「K A R Y Y N」と一致するもの

interview with Nosaj Thing - ele-king

 取材に入る直前。インタヴュー・カットを撮りたいので、最初の数分だけ照明を落とさせてもらいますと、そう伝えた。「大丈夫、暗いほうが好きだから。暗いのはいい」。その返答は、まさに彼の音楽を体現していた。どこか内省的で、しかしけして感情を爆発させることはない音楽。映像喚起的で、光よりも影のほうを向いてしまうタイプの、マシン・ミュージック。
 バックグラウンドは00年代後半の西海岸にある。いわゆるLAビート・シーンが彼のスタート地点だ。当地のDJ/プロデューサー/エンジニアであり、レーベル〈Alpha Pup〉の主宰者でもあるダディ・ケヴが、ビートメイカーにフォーカスしたパーティ《Low End Theory》を開始したのが2006年。そこでケヴがノサッジ・シングの(のちにファースト・アルバム『Drift』に収録されることになる)“Coat Of Arms” をヘヴィ・ローテイションしたことが、彼のその後の飛躍につながった。
 とはいえデイダラスフライング・ロータスティーブスといったあまたの才能ひしめくムーヴメントの渦中、やはりノサッジ・シングの音楽はどちらかといえば控えめに映るものだったのではないだろうか。以下に読まれる「日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる」との本人の弁は、まさに彼の音楽の特徴をよくとらえている。間を活かし、表面的な華やかさよりも、ある種の静けさや落ち着きのなかに独自の雅を展開していくこと。2010年代に入りチャンス・ザ・ラッパーやケンドリック・ラマーといった大物をプロデュースしたり、トラップの感覚とエレクトロニック・リスニング・ミュージックを折衷する『Fated』や『Parallels』といったアルバムをつくり終えた今日でも、その軸はまったくブレていない。

 むろん、変化している部分もある。この秋リリースされ、年明けにアナログ盤の発売を控える5枚目のアルバム『Continua』に色濃くあらわれているのは、マッシヴ・アタックやトリッキーといったブリストルのサウンド、かつてトリップホップと呼ばれた音楽からの影響だ。
 最たる例はジュリアナ・バーウィックを迎えた “Blue Hour” だろう。この曲がまたとんでもなくすばらしいのだけれど、驚くなかれ、ふだん声をあくまでひとつのサウンドとして利用している彼女が、ここでは歌詞を書き明瞭に歌っている。ゲストに新たな試みを促す力が、ノサッジ・シングの「暗い」トラックには具わっているにちがいない。
 バーウィックはじめ、ほとんどの曲にゲストが招かれている点も大きな変化だ。サーペントウィズフィートトロ・イ・モワパンダ・ベアなどなど、多彩かつジャンル横断的な面子が集結しているが、なかでも注目しておきたいのは今年素晴らしいデビュー・アルバムを送りだしたコビー・セイと、ele-king イチオシのラッパー=ピンク・シーフ。ここでもまたノサッジ・シングは、普段の彼らからは得られない、声の抑揚やムードを引きだすことに成功している。
 ほの暗く、静けさを携えながらも、内にさりげない光彩を潜ませた音楽──それは、激動の一年を締めくくろうとしているわたしたちリスナーが、じつはいちばん欲しているものかもしれない。間違いなく、すごくいいアルバムなので、ぜひ聴いてみてほしい。

マッシヴ・アタックやポーティスヘッド、トリッキー、アンクルとか。そういったものにインスピレーションを得ました。

NYにいる友人から聞いた話では、いま物価の上昇がすごいらしいですね。レストランにふたりで入ると以前は50ドルで済んだところが100ドルはかかるようになったそうです。LAはどんな具合でしょうか? NYはパンデミックで仕事を失った人も少なくなく、さらに追い打ちをかけるように物価高になり、ホームレスや精神不安を抱えるひとも増え、治安も悪くなったと聞いています。

NT:やっぱりLAも同様にインフレがひどくなりました。とくにガスの料金がすごく上がっていてみんな苦しんでいます。ホームレスにかんしては、LAはここ10年くらいずっと問題視されてきていましたので、パンデミックの影響というよりも、ひとつの社会問題としてつねに存在していました。個人的には、パンデミックのときはたまにゴッサム・シティ(『バットマン』で描かれる、荒廃した治安の悪い都市)に住んでいるような気分になりましたね。

新作は最終的にはとてもムーディーで、ある意味では心地よい音楽にまとまっていますが、背景には気候変動など未来への不安や、あなた個人の家宅侵入被害といった、いくつかの重たいテーマが潜んでいるようですね。今回は5年ぶりの新作で、12人ものゲストを迎えたアルバムです。どのようにこのプロジェクトがはじまり、進んでいったのかを教えてください。

NT:前のアルバムを2017年にリリースしたんですが、そこからどういう方向性にいくかを考えるのにしばらく時間を要しました。どのように自分の次のアルバムをつくりあげていくか、すごく悩みましたね。パンデミックは世界じゅうの人びとにとって難しい時期だったと思うんですが、自分にとってその時間は貴重なものだったと考えています。というのもこの数年間、5~7年はずっとツアーをしたり、他のアーティストのプロデュースを手がけたりしてきて、そういった経験を自分の世界にどのように落としこむかを考えていたので、自分にとってはある意味とてもポジティヴな時間でした。
 今回のアルバムそのものは、とてもシネマティックなものだと思っています。僕は85年に生まれたんですけど、90年代半ばの音楽をとくによく聴いていたので、そういった音楽を自分なりに解釈して取りこむことにチャレンジしました。たとえばマッシヴ・アタックやポーティスヘッド、トリッキー、アンクルとか。そういったものにインスピレーションを得ました。とはいえ、ノスタルジックになりすぎないよう、細心の注意を払いました。
それと、今回のアルバムはこれまででもっともコラボレーションを全面に打ちだしたものになっています。ぼくはもともとすごくシャイな人間ですが、今回参加してくれたアーティストたちには個人的に知っていたわけではないひとも何人かいて、そういうひとたちにも連絡をとって参加してもらうようにお願いしました。だからさまざまなスタイルをうまくミックスすることができたアルバムだと思います。

日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる──そういうような棲みわけをしてきました。

あなたの音楽はビート・ミュージックでありながら、ある種の静けさや暗さを携えていて、アンビエントにも通じる部分があるように感じます。過度にハイテンションになる音楽ではなく、こういったサウンドができあがるのには、あなたの性格や生い立ちも関係しているのでしょうか?

NT:LAで育って、さまざまな音楽やカルチャーに触れる機会があったことは大きかったと思います。東京も同じような感じですよね。自分の世界をクリエイトするなかで、アンビエントをつくることは一種のセラピーのように感じています。これまでいろんなアーティストとセッションをしたり、プロデュースをしたりしてきましたけれど、たとえば日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる──そういうような棲みわけをしてきました。それこそブライアン・イーノがさまざまなジャンルの音楽をプロデュースしていて、ロックからアンビエントまでいろいろやっていましたが、歳を重ねるうちに彼のようなことをやりたいと思うようになりましたね。

エレクトロニカ的だけれどもヒップホップやR&Bでもあり、新作にはあなたが好きな音楽がいろいろ詰まっています。なかでもやはりヒップホップの要素は大きいように感じましたが、いかがでしょう? とくにピンク・シーフはエレキングが好きなラッパーのひとりですので、参加しているのが嬉しかったです。彼の魅力はどういうところにあると思いますか?

NT:ピンク・シーフには、とても新鮮で近未来的な印象を抱きました。彼のレコーディングは私のスタジオでおこなったんですが、とても面白かったことがあって。アルバムのアートワークに使われている写真はエディ・オットシェールというロンドンの写真家によるものなんですけど、この写真には両面があるんです。表に「両面を見て」と書いてあるんですよ。表では、道の真ん中に人が座っています。裏返すと、その道の反対側も写されているんです。ひとつの作品で道の両面を写したものなんですね。
 その写真をスタジオでピンク・シーフに見せたところ、彼は「わかった」と言って20~30分でリリックを書き上げました。そして彼はレコーディングをはじめて、楽器も演奏したんですけど、すごく長いテイクをひとつだけ録って、「できたよ」って言ったんです。追加で録音することもなく、ほんとうにワンテイクで終わらせちゃったんです。スタジオで彼に初めて会って、いきなりレコーディングがはじまって、すぐに終了したというそのプロセス自体が、自分にとってはかなり衝撃でしたね。
 その後「足すものはほとんどないけど、スクラッチだけ足したい」と伝えると、Dスタイルズの曲をスクラッチしてくれました。自分が10代の頃によく聴いていたDJグループで、当時はスクラッチにハマっていたので、とても嬉しい経験でした。

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ジュリアナ(・バーウィック)の最新アルバムに参加していて交流があったから、この曲を聴かせてみたところ、それが彼女にとって生まれて初めて歌詞を書いてみようと思うきっかけになったみたいで。

先ほどマッシヴ・アタックやトリッキーの名前が挙がりましたが、まさにその影響を大きく感じさせるのが “Blue Hour” です。この曲にはジュリアナ・バーウィックが参加しています。彼女もわれわれのフェイヴァリットで、当然あなたも大好きなアーティストだと思いますし、彼女のアンビエントが素晴らしいことをあなたの前でことさら言う必要はありませんが、このアルバムにおける彼女の起用法はとても気に入りました。

NT:この曲はそもそもインストゥルメンタルからはじまったんです。ぼくは画像や映像からインスピレーションを受けることが多いんですが、この曲もガールフレンドが撮った短いビデオをスマホで見ていたらコードが浮かんできて、そこから作曲しました。ぼくはジュリアナの最新アルバムに参加していて交流があったから、この曲を聴かせてみたところ、それが彼女にとって生まれて初めて歌詞を書いてみようと思うきっかけになったみたいで。彼女はいつもコーラスのような歌い方で、歌詞を書いたことがありませんでした。今回初めてちゃんと歌詞を書いて歌ったんですね。そういう感じでコレボレーションしつつ曲をつくったんですけど、じっさいに彼女と一緒に作業をしたのは2回だけです。

“Grasp” に参加しているコビー・セイもわれわれのフェイヴァリットのひとりなのですが、彼とはどうやってつながったのでしょう? 彼のどんなところを評価していますか?

NT:この曲は個人的にもとくにお気に入りなんです。最初は自分でドラムを叩いてプログラミングをして──という感じで、この曲も最初はインストゥルメンタルにしようと考えていました。それからギター・リフを弾いたり、なんとなくつくってはいたんですけど、そのまま数か月放置していたんです。でもずっと気にはなっていて、この曲をどう練りあげていくか頭の片隅で考えていて。
 そこでサム・ゲンデルに「アイディアを足してくれない?」と頼みました。そしたら彼がサックスのパートを送ってくれたので、インストにサックスが載った感じの曲にしようと思ったんですが、それでもどこか完成していないように感じていました。どうしようか悩んでいたところ、〈Lucky Me〉のダンというひとがコビーを紹介してくれて、「彼にやってもらったら?」と言ってくれたんです。
 それでコビーに連絡をとって、「こんなアイディアがあるんだけど」と4つ5つほどアイディアを出したところ、彼がそのうちひとつをピックアップして、ヴォーカルやベースをやってくれました。何千ものパズルがひとつにまとまるようにしてできあがった感じです。自分にとっても彼は特別なアーティストだったから、一緒にできたことはいまでも信じられないですね。

あなたは00年代後半に、《Low End Theory》を中心とするLAのビート・シーンから登場してきました。現在でもその「シーン」のようなものは続いているのでしょうか? もしそうであれば、そこに属しているという意識はありますか?

NT: 2005年か2006年だったか、かなり昔の話ですからね……。みんなそこから進化して、新しい道を歩んでいって、2012年か2013年くらいになんとなく空中分解したような感じではあるんですけど、いまでもみんな友だちだし連絡もとりあっていますよ。みんな成長して大人になって、子どもがいるひともいます。たとえばティーブスはアート・シーンに向かったり、フライング・ロータスは映画監督をやったり。みんな多様な活動をするようになりましたが、互いにサポートしあっています。

日本語には「地味」という言葉があります。あえて飾り立てないことのカッコよさについて言うことばですね。たとえば江戸時代は、着物を羽織ったときに、生地の表面に色味を使うのは「粋=クール」じゃないという大衆文化のなかで芽生えた美意識がありました。鮮やかな色彩は、着物の裏面に使うんです。それが歩いているときや風で少しめくれたときにちらっと見える。それが「粋」です。あなたの音楽にもそういうところがあるように思いましたが、いかがでしょうか?

NT:そういうふうに思ってもらえるのはすごくありがたいですね。それがひとつの個性だと考えられたら自分でも嬉しいです。自分としては、このアルバムで表現したかったことは、映像的なものに近いんです。
 これまでの自分のミュージック・ビデオは、ちゃんとしたチームがいるわけではなかったのであまり冒険せず、実験的でもなかったと思うんですが、ぼくの頭のなかにはつねに実験的なアイディアがありました。だからいま、ヴィジュアル・アルバムを作成していているんです。それはひとつの長い映画のような作品になりそうです。ぼくのアルバムのアートワークは全部モノクロなんですけれど、そのヴィジュアル・アルバムはとてもカラフルなものになるので、いまおっしゃっていたような感覚もあるのかなと思います。1月末にリリースする予定です。

音楽、人生、坂本龍一 - ele-king


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 2022年12月11日に坂本龍一の、「この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」といわれる「Playing the Piano 2022」が配信された。コンサートを通しての演奏をすることが体力的に困難ということもあり、1日に数曲ずつ丁寧に演奏し、収録をしていったという映像だ。
 しかしながらそこにあったのは、まさに現在進行形の「坂本龍一の音楽」だった。坂本の演奏は、これまでのどのピアノ演奏とも違う、新しいピアノの響きを放っていたように思えた。音が、結晶のように、そこに「ある」ような感覚とでもいうべきか。
 それはまるで「もの派」の思想をピアノ演奏で実現するようなものであった。聴き慣れたはずの “Merry Christmas Mr. Lawrence” や “The Last Emperor” のみならず、ドリームキャストのソフト『L.O.L.』からの曲をピアノ・アレンジという意外な曲まで、どの曲もピアノの音がそこに「ある」かのような新しい存在感を放っていた。ピアノの音が結晶のようにそこにあった。
 鑑賞者はピアノの音がそこに「ある」かのように向かい合うことになる。不意に「もの派/ピアニズム」。そんな言葉が脳裏をよぎった。

 もちろん私が「もの派」を連想したのは、坂本龍一が文芸雑誌『新潮』に連載中の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」で「もの派」に対する思い入れを語っていたことを知っていたからである。加えて2023年1月にリリースされるニュー・アルバムのアートワークを「もの派」を代表す美術家、李禹煥が手掛けることを事前情報として得ていたからでもある。
 しかしそれでもまさかピアノ演奏に「もの派」を感じるとは思わなかった。坂本龍一はいつもそうだ。彼のピアノ曲/演奏を通じてドビュッシーを知った人も多いだろう。彼は音楽と芸術をつなぐハブのような存在でもあった。坂本は演奏や音楽を通じて私たちにさまざまな芸術や文化をさりげなく紹介してくれる。

 そう、私にとって坂本龍一とは、唯一無二の音楽家であると同時に、文化・芸術の優れたキュレーターでもあった。
 坂本龍一は未知の音楽、未知の芸術、未知の思想をそのつど的確な言葉で表現してくれる人だ。じっさいドビュッシーからゴダール、タルコフスキーからもの派に至るまで、坂本龍一から「教わった」音楽、芸術、芸術は数知れない。
 なかでも村上龍とホストをつとめた『EV. Café』(1985)という本の存在が大きかった。吉本隆明、浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、山口昌男らとの刺激的な鼎談が納められたこの本によってニューアカデミズム/ポストモダンの巨人たちの思想のとばくちに触れ、坂本龍一という音楽家の音楽的背景を理解できた(気になった)。
 これは私のような遅れてきた「ニューアカ/ポストモダン」世代には共通する「体験」だったのではないかと思う。いわば10代の頃の私にとって「聖典」のような本だった。
 90年代以降、後藤繁雄が編集した『skmt: 坂本龍一』や『skmt2: 坂本龍一』も愛読したし、ICCが刊行していた「インターコミュニケーション」に折に触れて掲載される対談やインタヴューなども追いかけてきた。同誌では浅田彰との往復書間に知的な刺激を受けたものだ。

 だが「教わった」という言葉は正確ではない。じっさい坂本は、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の第6回でも、教えることが不向きだと語ってもいる。
 坂本龍一はただ自分の知性と興味の赴くままに、文化や芸術を探究してきた。私たちは(とあえて書くが)、遊牧民のように世界地図を移動を続ける坂本龍一の背中を必死に追いかけてきただけともいえる。
 そんな坂本龍一の「移動」を「旅」と言い換えてもいいかもしれない。むろん坂本龍一は「観光嫌い」を兼ねてから公言しているので、物見雄山の「旅行」ではない。そこには明確に興味の対象があり、唐突な驚きへの感性の柔軟性があり、あくなき知への好奇心がある。そして何より(当たり前だが)音楽家という職業は、ツアーやレコーディング、プロモーションなどつねに「移動」が伴うものでもある。移動を重ね、音楽を演奏し、音楽家と出会い、聴衆の前に立つ。


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 坂本龍一の「移動」=「旅」はつねに知と芸術と世界の諸問題を浮き彫りにし、わたしたちの知的好奇心を満たす不思議な力がある。ご本人にはおそらくそんな意図などないにもかかわらず。
 「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、「旅」を続けながらなんの先入観もない視線で世界のありようを探求し認識をし続ける坂本龍一の思考を追体験するような読後感に満ちていた。同時に病気やご両親のこと、これまでの人生のことも語られており、2009年に刊行された『音楽は自由にする』以降の彼の「自伝」のように読むこともできる。
 じっさい、この連載では2009年から現在までの坂本龍一の活動や行動がほぼ時系列に語れていく。だが単にリニアな時間軸で順を追って語られるのではなく、ときに語り手である坂本の現在の出来事や考えが挿入され、過去に現在が、現在に過去が反射されるように語れている。
 ご自身の辛い闘病の生々しい記録、両親の死、アルバムのこと、「時間」をめぐる考察、自然をめぐる感性の記録がノンリニアに語られ、さながらこの10年の坂本龍一の「断想的記録」を追うような非常に刺激的な内容なのである。
 先に書いたように時期的には以前の自伝的著書の『音楽は自由にする』以降の出来事になるわけで、それはいわば2009年のソロ・アルバム『アウト・オブ・ノイズ』以降の活動ということになる。この『アウト・オブ・ノイズ』は、いわば五線譜にとらわれない「音」で音楽をする要素を持つことで、坂本龍一の活動のなかでも重要なターニング・ポイントとなったアルバムである。そして近年のターニング・ポイントになった作品はもう1枚ある。『async』である。

 電子音響、アンビエント作品との濃厚な関連性を持っているのが、この2作品の特徴だ。2004年の『キャズム』からその傾向が出ているが、このふたつのアルバムには不思議な連続性があるように思う。そう、『アウト・オブ・ノイズ』、と坂本龍一みずから「とても大切な作品」と語る『async』は明確につながっているように私には聴こえるのだ。これも00年代以降の電子音響やアンビエント/ドローン作品への坂本から回答と考えれば納得がいくのではないか。
 そう考えると、00年代以降、カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネスなどとのコラボレーションをはじめたことも大きな意味を持ってくる。
 特にカールステン・ニコライとの交流はとても重要だ。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」のなかでも何度も登場するこのドイツ人の電子音楽家/アーティストは、坂本龍一みずから「友人」と呼ぶ存在である。
 カールステンは、00年代の共作以降、坂本の仕事に並走しつつ、ひとりの人間として、とても尊敬できる振る舞いを重ねていった。映画『レヴェナント:蘇えりし者』のサウンドトラック制作時、坂本は、2014年の中咽頭がん治療直後であり、抗がん剤の影響もあり、本調子ではなかった。しかし監督の要望は容赦ない。悪夢をみるほどまで追いこまれていくなか、坂本はカールステン・ニコライに共作を求める。すると彼はラップトップひとつ持ってロスまで即座に駆けつけてくれたという。
 また、手術前の不安な日、坂本は思わずカールステンに電話をしたらしい。そして病気で辛い坂本にアート作品とテキストを届けてくれたこともあるという。人として、友人がとても辛い状況のとき、どう振る舞うのか。彼はまず態度と行動で示す。まさに素晴らしい人柄として言いようがない。私はアルヴァ・ノトの音楽が大好きなのだが、長年の彼の作品を愛好してきたよかった(となぜか)思ってしまった。

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photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 さて、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」での坂本は世界中へと旅に出ている。2008年のグリーンランド(北極圏)への旅にはじまり、日本国内ツアーで新潟市から富山市へ行ったときに出会った山桜、ヨーロッパ・ツアー、高谷史郎との共作インスタレーションの展示をおこなったローマ、ソウルでのコンサート、カールステンとのヨーロッパ・ツアーである「s tour」、そしてカールステンが暮らしているベルリン、リスボン、アイスランド、アラブ首長国連邦、ワシントンDC、イタリア、奈良、山口、札幌。
 2009年以降、坂本の「旅=移動」を、断ち切らせる体験が二度あった。ひとつは2011年の東日本震災、もうひとつは2014年にみつかった最初の癌であろう。
 2011年3月11日。あの日、坂本は海外ではなく、日本にいた。どうやら映画『一命』の音楽を東京のスタジオで録音していたらしい。
 重要なことは、ニューヨークに住み、世界中への旅を繰り返していた坂本が「あの日」は日本の東京にいたという事実に思える。私はそこに坂本龍一という人間の「運命」を強く感じてしまった。坂本は2001年9月11日その日もニューヨークで遭遇している。彼は世界の「激変」に近い出来事に二度も遭遇したのだ。
 ともあれ3月11日のあの途方もない震災とそれに続く原子力発電所の事故をその国で体感したということで、彼は自分が何をするべきかという意識をより明確に持つようになったのではないか。
 じじつ「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でも県陸前高田への訪問、住田町への寄付などが語れる。宮城県名取市にある津波によって泥水を被ってしまって調律の狂ってしまったピアノをひきとったともいう。そしてデモへの参加。

 坂本龍一は震災以降、ともすれば分断しかねない社会をつなぎ止めるように、人と社会にコミットメントしていった。
 この過程のなかで、その言葉の一部だけが切りとられ、激しい批判にさらされた「たかが電気」発言があった。この「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第3回で、坂本は、そのような批判に対して、当時の発言を全文掲載し、いまでも撤回する気がないとはっきりと断言している。ここでは詳しくは書かないが、気になる方がぜひ「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んでみてほしい。少なくとも自分は納得できるものがあった(そもそも何が問題であったのか理解できないのだが)。
 坂本龍一にとって3.11、9.11を経てより強くなったのは社会への意識に加えて、環境への配慮だろう。00年代も雑誌「ソトコト」にコミットするなど、環境意識をどう持つかということを伝えていたが、3.11以降はより具体的な「環境」そのものにつながっていくようになったと思う。
 そこにあるのは「自然」と「地球」意識ではないかと思う。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には「月」という言葉が出てくるが、そこで対になるのはやはり「地球」だろう。2011年以前からモア・トゥリーズなどの環境活動をしてきた坂本だが、自分にはそこに音楽家としての本能のようなものが強く働いているような気がしてならない。
 地球という重力があり、空気がある環境でしか音楽はならない。少なくとも空気の振動によって伝わる「音楽」ではなくなってしまう。だからこそ環境=音楽の源泉としての意識が強く働いているのではないかと勝手に想像してしまう。


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 『async』には水の音や足音、さまざまな環境音が使われているが、これは「音」へのあくなき好奇心ゆえだろう。音は「ここ」でしか鳴らないという想い。だからこそ「月」という言葉が入った “fullmoon” という曲がアルバム全体のムードを相対化するような、あえていえば「黄泉の世界」からの音のように響いてくる。
 “fullmoon” は、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でも語られているが、ベルトルッチ監督の「声」を最後に録音したものが用いられている曲でもある。
 生と死。そんなムードが濃厚な “fullmoon” には不思議とこの世界から浮遊するような感覚が横溢している。
 『async』全体はドローン、アンビント作品なので非常に抽象的なムードのアルバムだが、“fullmoon” にはどこか重力から解き放たれようとしているようなムードが感じられたのだ。
 月と地球。重力と生。音楽と消失。声と音響。“fullmoon” には環境と意識と生と死が淡い霧のように音響空間に溶け込んでいる。
 これはアルバム『async』全体にいえることかもしれない。そこに「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」というタイトルを重ね合わせると、70歳を迎えた坂本龍一の現在の人生観を強く感じ取ることができるような気がする。
 『アウト・オブ・ノイズ』は北極圏で坂本が体感したことが、音に具体的に反映されている。『async』は、3.11以降の世界で、地球と自然と人間と感性を音として表現した作品でもあった。私はこれらの音楽に、そして90年代以降の坂本龍一の音楽に「地球意識」とでもいうような真にワールドワイドな感性が息づいているように感じている。
 それは1989年の『ビューティー』、1991年の『ハートビート』あたりからはじまり、1999年のオペラ『LIFE』で一度「歴史的」に総括された。そして00年代以降は、それ以降の世界を見据えるように、よりミクロな世界からマクロな世界を巡っていくのだ。


photos:『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』©2022 KAB Inc.

 加えてこの連載では、00年代以降の若い世代の音楽家との「出会い」「交流」も語れている。2023年1月号掲載の連載第7回ではフライング・ロータスサンダーキャットOPN、Se So Neon らとの交流が述べられている。坂本の彼らへの目線はとても優しい。
 何よりフライング・ロータス、サンダーキャット、OPN、Se So Neon を知らない読者は、坂本を通じて彼らの音楽との出会いを果たすのだろう。坂本の「旅」と「出会い」は、それを読む(知る)人たちにも「出会い」をもたらすのだ。

 世界への旅も、交流も、出会いも、ミクロ/マクロを往復するような活動だった。音楽的にはよりミニマルになり、しかし行動的には、マクロに=俯瞰的になる。そうやって坂本龍一の音楽と思考はより深まりを見せていったのかもしれない。
 そして2014年以降の癌と2021年の再発というあまりに大変な闘病については赤の他人でしかない自分に語ることはできないので、とにかく「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を連載1回目から読んでほしいとしかいいようがない。癌という病にどう向かうか。自分にとっても、他の誰かにとっても重要な事柄が淡々と、しかしある大きな感情とともに語られていく。
 私も、おそらくは他のどなたかも、いずれは病に伏すときが必ずくる。だからこれは他人事ではない。坂本龍一は重病を超えて生きることの意味を示してくれる。
 3.11の震災、原発事故、自身の闘病によってミクロ/マクロの視点に自然と肉体と科学という三つの柱も加わったように思える。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、そんな坂本龍一の10年代が包括されている貴重な記録だ。
 言い換えれば坂本龍一の思考を追体験するようなキュレーションの体験であり、坂本龍一が10年代の電子音楽にどうコミットしていったかを示すコンポジションの記録でもあるのだ。
 来年1月17日、坂本龍一の6年ぶりのニュー・アルバム『12』がリリースされる。このアルバムにもまた彼の「音」が追求されているだろう。そのリリースを心待ちにしつつ、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読み返すことにしたい。


Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.

Oli XL - ele-king

 2017年に〈PAN〉のアンビエント・コンピ『Mono No Aware』に参加、2018年には北欧エレクトロニカの牙城のひとつ、ローク・ラーベクが主宰する〈Posh Isolation〉のコンピ『I Could Go Anywhere But Again I Go With You』にも名を連ね、じわじわと存在感を増していったストックホルムのプロデューサー、オリ・エクセル。
 2019年にはファースト・アルバム『Rogue Intruder, Soul Enhancer』を発表、昨年〈Warp〉との契約がアナウンスされた彼の、初来日公演が決定した。1月14日(土)@渋谷WWW、1月15日(日)@京都METROの2都市を巡回する。新時代のエレクトロニカの担い手として期待大の逸材、そのパフォーマンスを目撃しておきたい。

北欧のスターOli XLジャパン・ツアー東京&京都!
ハイパーポップからのエレクトロニカ新時代、
名門WARPからアルバムも期待される最新鋭が初来日★

Oli XL JAPAN TOUR 2023

1/14 SAT 23:30 at WWW Tokyo
https://t.livepocket.jp/e/20230114www
*限定早割12/29まで販売

1/15 SUN 18:00 at METRO Kyoto
https://www.metro.ne.jp/schedule/230115

tour artwork: sudden star
promoted by melting bot / WWW

Oli XL [SE]
ストックホルムのOli XLは、プロデューサー、DJ、ビジュアルアーティスト、アンダーグラウンドなクラブ・ミュージック界隈で最も魅力的な新人アーティストの一人として頭角を現している。19歳の若さで最初のレコードをリリース、現在3枚のEPとLPをリリースしているOli XLはUKの名門〈WARP〉とも契約を交わし、シングル「Go Oli Go / Cartoon Smile」をリリースした注目のアーティストである。ベルリンのレーベル〈PAN〉から2017年に新世代のアンビエント・コンピレーションとして名高い『Mono No Aware』のトラックや、同年のベルリンAtonalでのVargのNordic Floraショーケース(Sky H1、Swan Meat、Ecco2k、そしてVarg自身を含む他のアーティストと共に)、2018年1月にリリースされた〈Posh Isolation〉のコンピレーション『I Could Go Anywhere But Again I Go With You』が大きな反響を呼び、2019年にデビューアルバム『Rogue Intruder, Soul Enhancer』を自身の新レーベル〈Bloom〉からリリースし、その際立ったサウンドスケープは瞬く間に広がりを見せる。

型破りでありながらファンキーなリズムとポップなセンス、これまでのリリースで示唆されていたサウンドが結晶化した2018年のEP『Stress Junkie』のリリースはSource DirectとBasement Jaxxの間のようなものだと本人は表現している。「クラッシュするようなシンコペーションのドラムと、静謐でリバーブのかかったアンビエンスの間のスイートスポットを突く」スペキュラティブなクラブ・ミュージックと呼ぶこともできるだろう。DJとしては、UKのハードコアの連続体への親和性とともに、そのニュアンスをすべて取り込み、時代性のある美学によってフィルターにかけ、多彩なダンス・フロアのサウンドを生み出している。UKのFACTは〈W-I〉をレフトフィールド・クラブ界隈の重要な声として取り上げている。そのレーベルにおいてCelyn June、Chastic Mess、Lokeyといった友人のリリースをディレクションし、音楽の物理的な新しいリリース方法を模索、Relicプロジェクトでは、安価な家電製品からパーツを集め、3Dプリントされた形状に埋め込み、Celyn JuneのEP『Location』を音楽プレイヤーとして機能する彫刻としてリリースする。〈W-I〉をクローズした後は新レーベル〈Bloom〉を立ち上げファースト・アルバム、続いてInstupendoとのコラボ・シングルやプロダクション・ワーク、最近ではWarpとの契約を発表後最初のシングル「Go Oli Go / Cartoon Smile」をリリース。UKクラブ・ミュージックの連続体のリズムを解剖したフリーハンドのアプローチで、断片的なサンプリング・テクニックにパーソナルなフィールド・レコーディングと加工されたボーカルを組み合わせ、ユーモアのないグリッチと並行してにBasement Jaxxの遊び心を想起させる奇妙だが感情豊かな音楽世界を実現している。

https://x-l.love
https://www.instagram.com/oli.xl/
https://twitter.com/oli_xl
https://www.youtube.com/channel/UCnNcOJlxRqrd7Lq49H0M_KQ
https://soundcloud.com/oli_xl

Oscar Jerome - ele-king

 サウス・ロンドン・シーンのなかでもジャズやアフロ、ファンクやヒップホップ/R&Bと縦断した活動を見せるオスカー・ジェローム。シンガー・ソングライターでありギタリストでもある彼は、トム・ミッシュあたりに比べるとどうも過小評価されているきらいがあるけれど、この秋にリリースしたアルバム『スプーン』は個人的に2022年のベスト・アルバムに推したい。2019年にリリースしたアムステルダムでのライヴ盤以降、UKを離れていろいろな土地でも活動を見せている彼だが、たとえばナイジェリア出身でベルリンを拠点とするシンガー・ソングライターのウェイン・スノウのアルバム『フィギュリン』(2021年)にも参加している。彼らの共作である “マグネティック” は、『ヴードゥー』の頃のディアンジェロにクルアンビンのような幻想的なコズミック・サイケ・フィーリングをまぶしたもので、表立ってはいないもののアフリカ音楽の影響も感じさせるものだった。

 『スプーン』の先行シングルとなった “ベルリン1” は、そうしたベルリンでの活動が刺激となって生まれたもののようで、ミュージック・ヴィデオではベルリンの街中をオープン・カーでクルージングするオスカーの姿を見ることができる。ちなみに、彼の乗っている車はかなり旧式のメルセデスで、ブラック・スーツを着てオールバックにサングラスを掛けるというオールド・ファッションがここのところの彼のスタイルのようだ。こうしたファッション・センスを見るにつけ、オスカーはポール・ウェラーのようなアーティストなのではないかなと思うことがあるし、前のアルバム『ブレス・ディープ』(2020年)ではスティングを重ね合わせるような作品もあったりした。やはりUKらしいシンガー・ソングライターなのである。

 『スプーン』は『ブレス・ディープ』でミキシングをしていたベニ・ジャイルズが共同プロデュースをおこなう。彼は女性シンガー・ソングライターのリアン・ラ・ハヴァスのプロデュースを手掛ける一方、アルカを思わせるエクスペリメンタル・プロジェクトのアドヘルム名義で活動するなど幅広いアーティストだ。ココロコのドラマーであるアヨ・サラウ、ベースのトム・ドライスラー、サックスのセオ・アースキン、ドラムスのサム・ジョーンズ、エンジニアのロバート・ウィルクスなども『ブレス・ディープ』に続いての参加となる。
 新たに参加するのはトム・ミッシュやブルー・ラブ・ビーツ、最近はブラック・ミディなどとも共演するサックス奏者のカイディ・アキニビ、オーストラリア出身で 30/70 のドラマーも務めるジギー・ツァイトガイストなどで、特にジギーは3曲ほどオスカーと共同で作曲している。その “ザ・ダーク・サイド”、“ザ・スープ”、“パス・トゥ・サムワン” は、どれも1分弱のインタルード風の小曲で、オスカーとジギーの即興演奏というかジャム・セッションの一場面を切り取ったもの。ここでのオスカーはまるでフレッド・フリスのような実験的なインプロヴァイザーぶりを見せる。

 その一方で、“スウィート・アイソレーション” のような内省的なフォーク・ソングがオスカーの魅力。キング・クルールにも通じるぶっきらぼうな歌とロー・ファイな演奏で、そのダークで狂気じみたトーンはニック・ドレイクやシド・バレットなどと世界観を共有する。“ザ・スプーン” も枯れた味わいで切々と紡ぐブルージーなナンバー。パーカッションを交えた土っぽい香りの演奏のなか、オスカーのギターはフリートウッド・マックの “アルバトロス” におけるピーター・グリーンのような音色を奏でる。曲の進行とともに次第にエモーショナルな熱を帯びていくオスカーの歌も素晴らしい。
 ジャズの方面から語られがちなオスカーだが、彼の歌とギターは本質的にはロックだ。妖しげなフルートの音色を交えたアフロ・ロックの “チャンネル・ユア・アンガー” は、ヴードゥー教の宗教儀式で伝わる音楽のような呪術性を帯びている。オスカーのアフリカ音楽に対するアプローチが表れた一例だ。“フィート・ダウン・サウス” はヒップホップの影響が強いファンク・ナンバーで、ロイル・カーナーやトム・ミッシュなどサウス・ロンドン勢に共通するムードを持つ。多分このアルバムのなかで一番人気が高いだろう。でも、ほかのシンガーたちと違って、しっかりとギター・ソロの見せ場を作るところがオスカーらしい。アコースティック・ギター演奏のみの小曲 “アヤ・アンド・バーソロミュー” 含め、どちらかと言えば『ザ・スプーン』はシンガーよりもギタリストの方に比重が高いアルバムとなっている。

 セオ・アースキンのサックス、アヨ・サワルのドラムスとともに激しい演奏を繰り広げるジャズ・ロック調の “フィード・ザ・ピッグス” は、ギターのフィード・バック演奏によってサイケデリックなムードを生み出していく。“ホール・オブ・ミラー” は注目の新進女性シンガー・ソングライターのレア・セン(彼女もオスカーと同じギタリストでもある)とのデュエットで、タイトなビートとメロウなギター・フレーズが印象的なネオ・ソウル調のナンバー。途中で口笛やスキャットを交えながら歌う “ユーズ・イット” は、延々と同じフレーズをギターで紡いでいくミニマルなナンバー。ココロコのように土や埃の匂いが漂ってきそうな曲で、こうしたアーシーなサウンドがオスカーの一番の魅力ではないかと思う。

vol.135:レズビアンの結婚式 - ele-king

 2022年10月、友だちが結婚した。
 彼女(Kelsey、以下K)は、昔カフェで働いていたときの同僚で、英語があまり話せない私を、アメリカ文化にどっぷり浸らせ、私をアメリカ人に仕立て上げた人である。典型的アメリカ人のKは、フレンドリーでお洒落とお酒が大好きで、噂話も大好き。仕事が終わったら一緒にバーに行ってまだしゃべるまだしゃべる、という楽しい日々を過ごしていた。ファッション・デザイナーになるのが夢だというKは、よく自分のアイディアを話してくれたし、芸能人や友だちの洋服チェックは欠かさなかった。
 私たちは「サンディ・ファンディ」という日曜日に集まるグループを作り、毎週集まっていた。みんなで一緒にオスカーやグラミー賞などを見ると、Kは、まーうるさい。一人一人の洋服に「この方がいい」「この色はない」「洋服はいいけど、ヘアスタイルとあってない」「私ならこうする」など、手厳しい意見を連発する。そんなKはある日、自分の洋服ブランドを立ち上げると、ウエブサイトを見せてくれた。そこにはフリルのついた素敵なドレスや、シースルーのドレス、ラヴリーでKらしいデザインがたくさん載っていた。ただ、かなり凝ったデザインで、値段も普通の人には届かないお値段だった。作るのもプロモーションにもお金がかかるのでははいかと訊いたら、彼氏にお金を出してもらうと言った。そして、彼氏とは遠距離で、たまにNYに来るときに遊ぶと言った。そんなので寂しくないのかなと思ったが、Kは夢をかなえるため、まっしぐらに進んでいた。
 そうしているうちに働いていた仕事場がクローズし、Kと会う時間も少なくなった。ある日、失業保険をもらうためオフィスを訪ねたらKと会った。お互いの近況報告をすると、kは彼氏と別れたと言った。かなりのドタバタ劇だったようだ。さらに、Kはお酒をやめるとも言った。Kは、Kのスペシャル・ドリンク(通常の倍の量のジンを入れたジントニック)まであったほどに、お酒が大好きだった。それがどうしたことか。お酒を飲むと記憶がなくなり、クリエイティヴなことができなくなると、Kはじつにまっとうな意見を言った。それからサンディ・ファンディに来る頻度も少なくなって、来たとしてもクラブソーダをちびちび飲んでいて、昔のようにぶっちゃけた話もしなくなった。彼氏と別れてから、「彼氏より仕事」と言っていたし、Kは夢に向かっているんだなと私は尊敬していた。じっさいKは、『ヴォーグ』に載ったかと思うと、有名ミュージシャン(リゾ、ロード、ジャパニーズ・ブレックファースト、チャーリー・ブリス、クルアンビンのローラリーなど)の洋服のデザインを手がけるようになり、たくさんのメディアに登場するようにもなった。そんな忙しいなかでも私のバンドのミュージック・ヴィデオの洋服をスタイルしてくれる、友だちだち思いのKなのだった。

 コロナがはじまり、テキストで連絡する以外はKにまったく会えなくなり、彼女の活躍はインスタグラムで見るぐらいになった。たまには会いたいと思ったが、Kはお酒を飲まないし、そのうえKは、子宮がんで闘病している共通の友だちの世話をしていた。彼女の看病のためにKは誰にも会わないし、会えないと言った。
 Kの看病もむなしく彼女は亡くなり、お葬式で久しぶりにKと会った。「Yoko久しぶりー」と目に涙をためながら話してくるKは、隣の女性を「私の彼女」と紹介してくれた。「Kからたくさんあなたのこと聞いてるよ」と紹介されたPは、とても気さくで、どちらかと言えば男の子っぽい感じの人だった。いつの間に女の子と付き合うようになったんだろうと思ったが、Kはもともとバイで、男も女も好きだったようだ。隣に座るといつもすり寄って来るし、お別れするときは、とびきりのハグをしてくれる。
 Kの「彼女」PとはAA (アルコールに問題がある人達が集う集会)で出会い、ズタズタだったKを助けてくれたという。弱っているときに助けられると運命を感じますよね。数か月後、Kから「Save the date日程を開けておいてね」のポストカードが届いた。1年後の2022年10月に結婚式を挙げるという。
 
 ミレニアル世代のKの周りは、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなど、自分に正直で伝統的でない人が多い。私の周りにもジェンダーを変更していた人がいて、久しぶりに会うと戸惑ったことがある。コロナ前は男だったのに、いまは名前も変わって、スカートを履き、メイクをし、「hi Yoko!」と何食わぬ顔で挨拶してくれる。彼女は、声はそのままだが仕草もメイクも女の子で、以前より輝いて見えた。
 かつての私の同僚にフランス人の女の子がいて、彼女はKの友だちと結婚していた。彼Tは、アメリカ人で彼氏がいる。私は、先にTの彼氏を紹介してもらっていて、仲良くなった後に彼女と会ったので「???」だったのだが、結局はビザの問題だったようだ(彼らはまだ離婚していない)。ちなみに、フランス人の彼女とTの結婚式の司式者がKだった。Kはそんなことも(人に結婚をさせてあげられるの)出来るのねーと驚いた。いままで私がアメリカで出席した3回の結婚式のうち2回がこのように友だちが立会人だった。結婚式で、さっきまで普通に話していた人が式になると牧師さんの格好に正装し、二人の間に立って指輪交換をさせる。そして、「あなたは、誰々を妻とすることを誓いますか」などと言う。それには免許が必要なのだそうだが、これを持っている人は意外と多い。「I can marry you」などと言われるので、「私と結婚したいの?」とドキマギしたこともあった。

 Kの結婚式の2022年10月。場所はアップステートの農場で、3泊あるので旅行気分で行った。
 まずは、メリーゴーランドのあるホテルでウエルカム・パーティ。彼女がお酒を飲まなくなってもう6年目で、キラキラのトップを着たKはとても幸せそうに見えた。その隣にはPがいる。彼女たちの衣装は、もちろんすべてKがデザインした洋服だ。「エルトン・ジョンとシェアが結婚式に出るとしたら」というテーマだそうで、彼女たちは大きいサングラスを掛け、キラキラの洋服を着て、羽をつけ、いまからコンサートに出るような恰好をしていた。
 以前会ったことのあるKの両親とも話せた。KのママもKに負けないくらいキラキラした洋服で、まぶしかった。Tも、Tのお姉さんも来ていて、家族ぐるみの付き合いなんだなと思った。
 女と女の結婚式なので、ウエディングドレスは二人で同時に着るのかと思えば、最初はKが豪華なフリルのついたウエディングドレスで、Pがネイビーの刺繡の入ったスーツ。そのあとに二人で白のミニドレスを合わせたり、カジュアルなドレスを着ていた。
 司式者はTだった。彼はこの日のために免許を取ったらしい。もうひとりKの友だちも司式を担当。二人の司会で二人をナビゲートし、指輪を交換させ、涙が出る感動的な結婚式をサポートした。最後に「NY州の法律に従い、二人を妻と妻として認めます」というところで「女と女の結婚式なんだ」と思ったががあまりにも自然すぎたし、この世でひとつだけの美しい結婚式だった。
 カクテル・パーティ、ディナー・パーティ、音楽演奏(彼女のためにオーストラリアから駆け付けた、有名インディ・バンド)、スピーチ、ダンス・パーティ、キャンプ・ファイアー、など、楽しい結婚式となった。久しぶりに会うサンディ・ファンディ仲間もいたし、子宮がんで亡くなった彼女の写真もパーティ会場に飾られ、彼女の両親も来ていた。
 彼女たちの両親は「PはKにピッタリ」などお互いを大絶賛。パーティを盛り上げるDJもノリノリで、両親もボスも踊った。コロナ以降こんなに汗だくになって踊ったのは初めてだ。Kはコロナに長いあいだ慎重になっていたが、最近になってようやくパーティ、イベントなどを企画しはじめている。ミセスKとしてまた新しい物語がはじまるのだろう。最高な結婚式をありがとう、心からおめでとう、K!

DJ Shufflemaster - ele-king

 90年代後半、ダンス向けの12インチにこだわった日本のレーベル〈Subvoice Electronic Music〉などから作品を発表し、日本のテクノ・シーンを支えてきたひとり、DJ Shufflemaster による唯一のアルバムがリイシューされる。2001年に〈Tresor〉から出ていたフロアライクなその『EXP』は、年明け1月27日にアナログ3枚組とデジタルの2形態で発売。ストリーミングでの配信は今回が初で、アートワークも Sk8thing の手により一新されている。現在、ミニマルな先行シングル曲 “Imageforum” が公開中。これはクラブに行きたくなりますね。

DJ Shufflemasterとして知られる金森達也は、東京のテクノ・アンダーグラウンド・シーンの最重要人物のひとりであり、初期は〈Subvoice〉レーベルから始まり、〈Tresor〉、〈Theory Recordings〉、および日本の〈Disq〉といったレーベルから多数の作品を発表してきた。オリジナル版リリース時の2001年当時、彼はこの作品を、多様な潜在的アイデアを編み込んだ、網のようなアルバムだと考えていたという。「私の思想、自分のすべてを表したアルバムであるべきなんです。私の思想や、生きている理由が現れていなければ、アルバムを作る意味などないのです。ですから、『EXP』 には、単一のテーマやコンセプトはありません」

『EXP』は、純粋にフロアに焦点を当てた、妥協のないサイケデリックなテクノのあり方を体現している。“P.F.L.P.” や “Opaqueness” のようなミニマルでダビーなトラックから、より激しくパーカッシヴな楽曲まで、ベルリン〜デトロイト〜UKを繋ぐサウンド・ムーヴメントに共通する、テクノというジャンルの多面性を網羅している。テクニカルで削ぎ落とされた “EXP” や “Onto The Body” のようなストレートなテクノ・トラックがある一方で、このアルバムは予測不可能な領域にも頻繁に飛び込んでいく。“Angel Exit” などは、まるでルーツマンの失われたダブプレートかのような、UKステッパーズの神秘性を漂わせている。かと思えば、“Flowers of Cantarella” や “Dawn Purple” では、金森はデジタル・グランジとでも呼ぶべきループの深みへ、変形自在な人工的世界へと誘う。

『EXP』 は、今こそ新たな耳へと届けられるべき、〈Tresor〉の過去から発掘された大胆で新鮮なテクノの至宝である。

artist: DJ Shufflemaster
title: EXP
label: Tresor
release: 27th January 2023

tracklist:
01. EXP
02. Slip Inside You
03. Onto The Body
04. Fourthinter
05. Imageforum
06. Angel Gate
07. P.F.L.P.
08. Experience
09. Experience (Surgeon Remix)
10. Angel Exit
11. Flowers Of Cantarella
12. Innervisions
13. Innervisions (Pilot)
14. Opaqueness
15. Dawn Purple
16. Climb*
17. Guiding Light*

*digital bonus

https://tresorberlin.com/product/96122/

Saint Jude - ele-king

 いつだって意志を持った小さな集団に心が惹かれてしまう。それはそんな強い言葉でくくる必要はなくてもっとカジュアルなものなのかもしれないけれど、好奇心を持ちただ自分たちが面白いと思ったことを積極的におこなう、スタートしたときの心をそのまま持ち続け活動しているそんな人たちに自然と心が吸い寄せられるのだ。
 サウス・ロンドンを拠点に活動するレーベル/イベント・オーガナイザー〈Slow Dance〉はまさにそんな集団で、そのはじまりはソーリーのメンバーで Glows(グロウズ)としても活動するマルコ・ピニが学生時代に友人と美術室でジンを作成したところからはじまる。「はじめは僕らのウィークリー・ユースクラブみたいな感じだったんだよね」。〈Slow Dance〉について以前そう語っていたマルコは今年、2022年にリリースしたグロウズの 1st ミックステープ『LA,1620』のインタヴューでその学生時代の思い出をこんな風に話していた。「みんな変なデモを作って SoundCloud にアップしててさ。で、翌日に『おぉ良い曲じゃん!』なんて感じのことをみんなで言ったりして。それでその曲をパーティーでかけたり、帰りのバスで聞いたりして、音源をシェアしてたんだよ」。おそらく、10代の頃のこの感覚/精神をそのまま持っていったものが現在も続く〈Slow Dance〉の年次コンピやあるいは『Slow Dance Presents Late Works: Of Noise』と名付けられリリースされたアルバムなのだろう。
 それぞれのバンドのメンバーとして活躍している友人たちの個人的でカジュアルな違う側面、それらはたとえば DJ Dairy ことブラック・ミディのベース、キャメロン・ピクトンが作ったビートの上でヴォーカル/ギターのジョーディ・グリープがラップするものだったり、ゴート・ガールのロッティの小さなデモ、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのサックス奏者ルイス・エヴァンスが学生時代に組んでいたと思しきギルトホール・ミリタリー・オーケストラとして現れる。そこにあるのは自らが良いと思ったものを作り上げ行動するセンスと友人たちとの確かな繋がり、純粋な表現としての音楽で、その感覚の一端を垣間見られたような気分になって胸が高鳴るのだ。

 〈Slow Dance〉と志を同じくするセイント・ジュードがその名前で最初に姿を現したのがそんな〈Slow Dance〉の年次コンピ『Slow Dance’18』だった。サウス・ロンドンを拠点に活動するアーティスト、セイント・ジュードことジュード・ウッドヘッドは元々フォー・テットに影響されたようなクラブ向けのトラックを作っていた。だが10代後半に発症した耳鳴りに悩まされ大きな音が鳴り響く場所にいることができなくなり転換を迫られた。そうして彼はクラブを離れセイント・ジュードを名乗りベッドルームで新たな音楽を作りはじめたのだ。
 2019年にセルフタイトルのEPをリリースした際、ジュードは自らの音楽を「聞いてきたものの全ての中間点みたいなもの。様々なジャンルを寄せ集めたもので、きっとそのポイントは接続性にある」と表していたが、それは2022年現在もおそらく変わっていない。〈Slow Dance〉からリリースされたこの 1st アルバムは様々なジャンルを繋ぎ横断する。ダンス・ミュージックの要素を色濃く残し、そこに影響を公言しているビョークビッグ・シーフエイドリアン・レンカーから来た叙情性が加わったかと思えば、次の瞬間にはそれがUKガラージに変わり、ときたまアトモスフェリックな光が差し込む。根底にあるのは暗い夜のトーンと疎外されたような都市の冷たい空気で、ジュードのその少し硬い歌声はどの場面においても完全に溶け込むことなく悲しく響く。重くまとわりつく空気の中を手探りで進むような “Does”、自身に語りかけるように淡々と進む “Rosa”、エレクトロニクスのビートの上に漂うその違和は鈍く小さな痛みを与え心に静かな波を打つ。

 美しくメランコリックな “No Angels” の中でセイント・ジュードは都市に暮らす人びとの日々が積み重なってできた歴史とコミュニティについて唄う。ロックダウンで静まりかえった街を眺めその場所であった出来事の記憶を思い返す、それをメモしたものがこの曲の出発点になったとジュードは言う。シングルカットされた “No Angels” とともに彼は「コミュニティと連帯は最も重要なものであり、つねに資本と金の勢力に対抗するものである」というメッセージを出していたが、このアルバムを聞くとあるいはそれは自分以外の誰かの声として現れているのではないかとそんな考えも浮かんでくる。
 インタールード的に挿入される “Signal” という同じ名前の3つの曲(そして、この言葉はアルバムのタイトルとしても用いられている)からそれぞれ別の声が聞こえてきてアルバムの途中でこの世界に存在する不確かな他者の存在を感じさせるのだ。イースト・ロンドンのグライムMCトリム、サウス・ロンドンのラッパー、ルイス・カルチャー、そしてリーズ出身のシンガーソングライター/プロデューサー HALINA(ジュードは彼女のアルバムに共同プロデューサーという形で関わっている)、それぞれのシグナルがたまたま掴んだ海賊放送のラジオように流れていく(それは違う世界との接続だ)。あるいは最初の曲 “Does” の中に聞こえる〈Slow Dance〉のエクスペリメンタル・アーティスト Aga Ujma の小さな叫びや “Halfway”、“Feedback Song” のトラック全体を柔らかく印象づける陽光のようなサラ・ダウニー(ドラッグ・ストア・ロメオズ)の歌声、デラウェアのヒップホップ・アーティスト Zeke Ultra の声がセイント・ジュードの世界の中に異なった色彩を加えていく。

 街の記憶の中にはいつだって他者の存在があり、思い出の中に誰かの声が聞こえてくる。6人の仲間の声を借りて作り上げられたセイント・ジュードの 1st アルバムは孤独と憂鬱の抜け出せない世界の中に差し込んだ光を感じるようなそんな瞬間がある。それは遠くに見える街の灯であって、途切れた雲から覗く月であり、ゆらめくロウソクの火のようなものなのかもしれない。他者の存在は何かを照らす光になりうる、〈Slow Dance〉、そしてそこに所属するセイント・ジュードはロンドンのアンダーグラウンド・シーンの中で確かな土壌を作り上げ、それがいまここに広がっている。消えない光がそこにあり漏れ出た光がまた誰かを照らす、そんなコミュニティ、そして音楽に心が惹かれていく。

butasaku - ele-king

 butajiと荒井優作によるアンビエントR&Bユニット、butasakuが2022年リリースした、1stアルバム『forms』のリミックス盤『forms Remixes & Covers』が本日、bandcamp限定でリリース。tofubeatsによるリミックス楽曲のみ各社ストリーミングでも配信開始。
 Jim O'Rourke、Dove、tamanaramen、SUGAI KEN、Itsuki Doiのほか、韓国からはJoyul、ロシアからはKate NVが参加。かなり面白いメンツではないでしょうか。それにbutajiと荒井優作の2人によるセルフカヴァーおよびセルフリミックスも収録した全12曲。また、tofubeatsによる“silver lining (tofubeats Remix)”のみストリーミング各社でも配信開始。チェックしよう。

butasaku
forms Remixes & Covers
2022年12月23日(金)
Bandcamp限定リリース
https://butasaku.bandcamp.com/album/forms-remixes-covers

1. time (butaji Cover)
2. atatakai (Dove Cover)
3. silver lining (tofubeats Remix)
4. the city (tamanaramen Remix)
5. abstract (Yusaku Arai, this is not grey mix)
6. letyoudown (Joyul Remix)
7. picture (SUGAI KEN Remix)
8. forms (Itsuki Doi Cover)
9. the city (Kate NV Remix)
10. forms (Jim O'Rourke Remix)
11. echo (Itsuki Doi Remix)
12. picture (Yusaku Arai Remix)

butasaku

- butaji(Vocal)
- 荒井優作(Track)

Info:https://lit.link/butasaku
Bandcamp: https://butasaku.bandcamp.com/
Twitter:@butasaku_jp
Instagram:@butasaku.jp

Richard Dawson - ele-king

 洞察力の鋭いアーティストというのは往々にして預言的なものだが、それで言うと、ニューカッスルのストーリーテラーあるいはシンガーソングライターであるリチャード・ドーソンが『Peasant』(2017)で中世に注目したのは示唆的なことだったように思う。ここのところ、僕は気鋭監督による中世的な映画ばかり観ているような気がするのである。14世紀の作者不詳の詩を現代的な視座を加えて映像化したデヴィッド・ロウリー『グリーン・ナイト』、ヴァイキング伝説やスカンジナビアの神話をベースに10世紀を舞台にしたロバート・エガース『ノースマン』(ビョークが預言者役で出演)。少し前ではあるが大ヒットしたアリ・アスターの『ミッドサマー』だって、時代は現代でありながらも中世的な価値観の異世界に迷いこむ話だとも取れるわけで、それは何やら、テクノロジーやインターネットが隅々まで支配する現代社会からの逃避ないしは逸脱を志したものに感じられる。あるいは限られた者に富と権力がますます集中する社会が中世に巻き戻っているように思えるからかもしれないが……、ともかく、そこで音楽的に立ち上がるのがフォークロアである。デジタルのアーカイヴではなく、不特定の人間が伝承した歌や演奏だ。
 ドーソンの『Peasant』がなかでも興味深いのは、「小作人」とのタイトル通り、庶民的な生活やその悲喜こもごもを描くのにこだわったことだ。中世といっても英雄や神々を称えるのではない。泥にまみれ、飢えや権力者の都合で駆り出される争いに苦しみ、その辺で生きて死んだ者たちが、彼の風変りなフォーク音楽に乗せて歌われた。だから『2020』(2019)でタイトルが示すようにコンセプトを現代に移したときも、ドーソンは徹底して小市民を取り上げた。鬱やゼノフォビアなどモチーフはけっして軽いものではなかったものの、ペーソスのあるユーモアや、何よりもエキセントリックな音楽と歌でわたしたち一般市民の生をどこか愛おしいものとして浮かび上がらせたのだ。

 オルタナティヴ・メタル・バンドのサークルとのコラボレーション作を挟み、ドーソンのソロの新作『The Ruby Cord』は中世、現代ときて、どうやらSF的なヴィジョンも取り入れつつ未来を想像しようとしているようだ──わたしたち庶民の。ジャケットに描かれる人物像も何やら暗示的だが、ドーソンはここで本当に預言者に扮しているようなのである。
 1時間20分ある本作はふたつに分かれており、まず前半の “The Hermit(隠遁者)” の一曲で40分ある。断片的な弦やハープのフレーズ、ブラシで撫でられる太鼓がサイケデリックに淡い揺らぎを立ち上げていくと、11分を過ぎた辺りでようやくドーソンのあの素っ頓狂な歌が入ってくる。核心を迂回し続けるようにメロディはふらふらし、ときに楽器の演奏が一切なくなるなかで、ドーソンはまさに中世的な自然の風景をやたらに細かく描写する。が、突如としてそれがどうやらヴァーチャル・リアリティの世界のなかの出来事であったことを匂わせ、メタヴァースなのかオンライン・ゲームなのかわからないが、世界が近代化される以前の風景とロボットが同時に成立する「世界」の美しさに彼は陶然とする。後半で入ってくるコーラスが穏やかで温かなものであればあるほどそれはうら寂しく響き、ハープや弦がエレガントであればあるほど現実味を欠いていく。ここで近未来におけるフォークロアをドーソンはでっち上げているのである。その大作志向、寓話的で謎めいた語り、逸脱的なフォーク音楽といった要素から『Ys』(2006)の頃のジョアンナ・ニューサムを連想するが、彼女が異界の幻想性を豊穣に生み出していたのに対し、ここで彼は、テクノロジーに取りこまれた「世界」の空虚さと隠遁という名の孤立を叙情的なアンサンブルの移ろいで滲ませる。
 アルバム後半ではドーソンらしいバロック・ポップ、カンタベリー・ロック、トラッド・フォークのおかしなミックスを様々に聴くことができる。ただ、家族や愛犬、自分自身が気がついたら機械につながっているという話の “Thicker Than Water”、フットボールの観衆や気候変動を訴える群衆が展示されている未来の博物館を描いた “Museum”、滅亡後の世界を旅する “Horse and Rider” と、想像されるのは暗い光景ばかり。シンガーとしてのドーソンは半音が頻出するメロディを調子外れだからこそ人間味とともに歌えるタイプで、僕もそこに魅了されたひとりだが、本作では歌われる内容の痛ましさとのコントラストが際立っている。また、壮大なコーラスや弦の幻惑的な響きがかえって悲壮感を高めてもいるだろう。
 率直に言って、本作のコンセプトがドーソンの音楽的なスタイルと合致しているかは判断しづらい。彼のシュールだが人懐こいユーモアに欠けるところはあるかもしれないし、つねに市井に生きる者の側に立ってきたからこそ、悲観的な未来しか思い描けなかったのかもしれない。ただそれでも、ディストピックなヴィジョンを持ちながら電子的な要素ではなくあくまでユニークで人間臭いフォーク音楽を奏でようとする本作は、未来がどれだけ酷いものであろうと、わたしたちの生命や人生は伝承歌として語り継がれているだろという逆説的な希望を仄めかしてもいる。

R.I.P. Terry Hall - ele-king

野田努

 「テリー・ホールの声は、まったくレゲエ向きじゃない」と、ジョー・ストラマーは言った。「だから良いんだ」。ザ・クラッシュの前座にオートマティックスを起用したときの話である。たしかに、テリー・ホールといえばまずはその声だ。ダンサブルで、パーカッシヴで、ポップで、エネルギッシュな曲をバックに歌っても憂いを隠しきれないそれは、最初から魅力的で、忘れがたい声だった。

 12月18日、テリー・ホールが逝去したという。この年の瀬に、悲しいニュースがまた届いた。10代のときからずっと好きだったアーティストのひとりで、とくにザ・スペシャルズの『モア・スペシャルズ』(1980)とファン・ボーイ・スリーの『ウェイティング』(1983)、UKポスト・パンクにおける傑出した2枚だが、ぼくにとっても思い入れがあるレコードだ。これまでの人生で何回聴いたかわからない類のアルバムで、この原稿を書いているたったいまはFB3のファースト(1982)をターンテーブルの上に載せている。
 ザ・スペシャルズの功績や「ゴーストタウン」(1981)の重要性についてはすでに多くが語られてきているし、ぼくも書いてきているので、サウンド面でも歌詞の面でも、「ゴーストタウン」の序章としての『モア・スペシャルズ』、その続編としてのFB3についてこの機会にフォーカスしてみたい。
 そもそも、エネルギッシュなスカ・パンクとして登場したバンドの2作目にしては、『モア・スペシャルズ』はじつにダークで空しく、苛立っている。アルバムは、ドリス・デイの50年代のヒット曲のカヴァー“Enjoy Yourself (It's Later Than You Think)”にはじまり同曲で終わっているが、この「君自身が楽しめ」をテリー・ホールが歌うと曲名の字面ほど前向きにはならないところがぼくにはたまらなかった。なにせこの曲は、「楽しめ」「遅すぎるけど」と歌っているのだ。楽しむにはもはや遅いかもしれない。それほど事態は最悪のほうに向かっている。アルバムのなかの、とくに“Do Nothing”や“I Can't Stand It”といった曲には耐え難い空しさや苛立ちが表現されているが、それらの感情がサッチャー政権のもたらした貧困と失業の増加、軍国主義、人種差別や性差別が横行する当時のイギリス社会から来ていることは、「ゴーストタウン」を経て始動したFB3の作品においてより明白になっていく。
 ザ・スペシャルズのメンバーふたり(リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプル)と組んだ「楽しい男の子3人衆」は、まったく楽しくない言葉を、非西欧音楽にインスパイアされたそのパーカッシヴなサウンドとしばし陽気なメロディのなかに混ぜていった。「イカれた連中が収容所を支配し、俺の言葉の自由を奪う」などと歌っている音楽においては、「ファン・ボーイ・スリーがやって来る、ファン、ファン、ファン!」という当時の日本盤の邦題は的外れも甚だしいと思われるかもしれないが、しかし、FB3が見かけは明るいポップ・バンドであって、なおかつ彼らの皮肉屋めいた側面を思えばこの邦題もあながち滑っているわけではなかった。
 ファッショナブルで華やかなファンカラティーナの季節にリリースされたそのセカンド、デイヴィッド・バーンがプロデュースしたもうひとつの傑作『ウェイティング』は、翌年登場するザ・スミスよりも以前にイングランドをとことん辛辣な言葉で叩いた1枚で、悲しいことにいまでもテリー・ホールの言葉は通用している。「旧植民地から月を作る/戦争難民のように扱われる/あなたがいるからぼくたちはここにいる/ここがぼくの故郷だ」“Going Home”
 そんなわけでいま、ぼくのターンテーブルには『ウィティング』が回っている。絶対的な名曲“Our Lips are Sealed”(EPのB面はウルドゥー語のヴァージョン)を収録したこのアルバムは、またしても暗いメッセージに満ちている。彼個人が受けた性的虐待を明かした“Well Fancy That”は有名だが、サウンド面でも古びていないこのアルバムにはいまでも考えさせられる言葉がいくつもある。「ヒップなソーシャルワーカーがコーディロイのジャケットに過激派のバッジをつけている/自分の信念を見せるためか?/人は何かしなければならないことをしたのかな?」“The Things We Do”

 こんなリリックの音楽だが、先述したように、FB3はさわやかな衣装を好むメロディックなポップ・バンドだったのだ(FB3の1stでコーラスを担当した女性たちは後にバナナラマとしてポップ・チャートを駆け上がっていく)。こうしたコントラストは、ある程度は自分たちでコントロールしていたのだろう。とはいえトリッキーが、テリー・ホールこそ我がヒーローだとニアリー・ゴッド・プロジェクト(1996)において共演を果たしているように、決して本人がそれを望んだとは思わないが彼は暗くネガティヴな歌を歌っているときこそもっとも輝くシンガーだった。ソロになってからの2枚目の、デーモン・アルバーンやショーン・オヘイガンが参加した、しかもある意味ソフトロックめいた『笑い(Laugh)』(1997)は、笑顔どころか涙で溢れている。

 テリー・ホールは、1999年には日本のサイレント・ポエツのアルバム『To Come...』に招かれているが、21世紀になってからはゴリラズとデトロイトのヒップホップ・チーム、D12とともび911へのリアクション「911」を2001年に発表し、続いてゴリラズの『Laika Come Home』(2002)でも2曲歌っている。で、2019年にはザ・スペシャルズのメンバーとして『Encore』を発表。2021年には過去のプロテストソングのカヴァー集『Protest Songs 1924-2012』(ゴスペルからレナード・コーエン、ボブ・マーレー、イーノ&バーンの曲までカヴァーしたこの選曲は面白い)をリリースしている。テリー・ホールの声は「イギリス人の声だ」とジョー・ストラマーは言ったが、結局彼は、コヴェントリーというイングランドの自動車工業で栄えた労働者の街の子孫として、自分の信念から大きくぶれたことなどなかったといえる。
 没年63歳とは、しかし早すぎる。とはいえ、彼がザ・スペシャルズやFB3でやったことは、これからも我々にインスピレーションを与えてくれるだろう。この先良くなる気配の感じられないようなきつい時代に、では我々は何をしたらいいのか、何を歌うべきなのか、もし迷うことがあったらテリー・ホールの声を温ねたらいい。「君自身が楽しめ。もう遅いけど。元気があるうちに」

 なお、現在ロンドンにいる高橋勇人は、どういうわけかそのご子息であるフェリックス・ホールと友だちになった。在英中の日本人DJ、チャンシーとも交流のある彼はいま〈Chrome〉レーベルを運営しつつロンドンのアンダーグラウンド・シーンには欠かせないレゲトン/ダンスホールのDJとして活躍している。

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三田格

 それまでの輝かしい功績の数々に比べて94年にリリースされたテリー・ホール初のソロ・アルバム『Home』はあまりパッとしなかった。オープニングからミシェル・ルグランの影響が窺え、彼のキャリアのなかではカラーフィールドを受け継ぐシンプルなギター・ロック・サウンドが中心。アンディ・パートリッジやニック・ヘイワードとの共作が目を引くものの、全体的にはクレイグ・ギャノンやプロデュースを務めたイアン・ブロウディの色が強く出たのか、10年遅れのザ・スミスといった仕上がりに。ジャケット・デザインはとても彼らしく、初のソロだからといって虚勢を張るポーズではなく、床にしゃがみこんで体育座りをしている。わざわざコンセプトはホール自身だというクレジットも入っている。デーモン・アルバーンをフィーチャーした「Rainbows EP」を挟んで続くセカンド・ソロ『Laugh』(97)も同じくで、前作よりは厚塗りのサウンドでゴージャスな面もあるものの、ジャケット・デザインはやはりオフ・ビート的なユルいポートレイトが選ばれている。この時期は肩の力を抜きたかったということなのだろう、“Misty Water”などは安全地帯“ワインレッドの心”にも聞こえるし、エンディングはトッド・ラングレン“I Saw the Light”のカヴァー(シングルのカップリングではジョン・レノンやカーペンターズも取り上げている)。 

 さすがだったのはそれから6年後にファン・ダ・メンタルのムシュタークと組んだジョイント・アルバム『The Hour Of Two Lights』。ファン・ダ・メンタルはレイヴに対するリアクションとしてトランスグローバル・アンダーグラウンドやループ・グールーなどと共に現れたコンシャス・ヒップ・ホップで、スペシャルズの理念を受け継いだ人種混淆ユニット。同作ではアラブ音楽に多くを借りながらマッシヴ・アタックを思わせるブレイクビートにエスニックな要素をふんだんに盛り込み、ファン・ボーイ・スリー“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”が重みを増したようなサウンドになっていた。これをリリースしたのもデイモン・アルバーンで、彼が後にイギリスのプロデューサーたちを大挙してコンゴまで引き連れ、DRCミュージックによるチャリティ・アルバムを製作した際のモデル・ケースとなったことは想像に難くない。『The Hour Of Two Lights』にはシリアやレバノン、アルジェリアやポーランドのジプシーなどマイノリティで、しかも子どもや障害者のミュージシャンが多数招かれ、それだけで強いメッセージを放つものになっていた。そう、テリー・ホールのキャリアは70年代のスペシャルズに遡る。白人と黒人が一緒にグループを組んだことで知られるスカ・リヴァイヴァルのグループである。

〈Two-Tone〉以前にイギリスで白人と黒人が一緒に音楽を演奏をしなかったわけではない。トラフィックにはロスコ・ジーやリーバップがいたし、ラヴにもジョー・ブロッカーがいた。しかし、白人と黒人が一緒に演奏することをレーベル・デザインにまでしたのはなかなかに強い主張であった(鮎川誠がデザインを見て「スカッとしている」とTVでダジャレを言っていた)。テリー・ホールの訃報を伝える記事にも「いまストームジーがやっていることを、かつてやっていたのがテリー・ホールだった」という見出しがあったほどである。スペシャルズの詳細は野田努ががっつり書くだろうから、簡単にするけれど、“Gangsters”と“International Jet Set”のことは書いておきたい。“Gangsters”のイントロはいま聴くと大したことはないけれど、当時は一体これから何が始まるのだろうと思うようなもので、これとポップ・グループ“We Are All Prostitutes”、そして、PIL“The Cowboy Song”は10代の僕が3大トラウマになったイントロダクションである。スペシャルズが分裂する原因になったとはいえ、スカとラウンジ・ミュージックを融合させるというジェリー・ダマーズのアイディアが炸裂した“International Jet Set”も本当にヘンな曲で、スペシャルズに影響を受けたというバンドはこの後、続々と出てくるけれど、この曲だけは誰も引き取り手がないままいまだに宙をさまよっている。また、コヴェントリーの自動車産業が衰退していく様を題材にした“Ghost Town”が普遍的な価値を得たことについてテリー・ホールは、後に「若気の至りで書いた曲だけど、いまだに説得力があるのは悲しいことだ」とも話していた。

 “Ghost Town”はスペシャルズにとって2枚目の12インチ・シングルだった。よくアナログ・レコード世代という言い方があるけれど、僕は自分のことを12インチ・ジェネレーションだと勝手に思っていて、スペシャルズからファン・ボーイ・スリーへと移り変わって行ったプロセスがまさに12インチ・シングルのポテンシャルが発揮され出した時期に当たっていた。方向性の違いでスペシャルズを脱退したテリー・ホール、リンヴァッル・ゴールディング、ネイヴィル・ステイプルズの3人で新たにスタートを切ったのがファン・ボーイ・スリーで、デビュー・シングル“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”はスカではなく、アフリカン・ドラムを基調にしたブリティッシュ・ファンクにエキゾチック・サウンドを取り入れた変化球。ラウンジ・ミュージックを巡ってジェリー・ダマーズと袂を分かったとはいえ、彼のアイディアが部分的に生かされている気がしないでもない。バス・ドラムがゆっくりと全体をドライヴさせていく感じはそのままマッシヴ・アタック“Daydreaming”につながるし、“Daydreaming”もブリティッシュ・ファンクのワリー・バダルーをサンプリングしているのだから似ていて当たり前ともいえる。テリー・ホールが『Laugh』をリリースした頃だと記憶しているけれど、イギリスの音楽誌でトリッキーがテリー・ホールと対談するという企画があり、その席でトリッキーは緊張しすぎて完全に舞い上がっていた。トリッキーにしてみればサウンド面では明らかにパイオニアだし、彼のような次世代がファン・ボーイ・スリーに会うというのはそういうことだったのだろう。

 “The Lunatics Have Taken Over The Asylum”のカップリングは同趣向の“Faith, Hope And Charity”。驚いたのは高木完がハウス・ミュージックが台頭してきた時期に“Faith, Hope And Charity”はハウス・ミュージックになると話していたことで、実際に同曲はFX名義でハウス・ヴァージョンがリリースされたこと。手掛けたのはドイツのフェリックス・リヒターで、“Faith, Hope And Charity”はものの見事にアシッド・サマーに溶け込んでいた。続く“It Ain't What You Do..”は意表をついて30年代のジャズ・クラシックをスカでカヴァー。一気に彼らの音楽性が挑戦的になり、コーラスにはまだシヴォーン・ファーイが在籍していたバナナラマをフィーチャー。ここまではアルバム・テイクと12インチ・シングルは同じもので、カップリングとなる“The Funrama Theme”でロング・ヴァージョンが初めて試される。てんやわんやのヨイヨイヨイみたいな曲をダブにしたお遊びである。そのオリジナルにあたる“Funrama 2”が収録されたデビュー・アルバム『The Fun Boy Three』がついに82年3月にリリースされる。現代風にいうとトライバル・ファンクの宝庫で、様々な方向に向かい出していたニュー・ウェイヴのなかでもとりわけ猥雑さにあふれ、同時期に様式美を追求していたニューロマンティクスとは対極にあると感じられた。ここから“The Telephone Always Rings”がカットされ、初めてAサイドにダブ・パートを入れたロング・ヴァージョンがフィーチャーされる。転調を繰り返す構成やテリー・ホールの歌い方は“Ghost Town”に揺り戻したようなところがあり、リズム・ボックスの重い響きはあまりほかでは聴いたことがない。

 ファン・ボーイ・スリーはライヴを観たことがなかったので、ユーチューブにライヴがアップされた時は、そのユニークなバンド構成に目を見張った。白人の男はテリー・ホールだけで、リンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは当然ながら黒人、そしてバックを固めていたミュージシャンはドラムから何から全員が女性だった。ダイヴァーシティのダの字もなかった80年代初頭のことである。学校のクラスは3分の2が黒人だったとテリー・ホールは話していたことがあったから、彼にとっては特別なことではなかっただろうし、パンクが女性の表現と共にあったことを思うと、それも自然な流れだったのかとは思うけれど、それにしても面白い映像だった。このライヴ映像は何度観たかわからない。“The More I See (The Less I Believe)”で始まるので、セカンド・アルバム『Waiting』がリリースされた頃のライヴなのだろう。あれだけリズム・コンシャスな音楽をやっていながらテリー・ホールが最初から最後まで直立不動でビクとも動かないのも興味深く、ステージでも楽屋でも笑顔はほとんど見せない。対照的にリンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは時に楽器も触らないでステージ狭しと踊りまくっていたり。2人が“We're Having All The Fun”でちょこっとだけ歌うシーンもある。クライマックスはなんとスペシャルズの“Gangsters”。つーか、またしても全編観てしまった。

 スペシャルズにはゴー・ゴーズやプリテンダーズのクリッシー・ハインドがコーラスで参加し、ファン・ボーイ・スリーにもバナナラマがいて、テリー・ホールのまわりにはいつも女性たちがいるという印象だけれど、テリー・ホールはセカンド・アルバムに収録された“Our Lips Are Sealed”をゴー・ゴーズのジェーン・ウィードリンと共作し、波に乗っていたゴー・ゴーズのヴァージョンはあっさりと全米チャートを駆け上がる。ゴー・ゴーズの“Our Lips Are Sealed”があまりにもアメリカン・ロックの王道だったので、これを追ってファン・ボーイ・スリーのヴァージョンを聴いた時は最初はどんよりと淀んだ曲に聴こえたぐらい。しかし、粘っこいリズムが癖になってくると、だんぜんファン・ボーイ・スリーの方がいい。この曲も12インチ・ヴァージョンは10分を超える2部構成で、ファンク・テイストを前面に出し、中盤はほとんどプリンスと同じ、さらにはウルドゥー語ヴァージョンまで収録するという凝り方だった。デヴィッド・バーンがプロデュースにあたったセカンド・アルバム『Waiting』は長い間、不思議なタイトルだと思っていたけれど、どうやら「あなたのような人を待っている」という意味らしく、「あなた」というのはこのアルバムを聴く人ということなのだろうかと疑問はいまだに続いている。『Waiting』は60年代の映画「ミス・マープル」シリーズの主題歌“Murder She Said”のカヴァーで幕を開け、先行シングル“The More I See (The Less I Believe)”や“The Pressure Of Life (Takes Weight Off The Body)”はやはりジェリー・ダマーズともめたはずのジョン・バリー調、タンゴに取り組んだ“The Tunnel Of Love”を先行シングルとしてカットし、なかでは、最後に収められた“Well Fancy That”が最大の問題作だろう。この曲の歌詞をかいつまんで訳してみる。

あなたはフランス語を教えてくれるといって
僕をフランスに連れていった
10時に集合だとあなたは言った
僕は12歳でまだナイーヴだった
あなたは旅行の計画を立て、僕はあなたの車に座っていた
僕の初めての海外旅行
フランスに行くんだ
信じられないよ
週末はフランスにいるんだ
信じられないよ
ホテルを見つけてチェック・インし、荷物を解いた
長い1日だった
あなたはベッドに入ろうと言った
あなたが僕を観ていると僕は感じた
僕はベッドに入り、あなたは本を読んでいるフリをしていた
灯りが消え、僕は眠り、驚きで目がさめた
あなたの手が僕の体を触っていた
僕は声を出すことができなかった
僕は横を向いて泣いた
フランスで最初の夜
信じられないよ
あなたは僕を怖がらせる
僕は眠りたかった
信じられないよ
朝が来てフランスを離れ、僕は家に帰った
フランスへの旅
信じられないよ
あなたはいい時間を過ごした
セックスを犯罪に変えて
信じられないよ

 これは実話だそうで、12歳の時に学校の先生に誘拐されてフランスまで行き、ナラティヴに綴られた歌詞にある通りペドフィリア(小児性愛)にいたずらをされ、なんとか最後は力づくで逃げ帰ってきたのだという。これが原因で元の生活には戻れず、14歳で学校もドロップ・アウト、掟ポルシェのように様々なアルバイトを転々としながらパンク・バンドで歌っていたところをジェリー・ダマーズにスカウトされてスペシャルズに加わることができたという。前述したムシュタークとの『The Hour Of Two Lights』をリリースした翌年にもこの事件のことが原因で鬱になり、自殺未遂を起こしている。このことについて話すポッドキャストを聞いていたら、12歳の時に精神安定剤漬けになってしまい、それをまた誤って服用したことがトリガーになったらしい。“Well Fancy That”を書いたことで少し軽くなったろうと思いたいけれど、テリー・ホールがここまで黒人や女性たちとバンドを組んできたこともこういったことが影響はしているのかなと。そして、ファン・ボーイ・スリー解散後に彼は初めて白人の男性だけで結成したカラーフィールドに歩を進める。

 カラーフィールドはなぜかマンチェスターで結成され(バンドにマンチェスター出身はいない)、深刻な雰囲気のギター・ポップ“The Colourfield”で84年にデビュー。続く“Take”の12インチにはミシェル・ルグラン“Windmills Of Your Mind”のカヴァーが収録され、この選曲がある意味ですべてを物語っていた。60年代をストレートに振り返るノスタルジー・ポップスやスウィンギン・ロンドンに焦点を当て、テリー・ホールは泣きに力を入れて歌い始めたのである。スペシャルズとファン・ボーイ・スリーには音楽的な連続性があったけれど、それがスパッとここでは断ち切れていた。すでにテリー・ホール信者となっていた僕に戸惑いはなく、時代もスキゾフレニアを推奨していた時期である(ポール・ウェラーという例もあった)。“Windmills Of Your Mind”を換骨奪胎したような“Castles In The Air”やデビュー・アルバム『Virgins And Philistines』の冒頭にも置かれていたサード・シングル“Thinking Of You”もとても素晴らしく、懐古調を僕もとても楽しんだ。なかではザ・ローチェス“Hammond Song”のカヴァーは群を抜いた優しさを運んできた。セカンド・アルバムではそれが、しかし、早くも崩れることになる。当時、イギリスのヒット・チャートは同じシクスティーズでも、ユーリズミックスやスクリッティ・ポリッティはそれをエレクトロニック・ポップの文脈でリヴァイヴァルさせていた。カラーフィールドも『Deception』でプログラム・サウンドへの移行を試みるも、そのような変化を必要としていたサウンドには聞こえず、彼らの良さをすべて失ってしまったように感じたものである。

 次から次へとバンドを立ち上げていくテリー・ホールが次に組んだユニットが、そして、テリー、ブレア&アヌーシュカ。黒人2人と組んだファン・ボーイ・スリー、白人男性2人と組んだカラーフィールドに続いて、今度は女性2人と組んだわけである。ブレア・ブースはアメリカの役者で、アヌーシュカ・グロースは宝石を扱う人らしい。『超近代的子守唄(Ultra Modern Nursery Rhymes)』と題されたアルバムはダスティ・スプリングフィールドを思わせる曲が多く、やはりスウィンギン・ロンドンには心を残していたのかなと。カラーフィールドよりもタイトで、繊細さはなく、もしかするとゴー・ゴーズに近いサウンドだったといえる。さらに2年後にはユーリズミックスのデイヴ・ステューワトとヴェガスを結成し、このユニットが一番記憶に薄く、時期的にもレイヴに飲み込まれて存在感はまったくなかったと思う。いま、聴いてみても『Deception』をもう一度繰り返しているという感じで、新しい発見はなかった。そして、冒頭に挙げたソロ・ワークへと続き、近年はデイモン・アルバーンとの親交が深かったようで、ゴリラズに参加したり、ヴェテラン・レゲエのトゥーツ&ザ・メイタルズが様々なヴォーカリストをゲストに迎えた『True Love』で歌うなど細々とした活動を続けていた一方、07年にはついにジェリー・ダマーズ抜きでスペシャルズを再結成。スペシャルズはその後もメンバーの交代が激しく、13年にはネヴィル・ステイプルズがいち早く脱退。テリー・ホールとネヴィル・ステイプルズが違う道を進むのはこれが初めてとなる。スペシャルズは、そして、19年には『Encore』、20年にもプロテスト・ソングばかりをカヴァーした『Protest Songs 1924-2012』と新作まで完成させたのはなかなかにスゴく、次にレゲエ・アルバムの準備を始めたところでテリー・ホールのすい臓がんが見つかったという。昨年、自身のソロ・アルバムをリリースしたばかりのネヴィル・ステイプルズはテリー・ホールの訃報に触れてファン・ボーイ・スリーのレコーディング状況を回想しており、レコーディング慣れしていないテリー・ホールに力が発揮できるようデヴィッド・バーンが努力したことを明かしている。

 テリー・ホールという人はとにかく一貫性がないし、人々の記憶に残る場面もきっとバラバラなのだろう。ユニットの組み方がとにかく多様で、彼よりも前に同じようなことをやったミュージシャンはきっといないに違いない。テクノ以降にはそれも普通になった印象はあるけれど、ロック・ミュージックがまだ主流の時代に多面体として活動できる前例をつくり、デヴィッド・ボウイが1人でやっていたことを、ある意味で、どんな人と組んでもやってのけたといえる。さらにはナショナル・フロントに目を付けられる一方、単に感傷的な歌を熱唱するだけだったりと、共通しているのは彼の歌がエモーショナルだということぐらいだった。そう、彼のヴォーカルはいつもまっすぐに僕の胸に飛び込んできた。テリー・ホールのまっすぐな感じが僕は好きだったな。TOO YOUNG TO DIE。R.I.P.

※12月26日に原稿の一部を修正
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