「K A R Y Y N」と一致するもの

interview with Herbert - ele-king


Herbert
The Shakes

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 音楽で世界は変えられないがひとりひとりの意識は変えられるというのは、いわゆる紋切り型の、いろんな場面で使われる一般論となっている。言葉としては面白くないが、まあ、そんなもんかーと思ったりする。はい、その通り、と言うしかない。
 言葉として面白くないのは、シニカルなのか、あるいは未来への期待、音楽への夢を込めたものなのかどうなのか、本気で世界を変えたいと思っているのかどうかが実にアブストラクトな点にあるからだろう(まあ、そのすべてを包含しているのだろうけれど)。ひとつ言えるのは、そして誰も音楽は世界を変えるとは言わなくなったことだ。マシュー・ハーバートを除いては。
 
 ハーバートはUKのハウス/テクノのプロデューサーで、90年代半ばにデビューしている。彼のミニマルで軽快なテック・ハウスは、まだ彼が何者かよくわかっていない最初から人気だった。ポップで、実験的。DJもかけたし、家聴きの人にも誰からも愛されるダンス・トラックだった。
 早すぎた初来日時のライヴも楽しかった。鍋やらフライパンやら料理道具をその場で鳴らし、サンプリングし、そしてその場でループさせて曲を作ってくという無邪気なもので、まさかこの人がその数年後、鬼のような左翼ヴィジョンを展開することになるとは、当時はまったく思いも寄らなかった。ただの愉快な人だと思っていた。
 欧米のミュージシャンは、思い切り商業的なフォーマットに合わせてデビューして、作品数を重ねる毎に、より非商業的でより実験的な道に進みたがると言われるが(日本はその逆とも)、ハーバートはまさにその通りの歩みを見せているひとりである。
 2001年、ライヴ会場で無料配布されたレディオ・ボーイ名義の『The Mechanics Of Destruction』の曲名にはマクドナルドやGAPなどグローバル企業の名前、もしくは実業家、TVや石油など資本主義を象徴するものが付けられている。音はすべてそれら商品の音などから来ている。それがいったい何のためになるのかわからないが、彼はとにかくそれをやり、同じように2003年のビッグ・バンドによる『Goodbye Swingtime』でも、はっきりと彼の政治的な意見を挟み込んだ。(このビッグ・バンドによるライヴも最高に笑えるものだった。たとえば曲のブレイクで演奏者全員がポケットから新聞を出しては破り、そしてまた素知らぬ顔でジャズを演奏しはじめるなど、彼の批評精神は、ほとんどの場合、喜劇的に表出する)
 その後も食事文化の側から多国籍企業を批判した『プラット・ドゥ・ジュール』、豚の一生を描いた『ワン・ピッグ』などなど、執拗なまでにグローバリゼーション批判を続けている。たまたまこの1枚は政治的になったけれど、その次はいつものようにハッピーに……なんてことはこの男に限って言えばない。ただ、先述したように、彼の音楽にはコメディタッチがあるので、説教臭くなることはない。要するに、リスナーを硬直化させることがない。『ワン・ピッグ』のときのライヴも面白かったしね

 ハーバートの作曲の方法論として一貫してあるのは、ミュジーク・コンクレートだ。その手法を意識してハウス・ミュージックに活かしたのがまさにハーバートで、『アラウンド・ザ・ハウス』(1998年)と『ボディリー・ファンクションズ』(2001年)は彼のユニークな音作りがもっともポップに展開されたものとして記憶されている。前者はハウス、後者はジャズの響きを打ち出した、より振り幅の広いエレクトロニック・サウンド。どちらもいまだハーバートの代表作として聴かれ続けているが、新作の『ザ・シェイクス』は、洗練された『ボディリー・ファンクションズ』に近い。つまり、ハイブローとはいえ大衆音楽であり、入りやすいのだ。もちろん、そこには以下の取材で語られているような彼の考え方が、確固たる思いがある。そんなわけでぼくは彼の頑なさ,ブレのなさ、その理想に、あらためて触発されたのである。


それでも音楽に世のなかを変える力があるとまだ100%信じているからだよ。でなければ音楽をやめて政治家になっている。「どうして政治家にならないのか」と訊かれることも多い。なぜかというと、政治家は大勢いるけど、政治的なメッセージを訴えるミュージシャンはあまりいない。だから責任を感じるんだ。


最近の『ガーディアン』に掲載されたあなたの発言のなかの「music’s propensity to noodle inconclusively can seem unhelpful at best(不平等が前例のないほど極端になり、我々が作り出したシステムが育むのではなく破壊するためにあるとき、最善の状況でも音楽は最終的には助けにならないように思える)」という言葉が気になっています。ここにはある種の絶望が込められているのでしょうか?

ハーバート:おそらく絶望ではなく、世のなかを変えたいという欲求を音楽が失ったしまったことへの失望と、いまの多くの音楽、とりわけダンス・ミュージックが退屈に感じることのふたつが込められている。散々ダンス・ミュージックは聴いてきたから、どれも同じようにしか聴こえないんだよ。初めてダンス・ミュージックと出会った人にとっては退屈でないかもしれないけど、30年以上ハウスやテクノを聴いてきた身としては、新しいアイディアや驚きのなさを退屈に感じてしまう。だからあの発言の裏には失望と退屈のふたつが込められているんだと思うな。

あなたが言うように、現在の行きすぎた資本主義社会で、音楽が政治的な局面において「unhelpful(助けにならない)」であったとしても、あなたは音楽を続け、そこに政治的な主張、左翼的なヴィジョンを織り込み続けるわけですよね? 

ハーバート:ああ。

それはあなたにとってアンビヴァレンツな行為なのでしょうか?

ハーバート:それでも音楽に世のなかを変える力があるとまだ100%信じているからだよ。でなければ音楽をやめて政治家になっている。「どうして政治家にならないのか」と訊かれることも多い。なぜかというと、政治家は大勢いるけど、政治的なメッセージを訴えるミュージシャンはあまりいない。だから責任を感じるんだ。何か社会や政治的な問題について強く感じているものがあったら、それを音楽を通して表現する責任があると感じているんだよ。
 ぼくは音楽に物事を変える力があると確信している。実際それをこの目で見てきた。16歳のときにNWAの“Fuck The Police”を聴いたのをいまでも覚えている。「なんで警察をやっつけたいんだ?」って思ったんだ。当時僕は小さな村に住んでいて、その村の警察官が家の向かいに住んでいて、たまに彼が訪ねてきて、紅茶を一杯飲んでいくんだ。彼が友だちだったとは言わないけど、いわゆるご近所さんで、親しみやすい人で優しそうな人だった。だから「なんで彼をやっつけたいなんて思うんだ?」と僕は思った。でもあの曲を通して、アメリカに住む黒人の若者たちの現状がわかった。それまで全く縁のない世界だった。彼らのことをBBCや新聞がわざわざ取り上げるわけじゃない。彼らの声を聞かせるメディアがなかった。音楽を通して知ることができたんだ。そういう力が音楽にはまだあると思っている。

年々、状況は悪くなっているという感覚があるのですね? 

ハーバート:はははは。そうだね。世界の現状に強い失望、憤慨、不信感を抱いている。たとえば女性の権利が自国も含めて世界のいろいろな国で後退していると感じる。宗教と人種の隔たりがさらに広がっている地域もある。世界の多くの地域で状況は悪くなっていると感じる。
 もちろん良くなっている場所もあるけど、例えば二酸化炭素の排出量だけを見てみても、1990年に確か京都議定書が締結されたわけだけど、それ以降61%排出量が増えているんだ。我々は狂っているよ。減らすどころか、悪化の一途を辿っている。肉の消費量は増え、遠くへ移動する人も増え、消費も増え、世界は完全に間違った方向に進んでいる。状況は確実に悪くなっている。

たとえば、“strong”、“battle”とったシンプルで、暗喩的な言葉の曲名を用いて、資本主義の、とくにマッチョなところへの批評性を含んでいると受け止めてよろしいでしょうか?

ハーバート:僕がなぜ音楽を作るかというと……、そもそも自分が満たされて幸せだったら何か作る必要はないよね。僕にとって創造することはすなわち、世のなかで何かが間違っていると思うことだったり、何かを変えたい、解決したいという思いだったり、変化をもたらすきっかけになりたいという思いから生まれるんだ。僕にとって創造することはふたつのことを象徴している。この世のなかがきっと良くなると信じる楽観性と「こうあるべきだ」という世界に対する不満だ。その楽観と不満のふたつの組み合わせが僕を創造へと掻き立てるんだね。

あなたの音楽では、資本主義への批判は一貫しています。『The Mechanics Of Destruction 』や『Goodbye Swingtime』以降、ずっとあるものです。『The Shakes』は、政治的批評性という観点において、これまでの作品とどこが違うのでしょうか? あるいは同じようなことを、あなたは意識して言い続けているのでしょうか?

ハーバート:僕が伝えようとしていることは一貫していて、それは根本的不公正だ。僕が解せないのは、経済危機はリスクをいとわない経済界の行き過ぎた行為によって巻き起こされたにも関わらず、その尻拭いを庶民がしている。貧しい人たち、社会の弱者である障害者や老人、失業者がその代償を払っている。まるで手品だ。最悪の手品だ。僕はそういう不公正が一貫したテーマになっている。
 僕は恵まれた生活ができている。その恩恵には責任がついてくると思っている。その責任のひとつが、その恩恵を疑問視し、それが何によってもたらされているのか理解することだ。例えば自分が日常使っているものを中国の工場で製造してくれている労働者に感謝をしなければいけない。あるいは僕の携帯の部品のためにアフリカで採掘作業を行っている人たちかもしれない。そういう人たちの存在をきちんと把握し、自分の生活が当たり前のものだと思わない責任があると思っている。

サンプリング・ソースについて、あなたはつねにこだわりを持っていますが、今作の「音」も、それぞれに意味があるんだと思います。しかし、それはあなたの説明を得るまでは、リスナーにはわかりえないことだと思います。それでもあなたは音のソースにこだわるのは、音を資本主義から遠ざけることがいかに重要なのかという話だと思いますが、今作における音のソースについて説明お願いします。

ハーバート:僕としては、なんとなくポンペイをイメージしたんだ。ポンペイには実際行ったことがないんだけど、ポンペイに対する僕のイメージは「時間が止った場所」だ。ある時点から全てが止ったまま、という。僕のとってこのアルバムは自分のスタジオあるいは生活がある時点で止った状態なんだ。つまり、自分の身の回りにあるものだけを使って音を作っている。
 例えばゴミ箱や、子供の学校鞄。2014年夏のある一瞬を切り取ったものにしたかった。他のサウンドももちろん取り入れている。“Safty”では、イラクやイスラエルで実際に録られた銃弾や爆弾の音をebayで手に入れて使っている。あの曲は非常に具体的な物語を伝えている。でも他の曲は、身の回りにある無駄なものや消耗品を使っている。例えば食べ物の包装や洋服や家具とか。昨年僕のスタジオと家にあったもののカタログみたいさ。

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僕が解せないのは、経済危機はリスクをいとわない経済界の行き過ぎた行為によって巻き起こされたにも関わらず、その尻拭いを庶民がしていること。貧しい人たち、社会の弱者である障害者や老人、失業者がその代償を払っている。まるで手品だ。最悪のね。



Herbert
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今回はヴォーカリストを起用して、細部において実験的ではありますが、いろんなタイプのポップ・ソングをやっていると言えると思います。たとえば、“stop”で歌われている主語の「僕」は資本主義の奴隷となった「僕」だと思うのですが、これをディスコ調の曲の「ドント・ストップ」というクリシェに結びつけたり、曲調と言葉がコンセプチュアルに結びついていますよね。それは今回のアルバムのコンセプトとどのような関係にあるのでしょうか? それは、『Goodbye Swingtime』のように、政治的であることと同時に娯楽を意識したということとも違うアプローチですよね。より、メタフィジカルにアプローチしているように思いました。

ハーバート:このアルバムはよりエモーショナルな作品だから、例えば“stop”といった曲なんかは、よりパーソナルな視点から見た「誘惑」が枠組みとしてある。我々は常に誘惑に囲まれて生活している。店に入っても、そう。日本ではどうかわからないけど、こっちではちょっとした店に入るとまず目につくところに山のようにチョコレートが並べてある。身体に悪いものを買わせようといちばん目の着くところに置いてある。
 広告も至るところにある。最新型の車や魅力的な旅行先といった広告がね。こういった資本主義的構造のなかで我々は常時誘惑に曝されている。ものを買うように、と。我々が消費しなければ経済は成長しないからって。現行の政治体制ではそれが唯一の経済対策だから。消費者に消費を促すだけ。
 で、僕からすると、それに対する責任は僕たちの肩に乗っかってくる。チョコレートにしても車にしても「要らない」と言えばいいんだ。ドラッグに対しても、あと一杯のワインに対しても「要らない」と言えばんだ。この曲に限らず今作はそういう政治的な考え、政治的枠組みをより個人の立場で捉えている。

アンビエント調のトラックの、古めかしいバラード、“bed”は不思議な曲ですよね。この曲で歌われているのは、それこそあなたの失意のようなものですよね? いままで以上に、あなたの感傷的な、エモーションが表現されているようにも思うのですが、いかがでしょう?

ハーバート:たしかに今回はすごエモーショナルな作品だと思う。この前の一連の作品はドキュメンタリーの要素が強かった。特定の状況だったり、事実を物語に構築して伝えようとしていた。でも今回は、同じようなテーマを、感情の面から伝えたかった。ある事象に対する感情的な反応を表現している。腐敗した政権がこの国を治めていることや、大企業が力を持ち過ぎていることやこの国で税金を免除されていることだったり、いまの社会の仕組みを変えない限り地球の破滅に繫がることだったり。扱っているテーマやインスピレーションはこれまでと変わらない。ただ、ただより感情的な表現をしている、という。

日本では左翼的なものは弱体化していると言われているのですが、UKはいかがでしょう? あなたから見てUKの左翼的な動きは、この時代において、どのような状態にあるとと思われますか? 

ハーバート:可能性としては良くなる見通しだ。明後日に選挙が行われるんだけど、政党を跨がって左翼政治家達が新たに連立を組む可能性がある。それはいいことだと思う(※取材は選挙前にやった、実際の選挙ではご存じのように保守党が勝利)。
 ただ問題は、この国に住んでいない億万長者がメディアを支配していることで、彼らは商売に有利なように政治を影で動かしている。情報操作が蔓延っている。非常に憂鬱な状況だ。他にも問題はあって、それは「究極の中道主義」と呼べる考えだ。つまり緊縮財政を受け入れ、進歩的な政策を受け入れ、成長は必要だ言い、合理的に考えるべきだと言う。でもそうではない。我々にいま必要なのはまったく新しい社会構造であり、現状からの打破であり、革命が必要なんだ。遠慮がちで柔な代替案ではなく、変化を本当に生む為には強く自信に満ちた代替案が必要なんだ。

総選挙を前に、スコットランドのSNPが大躍進をしているそうですね。この事態をあなたはどう見ていますか?

ハーバート:非常に難しい問題で、スコットランドにとってはイギリスから独立することが正解だと思うんだけど、イギリス人としてはスコットランドが脱けてしまったら大惨事だ。イギリス人であることを放棄したいくらいだ。僕は隣人よりもイラクにいる人のほうがよほど共感できる。いまの隣人は右翼政党の議員なんだ。そんな隣人よりもブラジルの工場で働いている労働者のほうがよほど気が合うと思っている。国を細かく区切っていくという発想は理解できない。人びとがもっと混ざり合ってしかるべきだと思う。国境なんてそもそも後でとってつけたようなものなんだから。

“safety”は、あなたのダンス・カルチャーへの期待が感じられる曲だと思いました。階級のないナイトクラブ文化、ハウス・ミュージック、暗に公共圏を主張するレイヴ・カルチャーを政治的抗議運動へと発展させるためには、これまで何が足りていないのでしょうか?

ハーバート:新しいヴィジョンを明確に述べる牽引者がいないんだと思う。例えばクラブに行っても音楽を止めて演説をする人を見たことがないようね。それに「木曜日に選挙があるから絶対に投票に行くように」と促す人もいない。「同性愛者だろうと、白人だろうと黒人だろうと関係ない、それよりも重要なことがある。だからこの人に投票べきだ」ということを語る人がクラブに行ってもいない。ダンス・ミュージックとクラブ・カルチャーの問題は絶え間なく続くことで、音楽が止むことがほとんどない。
 僕たちがやらなければいけないことは、行間を読むことなんだ。政治というのはまさに行間で何が行われるかが鍵なんだ。政治家が語る言葉ではなく、その言葉と言葉の行間に本質が隠されている。僕からするとダンス・ミュージックはそういう行間を読むのがあまり得意ではないと感じる。

“silence”は、いま失われているものとして描かれています。敢えてそれを“silence”はという言葉にしているのは、リスナーに考えて欲しいからですよね?

ハーバート:リスナーは言われなくても考えていると思うし、自分のリスナーの実体も僕にはわからない。誰に向かって音楽を作っているのかって考えはじめたらきりがない。リスナーというひとつの塊があるわけじゃない。なかには取材をしたジャーナリストがいるかもしれないし、自分の祖父かもしれないし、音楽アカデミーの学識者かもしれないし、政治記者かもしれない。その中の誰に向けて音楽を作っているのか、正解なんてないんだ。だからリスナーに何かを求めることは敢えてしたくないんだ。

これだけ政治的なあなたが、しかし単純なプロテストを好まないのは、なぜでしょうか? 

ハーバート:ハハハハ。好まないわけじゃないよ。ただ、同じ問題でも解決策はいくつもなきゃいけないと思っている。問題があまりにも大きい分、解決法もたくさんなければいけない。

ちなみに、AnonymousとSleaford Modsとでは、あなたはAnonymousのほうに共感するのでしょうか?

ハーバート:はははは。なるほど(笑)。Sleaford Modsついてそこまで知識があるわけじゃないから、これには答えるのが難しい。

今作においても、曲順は重要ですが、“warm”〜“peak”という流れは、あなたなりに楽天的なエンディングなのでしょうか?

ハーバート:“warm”はすごく切羽詰まっていると思う。「世界が変わり果ててしまったため、君を守りたいんだけど、その術がない」と訴えている。すごく悲しいよね。“Peak”のほうは楽天的かもしれない。いまはSNSがあって、大企業に依存することなく、自分たちなりの生き方ができる。自分たちの想像力を使っていまある問題を解決するのも自分たち次第だ。
 僕も根は楽天的な人間だ。世界がどうしようもない状況だっていうのはわかっている。そんななかで、さっきも言ったように音楽を作るという行為は楽天的な思いから来ている。だから楽天的なエンディングにするのは大事だった。とくにこれまでの2作はすごくダークな内容だったから。良い方向に物事を変えていけるだろうという確信を今回最後に持ってくることが大事だった。

4年前にUKで起きた暴動に関してはいろいろな意見がありますが、あなたはあの暴動をどのように解釈しているのでしょうか? 

ハーバート:あの暴動がUK全体に与えた影響はさほど大きいものではなかったものの、暴動に参加した人たちやそのコミュニティーにとっては大きな出来事だった。彼らは経済的に貧しく、社会のなかで蔑ろにされてきた人たちだ。コミュニティーは昔からドラッグで溢れ、選挙法の制約で選挙権も剥奪されている。家賃の高騰で家を追い出されたり、酷い労働条件の仕事を課せられている。政府の対応は酷いものだった。ペットボトルの水を盗んだだけで投獄される人もいた。
 その一方で、経済を破綻させた張本人は銀行家たちは何のお咎めもなした。何百万ポンドも盗んでおいてだ。政府からも、年金生活者からも、庶民からも。社会の底辺にいる人たちが立ち上がったときの政府の対応を見ると、そういう社会の仕組みに蔓延る偽善が浮き彫りにされる。暴動に参加した全員が善人だとは言わない。けれども、根深いフラストレーションから起きたことはたしかで、彼らが抱える問題への軽視が生んだものだと思う。

最後に、あなたがいま読むべきだと思う本は?

ハーバート:ナオミ・クラインの『This Changes Everything(これは全てを変える:資本主義Vs気候)』という本があって、これはいま非常に重要な本だと思う。資本主義と環境問題をひとつの大きな問題として捉えていて、資本主義こそが環境破壊の根本的原因だと指摘している。どちらかの問題を解決することは、もう片方の問題の解決にも繫がると。これは非常に重要な本だ。
 もう一冊は音楽本で、『In Search of a Concrete Music(具体音楽の探求について)』というピエール・シェフェールの本で、最近また再版された。サウンドと音楽に関する非常に面白い本だよ。

Akitsa - ele-king

 カナディアン・ブラックメタル・バンド、アキッツァ(Akitsa:正しい発音をご存知の方はご一報ください)による5枚めのアルバム。プリュリエントのドミニク・フェルノウによるブラックメタル・プロジェクト、アシュ・プール(Ash Pool)とのスプリット以来約2年ぶりの音源は、もちろんドミニクの〈ホスピタル・プロダクション(Hospital Productions)〉から。超パンキッシュなヴォーカルがフランス語なので当初はフランスのバンドかと思っていましたが、ケベックです。

 アキッツァは、ドミニクによるアシュ・プールのサウンドからうかがえる彼のブラックメタルへの嗜好、クッソ劣化音質、D-Beat、クラストパンク的ブラックメタルを見事に具現化するバンドであり、ゼロ年代以降USアンダーグランドを中心に再燃した第二波ブラックメタル・ブームを代表するバンドとも言える。
それはたとえばこんな超アンダーグラウンドな文化をスタイリッシュに見せることに成功したサン(SUNN O))))のスティーブン・オマリーや写真家のピーター・ベステ(Peter Beste)、現代美術家/彫刻家のバンクス・ヴァイオレット(Banks Violette)といったマルチ・タレントなアーティストらによりヒップなサブ・カルチャーとして認知され、アイコン化された。そしてそれは、先日H&Mから架空のメタル・バンドのパッチが施されたクソダサいコレクションが発表されたことで完全に終わったのかもしれない。

 相変わらずのアキッツァの『グランズ・ティランス(Grands Tyrans)』を聴きながらそんなことを考えていた。変わらないは言い過ぎか。クラストパンク色はより色濃くなり、USブラックメタル界のアイドルとなったボーン・アウル(Bone Awl)のマルコ・デル・リオが現在活動するラズベリー・バルブス(Rasberry Bulbs)の世界観と重複する。ローファイ・シンセ・ウェイヴのようなトラックも収録され、〈Not Not Fun〉以降のローファイ・インディ・ファンや、エッセティック・ハウス(Ascetic House)周辺をチェックするオシャレ・ゴス・キッズの耳にも届くかもしれん。ヒネくれて聞こえるかもしれんが、こりゃカッチョイイですよ。


 そういえば、先日、いつだったかココに書いたバーザムTシャツを着るのがテクノDJの間でヒップなんてのはファック、という一文を往年のサージョン・ファンから指摘されたのだが、そのとき僕がイメージしていたのはサージョンではなく、スウェーデンはストックホルムのジョナス・ローンバーグことヴァーグ(Varg)である。ノルウェジャン・ブラックメタルからの影響を声高にアピールする彼の最新作『URSVIKEN』が先日発売された。寒々しい光景が広がるエクスペリメンタル・アンビエント・テクノにそのプロジェクト名、本人のノリからわかりやすすぎるほど直球に想起されるバーザムの獄中アルバム・ミーツ・テクノ。ディープ・ミニマルな心地よいビートを洗練された手つきで紡ぎながらも、グルーヴよりもサウンドスケープが際立つ雪山遭難テクノ。いや、わかります。僕もバーザム好きですし。だけどもヴァーグ・ヴァイカーネス本人はマジでいわゆるネトウヨかつ問題の多い人間だと思うから信仰するのはどうかと思うよ。


CMT - ele-king

20150606

interview with Bill Kouligas - ele-king


Lee Gamble
Koch

PAN / melting bot

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M.E.S.H.
Scythians

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Object
Flatland

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 〈PAN〉がこの先〈WARP〉や〈MEGO〉のような、なかばカリスマ的な、エポックメイキングなレーベルになるのかどうはわからないが、そのもっとも近い場所にいることは間違いない。妥協を許さない冒険的な電子音楽、アートワークへのこだわり、そしてうるさ型リスナーへの信頼度もすでにある。うちで言えば、倉本諒、高橋勇人、三田格、デンシノオト、そしてワタクシ野田がレヴューを書いていることからも(この5人は、それぞれ趣味が違っている)、〈PAN〉がいかにポテンシャルを秘めたレーベルなのか察していただけるだろう。
 さて、6月13日の初来日を控えた、レーベルの主宰者ビル・コーリガスを話をお届けしよう。こういうのもアレだが、ハウスの次には必ずテクノが来る。ホリー・ハードン(Holly Herndon)は4ADに、パウウェルは〈XL〉に引っこ抜かれた。数ヶ月前までテクノを小馬鹿にしていた倉本も(本人に自覚があるかどうかはわからないけれど、ま、ライヴがんばれよー)いまではテクノである。ことさら煽るつもりはないのだけれど、時代は動いているってことです。

〈PAN〉にとってロンドンの滞在記はいちばん重要かもしれない。音楽とアートがとても強くて、その背景には何10年もの歴史がある。アンダーグランドはそのシーンに大きな役割を果たしていたし、そこから影響もどんどん受けて、素晴らしい人びとや音楽に出会えた。

ギリシアで生まれたあなたは、最初はデザインを学び、ヴィジュアル・アートの方面に進んだと聞きます。どのように実験音楽、アヴァンギャルド、エレクトロニック・ミュージックと出会ったのでしょうか?

ビル:はじめはバンドでドラムをやっていて、リスナーでもありプレイヤーでもあったね。その後電子楽器に切り替えて、実験音楽や電子音楽と呼ばれるようなタイプの音楽にハマっていった。キャバレ・ヴォルテール、23 スキドゥー、クローム、その他のパンク〜ニューウェイヴ /ポストパンク期に出て来た80年代の有名なバンドが好きになって、それが電子音楽、アヴァンギャルドやインプロヴィゼーションといった実験音楽の入り口になった。

ギリシャには何歳まで住んでいたのですか?

ビル:アテネに20歳まで住んでいてそれからロンドンに引っ越した。もう12年前の話になるね。

財政危機の緊張感は、あなたがギリシアに住んでいた頃からあったものだと思いますが、アテネにはどのようなカタチでアンダーグラウンド・シーンは存在しているのですか?

ビル:財政問題はずっとギリシャの中心にあって、この状況は何10年も前からある。いまとなってそのシステムが完全に崩れて、メディアが全面的に取り上げるようになった。その影響で不安、緊張、自暴自棄な雰囲気が人びとのあいだに充満していて、波紋のように広がり、文化や創造性の全てに反映している。多くの若者はそこから逃げ出そうとしているけどその問題と戦っている人もいる。たくさんのアートを生み出されているし、ユニークで結束力の強いアンダーグランドなシーンが形成されているけど、そういった活動やアーティストはギリシャ以外では全く知られていなくて、単純にシーンをサポートやプロモーションをしてくれるインフラが全くないんだよ。

あなたにとって、最初のもっとも大きな影響は何でしたか?

ビル:何がっていうのをひとつに絞るのは難しいけど、若い頃からバンドで演奏したり、友だちとアイデアや好きなものを交換していって、結果いま自分が信じてやっていることに影響を与えてきたと思う。

あなたが15歳ぐらいの頃からの付き合いだというジャー・モフ(Jar Moff)やムハンマド(Mohammad)のメンバーとは、どのように知り合ったのですか? アテネでは、アヴァンギャルドなシーンは活発だったのですか? 

ビル:そうだね。ジャー・モスとの付き合いはかなり長い。僕らは90年代の10代の頃にパンク・バンドをやっていて、ずっと友だちでもある。15年経ってまた音楽を一緒にやることになったわけだから、とても特別な関係だよね。
 ムハンマドはもうちょっと後で、彼らは10年くらい前から知っている。僕は彼らとライヴをいっぱいやってきたんだけど、ムハンマドのメンバーであるイオリス(ILIOS)のアルバムをレーベルの初期に出した。ギリシャのアヴァンギャルド・ミュージックはとても活気的だけど、小さなコミュニティで、けど大きさに関わらずその背景にある歴史はとても深くて、作曲家で名前をあげるならクリストウ(Christou)、ヤニス・クセナキス、 アネスティス・ロゴセティス(Anestis Logothetis)、ミカエル・アダミス,(Michael Adamis)とか、たくさんいる。

2000年代初頭、あなたはアートを学ぶためにロンドンに移住しましたよね。その頃、あなたが経験したロンドンのアンダーグラウンドなシーンについて話してもらえますか? 

ビル:〈PAN〉にとってロンドンの滞在記はいちばん重要かもしれない。音楽とアートがとても強くて、その背景には何10年もの歴史がある。アンダーグランドはそのシーンに大きな役割を果たしていたし、そこから影響もどんどん受けて、素晴らしい人びとや音楽に出会えた。電子音楽、ダンス・ミュージックはもちろんノイズ・シーンも当時は人気があったから、かなり初期の段階で深くシーンと関わっていたんだ。イヴェントをたくさん企画して、海外のアーティストのツアーを組んだり、ヨーロッパでは自分も一緒になってツアーをしたり、エキシビジョンのキュレーションもやっていたから、上昇していくシーンの一員となってアクティヴに活動していた。ヘルム(Helm)リー・ギャンブル(Lee Gamble)、ヒートシック(Heatsick)もそのシーンを通してロンドンで出会った最初のアーティストなんだ。それから一緒になって活動を続けている。

あなたがロンドンに住んでいた頃は、ダブステップやベース・ミュージックの人気がすごかったと思うのですが、当時あなたはロンドンのクラブ・カルチャーには関心がなかったんじゃないですか? あなたから見て、それは商業的に見えたからですか?

ビル:ダブステップ全体はとても面白かったし、活気に満ちていた。とくに初期はね。それから業界がコマーシャルなものにして、シーンをメインストリームにさせていったわけだど、僕がそこに参加することも夢中になることも難しかったね。本当に良いダブステップを完全に理解するにはすごく時間がかかった。最近だと初期のUKベース期からすごく良いものをどんどん発見してるよ。

日本でも決して有名とは言えないマージナル・コンソート(Marginal Consort)のような前衛的なコレクティヴと、あなたはどうして知り合ったのでしょう?

ビル:僕は日本のインプロや実験音楽の大ファンだからね。彼らは知っていた。小杉武久さんの作品はしっかりフォローしていたし、イースト・バイオニック・シンフォニア(East Bionic Symhonia/※70年代に小杉武久が主宰したグループ)というマージナル・コンソートの前身となったグループもよく聞いていた。2008年にグラスゴーのインスタル・フェスティバルに行ったとき、マージナル・コンソートが初めてヨーロッパで演奏した。自分が見て来たライヴのなかでも格段に印象的で頭に残るユニークな体験だったね。
 その後オーガナイザーのBarry Essonとコンタクトを取って、ゆっくりと時間をかけて最後にはリリースすることができたし、その2年後に彼らをまたヨーロッパに連れて来れる機会が出来て、南ロンドンのギャラリーでライヴをやって貰った。あのリリースは自分にとってたくさんの意味があって、形にするのに時間がかかったから尚更だね。

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とくにノイズやテクノをリリースするためにレーベルをはじめたわけでなく、新しく出て来る“重要”なシーンをドキュメントにするためにレーベルをはじめたんだ。

2009年にベルリンに住む決意をした理由を教えて下さい。

ビル:ベルリンに移ったのは単純に生活しやすいからね。よりクリエイティヴなプロジェクトに集中できるし、家賃も生活のコストもかからないからベルリンは楽だよ。大きな部屋でも借りれるし、そこにスタジオを作れる、そういった環境が揃っているから多くのアーティストが引っ越すんじゃないかな。余裕ができたおかげで個人的にも自分のペースやちゃんとした生活をここで見つけられたし、とにかくベルリンは住みやすいということに限るね。
 あとベルリンを拠点にしたということで、〈PAN〉はその音楽シーンにある多国籍で実験的な部分を反映し、上手く入り込めたと思う。このユニークな環境はよく知られているけれど、この都市はクリエイティヴなリスクを取れるし、実験したいことを育てることができるんだ。〈PAN〉の役割はその育んできた実験を幅広いインターナショナルなシーンに繋げることでもある。

レーベルの拠点をロンドンやアテネやニューヨークにしなかったのは何故ですか?

ビル:レーベルは、実際は2008年にロンドンでスタートして、自分が引っ越したからいまのベルリンになった。

〈PAN〉に関してですが、最初は、ファミリー・バトル・スネーク(Family Battle Snake)の作品を出すためにレーベルをはじめたのでしょうか? それともレーベルとしてのヴィジョンが最初からあったのですか?

ビル:レーベルはファミリー・バトル・スネーク(Family Battle Snake)とAstro (Hiroshi Hasewaga)のスプリットLPを出すところから元々ははじまっていて、とくに何かそれ以上のヴィジョンや大きなアイデアがあったわけじゃない。はじめてみたらとても面白くて、他のアーティストと一緒に作るのが好きだったから、自然にレーベルが軌道に乗って、いまのようにどんどんリリースできるようになっていった。

CDではなくヴァイナルでリリースするというレーベルのポリシーはどうして生まれたのですか?

ビル:全くポリシーはない。はじめた当時はCDが全く売れなくなってアナログが戻って来た時期だったから。去年からヴァイナルとCD、デジタルも出してるよ。

ラシャド・ベッカー(Rashad Becker)やNHK'Koyxeиらとはベルリンで出会ったと思います。ラシャド・ベッカーはハードワックス(※ベルリンの有名なレコ屋)を通じてなんでしょうが、NHKコーヘイとはどんな風に知り合ったのでしょう?

ビル:ラシャドはベルリンで10年前に会った。僕が演奏しているアルバムをプロデュースしているときときだね。そのときはまだロンドンに住んでいたんだけど、2週間くらいラシャドのスタジオでレコーディングのためにベルリンに滞在していた。それから近い友だちになってレーベルの立ち上げ時からアドヴァイスを貰ったり、いろいろ助けて貰った。コーヘイはラシャドの友だちで、自分のベルリンにいる友だちの友だちでもあったんだ。同じグループにみんないたから、近しい関係になってアルバムを出すことになった。

NHKコーヘイがそうですが、最初、彼はより実験的な音響を持っていましたが、2012年の「Dance Classics Vol.I」を契機にダンス・ミュージックへとシフトしていきました。何故彼に「ダンス」というコンセプトを与えたのでしょう?

ビル:それはちょっと事情が違っている。彼はすでにその作品にとりかかっていて、僕はそれがすごく気に入った。そのとき彼はベルリンにいたからよく会っていたし、新しい作品も全てチェックしていた。彼は僕の知っているアーティストのなかでも抜群に才能のある多作家だね。

〈PAN〉は2012年以降、リー・ギャンブル(Lee Gamble)やメッシュ(M.E.S.H.)のように、実験的ではあるもののダンス・サウンドを持っている作品を出すようになります。あなたのなかにどんな変化があったのでしょうか?

ビル:僕はカルチャーが生み出す独自の空間に影響受けることに興味がある。どういったことが自分のまわりで起きていて、それがどう自分に作用するのか。ベルリンではそれがすべてエレクトロニック・ダンス・ミュージックなんだ。とてもシーンが大きい。ロンドンはロンドンで独自のシーンがあって、ニューヨークもまた別のシーンがある。自分が惹かれているものを探し出して、それを混ぜ合わせることが重要だと思っている。

ちなみにレーベルで最初にヒットしたのは、リー・ギャンブルの「Dutch Tvashar Plumes」ですか? 

ビル:リー・ギャンブルの『Diversions 1994-1996』とキース・フラートン(Keith Fullerton)の『Whitman's Disingenuity』は初期のリリースで、シーンをクロスして評価された作品だね。オーディエンスやプレスからそういった反応があったことはありがたい。けどそれはそれで、僕は自分がリリースしてきたものすべてが公平に大好きだよ。

あなたは、ジェフ・ミルズやサージョンは好きですか? もしそうなら、彼らのどんなところに惹かれるのですか?

ビル:もちろんふたりとも尊敬している。ジェフ・ミルズはどの時代であっても大きな影響を受けていて、一番最近だと彼の「Sleeper Wakes」シリーズは相当ハマったね。

デトロイト・テクノからの影響について話してもらえますか?

ビル:テレンス・ディクソン(Terrence Dixon)とアンソニー・シェイク・シェイカー(Anthony Shake Shakir)は最高だね。

メッシュの作品にリミキサーとしてロゴス(Logos)も参加しているように、あなたはUKのグライムを好きだと思いますが、とくにあなたが評価している人は誰でしょう?

ビル:初期のころからグライムの大ファンだよ。新しいアーティストでいったらヴィジョ二スト(Visionist)がずば抜けている。彼は新しいグライムのシーンから出てきて作品はもちろんその影響が大きいんだけど、それと切り離して自分自身のサウンドを作っているね。とても面白いアルバムがもうすぐ出せると思う。

ここ最近もアフリカ・サイエンシーズ(Afrikan Sciences)やオブジェクト(Objekt)などユニークなアーティストの作品を出していますが、リリースするにいたる基準について教えて下さい。

ビル:僕は発端という点で音楽と深く関わっているわけで、それは直感ではなく、どうやって個々のアイデアが形になるかを見ていく場所にいるような感じかな。〈PAN〉のすべてのリリースはフィジカルな場所で起きているものが形になってでき上った結果のようなもので、もしそのレヴェルで音楽を見ていれば、コンセプトやコンテキストという点でも、〈PAN〉が形成されていく過程は首尾一貫していてロジカルであるとわかると思う。とくにノイズやテクノをリリースするためにレーベルをはじめたわけでなく、新しく出て来る“重要”なシーンをドキュメントにするためにレーベルをはじめたんだ。

イルなラッパーとして知られるスペクター(Spectre)のリリースにも驚いたのですが、これはコーヘイ(※Sensational名義のプロジェクト)繋がりなのでしょうか? それともあなたにとって彼は影響のひとつだったのでしょうか?

ビル:いや、もともと〈WordSound〉の古くからのファンで、長いあいだレーベルをフォローしてた。あのテープはずっと持っていて、去年久しぶりに聴いたときに、ふとオーナーのスキッズにコンタクトをとってライナーを付けてマスタリングをして、ちゃんとレコードで再発しないかと話を持ちかけたら、彼は気に入ってくれて直ぐに出すことになった。

こんどリリースされるTCFについてのコメントをお願いします。

ビル:TCFはアカデミックなアーティストで、レーベルのこれからの発展にとって大きな鍵となる存在だね。彼のライヴとリリースはサウンドだけでなく、テキスト、ヴィジュアル/イメージ、映画といったさまざまなとKろに関わるだろうし、またそれらがすべて繋がった面白いことになると思う。

NHKやマージナル・コンソートのような日本人アーティストの作品を出していますが、今後、リリースしてみたいと考えている日本人アーティストはいますか?

ビル:もちろん! 日本のツアーで新しい人たちと出会えることが楽しみだね。

今週の初来日への抱負をお聞かせ下さい。

ビル:このツアーを実現してくれた全ての関係者と〈melting bot〉に感謝します。初めて行くところだから本当に楽しみでしょうがない。いろんな人に来て貰いたいし、僕らが発表するものにどんな形でも関わってくれたらうれしい。



PAN Japanツアー日程

experimental rooms #19 Lee Gamble
6.10 WED at Golden Pigs Yellow Stage 新潟
ADV 3,000 yen / Door 3,500 yen
OPEN / START 19:30
出演 : Lee Gamble, I Wonder When It Will End, Jacob

goat presents PAN SHOWCASE IN OSAKA
6.12 FRI at Conpass 大阪
ADV 3,500 yen / Door 4,000 yen
OPEN / START 17:30
出演 : Bill Kouligas, Lee Gamble, M.E.S.H., TCF, goat, Ryo Murakami, Yosuke Yukimatsu

PAN Japan Showcase
6.13 SAT at LIQUIDROOM 東京
ADV 4,000 yen / Door 4,500 yen
OPEN / START 23:30
出演 : Bill Kouligas, Lee Gamble, M.E.S.H., TCF, Soichi Terada, DJ Sufflemaster, Compuma, Chis SSG, ENA, D.J. Fulltono, goat, DREAMPV$HER, Madegg + Shun Ishizuka, セーラーかんな子, MARI SAKURAI

total Info:
https://meltingbot.net/event/pan-japan-showcase-bill-kouligas-lee-gamble-m-e-s-h/

Special Talk : peepow × K-BOMB - ele-king


peepow A.K.A マヒトゥ・ザ・ピーポー
Delete Cipy

Blacksmoker

Hip HopExperimentalAbstract

Amazon

 目を閉じて想像したまえ。深夜、K-BOMBに呼び出され、マヒトゥ・ザ・ピーポーとの対談の司会を託された二木信の精神状態を。
 それはまるで……たまに電車で一緒の車両に乗り合わせる、名も知らぬあの美しき貴婦人から、いきなり電話をもらって、「いますぐ来て!」と言われるようなものだろう。そんなあり得ない、ウキウキした感情を以下の対談から読み取っていただけたら幸いである。
 もちろん賢明な読者には、これが先日〈Blacksmoker〉からリリースされたマヒトゥのラップ・アルバム『DELETE CIPY』に関する密談であることは、察していただいていることと思う。つまり、もう聴いている人はその余談として、まだ聴いていない人には聴くための契機としてある。

 まあ、悪名高きロック・バンド、下山のヴォーカリストのマヒトゥ(熱狂的なファン多し)が、名門〈Blacksmoker〉からK-BOMBをはじめとする素晴らしいトラックメイカーたちと共演していること自体が、すでに巷では話題となっているわけだが、そこでもっとも好奇心を掻き立てられることのひとつは、マヒトゥとK-BOMBがどのよう状態のなかで会話し、創造していったのかというそのプロセスなのだ。
 二木、この場にいられたお前が心底羨ましいぜ。(野田)

マサトはさ、靴下もさ、あってないんだ。オレと一緒なんだよね。──K-BOMB
たしかに揃ったことがないかもしれない。──peepow

二木:マヒトゥさんとK-BOMBが出会ったのはいつですか?

K-BOMB:わかんない。

peepow:あんまり思い出せないね、オレも。

K-BOMB:カルロス(・尾崎・サンタナ。GEZANのベース)に電話してみたら? 彼はそういうことを憶えている人だ。

二木:ライヴの現場?

peepow:ではない。

K-BOMB:わかるだろ? オレがいつも酔ってるのは。憶えてないな。KILLER-BONGに聞いてみたらいいんじゃねーか? 奴は家で寝てるよ。

二木:K-BOMBから見て、マヒトゥさんの才能とは?

K-BOMB:そういうのは、実のところよくわからない。魅力か。人物とか自由なとこ? かなぁ。

二木:自由とは?

K-BOMB:なんかスケボーにも近いような感じさ。

peepow:オレの〈Blacksmoker〉のイメージもスケボーのりにちょっと近い。好奇心の波みたいのがあって、いい風が吹いている。オレは人も場所もニュアンスでしか感じ取ってない感じがする。

K-BOMB:人といっぱい会うけどさ、才能って人物でしかないと思うんだ。そういうものの塊だと思う。目立つ、そういう雰囲気だ。

peepow:K-BOMBから最初「チャリ、かっこいいな」みたいな話をされたのを憶えてる。

K-BOMB:ママチャリでさ真っ赤に塗られててハンドルが片方無いんだ

二木:マヒトゥさんから見て、K-BOMBの表現者としての魅力は?

K-BOMB:オレとかさ、けっこう関西ノリなんだと思う。関西の人によく言われる。「K-BOMBくん、関西っぽいな」って。

peepow:いや、わかる。東京に来て、数字やデータみたいなもので足場を作ってる人が多いことにげんなりしていた時期にK-BOMBに会って、生き物感バーンって、純度あるなーって感じた。

K-BOMB:そういう軽いノリが似てんだと思うな。

peepow:恋に落ちる時もパッと一瞬目が合って、「あ、好きかも」ってなる。理屈や理由なんかそのだいぶん後でしょ。それは匂いやニュアンスとしか言えない。K-BOMBには細胞レベルの何かってやつを感じた。血なまぐさい獣の匂い。おいしそうなもの目の前に広がってたら、蛍光色でも1回つまんで食ってみる、みたいな感覚に近いな。ドキュメントがまじわるってことは。

K-BOMB:蛍光色っぽい感じだ。わかる?

peepow a.k.a マヒトゥ・ザ・ピーポー feat. K-BOMB「SUNDANCE」

二木:『Delete Cipy』を聴いたり、それこそ“SUNDANCE”のミュージック・ヴィデオを見ると、ふたりが色や感覚で何か感じ合っていることは伝わってくる。

K-BOMB:うん。そうだね。

peepow:利害とかじゃないすよ。

K-BOMB:でも一方で、数字も手にしとかないと、またその逆をというのもある。そういうところを無視してやっているようで、実のところ絡ませたい。そうじゃないとあんまり意味がない。それが数字を相手にした時の面白さなんじゃないか。

peepow:オレは〈Blacksmoker〉やK-BONBをアンダーグラウンドと思ったことはないですね。そういう文脈を超越しよう姿勢で数字と関わってる。いびつなストリート感でしょ。

K-BOMB:アンダーグランドだと言われるけどさ、俺もそういう感覚はまったくないんだ。ただちゃんとリスペクトもある。だからさ、試してる、やってみる、やりたい。ただ、それだけなんだ。

二木:その話につながると思うんですけど、マヒトゥさんはキレイな歌声も出せるし、上手く歌おうと思えばいくらでも歌えて、メロディアスなポップ・ソングも作れる人だと思うんですよ。ただ、今回のアルバムでも上手く歌ったり、ラップすることを追求してるわけじゃないですよね。そこが面白いなと。

K-BOMB:そういうことだと思う。オレにもそういう風に聴こえる。

peepow:ジキルとハイドじゃないけど、朝起きた時は世界も征服をできるかもしれないぐらいの無敵感でも、寝る前にはひとりぼっちで無気力で何もやる気が起きないことすらある。ひとつにキャラクターをまとめることなんて本当は誰も不可能なはずなんだ。オレはいろんな場所を歩いて、歌ったり、形にしながら、自分が思ってることを楽しみながら探してる。おれのなかにいる何人もの顔を解放してあげたいんだよね。だから、卑屈な感じとか悲壮感はない。結局、映画にした時にいちばんグッとくるほうを選ぼうって感覚あるな。最速で最短でキレイなゴールに行きたいわけじゃない。全感覚でいい匂いのするほうに流されてる。

K-BOMB:感覚は大事だよ。絵を描いても写真を撮っても、イイ感覚で見えてると違う。ナナメ感もあるけど、ちゃんとまっすぐしてる。そういう感覚なんだ。マサトはバランスがいいんじゃないか。

二木:さっきの歌の上手さの話で言えば、K-BOMBも上手くフロウするラップもできるわけじゃないですか?

K-BOMB:できる。

二木:でも、あえてやらないわけでしょ?

K-BOMB:やらない。やれちゃうからね、つまらない。オレがつまらないんだからさ、人を楽しませることができない。

peepow:だから、新しい正解のカタチみたいなのを落としたいっていうのはある。

K-BOMB:どんどん知りたいんだからさ、そこら辺が重要で感覚なんだろうね。

peepow:オレのK-BOMBの好きなところは、生き方としてK-BOMBというジャンルになっているところ。その人がそのまんま音楽の言葉とイコールにならないやり方は嘘だと思うから、そこはリスペクトあるね。オレも自分がやるんだから、全部正解って言わせるよ。それは当たり前のことなんだ。

K-BOMB:そういう感覚でチャレンジして、自分を持っている人がやれんだと思う。

peepow:今回『Delete Cipy』を作って、ヒップホップは簡単にできるもんじゃないなって感じた。ただ、ヒップホップは血や生き方や生活だと思うから、そういう意味で言えば、オレもある意味ヒップホップだと思う。自分のフィルターやノドを通ったものはすべてオレのカタチになっていくから。

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上手くなるっていうのは、下手になるっていうことでもある。だから、わざと変えていく。そうすりゃさ、オレははじめた時の気持ちが持続していく。オレがよく知らないものに触れることはラップをはじめた時と同じ感覚に戻ることなんだ。──K-BOMB


peepow A.K.A マヒトゥ・ザ・ピーポー
Delete Cipy

Blacksmoker

Hip HopExperimentalAbstract

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二木:今回マヒトゥさんがラップ・アルバムを作ろうと思ったのはなぜですか? 

peepow:成り行きだと思うんですけど、自分も最初からそうありたいと思ったんですよね。ただ、オレのラップは、ヒップホップの人が言うラップなのかはわからない。ただ、少なくともオレが純度100%であることは間違いない

K-BOMB:ラップでしょ。

二木:ラップですね。

K-BOMB:うん。ラップにね、定義はないんだよね。韻踏んでりゃラップなんだから。そうだろ?

二木:韻を踏んでればラップか。うん。

K-BOMB:違うの?

peepow:ラップって何なんすか?

K-BOMB:ラップって何なの?

二木:フロウするのがラップじゃないですか。

peepow:オレのアルバム、ラップなんですか?

K-BOMB:だったら、そうとうフロウしてるからね。

二木:ラップですよね。だから。

K-BOMB:そうだね。いいアルバムだよ。

二木:そもそも表現者、ミュージシャンとしてのマヒトゥさんの原点はどこにありますか? 例えば、ロックなのか、パンクなのか、ブルースなのか。

peepow:そのどれでもないですね。何にも考えずに生まれた瞬間は、自分の感情と直結して言葉やルールがまったくわからないのにフロウがバーッと出てくるわけじゃないですか。オギャーって泣いて生まれてくるあの一発目のフロウですよ。いろんなルールや人と会っていく中で上手いこと表現しようとしているけど、オレは最初の、何も考えずに生まれた瞬間に近づきたい感覚がある。失っちゃったものを取り返しにいきたい。

K-BOMB:上手くなるっていうのは、下手になるっていうことでもある。だから、わざと変えていく。そうすりゃさ、オレははじめた時の気持ちが持続していく。オレがよく知らないものに触れることはラップをはじめた時と同じ感覚に戻ることなんだ。だからさ、新しくはじめたことをラップのようにやるだけだよ。何も変わらないんだよね、オレは。気分も変わらない。何をやってもそのうち上手くなっちゃうからな。ふっ(笑)。

二木:それこそ『Delete Cipy』にはK-BOMBの他に、KILLER-BONG、LORD PUFF、KILLA-JHAZZが参加していますよね。とくにLORD PUFFとKILLA-JHAZZは久々登場じゃないですか。

K-BOMB:彼らが連絡して来たんだよ。やらせてくれと。仕方ないよ。

二木:久々に連絡して来たのはなぜ? 

K-BOMB:JUBEくんがコンタクト取ってたみたいだ。そうでしょ?

JUBE:KILLA-JHAZZやLORD PUFFだけでなく、BUN君、WATTER、GURU、そしてKILLER-BONG。狂ったメンバーが集まりました。

二木:LORD PUFFとKILLA-JHAZZはかなり久々じゃないですか?

K-BOMB:だいぶ久しぶりだな。LORD PUFFはカリフォルニア辺りに行ってたらしーし。

peepow:オレも気になるとこですね。

K-BOMB:K-BOMB、KILLER-BONG、KILLA-JHAZZは三つ子だからさ。LORD PUFFはイトコだけど。アナル・ファイタ(ANAL FIGHTER)もイトコなんだ。そーゆーコトになってる。

JUBE:ファイタはTHINK TANKのP……

K-BOMB:彼はエグゼクティブ・プロデューサーだよ。

二木:やはりマヒトゥさんのキャラクターと才能を見て、今回はKILLA-JHAZZとLORD PUFFだと。

K-BOMB:だいたいさ、ヤツらの曲もその場でパッと作って、その場でパッとマサトがラップを入れる感じだったんじゃないか。KILLER-BONGのことも全然わからないからさ。オレ、K-BOMBだからさ。彼らにまた後日インタヴューしたらいいんじゃないの? KILLER-BONGはいま徳島辺りに行ってるんじゃないの? 

二木:なるほどね。アルバム制作はマヒトゥさん主導で作っていった感じですか?

K-BOMB:KILLER-BONGは50曲ぐらい作ったけど、50曲渡すということは、そのすべては完成形じゃない。KILLER-BONGは、他にもっと完成度の高いトラックがあるのに、マサトが20%ぐらいの完成度のトラックでどんどん勝手に歌ってしまったんだと。「なんでそれで歌うの? こっちにもっといいトラックがあるじゃねぇか」と。

peepow:食べ物だってすげぇおいしそうなスパイスの効いたカレーじゃなくて、パーキングエリアのカレーが食いたい時だってある。理屈じゃないんですよ。

K-BOMB:だから、KILLA-JHAZZやLORD PUFFがスパイスを注入する役だ。トマトとかセロリとか。ただ、KILLER-BONGは大変だったみたいだな。ライヴばかりの生活の中50曲近く作って渡すのは。

peepow a.k.aマヒトゥ・ザ・ピーポー feat. K BOMB 「blue echo」

二木:BUNさんがトラックを作った“sleepy beats”(KILLER-BONG『64』収録曲でpeepow a.k.a マヒトゥ・ザ・ピーポーが歌った楽曲をBUNが再構築している)で、マヒトゥさんはいろんな声を出してますよね。

K-BOMB:あれ、いいよね。

二木:もちろんすべてマヒトゥさんの声なんですよね。

peepow:そうです。

二木:これだけ多彩な声が出せるというのはマヒトゥさんのヴォーカリストとしての武器であり、魅力ですよね。

K-BOMB:そうなんだよ。オレも出したい。オレも歌とか歌いたいけど、やっぱヘタなんだ。いい声が出ない。

peepow:はははは。

Fumitake Tamura (Bun) / Sleepy instrumental [[SplitPage]]

K-BOMBと最初に会った頃に、K-BOMBがオレの弾き語りのソロのYouTubeの映像を〈Blacksmoker〉の事務所で観て、「狂ったことしかできないヤツはダメだ」と言っていて、スッと腑に落ちた。──peepow


peepow A.K.A マヒトゥ・ザ・ピーポー
Delete Cipy

Blacksmoker

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JUBE:マヒトゥはラップに初挑戦的なイメージだけど、GEZANのライヴを見たときに「もうラップしてるじゃねーか!」って思ったよ。色は違えど、常に挑戦し、すでに多彩な武器を備えてる。K-BOMBと重なったな。これは面白いと思ったよ。

K-BOMB:武器、いっぱいあるよ。声も七色ぐらい持ってる。オレもやっぱ物真似、上手いからさ。そう言えば、アルバムは13曲だけど、あと10曲ぐらいあった。だからさ、20数曲ぐらいラップを録音して、13曲に絞った。だって、マサトは1日に5曲とか録るんだ。似てるよな

peepow:トラックをもらって、その日にリリックを書いて、次の日には録音してる。そういう曲が入ってる。24時間オレなんだから時間はかからない。

K-BOMB:オレたちのスケジュールが合わないぐらい早かった。

JUBE:しかもだいたい一発録り。

K-BOMB:声の重ね方もラッパーのように上手いね。あと、マサトは少女マンガみたいなさ、雰囲気あるわけよ。

peepow:ははははは。

K-BOMB:ファッションもそうだし。

peepow:オレ、ファッション、少女マンガ感ある? 

K-BOMB:あるんじゃないの?

peepow:どこ?

K-BOMB:たまにあるんだよ。

二木:それ、髪長いとかそういうことじゃなくて?

K-BOMB:そうかもしれない。

peepow:そこじゃん(笑)。

K-BOMB:はっはっはっ。いや、だけど、マサトのファンや客は、いまのオレの意見に「わかります」って納得するはずだよね? マサトはロマンティストなのかもしれないな。ところで、君はマサトのアルバムをどう思ったんだい?

二木:相反する要素がせめぎ合っている作品だと思いましたね。混沌と秩序、理性と感情、上手いと下手、本当と嘘、美しさと醜さ、白と黒、そういうものが常にせめぎ合って闘っている。そのせめぎ合いが凄まじいなと。

peepow:2時間の映画じゃないから、そこで曲が完結したとしても、はじまりや終わりは、オレはないと思う。ずっと続いていて、はじまったり終わったりしている感覚がずっとある。だから、この作品も曲も続きのなかの最初の部分を切り取っただけかもしれない。K-BOMBと最初に会った頃に、K-BOMBがオレの弾き語りのソロのYouTubeの映像を〈Blacksmoker〉の事務所で観て、「狂ったことしかできないヤツはダメだ」と言っていて、スッと腑に落ちた。

二木:マヒトゥさんは、K-BOMBのラップする姿は見て、どういう印象を持ちました?

peepow:音との距離が近い。そう感じた。MPCを叩いている時も会話しながら叩いてるし、自然に手元で絵を描いたり、コラージュを切ったり、そういう速度や距離の近さが面白いと感じた。頭で先に考えて、遅くなる人が多いなかで、細胞レベルでバッと感じたことをそのまま行動に出せる。たとえば、今回のリリースもGEZANやオレのライヴを観て、何かの可能性を感じたとかではなくて、オレと会話している時のニュアンスで何かをやろうとなって実現している。その速度がK-BOMBや〈Blacksmoker〉の面白さだと思う。

二木:ということは、普段からけっこう会話してるんですね。

K-BOMB:してるね。メールもしてるしさ。

peepow:まあ、一向にマサトという呼び方が直らないけど。マヒトゥなのにマサトと呼ぶ(笑)。

二木:あ、本名がマサトじゃなかったの!!?

peepow:マヒトゥ。

K-BOMB:マサトで憶えちゃったんだよね。

peepow:はははは。

K-BOMB:マヒトゥって言う時もあるけど、オレのなかじゃ言いづらい。言いづらくて、会話が続かなくなっちゃう。

peepow:はははは。

二木:さすがですねー(笑)。最近、K-BOMBは自分より若い人とやる機会も当然増えていってますよね。

K-BOMB:若い人といろいろやると楽しいな。オレは知らないあいだ長いことやってるけど、いまでも同じ気持ちでずっとやっている。若者から大人になってそのままずっと続いていくんだろうなと思っていたし、そうやってきている。オレはそういうヤツが好きなんだ。マサトもそういうヤツだ。でも、世のなかはそういうヤツばかりではないってことに最近気づいたんだ。そういうのはつまらないよな。

peepow:あと、何かをテクニックだけで言ったり、やったりするのもつまらない。だからと言って、できない拙さみたいのを売りにするのもイヤだし、つまらない。今回のアルバムもそうはしたくなかった。

K-BOMB:あと、狂人を演じるようなヤツもつまらない。

peepow:狂人を演じるヤツはめちゃくちゃマトモだからね。真面目を絵に描いたようなヤツが狂人を演じる。つまらないからおれの半径10mにはいらない。

K-BOMB:オレの前に狂人ぶったヤツが現れやすいんだ。何故なのかわからねーけど狂人みたいなフリして荒々しい感じで近づいてくるんだけど、無視してると、そいつは普通に戻っちゃう。たまに本物の狂人もいるけどね。そういうヤツとは長年付き合っているよね。ある狂人はオレのライヴに10何年も来てくれている。あとさ、マサトはさ、靴下もさ、あってないんだ。オレと一緒なんだよね。

peepow:たしかに揃ったことがないかもしれない。

K-BOMB:オレもあまり揃ったことがない。そういう意味ではいろいろ似てて面白いんだよね。女物の靴下穿いてたりとかさ。おパンティも穿いてるかもしれないな。

二木:ははは。

K-BOMB:あと、マサトと俺は鼻のデザインが同じだ。

peepow:オレとK-BOMBとジャッキー・チェンの鼻のデザインは同じ。

K-BOMB:オレはけっこう鼻のデザインを見てるからね。HIDENKAも鼻のデザインがオレと似ている。オレは人と目を合わさないで鼻の部分だけ見て喋ったりするんだよね。

peepow:Phewさんがあるライヴで、いちばん簡単に人を騙せるのは目の色だ、みたいなことを話してたのを思い出した。目の色だけは嘘つけないってみんな思ってる分、目つきとかで真実味を出して人を騙すことがいちばん簡単だと。

二木:K-BOMBの目つき、ほんとに怖い時がある。

K-BOMB:ふっ(笑)。やめて。

peepow:鼻は嘘をつけない。

K-BOMB:うん。そうだと思う。

peepow:目は嘘をつける。

K-BOMB:オレは顔がいいのが好きだからね。一緒にやったり、何かをやってもらう時に、こいつがやるんだったらなんでもいいよって思える顔が好きなんだ。マサトもそう。

peepow:ずっとそういう表情で生きてきてるわけだから、自然とそういう顔になりますよね。

K-BOMB:顔に出てくる。顔がさ、輝きはじめる。汚い格好だろうが、シャネルとか、そういう豪華なパーティ会場にでも行ける顔っていうのがある。だから、売れていくヤツは顔がどんどん変わっていく。でも、会った時から顔が変わっていかないヤツっていうのは、わからないね。

peepow:プロフィールに具体名をどんどん出したり、誰々と知り合いとか出したり、そういうヤツはほんとに信用できない。基本的にそういうことを言っている時点で遅い。いや、その前にオレはもうお前の顔を見てるし、鼻も見ちゃってると思う。

K-BOMB:そうだよな。マサト。顔を見れば、だいたいさ、そいつがどれぐらいやってるのかわかるじゃない。そいつがどれだけ真剣にやってんのかは顔にも出てくるよね。

peepow:だからマサトちゃいますけどね。

(協力:みどりちゃん)

■■■■■■■ Release Party!! ■■■■■■■■
6/28(SUN)18:00-
at 中野HeavySickZero
ADV:2300yen+1D

LIVE
peepow special live set feat. GEZAN、skillkills、BUN
OMSB
NATURE DENGER GANG
skillkills
THE LEFTY

DJ
Fumitake Tamura(BUN)
WATTER
ひらっち(MANGA SHOCK)
イーグル・タカ


■前売りチケット
https://eplus.jp/sys/T1U90P006001P0050001P002155789P0030001P0007

 以前、海外の古い古い映画をみていたら、明らかに字幕におかしい箇所があり、首をかしげたことがある。どう考えても画面に映っているできごとと字幕があっていない。調べてみると誤訳だそうで、それを誰も指摘するものがいないまま公開に至ってしまったのだそうだ。結局は正確な訳が明かされることもなく、また英語ならまだしも、わたしに何の知識もない言語……いまだにあの映画のあのシーンを思い返すと、ミスマッチな字幕のイメージがありありと浮かびあがってくる。文字の印象というのは、認識するのは容易であってもなかなか消すことができない。字幕は暴力なのだということを、そのときに知った。

 範宙遊泳の山本卓卓は、字幕が暴力だということにいち早く気づいたのみならず、その特殊な暴力性を演劇という形態と調和させることに成功した稀有な劇作家・演出家である。

 範宙遊泳 × Democrazy Theatre『幼女X(日本‐タイ共同制作版)』は、この作品をはじめて目撃した者はもちろんのこと、過去に初演を新宿眼科画廊で、再演をKAATで目撃した者にこそ驚愕をもたらした作品であっただろう。というのも再演にはあるまじき行為、「戯曲に書かれたセリフをいっさい喋らない」という決断をしていたからである。てっきりタイ人が喋ったセリフの日本語訳字幕が逐一表示されていくものだとばかり思い込んでいたらまったくちがった。舞台上には〈待っている間、国家の安定を脅かす人を探しなさい〉〈2時間髪型をセットしなさい〉〈あなたがいったい何をしているのか人に伝わるまでハンマーを食べなさい〉といった理不尽な命令がつねに表示されており、俳優たちはその命令に服従しなければならない、その悲哀を観察するという異質な作品だった。動物実験ですでに薬を打ったあとのラットがどうなるか、檻に入れてじっくりみつめているときの気分がもっとも近いだろうか。そこに再演と呼ぶべきものがあるとするならば思想、あるいは「追い詰められたものが無我夢中で反逆を試みてしまうが稚拙な計画はあえなく頓挫する」という戯曲全体を覆う仄暗いテーマのみである。

***

 Baobabの北尾亘と範宙遊泳の山本卓卓の共同プロジェクトであるドキュントメント『となり街の知らない踊り子』でも、山本特有の仄暗い思想は見受けられるが、こちらの作品は被害者の葛藤、社会のシステムに疲れた生活者たちの行き場のなさに、よりフォーカスをあてている。

ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』

 B女 高速で過ぎ去っていくタイムラインの中で、こんな人フォローしていたっけーっていう人が夜中に「母がとてもうざい」っていう書き込みをしててソッコーでフォロー外した。こういうやつが日本の闇なんだよなー。振りまくなよ、貴様の闇を。うざくても、うざいとか、言うな。いうんじゃねー。「ねえ、ひろくん、そう思わない?」 (山本卓卓『となり街の知らない踊り子』

 興味深いのは、一人芝居で北尾が演じるB女に対して、字幕で「そうだね」「思うよ」「え、なんで?」などという、本人の性格がさっぱりみえてこないひろくんの相槌が表示されていくのだが、B女は唐突にひろくんに別れを切り出すのである。6日しか付き合っていないにもかかわらず、である。ここにはただ連帯してほしいだけ、共感してほしいだけ、なぐさめあっていたいだけで、用がなければすぐに切り捨ててしまう、現代社会特有の情のなさが透けて見える。B女は、まるでツイッターの気に入らないアカウントのフォローを外すような気軽さで、ひろくんにあっさりと別れを告げるのだ。

ひろくん 6日間しか付き合ってないのに……。6日で僕の何がわかるんだ。
(同前)

 『となり街の知らない踊り子』にはこのほかにも多数の登場人物が出てくるが、共通しているのは「他者への無関心が、別の誰かの憎しみや苛々を増幅させ、それがなお事態を悪化させる」という夢も希望もない状況である。しかしわたしは残念ながらこの状況を現代の前提として当たり前のように設定する残酷さに未来への期待を見出してしまう。フェイクの夢や希望を掴まされて大けがを負う物語より、よっぽどスマートな人生訓をそこから拾い上げることができるように思えるからだ。山本卓卓は2010年代の、不穏な空気からけっして目を逸らすことのない、誠実なアーティストである。

loadedを“reloaded(再装填)”! - ele-king


久保憲司写真集loaded
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 ノイバウテンやSPKからストロベリー・スウィッチブレイドまで! ロックを中心に洋邦さまざまな媒体で活躍するフォトグラファー、久保憲司。とくに活発に活動を展開し、ロック・ジャーナリズムを支えた80年代半ば~90年代の仕事をたっぷり収録した写真集『loaded』を覚えておられるだろうか。刊行から1年半、「reloaded(再装填)」と題して久保憲司氏が新たに展示会を開催する。期間中にはDJイヴェントやトーク・イヴェントも予定されており、毎回いわくいいがたいテーマが掲げられているようだ。ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

日本を代表するロック・フォトグラファー、久保憲司。
今回は、これまでの展示にはなかった氏のアナザーサイドにスポットを当て、写真集「loaded」を“reloaded”(再装填)。
80年代を中心にニューウェイブ/ノイズ/インダストリアルのアーティストの貴重な現場写真を展示します。

今回の展示を記念したDJイベント、東瀬戸悟氏(Forever Records)とのトークイベントもありますのでぜひご参加下さい。

■久保憲司 exhibition「reloaded」

2015/6/6(sat) - 6/15(sun) ※closed on 6/10(wed)
mon-fri 15:00-20:00
sat,sun 13:00-20:00

at Pulp
(map https://pulpspace.org/contact)

Einstürzende Neubauten
SPK
Foetus
Depeche Mode
Psychic tv
Strawberry Switchblade
Laibach
Suicide
Soft Cell
Fad Gadget …more

■同時イヴェント

6/6 sat | opening talk event
「狂気の音楽 人はなぜ気が狂うのか」
久保憲司 ×流れの精神科医
19:30-21:30
charge : 1000yen
※ご参加希望の方は、pulp.space.gallery@gmail.com まで
※定員25名(スペースに限りがありますので埋まり次第、終了となります。)

■6/7 sun | talk event
「80年代インダストリアル、ノイズ、ニューウェイブ再検証語り」
久保憲司×東瀬戸悟
19:30-
charge : 1000yen
※ご参加希望の方は、pulp.space.gallery@gmail.com まで
※定員25名(スペースに限りがありますので埋まり次第、終了となります。)

■6/14 sun | closing party
DJ:MR.A(from DAMAGE) / KENJI KUBO
19:00-21:00

::PROFILE::
久保 憲司 Kenji Kubo

https://twitter.com/kuboken999

1981年に単身渡英し、フォトグラファーとしてのキャリアをスタート。
ロッキング・オンなど、国内外の音楽誌を中心にロック・フォトグラファー、ロック・ジャーナリストとして精力的に活動中。
また、海外から有名DJを数多く招聘するなど、日本のクラブ・ミュージック・シーンの基礎を築くことにも貢献した。
著書久保憲司写真集『loaded(ローデッド)』『ダンス・ドラッグ・ロックンロール 〜誰も知らなかった音楽史〜』『ダンス・ドラッグ・ロックンロール 2 ~“写真で見る"もうひとつの音楽史』、『ザ・ストーン・ローゼズ ロックを変えた1枚のアルバム』など。

Moved to England in 1981, and started his career as a photographer.
Kenji Kubo also works as a journalist specialized in rock ‘n’ roll music for various music magazines such as Rockin'on.
He also invited a number of big DJs to Japan and helped to establish the Japanese club music scene.
He has published numerous book in which he photographed and wrote, such as "loaded” , “Dance Drug Rock-on-Roll”, “Dance Drug Rock-on-Roll 2”, and “The Stone Roses, the album that changed the world”.


Prefuse73 - ele-king

すべては“響き”のなかに 矢野利裕

 ギレルモ=スコット・ヘレンという音楽家は、僕にとってあまりにも底知れない。アキレスと亀の関係のように、その姿を捉えたかと思うとすでに先に行っている。プレフューズ73『ヴォーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス(Vocal Studies And Uprock Narratives)』のときから、それはそうだった。プレフューズ73を一躍「ヴォーカル・チョップの人」にしてしまったその作品は、〈ワープ〉レーベルでさえもしっかりと認識していなかった当時の僕からすれば、DJプレミア的チョップ&フリップの鮮烈な応用として映った。しかし、佐々木敦による国内盤解説を読むと、それはむしろ、ポスト・ロックやエレクトロニカ、並びにフリー・ジャズの文脈から出てきたものらしかった。こんなにもゆたかな音楽性をもつプレフューズ73はしかし、その手法の見事さゆえに「ヴォーカル・チョップ」という印象とともに語られ、多くの模倣者とフォロワーを生んだ。その水脈は、現在のメジャー感のあるEDM~ダブステップにまで流れている。「ヴォーカル・チョップを期待してるリスナーのために、最初の曲で派手にやりまくっておいて、そこから新しい世界へと繋げていったんだ」とヘレン自身が語るように、ヴォーカル・チョップへの葛藤は『ワン・ワード・エクスティングイッシャー(One Word Extinguisher)』ですでに示され、その後、いわゆる「ヴォーカル・チョップの人」としてのプレフューズ73は、息をひそめていくことになる。
 プレフューズ73の4年ぶりの新作は、『リヴィントン・ノン・リオ+フォーシス・ガーデンズ・アンド・エヴリー・カラー・オブ・ダークネス(Rivinton Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness)』として2CDにまとめられた。前作『ジ・オンリー・シー・チャプターズ(The Only She Chapters)』に比べてビートに対する関心は高く、ヴォーカル・チョップまで披露されている。人によっては、往年のプレフューズ73の帰還と見るかもしれない。コンセプチュアルで静謐な『ジ・オンリー・シー・チャプター』から考えれば、そのとおりだろう。しかし、ビート・ミュージックかそうでないかは、たいした問題ではないのだと思う。いや、僕も今作で聴ける繊細なビートにじゅうぶん酔いしれているのだけど、そんな繊細なビートも含め、サウンド全体の響きに耳が行く。それは、『ヴォーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』の頃よりさらに深化させられている。状況論的に言えば、現在のEDM~ダブステップが捨ててしまった細やかな響きこそを追求しているかのようである。ヘレン自身、「同じような音楽を作っている連中が増えたのも事実だ。スクリレックスが悪いとは言わない。けど皆が彼の真似をはじめて、それまでのエレクトロニック・ミュージックが否定されたような気がしてしまった」とも語っている。プレフューズ73にとって、ヴォーカル・チョップは目的化されるものではない。新しいサウンドの響きを獲得するための一手段だ。波形処理によって微分化されたサウンドを緻密に再配置して、繊細な手つきでエフェクトをかけて、未知なる音響を獲得すること。プレフューズ73の音楽は、そういう試みとしてあり続けている。ヴォーカル・チョップという手法はそのヴァリエーションのひとつだ。この音響へのこだわりという点はもちろん、サヴァス&サヴァラス他の変名ユニットに通じている。電子化されているか/いないかは、方法論的な違いに過ぎない。

 今作で言えば――キリがないのだが――まず、ロブ・クロウをフィーチャーした“クワイエット・ワン”とサム・デューをフィーチャーした“インファード”という、ヴォーカル入りの2曲が特筆されるべきである。アコースティック・ギターのサンプルを刻んで変則的に再配置する“クワイエット・ワン”は、シカゴ音響派的なアプローチのトラックと言え、そこでは美しいアコースティックの響きに強いビートが加わっている。優しいヴォーカルと美しいギターに、アントニオ・ロウレイロ的なミナス感を覚える人もいるだろう。ヘレンはかつて、サヴァス&サヴァラスでミルトン・ナシメントの曲をカヴァーしたこともあったが、このような、ミナス的なアコースティックへの志向は、ヘレンの音楽に確実に脈打っているものである。だとすれば、“クワイエット・ワン”の次曲“スルー・ア・リット・アンド・ダークンド・パス・パート1&2(Through a Lit and Darkened Path Pts. 1 & 2)”における、弦楽器の突然の挿入も、音響への関心が室内楽的なものへ向かっていく過程として聴くことができる。この曲の中盤からの展開は、ドラマティックでとても素晴らしい。一方、“インファード”は、サム・デューのヴォーカルに対して幾重にもコーラスが重ねられており、その点、ディ・アンジェロやホセ・ジェームスの音楽を彷彿とさせる。この特徴的な多重コーラスは、ヴォーカルの存在感を高めると同時に、曲全体のリヴァーヴがかった空間の演出に奉仕している。ヴォーカル自体が他のサウンドとともに、繊細な響きの一部となっているのだ。ビートが強くなり、さらにリヴァーヴが深くなっていく同曲のリミックス(ディスク2収録)も必聴だ。
このように、『リヴィントン・ノン・リオ+フォーシス・ガーデンズ・アンド・エヴリー・カラー・オブ・ダークネス』に対しては、それが一定の事実であるにせよ、プレフューズ73のビート・ミュージックへの帰還という物語を読み込み過ぎないほうがいいと思う。複雑なビートは、全体の響きを追求するなかで構成されている。ギレルモ=スコット・ヘレンという音楽家は、その意味で驚くほど一貫しているのだ。したがって見るべきは、トラック全体でどのような響きが獲得されているか、である。ビートもヴォーカルもラップも、トラック全体の響きのなかで捉えるべきである(“140・ジャブズ・インタールード”」で披露されるバスドライヴァーの早口ラップが、どんだけ音響的な気持ちよさを獲得していることか!)。今作は、リズム、メロディー、ハーモニー、ヴォーカル、ラップ……あらゆる要素が一体となって、唯一無二の世界を聴かせてくれる。プレフューズ73の底知れなさは、一部の要素を取り出すことができないからかもしれない。エフェクトがかったサンプルと変拍子的なリズム、あるいは多重コーラスなどが、結果として、あのアコースティックで繊細な音楽をかたどっているのだ。

 ところで、まぎれもない打ち込みの音楽であるプレフューズ73の音楽に対して、「アコースティックな響き」と言うのは抵抗がないこともない。しかし、そこにある種の繊細な響きがあることは、やはりたしかだろう。ポスト・ロック/エレクトロニカからフォークやブラジル音楽、あるいは一部のジャズ(それこそ、スティーヴ・チベットとか)などに抱え込まれているような繊細さ、とでも言おうか。ポスト・ロック以降に幅広く共有されることになるが、必ずしもポスト・ロックに中心化されるわけではない、あの繊細でポリフォニックな響き。そしてこの、確実に共有されているが明確にされているわけではないサウンドのありかたが、現在、さまざまなミュージシャンに追求されている気がする。ロウレイロ、ホセ、ディ・アンジェロの名前を出したが、ジャンル問わずさまざまなミュージシャンが、繊細かつポリフォニックなサウンドを表現しようとしているのが、現在の音楽シーンの一潮流ではないか。ジャズとエレクトロニカ、オルタナティヴ・ロックなどを越境するピアニスト、ティグラン・ハマシアンは、自身の曲のリミックスにプレフューズ73を起用していた(『ザ・ポエット・EP』)。4年ぶりの新作と言われるが、『リヴィントン・ノン・リオ+フォーシス・ガーデンズ・アンド・エヴリー・カラー・オブ・ダークネス』が、プレフューズ73の、そういう活動を経ての作品であることを忘れてはいけない。そのような世界的かつ現代的な視野のなかで、今作は聴かれるべきだろう。ギレルモ=スコット・ヘレンという音楽家の、ゆたかな音楽性を、少しでもつかまえるために。

文:矢野利裕

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プレフューズ73の「復活」、エレクトロニカ15年の問題デンシノオト

 プレフューズ73の「復活」の報を受け、その新作をあれこれ予想しているとき、ふと思ったのだが、いまの20代から30代頭くらいの世代はプレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンのことをどう思っているのだろうか。場合によっては彼のことを知らない方も多いのではないか。これはネット上での「復活」の反応をみても実感できることであった。

 考えてみればプレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンのデビューは2000年、ファースト・アルバムのリリースは2001年である。なんと、もう14~5年も前の出来事だ。現在30歳が当時15歳。もしくは現在の25歳が10歳。むろん10歳でもプレフューズを知っている人もいたであろうが、その歳でプレフューズの衝撃を味わえる人も限られるだろう。

 むろんギレルモ・スコット・ヘレンは、その後も〈ワープ〉から継続的にアルバム・リリースしてきたし、サヴァス&サヴァラス、ピアノ・オーヴァーロードなどの複数の名義を駆使しつつ多彩な活動を繰り拡げてきたことも事実で、いわば2000年代のエレクトロニック・ミュージックのスターであったわけだから、そこから新しいリスナー(ファン)がたくさん生まれきたことだろう。しかしそれですらも2000年代中盤のことであって、現在からすれば7年から10年前の出来事なのだ。

 さらにプレフューズ73名義の沈黙前のアルバム『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』は2011年リリースであるが、これすらも4年前のこと。しかも、そのときプレフューズ73のシーン(しかし、とは何か?)での存在感は随分と変わってきたようにも思えた。端的にいえばかつてほど影響力はなかった。これでは知らない人もいて当然だ。10年~15年前という時期はいちばん空白になりやすいものである。そこで、まずは彼の経歴をざっくりと話しておこう。

 2000年代初頭、いわばエレクトロニカ全盛期の時代。それはいわば「9.11前後」の世界でもあるのだが、しかしエレクトロニカは、テクノロジーの急速の発展と普及(ハードディスクとコンピューターの高性能化)の恩恵を受けるかのように、小春日和の季節の只中にあった。そんな時期、マイクロ/エディットによるビート&サウンドによって、彗星のように(本当にそうだった)シーンに登場したアーティストが、プレフューズ73ことギルモア・スコット・ヘレンである。彼は2000年代における「新しい音楽」のホープですらあった。なぜならエレクトロニカ的手法とビート・ミュージックに結びつけたからだ。私がロック雑誌の編集者なら「革命、きたる!」というコピーで特集を組んでもいいほどだ(冗談です)。しかしこれは誇張ではない。彼は、90年代の〈モ・ワックス〉などが牽引したアブストラクト・ヒップホップと、2000年代以降のフライング・ロータスなどを繋ぐ巨大なミッシングリングなのだ。

 じじつ、スコット・ヘレンは、2001年に老舗〈ワープ〉からリリースされたファースト・アルバム『ヴォーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』によって音楽に革命を起こした。マイクロ・エディットによるヴォイスとビートのエディットはこのアルバムから生まれたといっても過言ではない(本当はプレフューズだけの「功績」ではないのだが、その影響力の大きさは勲章ものだ)。いわば90年代的なレコード・サンプリングから00年代的なPCのハードディスク内でのマイクロ・エディットの手法へ。たとえるならグラフィック・デザインが、版下の手作業からDTPに変化したような革新・革命・進化であった。

 しかし、である。ヴォーカル・チョップと呼ばれる、あのヴォーカルやヴォイスを細かく切り刻み、グリッチなリズムを生み出すその手法は、あまりに衝撃的であったゆえに多くのフォロワーを生みだしてしまった。そのうえ技法のみが語られる状況も生んでしまった。たしかに、あまりに安易で表面的な作品や言説が多かったことも事実だ。スコット・ヘレンは、その状況に心底ウンザリしたのであろう、ヴォーカル・チョップを封印してしまう。また、自らの名声をはぐらかすように、サヴァス&サヴァラスやピアノ・オーヴァーロードなど複数の名義をコントロールするかのように駆使し、2000年代を駆け抜けきた。

 そして本体プレフューズの作風も変化を遂げていく。前作のカラーを引き継ぐセカンド・アルバム『 ワン・ワード・エクスティングイッシャー』(2003)を経て、ウータン・クランのメンバーも参加した2005年の『サラウンデッド・バイ・サイレンス』以降、いわば〈ワープ〉後期のプレフューズ・サウンドは、ヴォーカル・チョップを封印した結果、音楽性は拡張の一途をたどっていくのだ。たとえば、彼の心情を反映したかのようなヘビーなビート・トラックを凝縮した『セキュリティ・スクリーニング』(2005)、生演奏を導入したサイケデリック絵巻『プレパレイションズ』(2007)、あえてアナログ・テープに落としたという『エヴリシング・シー・タッチド・ターンド・アンペキシアン』(2009)などのアルバムは、その作品ごとの方法論の「変化と拡張」がもたらす巨大さゆえに、われわれを失語症へと追い込んでしまう。
 その「拡張と失語」の方法論と完成形がもっとも極まった作品こそ、〈ワープ〉から最後のプレフューズ73名義のアルバムとなった2011年『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』だ。ビートもエディットもヴォーカルもサウンドもすべてがサイケデリックなサウンドの万華鏡の中に反射し融解していたのだ。いわば膨張の果ての融解の果て。まるで1968年にリリースされたサイケデリック・アルバムが最新のテクノロジーで「蘇生」してしまったような謎めいた作品に思えたものだ。彼の10年近いキャリアがその時点での結実。以降、プレフューズ73は長い沈黙に入る。

 とはいえ、ギレルモ・スコット・ヘレンは活動を止めていたわけではなかった。自身のレーベル〈イエロー・イヤー・レコード〉を立ち上げ、ティーブスとのユニット、サン・オブ・ザ・モーニングのEPもリリースし、マシーンドラムとのコラボレーション曲も発表した。昨年にはプレフューズ73名義で来日もしていたのである。

 そして2015年、プレフューズ73はついに復活した。数年をかけて制作したトラックは膨大な量になり、そこからブラッシュアップされ、1枚のアルバムと2枚のEPにまとめられた(日本盤はCD2枚組にまとめられている)。リリース・レーベルは〈ワープ〉ではなく、〈テンポラリー・レジデンスLTD〉。ハウシュカやウィリアム・バシンスキーなどのアルバムをリリースしている優良レーベルである。
この新作では、〈ワープ〉後期においては抑圧されていたビートと、あのヴォーカル・チョップが復活した。いわば初期プレフューズらしいマイクロ・エディット・ビートが自由自在に展開しているのだ。そしてサヴァス&サヴァラス的な、彼らしいヴォーカル・トラックも収録されている。新しいプレフューズ73の新作は、軽やかで、メランコリックで、精密で、何よりポップだった。これは2015年現在の「ビートによるアート」であり、彼の「ソングライティング」を満喫できるアルバムでもある。そう、これこそプレフューズ73の新しいスタートだといわんばかりの出来だ。

 私が本作を聴いたとき、ビートやサウンドの構築はたしかに初期プレフューズ的にも感じたが、同時に、そのメランコリックでどこかブラジリアンの雰囲気にサヴァス&サヴァラスに近いものを感じたものだ。「作曲家としてのギレルモ・スコット・ヘレン」の個性が出ているというべきか。彼は優れたサウンド・デザイナーであると同時に個性的な作曲家でもあった。作曲家とは、自身の和声感覚を持っている人のことであり、音楽家ギレルモ・スコット・ヘレンにはそれがある。そして、この新作には、彼のリズムに旋律と和声が見事に畳み込まれているのだ(本作のプロトタイプは2013年にリリースされたサン・オブ・ザ・モーニングのトラックにあったと思う。メランコリックなムードが共通している)。その意味で、彼はクリスチャン・フェネスやステファン・マシューなどのエレクトロニカ・アーティストと同じく「作曲家」として資質が強いアーティストなのであろう。
 そこであえて注目したいのがフリーで配信されたEP『トラヴェルス・イン・コンスタンス, Vol. 25』のラスト・トラック“ブロード・プラント”だ。これがとてもメランコリックな儚い美しさを持ったピアノ曲なのである。サウンドには微かにグリッチ処理がされている。私は、この素朴な曲に満ちているミニマル/メランコリックな雰囲気と空気感にこそ、彼の音楽の本質があるような気がするのだが、どうだろうか。それはとても「女性的」な何かのようである(考えてみると彼のアートワークには女性がたびたび登場する。本作もそうだ)。

 いずれにせよ、今回の「復活」は歴史と現在性の両極から捉えることができる。ひとつはこの15年ほどのエレクトロニカ以降の電子音楽の問題。さらにもうひとつはサンプリング以降、マイクロ・エディットによるビート・ミュージックという問題。そしてそれらを交錯した「現在」の問題である。プレフューズは「フュージョン以前」という意味だという。現在は、彼に影響を受けた(はず)のフライング・ロータスがコンテポリーなジャズ・シーンで存在感を放っているのが時代である。そんな状況下において、「フュージョン以前」という名前を持つプレフューズ73の復活の持つ意味は大きい。この新作を聴き込みつつ、15年ほどのビート・ミュージックとエレクトロニカの意味と歴史と変化を考えてみるのもいいだろう。

文:デンシノオト

interview with Bushmind - ele-king


Bushmind
SWEET TALKING

SEMINISHUKEI/AWDR/LR2

Hip HopTechnoDowntempo

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 街は死んでいる。かつては僕たちの遊び場だった街が。
 いま僕たちが街にいるのには、消費者であることが条件付けられている。渋谷系リヴァイヴァルだって? とんでもない、90年代はセンター街の入口のキノコの屋台が、やって来る外国人を驚かせていたほどだ(笑)。渋谷駅構内では毎週、当時の日本で最高のディジェリドゥ演奏者がパフォーマンスを聞かせていた。コンビニで買ってきた缶ビールを飲みながら、僕はいつも地ベタに座っていた。そんな公共性が残っていたのが1990年代の渋谷で、あの時代がリヴァイヴァルするなんてことは、僕にはとても想像できないな。

 街は僕たちの遊び場だった。ブッシュマインドの2007年のデビュー・アルバムのタイトルは『Bright In Town』=「街の輝き」。まごうことなき街の音楽。ceroも歌っている、いわば「失われた街」の生存者。そして、ブッシュマインドはいまでも街の音楽をやっているひとり。泣くことも嘆くこともなく、たんたんとドリーミーに。

 不良の匂いをさせているところも良い。不良というのは悪人のことではない。管理を拒む者のこと。管理サッカー、管理野球、管理社会……を拒むと言うことは、試合中、臨機応変に自分で判断しなければならないということだから、実は(とくに日本人には)難しい。(シカゴなんかは、管理されることもなく、むしろ臨機応変に自分で判断しかしないから、あんなに多彩なゲットー・ミュージックが生まれるのだろう)
 ブッシュマインドは、そういう意味で本当に自由にやっている。新作『SWEET TALKING』は全21曲が収録されているが、もうひとつ重要なのは、ここに30人以上の人間が参加していることだ。そこにいる30人は、トレンドやハイプなどとは無関係の人たち。『Bright In Town』もそうだったように、いろいろな人たちと繫がることでしかこのアルバムは成立しない。街で出会い、街で遊んでいる人たちと。

音楽が怒りのはけ口だとか、俺はそういうのはとくにないんですよね。ムカついたときに音楽を作るとかもほとんどないですし。俺にとっては、音楽は楽しむものって思っています。

新作『SWEET TALKING』は、いままででベストだと思いました!

Bushmind(以下、B):マジっすか、ありがとうございます!

ブッシュマインドってさ、ヒップホップをベースにテクノを取り入れてるっていう風によく語られてて、たしかにその通りなんだけど、僕はドリーミーなチルアウトってイメージを持っているんですよね。で、まさに今回のアルバムはそれを突き詰めたっていうか。『Bright In Town』からずっと継続されているものなんだけど、それを今回のアルバムはいろんな意味で発展させ、研磨している。素晴らしいと思いました。

B:アップデートするってことをすごく意識しました。過去と似通っちゃわないようにっていうのと、できるだけいろんな引き出しを見せるということ。頭のなかで考えたことをうまく曲に反映できた手応えはありますね。
 こうしたいとか、こうやりたいとかっていうのを、パソコンで細かくいじれるようになって。いままでは一旦サンプリングで強引に形を作って、そっから正解を見つける感じだったんですけど、今回は思ったところにいきやすくなったっすね。技術的にはまだまだ全然ですけど、ここ3年でかなりいろいろ覚えられたので。

8年前とは違うぞっていう。

B:そうです(笑)。

ブッシュマインドらしさがすごく出てるよね。13曲目とか、16曲目とか、本当に良い感じのチルアウト・ヒップホップというか。サイケデリックというよりは、チルアウトでありドリーミーなんだよね。前に会ったときはアンチコンからすごく影響を受けているって言っていたけど、アンチコンはもっと実験っていうかさ。

B:ちょっとアート的なね。

そうそう。ブッシュマインドはもっと陶酔的じゃない?

B:そうですね。単純に音楽として楽しめるようにっていうのは考えてやっていますね

ストリートから来るタフな感覚はあるんだけど、同時にドリーミーでチルアウトな感覚が一貫してあるというのは何でだろう?

B:好きなんですよ。何も考えないで作ると自然とその方向へ行っちゃって。

『Bright In Town』(2007年)でブッシュマインドの印象を決定づけたのって、やけのはらとやった"Daydream"だったと思うんだよね。で、ブッシュマインドは、あの曲で表現した感覚をさらに自分に引き寄せて、どんどんブラッシュアップしていったよね。『Bright In Town』の次に『Good Day Commin'』があったでしょう? あれって3.11の年(2011年)だったんだよね?

B:そうですね。

まだショックが生々しかった時期だったよね。いたるところでネガティヴな感情が表出していた時期に、「良い時代がやってくる」というアルバム名の、しかもあれだけドリーミーでスモーキーな……(笑)。

B:はははは。

だって、あの時期だよ。あの時期に『Good Day Commin'』を出すというのは、やっぱりそこにはブッシュマインドなりの時代へのスタンスっていうかさ。

B:そこはけっこう分けていますね。音楽が怒りのはけ口だとか、俺はそういうのはとくにないんですよね。ムカついたときに音楽を作るとかもほとんどないですし。俺にとっては、音楽は楽しむものって思っています。

ある意味では、あの時期にあれってリスキーだと思ったんだよね。

B:いろいろ起きているなかで、おちゃらけてるみたいな(笑)。

わかってて、あえてというか?

B:自分はああいうドリーミーな部分が好きなんだけど、その裏にハードコアな熱い部分をチラ見せするみたいのが、真っ正面には見せない感じが理想ですね。アーティストを追っかけていても、実はムチャクチャ喧嘩っぱやいとかムチャクチャおっかないとか見せてない、裏の一面があるアーティストがすごい好きで。自分が不良じゃない分、そうゆう人には憧れがありますね。

それは本当の自分じゃないと?

B:はい。

今回の『SWEET TALKING』もそうだけどさ、『Bright In Town』や『Good Day Commin'』にしても、タイトルからして、桃源郷の方へ行くじゃない(笑)?

B:だから俺、今回もかなり意識しましたね。“bright”、“good”ときて、さて次はどうしようかなって(笑)。

はははは。

B:でもなんで好きな部分がそっちの方向なのかというのと……。うーん、なんでですかね。

サイプレス・ヒルというよりは、ナイトメアズ・オン・ワックスなわけでしょう?

B:そこを隠したいというのと、俺はできるだけいろんなひとに聴いてもらいたいというのがあって。そういうポジティヴな方向のほうがよりたくさん聴いてもらえるかなって。

みんなはそこで「グッド・デイズ・カミン」ではなく「バッド・デイズ・カミン」って思っているわけじゃないですか?

B:そうなんですかね。自分は楽しく過ごしたいっていうのがあるんで。自分の音楽にそういうネガティヴな要素を入れたいとはそんなに思わないんですよね。作っていてほんと楽しいんで。

今回のアルバムでも、テクノのビートっていうかさ、ヒップホップのトラックメイカーだったらまず作らない曲も入ってるよね。BPMもダンス・ミュージックのテンポだったりするし。

B:そうですね。

アシッド・ハウスっぽいのもあるんだけど。

B:今回は303を多用してますから。偽物ですけどね(笑)。いやぁ、もう楽しくなっちゃって。本当にあの機材はすごいんですよ。ついつい使いすぎちゃった。自分の好きな音とフレーズを決定づけてくれるというか。キラキラしたコードも出やすいというのもあって。

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自分はああいうドリーミーな部分が好きなんだけど、その裏にハードコアな熱い部分をチラ見せするみたいのが、真っ正面には見せない感じが理想ですね。


Bushmind
SWEET TALKING

SEMINISHUKEI/AWDR/LR2

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「ヒップホップとテクノの融合」みたいなことよく言われるじゃないですか? 今回もまさにその通りなんだけど、そういうミックス感覚はある程度自分でコントロールしているの? この曲はテクノっぽくいこうとか、あとはロー・ビートで何曲くらい作るとか?

B:全部はできてないですけど、アルバムの全貌がある程度見えてきてからはコントロールしましたね。最初はとりあえず何も考えないで曲を作ってコマとしてを並べていって、最後のほうはその隙間というか被らないようにっていうのを意識しましたね。
 あとは自分が聴いて素直にアがれる曲というか。設定優先とかやり方優先とか、方法論で作っても、最終的に聴いてちゃんと機能するものを意識したっすね。

設定とは?

B:設定が面白かったりする音楽ってけっこうあると思うんですけど。たとえばアート・リンゼイが楽譜をシャッフルして演奏するのとか、ああいうのは最終的な仕上がりよりも設定が優先なのかなって自分は思ったので。

ブッシュマインドのミックス感覚は独特だよね。ヒップホップ系のひととも違っていると思うし。

B:もともと曲作りも混ぜて遊ぶっていう感じだったからっすね。DJをしていて2曲、3曲重ねたときに全然違った感じになるときとか、やっぱすごくアがるんですよ。混ぜてまったく違う曲にするっていうのが、自分のDJをする醍醐味だと思っていて。

いまは何を使っているの? 

B:いまはCDですかね。ターンテーブルも使いますけど、データが多くなってきているんで、CDに焼いてますね。それで混ぜてまったく違う曲にするっていうのが、自分のDJをする醍醐味だと思っていて。

そういえば、『Bright In Town』から8年経ったんだね?

B:そうですね。CDが廃盤になってました(笑)。アマゾンで海外の業者が1,5000円とかで出してて「えー!」みたいな。実際、ネットで探しても全く出てこなくて。「もうそんなに時間が経っちゃったんだ」って。

早いよね〜。あのアルバムは、時代のある場面を描写したっていうか、関わっている人間の数もハンパなかったよね。

B:あのときは友だちがどんどん増えて躁状態になってましたね。友だちが増えるといろんな街に行って遊ぶ機会も増えてったんで。その思い出をパックしたアルバムですね。

この8年のなかで、タカアキ君のなかで変わったことって何でしょう?

B:変わったこと……。この8年ですよね。難しいですね。どんだけ変わったんすかね……。

日本社会でいうと、3.11があってものすごく揺れ動いた。それで『Good Day Commin'』が出た。それから数年後、安倍政権が誕生したと。音楽でいうと風営法があったりとか、ますます音楽が売れなくなったりとか。だって、8年前の『Bright In Town』って〈エイベックス〉じゃん。こういう音楽を〈エイベックス〉から出すことって、もう考えられないでしょう(笑)。

B:俺も本当に信じられない(笑)。その思いが年々強くなってるんですよね。当時は「すげぇ良い話がきた!」くらいにしか思ってなかったけど、いま思えば挑戦的なことをしたんだなって。

〈SEMINISHUKEI〉はその前からだよね?

B:レーベルは2000年初頭くらいですね。ずっと人数が少なかったんですけど、ストラグル(・フォー・プライド)のライヴに行くようになって、友だちが一気にバーンっと増えてメンバーを増えていった感じでした。そのときは大人数で遊ぶのがムチャクチャ新鮮で楽しかったですね。
 ただ、時間が経つと離れていくひともいて。そうゆうときにいかに固く自分たちの世界を作れるかっていうのは、すごく意識するようになりました。大所帯のクルーが時間経ってバラバラになって残念な感じになってくってのはよくあるけど、その流れには抵抗したいですね。

『Bright In Town』は勢いって感じがあって、それが良かったし……。あれを出したときに時代は変わるって思った?

B:いや、そこまでは意識していなかったです。本当に初めてなことばっかりだったので、作ることを楽しんだというか。ラップ・トラックを作るのも初めてだったし、ラッパーの友だちもいなかったっすから。それでいろんなひとに紹介してもらって。楽しかったですね。

セカンドの『Good Day Commin'』のときは、また状況が違っていただろうし。

B:あのときはマーシー君、〈WD Sounds /PRESIDENTS HEIGHTS〉が自由にやらせてくれたんですよ。まあ、逆に大変でしたけどね。

あの作品はマーシー君から出さないかってきたの?

B:そうっすね。ただ今回のリリースの話を振ってもらってからがこれでコケたら周りも道連れにするなって思って(笑)。チャンスが来たと思ったのと同時に責任も感じましたね。

世のなかのコミュニティのあり方も、この8年、ネットの普及によって多様化したよね。だって、8年前はツイッターとかなかったわけだからね。

B:ネットはもちろん使っているんですけど、作品を作る上でネットのみのやり取りっていうのは避けてますね。最初のきっかけとしてはいいと思うんですけど、曲を作って実際会ってみたら反りが合わなかったりとか。実際会わないとズレも生まれるし、国が違ったら文化も違うじゃないですか。ネットでも面白い出会いってあると思うんですけど、現場で繋がってできる音楽の方が魅力を感じますね。

それがブッシュマインドだもんね。

B:そうですね。いまは情報を手に入れやすくなったぶん嘘もいっぱいあるじゃないですか。情報に踊らせれて型にはまらないようにってのは気をつけてます。いまって、世界で時間差なしで流行があるようになってきているじゃないですか?

そんなこともないと思うよ。すごく時間差を感じるこもあるし、言いたいことも言えない監視社会になってきているようにも感じたり。本来は自由な発言の場であったハズなのに、ますます不自由な場になっているような。

B:しかもそれが生産的じゃないですもんね。

批判とかじゃなくて、たたきつぶしてやろうっていうね(笑)。そういう意味では、クラブ・カルチャーにはまだまだ役割があると思うんですけどね。

B:音楽に関しては、ネットは使い方によってはいくらでも広がるし、曲との出会いが、ここ最近いっぱいあるんですよね。いまカヴァー曲を聴くのにハマっていて、あるサイトで検索すると世界中のいろんなカヴァーが出て来て、すごく面白い出会いが増えたんすよね。レコード屋に行ってジャケでピンと来て、買って、家に帰って、ブチ上がるみたいなのとは差がありますけど。

タカアキ君は自分は不良じゃないって言ったけど、もうちょっと広い意味で、オモロい不良が年々いなくなったって感じもする。自分が年取っただけなんだろうけど(笑)。

B:たしかにモンスタークラスのニューカマー、そんなに聞かないすね。

ヒップホップはそれでも受け皿になっているように思うな。ゴク・グリーンかさ。

B:A-Thugって知ってますか?

知らないっす。

B:俺はまだ会ったことはないんですけどムチャクチャ聴いてて。『Streets Is Talking』ってアルバムが最高ですよ。

ちょっと、メモっておくよ。

B:今回参加してくれたなかには面白い不良がいるっすね。でもたしかに、ラップが上手いやつはたくさんいるんだけど、それプラスで不良スピリットの両方を持ち合わせた若手って、あまりいないですね。

俺はゴク・グリーンやコウも好きだよ。

B:ゴク・グリーンは聴いたことないですね

たくさん聴いているわけじゃないから、きっと他にもいるんだろうけど。

B:今回のアルバムに参加しているひと以外では、自分のまわりではあんまりいないですね。いるとは思うし、希望も期待もあるから出会えていないだけかもしれないんですけど、まだ耳には届いていないです。

でも、たとえば、このアルバムに参加しているR61 Boysという人たちなんか街の匂いを感じますよね。

B:こいつらの不良度は計りきれてないんですけど、面白い刺激を求めて遊び回ってる印象ですね。どこまでが軍団かわからないですけど、人数もムチャクチャいるすね。新潟の六日町にあるBARMってクラブで自分の企画やったことがあって。R61 Boysにライヴやってもらったんですけど、友だちが30人ぐらい来て。地元のお客さんより多かったです。

今回集まっているメンバーっていうのは、世代的にはどうなんですか?

B:同年代が多いかな。TOKAI勢はちょい下すね。最年少はCOOKIE CRUNCHす。

NIPPSさんも参加しているんだね。

B:NIPPSさんは本当に夢が叶ったって感じですよね。

この曲、かっこいいよ。ひとりだけ毒を吐きまくっている(笑)。

B:いやー、できてびっくりしたっすわ(笑)。分のトラックがあんな曲になるってほんと最高の遊びですね。

CENJU君も参加しているね。

B:こいつはヤバいっすよ。下北にもトラッシュがいたんだっていう。もうゲットー感が。

彼は〈DOWN NORTH CAMP〉のひとだよね?

B:そうです。CENJUとはここ2年くらいで仲良くなって、こんなやつがいたんだって思ったんですけど。あとはKNZZ、大ファンなんですよ。もう不良道。人生がすごくドラマチックですもん。アシッド・テクノみたいな曲でラップしてるやつなんですけど、”Planet Rock”って曲ですね。

”Planet Rock”もユニークな曲だよね。

B:KNZZ君は元々渋谷のアイス・ダイナシティってグループでけっこうトップの方まで人気が出ていたんですけど、トラブルとかでいなくなった状態になって、そこからの復活なんです。それでいままでの負の遺産を返しつつ新しいことをやって。

“Friday”という曲では、R&Bをやっているんですよね(笑)。

B:これもやりたかったことですね(笑)。歌ものをすごくやりたかったんですよ。かなり力を入れました(笑)。曲を作る前に集まって「クラブでの出会いが良いんじゃないか」って。

歌っているルナさんはどういうひとなんですか?

B:ルナさんはMaryJaneってふたり組のグループで活動してて。まわりの友だちで昔から遊んでた人間がけっこういて、音源といろいろ話も聞いてたので紹介してもらった感じですね。

小島麻由美さんにも新たに歌ってもらっていますね。この曲も面白かった。

B:これはかなりエクスクルーシヴになるなと思って。小島麻由美さんに歌ってもらったら面白いことができるんじゃないかと思ってました。最初はダブっぽい感じで歌が入ってきてみたいな感じで考えたんですけど、途中でラップ・トラックみたいになってきちゃって。

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あと連絡が大変だったっす。セカンドでちょっと人数が減ったんで、忘れてたんですよね(笑)。途中で全員にメールして確認を取らなくちゃいけないんだって思い出したとき、発売の延期をちょっと考えましたね(笑)。


Bushmind
SWEET TALKING

SEMINISHUKEI/AWDR/LR2

Hip HopTechnoDowntempo

Amazon iTunes

そういえば、少し前にトーフビーツのリミックスもやったじゃないですか? あれは、さすがにびっくりした。だって、トーフビーツの曲をブッシュマインドやRAMZAがリミックスしてるんだもん(笑)。

B:あれはスタイル・ウォーズというか、好きなアーティストを使ってどれだけ面白いことができるかをやらせてもらった感じですね。大阪のトラック・メイカーも参加したんで。

いや、良い企画だと思いますよ。トーフビーツについてはどう思う?

B:才能があるなって思います。あの曲の構成は自分にはできないんで、勉強になりますね。好みじゃない部分もありますけど。

ふだん向いているところが違うからね。でも、違うトライブが、リミックスという作業を通じて同じ盤にいることは良いよね。

B:ナード的な物も俺は良い物があると思うし、否定するつもりはないですよ。自分の好きものにもそういう音楽はあるし。ただ、音の鳴らし方とかで音色でちょっと物足りなくなってきちゃうかなって。彼のスタンスは好きですね。斜めに見ていそうな感じとか(笑)。

そこへいくとブッシュマインドや〈SEMINISHUKEI〉って、決して人付き合いが得意なほうではないからねー(笑)。

B:そうなんですよ(笑)。だからいまいち広がんないっていうところがあるんすよね。

それは8年経っても変わらない?

B:〈SEMINISHUKEI〉のメンバーでアルバムを出したのって、3、4人とかですよ。総勢30人くらいいるなかで。本当は仲間うちで作品を出して競い合うっていうのが俺の理想なんですけど、なかなか実現できないですね。あ、でもDJ Highschoolってやつが1ヶ月前にすごく良いアルバムを出したんです。かなり刺激になりましたよね。

へー。

B:Highschoolはすごいっすよ。彼は、どんなジャンルでも興味を持ったらすぐに自分でやってみて、簡単な方法でかっこいい物を作ることができるんですよ。もちろん掘り下げもするんですけど。DJ以外にラップやハードコアのバンドもやっているし。

いろんな人が参加しているんだけど、OVERALLというトラックメイカーも面白いと思った。

B:才能があるっすね。レコードの堀り方も尋常じゃなくて、DJもすごくいいんですよ。やっちゃんとクマと3人でミックスを聴いて、みんな「これはヤバい」ってなって、「〈SEMINISHUKEI〉に入ってもらおうか」って。2マッチ・クルー周辺の人間とも仲いいんで、その影響もでかいんじゃないかと思います。

今回は、トラックメイカーも何人もフューチャーされているんだけど、これは土台となるものをタカアキ君が作って、それに手を加えてもらうの? 

B:いや、その逆で、もらう方が多かったすかね。それを俺が料理してちょっと足したりとかループを変えたりですかね。OVERALLと作った曲はけっこうシンプルで、最初のピアノとサンプリングがOVERALLで、途中から入ってくる303を俺が入れた感じで、あとは展開を自分でアレンジしました。なんかひと味足すっていう。

ひとりで黙々と作るよりは誰かとやっていた方が楽しい?

B:作業によりますね。細かい作業はひとりでやりたいです。ただ、その土台になったりする部分で自分にないものが入ったりすると展開が一気に変わったりすることがあるんですよ。たとえばハットを入れてもらったとか。そこから自分の発想が増えていったりもする。フィードバックが起きたときの感覚がすごく楽しいんです。バンドってひとじゃなくてみんなで作るじゃないですか? 僕はやったことがないんでわからないんですけど、そういう感じなのかなって。だからもちろん相性が悪いひととかはなかなかできなかったりするんですけど、気が合うと、あっという間に仕上がることもあるんで。

今回の作品は、タカアキ君のなかで予定よりも伸びた?

B:完成は伸びましたね。ホントにギリギリでしたからね。ラップ取り終わった後にもトラックを最後までいじってた曲とかがあったんで。あと連絡が大変だったっす。

それ、『Bright In Town』のときも言ってたじゃん(笑)。

B:セカンドでちょっと人数が減ったんで、忘れてたんですよね(笑)。途中で全員にメールして確認を取らなくちゃいけないんだって思い出したとき、発売の延期をちょっと考えましたね(笑)。

はははは。それで井坂さん(担当A&R氏)に怒られたと?

B:いや、それで予定を見たら俺が1週間早く勘違いしていて。まだいける、みたいな。3枚目なんでサッとできるトラックメイカーを目指したかったんですけど。

ジャケの絵は〈フューチャー・テラー〉でも書いているひとなんでしょう?

B:そうですね。本人たちは服飾をやっていたりしていて。ROCKASENとかもそうですね。同じクルーみたいです。

アートワークに関してディレクションはしたの?

B:一応、ホークウィンドの『スペース・リチュアル』を(笑)。

ホークウィンドって、ヒッピーだよ(笑)。

B:いやいや、レミーはヒッピーじゃないですよ!

いや、レミーはヒッピーだよ(笑)。

B:まあ、時代的には、そういう要素もあったかもしれないですけどね(笑)。

しかし、なんで『スペース・リチュアル』だったの?

B:サイケデリックの数ある名盤で、自分のなかではこれが金字塔なんです。今回は、そのくらいの作品を作りたかったんです。ワックワックにアートワークをお願いするのは決まっていたんで、じゃあ、何をお願いするのかってなったときに、彼らにこの絵を描き直してもらってリミックスしてもらったら面白いんじゃないかなって。ヒップホップのアルバムにホークウィンドっていう設定自体もないと思うんで。あとホークウインドのファンのひとが間違って手に取ったりしないかなっていう(笑)。

それは感想を聞きたいね。

B:冒涜だとかいって、怒る人とかもいそうですよね(笑)。

ところで、タカアキ君はなんでそんなにヒッピーを嫌うの? ヒッピーいいじゃん。ある意味では、俺らの先輩とも言えるよ。

B:まぁ、切り開いてくれたヒッピーもいたかもしれないんだけど、ラヴ&ピースで全部片付けるっていうのは、ちょっとなっていうのがあるんですよ。裏側がないっていう。その裏側が重要だと思っているんで。そこはあえて見せるものでもないと思いますけど。

ブッシュマインドのドリーミーな裏側だね。

B:あと、俺が良いヒッピーに出会っていないんだと思います(笑)。面白いヒッピーに出会ったら、俺の考え方も変わるかもしれないですね。ダメなヒッピーってたくさんいるじゃないですか。こうありたいっていう理想像と自分が思うヒッピーの姿は全然違うというか、ある程度ひとぞれぞれの美学やルールが必要だと思うんですよ。そこがぶつかるのはしようがない。

でも、8年後には変わっているかもしれないよ(笑)。

B:そこは確認させてください(笑)。「野田さん、8年経ちました」って(笑)。

でもさ、タカアキ君は、60年代とかも好きそうじゃない?

B:サイケデリックも、やっぱりブルー・チアーとか。ブルー・チアーはヘルズ・エンジェルスじゃないですか。アイアン・バタフライは、ヒッピーっぽいすね。あのバンドは大好きですね。あの人たちに出会えたら、ヒッピーが好きになるかもしれないですね(笑)。

 「おまえはおまえのロックンロールをやれ」とは、あらゆる抵抗がなかば強制的に運動へと一元化された時代への批評(反省)から生まれた言葉なのだろう。「おまえ」は殺され、「人びと」という主体だけが許された時代への。
 その晩、僕はいったい何回「おまえはおまえのロックンロールをやれ」という言葉を聞いたことだろうか。
 23日の夜遅く。よみがえったのは、ステージのうえでお揃いの赤いスーツを着ていたあの時代の、酒すら飲めない若いファンが途中で嘔吐てしまうほど圧倒的な存在感をはなっていた江戸アケミその人ではなかった。「おまえ」だった。新世界がいっぱいだから100人弱だろうか。集まったオーディエンスの半分は、どう見てもリアルタイム世代より若かった。

 こだま和文を一目見たかったというのもある。
 手術後の初ステージだったが、酒とタバコを持って登場した彼は、“もうがまんできない”を歌った。「ちょっとの搾取なら/がまんできる/それがちょっとの搾取ならば」──レゲエのリズムに乗って「がまんできる」ことを繰り返すことで「がまんできない」と表明する反語表現ならではのインパクトを持った曲だ。ぶっきらぼうに反復される言葉は、じょじょに熱を帯びながら重なっていく。見事なパフォーマンスだった。


 
 江戸アケミ抜きで、そして篠田昌已抜きで、じゃがたらの曲をやること自体がリスキーなのは、ステージで演奏する人たち全員がわかっていたことだろう。とくに南流石、EBBY、エマーソン北村、桑原延享といった生前の江戸アケミを知る者たちからしたら、心のどこかに抵抗がないはずがない。南さんはステージで「こんなコピー・バンドにお金払って来てくれてありがとう」と言っていたけれど、自嘲や謙遜ではなく、本心なのだと思う。
 しかし、それでもやるんだ、やりたいんだという純粋な気持ちが、とても清々しく伝わってくるライヴだった。故人を必要以上に崇めるような嫌味なところも、内輪的なところもなかった。感傷的にはなったけれど、過去を懐かしむ感じではなかった。OTOさんはその晩のために、熊本の農場から、現在の自分の暮らしぶりとじゃがたら弾き語りメドレーの動画を送ってくれた。
 スペシャル・ゲストとしてラップを披露したいとうせいこうにも拍手したい。僕はその晩、Pヴァイン40周年のイヴェントがリキッドであったので、ECD〜B.D. & NIPPS、それからSIMI LABという錚々たるラッパーのパフォーマンスを聴いて新世界の駆けつけたのだけれど、いとうせいこうの、早送りで言葉の意味を解体していく──としか言い表しようのないラップは僕にはあらためて新鮮に聴こえた。
 とにかく、その晩演奏された曲は、過去を懐かしむことを拒み、現在の曲として再現された。「ああしろこうしろそうしろと/あいつからが今日もがなりたてる」と歌う“みちくさ”なんか、橋元優歩が聴いたら泣くんじゃないのかな。
 が、しかし、泣かないだろう。じゃがたらに涙は似合わない。ねっとりとしたファンク、腰をくねらせるアフロ、身体に響くレゲエの複合体。徹頭徹尾ミニマルなダンス・ミュージックなのだ。“都市生活の夜”や“裸の王様”は、いまでもみんなを踊らせる。そして、音楽における言葉はつねに音とともにある。音と一緒になったときに、書き言葉にはないマジカルな威力を持つ。とくにダンスと一緒になったときは。

 江戸アケミという人には生きていくうえでのマリーシア、ある種のずる賢さ、ほとんどの人には備わっているであろう適度な欺瞞というものがなかったのだと思う。彼の並外れた愚直さは、語り継がれている多くのエピソードから容易にはかり知れる。

 「おまえはおまえのロックンロールをやれ」と言ったのは、江戸アケミ自身が「おまえ」=個という主体になりきれなかったからだと僕は思う。「人びと」「ピープル」「私たち」「社会」とか、どうしようもなくそういう主体から逃れることができなかったのは、他でもない江戸アケミだったのではないか。音楽は世のため人のためにある。ダンス・ミュージックは共同体の音楽だ。じゃがらの楽曲は、あれだけ強烈なものを発しながらエゴイズムがない。江戸アケミの歌詞には、フォーク上がりの日本のロックにありがちな“僕”や“俺”の私小説性がないのだ。
 じゃがたらのカヴァー演奏がリアルに思えたのは、楽曲が作者の所有物になることを拒んでいるからだろう。目の前に広がる風景のように、他の誰かに歌われてしかるべきものとしてある、ということなのかもしれない。だから、「おまえはおまえのロックンロールをやれ」とは、表向きには個を主張しながら、しかしむやみやたらに個に帰れと言っているわけでもない多重的な言葉なのだ。プロセスがあり、コンフリクトがあり、そしてどう考えても未来への期待と希望がある。夜も11時をまわったというのに拍手が鳴り止まなかった理由を説明せよと言われたら、僕にはそうとしか答えようがない。

 アンコールは“タンゴ”だった。“タンゴ”がアンコールだった。ということは、あんなに大きな拍手がなければ、“タンゴ”はなかったのだろうか。レゲエのリズムを使っているとはいえ、あれはやはり重たい曲だ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“ヘロイン”だ。街の悲しい闇だ。決して後味が良い曲ではない。しかしあえて、このハッピーではない人気曲を最後に持って来たのかもしれないな。
 終電に乗って駅を降りて、「こーこーろーの〜もーちーよーさ〜」とか「ああしろこうしろそうしろと」とか歌いながら家に帰った。5年後にまた何かやるそうだ。でも、「今、今、今、今、今が最高」。「おまえはおまえのロックンロールをやれ」、至言とはこういう言葉を指すのだ。
 

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