Shop Chart
1 |
2 |
||
---|---|---|---|
3 |
4 |
||
5 |
6 |
||
7 |
8 |
||
9 |
10 |
1 |
2 |
||
---|---|---|---|
3 |
4 |
||
5 |
6 |
||
7 |
8 |
||
9 |
10 |
大阪・中崎町NOONで2009年より毎年恒例となっている(2010年にはサマーワークショップも同場所で開催)ヤン富田ライヴ『Music Of Yann Tommita』を今年も開催します。2009年から恒例となった大阪での電子音楽家:ヤン富田 コンサート。数えること今回で5回目を迎えます。
大阪NOONならではの、4時間半から5時間にわたる充実したコンサートを是非お楽しみください。また、2009年に同場所で行なわれたライヴの様子は「YANN TOMITA A.S.L. SPACE AGENCY」と題したアート作品集にも収められている。
Music of Yann Tomita
2012-04-29 SUN. at.NOON
OPEN 18:00 START 19:00
前売り¥4,500 当日¥5,000
NOON 06-6373-4919 / MarginalRecords06-6541-0039
info@noon-web.com
https://shop.marginalrecords.net
2012 Audio Science Laboratory
チケット予約
info@noon-web.com
tuttle@marginalrecords.net
LIVE:ヤン富田
OPEN:18:00~
OPENING DJ :TUTTLE
18:30~THE SOUNDS OF AUDIO SCIENCE LABORATORY ARCHIVES
LIVE START:19:00
ここ数年お手伝いさせて頂いて、個人的には私がいつも思うことはひとつです。「ヤン富田が実践する電子音楽が聴きたい」ということに尽きるのです。毎年ご来場くださるオーディエンスの方々もそういう意識だと思います。
ここ数年で海外からも新旧含め、様々な電子音楽のレコードやCDが活発にリリースされるようになりました。日頃その海外からの音源を聴くことが仕事柄増え、扱うことも多くなりましたが、90年代から一貫して感じるヤン富田さんの行う「電子音楽」とは印象が違います。そこには60年代から氏が聴いてこられ、体感された膨大な音源の蓄積と経験、さらにアシッド・カルチャーやエキゾチック、モンド・ミュージック、80年代初期のHIPHOPの衝動も的確に捉えた希有な人物像から生まれる寛容性をもって、無邪気、意識的に創造するという領域に勇気をもって、踏み込んでいく姿が投影されていると感じるからなのです。人から与えられたスタイル、様式に自分を誤魔化して参加するのは簡単だし、ある種の逃避でもあり、安堵感もある。だが、普通に暮らしても先の見えない時代に突入したいま、そのような行動は新たな表現、考え方を模索しようと気付いている人達には必要ありません。ここに到底追いつけない、とんでもない先人がいます。されど氏の「電子音楽」にはいつも魅了され、勇気をもらうのです。
いや本当になかなかありませんから。
おかげ様で今回5回目の公演となります。アカデミックな領域を軽く飛び越えた圧倒的なヤン富田の個性溢れるLIVEを堪能して下さい。
(MarginalRecords:DJ TUTTLE a.k.a.MarginalMan)
ヤン富田
最先端の前衛音楽から誰もが口ずさめるポップ・ソングまでを包括する 希代の音楽家。音楽業界を中心に絶大なるフリークス(熱烈な支持者)を国内外に有す る。日本初のプロのスティール・ドラム奏者、日本で最初のヒップ・ホップ のプロデューサー、また音楽の研究機関、オーディオ・サイエンス・ラボを主宰する。近年(2006~8年)の作品として、書籍「フォーエバー・ヤン・ミュージック・ミーム 1」ヤン富田著(アスペクト刊)、そのサウンド・トラックとして「フォー エバー・ヤン・ミュージック・ミーム2」、国内外にカルトな人気を誇るDOOPEESの「ミュージック・ミーム3」、2007年には 「エビス・ザ・ホップ」CFでコーネリアスとの競演が話題となる。
2008年には、CD, DVD, BOOK からなるセット『変奏集』、電子音楽の講義とその演奏からなるドキュメンタリー、『サマー・ワークショップ・電子音楽篇』(DVDx2+BOOK)がある。2009年11月には、お台場の日本科学未来館に於いて「ヤン富田・コンサート」が開催された。また2009年冬期から2011年の展開として、アート作品集「YANN TOMITA A.S.L. SPACE AGENCY」(写真集、エッセイ、ライヴ・ドキュメンタリーCDx2からなる書籍、宇宙服のパジャマ、T-シャツ、キャップ、トランク・ケース、以上 TOKYO CULTUART by BEAMS) がある。
春のはじまりは楽しいライヴを観るのがいいに決まっている。野田編集長はノルウェーからキュートな女子がやって来たのにウキウキしていたようだが、僕はと言えば、アメリカの田舎からヒゲもじゃのおっさんたちが来たことにニヤニヤしていた。会場は埋まりきっていないものの、真面目なUSインディ好き......だけでなく、何だか妙にテンションの高い大人が集まってきていた。僕の周りにいた3、40代の酒が入った男女のグループが、フジロックにスティーブ・キモックが出演する話で盛り上がっている......と、別のグループの40代が話に参加しはじめる。僕は会話に加わりはしないが、そのわかりやすさに笑みを浮かべる。ここにいる誰もが、いまからステージで、情熱的で、豪快な演奏が繰り広げられることを知っている......。
暗転して現れたメンバーはジェケット姿で洒落た楽団風でありながら、長髪とヒゲのむさ苦しさは隠せていない。"ヴィクトリー・ダンス"の不穏なイントロからじわじわと熱を上げていく。「勝利の舞を見たいんだ/毎日の仕事の後で」、その通り! エレキがソロを歌い、バンドか狂おしくそれに答えれば、フロアからは叫び声が上がる。続く"サーキタル"の時点で、僕はもう笑いが止まらなくなっていた。巨体のドラマー、パトリックが力いっぱいドカドカとスネアを叩きまくる。日本の街を歩いていたら、獣と間違われても仕方ないだろう......。ギターのリフが繰り返され、やはり長髪でヒゲ面のジム・ジェームズがハイトーンでメランコリックなメロディを歌う......と、ドラムが加わり、視界が開ける。軽快にキーボードが加わり、フィルを繰り返すドラムは決して走らない。そしてメンバーが目配せすると、完璧なタイミングでアタックが叩きつけられる。その快感に身体を預けるだけでいい、すべてがそこでは開放されていく。僕はヒートテックのタイツを履いてきたことを後悔していた。
それから2時間強のあいだで起きた、細かいことを書いても仕方ないだろう。万単位の会場を端っこまで熱狂させるアメリカのジャム・バンドが、手加減することなく日本のステージで力いっぱい演奏したのだ。カントリー、ブルーズ、ハード・ロックにメタル、フォーク、ファンク、あるいはエレクトロニカや室内楽までを貪欲に取り込み、ダラダラしたジャムに持ち込むことなくそれらをエモーションの昂ぶりへと変換させていく。ジムの高い声はよく伸びて、耳から入って脳のなかに響く。抜きん出た演奏力で非常によくコントロールされているものの、音源で垣間見せる繊細さはライヴでは野性に獰猛に食い散らかされ、ラウドなギターが吼える。かと思えば、"スロウ・スロウ・チューン"、"ムーヴィン・アウェイ"といった穏やかなバラードではゆっくりとした時間が広がっていく。しかしそのスケールの大きさはどの曲も同じ。アメリカの田舎の大地が、そのまま宇宙まで繋がっているかのようだ。どこからこんなエネルギーがやってくるのかまったくわからないが、米国のジャム・バンド特有のワイルドさと大らかさが、そこではありったけ祝福されていた。オーディエンスを叫び声を上げ、あるいは思わずガッツポーズを取り、両の手を掲げてそれに応えた。
20分近くはやっていただろう燃えたぎるサイケデリック・ジャム"ドンダンテ"の狂乱は、バンドのあちこちのライヴを何十回と聴いてきたという超コア・ファンの友人をして「これまででいちばん凄かった」と言わしめるほどの極みを見せ、そして本編ラストはキラーの"ワン・ビッグ・ホリデイ"だ。エレキギターを髪の毛を振り乱して演奏する姿はやっぱり獣にしか見えない......が、バンドはそんなことお構いなしに爆発する。僕の隣の40代は「ぎゃー!」と叫んでいる。「俺たちは大いなる休暇を生きるんだ」......その溢れんばかりの生命力を、ロック・ミュージックへと変換させることへの迷いのなさ。
そう、マイ・モーニング・ジャケットのライヴは生きるためのエネルギーの爆発そのものだ。ライヴが終わってしまうと僕は次の日の仕事のことを忘れ、ビールを飲んでお好み焼きをたらふく食って、にやけた顔のまま帰った。(ただ、ジムの体調不良とはいえ、名古屋の公演中止はあまりにも残念だ。次はぜひ名古屋も宇宙に連れて行ってほしいと思う)
〈ワープ〉や〈オネスト・ジョンズ〉が関心を示した南アのクワイトやシャンガーンだけでなく、ハウス・ミュージックはアンゴラの伝統音楽とも結びつき、クドゥロと呼ばれるダンス・ミュージックも勢いを増している。先鞭をつけたのはフレデリック・ガリアーノや"サウンド・オブ・クドゥロ"でM.I.A.をフィーチャーした南アのブラカ・ソム・システマで、昨年はワールド・ミュージックに関心を示しつつあるスイスの〈メンタル・グルーヴ〉からジェス&クラッブルによるコンピレイション・アルバム『バツァク』もつくられた。コンパイラーのひとり、ジェスことジャン-セバスチャン・ベルナールはアレクシス・ル-タンと組んだヴィンテージ・ディスコの発掘シリーズ『スペース・オディティーズ』でも話題を呼んだことはまだ記憶に新しい(『バツァク』にはアフリカのプロデューサーだけが集められたわけではないようで、ヴェネズエラのダブステッパー、パチェンコの名前も散見できる。パチェンコはゴス-トラッドがはじめたダブステップのクラブ、〈バック・トゥ・チル〉に立ち上げから関わったDJ百窓と09年にスプリット・アルバムもリリースしている)。
愉快で奇怪で、聴く度に発見がある『バツァク』に"トリバリスモ"を提供していたバティーダ(スペイン語で「襲撃」)が、そして、デビュー・アルバムをリリース。これがまたとにかく能天気で、スエーニョ・ラティーノの〈DFC〉チームがアンデスのアタユアルパに続いて手掛けたコロンビアのラミレスや、最近だとバイリ・ファンキをストレートに思い出すにぎやかさ。つーか、ジュークもシャンガーンもクドゥロもどうしてこんなにテンポが速いのか。ナゾだ。適当な推測さえ思いつかない。
アフリカ・ベースではなく、アンゴラ系ポルトガル人のDJプーラ(Mpula)によるプロジェクトだからだろうか、音の抜き差しはいかにもDJ的で、やたらめったら電子音が飛び回り、クワイトやシャンガーンのような土着性はまったく認められない。それでもバティーダは、70年代のアンゴラ音楽をサンプリングするなど『バツァク』にまとめられたプロデューサーのなかでは伝統とのつながりを感じさせるタイプだそうで、アフリカのピッツブルかベースメント・ジャックスだといっても通りそうなのに、「運動的」な聴き方が好きな人にも多少は好まれているらしい。
そう、80年代にはイーノやデヴィッド・カニンガムに続けと、デヴィッド・バーン(ルアカ・バップ)やピーター・ゲイブリエル(リアル・ワールド)が相次いでワールド・ミュージックに接近していった頃、日本でも民俗音楽をワールド・ミュージックと言い換えて、パキスタンのヌスラット・アリ・ハーンやマリのサリフ・ケイタを聴くことが流行った時期が続いたことがある。しかし、その当時の聴き方はどうも「帝国主義に対抗して」とか「民衆の音楽」といった教条やアティテュードが先に立ち、僕は素直に耳を傾けられなかった。結果的にはサウンドデモと同じ経過を辿ったというか、レイヴ・カルチャーを通過したいまは、ただ単に快楽原則で音を振り分け、その上で興味が湧くことがあれば、そうした音楽の背景にも探りを入れてみたりする程度なので、まずはアシッド・ハウスやエイフェックス・ツインがぶちかましてくれたようなインパクトがあるかどうか。ワールド・ミュージックを聴く動機はそこしかない。クドゥロにしてもそこは同じだし、バティーダだってそれがなければ聴いていない。
〈オネスト・ジョンズ〉の共同出資者であるデーモン・アルバーンもコンゴでDRCミュージックを制作した後(なのか、並行してやっていたのか)、ロング・タイムのコラボレイターであるトニー・アレン及び飛行機のなかで意気投合したというレッド・ホット・チリ・ペパーズのフリーと新たなプロジェクトを発足。ファンク色の強いデビュー・アルバムを完成させた。トーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』のようにまるごとアフリカン・ファンクをコピーしてしまうようなことはなく、自然と出てきたリズムに任せてみたようで、なかにはエスニックでもなんでもない曲もあるし、むしろアフリカと西欧の距離感が素直に出た内容といえる(エリカ・バトゥなど客演にはアフリカ系が多い)。リズ・オルトラーニやM・ザラのように勝手な想像力でいい加減なアフリカン・ミュージックをつくり出す面白さももちろん、忘れてはいけないと思うし、それはそれで巧妙にやらなければならなくなるんだろうけれど(アメリカの言い訳にしか思えなかったリドリー・スコット監督『ブラック・ホークダウン』はともかくとして、フェルナンド・メイレレス監督『ナイロビの蜂』やジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督『ジョニー・マッドドッグ』のような映画を観てしまうと、バカな振りにも限界がある)、そのような強烈な思い込みのないところから(それこそ運動ではなく)はじまるアフリカン・ミュージックも悪くないものである。
ミックスはマーク・エルネストゥス。個人的には奇妙なインプロヴァイゼイションが楽しい"イクスティングイッシュト(鎮火)"のような曲をもっとやって欲しかった。
Daniel Rossen Silent Hour / Golden Mile Warp/ビート |
2012年は、ブルックリンの音楽が再び賑わいそうな気配だ。ザ・ナショナルやベイルートのメンバーと作り上げたシャロン・ヴァン・エッテンの素晴らしいアルバムが発表されたばかりだが、山ごもりして制作していると言われるダーティ・プロジェクターズのアルバムは新曲を聴く限り順調のようだし、アニマル・コレクティヴの新作も出るかもしれない。そして秋以降だという噂のグリズリー・ベアの新譜が揃えば、2009年のブルックリンの熱がぶり返すことだろう。
そんな季節を予兆するように、グリズリー・ベアのメンバーであり、デパートメント・オブ・イーグルスのダニエル・ロッセンから5曲入りのソロEP『サイレント・アワー/ゴールデン・マイル』が届いた。ピアノやギター、管弦楽器があくまで抑制を効かせて演奏される親密な室内楽であり、フォークとジャズと現代音楽の知的な交配でもあり、そこに含まれる、端正だが何かが歪んでいる不気味さ、エレガントさのなかの狂気、甘く妖しいサイケデリア......はグリズリー・ベアの音楽の魅惑そのものだ。ビーチ・ボーイズを日陰に連れて行ったような翳りを交えた柔らかいコーラス、センシティヴなメロディ、アコースティックの弦楽器や打楽器の余韻たっぷりの響き。その隙間にひたすら埋もれていきたくなる、あまりにも快楽的で優美な一枚だ。グリズリー・ベアはエド・ドロステのバンドでありつつも優れた音楽集団であり、なかでもロッセンの貢献がどれほど大きいかこれを聴くとよくわかる。
そして、これはロッセンが自分の内面に潜っていった記録でもある。内省的な問いかけは対話に置き換えられ、抑圧はムーディなサイケデリアとなり、最終的にそこからの開放が力強いリズムへと昇華されている。とくにラスト2曲、ダークでジャジーなピアノ・バラッド"セイント・ナッシング"から、甘美さを保ったまま荒々しくドラムとギターが躍動するエクスタティックな"ゴールデン・マイル"へ至るダイナミズムには目が覚めるようだ。自らの暗い感情や狂気が、そこでは美しい音楽に向けてぶちまけられている。ミュージシャンとしてのダニエル・ロッセンの自己救済のような過程を含みながら、このような聴き手を陶酔させる音楽が生み出されてしまうことに感嘆せずにはいられない。グリズリー・ベアの新作はとんでもないことになるだろう......が、それまではこのEPにひたすら酔っていたい。
なんだろうな、暗闇から自分を解き放つ瞬間のようなものなんだ。自分を悪循環の輪から解放させる勇気を見つけること。魔法の言葉が見つかればこの瞬間を美しい何かに変えられる気がするんだ。
■素晴らしいソロEP、聴きました。まず、このEPを出すまでの経緯について聞きたいのですが、グリズリー・ベアのツアーが終わってからはどのように過ごしていましたか? ここに収録された楽曲はいつ頃できたものなのでしょう?
DR:自分のための曲とグリズリー・ベアのデモにと考えた曲をいろいろレコーディングしたんだ。そのときはあんまり深く考えていなかったけど、結構ささっとできたんだよね。歌詞を書いてからレコーディングするまで1、2日しかかからなかったんだけど、そこからどうするか決めてなくてしばらく放置してたんだ。去年の秋頃、"セイント・ナッシング"のトラックを完成させてからこの5曲がうまくまとまっていると感じたんだ。そうなればもうプロジェクトと称してEPに出してしまおうと決めた。いままでやったことがなかったし、グリズリー・ベアのアルバムができるまで時間もあったからちょうど良かったんだ 。
■当初はグリズリー・ベアのニュー・アルバムのデモになる可能性もあったということですが、そうはならず、「これはダニエル・ロッセンの曲なんだ」と気づいたポイントはどこにあったのでしょう ?
DR:曲のほとんどを自分の手で作ったから、自分のものにしたかったのが大きい理由だな。何も変える必要はないと感じたし、曲のほとんどの基礎のパートをワン・テイクで録ったレコーディングの思い出もあったからね。その前の1、2 年間は独学でドラムやチェロを習ったりしたよ。自分の楽器のスキルを伸ばすのも楽しいし、今回のようにワンマンバンドとしてEPを出すのも面白いかなって思ったんだ。コラボで制作したトラックもあるけど、全部自分で演奏できたらどうなるか試したかったんだ。
■クリス・テイラーのキャントに刺激を受けた部分もありますか?
DR:うーん......直接影響されたわけじゃないけど、去年の秋までのブランクが長すぎたのがいちばんのきっかけかな。クリスは仕事、エドは旅をして時間を埋めていたけど僕は何も予定がなかった。このままぼーっとしてるか、自分でプロジェクトをスタートするかって選択を迫られた結果だったんだ。もともと落ち着きがない性格だから、じっと待っているなんてできないんだ(笑)。
■制作の過程で、グリズリー・ベアやデパートメント・オブ・イーグルスでのこれまでの経験ともっとも違った部分はどのようなものでしたか?
DR:まず全体の気軽さだね。完璧にしなければというプレッシャーもなかったし、とにかくやってみて、ひとりでレーベルに持っていったらそのままリリースが決まったんだ。とにかく全体的にトントン拍子で物事が進んだ。グリズリー・ベアだったら当然そんな風にはいかないね。人数や物事が多いほど責任も重くなるけど、ソロ・プロジェクトでライヴも必要なかったからとても簡単にことが進んだんだ。あれこれ考えずに自分の作品をリリースできるのもたまには気持ちがいいね。
■"セイント・ナッシング"はワン・テイクで録られたそうですが、そこにこだわったのはどうしてですか?
DR:ワン・テイクで録ったのは全部じゃなくピアノとヴォーカルのパートだったんだ。いちばんフレッシュな時に録りたかったから、書き上げてすぐレコーディングした。感情をもっとも込められるチャンスなんだよね。あの歌は11月にレコーディングして、イアンとクリスに1週間とか10日間でアレンジをかけてもらい、1月にはもう発表できたんだ。2ヶ月で作曲とレコーディングを完成させてリスナーに届けられるんなんて、すごいことなんだよ。あのスピードには非常に満足させられる物があった。普通だったら何ヶ月もミックスを繰り返し、宣伝とかもいろいろしてからようやくリスナーに届くのに。そのあいだずっと待っているのはつまらないし、音楽自体にも飽きてくるんだ。今回はフレッシュなままで世間に出せたのが嬉しかった。
■5曲を聴いた印象としては、とくにメロディやドラムの音色、サイケデリックなムードなど、グリズリー・ベアやデパートメント・オブ・イーグルスと共通するものを感じました。それだけバンドでのあなたの存在が大きいのだと改めて気づきましたが、これまでバンドでの自分での役割があるとすれば、それはどのようなものだと認識していましたか?
DR:ほとんどの場合はいつも似たような役割だけど、ときどき誰かとポジションを交代することもある。レコーディングをもっと楽しくするために毎回少しずつコラボできるパートを増やしているんだ。その方がもっとオープンな流れになるしね。僕は作詞をもっと提供したし、エドは新しいアイデアを色々出した。ふたりで色々試行錯誤したり、他のメンバーもパートを交換してみたりして、全員がしっくりくるまで新しい形を模索したんだ。
グリズリー・ベアのメンバーとしているときは、そのとき必要なパートがあればそれを引き受ける。たまにリズム担当を任されてアレンジや歌い方を気にしなくてもいいのも楽だね。その方がバラエティも広がるし、自分だったら考えもしないような演奏法をエドに提案されたり、仲間や自分自身の新たな面に気付かされるんだ。それがバンドでいることの醍醐味かな。
■いっぽうで、バンドのときよりも楽曲ごとに中心となる楽器の使い分けがはっきりしているように思いました。数多くの楽器をこなすあなたらしさが出ているように感じましたが、それぞれの曲で楽器の選択はどのようにしているのでしょうか?
DR:そこらへんにある楽器をとりあえず使ってみたのさ(笑)。ひとりでレコーディングしたときは、ドラムとベースとチェロとピアノだけ使ったよ。あまり深く考えずに自然に感じるものを選んだんだ。一人で作業をしていると、誰にもいちいち説明しなくていいから、とにかくやってみるんだ。アレンジのほとんどは直感でひらめきながら模索してやってみた。
クリス(・ノルト)とのアレンジは、とりあえずよさそうな雰囲気を出せる素材を探し当てるすごく楽しい、新しい作業だった。「ここは低い金管楽器みたいな音がほしい」とか、なんとなく感覚で提案したら本当にその演奏者が揃って実現したんだ。ずっとひとりで閉じこもって作業してた僕にとっては嬉しいことだったね。
作りたい音楽は大衆音楽から離れた場所にあると思うよ。ポップスではないんだ。自分が送りたい生活をこのまま送れたらそれでいいんだ。お金がたくさん欲しいわけじゃないし、メジャーでビッグになりたいとも思わない。
Daniel Rossen Silent Hour / Golden Mile Warp/ビート |
■歌詞についていくつか訊かせてください。自分の内面と向き合うような内容が目立ちますが、これはあなた自身のごく個人的な感情や感覚をモチーフにしたものなのでしょうか?
DR:歌詞のほとんどは自分のなかの不安や恐れを世界に向けた内容だ。それが文字通りの世界なのか、愛する人との関係の世界なのかは解釈の自由だけど。
■「you」とのとても親密な関係性が描かれていますが、この「you」があなたにとってどのような存在なのか説明していただけますか?
DR:正直、そういう言葉は自分自身に向けている場合が多いんだよ(笑)。他人に呼びかけている場合もあるけど、ほとんどの場合自分に宛てているね。自然にそんな歌詞になったんだ。
■"speak for me"、"speak to me"、そして"say the words"など対話によるコミュニケーションへの欲求がいくつかの曲で見受けられます。このことについては意識的でしたか?
DR:このEPには個人的な感情がたくさん込められてる。自分の体験を美化したような内容もあるし。
ダイレクトに話しかけているつもりではないけど、たしかにコミュニケーションを求めている内容だね。自分自身の体験を再現していたのかもしれない。人から離れてよく引きこもりがちになるんだけど、この数年間は音楽やツアーで忙しくて、ひとりになりたいと思う時期が長く続いた。自分の人生が世の中とどうつながっているのか、これから自分はどう進むのかって大きな葛藤があったんだ。もともと内面的な性格を一新したというか、自分の優れた部分を抜き取って作品にすることができた。
■最後のナンバー、"ゴールデン・マイル"はドラムのワイルドな響きが力強いナンバーですが、その最後で「言葉を放て、呪いを解け/心のなかで言葉を放て、大声で叫ぶ前に」という印象的なフレーズで締めくくられ、その「言葉」とは何か、リスナーに考えさせます。もちろん正解はないと思いますが、この「言葉」がどのようなものなのか説明することはできますか?
DR:自分が書いた歌詞を人にわかりやすく説明するのはあまり好きじゃないんだけど、ニューヨーク州の北にある自然に囲まれた田舎でEPの歌詞のほとんどを書いていた。個人的な悩みなどをいろいろ抱えていて頭がおかしくなりそうな時期だったけど、同時に圧倒されるぐらい美しい風景のなかにいたんだ。それまで抱えていた悩みや問題から解放されると同時に、この美しい世界のなかを絶えず動き続けながら、自分のなかの狂気を目の前の大自然に反映しようとしていたんだ。
質問の答としては、歌詞を何度も繰り返したりする変わったループが好きなんだ。「Say the words, break the spell (言葉を出そう、呪文を解こう)」ってとこは......なんだろうな、暗闇から自分を解き放つ瞬間のようなものなんだ。自分を悪循環の輪から解放させる勇気を見つけること。魔法の言葉が見つかればこの瞬間を美しい何かに変えられる気がするんだ。ある意味、それがこのEPのメッセージだ。美しい世界に囲まれているのにハマってしまった居心地の悪い場所から抜け出せる言葉を見つけよう。まわりの風景に幸せを感じ、自分のダークな部分をポジティヴなものに変える方法を見つけよう、って。
■この作品での体験は今後どのように生かされると思いますか?
DR:この体験を通してとっても前向きになれた。驚くほどいい結果が出たんだ。グリズリー・ベアのアルバムに取り組むためにも頭の整理ができたし、次のステップへの準備にもなった。実は1年ほど前、自分が何をしているのか分からなくなってもう音楽を辞めようかとさえ思った時期があったんだ。このEPを完成する事でずいぶん癒されたし、自信が持てた。自分は音楽を続けるべきなんだ、このままでいいんだって。グリズリー・ベアと活動を続けるための準備ができたんだ。
■昨年はボン・イヴェールやフリート・フォクシーズ、セイント・ヴィンセント、ベイルートなどのアルバムが高く評価されるだけではなく、人気を集めました。現在のアメリカではより音楽的なものに注目が集まっているように見えます。あなたやグリズリー・ベアにとっては喜ばしいことではないかと思うのですが、そんなかで、グリズリー・ベアがやるべきことはどのようなことだと、あなたは考えていますか?
DR:このバンドのメンバー全員に聞いたらそれぞれ違う答えが出てくるだろうけど、僕が作りたい音楽は大衆音楽から離れた場所にあると思うよ。ポップスではないんだよね。それに近い曲を出すこともあるけど、やっぱり違うよね......世間に受けられる音楽を創ろうとするより、自分のなかの不思議な音楽の世界を探るほうがずっといい。音楽のキャリアをこのまま続けることができて、自分の音楽を聴いてくれる人達が十分にいてくれて、自分が送りたい生活をこのまま送れたらそれでいいんだ。お金がたくさん欲しいわけじゃないし、メジャーでビッグになりたいとも思わない。そういう音楽を作りたいとも思わなければ、ミュージシャンとして作らなくてもいいんだ。
でも、メジャー・シーンで活躍している彼らはすごいと思うし、彼らの成功をすごく嬉しく思うよ。みんなとてもいいひとたちだし、音楽を大事にするミュージシャンだ。メジャー界が彼らの音楽に注目していることに希望を感じるよ。
■クリス・テイラーはプロデュースも手がけるようになっていますが、あなたが今後挑戦してみたいことはありますか?
DR:いつかこのEPをライヴで演奏できたらいいね。まずはグリズリー・ベアのアルバムを収録してからかな。本当にできたら嬉しいけど、その時のフィーリングにもよるね。必ずやらなければいけないことでもないから、上手くいきそうに見えて素材が十分揃ったら、ライヴで演奏したいね。
〈キャプチャード・トラックス〉のロゴをバシッとプリントされながら、いやそれであるからこそ、パッケージされている音が実際には圧倒的に日本的な情緒をたたえていたことに心を動かされた。いったいこの音を海外の人間がどんなふうに聴くのだろうか。無名の才能がブログ文化を通じて次々とフック・アップされる昨今、国も年齢も編成も知らずに音を聴く機会は増えたし、実際に海外のサイトがジェシー・ルインズに対しておこなったインタビューには「あなたがたは日本人か?」というような質問から始めるものもあったが、これとていまやめずらしいことではない。そうした流れにまきこまれるようにして輸出され、また逆輸入される運動において、ジェシー・ルインズはさながら木箱にオレンジとともに詰められてきたチェブラーシカのごと、日本訛りの正体不明な魅力としてさまざまな人の耳を惑わすのではないかと筆者はロマンチックに想像し期待している。
チルウェイヴや現在のUSインディ・シーンに同機する音楽性を東京周辺から抽出し、独自のカラーで存在感を示す〈コズ・ミー・ペイン〉の主宰として、また別名義のナイツ(https://cuzmepain.com/RELEASE.html)としても知られるサクマ・ノブユキことジェシー・ルインズのファーストEPが、先日シングルとともにUSの重要レーベル〈キャプチャード・トラックス〉からリリースされた。同レーベルのやってきたことは、レーベル・カラーとしてはっきりと打ち出されているように、ニューウェイヴやポスト・パンクとシューゲイズとのハイブリッドであり、参照点を80年代に置くバンドを多く輩出している。ジェシー・ルインズもダーク・ウェイヴの影響濃い音をしているが、それらを下敷きにしながらも非常に明るいアウトプットを持っており、そのことにも筆者はいたく共感した。
ナイツ名義で〈コズ・ミー・ペイン〉のコンピレーションに収録されていた"ケイティ"という美しい小品を耳にしたときに、すでにその感触があった。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインをチルウェイヴの感性で翻案するようなドリーム・ポップだが、重要なのは曲なかばから入ってくるまるで不器用なシンセサイザーのフレーズだ。そこに筆者が述べようとする「明るさ」の感覚のほぼすべてがある。単純で、あからさまで、音量のレベルも大きすぎる。16小節もつづく。だがそれをまったくけれんみのない手つき、態度でやってしまう無垢(それは完全に無自覚になされているわけでもない、だがあざとさではあり得ない、確信に内側からみたされた、パンダ・ベアやトロ・イ・モワやその他フォトディスコなど2000年代から2010年代へのスイッチ世代に顕著な感覚だ。)に、いまという時代のエートスを感じる。そのいっぽうで、あの旋律、鍵盤ハーモニカのように無遠慮で無邪気な、しかし強度にみちた旋律には他の国の人がやらないようなある濃密な日本くささがある。さきに日本的情緒などと雑な言い方をしてしまったが、そこにはわれわれはたしかにそれを知っているというような、ある時代の、ある肉感的な記憶を喚び起こすなにかが埋め込まれている。
本EPでは"ソフィア"や"ラスト・アンド・フェイム"のシンセ・リフにそうしたノスタルジーが刻まれている。基本線としては、シカゴのアリエルやシークレット・シャインの近作のように〈サラ〉の雰囲気を持ったドリーミーなノイズ・ポップ......しばらく前にネオ・シューゲイザーと呼ばれたようなバンド群や、マンハッタン・ラブ・スーサイズなどジーザス・アンド・メリーチェインの遺伝子たちのまわりを低空飛行しつつ、"アイ・ニュー・イット"や"シャッター・ザ・ジュエル"などでジョイ・ディヴィジョンなどダーク・ウェイヴをかすめ、場合によってはセーラムなどを通過しながらダーク・アンビエントやブラック・メタルにものびていきかねない芽を予感させるものになっていて、だからもちろん純邦楽的な要素ともフォークロア的な文脈とも無関係なのだが、あの旋律にふれればきっとなにか日本に生きて目にした具体的な風景や感傷を引き出されるのではないかと思う。筆者の場合、それは90年代の後半の情景である。田舎の高校生活、ルーズソックスとポケベル、夏服とニルヴァーナ、運動部ならば顧問の先生が運転するワゴンでは誰かが『スラムダンク』を読み、誰かがポータブルのMDプレーヤーでミッシェル・ガン・エレファントを聴いている。そうした自分の記憶が山本直樹や宮台真司を通過して再構成されたような、幻想の90年代ともいうべきあの空気の薄い時代の記憶がなぜかしらたちあがってくる。そのころ日本の社会がどん詰まってから、とくに明るい兆しなどないまま今日まで一直線だが、のんきなのかシニカルなのか、わりに屈託ない明るさを持った眠りの音楽(=チルウェイヴ)をわれわれはいま好んで聴いている。サクマ・ノブユキ氏は筆者とは同年輩だろうか? ジェシー・ルインズの音楽は、筆者にはそうした奇妙な明るさでもってこの10数年をしずかにながめ、弔う音であるようにも思われてくる。
野田努からある日突然メールがきた。彼からの連絡はいつも思いがけないタイミングで、思いがけない内容でやってくるものなのだ。しかも執筆を生業としてるのにメールはいつも素っ気なくて、最低限の文字数(そしてたいてい謎めいた)ことしか書いてない。
で、今回やってきたのはポール・マッカートニーの新譜についてどう思うかということだった。彼はよく知ってるのだ。僕がジョン・レノンの話ばかりするくせに、実はポールを聴いてることのほうが多いってことを。
野田氏と僕とのあいだには実は密かな取り決めがあって、それは毎年ジョン・レノンの命日の12月8日には、僕が彼の留守番電話に、その年いちばん、身近に感じるジョン・レノンの曲を残しておくというものだ。いったいどうしてそんなことをはじめたのかいまとなっては覚えていないけど、かれこれ10年ぐらい続いてるのではないだろうか。彼はほとんどの場合、そのメッセージについてコメントどころか返事もしないけど、実はちゃーんと聴いてくれていて、語らずともその 歌について思いを馳せ、そして僕同様ジョンのいる世界といない世界について考えていることはお見通しなのだ。
とポールのことを書くのにジョンの話からはじめたのは、ポールを語るには、ジョンと比べるのが一番てっとり早いからでしかない。
ジョン・レノンはいまや聖人とも言っていいぐらいのアイコンと化していて、彼の音楽や社会的な活動についてはもうあらためて語るまでもないのだけど、ビートルズ=ジョンというのは誤った考えだ。折よく、先日、われらが首相、野田総理大臣(野田努のことじゃなくて)がTPPへの参加を言い訳する際に、アメリカをジョン・レノンに日本をポールに例えたけれど、TPP問題参加の是非や野田総理の資質はさておき、そしてアメリカがジョン・レノンにあたるのかどう かもおいとくとして、ビートルズにおけるジョンとポールの立場と関係の理解という意味では間違っていない。
ジョンはポール無くしてはジョン・レノンになれなかったし、ポールもジョンなくしてはポールになれなかった。ついでに言えば、ジョージとリンゴがいなくてもビートルズは成立しなかったけど。
ジョンがビートルズを精神的な意味で牽引し、名曲をたくさん残していることは疑うまでもないことだけど、実際のところ、ビートルズにそれほど思い入れのない人でさえ知ってるような、誰にでも口ずさめるような曲を書いてるのはポールである。ファンなら誰でも知ってるように、ビートルズの楽曲でジョンかポールが作った曲は、デビュー契約時の取り決めで、たとえどちらかが一人で作った曲でもLennon/McCartney名義にすることになっていた(それがのちに揉める理由でもあるわけだ)。実際、初期のビートルズはふたりの共同作業で生まれた曲がほとんだが、中期以降はほぼそれぞれひとりで作曲するようになっていった。ひとりで書いた曲というのはそれぞれの個性が際立っているし、たいていの場合自分で書いた曲は自分で歌うから見分けるのもそれほど難しくない。当然、"イエスタデー"、"ヘイ・ジュード"、"レット・イット・ビー"などといったような往年のスタンダード・ナンバーはポールの手に よるものだ。ジョンも"オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ(愛こそはすべて)"とか、"ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー"、"アクロス・ザ・ユニヴァース"などのスタンダード級の曲を書いてるけど、実は興味深いことに、ポールのスタンダードが、どんなアレンジでも原曲の良さをそれほど損なわないのに対して、ジョンのカヴァー・ソングというのは原曲の良さがまったく伝わらないものがほとんどだ。
これはひとえに、作家性によるものだと思うけど、ジョン・レノンは人格や思想や生きざまが歌に直接投影されているがゆえに、そこにジョンの声が乗らないとそれが伝わってこないのだけどポールについて言えば、作家性は強くても、生理的なエモーションは別として精神的なあるいは思想的な(そもそもポールに思想と言えるものがあるとしてだが)背景が曲に投影されていないから誰の手にかかってもそれなりに聴こえるのだと思う。そしてその分、カヴァーする側にも自由に表現しやすくなるのだ。端的に言えば、楽曲、とくにメロディーがわかりやすい。奇をてらっていないのに独創的なポール節みたいのはアルバム『ヘルプ』のあたりには、もう完全に確立している。
Paul McCartney / Kissed On The Bottom ユニバーサル |
さてさて前置きが長くなった。問題作といわれているらしい、ポールが影響を受けたお気に入りのジャズ・スタンダードを集めた『キス・オン・ザ・ボトム (Kissed On The Bottom)』だが、結論から先に言うと、ポールの作品を追い続けてきた一ファンを標ぼうしてやまない僕がまず思ったのは「こりゃひどい!」だった。
天才ポール・マッカートニーといえど駄作はある。というか、良かったのは『フラワーズ・イン・ザ・ダート』までで、90年代に入ってからのポールはお手盛りの作品しか作らなくなっていったし、その手の作風は1980年発表の『マッカートニーll』までに書き尽くしてしまった感があるから、ファンのほうも 「ああ、これだったら○○のほうが良かった」、となってしまうのである。
こうやっていちおう世のなかに向かってポールについて語る以上、もういちど駄作と思っていた作品も全部聴きなおしてみたが、評価は変わらないとしても、ポールの駄作というのはあのポールだから駄作なのであって、そこら辺のミュージシャンの作品ならそこそこ上出来なクオリティのものがほとんどなことは付け加えておかなければいけないだろう。
しかし、今回の『キス・オン・ザ・ボトム』がひどいというのはちょっと意味が違う。
そもそもポールが歌うスタンダード・ナンバーっていうところが矛盾していて、このアルバムで歌われてるどの曲より、ポールの作ってきたいくつかの曲のほうがずっとスタンダードになってるからだ。それはいいとしても、このアルバムを聴いていて気付いたのは、ポールは自分の作曲した歌しか歌えない人なのだということだ。もちろん聴くに堪えないとかそういう話ではない。でも最高にキメてるときのポールの曲のようにはポールは他人が作った歌を歌えないということである。ポールのスタイルが確立する以前のビートルズ初期のカヴァー・ソングは別としてだが。
アマゾンでの『キス・オン・ザ・ボトム』のカスタマー・レヴューなんか読むと、僕よりもコアなポールのファンや、ジャズ・ヴォーカル愛好家たちのそれこそ真っ二つに分かれて賛否両論あるが、たしかにジャズの王道から外れているにしても、これがスティングあたりだったらこんなには叩かれないだろう。
僕はポールの声がジャズ向きかどうかということにはあまり興味がない。むしろ気になったのは、せめて90年代のポールならこんな安易なアルバムは出さなかっただろうということだ。自分も含めて、それほどコアなファンたちはまだポールに期待しているのだ。
たとえばポールは過去にジョンを意識してかオールディーズのロックナンバーのカヴァー・アルバムをリリースしている。このアルバムも良いとは言えないけど、まだ覇気はある。『キス・オン・ザ・ボトム』をダメにしてるのは安易な企画、眠気を誘う凡庸な演奏、そこは百歩譲るとしても、避けがたいのは、 ポールの声の老齢化だ。
そう老齢化。じつはここがいちばん気になった点だった。考えてみれば、ポールももう齢70の峠を越しているのだ。
ポールは作曲スタイル同様、いくつものヴォーカル・スタイルを持っていて、激しい曲を歌うときは"ヘルター・スケルター""ホワイ・ドント・ウィー・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード"で聴けるようなひずんだ割れたような声、もちろん"イエスタデー"や"マイ・ラヴ"を歌うときのような切なく甘い声、前述のオールディーズなどを歌うときの軽快なノリ、"カミング・アップ"などのプラスティックでちょっと壊れちゃった人の感じの声、そして彼の好きなデキシーランド・ジャズやラグタイム調の曲を歌うときのどこかおどけていて気取った調子のスタイル。これらはほとんどがビートルズ時代に確立してしまったものだけれど、ピークに達したのはウィングスの最後のアルバムとなった『バック・トゥ・ジ・エッグ』だろう。"ゲッティング・クローサー"のあの軽快でポップな調子、"オールド・サイアム・サー"でのキー限界寸前の終始シャウト気味の声、"アロウ・スルー・ミー"でのようなまるでボズ・スキャッグスばりのAOR調。『バック・トゥ・ジ・エッグ』 には『キス・オン・ザ・ボトム』のボーナス・トラックにも含まれている"ベイビーズ・リクエスト"の気だるげなラグタイムも収録されている。1979年当時シングルのB面でしかなかったこの隠れた名曲のリメイクを期待して『キス・オン・ザ・ボトム』を買ったコアな日本のファンがどれだけがっかりしたかは想像に難くない。
ホームラン・バッター並みにヒットを打ちまくる作曲家としての能力同様、シンガーとして変幻自在の球を投げる名ピッチャーでもある。いや、あったポールにいったい何が起こってしまったのか。
それは間違いなく老齢化だと思う。まずは以前のような高いキーが歌えなくなってしまったこと。それと声が意図的ではなく老化のために終始鼻にかかっていて、音抜けがしなくなってしまったこと。そしてもちろんパワーもなくなってしまったことなどなど。そしてそれを誰よりも本人がよりもわかってるから、あえて口ずさむようなスタイルで歌えるスタンダード・ナンバーばかりを集めたのではないだろうか。
ポールに何が起こったのか知りたいがために、ポールの作品をビートルズ解散直後の『マッカートニー』から時代順に現在に至るまで聴きなおしてみることにした。
ポールは20世紀後半から21世紀前半まではワールド・ツアーをしまくっていた。したがって、その時期はライヴ・アルバムが中心で、ツアー中だからどうしても声が荒れてしまうのは仕方ない。そして、それらの時期を経て出されたオリジナル・アルバム『ドライヴィング・レイン』から、明らかに声質の老齢化が見られる。高い声が抜けなくなり、つねに鼻にかかったような声になっている。声が鼻にかかるのは、そこだけ取れば味はあるのだけど、どうしても表現にヴァリエーションが出てこない。ギター一本で歌う老ブルース・シンガーだったらそれもありだが、ポールのように多種多様な音楽を作れるアーティストにとってはかなり厳しいものがあると言わざるをえない。
その傾向はその後に続くアルバムでもさらに顕著になり、今回の『キス・オン・ザ・ボトム』もポールの自作の曲よりも音域のレンジの狭いスタンダードナンバーを集めて歌ったとしか思えない。
そうは言ってももっとも危惧していた、ミューズの女神が去ってポールの音楽の才能そのものがなくなってしまったというわけではなさそうだ。なぜなら、直前に元キリング・ジョークのユースとの覆面ユニット、ザ・ファイアーマン名義による『エレクトリック・アーギュメンツ』では、1曲目から"ヘルター・スケルター"以来と言っていいハード・ロック調の曲、"ナッシング・トゥー・マッチ・ジャスト・アウト・オブ・サイト"が聴けるからだ。ビートルズ時代に、"ヘルター・スケルター"があれほど物議をかもした曲なのを考えると、自分が知るかぎり、同様の曲調で作曲してこなかったことが不思議にも思える。"ナッシング・トゥー・マッチ・ジャスト・アウト・オブ・サイト"ではフル・ヴォイスのシャウトを惜しげもなく開陳している。
ザ・ファイアーマン名義という匿名的なリリースをしてきたにも関わらず、ポールはこの作品では歌い、PVも制作し、制作風景まで公開している。顔出しすることになったのはいろんな事情があるだろうが、プロデューサーのユースがいくらアンダーグラウンドの傑物であってもポールがたどってきた世界とは商業的にも文化的にも社会的にも明らかにステージが違うそのふたりがスタジオのなかではまるで親同士のしがらみを気にしない近所の子供同士が戯れるように制作を楽しんでいた。
ユースもポールの声質の変化に気づいたかもしれない。そしてそれはポールの声の問題を補填しようと思ったのかもしれない。『エレクトリック・アーギュメンツ』でユースは、メジャー・レコード会社からリリースされるポールのソロ名義のアルバムでは決してあり得ないだろうオーヴァー・プロデュースをしている。それが理由かどうかはわからないが、この作品はユニバーサルからは発売されず、インディーからのリリースとなった。それが逆に功を奏して、ポール・マッカートニーの近年のどの作品にもなかったような斬新な切り口を見せてもいる。ユースが関わってきた、たとえばジ・オーブのアレックス・パターソンと制作をしているときのような。
もうひとつ気づいたことがある。ビートルズ解散以降、たまに傑作、あるいは傑作とはいえないまでも良質なソロ・アルバムを出した影には、いつも優れたプロデューサー、優れているだけではなくてポールの音楽の良き理解者がいることだ。ビートルズに音楽教育を施したと言ってもいいジョージ・マーティンはもちろんだが、ELOのジェフ・リン、エルヴィス・コステロもそうだ。彼らに共通してるのは、彼ら自身がポール・マッカートニーのファンでもあるということだ。
それはジョン・レノンとフィル・スペクターの関係とも違う。フィルはもちろん伝説のプロデューサーだが、ジョンの音楽性そのものに影響を与えているようには思えない。あくまでもジョンの曲をテクニカルにサポートしているという印象だ。むしろジョンがフィルの世界観を利用したというべきか。
いっぽうポールのほうは、その逆で良い演奏家が弾くと良く響く名器のように、プロデューサーがポール・マッカートニーという名器を演奏するイメージとでも言ったらいいだろうか。
ポールが1971年にIRA問題を嘆いて"Give Ireland Back To The Irish(アイルランドに平和を )"をリリースした際に、出自は忘れたがどこかの英紙のレヴューが書いた辛辣な一言。「ポール、君は物を考えなくていい。音楽だけ作ってろ」を思い出す。
残念なことだが、ポールの声が昔のように戻ることはないだろう。ヴォーカリストもアスリート同様、年齢による影響は免れようがない。加齢によって声帯は変化してしまうものである。自分の経験的な理解では、歌い続けていることを前提として、ヴォーカリストの声が円熟に達するのは、多少の差こそあれ20代後半から40代前半にかけてだと思う。つまり30代でピークに達するのだ。音域を保ちつつ、声帯も鍛えられ、パワーがありつつ安定もしているという状態だ。
微妙な話なのだが、これは自分がどういうタイプの声が好きか嫌いかの話ではなく一般論として考えた話だ。これをさっき引き合いに出した楽器で例えると製造後何年経っていて、どのくらいの湿度で、どんな場所で奏でるかというような話。さらにポールの場合は 念がいっていて「誰が」演奏するかによってその響きがぜんぜん違うということだ。
そう、それはポール・マッカートニーと呼ばれる名器なのだ。
と、ここで終われば、「ポールは物を考えなくていい」という前述の記事に同調していることになってしまう。今回の『キス・オン・ザ・ボトム』がきっかけで過去の作品を聴きなおして思い至った前述の私見は考えた末の結論だが、かと言ってポールが自主性のない操り人形だと思っているわけではまったくない。
むしろ言いたいのはポール・マッカートニーというアーティストはジョン・レノンとは対極的なアーティストであって、ジョンを思想家や活動家に例えるなら、ポールはマイスターであり発明家ある。思想や人生観を音楽に投影することはないが、ビートルズの中で音楽的な側面で時代を鋭敏に先取してきたのは常にポールであった。同時にビートルズで名声を勝ち得た後でさえ、現代音楽の作曲家ルイジ・ノーノに師事したことからも分かるように、歴史に対するアプローチもおろそかにしない。その結果として過去の文化を咀嚼しながら誰もが聴いたことのなかったものを、しかも大衆音楽という形で提示してきたのはポールである。それはビートルズ解散後のそれぞれの軌跡を追うことでより明確になる。ジョンが政治的な活動に没頭していく反面、音楽的な実験精神が薄れていくいっぽう、ポールは、好んでやまないデキシーランド・スタイルの音楽の源泉を探るためにアメリカ南部を訪れ、ウイングス時代の『ヴィーナス・アンド・マーズ』は、その直後に制作されている。そうして出来上がったものは、アメリカ南部をルーツとするフォーク・ミュージックとは似ても似つかないものだが、それこそがポールの偉大たる証拠なのだ。過去の文化を咀嚼しつつまったく違うものを作ってしまう。しかしそこには根深く歴史への敬意がこめられていることをひしひしと感じる。
その姿勢は近年も変わらず、ポール・マッカートニーとしてメインストリームでの制作をする傍らも、前出のザ・ファイアーマンや、近年はトゥイン・フリークス名義で自身の曲を全部マッシュ・アップさせる(だからメジャーに睨まれるのかもしれないが)などアンダー・グラウンドへのアプローチも忘れない。かと思えば、『リヴァプール・オラトリオ』のような交響曲まで手がける。
「無人島で一生暮らすとして持っていくものは?」みたいな質問をされるときは、僕はいつでも『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』と答えることにしている。理由は簡単で、そこにはビートルズに、つまりはポールに咀嚼された形での、有史以来の音楽の結晶があると思うからだ。そしてこのアルバムこそポールの作曲面での才能が完全に開花したときの作品なのである。
ポールは「考える人」ではないかもしれないが、「感じる」人である。それは彼個人のパーソナルな「感覚」のように見えながら、その実、歴史に根を張り、時代の風をいっぱい受け、マイスターの手によって産み出されたものなのだ。弘法も筆をあやまる。むしろだからこそ、どんな時でも次作への期待を抱かせ続けてやまない。往年のファンがどこまでもついていくのもそれが故だと思う。
ポール・マッカートニーという名の物語は、彼が生きている限り続くことを僕は信じたい。
ポール、あなたはスタンダードなんて歌わなくていい。スタンダードを作るのがあなたの仕事なんだから。
マイク・ガオとダイスケ・タナベのスプリットやDZA、古いところではオンラ&ケツアルのアナログ化にロボット・コッチ周辺など、話題のリリースが続くベルリン・ベースのヒップホップ・レーベルから10周年記念ボックス・セット。フィジカルはホワイト・ヴァイナル4枚組+ダウンロード14曲=46曲で、それらを一括して配信で買うと5400円も安くなる(......って、利益の分配は一体、どうなっているのだろう?)。
スクリームやフライング・ロータス以降、ヒップホップやブレイクビーツを扱ってきたレーベルがじわじわと変容しつつあるのは周知の通りで、いわゆるジャジーでコンシャスとか、そんな感じだった月の輪計画もダブステップやクラウド・ラップなども取り入れた総合的なビートを扱うレーベルへと完全脱皮(1年半前にリリースされた編集盤『ムーン・カムズ・クローサー』。勢いだけだったら、かつての〈ワープ〉や〈ニンジャ・チューン〉が企画したレーベル・コンピレイションに匹敵するドキュメントだといえる。
全体にどこか思慮深いというのか、それぞれのリリースでは明るく派手なところをアピールしているプロデューサーも示し合わせたように落ち着いた曲を提供し、そういう意味では、あくまでも「ジャジーでコンシャス」なレーベルを貫いているともいえる(明るい曲もあるけれど、なぜか暗い曲はない)。クリストフ・エル・トルエントやジャービタットが編み出すテクスチャーは実に良く練られていて、それこそ〈ワープ〉が「家で聴くテクノ・ミュージック」を構想した『アーティフィシアル・インテリジェンス』の21世紀モデルとでもいいたくなる。あるいはそれにモワックス『ヘッズ』を掛け合わせた感じとも。〈オール・シティ〉や〈ハイパーダブ〉からリリースされてもまったく不思議ではないというか。
レーベルの看板といえるロボット・コッチは振幅の激しいダブステップだけでなく、ジョン・ロビンソンとのロボット・ロビンソンを新たに結成し、かつてはハドソン・モーホークとタッグを組んでいたマイク・スロットもインドネシア系らしきディアネ・バディエをヴォーカルに迎えて、うっとりとするような桃源郷を創り出す。昨年末の「ホールド・オンEP」が大ヒットだったKRTSはやはりデトロイト・タッチを邁進し、順調にリリースを重ねている1000ネームスはもはや独特の境地。ステイトレスからキッドカネヴィルのソロ、ダブステップのメモトーンとスーシュが組んだメムーシュ、レイン・ドッグ、ロング・アーム、オムニット......あー、全部、紹介するのはさすがに面倒くさい。サブスタンシャルをフィーチャーしたシン(CYNE)など、〈ベータ・ボディーガ〉傘下ボタニカ・デル・ジバロとの付き合いも深いので、その辺りのエントリーもちらほら。
"ファイネスト・イーゴ"で注目のダイスケ・タナベのほかにはフランスでつくられた日本人ビート・メイカーの編集盤『日の出合唱団』にも収録されていたイチローもどこかギクシャクとした"カエデマツシマ"を提供。これは、もしか......しなくてもAV女優の松島かえでのことでしょうw(ダウンロード・セクションにはイナーサイエンスも)。ちなみにイチローのファースト・アルバムには"コバヤシ・ケイジュ"とか"タキガワ"といった固有名詞を使った曲名が多い。
オソロしいのは、半分ぐらいは新人じゃないのかなと思うんだけれど、完成度がまったく引けを取っていないことで、むしろ新しい発想のほうがいまは世に出やすく、明らかにいまはチャンスなのだろう。人気はあるのかもしれないけれど、Dデイ・ワンや40ウィンクスのほうが古く感じられてしまうのもそのせいだろう。
SXSW
@SXSW, Austin, Texsas,U.S.A.
Mar 13-18
3月下旬、僕はアメリカはオースティンで開催されたSXSWに初めて行った。高校生の頃から注目してきたイヴェントだったので、念願の初参加だったわけだが、僕が当時勝手に期待していたものとは違っていた。SXSWに見ていた自由は、僕が憧れていたときよりもかなり薄れている気がして、不完全な感じで終わってしまった。
SXSWは、海外の音楽関係者、音楽ファン(近年は映画/インタラクティヴアートもスタート)に向けてプロモーションをおこなう世界最大のコンベンション・フェスティヴァルとして知られているけれど、近年あまりにも規模が大きくなりすぎて、逆に自由な気風を損ねているように感じた。毎年参加してる日本人の方に話を伺ったときも、参加する必要性や需要が見えにくくなっているのことだ。早い話、関係者>ファン。この構図の差があまりにも開いている気がしたし、フェスティヴァルと謳っている以上、そのバランスの見極めって絶対大事だ(関係者が入り終わるまで一般の人は入れないというシステムなど)。旅行気分で参加するとたぶん損します!
僕がやっているイヴェント(BATTLLE AnD ROMANCE)はもともとSXSWのような、いろんなジャンルのアーティストが集まり、音楽に留まらず、アートやカルチャー、ファッション、そしてオーディエンスの音楽観をもクロスオーヴァーさせる自由度の高いイヴェントを目指して、かつ活気のない日本の音楽シーンとリスナーの現状を少しでも変えたいと思い立ち上げたので、もちろん細かい部分にフォーカスすれば参加したことによって新しい発見や得たものもたくさんあったように思える。
開催中、僕がとくに気になったのが、とにかくこっちは若い世代の参加者が多いことだ。その勢いの凄いこと(ヴェニューによってはパスを持ってなくても無料、しかもオールエイジで入れるところも数多くあった)。なかにはドラッグをやってただ騒いでるだけの連中も居たが、実際こんな時代に現実逃避したくないほうが希有だと思うし、日本のうじうじした若いリスナーよりは全然マシだと思った。
これはSXSWではないのだが、SXSW終了後、SANT ANAにあるTHE OBSERVATORYというヴェニュー(日本でいうWWWをもっと大きくしたような会場)で開かれた、〈BURGER RECORDS〉主催のイヴェント、BURGERAMA(WAVVES、OFF!、STRANGE BOYS、FIDLARなど出演)に行ったときにも強く思ったことで、とにかくこっちはイヴェントによってリスナーがあまり分散されない。やはり若い世代のリスナー中心で、お洒落な子から、ヤンキー、オタク、家族連れ、すべてがうまい具合に会場に集まっている。その光景を見て、リスナーとイヴェントの相互距離感のバランスの良さみたいなものや、純粋にイヴェントの質がいいのか、単純に環境の違いなのかなど深く考えさせられた。
僕のイヴェントは、とくに若い世代の子にたくさんライヴに来て欲しいという意図もある。音楽と同じで、若さにはそのときにしか出せない衝動や、そのときにしか許されない夢や希望がきっとある。そしてそのときに出会っておくべきもの、もちろん音楽がきっとあるし、僕のイヴェントがそういうひとつの方法や手段になればいいなーと勝手ながら思っている。
中学生の頃、ザ・ヴァインズの"ゲット・フリー"を聴いて僕の人生は大きく変わった。"ゲット・フリー"は、クレイグ・ニコルズという幼気な青年が荒々しく、しかしとても繊細に自由を求め叫んでいる。ニリヴァーナでもザ・ビートルズでもない。僕が当時求めていたものがザ・ヴァインズには備わっていた。中学といういちばん多感な時期に、ロックミュージックに出会えたことによって、大げさかもしれないけど、僕には信じるものが出来て、自分の価値観に広がりが生まれた、人生が豊かになったし、とにかく聴いていて毎日が楽しかった。音楽にはそういうパワーがある。音源で聴くよりもライヴはそのさらに何倍も良かったりする。僕はロック独特のグルーヴ感だとか、多幸感に魅了されてどんどん音楽やロックにのめり込んでいって、いろんな音楽に出会った。ザ・ストロークスやザ・ホワイト・ストライプス、ザ・リバティーンズなどのロックンロールイヴァイヴァルと言われたバンドはほとんど聴いた。アークティック・モンキーズ以降のイギリスのバンド・ブーム時なんかは、暇さえあればmyspaceを開いて、フレンドリストから新しいバンドを探した。
最近のロック・シーン、ことイギリスのロック・シーンに関しては活気がない状態が続いている。とても残念で仕方ない。SXSWの会場でイギリス出身のバンド、BITCHES(COMANECHI、BO NINGENなどを以前サポート)のギターのブレイクが僕との会話で言っていたのだけれど、「とにかくいまはイギリスから出たくて仕方ない、僕たちみたいなバンドに対するリアクションは酷いし、もうイギリスには何もないよ」と。
今回僕がアメリカで見れたシーンなんてほんのいち部なので大きなことは言えないが、僕がSXSWとこの期間に見たライヴのなかでとくに良かったのは、ZZZ'S、GAGAKIRISE(ともに日本のバンド)、あとはGIRLS、FIDLARくらいで、ジャパンナイトでZZZ'Sが見せてくれたロックンロールや、GAGAKIRISEのライヴのあの熱量は日本の音楽シーンに差し込んだ光だ。これはポジティヴな出来事だ。
日本のシーン全体を見渡せばもちろん不完全だけれど、それは逆に言えば当たり前のことで、TADZIOや、JESSE RUINS、THE EGGLEなど、ロックンロールを提示する側ではなく、むしろさせる場と環境がいまの日本にはもっと必要だ。そしてバンド(これはリスナーにも言えることなのだけれど)はひとつのコミュニティーに属さないでどんどん自分の敷居から外に出て行くべきだ。きっともっと面白いことが起こると思う。信じよう。先はたぶん明るい!
イーライ・ウォークスの取材が終わって、渋谷へダッシュ。山手通りでタクシーを拾い、道玄坂上で渋滞しているのでタクシーを飛び降りて坂を下り、そのままホテル街へ、エレヴェイターに駆け込み、受付までさらにまた50mダッシュ。こう見えても僕は中学時代は陸上部だったので快速なのである......などと自慢している場合ではない。お金を払っていると、ちょうど"ユース"(アルバムの1曲目)のギターのリフとコーラスが聴こえる。螺旋階段を下りて扉をあけてハイネケンを手にしながら目を前方にやる。満員の会場の向こう側のステージにはノルウェーからやって来た4人のキュートな女性が演奏している。すでに会場の1/3は踊っている。「来て良かった!」と思った。
そしてラジカは、最後まで幸せな気分にさせてくれた。決してうまい演奏ではないが、とくに目新しいことのないスカのビートで身体を揺らすことが、こんなにも気持ちが良いことだとあらためて感じた。なにせ彼女たちは見た目をきまっている。ツチャツチャツチャツチャと刻まれるギターとともにオーディエンスも大はしゃぎ。いいぞ、お姉さんビールをもう一杯! いや、すいません、「女を見たら女中と思うな」と叱らないでください。しかし、ラジカにはそんなことも許してくれそうな大らかさがあると、勝手に妄想する。まわりくどい説明はいらない。エクスキューズもいらない。男と女の痛々しいメロドラマもいらない。ビートがあって、コーラスがある。曲もこざっぱりしている。
ラジカを聴いているとなにゆえこうも嬉しくなるのか言えば、僕の場合は、自分がどこから来たのかを再認識するからなんだろう。それとも、より普遍的な、いわゆる"原点回帰"としての悦びがここにあるからなのだろうか。
しかし......いや、待てよ、一瞬、そう考えたところで戸惑いを感じる。ザ・スペシャルズの"必死さ"を思い出してしまう。彼女たちはたしかに素敵だが、この社会の醜悪さに敢然と立ち向かったポスト・パンク時代のスカ・バンドを思い出すと、ラジカからは反抗心といったものを感じない。これでいいのか......。まあまあまあ、いいじゃないですかと、写真家の小原になだめられる。これは娯楽なんですよ。まあ、たしかにそうだ。これは上等なポップ・ミュージックだ。いまはそれで充分。スカンジナヴィア半島のキュートな女性がカリブ海のリズムを刻んでいる、そして最後の最後には誰もが楽しそうに踊っている......。そうだ、難しいことは二木に任せておけばいいのだ。
ラジカはラジカについて言う。「ラジカっていうのは、知合いのアフリカ系の女の子の名前。なので、ノルウェー語ではなくアフリカの言葉だと思うわ」
メンバー4人はみんな幼なじみ?
「バンドのメンバーとは6歳のころから知合い。同じ学校だった。家も近所よ。15歳のころに4人でバンドを結成。昔から楽器を演奏できたというわけではなく、みなこのときからスタートして、バンドやりながら少しずつ上達していった感じ」
いまどきなぜバンドを?
「単純にカッコいいと思ったから。結成して3か月で初めてのライヴをやった。それ以来ずっと4人でやっている。たまにバンドに加わりたいという人もいたけど、楽器がヴァイオリンだったりとか、自分たちにはマッチしなかったり、あとは4人があまり仲良過ぎて、他の人が入り込めなかったりとか。とにかく4人で、まるで兄弟のように仲がいい。ボブ・ディラン、ビートルズ......地元ベルゲンのバンドなどのコピーからスタートして、でもすぐにオリジナルを作りはじめたわ」
ベルゲンの音楽シーンって?
「ベルゲンは小さな町なの。端から端まで30分くらいで歩いていけるほどのね。たいがいのライヴハウスも歩いていける。シーンも小さいから、ジャンルを超えてみなが団結している感じ。ライヴァルという感じはない。それでもスカンジナヴィアでもっとも影響力のある音楽シーンがあるわよ」
なんでスカを?
「きっかけはボブ・マーリー、最初はレゲエにハマったの。〈スタジオ・ワン〉とか昔のレゲエやスカを聴きはじめて、で、ツートーン――スペシャルズ、マッドネス、あるいはエルヴィス・コステロなんかを掘っていった。あと大きな影響としてはノルウェーのベルゲンのプログラム81というニューウェイヴ・バンドがあるの。メンバーの自宅の地下室で練習していたとき、たまたまこのバンドのレコードを親のコレクションから発見して、聴いて、衝撃を受けた。アルバムのタイトルも彼らのバンド名からとったのよ。自分たち1991年生まれなのでミックスさせて『プログラム91』ね。んー、同世代ではとくに気になるバンドはいないけど、アイスエイジは好きよ!」
ライヴが終わってからも、余韻に浸るため、しばらく飲んで(実はラジカのライヴの前にもそれなりに飲んできていたのだが)、そして帰り際にラジカのメンバーに「カラオケに行ったら"アナーキー・イン・ザ・UK"を歌ってくださいね」と言い残すと、小原と一緒に同じ通りにあるクラブ・エイジアの〈ブラック・テラー〉に行った。途中から記憶が曖昧となって、翌日気がついたときには家の床のうえで寝ていた......。やらかしちゃったようです。みなさん、すいませんでした!