「K A R Y Y N」と一致するもの

Between - ele-king

 ニューヨーク在住のアンビエント・アーティスト、テイラー・デュプリーが主宰するレーベル〈12k〉は、90年代末期から運営されている老舗エレクトロニカ/アンビエント・レーベルである。
 レーベル初期はグリッチ的な音響によるエレクトロニカを展開していたが、00年代中期以降は次第にアンビエント的な音響へと舵を切り、以降、多くのアンビエント・アルバムをリリースしてきた。

 リリース・アーティストは多岐にわたる。主宰のテイラー・デュプリーをはじめとして、アメリカのサウンドアーティスト/ギタリストのステファン・ヴィティエッロ、伊達伯欣コリー・フラーのユニットのイルハ、オレゴン州ポートランドを活動拠点とするサウンド・アーティストのマーカス・フィッシャー、アルゼンチン・ブエノスアイレスのアンビエント・アーティストのフェデリコ・デューランド、ノースカロライナ州のアンビエント・アーティストで日本の畠山地平との共作でも知られるマイケル・グリゴーニ、リッチモンド在住のアンビエント・アーティストのモリー・バーグなどのアルバム、EP、参加音源をリリースし続けてきた。
 ほかにもスロウダイヴのサイモン・スコット、スティーヴ・ロデン、イタリアのサウンドアーティスト/打つ音響作家ジュゼッペ・イエラシ、テイラー・デュプリーと坂本龍一の共演作など、アンビエント・アーティストのアルバムを多く送り出しているのだ。まさに現代アンビエント・ミュージック界を代表するレーベルといえよう。

 さて今回、新作『Low Flying Owls』をリリースしたビトウィーンは、先に挙げたテイラー・デュプリー、ステファン・ヴィティエッロ、コリー・フラー、マーカス・フィッシャー、フェデリコ・デューランド、マイケル・グリゴーニ、モリー・バーグらによるアンビエント・グループである。
 とはいえメンバーは不定形で、2011年にリリースされた『Between』では、テイラーやマルクス、コリー・フラーに加え、サイモン・スコットと伊達伯欣が参加していた。
 私見だが〈12k〉の共演作には傑作が多い印象がある。例えばモリー・バーグ、ステファン・ヴィティエッロ、スティーブ・ロデン、オリビア・ブロックによるモス(MOSS)の『MOSS』(2011)や、先に挙げたビトウィーン『Between』(2012)などはまるで深夜の教会で鳴らされるアンビエント・セッションのごとき静謐な音響が魅力的なアルバムであった。
 デュプリーとケネス・カーシュナーの『Post_Piano 2』(2005)、ステファン・ヴィティエッロとモリー・バーグの共演作『The Gorilla Variations』(2009)も素朴にして美麗なアンビエンスを放っていた。
 共演作にはそれぞれの魅力を相殺してしまうケースもあるが、〈12k〉の共演作はそうではない。それぞれのアンビエンスが豊穣な音空間を構成しているような聴こえるのだ。

 この『Low Flying Owls』も同様といえる。音。空間。薄明かり。そんなイメージのサウンドスケープが7人の個性の融合によって生成されているのだ。聴くほどに音の深みに落ちていくような感覚とでもいうべきか。
 『Low Flying Owls』は、テイラー・デュプリーとステファン・ヴィティエッロのふたりが、フロリダのビーチハウスに設置したスタジオで制作したトラックをベースに、それぞれのアーティストが自分たちの音を付け加えていくことで制作されていったという。
 声、クラリネット、ドラム、ピアノ、ギター、さらにはフィールド・レコーディング音などが加えられてゆき、優雅で繊細な音のタペストリーが織り上げられていったわけだ。まさに〈12k〉的なアンビエント美学の集大成ともいえる作品に仕上がっている。
 じじつアルバム1曲目 “Glass” の一音目、ポーンと放たれる美しい音からして一気に引き込まれてしまう。いくつのノイズが折り重なり、ループし、真夜中の森のように微かなざわめきを感じさせる音響空間が時のなかに染み込んでいくように鳴らされていく。7人のアンビエント・アーティストの個性が慎ましやかに、相互に浸透しあっていくような曲だ。
 3曲目 “know” ではドラムの音が鳴っている点も重要である。といってもビートを鳴らすというよりは、点描的に音が置かれていくような音だ。静謐なアンビエント空間に違和感なく溶け込んでいるのだ。
 以降、最後の9曲目まで音たちは、ただ鳴らされ、そして慎ましく配置されていく。まるで日本の水墨画のようなコンポジションである。日本的な美意識すら感じるほどに。
 思い出してみれば、2012年の『Between』も京都の島原にある「きんせ旅館」でライヴ録音されたものであった。彼らの音の本質に(ということは〈12k〉の音の本質に)、日本的な「あいだ」と「あわい」のような美学があるのではないかと勝手に想像してしまう。まさに「ビトウィーン」の美学。
 本作はライヴ録音ではないが、日本的な陰翳礼讃のムードが横溢しているように感じられた。このアルバムを聴くと、音と音の「あいだ」にあるもの、静けさに染み込んでいく音や時間の痕跡がとても心地よく感じるようになっていく。
 同時にどこかジャズ的な響きも感じてしまう。まるで北欧のジャズ、例えば〈ECM〉のアルバムのような響き、ムードがあるのだ。透明な音色によるアンビエント・サウンド・セッションとでもいうべきか。
 ここにはあるのは音の「間」と音の「持続」である。まさに〈12k〉というレーベルの「美学」が完璧なかたちで再現されているアルバムだ。はじめて〈12k〉の音楽を聴く方にも自信を持ってお勧めできる美しいアンビエント・ミュージックである。

 アートワークはマーカス・フィッシャーが手がけている。CDとセットにされるアートブックにも彼の作品が収録されている。いわばサウンドとヴィジュアルの両方から、アルバムの世界観を提示しているともいえよう。

cero - ele-king

過去の真のイメージは、さっとかすめて過ぎてゆく。過去はそれが認識可能となる瞬間にだけひらめいて、もう二度と姿を現すことがない。そのようなイメージとしてしか、確保できないのだ。

歴史とは構成[構造体形成]の対象である。その構成の場は、均質で空虚な時間ではなく、今の時に充ちている時間である。

──ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」

 小さいようで、大きいアルバムだ。それと同時に、大きいようでいて、なんだか小さいアルバムでもある。

 いくつかのインタヴューで語られているとおり、この『e o』が以前の『Obscure Ride』(2015年)や『POLY LIFE MULTI SOUL』(2018年)と大きく異なる点は、プロダクションとその方法にある。制作にあたって、橋本翼が住んでいた吉祥寺のマンションを作業部屋にし、橋本と髙城晶平、荒内佑はそこに集まって、デモを制作していった。そして、後半は、カクバリズムの事務所の一室で同様のことをおこなったという。荒内は「3人とも宅録出身なんで、自然なやり方に戻った感じがしています」と、髙城は「高校生の頃はこんな感じで曲を作ったりしていたな」と振り返っている。
 ceroの3人はここで、プレイヤーたちの身体的・肉体的な感覚をレコードに刻みつけるよりも、ホーム・レコーディングとプログラミングを中心にすることを選び、プリプロダクションからポストプロダクションまでをある程度シームレスにつなぐことでアルバムを織りあげた。いかにもバンド然とした演奏は後退して希薄化し、それらとエレクトロニクスとの有機的な接合が試みられており、髙城のヴォーカリゼーションもかなり抑制的だ(「ご近所に迷惑にならないようなレンジで歌う、っていう宅録でのスタンスが引き継がれ」たという)。『e o』を聴けば、原点回帰とも揺り戻しともとれるその小さな場所での小さな制作は、サウンドにおける内的宇宙の見事な伸長と拡大に結実していることがよくわかる。

 3人は、このアルバムにコンセプトがなかったことも強調している。だから、断片的な作品だという印象も受ける。かといって、統一感がないわけでもない。ソロ・ワークの寄せ集めといった趣は皆無だし(3人は2020年以降、それぞれソロ活動とアルバム制作をおこなった)、むしろ、一定のクールなムードや空気、あるいは香りのようなものが充満しており、各曲の独立性とアルバムとしての統一性、その両方がある。“Fdf”、“Nemesis”、“Cupola”、“Fuha” という2020年から2022年にかけて断続的に発表されたシングルが収められてもいるが、それらはアルバムという置き場所を得たことで、リリースされたそのときには謎めいていたそれぞれの表情にひとつの解が与えられたような、不思議な座りのよさが感じられる。
 なにかとなにかのあわいにあるような、むずがゆくてはっきりとしない、半醒半睡の、半酔の、靄がかかったような、中間的な領域をずっと漂っているような音。そうであるからこそ、「プラネタリーな規模と心の次元が結びついて織り合わさってるような」、マクロとミクロとを瞬時に行き来することができるような、自由に飛び跳ねる音。

 髙城のリリックも、こういった変化にそのまま対応している。再びインタヴューの発言を引くと、『e o』で歌われているのは、これまでのように叙事性や物語性を志向したものではなく、「リニアに時間が展開していくよりも、意味を切断していくような『詩』らしい広がり方を」を持った、「香水のような」歌詞である
 極端なジャンプカットの連続のような、紙芝居のような、スナップショットの束のような、「ひどく粗いゲーム画面」(“Epigraph”)か「絡み合うタペストリー」(“Nemesis”)のような、跳躍を続ける言葉、そしてそれらが描く(少々 sci-fi な)イメージ。かといって、抽象的だったり、心象的だったりするばかりではない。「素粒子の精霊は観測者を待つ」(“Epigraph”)。「人新世の霊と 枯れた花のゲート」(“Fuha”)。「兵隊たちにインタビュー/乱れる映像」(“Evening News”)。『e o』で髙城は、まちがいなく私たちがいま生きているこの世界のことを、奇妙な手触りをもった言葉で歌っている。

 髙城の断片的な詞は、その形式においても内容においても、圧縮され凝固された時間のようだ。注目すべきは、imdkm も指摘するように、アルバムのクローザーである“Angelus Novus”があきらかにヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」へのオマージュになっていること。この曲は、オープナーの “Epigraph” とともに、ベンヤミンの歴史や時間についての思惟と少なからぬ共振を見せている。
 ベンヤミンは1940年、ナチスに追われて滞在中のパリから脱出し、スペインに逃れようと試みるが、9月にピレネー山中でモルヒネで自死している。「歴史の概念について」は、彼が最期まで手を加えていたという、十数のテーゼからなる原稿だ。そこでベンヤミンは、因果関係によって歴史を書く「歴史主義」や進歩史観を強く批判しながら、彼なりの史的唯物論を展開している。それは、平たく言えば、「今の時に充ちている時間」のポテンシャルにかけるような思考だ。抑圧された過去が現在と不意に出会い、星座的な布置をなし、現在を突然に変容させてしまう──ベンヤミンは「歴史の連続体を爆砕して過去を取りだす」という言い方もしているが、それが「今の時に充ちている時間」という(革命的な)チャンスである。
 叙事的な語りや連続的な歴史観を捨ててそこから飛び出すことは、上で引いたとおり、『e o』における髙城の詞作の方法と相似形を描いている。「真新しいものがなくなり/ようやく静けさの中ページが開く」(“Epigraph”)というラインは、ベンヤミン的な歴史や時間に対する態度の一端を言い表しているかのようだ。
 それは、音楽的にもそうである。『e o』は、『Obscure Ride』におけるネオ・ソウルや『POLY LIFE MULTI SOUL』におけるリズムの実験といった、わかりやすい参照点を持っていない。ここにある音楽は、溝にハマって離れることのないグルーヴ、あるいはリズムの交差が生み出す興奮ではなく、楽音や電子音などの多彩な要素が絡まりあい、冷静に構成された、一瞬の閃きや煌めきからなる複雑な織物である。
 「歴史の概念について」は、ベンヤミンが執筆当時に置かれた状況を考えてもわかるとおり、けっしてオプティミスティックなものではない。それでも、そこには、私たちの中に潜性している「かすかなメシア的な力」にかける意志がある。「嵐がくる/楽園から吹きつける/透明な未来」(“Angelus Novus”)と歌って終わる『e o』には私たちが押し流されていく先にある未来へわずかに期待をかけるような、小さく冷静なオプティミズムが感じられる。未来は真っ白なブランクでしかないが、絵に描いたような未来に向かって単線的に進んでいくのではないかたちで、それをのぞみ求める、というような。

 41分9秒というランニング・タイムは、cero のアルバム・ディスコグラフィの中でもっとも短い。けれども、その時間には、これまででもっとも濃密で、豊かで、深遠で、複層的な音と詞が封じ込められている。だから、奇妙なルールに支配された分厚いゲーム・ブックで遊ぶように、たくさん折り重なった襞の中に分け入っていくように、薄明かりが射し込む部屋に散らばったなにかを手探りするように、私は今日もまた『e o』に耳を傾けている。


■引用・参考文献
ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』鹿島徹訳・評注、未來社、2015年。

Negativland - ele-king

 みなさんは音楽にうんざりすることは、ないだろうか。定額制の配信が音楽リスニングのスタンダードとなって、いつでもなんでも気になった音楽が好きなように聴ける状態にあり、だからつねに満腹で、もう食欲がないのに関わらず音楽は溢れている。で、気がついたら嘔吐寸前。サイモン・レイノルズが『レトロマニア』のなかで分析したように、音楽は時間的な制約を受ける芸術体験ではなくなり、いわば液化し、一時停止や保存などの非連続性に対して致命的に弱い連続的な供給物となった。ビル・ドラモンドが「音楽を聴かない日」というイヴェントをやる意味はじゅうぶんにある。

 2014年にU2がiTunes上でアルバム『Songs of Innocence』の無料ダウンロード展開をしたとき、当たり前の話、この人道主義のバンドに興味のないユーザーからヒンシュクをかっているが、じっさい、商品と広告が一体となった新手の販売戦略は欧米では議論の対象となった。だいたいこうなるともう、音楽はオンライン記事ともよく似た、無料で気を引くための何かであり、少なくとも四六時中スマホや液晶画面を眺めている生活を否定するものではなく、それを批評するものでもないのだ。そんな火種となったU2の所属レーベルから訴えられた経験を持っているのが、アメリカ西海岸のアート集団、ネガティヴランドである。彼らが1991年、大きく「U2」と書かれたパッケージでリリースしたそのEPは、U2のヒット曲のパロディと有名なディスクジョッキーの口汚い言葉や犬の声などがコラージュされたばかりか、アートワークにはアメリカ空軍のロッキードU-2もコラージュされていた。(彼らはその訴訟に負け、のちに作品をもって反撃をしている)
 2010年代において重要なアルバムの1枚、 MACINTOSH PLUSの『FLORAL SHOPPE』に収録の “リサフランク420 / 現代のコンピュー”は、典型的な初期ヴェイパーウェイヴで、ダイアナ・ロスの “It's Your Move” をスクリュー(速度をおそらく半分くらいに落として再生)しただけの曲だった。ほかにも当時のヴェイパーウェイヴには、ほとんど80年代の日本のCMをカットアップしただけで作られたアルバム(New Dream Ltd.の『Theatré Virtua』など)もあり、時代の鬼っ子がいっきに話題になったときによく言われたことのひとつが、「こういうことはすでにネガティヴランドがやっているよね」だった。これはザ・KLFがその初期(ザ・JAMS時代)において有名ヒット曲のあからさまなサンプリング・ミュージックを披露したときにも言われたことで、1970年代後半から活動しているこのいたずら好き集団は、1983年の『A Big 10-8 Place』や1987年の『Escape From Noise』によって、古いポップ・ミュージック、電話の会話、ニュース放送、広告、話し言葉などなどのコラージュによる作風を確立しているし、彼らは80年代なかばからラジオ放送というメディアを使ってのいわゆる「カルチャー・ジャミング」を実行していた。というか、状況主義よろしく企業社会をパロディ化する行為。たとえば大企業のロゴを皮肉っぽくいじったり、街の広告板をこっそり書きかえたりなど、90年代以降の反資本主義運動における手段のひとつとして定着する「カルチャー・ジャミング」という用語の言い出しっぺが彼らだった。

 「私たちを取り巻くメディア環境が、私たちの内面にどのような影響を与え、方向づけているかという意識が高まるにつれ、抵抗する人も出てくる。巧みに作り替えられたビルボードの看板は、消費者をそこに仕組まれた企業戦略の考察へと導く。カルチャー・ジャマーにとってのスタジオは、世界全体である」ネガティヴランド『Jamcon '84』

 ネガティヴランドは1999年には、UKのアナキスト・ロック・バンド、チュンバワンバと組んで政治レクチャーと大ネタのサンプルまみれのEP「アナキズムのいろは(The ABCs of Anarchism)」なんていうのもリリースしている。ザ・レジデンツともよく比較され、1970年代後半から長きにわたって活動を続けているネガティヴランドだが(中心メンバーの2人は数年前に他界している)、いろいろ面白い存在でありながら言葉を多用するため非英語圏の人たちにはその面白さがなかなか伝わらず、という理由もあるのだろう、日本では編集部・小林のような道路の左側しか歩かない人間が知らなかったりするのだ。
 こうした日本での状況を考えると、昨年末にリリースされたCD2枚組はほぼすべてがインストゥルメンタル曲のため、非英語圏の人たちにも素直(?)に楽しめるものとなっている。そもそも彼らは、バンド名をノイ!のファースト・アルバムのなかの曲名から取っているし、彼らのレーベル名〈Seeland〉はノイ!のサード・アルバムの曲名から取っているという、アメリカでは極めて希有な、はじまりがそこにあるバンドなのだ。だから間違ってもサウンドを軽視していたわけではない。そういうことがあらためて確認できるのが今回の、言葉のない『発言はなし(Speech Free)』である。
 それにしてもこの音楽をなんて表現しようか。風変わりなライブラリー・ミュージック。ノイ!のセカンド・アルバムの拡張版、アップデート版とも言えるし、ミューザック、イージーリスニング、MOR、スムース・ジャズ、そしてニューエイジやエレーベーターミュージック──つまり悲惨な自分たちを忘れさせるための、非場所(non place)のための、いまの消費社会を円滑にするために発案されたanodyne music(痛み止め音楽)のパロディであるとも言えるだろう。面白いが恐怖があり、ユーモアと不安が混じっている。入っちゃいけないものが入っている。だからこれはミューザックのフリをした狼……ではないが、ほのぼの系に見せかけててツメを立てながらシャーっと威嚇する猫みたいなものかもしれない。とにかく、2014年頃のヴェイパーウェイヴのように、心地よさげに見えて不気味なのだ。“リサフランク420 / 現代のコンピュー” をして「インターネットがゲロを吐いているようだ」とうまい表現をした人がいたが、『Speech Free』は無菌状態の都市空間にお似合いのすべてのBGMの品行を乱している。音楽にうんざりしているときに聴けるアルバムなのだ。
 昔、テイラー・スウィフトの作品のことを「ソーシャルメディアを通じてつねに評価を求める社会」における「適合主義的パワー・ファンタジー」と評した人がいた。いわく「このおかしな世界では、大きな声で拍手するか、さもなければ破門され嫌われ者の谷に落ちるか、それがあなたの選択肢なのだ」。そうだとしたら、ネガティヴランドも10年代半ばのヴェイパーウェイヴも確実に後者に属している。しかし、だから良いのだ。

Kelela - ele-king

 先週来日情報が発表されたばかりのオルタナティヴR&Bシンガー、ケレラ。彼女が盟友のアスマラ(ングズングズ)とともに2019年に発表したミックス音源『Aquaphoria』は重要な定点観測だったと、いまあらためて思う。小久保隆のような日本の環境音楽家から OPNヴィジブル・クロークス、〈PAN〉のコンピ『Mono No Aware』にも収録されたカリーム・ロトフィといった2010年代の音風景の一角を担ったアーティストまでを拾い上げたそのアンビエント・ミックスは、ケレラ本人のヴォーカルが重ねられることにより、ソランジュ以降の静かなソウルの流れを射程に収める試みにもなっていた。すべてではないにせよ、10年代の音楽が持つある側面がそこに集約されていたのだ。
 インタヴューでも語られているように、同ミックスでアンビエントを探求した経験が大きな転機をもたらしたのだろう。ケレラ6年ぶり2枚めのアルバム『Raven』は、その路線をさらに推し進めたサウンドに仕上がっている。

 黒人女性であることがテーマになっている点も見逃せない。詳しくは天野くんによる上述のインタヴューをお読みいただきたいが、『デイズド』によれば前作以降の沈黙期間中、彼女はブラックに関わるさまざまなことを独自に学んでいたという。研究対象には編集長が尊敬するマルクス主義フェミニスト、ベル・フックスの著作であったり、サミュエル・R・ディレイニーやオクティヴィア・E・バトラーグレッグ・テイトやコジュウォ・エシュンが出演するアフロフューチャリズムのドキュメンタリー『The Last Angel of History(邦題:マザーシップ・コネクション)』(ジョージ・クリントンは当然のこと、デトロイト・テクノの面々も多く出演)も含まれている。
 そもそも2010年代前半、ワシントンDC出身にしてLA在住のエチオピア系たるこのシンガーが頭角をあらわしてきたのは、〈Fade To Mind〉~〈Night Slugs〉周辺、すなわちUKベース・ミュージックとの連携においてだった。ミックステープ『Cut 4 Me』(13)、EP「Hallucinogen」(15)、ファースト・アルバム『Take Me Apart』(17)といった一連の作品は、キングダム、ングズングズ、ボク・ボク、ガール・ユニット、ジャム・シティ(そしてアルカ)らの協力あってこその産物だ。インド系のアスマラを除けば(おそらく)ほとんどがホワイトである。ゆえにこの6年間のケレラの研究は、自身のアイデンティティの確認という側面も有していたにちがいない。
 サウンド面ではアンビエントに没頭すること。意識の面では黒人女性をとりまくけっして軽くはない諸問題について理解を深めること。それらの探求を経て生み落とされたのが新作『Raven』なのだ。

 他方で本作には多くのダンス・ミュージックが搭載されてもいる。最新の動向を追っているリスナーにとっては、LSDXOXO の参加がもっとも気になるところだろう。自身の作品ではジャージー・クラブやゲットー・ハウスを打ち鳴らしている彼だが、本作では最近のトレンドであるジャングルのビートを生成、アップリフティングな “Happy Ending” でも、ほんのりラテン調の哀愁を帯びた “Missed Call” でも、シンセがゴールディー “Angel” のような浮遊感をまとう“Contact” でもダーティな感覚は封印しつつ、気品あふれるケレラのヴォーカルをうまく引き立てている。
 ハイチ系カナダ人のヒップホップ・プロデューサー、ケイトラナダとの共作も注目ポイントかもしれない。彼がプロデュースに加わった “On the Run” ではダンスホールのリズムを崩す実験が試みられている。あるいは終盤に配置されたハウス・トラックも、これまでのケレラにはなかった路線だ。これらみずみずしいダンス・チューンが『Raven』に花を添えていることは疑いない。

 けれどもやはり全体として本作は、アンビエント色のほうが濃く出ている。ビートは控えめに、サブベースで下部を支えながら、極力中間部を抜き去り、ヴォーカルやシンセの残響で空間を満たしていくアトモスフェリックなトラックが大半だ。手を貸しているのはベルリンのアンビエント・デュオ、OCA(ヨー・ヴァン・レンズ+フロリアン・TM・ザイジグ)。『Aquaphoria』でもピックアップされていた彼らとの共同作業が本作の核になっていることは、先述のインタヴューからも確認できる。
 ではシンガーとしての彼女はどう変わったのか。歌唱法には大きな変化はないように聞こえる。しかし冒頭や最終曲で高らかに歌い上げられる「far away」=「遠く(流されて)」──このフレーズは、水がテーマである本作中何度も登場することになる──には、どこかこれまでとは異なる決意めいたものが感じられる。歌詞はどれも一見ラヴ・ソングのようだが、たとえばさりげなく自身を白人だと信じ込んでいた架空の盲目の黒人政治家の名が忍ばされていたり、主人公があくまで黒人女性であることを意識させるつくりになっている(対訳つきの日本盤を推奨)。やはりブラックに関わる事柄の研究がヴォーカルと歌詞にも影響を及ぼしているのだろう。
 そういった点も踏まえるなら、今回ケレラがジャングルやハウスを導入したことは、ディフォレスト・ブラウン・ジュニアが掲げる「テクノを黒人の手にとりもどせ(Make Techno Black Again)」ともリンクする態度といえる。が、その一方で、白人が生み出した音楽であるアンビエントからもおなじくらい大きく触発されている点にこそ、『Raven』最大の魅力が宿っているのではないか。近年は KMRUクラインロレイン・ジェイムズのようにブラックによるアンビエント作品にも注目が集まるようになりつつある。あくまでケレラはシンガーではあるものの、本作にはその動きを後押しするようなポテンシャルも具わっているのだ。

interview with Squid - ele-king

 勇敢な冒険心とともに前進しつづけているロック・バンドがいま、特に英国やアイルランドから現れているのは、周知のとおり。先日も、たとえば、マンディ・インディアナ(スクイッドが対バンしたこともある)が刺激的なデビュー・アルバム『i’ve seen a way』を世に問うたばかりだ。
 一方で、シーン(のようなもの)の全体が成熟してきたために、どこかコミュニティの個性やローカリティは薄れつつあるように感じられ、もっぱら、話題は個々のバンドのストーリーや作品のクオリティに焦点が絞られつつある。ある意味で多拠点化して分散し、フラットになりつつあるわけだが、ロンドンから少々離れた海辺の街ブライトンの大学で結成されていたり、メンバーのうち数名がブリストルに住んでいたりするスクイッドは、元々そういう磁場には引っ張られていなかったのかもしれない。2021年の『Bright Green Field』での成功からちょうど2年、〈Warp Records〉からのセカンド・アルバム『O Monolith』の実験的で自由なムードにも、そのことが感じられる。

 スクイッドの5人は、ブリストルで曲を練りあげたあと、ブリストルの東、ウィルトシャーのボックスにあるリアル・ワールド・スタジオ(言うまでもなく、ピーター・ゲイブリエルが1980年代に築いたスタジオだ)でこのアルバムを制作している。前作と同様にダン・キャリーがプロデューサーとして携わり、注目すべきことにトータスのジョン・マッケンタイアがミキシングをおこなった。
 イギリス西海岸の空気、ボックス村の自然ののびのびとした開放感が『O Monolith』にはそれとなく刻まれているが、おもしろいのは、ある意味で密室的な実験がそこに同居していることだ。自由で奇妙な律動を刻むパーカッション、渦巻く電子音、厳かなヴォーカル・アンサンブルがバンドの演奏と溶けあわせられることで、これまで以上に深められた独特の風合いの複層的な音が、ここでは生み出されている。
 そして、それは、危機に瀕していながらも、表面的には変わらず牧歌的な緑と青を茂らせた地球環境と、いびつな人工物とのおかしな共演──緑のなかに屹立するストーンヘンジ──のようでもある。『Bright Green Field』での表現といい、どうも彼らはそういうことに関心がありそうだ。

 そんな『O Monolith』について、ギターやヴォーカルなどを担うルイ・ボアレス、キーボードやパーカッションやヴァイオリンなどを弾くアーサー・レッドベター(スクイッドの楽器の担当はとても流動的だ)のふたりと話すことができた。トーキング・ヘッズの『Remain in Light』からの影響、ファンクやディスコとの関係、さらに制作中のサード・アルバムにミニマリズムが関係していることなど、スクイッドのサウンドの秘密に迫る内容になっている。

ブリストルには大きな塔がたくさんあるんだけど、そういった現代に作られたモダンな塔と、ストーンサークルみたいな相当昔からずっとある古い一枚岩のイメージを結びつけてみる、というのが、アニミズムについて考えるうえで、すごくおもしろい方法だったんだよね。(ボアレス)

前作『Bright Green Field』は傑作だと思いました。ご自身の手応えはどうでしたか?

アーサー・レッドベター(以下、AL):あの作品には、全員すごく満足してる。でも、あの作品をどう思うかを考えていたのは、レコーディングしてるときの話。リリースしてからは、あのアルバムは僕たちだけじゃなくて、みんなのものになった。人びとのレコード・コレクションや Spotify のプレイリストのなかで生き続けるんだよ。だから、そうなった時点で、僕はあのアルバムを評価するのをやめたんだ。リリースしたときから、僕の頭は次のプロジェクトのことでいっぱい。それって、すごくいいことだと思うしね。あの作品から得たいちばん大きなものは、多くのことを学べたこと。バンドが成長するためのいい踏み台になったと思う。

ルイ・ボアレス(以下、LB):あんなにいいリアクションがもらえたなんて、すごくエキサイティングだった。作品を作ったときは、何を期待したらいいのか、ぜんぜんわからなかったから。でも、チャートで上位に入ったり(※英オフィシャル・アルバム・チャートで初登場4位)、驚きの連続だったね。

『Bright Green Field』のリリース後、世界はパンデミックやロックダウンからだんだん解放されていきました。バンドの活動も変わっていきましたか? どんな変化がありましたか?

AL:パンデミックの間は、家にいるということがどういうことなのかを改めて実感できたと思う。あんなに長い期間ライヴをせずに家にいたのは、かなりひさしぶりだったから。そして、いい意味で、ライヴをやりすぎる必要はないんじゃないかと思うようになった。外にいる時間と、自宅での創作活動のバランスをもう少しとったほうが、自分の脳や身体にとっても健康的なのかもしれないってね。パンデミックが終わった夏、あの期間の収入や露出の減少を補うためにかなりの数のショーをやったんだけど、あれはちょっとクレイジーすぎたから(笑)。

なるほど。そして、新作『O Monolith』も、前作に続いて素晴らしかったです。まずは、この変わったタイトルの由来や意味を教えてください。

LB:当時、オリー(・ジャッジ)が書いていた歌詞の多くが、アニミズム、そして想像力を働かせて日常生活のなかのありふれたものに命を与えるということに関連していたんだよ。で、ブリストルには大きな塔がたくさんあるんだけど、そういった現代に作られたモダンな塔と、ストーンサークルみたいな相当昔からずっとある古い一枚岩のイメージを結びつけてみる、というのが、アニミズムについて考えるうえで、すごくおもしろい方法だったんだよね。それがタイトルの元になったんだと思う。

ピーター・ゲイブリエルのリアル・ワールド・スタジオでこのアルバムをレコーディングしたそうですね。

AL:そうそう。アルバム(の曲)を書いてるとき、僕たちはリアル・ワールド・スタジオから小川を渡ったところにある、華やかさとは無縁のリハーサル・スタジオにいたんだ。そのスタジオのサウンドは素晴らしくて、僕たちはそこで何日も、一日中アルバム(の曲)を書いてたんだよ。で、徐々に実際にメイン・スタジオでレコーディングすることを想像しはじめた。最初はそんな予算はないって思ってたんだけど、それがどんどん現実的な話になってくると、「あの部屋を使える」っていうのがいい目標になって、かなりのモチベーションになったんだ。そして、あのメイン・ルーム自体からもすごくインスパイアされた。その部屋で、たくさんの素晴らしいミュージシャンやエンジニアたちに使われてきた最高の楽器や機材を使うことができたわけだからね。

リアル・ワールド・スタジオがあるウィルトシャー州ボックス村のロケーションがアルバムに影響を及ぼしている、とも聞いています。メンバー全員がイギリス西海岸と強い結びつきがある、ともプレスリリースに書かれていますが、そのあたりについて具体的に教えてください。

LB:僕は8年間サウス・デヴォンに住んでいたから、そういう意味では間違いなくそのエリアに親近感がある。ルイはブリストル出身だけど、彼はコーンウォールを何度も訪れているし、ロックダウン中にはコーンウォールに住んでた時期もあった。景色もすごく美しいし、僕たち全員がエンジョイできる場所なんだ。

今回のアルバムでは、パーカッショニストを追加で起用したいと強く思ってたんだ。そして、レコードのサウンドには、そのパーカッショニストたちが同じ部屋で一緒に演奏に参加してくれることが重要だと思った。(レッドベター)

新作は「proggy」なものだとの発言を読みましたが、ピーターの作品や初期のジェネシスといったプログレッシヴ・ロックには関心がありますか?

AL:いい音楽とは思うけど、新作が「proggy」だとは思わないな(笑)。

そうですか(笑)。オリーは、“Swing (In A Dream)” は制作時に二日酔いだったからビートがシンプルになったとインタヴューで言っています。ただ、全体的には、前作以上にリズムやビートにフォーカスしていると感じました。今回、曲作りにおいて、リズムやビートにどのように取り組んだのでしょうか?

AL:今回のアルバムでは、パーカッショニストを追加で起用したいと強く思ってたんだ。そして、レコードのサウンドには、そのパーカッショニストたちが同じ部屋で一緒に演奏に参加してくれることが重要だと思った。そこで、ザンズ・ダガン(Zands Duggan)とヘンリー・テレット(Henry Terrett)のふたりに参加してもらって、彼らが一緒に演奏してくれたんだ。それは、アルバムのリズムにとってすごく大きなエフェクトになったと思う。特にザンズは、自分で楽器を作るんだ。だから、彼のパーカッションってすごく深くて、かなりユニークなんだよ。それが、アルバムに本当に個性的なフィーリングをもたらしてくれたと思う。

LB:僕らは(トーキング・ヘッズの)『Remain in Light』の大ファンなんだけど、あのアルバムで、バンドはパーカッションのアンサンブルを招いてるんだよね。あのレコード全体のパーカッションは本当にユニークで、リズムとロックやポストパンクのあの最高のバランスが独特の味を作り出してる。(プロデューサーの)ダン(・キャリー)がザンズを推薦してくれたんだけど、さっきアーサーが言ったように、彼は自分で作る素晴らしい楽器で演奏してくれたし、僕は以前、ヘンリーとギグで一緒になったことがあったから、参加してくれないかって頼んだんだ。ヘンリーもかなりユニークだし、彼らのおかげでかなり特徴的なリズムを作ることができたと思う。

わかりました。そして、そのリズムとの対比で、ハーモニーが豊かです。『O Monolith』でもっとも印象的なのは、ヴォーカル・アンサンブルのシャーズ(Shards)の貢献でした。彼らとの出会いや参加の経緯、彼らがアルバムにもたらしたものについて教えてください。

LB:ロンドンでショーを見た人たちがすごくよかったって言ってたのと、僕たちのマネージャーがシンガーのひとりと友だちだったから、彼らを招くことにしたんだよ。最初は、子どもの聖歌隊の声みたいなのを入れたらおもしろいかな、なんてアイディアを持ってたんだけど、結果、本格的な聖歌隊に参加してもらうことになったんだ(笑)。

AL:“Siphon Song” みたいな曲は、彼らがいなければいまの姿にはなってなかったと思う。聴いてもらったらわかると思うけど、彼らがハーモニーをリードしてくれてるんだ。彼らに楽譜を渡して方向性を伝えると、一瞬でそれを理解して、僕たちのアイディアを彼らの解釈とやり方で表現してくれた。あれはかなり大きかったし、彼らとコラボレーションできたのは本当に素晴らしい経験だったね。彼らは最高だよ。

素晴らしいマリアージュだと思います。その “Siphon Song” のヴォーカルは、まるでダフト・パンクのように加工されていますよね。リリックの内容に対応しているとも感じましたが、この曲のプロダクションについて教えてください。

AL:ヴォコーダーを使おうっていうのは誰のアイディアだったかな。あの曲は、実際にスタジオに入る前に構成が決まってた曲のひとつ。トラックの構成や大まかな輪郭に関するアイディアはダンとの会話のなかで生まれたもので、その会話のなかで様々なアイディアを思いつくことができたんだ。ダンが、50個もオシレーターがあって、全部ちがうチューニングができるようなシンセを持ってて。で、トラックの最後では、全員がちがうオシレーターに手を置いててさ。みんな、そのトーンを徐々に上げていって、聖歌隊も最後の音に向かってゆっくりとグリッサンドしていって、曲の最後の盛り上がりがすごいことになったんだ(笑)。

そのシャーズは、テリー・ライリーと2016年にコラボレーションしているんですよね。ライリーやスティーヴ・ライシュ(ライヒ)、フィリップ・グラスのようなミニマリストたち、あるいはもっと広く考えて、現代音楽やポスト・クラシカルから影響を受けることはありますか?

AL:もちろん。大学では、大学に入る前までは聴いたことがなかったような音楽にたくさん触れることができたし、ひとりでコンサートに足を運ぶようになったんだよね。子どもの頃もライヴには行ってたけど、自分が体験したい音楽を探すまではしてなかった。で、だんだん歳を重ねてコンサートに行くようになると、『18人の音楽家のための音楽』(スティーヴ・ライシュ)とか『浜辺のアインシュタイン』(フィリップ・グラス)みたいなミニマリストの作品を好むようになっていったんだ。本当に感動したし、心を揺さぶられたから。最近だと、ジュリアス・イーストマンの作品を見たんだけど、彼の音楽も本当に素晴らしかった。彼の音楽を再発見できたことは、僕にとってすごく新鮮で興奮したし、もっと彼の作品を聴きたいって思ったね。

LB:僕は、ミニマリズムをたくさん聴いて育ったんだ。スティーヴ・ライシュが生オーケストラの18人のミュージシャンのためにスコアを書いた作曲家の最初のひとりだって、父親が昔話してたのを覚えてる。あの作品はそこまで昔のものではなかったから、それを聞いてちょっと驚いたけど。父の影響もあって、スティーヴ・ライシュは子どもの頃からずっと聴いてきたんだ。ミニマリズムには、本当に素晴らしい瞑想的な性質があると思う。聴いたあとに得られる、独特の感覚があるよね。バンドのみんなとも、ヴァンのなかで聴いたりするんだよ。リラックスしたいときとか、疲れてるときとか。今回のアルバムにも、いま作ってるアルバムにも、間違いなく影響を与えているはずだよ。

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最近だと、ジュリアス・イーストマンの作品を見たんだけど、彼の音楽も本当に素晴らしかった。彼の音楽を再発見できたことは、僕にとってすごく新鮮で興奮したし、もっと彼の作品を聴きたいって思ったね。(レッドベター)

先ほどトーキング・ヘッズの『Remain in Light』の話が出ましたが、西洋以外の音楽からインスパイアされることはありますか?

LB:あのアルバムからは、さっき話したように、パーカッションのアンサンブルから影響を受けているんだ。西洋以外の音楽に関しては、アントン(・ピアソン)が大学で勉強してたんだよ。あれ、なんだったっけな?

AL:西アフリカの音楽。マリの音楽だね。それは、アントンのギター・プレイに大きな影響を与えたと思う。

そうだったんですね。ところで、“Undergrowth” はファンク的ですよね。ファンクやR&Bからの影響についてはどうですか?

LB:もちろん。僕とアントンはファンク・バンドを結成したことがあって、それで出会ったくらいだし。大学1年生のときは、ファンクやソウル、ディスコを聴いてよく踊ってた。それまでディスコはあまり聴いたことがなかったんだ。なんか冷たい音楽な印象があって、あまり興味がなくてさ。でも、大学1年のときに、朝の4時にディスコを聴いて踊り狂ってる人たちを見て、これは何か魅力があるに違いないって思って聴くようになった(笑)。

AL:僕が最初にダンス・ミュージックに触れたのは、若いときにロンドンのクラブやレイヴ・イヴェントに行ったとき。だから、僕にとってのダンス・ミュージックの音楽はそういう音楽だったんだ。バンドのみんなに出会ったときは、ちょうどファンクやソウルにハマりはじめたときだったと思う。僕らが作ってる音楽はそういった音楽とはちょっとちがうけど、好きな音楽ではあるから、自然と音に反映されることはあるんじゃないかな。

Undergrowth (Official Audio)

なるほど。特に “The Blades” などで電子音やシンセサイザーの奇妙な音がたくさん挿入されていますが、これはロジャー・ボルトンの参加とシンセのフェアライトCMIの使用の影響が大きいのでしょうか? 今回の電子音やシンセサイザーへのアプローチについて教えてください。

AL:いや、ロジャーは、電子音やシンセのクリエイションには特別関わってはいないよ。“The Blades” ではローリー(・ナンカイヴェル)がドラム・マシンのサウンドを作って、シンセは僕。あのトラックでフェアライトが使われてるかは確かじゃないけど、“Undergrowth” や “After the Flash” では使われてる。その他の曲でも使われているし、ちょっとしたフェアライトの宝がアルバム全体に隠されているんだ。毎回そうなんだけど、僕らはアルバムを作るたびに、できるだけ多くの種類のツールを集めようとするんだよね。今回は、制作過程で Digtakt(Elektron のドラム・マシン/サンプラー)の使い方がつかめてきて、Digtakt をたくさん使ったんじゃないかと思うんだけど、ローリーはどう思う?

LB:そのとおりだと思う。もちろん、いまもまだ学習中だけどね。あれってほんとに深くてさ。マスターするのに、あと数年はかかるんじゃないかと思う(笑)。


The Blades (Official Video)

ミニマリズムには、本当に素晴らしい瞑想的な性質があると思う。聴いたあとに得られる、独特の感覚があるよね。(……)今回のアルバムにも、いま作ってるアルバムにも、間違いなく影響を与えているはずだよ。(ボアレス)

佐藤優太さんが執筆した日本盤のライナーノーツで、オリーが「(自分たちの作品と社会とは)切り離している」と言っています。しかし、プレスリリースには、作品のテーマは「人と環境との関わり」、「切迫する環境問題、家庭という存在の役割の変化、長い間離れているときに感じる疎外感といった、僕たちが没頭するようになった物事の暗示が反映されている」とあります。私は音楽と社会や現実世界は無関係ではいられないと考えていますが、みなさんはどうですか?

AL:そのふたつは切り離すことはできないと思う。ただ、僕たちは意識してダイレクトに社会や現実社会について語ろうとしたり、音楽を使って直接的にそれに取り組もうとはしないというだけ。

LB:そうだね。意識したことはないし、逆に切り離そうと話しあったこともない。あまり歌詞や内容を断定しないほうが、より多くの人びとに音楽が届くと思うんだよね。でも、もちろん、自分たちが考えてることが自然と落としこまれるときもある。僕らだって世の中の状況にイライラすることはあるし、それが自然と音や歌詞に反映されることはあるんだ。

それに関連して、“After The Flash” のアウトロと “Green Light” のイントロに鳥の鳴き声のフィールド・レコーディングが挿入されています。これは、やはり気候変動問題を意識したものなのでしょうか?

LB:いや、それと気候変動は関係ないよ。音楽と関係なく、僕たちはみんな気候変動に関心はもっているけど、それが直接のメッセージではない。僕らは、自分たちの音楽でそういったことを伝えようとしてるわけじゃないんだ。フィールド・レコーディングを使ったのは、アントンがたまたま小さな Tascam か Zoom のレコーダーを持ってたから。ウィルトシャーのすごく美しい地域にいたっていうのもあって、それを使ったんだ。アントンって、元々かなりの鳥愛好家で、バード・ウォッチングが大好きでさ。その土地に生息する鳥の鳴き声を使ったおかげで、アルバムのなかに特別な空間を作り個性を持たせることができたのはすごくよかったと思う。

しつこく聞いてしまって申し訳ないのですが、気候変動、食料や資源の枯渇、人口の増加といった、人類が直面している喫緊の問題について、みなさんはどう考えていますか? そういった問題に直面しているいま、音楽にはどんなことができると思いますか?

LB:やっぱり、ギグで人びとを興奮させて、集団的な力を作り出すことかな。たとえば、気候変動のようなグローバルな問題に取り組むなら、やっぱり、なんらかの集団的な後押しが必要だと思う。人びとがお互いにつながってるって感じられることが大切だと思うんだ。音楽は、人びとにその感覚を与えることができると思う。少なくとも、それは僕が答えられる哲学的な答えのひとつだね。

昨年末から今年にかけて、ブラック・ミディやウェット・レッグ、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、アイルランドのフォンテインズ・D.C. などが来日しました。近い世代のバンドたちから受けるインスピレーションはありますか?

AL:同世代のバンドからインスピレーションをもらっているのは間違いないと思う。いちばんインスパイアされるのは、一緒にツアーしてる実験的なバンド(※2021年にツアーをした KEG やカプット(Kaputt)などのことだと思われる)。その理由は、前進して、進歩して、人びとからの期待という限界を押し広げることが音楽だと僕らは思っているから。

わかりました。今日はありがとうございました。

AL:こちらこそ、ありがとう。

LB:またね。

韓国ノワール その激情と成熟 - ele-king

人生の大切なことは韓国ノワールが教えてくれた──韓国ノワールの熱い世界とその歴史

いまや世界で評価される韓国映画、そのなかでも大きな一角を締めているのが「韓国ノワール」とよばれる犯罪映画の一群です。
「香港ノワール」のリメイクに挑戦したり、韓流スターが出演するなど独自に展開してきた韓国ノワールは、韓国映画の特徴である「容赦のない暴力描写」と「社会に対する批判的な視点」により年々クォリティを上げ、『新しき世界』でひとつの到達点に達したと言ってもいいでしょう。

K-POPや韓流ドラマも発展を遂げたが、そんな中で韓国ノワールはどのような進化を遂げてきたのか。
長年この分野に注目し、共著『韓国映画・ドラマ わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020』などでも知られる著者が韓国ノワールの主要作品を紹介し、その変遷を読み解いていきます。

まえがき
第一章 初期の名作
現在のノワールの原型を作った『友へ チング』(2001年)
なぜ原題は『黄海』なのか 延辺の朝鮮族を描いた『哀しき獣』(2010年)
美しさを「見せる」「正しき」ノワール『アジョシ』(2010年)

第二章 韓流×ノワール
若かりし日のイ・ビョンホンとファン・ジョンミンの熱が感じられる『甘い人生』(2005年)
むきだしの激しい感情だけがリアルなのか 『映画は映画だ』(2008年)
普通の会社員が実は殺し屋 発想の斬新さは今見ても健在 『ある会社員』(2012年)

第三章 香港映画のリメイク
ノワールに必要だったのは多様な顔ぶれか 『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』(2010年)
マルチキャスティングブームでブラッシュアップされた快作 『監視者たち』(2013年)
『毒戦 BELIEVER』(2018年)を見終わった後の余韻は『別れる決心』と似ていた

第四章 『新しき世界』前夜
ソン・ガンホの人間力にキュンとくる恋愛×ノワール 『青い塩』(2011年)
因果応報では解決しないリアルなノワールの夜明け 『生き残るための3つの取引』(2013年)
人間のかっこ悪さや滑稽さを、濃い面々で突き詰めた群像劇 『悪いやつら』(2012年)

第五章 力とは何か
あの頃、なぜ勧善懲悪が求められていたのか 『ベテラン』(2015年)
プライドを捨てて、権力に寄り添ったところで、誰も守ってはくれないことを学べ! 『ザ・キング』(2017年)
正義と復讐で結びついたふたりが巨大な悪を圧する『インサイダーズ/内部者たち』(2015年)

第六章 バイプレイヤーから主人公へ
これからという時期の俳優同士のぶつかりあいの記録 『最後まで行く』(2014年)
あのユ・ヘジンが凄腕の殺し屋の主人公に 『LUCK―KEY/ラッキー』(2016年)

第七章 女たちのノワール
母と娘、闇組織のボスと部下、ふたつの意味での継承の物語 『コインロッカーの女』(2015年)
〝力〟と〝感情〟を爆発させるパク・フンジョン作品の女性たち 『楽園の夜』(2020年)『The Witch 魔女』(2018年)
女性の怒りを描いた王道クライム・アクション 『ガール・コップス』(2019年)

第八章 感情のノワール
感傷的(メロウ)な感情に浸っていたい 『新しき世界』(2013年)
これはまぎれもなく愛のノワールだ 『名もなき野良犬の輪舞』(2017年)
まっとうな感覚が北と南のふたりを結ぶ 『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』(2018年)

第九章 歴史との並走
嫉妬心が人を破滅に向かわせる 『KCIA 南山の部長たち』(2020年)
金大中のよりよい未来を信じる諦めなさが今の韓国エンタメを築く元になったとわかる『キングメーカー 大統領を作った男』(2021年)

あとがき これからの韓国ノワールは……

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
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Memotone - ele-king

 今年2月に故ジョン・ハッセルのアナログ盤が2種類リリースされた。2014年に『City: Works Of Fiction (Expanded Edition)』としてオリジナル盤に追加されていたボーナス・トラックをそれぞれ2種類のアナログ盤として独立させたもので、1枚は『City~』(90)を録音したメンバーで前の年にNYで行われたライヴ(イーノがライヴ・ミックス)から「4thワールド」直系の曲を集めた『The Living City』、2枚目は『City~』がパブリック・エナミーの影響下でつくられたことに準じて同アルバムのデモや別テイクを使ってジョン・ハッセルがボム・スクウォッドやテオ・マセロよろしくダブやコラージュなどの再構築を試みた『Psychogeography』(『The Living City』と『Psychogeography』をカップリングしたCD『Further Fictions』も1週間後にリリース)。そう、ジョン・ハッセルはトランペット・ドローンによって60年代末に頭角を現したエレクトロニック・ミュージックの変革者で、基本的にはインドのラーガとエレクトロニック・ミュージックを結びつけた作風で知られるものの、フュージョン・ファンクを追求した『Earthquake Island』(78)やヒップホップを取り入れた『City~』、そして、ダブステップやジュークを意識した『Listening To Pictures』 (20)と、定期的にダンス・ミュージックとの交錯を続けた越境者でもあり続けた。とくに『Listening To Pictures』は亡くなる寸前のリリースにもかかわらず、そのような興味を持続させていたことに驚かされ、改めて彼の音楽的な意欲に打ちのめされた1枚でもあった。この根性というのか、気概というのか、ガッツにあふれた『Listening To Pictures』に対してダブステップの側からアンサーを返したのがブリストルのウィリアム・イエイツであり、彼のソロ10作目となる『How Was Your Life?』は『Listening To Pictures』の先に広がっていた景色をこれでもかと幻視する。サム・ゲンデル同様、以前からジョン・ハッセルを思わせるフレーズや効果を随所に散りばめてきたイエイツは『How Was Your Life?』であからさまにジョン・ハッセルを参照し、本歌取りに邁進する。とくに中盤の “Glow In The Dark ” から “Carved By The Moon” へと続く辺りは「いくらなんでもキコルがアスカすぎる」というか、『推しの子』が放送延期になるほど『テラスハウス』に似過ぎているというか。これはもはや『Listening To Pictures』の続編といっていいだろう(それこそ『どんな人生でしたか?』というアルバム・タイトルがジョン・ハッセルに向けられたものだと考えることも可能かもしれない)。

 2011年にダブステップでデビューし、〈Black Acre〉から3枚のアルバムをリリースしたイエイツはだんだんと作風をモダン・クラシカルに寄せ、ジャズにも手を広げるなど、時間をかけてボーズ・オブ・カナダのスモーカーズ・ヴァージョンへと移行していく。曲の題材も現実的な悲劇から空想的で抽象性の高いものに変わり、〈Black Acre〉からは最後の『The Rounded Room』(18)はとても幻想的、続いて東京の〈Diskotopia〉からとなった『Invisible Cities』(20)はダブステップの痕跡をオフ・ビートとして感じさせるなど、どこかサン・アロウを思わせるウエイトレス・サウンドに。ピアノとサックスを絡ませただけの “Cities and the Sky” が背後にグルーヴを隠し持っているように聞こえたり、それだけでもオリジナリティは確かなもので、少ない音で最大限の空間性を創出していく曲運びはさすがブリストルとしか。ウエイトレスというのはいってみればシンコペイテッド・アンビエント・ミュージックということで、普通に考えてクラブ・ミュージックがエレクトロアコースティックやニュー・エイジといったリヴァイヴァリスト・アンビエントにアゲインストしている状態といえ、その最大のスターが現在はロレイン・ジェイムズということになるだろう。イエイツのそれはフォーク・テイストを強くし、そのせいでエキゾチック・サウンドともオーヴァーラップしながら、インプロヴィゼーションとの親和性を高めているところが面白く、だからジョン・ハッセルを自在に呼び込めたということなのだろう。『Invisible Cities』のヴァリエーションを量産し、適度な実験を繰り返したカセットを4本挟んでアナログ・リリースでは3年ぶりとなる『How Was Your Life?』は、そして、〈Impatience〉からのリリース。和楽器でハウスをつくるホシナ・アニヴァーサリーことヨシノブ・ホシナによる『Hisyochi』をリリースした〈Impatience〉である。レーベルの選び方も抜群じゃないですか。

 オープニングはギター・ソロ。ランダムに、そして、トゲトゲしくブルースを叩きつけていく。まるでドゥルッティ・コラムがご機嫌を損ねているかのよう。続いていかにもロウファイなジャム・セッション。演奏をぶつけあっているのはドン・チェリーとスーサイドか。そう、まったくスウィングなんかさせてくれない。『The Rounded Room』や『Invisible Cities』にあふれていた桃源郷はもはやだいぶ過去のことらしい。ウエイトレスには戻らないのか。どんどん先へ行ってしまうのか。エコロジーを意識させる “Forest Zone ” はそれこそジョン・ハッセル版ダブステップ。エキゾチック・サウンドに聞こえてはいけないものがエキゾチック・サウンドに聞こえ始め、暗闇のなかを得体の知れないアート・ロックへと近づいていく。ジェニー・ヴァル・ミーツ・ヴィジブル・クロークス。そのまま未知への道はバリアリック・ネオ・フォークへと続く。『How Was Your Life?』は後半になるとハッセル色があからさまではなくなり、独自のサウンド・フォーマットへとひた走っていく。これまでに何度も試みられてきたミニマル・サウンドをさらにポリリズム化した “Canteen Sandwich” 。メビウス&プランクをアコースティックで聴いているような鬼のリピートが過ぎると、ついに桃源郷を凝縮した “Lonehead” へ。細かいエレクトリック・パーカッション(リズム・ギター?)にトランペット・ドローンと散発的なピアノが織りなす恩寵の時間。浮遊感はなく、地面ごと持ち上がっていく感じ。最後は隙間だらけの “Walking Backwards” 。ぽっかりとした空間が広がり、これがどうしてもフィッシュマンズに聞こえてしょうがない。2分49秒から入るギターが何度も僕を夏の野音に連れ去っていく。

Boris - ele-king

 去る4月末から1か月半にわたって欧州をツアー中のBoris。今週末マドリードのプリマヴェーラ・サウンドにて掉尾を飾る彼らだが、新たなニュースが届いている。
 Borisのキャリアにおいて重要な1枚に位置づけられる2002年の『Heavy Rocks』が、なんとジャック・ホワイト主宰のレーベル〈Third Man Records〉(最近はジーナ・バーチもリリース)よりリイシューされることになった。
 またこの再発を記念し、8月から10月にかけ、USオルタナの雄メルヴィンズとのダブル・ヘッドライナーとなるUSツアーも決定している。結成30年を超えて突き進むBoris、依然とどまるところを知らないようだ。

Boris 2002年の名作『Heavy Rocks』がThird Man Recordsからアナログ再発決定!MELVINSとの合同ツアーも開催!

Borisが2002年に発表した『Heavy Rocks』のオリジナル・リリースはBorisの本拠地である日本国内のみで流通し、世界中のリスナーが長らくこのアルバムのフィジカル・コピーを熱望していた。リリース当時、レコードのプレス作業中に工場で火災が発生しスタンパーが消失。そのためアルバムは何年もの間入手不可能となり、世界的なカルト・クラシックとなっていた。

Third Man Recordsから再発は8月18日にデジタル・リリース、9月8日にCDと2枚組LPで発売となる。

またこのリリースを記念し世界のヘヴィー・ロックを共に牽引してきた盟友であるMELVINSとの合同ツアーが開催される。
Borisは『Heavy Rocks』をMELVINSは『BULLHEAD』と共にそのキャリアの重要作を再現する。

Boris + Melvins, on tour:

August 24 Los Angeles, CA @ Belasco Theater
August 25 Pomona, CA @ Glass House
August 26 Fresno, CA @ Strummer’s
August 27 San Francisco, CA @ Great American Music Hall
August 28 San Francisco, CA @ Great American Music Hall
August 29 Petaluma, CA @ Mystic Theatre
August 31 Portland, OR @ Roseland Theater
September 1 Seattle, WA @ The Showbox
September 2 Spokane, WA @ Knitting Factory
September 3 Bozeman, MT @ The ELM
September 5 Fargo, ND @ The Hall at Fargo Brewing Company
September 6 Minneapolis, MN @ Varsity Theater
September 7 Milwaukee, WI @ The Rave II
September 8 Chicago, IL @ The Metro
September 9 St. Louis, MO @ Red Flag
September 11 Indianapolis, IN @ The Vogue
September 12 Grand Rapids, MI @ Pyramid Scheme
September 13 Detroit, MI @ St. Andrews Hall
September 14 Cleveland, OH @ Beachland Ballroom & Tavern
September 15 Pittsburgh, PA @ Roxian
September 16 Maspeth, NY @ DesertFest NYC
September 18 Albany, NY @ Empire Live
September 19 Boston, MA @ Paradise Rock Club
September 20 Bethlehem, PA @ MusicFest Cafe
September 21 Philadelphia, PA @ Brooklyn Bowl Philadelphia
September 22 Washington, DC @ The Howard Theatre
September 23 Virginia Beach, VA @ Elevation 27
September 24 Carrboro, NC @ Cat’s Cradle
September 26 Nashville, TN @ Brooklyn Bowl Nashville
September 27 Atlanta, GA @ Variety Playhouse
September 28 Savannah, GA @ District Live
September 29 Birmingham, AL @ Saturn
September 30 New Orleans, LA @ Tipitina’s
October 2 Houston, TX @ Warehouse Live - Studio
October 3 Austin, TX @ Mohawk
October 4 Dallas, TX @ Granada Theater
October 5 Oklahoma City, OK @ Beer City Music Hall
October 6 Tulsa, OK @ Cain’s Ballroom
October 7 Lawrence, KS @ The Bottleneck
October 9 Denver, CO @ Summit
October 11 Albuquerque, NM @ Sunshine Theater
October 13 Tempe, AZ @ Marquee Theatre
October 14 San Diego, CA @ House of Blues

Jam City - ele-king

 日曜日の朝6時過ぎの井の頭線や小田急線に乗って帰る途中の、電車の窓から差し込む日の光の眩しさは、年老いたいまでも忘れられないものだ。毎週末クラブに行くのが楽しくて楽しくて仕方がなかった日々を経験している人にはお馴染みの話だろう。あの奇妙な感覚は、安易に恍惚とは言いたくないほど恍惚と空虚さとのせめぎ合いのひとときだった……よなぁ〜、はぁ〜。ジャム・シティの新譜を聴いてぼくはあの感じを思い出した。深夜から朝方にかけての、都会の謎めいた集会で磨かれた香気。昨今の話題のダンス・アルバムがいろいろあるなかで、さり気なくエロティックでもある。アンダーグラウンドな感性からするとポップすぎるのだが、ジャム・シティの新作にはクラブ・カルチャーの夜の匂い、そしてエロティシズムが流し込まれている。

 昨年は、『クラシカル・カーヴス』がリリースから10年ということで曲が追加され再発された。これはもう、ジャム・シティのデビュー・アルバムにして2010年代の傑作のなかの1枚、グライム/ダブステップの異境を開拓し、デコンストラクテッド・クラブ(「脱構築クラブ」というマイクロ・ジャンル)に先鞭を付けた作品としてクラブ文化史には記録されている。じゃあだからといって本作『EFM』が、そのクローム状のマシン・ビートを引き継いでいるわけではない。ジャム・シティことジャック・レイサムは、自由人というか気紛れというか酔いどれ船というか、ダンスフロアを政治的抵抗の場と定義し、音楽それ自体は内省的で、インディ・ロック寄りのシンセ・ポップを試みた『Dream A Garden』を出しながら、その次作には、アンフェタミンと彼の混乱した生活が反映したグラム・ロック風のサイケデリア『Pillowland』を作ってみたり、確固たる自分のスタイルがあって、ある程度決まった方向に真っ直ぐ進むタイプではなく、その都度その都度進路を変えてみたりとか、清水エスパルスのことを知らないクセに髪をオレンジに染めてみたりとか、おそらくは自分に正直な根無し草タイプなのだろう。

 ここで少々脱線。デコンストラクテッド・クラブとはまさにそういうことを指す。シカゴ、デトロイト、バルチモア、ニュージャージー、ロンドン等々、その地域の特性が音楽を特徴づけてきたクラブ・ミュージックにおいて、具体的な場も党派性もない、ネット上から情報収集した雑食性に特徴を持つクラブ・ミュージック。『クラシカル・カーヴス』にはグライムもあればジャージー・クラブもハウスもあるし、ほかにもなんかある。
 また、人間不在のそのアートワークは、2010年代前半に脚光を浴びたOPNの『R Plus Seven』や一連のヴェイパーウェイヴとも共通する「non-place(非場所)」ないしは「場所の喪失」と呼ばれる感覚をも暗示していた。地域の匂いも人の匂いさえ感じないショッピングモールが「non-place」を象徴する場であり、今日のインターネット空間のアナロジーでもある。もうひとつ蛇足すると、デコンストラクテッド・クラブ(もしくはかつてのヴェイパーウェイヴ)が往々にしてディストピア・イメージを弄んだのは、地球温暖化から(日本だけではなく、西欧諸国においても中流家庭が減少した)政治経済にいたるまで、未来への失敗が明らかになったことにリンクしているだろう、というのが大方の解釈である。アーケイド・ファイアーの2007年の曲を思いだそう。「恐怖がぼくを動かし続ける/ それでも心臓の鼓動は遅く、ぼくの体はぼくをダンスから遠ざける檻のよう」。当時の若い世代が、ショッピングモールの見せかけだけの微笑みと健全さを破壊し歪ませたいと思ったとしても不思議ではない。「幽霊たちの時代」となった10年代の、これが初期衝動である。

 『クラシカル・カーヴス』のような革命的なアルバムは、若さゆえの恐いモノ知らずがあってこそ作れたと本人は回想しているが、それを思えば本作『EFM』は、曲それ自体の完成度を目指しつつ、クラバー以外にも聴いて欲しいという作者の意図が具現化された、外に向かっている作品だ。オープナーの “Touch Me” 、プリンス風のこの曲がアルバムの目指したところを象徴している。つまり、『EFM』はずいぶん耳障りがよく、バランスの取れたダンス・ポップ・アルバムである——ということで話を締めてもいいのだが、せっかくなのでもう少し突っ込んで書いてみると、“Touch Me” のベースにあるのはハウス・ミュージックで、 “Times Square” のラテン・パーカッションの入れ方もそうだが、80年代後半のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノをUKベースのフィルターに通しながらR&Bのセンスでポップにまとめ上げているという分析もできそうだ。ケレラのトラックを作っていた頃にくらべるとUKガラージ色は後退し、ハウス色が強調されているのは、ポップに突き抜けたR&B曲の “Wild n Sweet” やトランシーな“LLTB” にもはっきり表れている。ややレイヴィーな “Be Mine” のベースにはダブステップの記憶もあるが、『クラシカル・カーヴス』の壊れた感覚とは交わることのないメロディアスな展開で、4/4ビートながら適度にIDM的ギミックが入っている “Reface” から多幸感に満ちた滑らかな“LLTB” への流れは、なんというか、ちょっと愛の夏を思い出してしまうね、老兵は。いかんいかん。

 もうおわかりのように、ここには錯乱も政治もディストピアもない。“Tears at Midnight”のようなビートダウンした曲にもなかば感傷的な夜の生活の甘い陶酔と苦みがあって、“Redd St. Turbulence” のように具体的な「場所」にこだわった曲もある。ジャック・レイサムも今回は、特定の場面やそこにいた人間たちを思いながら曲を作ったというようなことをリリース・ノートのなかで言っているが、しかしまあ、この作品をひと言でまとめれば夜のファンタジーとなる。いま風のギミック(細かいエディットやピッチシフトされたヴォーカルなど)も交えながらのクオリティの高いアルバムになっているし、ダンスフロアの匂いやその艶めかしさを運んでくれるので、気分はダンスだ。10年代のエレクトロニック・ミュージックが見せた深淵から広がる暗闇のことは忘れて。

Lucy Railton & YPY - ele-king

 先週5月25日から明日6月3日まで、ある意味一年でもっとも過ごしやすいこの梅雨入り直前の季節(今日は台風だけれど)、東京ではエクスペリメンタルな音楽にフォーカスしたイヴェントが開催されている。先日ニュースでもお伝えした「MODE」がそれだ。複数の日にち・会場に分散されているそのなかでも、とくに観ておきたかったのがルーシー・レイルトンYPYビアトリス・ディロンの3組が一堂に会する5月30日の公演だった。会場は WALL&WALL。VENT としても知られている表参道のヴェニューである。

 先陣を切ったのはルーシー・レイルトン。〈PAN〉や〈Modern Love〉などからのリリースをつうじて徐々にその名を広めつつある、実験的なチェロ奏者だ。開始早々、フロッグ(持ち手部分の箱)から毛が外れた弓をぶんぶん振りまわしている。宙で弧を描く馬のしっぽ──うん、だいぶ変だ。この時点ではオーディエンスはフロアの半分を埋めるくらい。演出の一環として空調が切られている。漏れ聞こえてくるラウンジの雑談。この静寂を利用し彼女は、ときおり電子音も絡めつつ、通常のチェロからは想像もつかない音を奏でていく、というより鳴らしていく。エフェクターをかまし、オリヴァー・コーツのようなサイケデリアを轟かせる時間帯もあった。なるほど、〈Ideologic Organ〉から出たカリ・マローン&スティーヴン・オマリーとの最新作しかり、尖ったレーベルやアーティストが彼女のもとに集まってくる理由がわかるようなパフォーマンスだ。

 つづいて登場したのは日野浩志郎。バンド goat からソロ、オーケストラ・プロジェクトまで多岐にわたって活動している大阪のプロデューサーで、いうなればポスト・バトルズ的なことから現代音楽的なもの、クラブ・ミュージックまでこなせる唯一無二の才能だ(昨年末に出た KAKUHAN の素晴らしいアルバムも記憶に新しい)。
 今回の名義は YPY。エレキングでもたびたび取り上げてきたように、彼がエレクトロニック・ミュージックをやる際に用いる名前である。序盤はいくつかの電子音を控えめに鳴らすところからはじまり、次第にグルーヴが増大していく流れ。バンドからソロまで、日野の音楽を特徴づける最大の特徴といっても過言ではないズレ、ポリリズム、変拍子のようなリズムの実験がつぎつぎと繰り広げられていく。頭でっかちなひとがそれをやるとたいていの場合踊れなくなってしまうものだけれど、日野はダンスを忘れない。レイルトンのときは静かだったオーディエンスも、かなり身体を揺らしていたように思う。実験と快楽が同居した、圧倒的なパフォーマンスだった。半月後の goat のライヴも楽しみだが、2010年代日本が生んだこの最高の実験主義者のインタヴューを、7月5日発売の紙エレ最新号ではフィーチャーしている。ぜひそちらもチェックしてみてください。

 最後はビアトリス・ディロン。ラウンジやバーカウンターにたむろしていた人びとも、みなフロアへと消えていく。2020年、〈PAN〉からのブレイクスルー作『Workaround』が出た直後の来日公演がパンデミックにより中止になってしまって以来、ずっとライヴを観ることを楽しみにしていたのだけれど、どうしても外せない用事があったたため泣く泣くここで離脱(この日ビアトリス・ディロンを観ずに会場をあとにしたのはおそらくぼくくらいだろう)。無念ではあるものの、日野浩志郎の卓越した演奏を目撃することができただけでも十分お釣りのくるイヴェントだったと思う。

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