Herbert The Shakes Accidental/ホステス |
音楽で世界は変えられないがひとりひとりの意識は変えられるというのは、いわゆる紋切り型の、いろんな場面で使われる一般論となっている。言葉としては面白くないが、まあ、そんなもんかーと思ったりする。はい、その通り、と言うしかない。
言葉として面白くないのは、シニカルなのか、あるいは未来への期待、音楽への夢を込めたものなのかどうなのか、本気で世界を変えたいと思っているのかどうかが実にアブストラクトな点にあるからだろう(まあ、そのすべてを包含しているのだろうけれど)。ひとつ言えるのは、そして誰も音楽は世界を変えるとは言わなくなったことだ。マシュー・ハーバートを除いては。
ハーバートはUKのハウス/テクノのプロデューサーで、90年代半ばにデビューしている。彼のミニマルで軽快なテック・ハウスは、まだ彼が何者かよくわかっていない最初から人気だった。ポップで、実験的。DJもかけたし、家聴きの人にも誰からも愛されるダンス・トラックだった。
早すぎた初来日時のライヴも楽しかった。鍋やらフライパンやら料理道具をその場で鳴らし、サンプリングし、そしてその場でループさせて曲を作ってくという無邪気なもので、まさかこの人がその数年後、鬼のような左翼ヴィジョンを展開することになるとは、当時はまったく思いも寄らなかった。ただの愉快な人だと思っていた。
欧米のミュージシャンは、思い切り商業的なフォーマットに合わせてデビューして、作品数を重ねる毎に、より非商業的でより実験的な道に進みたがると言われるが(日本はその逆とも)、ハーバートはまさにその通りの歩みを見せているひとりである。
2001年、ライヴ会場で無料配布されたレディオ・ボーイ名義の『The Mechanics Of Destruction』の曲名にはマクドナルドやGAPなどグローバル企業の名前、もしくは実業家、TVや石油など資本主義を象徴するものが付けられている。音はすべてそれら商品の音などから来ている。それがいったい何のためになるのかわからないが、彼はとにかくそれをやり、同じように2003年のビッグ・バンドによる『Goodbye Swingtime』でも、はっきりと彼の政治的な意見を挟み込んだ。(このビッグ・バンドによるライヴも最高に笑えるものだった。たとえば曲のブレイクで演奏者全員がポケットから新聞を出しては破り、そしてまた素知らぬ顔でジャズを演奏しはじめるなど、彼の批評精神は、ほとんどの場合、喜劇的に表出する)
その後も食事文化の側から多国籍企業を批判した『プラット・ドゥ・ジュール』、豚の一生を描いた『ワン・ピッグ』などなど、執拗なまでにグローバリゼーション批判を続けている。たまたまこの1枚は政治的になったけれど、その次はいつものようにハッピーに……なんてことはこの男に限って言えばない。ただ、先述したように、彼の音楽にはコメディタッチがあるので、説教臭くなることはない。要するに、リスナーを硬直化させることがない。『ワン・ピッグ』のときのライヴも面白かったしね。
ハーバートの作曲の方法論として一貫してあるのは、ミュジーク・コンクレートだ。その手法を意識してハウス・ミュージックに活かしたのがまさにハーバートで、『アラウンド・ザ・ハウス』(1998年)と『ボディリー・ファンクションズ』(2001年)は彼のユニークな音作りがもっともポップに展開されたものとして記憶されている。前者はハウス、後者はジャズの響きを打ち出した、より振り幅の広いエレクトロニック・サウンド。どちらもいまだハーバートの代表作として聴かれ続けているが、新作の『ザ・シェイクス』は、洗練された『ボディリー・ファンクションズ』に近い。つまり、ハイブローとはいえ大衆音楽であり、入りやすいのだ。もちろん、そこには以下の取材で語られているような彼の考え方が、確固たる思いがある。そんなわけでぼくは彼の頑なさ,ブレのなさ、その理想に、あらためて触発されたのである。
それでも音楽に世のなかを変える力があるとまだ100%信じているからだよ。でなければ音楽をやめて政治家になっている。「どうして政治家にならないのか」と訊かれることも多い。なぜかというと、政治家は大勢いるけど、政治的なメッセージを訴えるミュージシャンはあまりいない。だから責任を感じるんだ。
■最近の『ガーディアン』に掲載されたあなたの発言のなかの「music’s propensity to noodle inconclusively can seem unhelpful at best(不平等が前例のないほど極端になり、我々が作り出したシステムが育むのではなく破壊するためにあるとき、最善の状況でも音楽は最終的には助けにならないように思える)」という言葉が気になっています。ここにはある種の絶望が込められているのでしょうか?
ハーバート:おそらく絶望ではなく、世のなかを変えたいという欲求を音楽が失ったしまったことへの失望と、いまの多くの音楽、とりわけダンス・ミュージックが退屈に感じることのふたつが込められている。散々ダンス・ミュージックは聴いてきたから、どれも同じようにしか聴こえないんだよ。初めてダンス・ミュージックと出会った人にとっては退屈でないかもしれないけど、30年以上ハウスやテクノを聴いてきた身としては、新しいアイディアや驚きのなさを退屈に感じてしまう。だからあの発言の裏には失望と退屈のふたつが込められているんだと思うな。
■あなたが言うように、現在の行きすぎた資本主義社会で、音楽が政治的な局面において「unhelpful(助けにならない)」であったとしても、あなたは音楽を続け、そこに政治的な主張、左翼的なヴィジョンを織り込み続けるわけですよね?
ハーバート:ああ。
■それはあなたにとってアンビヴァレンツな行為なのでしょうか?
ハーバート:それでも音楽に世のなかを変える力があるとまだ100%信じているからだよ。でなければ音楽をやめて政治家になっている。「どうして政治家にならないのか」と訊かれることも多い。なぜかというと、政治家は大勢いるけど、政治的なメッセージを訴えるミュージシャンはあまりいない。だから責任を感じるんだ。何か社会や政治的な問題について強く感じているものがあったら、それを音楽を通して表現する責任があると感じているんだよ。
ぼくは音楽に物事を変える力があると確信している。実際それをこの目で見てきた。16歳のときにNWAの“Fuck The Police”を聴いたのをいまでも覚えている。「なんで警察をやっつけたいんだ?」って思ったんだ。当時僕は小さな村に住んでいて、その村の警察官が家の向かいに住んでいて、たまに彼が訪ねてきて、紅茶を一杯飲んでいくんだ。彼が友だちだったとは言わないけど、いわゆるご近所さんで、親しみやすい人で優しそうな人だった。だから「なんで彼をやっつけたいなんて思うんだ?」と僕は思った。でもあの曲を通して、アメリカに住む黒人の若者たちの現状がわかった。それまで全く縁のない世界だった。彼らのことをBBCや新聞がわざわざ取り上げるわけじゃない。彼らの声を聞かせるメディアがなかった。音楽を通して知ることができたんだ。そういう力が音楽にはまだあると思っている。
■年々、状況は悪くなっているという感覚があるのですね?
ハーバート:はははは。そうだね。世界の現状に強い失望、憤慨、不信感を抱いている。たとえば女性の権利が自国も含めて世界のいろいろな国で後退していると感じる。宗教と人種の隔たりがさらに広がっている地域もある。世界の多くの地域で状況は悪くなっていると感じる。
もちろん良くなっている場所もあるけど、例えば二酸化炭素の排出量だけを見てみても、1990年に確か京都議定書が締結されたわけだけど、それ以降61%排出量が増えているんだ。我々は狂っているよ。減らすどころか、悪化の一途を辿っている。肉の消費量は増え、遠くへ移動する人も増え、消費も増え、世界は完全に間違った方向に進んでいる。状況は確実に悪くなっている。
■たとえば、“strong”、“battle”とったシンプルで、暗喩的な言葉の曲名を用いて、資本主義の、とくにマッチョなところへの批評性を含んでいると受け止めてよろしいでしょうか?
ハーバート:僕がなぜ音楽を作るかというと……、そもそも自分が満たされて幸せだったら何か作る必要はないよね。僕にとって創造することはすなわち、世のなかで何かが間違っていると思うことだったり、何かを変えたい、解決したいという思いだったり、変化をもたらすきっかけになりたいという思いから生まれるんだ。僕にとって創造することはふたつのことを象徴している。この世のなかがきっと良くなると信じる楽観性と「こうあるべきだ」という世界に対する不満だ。その楽観と不満のふたつの組み合わせが僕を創造へと掻き立てるんだね。
■あなたの音楽では、資本主義への批判は一貫しています。『The Mechanics Of Destruction 』や『Goodbye Swingtime』以降、ずっとあるものです。『The Shakes』は、政治的批評性という観点において、これまでの作品とどこが違うのでしょうか? あるいは同じようなことを、あなたは意識して言い続けているのでしょうか?
ハーバート:僕が伝えようとしていることは一貫していて、それは根本的不公正だ。僕が解せないのは、経済危機はリスクをいとわない経済界の行き過ぎた行為によって巻き起こされたにも関わらず、その尻拭いを庶民がしている。貧しい人たち、社会の弱者である障害者や老人、失業者がその代償を払っている。まるで手品だ。最悪の手品だ。僕はそういう不公正が一貫したテーマになっている。
僕は恵まれた生活ができている。その恩恵には責任がついてくると思っている。その責任のひとつが、その恩恵を疑問視し、それが何によってもたらされているのか理解することだ。例えば自分が日常使っているものを中国の工場で製造してくれている労働者に感謝をしなければいけない。あるいは僕の携帯の部品のためにアフリカで採掘作業を行っている人たちかもしれない。そういう人たちの存在をきちんと把握し、自分の生活が当たり前のものだと思わない責任があると思っている。
■サンプリング・ソースについて、あなたはつねにこだわりを持っていますが、今作の「音」も、それぞれに意味があるんだと思います。しかし、それはあなたの説明を得るまでは、リスナーにはわかりえないことだと思います。それでもあなたは音のソースにこだわるのは、音を資本主義から遠ざけることがいかに重要なのかという話だと思いますが、今作における音のソースについて説明お願いします。
ハーバート:僕としては、なんとなくポンペイをイメージしたんだ。ポンペイには実際行ったことがないんだけど、ポンペイに対する僕のイメージは「時間が止った場所」だ。ある時点から全てが止ったまま、という。僕のとってこのアルバムは自分のスタジオあるいは生活がある時点で止った状態なんだ。つまり、自分の身の回りにあるものだけを使って音を作っている。
例えばゴミ箱や、子供の学校鞄。2014年夏のある一瞬を切り取ったものにしたかった。他のサウンドももちろん取り入れている。“Safty”では、イラクやイスラエルで実際に録られた銃弾や爆弾の音をebayで手に入れて使っている。あの曲は非常に具体的な物語を伝えている。でも他の曲は、身の回りにある無駄なものや消耗品を使っている。例えば食べ物の包装や洋服や家具とか。昨年僕のスタジオと家にあったもののカタログみたいさ。
僕が解せないのは、経済危機はリスクをいとわない経済界の行き過ぎた行為によって巻き起こされたにも関わらず、その尻拭いを庶民がしていること。貧しい人たち、社会の弱者である障害者や老人、失業者がその代償を払っている。まるで手品だ。最悪のね。
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■今回はヴォーカリストを起用して、細部において実験的ではありますが、いろんなタイプのポップ・ソングをやっていると言えると思います。たとえば、“stop”で歌われている主語の「僕」は資本主義の奴隷となった「僕」だと思うのですが、これをディスコ調の曲の「ドント・ストップ」というクリシェに結びつけたり、曲調と言葉がコンセプチュアルに結びついていますよね。それは今回のアルバムのコンセプトとどのような関係にあるのでしょうか? それは、『Goodbye Swingtime』のように、政治的であることと同時に娯楽を意識したということとも違うアプローチですよね。より、メタフィジカルにアプローチしているように思いました。
ハーバート:このアルバムはよりエモーショナルな作品だから、例えば“stop”といった曲なんかは、よりパーソナルな視点から見た「誘惑」が枠組みとしてある。我々は常に誘惑に囲まれて生活している。店に入っても、そう。日本ではどうかわからないけど、こっちではちょっとした店に入るとまず目につくところに山のようにチョコレートが並べてある。身体に悪いものを買わせようといちばん目の着くところに置いてある。
広告も至るところにある。最新型の車や魅力的な旅行先といった広告がね。こういった資本主義的構造のなかで我々は常時誘惑に曝されている。ものを買うように、と。我々が消費しなければ経済は成長しないからって。現行の政治体制ではそれが唯一の経済対策だから。消費者に消費を促すだけ。
で、僕からすると、それに対する責任は僕たちの肩に乗っかってくる。チョコレートにしても車にしても「要らない」と言えばいいんだ。ドラッグに対しても、あと一杯のワインに対しても「要らない」と言えばんだ。この曲に限らず今作はそういう政治的な考え、政治的枠組みをより個人の立場で捉えている。
■アンビエント調のトラックの、古めかしいバラード、“bed”は不思議な曲ですよね。この曲で歌われているのは、それこそあなたの失意のようなものですよね? いままで以上に、あなたの感傷的な、エモーションが表現されているようにも思うのですが、いかがでしょう?
ハーバート:たしかに今回はすごエモーショナルな作品だと思う。この前の一連の作品はドキュメンタリーの要素が強かった。特定の状況だったり、事実を物語に構築して伝えようとしていた。でも今回は、同じようなテーマを、感情の面から伝えたかった。ある事象に対する感情的な反応を表現している。腐敗した政権がこの国を治めていることや、大企業が力を持ち過ぎていることやこの国で税金を免除されていることだったり、いまの社会の仕組みを変えない限り地球の破滅に繫がることだったり。扱っているテーマやインスピレーションはこれまでと変わらない。ただ、ただより感情的な表現をしている、という。
■日本では左翼的なものは弱体化していると言われているのですが、UKはいかがでしょう? あなたから見てUKの左翼的な動きは、この時代において、どのような状態にあるとと思われますか?
ハーバート:可能性としては良くなる見通しだ。明後日に選挙が行われるんだけど、政党を跨がって左翼政治家達が新たに連立を組む可能性がある。それはいいことだと思う(※取材は選挙前にやった、実際の選挙ではご存じのように保守党が勝利)。
ただ問題は、この国に住んでいない億万長者がメディアを支配していることで、彼らは商売に有利なように政治を影で動かしている。情報操作が蔓延っている。非常に憂鬱な状況だ。他にも問題はあって、それは「究極の中道主義」と呼べる考えだ。つまり緊縮財政を受け入れ、進歩的な政策を受け入れ、成長は必要だ言い、合理的に考えるべきだと言う。でもそうではない。我々にいま必要なのはまったく新しい社会構造であり、現状からの打破であり、革命が必要なんだ。遠慮がちで柔な代替案ではなく、変化を本当に生む為には強く自信に満ちた代替案が必要なんだ。
■総選挙を前に、スコットランドのSNPが大躍進をしているそうですね。この事態をあなたはどう見ていますか?
ハーバート:非常に難しい問題で、スコットランドにとってはイギリスから独立することが正解だと思うんだけど、イギリス人としてはスコットランドが脱けてしまったら大惨事だ。イギリス人であることを放棄したいくらいだ。僕は隣人よりもイラクにいる人のほうがよほど共感できる。いまの隣人は右翼政党の議員なんだ。そんな隣人よりもブラジルの工場で働いている労働者のほうがよほど気が合うと思っている。国を細かく区切っていくという発想は理解できない。人びとがもっと混ざり合ってしかるべきだと思う。国境なんてそもそも後でとってつけたようなものなんだから。
■“safety”は、あなたのダンス・カルチャーへの期待が感じられる曲だと思いました。階級のないナイトクラブ文化、ハウス・ミュージック、暗に公共圏を主張するレイヴ・カルチャーを政治的抗議運動へと発展させるためには、これまで何が足りていないのでしょうか?
ハーバート:新しいヴィジョンを明確に述べる牽引者がいないんだと思う。例えばクラブに行っても音楽を止めて演説をする人を見たことがないようね。それに「木曜日に選挙があるから絶対に投票に行くように」と促す人もいない。「同性愛者だろうと、白人だろうと黒人だろうと関係ない、それよりも重要なことがある。だからこの人に投票べきだ」ということを語る人がクラブに行ってもいない。ダンス・ミュージックとクラブ・カルチャーの問題は絶え間なく続くことで、音楽が止むことがほとんどない。
僕たちがやらなければいけないことは、行間を読むことなんだ。政治というのはまさに行間で何が行われるかが鍵なんだ。政治家が語る言葉ではなく、その言葉と言葉の行間に本質が隠されている。僕からするとダンス・ミュージックはそういう行間を読むのがあまり得意ではないと感じる。
■“silence”は、いま失われているものとして描かれています。敢えてそれを“silence”はという言葉にしているのは、リスナーに考えて欲しいからですよね?
ハーバート:リスナーは言われなくても考えていると思うし、自分のリスナーの実体も僕にはわからない。誰に向かって音楽を作っているのかって考えはじめたらきりがない。リスナーというひとつの塊があるわけじゃない。なかには取材をしたジャーナリストがいるかもしれないし、自分の祖父かもしれないし、音楽アカデミーの学識者かもしれないし、政治記者かもしれない。その中の誰に向けて音楽を作っているのか、正解なんてないんだ。だからリスナーに何かを求めることは敢えてしたくないんだ。
■これだけ政治的なあなたが、しかし単純なプロテストを好まないのは、なぜでしょうか?
ハーバート:ハハハハ。好まないわけじゃないよ。ただ、同じ問題でも解決策はいくつもなきゃいけないと思っている。問題があまりにも大きい分、解決法もたくさんなければいけない。
■ちなみに、AnonymousとSleaford Modsとでは、あなたはAnonymousのほうに共感するのでしょうか?
ハーバート:はははは。なるほど(笑)。Sleaford Modsついてそこまで知識があるわけじゃないから、これには答えるのが難しい。
■今作においても、曲順は重要ですが、“warm”〜“peak”という流れは、あなたなりに楽天的なエンディングなのでしょうか?
ハーバート:“warm”はすごく切羽詰まっていると思う。「世界が変わり果ててしまったため、君を守りたいんだけど、その術がない」と訴えている。すごく悲しいよね。“Peak”のほうは楽天的かもしれない。いまはSNSがあって、大企業に依存することなく、自分たちなりの生き方ができる。自分たちの想像力を使っていまある問題を解決するのも自分たち次第だ。
僕も根は楽天的な人間だ。世界がどうしようもない状況だっていうのはわかっている。そんななかで、さっきも言ったように音楽を作るという行為は楽天的な思いから来ている。だから楽天的なエンディングにするのは大事だった。とくにこれまでの2作はすごくダークな内容だったから。良い方向に物事を変えていけるだろうという確信を今回最後に持ってくることが大事だった。
■4年前にUKで起きた暴動に関してはいろいろな意見がありますが、あなたはあの暴動をどのように解釈しているのでしょうか?
ハーバート:あの暴動がUK全体に与えた影響はさほど大きいものではなかったものの、暴動に参加した人たちやそのコミュニティーにとっては大きな出来事だった。彼らは経済的に貧しく、社会のなかで蔑ろにされてきた人たちだ。コミュニティーは昔からドラッグで溢れ、選挙法の制約で選挙権も剥奪されている。家賃の高騰で家を追い出されたり、酷い労働条件の仕事を課せられている。政府の対応は酷いものだった。ペットボトルの水を盗んだだけで投獄される人もいた。
その一方で、経済を破綻させた張本人は銀行家たちは何のお咎めもなした。何百万ポンドも盗んでおいてだ。政府からも、年金生活者からも、庶民からも。社会の底辺にいる人たちが立ち上がったときの政府の対応を見ると、そういう社会の仕組みに蔓延る偽善が浮き彫りにされる。暴動に参加した全員が善人だとは言わない。けれども、根深いフラストレーションから起きたことはたしかで、彼らが抱える問題への軽視が生んだものだと思う。
■最後に、あなたがいま読むべきだと思う本は?
ハーバート:ナオミ・クラインの『This Changes Everything(これは全てを変える:資本主義Vs気候)』という本があって、これはいま非常に重要な本だと思う。資本主義と環境問題をひとつの大きな問題として捉えていて、資本主義こそが環境破壊の根本的原因だと指摘している。どちらかの問題を解決することは、もう片方の問題の解決にも繫がると。これは非常に重要な本だ。
もう一冊は音楽本で、『In Search of a Concrete Music(具体音楽の探求について)』というピエール・シェフェールの本で、最近また再版された。サウンドと音楽に関する非常に面白い本だよ。