取材に入る直前。インタヴュー・カットを撮りたいので、最初の数分だけ照明を落とさせてもらいますと、そう伝えた。「大丈夫、暗いほうが好きだから。暗いのはいい」。その返答は、まさに彼の音楽を体現していた。どこか内省的で、しかしけして感情を爆発させることはない音楽。映像喚起的で、光よりも影のほうを向いてしまうタイプの、マシン・ミュージック。
バックグラウンドは00年代後半の西海岸にある。いわゆるLAビート・シーンが彼のスタート地点だ。当地のDJ/プロデューサー/エンジニアであり、レーベル〈Alpha Pup〉の主宰者でもあるダディ・ケヴが、ビートメイカーにフォーカスしたパーティ《Low End Theory》を開始したのが2006年。そこでケヴがノサッジ・シングの(のちにファースト・アルバム『Drift』に収録されることになる)“Coat Of Arms” をヘヴィ・ローテイションしたことが、彼のその後の飛躍につながった。
とはいえデイダラスやフライング・ロータス、ティーブスといったあまたの才能ひしめくムーヴメントの渦中、やはりノサッジ・シングの音楽はどちらかといえば控えめに映るものだったのではないだろうか。以下に読まれる「日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる」との本人の弁は、まさに彼の音楽の特徴をよくとらえている。間を活かし、表面的な華やかさよりも、ある種の静けさや落ち着きのなかに独自の雅を展開していくこと。2010年代に入りチャンス・ザ・ラッパーやケンドリック・ラマーといった大物をプロデュースしたり、トラップの感覚とエレクトロニック・リスニング・ミュージックを折衷する『Fated』や『Parallels』といったアルバムをつくり終えた今日でも、その軸はまったくブレていない。
むろん、変化している部分もある。この秋リリースされ、年明けにアナログ盤の発売を控える5枚目のアルバム『Continua』に色濃くあらわれているのは、マッシヴ・アタックやトリッキーといったブリストルのサウンド、かつてトリップホップと呼ばれた音楽からの影響だ。
最たる例はジュリアナ・バーウィックを迎えた “Blue Hour” だろう。この曲がまたとんでもなくすばらしいのだけれど、驚くなかれ、ふだん声をあくまでひとつのサウンドとして利用している彼女が、ここでは歌詞を書き明瞭に歌っている。ゲストに新たな試みを促す力が、ノサッジ・シングの「暗い」トラックには具わっているにちがいない。
バーウィックはじめ、ほとんどの曲にゲストが招かれている点も大きな変化だ。サーペントウィズフィートやトロ・イ・モワ、パンダ・ベアなどなど、多彩かつジャンル横断的な面子が集結しているが、なかでも注目しておきたいのは今年素晴らしいデビュー・アルバムを送りだしたコビー・セイと、ele-king イチオシのラッパー=ピンク・シーフ。ここでもまたノサッジ・シングは、普段の彼らからは得られない、声の抑揚やムードを引きだすことに成功している。
ほの暗く、静けさを携えながらも、内にさりげない光彩を潜ませた音楽──それは、激動の一年を締めくくろうとしているわたしたちリスナーが、じつはいちばん欲しているものかもしれない。間違いなく、すごくいいアルバムなので、ぜひ聴いてみてほしい。
マッシヴ・アタックやポーティスヘッド、トリッキー、アンクルとか。そういったものにインスピレーションを得ました。
■NYにいる友人から聞いた話では、いま物価の上昇がすごいらしいですね。レストランにふたりで入ると以前は50ドルで済んだところが100ドルはかかるようになったそうです。LAはどんな具合でしょうか? NYはパンデミックで仕事を失った人も少なくなく、さらに追い打ちをかけるように物価高になり、ホームレスや精神不安を抱えるひとも増え、治安も悪くなったと聞いています。
NT:やっぱりLAも同様にインフレがひどくなりました。とくにガスの料金がすごく上がっていてみんな苦しんでいます。ホームレスにかんしては、LAはここ10年くらいずっと問題視されてきていましたので、パンデミックの影響というよりも、ひとつの社会問題としてつねに存在していました。個人的には、パンデミックのときはたまにゴッサム・シティ(『バットマン』で描かれる、荒廃した治安の悪い都市)に住んでいるような気分になりましたね。
■新作は最終的にはとてもムーディーで、ある意味では心地よい音楽にまとまっていますが、背景には気候変動など未来への不安や、あなた個人の家宅侵入被害といった、いくつかの重たいテーマが潜んでいるようですね。今回は5年ぶりの新作で、12人ものゲストを迎えたアルバムです。どのようにこのプロジェクトがはじまり、進んでいったのかを教えてください。
NT:前のアルバムを2017年にリリースしたんですが、そこからどういう方向性にいくかを考えるのにしばらく時間を要しました。どのように自分の次のアルバムをつくりあげていくか、すごく悩みましたね。パンデミックは世界じゅうの人びとにとって難しい時期だったと思うんですが、自分にとってその時間は貴重なものだったと考えています。というのもこの数年間、5~7年はずっとツアーをしたり、他のアーティストのプロデュースを手がけたりしてきて、そういった経験を自分の世界にどのように落としこむかを考えていたので、自分にとってはある意味とてもポジティヴな時間でした。
今回のアルバムそのものは、とてもシネマティックなものだと思っています。僕は85年に生まれたんですけど、90年代半ばの音楽をとくによく聴いていたので、そういった音楽を自分なりに解釈して取りこむことにチャレンジしました。たとえばマッシヴ・アタックやポーティスヘッド、トリッキー、アンクルとか。そういったものにインスピレーションを得ました。とはいえ、ノスタルジックになりすぎないよう、細心の注意を払いました。
それと、今回のアルバムはこれまででもっともコラボレーションを全面に打ちだしたものになっています。ぼくはもともとすごくシャイな人間ですが、今回参加してくれたアーティストたちには個人的に知っていたわけではないひとも何人かいて、そういうひとたちにも連絡をとって参加してもらうようにお願いしました。だからさまざまなスタイルをうまくミックスすることができたアルバムだと思います。
日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる──そういうような棲みわけをしてきました。
■あなたの音楽はビート・ミュージックでありながら、ある種の静けさや暗さを携えていて、アンビエントにも通じる部分があるように感じます。過度にハイテンションになる音楽ではなく、こういったサウンドができあがるのには、あなたの性格や生い立ちも関係しているのでしょうか?
NT:LAで育って、さまざまな音楽やカルチャーに触れる機会があったことは大きかったと思います。東京も同じような感じですよね。自分の世界をクリエイトするなかで、アンビエントをつくることは一種のセラピーのように感じています。これまでいろんなアーティストとセッションをしたり、プロデュースをしたりしてきましたけれど、たとえば日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる──そういうような棲みわけをしてきました。それこそブライアン・イーノがさまざまなジャンルの音楽をプロデュースしていて、ロックからアンビエントまでいろいろやっていましたが、歳を重ねるうちに彼のようなことをやりたいと思うようになりましたね。
■エレクトロニカ的だけれどもヒップホップやR&Bでもあり、新作にはあなたが好きな音楽がいろいろ詰まっています。なかでもやはりヒップホップの要素は大きいように感じましたが、いかがでしょう? とくにピンク・シーフはエレキングが好きなラッパーのひとりですので、参加しているのが嬉しかったです。彼の魅力はどういうところにあると思いますか?
NT:ピンク・シーフには、とても新鮮で近未来的な印象を抱きました。彼のレコーディングは私のスタジオでおこなったんですが、とても面白かったことがあって。アルバムのアートワークに使われている写真はエディ・オットシェールというロンドンの写真家によるものなんですけど、この写真には両面があるんです。表に「両面を見て」と書いてあるんですよ。表では、道の真ん中に人が座っています。裏返すと、その道の反対側も写されているんです。ひとつの作品で道の両面を写したものなんですね。
その写真をスタジオでピンク・シーフに見せたところ、彼は「わかった」と言って20~30分でリリックを書き上げました。そして彼はレコーディングをはじめて、楽器も演奏したんですけど、すごく長いテイクをひとつだけ録って、「できたよ」って言ったんです。追加で録音することもなく、ほんとうにワンテイクで終わらせちゃったんです。スタジオで彼に初めて会って、いきなりレコーディングがはじまって、すぐに終了したというそのプロセス自体が、自分にとってはかなり衝撃でしたね。
その後「足すものはほとんどないけど、スクラッチだけ足したい」と伝えると、Dスタイルズの曲をスクラッチしてくれました。自分が10代の頃によく聴いていたDJグループで、当時はスクラッチにハマっていたので、とても嬉しい経験でした。
ジュリアナ(・バーウィック)の最新アルバムに参加していて交流があったから、この曲を聴かせてみたところ、それが彼女にとって生まれて初めて歌詞を書いてみようと思うきっかけになったみたいで。
■先ほどマッシヴ・アタックやトリッキーの名前が挙がりましたが、まさにその影響を大きく感じさせるのが “Blue Hour” です。この曲にはジュリアナ・バーウィックが参加しています。彼女もわれわれのフェイヴァリットで、当然あなたも大好きなアーティストだと思いますし、彼女のアンビエントが素晴らしいことをあなたの前でことさら言う必要はありませんが、このアルバムにおける彼女の起用法はとても気に入りました。
NT:この曲はそもそもインストゥルメンタルからはじまったんです。ぼくは画像や映像からインスピレーションを受けることが多いんですが、この曲もガールフレンドが撮った短いビデオをスマホで見ていたらコードが浮かんできて、そこから作曲しました。ぼくはジュリアナの最新アルバムに参加していて交流があったから、この曲を聴かせてみたところ、それが彼女にとって生まれて初めて歌詞を書いてみようと思うきっかけになったみたいで。彼女はいつもコーラスのような歌い方で、歌詞を書いたことがありませんでした。今回初めてちゃんと歌詞を書いて歌ったんですね。そういう感じでコレボレーションしつつ曲をつくったんですけど、じっさいに彼女と一緒に作業をしたのは2回だけです。
■“Grasp” に参加しているコビー・セイもわれわれのフェイヴァリットのひとりなのですが、彼とはどうやってつながったのでしょう? 彼のどんなところを評価していますか?
NT:この曲は個人的にもとくにお気に入りなんです。最初は自分でドラムを叩いてプログラミングをして──という感じで、この曲も最初はインストゥルメンタルにしようと考えていました。それからギター・リフを弾いたり、なんとなくつくってはいたんですけど、そのまま数か月放置していたんです。でもずっと気にはなっていて、この曲をどう練りあげていくか頭の片隅で考えていて。
そこでサム・ゲンデルに「アイディアを足してくれない?」と頼みました。そしたら彼がサックスのパートを送ってくれたので、インストにサックスが載った感じの曲にしようと思ったんですが、それでもどこか完成していないように感じていました。どうしようか悩んでいたところ、〈Lucky Me〉のダンというひとがコビーを紹介してくれて、「彼にやってもらったら?」と言ってくれたんです。
それでコビーに連絡をとって、「こんなアイディアがあるんだけど」と4つ5つほどアイディアを出したところ、彼がそのうちひとつをピックアップして、ヴォーカルやベースをやってくれました。何千ものパズルがひとつにまとまるようにしてできあがった感じです。自分にとっても彼は特別なアーティストだったから、一緒にできたことはいまでも信じられないですね。
■あなたは00年代後半に、《Low End Theory》を中心とするLAのビート・シーンから登場してきました。現在でもその「シーン」のようなものは続いているのでしょうか? もしそうであれば、そこに属しているという意識はありますか?
NT: 2005年か2006年だったか、かなり昔の話ですからね……。みんなそこから進化して、新しい道を歩んでいって、2012年か2013年くらいになんとなく空中分解したような感じではあるんですけど、いまでもみんな友だちだし連絡もとりあっていますよ。みんな成長して大人になって、子どもがいるひともいます。たとえばティーブスはアート・シーンに向かったり、フライング・ロータスは映画監督をやったり。みんな多様な活動をするようになりましたが、互いにサポートしあっています。
■日本語には「地味」という言葉があります。あえて飾り立てないことのカッコよさについて言うことばですね。たとえば江戸時代は、着物を羽織ったときに、生地の表面に色味を使うのは「粋=クール」じゃないという大衆文化のなかで芽生えた美意識がありました。鮮やかな色彩は、着物の裏面に使うんです。それが歩いているときや風で少しめくれたときにちらっと見える。それが「粋」です。あなたの音楽にもそういうところがあるように思いましたが、いかがでしょうか?
NT:そういうふうに思ってもらえるのはすごくありがたいですね。それがひとつの個性だと考えられたら自分でも嬉しいです。自分としては、このアルバムで表現したかったことは、映像的なものに近いんです。
これまでの自分のミュージック・ビデオは、ちゃんとしたチームがいるわけではなかったのであまり冒険せず、実験的でもなかったと思うんですが、ぼくの頭のなかにはつねに実験的なアイディアがありました。だからいま、ヴィジュアル・アルバムを作成していているんです。それはひとつの長い映画のような作品になりそうです。ぼくのアルバムのアートワークは全部モノクロなんですけれど、そのヴィジュアル・アルバムはとてもカラフルなものになるので、いまおっしゃっていたような感覚もあるのかなと思います。1月末にリリースする予定です。