな......。ブラジルでロック・イン・リオっていうすげえフェスに出たときのことかな。あんまりひどくて言えないけど、よく死ななかったなとは思うよ。本気でね。
■なぜマンデーズは解散してしまったんですか?
B:最大の原因は成功してしまったからだよ、メンバーがみんな勝手な主張をはじめたんだ。メンバー同士の口論はほんとに酷いもんだったよ、そこにマネージメントやレコード会社、出版なんかのいろんな奴がでてきてさらに事態を混乱させた。よく考えたらほんとにバカげたことだけどそれが友情を完全に壊してしまったんだ。
■映画『24アワー・パーティ・ピープル』はどう思いました?
B:俺は見てないんだよ......ていうか見たくない。映画の制作前に監督のマイケル・ウィンターボトムとミーティングして脚本を見せてもらったんだけど、俺たちの描かれ方がほんとに酷かったんだ、しかもコメディだろ? 俺たちは確かにメチャクチャなこともやってきたけど、全部真剣だったんだ。それに何人かの友だちも死んでるしね。俺から言わせてもらえばコメディになるようなものじゃない。だからいちども見てないんだよ。
■今回の来日であなたは「ヴァイブレーション・プロバイダー」ってクレジットですがイギリスでも同じようなことをやってるんですか?
B:そう、実は若者たちがやっているいろんなパーティをサポートしてるんだ。俺のふたりの息子も最近パーティをはじめてね。とくにまだ若くてクラブに行けない子供たちが昼間に集まってやるようなパーティとかを応援してるんだ。それに俺がいたら安全だろ(笑)? これはガッシュ・レイヴ(GASH RAVE)というキッズのためのフリー・パーティなんだ。キッズにDJやパーティをどうやってやるのか教えてるんだ。俺たちはほんとにパーティ・カルチャーに育ててもらったようなものだから、恩返しをしてるんだよ。
■そこではどんな音楽がプレイされてるんですか?
B:いまのキッズはやっぱりダブステップが好きだね、そこにドラムンベースやミニマルなハウスをミックスしてるよ。最近はオールドスクールなアシッド・ハウスも混ざってきてるよ、これなら子供の付き添いできたオッサンでも楽しめるしね(笑)。
■ドラッグの問題はないですか?
B:前よりは無くなったよ、音楽以上にドラッグを流行らせてギャングをのさばらせることの恐ろしさをちゃんと教えてるんだ、ドラッグをやることがギャングにパワーを与え、最後には自分たちの楽しむ場所さえ取られるってことをね。俺たちはそれでほんとに酷い目にあったんだよ。でもちゃんと教育することでまた新しい革命が起こせるはずさ。
■最後にストーン・ローゼズがヒートンパークでやる再結成ライヴには行きますか?
B:もちろん、今年いちばんの楽しみだね。
2012年4月28、29日(土、日)ハシエンダ大磯フェステイバル
ハシエンダ30周年を祝す記念フェスがG.W.に大磯にて開催決定!
PETER HOOK & THE LIGHT、THE CHARLATANS、CARL CRAIG、SHARAM、☆TAKU TAKAHASHI、TOQUIO LEQUIO TEQUNOSを筆頭にトップDJ、バンドが2日間に渡り、繰り広げる音の祭典!!!
https://www.fac51thehacienda.jp/
前売券プレイガイド、レコード店で絶賛発売中!
Dirty Three Toward the Low Sun Drag City/Pヴァイン |
オーストラリアのメルボルーンで1992年に結成されたインストゥルメンタル・ロック・バンド、ダーティ・スリーは、美しく、そして激しい情熱を捉える。見た目は無骨だが、ステージングは派手で、場末の古い酒場で暴れているジャズ・ロック・パンク・ブルース・バンドのように聴こえる。
メンバーのひとり、ヴァイオリン弾きのウォレン・エリスは、現在パリで暮らし、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのメンバーとしても活動しているが(あるいはグラインダーマンやキャット・パワー、プライマル・スクリームなどのアルバムにも参加している)、そうした連中が持っているブルース感覚と似たものをダーティ・スリーからも感じる。打ちひしがれているが、優美で、激しい。
ドラムスのジム・ホワイトは現在ニューヨークで暮らし、長いあいだシカゴの〈ドラッグ・シティ〉(ジム・オルークなどのリリースで知られる)のスモッグのバックを務めている。ギタリストのミック・ターナーのみが、いまでも地元メルボルンに残ってソロ活動をしている。〈ドラッグ・シティ〉からは、すでに何枚ものソロ・アルバムを出しているので、ご存じの方も多いことと思われる。とにかく、3つの異なる大陸にそれぞれが暮らしながら、ダーティ・スリーはバンドとして存続しているわけだ。昨年のこの時期は、「アイル・ビー・ユア・ミラー」のために来日もしている。
新作は7年ぶり、通算9枚目のアルバム。タイトルが言うように、音楽からは真っ赤な夕日が差し込んでくるようだ。フォーキーな響きが打ち出され、メロウで、日没の輝き、黄昏好きにはたまらない、その美学はたっぷり入っている。燃え殻のにおいが漂う......彼らが世界中で愛され続けている理由がよくわかる。取材に答えてくれたのはミック・ターナー。
僕らはどのジャンルにも属していない。僕らは『ダーティー・ハリー』のように、悲しい存在でもありながら、危険で謎、そしてエキサイティングなんだ。
■7年ぶりの新作、素晴らしかったです。1曲目から飛ばされました。まずはこの7年という年月について、そして今回の録音がどのようにはじまったのか説明を願いします。
ミック:2009年にパリでデモ録りを何曲かして、2010年の頭から実際のレコーディングをはじめて、2011年のなかばには作業は終わっていたね。離れて暮らしているし、なかなか集まれないから時間がかかったんだ。僕はメルボルンだし、ウォレンはパリ、ジムはニューヨークだからね。スタジオに入るときは、本当に曲の骨格ぐらいしかなくて、スタジオに入ってから形付けていった感じだね。
最初のセッションから帰ってきたときは、もう失敗したと思い込んでたけど、1年後に聴き返したら、意外に気に入ってね。温もりがあって、親密な音だったうえ、とても生なレコーディングだったんだ。自分たちの醍醐味であるライヴの即興の演奏力というのも捕えられたと思うし。重ねた音は少なかったし、最終的なサウンドにもとても満足しているよ。前回のアルバムから自分たちのソングライティングも成長したと思うし、いままで以上に曲に奥行が出ていると思うんだ。
■そういえば昨年、「アイル・ビー・ユア・ミラー」の出演者として来日しているんですよね。僕もあの場にいたのですが、どの出演者も良すぎて、すっかり酔っぱらってしまいました。あのときのご感想を。
ミック:楽しい時間だったよ。みんな東京が大好きだし、行くときは必ず良い思い出ができるよ。
■あのとき一緒に出演したゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーとダーティ・スリーは意外とファンが重なっているようですね。たしかに、ともにヴァイオリンの音色を活かしたインストゥルメンタル・バンドですが、ふたつのバンドには共通しているところがあると思いますか?
ミック:けっこう違うと思うな。地理的にも違うところから来ているし、僕らは3人しかメンバーがいないから、より自由度もあるいっぽう、大人数のバンドの厚みとかは出せない。単純にアプローチが違うと思うんだ。彼らの音楽も好きだし、個人的にも何度も会っているし、彼らが成し遂げてきたことや、芸術に対する姿勢は尊敬しているよ。
■ダーティ・スリーは1992年のメルボルンで結成され、その後、同郷のニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズへの参加、そしてメンバーそれぞれこの20年、国際的な活動を展開しいていますが、結成前のことなどいまでも覚えていますか?
ミック:覚えているよ。メルボルンにある小さなバーの床で毎週金曜日に3時間ほど演奏していたんだ。バックグラウンド・ミュージックのはずで、何も練習せずにその場で思いついたことをやっていた。とても解放的でエキサイティングだったよ。そのときからヴァイオリン、ギターとドラムだったけど、その場にあった道具は何でも楽器にしていたよ。ほうき、バケツ、ホース、おもちゃの楽器もね。20~30分にもおよぶ、流れるような曲とかもやっていた。爆音になるものもあれば、静かな曲もね。とにかく何も考えずにやって、曲が自然と形になっていった感じだよ。終わったときにはどこにいたか忘れるくらい、没頭していたね。
■初期の頃、影響を受けた音楽について話していただいていいですか?
ミック:僕とジムはいわゆるポスト・パンクなバンド、ヴェノム・P・スティンガ―で1986年からやっていたね。でもいろんな音楽に影響されたよ。個人的にはルー・リード、ヴェルヴェッツ、ジョナサン・リッチマンやラッフィング・クラウンズは大きな影響だったね。
■バンド名に「ダーティ」という言葉を入れた理由は何でしょうか?
ミック:クリント・イーストウッドの『ダーティー・ハリー』から取っているんだ。僕らは自分のルールで音楽をやっていたし、どのジャンルにも属していない。独立した存在だと思っていたんだ。あの映画のキャラクター同様にね。悲しい存在でもありながら、感動を与えつつ、危険で謎で、そしてエキサイティングだ。まだ変わっていないと思うよ。
■そして2曲目の"Sometime I Forget You're Gone(ときどきあなたがないことを忘れる)"や3曲目の"Moon On The Land(陸地の月)"、そして4曲目の"Rising Below(下方に上がる)"にもため息が出るような美しい旋律があります。6曲目の"Rain Song(雨の歌)"のアコースティックな響き、8曲目の"Ashen Snow(灰の雪)"のメランコリーもそうですが、アルバム全体的にも美しさ、優しさというものを感じます。
ミック:いつもそのような要素はあったと思う。スタイルを気にしたことはないんだけど、初めてアコースティック・ギターとより多くのピアノを使ったかもね。
■今回の音楽的主題について教えてください。たとえば1曲目の"Furnace Skies(灼熱の空)"にはフリー・ジャズ的な衝動も感じるし、5曲目の"The Pier(埠頭)"や"That Was Was(それはそうだった)"にもブルースにも似た打ちひしがれた感情を感じます。ロックはもちろん、クラシックの要素など、いろいろ混じっていると思いますが
ミック:ウォレンが若い頃に聴いていたようなワイルドなジャズを掘り起こしていたし、不和のなかの動きを引き出そうとしていたと思う。自分はもっと疾走感のあるリズムと強いメロディを出したかった。そしてジムはドラムを感情的な表現の道具として追求していた。これらの要素がぶつかり合ったり、融合したりした結果がこのアルバムだと思う。
■コンセプチュアルな作品なのでしょうか?
ミック:どうだろうね。別々の物語が一同に展開している感じかもな。
■アルバムのタイトル『トゥウォード・ザ・ロウ・サン』にある"The Low Sun"とは?
ミック:サンセット(夕日)だね。
■ああ、「夕日の方へ」という意味なんですね。では、最後の曲の"You Greet Her Ghost(君は彼女の亡霊を歓迎する)"も、とても複雑な思いを想起させる曲ですが......。
ミック:自分の目の前にはもういない人だけど、自分のなかにはいる人と会話をしている感じだね。
■月とか雪とか空とか曲名に出てきますが、自然というのはテーマだと思いますか?
ミック:よくわからないな。単にきれいな音楽を作るだけに留まりたくないんだ。リズムを取ったり、高揚したり、涙を流したりする以上のことをしたい。聴き手が自分の魂に触れること実現させたいと思っている。
■ダーティ・スリーは、社会的な音楽だと思いますか?
ミック:社会ではないね。もっと個人的、私的な戦いだよ。
■では、バンドにとってのもっとも重要な信念のようなものは何でしょう?
ミック:バンドとしては、自分たちに素直でい続けることだね。
■毎回印象的なアートワークですが、今回のイラストは何を暗示しているのでしょうか?
ミック:ドラゴンだ。大きな戦いで、馬は死に、ドラゴンの爪で握られている。黒いオウムはそっぽを向いていて、白い犬が絶望の目で見ている。カラスは軽蔑した目で見つめ、蛾は無表情でいる。しかし、ふたつの剣があり、ひとつは獣に刺さり、血が流れている。
■日本という国に対してどんな印象を持っていますか?
ミック:日本にはいつも魅了されるよ。美しい場所だし、人びとはみんな優しいし、敬意を持っている。日本人の友だちも多いし、移り住んだオーストラリアの友だちも多くいるよ。でもまだ知らないことばかりな気がするし、僕のいる社会とはまったく違うし、まだ表面を少し削ったくらいで、すごく奥の深い国だと思う。
メルボルンと東京にはどこか音楽の見えない橋があるようにも思っているんだ。お互いのアンダーグラウンドで活動するミュージシャンの交流によって、小さなバンドでも行き来してライヴができるような、不思議な繋がりはあるような気がするよ。
■どうもありがとうございました。また日本でお会いできることを期待しています。
ちょうど1年ぐらい前、ジェイソン・フォレスト『ジ・エヴリシング』が『ピッチフォーク』で高く評価されていたのは少し驚いたけれど、ブレイクコアというジャンルが衰退し続けていることは明らかだろう。この5年以上、リリース量は減る一方だし、ゼロ年代のトップを切っていたヴェネティアン・スネアーズがラスト・ステップの名義でエレクトロニカのプロジェクトをはじめたことも象徴的なら、ドロップ・ザ・ライムやカードープッシャーのようにダブステップと結びつく動きも何かを物語っているといえる(その先頭にいるのはザ・バグだろう)。というより、音楽性という意味ではほとんどポテンシャルはないに等しいジャンルだったのに、よくぞここまで衝動が持続したと関心するべきなのかもしれない(ニコ動なんか、ある意味、まだ全盛だけど)。
ディジタル・ハードコアやエイフェックス・ツイン周辺に起源を持つブレイクコアは、キッド606や前述のヴェネティアン・スネアーズを得ることで、むしろゼロ年代に隆盛を極めたといってよく、デフラグメンテイション、ファニー、ボング-ラー、シックボーイ、サウンドマーダラー+SK-1、エンドユーザー、デュラン・デュラン・デュラン、ウィスプと歩兵を増やし、日本でもZKやレッド・アラートといったレーベルを皮切りにサイケアウツ、OVe-NaXx、m1dy、CDR、DJスコッチ・エッグ、撲殺少女工房、フルイドと強力なラインナップを保ち続けたといえる。単に激しさを競い合っているだけのような海外のシーンに比べてミルキー・チューやデ・デ・マウスのように体力がない分(?)、取り入れ方にも工夫があったのは日本の方だったかもしれないし、もっとも洗練された例をコーネリアス『ファンタズマ』に聴くことができるという人も(海外には)いるくらいである。つーか、ヘルフィッシュやDJスカッドなど、ホントに海外勢はやかましくて、買ってまで聴いている自分がよくわからなくなってきたからなー(ゼロ年代も後半に入る頃には飽きてたけど)。
そうしたなかで、ちょっとしたセンセーションだったのはフィラスタインのセカンド・アルバム『ダーティ・ボム』だった。99年にシアトルで起きた反グローバリズム運動(バトル・イン・シアトル)から頭角を現してきたフィラスタインは、その後、最新のダンス・ミュージックとワールド・ミュージックを結びつけるというディプロと同じコンセプトで世界を動き回りながら、その成果をシリアスでシャープな音楽性のなかに落とし込み、ディプロとは正反対の感情に訴えるベース・ミュージックを築き上げていった(どっちがいいという話ではない)。グライムであれ、クンビアであれ、使われるパーツのことごとくがディプロと同じだけに、この対比は非常に興味深いものだった。そして、そこに取り入れられたブレイクコアは驚いたことに知的なトーンを帯び、衝動が無限に拡散していくだけだったブレイクコアに抗議の矛先を与えたように感じられるものとなっていた(これもどっちがいいという話ではない)。
それほど注意深く見ていたわけではないけれど、フィラスタインの後にインテリジェント・ブレイクコアとでも呼べる道ができた形跡はない。そして、あれから3年が経ち、フィラスタイン自身のサード・アルバムが完成した。姿勢は変わっていない。前作同様、ECDもディプロ風のユーモラスなダブステップでフィーチャーされ、のっけから「植民地崩壊」でガムランとブレイクコアが絡み合う(なんともドリーミングなリミックス・ヴァージョンが日本のみボーナス・トラックとして収録。これはかなりいいです)。「小競り合い」や「ニセの解釈を循環させる」で半分デタラメに打たれているようなパーカッションと管楽器のマッチングもよく、インドネシアのMCノヴァが伝統的な旋律を歌うバックでは奇態なリズムが細かく刻み続けられる。全体に迫力には欠けるというか、もしもドクター・ロキット(ハーバート)がPIL『フラワーズ・オブ・ロマンス』を丸ごとリミックスしたら、こんな感じになるかなーと。
フィラスタインの後に道はできなかったとしたけれど、ブレイクコアにポスト・クラシカルを掛け合わせ、マウス・オン・マース式のアブストラクに落とし込んでしまった才能がどこからともなく出てきたことも付け加えておきたい。詳しいことはわからない。ファースト・アルバム『レイザー.アイズ.ラヴ』はドイツのレーベルから配信のみ。セカンド・アルバム『エアロ』は豪州のレーベルからアナログ・オンリーで、10分を超すオープニングからどう説明していいかわからず、ただ繰り返し聴き返すばかり。ジャケットがゲイトフォールド仕立てで、日本のアニメに影響されたらしきアートワーク(ディポットヴィジュアルズ)がとてもいいので、それを眺め続けること小一時間(ウソ)。本音をいうと、この音楽の前でまだしばらく言葉を失ったままでいたいのね。「音楽を言葉で語るな教」(岡田暁生『音楽の聴き方』参照)のパートタイム信者になったということで。......でも、これ(https://soundcloud.com/retort-records/lodsb-aero-preview)、ホント、どうやって説明します?(なるべく早い時期にヴィンセント・ラジオでかけます!)
サイケデリック......と言う言葉を使うとき、受け手によってその解釈はさまざまだが、リズ・ハリスのそれは田園的だ。風が吹き、草原は揺れ、古い家が見える。日が暮れて、星が瞬く。まどろみの時間がいつまでも続く。
リズ・ハリスがグルーパーの名義で昨年出した2枚、『ドリーム・ロス』と『エイリアン・オブザーバー』(どうしてもヴァイナルで欲しくて努力して買った)は僕の昨年のベスト・アルバムの1枚(というか2枚)である。まだ聴いてないが、1曲36分と1曲51分の新作も発表したばかりだ。
彼女が来日する。今月は〈ソナー・フェス〉もあるんですけど(ラスティ、マウント・キンビー......とか、すごいメンツ)、しかし、夢見る人たちよ、敢えて言おう。これこそ「見逃すな」と!
■ Grouper / En Japan Tour 2012
ポートランドを拠点に活動する女性アーティスト、Liz HarrisによるプロジェクトがGrouper。Tiny VipersとのMirroringやIlyas AhmedとのVisitorなどコラボレーション・ワークを活発化させるなか、ソロとして2年ぶり2度目となる来日を果たします!
今回は、Grouperもリリースするサンフランシスコの人気レーベル〈Root Strata〉を運営するMaxwell Croy率いる美麗ドローン・ユニット、Enが同時来日。柔らかく爪弾かれるギター、幻想的なアンビエンスに溶けていく儚い歌声が人気のGrouper、日本の箏や様々な生楽器から至上のアンビエント・ミュージックを作り出すEn。Julia HolterやTeen Daze参加の新作EPを発表間近の新世代女性アーティスト、Cuusheも4公演に参加するアヴァン・フォーク/サイケデリック・ドローン最高峰のパフォーマンスをお見逃し無く!
04/21 (土) 東京@養源寺
live at Yogenji vol.3
open 12:30 / start 13:00
adv.: 3,500yen /door: 4,500yen
出演:Grouper, En, ILLUHA, 青葉市子, Yusuke Date
FOOD: 浅草橋天才算数塾
info: live at Yogenji / kualauk@gmail.com
https://www.kualauktable.com/event/yougenji3/
04/23 (月) 大阪@CONPASS
open 18:30 / start 19:00
adv./door 2,300/2,800yen(drink別)
出演:Grouper, En, Cuushe
info: CONPASS
https://conpass.jp/325.html
04/24 (火) 岡山@城下公会堂
open 19:00 / start 19:30
adv./door 2,500/3,000yen
出演:Grouper, En
info: moderado music / moderadomusic@gmail.com
https://moderado.jugem.jp/?eid=206
04/25 (水) 名古屋@parlwr
open 19:00 / start 19:30
adv/door: 2,800/ 3,300yen
出演:Grouper, En and more
info: Telefonbook
https://iscollagecollective.org/?page_id=407
04/28 (土) 京都@ヴィラ九条山
night cruising meets villa kujoyama
open 16:30 / start 17:00
door: 2,000yen
出演:Grouper, En, Cuushe, Rimacona
info: night cruising
https://www.nightcruising.jp/120428
04/29(日)金沢@アートグミ
open 18:30 / start 19:00
ticket: 2,500yen(会員・学生-500yen)
出演:Grouper, En, Cuushe, Asuna
予約メール:windowofacloudyday@gmail.com
電話:(080-4259-5823)
https://d.hatena.ne.jp/cloudyday/20120429
04/30 (月) 東京@VACANT
FOUNDLAND
open 16:00 / start 17:00
adv/door: 3,000/ 3,500yen
出演:Grouper, En, Cuushe, Sapphire Slows, Ikebana, Bun/Fumitake Tamura
DJ:真っ青
https://www.flau.jp/events/foundland10.html
参考URL
Grouper / En Japan Tour 2012
https://www.flau.jp/events/grouper_en.html
お問い合わせ
flau / info@flau.jp
ここ数年間ディ・アントウッドには腹が捩れるほど爆笑させられているのだが、不思議とこの新時代のポップ・アイコンについてはあまり日本国内の音楽メディアで語られていない。
2009年にエンター・ザ・ニンジ、ビートボーイの鮮烈過ぎるユーチューブにあがったクリップとともにメディアに姿を表したニンジャ、ヨランディ・ヴィサー(Yo-Landi Vi$$er)、DJハイテック(DJ Hi-Tek)のレペゼン南アフリカ、自称ゼフ(Zef)、ラップ・レイヴ・クルーであるディ・アントウッドを初めて見た者は、これはCGなんじゃないかって思うほど無限のツッコミ所に腰が抜ける。僕は彼らの最初のふたつのクリップを見て悶絶し、またコラボレートしていたDJソラライズ(Solirize)ことレオン・ボッサというプロジェリアのアーティストの姿を見ながら、ディ・アントウッドの強烈なメッセージ性がギリギリのバランスを持って保たれていることに感動した。それはニンジャが10年の歳月を経て築き上げたいち部のスキもない緻密な計算に基づいたものなのだ。前身ユニットのマックス・ノーマル・TVなど、それまでポップ・アイコンとしてのラップ・ミュージックの実験性を模索して来た彼の素晴らしき最終回答がディ・アントウッドであり、ネクスト・レヴェルなのだ。
南アフリカの訛りの英語という英語圏の人間がもっとも嫌う言葉遣いを全面にフィーチャーした爆笑リリック、ユーチューブの最高のセンスな自称DIYなクリップには(自称というのはおそらく最初のヴィデオにはディストリクト9の監督であるニール・ブロムキャンプの協力が噂される)世界中のポップ・ミュージックのアイコンのパロディを詰め込んだキャラクター、そして何より南アフリカの土着性と事実をユーモアを持ってアピールしている。
先日「アルジャジーラ」で見たドキュメンタリーで、南アフリカにあるアルビノたちのコミュニティが恐れる、いまだに息づく土着のウィッカンにフォーカスしたものがあった。それは若いアルビノの体は幸運を運ぶ魔術のマテリアルになりうるとして、アルビノの死体が金銭対象となりしばしば襲われるケースを追ったものだった。
そう言えば、ディ・アントウッドのイーヴル・ボーイのリリックで南アフリカでの伝説の淫獣トコロシを唄ったものがあり、彼らが地元でその魔術について取材したViceの番組があったっけ(そもそもあのクリップの衝撃はさらなる高みへ押し上げたであろう程の完成度だった)。まったくもって信じがたい話だが、この地球上で文化人類学的にこれほど良くも悪くもロマンチックな土地がまだ存在するんだろうか? この衝撃は、彼らを題材にしたショート・ムーヴィーがハーモニー・コリンに監督されたりと、音楽以外の文脈でのほうが広がりがあるようだ。オッド・フューチャーといい近年のユーチューブ・カルチャーにおいて最高のユーモアで切れ味のいいジョークを披露してくれる次世代を日本でももっと期待したい。片桐えりりかの素股ギターはアングラ・ミュージックの各方面からも話題だったが、僕はあれではモノ足りないのだ(僕はSUNN O)))のスティーヴンのブログで逆輸入的に知った)。
〈インタースコープ〉との決別を経て、自身の合い言葉である〈Zef〉(南アフリカのスラングで呪いの言葉である)レコーズを立ち上げ、取り巻く巨額の金を管理し、新たにドロップした今作、よりダークに病んだヴィデオ・クリップ、よりスカスカのチャラーいトラックに乗るニンジャとヨランディ、そして(毎回異なるコラボレーターである)覆面DJハイテックの壮絶なスキルとリリック......、それは笑わせられながらもこちらの暴力衝動を掻き立てる魔力を秘めている。
ポール・ウェラーの新作がまさかのクラウトロックで、関心していいのか呆れていいのか。しかも"クリン・クラン"という曲名があったので、思わず確かめてしまったけれど、やっぱりクラフトワークのカヴァー......ではありませんでしたw(クラウトロックという呼称を蔑称だと思っている人と、むしろある種の尊称だと思っている人の両極端が日本にもイギリスにもいるようですが、それはファウスト『4』にまつわるエピソードを知っているか知らないかの違いに由来するようです。詳しくはマウス・オン・マース『パラストロフィックス』のライナーに書いたつもりなので、興味のある方は国内盤を手にとって揺すったり振ったり......しても何も起こりません)。
そして、クラウトロック・リヴァイヴァルの先頭を突っ走るエメラルズにピタっとつけているのがミネアポリスの3人組で、昨年、これまでリリースしてきた3本のカセットから日本のワンダーユーがCD化した編集盤『プラトーズ』から10ヵ月、ついに正式なファースト・アルバムが! これがまあポール・ウェラーと同じで......ということはないんだけど、いきなりオープニングのタイトル曲からクラフトワークかと思うような(正確にはそのマネをしていたヴォルフガング・ライヒマンみたいな)空飛ぶエレクトロ仕様で、杉田元一が聴いたら昇天したまま戻ってこないのでは......と思わせた"E・ハーモニー"のようなギター・ユーフォリアの面影がなく、少し焦り気味。次もまた、ひたすら天を駆け巡るようなシンセサイザーがひらひらと鳴り続け、完全に軌道修正したのかと思い始めたところでギター・サウンドが戻ってくる......ものの、結論からいうと"E・ハーモニー"を超える曲はなく、全体的にはやはり路線を少し変えた部分に聴きどころは多い。シカゴ・アシッドまでやってるし。
クラウトロックの特徴というのはブルーズに由来するロック・ミュージックよりも、どこか人間不在の自然崇拝めいた感覚があることで、アメリカのアンダーグラウンドからそういうものが出てくるということは、西欧的なヒューマニズムの基礎といえるキリスト教的な価値観が揺らいでいる証拠だとも考えられる(ドイツというのはローマに征服された際、キリスト教に改宗したフリをしただけで、実際には自然崇拝が残った国だといわれている。ヒトラーのつくったアウトバーンにも仕事が終わったら一刻も早く自然のなかに戻れるという意味合いがあった)。"コズモ・キャニオン"のような曲を聴いていると、複雑な人間関係のなかから生まれてくる様々な感情をすべて放棄して、ただ自然の中に吸い込まれていくことをよしとするような美学が横溢している。そして、エンディングに向かって、こうしたムードはとにかく増大していく。なんの迷いもない。あまりに屈託がなく、それこそスケール感だけをいえばエメラルズなど足元にも及ばない。スピリチュアライズドにやって欲しかったのは、むしろ、こういうことだったのではないだろうか......なんて。いや、しかし、徹底している。
それでは、マーク・マッガイアーの来日まで1ヶ月を切ったところで、クラウトロック・リヴァイヴァルについて少しおさらいをしておきましょう。90年代にもステレオラブやライカなどクラウトロックを前面に押し出して、人気のあったバンドはいたし、ヴァス・ディフェレンス・オーガニゼイションやエコーボーイのようにぜんぜん人気の出ないバンドもいた。また、プライマル・スクリーム『ヴァニシング・ポイント』やオズリック・テンタクルズ『キュリアス・コーン』(共になぜか97)のように部分的に取り入れていた人はもっといたし、そもそもドイツでロックをやっていれば、そのままでクラウトロックだったとも(これについても詳しくはマウス・オン・マーズのライナー参照)。
現在のリヴァイヴァルといえる流れはどこからはじまったのか。ひとつには、04年にやたらとジャーマン・ロックの古典がどかどかと再発されたことが挙げられる。これに触発されたのか、タッセル(現アープ)やグレイヴンハースト、あるいはカリブーやスパンク・ロックのミックスCD『ヴワラ!』にも影響は認められる。しかし、再発ブームが起きる直前にもそれなりに動きはあって、細かく拾えばDAFに移る前のピクセルタン「ビーツ・プリペアード・フォー・トーチャー」やスフィアン・スティーヴンス『エンジョイ・ユア・ラビット』が01年、自分でもかなり驚いたので、よく覚えているのがデス・イン・ヴェガスが『スコーピオ・ライジング』(02)で思いっきり方向転換したものがクラウトロック直球だったことと、02年から03年にかけてフジヤ&ミヤギやエンペラー・マシーンといったディスコ・ダブからの参入が続いたこと。この辺りが震源地だったことは間違いがない。アメリカのロック・バンドでは前述のタッセル『クリン・クラン』(04)やクラウドランド・キャニオン『レクイエム・デル・ネイチャー』(06)って、どっちもタイトルがそのままだし、同じくアメリカのダンス・カルチャーからはジョー・クラウゼルがマニエル・ゲッチングのリ-エディット集(アンビエント本P72)をリリースしたことはかなり驚きだったし、同じようにクラウトロックのリ-エディットを手掛けていたハッチャバック『カラーズ・オブ・ザ・サン』(08)には"エヴリンシング・イズ・ノイ"というオリジナル(?)も(イジャット・ボーイズのミックスCD『デス・ビフォア・ディステンパー3』もかなりクラウトロック攻め)。以後はもう、リンドシュトローム&プリン・トーマス、ドム・トーマス、ブルース・コントロール、コズモナウト、ディムライト、タイム&スペース・マシーン(リチャード・ノリス)、ファクトリー・フロアー、イヴィル・マッドネス、プラネットY、マスター・ミュージシャン・オブ・ブッカケ......ときて、昨年末にリリースされたポーティスヘッドのシングル「チェイス・ザ・ティアー」でさえ、そんなようなものだったからなー。そう考えるとポール・ウェラーもクラウトロッキンしちゃうかもなー。いやいや。
■オブ・モントリオール @ウエブスター・ホール(3/30 & 3/3)
オブ・モントリオールが3月末、2日連続でニューヨークの1000人規模の会場、〈ウエブスター・ホール〉に登場した。2日ともオープニングを変え(30日:ハード・ニップス、コンピュータ・マジック、31日:キシ・バシ、ロンリー・ディア)、セット・リストも少し変えた。両日行っても十分に価値のある演出だった。初日観て、翌日も行ってしまった人も少なくなかった。
メンバーは、前回のツアーから比べてぐっと削ぎ落され、8人だった。演奏もタイトになっていた。新しいメンバーのサックスプレイヤー、パーカッション、ドラマー、バイオリンが、オブ・モントリオールの音をさらにフレッシュに、そしてセクシーに活気づけていた。
フロントマンのケヴィンは、1日目はグレイのスーツに、下は赤のフリルシャツ、2日目は白のラインが入ったスカイ・ブルーのジャケット、下も青のシャツと鮮やかな色。目にはブルーのラメ・アイシャドーとファッションも抑えめながらいつも通りだ。他のメンバーも 多色使いのエスニック・パターンのポンチョ(BP:ギター)、白のAラインのワンピース(ドッティー:キーボード)、全身シルバーのラメのトップ(ザック:サックス)はなど、他のメンバーの個性的なファッションも全体のバランスを保っていた。
ショーは、ニュー・アルバム『Paralytic Stalks』からの曲がほとんどで、1曲目はケヴィンがキーボードを弾きながらはじめた。今回のツアーでは、ケヴィンは、キーボード、ギター、ヴォーカル、そしてパーカッションなどさまざまな楽器も手がけていた。曲前半に白の風船を観客に向けて飛ばし、それがセット中いろんな所でふわふわしている演出で、スクリーンをそれぞれのメンバーの前において、サイケデリックなヴィジュアルと曲をシンクさせたり、いつものボディースーツのメンバーが所々に登場し、そして曲を盛り上げ、ケヴィンに絡んだり、奇天烈なパフォーマンスをぶちまけた。
このアルバム『Paralytic Stalks』で、ケヴィンは自分の人生について突き詰めている。基本的に彼のアルバムはパーソナルなものだが、今回もさまざまな苦しみや、葛藤、精神的な危機、さらに「人間とは」というユニヴァーサルな域にも達している。楽器的にも、ペダス・スティール・ギター、ホンキー・トンク・ピアノ、チェロ、ホーン楽器など、いままでとは違う要素を取り入れ、いままでに使ったことのない手法で新しい曲を創造している。ケヴィンの表現がオーディエンスを引きつけて離さないのは、こうした深さがあるからだ。
2時間ほどのパフォーマンスはいままで見たオブ・モントリオールのなかでも力強く、完成度も高かった 。ステージ全体をカレイドスコープのように使ったマジカルな音楽オーケストラはとてもリズミカルだった。私は1日目はいちばん前、2日目は2階席から見た。全体が見渡せる2階席からは、リズムをキープするバンドの姿、そして彼らが本当に楽しんで演奏している一面も見れた。スクリーンにはバックとフロントでは違う映像が映し出され、シンク感覚も興味深かった。スピリチャライズドをもう少しカラフルにした感じとでも言おうか、オブ・モントリオールをフジロックで見たら、曲といい、演出といい、場所とも自然とも、シンクロするのだろう。アンコールはアルバム『Skeletal Lamping』(2008)、『Hissing Fauna, Are You The Destroyer?』(2007)などからの往年のヒット曲を集めた物だった。バランスの取れた選曲の良さもショーをより価値のある物にしていた。
観客は圧倒的に若者が多い。バンドをなかばアイドル化している感もある。ケヴィンやBPが少しでもステージ際に近づくと、みんな手を伸ばし、彼らに触れようとする。BPがアンコールで観客にダイヴしたときには、大騒ぎになり、後ろのほうまで流されていってしまった。
ショーの後、ケヴィンといろいろ話した。彼は私と会うたびに、〈コンタクト・レコーズ〉がオーガナイズした最初の日本ツアーがどれだけ楽しかったのかを話する。日本の観客が熱く受け入れてくれたことに感動し、彼ら自身が心から楽しめたと語る。「あのときは日本のオーディエンス本当に僕らを好きだということがわかったんだ」と彼は言った。そのショーの最後の曲を演奏し終えると、ケヴィンは感極まってダイヴした後、そのままダンス・パーティに流れ込み、朝までみんなで踊った。「こんなことはほとんどない」と、彼は言う。商業的に成功したわけではなかった。贅沢なホテルに泊まれたり、ギアなども誰かが用意してくれるようなツアーでもなかった。それでもバンドにとって、最初の日本ツアーは最高の出来事だった。実はその後も彼は、何度か日本に戻っている。が、しかし、そのときはもう「日本の人はそこまで僕らのことを好きじゃないのかもね」と言っていた。
■ワイルド・フラッグ@ウエブスター・ホール(4/1)
......というわけで、私は3日続けてこの〈ウエブスター・ホール〉に来ている。今日はワイルド・フラッグのライヴだ。スリーター・キニーのキャリー、ジャネット、ヘリウムのメアリー、マインダーズのレベッカというガールズ・スーパー・バンドである。昨年10月のCMJで見て以来、私のなかでナンバーワン・ライヴに位置づけられている彼女たちのパフォーマンスを再び見に行った。チケットはもちろんソールドアウト。
観客は、スリーター・キニーのファンだったに違いないある程度の年齢層(?)から最近の若者まで幅広かったが、昨日のオブ・モントリオールに比べると女の子が多かった。物販にはCD、レコード、Tシャツ、メンバーの顔Tシャツがあった。それらはショーの前から景気良く売れていた。
オープニングはレーベル・メイト(マージ・レコーズ)であるホスピタリティ。彼女たちもCMJ(このときもワイルド・フラッグの前座)で見ているが、全体の印象的はまあ、......あどけないよちよち歩きの赤ちゃん。演奏はしっかりしているが、良くも悪くも若い。ナダ・サーフ(今週末4/6,7と2連夜でNYに戻ってくる!)のオープニングだったパロマーやラ・ラ・ライオットに音的にも姿的にも被るところがあった。
さて、ステージにスモークが降り、ワイルド・フラッグが登場。メアリーは赤と黒の太めボーダー・シャツに黒のタイトパンツ、キャリーは黒のシャツ黒タイト・ジーンズ、ジャネットは幾何学模様のワンピース(自分用の扇風機持参)、レベッカはベージュのトップに黒のミニスカート......とメンバーの個性もばっちり。
後ろからスポットライト、さらに電飾の色がめくるめく変わっていきステージに色を添える。オープニングはメアリーのヴォーカル曲でスタート。その後はキャリーと交互にヴォーカルをチェンジする。バンドのなかにヴォーカリストがふたり(メアリー、キャリー)、ギタリストがふたり(メアリー、キャリー)、ベースがなくて、キーボード(レベッカ)とドラム(ジャネット)。ふたつバンドができそうだ。
今回はCMJで見たときとくらべ、がつんと来ることはなかった。別に演奏が悪かったわけではない。1回観ているため何となく読めてしまったのか、彼女たちが演奏を重ねて新鮮さが抜けてしまったのか......はわからない。観客を引きつけるパワー、ただならぬオーラーは相変わらずだが。
私は写真を撮るために2階席にあがり、「1分だけ写真を撮らせてください」といちばん前にいた女性に頼み込んで写真を撮っていたら、本当に1分で「タイムアウト!」と後ろに返されてしまった。1分も見逃したくないほど好きなのだ。申し訳ない気分になった。
ステージのいちばん前には男の子もかなり居て、一緒に歌など口ずさんでいる。メアリーとキャリーのギターの絡み、キャリーがバスドラの上に載って、ギターをかきならし続けるパフォーマンス(しかもハイヒールで!)などはワイルドフラッグの姿勢を表している。これこそ女の子がお手本にしたい、男に媚びないバンドの姿である。ラスト・ソングはシングル曲"ロマンス"で、シンガロングが会場に響き渡る。アンコールは、ビーチボーイズの"ドゥ・ユー・ウォナ・ダンス?"などのカヴァー・ソングを披露。
今回ワイルド・フラッグを見に行った理由のひとつに、野田編集長から日本ではワイルド・フラッグはアメリカのように知られていないし、そこまで盛り上がっていないと聞いことがある。今回のオーディエンスはインディ・キッズからもっとゆるい音楽ファンまでいろいろだが、ショーに行くという行為はアメリカではお茶を飲みに行くのと同じぐらい日常的な行為だ。ライヴがはじまってもひたすら友だちとぺちゃくちゃお喋りして、飲み続けている人たちも少なくない(日本ではライヴ中に喋っていると怒る人がいるらしい!)。そもそもライヴとは、ビールを飲みにいったらバンドもやっていた、じゃあついでに見ていこうか、なんてのりだ。まあ、〈ウエブスター・ホール〉という場所がファンシーで、アンダーグラウンドではないのだけれど、ワイルド・フラッグはインディのなかでもより一般の人にも受け入れられている。音楽に使えるお金をそこそこ持っていて、前売りチケットを1週間前からオンラインで買う層である(byトッドP)。
日本ではライヴを見に行くとなると、何かあまりにも特別な行為なのかもしれない。自分が楽しみたいというより、もっと緊張感のあるものなのだろうか。アメリカでライヴを観ることは、もっとリラックスしているし、テキトーだ。この考えの違いが日本でまだまだインディが受け入れられない理由なんだろうと思いつつ、ワイルド・フラッグの熱狂的なライヴを観ていた。日本とアメリカの温度差の違いもあるだろうし、言葉がわからないというハンデもある。しかし、ホントはシンプルに楽しめばいいだけのことなんだけど。
少しのあいだ迷子になって
別の方向を見た
何が問題かって
ひとりぼっちだってこと
"リアル・ライフ"
Tanlines Mixed Emotions True Panther/ホステス |
ブルックリンのタンラインズ(ジェシー・コーエンとエリック・エムのデュオ)は、ニュー・オーダー/デペッシュ・モード......そして、そう、おまちどおさま、ヘアカット100・リヴァイヴァルを代表する。つまり、クラブ・ミュージックの影響を......全面的に思い切り受けているインディ・ロック・デュオである。と同時に、アニマル・コレクティヴの『メリーウェザー・ポスト・パビリオン』(2009)が火付け役となったトロピカルなるコンセプト――南国パーカッションとエレクトロニカとの融合によるこの2~3年のインディ・シーンに起きたバレアリック現象――と共鳴しながら、他方で彼らはトーク・ノーマル、ホリー・ファック、!!!などといったちょっとパンクな連中のプロデュースを手がけている。
タンラインズをもっとも特徴づけるのは、強いポップ志向だ。ベッドルーム系にありがちな自己撞着はない。シザー・シスターズ(個人的にはそれほど嫌いではないブルックリンのグラム系4人組)のような陰謀性はなく、ダフト・パンクのようなシニカルな態度もない。もちろん急進性も実験性もない。ある種の実用的なダンス・ポップだ。
ルーティンから逃れることが音楽のできる最良のことだとしたら、タンラインズの『ミックスド・エモーションズ』は優秀な1枚と言えるかもしれない。そのご機嫌なノリに反するかのような陰影のある言葉は彼らの音楽がファスト・フードのように浪費されることを阻んでもいるが、思うにこれはポップ・ソング復権運動の一種で、ラジオから"ブラザーズ"(アルバムの1曲目)が流れて、3回目にはそのメロディを覚え、そして10回目に聴いたときに好きになれたら、タン ラインズの勝ちだ。早い話、ヴァンパイア・ウィークエンドやMGMTのあらたな競争相手の登場である。たとえば......海辺のクラブのカフェで黄昏どきに流れ ているトンプソン・ツインズを想像したまえ、それはひょっとしたらタンラインズなのだ!
悲しいけど、同時にそれをジョークにできてしまうようなもののことさ。ちょっと大人な感情だ。すべての物は同時にいろいろな意味を持っているっていうことを認識できる。それが僕らの美学になっている。そして、それを表す言葉が欲しかった。
■生まれはどこちらですか?
エリック:僕(エリック)はピッツバーグ出身で、ジェシーはワシントンD.C.近くのメリーランド出身だよ。僕は10代の時に自分自身大好きなバンドだったドン・キャバレロに参加して、その後イアン・ウィリアムスと一緒にストーム&ストレスを結成しているよ。
■そしてあなたがブルックリン(ニューヨーク)のシーンにアクセスするまでの話を教えてください。
エリック:僕らふたりともそれぞれ2002年か2003年ぐらいにブルックリンに引っ越したんだ。他のたくさんの若者にとっても同じようにね。僕らにとっても「21世紀にニューヨークに引っ越す」っていうことは=「ブルックリンに引っ越す」っていうことだった。
■9.11のときは何をしていましたか?
エリック:そのときはまだウィスコンシンの大学に行っていて、ニューヨークからは何千マイルも離れたところにいたよ。
■いずれにしても、ブルックリンには若い才能を惹きつける理由があったということですよね?
エリック:だね。ただ、ほとどの人にとって何より魅力的だったのは、もうホントに家賃が安いってことだったんじゃないかな。
■80年代のシンセ・ポップからの影響は意識していますよね?
エリック:それは間違いない。子供の頃に聴いていたブルース・スプリングスティーン、REM、トーキング・ヘッズ、ティアーズ・フォー・フィアーズなんかに影響を受けていると思うよ、どんな人間でも子供の頃に耳に入っていた音楽に影響されずにいられないのと同じさ。ロバート・パーマーとかね......。
■ダンス・ミュージックからは当然影響されていると思いますが......。
エリック:もちろん。決まったお気に入りはないけど、ぱっと頭に浮かぶものではジョン・タラボット、ユルゲンパープ、フォー・テットなんかは大好きだよ。
■アルバムのエンジニアをジミー・ダグラスにした理由を教えてください。彼はティンバランド、アリーヤ、ミッシー・エリオットなどヒップホップ/R&Bからテレヴィジョンやロキシー・ミュージックまで手がけているベテランだそうですね。
エリック:僕らがジミーを選んだというよりも、お互いに選んだっていうほうが正しいな。もしかしてジミーが僕らみたいなプロジェクトと仕事をしたいと思ってくれるんじゃないかと思ってレコードを送ってみたんだ。彼がやったティンバランドの作品や、アレサ・フランクリン、レッド・ツェッペリン、ロキシー・ミュージック、テレヴィジョンなどアトランティック時代の作品からも彼の作風などは知っていたからね。彼はアルバムを気に入ってくれて、それで僕らはマイアミに10日間行って彼と仕事をすることになったんだ。素晴らしい経験だったよ。
■『ミックスド・エモーション』というタイトルはアルバムの内容にとても合っていると思うのですが、どうしてこの言葉を思いついたのですか?
エリック:「Mixed Emotions」っていうのは僕らのマスコットで、僕が「ウィンキー・サッド」(ウィンクしている悲しい顔)って呼んでいる顔文字についての表現だよ。悲しいけど、同時にそれをジョークにできてしまうようなもののことさ。ちょっと大人な感情だよね。すべての物は同時にいろいろな意味を持っているっていうことを認識できるってことでもある。それが僕らの美学になっているんだ。そして、それを表す言葉が欲しかった。で、付けたのがこの名前さ。
■エモーショナルで優しいメロディ、気持ちの入った歌いっぷりにタイラインズの心意気のようなものを感じるのですが。
エリック:僕らはタンラインズの音楽を「実存主義ポップ(エグジステンシャル・ポップ)」って呼んでいるんだ。僕らのスピリットはアップテンポなビートと粘っこいメロディにメランコリックなヴォーカルにある。あらゆるものはそれぞれ同時にいろんな意味を持っていて、同時にいろんなものでもあるんだ。80年代からの影響も感じられるだろうし、同時に現代的な影響もある。それぞれの曲は楽しくもあるし悲しくもある。そういう組み合わせが僕らの音楽のスピリットになっていると思うよ。
■すべての歌詞は、ファンタジーでもロマンスでもなく、苦いリアリズムが描かれていると思うのですが、"イエス・ウェイ"や"ラフィング"のような曲は、いまの時代の暗い風に対するあなたたちのリアクションでしょうか? たとえば「いつだって笑っていよう/そこが安息の場所じゃなくても」"ラフィング"なんて、なかなか重たい歌詞じゃないですか。
エリック:それは幅の広い質問だね! 僕らの作るものにはどれも完全に前向きだったり明るいものっていうのはないと思う。だいたいはジェシーが明るいパートを書いて、エリックがダークな部分を作るんだ。陰陽思想みたいな感じなんだね。
■「癌を患っている親類のために書いたファンク」なんていう書かれ方もされていますよね。いっけん前向きですが、悲しみや苛立ちもあるという?
エリック:僕らの曲のヴォーカルや歌詞の多くは、自分が世界のどこにいるのかよくわからないままに年をとることの不確実さや不安を反映していると思う。
■そういえば、ニューヨークでは「オキュパイ・ウォール・ストリート」がありました。いま世界に動揺があるのはたしかだと思いますが、タンラインズはそこにどのように立ち向かっていこうと考えていますか?
エリック:良い質問だね。僕らはふたりとも個人的に、世界情勢について詳しいし、自分の意見も持っている。僕は「オキュパイ・ウォール・ストリート」の現場を訪れたし、震災(3.11)の義捐金を寄付したりもした。それが僕らの音楽にどういった影響を与えているかははっきりとはわからないけど、そういうことが僕らの人格に影響していると思うし、僕らの人格が作る音楽を形作っているんじゃないかな。他の多くの影響と同じように、明白というよりはもっと微かで無意識的な影響だと思うけれど。
■メモリー・テープスやグラッサー、エル・グインチョなどリミキサーとしても活躍してますね。あなたによって良いリミックスとはどんなものでしょうか?
エリック:僕にとってのいいリミックスの定義は、「聴いたときにまったく新しいバンドみたいに聴こえる」っていうこと。個人的にお気に入りのリミックスはオ・ルヴォワール・シモーヌのやつだね。聴いてみると、誰かのリミックスじゃなくて新しいアーティストの作品みたいに聴こえるんだ。
■ニッキー・ミナージュ、ラナ・デル・レイ、M.I.A.の3人のなかでもっとも評価しているのは?
エリック:たぶん、M.I.Aだと思う。
■マドンナの新曲"MDMA"は?
エリック:聴いたことないんだ。マドンナのスーパー・ボウルでのパフォーマンスは見たんだけど面白かったよ。
■タンラインズは明白なまでにポップ・ソングを追求していると思いますが、良い音楽の定義とはなんだと考えますか? それはいまも昔も同じだと思いますか?
エリック:良い音楽っていうのはつまり、誰かの人生にとって何らかの意味がある音楽のことじゃないかな。僕にとってもいくつか聴いただけですぐに僕の人生のある時期に戻ったような気分にさせるような曲があるけど、そういう曲はとても強力な力を持っているし音楽の持つ魔法を証明していると思う。
■理想とするポップ・ミュージックとはどういうものでしょうか?
エリック:初めて聴いたときにすぐにいっしょに口ずさめる曲っていうのが良質なポップ・ミュージックだと思うよ。