「K A R Y Y N」と一致するもの

Carlos Niño & Friends - ele-king

 アモンコンタクトやヒュー・ヴァイブレイショナル、ビルド・アン・アークなどの活動で名を馳せ、ヒップホップからジャズ、エレクトロニカ、アンビエントまでを横断、プロデューサー、DJ、ライター、詩人など多くの顔を持つLAシーンのキイパースン、カルロス・ニーニョ。彼の最新作が7月7日にリリースされる。
 ここでひとつ、サプライズ。サム・ゲンデル、ジャメル・ディーンといった仲間たちに加え、なんとUKから(サンズ・オブ・ケメットの新作リリースを控えるシャバカ・ハッチングスが参加! さらには御大ララージまで駆けつけているようなので、これはスルーできない案件である。予約・試聴はこちらから。

 なお、5月27日発売の『ユリイカ』6月号にカルロス・ニーニョのインタヴューが掲載されるとのこと。レイ・ハラカミについて語っているそうです。


Carlos Nino & Friends
More Energy Fields, Current

シャバカ・ハッチングス、サム・ゲンデル、ネイト・マーセロー、ジャメル・ディーンが参加。数多くのソロ作品やコラボレーション・プロジェクトで辿り着いたカルロス・ニーニョによる、コズミック・アンビエント・ジャズの最高傑作!! ボーナス・トラックを加え、日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!

Official HP :
https://www.ringstokyo.com/carlosninomefc

このアルバムは、90年代半ばから歩み続けてきたカルロス・ニーニョの音楽の旅が到達した極みだ。ヒップホップからジャズへ、フォークからアンビエント、ニューエイジへ、音楽の意匠は変化しても、彼の音楽の本質は変わらない。サム・ゲンデル、ネイト・マーセロー、ジャメル・ディーンら、お互いを信頼し合う素晴らしい仲間と作り上げた最高の一枚。ゲスト参加のシャバカ・ハッチングスもカルロスの宇宙に溶け込んでいる。(原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : Carlos Nino & Friends (カルロス・ニーニョ&フレンズ)
タイトル : More Energy Fields, Current (モア・エナジー・フィールズ,カレント)
発売日 : 2021/7/7
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings / International Anthem / Plant Bass (RINC77)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤)

* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

01. Pleasewakeupalittlefaster, please... (with Jamael Dean)
02. The World Stage, 4321 Degnan Boulevard, Los Angeles, California 90008 (with Sam Gendel, Jamael Dean and Randy Gloss)
03. Nightswimming (with Dntel, Jamael Dean and Jira ><)
04. Now the background is the foreground. (with Adam Rudolph, Aaron Shaw and Jamael Dean)
05. Thanking The Earth (with Sam Gendel and Nate Mercereau)
06. Salon Winds (with Jamire Williams, Nate Mercereau, Jamael Dean and Aaron Shaw)
07. Ripples, Reflection, Loop (with Laraaji, Jamael Dean and Sharada)
08. Togetherness (with Devin Daniels and Jamael Dean)
09. Iasos 79 'til Infinity
10. Please, wake up.
&Japan Bonus Track

Prequel - ele-king

 僕は学生時代にあまりヒップホップに夢中にならなかったし、クラブに行きはじめてから即、ムーディーマンやセオ・パリッシュの虜になったわけでもないが、ヒップホップが大好きでデトロイトのハウスに人生を狂わせられた連中をたくさん知っている。いまこのレヴューを読んでいる貴方もそのひとりかもしれないが、オーストラリアはメルボルンのジェイミー・ロルッソ=ジスカインドこと “プリークエル” も是非その仲間のひとりと覚えておいて欲しい。DJプレミアやMFドゥームらを聴きまくって育った彼が、いまやロンドンやニューヨーク、パリ、アムステルダムなどに並ぶ勢いで成長し続けるメルボルン・ダンス・ミュージック・シーンの環境でモータウンのサンプリング・ハウスに出会うのは至極当然のような流れでもあるし、狭いながらも濃いメルボルン独特のコミュニティーが彼の成長を大きくサポートしたのも頷ける。

 転機となったのは2014年、ロンドン郊外にあるペッカム発のレーベル〈Rhythm Section International〉からデビューEP「Polite Strangers」をリリース。レーベル・オーナーのブラッドリー・ゼロの活躍もあり一躍注目の的になった。
 プリークエル最大の出世作と言えば、続く2作目の「Freedom Jazz Dance」だろう(レコードも何度リプレスされたのか!?)。自身がリスペクトするアーティストの名前をカゾーO.S.L.O の渋いヴォーカルでひたすら語り続ける奇妙でジャジーなディープ・ハウス “Saints” は、今回のアルバムでも発揮されているメッセージ性の強くコンセプチュアルなプロダクション・スタイルの基礎になっているのかもしれない。
 その後も〈Local Talk〉や〈Lobster Theremin〉のサブレーベル、〈Distant Hawaii〉などモダン・ディープ・ハウスの登竜門的レーベルでのリリースを終えて、満を辞してホームレーベルの〈Rhythm Section〉にカムバック。今作『Love Or (I Heard You Like Heartbreak)』を発表した。

 イントロやアウトロを加えると全12曲の収録だが、ここまで明確なコンセプトとメッセージを持たせたハウスLPはあっただろうか? ほぼ全てのトラックタイトルに「LOVE」と入ったトラックリストもなかなか強烈だ。先述の通りヒップホップを通過したハウス・プロデューサーらしくそこら中にサンプリングが散りばめられており、是非とも「ネタ探し」も含めて楽しんでもらえると良いだろう。
 イントロの “I Need Your Love” に続いて、ダークでウェットな雰囲気の “When Love Is New” では同郷メルボルンのハウス/ディスコ・プロデューサー、ハーヴィー・サザーランドのライヴ・トリオにも参加するヴァイオリニストのタミル・ロジョンが参加し、トラックに妖艶な雰囲気を与えてくれた。ラテン・テイストの楽曲 “Violeiro” や軽快なジャズ・ピアノが響く “I Tried To Tell Him”、そしてデトロイト・ハウス勢のお株を奪うローファイ・トラック “And That's The Story Of Their Love” などプロデューサーやDJとして多彩な音楽を吸収しているのも垣間見れるし、絶妙なサンプリング使いの中に生音をしっかりと混ぜこんだプロダクション・スキルは秀逸だ。
 コラボレーションしたミュージシャンにはヴァイオリニストのタミルの他に、昨今のメルボルン・シーンを象徴する人気フュージョンバンド 30/70 や、ツァイトガイスト・フリーダム・ エナジー・エクスチャンジのメンバー、そしてカゾーO.S.L.O も “Saints” 以来の再登板。タイトに繋がっている地元のシーンの層の厚さをここで感じることができる。

 Covid-19 のパンデミック前にはほぼ仕上がっていたアルバムだそうだが、コロナ禍ではひたすら見漁った映画のシーンを切り取り自分で編集(ここでもサンプリング!!!)したと語る3本のビデオクリップと Instagram でのティーザーがアルバムのコンセプトをより深くし、何よりもアルバム・アートワークにさりげなく施されたオレンジの四角形が彼の音楽に対するリスペクトと「愛」を表現していると言えるだろう。アナログは鮮やかな真紅のカラーヴァイナルで2枚組。いろんな角度から楽しめるデビューLP。

※こちらはプリークエル本人によるムーディーマン楽曲のみの1時間MIX
PRAISE YOU: A MOODYMANN TRIBUTE MIX BY PREQUEL
https://www.stampthewax.com/2021/04/15/praise-you-a-moodymann-tribute-mix-by-prequel/

PDP III - ele-king

 PDP III はブリットン・パウエル、ルーシー・レールトン、ブライアン・リーズ (ホアコ・エス)の三人のユニットである。いまや絶好調ともいえるフランスのエクスペリメンタル・レーベルの〈Shelter Press〉からアルバム『Pilled Up on a Couple of Doves』がリリースされた。

 本作は、この三人の個性的なアーティストのコラボレーション作品として話題を呼んでいるが、制作工程としてはまずブリットン・パウエルがベースとなるトラックを作り、それをルーシー・レールトンとホアコ・エスのふたりが音を重ねてコンポジションしていったようだ。その意味でブリットン・パウエルを中心としたプロジェクトといってもいいだろう。
 アルバムには全5曲収録され、どのトラックも全リスニングへの没入度を高めるように入念に編集がなされている。電子音、環境音、ノイズなどがときに瞑想的に、ときにノイジーに展開し、硬質でありながらも、豊穣かつ複雑なサウンド・テクスチャーが圧倒的であり、実に濃密な音響作品である。

 ここで三人の経歴を簡単に説明しておこう。まずイギリスのルーシー・レールトン。レールトンはチェロ奏者であり、その音響を駆使したエクペリメンタルな音響作品で知られる。〈Modern Love〉からのファースト・アルバム『Paradise 94』(2018)でその名を知らしめ、〈PAN〉からリリースされた Peter Zinovieff との共作『RFG Inventions for Cello and Computer』(2020)や、 〈Portraits GRM〉からリリースされたマックス・アイルバッハーとのスプリット盤『Forma / Metabolist Meter (Foster, Cottin, Caetani And A Fly)』(2020)でもマニアたちの耳を唸らせた。2020年はオリヴィエ・メシアンの曲を演奏した『Louange à L’Éternité de Jésus』(〈Modern Love〉)もリリースした。

 ホアコ・エスはテン年代アンダーグラウンド・アンビエントの最重要人物である。2012年に〈Opal Tapes〉からリリースされた『Untitled』、2013年にワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(ダニエル・ロパティン)が運営していたレーベル〈Software〉からリリースされた『Colonial Patterns』、2016年にニューヨークのカセット・レーベル〈Quiet Time Tapes〉からリリースされた『Quiet Time』、そして同年2016年にアンソニー・ネイプルズ主宰のニューヨークのレーベル〈Proibito〉からリリースされた『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』など、どの作品もテン年代のアンダーグラウンド・アンビエントを代表するアルバムといっても過言ではない傑作ばかりだ。特に『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』は、アンビエント・マニアであれば名盤として聴き続けているような作品である。その意味でアンビエント・音響マニアからもっとも新作を期待されているアーティストのひとりといえる。とはいえ先に挙げたアルバム数からも分かるように非常に寡作な作家でもある。よって PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』に参加していることは、本作の重要なトピックなのである。

 PDPⅢ の要ともいえるのがニューヨークのサウンド・アーティスト、ブリットン・パウエルだ。NYの〈Catch Wave〉から2020年にリリースされた『If Anything Is』は物音系・コンクレート作品として素晴らしい出来だった。パウエルのサイトに記された一文によると(https://www.britton-powell.com/About.html)、「エレクトロニクス、ビデオ、パーカッションを用いて、音響心理学的現象、ミニマリズム、非西洋音楽の伝統を探求している」音響作家である。インスタレーション作品でもあった「If Anything Is」は、「ハイパーリアリティと資本主義のテーマを、サウンドとマルチ・チャンネル・ビデオのためにデザインされたミクストメディア環境で表現したもの」らしい。加えて「If Anything Is」は、「急速に進むメディアと商業の世界に直面して、経験の恍惚とした交換を探求している」ともいう。「テクノロジー、儀式、都市の景観の交差点についての瞑想であること」をテーマとしているようだ。私見だがこの「儀式、都市の景観の交差点についての瞑想」は、そのまま PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』にも通じるテーゼのように思える。

 PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』には全5曲のトラックが収録されている。どの曲も電子音のテクスチャーが複雑にレイヤーされている。それもそのはずで、パウエルが2年の歳月をかけて編集に編集を重ねて完成させたのだ。なかでも3曲目 “Walls of Kyoto” から4曲目 “49 Days” のサウンドの変化がアルバム中でもクライマックスともいえるほどにドラマチックに展開する。
 ます “Walls of Kyoto” では瞑想的なサウンドが次第にノイジーな音響空間へと変化する。京都という古都/都市のなかにひそむ音と音が、次第にズームアップされていくかのような圧倒的なサウンドスケープだ。そして “49 Days” ではルーシー・レールトンのチェロと硬質な持続音が真夜中のざわめきのようにひっそりと変化を遂げていく。この曲もまた瞑想的であると同時に不安を引きだすような白昼夢のムードを放っている。実に濃密な16分間の音響空間を生みだしている。

 全5曲、すべてのサウンドが、まるで聴き手の聴覚を拡張するかのように進行する。その意味では非常にサイケデリックなアルバムともいえる。アートワークにニューヨークの詩人・写真家・映画作家アイラ・コーエンによるサイケデリックなイメージの1967年作品「Alien Intelligence」が用いられていることもその証左になるのではないか。
 都市の景観、都市の儀式、都市の瞑想、都市のノイズ。そこから生まれる意識の拡張。そう、『Pilled Up on a Couple of Doves』は、21世紀の都市に生きるわれわれの精神的な瞑想と拡張のために存在するような常備薬のような音響音楽である。2021年という不安な年だからこそ何度もそのシンセティックでノイジーなアンビエンスなサイケデリックな音響空間に没入したいものだ。自己と世界の関係性を音によって再考するかのように。

The Escape Velocity - ele-king

 ジェフ・ミルズが編集する雑誌『The Escape Velocity』の2号目が早くもリリースされた。今回はデザインもヴィジュアルもさらにグレードアップされ、さらにまたひじょうに興味深いコンテンツが収録されている。まずは表紙が動画仕掛け、3つある動画のひとつではジェシカ・ケア・ムーアの書き下ろしによるポエトリーが読める。音楽以外の記事では、地球上に存在するもっとも黒い黒のペイントを開発したというアーティストStuart Sempleのインタヴュー、『Another Science Fiction』の著者Megan Prelingerのインタヴュー、「白という色の意味」というアート系のコラムなどがある。もちろんアクシスから作品をリリースしたばかりのOrlando VoornやDeetronらも登場。中国のテクノの記事もある。最後に少しだけ日本語があるとはいえ基本は英語なので日本人が読むのには苦労するのは仕方がないにしても、とにかくジェフ・ミルズののレトロフューチャー好みのテイストが反映された凝ったデザインとヴィジュアルが見事なので、ぜひページをめくって欲しい。データが重たいので読み込みに時間がかかるので、いつか紙版が出ることを期待しましょう。

interview with Satomimagae - ele-king


Satomimagae
Hanazono

RVNG Intl. / PLANCHA

FolkAmbient

 サトミマガエの新作『花園』を聴いていると、まだマンションが乱立する前の、昔の古い世田谷の迷路のような小道に迷い込んで、偶然いままで知らなかった小さな空き地に出たときに感じた嬉しさのようなものを感じる。そこにはやはり小さな草花が風に吹かれているのだ。
 サトミマガエをぼくに教えたのは畠山地平だった。彼のレーベル〈White Paddy Mountain〉からリリースされた『Koko』があり、『Kemri』があった。畠山のイベントに出演した彼女のライヴにも行った。高円寺のとあるお店の地下スペースで、10人にも満たない人たちを前に、彼女はアルバムで聴いた印象の通りの静的な佇まいをもって、抑揚のない独自の歌い方と魅力的なギターを披露した。おそらくその週末の東京のいたるところで演奏されたどの音楽よりも、そこは静かだったはずだ。

 彼女の新作『花園』が〈RVNG Intl.〉を通してインターナショナル・リリースされるのは、楽しみというほかない。アンビエント・フィーリングを持った彼女の作品は、ひとつのサウンドとしての面白さが充分にある。物静かで音数は少ないが、細かいアレンジが行き届いており、ギターと歌以外の小さな音がほかにもこの小さな世界に共鳴している。そこから見える景色は、モノクロームではない。アルバムのアートワークのようにカラフルでもある。
 今回は初めての取材なので、ものすごく基本的なところから質問している。日本から登場したこの異色のアーティストにひとりでも多く興味を持ってもらえたら幸いだ。

いろんな感情を中和するものを作りたいなと思って。刺激のある音楽の間に挟んで聞くような休憩の音楽、でもそういう音楽が大事なときもあるなと思ったんですよね。

生まれと育ちはどちらなのでしょうか。

サトミマガエ:茨城県です。

ギターに興味をもたれたきっかけは?

サトミマガエ:中学生くらいのときにあった選択音楽という授業でギターを選びました。家にギターがあったので弾けたら面白いかな程度でやってみたということです。少し弾いてみたら楽しくなりすぐにのめり込みました。最初は学校で発表するという名目でやっていたので、当時流行っていたJポップなんかをやって。

お父さんがアメリカで買ってきたブルースのレコードが好きだったという話を聞きましたが。

サトミマガエ:家族で2年間アメリカに住んでいたんです。アメリカでも父親が友だちに紹介してもらった古いブルースを聴いていたし、それを日本に帰ってきてからも車とかでかけたりして。当時は好きというわけではなかったけれどよく耳にはしていましたね。

自分で能動的に音楽を聴いたり、あるいは演奏をするようなきっかけであったりとか、そういうのは別にありましたか?

サトミマガエ:小学生の高学年くらいからクラブ活動でトランペットを吹きはじめたんですよね。演奏より合奏がそのときは楽しいと思っていて、中学生でも吹奏楽部に入ってトランペットをやっていましたね。

トランペット吹くのって小学生には難易度が高くないですか?

サトミマガエ:そうですね。

じゃあいまでもけっこう吹ける?

サトミマガエ:いまはあんまり吹けないですけど(笑)過去の曲で何回か吹いています。それで中学生の終わりころにコンクールの練習で、先生がいないときに指揮台に立って各楽器に指示をだしながら曲をまとめていく役割を任されたことがあってそれぞれの楽器をコントロールしてひとつの曲にするという、そういう合奏の楽しさをそこで感じました。

じゃあポピュラー・ミュージックといったものにはあまり縁がなかったですか?

サトミマガエ:聴いてはいたけど夢中になるような感じではなかったですね。

でもどこかで夢中になったことが……

サトミマガエ:高校にはいったときに友だちがいわゆる洋楽を教えてくれて、そこからですね。そのとき友だちが教えてくれたのはニルヴァーナとレッド・ホット・チリ・ペッパーズでした。

そこからどのように発展していったのですか?

サトミマガエ:バンドでベースを弾いてと頼まれベースを聴くようになったんですよね。それでずっとレッド・ホット・チリ・ペッパーズを聴いて練習していました(笑)。あとはレディオヘッドとか、ナンバーガールとかみんな聴いていたものを聴いて。そのあと大学に進んでベースをバンドで弾きたいと思って軽音部に入りました。理系の工学部のほうにあった軽音部だったので、電気とか機材に詳しい人が多くて音楽機材のことをたくさん学びました。

分子生物学を専攻していたと。

サトミマガエ:そうです。そこでもうすこしマニアックな音楽、いわゆるもっとデジタルな音楽に出会って。さらにそのあと美術系に進んでいた姉のお手伝いで現代アートと関わる機会があって、そうするとまたまた知らなかった音楽に出会って、現代音楽や実験音楽のフィールドも知りはじめて。けっこう衝撃で本とかも読んだりしました。出会った音楽はぜんぶ歴史を調べながらというか、「すごいなぁ」と夢中になりながらいろいろ聴いてきましたね、古いフォークとかも一時期聴いてみたり。

とくに好きだったのは?

サトミマガエ:とくに大好きというのはいなかったですね。エイフェックス・ツインやフアナ・モリーナとか、いまも新しいリリースをフォローしているアーティストは何人もいるんですけど。軽音部にいたときに、電子音楽に興味が湧いて古いものからエレクトロニカ、テクノをたくさん聴きました。友だちにクラブ行ったりDAWやってる人も少しいて、クラークを敬愛してる人がいたり、電子音楽はその頃からずっと憧れの音楽という感じで今も好きです。
その後、さきほどお話ししたように現代アートと触れる機会があり、より実験的な音楽に興味を持って 『音の海』(デイヴィッドトゥープ著)という本を読んだんですけど、それが当時自分にとって知らない世界が開けたようで衝撃でしたね。
その後学生が終わった後に出会った中東やアフリカ、インドの音楽もそれと同様の衝撃がありました。知らない音楽はたくさんあるのに見えてないだけなんだな、と。

いま創作活動をやっているなかで大きかったと思えるようなアーティストであったり作品であったりはありますか?

サトミマガエ:(すこし考えて)いろいろあって難しいな(笑)。

サトミさんの場合はスタイルがあるというか、ひとりでギターの弾き語りというのがベースにありますよね。なぜそういうスタイルになったのでしょうか。

サトミマガエ:ギターは自分が唯一コントロールできている楽器という気がします。いまだに発見があるから、まだできそうなことがあるなと。ピアノとかも試したけどやっぱりうまくいかなくて、私はけっきょくギターで作曲することしかできないのかなって。ギターマニアとかコレクターというわけではないですけど。

例えば好きなギタリストがいたりとかは?

サトミマガエ:ニック・ドレイクを聴いたときは、いままで聞いたことがない感じがしました。耳コピでちょっと練習しましたね。ほかに、ホセ・ゴンザレスも最初に聴いたときに普通のフォークとは違う響きやリズムがあってハマりました。ときどき、いわゆるデルタ・ブルースというか、ライトニン・ホプキンスじゃないけど古いブルース・ギターの弾き語りを動画で見たりすると、あらためてかっこいいスタイルだなと感じます。

ブルースのどんなところがサトミさんに引っかかりましたか?

サトミマガエ:足りない感じがしないところですかね。足したくなる感じがなくてギターと声だけで完結している、声と一緒にギターがほぼ歌ってますよね。あとリズムも好きですね。

いわゆる弾き語りで歌いはじめたときの歌の部分、というのはどういうふうにご自身のなかで発展していったのですか? もともと歌っていたんですか?

サトミマガエ:中学生くらいから歌ってはいましたけど、綺麗な声じゃないし地声に自信もなかったのでぜんぶ裏声、みたいな。とにかく自分の声の嫌な部分をごまかして歌う方法を探っていました。シンガーとしてはぜんぜん自信はなかったんですけど、とにかく自分の声で成り立つ音楽を作ろうという感じでした。

人前で歌いはじめたのはいつごろですか?

サトミマガエ:ちょうど20歳くらいですね。

場所は東京でした?

サトミマガエ:東京です。

大学で東京に来られた?

サトミマガエ:はい。

そのときはもちろんひとりで?

サトミマガエ:バンドに1回はいっていたのでそこでヴォーカルをやっていたこともあります。そのあと自分の音楽をやりたくなったから自分でもやっていたけどソロではやってなかったですね、人にはいってもらったりしてやっていました。

バンドで歌っていたということは、つまりサトミさんのバンドがあったんですね。

サトミマガエ:そこのヴォーカルが抜けちゃったからはいって、みたいな感じでしたね。

なるほど、じゃあ別にサトミさんが作ったバンドというよりも……

サトミマガエ:ぜんぜん違います(笑)。あとはベースを弾いていたので基本的にずっとバンドでやっていましたね。ほとんど軽音部でやっていたからコピーバンドだったんですけど。

20歳くらいからライヴハウスにでて歌おうと思った理由はなんですか?

サトミマガエ:やっぱりどこかでずっと音楽を作っていきたいと思っていたので……、人に知ってもらおうとなったら、ライヴをしなきゃならないのかなと感じて。

月に1回くらいとか?

サトミマガエ:いや、もっとやっていたと思います。

けっこう積極的にやられていたんですね。畠山地平くんがたまたまライヴで聴いて、彼のレーベル〈White Paddy Mountain〉からださないか声をかけたという話を彼から聞いたのですけど、ああいう畠山くんみたいなアンビエントやドローンであったりとかはサトミさん自身はどうでした? 

サトミマガエ:アンビエント・ミュージックにはよく触れていたし興味はあったんですけど、そんなに自分の普段聴く音楽として聴いてはいませんでしたね。畠山さんのレーベルからお誘いをうけて見てみたら、全体の美学がかっこいいレーベルだなと思って、リリースがぜんぶアンビエントやドローン・ミュージックだけではなくて、いくつかポップなユニットとかもあったりして。レーベルを探してみたこともあったんですけど、ぜんぜん自分に合うレーベルがわからないし、まずそんなにレーベルを知らなくて。畠山さんに誘っていただいて調べてみたらすごくしっくりきたというのは憶えていますね。

ちなみに畠山くんからグルーパーというアーティストの作品を聴かされたりしませんでしたか(笑)。

サトミマガエ:聴かされてはなかったですけど、そういうふうに形容されているのはよくみて、自分は予想外でした。後からアルバムを1枚持っているのを思い出して、あぁなるほど、と思って。

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"Numa" という曲では「爽やかな諦念」がテーマです(笑)。鬱々したものではなくて、その身を任せている変化の流れ、風のような流れを楽しんでる様子を書きたかったです。

ヴォーカリストで影響を受けた人とかいますか?

サトミマガエ:女の人のヴォーカルがずっと苦手で好きじゃなかったんですけど『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を高校生で観て、そこで歌っているビョークの歌声で初めて女性の声もいいんだなと思いましたね。叫んでいるんだけど柔らかいというか、そういう女の人のヴォーカルにはじめて出会って。

しかしサトミさんの歌い方はビョークのように感情を露わにしないことが特徴だと思います。感情をあらわにしないこと、あるいは言葉をはっきり歌わないこと、それ自体がサトミさんのひとつの表現になっているように思ったんですけど、どうでしょうか。

サトミマガエ:日本語が聴き取れないとはよく言われるんですけど、じつはあまり意識したことはないんですよね。日本語ってすごくカクカクしていて、言葉が飛び出てくるというか、日本語はすごく言葉が強いと思うんですよね、強く歌うと詩だけがはいってきてしまう感じがある。そういう詩を聴いているだけのような音楽は、私は説教されているような感覚になることが多くて。言葉も音楽と一体になっていてほしいというのがいつもあって。たぶんそのせいで、そういう歌いかたになっているのだと思います。

サトミさんにとって歌詞というのはどういうふうに考えていますか?

サトミマガエ: まえのアルバムにいけばいくほどなにを言おうとしているのか完全に理解されたくない、というのは強いと思いますね。歌詞に関しては。

理解されたくない?

サトミマガエ:正直に言うと、自分の書こうとしている歌詞がはっきりと浅はかだってバレて曲を台無しにしてしまうのがいやなので(笑)。

そんなことはないでしょう(笑)。ちなみに好きな本とか作家はいますか?

サトミマガエ:最近はあまり読めていませんが、昔は日本の純文学をずっと読んでいましたね、川端康成とか谷崎潤一郎とか。

めちゃくちゃ純文学ですね。

サトミマガエ:とにかく綺麗な日本語を勉強しようと思って。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」はサトミさんの世界観にあるかも(笑)。

サトミマガエ:昔の本ってけっこう難しいんですよね。いつの間になにか起きているけど注意して読まないとそれがわからない、みたいな。大きなドラマがあるわけではなくて、ただ細かい文章だけから映像を想像していくというところが少し癖になっていました。

今回のアルバムが〈RVNG Intl.〉からでることになった経緯というのはなにがあったんでしょうか。


Satomimagae
Hanazono

RVNG Intl. / PLANCHA

FolkAmbient

サトミマガエ:海外のレーベルに詳しい知り合いに、かっこいいレーベルを教えて欲しいと頼んだらそのなかに〈RVNG Intl.〉がはいっていました。それで自分でも調べたら、FloristというバンドのヴォーカルのEmily A. Spragueがソロプロジェクトでバンドとは違った音楽をリリースしているのをそこで発見したりして、おもしろそうと。デモを送ってみました。でも実はRVNGのまえに〈Guruguru Brain〉が返事をくれて、今回はCo-Releaseで〈Guruguru Brain〉からも同時にリリースしてもらえることになりました。

今回のアルバム・タイトル『花園』というのはどこからきているのでしょうか。

サトミマガエ:いままでに比べてオープンでフラットにすることをすこし意識していて。

すごくカラフルですよね、いままでの作品より。

サトミマガエ:そうそう、そういうイメージです。だけどまだ少し閉じているというか、家の外ではあるし、外の世界と繋がっているけれどあくまでプライベートな空間というか、そういうイメージです。それと子供らしさ……、曲を書いていた時期に子供のニュースをよく見かけまして、あまりよくないニュースですけど。音楽のなかにそういうテーマもはいりこんできましたね。なんかね、『花園』っていうと……華やかで、一生懸命手入れするのに別に人に見せないという、それが子供らしさというか、ピュアな創造という感じに繋がるんですね。

子供たちにとってのユートピアみたいな。

サトミマガエ:うーん、そうですね、楽園……現実逃避ではないんですけど、広い世界がみえていないというかね。それって子供もそうだけど、ときどき大人もそうだなと。そういう感じだけれど内向的な暗さはなく、社会と繋がっているしあくまで外にあるというイメージで『花園』がしっくりくる。

なぜ外に向けて開けきらないんですか?

サトミマガエ:それは私がまだ開けきらないなって思ったからで(笑)。

でも閉じた感じというのがサトミさんの作品の魅力ではあると思いますよ。

サトミマガエ:そうですね。前のふたつの作品とか、というかいままでの作品はぜんぶそうだったと思います。

『Hanazono』は音の細部が丁寧に作り込まれていますよね、サブベースのような音があったり、フィールド・レコーディング的なものもあったり、あるいはすごく小さな音量で別のメロディが鳴っていたりとか。注意深く集中して聴くといろいろな音が聴こえるような音作りになっていて、むしろ広がりがあると思いました。

サトミマガエ:ありがとうございます。BGMだけれどただ退屈に流れているだけの音楽ではなくて、ちゃんと鳴っている音楽、というのを目指していました。プレーンな感じ……、いろんな感情を中和するものを作りたいなと思って。刺激のある音楽の間に挟んで聞くような休憩の音楽、でもそういう音楽が大事なときもあるなと思ったんですよね。

レコーディングのやりかたもいままでとは違っていると思いますが、どのように進めたのでしょうか?

サトミマガエ:作っている段階ではレーベルが決まっていなかったのもあって、とくに誰かの期待に応えるようなかたちで作っていなかったのもあったのかもしれません。ほとんど家で録っているんですよね。

あんまりいままでと作りかたは変わらなかったと?

サトミマガエ:あ、でも前回のふたつはスタジオでちゃんと録音していたので。

今回は家の中でぜんぶ作ったと。

サトミマガエ:ほぼそうですね。浦和さんがいれたもの以外は家で作りました。

それじゃ家に小さいベットルーム・スタジオみたいなものがあるんですか。

サトミマガエ:いまいる部屋なんですけど、この狭い部屋で(笑)。だからけっこう外の音とかはいっちゃっている曲もあるんですよ。

最後の“Uchu”にもはいってますもんね。あとボーナストラックにフィールド・レコーディングっぽい音がはいっている。

サトミマガエ:あれは散歩して録ったやつですね。

なるほど。じゃあけっこう時間をかけて作った感じですか?

サトミマガエ:かかりました。2018年くらいに曲自体は書き終わっていたので、そこから2019年の間はデモにするためにミックスやレコーディングをして、それで去年はずっと仕上げをしていました。

ギターの弦の音とかすごく綺麗になっていて、曲によってはギターとかを重ね録りしているんですか?

サトミマガエ:曲によってはしています。でもなかには一発録りのもあって。スタジオでやるっていうのがなかったから、できたらすぐ録るというのも可能だったんですよね。一番最初が一番良いテイクということもあるので。
■サトミさんのスタイルってすごく独特だし世界観ができあがっているから、逆にアルバムのなかで曲ごとのヴァリエーションはどういうふうに考えてらっしゃいますか?

サトミマガエ:今回はヴァリエーションというか、ひとつのアルバムが一気に流れていくような作品にしたいということはいままでではいちばん意識してました。曲ごとのカラーをけっこうがらっと変えながら、全体としてはひとつの空間にまとまっているような。

今回は英語の歌詞が半分で日本語の歌詞が半分ですか?

サトミマガエ:そうですね。

英語と日本語で半々にしたのはインターナショナル・リリースということがあったからですか?

サトミマガエ:いままでは日本語で歌うというのは自分の音楽の特徴のひとつに捉えていたんです。『Potopo』という自主制作のEPではじめて全部英語の曲をひとつ書いてみたら、別に英語で歌っても自分の曲らしいまま書けるなと思って。今回はオープンにしたいというものあって日本語にこだわらず書いてみたという感じです。

先ほど子供の話をしていただきましたけど、ご自身はこの作品を通じて何を伝えたいと考えてらっしゃいますか?

サトミマガエ:メッセージかはわからないですが、今回のアルバムの“花園"を作ってたときにテーマとして出てきたのは 自分の中や外で大きく起こる変容を受け入れる、身を任せる、ということでした。"Numa" という曲では「爽やかな諦念」がテーマです(笑)。鬱々したものではなくて、その身を任せている変化の流れ、風のような流れを楽しんでる様子を書きたかったです。歌詞がいつもパーソナルになってしまうんですけど、さっき言ったような中和する音楽を目指していたので、今回は日記のようにならないよう曲ごとにまずありふれたモチーフを思い浮かべてみたんですね。石とか風とか海とか。それに投影するかたちで曲をもう少し普遍的なものにしたいと思って。

なるほどね、わかりました。ありがとうございました。またライヴでお会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。

サトミマガエ:ありがとうございます。

(4月22日、ZOOMにて)

 ファラオ・サンダースといえば後期コルトレーンの諸作で登場したその継承者であり、アリス・コルトレーン作品をはじめ、ドン・チェリーやサン・ラー作品などといったスピリチュアル・ジャズの王道を歩んだサックス奏者として広くは知られているだろうし、ぼくもまたその認識でレコードを買っては聴いてきたひとりだ。ぼくがもっとも好きなのは、政治の季節にリンクしたアルバム『Black Unity』。傑出した躍動感とこの切なる思いの即興は、BLM時代のいまもまた聴かれるべき作品だと思う。
 だが、そこから先のサンダースの音楽についてはまったくの無知で、ジャー・ウォブルとやっていたことなんて今回reviewを書くにあたってdiscogsを眺めるまで知らなかったし、昔remixという雑誌をやっていたのでSleep Walkerの作品に参加したりとか、そんなことぐらいしか知識のない人間が書くreviewだと思って大目にみてもらいたい。
 
 現在80歳のファラオ・サンダースと34歳のサム・シェパードとの出会いは、フローティング・ポインツのアルバム『Elaenia』(2015)がもたらしている。サックス奏者にて精神の開拓者は、デヴィッド・バーンのレーベル〈Luaka Bop〉を介して聴いた神経学の博士号を有するイギリスの若きエレクトロニック・ミュージシャンによるミニマルなアンビエント作品を好きになった。いつか彼と共作したいと、老芸術家は口にした。
 この組み合わせの実現に向けて〈Luaka Bop〉が動いた。2019年7月、LAのスタジオで両者はリハーサルをおこない、翌年にはその音源にロンドン交響楽団の演奏が加わった。ソーシャルディスタンスを保持しながら、100本以上のマイクを使用してこの録音は完成したという。まさしくパンデミック時代の記念碑的作品として、『プロミセス』は創作されている。
 
 この音楽は現在の音楽が喪失しがちな「地味であること」の復権とも言えるだろう。そう、マイロ君、君の言うとおりだ。じっくり聴くこと、ただ耳を傾けること、あたかも禅の教えのように、それによって何かが得られるとか、気持ち良くなれるとか、いっさいの見返りと考えずにただ聴きたいから聴くこと。そして、ただ聴きたいから聴くことがどれほど素晴らしいことかを『プロミセス』は教えてくれる。

 サム・シェパードは、『Elaenia』の延長にあるミニマルで控えめな調べをひたすら奏でている。もっと後からでもいいんじゃかとぼくは思ったが、スピリチュアル・ジャズの御大は思ったよりも早く曲に登場する。とはいえ吹き続けているわけではなく、シェパードとの絶妙なコンビネーションによって適度に身を引き、静寂を大切にしながらまた吹きはじめる。25分あたりのオーケストラの演奏は、このアルバムがたんなるBGMになることを拒否してもいるが、『プロミセス』が着地するのは瞑想的で落ち着いたムードであり、この際思い切ってそれを安らぎと言ってもいいだろう。

 ある意味このアルバムは、フローティング・ポインツ過去最高の作品と言えるだろう(彼に関しては12インチもふくめ全て聴いているのだ)。ピアノ、チェンバロ、シンセサイザーを使いながら微妙に変化するミニマリズムのみごとな叙情、空間を駆け巡るシンセサイザーの煌めき。その広がりにおいてサンダースのサックスは温かく滑らかに連なる。それはぼくが知っている60年代の彼ではない。かつて激動の時代を生き、いまもまた混迷する時代を生きているサンダースの、彼が歩んできたシーンとはまったく異なる音楽との親交において創出される最新のサウンドだ。これこそがシェパードにとっての本作における成功であり、これこそが『プロミセス』を名作たらしめる最大の要因なんだと思う。
 しかもこのアルバムは、音符にならない音、呼吸や舌打ちまで聴き取れるほど、たったいまぼくの部屋で演奏されているかのようでもある。なんて贅沢な。GW中、聴く音楽に迷うことがあれば大いに推薦します。46分のこの美しい癒しのアルバムにただただ耳を傾けて欲しい。

interview with Galcid - ele-king

ふつうの音楽ならどんどん進行していってくれるので、あまり考える余白がないじゃないですか。私にとってのアンビエントって、考える余白がめちゃくちゃあるものなんですよ。

 副業にこそ活路を見出すべし。本人からはお叱りを受けそうだが、モジュラーシンセ・マスター galcid によるアンビエント作品はそれほど魅力的なのだ。
 最初の驚きは前回の「Galcid's Ambient Works」。それまでのインプロ主体の印象を覆し、アルバムとしての完成度を高めた(齋藤久師との)SAITO 名義の作品もリスニング・テクノとして刺戟的ではあったのだけれど、galcid の可能性はじつはアンビエント路線にこそ潜んでいるのではないか。少なくともぼくはそう感じた。

 整理しておこう。去る3月、〈Detroit Underground〉から『Hope & Fear』が出ている。これが、前回のインタヴューで語られていた、完成しているのに世に出るのが遅れに遅れたセカンド・アルバムだ。SAITO における音の冒険や幅の広がりなんかも、きっとこの『Hope & Fear』で手ごたえをつかんだ結果なのだろう。冒頭のメッセージ・ソングを筆頭に、いろんなタイプの曲が並んでいる。とくに注目しておきたいのは最後の “Microscope”。このノンビートの小品こそ、「Galcid's Ambient Works」の天啓をもたらしたにちがいない。
 その続編となる「Galcid's Ambient Works 2」も4月27日にリリースされたばかり。これまた「1」に引けをとらない良質なアンビエント作品で、やっぱり galcid のアンビエント路線、めちゃくちゃ合ってるんじゃないかと思う。そんなわけで今回は、galcid にとってアンビエントとはなんなのか、大いに語ってもらいました。

コロナで外に出なくなって家で音を流していると、やっぱりスクエアプッシャーとかに反応してしまうんですよね。「エモい!」みたいな(笑)。やっぱり私の源流はここにあるんだなって。

まずは3月に出た『Hope & Fear』についてですが、これが昨年のインタヴューで仰っていたセカンド・アルバムですよね。

レナ:はい。あれからコロナでさらに遅れて、3年越しですね。もう自分でも内容を憶えていないレヴェル(笑)。ちょっと他人事というか。そのときは一生懸命つくりましたけど、3年も空くとね。もうフレッシュではないイメージになっていて。半分お蔵入りというか(笑)。

ファーストよりも曲の表情というか、ヴァラエティが豊かになっていて、機械のエモーションのようなものを感じました。

レナ:それはあるかなと思います。1作目は意識的にかなりミニマルにしていましたので。この2作目は、たとえば最後の曲なんかは、前回のアンビエント作品(「Galcid's Ambient Works」)につながる感じになっています。自分のそういう側面も出していきたいという想いが増えて。あと、言葉もけっこう入れていますし。

冒頭からいきなりメッセージ・ソングですよね。原爆と原発をつないでいる。なぜこれを1曲目に?

レナ:聖域をつくるというか……

聖域?

レナ:メッセージも強いし、音も過激なので、これを聴けるひとはその後の曲も聴けるだろうって。ここを越えてきてくれたひとは、ぜんぶ受けいれてくれるだろうなと。会員制のような(笑)。超えてきてくれたひとに「どうぞ、ほかにもいろいろあるよ!」って。

なるほど、だいぶ分厚い扉ですね(笑)。3・11について、考えることがよくあったということですよね。

レナ:ありましたね。じつは、この曲だけ “Noticed nuclear” という名前で、少し前につくっていたんですよ。でもそれから年月が経つにつれ忘れられていっている感じがしたし、知り合った福島の方がいたんです。それでリアルな話を聞く機会もあったので、“Noticed nuclear” のように安易な曲名ではなく、“Awareness” に変えて冒頭に持ってきたというのはありますね。

アルバムが出たのが3月だから、ちょうど10周年のタイミングですよね。

レナ:しかも、他の曲名もいまのコロナの世相を反映している感じになっていて。

期せずして、いろんな意味を含んだアルバムになったと。

レナ:はい。“Large Crowd” とか「密」じゃないですか。3年寝かせた意味があったのかもしれないと思いました。聴きなおして、音も古くはなっていなかったのでよかったです。それに、買ってくださった方も多くてびっくりしました。

ヴァイナル即完だそうですね。ディスクユニオンでも1位になったとか。

レナ:そうなんですよ。ダンス・チャートで1位に。

再プレスの予定はあるんですか?

レナ:ないです。転売してください(笑)。うちにも1枚しかないんですよ。

それほどリアクションがあったのは、ご自身ではなぜだと思いますか?

レナ:ぜんぜんわからないんですよね。大々的に広告を打ったわけではないですし。予約時点で売り切れていたそうなんですが、だれかが頑張ったというわけではないんですよね。リリース・パーティもいっさいできなかったので、理由はわからないです。ただ、バンドキャンプでの注文が多かったみたいなので、けっこう試聴はしてもらったのかもしれないですね。

今回も基本はインプロですか?

レナ:インプロ感を残しつつ、作曲しています。そのせめぎ合いを(齋藤久師に)プロデュースしてもらった感じで、勢いは残したいけれど、作品としてリピータブルにもしたい、そのせめぎ合いでしたね。

つくられたのは3~4年前ですが、そのとき「これはブレイクスルーだな」と思った曲はありましたか?

レナ:じつは、自分にとってすごく恥ずかしいことをやったんですよ。“Back To Teenagers” とかモロじゃないですか。

いわゆるドリルンベースですね。

レナ:高校生のときに聴いていたやつをそのままやったんです(笑)。もちろん、いまの私なりの解釈は入れてますけど、ここまで「まんま」でやる? みたいな笑っちゃう感じの自己開示ですね。これまでは「とくに影響受けてないです」みたいな顔をしていたんですが、コロナで外に出なくなって家で音を流していると、やっぱりスクエアプッシャーとかに反応してしまうんですよね。「エモい!」みたいな(笑)。やっぱり私の源流はここにあるんだなって。この曲を聴いたレーベルのオーナーもニヤニヤしていました(笑)。

今度まさにスクエアプッシャーのファーストがリイシューされますよ。ちなみにぼくは “Electronic Flash” が気になりました。ちょっと点描的な感じがあって。

レナ:その曲も好評でした。あと “Scheme And Impatience” も好反応が多かったです。みんなばらばらなんですけどね。でもそうやっていろんな方にプレイリストに入れてもらったりしたのがセールスにつながったのかもしれないですよね。これまでは、アンダーグラウンドであることに妙なプライドがあったというか、「べつに売れなくていいんです」みたいな、ちょっと卑屈な感じがあった。「どうせ理解されないし」みたいな。でも今回結果を出して、ひとつスタイルを確立できて、自分のなかですごく自信になりました。

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美しいメロディをつくるというよりも、まぬけなメロディをいかにきれいに美しくやるか。

そして「Galcid's Ambient Works 2」も出ました。

レナ:今回、カセットテープは JetSet Records と waltz で取り扱ってもらっています(註:4月27日現在、waltz では予約段階でソールドアウト)。

アンビエント・シリーズはカセットで、みたいなこだわりがあるんでしょうか?

レナ:レーベルは変わりましたが、そもそも1作目のとき、カセットで出さないかというオファーだったんです(〈Detroit Underground〉)。その1作目を聴いたスペインのレーベル(〈Sofa Tunes〉)がすごく気に入ってくれて、うちからカセットで出さないかと言ってくれて。

なるほど、そういう経緯でしたか。このレーベルは知らなかったんですが、どうして急にスペインのレーベルになったんだろうと。Galcidのアンビエント路線、ぼくはかなり良い方向だと思っています。

レナ:アンビエントはすごく開眼させてくれますね。自分の色づけや音楽の幅を持たせてくれる。

でもやっぱりノイズを入れずにはいられないところはニヤッとさせられました。そこは久師さんですか?

レナ:ふたりともですね。どうしても汚しにいってしまいたくなるというか。その辺はやっぱり中学生なんですよね(笑)。宅録の延長というか、音質の悪さを追求したくなる。

1曲目はとくに、良い音の濁り具合だなと思いました。

レナ:宅録でカセットテープでやっちゃったみたいな、そういう音にしたかった。それを実際にカセットで聴いたらどうなるか、わからないですけど(笑)。あとメランコリーというか、退廃的な匂いを入れたいというのもありました。1曲目はとても暗くて。暗くないですか? モールス信号でメッセージも入れています。ぜひ解読してください(笑)。

暗さはそれほど感じませんでしたけど、美しい風景のようなものは浮かび上がりました。

レナ:私としては、デヴィッド・リンチが好きなので、ああいう滲んだ色というか、緑がかった映像のイメージがありました。写実的なかっちりしたものよりも、リンチだったり『ブレードランナー』だったり、ああいう青緑の雰囲気を醸し出したいというのは無意識的にあったと思います。

好きなアンビエントのアーティスト、あるいは作品はなんですか?

レナ:ベタすぎですが、やっぱりブライアン・イーノとエイフェックス・ツインが好きなんですよね。

おおお。イーノだと、どれがいちばん好きですか?

レナ:『Thursday Afternoon』ですね。『Music For Airports』も好きですけど、やっぱり『Thursday Afternoon』かな。

85年の、ワン・トラックのやつですね。どの辺が?

レナ:まどろみというか、あれもやっぱり独特のカラーを感じて。いま私、「アルコール・インクアート」というのをやっているんですよ。アルコール・インクアートってご存じですか? 

知りませんでした。

レナ:インクをアルコールに垂らすと、ぶわーっと混ざっていって、色がどんどんまだらになるんです。そういうアートがあって。(スマホで動画を見せる)私はそれを利用して音を使い「周波数アート」と命名してやっています。

名前からしてヤバそうですね。

レナ:(スマホで動画を見せながら)色に音を当てるんです、こうやって模様を描いていく。ブライアン・イーノの音って、まさにこういう世界なんですよ。音色がゆっくり混ざっていく感じ。抽象画を描くプロセスを見ているイメージで、すごく想像力を与えてくれる。

『Thursday Afternoon』って、もともと「ヴィデオ・ペインティング」としてはじまった作品なんですよ。たしかインスタレーションのサウンドトラックのような位置づけで。ヴィデオ版も出ています。だから、レナさんのその受けとり方はまさにどんぴしゃというか。

レナ:そうだったんですね! 映像は観ていないですけど、音でそれを感じたんです。音ですごく色を感じて。しかも一色ではなくて、動いて、ちがう色が出てきて、それが流れていくという。アート作品のプロセスを観ているような。音楽って一般的には譜面というプロセスがあるけれど、それをキャンバスのうえでやっているような雰囲気がすごく好きですね。でもなんで『Thursday Afternoon』なんだろう。木曜日にやったのかな(笑)。

きっと共感覚をお持ちなんでしょうね。しかし、イーノ作品で『Thursday Afternoon』がいちばんというのはおもしろいですね。

レナ:「Bloom」というアプリがありましたよね。あれもすごく好きなんですけど、それにも通じているんですよね。時代順に聴いたわけじゃなかったので、最初『Thursday Afternoon』も「Bloom」でやったのかな? って思ったくらいです。

『Reflection』は聴きました? アプリでも出ていて、再生するたびにちがう音が鳴るんです。(アプリを立ち上げ)春夏秋冬でムードが変わるようにも設計されている。

レナ:いいですね! 「Bloom」で止まってました(笑)。いろんな意味でブライアン・イーノは先輩なんですよ(笑)。創始者でもありますし、考え方や、医療関係だったり教育関係だったり、音楽と活動の仕方にかんしても。人としてすごく興味があります。

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アンビエントを聴くと頭が支配されてしまうんです。キャンバスが用意されているような状態、「なに描くの?」って言われているような状態なんです。最初からそこに模様がいっぱいあったらなにも描こうとは思わないじゃないですか。でもアンビエントは余白が多いから、「ここにはなにを描こうか」とか、いろいろイメージが湧いてきちゃう。

エイフェックスは、やっぱり『Selected Ambient Works Volume II』ですよね?

レナ:そうです。(「Galcid's Ambient Works 2」という)タイトルからしてもう「すんません!」って感じです。これも自己開示ですね。これまで Galcid は、影響元を隠していたわけではないですが、ルーツが見えづらい部分もあったと思うんです。そこら辺はもう、ドーンと出していこうと思って。あとエイフェックス・ツインのメロディって、拙いというか、すごくチープですよね。カシオトーンのプリセット音色で弾いてるんじゃないかくらいの(笑)。それが心を打ったりもするんですけど、自分たちの音をつくるとき、それにすごく勇気づけられた。美しいメロディをつくるというよりも、まぬけなメロディをいかにきれいに美しくやるか、という。

『SAW2』にも色彩を感じますか?

レナ:そうですね、またべつのタイプの。緻密さがないように私は感じたんですよね。日本人の音の構成ってすごく緻密で凝っているけど、エイフェックスには感性的なものを感じました。そこに憧れているところがあって、だから自分でやるときも作りこみすぎないようにしています。あとエイフェックスは、アンビエントじゃない作品ももろに聴いていたので、その振れ幅もリスペクトしていますね。

まあエイフェックスはちょっと別格ですよね。

レナ:そうそう。最近ワークショップとかでいろんな方と話す機会があるんですが、思考で音楽を聴く時代は終わったなって思っているんです。日本の方はまじめなので、情報とか、思考で音楽を聴いてしまうところがある。私にもありました。でも、本当は心で聴きたいというか、感性で聴きたい。それって、つくる側もそうじゃないと、そういうふうに聴いてもらえないんじゃないかって思うんです。プロデューサー(齋藤久師)が思考ではつくらないタイプ、完全に感性だけでやっていくタイプなので、私は「ちょっとこれは……」とか思うときがあるんですけど、(齋藤久師は)「いやぁ、頭で考える必要ないでしょ!」みたいな(笑)。

アンビエント・シリーズはぜひ今後もつづけてほしいですね。

レナ:つづけたいですね。ほかのこともやりながらですけど、やっぱりアンビエントは好きなひとも多いので。

ひと口にアンビエントといってもいろいろありますが、なにをアンビエントだと思いますか?

レナ:もともとは「環境音楽」ですよね。どんな音楽でも「環境」を変えると思うんですが、とくにアンビエントは、「その場」の空気を変える印象があります。アンビエントは「場」を変えて、人間を持っていっちゃうイメージ。だから、アンビエントを聴いていると持っていかれちゃうので、仕事にならないんです(笑)。私の定義だと、そうなりますね(笑)。

それは、鳴っているサウンドに注意が向いてしまうということですか?

レナ:うーん、あまりにも余白があるからなのかなぁ。アンビエントって、楽曲としての主張がそれほどないじゃないですか。だからどうしても場に調和してしまう。だから「環境音楽」なんだと思うんですが……

音を聴きこんでしまって聞き流せない、ほかのことに集中できない、ということでしょうか?

レナ:聴きこむわけではないですね。たぶん、音がそれほど入っていない分、余白が大きすぎて、自分の脳がいろいろ想像しちゃうんですよね。ふつうの音楽ならどんどん進行していってくれるので、あまり考える余白がないじゃないですか。私にとってのアンビエントって、考える余白がめちゃくちゃあるものなんですよ。世界観だったり、昔のことを思い出したりして、頭が忙しくなっちゃうんです。

ああ、なるほど。シンプルに4つ打ちが鳴っているほうが楽、みたいな。

レナ:そうそう! 私はですけどね(笑)。

珍しいタイプですよね。4つ打ちがむしろアンビエントとして機能してしまっている(笑)。

レナ:そうかもしれない(笑)。珍回答だなあ。アンビエントを聴くと頭が支配されてしまうんです。キャンバスが用意されているような状態、「なに描くの?」って言われているような状態なんです。最初からそこに模様がいっぱいあったらなにも描こうとは思わないじゃないですか。でもアンビエントは余白が多いから、「ここにはなにを描こうか」とか、いろいろイメージが湧いてきちゃう。私も他方ではやかましい音楽もやっていますけど、そっちはもうすごい幾何学模様で、描く余地も考える余地もない。ただ受けるだけで、こちらから能動的になにかする余地がないというか。

なるほど。さきほどからアプリの『Reflection』を流しっぱなしにしてしまいましたが、レナさんは取材に集中できなかったかもしれないですね(笑)。

レナ:引っぱられぎみにはなりますね(笑)。クラシックとかもそうなんですよ。ドビュッシーの「月の光」とか聴いてもどんどん持っていかれちゃいますからね。ゆっくりできない(笑)。

イーノとエイフェックスのほかに、ピンときたアンビエントはありますか?

レナ:タイトルが数字の……『1979』だっけ? DERUの。

それは知りませんでした。聴いてみます。

レナ:すごく好きなんですよね。あれも独自の世界観を持っていて。やっぱり持っていかれちゃいます。忙しい作品です。

逆に、アンビエントの名作と言われているけれど、ピンとこなかったものってあります?

レナ:イーノとかエイフェックスを聴きだしたら、ジ・オーブがチャラくみえてきました(笑)。なんかめっちゃCGチックというか(笑)。好きなのは間違いないんですけど、私は基本的にツルっとしたものよりもノイジーだったり、いわゆるアナログな音が好きなんだなというのがよくわかりました。

なるほど(笑)。では最後に、レナさんにとってアンビエントとは? ひと言でお願いします。

レナ:「頭が忙しい」ですね(笑)。クリエイティヴィティをすごく刺戟されるのがアンビエント。落ち着けません!

5/4 galcid 配信ライヴ
“Galcid Wars”

(アフターパーティーあり)
https://galcidwars.peatix.com/view

Galcid
Galcid's Ambient Works 2

Sofa Tunes

JetSet Records
https://www.jetsetrecords.net/i/747005900779/
Waltz
https://waltz-store.online/?pid=159209631

RCサクセション - ele-king

 ♪バカな頭で考えた〜、これはいいアイデアだ〜と、日本のロック史に燦々と輝くRCサクセションの1980年4月5日久保講堂でのライヴ盤『RHAPSODY』のことは説明するまでもないだろうけれど、当日演奏された9曲をあらたに加え完全版として2005 年にリリースされた『RHAPSODY NAKED』のことも知っているよね? え? ぜんぜん知らないって? あ、そう。。。
 無理もないよなぁ、まだ君が生まれる前の音楽だし、この音楽を聴いて君のお父さんやお母さんがまだ若く仲良くしていたなんてとても信じられないだろう。もはや見る影もないかもしれないけれど、心のどこかにはまだロックンロールの欠片が残っているかもしれないよ。ちなみにぼくがこのバンドのライヴを初めて見たとき、まだ15歳とかそんなだったんだけれど、“ブン・ブン・ブン”という曲をはじめる前に、「最近、俺のダチの井上陽水が捕まったけどよ、冗談じゃねぇ、俺は絶対捕まらないぜ」なんてMCが入って曲がはじまったことをいまでも鮮明に憶えているんだ。すごいだろう。
 さすがに今回の『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』は、マニアックだし高価だし、まだ10代の君には重たいかもしれないけれど、君のお父さんやお母さんにぜひ教えてあげて欲しい。とんでもないシロモノがリリースされるみたいよと。そしたらこう言うだろう。えええー、当時の未発表が12曲も追加だって? マジかよ!!! 何もこんな金がないときに出さなくたっていいだろうが! と突然怒り出すかもしれないけれど、多めに見てやってくれ。いつか君もこの音楽を聴くときが来るだろう。

RC サクセション
『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』

■仕様
〈通常盤〉3CD──三方背 BOX +紙ジャケ(ゲイトフォールドジャケ&シングル紙ジャケ)+44P ブックレット
〈限定盤〉3CD+1 Blu-ray+3LP(180g 重量盤)──LP3 枚入りジャケット+4 disc トレイ+LP サイズブックレット+LP サイズケース

■価格
〈通常盤〉¥4,000(税込)
〈限定盤〉¥14,000(税込)
■発売日
〈通常盤〉2021年6月9日(水)
〈限定盤〉2021年7月7日(水)
〈「RHAPSODY NAKED 2021 Remaster」デジタル配信(ハイレゾ含む)2021 年 6 月 9 日(水)
■収録内容
〈通常盤〉〈限定盤〉共通
Disc1,2(CD)RHAPSODY NAKED 2021Remaster
Disc3(CD) Official Bootleg
ライナーノーツ:宗像和男+高橋 RMB
〈限定盤〉のみ
Disc4(Blu-ray) ライブ映像(“NAKED”収録映像の音声をリマスター音源に差し替え)
3LP(180g 重量盤)RHAPSODY NAKED 2021 Remaster


・収録曲目:
【Disc1】(RHAPSODY NAKED 2021 Remaster)
01. Opening MC
02.よォーこそ
03.ロックン・ロール・ショー
04.エネルギー Oh エネルギー
05.ラプソディー
06.ボスしけてるぜ
07.まりんブルース
08.たとえばこんなラヴ・ソング
09.いい事ばかりはありゃしない
10.Sweet Soul Music~The Dock Of The Bay

【Disc2】(RHAPSODY NAKED 2021 Remaster)
01.エンジェル
02.お墓
03.ブン・ブン・ブン
04.ステップ!
05.スローバラード
06.雨あがりの夜空に
07.上を向いて歩こう
08.キモち E
09.指輪をはめたい

[MUSICIANS]
RC サクセション:忌野清志郎(Vo)仲井戸麗市(G)小林和生(B)新井田耕造(Dr)G2(Key)
Guest Musicians:小川銀次(G)梅津和時(Sax)金子マリ(Vo)
Recorded at久保講堂 1980年4月5日

【Disc3】(Official Bootleg)
01, 雨あがりの夜空に
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
02, ステップ!
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
03, スローバラード
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
04, いい事ばかりはありゃしない
 1980 年 4 月 5 日「LIVE!!RC サクセション」 久保講堂リハーサル
05, お墓
 1980 年 4 月 5 日「LIVE!!RC サクセション」 久保講堂リハーサル
06, よォーこそ
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
07, ブン・ブン・ブン
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
08, ボスしけてるぜ
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
09, エネルギー Oh エネルギー
 1980 年 8 月 17 日「JAPAN JAM 2」at 横浜スタジアム
10, 雨あがりの夜空に
 1979 年 9 月 2 日「第一回下北沢音楽祭」
11, いそが C
 1980 年 12 月 25 日「PLEASE Play it Loud」at 渋谷公会堂
12 ヒッピーに捧ぐ
 1980 年 12 月 25 日「PLEASE Play it Loud」at 渋谷公会堂

 Guitar:小川銀次 on Track 01,02,03,04,05,10
 Sax:梅津和時 on Track 04, 05, 06, 09
 Horns:生活向上委員会 on Track 11,12
 Vocal:金子マリ on Track 04・美空どれみ on Track 01
 *M-1,2,3,6,7,8,9,10:Licensed by NHK/NHK SERVICE CENTER,INC.
 *M-11,12 はオーディエンス録音のカセットテープ音源につき、お聞き苦しい箇所がございます。
 ご了承ください。
*Disc3 の音源に関しては、RC サクセション 50 周年プロジェクト委員会の主導の元、選曲しております。

【3LP】
SIDE-A
01.Opning MC
02.よォーこそ
03.ロックン・ロール・ショー
04.エネルギー Oh エネルギー

SIDE-B
01.ラプソディー
02.ボスしけてるぜ
03.まりんブルース
04.たとえばこんなラヴ・ソング

SIDE-C
01.いい事ばかりはありゃしない
02.Sweet Soul Music~The Dock Of The Bay
03.エンジェル

SIDE-D
01.お墓
02.ブン・ブン・ブン
03.ステップ!

SIDE-E
01.スローバラード
02.雨あがりの夜空に 03.上を向いて歩こう

SIDE-F
01.キモち E
02.指輪をはめたい

Dry Cleaning - ele-king

 もうかれこれ1年以上もライヴハウスで演奏できないと、だけれども、それにしてもUKのポスト・パンク新世代はエネルギッシュで、パワフルで、じつに興味ぶかい作品を発表している。スクイッド、スティル・ハウス・プランツ、ゴート・ガールブラック・ミディシェイム、ザ・クール・グリーンハウス、ワーキング・メンズ・クラブ、ガールズ・イン・シンセシス……。(USはもっとアナーキーで、つまり政治的だったり……スペシャル・インタレストやジョイのように。いずれにしても彼ら・彼女らも“現在”を象徴しているし、そもそもWARPのサブレーベル〈Disiples〉がスペシャル・インタレストの作品をリリースすること自体からも“いま”が見える)

 ドライ・クリーニングもポスト・パンク新世代のロンドンのバンドで、まあ、言ってしまえば今年の注目のひとつだ。スカスカの空間とリード楽器としてのベース、無機質なドラミング、抑揚のないナレーションめいた女性ヴォーカル──、どこかで聴いた風かもしれないけれど、しかし決して誰かの物真似ではない。ドライ・クリーニングの奇妙で魅力たっぷりの音世界はすでに完成されている。だいたいすでに彼らには、“Strong Feelings”という傑出した曲がある。

感情を枯渇したものばかり集めるコレクター
脳裏に浮かぶ様々なこと
17ポンド払ってあなたにマッシュルームを買った
なぜって私は愚かだから

ただあなたに伝えたい
私の頭にはかさぶたがあると
生きるなんて無駄なこと
何時間もずっと考えている
あのホットドッグを食べようと

 地ベタに座って路上飲みする人たちが批判的に報道されているが、あれは無意識ながら反抗が苦手な日本人なりの抵抗の表れじゃないだろうか。行き場もない若者たち、ラチのあかない大人たち、不誠実な政治と政治利用されたオリンピック、いつ接種できるのかわからないワクチン……「暗い顔して2人でいっしょに雲でも見ていたい」(by 佐藤伸治)
 ドライ・クリーニングは、怒りを通り越して冷え切った音楽の、颯爽たる躍動のようだ。ぼくのもうひとつのお気に入りは“Leafy”という曲。ここでもまたミニマルの美学と闇夜のギター、そしてフローレンス・ショーの静的なヴォーカルとのコントラストが素晴らしいインパクトを創出している。

片付け行けないものって何?
ベーキングパウダー
大瓶入りのマヨネーズ 
手つかずのままのソーセージはどうする?
グリルパンにこびり付いた油を落とさないと
やらなきゃいけないことのなかで
これがいちばん大変

 ドライ・クリーニングは、深刻そうに下らなそうなことを歌い、シュールだが叙情的で、ナンセンスを装いながら意味のあることを歌う。面倒くさい人たちを煙に巻いているようだが、まあ、このバンドを前にニューエイジなどと言おうものなら、もはやギャグでしかないだろう。
 こうしたポスト・パンク新世代の勃興は、マクロで言えばロックの復権だが、ミクロで言えばまた意味が違ってくる。そもそも70年代末のオリジナル・ポスト・パンクとは、それこそジョン・ライドンによるロックの否定に端を発しているのだから。当時のポスト・パンクが否定したロックが表象するものとは──ストリートのリアル、ドラッグと女、破天荒な生き方の賛美と男たちのロマン、売れた者勝ちの論理──、こうした古いロック気質というか、いまでは一部のラップも代理している男性的な価値観に背を向けたのがポスト・パンクだった(ゆえにポスト・パンクは自分たちの始祖としてCANやクラフトワーク、ヴェルヴェッツ、キャプテン・ビーフハートのようなバンド、あるいはイーノのようなアーティストを選んだ)。セールスのために制限をかけれらた創造性を解き放ち、とりあえずやれるところまでやってみると。だからいろんなヘンな音楽が生まれたのである。

 ドライ・クリーニングはバンド名からして間抜けな感じが出ているが(ポスト・パンクにおいて、強面なバンド名などありえない)、しかしそのサウンドには冒険的で、自由な発想が具現化されている。ギターのトム・ドウスはフローレンスの「かったるくてやってられない」感が滲み出いているヴォーカルとは対照的に、ザ・スミスにおけるジョニー・マーを彷彿させるメロディアスで透明感のあるギターを弾いている。プロデューサーはPJハーヴェイとの仕事で知られるジョン・パリッシュで、彼は曲によって鍵盤を弾いているが、このバンドの魅力──遠くで聴くと無表情だが、近くで聴くとものすごい情感がある──をよく引き出していると思う。

サッカーユニ姿でふらっとうちに入り込んで
「ここは誰の家?」と聞かないでくれるかな
そっちこそ誰?

日給45ポンドの孤独な仕事
日給32ポンドの孤独な仕事
いいから受けなさいよ
状況は変わっていくんだから
“A.L.C”

 音楽は否応なしに時代を反映する。オリジナル・ポスト・パンクにはアートと政治が融和していたが、新世代にもそれは当てはまるようだ。うん、いい感じじゃないでしょうか。

 昨年、このサイトの記事で、音楽における政治の重要性について書いた。アーティストがオーディエンスの生活と繋がりを持ち、自分たちの音楽と世界への視点を豊かにする方法と、メインストリームな組織以外の場所で、繋がりを築く方法について述べた。しかしその記事では取り上げなかったひとつの大きなイシュー(問題点)がある。政治に内在する対立が芸術に入り込んだ時に何が起こるのか、ということだ。

 これこそが、多くの人が日常的な交流のなかで、政治の話を避けようとする主な理由だ。新しい同僚に対して慎重になって政治についての話題を避けたり、高校時代の旧友が、政敵について好意的に語ると胃が締めつけられる気がしたり、何杯かの酒の後に抑制が効かずに家族と衝突してしまったりする。学校の教師をしている両親の息子である自分は、普段、ミュージシャン、ライター、アーティストやその他のクリエイティヴな人びとの輪のなかでほとんどの時間を過ごしているが、自分の政治観(社会的リベラル、経済的には左寄り)が決して皆のデフォルトではないことを想像するのが難しい時がある。だが、自分の住む国やより広い世界に少しでも目を向けると、それが真実ではないことがわかる。

 音楽の世界にも充分すぎるほどの対立があり、ミュージシャンが自分の意見をオープンにすればするほど、その境界線が明確になる。セックス・ピストルズとPiLのジョン・ライドンは、昨年の米国大統領選挙でトランプ支持を表明した。ザ・ストーン・ローゼズのイアン・ブラウンは、COVID-19の偏執的な陰謀論の声高な擁護者となり、アリエル・ピンクとジョン・マウスは米連邦議会を襲撃したトランプ支持者たちとともに行進し、モリッシーは口を開くたびに、人種差別的なばかげた言葉の塊を吐き出し続けている。彼らは何をしているのだろう? 彼らは我々の仲間ではなかったのか? どうやら“我々”にはあらゆる大衆が含まれているらしい。

 一見、似たような政治観を持つ人びとの間でも、より微妙な対立が生じることがある。英国のグループ、スリーフォード・モッズとアイドルズは表面上、非常によく似ている。どちらも政治意識が高く、イギリスの保守党体制を鋭いリリックで批判し、音楽的にはまったく異なる方法で、ポスト・パンクのねじ曲がって歪んだ構造を想起させる。しかし、彼らの間には、階級政治に根差した意見の相違があったのだ。

 2019年、スリーフォード・モッズのジェイソン・ウィリアムソンが、アイドルズは、はるかに安定したミドル・クラス(中流階級)出身であるにもかかわらず、「ワーキング・クラス(労働者階級)の声を盗用している」と批判した。このコメントで引かれた、スリーフォード・モッズとアイドルズの間の境界線は、新しいものではない。1981年にドイツのSPEX誌がザ・フォールのマーク・E.スミスに、ギャング・オブ・フォーについて訊ねた際のスミスの批判は、似たような所から来ていたのだ。

「彼らは左翼的な思想を説く。彼らは大学で学び、特権階級に属している。ワーキングクラスが何を求めているのか、知ったふりをしているのが問題だ。でも何もわかっていない。シャム69は、自分たちが言っていることをよく理解していてよかった。自分を含むイギリスのワーキングクラスにとって、ギャング・オブ・フォーの音楽は、侮辱的で、無礼で傷つけられると言う意味で有害だ」

 ここには、階級政治に関わるイシューがあり(2017年のジョーダン・ピールの映画『ゲット・アウト』でも人種問題における力学の似たような試みが行われている)、ブルジョワのリベラル派が自分自身のブランド価値を高めるためにワーキングクラスを装って、もがいてみせることがある。その方法で迎える典型的な結末は、ワーキング・クラスの人たちが元の場所に置き去りされ、彼らの声さえもが他人に利用され、薄められてしまうのが常だ。スリーフォード・モッズの最近のアルバム『Spare Ribs』からの曲、「Nudge It」で、ウィリアムソンは、こう言う。

愚かで自暴自棄になってる奴らの前でプレイしてきた  
愛とつながりについての乏しい見解
バカな考えにとらわれて
お前が作れる料理はそれしかないから
クソッタレなクラス・ツーリス((階級見学ツアーの参加者)め
お前たちは社会集団というものを混同している

 もう少し根本的なところでは、いつの時代も説教臭い人間は忌々しいし、リベラルや左派の人間が他人の意見に対して小うるさく、偉そうにする傾向があることが、ジョン・ライドンを、トランプの、ガサガサした革のような腕の中に押し込めた原因のひとつかもしれない。そもそもパンクは、進歩的な政治のムーヴメントとはいえないものだった。パンクは常に何かに反応していたが、反応と反動の境界線は、我々の多くが信じたかったものよりも、薄っぺらなものだったのだ。1970年代後半、パンクはしばしば保守の体制に反応したが、根本的には、世間体のよい立派な人間になるように命令する、あらゆる声に反発していたのだ。

 そういう意味でトランプは、良いパンクな大統領だった。彼の魅力の多くは、結果など気にもとめずに、人を混乱させ、無視し、奪ったり侮辱したりしながら人生を歩む能力にある。トランプの不名誉な行いを見ると、パンクが与えたのと同じような、責任感からの解放がある。彼は立派であろうとせず、繊細さや礼儀正しさが求められるところで失敗しても、無頓着でいられる才能があるのだ。話す内容の細部は意味をなさないが、彼が発するメッセージはキャッチ―でシンプル、そしてパンク・ロックのコーラスのように、反復的だ。

 トランプと極右の人びとのシンプリシティを志向する本能こそが、ブルース・スプリングスティーン(“ボーン・イン・ザ・USA”)やニール・ヤング(“ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド”)、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(“キリング・イン・ザ・ネーム”)などの反国家主義的な曲を、国家主義的な主義信条のサウンドトラックとしてうまく利用できた理由だ。彼らはバカではない。これらの曲が彼らに反対するものであることを知りながら、その繊細なメッセージを一切見ようとはせずにそれを消し去り、完璧な重度の繰り返しにより、自分たちのための曲だと主張することができた。曲のキャッチ―さを利用し、皮肉を逆手にとり、洗練された部分にはドリルで穴をあけて、曲が元来持つシンプルな魅力を掘り起こしたのだ。トランプの「クソッタレ、お前のいうことなんて聞かない」という態度こそが、彼の支持者たちへのアピールの核心だ。

 スリーフォード・モッズは、そのような伝統のなかにおいては、それほど派手な不作法さはない。ウィリアムソンは音楽が生まれた場所について正直であることを重視し、演壇やお立ち台などがなくても人びとにコミュニケートする能力がある。“Elocution”という楽曲は、皮肉たっぷりの歌詞で始まる。

やあ、そこの君
今日は独立系コンサート会場の重要性について話しに来た
そしてそれについて話すことに同意することで、
俺自身がそのような会場でプレイすることをやめられる立場になることを、密かに望んでいる。

 この歌詞は、アイドルズや他のミドル・クラスのロッカーたちへの批判のようにも読めるが、バンドが成功するにつれ、より大きな会場に招かれ、ウィリアムソン自身が隣人たちのことを書いて有名になった地元の街から、家族を連れて郊外に引っ越すにつれ、自分のなかで芽生えた不安が反映されているのかもしれない。歌詞の皮肉はさておき、スリーフォード・モッズはパンデミックで大打撃を受けた、インディペンデント系の会場の強力な支援者であり、2020年12月には、“インディペンデント・ヴェニュー・ウィーク・キャンペーン”を支持してコンピレーション・アルバムに曲を提供している。

 アイドルズもまた、インディペンデント系の会場の積極的な支援者であり、2021年に発表した楽曲“Carcinogenic”のミュージック・ヴィデオは、彼らの故郷ブリストルの地元の会場を支援するために制作された。バンドとPR会社は、確かにそれを大々的に宣伝しているが、ブリストルにある会場のうち、文句を言っている所などあるだろうか?

 ある意味、アイドルズのヴォーカルのジョー・タルボットは、ウィリアムソンとは異なる領域に、自分の真正性の杭を打ち込んでいるともいえる。彼のリリックや公式見解の多くは、ソーシャルメディアなどの不安定な場でよくみられる、告白めいた、少し防御的な姿勢で書かれてはいるが、ある種のポジティヴな自己表現を土台としている。彼には(ワーキング・クラスとしての)“真正な”生い立ちの物語はないかもしれないが、自分に対して正直だ。2020年のアイドルズのアルバム『ウルトラ・モノ』に収録されている“The Lover”では、まさにこのような声で、批評する人たちに訴える。

お前は俺の決まり文句が嫌いだというが
俺たちのスローガンやキャッチフレーズは
”愛はフリーウェイのようなものだ”
クソッタレ、俺はLOVERだ

 社会の変化に伴い、ワーキング・クラスとミドル・クラスの伝統的な区分が複雑になっているのも問題のひとつだろう。アイドルズ自身はワーキングクラスではないかもしれないが、彼らの音楽の怒りと祝福の声は、増え続ける不安定雇用に陥っている、大学教育を受けた社会的意識が高い若者層と呼応している。最近出現したプレカリアート(雇用不安定層)の新メンバーたちは、その苦悩や先の見えない将来の不安を味わっているにもかかわらず、気取ったノスタルジックな1950年代の田舎やワーキング・クラスの生活の幻想を懐かしむ政治やメディアから、特権的な学生と嘲笑されているのだ。彼らは、田舎は自分たちの世界よりも現実的だといわれたり、ビスケットの缶の絵からそのまま取ってきたような田舎の愛国心のイメージなどに、また、自分たちの理想主義が揶揄され、軽蔑されることに疲れている。多くの人にとってアイドルズのヴォーカリスト、ジョー・タルボットは、“本当のイングランド”という安直な概念を切り崩し、フラストレーションや怒りを受け止めてくれる存在なのだ。

 「不平等ということに怒っているのなら、“お前は間違っている、クソッタレ”というのではなく、代替案としての平等を説くべきだ」と、タルボットはウィリアムソンの批判に応えて述べた。「1970年代にパンクスがやっていたことをいまも議論し続けているのは、“クソッタレ”的なことでは成功しなかったという事実があるからだ」

 「もうウンザリだ、俺の怒りは正当化される!」というアチチュード(姿勢)もあり、トランプ支持者のそれと似ているようにも聞こえるが、極端な比較をするのには慎重になる必要がある。似たような怒りのアクティヴィズム(行動主義)であっても、残酷ではない社会を求めて戦うことと、白人至上主義を支持して議会を襲撃することは同義ではない。だが、その原動力には似通ったものがある。どちらも怒りを原動力とするマシーンであり(“怒りはエネルギーだ”と言ったのは誰だっけ?)、いずれも無力感やある程度の個人的な承認欲求から生まれたものだ。彼らは信じられないぐらい複雑化する社会に方向性を与えると同時に、人びとの声を多数に分けて、それぞれに自分の主張を最も声高に叫ばせている。

 アイドルズは、多くの政治的な議論やレトリックには軋轢が存在することを認識しているようだが、団結を求める彼らの声(少なくとも彼ら側では)は、自分自身の真実を語るというタルボットの、本質的には個人主義的な必要性に、常に磨きをかけている。“Grounds”という曲のなかで、彼は批判者たちが建設的ではないと非難する。

勇敢なことや役に立つことなど何もない
お前はクソなたわごとを小個室の壁に書きなぐり
俺の人種や階級はふさわしくないという
だから俺は自分のピンク色の拳を振り上げ、
ブラック・イズ・ビューティフルと言う。

 タルボットにしてみれば、自分の人種や階級を理由に、自分が関心のあるイシューに貢献することを妨げられたくはないのだ。しかし他人は、タルボットのその思いには、白人のミドル・クラスの男性として、自分が選択したどの領域の誰の問題にも関わって指揮を執ることができるという、生まれながらの特権があると思っていると感じてしまう。さらにその結果として得られるキャリア上の利益の権利があると思っている、そのことこそが問題の核心なのだ。

 このような論争を、大きな視点から眺めてみれば、それほど重要なことではない── 「音楽は政治問題を解決できない」と言ったジェイソン・ウィリアムソンはおそらく正しいし、その延長線上にあるミュージシャン同士の政治的な不和はさほど重要ではない。しかし、音楽における政治の役割が、アーティストがいかに自分たちのオーディエンスにつながるかということに行きつくのだとすれば、スリーフォード・モッズとアイドルズは微妙に異なりながらも、かなりの程度、重なり合うオーディエンスに対して、非常に効果を発揮している── 一方は政治を辛辣でシュールな、時に自嘲的な日常の見解と織り交ぜ、他方は、あらゆる自制心を焼き尽くす、自分自身と信念に対する祝福のような主張をしているのである。


Class, Politics, Sleaford Mods and Idles

by Ian F. Martin

In an article for this site last year, I talked about the importance of politics in music — as a way for artists to connect with their audience’s lives, of enriching both their music and perspective on the world, and to build links with others organising outside the mainstream. One big issue that piece didn’t try to address, though, was what happens when the conflict inherent in politics enters art.

This, of course, is the reason many people try to avoid politics in their daily interactions — why we tiptoe around it with new coworkers, why we feel our stomachs tighten when an old high school friend drops a talking point favoured by our political enemies into the conversation, why we clash with family members after a few drinks have loosened our inhibitions. For me, the son of schoolteachers, who spends most of his time in a bubble of musicians, writers, artists and other creative people, it’s sometimes hard to imagine that my politics (socially liberal, economically left-leaning) aren’t the default for everyone, but a simple glance around the country I live in or the wider world proves that’s not true.

Within the music world, there’s plenty of division too, the lines of which become clearer the more open musicians are about their views. John Lydon of The Sex Pistols and PiL came out in support of Donald Trump during last year’s US elections; Ian Brown of The Stone Roses has been a vocal proponent of paranoid COVID-19 conspiracy theories; Ariel Pink and John Maus marched with the Trump supporters who invaded the US Senate in January; nuggets of racist idiocy continue to drop out of Morrissey’s mouth every time he opens it. What are they doing? Weren’t they one of us? Apparently “us” includes multitudes.

Even among people with apparently similar political outlooks, more subtle antagonisms can arise. The British groups Sleaford Mods and Idles are on the face of it quite similar — both delivering politically conscious, sharply worded lyrics critical of the British Conservative establishment, with music that evokes, albeit in very different ways, the twisted and distorted structures of post-punk. Nevertheless, they’ve had their disagreements, with the roots lying in class politics.

In 2019, Jason Williamson of Sleaford Mods criticised Idles for “appropriated a working class voice” despite coming from a far comfortable, middle-class background. The line these comments draw between Sleaford Mods and Idles isn’t a new one. Back in 1981, when German magazine SPEX asked Mark E. Smith from The Fall about Gang of Four, Smith’s criticisms came from a similar place:

“They preach the leftist ideas. They went to university and belong to the privileged class. The problem is that they pretend to know what the working class wants. But they haven't got a clue. Sham 69 knew what they were talking about and they were good. The English working class (including myself) find the music of the Gang of Four offensive, insulting, hurtful.”

There’s an issue relating to class politics here (and Jordan Peele’s 2017 movie “Get Out” takes aim at a similar dynamic in race issues) in how bourgeois liberals often dress themselves up in the struggles of the working classes to boost their own personal brands, in a way that typically ends up leaving the working classes right where they were, with even their own voice appropriated (and often watered down) by others. On “Nudge It” from Sleaford Mods’ recent album “Spare Ribs”, Williams says:

“I been out playin to this mindless abandon / This ropey idea about love and connection / Just stuck on silly ideas / ‘Cause it's all you can cook / You fucking class tourist / You mix your social groups up”

On a more fundamental level, of course, people who come across as preachy are always annoying, and the tendency of liberals and the left to be fussy and pompous about other people’s opinions seems to be part of what pushed John Lydon into the leathery arms of Trump. But then punk was arguably never a politically progressive movement to begin with: it was always reacting against something, and the line between reactive and reactionary is perhaps thinner than a lot of us want to believe. In the late-1970s, it was often reacting against a conservative establishment, but more fundamentally, it was reacting against any voices ordering them to be respectable.

Trump was a good punk president. A lot of his appeal lies in his ability to shuffle, shrug, mug and insult his way through life with no care for the consequences. There’s a liberation from responsibility in watching Trump’s disgracefulness that is similar to what punk gives — he doesn’t care about being respectable and he has a talent for blundering carelessly through any demands for subtlety or decorum. When he speaks, the details are always nonsensical, but the message is as catchy, simple and repetitive as a punk rock chorus.

It’s an instinct for simplicity that has enabled him and other far right figures to successfully co-opt anti-nationalistic songs by Bruce Springsteen (“Born in the USA”), Neil Young (“Rockin' in the Free World”) and Rage Against The Machine (“Killing in the Name”) to soundtrack a nationalist cause. They’re not stupid: they know these songs are aimed against them, but by simply refusing to see the subtlety in the message, they can erase it and claim the song for themselves through sheer weight of repetition, using the catchiness of the hooks to turn irony back against itself, drilling past its layers of sophistication and reclaiming the simple appeal that the song hangs from. The attitude of “Fuck you, I won’t do what you tell me” is at the heart of Trump’s appeal to his supporters.

Sleaford Mods are in a less brash sort of tradition. Williamson puts a great deal of importance on honesty about the place music comes from, and his talent is in his ability to communicate to people without a soapbox or pedestal. The song “Elocution” begins with the sarcastic opening line,

“Hello there, I'm here today to talk about the importance of independent venues. I’m also secretly hoping that by agreeing to talk about the importance of independent venues, I will then be in a position to move away from playing independent venues.”

You can read this as a criticism of Idles and other middle class rockers, but it’s perhaps just as much as a reflection of his anxieties about himself as he grows more successful, as his band gets invited to play larger venues, as he moves his family out from the neighbourhoods that he became famous writing about and into the suburbs. The line’s sarcasm aside, Sleaford Mods are strong supporters of independent venues, which have been hit badly by the pandemic, and in December 2020 contributed a song to a compilation album in support of the Independent Venue Week campaign.

Idles have also been vocal supporters of independent venues, and the 2021 music video for their song “Carcinogenic” was made to support local venues in their hometown of Bristol. The band and their PR machine certainly make a big show out of their cause, but how many venues in Bristol are complaining?

In a way, Idles vocalist Joe Talbot is just staking out his own sort of authenticity in a different territory from Williamson, many of his lyrics and pronouncements coming in the sort of confessional, slightly defensive voice usually encountered on the unsteady ground of social media, but grounded in a sort of positive-minded self-expression — he may not have an “authentic” backstory, but he’s true to himself. On “The Lover” from Idles 2020 album “Ultra Mono”, he addresses his critics in just this voice:

“You say you don't like my clichés / Our sloganeering and our catchphrase / I say, ‘love is like a freeway’ and / ‘Fuck you, I'm a lover’"

Part of the problem may also be that traditional divisions between working- and middle-class have been complicated by changes in society. Idles may not be working class themselves, but the angry yet celebratory voice of their music chimes with the growing class of university-educated, socially-conscious young people trapped in unsteady employment. Despite their struggles and increasingly dim futures, these new members of the recently emerged precariat have been derided as privileged students by a political and media establishment that prefers to see authenticity in twee, nostalgic 1950s fantasies of rural and working class life. They’re tired of being told that (for example) the countryside is more real than their world, when images of rural patriotism come straight off biscuit tins — tired of having their idealism sneered at and derided. To many people, Idles vocalist Joe Talbot cuts through these facile notions of “the real England” and offers a voice that acknowledges their frustration and anger.

“If you’re angry about inequality, you have to preach equality as an alternative rather than go, ‘Fuck you, you’re wrong,’” said Talbot in response to Williamson’s criticisms. “The fact that we’re still talking about the same stuff punks were dealing with in the 1970s means that ‘Fuck you’ thing didn’t work.”

There’s an attitude of “I’m tired of it, and my anger is justified!” that might sound similar to that of the Trump supporters. We should be wary of taking the comparison too far — similarly angry activisms, one fighting for a less cruel society and one storming the Senate in support of a white supremacist, are not the same thing — but there’s something similar in the dynamics. They’re both machines powered by anger (who was it that said “anger is an energy”?), both born from feelings of powerlessness, and also on some level driven from a personal desire for validation — to feel heard. They give people direction in a world that feels like it’s becoming impossibly complicated, but they also divide them into a multitude of voices, all trying to shout out their claims loudest.

Idles seem aware of the divisiveness of much political debate and rhetoric, but their calls for unity (on their own side at least) constantly rub up against Talbot’s essentially individualistic need to speak his own truth. In the song “Grounds”, he accuses his critics of being unconstructive:

“There’s nothing brave and nothing useful / You scrawling your aggro shit on the walls of the cubicle / Saying my race and class ain’t suitable / So I raise my pink fist and say black is beautiful”

To Talbot, he doesn’t want to be held back from making a contribution to issues he cares about simply because of his race and class. To others, though, Talbot’s annoyance at being told what it’s appropriate for him to say or otherwise may seem like a reflection of the core problem: that as a white, middle class man, he feels he has an intrinsic right to take command of any issue he chooses, on anyone’s territory, as well as the right to whatever career benefits that might accrue to him as a result.

When you look at disputes like this from a wide view, they’re obviously not that important — Jason Williamson is probably right when he says that “music can’t solve political problems”, and by extension of that, the political disagreements between musicians themselves are of little consequence. However, if the role of politics in music really comes down to how artists connect to their audiences, this is something both Sleaford Mods and Idles are doing very effectively to slightly different (but also to a large degree overlapping) crowds — one interweaving politics with caustic, surreal and often self-mocking observations of daily life, the other a celebratory insistence on itself and its beliefs that burns through all demands for restraint.

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