「K A R Y Y N」と一致するもの

Bruce Gilbert - ele-king

 実験は永遠に続く。なぜか。生きるとは実験と実践の継続と同義だからである。そしてひとつの生が終わっても、別の生がその実験を継承する。永遠に。むろん音楽も同様だ。だからこそ日々、新しい音楽が生まれ続けている。先端音楽もエクスペリメンタル・ミュージックもポップ・ミュージックもロック・ミュージックもジャズも現代音楽も南米音楽も、いやあらゆる世界で実践と実験が繰り返されている。生の証のように。それゆえ人生というときのなかでつねに未知/自己のサウンドを追求し続けるアーティストが存在する。前衛と継続、逸脱と継承、この相反する状態を長い時に渡って追求したときアーティストは、ひとつのレジェンドになる。

 1946年生まれで、現在72歳(!)、ブルース・ギルバートもまたそんな畏怖すべき永遠の実験・前衛音響作家である。ポストパンク・グループのワイヤーのメンバーだったブルース・ギルバートだが(2000年の再始動後も参加し、20004年にグループから脱退した)、その音楽性はロック/バンドの形式にとらわれるものではない。彼は70年代以降、マテリアルな質感の音響作品を数多く生みだし続けているのだ。
 そんなブルース・ギルバートの新作『Ex Nihilo』が実験音響レーベルの老舗〈エディションズ・メゴ〉からリリースされた(https://brucegilbert.bandcamp.com/album/ex-nihilo)。ちなみに〈エディションズ・メゴ〉からは2009年に新作『Oblivio Agitatum』が発表され、同年に『This Way‎』(1984)、2011年に『The Shivering Man』のリイシューがリリースされている。
 加えて同レーベルはワイヤーのグラハム・ルイスとのユニット、ドームのリイシュー・ボックス・セット『1-4+5』も発売する。私見だが〈エディションズ・メゴ〉は、ノイズからグリッチというエクスペリメンタル・ミュージックの歴史的な視座を持ってブルース・ギルバートの新作および再発を10年代初頭に行ったのではないかと思う。
 さらに、ブルース・ギルバートは英国のエクスペリメンタル・レーベル老舗〈タッチ〉から、2013年にブルース・ギルバート・アンド&BAWで『Diluvial』を送り出してもいる。この1946年生まれの実験音響音楽家は、00年代以降も、つねに前衛的存在/音響を示し続けてきた。

 本作は、『Diluvial』から5年ぶり、ソロアルバムとしては『Oblivio Agitatum』以来、じつに9年ぶりの新作である。聴けばわかるように、いまだ過激かつ実験音響を鳴らしている。ラテン語で「ゼロ、無から」を意味するというアルバム・タイトルそのものともいえるマテリアルな質感のノイズ/ドローン作品だ。
 じじつ、全9曲、どのトラックも聴き手の感覚のむこうから鳴ってくるような物質的なノイズによって、「音/楽の極北」のような響きを生成する。これほどまでに非=人間的なドローンやノイズも稀だ。論理や明晰さかも逸脱しており、人間と世界の中間領域で鳴り響くようなハードコアでマテリアルな音響である。まさに「人間」から遠く離れて。

 なかでもA1“Undertow”、A4“In Memory Of MV”、B2“Black Mirrors”、B5“Where?”などは、まさに電子ノイズ/ドローンの極北ともいえるような音が蠢いており、聴き手の耳を音楽と非音楽のボーダーラインへと誘発する。そして無機的なドローン曲“Change And Not”などは、音楽の実験・前衛の最前線を40年以上にわたって走りぬけてきた御大だからこそ行き着いた音響空間が生成しているように思えた。
 本作においてノイズは音楽/音階とは別次元でサウンドの高低を変化させ、音楽へと抵触する直前に鉱物のような音響を放っている。音=ノイズに対するフェティシズムすらも冷たく引き離すような感覚があるのだ。ブルース・ギルバートが生成する音響は、端的に言ってノイズや音響の快楽を無化する。いわば、「音楽」から遠く離れて。

 現在、電子音楽やノイズ音楽は変化の只中にあるという。すでに過去(20世紀的な)言説では語り切れない領域へと至っているともいわれる。当たり前だがすでに20世紀は終ったのだ。しかし、その「現在」もまた数秒後には過去になる。やがて無効になる。ゆえに「失語症」を恐れるがあまり、現代性を強調した正論を繰り返すようになる危険性もある。そのような言説は空虚である。だからこそ、われわれは「変化」とは「人生」であり、「実験」とは「生の条件」でもあることを再認識すべきだ。世代も時代も超えた地点にあるもの、つまりは実験や前衛に、流行やモードとは無縁のものを見出すこと。

 本アルバムはマスタリングをラッセル・ハズウェル、カッティングをラシャド・ベッカー (ダブプレート・アンド・マスタリング)という鉄壁の布陣で制作されており、〈エディションズ・メゴ〉の250番目のリリース作品(!)に相応しい作品といえる。ポストパンクからグリッチへ。そして10年代的なエクスペリメンタルへ。延々と受け継がれてきた前衛と実験精神の結晶が本作なのである。

interview with TAMTAM - ele-king


TAMTAM
Modernluv

Pヴァイン

R&BPopDub

Amazon Tower HMV iTunes

 2016年リリースの前作アルバム『NEWPOESY』で、そのタイトル通り、まったく新しいバンド像を提示してみせたTAMTAM。この勇気ある音楽的旋回で彼らは、我々の想像し得なかったような新たな魅力を知らしめることになった。おおまかな見取り図を描くなら、「レゲエのテイストを湛えたオルタナティヴ・ロック・バンド」というそれまでのキャラクターを潔く打ち捨て、「当世のインディR&Bやジャズ、ヒップホップなどの音楽的語彙に下支えされた音楽家集団」への華麗なる転身、とでも言うべきものであったかもしれないが、その転身劇以上に我々を歓喜させたのは、もちろんその音楽内容の充実ぶりであった。
 さまざまな実験精神が注ぎ込まれたミックステープのリリースを挟み、いよいよ2年ぶりとなるアルバム『Modernluv』をリリースする彼ら。その音楽的視野はさらに広範に及び、肥沃さ・深度の面でも極めて大きく前進した。
 前作以降の音楽的興味や、「バンド」という組織体ならではの創作のダイナミズム、各人のテクスチャーへの繊細なこだわり、そして「現代の愛」という「カッコつけ切った」タイトリングと、稀なる歌詞世界。作詞作曲とヴォーカルを手掛けるクロ、ドラマーにしてバンドのブレインともいうべき高橋アフィのふたりに話をきいた。


もともと僕はノイズとか、なかでも、パワー系ではなく弱音的なものが好きだったんですけど、そういうエクスペリメンタル系の流れのものと、いまのR&Bとかヒップホップのアンビエントなものが、なんとなく音響的に共通するメロウな気持ち良さがあると思っていて。 (高橋アフィ)

〈Pヴァイン〉に移籍後の前作リリースから2年弱を経て、さらにバンドの周りの環境が変わったということはありましたか?

高橋アフィ(以下T):大きく変わったことはそんなになくて。ただ、前作から中村公輔さんにエンジニアリングをお願いしているのですが、ミックスなどのポストプロダクションはもちろん、今回はより曲のコアなところまで関わってもらいました。もちろん僕たちから希望を出すこともあったんですが、中村さんのアイデアでどんどん変わったりして。昔からいろんな音楽を聴いてはいたんですが、「いまこういう音楽がカッコいいと思う」とか、「こういうものが面白いと思う」といったコミュニケーションをするなかで、よりスムーズにやれるようになったな、と。

クロ(以下K):だんだん自分たちとしても、やりたいと思っていることを100用意したら100近くできるようになってきている気がしていて。それは外部環境の変化もあると思うのですが、自分たち自身の変化もあると思います。

コミュニケーションの際の音楽的語彙も、じっさいの録音への取り組み方も深化した、と。

K:そうですね。

今回はイメージの共有が中村さんとも最初からできているような感じだったんでしょうか。

K:そうですね。普段からLINEでコミュニケーション取ったりしながら。

前作ももちろんアイデア豊富で、それをひとつひとつ実現していく感じだったと思うのですが、今回は目標の共有の度合いが明らかにレベルアップしていて、それが成果として表れていると感じました。

K:『NEWPOESY』のときは、それまでと大きく音楽性が変化したりメンバーが変わったりとか、「これがいまのTAMTAMだ」という自我をアピールするということに力を注いだ感じだったんですけど、そこはもう卒業できたというか、考える深度を深めていくことが今作ではできたと思います。

『NEWPOESY』を出したあと、自主制作でミックステープ『EASYTRAVELERS mixtape』をリリースしましたよね?

K:当初は、ラフなものを1作挟んでからフル・アルバムを出そう、という感じだったんですが……結果的に結構丁寧に作り込んじゃって。

T:海外のミックステープっぽいものを、何を演って何を録っても良いっていうラフな感じでやってみようと思って始めたんですが、制作を進めていくうちに、「この曲はふざけてあの感じでミックスしよう」とかやりはじめたらすごい時間がかかってしまって。けれど、それを経たこともあり、だいぶ変なことやってもカッコよくまとめることができるんだな、と思うこともできました。

じゃ、ある意味で『EASYTRAVELERS mixtape』が今作『Modernluv』の習作的存在ということですかね。そこでいろいろアイデアを出した結果、アルバムで目指すべきものが研ぎ澄まされてきた?

T:そうですね、いろんな所まで広げても音楽の強度は保てるし、そっちのほうが面白くなるだろうな、と思って。あとは機材が増えたこともあったり。

K: たしかに『Modernluv』に入っている曲で、ミックステープと制作期間が被っているものもあるので、ホント地続きで来ている感覚です。

どの曲?

K:“Fineview”と……

T:“Deadisland”がそう。

別室でみんながミックスをやっているときに、ブースだけ借りてひとりでずっとダビングをして、気がついたら半日経ってました(笑)。 (クロ)

TAMTAMは、初期からレゲエを重要なルーツとして活動してきたと思うのですが、今回は結構その色が薄くなってきたんじゃないかなと思いました。その点、ミックステープには割とはっきりとレゲエっぽいものが収録されていたりして。で、いま挙げてくれた2曲は、トロピカルさもあってレゲエ的テイストも残っているかなと思うんですが、それ以外の曲については、現在のオルタナティヴなR&Bとかに対してバンドがフォーカスしているのかな、というのを思いました。

K:たしかにそうかも。

T:ただ、ヴォーカルとベースとドラムで基礎を作って、その上にキーボードとギターを重ねていって、という作り方自体は今回もそれまでとあまり違いはなくて。だから、新しい興味とより混ざっていった、というのが感覚としては近いかもしれません。

K:元からラスタマンではないですし(笑)、同世代の他の人たちの平均よりレゲエが好きだった、というくらいの話かもしれないです。

だから、元々好きだったレゲエも、そして新たな興味も、別け隔てなく等距離で見ている感じなのかなと思いました。

K:そうかもしれないですね。

以前のインタヴューで、前作の制作に向けての転機となった曲として“星雲ヒッチハイク”を挙げていましたが、今回も「こういう方向性でアルバムをまとめていこう」というキーになったような曲はあるんでしょうか?

K:個人的には“Esp feat. GOODMOODGOKU”ですかね。リード・トラックだからというのもありますが、制作の早い段階でできた曲で、これが核になるかなという感触があった。デモの段階ではもっとアップテンポな曲だったんですが、BPMを落としてスタジオで試してみたら「おっ」という感じになって。こういうちょっとローなダンス感をバンド・サウンドで演奏するというのが面白いかもと思って、そこから発展させていきました。

たしかにこの曲はリード・トラックなのもすごく納得できるな、と思いました。アルバム全体的にもBPM抑え目の印象を受けたので、その象徴という感じもします。GOODMOODGOKUさんの参加はどういった経緯で?

K:彼とはそもそもなんの繋がりもなかったので依頼するのは賭けでした。GOODMOODGOKU & 荒井優作として去年リリースされた『色』が好きだったので、ダメ元でお願いしてみよう! と。

T:その時点で曲自体はもうできていたんですが、ラップのパートのところはまだできてなくて。客演が決まってから付け足す形で作りました。

リリックを含めて作ってくれませんか? という感じで?

T:そうですね。

K:まくし立てるタイプのラップの人も良いかもな、とか、たくさんラッパーをフィーチャーするっていうのも面白いかなとも思ったんですが、GOODMOODGOKUさんはもっとも自分たちのやっていることと地続きの感覚でやってくれそうな感じがあったので。

メロウなラップというか……とても巧みに溶け込んでいると思います。

K:GOODMOODGOKUさんが参加してくれると決まってからは、彼の持っているエレガンスも意識して楽曲制作をしたかもしれません。

このところ、いろんなジャンルで「メロウ」というタームが浮上してきて、国内外シーンでも重要なものになっていると思うんですが、今作『Modernluv』もやはりとてもメロウだと思いました。おふたりが普段聴いている音楽も反映されているのかなと思うんですが、「メロウ」とか「メロウネス」って感覚って、自分たちにとってどんなものでしょう?

T:もともと僕はノイズとか、なかでも、パワー系ではなく弱音的なものが好きだったんですけど、そういうエクスペリメンタル系の流れのものと、いまのR&Bとかヒップホップのアンビエントなものが、なんとなく音響的に共通するメロウな気持ち良さがあると思っていて。先述の『色』のトラックを作っていた荒井優作さんもどこかのインタヴューで言っていたんですけど、「クラブ以降のアンビエント」みたいな話をしていて、そういう感覚というか。

フランク・オーシャンに代表されるような……

T:そう。あとブラッド・オレンジや、80年代っぽいものも含めて。スクリュー系の音楽も好きで聴いていたし。音としての快楽を高めていくと、ビートの有無に関わらず、ちょっとメロウな感覚が出てくるというか。だから自分のなかでは、エクスペリメンタル寄りのアンビエントの流れとしてメロウなものが存在している気がします。

例えば70年代のソウルとかAORとかいう流れの「メロウ」ではなくて。

T:そうですね。でも、ヴェイパーウェイヴも聴くようになって、80年代のフュージョンやAORも、音響的にメロウな作品として聴くようになりましたけど(笑)。

現在何気なく言われる「メロウ」って複数の流れがある気がしていて。レア・グルーヴ~アシッドジャズ由来の90年代型DIG文化を反映したフリー・ソウルとかからの流れ。ヴェイパーウェイヴからフューチャーファンクに繋がる流れ。それと、多少領域も被るけれど、いまおっしゃったエクスペリメンタル的文脈も汲みつつアンビエントとブラック・ミュージックが融合していく流れとか……。そういう論点で考えると、今作は、はっきりとどの流れから出てきた、と言い切れないようなハイブリットな面白さがあると思って。それは、メンバーみなさんが聴いてきた/聴いている音楽が反映されているんだろうなって思うし、その上、レゲエも含め、プレイヤーとしてずっと演奏経験を積んできたっていうのもやっぱり単純な傾向付けから抜け出ている要因なのかな、と思いました。

T:クロちゃんは、90年代のR&Bとかルーツ?

ミッシー・エリオットとかネプチューンズとか?

K:そうですね。あとR・ケリーとかめちゃくちゃ好きでした(笑)。

T:ちょっといま絶妙に出しづらい名前ですね(笑)。

K:高校生の頃とか聴いてました。

みなさんが聴いてきたそういった音楽がとても有機的に消化されている感があって。いわゆる「メロウネス」にもいろいろな種類や傾向があるけど、みなさんのなかでストレスなく混合しているんだろうな、と。

T:それと……アルバムを作っているなかで「メロウ」とは、と考えたとき、元ライのロビン・ハンニバルがプロデュースしている、デンマークのオーガスト・ローゼンバウムというピアニストのソロ作にはとても影響を受けました。ロビンのクアドロンや周辺のアーティストたち……。ヴェイパーウェイヴ風の80年代的ゲートリヴァーブ、生音のシネマティックな音響、それとポスト・クラシカル的というか、現代音楽っぽい感覚。そういったメロウネスも参考にしたかもしれません。

そういった音像のコントロールの話になると、やはりエンジニアの中村さんの活躍は相当大きいんだろうなという気がしてきます。リズム面についてですが、作曲やデモ段階から途中でアレンジを変えたりするんでしょうか?

T:クロちゃんからデモが来る段階では大体全パートできているんです。完コピは難しいのである程度はもちろんその後変わりはするんですけど。大幅に変わった曲は“Esp”と“Morse”と“Goooooo”と……あ、結構変わってますね(笑)。

最初から「はいリズムはこれで行きます」という感じで決めて臨んだわけではないように感じたんですよね。おそらく、コミュニケーションのなかで「あ、これは変えちゃって良いんじゃないか」とか、それ位のスポンテニアスさがないと、なかなかこういう風な仕上がりにはならないだろうな、と思って。

K:“Morse”とか“Goooooo”とかはもう、10転11転くらいした。デモの跡形もない。

T:すごく変わりましたね。無難な落とし所として、ちょっと遅めのテンポで柔らかな4つ打ちベースに16分っぽいのをアクセント的に入れるっていう、いわゆるトロピカル・ハウス的なパターンがあまりに使いやすくはあるんですが、いまやってもあまり面白くないな、と。だからといって、R&Bをそのままやるバンドでもないですし。リズム・アレンジはかなり考えたな、という気がします。

クロさんはデモをバンドに共有する段階で隙間とかアレンジの余地を残しておいたりするんですか?

K:そうですね。TAMTAMのデモ制作には、トラックとしてひとりで一旦完成近くまで持っていきたいときと、まったくそうでなく大雑把に、部分的に作るときがあって。でもどっちの場合も最終的には演奏する人物の解釈・変更はむしろあったほうが嬉しくて。ポジティヴなものだと思っています。あくまで自分はメンバーのなかで少しフレーズ出しや構成が特異なポジションという認識で。それと、打ち込みだと、特にギターの音がイメージしづらいので、ギターは固定フレーズのたたき台になるようなものだけ作って、結構丸投げしちゃうことが多いかもです。

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自分はそういうタイプではないなと思っているからこそ、じゃあカッコつけ切った方ほうが良いなというのがあって。 (クロ)

メロディと構成だけは固めるけど、アレンジは基本余白のある状態で、と。


TAMTAM
Modernluv

Pヴァイン

R&BPopDub

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K:基本ベースとドラム、そして歌ですね。それ以外は結構変わっちゃうかも。でも“Morse”はバンドで合わせてみたときにぜんぜんハマらないなあと思ったので、メロディも全て変えました。それから、レコーディングでカリンバ音源などの重ねをたくさんしていった。これはライヴを想定していない作り方なので、7月以降レコ発やツアーでバンドで演奏する準備をこれからやらなきゃなんですが(笑)。

T:生バンドと打ち込み感の融合ということで言うと、このアレンジ「チルくていいよね」みたいな感じで盛り上がっても「でも、それならバンドじゃなくていいかも……」と迷ったりするんです。そういうときにムラ・マサを聴いて。ムラ・マサはバンドじゃないですけど、トラックは生音っぽいニュアンスが出ている。なおかつ打ち込み特有の圧のある感じで、リズムのシンプルな強さが際立っていて。

打ち込みと生っぽさの融合。

T:それならバンドでやれるかも、と思って。

K:ただ、ムラ・マサの感覚をバンドに置換するのはさほど苦労なくイケるだろうと思ったんですけど、じっさいはぜんぜん一筋縄にいかなくて。

プレイが難しいという意味?

T:それもあるんですけど、それ以上に、彼はもう2個くらい何かしら違う技を使ってると思うんですけど。

K:意外とバンドらしさとの共存が難しいのかも。受けた影響をそのままやってみようとすると「あれ? なんか情報量足りない?」ってなっちゃったんですよね。

でも結果的には、ムラ・マサの感覚をバンドで再現するというところに拘りすぎなくて良かったと思います。いい意味で、みなさんのプレイの手癖みたいなものが引き出されることで、個性も出てくるわけで。
 そういう意味で“Morse”などは、バンド・サウンドのダイナミズムが聴けるので、例えばジャズ・ファンが聴いても面白いと思うだろうし、“Fineview”もファンク的だったり、プレイヤビリティに根付いた快感もちゃんとある。特定の質感を狙いすぎると、肉体的な要素を削ぎ落としすぎてしまうこともままあると思うのですが、それがしっかり残っているというか、全面的に聞こえてくる。だからもしかすると、いまのUKジャズのシーンとかにもバランス感覚が近いのかな、と思ったりしました。
 今日いらっしゃらないメンバーの方々の音楽志向についても教えてください。まずギターのユースケさんは?

K:かつては結構普通にロック少年だったと思うんですけど、最近はDJで引き合いが多いようで、元からクラブ・ミュージック全般的な部分には詳しいですね。

T:バレアリック寄りというか、生音のレア・グルーヴっていうより、辺境系のサイケ色が強い感じの。

K:ここ最近はニコラ・クルーズにハマっているみたいで。「今作でも影響を実践した」と言ってました。本人に言われて作った後に気づきました(笑)。

たしかに、フレージングとかはすごく巧みなんだけど、なんというかギター・キッズ感はなくて、自身の演奏を俯瞰的に捉えている感覚を覚えました。DJとしても活動しているというのはなるほどという感じです。キーボードのともみんさんは?

K:彼は一言で言うなら、ポップスとして精度が高いものが好きという感じだと思います。

宇多田ヒカルとか?

K:そう。それと、ディズニー映画のサウンドトラックとか。あんまりバンド活動をしていてもなかなか会わないタイプの……

T:ぶれずにずっと好きだよね。学生の頃から。出会ったころは、槇原敬之とか。

K:学生の頃に一緒に演っていたラテンとかカリプソ、レゲエも彼の嗜好を捉えたみたいです。

T:ラテンとかもよくあるんですけど、80年代っぽいというか、逆にいなたいくらいのゴージャスな音を狙いたいとき、「そういう音色で」っていうと、ぱっとすぐ弾いてくれたり。そういう勘所がすごくあって。そういうポップスのアクっぽいところを即座に理解してくれます。

なるほど。かなり客観的にポップスを聴いているということですね。ウェルメイドなものを目指すという点においては皆さん同じだから、ユースケさんやともみんさんのなかにある蓄積や引き出しが混交することでTAMTAMのバンド・サウンドが形作られている、と。

T:そうですね。

次にクロさんの歌唱のことについてお訊きします。前作『NEWPOESY』での変化が大きいかと思うんですが、以前に比べると相当に歌い方が変わりましたよね。

K:そうかもしれないですね。

今回、前作よりさらにソフトというか、抑制されたヴォーカリゼーションに感じたのですが、やはりこれは音楽性の変化に合わせて、ということなんでしょうか?

K:普通に歳を取っただけかもしれないですけど(笑)。昔の自分の音源や『NEWPOESY』も含めて、ちょっとキンキンするなって。そこをもっと無理しないように歌うのは意識したかもしれないです。

先ほど90年代のR&Bがルーツというお話をしていましたが、だからといって、張りまくって歌い上げる系とはまったく違って、よりクワイエットというか、ちょっとフォーキーさも感じました。

K:最近は「どうだ、歌い上げてやるぞ」というような人よりは、抜き方がうまい歌い方の人が好きで。歌い手はもちろん、最近だとノーネームとかラッパーにも好きな人が多くて。

それはリズム感というかフロウというか?

K:それもそうだし、声の使い方が面白い。

その声の使い方ということで言うと、個人的にそういった女性ラッパーからの影響以上に感じたのは、ダーティ・プロジェクターズのコーラス処理に似た感覚というか……。吉田ヨウヘイgroupではコーラスを担当されていますが、そういったことを通じて歌に対する意識が変わったりしましたか?

K:そうですね。吉田ヨウヘイgroupでは、一般的に言うコーラスより地を出してメインと同じくらいの存在感を出すというなかなか珍しい形態なので、そういう意味では使える声を日々発掘してます。

じっさい今作のコーラス・アレンジもすごく凝っているなあ、と思いました。

K:もともと重ね録りが好きだったのでそこはなんの苦でもないですね。家でデモ録音しているときも、放っておくとコーラスの重ねが止まらなくなります。

オケとコーラスの関係性が高い意識で突き詰めるられているというのはTAMTAMの音楽の特徴のひとつだと思いました。

K:すべて、メインの歌を録ってコーラスも必ず2~3本は重ねるという流れでした。1曲目のタイトル曲はいちばん最後の曲のBPMを落としているだけなんですが、あれに関してはひたすらコーラスをその場で適当に10何本とか重ねて。

たしかにすごい音像でした。声というより何か……。

K:別室でみんながミックスをやっているときに、ブースだけ借りてひとりでずっとダビングをして、気がついたら半日経ってました(笑)。ムー(MØ)とかのような、簡単には知覚できないところにいっぱいコーラス・トラックがあったというのをやりたくて。シンセとか環境音みたいに鳴らしたり、喋っている声を入れたり、じつは細かくパンを左右行き来させたり、とか。

インディR&Bの人たち、フランク・オーシャンとかもそうなんですけど、等身大っちゃ等身大なんだけど、パートナーを誘う言葉がすごいカッコつけているってことに気づいて。 (高橋アフィ)

最後に歌詞の話を。全体的になんというか……。言葉にしちゃうと俺がアホみたいなのですが(笑)……「都市の大人の恋愛観」というのが色濃くある気がして。

一同:(笑)。

「アーバンなラブ・アフェア」という感じ? 言い方を変えるなら、「平成の終わりのラグジュアリー」というか。それはアルバム通した要素としてある気がするんですけど、何か意識して書いているんでしょうか?

K:私田舎者なので(笑)、アーバンかどうかはわからないんですけど……。いまの自分から、あんまり距離がないものにしようと思っていました。

題材を自分に相応のものから選んでいる、と。

K:そうですね。男か女かはわからないけれどパートナーが存在して、その関係性についてを書くところが多かったというか。それこそ前作でそうやって書くのが楽だなあと気づいて、自分の言葉が出てくる感じになって。

その前はかなり壮大な世界観というか、宇宙をモチーフにしたりしてましたよね。

K:そう。単純にSFが好きだから、それをネタ元にしてて。いま思えば見よう見まねで歌詞を書いてた時期で、自分のメソッドもないから、歌詞書くのは好きだけど「上手く伝えられた」と思うことが少なかった。さっきのサウンドの話とも一緒かもしれないのですが、作曲も自分でやるようになって、作曲面の自我が固まるにつれて歌詞もメロディもすごく乗せやすくなってきた。パーソナルなことも、開いた感じで書きやすくなった気がします。

全体的にものすごい気怠そうというか……(笑)。大人ならではの甘美な疲れ、みたいな……熟れたラグジュアリー感ということなのかもしれないけど、『なんとなくクリスタル』のような感じとももちろん違っていて。自分の周りの題材を素直に扱ってこういう作風になるっていうことは、非常にアーバンな生活をされている方なのかな、とか思いました(笑)。

K:そんなこともないんですが(笑)。狙ってアーバンにしている曲もありますね。

なんというか、かつてのプロの作詞家的っぽさもあるんですよね。2000年代半ばくらいがピークだと思うんですけど、等身大の自分をピュアにさらけ出す、的なものが素人作家主義のようなものとしてかつてあったと思うんです。そういうのっていま聴くと結構キツかったりするんだけど、今作の曲からは言葉の使い方とか含めていい意味での職業作家性やストーリーテラーとしての意識を感じました。

K:たしかに、自分の近くにいる相手に何かのきっかけで思ったりしたこととか、をとっかかりにするという意味では「等身大」ではあるけど、リアルにさらけ出す、というものは目指してなくて。たしかに自分の好みとしても作家っぽい人は好きです。小西康陽さんとか。

ユーミンとか。

K: そうそう。自分のなかで歌詞について迷っていたときに、「好き・嫌い」「自分にフィットする・しない」の2軸で世のなかの歌詞を分類してみたことがあって。「好き」でいうと、じつは強烈な個性をさらけ出す、痛烈でリアルな言葉を吐くといったタイプも好きで、自分ができないから憧れるところもあるんですけど。自分はそういうタイプではないなと思っているからこそ、じゃあカッコつけ切った方ほうが良いなというのがあって。それでまたR・ケリーが出てくるんですけど(笑)。

そこに繋がるんだ。

K:R・ケリー、そんなに持ち上げても仕方ないんだけど本当に最近また参照したからな(笑)。こういうの好きだったなって。歯の浮くようなことを言い切るとか……それこそGOODMOODGOKUさんも、そういう視点で「うわ! カッコいい!」と思いました。

T:ああ、言ってましたね。シド(ジ・インターネット)もそんな感じだって。

K:そうそう。ちゃんと気取ってて好き。

T:良いなという歌詞を探していたとき、インディR&Bの人たち、フランク・オーシャンとかもそうなんですけど、等身大っちゃ等身大なんだけど、パートナーを誘う言葉がすごいカッコつけているってことに気づいて。恋愛ものだったら、愚直な感情をすごく詩的な表現で伝えるみたいなのは多いですよね。フランク・オーシャンの“Super Rich Kids”とか、本当にそのときフランク・オーシャンがそうだったかというよりも、「俺たちSuper Rich Kidsだ」って言うこと自体カッコつけているけど、カッコつけているからこそリアルさが出るといったような、あの感じは結果的に参照してたかものしれない。等身大だけど、言葉遣いまで等身大にしなくてもいいっていう。

K:R&Bは金の話か女の話か犯罪の話かをイキって歌うみたいなのが多いと思うんですけど、トピック自体はともかく、歌うときのカッコつけ方自体は、いいなと思っていて。

そのカッコつけが、いまの日本の都市文化的な風土を経由して表現されている気がして。本作の曲からは、どうしても東京の夜の街並みが浮かんでくる。それはもちろんかつてのバブル期の風景とも違って。カッコいい言葉を使いながらも、心象風景は現代っぽいという。一方で、ストリートに根ざした音楽は社会的なイシューと繋がっているべきだという論調もあるじゃないですか。その論調を拒絶するわけでもなく、個人の関係のなかへ逃避するときに発生してしまう気怠さを、なるべくベタつきのないカッコよさで見据える行き方というのは、現代に生きている都会人として気負いのない真摯な態度であるとも言えると思います。「メロウ」というのはそもそも「メランコリック」と親和性があると思うし。そういう意味ではみなさんと同じくらいの世代、30代で、自立しつつもそろそろ生活に膿み始めている大人たちとかは絶対共感できるだろうなって(笑)。

T:良かったです(笑)。

K:浮かばれました(笑)。

最後にアルバム・タイトルのことを。『Modernluv』っていうのは、まさにこれまで話してきた通り、この2018年の……多レイヤー化する社会に揺られながら、日々を生きる大人がする気怠さと憂鬱を孕んだ恋愛、という意味なのかなって勝手に解釈してたんですけど……あってますかね?

K:素敵な解釈で嬉しいです。それをカッコつけて看板を付けてあげたみたいなことかな。

めちゃハマってますよ。「LUV」だしね。カッコつけ切ったな、と(笑)。

K:なんか……バンドとして、いきなり「LOVE」はまだ恥ずかしいかなっていう(笑)。


Oneohtrix Point Never - ele-king

 作者が死んだのはちょうど50年前のことである。テクストは作者の考えていることを表したものではないし、ましてや作者の人間としての内面を吐露したものなどでは断じてない。テクストは引用の織物であり、内面なんてものはそれが言語によってしか説明されえない以上、すべて事後的に構成されるものである。
 もちろん、そのように人間を縮減していく試みは、19世紀の終わりから20世紀半ばにかけて何度も試みられてきた。詩人は言葉に主導権を譲らねばならないと主張した詩人、書物は日常生活を営む自我とはべつの自我によって生み出されると考えた小説家、ゲームや無意識など主体のコントロール外にある偶然的要素を創作に活かそうとした文学・美術グループ、あるいは「この女」と言うためにはその女から実態を剥奪し殺戮してしまわなければならないと説いた批評家。けれど、よりわかりやすい形で人間としての作者に死が与えられたのは、やはり1968年ということになるだろう。ようするにそれは、なんらかの対象について語るとき、それを生産した人間に着目するのはいい加減やめませんか、という提案である。そのような反人間的な発想が現れてから、もう半世紀ものときが流れたのだ。
 どうやらワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンもまたこの問題について考えを巡らせることがあったようで、先日公開された最新インタヴューにおいて彼は、われわれはついつい「この人間そのものの表現だ」と思えるような「苛烈なまでにパーソナルな表現」を賞賛しがちだけれども、自分は「演奏する人間が排除されている」ような「音楽機械」にこそ心惹かれる、と語っている。つまり、いままさにここでおこなわれているように、彼という人間をとおして彼の鳴らす音を説明しようとするのはもうやめませんか、ということである。たいせつなのは人間じゃなくてそこで鳴っている音でしょうよ、というわけだ。アンチ・ヒューマニズムである。

 とはいえOPNは、その発言によって自らの作品をパフォーマティヴに変容させていくタイプのアーティストでもある(同じインタヴューで彼が録音物ですら変化しうると言っているのは、そういう外在的な効果を念頭に置いてのことだろう)。その作品の強度と発言をつうじて、いまや10年代でもっとも重要な電子音楽家と言っても過言ではないほどの存在にまでのぼり詰めたOPN、あまりに大きな期待を背負って発表されたその8枚目のアルバムは、われわれの予想をはるかに超えるアイディアとサウンドをもって、いまふたたび彼のキャリアを更新している。
 どきどきしながら再生ボタンを押すと、すぐさまチェンバロの音が耳に飛び込んでくる。その響きと音階はバロック音楽の雰囲気を醸し出しているが、そのムードは幾度か差し挟まれる叫びとノイズ、そして中盤で30秒ほど挿入されるインスト・ポップ・バラードとでも呼ぶべき謎めいたパートによって破壊されてもいる。異なる時代を強制的に接合するコラージュ。冒頭のこの表題曲の時点ですでにロパティンの勝利は確定したも同然だが、続けざまに「バビロ~ン♪」という加工された音声が流れてくるのを耳にした瞬間、われわれはさらなる驚異と遭遇することになる。歌である。それも、ダニエル・ロパティン本人による歌だ。
 その旋律はポップ・ソングによくある「いかにも」な進行を見せる。押韻もわかりやすい。途中でプルーリエントによるスクリームが挿入されるものの、それでも曲はクリシェであることを全うしようともがき続ける。「ヘルプ・ミー」という高い声が乱入する。クレジットを確認して初めてそれがアノーニによるものであることがわかる。助けて。しかしロパティンは歌うことをやめない。「わかったよ/なんで君が僕らがバビロンにいると思うのかを」。助けて。「わかったんだ/なぜ君がこのバビロンから離れられないのかを」。そしてトラックは解決らしい解決を見ないまま唐突に終わりを迎える。バビロン。それはいったいなんの比喩だろう。インターネットか。資本主義か。それとも、常世すべてか。

 OPNらしい鍵盤とシンセが横溢する3曲目へと至ってようやく、われわれはこれがあのOPNの新作であることを思い出す。アッシャーのために書かれながらもアッシャーには使ってもらえなかったという“The Station”は、前半のロパティンによる歌を否定するかのようなミニマルなギター音の反復をもってリスナーに先を急がせる。ミュージシャンがよく口にする「架空のサウンドトラック」というクリシェを試したという“Toys 2”は、卓球のような具体音と『アール・プラス・セヴン』で展開されていた賛美歌風音声ドローンの断片、『ガーデン・オブ・ディリート』のような強烈なノイズと東洋風の旋律によるかき乱しを経て、初期のOPNを思わせる穏やかなシンセ・ミュージックを響かせる。そしてアルバムは先行公開された問題曲“Black Snow”へ到達する。吐息とフィンガースナップに誘導され、「盲目のヴィジョン/盲目の信念」と、ロパティンは静かに歌いはじめる。リリックはニック・ランドが設立に関わったCCRUの論集からインスパイアされている。バッキングに徹するアノーニ。東洋的なモティーフとノイズの手前で、ダクソフォンが不気味な唸りを上げる。

 アルバムはふたたびチェンバロを呼び込み、大規模なアート・プロジェクトを成功させるためには金融業者と仲良くならなければならないことを諷刺した小品“myriad.Industries”をもって、その後半を開始する。『R+7』の延長線上にあるトラックのうえでプルーリエントが雄叫びをあげる“Warning”や、ミュジーク・コンクレートとインダストリアルを同時に試みたかつてない作風の“We'll Take It”、ようやくアノーニがそれらしい歌声を披露する“Same”など、最後まで聴き手を飽きさせないトラックが続く。『R+7』から目立ちはじめ、『GOD』において突き詰められた、ポップ・ミュージックのメタ的な解体作業。『エイジ・オブ』ではそれがより尖鋭的な手法をもって実践されている。あるいは逆の見方をすればそれは、いわゆる大きな物語が機能しなくなり、幾千の島宇宙がそれぞれに閉じたサークルを形成するポストモダン以降の情況にあって、電子音楽の冒険を電子音楽ファンのなかでのみ完結するものにはしないという強い意志と捉えることもできる。
 ともあれ本作の肝をなす自身の歌唱と、アノーニやプルーリエントといったゲストの参加、あるいはダクソフォンの活用は、前作でチップスピーチを導入していたロパティンにおける声への志向性が、いま、ますます高まっていることを示している。けれどもそれらの声は著しく加工され変調され切り刻まれ、歌い手のキャラクターを尊重しない。声そのものへのアプローチを突き詰めつつもロパティンは、けっしてその人間性には依拠しようとしないのである。それはたとえばジェイムス・ブレイクの起用法にも表れていて、あくまでも彼はキイボーディストおよびミックス・エンジニアとして参加しているにすぎない。
 ロパティンはこれまでも本名名義での作品やプロデュース作品、あるいはサウンドトラックやリミックスなどでじつにさまざまな相手とコラボを繰り広げてきたわけだけれど、他方で自身のメイン・プロジェクトであるOPN名義のソロ・アルバムにゲストを招くことだけは頑なに拒み続けてきた。多くの客人を招待した『エイジ・オブ』はだから、彼のディスコグラフィのなかで大きな転機となるはずで、であるならばいっそ大々的にアノーニやジェイムス・ブレイクの歌声をフィーチャーしたポップ・ソングを作ってもよかったはずである。だがロパティンはそうしなかった。それにはおそらく、現在の彼が人間に対して抱いている二律背反的な、複雑な思いが関与しているのだろう。
 アノーニとの口喧嘩を経て、自分はニヒリストなのかと問いはじめたところからすべてがスタートしたという本作は、他方でわざわざクレジットにCCRUの名を掲げてもいる。ロパティンは揺れている。半分は無意識的に、そしておそらく半分はきわめて意識的に。思い出そう、先に引いたインタヴューにおいて彼が、人間が排除されたような「音楽機械」もまた「とても人間的なものに感じられる」と述べていたことを。「ハートから生み出された感じがする、そういう音楽」こそが好きなんだと、それこそクリシェのような発言をしていたことを。そしていままさにわれわれは、彼という人間をとおして『エイジ・オブ』を理解しようと試みている。

 いまさら人間に全幅の信頼を寄せるようなかつての発想には戻れないし、戻るべきでもない。かといって人間の縮減ないし抹消によってもたらされる種々のほころびをそのまま歓迎することもできない。急速にテクノロジーが変容し、人工知能や人新世といったタームが脚光を浴びる今日、人間と反人間とのあいだで揺れ動く現代、ポストモダンという言葉さえレトロスペクティヴに響き「ポスト・ポスト」という言い回しでしか名指すことのできないこの時代、それこそが『エイジ・オブ』の切り取ろうとしている生々しいバビロンの姿だろう。「オブ」以下が言葉を欠き、大いなる余白を残すゆえんである。

小林拓音

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 その人が資本主義の犠牲者だろうとそうじゃなかろうと、音楽には2種類ある。ひとつは気持ち良ければある程度は完結する音楽=EDM、AOR、MOR、シティ・ポップ、ほとんどのハウスとテクノとヒップホップ、多くのポップスやロックやファンクやジャズ……etc。もうひとつは気持ち良いだけでは物足りないと思っている人の音楽だが、OPNは後者を代表する。ポップのフィールドにおいて、いまこの人ほど思わせぶりな音楽をやってのけている人はいない。

 たとえば『リターナル』というアルバムがある。19世紀のフランスの画家、アンリ・ルソーに触発されたという話はファンの間では知られているのだろうが、ただしダニエル・ロパティンの解説によれば、それはルソーの絵画そのものに触発されたというよりも、自分が行ったことのない風景を人からの伝え聞きによって描いたというルソーの行為への関心によってもたらされている。それは、実際にアフリカを旅行してアフロをやるのではなく、自分が伝え聞いたアフリカをもとにアフロをやるということで、メディアによって拡張された身体が感応しうる世界を捉えるこということだろう。が、あの作品を聴いただけでそこまで想像できるリスナーがいるのだろうか。ロパティンは、自らの言葉で自らの作品に仄めかしを授け与える(その観点でいけばザ・ケアテイカーと似ているし、自己解説が作品に付加価値を与えるという点ではイーノにも似ているのかもしれないが、ロパティンほどアブストラクトではない)。

 『エイジ・オブ』におけるオフィシャル・インタヴューのロパティンの思わせぶりな発言を読んで、この1ヶ月、ぼくのなかにはどうにも釈然としないモヤモヤが生まれている。彼は、本人が歌う“Black Snow”という曲の歌詞がイギリスの思想家、ニック・ランドの影響下にあることを明かしているのだ。正確には、かつてニック・ランドが主宰したCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)という研究グループの発表した出版物に触発されているとのことだが、おいおい、これは大いに問題だろう。インタヴューではCCRUのウィリアム・S・バロウズ的な手法が気に入ったと説明しているが、それならバロウズの影響下で作詞したと言えばいいはずだ。さすがにロパティンがアンチ・リベラルの右翼であるはずはないだろうけれど、わざわざブックレットのクレジットにまでCCRUの名前を入れた理由は知っておきたい。

 現代思想に詳しくもないぼくがニック・ランドを知ったのはほんの数年前のことで、UKの音楽メディアでオルタ右翼のイデオローグとして紹介されている記事を読んだからだった。また、彼の提唱する加速主義という思想がやはりUKの音楽メディアにおいてヴェイパーウェイヴの論考に活用されてもいることも気になっていた。ポップ・カルチャーは、かちかちとクリックしながら音楽制作することが普通になった21世紀になった現代でも極端な考え方に惹かれてしまう側面があるらしい。
 ヴェイパーウェイヴがその初期においてひとつの論説として成り立ったことの根拠には、資本主義としての音楽の終わりにあるジャンルだというマルクス主義的な仮説にある。亡霊めいた音響(スクリュー)を特徴としたそれは、当初は無料配信/無断サンプリングが基本で、マーク・フィッシャーいうところの「文化が経済に溶解してしまった」現代においては、たしかにそんな幻想を抱かせるものではあった(〈Warp〉のサブレーベルもヴェパーウェイヴの12インチをリリースし、Macintosh Plusのアナログ盤がインディーズのコーナーに陳列されている今日ではその仮説も紛糾されたわけだが、もちろんそれはそれで良い。ほかのジャンルと同じように認められた=商品になっただけのこと)。
 しかしながら、そうした仮説がまかり通った時代を記憶している者として言えば、ある時期アンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージックのシーンが何かの「終わり」に憑かれていたことはたしかだろう。安倍政権をはやく終わらせたいという願望はもっともな話だが、この「終わり」の舞台は主に英米の音楽シーンにある。つまり、レイランド・カービーが〈History Always Favours The Winners〉をはじめたのも、『フローラルの専門店』もOPNの『レプリカ』もジェームス・フェラーロの『Far Side Virtual』も2011年、ジャム・シティの『Classical Curves』とアクトレスの『R.I.P』は2012年、〈Tri Angle〉や〈Blackest Ever Black〉の諸作が脚光を浴びたのもこの頃だよね。ジャム・シティに関しては、あたかも人類が滅亡した後のオフィスビルのフロアを彷彿させるあのアートワークを見て欲しい。サン・ラーによる世界の終わりとはずいぶん違う。それらはおもに資本主義リアリズムの恐怖に反応したものだと思われる。

 あるいはそれがジョナサン・クレーリーいうところのインターネットが招いた「24/7」消費社会への抵抗かどうか、あるいは加速主義的な、さっさとこの世界を終わらせたいという苛立ちなのかどうか、なんにせよロパティンは少なく見積もっても『レプリカ』以降はディストピックなヴィジョンから逃れられないでいる。
 音楽は答えではない。それは問題提起であり、気づきや揺らぎへの契機となりうるものだ。釈然としないその気持ちをそのまま露わにすることにだって意味がある。ロパティンに対する疑いのひとつに、彼がいまどきのネット時代に特有の情報おたく/オブセッシヴな情報収集家ではないかということがある。どんなに知識を振りかざしたところで、当たり前の話だが、音楽それ自体に訴える力がなければ知識のひけらかしに過ぎない。「ブルーカラー・シュールレアリズム」とロパティンが言うのは、自分の音楽がハイブローな人たちだけではなく、「ブルーカラー」にも聴いて欲しいということなのだとぼくは解釈している。ゆえに『エイジ・オブ』で彼がR&Bやポップスに挑戦したことをぼくは評価したい。が、もうひとつの問題は、しかしこのアルバムの魅力がロパティンのポップ・センスに依拠してはいないということにある。

 彼の発言によれば、『エイジ・オブ』の制作は環境問題をめぐるアノーニとの会話からはじまっている。1万年後には人類は終わるのだから環境のことなど考える必要はないという彼の発言に対して彼女は怒り、ニヒリストという言葉でロパティンを罵倒した。俺はニヒリストなのか? アルバムはその自問自答からはじまっているという。『エイジ・オブ』にセンチメンタルなフィーリングがあるとしたら、人類の未来を案じてというわけではなく、アノーニによって引き裂かれたロパティンのなかの揺らぎに依拠するんじゃないだろうか。
 『エイジ・オブ』は間違いなく前作『ガーデン・オブ・デリート』より魅力的なアルバムで、『R・プラス・セヴン』よりイケてるかもしれないが、この新作はロパティンひとりでは完結していない、他者=アノーニ&ジェイムス・ブレイクが介在しているという点においてもOPNにしては異例の作品だ。アノーニの素晴らしい声を知る者たちが憤慨してもおかしくないほどに彼女の声は加工されているが、それでもアノーニの存在は重要であり、作品のなかに活きているというわけだ。
 アルバム1曲目の“Age Of”からしてニューエイジめいたメロディの背後で不吉なノイズが鳴っている。続く歌モノ“Babylon”はいきなり終わる。ニューエイジ的な陶酔を拒否しているかのように。4曲目“The Station”から“Toys 2”、そして“Black Snow”へと続く美しい流れとは対照的に、7曲目“myriad.industries”からはじまるアルバムの後半には暗い予感が渦巻いている。
 1枚のアルバムには往年のプログレッシヴ・ロックを思わせる“物語”がある。バロック音楽にオペラと、これらもプログレ的な折衷感ではあるのだが、本作のスリーヴにデザインされている3人の女性の絵は、伝説のプロトパンク・バンド、デストロイ・オール・モンスターズのオリジナル・メンバー、ジム・ショウによるものだ。エレキングにおける三田格のインタヴューでもパンクである自分を主張しているが、それは自己確認であり、本作に対するエクスキューズに思えなくもない。こんなところにもある意味どっちつかず、ある意味分裂的な本作の本性が垣間見られる。
 この物語には矛盾があり、引き裂かれている。それがぼくの解釈だ。その引き裂かれ方には、「終わり」に憑かれたロパティンとアノーニがもたらすヒューマニズムとの葛藤と同期するかのように、アンチ・ポップとポップが衝突している。いや、そんなことは誰かほかの作品でも聴けるわけだが、OPNにおけるその衝突は思いがけないマジックを生んでいるかもしれない。

※6月末発売の紙エレキングでは、社会学者の毛利嘉孝氏にイギリスにおける現代思想の大雑把な流れについて教授してもらいました。ニック・ランドを持ち出すことのマズさについてももちろん触れているので、こうした議論の入口、とっかかりとして読んでもらえればと思います。ちなみに「中世に帰れ」という展開も近代的ヒューマニズムを否定するこの流れにあります。また、ダニエル・ロパティンのインタヴューは、webで紹介したのはほんの序の口で、作品の核心に触れているディープな箇所は紙エレキングに掲載されます。また、ほかにも(いい意味で)頭でっかちなアーティストのインタヴューを取りました(笑)。はっきり言って、編集しながらぼくも勉強になりました。どうぞ、お楽しみに。

野田努

Dedekind Cut - ele-king

 北カルフォルニアのサウンド・プロデューサー、フレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIによるデデキント・カット名義の新作『Tahoe』がリリースされた。リリースは老舗〈Kranky〉。近年これほどまでに身体に作用するアンビエント/ドローンは稀ではないか。
 『Tahoe』は〈Hospital Productions〉からリリースされた前作『$uccessor』から約2年ぶりのアルバム(EPとしては『American Zen』や『The Expanding Domain』などを発表)である。そのサウンドはまるでアンビエントな音響が脳内でサラウンド化するような感覚になってしまうほどに進化=深化している。同時に現行のニューエイジ・リヴァイヴァルにも適応するかのごとき繊細な音のタペストリーも生成しており、聴き込んでいくにつれ意識が飛んでしまうような心地良さがある。

 そもそもドローン、ノイズ、インダストリアル、ニューエイジなど、いわゆる「2010年代以降のエクスペリメンタル・ミュージック(先端的な音楽)」は、20世紀後半以降の実験音楽やポスト・パンクの領域で応用された手法をクラブ・ミュージックの領域でリサイクルした同時代的なフォームだった。
 それはフレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIにしても同様で、たとえばリー・バノン名義で〈Ninja Tune〉からリリースした『Alternate/Endings』(2013)などを聴けばわかるとおり、ドラムンベースを基調としたクラブ・ミュージックのアーティストであった。「あった」というのは、だがそのサウンドは先端的音楽の潮流の中で次第にクラブ・ミュージックの定型から逸脱しはじめたからである。とくに2015年に〈Ninja Tune〉からリー・バノン名義で発表した『Pattern Of Excel』あたりから、どこかJ.G.バラードの後期作品を思わせるような不穏なムードを称えたミュジーク・コンクレート/シネマティックなアンビエント・サウンドへと変貌していったのである。
 その最初の達成がドミニク・ファーナウ主宰〈Hospital Productions〉からリリースされたデデキント・カット名義の『$uccessor』(2016)だろう。ちなみに2016年はミュジーク・コンクレート的なサウンドにモードが完全に変化してきた時期である。例えば2016年リリースのジェシー・オズボーン・ランティエ『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』などを思い出してみたい。
 そして、この『Tahoe』は「2016年的なミュジーク・コンクレート・サウンド」以降のアンビエンスをはやくも実現している。ここではノイズもドローンも「救済」のような質感を生んでいるのだ。本作と対比すべきアルバムは、やはり『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』だろう。『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』は、ノイズ系ミュジーク・コンクレートによる戦争/爆撃の果てにあるレクイエムのような音響音楽作品だったわけだが、『Tahoe』は、その世界のさらに果てにある安息の世界に鳴る音響音楽の讃美歌である。破滅の音像から救済のアンビエントへ?

 『Tahoe』には全8曲が収録されている。冒頭の1曲め“Equity”から2曲め“The Crossing Guard”、そしてアルバム・タイトル・トラックである3曲め“Tahoe”へと繋がる流れは水流のようにスムーズだ。この曲では不意にサウンドの中に水流のような音が紛れ込まされていることに気がつくはず。
 ちなみに「Tahoe=タホ」とは「アメリカ合衆国のカリフォルニア州とネバダ州の州境にあるシエラネヴァダ山中の湖」の名のようで、同時に「この地に先住するワショー族のインディアンの言葉で大きな水(つまり湖)を意味する言葉らしい。つまりこのアルバムは「水」が主題となっているのだ(思い返せばフレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIも北カリフォルニアの出身である。その意味で、自身の出自を神話的な音響で表現したアルバムといえるかもしれない)。すると、本作のアンビエンスが、どうしてこうまで心身に効く音響なのかわかってくる。「水」のアンビエンスが、人間の感覚に効くからではないか、と。
 アルバムは以降、ミストのようなアンビエンスと鳥の声などの環境音などがミックスされる“MMXIX”、クラシカルな旋律を響かせる“De-Civilization”、ドラマチックな“Spiral”、森の中のようなフィールド・レコデーィング・サウンドに不穏な持続音がレイヤーされ聴き手を別時間へと連れ去っていく長尺アンビエント/ドローン“Hollowearth”、アルバム終曲“Virtues”に至るまで、考え抜かれた構成で最後まで聴かせる。どうやらリリースが当初の予定からやや遅れたようだが、アルバム全編に横溢する凝りに凝った音響と構成を聴き込むにつれ、それも納得できるというものだ。

 このアルバムには神話的ともいえるアンビエンスが生成されている。同時に現代の世界・社会の変化によって生まれている人心のストレスを水の中に溶かしてしまうような音響が生まれてもいる。それはインターネットなどのメディアを通じて、あらゆる種類の音響・音楽が聴覚へと融解・浸透してくる現代的な感覚の生成にも近い。そう、この『Tahoe』には、破滅的なノイズ系・ミュージック・コンクレート「以降」の「安息/終局」の浸透的な音響が鳴り響いているように思える。
 なんという心身に染み入るようなアンビエントだろうか。この音響/音楽には10年代のエクスペリメンタル・ミュージックが行き着いた到達点のようなものを強く感じた。

Rich The Kid - ele-king

 Rich The Kid。リッチなキッド。名が特徴を表す。もとい、特徴がそのまま名となる。プリミティヴな、トラップ空間においては。この部族のしきたりは、その名に恥じない歌を編むことだ。だから、提出された。これら13の、富を高らかに宣言する歌が、提出された。
 若き男は富をつかんだ。車はマセラッティ。あるいはランボルギーニ。そしてベントレー。時計はオーデマ・ピゲ。そして自身のレーベルも運営する。札束をひけらかすアートワーク。Kendrick Lamar、Future、Lil Wayne、Migos、Rick Rossと錚々たる面子をフューチャー。2014年から数々のミックステープで実績をひけらかしながらもオフィシャル・アルバムをリリースしなかったのは、レーベルとの契約金を最大化する戦略だったのかと訝しんでみる。今回のアルバム契約に際し、もちろん複数のオファーを受けたが、彼は簡単に首を縦に振らなかった。結果、〈インタースコープ〉が競り勝つ形となった。

 ニューヨークに生まれNasやBiggieを愛聴する一方で、ハイチにルーツを持ち、フランス語系のクレオール言語を操る。Biggieから学んだことがあるとするなら、「Notorious(悪名高い)」から発想した「名の上げ方」かもしれない。MCとしての成功のためのスキルには、ライミングやフロウ、デリヴァリーだけでなく、当然セルフマーケティングも含まれるからだ。
 卵が先か、鶏が先か。最初からRichを名乗る。オフィシャル・アルバムをリリースしないうちから、名を馳せる。もはやアルバムという括りにも、オフィシャルという括りにも縛られる必要はない。そういう時代だ。ただ「Rich」という名を広めることこそが、その名をますます真実にしていく。「Rich」という名が広まるにつれ、その名の真実味が増していく。名乗りそれ自体が目的となる。
 トラップ・ミュージックのプレイヤーたちは群れをなし、共同のひとつのプレイグラウンドに何か巨大なモノ/ジャンルを築こうとしているのだろうか。砂場の砂で、どこまでオーバーサイズな楼閣が形作られ得るのか。互いが互いの鏡像と成り合うことで、群れ全体における砂場におけるプレイング・ルールが成形されていく。しかしそこでは個別のスタイルはどのように生まれるのか。彼らは互いの喉仏の形状を確認しながら、舌と唇と声帯で出来たトーキングドラムセットを抱え、TR-808のビートに合わせてそれを乱打する。隣の奴が持つリズムと、ときには競り合うように。そしてときには隣のドラムの響きを引き立てるように。
 それは奇しくもヒップホップの黎明期のアティテュードに接近している。まだソロ活動という概念がなかったとき、彼らは徒党を組んで活動した。個ではなく、群れとして。サイファーが基本的なプラットフォームだった。サイファーにおける他のMCたちは、自分の鏡像だ。彼らは鏡の中の自分に向けてスピットする。
 だからRichがこれだけの個性的なゲストに囲まれながら、彼ならではのスタイル=個性がどこにも見当たらないとすれば、それは彼の瑕疵ではない。むしろそれは、彼が1970年代と2018年、つまり40年以上を隔てたヒップホップとトラップに通底する本質を体現していることにはならないか。

 これもまた「ひとりではない」ソロ・アルバムだ。ゲストをフィーチャーした楽曲群のデザイン。基本的にはまずはRichが最初のヴァースとフックをキメることでグランドデザインを示してから、客演のMCたちがコントラストを最大限に発揮しながら登場する。
 たとえば“No Question”では、Futureが「brrt, brrt」と着信音に擬態しながら、荒い目のヤスリで磨いたようなざらついた声色を曝け出す。“Lost It”ではMigosのOffsetとQuavoが俄然パーカッシヴな骨太のトーキングドラムを演奏する。“End of Discussion”では残響の深いパッドと16分で刻まれるハットの上、Lil Wayneが韻先行の高速でうねる狡猾なフロウを披露する。
 そしてKendrickをフィーチャーした“New Freezer”。ラッパーの肉声となんらぶつかり合うことのないウワモノ、ベースとドラム。そこではドラムがグリッドを描き、声は裸にされる。ヒップホップ史上(と言って差し支えなければ)、声がもっとも裸にされているのが「いま」なのだ。裸の声を神輿に担ぐ内省的なビートなのだ。Richの滑舌の悪さは白日に晒される。滑舌の悪さは、意図的でないにせよフロウをマンブルに近付ける。それは意味(リリック)であるより先に音色だからだ。
 一方のKendrickの舌は剃刀だ。Kendrickはあらゆるフィーチャリング曲で、毎回異なるアプローチを打ち出す。自分の曲でないから余計に自由になる。彼は恐るべきことに、ここで身をもって示してしまう。トラップライクなビートはこうやって乗りこなすんだと、示してしまう。少ない言葉数で、節をつけたフレーズを絞り出す。「6,400万ドル(目もくらむ稼ぎ!)で一体何をショッピングすればいい?」と暗にRichを挑発する。お前らのやり方を、乗っ取ってやると。かつてコンプトン出身の彼が「キング・オブ・ニューヨーク」を名乗った大胆不敵さで。Richは果たして、いかに応答するのか。したのか。

 ここでひとつ示されているのは、即物的な言葉を、空間的な音にぶつける手法だ。そこに生まれるのは、世界の歪みだ。奇妙な余韻だ。これは何もRichの専売特許ではなく、共有されている手法(楼閣の建材のひとつ?)だが、「Rich」を名に持つ彼が放つブランド名は、アトモスフェリックなシンセで額装され、抱えきれないほどの空白を撒き散らすのだ。
 たとえば前述の“Lost It”のMetro BoominやWheezyによる共同プロデュースのビート。すぐ耳元で弾けるクラップ。それとは対照的に遠くにこだまするシンセのパッド音。両極の間でラッパーの立ち位置はどこか。それは視覚的なヴィジョンとして現れる。トラップの遅いBPMと音数が少ないことで溢れ出した行間が意味するもの。それは音の空間性だ。だから顕現するのはトラップ空間だ。8分から16分、そして32分とその幅を変化させながら縦横のグリッド線が行き交うその空間で、全ての音は座標を意識される。そして言葉も然り。
 キックとスネアがグリッドを刻む空間の上で、メロウで、残響音を伴うシンセが滲む。そして投入されるのは、即物的な言葉の数々。見せびらかす、アイスまたはフリーザー。宝石や時計。ルイ・ヴィトンのカーペット。彼にとっては高価でもないベントレー。ドラッグとセックス。内省を促すようなアトモスフェリックな滲みの上で、いまこの瞬間の溢れんばかりの富がドロップされる。その際限のなさが、トラップのスカスカのビート空間にこだまする。そこに虚無を嗅ぎとるのは簡単かもしれない。何れにせよトラップ空間が、モノの異化をもたらす装置であることは疑いようもない。

 このアルバムには、ゲストなしにRichひとりがライムする曲も、もちろん存在する。しかし彼は、ひとりではない。メランコリックな逆再生風シンセが手を引く“Plug Walk”。彼のPlug(ドラッグディーラー)との片言のコミュニケーションを宇宙人との会話に擬えるMV。「いまここ」で手に入るブランドを貪り尽くし、「富めること」の想像力は、宇宙へ向かう。未来へ向かう。イーロン・マスクがテスラの自動車をロケットで打ち上げてしまう発想と、火星を思わせる荒野でE.T.とダンスするRichのヴィジョンは共鳴する。Plugを迎えに行くのは、彼がE.T.が乗って来たような宇宙船と呼ぶ車たちだ。“New Freezer”のMVでもRichは、宇宙船のコクピットのようなクーペでKendrickと一緒に未来へ向かうのだ。
 そして本人を召喚せずにひとりでふたりの関係を示す“Dead Friends”では、Lil Uzi Vertを壮大なビート(DJ Mustardが音素材サイト「looperman.com」の無料ネタをサンプリングしている!)をもってしてディスる。2015年の“WDYW”ではA$AP Fergを間に挟んで、ふたりのヴァースはシナジーを生んでいた。しかしあれから数年で、一体何が狂ってしまったというのだろう。Richは本曲のヴァースでライムする。「俺は永遠の富を手に入れた。スターになった。大量のアイス。大量の札束。そして大量のトラブルさ」

Sugar Plant - ele-king

 私の世代(1983年生まれ)は、リスナー体験として、ギリギリSugar Plantの活動が旺盛だった時代に間に合っていない。前作『dryfruit』がリリースされた2000年あるいはそれ以前といえば、レイヴ・シーンはもちろん、まだ東京の先端カルチャーのことなど知る由もないような、青い年頃だったから。
 その後東京へやってきて、「LAW LIFE」などのイベントに触れることができたわけだけれど、その頃には残念ながらSugar Plantの活動はすでに沈黙期にはいっていたのだった。当時、カッコいい(だけどちょっとだけ怖そうな)先輩たちに「キミはどんな音楽が好きなの?」と訊かれて、(本当はザ・フーが一番好きだったけどインディ・スノッブを気取って)「シー・アンド・ケイクとか、ヨ・ラ・テンゴとかとか好きです!」と答えたりしたものだが、そうするとかなりの頻度で「最近はあんま活動していないんだけど、Sugar Plantって日本のバンドがいてさ、おすすめだよ~」などと返されたものだ。
 そうやって私の意識には、Sugar Plantはその頃からすでに「幻のバンド」としてインプリントされていたのだった。だから、後年(2011年だったと思う)、Sugar Plantにサポート・キーボーディストとして参加したこともある高木壮太氏も在籍のバンド「LOVE ME TENDER」のリリース・パーティにて、対バンとして出演した彼らのライヴを目撃できたことは、大きな印象を私に与えた。ソリッドな編成ながら、奏でられる音はあくまで柔和で、空間を包み込む。決して大音量というわけではないのに、体全体が音に浸されていくような感覚。サイケデリックと言えども閉塞的な空気とは無縁で、どこか飄然とした開放感があった。ちょうど世界的にチルウェイヴやネオ・シューゲーザー的サウンドが盛り上がりを見せていたこともあり、そういった文脈における先駆者として注目される向きもあったが、私はむしろ、それだけでは捉えることのできない魅力に強く惹かれたのだった。
 
 ついに。いよいよ。ここに新作『headlights』が届けられることになった。前作からなんと18年ぶりのリリースだ。そしてこれは、私が初めてリアル・タイムに触れるSugar Plantの新作アルバムである。

 M1“Days”は、オガワシンイチによる流麗なギターのアルペジオのあと、ショウヤマチナツの抑制されたヴォーカルが表れた瞬間、Sugar Plantならではメロウネスが新録で届けられることの歓びが湧き上がってくる。リズムは、チナツがこの間活動をしてきたソロユニット、cinnabomに通じるブラジル音楽風味を湛え、メロディは、キング・クリムゾンのチルな一面を代表する名曲“I Talk to the Wind”を思わせもする。なんと素敵な幕開け。
 続くM2“headlights”は、バンドのルーツでもあるヨ・ラ・テンゴやギャラクシー500を思わせるフォーキー・サイケデリア世界。いまになって振り返ってみると、先述のように以前にチルウェイヴの文脈などでから再解釈された側面よりも、この曲に見られるようなスロウコア、サッドコアと共振する「歌心」こそがやはりバンドの魅力の本質に近いのだろうという気がしてくる。
M3“north marine drive”は言わずと知れたベン・ワットによる名曲のカヴァー。オリジナル版よりテンポを落とし、原曲にあった清涼感はそのままに、Sugar Plantならではの妙味として、US東海岸サイケデイア由来のグルーミーな味わいが加えられている。
  M4“I pray for you”では、グッドメロディとディープ・ハウス的音像の融合が甘いサイケデリアを浮かび上がらせるという、かねてより彼らが丁寧に紡いできた世界が、最新の音響意識を纏い、最良の形で提示される。このあたり、本作のエンジニアリングを手掛けた田中章義の手腕とバンドの美意識の理想的な配合と言えるだろう。
 M5“dragon”は、透明なギター・サウンドが互いに絡み合いながら静かなうねりを作っていき、ピアノやシンセサイザーの響きも麗しく、もしもグレイトフル・デッドが2000年代にデビューしていたならこんな音楽を奏でたのかもしれない、などというロマンチックな妄想を掻き立てる。
 M6“I can’t live alone”は先の“north marine drive”にも通じるようなブラジル音楽を経由したネオアコ的世界を思わせるが、むしろここ数年来で興隆した、かつてのAOR~シティ・ポップをインディ・ミュージック視点から再構築するとう潮流に置いてみることでこそ、その魅力が際立つものかもしれない。そういった文脈でも、Sugar Plantの先駆的な音楽性は理解されてしかるべきかもしれない。
 M7“sea we swim”では、ネオアコからさらに遡り、ソフィスティケイテッドなポップスの源流としてのソフト・ロックを、Sugar Plant流儀で今様に再提示してみせる、極めて洗練された小品。
 M8“a son bird”はステディな8ビートが小気味よく曲を駆動する中、甘美なメロディがそよぐ風のように降りそそぎ、徐々に重ねられていく音のレイヤーと、まめまめしく奏でられるギター・ソロが、静かな熱狂へと導いていく。

 これまで聴いてきたように、今作『headlight』は18年ぶりのアルバムでいながら、まったくインターバルを感じさせない内容となっている。音楽的練度・完成度の点で優れているということは勿論だが、それ以上に、この間も彼らは自分たちの愛する音楽を、ただそのままに愛し続けてきたのだろうという、膨よかな安心感が聴くものの胸を温める。
 「幻のバンド」と思われようとも、また後年にそれまでの作品が様々な文脈で解釈・再評価され折々で「早すぎたバンド」と評されようとも、彼ら自身は、ただ興味のままに音楽を聴き、愛し、演奏し続けてきただけなのかもしれない。18年という時間は長いようだけれど、その間にもそれぞれが音楽に触れ続けていたからこそ、このように衒いのない豊かさに溢れた作品を作ることができたのだろう。
 Sugar Plantは時代の先を行っていたというより、時代がSugar Plantの音楽に憧れてつづけてきたということなのかもしれない。自らも音楽を飄然と慈しむなかで紡がれた、彼らの豊かな音楽に。

To Rococo Rot - ele-king

 うーむ、やっぱりエレクトロニカの波、来ていますね。ステファン・シュナイダー、ロナルド&ロベルトのリポック兄弟から成るベルリンのポストロック・バンド=トゥ・ロココ・ロット、そのサード・アルバム『The Amateur View』がリイシューされます。じつにメロウかつ緻密な音響の名作ですので、未聴の方はこの機会にぜひ(可能な限りボーナストラックが詰め込まれているとのことなので、すでに持っている方も要チェックです)。
 ちなみにリリース元のPヴァインは「The Electronica Circuit」と題して、ほかにも往年のエレクトロニカ/IDMの名作をリイシュー中。先月はサヴァス&サヴァラスの00年作『Folk Songs For Trains, Trees And Honey』が、同時期のEP「The Rolls And Waves EP」を併録して再発売されています。「The Electronica Circuit」の詳細はこちらから。

90年代末ドイツ~ベルリンからシカゴへの回答! 先鋭的エレクトロニクス集団「トゥ・ロココ・ロット」が99年に発表した『The Amateur View』が可能な限りのボーナストラックを収録した日本独自仕様で再発!

タイトル:The Amateur View / ジ・アマチュア・ヴュー
アーティスト:TO ROCOCO ROT / トゥ・ロココ・ロット
【CD】発売日:2018.6.6
定価:¥2,200+税
PCD-22409 / 4995879-22409-0

ヌジャベス、ビョークらの元ネタとしても有名な名曲ジジ・マシン“Clouds”をいち早く楽曲に取り入れたそのメロウなサウンドは、硬質なスタイルであった「エレクトロニカ」に色彩を与えた珠玉の名盤!

1990年代中頃からドイツ・ベルリンを中心に活動するポストロック~エレクトロニカ集団「トゥ・ロココ・ロット」。ベース/ドラム/エレクトロニクスという編成でミニマルかつフラットな基本スタイルでしたが、3作目となる本作『The Amateur View』(1999/City Slang)はミニマルでありながら随所に起伏に富んだシーケンスを取り入れたメロウなサウンドで“エレクトロニカ”を幅広いジャンルのリスナーに知らしめた重要作品! 中でもM-10“Die Dinge Des Lebens”のネタはビョーク“It's In Our Hands”(2001~02年)やヌジャベス“Latitude”(2002年)の元ネタとしても知られる名曲ジジ・マシン“Clouds”からのもので、それを最初に世に知らしめた彼らの傑出したセンスが感じられる代表曲! さらに本作には同年発売のシングル「Telema」「Cars」からアルバム未収録の5曲、そして2012年に〈City Slang〉よりリイシューされた盤に収録されていた4曲、トータル9曲を追加収録した2018年日本盤独自仕様!

【収録曲】
01. I Am In The World With You
02. Telema
03. Prado
04. A Little Asphalt Here And There featuring i-sound
05. This Sandy Piece featuring d
06. Tomorrow
07. Greenwich
08. Cars
09. She Loves Animals
10. Die Dinge Des Lebens
11. Das Blau Und Der Morgen
12. Cars (Sunroof Remix By Daniel Miller & Gareth Jones) *
13. Mirror *
14. Milker *
15. Meteor *
16. Telema (Längs) *
17. Even *
18. Cars (Variant) *
19. Rocket Fuel *
20. Casper *
* Bonus Tracks for Japanese edition

p-vine.jp/music/pcd-22409

Janelle Monáe - ele-king

ピンクはわたしのお気に入りの一部 “Pynk”

 イケピンク問題である。『女の子は本当にピンクが好きなのか』を読んだ方には説明不要だろう。ピンクがある種の女性性を象徴する色だとして、それがお仕着せのものであればダサピンクであり、主体的に選び取られたものであればイケピンクとなる。ウィミンズ・マーチのピンク・ニットに代表されるように、女性のエンパワーメントを訴える政治的な色でもある。ジャネール・モネイはピンク色のヴァギナを模したパンツを履いて、ファニーなダンスを仲間の女たちと披露する。ヴァギナの形はひとそれぞれで、ヴァギナを持たない女性もいる。だが彼女たちは同じダンスができる。セクシーなフレーズやイメージを挑発的に繰り返す“Pynk”のミュージック・ヴィデオはまず、21世紀におけるフェミニズムとクィア・カルチャーのもっともポップな成果であり、そして、2018年最高のイケピンクである。

 要は中指の立て方の問題なのだと思う。ヴィデオでは例によって女たちのファックが突きつけられるのだが、その指は色とりどりのマニキュアが塗られている。怒りはある……が、それはカラフルで愉しいものであっていい。#MeTooは女性が自分の性を自分で決めるという宣言であって、必ずしも男を怯ませるものではないはずだ。ウィミンズ・マーチに男がピンク・ニットをかぶって参加したっていい。そして『ダーティ・コンピューター』は、ロマンスが困難な時代になったという反動主義者の早急な結論をからかうように、フェミニズム全盛の現代におけるセックスとエロスを祝福する。その真ん中で踊るのは女たちとセクシュアル・マイノリティだ。USガールズのアルバムにも感じたことだが、いま、怒りを担保したままどのような開かれ方がフェミニズムに可能であるかが模索されている。ビヨンセがコーチェラで女の強さを爆発させたならば、ジャネールはここで女として生きる楽しさを謳う。そしてそれは、「お気に入り」だが彼女たちにとってあくまで「一部」でもある。ジェンダー・ポリティクスはある、が、ジェンダーに囚われなくてもいい。

 “Pynk”はまた、音楽的にもジャネールの最新のモードを象徴してもいるだろう。グライムスをフィーチャーしたそのエレクトロ・ポップ調のシングルは、彼女の出自を説明するときに必ず言及された「アウトキャストがフックアップし……」という地点からはかなり離れている。 一貫してタッグを組んできたワンダランドのクルーはもちろん関わっているが、プリンスのファンクを2018年ヴァージョンに仕立てたシングル“Make Me Feel”のように彼らがいない曲もある。ブライアン・ウィルソンがフィーチャーされ、かつて西海岸が見た夢が再現されるかのようなコーラスを聴かせるオープニング“Dirty Computer”をはじめとして、ファースト・アルバムのようなブラック・ミュージックの濃厚さではない軽やかなポップス・コレクションとなっている。 もちろんジャネールはいつでもエクレクティックだったが、本作では使っている色のパレットが原色からパステルカラーに近づいたと言えばいいだろうか。ジョージ・クリントンよりはナイル・ロジャースというか。 ファレル・ウィリアムズが参加したダンスホール調の“I Got The Juice”にしろ、メロウ・ソウルの“Don't Judge Me”にしろ、あるいはフォーキーなサイケデリック・ソウル“So Afraid”にしろ、パワフルさと目まぐるしい展開で押し切っていた初期に比べるとずいぶん洗練された味わいとなっている。そのなかで一貫して感じられるのはやはりプリンスで、それは自分が彼の正当な後継者であると宣誓することであると同時に、20世紀のプリンスの功績を21世紀のクィア・カルチャーの視座からあらためて讃えるということであるだろう。

 『ムーンライト』がアカデミー作品賞を受賞したときに違和感があったのは、作品を評価していないからではなくてむしろ逆で、古い体質のエスタブリッシュメントたるアカデミーには純粋な作品の価値が伝わっていないのではないかと思ったからだ。貧しいブラック・コミュニティにおける同性愛を描いた映画を権威が引き上げるとき、ポリティカル・コレクトネス以外に何があるのか、と。だが、僕は間違っていた。もはやポップの基準は更新され、時代がマイノリティの新しい生き方を本当に感じようとしている。『ムーンライト』で優しく少年に語りかけていたジャネールは、『ダーティ・コンピューター』で現代のポップスターのど真ん中を引き受けながら「マザファッキン・プッシー・ライオット」を始めるのだと言う。街をピンクに染めるのだと。ドリーミーなエレクトロ・ポップ“Crazy, Classic Life”では「わたしはアメリカン・ドリームの象徴」とまで宣言し、それと呼応する“Americans”では「わたしはアメリカン」だと繰り返しながら手を叩き、得意のパーティ・ファンクで締める。
 優等生だと言う意見も理解できる。だが、たとえばバイセクシュアルを公言しているフランク・オーシャンが差別反対のTシャツをステージで着ながら同性愛の官能を歌うように、パンセクシュアルだとカミングアウトしたジャネールがカラフルなポップスを衣装としてエロティックな欲望を掲げるとき、そこにはポジティヴなエネルギーしかない。ジャネールを聴く若い女の子たちがそのパワーを受け取ってくれたら……というのは僕の身勝手な願望だ。だが本当にそう思う。彼女たちの「お気に入りの一部」がポップの未来を変えていくだろう。僕たちもそこに混ぜてもらおう。簡単だ……「We got the pynk」と叫ぶだけでいい。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 オウガ・ユア・アスホールが9月17日、日比谷野外大音楽堂での初のワンマン・ライヴをやることになった。しかも……日比谷野音としても初の試みとなる、複数のスピーカーを用いた「クアドラフォニック・サウンドシステム」を導入。彼らのサイケデリック・サウンドがとことん体験できるというわけだ。サウンドエンジニアはオウガのメインPAエンジニアである佐々木幸生(サカナクション、BOOM BOOM SATELLITES、ゆらゆら帝国など)、サウンドエフェクトは中村宗一郎が担当。まさにエクスペリエンス(体験)!

受付URL:https://www.ogreyouasshole.com

OGRE YOU ASSHOLE
at 日比谷野外大音楽堂
ー QUADRAPHONIC SOUND LIVE ー

日程:9月17日(月・祝)
会場:日比谷野外大音楽堂
時間:16:15開場 17:00開演
チケット:前売り 4,500円
チケット一般販売:7月15日(日)
info:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999

※チケット オフィシャルweb先行受付
6/1 (金)21:00~6/11(月)23:59
受付URL:https://www.ogreyouasshole.com

DON LETTS Punky Reggae Party 2018!!! - ele-king

 UKパンクにおいて革命的なことのひとつに、白人と黒人が人種の壁を越えて交わったということがある。それ以前のUKロックの表舞台には、アフロ・ディアスポラの姿はまだいまほど目立っていない。UKパンクは人種の壁を乗り越えて、積極的にジャマイカ移民の文化にアプローチした。その現場における司祭(DJ)がドン・レッツだった。レッツはまた初期UKパンクの生き証人/ドキュメンタリー映像作家でもある。今回の来日は、東京・岡山・福岡でDJもあり、東京ではトークもあり、UKパンク好き必見の超貴重な映画上映もあり、DOMMUNEの中継もあり(声で宇川直宏も出演、編集部・野田もしゃしゃり出ます)……パンクとレゲエが好きな人はこの機会を逃さないで!

 UKで起きたパンク・ムーヴメントの拠点となる“ROXY CLUB”でDJをしていたドン・レッツはパンクとレゲエを繋いだ張本人であり、THE CLASHのMICK JONESとの伝説的グループ、BIG AUDIO DYNAMITEでの活動も知られる。そして現在はBBC RADIO 6でレギュラー番組を持ち、広く音楽シーンに貢献している。また映画監督として'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作、2003年にはTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞、その後も数々の音楽ドキュメンタリーや映画『ONE LOVE』を制作している。ドン・レッツのクリエイティヴな才能は現在の音楽シーンに多大な影響を及ぼしてきたと言っても過言ではない。

 今回東京@VISIONでは人種、ジャンル、国境を超越する新パーティー“P.M.A”(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)でA$AP J.Scott、COJIE (Mighty Crown)、再始動したSTRUGGLE FOR PRIDEからDJ HOLIDAYらと競演する。福岡公演では九州のサウンド・システムの重鎮、RED I SOUND が主宰、そして岡山の音楽シーンを引率するYEBISU YA PROで初プレイ!

 さらに今まで日本で実現しなかったDON LETTSのトーク・セッションがDOMMUNEのスペシャル・プログラムとして2夜に渡って開催される。
 6月14日のPart.1はロンドンに生まれた2世ジャマイカンであるドン・レッツの背景と音楽活動にフォーカスし、ライター/編集者の野田努が音源やMVを交えつつ話を聞く。
 そして6月17日のPart.2はドン・レッツのフィルム・メーカーとしての活動に焦点を当て、UKサブカルチャーをサポートし続けるオーセンティックなファッションブランド「FRED PERRY」旗艦店からのスペシャル・プログラムとなり、1970年代のパンクとレゲエ・シーンの現場を撮りためた生々しい映像を編集した『DON LETTS TWO SEVEN CLASH』や数々の作品を上映しながらトーク・セッションを展開する。インタヴュアーは野田努、そしてゲストとしてロック・バンドOKAMOTO’SのドラマーでDJやエキシビションを主宰する等、独自の感性で幅広く活躍するオカモトレイジがトークに参加する。
 アティチュードとしてのパンクを実践し続ける“反逆のドレッド"、DON LETTSの熱いプレイ、貴重な肉声を聞き逃すな!


DON LETTS
Punky Reggae Party 2018

6.14 (THU) 東京 : “DON LETTS TALK SESSION Part.1” @DOMMUNE
info>>> dommune.com

6.15 (FRI) 東京 : “P.M.A” @VISION
info>>> https://vision-tokyo.com

6.16 (SAT) 岡山 : @YEBISU YA PRO
info>>> https://yebisuyapro.jp

6.17 (SUN) 東京 : “DON LETTS TALK SESSION Part.2” DON LETTS x DOMMUNE x FRED PERRY @FRED PERRY SHOP TOKYO
info>>> https://www.fredperry.jp/news/2018/06/don_letts_dommune.php dommune.com

6.23 (SAT) 福岡 : @KIETH FLACK
info>>> https://www.kiethflack.net

Total info>>> https://twitter.com/dbs_tokyo


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【東京】
日時:6/15日(FRI) OPEN 22:00
会場:VISION
料金:ADV \3,000 / DOOR \3,500
○e+
https://goo.gl/YfHMrL
○iFLYER
https://iflyer.tv/ja/event/302904/

タイトル:P.M.A

■A$AP J.Scott、DON LETTSを招聘し、新しい音楽と伝統ある音楽をMIXするNEW PARTY始動!

 P.M.A(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)をPARTYタイトルに70年代まだ音楽のカテゴライズがされていない中、BAD BRAINSが当時掲げたP.M.A(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)をタイトルに人種、ジャンル、国境を超越するPARTY。
 ロサンゼルスからA$AP MOBに属しA$APのDJとしてすでに来日の経験もあるA$AP J.ScottとイギリスからはPUNKからREGGAEから音楽を超越するDON LETTSが来日。
 GAIAでは日本をこれから牽引するであろう若手DJ陣、FUJI TRILL、DJ CHARI、大阪よりYUSKAYを中心に盛り上げる。
 またDEEP SPACEでは説明不要の日本のDUBセレクター、COJIE (Mighty Crown)、そしていま新たに再始動したSTRUGGLE FOR PRIDEからDJ HOLIDAYと今まで混ざらないとされていた音楽性をMIXする今後のTOKYOの新しいスタイルを象徴するNEW PARTY始動!

出演:
//GAIA//
GUEST DJ
A$AP J.Scott
FUJI TRILL / DJ CHARI / YUSKAY / YUA
and more

//DEEP//
DON LETTS
COJIE (Mighty Crown) / DJ HOLIDAY(STRUGGLE FOR PRIDE) / Orion / Hatchuck

//WHITE//
"TOKYO VITAMIN"
Vick Okada / PocketfullofRy / QUEEN FINESSE / SMiiiLES / PIPE BOYS

//D-LOUNGE//
RiKiYA (YouthQuake) / 1-Sail (YouthQuake) / Tsukasa (YouthQuake) / brian / Soushi / Taro / RyotaIshii

info>>> https://vision-tokyo.com

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【岡山】
日時:6/16(SAT) OPEN 23:00
会場:YEBISU YA PRO
料金:ADV 3,000yen / DOOR 4,000yen (ドリンク代別途要)
         ローソンチケット(Lコード:62120)   チケットぴあ(Pコード:116-940)
出演:  
DON LETTS
SOUL FINGER / FUNKY大統領 / TETSUO / MARTIN-I / AYAKA / マイルス

お問い合せ:YEBISU YA PRO…086-222-1015
info>>> https://yebisuyapro.jp

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【福岡】
日時:6/23(SAT) OPEN 22:00
会場:KIETH FLACK
料金:2500YEN (1DRINK ORDER)
タイトル:RED I SOUND presents
DON LETTS JAPAN TPOUR 2018 in FUKUOKA
出演:
DON LETTS
DON YOSHIZUMI / CHACKIE MITTOO(the KULTURE KURUB) / SHOWY(STEP LIGHTLY)
KAZUO(ABOUT MUSIC) / BOLY(ONE STEP BEYOND) / ATAKA(REDi) / MATSUO(REDi)

info>>> https://www.kiethflack.net

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DOMMUNE スペシャル・プログラム決定!!!

 音楽・映像作家のドン・レッツがUKサブカルチャーの歴史を実体験と共に語る! リビングレジェンド、ドン・レッツの貴重なトーク・セッション。
 音楽編は6月14日はDOMMUNEスタジオから、そして6月17日の映像編では日本未公開のDON LETTS自身が撮りためた70年代のUK レゲエ、パンクシーンの貴重な映像、“DON LETTS TWO SEVEN CLASH”を東京から世界のサブカルチャーを発信しているDOMMUNEがFRED PERRY旗艦店からコラボ発信する!

【DON LETTS TALK SESSION Part.1】
日時:6/14(THU) 19:00~21:00
会場:DOMMUNE
出演:Don Letts 、野田 努 (ele-king)
info>>> dommune.com

【DON LETTS TALK SESSION Part.2】
DON LETTS x DOMMUNE x FRED PERRY
日時:6/17(SUN) 19:00~21:00
会場:フレッドペリーショップ東京 東京都渋谷区神宮前5-9-6
出演:Don Letts 、野田 努 (ele-king)、オカモトレイジ (OKAMOTO’S)、通訳:原口 美穂

入場無料

ストリーミング:https://www.dommune.com/ ※6月17日(日)19:00 配信開始予定
info>>> https://www.fredperry.jp/news/2018/06/don_letts_dommune.php dommune.com


※“DON LETTS TWO SEVEN CLASH”ー

DON LETTS自身が撮りためた70年代のUK レゲエ、パンクシーンの貴重な映像。(日本未公開)

人種問題がはびこる当時のUKノッティング ヒル・カーニヴァルの緊張感ある映像やBOB MARLEY、LKJやBIG YOUTHからSEX PISTOLS、THE CLASH、ROXY CLUBの生々しい映像等、お宝シーンが満載!

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☆DON LETTS
(DUB CARTEL SOUND STSTEM, LONDON)

 ジャマイカ移民の二世としてロンドンに生まれる。'76-77年にロンドン・パンクの拠点となった〈ROXY CLUB〉でDJを務め、集まるパンクスを相手にレゲエをかけていたことから脚光を浴び、パンクとレゲエを繋げたキーパーソンの一人。同時にリアルタイムで当時の映像を撮り、'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作。またブラック・パンクの先駆バンドBASEMENT 5の結成に携わり、THE SLITSのマネージャーもつとめる。'80年代半ばにはTHE CLASHを脱退したMICK JONESのBIG AUDIO DYNAMITEで活動、さらにBADを脱退後の'80年代末にはSCREAMING TARGET(※BIG YOUTHのアルバムより命名)を結成し、“Who Killed King Tuby?"等をヒットさせる。音楽活動と平行して、多くの音楽ヴィデオやBOB MARLEY、GIL SCOTT-HERON、SUN RA、GEORGE CLINTON等のドキュメンタリー・フィルムを制作、’03年にTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞する。そして'05年にはパンクの核心に迫った『PUNK:ATTITUDE』を制作。DUB CARTEL SOUND SYSTEMとしてスタジオワーク/DJを続け、SCIENTISTの"Step It Up"、CARL DOUGLASの“Kung Fu Fighting"等のリミックスがある他、〈ROXY CLUB〉期のサウンドトラックとなる『DREAD MEETS PUNK ROCKERS UPTOWN』('01年/Heavenly)、名門TROJAN RECORDSの精髄をコンパイルした『DON LETTS PRESENTS THE MIGHTY TROJAN SOUND』('03年/Trojan)、'81-82年に彼が体験したNY、ブロンクスのヒップホップ・シーンを伝える『DREAD MEETS B-BOYS DOWNTOWN』('04年/Heavenly)の各コンパイルCDを発表している。'07年には自伝「CULTURE CLASH-DREAD MEETS PUNK ROCKERS」を出版。'08年にコンパイル・アルバム『Don Letts Presents Dread Meets Greensleeves: a West Side Revolution』がリリース。'10年にメタモルフォーゼ、'11年にはB.A.Dの再結成でオリジナルメンバーとしてフジロックフェスティバルに出演。'15年7月、井出靖氏が主宰するレーベル、Grand Gallery10周年を記念し、日本人アーティストをメインにセレクトしたMIX CD『Don Letts Presents DREAD MEETS YASUSHI IDE:IN THE LAND OF THE RISING DUB』を発表、日本ダブ史のエッセンスを内外に明示する。
BBC RADIO 6 Musicにて毎週日曜日”Culture Clash Radio"を持つ。
https://www.donletts.com/
https://www.bbc.co.uk/6music/shows/don_letts/

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