「K A R Y Y N」と一致するもの

サファリ - ele-king

 「午前中、ある村から帰るとき、大きな狒狒が、車のわずか十メートルくらい前の道路を横切った。リュタンはよだれを流す、文字通り。しかし僕は、いかなる狩猟本能の爆発も感じないので、ただ、猿の青い尻に目をとめただだけだ。思ったより鋼鉄色を帯びた青だ」(ミシェル・レリス/岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳/平凡社)

 ミシェル・レリスは1931年5月19日から33年2月16日までの1年9ヶ月にわたったダカール=ジブチ、アフリカ横断調査団の公的な日誌の体裁をかりた日記文学『幻のアフリカ』の31年7月31日づけの記録に上記の文章を書きつけている。彼らはこのとき仏領スーダン、いまのマリ共和国西部のキタに滞在していた、午前いっぱいをあたりの調査についやした帰り道、同じ車に乗り合わせた調査団の同僚リュタンは車上から猿をみてよだれをながさんばかり。というより文字通りよだれをながしたのだった。興奮したのだろうね。それは狩猟本能の爆発だとレリスは書く。しかし彼の指摘は日本人の読者にぴんとこないかもしれない。食料をえるためにではなく、動物を狩る、仕留める、殺すことはこの社会一般に広く浸透しているようにはみえない。すくなくとも私にはそう思われた。むろん封建時代の王侯貴族や、日本では大名や将軍にとって狩りは彼らの特権を確認する余暇であり、近代以降はブルジョワがとってかわり、たとえば、この映画の資料も言及するヘミングウェイがアフリカへの狩猟の旅をもとにしたためた『アフリカの緑の丘』などにも脈々とうけつがれている。ヘミングウェイのアフリカにいったのは1933年なので時期的にはちょうどレリスがフィールドワークしてまわったころとかさなる。広大なアフリカ大陸でふたりは交錯する、私はそこに偶然ときってすてられない符牒めいたものをおぼえもする。大戦間の欧米には非西欧への憧憬がまだ生きていた。近代におこったそのような機運は20世紀にはいってから、音楽でいえばサティやドビュッシーを刺激し、ブルトンの通底器となり――かつてシュルレアリストだったレリスはブルトンと袂を分かってアフリカに出てきた――フロイトの無意識にも働きかけたかもしれないが、産業革命以後、狭くなった人間の世界認識が求める他者と外部は同時に帝国の海外侵出の契機ともなった。国家にとってのエキゾチシズムとは侵略である。日本が東アジアに乗り出したように欧州はアフリカや東南アジアに植民地をもうけた。とはいえポスト・コロニアルの論点整理は本稿の任ではないのでこのあたりできりあげたいが、レリスのアフリカ行もほとんどがフランスの植民地をめぐるものであり、それらの地名のいちぶはたとえばパリ=ダカール・ラリーなどの名称にのこっているのはおぼえておいてソンはない。

 ウルリヒ・ザイドルのドキュメンタリー『サファリ』の舞台はナミビア、テーマはトロフィーハンティングである。またしても聞きなれないことばだが、獲物の毛皮や頭めあてに金を払い狩猟する、おもにヨーロッパの観光客をあてこんだ、現在のアフリカ諸国の一大観光資源ともいわれるレジャー産業であり、耳ざとい読者におかれては、数年前獲物となったライオンの前で誇らしげな写真をSNSに載せたアメリカ人歯科医師の投稿が炎上したのをご記憶かもしれない。ことほどさようにトロフィーハンターたちは写真を撮る。せっせとそうする。『サファリ』に登場するハンターたちも例外ではない。殺しのあとに彼らがとりかかるのは写真を撮ることだ。
 中年のハンターは死んだヌーの鼻面をぽんぽんと叩きこういう。頑張ったな、友よ、と。ヌーの肩口の致命傷となった銃創に血がにじんでいる。猟犬のルビーがそれを舐める。簡単ではなかった。銃弾を放つまで、ハンターたちは息をつめる。十分な距離まで接近するまで動物にけどられてはならない。ガイドはハンターに耳打ちする。ゆっくり時間をかけて自分のタイミングで。かすれた囁き声は性交のときの睦言に似ている。それとも悪魔の囁きだろうか。さあしっかり狙いをさだめて、いつものように――ガイドはそんなことはひとこともいっていないがそんなふうに聞こえそうになる。息をつめる。間。世界が真空になった。ハンターはひきがねをひく、発射する。だいたいが数百メートルの距離なので命中したかはすぐにはわからない。獲物にちかづいていく彼らの背中にことを終え一息ついたあとに戻ってくる社会性がおいすがる。息絶えた動物を前に安堵するハンターはパートナーやガイドとかたく抱き合う。よくやった、と。一家4人でトロフィーハンティングにやってきた母親は娘にこういう。あなたに自信をつけさせたいの。そこで訪れる解放感と達成感と癒やしと、そのために生命を奪う愚劣さとを私はどう天秤にかけていいのかわからなくなる。すぐれて倫理的だが一般道徳ではたやすく片づけられない。

 ウルリヒ・ザイドルはそのようなものをつねに追い求めてきた。ドキュメンタリストとしてキャリアをスタートし、5作目の『予測された喪失』(1992年)は翌年の山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門で優秀賞を獲得した。2001年の初の長編フィクション『ドッグ・デイズ』でもヴェネチアで賞をもらっている。「愛」「神」「希望」と題した『パラダイス三部作』(2012年)の記憶はいまだあたらしい読者もすくなくないだろう。私もそうです。リゾート地の黒人男性の買う欧州の中年女性、宗教と世俗をめぐる聖と性、欲望における自我と愛――そのような人間の芯の部分にある、たぶんに生きることにかかわるなにものかをザイドルはみつめつづけてきた。したがって私は編集を担当した『別冊ele-king』のジム・オルークの特集号のインタヴューでジムさんが三部作の「希望」を激賞し「私はザイドルのスーパーファン」というのを聞いてミミズ腫れするほど膝を叩いたのは、透徹ということばではなまやさしい対象の物自体にむかう視線に彼らの共通項をみた気がしたからだ。

 映画はもちろんあらゆる表現形式をみわたしてもそういうひとはそう多くはない。
 ザイドルはパゾリーニ、ヘルツォーク、ブニュエル、ユスターシュやタルコフスキーやカサヴェテスらが映画の道に足を踏み入れたときのアイドルだったという。ヘルツォークが「私はザイドルほどには地獄の部分を直視していない」とコメントしたのは『ドッグ・デイズ』のときだっただろうか。そのザイドルもいまやハネケとならぶオーストリアを代表する巨匠である。だからといってザイドルの筆致が鈍るわけではない。『サファリ』にも下腹に響くシーンが頻出する。ことに後半銃弾に斃れたキリンがこときれるまえ、長い首をもたげ、傾げて絶命する場面。死んだキリンは現地の男たちが解体する、その場面もザイドルはきっちりフィルムにおさめている。キリンの皮があれほど厚いとは上野動物園にいっても志村動物園をみても絶対にわからない。あふれでる内蔵のいろとりどりのグラデーション、皮を剥がれた動物たちの真皮の白さ、目をそむけたくなる作業を、しかし現地の男たちは生活の糧をえるためおこなっている。たんたんとした、滑稽なほど即物的な作業風景には映画史における狂気にとりつかれた殺人者たちの姿がオーバーラップするがこれが彼らの日常の場面なのだ。そしてそこにはドキュメンタリーならではの出来事、現実の死が表現の形式にとりこまれるさいの虚構とのせめぎあいがおこる。逆のパターンは、ネオレアリズモからもヌーヴェルヴァーグからも何十年も経ったいま、なかなかにむずかしい。たとえば河瀬直美監督の『2つ目の窓』(2014年)のじっさいにヤギをしめる場面が虚構に嵌入した現実そのものではなく、たんにロマン主義的なメッセージを代弁してしまっていたこと。すくなくとも、シマでヤギをしめるときはあんなふうではなかった。私は十六で本土の学校にあがるときのお祝いはヤギ汁だったが、ヤギをしめたひとたちはむしろ『サファリ』の解体するひとたちにちかった。

 とはいえ『サファリ』でも、ことに後半にいたって、富裕な白人と貧しい現地のひとたちという図式的な描き方になっていたのはいぶかしかった。ザイドルの本領は告発にとどまらないはずだからである。ザイドルは作中でハンターにインタヴューを試みる一方、作業に従事する黒人たちはことばを発さない。資料によれば、その必要性を認めなかったとのことだが、ザイドル特有のファインダーに正対した人物たちの記念撮影を思わせる不動のショットは白人と黒人とを問わず、人間たちをひとしなみに無時間性のなかに置き去りにする。あたかも装飾品として流通する動物たちの頭部のように。

 やがて『サファリ』はレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の最後の一文と同工異曲の発言で幕をおろした。私はつまるところザイドルも古典に答えを求めたのか、と明るくなった試写室でしばし思案したが、よくよく考えると、そのことばの主こそ動物を殺す当事者なのだと気づいたとき、思考があざやかにひっくりかえるような感じをおぼえた。これがあるからザイドルは見逃せない。(了)

Charli XCX - ele-king

 チャーリーXCXは、時代と手を取りあうことができるクレバーなアーティストだ。たとえば、2000年代のNYロック・シーンについて書かれたリジー・グッドマン『Meet Me In The Bathroom』が話題を集めるなど、いま2000年代を再評価する流れが起こりつつあるが、この動きにチャーリーは上手くコミットしている。2000年代を象徴するムーヴメントであるフレンチ・エレクトロの代表的存在、ミスター・オワゾのアルバム『All Wet』に参加したことをはじめ、去年3月に発表した自らのミックス・テープ『Number 1 Angel』には、そのフレンチ・エレクトロが輩出した歌姫アフィーをゲストに迎えている。
 とはいえ、これは時代を意識しただけではなく、チャーリーの音楽的背景も深く関係しているだろう。もともとチャーリーは、2008年にマイスペースで発表した曲をキッカケに知名度を高めたアーティスト。おまけにフレンチ・エレクトロからの影響を公言していることでも知られており、いわばチャーリー自身が2000年代のポップ・カルチャーから生まれたアーティストと言える。このことを意識しているからこそ、2010年代を象徴する音楽コレクティヴのひとつ、〈PC Music〉周辺のアーティストたちに『Number 1 Angel』のプロデュースを託し、そのうえでアフィーを招いたのだ。そこには、2000年代から2010年代に至るまでの流れを地続きとしてとらえる、明確なキュレーション感覚を見いだせる。

 そんなチャーリーのクレバーさは、去年7月に公開された“Boys”のMVでも際立っている。自ら監督を務めたこのMVは、ディプロやウィル・アイ・アムなど多くの男性セレブに、女性がよくおこなうとされている仕草や行動をやらせるというもの。そこに、〈金曜日は楽しませてくれる悪い男の子が必要 日曜日に私を起こしてくれる優男が必要 月曜日の夜には仕事場の男の子が来てくれる 全員欲しい〉というチャーリーの歌が乗ることで、女性をあれこれ品評する愚かな男性たちへ向けた皮肉が現出する。いわば男性目線を反転させることで、“男らしい/女らしい”とされる旧態依然としたジェンダー観を揺さぶっているのだ。
 ジェンダーに関する問題意識は、これまでも幾度か見られた側面だ。BBC3で放送された男女平等に関するドキュメンタリー『The F Word And Me』の制作を指揮し、そのなかでフェミニズムの影響下にあることも述べている。このようにチャーリーは、さまざまな形で旧来の価値観に疑問を呈し、多様性の尊さを訴えてきた。

 この信念は、去年12月に発表されたミックス・テープ『Pop 2』でさらに推し進められている。『Number 1 Angel』以来の作品となる本作は、『Madonna』期のマドンナやハイエナジーなど1980年代の要素が色濃かった前作とは打って変わり、何かしらの時代を意識させないサウンドが際立つ。キラキラとしたメタリックな電子音を強調しているのは前作同様だが、これまで以上に過剰なヴォーカル・エフェクトを施し、人によってはクセが強いと感じる音も多い。“Lucky”におけるオート・チューンの使い方などはその典型例だ。徐々に元の歌声が変調し、ラストに機械仕掛けの絶叫が響きわたるこの曲は、エモーションとテクノロジーを結合させ新たな表現を生みだすという意味で、テクノのアティチュードが宿ったサウンドと言えよう。
 最終曲“Track 10”も特筆したい。『R Plus Seven』期のOPNに通じる艶やかなサウンドをバックに、トランス風味のシンセ・フレーズとトラップのビートが入れ乱れる複雑な展開にも関わらず、とてもキャッチーなポップ・ソングとして成り立っているという奇跡的な曲だ。OPNが『Garden Of Delete』でやりたかったことをたった1曲で完遂してしまったといえば、すごさが伝わるだろうか?

 多彩な参加アーティスト陣も忘れてはいけない。A.G.クックやソフィーといった〈PC Music〉の主要人物をはじめ、カーリー・レイ・ジェプセン、ジェイ・パーク、パブロ・ヴィタールなど、多くの人たちが助力している。国や人種にくわえ、性的指向も実にさまざまだ。
 こうした人選には、文字通り時代が反映されている。たとえば現在のファッション界では、ヒジャブを着用したハリマ・アデンがランウェイを颯爽と歩き、サフィー・カリーナを筆頭に多くのプラスサイズモデルが活躍するなど、民族、体型、セクシュアリティーといった“違い”を寿く流れがある。この流れは、排他的傾向が目立つ世界情勢に対するオルタナティヴなのは言をまたないが、これと同じことが本作にも当てはまる。先述したように、チャーリーは多様性を尊ぶアーティストだ。そんなチャーリーにとって、オルタナティヴ側に立った表現をするのは極めて自然なことだろう。だからこそ、参加アーティスト陣は多彩さを極めている。それがサウンドを彩るためなのはもちろんのこと、多彩なこと自体に意味があるのも、本作を理解するうえで見逃してはいけないポイントだ。

 本作は、2010年代のポップ・カルチャーそのものと言っても差しつかえない。膨大な量の情報が行きかう現代を表象するかのように多くの要素を散りばめ、その過程でジャンルの枠にも挑み、壊すことに成功している。“特定のジャンルに収まらない”的な言いまわしも至るところで見かけるテンプレになってしまったが、それをあえて使うことでしか、本作を形容することはできない。本作は、特定のジャンルに収まらない。

Loke Rahbek, Frederik Valentin - ele-king

 ありきたりなミニマル・ミュージックを再利用すること。もしくは古い電子音楽をリサイクルすること。さらにはパンクとオルタナティヴを新しいモードに転換すること。つまりはエクスペリメンタル・ミュージックを再定義すること。「今」を再定義し続けること。
 コペンハーゲンでオルタナティヴ/エクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Posh Isolation〉を主宰するローク・ラーベクの作品と活動には、そのような意志を強く感じてしまう。1989年生まれの彼にとって「歴史」とは、もはや利用可能な残骸に近いものかもしれず、重要なのは新しいモードを生み出すことに尽きるのではないか。われわれはそこにこそ新世代の意志を感じるべきなのだ。
 インターネット以降、「情報」はかつて以上にフラット化したわけだが、それは「歴史」が使用可能な参照領域になったことと同義である。そのような環境においては90年代的な元ネタ=引用的なサンプリングの手つきは既に過去の手法になった。過去と現在の境界線が無効になり、「知ったうえでの引用」が意味をなさなくなったわけである。
 つまり、この「今」という時代は、「この時代を生きる」という運命論的な有限性を獲得するために、常に一回限りの賽子の一振りのような「賭け」のごときアクチュアルな身振りが生の条件となっている。それを新自由主義的社会的な生き方と批判するのは容易いが、むしろ歴史が生んでしまった巨大な「外部=敵」を常に意識し、自らの生を定義しなければならない「緊張」の世代・時代というべきではないか。大きくいえばテロリズムの時代なのだ。「テロ」は人生を剥奪する。そんな「世界」によって根こそぎ剥奪された生の回復が、今の若い世代にとって生きるための至上命題かもしれず、その結果、「継承的な歴史」という概念は「死んだコンテンツ」に近しいものになった。だからといって歴史が死んだわけではない。
 故に新しい音楽を生みだす「彼ら」の音楽が、仮に過去の何かに似ていようと、それをもってして過去の「引用」と関連付けて述べることには注意が必要である。彼らは生を刻印する自らの血=個のような音楽/音響を希求しているだけなのだ。「世界=外部」という巨大な「敵」に、人生を根こそぎ剥奪されないために、だ。そう、2017年以降、終っていないものは(やはり)パンクとオルタナティヴであり、反抗という精神性と美への感性である。だからこそエクスペリメンタルは今、ロマン主義的な様相を纏っているのだ。現在、「ニューロマンティック」という言葉は、このような意味に再定義されるべきだろう。

 2017年、ローク・ラーベクは〈Editions Mego〉からソロ作『City Of Women』と、キーボード奏者フレデリック・ヴァレンティンとのコラボレーション作『Buy Corals Online』の2作をリリースした。この2作もまた音楽的エレメントが複雑に交錯しながらも、残骸となった過去の音楽的コンテクストをリサイクルすることで、そこに自らの血=個を刻印した美しい電子音楽ミニマル・ノイズ作品となっている。ラーベクは、2017年に Christian Stadsgaard とのユニット Damien Dubrovnik の新作『Great Many Arrows』をリリースし、また Croatian Amor 名義や Body Sculptures でも活動しおり、どちらも2016年にアルバムをリリースしているが、これもまた〈Editions Mego〉の2作と同じく強い「殺気」を持ったエレガントな電子音楽/テクノ/ノイズに仕上がっていた。「生もの」と「花」に託されたセクシュアルなムードも濃厚であり、血と性の交差のごときエクスペリメンタル・サウンドになっている。
 私見だがこれらを含む〈Posh Isolation〉の作品を聴いたとき、これこそ新しいユースが生みだしたエクスペリメンタル・ミュージックと強い衝撃を受けたものだ。「抵抗」の意志が、美しい音像を生み、その音像には実験音楽のエレメントをあえて盗用するように剥奪することで、不思議な色気すら醸し出していたからだ。
 このフレデリック・ヴァレンティンとの新作『Buy Corals Online』も同様である。電子音、ドローン、環境音、ミニマル、クラシカルな要素などいくつもの音楽性が交錯したエクレクティックなサウンドであり、ときに70年代的な電子音楽(クラスターやハルモニア?)を思わせる音だが、そのことを彼らがどこまで意識しているかは分からず、つまりはあくまで「手法」として援用したに過ぎず、彼らが実現したかったのは実験性に託されたある種の壊れそうなまでに攻撃的で繊細な血の匂いのするような美意識なのかもしれない。そう、この音楽/音響には、身を切るような悲痛さ、血の匂い、エモーショナルな感覚があるのだ。そこにロマン主義的ともいえる「個」の存在も強く感じもする。

 彼らは「個」という存在を、音楽の、ノイズの、棘の中に封じ込めようとしている。私見だがそれこそゼロ年代におけるティム・ヘッカーのアンビエント・ノイズ・後継とでもいうべきものであり、「ゼロ年代という歴史のゼロ地点以降の音楽」に思える。かつて「ロック」という音楽が持ち得ていた雑食性と個の拡張と歴史の無化という側面を兼ね備えているのだ。

 ローク・ラーベクは〈Editions Mego〉からのリリース2作では70年代的な電子音の音像と、どこかフィリップ・グラス的なミニマル・ミュージックのムードを勝手に借用/再利用することで自ら=個の実存をノイズに封じ込めた。残骸と化した歴史をハックし、新しいジェネレーションの音楽/音響を生成しようとしている。私などはその方法論の発露に「OPN以降のエクスペリメンタル・ミュージック」のニューモードを強く感じてしまうのだ。いわば残骸のリサイクル。そこでは(さらにもう一周まわって)90年代と00年代という「歴史以降」の世界を生きるノイズ/オルタナティヴ・アーティスト特有の「継承」がなされているようにも思える。

 唐突だがここで「ロック」の歴史を終わらせ、すべてを「ノイズ」の渦に消失させたメルツバウを、あえてローク・ラーベクと接続してみてはどうだろうか。歴史とは、もろもろの事実の継承(だけ)ではない。ノイズとは、音とは、結局のところ事実=歴史を消失するものである。いつの時代も若い世代は、それを本能的に理解しているのだ。

ジュピターズ・ムーン - ele-king

 これといってカーチェイス・シーンのファンでもないし、この映画の主題でもないけれど、後半で展開されたカーチェイスはとても印象的だった。『ミニミニ大作戦』でも『新しき世界』でもカーチェイスというのはたいてい無茶な運転が醍醐味というもので、迷惑の限りを尽くすことが制作者にとっては努力目標だったはずである。それがコーネル・ムンドルッツォ監督はカメラの位置を下げただけなのである。「だけ」ではないかもしれないけれど、カメラの位置を下げ、視点を道路に近づけただけで、カーチェイスというものがこんなに恐ろしいものになってしまうとは思わなかった。道路が近いので激突の恐怖が増し、視界が狭いことも恐怖なら、対向車がいきなり視界に入ってくることも相当な恐怖だった。そして、この「視点を下げる」ということは、人々が「空を見上げる」ことを忘れ、下界=現実ばかりに拘泥しているという主題とも関わりがある撮り方だったのである。なんという方法論だろうか!

 セルビアからハンガリーに流れ込むシリア難民たち。父とはぐれたアリアン(ゾンボル・ヤェーゲル)は国境警備隊のラズロ(ギェルギ・ツセルハルミ)に銃撃される。撃たれたアリアンはなぜか空中に舞い上がる。ここまでの描写がまずは息を飲む。ハンガリー国境を越えるということはシリア難民がヨーロッパに辿り着けたことにほかならない。それはバルカン・ルートと呼ばれるコースで、難民たちにとってはいわば最後の壁なのである(ハンガリー政府は2015年に緊急事態宣言を発してフェンスを設置、欧州委員会にも難民の受け入れを拒否している)。一方で捕まえた難民を隔離・収容したキャンプで働くシュテルン医師(メラーブ・ニニッゼ)はワイロを受け取り、難民たちをハンガリー国内に送り込んでいる。前夜の騒ぎを受けて、その日の難民キャンプは人で溢れかえっていた。そして、シュテルン医師の診察室にはアリアンが運び込まれてくる。アリアンはシュテルンの前でまたしても空中浮遊を始める。シュテルンは驚いてその様子をスマホで撮影する。シュテルンには大金が必要だった。その理由は映画の後半で次第に明らかにされる。ちょっとした経緯を経てシュテルンは、国境ではぐれた父を探しているというアリアンに空中浮遊で金を稼ぐことを提案、その金があれば父を探し出せると説得し、ふたりは次々と富裕層めぐりを始める。富裕層たちはアリアンの空中浮遊を見て驚愕する。

 この映画、難民尽くしであり、後半でも難民問題が思わぬ展開を呼び込むにもかかわらず、社会派という印象はまったく与えない。物語をドライヴさせていくポイントはシュテルン医師が神を信じていないということで、奇跡を行うものが目の前に現れても金儲けしか頭に浮かんでこない現代人がまずは焦点化されている。ほかにも様々な要素が編み込まれ、途中までどこに向かってもおかしくない話だと思わせるにもかかわらず、「人々が神を信じられた時代は良かった」という価値観を中心に据えたまま、メイン・ストーリーはシュテルン医師の行動をどのように追っていくかで決まっていく。撃たれたことで空中浮遊が可能になったアリアンはいわば救世主のようでありながら、その力はほとんど役に立っていない(同じくイエス・キリストが村にやってきたという設定の『哭声/コクソン』とはまったく逆のことが起きたとも言える)。予想外のクライマックスを経て、ラスト・シーンで彼は人々に「空を見上げ」させる。その時のカメラの位置も非常に低く、なかなか不思議なアングルからこの光景を体験させてくれる。このシーンを言葉に置き換えることはなかなかに難しい。『ジュピターズ・ムーン』とは生命体が存在するかもしれない星が木星の衛星にはあり、その星は「エウロパ」と名付けられていることに由来する。空を見上げた人たちが未来のヨーロッパになると監督は思いたかったのだろう。

 シリア難民を早い段階で受け入れると表明したカナダは人道的というよりも金持ちや才能のある人を選んで先に引き取ってしまい、自国の活性化に役立てたというのが本当のところらしい。それこそ企業誘致と似たような発想で移民を捉えたわけで、6人しか受け入れなかった日本とは反対に国際的にも感謝されたことを思うと実にスマートな政治判断だったというしかない。ナチスに見習ったらどうかねと麻生太郎はいうけれど、それをいうならトルドーに見習ったらどうなんだろうと(日本も少子化対策として孤児だけを引き受けるとか、考えようはあっただろうに)。難民の受け入れはあとになればなるほど残り物になってしまい、それこそ人道的でなければできない行為になってしまう。ハンガリーやポーランドが突きつけられたのはそこだった。地中海の無人島をひとつ買い取り、その島にシリア難民の町を建設した大金持ちもいたけれど、さすがに550万人ともなると人道で解決できる範囲は軽く超えている。地理的にいって最も数を受け入れざるを得なかったのはその半数を受け入れたトルコで、現実にはヨーロッパに辿り着けたシリア難民は昨年あたりからトルコに逆流する動きを見せつつある。原因は「ヨーロッパのヘイト意識」にめげてしまったからである。トルコのエルドアンも相当ヒドい指導者だと思うけれど、アサド政権やヨーロッパよりマシと判断されたのである。ヨーロッパよりマシと。

 難民キャンプを訪れたムンドルッツォ監督が、その時の体験をSF映画として構想したものがこの作品で、しかし、実際には製作中に現実に追いつかれてしまい、もはやSF映画には見えなくなってしまったと監督本人は述懐している。「できるだけ現在を描くことを避けてきた」とも語るムンドルッツォ監督は『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(犬好きは観ない方がいいかも)で日本でも一部の注目を集めたハンガリーの映画監督、その奇抜な発想はある意味、ハンガリー映画の王道とも言える。『ハックル』や『タクシデルミア ある剥製師の遺言』のパールフィ・ジョルジ、『リザとキツネと恋する死者たち』のウッイ・メーサーロシュ・カーロイ、『ニーチェの馬』のタル・ベーラや『サウルの息子』のネメシュ・ラースローなどハンガリー映画は南米のマジック・リアリズムに匹敵する奇妙な作品の宝庫である。『ジュピターズ・ムーン』はそうした系譜にあって、ハンガリー映画に新たな時代をもたらす傑作ではないかと思う。


ECD、蘇れ - ele-king

 悲しいお知らせです。昨晩、癌で闘病中だったラッパー、ECDが逝去されました。ご家族の方が今朝、ツイッターで報告されています。わたしたちはもっとも偉大なMCのひとりであり、もっともポリティカルなラッパーを失いました。謹んで哀悼の意を表するとともに、いまはただ、かつて彼が“復活祭”でラップしたように、「ECD、蘇れ」とだけ書き添えておきます。R.I.P.

坂本慎太郎 - ele-king

 それまで場内をゆっくり温めていた二見裕志のDJの音はなかばぶっきらぼうに止まり、そしてゆっくりと、控え目の音量で、ずいぶんゆっくりと独特のグルーヴィーなリズムで“超人大会”が演奏される。「写真で見たことが現実で起きた 悲しいくらい俺は無力だ」牧歌的で悲しげなフルートが吹かれ、坂本慎太郎の歌声が明瞭に響きわたる。「自分のしたことが招いている 悲しいくらい俺は 恥ずかしいくらい俺は さみしいくらい俺は 無力だ」
 続いて“スーパーカルト誕生”。「二千年前それは生まれた 二年後にこの世は滅びる」……ベースのAYAとドラムの菅沼雄太はスローテンポをキープしながら、坂本ワールドのグルーヴを創出する。フルートとサックスの西内徹が多少色づけしても余白はたっぷりあり、その余白に拡がる空間の内側で坂本慎太郎の歌が滑らかに反響する。当たり前のことだが、これはゆらゆら帝国にとって最後のライヴとなった2009年12月30日のリキッドルームでの演奏とは別モノである。

 坂本慎太郎は、このおよそ8年のあいだに3枚のソロ・アルバムを発表した。熱望されていたにも関わらず、彼はライヴ活動をしてこなかった。幼稚園児が中学生になるくらいの、それなりに長い時間だ。この日、ライヴ会場に到着して最初に思ったのは、若いオーディエンスが多いということだった。ゆらゆら帝国のライヴを観たことがない世代がたくさん来ていたのだろう。『幻とのつきあい方』や『ナマで踊ろう』、あるいは『できれば愛を』から入ったリスナーのほうが多そうだし、実際その3枚のアルバムの曲が演奏された。
 音量や音圧、音数でオーディエンスを圧制することはない。中盤の、カンの脱力的なリズムをも彷彿させるスカスカの“ずぼんとぼう”から“できれば愛を”、そして“幽霊の気分で”という流れは、しかし陶酔していたオーディエンスの身体をさらに動かし、ダンスさせ、フロアからの声をうながした。ぼくの’近くにいた若者は「坂本さ~~~ん!」と絶叫した。無理に盛り上げもしないことで盛り上がっていくという沈黙と興奮が入り混じったライヴ会場で、その声はよく通った。坂本作品は、サン・ラーの厭世主義めいた傾向を持ちつつも、無力といいながらエネルギーをうながし、ダメだと言いながら良しといっているようなある種の反語的世界と言える。そこにはほかとは違うことをやることの素晴らしさと、それでもなんとかこうして自分たちは音楽を愛しながら生きていることの強い肯定性も含まれていることだろう。

 とはいえ坂本作品には、スペシャルズの“ゴーストタウン”のような風刺も多分にある。昨年末のエルサレム問題から北朝鮮問題(&トランプ)にいたる我が国の政府の対応などなど、今日目に入る政治のニュースを少しでも見れば、彼の音楽がよりいっそう真実を突いているように思えてしまうのは、ぼくの悪い妄想癖だろうか。いまぼくは『超プロテスト・ミュージック・ガイド』というプロテスト・ミュージックのプレイリスト集の本を編集している。そのなかで自分が作成したプレイリストの1曲にゆらゆら帝国の“ソフトに死んでいる”を選んだ(しかしページ数の関係で掲載されず。近々webのほうで発表するつもりです)。
 “ソフトに死んでいる”は、日本のサッチャーに例えられる小泉政権時代の暗い予感を残酷に描いた曲としても解釈できる。同曲は12インチとしてもリリースされ、DJにもプレイされることになるが、シングルには故アラン・ヴェガの日本語カヴァー曲も収録されている。ただ生きるためだけに工場で働きながら経済的に追い詰められて発狂する男を描いたその曲、“フランキー・ティアドロップ”は能力のない人は自己責任として死ぬしかないという時代におけるリアルで強力なディストピック・ソングだ。それは2005年当時のぼくの耳に入ってきたもっともインパクトのある「NO」という声(音)だった。

 曲はたんたんと演奏されていった。やがて最後の曲、“動物らしく”が終わる。満員の会場からは大きな拍手。4人は楽屋に戻ることなくそのままステージ上に立っている。坂本は抑揚のない声で、じゃ、アンコールやりますと、“好きではないけど懐かしい”と“悲しみのない世界”の2曲を演奏した。「悲しみのない世界があればいいのに」……。そしてふたたび二見裕志のDJタイム。予定調和というものをとことん拒絶したライヴにおいて、彼のDJは悲しみのない世界=平和な時間を保証するものだった。
 もうひとつ保証されたのは、これで坂本慎太郎はライヴ活動を再開するだろうということだ。あくまでも個人的な予想ではあり、違っていたらすみませんというほかないのだが、これだけのライヴをやったのだから続きはありだろう。今回チケットを取れなかった人も、近々必ずライヴを観れるはず。ライヴは、完成度の高いアルバム作品とはまた別の魔力を持った新たなる坂本ワールドである。

Lemzly Dale - ele-king

 UKでは怒濤の勢いで成長を遂げているグライム。そのムーヴメントの一端を担うブリストルの〈Bandulu〉から、幅広い音楽性でシーンを支えるレムズリー・デイルが来日、東京と福岡を回るツアーを開催する。グライムを中心にUKの音楽にスポットライトを当てたイベント《Mo'fire》の一環として催される東京公演では、〈SVBKVLT〉からの新作も好評の Prettybwoy をはじめ、Double Clapperz や UNSQ、1-drink らが出演。Double Clapperz と UNSQ は福岡公演にもゲスト出演するとのこと。UKアンダーグラウンドの息吹に触れる格好の機会をお見逃しなく。

■東京
2/17 (土) 23:00 -
Mo'fire pres. Lemzly Dale
@CIRCUS TOKYO

ADV: 2,000yen
DOOR: 2,500yen

Lemzly Dale
Prettybwoy
1-drink
Double Clapperz
UNSQ
+ More

イギリスの若者に影響を与え続けているグライムを中心にUKミュージックに焦点をあてるクラブ・ナイト《Mo'fire》。
3回目となる今回は、イギリスはブリストルを拠点にグライム、ダブステップなど様々なムーヴメントを起こしてきた〈Bandulu Records〉より、Lemzly Dale を招いて開催される。
ハードなインストゥルメンタルから、R&B やヒップホップをサンプリングしたメロディックな音まで、作風の幅を見せながらも一貫した音作りでシーンの支持を得てきた。
また、〈Sector7〉や〈Pearly Whites〉といったグライム・レベールを運営するなど様々な角度から音楽シーンに貢献している Lemzly Dale 初の海外ツアー。
プロデューサー、レーベル・オーナーと様々な一面を持つ Lemzly Dale を迎えるゲストは、上海のレーベル〈SVBKVLT〉からのリリースも好評のUKガラージ・アーティスト Prettybwoy、ジャンルを自在に横断する DJ 1-drink ら。
UKグライムの進化と深化を体感する一晩。

CIRCUS Tokyo
3-26-16, Shibuya, Shibuya-ku, Tokyo 150-0002 Japan
+81-(0)3-6419-7520
info@circus-tokyo.jp

■福岡
2/16 (金) Start 21:00
BLOCK PARTY SP
~Lemzly Dale Fukuoka Tour~
@The Dark Room

Charge: 2,000yen

SP Guest DJ
Lemzly Dale (Pearly Whites / Sector 7 Sounds)
from Bristol UK

Guest DJ
Double Clapperz from Tokyo
UNSQ from Tokyo

DJ
IGB (GLOCAL COMBO)
CRANK (BLOCK PARTY)
Nishiura (DSA DUB)
Lo-P (AVALANCHE MUSIC)
svv (AVALANCHE MUSIC)
Gonorrhea (AVALANCHE MUSIC)

Guest MC
ONJUICY from Tokyo

MC
NINETY-U
BOOTY
脳発火
NAB

Live Paint
MSY

SNAP
KURA1985
Nanako


Bekon - ele-king

 ケンドリック・ラマーの『DAMN.』は、〈ブラック・ライヴズ・マター〉という米国の社会現象ともリンクした『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』(2015年)とはまた異なる色合いのアルバムで、比較的オーソドックスなスタイルのラップ、トラップ以降のヒップホップ・サウンドをベースとしたものだった。プロデューサーにはマイク・ウィル・メイド・イット、ジェイムズ・ブレイク、DJダヒなどを迎え、ジャズやファンクの要素が絡み合った『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』に対し、比較的シンプルなプロダクションでまとめられた印象だ。そして、これらプロデューサー陣の中でも、最多となる8曲を任せられていたのがベーコンことダニエル・タネンバウムである。ベーコンはトラック制作に加えて歌やコーラスなども披露しているが、彼の手掛けたトラックは非常にゆったりとしたビートをバックに、スウィート・ソウルやドゥー・ワップのような古き良き時代の米国黒人音楽のエッセンスと、1960年代のソフト・ロックやアシッド・フォークなどのサイケデリック・サウンドが合体したような不思議なムードを持っていた。ときにニーノ・ロータとかエンニオ・モリコーネのようなイタリアの映画音楽のような印象もあり、ビーチ・ボーイズからフリー・デザイン、ロータリー・コネクションからピンク・フロイドの一部のサウンドにも通じるところもあるなといった感想を抱いた。近年のプロデューサーでは、同じくケンドリックの『アンタイトルド・アンマスタード』(2016年)に起用されたエイドリアン・ヤングに近いタイプだろうか。

 ロサンゼルスをベースに活動するベーコンは、少年時代は教会の聖歌隊で歌い、バッハやモーツァルトのようなクラシックから、フィリップ・グラスのような現代音楽も学んだ。こうした経験が後の作曲活動に生かされることになる。2000年代に入ってDJカリルと一緒にヒップホップの制作活動を始め、そのカリル繋がりでエミネムの『リカヴァリー』にも参加している。その頃はダニー・キーズ名義で制作活動をしており、主な仕事ではスヌープ・ドッグの『ドギュメンタリー』、RZAの『ディジ・スナックス』、レクレーの『グラヴィティ』、ドクター・ドレーの『コンプトン』から、近年ではBJ・ザ・シカゴ・キッドの『イン・マイ・マインド』へ参加している。主にソングライターとしての裏方仕事が多かったのだが、『DAMN.』でのメイン・プロデューサーへの抜擢で、一躍アメリカ西海岸の注目のアーティストのひとりとなった。2017年は『DAMN.』のほかにも、同じくアンソニー・ティフィス主宰の〈トップ・ドッグ〉からリリースされたSZAの『Ctrl』にも参加している。そして、『コンプトン』に参加したアンダーソン・パークが、その後ソロ・アルバムをリリースしてプロデューサー/シンガー・ソングライターとしてブレイクしたのを追うかのように、ベーコンも初のソロ・アルバム『ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ』をリリースした。

 今までの経歴からすると、多くのラッパーやR&Bシンガーが参加しても不思議のないところだが、数名のスタジオ・ミュージシャンやバック・シンガーらが参加するのみで、基本的にベーコンが独力で作り上げたアルバムとなっている。彼は作詞作曲、ヴォーカル、プロダクション、キーボード、ピアノ、ヴァイオリン、ミキシングをこなしており、ヒップホップやR&Bのアルバムというより、シンガー・ソングライター・アルバムというべきだろう。本作を聴いて、近年のモッキー、ディグス・デュークフランク・オーシャン、初期のメイヤー・ホーソーンなど、いくつか思い起こされるアーティストがあるのだが、一番ピンときたのがニック・ハキムの『グリーン・ツインズ』(2017年)である。「RZAがポーティスヘッドをプロデュースしたら」と形容された『グリーン・ツインズ』だが、『ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ』も『DAMN.』の延長線上にあるスウィートなソウル・ミュージック、ロー・ファイなダウン・ビート、サイケデリックな音響が有機的にブレンドされたものとなっている。シングル曲の“コールド・アズ・アイス”にそうした彼のサウンドの特徴が表われており、トラップを基調としたプロダクションだが、メイヤー・ホーソーンのようにノスタルジックなヴィンテージ・ソウルのエッセンスに溢れ、優美なストリングスやドリーミーな音響で包み込んでいる。コーラスも含めたヴォーカル・アレンジには、聖歌隊で歌っていたという彼の教会音楽やゴスペルからの影響も見つけられるだろう。『DAMN.』収録曲“XXX.”のイントロのコーラス部分をそのまま使った“アメリカ”も、賛美歌を思わせる重層的なヴォーカル&コーラス・アレンジが印象的。モリコーネからビーチ・ボーイズなどの影響も顕著で、ベーコンの幅広い音楽性が露わになっている。アルバム中で唯一のラッパーをフィーチャーした“ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ”も、バック・コーラスは聖歌隊による賛美歌をイメージしたものだ。“マダム・バタフライ”もまるでモリコーネのサントラ風だが、プッチーニの“蝶々夫人”のようにクラシックやオペラからの影響がベーコンの作品にあることを示す好例だろう。“30”はオペラなどの素養がないと生まれてこない作曲技法だろう。

 “オクシゲン”や“キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン”あたりに見られるように、ヴォーカル・アレンジと共にオーケストレーションやギター、ヴァイオリンなどのストリングス・アレンジも非常に効果的なアルバムだ。“ママ・オリヴィア”でのムーディーなサックスの音色もそうだが、こうしたレトロさやノスタルジックなムードと、現代的なビート・メイキングのセンスをうまく融合しているのが『ゲット・ウィズ・ザ・タイムズ』である。ピッチシフト・ヴォーカルを駆使した“イン・ユア・オーナー”は、ベーコンがプロデューサーとして多くのアーティストからオファーを受けるのがわかるプロダクションである。そして、ピンク・フロイドとかキング・クリムゾンのようなプログレと同列に聴いてもおかしくないような“7 pm”から、ボサノヴァ調の“キャンディ・アンド・プロミス”まで、幅広く豊かな音楽性に溢れたアルバムである。

yahyel - ele-king

 あれ? 彼らってたしか、宇宙人じゃなかったっけ?
 2015年に結成、2016年にファースト・アルバム『Flesh and Blood』を発表、昨年はシングルのリリースやマウント・キンビー、アルト・ジェイらの来日公演のサポートなど、デビューから短期間でどどどんと鮮烈な印象を残し続けている新世代5人組バンド、ヤイエル。そんな彼らのセカンド・アルバムが3月7日にリリースされる。タイトルは『Human』。
 デビュー時は自分たちのことを「宇宙人」、すなわち外部の者、フォーリナーとして規定していた彼らだけれど(紙版『ele-king vol.19』掲載のインタヴュー参照)、ここへ来て「人間」というタイトルを掲げることになったのだから、きっと大きな変化があったに違いない。いったい彼らに何が起こったのか? 続報を待て。

ヤイエル、待望のセカンド・アルバム『Human』を3月7日(水)リリース!
初のリリース・ツアー開催も決定! プレイガイド最速先行予約は1月20日から!

2016年11月にリリースされ、コアな音楽愛好家達を超えて同世代のリスナーへと鮮烈なインパクトを与え、一気にそのプロップスを引き上げたデビュー・アルバム『Flesh and Blood』。2010年代以降のR&Bと電子音楽のリアリティ――すなわちジェイムス・ブレイクやフランク・オーシャン以降のオルタナティヴR&Bと、フライング・ロータスやアルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー以降のエレクトロニック・ミュージックに対するリアルな共鳴を、今この世界で生きる自分達自身が抱く違和感/思想をもってユニークな音楽表現へと昇華する存在として、たった一作で評価と信頼を勝ち得たのがyahyelだった。そんな彼らが自身のアイデンティティを突き詰め、よりクリアで強固なものとして具現化することに挑んだのが、今回リリースされるセカンド・アルバム『Human』だ。

以前の匿名性の強いアーティスト写真にも表れていた通り、結成~『Flesh and Blood』期の yahyel は、人種・国籍・性別といった、エスニシティをはじめ様々な個にまとわりつく付帯情報を削ぎ落とすこと=雑音を削除することによって、逆説的に、“出自による差異と先入観に縛られた社会”から純粋なる“個の存在”、“個の感情”を浮かび上がらせようという意識をもって音楽活動を行っていた。対して今回は、『Flesh and Blood』から『Human』へというアルバムタイトルの変化にも表れている通り、そんな彼らの本来の目的にして本質と言っていい“個が有する生々しい感情とメッセージの発露”をダイレクトに際立たせる方向へと舵を切っている。

具体的には、それを実現するため、本作に関しては「ヴォーカリストである池貝峻の感情表現に寄り添うように突き詰める」、「池貝という人間の感情と生き方をどれだけ際立たせることができるのか? に重きを置く」ことを明確に制作の軸としたという。さらにはその過程で5人――池貝峻、篠田ミル、杉本亘、大井一彌、山田健人の互いの感覚の擦り合わせと音に対する思想/イメージの落とし込みをストイックに行っていった。世界のミュージック・シーンの文脈やトレンドと照らし合わせた相対的な解ではなく、5人の中における絶対的な解をひたすらに探す作業。結果、「自分達の予測を超えた、ある種、自分達自身の制御も超えた地点へと到達するアルバムとなった」と彼らが話す通り、歌はもちろん、音色にしてもリズムにしても前作以上にエグみも深みもある、美しく豊かな感情表現が息づく作品となった。格段に重層的に作り込まれ、織り込まれたひとつひとつの音のテクスチャー、アブストラクトなビートも多分に含んだリズムトラックの深化といったもの自体から、彼ら5 人にしか生み出し得ない確かなオリジナリティを感じることができる。

本作『Human』には、昨年ミュージック・ビデオと共に発表したシングル「Iron」と「Rude」、韓国の気鋭のラッパー・Kim Ximya(キム・シムヤ)をフィーチャリング・ゲストに迎えた「Polytheism」など全10曲を収録し、3月7日(水)リリース。また初回限定盤CDは、ボーナス・ディスク付の2枚組となり、アナログ盤にはDLカードが封入される。iTunesでアルバムを予約すると「Iron」と「Rude」の2曲がいちはやくダウンロードできる。

Iron (MV)
https://youtu.be/VrwXQ-JvLis

Rude (MV)
https://youtu.be/R4H7k2apm-Q

今回の最新アルバム『Human』の発表に先駆け、先々週には1年3ヶ月ぶりとなる2度目のワンマンライヴ(東京公演)を発表。想定を大幅に上回るアクセスによって、主催者先行チケットの販売が中止となったことも話題を集める中、初となるレコ発ツアーの開催も決定! さっそく1月20日から最速先行が開始!


yahyel
- Human Tour -

3/29 (THU) 東京~3/31 (SAT) 京都~4/5 (Thu) 札幌~4/6 (FRI) 名古屋~4/7 (SAT) 大阪~4/8 (SUN) 高知

2016年11月にデビュー・アルバム『Flesh and Blood』をリリースし、翌12月に渋谷WWWにて行われたワンマンは、アルバム発売日を前に完売。その後も、FUJI ROCK、VIVA LA ROCK、TAICOCLUBなどの音楽フェスへの出演も果たした他、ウォーペイント (Warpaint)、マウント・キンビー(Mount Kimbie)、アルト・ジェイ(alt-J)ら海外アーティストの来日ツアーでサポート・アクトにも抜擢されるなど、活況を迎えるシーンの中で、独特の輝きを放ち続けた yahyel(ヤイエル)が、1年3ヶ月の時を経て、2度目のワンマンライヴそしてレコ発ツアーが決定!
宇宙人を名乗る yahyel があえて「Human」と冠した今回のレコ発ツアー、果たして観る者にどんな体験を与えてくれるのか?
映像作家としても活躍する山田健人によるミュージック・ビデオと共に発表したシングル「Iron」と「Rude」を経て、なお成長スピードを加速させる彼ら。特異な楽曲とアレンジ、高い演奏力そして独創的な映像が一体となった圧巻のライヴは、更なる進化を続けている。ネクスト・レベルへ達した yahyel の最新パフォーマンスは必見! チケットの確保はお早めに!

3/29 (THU) 東京 LIQUIDROOM
OPEN 19:00 / START 19:30前売¥3,500(税込/1ドリンク別途)
INFO: BEATINK 03-5768-1277 www.beatink.com
★イープラス・プレイガイド最速先行受付(抽選):1/20(土)12:00~1/25(木)23:59

3/31 (SAT) 京都 METRO
OPEN 18:00 / START 18:30 前売¥3,500(税込/1ドリンク別途)
INFO: 京都 METRO 075-752-4765 https://www.metro.ne.jp
★イープラス・プレイガイド最速先行受付(抽選):1/20(土)12:00~1/25(木)23:59

4/5 (Thu) 札幌 DUCE
OPEN 19:00 / START 19:30 前売¥3,500(税込/1ドリンク別途)
INFO: WESS 011-614-9999 https://www.wess.jp
★イープラス・プレイガイド最速先行受付(抽選):1/20(土)12:00~1/25(木)23:59

4/6 (FRI) 名古屋 RAD HALL
OPEN 19:00 / START 19:30 前売¥3,500(税込/1ドリンク別途)
INFO: JAILHOUSE 052-936-6041 www.jailhouse.jp
★イープラス・プレイガイド最速先行受付(抽選):1/20(土)12:00~1/25(木)23:59

4/7 (SAT) 大阪 (詳細後日発表)
★TBC

4/8 (SUN) 高知 CARAVAN SARY
OPEN 18:30 / START 19:00前売¥3,000(税込/1ドリンク別途)
INFO: 088-873-1533 www.caravansary.jp/sary/topsary.htm
★2/5(月)~CARAVAN SARY店頭、ぴあ、LAWSON、DUKE TICKET

label: Beat Records
artist: yahyel
title: Human

release date: 2018.03.07 wed ON SALE
初回限定盤2CD BRC-567LTD ¥2,800+税
国内盤CD BRC-567 ¥2,300+税
国内盤LP+DL BRLP567 ¥3,000+税

【ご予約はこちら】
beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9264
amazon
BRC567LTD: https://amzn.asia/hypOdKG
BRC567: https://amzn.asia/1P9YGdB

[TRACKLISTING]
DISC 1
01. Hypnosis
02. Nomi
03. Rude
04. Battles
05. Polytheism (feat. Kim Ximya)
06. Acedia (Interlude)
07. Body
08. Iron
09. Pale
10. Lover

DISC 2 (BRC-567LTD)
*Bonus Disc

Media Culture in Asia: A Transnational Platform - ele-king

 魅力的なカルチャー・イヴェント情報が編集部に届きました。
 “Media Culture in Asia: A Transnational Platform”、略して「MeCA(ミーカ)」が2月9日から18日までの10日間開催されます。近年急速な発展を続けているというアジアのメディアカルチャーを、展覧会やオールナイト・ライヴ、ワークショップなどを通して発信する試みのようです。
2月9日にはWWW、WWW Xにて<Maltine Records>のトマドがディレクターを務めるオールナイト・イヴェントも開催されるようで、日本からはトーフビーツ、ヤング・ジュブナイル・ユース、パークゴルフらのほか、KimoKal、Meuko! Meuko! などアジア諸国のアーティストも出演する。またモートン・サボトニックが作り上げた電子音楽史に残る60年代の名作『Silver Apples of the Moon』を、アルバム・リリース50周年記念ヴァージョンとして、リレヴァン、アレック・エンパイアらと再構築するパフォーマンスも見逃せない。
 展覧会では坂本龍一+高谷史郎をはじめとした様々な地域からのアーティストが、日本初公開作品を含むメディアアートの展示が行われる。
 アジア・ハイカルチャーの最先端をお見逃しなく!

MeCA
Media Culture in Asia: A Transnational Platform

開催期間:2018年2月9日(金)~18日(日)
会場:表参道ヒルズ スペースオー、ラフォーレミュージアム原宿、Red Bull Studios Tokyo、WWW、WWW X 他

スケジュール:
メインイベント
1 展覧会(Art Exhibition):2月9日(金)~18日(日)
2 音楽プログラム(Music Program):2月9日(金)
3 教育普及プログラム(Education Program):
  2月10日(土)、12日(月・振休)、17日(土)、18日(日)
4 関連プログラム(トークイベント、ギャラリーツアー):会期中
同時開催イベント
1 公募型キャンププログラム(Camp Program):2月10日(土)~17日(土)
2 国際シンポジウム(International Symposium):2月11日(日・祝)

<展覧会>
会期:2月9日(金)~18日(日) 開場時間:11:00~20:00(最終日は17:00まで)
会場:表参道ヒルズ スペース オー、ラフォーレミュージアム原宿
出展アーティスト:坂本龍一+高谷史郎(日本)、平川紀道(日本)、Guillaume Marmin and Philippe
Gordiani(フランス)、Couch(日本)、Bani Haykal(シンガポール)ほか(約10組を予定)

入場料(MeCAチケット):ワンデイチケット 1000円/オールデイパス 1800円 / 中学生以下無料
※トークイベント、ギャラリートーク、ワークショップにも参加可。

<音楽プログラム>
日時:2月9日(金)21:00~29:00(開場20:00)
会場:WWW、WWW X(渋谷)
出演者:tofubeats(日本)、Meishi Smile(アメリカ)、similarobjects(BuwanBuwan Collective トーフビーツメイシスマイルシミラーオブジェクツ
/フィリピン)、KIMOKAL(インドネシア)、Morton Subotnick(アメリカ)、Lillevan(ドイツ)、キモカルモートンスボトニックリレヴァン
Alec Empire(ドイツ)、Jacques(フランス)、ほか(全13組を予定)

チケット:前売り 3500円/当日 4000円
※MeCAチケットをお持ちの方は当日受付にて1ドリンク無料。

詳細は以下のリンクにて。
https://meca.excite.co.jp/projects/ticket/

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