「K A R Y Y N」と一致するもの

ATARI TEENAGE RIOT - ele-king

12年振りの新作『Is This Hyperreal?』を引っさげ元祖デジタル・ハードコア!ATARI TEENAGE RIOTが完全復活!フジロックでの来日を目前に控え、過去~現在~未来のアタリを最近新たに発見された秘蔵ライヴ映像と爆裂トークで完全徹底解剖!!!!!!!!!!
さらにアレック本人からのメッセージも上映!!!!!!!
モッシュ&ダイブの熱気を激震体感セヨ!!!!!!!!!!!!!

日時:2011年7月12日(火)OPEN 20:00 / START 20:30
会場:UPLINK FACTORY www.uplink.co.jp/factory/log/004039.php
料金:1000円(1ドリンク付)
内容:ATARI TEENAGE RIOT 秘蔵映像上映 & トークショー
上映映像:過去の秘蔵ライブ映像&PV、最新ライブ映像

トークショー出演者
2DD (Audio Active )
唐沢真佐子(ex.snoozer)
AKIRADEATH

アップリンク・ファクトリー
〒150-0042 東京都東京都渋谷区 宇田川町37-18トツネビル1F 03-6825-5502 uplink.co.jp
more info : https://goo.gl/3JtGL

Katy B - ele-king

 きざしは数年前からあった。最初に気がついたのはM.I.A.の『カラ』に収録された"XR2"だった。「1992年にあなたはどこにいた?」と、2007年のセカンド・アルバムで彼女は言っている。翌年にはゾンビーがすべてのトラックを1992年当時の機材によって作ったアルバム『Where Were U In '92?』をアクトレスのレーベルからリリースしている(インナーでは当時のレイヴ・トラックメイカーたちへの敬意を表している)。そして今年はフレンドリー・ファイアーズのセカンド・アルバム『パラ』だ。セカンド・サマー・オブ・ラヴ・リヴァイヴァルは――そこには残念ながらサード・サマー・オブ・ラヴという言葉はない――本気だ。この秋には、先日このサイトでインタヴューがアップされたテリー・ファーレイが音楽を監修するレイヴ映画『ウィークエンダー』が公開される。UKではあの時代が見直されているのだ。良いことだと思う。我々は、ダンス・ミュージックを通じて人が集まることの大切さを学んだ。集まればそこに公共空間が生まれた。それがこの文化のもっとも重要な点だった。

 まあそんなわけで、ダンス・ミュージックが蒸し返しているUKでは、ポップ・フィールドにおいてもその影響が出ているのは周知の通り。21歳のキャサリーン・ブライアン、ケイティ・Bを名乗る彼女は現代のレイヴ・ディーヴァ、ダブステップ世代のポップスターである。
 が、たとえばザ・KLFの"3AMイターナル"の、あるいはゴールディーの"インナー・シティ・ライフ"のヴォーカリストの名前を覚えている人はいるだろうか。"グッド・ライフ"のヴォーカリストの名前すら忘れられているかもしれない。レイヴ・ミュージックにおいてヴォーカル・パートはだいたい匿名的か、へたしたら消耗品だ。それは理にかなった話で、レイヴとはステージよりもダンスフロアが主役だったからだ。
 そういうわけで、ケイティ・Bはむしろ古典的なディスコ・ディーヴァに近いと言えるのかもしれない。ドナ・サマーからロレッタ・ハロウェイといった昔ながらのダンス系シンガーの系譜で、しかしまあ、そのプロダクションをかためているのがベンガやジンク、ジーニアスやスクリームといったUKのダブステップ/ハウス/ガラージ/ファンキーの売れっ子プロデューサー連中になっただけとも言えるのだが、アルバム・タイトルが言うように、彼女は自分の"任務"というものをよく理解している。とにもかくにも「踊らせるわよ」という任務に忠実なのだ。
 目的がはっきりしている潔さはこの音楽に勢いを与え、本当に魅力的なものにしている。歯切れが良いし、彼女が欧米で好かれる理由も理解できる。換言すれば、彼女はレイヴ・ディーヴァのように個性を失うことなく歌う、ポスト・レイヴ・ディーヴァだとも言えよう。

 ケイティ・Bはタワーレコード新宿店でも売れていると、売り場の方は言っていた。ヴォーカルの歌メロはR&Bそのものだが、バックトラックがガラージやファンキーというだけでもずいぶんと印象が変わるもので、とにかく新鮮なポップスに聴こえる。「いいねー!」と思わず手を叩きたくなる感じだ。そういえば、ちょうど数週間前にマンションの前の道路を暴走族が彼女が歌う"パーフェクト・ストレンジャー"を爆音でかけながら猛スピードで走っていたが、気持ちは痛いほどわかる。これはまさに飛ばしたくなるような曲だ。
 "パーフェクト・ストレンジャー"は、周知のようにマグネティック・マン(ベンガ+スクリーム+アートワークによるスーパー・グループ)がはなった大ヒット・シングルだが、曲で歌っているのはケイティ・Bなので、彼女のこのデビュー・アルバムにも収録されている。同じように昨年先行リリースされた"ライト・オン"にはミズ・ダイナマイトのファスト・ラップがフィーチャーされている。"パーフェクト・ストレンジャー"が暴走的な爽快感のある曲なら、こちらはふたりの女性の"強さ"を見せつけられるような、見事なまでにキャッチーな曲だ。
 アルバムで多くのプロダクションを作っているジーニアスは、UKガラージ/UKファンキーのプロデューサーとして10年のキャリアを持っている実力者で、彼はクラブ通いのポップ・アルバムに見事な起伏を付けている。ベンガは4つ打ちのキックドラムの入ったポップ・レイヴを手掛け、ジンクはファンキー調の曲とクラック・ハウス調の2曲を提供している。アルバムの最後に収録された"ハード・トゥ・ゲット"は"パーフェクト・ストレンジャー"とともに、もっとも激しくレイヴを訴える曲だが、同時にケイティ・Bの"明日"を予感させる素晴らしい曲だ(キーボードを弾いているのは、日本人プロデューサーのマコト)。曲の最後で彼女は半分笑いながらアルバムの参加者たちの名前を呼んでいる。そのリラックスした感じもまた、大物ぶりを思わせる。

Chart by UNION 2011.07.02 - ele-king

Shop Chart


1

VARIOUS ARTISTS

VARIOUS ARTISTS Composure Ambient Techno for Japan MUSIC 4 YOUR LEGS / JPN »COMMENT GET MUSIC
アンダーグラウンドな野外フェスティバルとしてパーティーフリークから絶大な支持を得ている「ラビリンス」を主催するオーガナイズチームMindgames監修の復興チャリティ・アンビエント2CDコンピ『Composure Ambient Techno for Japan』。そのLABYRINTHと縁の深いPeter Van Hoesen、Sandwell District、Mike Parker、Alex Smoke、Minilogue、Koss、 Donato Dozzy、Rod Modell、Janah Sharp & Fred P、Cobblestone Jazz等が参加、音楽を通じリスナーの心を癒してくれる。製作に当たってアーチストは楽曲を無償で提供、言い換えれば印税が全額寄付に当てられるという点も特筆すべき点だ。

2

DOC SEVERINSEN

DOC SEVERINSEN Be With You/ You Put The Shine On Me (DJ Harvey 12inch Cuts) PACIFIC BEACH / US »COMMENT GET MUSIC
レーベルサイト限定販売だった1枚、ラストストックを確保!トランペット奏者Doc Severinsenが1976年にリリースしたアルバム「Night Journey」に収録される"I Wanna Be With You"と、"You Put The Shine On Me"をHraveyがリエディットした話題の1枚が限定入荷!!印象的なカッティングギターにファンキーなトランペットが鳴らしたブギートラックA-1"Be With You"、荒々しく鳴らされるトランペット、ストリングス挿入、スリリングに進行するB-1"You Put The Shine On Me"。Harvey本人も来日時にプレイしたという、とにかく話題の1枚!!

3

VLADISLAV DELAY

VLADISLAV DELAY Latoma EP (Villalobos Mix) ECHOCORD / DEN »COMMENT GET MUSIC
出たVILLALOBOS リミックス! デンマークのミニマルダブ最高峰・ECHOCORDにシーンのパイオニアの一人であるVLADISLAV DELAYが初登場! しかもVILLALOBOS & MAX LODERBAUERのリミックスを収録! グリッチノイズとアンビエンス漂うレイヤードシンセのせめぎ合いは鳥肌モノ! ダブテクノの新次元を提示した1枚!

4

HARVEY PRESENTS LOCUSSOLUS

HARVEY PRESENTS LOCUSSOLUS Locussolus (国内仕様盤) INTERNATIONAL EFEL / URG »COMMENT GET MUSIC
IFEELからの先行シングルも大きな話題となり遂に迎えたDJ HARVEYの新プロジェクトLOCUSSOLUS 待望の1stアルバム!長いキャリアの中でこれまでに触れてきた膨大な音、ジャンルを越えたダンス・クラシックス、ハウス~バレアリック、それらを現在のクラブシーンの音へと繋ぎ合わせることで、想像をはるかに超えたサウンド・フォルムへと仕上がった!

5

V.A.(MOODYMANN,JUAN ATKINS,ALTON MILLER,ABACUS)

V.A.(MOODYMANN,JUAN ATKINS,ALTON MILLER,ABACUS) Music Institute Pt 3 NDATL MUZIK / US »COMMENT GET MUSIC
MoodymannことKenny Dixon Jr.、デトロイトテクノ創始者の一人Juan Atkins、デトロイトハウスの重鎮Alton Miller、そしてミシガン湖を挟んだカナダより古くから交流のあるAbacusの4アーチストが大名曲Alexander Robotnick - Problemes D'AmourをRe-Touch!!『限定盤』につきお早めにチェックを!

6

ALESSANDRO NOVAGA

ALESSANDRO NOVAGA Faces Drums WHITE / US »COMMENT GET MUSIC
イタリア人プロデューサーAlessandro NovagaによるDJ ツール「Faces Drums」が再発!!80'sイタロ・ディスコ/シカゴ・クラシックStoppの"I'm Hungry"をプロデュースしたことでも有名なAlessandro Novaga。DJ RahaanがエディットしたJesse Saundersの"On & On"での印象的なループパートにも使用された、Ron Hardy、Frankie Knucklesらがプレイした中毒性の高いループ集「Faces Drums」がピクチャースリーヴ仕様で再発。For DJ Use Only!!!!

7

JENIFA MAYANJA

JENIFA MAYANJA Woman Walking In The Shadows BU-MAKO / US »COMMENT GET MUSIC
US UNDERGROUND HOUSEの雄DJ JUS-EDのパートナーであり自身のレーベルBU-MAKOも絶好調のJENIFA MAYANJAニューアルバム!!そのサウンドは現在のフロアのトレンドを感じさせつつも、その域にとどまらない90年代の良きディープ~アフロ~ジャズ~スピリチュアルなハウスの要素を抽出、ミニマルやデトロイトハウスそしてレフトフィールドといったそれぞれかけ離れたジャンルの中心に音を置くことで無二のダンストラックを奏でている。またそれぞれの楽曲の個性、完成度においても彼女が今まさにピークを迎えつつあることが感じ取れるだろう。

8

GREG GOW

GREG GOW Twilight Soul EP TRANSMAT / US »COMMENT GET MUSIC
2009年再始動したTRANSMATの幕開けを飾ったGREG GOWが再び登場! 往年のデトロイト・テクノを彷彿とさせるエモーショナルな分厚いシンセと切れのあるモダンなビート・プログラミングが融合した新たなTRANSMATクラシックが誕生!

9

TEVO HOWARD

TEVO HOWARD Crystal Republic HOUR HOUSE IS YOUR RUSH / NED »COMMENT GET MUSIC
ラリー・ハードに次ぐ存在として早くから注目されていたシカゴ新世代!日本でもブレイク必至の逸材Tevo Howord待望の1stアルバム!Rick Howardを父に持ち、親子でシカゴからハウスミュージックを送り続けるTevo Howardがいよいよアルバムをリリースする。Tevo Howardの魅力はシカゴネイティヴならではのリアルなハウスミュージック感。80年代のシカゴハウスの流れを継ぐウェアハウス/ボックストラックからアシッドハウス、はたまたLarry Heardのような繊細で可憐な音使い.....それらシカゴハウスの魅力を持ち合わせているのが彼なのだ。シンセの音は彼の感情そのまま表したかのようにエモーショナル、かつての模倣でも焼き直しでもなく彼自身の音世界を作り上げたトラックはどれもが「ツール」の域に収まらないドラマティックなヴァイヴをリスナーに伝えてくれる。

10

JOHN BELTRAN

JOHN BELTRAN Ambient Selections DELSIN / NED »COMMENT GET MUSIC
CARL CRAIGのRETROACTIVEからデビューを果たし、「EARTH & NIGHTFALL」(R&S)や「TEN DAYS OF BLUE」(PEACEFROG)、PLACID ANGELS名義の「CRY」など90年代前半~中盤にかけて粒揃いの傑作アルバムを発表、デトロイト・テクノ・ファンを中心に今な熱烈な支持者の多いベテラン・JOHN BELTRANによる"アンビエント"・ベストがオランダの名門・DELSINから登場!珠玉のアンビエント・トラックがずらりと並ぶ全16曲・・・まさにエヴァーグリーンと呼ぶに相応しいクオリティーの高さにリスナーは脱帽するしかないだろう。

Chart by TRASMUNDO 2011.07.02 - ele-king

Shop Chart


1

DJ HOLIDAY

DJ HOLIDAY 『FREE BLONDIE THE ORANGE BOX CUTTER』 »COMMENT GET MUSIC

2

V.A

V.A 『THE METHOD』 TOKAI DOPENESS / »COMMENT GET MUSIC

3

TONOSAPIENS

TONOSAPIENS 『PRESIDENTS HEIGHTS FUNK vol.1』 »COMMENT GET MUSIC

4

Febb vs ADAMS CAMP

Febb vs ADAMS CAMP 『FLIPPED SHIT Enter the Vo.Ku.remix EP』 »COMMENT GET MUSIC

5

BLACK RAIN A.K.A KILLER-BONG

BLACK RAIN A.K.A KILLER-BONG 『BLACK BIRF BASE』 »COMMENT GET MUSIC

6

UNIVERSAL INDIANN

UNIVERSAL INDIANN 『Light My Fire』 »COMMENT GET MUSIC

7

$perb boogie

$perb boogie 『Replacement Killa EP』 »COMMENT GET MUSIC

8

GUILTY.C

GUILTY.C 『BOTTOM DOWN』 »COMMENT GET MUSIC

9

QROIX

QROIX 『MUZIK MAKES ME FLY』 »COMMENT GET MUSIC

10

IMG

IMG 『jewel of ear』 »COMMENT GET MUSIC

 重たい一撃がお好きな方に、ZETTAI-MUからのダビーなお知らせです。
 UK最大のダブの祭典『UNIVERSITY OF DUB』をはじめ『SUBDUB』『Exodus』などのレジテンツを務めるヨーロッパ・トップのルーツ&カルチャー&ダブ・サウンドシステム、アイレイション・ステッパーズ(IRATION STEPPAS)が今年も来日!
 9月にクロアチアで開催されるヨーロッパ最大のベース・ミュージック&サウンドシステム・カルチャーの祭典〈OUTLOOK FESTIVAL〉のジャパン・ローンチ・パーティとして、首謀者エクソダス(EXODUS)も来日決定!

::Cast::
IRATION STEPPAS (SUB DUB from Leeds.UK)
KURANAKA 1945 (Zettai-Mu.JP)
EXODUS(OUTLOOK FESTIVAL / EXODUS from Leeds.UK)

@ sunsui
Info tel: 06-6243-3641(sunsui)
ADDRESS: 大阪市中央区東心斎橋1-12-20
心斎橋シキシマビル B1F
WEB SITE : https://www.sunsui.net/

OPEN/START. 20:00 - CLOSE 24:00

● ADV. ¥1,800YEN (1ドリンクチャージ別途500円)
● W/Fryer. ¥2,100YEN (1ドリンクチャージ別途500円)
● DOOR. ¥2,300YEN (1ドリンクチャージ別途500円)

★ 前売りチケットは"ZETTAI-MUWEBSITE"および "sunsuimart"でのみ購入頂けます。

https://www.zettai-mu.net/news/1107/0710_sunsui/0710_sunsui.html


★アイレイション・ステッパーズ(IRATION STEPPAS)

 IRATION STEPPASは UK最大のDubの祭典『UNIVERSITY OF DUB』のレジテンツをABA SHANTI-Iなどとともに務めるイギリスおよびヨーロッパでトップのNew Roots Reggae、Dubのサウンドシステムである。Mark IrationとDennis Rooticalの運命的な出会い以来「Scud Missile」「Killamanjaro」のキラー・チューンをはじめさまざまなレーベルから数多くのビッグ・チューンをリリース、世界中のサウンドシステムにおいてヘヴィ-・プレイされている。
 また「Kitachi」の変名でIRATION=DUBを護るかのようにアブストラクトな作品を『REACT』よりリリースし、UKインディーズ・チャートにおいてスマッシュ・ヒットを出している。彼等の分厚いヒストリーの中でも近 年 彼等が主催する『SubDub』と『Exodus』のふたつのダンスは、Horace Andy、Johnny Clark、Zion Train、Vibronics、Adrian Sherwood、Dread Zone、Twincle Brothers、Scientist、Mad Professor、Lee Scratch Perryなどの数多くの素晴らしいアーティストを迎える New Roots Reggaのダンスの頂きとなっており、かたや Digital Mystikz(DMZのホーム・ダンス)をはじめ、Rusko、Caspa、SkreamなどなどからUK最強のサウンドシステムと最大のリスペクト を受ける、Roots&Cultue,Dubのサウンドシステムから派生したと言われるDubstepミュージックの世界最高峰 として 2011年現在 っとも盛り上がっているダンスである。
 2ndフロアーには Shy FXやRagga Twinsといった往年のJungle、D'N'Bのアーティストも多数出演することや、例年ソールドアウトのクロアチアで開催される世界最大・最高峰の ベース・ミュージック&サウンドシステム・カルチャーの祭典〈OUTLOOK FESTIVAL〉をはじめ、Nightmares On Wax とのツアーも成功させるなど、ヨーロッパでもっとも注目を集めているサウンドシステム!

9月1日(木)~4日(日)に、クロアチア"Fort Punta Christo(プンタ・クリスト要塞跡地)"にて開催されるベース・ミュージックの祭典「OUTLOOK FESTIVAL 2011」の開催に先駆け、ヨーロッパ各地で開催されているローンチパーティが日本にも上陸!!!
https://www.outlookfestival.com/

Bon Iver - ele-king

 その声と歌は、森の奥から響いた――それが、男が「良き冬」と名づけた物語の始まりである。ノース・カロライナでやっていたバンドがダメになり、恋人と別れ、病気に罹った男は故郷ウィスコンシンに帰り、父親の狩り用のキャビンにたった一人で籠り、心身の傷を静かに撫でるようにして、いちど敗れた音楽の夢を噛み締めるようにして、雪に閉ざされた小屋でひとりで曲を作り、歌った。「愛だけが取り残されて」......。
 その男――ジャスティン・ヴァーノンの歌の背後にあった物語は、彼のボン・イヴェールとしてのデビュー・アルバム『フォー・エマ、フォーエヴァー・アゴー』のことを説明するとき、必ず触れられるものである。その痛切な、しかしある種の古風なエピソードは、その音楽の幽玄の美を説明するのに適っていたからである。それは基本的には、世の中から逃げるようにして孤独に浸った男が鳴らすには打ってつけの、弾き語りのフォーク・ソングだった。が、自身の声を何度もオーヴァーダブして重ねたコーラスと、アンビエントの音響を意識したような静謐なムードが彼の音楽にある種の神聖さを与えた。そして何よりも、ウィスコンシンの長すぎる冬の終わりをじっとひとりで待つような、孤独の温かさと穏やかさがそこにはあった。2007年にひっそりと自主制作として発表されたアルバムは、2008年の正規盤を経てやがてゼロ年代のクラシックの一枚になる。

 ジャスティン・ヴァーノンは一見アメリカのどこにでもいそうな、朴訥で気のいい、髭面で長身の木こりのような青年である。しかし僕は、彼と彼の音楽を知れば知るほど、彼が活動の幅を広げれば広げるほど、彼と彼の音楽に夢中になっていった。ジャスティンは自由な感性と才能に溢れたミュージシャンだった......もっと言えば、彼はいまのアメリカのインディ・ミュージックの豊かさを象徴するような存在である。フィメール・ソウル・シンガーに影響を受けたというそのエモーショナルなファルセット・ヴォイスはときにアントニー・ハガティと、ときにニック・ドレイクと、ときにロバート・ワイアットと比べられ、その歌声を様々なアーティストとの共演で披露した。ポスト・ロックとゴスペルとドローンを組み合わせた実験的な音のピースとしての声を聞かせたヴォルケーノ・クワイア、粘り気のあるギター・ソロを鳴らしたGayngsでの活躍。自身の"ウッズ"という曲ではジェームズ・ブレイクよりも早く声をオート・チューンで変調したゴスペルをア・カペラでやった。そしてその"ウッズ"がカニエ・ウエストの耳に止まり......そのヒップホップ・スターの最新作ではかなりの部分で(サンプリングではなく)ミュージシャンとして貢献することになる。ジャスティンの音楽家としての興味と敬意と愛情は多種多様な音楽へとつねに開かれていて、そして実際にそれはいくつもの成果を生んだ。

 セルフ・タイトルを冠したセカンド・アルバムは、ジャスティンが単なる素朴なフォーク・ミュージシャンではないことが存分に証明され、また、彼の出自となった物語も過去になった状況が整えられた上で、まさに「満を持して」放たれた一枚である。彼はいまはひとりではない。彼が信頼し、愛する音楽仲間と本作を作り上げた。インディ・ミュージック・ファンのあいだでは本作に対する期待はほとんど異様なものにまで膨れ上がっていたが、もちろん僕もそのひとりだ。
 1曲目、"パース"のイントロで叙情的なギターの音がコーラスと重なり、そして勇ましいドラムがそこに加われば、その期待が何ら的外れでなかったことが明らかになる。左右から聞こえてくるホーン、ノイズ、ストリングス、ギター、ドラムが情熱的に響くなか、それ以上にジャスティンがソウルフルに切ないメロディを歌う。「愛するひとはまだ生きている」......。
 もはやシンプルなフォーク・ソングはひとつもない。多くの曲ではジャスティンのポスト・ロック的な好みが反映されており、音響的な配慮が隅々まで行き渡ったものとなっているが、それだけでは説明できない多様さと複雑さが本作にはある。フォークが静かにジャズと手を取り合った"ホロシーン"、カントリーめいたギターがドラムと走り出す"タワーズ"、和音の変化と打楽器の清潔な響きで聞かせるワルツ"ミシカント"、アンビエント的な意匠のなかジャスティンの声の低音と高音の応酬となるもっとも実験的な"ヒノム、テキサス"、ピアノとストリングスが神秘的なムードを醸す"ウォッシュ."......。すべての曲でそれぞれ違う音の姿を見せながら、独特の甘さを持ったジャスティンの声の魅力で一本芯の通ったものになっている。シングルの"カルガリー"はノイジーなエレクトリック・ギターをかき鳴らしながら、ここでも情熱的に声を絞り出してメロディを何よりも主役にしてみせる。ラストの"ベス/レスト"は、なんと80年代の「アダルト・ポップ」を彷彿とさせるようなムーディなシンセ・ポップを皮肉ではなくロマンティックに鳴らした1曲だが、これもソングライティングによっぽど自信がなければ出来ないことだろう。どんなに音を拡張させようとも、ボン・イヴェールはエモーショナルな「歌」でなくてはならない――そんな揺るぎない決意を本作から感じる。

 このアルバムは、前作の物語がちょうど終わったところからはじめられているという。それはつまり、孤独の季節を後にしてゆっくりと、幾分躊躇いながらも世界に向けて歩を進め始めるドキュメントだということだ。歌詞は抽象的で謎めいているが前作同様詩的で、いくつかの都市の名前がつけられた曲名が示唆的だ。ここには痛みも傷もまだ感じられるが、それを抱えたままで歌の主人公は世界の様々な風景を見つめている。「......そしてすぐに気づいた/自分が特別でないことを/ハイウェイの通路のはるか上空/(氷に閉ざされたふらふらの休暇)/何マイルも先が見えた/何マイルも何マイルも」"ホロシーン"

 ボン・イヴェールは、なかば偶然にアメリカのいち地方から発掘された名もなき青年の歌だった。だが、それはゆっくりと人びとの歌となった。ジャスティン・ヴァーノンはかつて自分を傷つけた世界に再び心を開き、そのミュージシャンシップでもういちどそこを愛した。デビュー作に収録された"ザ・ウルヴス"という曲をライヴで演奏するとき、ジャスティンは観客にコール&レスポンスを要求する。「失ったかもしれないものは――」、かつての孤独の呟きは大合唱になって再現され、そしてこう続けられる。「僕を妨げたりはしない」
 その通りだった。『ボン・イヴェール』は新たな季節の訪れを告げるアルバムだ。『フォー・エマー』で抑えられていた感情と音がここでは堰を切ったように溢れ出し、そこから見える色鮮やかな風景の美しさに僕は震えずにはいられない。

interview with Terry Farley - ele-king

 テリーに初めてあったのは、彼がDJとして来日した4年ぐらい前のことだ。ベン・シャーマンのシャツを着た50も近いおじさんだったけど、彼の笑顔はまるで5~6歳の子供のように眩しかった。彼のキャリアや〈ボーイズ・オウン〉についての話は知っていたけど、直接聴きたいと思ったのは、メインのパーティの翌日に小さな箱でやったプライヴェート・パーティについてだった。彼はほぼレゲエとソウルだけでプレイした。それがあまりにも良かったこともあって、翌日彼にレゲエやソウルとの出会いや、ザ・スペシャルズやザ・クラッシュについての話を聞いた。それがとても大事な話のように思えた。と同時に、忘れかけていた10代の頃の憧れのようなものに触れた気がした。そのとき、いつかじっくり彼に話を聞いてみたいと思った。
 1994年の新宿リキッドルームのこけらおとしの〈メガドッグ〉でのアンダーワールドとドラム・クラブが僕にとって初めてのダンス・カルチャーとの邂逅だった。〈ボーイズ・オウン〉の音楽に触れた初めての体験だった。
 1988~90年のUKインディ・シーンでブレイクするストーン・ローゼスやプライマル・スクリームには思いっきり熱狂してはいたのだけれど、そのときには理解できなかった意味やパーティがあの日から現実になった。それから15年以上、パーティが自分の生活の中心にあった。

 本インタヴューは、去年の11月にロンドンでおこなった。その週末にはプライマル・スクリームのスクリーマデリカ・ライヴがあった。テリーに話を聞くことで、あの時代に起きていたことがはっきりしたと同時に自分のなかですべてが繋がった。
 この8月には当時の関係者やミュージシャンのインタヴューを中心とした〈クリエイション〉レコードのドキュメンタリー映画『アップサイドダウン』が日本でも公開される。1988年、アシッド・ハウス、センカンド・サマー・オブ・ラヴ、エクスタシー、さまざまなキーワードで語られたもうひとつの伝説だ。〈ボーイズ・オウン〉も〈クリエイション〉も実にイギリス的な物語で、まるでプレミア・リーグに無名のチームが昇格し、並みいるビッグ・クラブを相手に互角に勝負をして、ギリギリまで優勝争いをしてしまった......というようなレーベルだ。
 もちろん彼らは優勝することはできなかった。決してビッグ・クラブになることはできないのだけれど、しかし、そのシーズンを見たすべて人たちの心にのこるチームとなった。負けることもまだ大事なことなのだ。
 『スラムダンク』を読んだことのある人ならわかるだろう、湘北高校は彼らにとっても最高の試合である山王戦を戦ったあと、あっけなく負けてしまいインターハイで優勝することはできない、しかしなによりも人びとの心にのこるのである。
 インタヴューでも語られていることだが、イギリスでは12~14歳の少年が男として自分の生きてゆく上での方針を決める大事な時期だ。どんなものを着るのか、どんな音楽を聴くのかは、どのフットボールチームのサポーターになるかということぐらい彼らには大事な選択だ。
 テリー・ファーレイもそのときに感じたことを楽しみながら、ただ追っかけてきただけなのかもしれない。が、彼はいくつかの奇跡のような夜に出会った。〈ボーイズ・オウン〉......彼らのピュアネスが残した音楽やアティチュードは、さまざまな世代が繰り返し作る、すばらしい物語のひとつだ、きっとまた〈ボーイズ・オウン〉や〈クリエイション〉のような話が新しい世代によって生みだされるに違いない。

僕はレゲエ、いや当時はスカやロックステディだね、を聴いて育った。当時の移民はみんな窓を開けっ放して、大きな音で音楽を聴いていたんだよ。ベースがブンブン響いていたっけ。父は移民の若者たちをパンクと呼んで、ほんとに嫌がっていたけどね。母はとても音楽が好きで、そう彼女はテディー・ガールだったんだ。

まずはあなたが子供だったころのことを教えてもらえますか?

テリー:僕は1958年にノースケンジントンで生まれたんだ。すごく貧しい地区でね、よく覚えているのがトイレが家のなかではなく庭にあったんだよ。ブリキのバケツを庭の隅においてさ、冬は寒いし、夏になると蜘蛛の巣だらけで虫がいたるところにいたよ。僕が6~7歳まではそうだった。
 いまでも時々思い出すのが、ノースケンジントンは第二次大戦でドイツの空爆が激しい場所だったんだ、だから僕のおばあちゃんの家には大きなコンクリートの防空壕があってね、その家はいまでもあるよ! 彼女はいまそこで鶏を飼ってるよ、新鮮な卵が食べれるからね(笑)。ちょうどキューバ危機のときはみんなそこに集まったり、近所の人たちがあたらしく防空壕を掘ったりしていたそうだよ。まだ大戦の時の記憶がはっきりしていた頃だったんだろうね、僕は子供ながらに、おかしなことするなと思っていたよ。
 あの頃のロンドンの印象はすべてが灰色なんだよ。ロンドンではみんな家で火を燃やすから、すべての家の煙突からもうもうと黒い煙がでていて、晴れていても空が灰色で、1950年代はそれがほんとにひどかったから当時のアメリカの映画に映るロンドンは煙っているだろう。だから大人になってから思い出す子供時代のロンドンは、ほんとに寒くて灰色でまったく太陽の印象がない。BBCで放送していた『Steptoe And Son』というコメディ知ってる? 廃品回収業者の親子の話なんだけど、当時のノースケンジントンにはこのコメディに出てくるような人びとがいっぱいいたんだよ。
 食べ物もレバーや羊の心臓や腎臓なんかが多くて、もちろん安かったからなんだけど、良くパイやシチューにしてくれた、母が料理の上手い人でほんとによかったよ。多くの人があの貧しい地区の話をつらいこととしてするけど、僕はあの典型的なワーキングクラスの暮らしに誇りをもっている。だって自分自身を作り上げてきたものだからね、でもトイレだけは家のなかにあるほうがいいけどね(笑)。

ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズが力を持ってくる60年代のなかば以降はどう過ごしてましたか?

テリー:ノースケンジントンはノッティングヒルのすぐ近くで、そこは西インド諸島からの最初の移民がたくさん住んでいた。だから正直に言えば、僕はレゲエ、いや当時はスカやロックステディだね、を聴いて育った。当時の移民はみんな窓を開けっ放して、大きな音で音楽を聴いていたんだよ。ベースがブンブン響いていたっけ。父は移民の若者たちをパンクと呼んで、ほんとに嫌がっていたけどね。母はとても音楽が好きで、そう彼女はテディー・ガールだったんだ。テッズってわかる? 彼女は小さなレコードプレイヤーを持っていて、よくモータウンの曲を聴きながら僕にダンスを教えてくれた。ビートルズはいたるところにあふれていた、床屋に行っても「リンゴ? それともジョージかポール?」って言われるしね。子供から大人までみんなビートルズだったね。だけど毎日毎日聴こえてくるし、親が大好きな音楽を聴くのはいやだったから、僕はジャマイカの音楽やアメリカのソウル・ミュージックにはまっていったんだ。
 はじめに好きになったのはジョージィ・フェイムだった「The Ballad of Bonnie and Clyde」というシングルが大好きだったよ、それと初期のリー・ペリー、『Return Of Django』とデズモンド・デッカーの007の曲はよく聴いたな。
 その頃、1968年ぐらいにロンドンではじめのスキンヘッズ・ムーヴメントが起きていて、ちょうど僕も10歳で、そろそろファッションも気になりはじめていた。で、まわりのティーンネイジャーを良く観察してたんだ、どんな靴をはいてどんな服を着てるかをね。ある日、通りでリーバイスのジーンズをはいてる男の子を見たんだ、まわりにいた僕とおない年の子供が集まって「見ろよ! あれがジーンズだよ! ジーンズはいてるよ!」って騒いでね。その彼は「あっちいけ!」って言ってたけど、みんなまわりにあつまって騒ぎになったね。どうしたらそんな感じにタイトになるんだろう? って思って訊いてみたら、ジーンズは「はいたまま風呂で濡らすんだ」って教えてくれた。「値段は?」って訊くと「5ギニー」だった、5ギニーっていうと当時で6ポンド弱ぐらいかな? 10歳ぐらいの僕には買うことができないけど、母はテディー・ガールだっただけあって、どうしてもリーバイスのジーンズが欲しい僕の気持ちをわかってくれてね。それで似たようなジーンズを買ってくれたよ。
 次はブーツだった、年上のみんなはドクターマーチン、いや当時だとホーキンスだね。僕らキッズはタフスウェイファインダー*(1) という靴底にコンパスがついている登山靴のような安いブーツを手に入れて、気分だけでも年上のファンションを身につけたかったんだ。でも彼らは僕たちのファッションをテスコボマーズといってバカにしてたよ、テスコって安売りで有名なスーパーなんだけどね。

脚注
(1)タフス・ウェイ・ファインダー(Tuff's way finder)ウェイファインダーブーツ
子供用の安全靴。ボーイスカウト公認・学校推薦とあります。
https://www.flickr.com/photos/22326055@N06/3611965790/

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まわり中のソウル・ボーイがセックス・ピストルズの出現とともにあっという間にパンクになった、それからみんな自分の音楽を作りはじめたよ。うまいとかへたとかをまったく気にしないでね。みんなレコードを作りはじめた、スティーヴィー・ワンダーのようにうまくなくてもいいんだ。

1968年のスキンヘッズってどんなものだったんですか?

テリー:彼らがたぶんオリジナルのスキンヘッズなんだと思うけど、黒人のコミュニティとも仲がよくて、スカやソウルを聴いて、黒人と同じようなもの、アメリカ風の服やイギリスのワークウエアを着てる若者だね。80年代のスキンヘッズのような右翼的な政治性はまったくなかったんだ。髪型もほんとのスキンでなくベリーショートって感じでね。それが1971年までのロンドンの若者だね。
 それ以前、62年ぐらいからは、モッズ・ファッション、ロンドン中のすべてのキッズがモッズだった。67年、ビートルズが『サージェント・ペッパーズ~』を出したあたりからは、サイケデリックなファッションが流行りだしたけど、当時のスキンズはそのサイケデリックに行きたくないエクストリーム・モッズだったね。だからみんなソウルやスカを聴いていた。でも面白いことに1972年以降そのスキンヘッズも髪を少しのばしてフレアパンツをはくんだ。そのヘアースタイルをスウェードヘッドっていうんだけど。デヴィッド・ボウイの『ジギースターダスト』の頃の髪型わかる? あれ。もちろんロキシー・ミュージックとかも聴いていたけど、ロンドンではノーザンソウルの流れがやってくるんだ。

その後、あなたがティーンネイジャーの頃はどうでしたか?

テリー:僕は16歳で高校を中退して、ガスの配管の仕事をはじめた。その仕事をはじめて1~2年したあたりで、すっかりアメリカのソウルにはまってしまって、完全なソウル・ボーイだったよ。毎日踊りに行くようになって、だんだん仕事にもいかなくなってね、結局もっと休めるバイトに切り替えて、あまりかしこい方法ではないけど(笑)。
 1975年、まわりの同年代はほんとにアメリカのソウルに夢中で、まさにパンクの1年前だよ。髪の毛をブロンドや赤に染めて、短くしてアメリカ製のファッションをしてた。その頃から僕も自分で音楽をやりたいと思いはじめた、ディジー・ガレスピーやラロ・シフリンなんかの当時よく聴いていたアメリカのジャズ・ミュージシャンに憧れてね。でも彼らは本物のミュージシャンだった。とてもあんな風には音楽を作ることはできなかったよ。僕らにはまだコンピュータもなかったしね。
 そして1976年、突然パンクがはじまるんだ。まわり中のソウル・ボーイがセックス・ピストルズの出現とともにあっという間にパンクになった、それからみんな自分の音楽を作りはじめたよ。うまいとかへたとかをまったく気にしないでね。みんなレコードを作りはじめた、スティーヴィー・ワンダーのようにうまくなくてもいいんだ。

とはいえあなたはパンクには行かなかったですよね、なぜですか?

テリー:ちょうど70年代の後半にロンドンでもナショナルフロントが大きな勢力をもちはじめてね、パンクスやスキンズはときにそういう行動するやつも多かったからね、それとマッチョなスタイルが好きじゃないんだ。僕はやっぱりソウルが流れるクラブが好きだったし、そこには黒人のキッズやたくさんのジャマイカ移民の友だちもいた。僕は彼らととても仲がよかったから、パンクに行くことはなかった。僕らがいたコミュニティもいろんな人種がいることでとても面白い状況だったよ。

じゃあ、ザ・クラッシュがレゲエを取り入れたり、ザ・スペシャルズに黒人メンバーがいることなんかはどう思ってました?

テリー:スペシャルズやクラッシュを聴くには、僕はもう年をとりすぎていたよ。もう20歳を超えていたからね。あれはティーンネイジャーのための音楽だったからね。ほんとに熱心に聴いていたのは12~13歳のキッズだよ。僕はその頃レゲエが大好きだったから、〈2トーン〉は聴かなかった、1979年のロンドンはラヴァーズロックが大流行したから、デニス・ブラウンやグレゴリー・アイザックなんかだね。ラヴァーズ・ロックってソウルのカヴァーが多いだろ、それもよかった。
 それに僕たちはもっとピュアなソウル・ボーイだったから、お金は洋服につかっていた。ちょうどデザイナーズ・ブランドが出て来たころだしね。キングスロードにザパータっていうマロノ・ブラニックの初めてのデザイナーシューズの店やブラウンズっていうゴルチエやヨージヤマモト、ギャルソンの服を初めてロンドンに置いた店なんかがお気に入りでね。ザパータでは当時マロノ・ブラニックがお店にいて、僕らが行くと「ファンタスティック! 若い人がきてくれるなんてうれしい」って言ってくれたよ、もちろん値段は高かったけど。ブラウンズはいまでもあるはずだよ。そいうお店が大きな影響力を持っていたね。

当時のあなたのいたロンドンのカルチャーを描いた、例えば『さらば青春の光』みたいな映画や本はなにかありますか?

テリー:そのものを描いたわけではないけれど、僕らの世代にもっとも大きな影響を与えたのは『アメリカン・グラフィティー』だよ、でも音楽じゃなくてファッションだけどね。音楽はどうでもよくて(笑)、映画が上映されるとキッズはみんなボーリングシャツにリーバイスになってしまった。それにアメリカのヴィンテージ・カー。この映画のおかげでアメリカの古着がマーケットに溢れたのを覚えているよ。そう、毎週土曜日なるとキングロード・クルーズといって、自慢の50年代や60年代のヴィンテージ・カーに乗ってテッズがパレードするんだ。数千人の見物客がいてね、まだ15歳ぐらいだった僕もよく見に行ったよ。いまでもバタシーパークを中心にやってるんじゃないかな。それだけフィフティーズ・ファッションは人気があった、音楽は別だけどね。
 スキンヘッズやソウルボーイについて言えばリチャード・アレンの『Skinhead』*(2) だね、すべての12~13歳ぐらいの子供はスキンヘッズだったよ! この物語は『Suedehead』、『Smoothies』と続いていくんだけどすごく影響力があった。まさに60年代~70年代のロンドンのストリートの話で、主人公はチェルシーのファンなんだよ! おもしろいことに60年代のロンドンの下町は話言葉もちょっと違っていて、アクセントや言葉の意味なんかも独特だったんだ、いわゆるコックニーだね。これはマーケットでよそものを騙すというか、そこでしか通用しない隠語で会話するんだけど、ちょっとでも多くのお金をまきあげる方法なんだよね。例えば階段のことを「アップル・アンド・ペアーズ」っていうけど、眼の前にいるよそ者にわからないように会話する方法なんだ。それがコミュニティをつなぐ重要な役割をしてたよ。これは多分ヒッップホップのコミュニティーとかでもそうだろう? ロンドンではコックニーとジャマイカンが混じったブラックニーという言葉があるよ。もう年をとった僕にもまったくわからない、いまのキッズの言葉もね(笑)。
 その言葉でラップするアーティストもいるよ、レディー・ソヴァリンっていうんだけど。彼女はキッズのクィーンだよ。トラックはダブステップやUKファンキーなんだ。現代のソウル・ボーイはUKファンキーやダブステップを聴いてるね、いまのシリアスなゲイ・シーンもそう、黒人の若いゲイが集まるパーティがアンダーグランドで盛り上がっているけど、そこでもUKファンキーやダブステップだよ、ファッションはまったくギャングスタ・ラッパーみたいだけど、話すととてもフェミニンなんだ、そんなことがはじまってるよ。

80年代になるとクラブにはまりますよね、どんなクラブに行きました?

テリー:コヴェント・ガーデンに〈シャガラマ〉というゲイ・クラブがあって、毎週土曜日にはかならずそこに行ってた。ベニーってDJが最高だった。コヴェント・ガーデンもまだ観光地じゃなくて、ほんとにマーケット(青果市場)だった。その奥のほうの倉庫が小さなクラブになっていて、年を取ったゲイが集まるクラブだった。いまのゲイ・クラブみたいに裸の男がいるようなクラブじゃなくて、とてもジェントルな雰囲気だった。そこに僕らのような20歳前後の若者がヴィヴィアンの服を着て、くるくる踊ってるんだよ。そこに集まるゲイはスーツを着て、たぶんビジネスマンなんだろうな、静かに僕らを見ながら酒を飲んでるんだ。ときどきおごってこれたりしながら、でもその安全な感じがよかったんだ。いまのゲイ・クラブとはほど遠いけどね。なぜならロンドンの他のクラブは酔っぱらいのケンカも多いし、まだ町にはたくさんのテッズがいた、彼らは、僕らがピンクのズボンとかはいてるとからんでくるし、黒人に対してもそうだった。そのクラブはそういうやつらに会わないし、もちろん音楽もアメリカのファンクやソウルだったしね。


1983年、若き日のテリー・ファーレイ。

脚注
(2)リチャードアレン『Skinheads』
スキンヘッズのライフスタイルやファッションの移り変わりを、暴力とセックスを交えて赤裸々に描いたティーン向けの冒険小説。
https://www.users.globalnet.co.uk/~jimthing/allen.htm

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スペシャルズやクラッシュを聴くには、僕はもう年をとりすぎていた。20歳を超えていたからね。あれはティーンネイジャーのための音楽だったから。ほんとに熱心に聴いていたのは12~13歳のキッズだよ。1979年のロンドンはラヴァーズロックが大流行したから、デニス・ブラウンやグレゴリー・アイザックなんかだね。

それから1986年に〈ボーイズ・オウン〉のファンジンをスタートさせるんですね、その頃の話を聞かせてください。

テリー:僕たちはみんな同じクラブに行ってたんだ、〈ホワイト・クラブ〉や〈マッド〉みたいなね。スティーヴン(・ホール)は僕のすぐ近くに住んでいて、よくいっしょにチェルシーの試合を見に行ってたよ。アンドリュー(・ウェザオール)は僕らの地元から2マイル離れたウインザーに住んでいて、すごいポッシュ(豪華な)な住宅地なんだけど(笑)、彼はサイモン(・エケル)と友だちだった。彼らはいつもクラブで会うメンバーだったから、ある日クラブが終わってサイモンのフラットに集まって、アンドリューがレコードをプレイしていたとか、僕が「ファンジンをやらないか?」って言ったんだ。みんなとてもインテリジェントな仲間だし、このチームでなにかできそうだと思ってね。僕は『ジ・エンド』っていうリバプールのファンジンが好きだったんだ、この『ジ・エンド』のロンドン・ヴァージョンをやろうと思ったんだ。
 『ジ・エンド』はフットボールとファッションと音楽がテーマで、このすぐ後にファームというバンドを結成するピーター・フートンがやってたんだ。知ってるよね? "Groovy Train"や"All Together Now"の大ヒットを出した彼らだよ。はじめの2冊は500部作って、ほんとんどの記事は僕とアンドリューが書いたんだけど、それがまあまあ売れて、他のみんなも記事を書いてくれるようになった。当時はまだ手書きだったんだ。僕の母が秘書をやっていたからタイプしてもらって、それをコピーして切り貼りだよ、ほんとに手作りさ。それからだんだん人気が出てきて、簡単な印刷機を手に入れて、最高に売れたやつは2000部も作った。そうさ、1988年のアシッド・ハウスがはじまったときだよ。

どんなテーマでファンジンをつくったんですか?

テリー:はじめはほんとに『ジ・エンド』のコピーだったよ、どんなジャージがかっこいいとかね。自分たちがクールだと思うことは何か? っていうのが大事だった。当時の若者は雑誌の情報をありがたがってたからね、だから典型的なファッション・ピープルでもないし、典型的フーリガンでもない自分らのためのもので、まさにアンチ『The Face』、アンチ『ID MAGAZINE』、アンチ・ソーホー・ピープルだね。

ボーイズ・オウンというタイトルはどこから?

テリー:イギリスにとても古い子供向けの子供雑誌があって、それが『ボーイズ・オウン』*(3) っていうんだよ、これはコミックで、冒険や、そうだなー、海賊やインディアン、それにカーボーイなんかが出てくる男の子向けのものなんだ。それとフットボール・カジュアルズってわかるかな? デザイナーズ・ブランドを着たフーリガンのことなんだけど、彼らはチームのユニフォームやチームカラーの服を着ない熱狂的なフーリンガンで、彼らのことを「ボーイズ」って呼ぶんだよ、たとえばマンチェスター・ユナイテッド・ボーイズとかね。そのふたつの意味をこめて〈ボーイズ・オウン〉なんだ、ダブル・ミーニングだよ。いい名前だろ(笑)。
 オリジナルの『ボーイズ・オウン』のイメージも大きなヒントになっている。カヴァーで使っているむかしの子供たちの写真とか、オールド・ファッションなコックニーの子供たちの表情なんかでね。イラストはデイブ・リトル、彼は僕がピート・トンと1986年にやっていたパーティ〈ライド〉のフライヤーをデザインしてたんだ。

その頃のピート・トンはなにをしてたんですか?

テリー:ピート・トンはもうロンドン・レコーズで働いていて、初期のシカゴ・ハウスなんかを出していたよ。彼は70年代や80年代にソウル・マフィアというソウル、ファンクの大きなパーティで若手DJとしてやっていた。彼はソウルやファンクにヒップホップを混ぜてプレイしていたよ、ポール・オークンフォルドもヒップホップをプレイしていた。〈ライド〉では僕がウォームアップで、ピートが出てきて、最後がオークンフォルドだった。
 オークンフォルドはこの時期にレーベルをスタートして、初期の〈デフ・ジャム〉のスタッフをリリースしていた。彼がロンドンではじめての〈デフ・ジャム〉のパーティを、ランDMCとビースティ・ボーイズを招いてやったんだ。その時のアフター・パーティで僕がDJしたとき、レゲエやソウルしか持ってなかったから、彼にどうしたらいいか訊いたら、「ドラムブレイクをえんえん続ければいいんだ」っていわれて、で、それをやってたら客からブーイングがきたよ(笑)。

初期の『ボーイズ・オウン』ファンジンではヒップホップが大きなトピックになってますよね?

テリー:ロンドン中のクラブがヒップホップで盛り上がっていたよ、それにレアグルーヴ、ブレイクビーツ、それとゴーゴー、とくにトラブル・ファンクとチャック・ブラウンがすごい人気だった。もちろんハウスもあったけど、まだアメリカからの輸入盤ばかりで、情報がそんなにないからDJもあまりプレイしなかったね。フランキー・ナックルズは人気あったよ。
 とにかく、アシッド・ハウスが出てきてすべてが変わったんだよ。それまではみんな古いソウルやファンク、レアグルーヴを探し回っていたのに、一夜にして新しいトラックばかりになったよ。

1986年あたりといえば、ザ・スミスに代表されるインディ・ロックがまだ人気がありましたよね、それについてはどう思ってました?

テリー:僕はまったく好きじゃなかった、僕はブラック・ミュージックが好きだからね。でもイギリス中で大流行りだったし、ロンドン中にモリッシーみたいなやつが大勢いて、下を向いてたよ(笑)。
 アシッド・ハウスがはじまって、それからアンドリューもダニー・ランプリングもよくポップ・ソングをプレイするようになったんだ、ABCとかクリス・アンド・コージーの"October Love Song"とかね。これは完全にエクスタシーの影響なんだよ。それまでくだらないポップ・ソングだと思っていた曲がパーティで突然別の意味を持ってしまうんだ。エクスタシーがものすごくクリエイティヴに働いて、音楽が別の聴こえ方をする、1988年のシーンにはなにかスピリチュアルな雰囲気があってね。

その時期の状況をもっとくわしく教えてください。

テリー:僕はよくジ・オーブのアレックス・パターソンといっしょにオークンフォルドの〈スペクトラム〉というパーティのサブフロアでDJをやっていた、そこで昔からの歌ものの曲を良くプレイしていた、たとえばジャッキー・ウィルソンの"Sweetest Feeling"とか、60年代の曲なんだけど、その曲を全員がエクスタシーをやっているアシッド・ハウスのパーティでプレイするとみんながブースにやってきて「ワ~ォ! この曲ってこんな曲なの! これだよ!」って口々に言うんだよ(笑)。もちろん有名な曲だから、聴いたことはあるはずなんだけど、まったく別の意味で聴こえてたんだ。
 同じような意味で、僕もプライマル・スクリームやハッピー・マンデーズが理解できたんだ。それまでソウルやファンクばっかりだった人がインディやハウスを聴きはじめ、インディしか聴かないキッズがハウスやソウルを聴きはじた。エクスタシーがそれまで閉じていた僕の心の扉を開いたんだね。そしてパーティに来ているすべての人がオープンマインドになっていった。ほんとに奇跡のようにマジカルな時期だった。クリエイティヴでね!
 クラブにいるみんながもし同じヴァイブでポジティヴだったら、DJはどんな曲をプレイしてもオーディエンスは受け止めてくれるし、それぞれに意味を見つけるんだ。そしていちどその意味を知ってしまったら、もう戻らないんだよ。あの時期そうやってどんどんシーンが大きくなっていったんだ。

誰が1988年のロンドンのシーンにアシッドやエクスタシーを持ち込んだんですか?

テリー:1985年からエクスタシーはあったんだよ、当時はアメリカではまだ合法だったし、夫婦のカウンセリングで使われていたらしいよ。すごいよね(笑)。1988年以前にパーティには持ち込まれていなくて、一部のファッション・デザイナーやカメラマンとかモデルがVIPルームでやってたよ。
 〈タブー〉*(4) ってクラブ知ってる? そことかね。そのあとハウスが出てきて、ハウスとエクスタシーの相性がすごいってことがわかってきて、だんだんお互いが近づいていって、それでブレイクした。
 それともうひとつハウスとエクスタシーが結びついたのがイビサだよ、ダニー・ランプリングやポール・オークンフォルド、ニッキー・ホロウェイだ。でも、音楽はもうロンドンにあったから、彼らがドラッグとハウスが最高だっていう情報を持って帰ってきたんだよ(笑)。ものすごいぞ! って言いながらね(笑)。それまでは別々にハウスもエクスタシーも存在してたんだ。そしてなによりも大事なのはクラブにいる全員がやってると、ものすごいエネルギーになるってことなんだ、そこにいる全員がエンジンとなってパーティを動かすのさ。

はじめてのエクスタシー体験はどうでした?

テリー:はじめては1986年のブライトンだった、クラブから帰る途中で効いてきたけど、まだよくわからなかったよ。これ効いてるのか? っていう感じで。実際に実感したのは〈ソウル・ウィークエンダー〉というニッキー・ホロウェイのパーティだった。ジョニー・ウォーカーがDJで、ジョージ・クランツの"Din Da Da"がかかっていて、ダニー・ランプリングがイビサから帰ってきてすぐだったと思うけど、彼が突然イビサ・ダンスをはじめたんだよ。それを見ていきなりはじけたんだ(笑)。いっしょに行っていたエクスプレス2のマネージャーのクリスがスピーカーに頭を突っ込んでね! あの頃のパーティにはかならずそういうやつがいたよ。みんながアシッド・ハウス・ダンスをしていた(笑)。
 これはサーフィンといっしょで、立つまでが難しいけど、いちど立ってしまえばあとは自然にわかるものなんだ。それとエクスタシーのすごいところはみんなと共有したくなるだろう、コークだとひとりでトイレに籠ってしまうし、みんなに分けるってこともないけど、エクスタシーはその状態を知らない人に教えたくなるんだよ。

脚注
(3)ボーイズオウン(Boy's Own Paper)
日本でいうところの『少年クラブ』や『冒険王』などのコミック誌
https://en.wikipedia.org/wiki/Boy's_Own_Paper

(4)タブー(Taboo)
リー・バウリー(https://en.wikipedia.org/wiki/Leigh_Bowery)のクラブ、ゲイやデザイナー、ドラァグ・クイーンなどの集まってた店、戯曲風の映画にもなってる。

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よくいっしょにチェルシーの試合を見に行ってたよ。アンドリューは僕らの地元から2マイル離れたウインザーに住んでいて、すごいポッシュな住宅地なんだけど、彼はサイモンと友だちだった。ある日クラブが終わってサイモンのフラットに集まって、アンドリューがレコードをプレイしていたとか、僕が「ファンジンをやらないか?」って言ったんだ。

1989年にはシーンが大きくなりますね、ロンドンにはどんなパーティがありましたか?

テリー:ダニー・ランプリングの〈シューム〉は、最初は100人ぐらいの小さいところでスタートしたけど、すぐに2フロアある会場に移って、僕とアンドリューがサブフロアのレジデントになった。バレアリックなパーティだった。それからオークンフォルドの〈フューチャー〉、彼とナンシーっていうDJがレジデントをしていた。こっちはもっとインディよりでハッピー・マンデーズやプライマル・スクリームが盛り上がっていた。僕はそこでもたまにDJをやっていたんだけど、ある日、アンドリューが出来上がったばかりのアセテート盤を持って来て「これをプレイしてくれ」っていうんだ。それがプライマル・スクリームの「Loaded」だったよ! 「ほんとにこれおまえが作ったの?ってきくと「そうだよ!」っていうから驚いたよ、僕の友だちがこんなにすごい曲をつくたんだ! 信じられない! ってね。
 〈シューム〉はよりハッピーなパーティだったけど〈フューチャー〉と〈スペクトラム〉はよりシリアスな雰囲気だった。とくに〈スペクトラム〉はポール・オークンフォルドがメインルームでベルギーのニュービートをよくプレイしていたね。それからニッツァー・エブ、フィニ・トライブやウッデントップス、僕は10シティやマーシャル・ジェファーソンなんかの、よりソウルフルなハウスをプレイしていた。

はじめてイビザに行ったのはいつですか?

テリー:1981年だよ、友だちといっしょにね。クラブは〈クー〉が流行っていたけど、まだ若い僕たちはどうもなじめなくてね、あれはたぶん〈スタジオ54〉とかの影響なんだろうけどお、金持ちがいっぱい来てるって感じだった。もう行かないと思ったよ、でも1989年には〈アムネシア〉がオープンしたときに、また行ったんだ。

あなたもプライマル・スクリームの"ローデット"をリッミクスしてますね、当時のスタジオワークはどんなやり方だったんですか?

テリー:あの頃僕にはレコーディングに詳しいスタッフとかもいなかったから、スタジオでどうしていいかわからず、ほんとに大変だったよ。僕は15歳からDJをやっているから、どんなサウンドが必要かはわかっていたんだ。でもそれをうまくエンジニアに説明できなくてね。素材は24チャンネルのマルチテープでコントロール卓はSSLだった。それをテープで切り貼りしながらエディットするんだ。そこでテープを聴きながら、「この部分!」とかフレーズを歌ったりしながら編集して、ドラムサンプルを入れたりするんだけど、エンジニアが全然わかってくれないんだ。彼らはロックのエンジニアで、僕らDJのことがあまり好きじゃなかった。もっとベースをヘヴィにとか、リズムを大きくとか言ってもなかなか素直にやってくれなくて、ようやくいい感じになって、ちょっと食事に行って帰ってくると元通りになってたりしてね。キックを上げるとこんなサウンドは良くないとかね、みんな自分たちのスタイルから外に出ようとしなくて困ったよ。当時エンジニアはロックやポップスしか知らなかったからね。アンドリューと僕がやった""ローデット"のときのエンジニアは、辛抱強くやってくれて、とても助かったのを覚えてる。

あの時期にあなたがリミックスしたハッピー・マンデーズ、ファーム、スープ・ドラゴンズなんかのリミックスも同じような方法でやってましたか?

テリー:そう、いつもベースをあげてリズムのエッジを立てて、リズム・サンプルを加えて。それとよくエディットしていて失敗すると以外に面白いフレーズになったりするんだけど、そういうのをよく使っていた、それがうまいライヴ感を出すんだ。ドラムマシンはE-MU SP 1200を使ってたよ、トッド・テリーとおなじやつで、アメリカン・サウンドだね。

"ローデット"のリミックスはアラン・マッギーからの依頼だったんですか?

テリー:う~ん、よく覚えてないんだけど、たぶんボビーから直接たのまれたよ。アンドリューといっしょに〈ボーイズ・オウン〉のパーティをやっているときに、ボビーはいつも来ていて、ほんとにエクスタシーでフラフラになっててね。それで僕のDJを聴いて、頼んできたんだと思う、でもアランもいつもいっしょに来てたな。

ハッピー・マンデーズのはトニー・ウィルソンからの依頼ですか?

テリー:いや、マンデーズはショーンからだよ、彼もいつもパーティに来てたからね。でも僕とアンドリューがマンチェスターに行ったときは、トニー・ウィルソンがインタヴューしてくれたよ。彼は地元のテレビでインタヴュー番組をやっていたからね! いまでもユーチューブで見れるよ。そうだ、マンデーズのリミックスは彼らのアメリカのレーベルだったワーナーからの依頼だったよ。

ストーン・ローゼスについてはどう思ってました?

テリー:"フールズ・ゴールド"は最高だったよ。僕も〈フューチャー〉でDJをしているときは毎週プレイしてた。でもバンドがスパイク・アイランドのコンサートをやる頃、僕はもうイタロ・ハウスやピアノ・ハウスに夢中だったから、あんまり興味がなかったんだ。

1992年に〈ボーイズ・オウン〉のファンジンが終わってしまうのはなぜですか?

テリー:アンドリューがこう言ったんだよ、「俺もう30歳こえてるから、もうキッズみたいなことやめたいんだ(笑)。まあこれは冗談だけど。実際のところはある記事で「キッカーズのブーツがクールだ」って書いたんだ、しかも冗談でね。それでその号が出たあとの〈スペクトラム〉で、もうその頃はオープン前に長い列がクラブの前にできてたんだけど。そこでみんながキッカーズをはいてるんだよ! 400人以上のオーディエンスがバギー・ジーンズにキッカーズだよ。みんな本気に取り過ぎだと思ったね、僕らは『ザ・フェイス』や『ID』じゃないものを作ろうとしたのに、ロンドンでは僕らがまさに『ザ・フェイス』や『ID』と同じような存在になってしまったんだよ。それでもう止めようってことにしたんだ。

その頃からレーベルとしての〈ボーイズ・オウン〉がスタートするんですか?

テリー:そうだね、ちょうど1990年から1991年のファンジンの終わる前ぐらいに、ボカ・ジュニアズのリリースをするんだ。それが〈ボーイズ・オウン〉レコードだよね。でもその時期は、ロンドン・レコードと契約してリリースしたから、正確にはどれぐらい売れたから覚えてない。7枚ぐらいリリースしたけど、そんなに大きく成功することはできなかった。僕らはある意味オリジネイターだったから、いろんなことを自分たちで切り開いていかないといけなかったんだ。
 金銭的に成功したのはそのオリジネイターが道をつけたその後にくる人達だったね。彼らは楽に成功できたよ。それで僕と後にアンダーワールドのマネージャーをやることになるスティーヴンでもういちどいちからレーベルをスタートさせることにした、それが〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉だよ。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉はソニーと配給の契約をすることができた、それでアンダーワールドと契約するんだ。オリジナルの〈ボーイズ・オウン〉レーベルは僕とスティーヴン、アンドリューとサイモン、みんなでやっていたけど〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉は僕とスティーヴンのふたりなんだ。

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集まるのは25歳から40歳以上の人たちだろ、ティーンネイジャーはハウスなんて大嫌いだよ。僕がロンドンでDJやるときに、それが〈ミニストリー〉でもいっさいキッズはいないしね。みんなダブステップを聴いてるよ、

アンダーワールドとの出会いを教えてください。

テリー:スティーヴンが昔からダレンと友だちだったんだ、彼らは同じエセックスの出身で、ダレンはかなり早い時期からDJをやってたよ。ある日ダレンがプレイしているクラブに、まだニューウェイヴ・バンドだったアンダーワールドのふたりがやってきて、ちょうど彼らもなにか新しいスタイルを模索していたときで、ダレンを発見した。彼らの方向性はダレンの存在が大きな鍵となったんだ。これはアンドリューとプライマル・スクリームと同じような化学反応だね。

ケミカル・ブラザーズについてもお願いします。

テリー:彼らはアンドリューがマンチェスターでDJをしたときにやってきたんだ。ふたりはマンチェスター大学の学生だったからね、そのときにデモ・カセットをアンドリューに渡したんだ。それを聴いたアンドリューがほんとに気に入ってね、スティーヴンに「こいつら最高だからリリースすべきだよ!」ってプッシュしたことではじまったんだ。はじめ彼らはダスト・ブラザーズって名乗っていたけど、アメリカに同じ名前のヒップホップ・チームがいたからケミカル・ブラザーズに変えたんだ。

アンダーワールドやケミカル・ブラザーズがデビューした時期、イギリスではレイヴが大ブームでした。パーティも〈メガドッグ〉みたいなスタイルのサイバーな感じになって、サウンドもテクノ中心になりました。その時期あなたはどんなDJをしていたんですか?

テリー:そう、その時期僕はまたソウル・ボーイに戻っていたね。だからニューヨーク・ハウスが中心だった。この頃はじめてビリー・ナスティーといっしょに日本にいったよ。リキッドルームと京都のマッシュルームだった。ガラージ・ハウスをよくプレイしてたね。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉でもそういうハウス・トラックを何枚かリリースしたけど、あんまり売れなかったね。それでサブ・レーベルの〈ジャス・トラック〉を作ったんだ。
 でも〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉もとくにサウンドにポリシーがあったわけではないよ、自分たちが面白いと思うものならなんでもリリースした。これはファンジンのときから変わらないアティチュードだ。不変的なコンセプトさ。
 だって、アンダーワールドとケミカル・ブラザーズでも全然違うだろ。これはパーティといっしょで、僕とアンドリューのスタイルは違うけど、それぞれに影響しあえるだろう、ほとんどのアシッド・ハウスのパーティはレイヴァー中心だったけど〈ボーイズ・オウン〉のパーティはアンドリュー目当てのインディ・キッズもいれば、ソウル・ボーイもいる、もちろんレイヴァーもね。それにサイモンはファッションシーンに友だちが多かったしね、いろんな人たちがそれぞれに集まるんだ、それがパーティなんだよ。

〈ボーイズ・オウン〉でも野外レイヴをやったことはありますか?

テリー:初期はよく行ってたよ、シーンがまだスピリチュアルな雰囲気を持っていた頃だね。でもすぐにレイヴがビッグになって、金儲けの手段となってしまった頃には距離をおいていたね。〈ボーイズ・オウン〉のパーティは5000枚のチケットを売ることができたけど、つねに500人のパーティをやっていたんだ。
 僕たちはセルアウトしないと決めていた。いいレイヴもほんとにいっぱいあったけど、僕らにとっては何かが違った。〈ボーイズ・オウン〉でやったこともあるよ、1988年に、これはほんとに仲間だけで200人ぐらいかな、郊外の個人の大きな庭園を借りたんだ。そこにはボーイ・ジョージやフランキーゴーズトゥーハリウッドのポール・ラザフォードも遊びに来た。朝にはボーイ・ジョージが弾き語りで歌ってくれたりしてね。その家の子供たちがボーイ・ジョージの歌う姿みて驚いていたよ(笑)!
 それとその後にいちど大きな野外パーティをやったけど、1989年以降はだんだん運営が大変になってね。セキュリティーを雇ったり、ドラッグ・ディーラーがやってきたり、いろんな人が集まるから問題も多くてね。そうしているうちに、レイヴやパーティが大きな社会問題になってしまったんだよ。僕らもいちどロンドンで〈ボーイズ・オウン〉のウェアハウス・パーティをやったとき、夜明けに警官がドアを蹴飛ばして入ってきて、サイモンは逮捕されて、さらに売上金を全部没収されてしまった。しかもサイモンは1年間パーティ・オーガナイズを禁止されて、なにもできなくなってしまった。

90年以降のレイヴはテクノが中心ですよね、ハウスは完全にアンダーグラウンドになってしまっていたんですか?

テリー:そうだね、つねに新しいサウンドは変化してゆくからね。10年前にメイン・ストリームだったビートは10年後にまたアンダーグラウンドになるんだよ。僕も2000年以降の10年間はハウス中心のDJをしている、でも集まるのは25歳から40歳以上の人たちだろ、ティーンネイジャーはハウスなんて大嫌いだよ。僕がロンドンでDJやるときに、それが〈ミニストリー〉でもいっさいキッズはいないしね。みんなダブステップを聴いてるよ、
 でも面白いことに最近ダブスッテプのDJが昔のハウス、例えば初期の〈ディープ・ディッシュ〉なんかのトライバル・レコーズのトラックを使ったりしているんだよ。面白いよね、彼らには新鮮に聴こえるんだろうね。

1992年にはエクスプレス2のデビュー・シングルをリリースしますね、彼らとはどういう出会いだったんですか?

テリー:彼らは〈ボーイズ・オウン〉パーティに来てたんだよ、ロッキーはまだ19ぐらいだったんじゃないかな。彼らはまだキッズだったよ、それからフィル・ペリーのやっていた日曜日のアフターアワーズでよく会うようになって、ロッキーとディーゼルに〈ボーイズ・オウン〉パーティのウォームアップDJをやってもらうようになったんだ。ある日彼らがデモを持って事務所にやってきてね、それが"Muzik Xpress"だった。
 びっくりしたのが当時あの曲のようなサウンドは、ほとんどアメリカのレーベルやDJがやっていたスタイルだった。だから彼らのような典型的なロンドンのキッズがこんな曲を作るとは思わなかったよ。僕やアンドリューは思いっきりイギリス的だから、驚いたんだよ。次の日彼らにこれをリリースするよって言ったら「ほんと! イェー!」って大喜びだった。それでプロモーション盤をハシエンダでDJをやっていたマイク・ピッカリングに送ったら、あっという間にマンチェスターで最高のフロアヒットになって、2週間後には国中のクラブでプレイされてたんだ!
 それで今度はニューヨークの〈サウンド・ファクトリー〉でDJをやっていたジュニア・ヴァスケスに送ったら、彼は2枚使って30分もこの曲をプレイした、30分だよ! それからニューヨークやシカゴから大量の注文が入って、最終的に50000枚以上売れた。彼等らの初めてのレコードなのにね、すごいことだよ。

1990年代半ばからシーンやあなたのDJとしてのキャリアはどうなっていったんですか?

テリー:90年代中旬以降、僕とピート・ヘラーはそれこそ世界中でDJをした。ロンドンでは〈ミニストリー〉、リバプールでは〈クリーム〉が多かったね。でも90年代後半は僕もピートも〈サウンド・ファクトリー〉的なヴァイヴが好きだったんだ、ダビーでファットなベースラインのサウンドだよ、ほんとにディープなクラブの音って感じのやつ。でもDJでいろんなところへ行くと、みんなに「もっと自分の曲をプレイしてくれ!」って言われるんだ。
 僕らはほんとにいろんなところでDJしたけど、テクノ・ファンにはハウシー過ぎるし、ハウス・ファンにはテクノ過ぎるって言われてたよ。いまでもそうだね。でもファンジンもレーベルもそうだったけど、自分がいいと思うことをやりたいんだ、DJも同じだよ。これは僕らのアティチュードなんだ。そして「次になにが来るのか?」ってことを探しまわりたくはないしね、時代をサーフするつもりもないからね。
 でも時々大変なこともあったよ、イタリアなんかでは「ウルトラ・フレヴァプレイしろ!」、「ゼア・バット・フォー・ザグレイス・オブ・ゴッドはどうした!」ってお客さんが怒りだして驚いたよ。

レーベルとしての活動が終わってしまったのはいつですか?

テリー:2005年ぐらいから赤いジャケットのジュニアのリリースはしていない。止めてしまったわけではないよ。過去のカタログは〈ディフェクテッド〉からデジタル・リリースしてるしね。でもやっぱりそれまで10000枚売れていたヴァイナルが突然1000枚とかになったのは大変だった。
 いまはレーベルにとっても厳しい時代だね、ヨーロッパでもっとも成功しているハウス・レーベルである〈ディフェクテッド〉でも音楽のセールスよりDJブッキングのほうがお金になってるんだ。そういう意味ではもうエージェントだね。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉は時代の役目を果たしたんだろう。あのとき僕らは必要とされていたんだ。すべてとは言わないけどうまくやれたんじゃないかな、いまはもう新しい才能が出てきても、レーベルもディストリビューターも必要ないからね、自分でビートポートへ曲を出せばいいんだよ。それにDJがそれぞれみんな自分のレーベルをやっているしね。僕ら〈ボーイズ・オウン〉はあのときほんとに必要とされていたんだ。キッズにとってパンクが必要だったようにね。

では最後に、あなたは『フェイス(Faith)』というファンジンをやっていますね、なぜいまファンジンなんですか?

テリー:基本的には〈ボーイズ・オウン〉とまったく同じ理由ではじめたんだ。つまり『ミックスマグ』や『DJマガジン』が面白くないからね。それと『フェイス』のグラフィックデザインをやっているデザイナーが最高に才能があるんだ。彼となにかやりたかったしね。中身は相変わらずハウスやノーザンソウル、それと僕らの好きなDJをチェックしてる。僕らはダウンロードもやらないで印刷してるんだ。手に入れるのも大変だけど、これはレアなレコードや服を見つける喜びといっしょだよ。

★最新情報です。実は、テリー・ファーレイは9月にイギリスで公開される映画『Weekender』の音楽の監修を担当。これは90年代初頭イギリスを飲み込んだアシッド・ハウスとレイヴそしてパーティ・ライフ、あの輝ける時代を駆け抜ける主人公ふたりの物語。テリーがコンパイルしたサントラも3枚組で9月にリリース予定。そして、まもなくBoy's Own公認のロゴTシャツも発売予定!

Ty Segall - ele-king

 ロックの「俺」問題というものを仮定してみよう。ロックは他ジャンルにくらべて、一人称との相性が非常によいのではないかと思う。他ならぬ「この俺」が表現の主体であることが大きく意味を持ったりする。それがなければ、少年がギターを手にする理由など10分の1くらいになるのではないだろうか。もちろん、そうでもない名盤だってたくさんある。ジョンとポールでラフに喩えれば、ジョンには「俺」問題が濃く、ポールには薄い。それはポールの表現にオリジナリティがないという意味ではけっしてなく(誰が聴いても「ポールっぽさ」は一発でわかる)、「俺」をめぐる存在論的な追求があるかないかといったようなことだ。ポールの曲はボカロに歌わせてもポールの曲だろう。また、彼なら超一級のボカロ・ソングをつくれるかもしれない。しかしジョンの曲はボカロでは成立しない。他の「俺」では代弁できない種類の「俺」を扱うからである。そういう差異を私はロックの「俺」問題と呼んでいる。

 アニマル・コレクティヴ以降は、時代の追い風を受けているとはいいがたくなってしまった「俺」問題型アーティストだが、タイ・セガールは最近めずらしい「俺」型ベッドルーム・ポッパーだ。単純に1曲中の「俺」使用率も高い。「ハロー、俺のこと見たことあるだろう/おまえにとって、俺は秋、俺は春/きらきら輝いて/草は伸びるのさ、俺のせいで」"マイ・ヘッド・エクスプローズ"
 この曲にも顕著だが、ヴァインズのいらだったディストーションを思い出させる重めの音に、ザ・フーやソニックスのようなヴィンテージな風合いのリヴァーブをめいっぱい効かせ、2分強で歌い上げる短いガレージ・ポップ。これがタイの代名詞的スタイルだ。もともとやっていたバンド、ザ・エプシロンズもヴァインズやホワイト・ストライプスなど2000年代ガレージといった佇まいのバンドだが、ソロの活動ではよりオールド・スクールなガレージ・マナーを身につけていて、2008年から現在までにじつに夥しい量のカセットや7"シングル、アルバムをリリースしている。しかしもちろん特筆すべきはその歌。ジョン・レノンのソロを、あるいはショーン・レノンのデビュー作を思わせる。とてもポップなフックを持ってはいるが、ひろく口ずさまれるためではなく、ごくパーソナルな感覚を掘り下げた結果生まれてきたメロディだ。「そのうち、俺はメロディになる」"マイ・ヘッド・エクスプローズ"
 ああ、そうだろうなと納得する。

 今作がとくによい。"コンフォタブル・ホーム"や終盤の曲のいくつかは、オブスキュアな雰囲気のガレージ・ナンバーだが、こうした傾向は彼の初期作に顕著なものだ。前作『メルティッド』では、そうしたレトロスペクティヴな音を通過してタイ自身のオリジナルなリヴァーブ・ポップが完成した印象である。そして本作は、より内省的に、より思索的に、2ミニット・ポップの単純さから一歩も二歩も踏み込んだ音になっている。ここでは歌やメロディがとても大切なものとして機能している。それが、よく比較されはするものの、ジー・オー・シーズや〈イン・ザ・レッド〉周辺のガレージ・サイケ、ブランク・ドッグスと〈キャプチャード・トラックス〉勢、ウェイヴスら西海岸ビーチ・ポップと彼とを分節する点である。
 しかし彼がとらえている「俺」は、けっして安定した「俺」ではない。彼の写真には、頭を振って顔を不鮮明にしているものが多い。アートワークも同様で、『レモンズ』は頭を振った自身の顔、『メルティッド』は自分とおぼしき怪物の顔、本作はくしゃくしゃの犬の顔だ。顔をめぐる表現がそのまま自己認識であるとはいわないが、そこに歪みや屈折があることはみてとれる。「お前の頭の重さを感じろ」。ヴァイオレントなドラムとファズのきいたギター・リフが印象的な、その名も"ホエア・ユア・ヘッド・ゴーズ"はそのように歌いはじめられる。少しネジがゆるんだようなサイケデリック・チューン。「頭の重さ」とは存在の重さのことだろうか。この曲のラストは「俺がいなくなっても覚えていてくれるかい?」で締めくくられる。キース・ムーンのような騒々しいドラミングと少しアイリッシュで軽快なイントロを持つ"ザ・フロア"では、「床の下」で眠るなにものかのおとずれが描写される。それが何であるのかは暗示されるに止まるが、「俺の脳みそのなかの指」。「俺」のなかのまだ活動していない何かを呼び覚まそうというようなことが歌われているようである。その何かと呼応するようにドラムはバタバタと、ギターはブルージーかつ饒舌に、歌い、跳ねる。若い人間のごくまっとうな葛藤だといえばそのとおりだが、それをこのように太く鮮やかな筆致で描く才能を軽んじる法はない。あとは彼が5分以上の曲を書いたらどうなるのか。そうしたアルバムにも挑戦してもらいたいものである。

 最後に付け加えになるが、彼は孤独な引きこもりというわけではなく、ノー・エイジが立ち上げに関わり、ミランダ・ジュライやエイブ・ヴィゴダ、ベスト・コーストらが活動することでも注目されているロサンゼルスのホットなアート・スペース、スメルへも出入りしているようだ。ローファイでD.I.Y.という彼らの気風を、なるほどタイ・セガールにも感じる。

Chart by Underground Gallery 2011.06.28 - ele-king

Shop Chart


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RICARDO VILLALOBOS / MAX LODERBAUER

RICARDO VILLALOBOS / MAX LODERBAUER Re:ECM ECM »COMMENT GET MUSIC
ダンスミュージック・ファンの間でも支持者の多い、名門中の名門[ECM]が、設立 40年にして、初の試みとなるリミックス作品をリリース!自身も[ECM]の大ファン であり、マンフレッド・アイヒャーが提示するサウンド哲学の影響を公言する、 RICARDO VILLALOBOSとMAX LODERBAUERが、[ECM]の名作たちを再構築!

2

BURNT FRIEDMAN

BURNT FRIEDMAN Zen'Aku Nonplace »COMMENT GET MUSIC
この夏にリリースが予定されているソロ・フルアルバムからの先行12インチ! CRAMMEDのCONGOTRONICSのリミックスでも、SHACKLETONやBASIC CHANNELのMARK ERNESTUSと共に参加し、その才能を改めて証明して魅せた、BURNT FRIEDMANの新作! CANのドラマーJAKI LIEBEZEITとのコラボでもお馴染み、ケルン出身、ベルリン在住のプロデューサーBURNT FRIEDMAN新作!彼がここ数年入れ込んでいる、フロア・プリミティブなトライバル・パーカッションと、生ベースのアンサンブルは、JON HASSELLの名作「Fourth World, Vol. 1: Possible Musics」をも彷彿とさせます!アルバムも期待大!!ベルリンのアーティストTHEO ALTENBERGがアートワークを手掛けた限定盤でのリリースです!

3

CHRIS MITCHELL

CHRIS MITCHELL 84 Plan B »COMMENT GET MUSIC
耳の早いコアなテクノ/ハウス・ファンの間で話題の、NY発アングラ・ネオ・ハウス・レーベル、DJ SPIDER主宰[Plan B]から新鋭CHRIS MITCHELLによるアナーキック・ドープ・ハウス! 底に流れるデトロイティッシュなシンセ・ワークに、スペイシーな世界観と作り込まれたグルーヴが印象的なA1「Lonely Nights」、レーベル・メイトでもある才女DAKINI9による、よりシンプルなグルーヴを前面に押し出したリミックスのA2。ラフにうねる電子音と、こちらも宇宙的なSEが縦横無尽に行き来するコズミック・ハウスへと仕上げたB1「Worker Ants」とレーベル・カラーをしっかりと映し出す今のUSシーンの面白さをしっかりと味わえる一枚!お勧めです!

4

ZOOVOX

ZOOVOX Zoovox Theme Lectric Sands »COMMENT GET MUSIC
[Golf Channel]、RUB'n TUG周辺との繋がりを持つ、[Bumrocks]のBEN GABHARDT、[Tropical Computer]のJEREMY CAMPBELLのカルト・ディーガー・ユニット ZOOVOX第1弾!LOGIC SYSTEM辺りのエレクトロサウンドを彷彿とさせた、力強く、ドープなミッドグルーブにコズミックなシンセを響かせ、じわじわとサイケデリックに展開していった、70's風なスペースエレクトロディスコを披露。RUB'n TUG周辺との繋がりを噂される1枚なだけに「分かった」感じの仕上がりですよね~。今回は、リリースからしばらくたってからの当店入荷となってしまったのですが、限定プレスのリリースのため既に買えなくなってきているようですので、買い逃していた方はこの機会を絶対にお見逃しなく!!

5

THE AUTOMATS

THE AUTOMATS Pass Me By Plimsoll »COMMENT GET MUSIC
早くもIDJUT BOYS、TODD TERJEがプレイ中!シカゴのSHOESクルーが手掛けるリエディット・レーベル[Plimsoll]新作!TAL M.KLEINもリミックスで参加。 ダビーなエフェクト/ディレイを交えたトロピカル・ムードなパーカッシブ・ディスコ・ブギーなA1オリジナル、アシッディーなフレーズを交えたエレクトロ・ブギーにリミックスした、[Aniligital Music]などで活躍をするTAL M.KLEINによるA2、SHOESの一員、EARWIGがよりサイケ感の増したドープ・アフロトラックへリミックスしたB1、DEL GAZEEBO & OMERONのコンビが、オリジナルの空間性を巧く引き出したB2と、いずれも◎! オススメ!

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PATTI LABELLE

PATTI LABELLE Music Is My Way Of Life White »COMMENT GET MUSIC
LABELLE名義での活動も人気のPATTI LABELLEによる79年ソロ作品。力強いグルーブに楽曲を通して盛り上げてくるフォーンや鍵盤などによる鮮やかなサウンド、そして突き抜けるように歌い上げるソウルフルなヴォーカルが見事に絡みあい、グルーヴィーに、そしてダンサブルに展開していく傑作ディスコ・ナンバー!DAVID MANCUSO氏も、"Loft"のパーティーの際には、ほぼ毎回のようにプレイしていますね~。オリジナル盤はいまだ5000円を超えて取引されている、リリース以来普遍的な人気を集める70'sディスコ・クラシック!

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JOHN BELTRAN

JOHN BELTRAN Ambient Selections Delsin »COMMENT GET MUSIC
1991年に、CARL CRAIGが運営していた伝説のレーベル[Retroactive]からPlacid Angles名義でデビューを果たし、その後が[R & S]、[Peacrfrog]、[Transmat]等から、 デトロイト・テクノをベースにしながらも、アンビエント、ジャズ、ラテンなどの要 素を取り入れた豊潤でエモーショナルな作品を生み出し、コアなデトロイト・ファン の間ではカルトな人気を誇っているデトロイトの重要人物JOHN BELTRANの、アンビエ ント・サイドの楽曲をコンパイルしたベスト盤が、オランダ[Delsin]から登場! 水彩画のような淡い色彩とタッチで描かれた、純粋で感情的なメロディーと、空間を 包みこむようなアンビエンス・シンセを効かせた、極上のピュア・テクノ集!これは本 当に素晴らしいです!

8

SANTORINI VS BUCK

SANTORINI VS BUCK Rvrb Shelter Alphahouse »COMMENT GET MUSIC
US発ディープ・テック優良レーベル[Alphahouse]新作!イタリアの気鋭トラック・メイカーSANTORINIとBUCKによるスプリット・シングル!!ぬけの良いディープなトライバル・ビートにエフェクティブに伸び縮みするボイス・サンプルがドラッギーに絡むSANTORINIによるA-1「RVRB」、BUCKによる更に粘着度を増したアシッド・ミニマルB-2「Shelter」とスキル・フルなプロダクションと構成でハメていく好作!!お勧めです。

9

V.A

V.A Music Institute Pt.3 NDATL Muzik »COMMENT GET MUSIC
デトロイト・ファンには説明不要の存在でもある、伝説のパーティー"Music Institute"の20周年記念シリーズ最終章!DERRICK MAYの未発表トラックをはじめ、沢山のレア作品を収録してきたこのシリーズ、今回も最終章に相応しい、貴重な作品達が収録されています!デトロイト・ローカルでは、古くからプレイされ続けている、イタロ古典Alexander Robotnick「Problemes D'Amour」を、MOODYMANNことKENNY DIXION Jr.が、セミ・インスト・ヴァージョンへリミックス、JUAN ATKINSの最高傑作と呼び声の高い名作アルバム「Deep Space」のラストに収録されたいた「Light Speed」の未発表ヴァージョン、さらには、デトロイト・ハウス界の大ベテランALTON MILLER、古くからデトロイト勢とも交流が深く、[Transmat]のサブレーベル[Fragile]からのリリースでも知られる、カナダの重要人物ABACUSなど、全4トラックを収録!

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V.A

V.A Split Personalities Ep Proper Trax »COMMENT GET MUSIC
限定300枚プレス!!今密かに熱い視線を集めるNYネオ・ハウス・シーンからまたもニュー・レーベルが!!ざっくりとした質感ながら、フレッシュなプロダクションから生み出されるシーケンスは、ヨーロッパ物にはない鮮烈なグルーヴ感で新たなハウス観を聴かせてくれます!中心アーティストのWILL AZADA、THE FUNNEL、GREY PEOPLEなど詳細不明なアーティストばかりですが、これからの動きからも目が離せません!!

Cults - ele-king

 M.I.A.が彼女のレーベルからブルックリンの男女をデビューさせたように、リリー・アレンも自分のレーベルの第一弾として、サンディエゴ出身の男女のデビュー・アルバムをリリースした。こうしてレーベル運営にも女性が進出しているというか、逆に言えばインディ・レーベル・シーンがいかに男に偏っているのかがわかる。
 またこれは、M.I.A.やリリー・アレン世代がポスト・フェミニズムにおける前向きさをあらためて印象づける事態とも言えるかもしれない。M.I.A.のスライ・ベルズは、僕は苦手な音楽だったけれど、好みを抜きにして言えば、新しいことに貪欲なM.I.A.らしい過剰なエレクトロ・サウンドだった。が、リリー・アレンのレーベルからおでましのカルツは、いわばザ・シャングリラス、すなわちティーン・ポップ、またはガール・ポップ、要するに懐メロだ。フィル・スペクター・リヴァイヴァル印の付いた、リヴァーヴ・サウンドで、いずれにしても......ベスト・コーストザ・モーニング・ベンダーズザ・ドラムスとか、ここ数年流行の懐メロ・リヴァイヴァルのひとつとも言える。
 もっとも、ここまで来ると本当に「リヴァイヴァル」なのかとも思えてくる。過去40年、ポップ・ミュージックは前に進むために過去を参照してきた。ザ・ビートルズは50年代のロックンロールを演奏し、ブロンディーはオールディーズを、セックス・ピストルズはストゥージズやクラウトロックを、ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームはザ・バーズを、デトロイト・テクノはクラフトワークを......といった具合に過去をつまんで前に進んできたと言える。が、ここ数年のポップ・ミュージックにおけるノスタルジーは、もう本当に決定的に過去に戻りたいという欲望の表れではないかと思えてくる。最近セカンド・アルバムを発表したキティー・デイジー&ルイスのように、ジャズではザ・グレッグ・フォート・グループが徹底したアナログ録音にこだわっているが、彼らは過去を参照するなんて生やさしいものではなく、過去を現在に戻したいかのように思える。そして、欧米のこうした若者文化による引き戻し運動を見ていると、本当に心の底から現在がイヤなんだなーと思えてくる。それだけ大人が築いた"現在"が味気なく、面白くないのだ。そもそも彼らは......自分から「懐メロ」と書いておいて我ながら矛盾しているが、60年代前半のガール・ポップを懐かしむような40代/50代/60代ではなく、その頃は生まれてもいない20代の若者なのだ。

 カルツは、昨今のティーン・ポップのなかではかなり優秀だと僕には思える。単純な話、曲が良い。徹底的にドリーミーなところがまず良いし、ポップだし、10年代のロマンスがいっぱい詰まっていそうだ。また、アルバムのなかでもベストだと思われる"ゴー・アウトサイド(外に出よう)"――なんだかソーシャル・ネットワーク依存型社会への批評みたいな曲名だが――、この曲の冒頭のヴォイス・サンプリングは、明らかにこれがモダンなポップ・ミュージックであることを明かしてもいる。
 "ユー・ホワット・アイ・ミーン"のようなバラードもよく出来ているし、彼らの音楽に嫌な感情を持つ人はあまりいないのではないだろうか......と思っていたら『タイニー・ミックステープス』がなかなか面白い酷評をしていたので紹介しておこう。いわく「たとえばヴィヴィアン・ガールズなど、最近のUSのローファイ・ガレージには60年代スタイルが散見される。が、彼らの60年代にチャールズ・マンソンは出てこない。60年代のガール・ポップにはいっしょに踊りたくなるような側面ばかりではなく、ザ・クリスタルズの悪名高き"ヒー・ヒット・ミー(イット・フェルト・ライク・ア・キッス)"(彼は私を殴った、キスみたく)、あるいはザ・シャングリラスの"リーダー・オブ・ザ・パック"やトウィンクルの"テリー"のような(2曲とも命知らずの彼氏の死を悼む)絶望的なトラウマ・ソングもある。カルツはそのどちらにも達していない」
 カルツの音楽は好きな人といっしょに踊りたくなるようなパワーはあると思うので、僕はこの意見には同意しないけれど、いま振り返ると華やかに見える60年代やガール・ポップには死の影があるという指摘は鋭い。いくら現在がつまらないとしても、過去を美化し過ぎるのも危険だ。この手のヴィンテージ志向の底の浅さを露呈することにもなる。ただし、レイヴ・カルチャーのように悪いこともあったけれど、良いことのほうが多かったというのもある。アルバム最後の曲"レイヴ・オン"も面白い。

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