「K A R Y Y N」と一致するもの

Eccy - ele-king

どもです!エクシーです。

2月も半ばになりましたが、2014年のアルバムチャートを発表したいと思いますー!!

今年はCandleさんとFollow The White Rabbitというヒップホップユニットを組んだので、アルバム出します。その他もまだ発表出来ないプロジェクトなどもあるので、お楽しみに!

10 Best Albums Of 2014

Sunil Sharpe - ele-king

 初期にはゼロ年代のドローン/パワー・アンビエント・ムーヴメント以降の良質なローファイ・クラウトロックやエクスペリメンタル系のリリースを手掛けている印象の強かったアイルランド発のインディペンデント・レーベル〈トレンスマット(Trensmat)〉が近年は良質な電子音楽をリリースしている。「ドローン、ノイズ、オシレーション、そしてグルーヴをお届けします」というレーベルのステートメントにあるように、彼らには純粋な意味での電子音楽に対する美意識を強く感じさせるし、多くのレーベルが繋ぐことができなかった過去10年間のアンダーグラウンドの流れを見事に包括している希有な存在ではなかろうか。

 アイルランドはダブリンを拠点に活動するスニル・シャープ(Sunil Sharpe)は90’sリヴァイヴァル・ハードテクノに終わらない現代的な感覚をトラックへ昇華させているし、それが彼のサウンドの比較対象であるようなベテラン勢たちが近年みせてくれる、ノワールなイメージ、リヴァーヴに劣化音質といった判で押したようなスタイルとは決定的に異なっているのも好印象である。

 スニル・シャープが同郷のディフェクト(DeFeKT)と結成したライヴ・エレクトロニクス・デュオ、ティンフォイル(Tinfoil)もまた素晴らしい。〈ブラックネックス(Blacknecks)〉傘下である同名レーベルからこれまで2枚の12インチをリリースしているが、どちらも息を呑む、セッションならではの緊張感をテクノに落とし込んだ良盤である。

直球なアシッド・ラインに乗る、ハードを用いて探求されたであろう個々の音作りも見事で、近くに寄ってテクスチャーを感じても、遠くからグルーヴに身を任せても楽しめるレコードとなっている。なぜアルミ箔なのか? そのあたりもガッツリとコンセプトがありそうではあるが不明である。そういえばDJソイビーンズ(DJ SOYBEANS)の音源のジャケもアルミ箔なんだけど流行ってるのか? 噛んだ感じがいまのテクノっぽいとかで?

interview with NRQ - ele-king

 2014年12月29日午後8時過ぎ、インタヴューを終え、服部将典とともに宴もたけなわの階下に戻ると居間のソファの上でおくれてきた中尾勘二が牧野ジュニアともつれあっていた。嬌声をあげ激しく対等に遊んでいる。場のムードはだんだんによいよいで、敏腕ディレクターである〈Pヴァイン〉の安藤氏はほかに担当するバンドのライヴがあるので辞去され、取材を終えた吉田さんの頬はほのかに赤らみ、ホストの牧野氏はもてなしに忙しい。私はビールを2、3杯飲んだけれど酔うほどではない、というか取材なのでベロンベロンになるわけにいかない。ゆえに素面、シラフのMCなのであった。

 このインタヴューを読まれる前に、昨年初秋に出たエレキング別冊第1号をお持ちであれば、そのなかの中尾勘二と牧野琢磨の記事にお目どおし願いたい。コンポステラやストラーダでハナからジャンルにおいそれと括られなかった中尾勘二の多才、異才の一端をそこには記しており、本稿はそれを承けつつ、ひとまわり以上年の離れたバンドのなかで、打楽器および管楽器奏者あるいは作曲者として何を目論見、また初志というよりも音楽の本能というべきものを貫くことの楽しさと難しさについての彼の考えを補遺するものとなれば幸甚である。

 とまれ、ここで私がながながと書き連ねるのもヤボであろう。話のつづきにさっそくとりかかりたい。
 もっともっと遊んでほしそうな牧野くんの愛息に断って、二人は階段をあがり中尾勘二はこういった。
「あのひと(牧野ジュニア)は自分の意見を通したい、一度何かを思いついたら変えたくないんですよね。非常によくわかります。その発想も組み方まで私と似ている。思いつきなんですよ」


NRQ - ワズ ヒア
Pヴァイン

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その思いつきを完遂するんですよね。

中尾:思いつきでいってみようって感じなんですね。

外部から説得されて考えが変わることはありませんか?

中尾:まったくないです(笑)。

それは説得の仕方如何ではないですか?

中尾:それだけの力量あるひとがついぞ現れなかったということでしょうね。

いまに至るものもありませんか?

中尾:協調性に関しては、小学校の5、6年のときの先生が多少は軌道修正をしてくれました。4年生までの先生は完全に私にお手上げだったんですが、その先生にはその感じはありませんでした。お陰で若干協調性は芽ばえました。若干ですよ、若干。

先生たちの対応から大人を観察していたのかもしれないですね。

中尾:私のオヤジは教育者だったんですが、ああいうので先生が務まるのだろうかとつねづね思っていたんですよ。親子関係が悪かったわけではないですけどね。趣味は合うんです。山に連れていかれても山は嫌じゃないし、音楽も演歌とロックのレコード以外はたいがいあってそれが毎日のようにかかっていて、それはいいんです。だからちょっといびつでした。
 先生のアレは職業病なんですかね? 何かと絡んでくるんですよ。オヤジは家でも自習時間に回ってくる先生みたいな感じで、何か悪さをしているんじゃないかと監視するんですね。そのときの録音の記録が残っていますよ。

とにかく録音でした。ラジオが好きで。中波、短波ラジオを録音していました。

中尾さんが監視を録音されたということですか?

中尾:はい。オヤジが様子を見に来たところを録音したんです。いま聴いてもあれはゾッとします。足音が恐いんですよ。ドン、ドン、ドン、ドンとしだいに大きくなって、最初は小声ではじまるんです、九州弁で「何しよっとや?」って。それを4回繰り返すたびに声がだんだん大きくなり、最後は「何やってんだ!」と大声です。私はビビりながら「あっ、ちょっと録音を試している」というのに対して「ひとが喋っているのを録るんじゃない。このバカ野郎」みたいな返答をしているのが録音に残っています。恐怖政治のなかで私は録音に勤しんでいたんですね(笑)。

録音が世界との接点だったのかもしれないですね。

中尾:とにかく録音でした。ラジオが好きで。中波、短波ラジオを録音していました。昨日も聴き返したんですが、その頃に録ったものはいまもおもしろいですね。北朝鮮の70年代のアジ番組とかね。

朝鮮語だと何をいっているかわからないですよね。

中尾:日本人を洗脳するための日本語放送なのでわかるんです。私はそれでプロレタリアートとかブルジョアとか帝国主義ということばを憶えました(笑)。

北朝鮮からことばを輸入したんですね。

中尾:裏切り者集団とかね。当時のソ連のことなんですけど。フルシチョフとかブレジネフは裏切り者集団で、資本主義をとりいれているとかね(笑)。

でもそれはただの演説ですよね?

中尾:その喋り方が面白いと思ったんですよ。日本人はこんな喋り方はしないなと。NHKの喋り方ともちがうけれども、調子は日本語と似ているんですよ。当時は韓国の日本語放送も聴いていました。『玄界灘に立つ虹』とかね。それもテープが残っているんです。北朝鮮とは内容がだいぶちがいます。つまりスピーカーとか、マイクとか、電波を介していろんなことをやるということですね。録音をしてしまえば、そのなかに入っていけるような気がしたのかもしれないですね。

ご自分を音素に還元する感じなのでしょうか?

中尾:というよりラジオのマネがしたかったんでしょうね。そんなに高尚な考えではなかった。

テレビではなく、あくまでラジオなんですね。

中尾:ビデオが普及する前だったので映像をつくるのは現実的ではなかったし、テレビの画面のなかにはどうやっても入ることができなかった。ウハハハハハ。でもラジオはがんばればトランスミッターでFM音源を飛ばすことも当時はできたし、そこまでしなくてスピーカーから出ている音自体を、これは放送だと自分にいい聞かせれば、それは放送なんです。ただ再生して聴いているだけでも、これは放送だっていう設定の自分がそこに居れば、放送になりえるわけですよね。そこがテレビとはまったくちがいます。

中尾さんはインターネットのような現在のメディア環境に興味はありますか?

中尾:ないですね。

それは当時のメディアとまったくの別物ということでしょうか?

中尾:いや、延長線上にあると思いますよ。

じゃあなぜ興味をもたれないんですか?

中尾:自分のキャパを超えているんです。ネットを引くにはお金が要る。これはマジメにそうなんです。携帯を持たないのと同じで、経済的な理由ですよ。いまはだいぶ安いのがあるらしいですけどね。私は通信費は3000円までと決めています。

その上限はどこに由来するんですか?

中尾:NTTからくる請求書がだいたい2500円くらいから携帯のひとと長電話をしたときは3000円くらいだから。

なるほど(笑)。

中尾:それ以上は払いたくないですね。それに携帯ではファックスが受けられない。

携帯をもつ代わりに家の電話をやめなければならない?

中尾:経済的にはそうせざるを得ない。どっちを選ぶのかってなると、まだまだ家電いえでんとファックスでいけるだろうと。明日仕事があるかどうかわからない人生を歩んでいるので、とにかく、いまあるお金を大事に大事にしていかなきゃいけないわけです。

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私は18歳のときにはじめたビルメンテナンスを生業に収入を得て、その片手間に何かお誘いがあったら音楽の真似事をやっている、そういう設定になっているんです。


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しかし中尾さんはこれだけ長いこといろんなバンドで活躍されてきましたよね。

中尾:はっきりいってそれは関係ないですよ! プラマイで考えたらゼロかマイナス、いやはっきりとマイナスですね。ちゃんとした会社に入れるとは思いませんけど、それでもフルタイムで週6の仕事をすればもっと安定するはずなんです。演奏していたらそんなことできっこないじゃないですか? 音楽なんかやっているから貧乏なんですよ。こんなことに片足を突っ込んじゃったせいで──

片足ではないと思いますが。

中尾:いや、片足です! 私はビルメンテナンスの仕事をしているんですが、1年半前に定期で入っていた現場の仕事がほぼ7割くらいなくなったんです。これはもう家賃が払えないとなと、急遽借金をして引っ越しまして、部屋も広さを半分に、家賃をきりつめ、荷物を田舎に送り返して、要するに生活レベルをガクッと落とすことによって、ギリギリ生き延びることに成功したんです。でも定期的な収入は何も確約されていない。偶然この1年半はなんとかなっているだけで、来年以降のことはまったくわからないですね。そんなときネットなんてやっていられないですよ。ハハハハハ。

でも中尾さんの口ぶりには悲壮感をおぼえませんね。

中尾:額面どおりにこの状況を受けとめたら、私は本来3つくらいバイトをかけもちしなきゃいけないんです。それを「なんとかなるだろ!」と思うために現実をみないようにしているんです。そうすることによって、逆に何とかなっているともいえるわけですよね。あくせく昼も夜もバイトいれたりするべきなんでしょうけど、そういうのはいっさいしない。ないときはないときでいい、あるときに稼いでプールしておけばいいと思ったんです。でも逆にそのためには極端な節約ですね。通信費は3000円まで、外食は基本的にほとんどしない、酒もタバコもやらない、飲みに誘われても10回に1回しか行かないとかね(笑)。そうしている間もレコードを買ったりしなきゃいけないし。研究費ですからね!

名目は何でもいいと思いますが(笑)。

中尾:そのレコードも(税込み)108円のとかしか買わない。

逆にそうしてまで音楽はやらなければならない。

中尾:そんなことはないです。音楽がなければもう少し安定化が図れます。ちゃんと仕事をすればいいんですから。

それはまあそうですけど。

中尾:音楽でちゃんとお金を払ったひとなんてほとんどいないですよ。●●●とか●●●とかみんなもち逃げ、もち去り。

具体的な名称を出すのはやめてください(笑)。

中尾:いや、だって本当だもん! でもまぁ、私はミュージシャンじゃないっていう立場で自分はそう考えようと思っているんですよ。ミュージシャンだと考えたらこれはもう赤字で成り立っていないですよ。そんなもんでは食えない。私は18歳のときにはじめたビルメンテナンスを生業に収入を得て、その片手間に何かお誘いがあったら音楽の真似事をやっている、そういう設定になっているんです。
 大原裕くんには「中尾くんは音楽で食おうとか思わずに、仕事をしていてそれでやっているのは羨ましい」みたいなことはいわれましたよ。でもそれはミュージシャンでやろうとするから大変なことになっていくわけですよ(笑)。私はプロになりたいとか音楽で食いたいとか一度も思ったことはありません。でも小学生の頃の延長線上だと思えばべつに関係ないじゃないですか。自分で面白いと思ってやっていて、40何年にわたって研究がつづいていると思えば、別にそれはいいんじゃないか、ということですね。

“スロープ”ではバスドラとハイハットを足で踏みながらクラリネットを吹いています。これはコンポステラで鍛えられた技です。昔とったキネヅカでございますよ。

先ほど、片足を突っ込んでいるとおっしゃいましたが、片足だけでも抜け出せないこともありますよね。

中尾:いや、抜けだせますよ。

(笑)

中尾:前にもいいましたが、私は誘われるから外に出ているわけであって、自主的な活動はいっさいしていない。篠田(昌已)くんが私を誘ったから露出したのであって、それがなければ私は家でニヤニヤしながら録音しているだけなのはこれはたぶん変わらない。誘われなければ、ただひきこもるだけの話です。そりゃあ家では何かはやりますよ。そのちがいだけです。
 外に出るとなるとある種の責任が発生するじゃないですか。たとえば、メンバーだといわれちゃったりする。自分では無責任だと思っていても外部的には責任が発生しますよね。急にやめちゃったりとか、楽器を捨てたり譜面を破ったり、ライヴ中に「こんなバンドをやめてやる!」とか叫んだり、そんなことちょっとできない。

その状況がたまたまつづいているだけだと?

中尾:そうです。だからみんなは中尾勘二をもう呼ばなくていいと思えば、自然と元に戻る。

その点はNRQでも変わりませんか?

中尾:私の印象としては何らかの利用価値を見いだしたひとが、ちょっと試しに私を使ってみよう、と思いついた観があるんです。かかわったものすべてがそうです。だって譜面が読めない、コードがわからない、楽器をちゃんと習得しているわけではない。それに声をかけるのは、よほどの特殊な思いつきじゃないとありえないし。私だったら頼まないもん。ワハハハハ。

普通じゃない思いつきだから頼むということですよね?

中尾:でもそれって普通のメンバーの感じでもないじゃないですか? 何を考えているんだろうって逆にこっちが思います。「いい」といわれても何がいいのか。具体的にはいえないじゃないですか(笑)? あんまりそういうことをはっきり訊いたこともありませんが。

NRQが3枚めになって他のメンバーとの関係性に変化はなかったですか?

中尾:変わっているはずなんですよ。たぶん第三者が傍らにずっといれば分析できるんでしょうけど、なんせこういうのは灯台下暗しですからね。ガラッと変わったわけでもないですからね。でも、現実にどうなっているかっていうのは、私は自分の音源は自作の多重録音以外は聴かないので(笑)、ちょっと今回の作品がどうなっているのかよくわかっていないんですけども、印象としては何か変化があるんだろうなとは思います。でもそれが前作、前々作と異色な位置にあるとは思わないです。

今回は前作までより管楽器を多用されていますね。

中尾:アコースティック・アンサンブル的な思考が芽生えている、なんとなくそういった流れはあるかもしれません。一時期ブンチャカブンチャカやればいいのに、流れているきらいもあったので。

流れるというのはどういうことですか?

中尾:「ビートのある曲で掴みたい」といった考えに対する疑惑を、私は抱いていたことがあるんですね。ライヴのときの(曲の)並べ方とかね。そういうのもわかるけど、それはべつに他のひとがやればいいでしょ? そのことを私は口にしたわけではないので、みんなに気づかれたのかどうかわかりませんが、アコースティック・アンサンブル的にはなっているかもしれないですね。

その方向をとるにあたって、バンド内で話し合いはもたれていないということですよね。

中尾:でもリハをしているとどちらでもいい局面はいっぱいあるんです。新しい曲をやるとき、ドラムを叩くか管楽器を吹くか決まってないと試しにいろいろやってみるんですが、そのときに私の思いというか希望がね、ドラムはちょっとイヤだなというのがバレたのかもしれません。一般的にいえばドラムであればおさまるんです。そのぶんイージーなんですね。それに私は管楽器が上手なわけではないので(曲に)慣れるまではアラが出るというか、不安定な状態がわりとつづくんです。そういうときにバンドが我慢できるかという問題もあって、それを我慢すれば、ちがうかたちになる場合もあることに薄々気づかれているのかもしれない。

べつに気づかれたってかまわないじゃないですか(笑)。

中尾:ワハハハハ。

今回はほとんど一発録りなんですよね。

中尾:ほとんどそうですね。かぶせている曲もありますけど。

かぶせるなら、ドラムも管もどちらもできるはずですよね。でもそれを積極的にやろうとは思わないということですよね?

中尾:そうですね。それはライヴでやるときのこともあるということです。私なんか、コンポステラの経験もあるから、ドラムがなくてあたりまえだという、でも、それに対して、(ドラムが)あると安心というのはあるじゃないですか。つねにこのせめぎ合いですよね。

資料にありましたけど“スロープ”では──

中尾:バスドラとハイハットを足で踏みながらクラリネットを吹いています。これはコンポステラで鍛えられた技です。イヤイヤやっていたのが役に立ちました(笑)。でもじつはクラリネットを後でかぶせるためにプレイバックした場合、ノリを合わせるほうが難しいんですよ。だから一度にやるに越したことはないという理由もあります。レコーディングの日を置いてしまうと自分の音が別人のように聴こえることもありますよね?

そうですね。数日前の自分がやったことがわからなくなることはありますね。

中尾:それよりは、足りなかったり、アラがあったりでも同じひとが演奏したほうがいいんじゃないかという発想です。そっちのほうがリズムも管楽器のフレーズも安定します。

立ってベードラを踏みながら演奏するひとはいますが、両足で踏みながら管楽器を吹けるひとは見たことありませんね。

中尾:昔とったキネヅカでございますよ。

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インチキには合理性が大切なんです。インチキは即製であって、合理性がなければ、手間をかければかけるほど本格的になってしまう(笑)。ムダを省き、これだけあればそれに聴こえる、見える、相手を欺けるということですね。


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コンポステラでのときも、曲の要請から仕方なくやったんですか?

中尾:できるからやったんです。それでちょいちょいやっていました。トム・コラがメンバーだったスケルトン・クルーってあったじゃないですか? 篠田くんはあのバンドのようにメンバーが(楽器を)どんどんもちかえるのに憧れたていたみたいで、一度コンポステラで、3人の前にバスドラはじめ打楽器を置いてライヴをやったことがあるんですよ。そしたら、篠田くんと関島(岳郎)くんはぜんぜんできなくて(笑)、それはその1回でヤメになっちゃいました。私だけに残ったんです。

それを今回録音の場で実践したと。

中尾:吉田くんの曲中の繰り返しフレーズは、コンポステラでの私の苦い経験を彷彿させるものでもあったのです(笑)。

この前のインタヴューで吉田さんはコンポステラの影響は大きいとおっしゃっていましたね。

中尾:あるんでしょうけどね。私としてはイヤだけど、このほうがおさまるだろうと。それに、苦痛をおぼえる時間も最短で済む(笑)。

スタイルから発想までたぶんに合理的ですね。

中尾:インチキには合理性が大切なんです。インチキは即製であって、合理性がなければ、手間をかければかけるほど本格的になってしまう(笑)。ムダを省き、これだけあればそれに聴こえる、見える、相手を欺けるということですね。

練習や鍛錬はお好きではないですか?

中尾:それを意識しないことです。みずからなにかを追求する、それに時間を要するのは問題ないんです。いくらインチキでもやらないとできないからね。その結果、私自身笑えれば、うまくごまかせればいい。録音物としては「やり捨てゴメン」みたいなところは私にはありますよ。なにをやったのか憶えていない、レコーディングで「OK! ありがとうごうございます」といわれた瞬間に忘れてしまう(笑)。

あえて忘れるように自分を仕向けていませんか?

中尾:ちがいます。一所懸命ではないから憶えてないんです。もちろんフと思い出すこともありますよ。私は真剣に音楽のことを考えてない。それはある一部のひとには伝わっている。そういう人たちは私を誘うまい、と考えているはずなんです。

そういう方がいたとしても、私には音楽についての考え方のちがいとしか思えませんが。

中尾:それを音楽をマジメにやっていないと見なすんじゃないですかね。実際にマジメにやっていないですから、その評価はあたっていますけどね。

その側面では当りだとしても、でもマジメにやらないことをマジメにやっていると思うんですよ。

中尾:たしかに、いい加減にやることに真剣とはいえるかもしれない。でもだったら「ちゃんと勉強すれば?」といわれるんです。

その点を突き詰めたのは、中尾さんの独断場ともいえるかもしれない。

中尾:いや、そんなことない。このまえ、むかし録音したタモリの「オールナイトニッポン」を聴いたんですが、すごいですよ、あのひと。ニセ現代音楽とかね。タモリは30歳くらいで東京に出てきたときに、仕事がほとんどなくて暇でテープにラジオドラマとかを録音していたらしいんです。それで、そのテープを自分の番組で流しているのを私はエアチェックしていたんですけど、もうすごいんです。水を入れた瓶を吹いたり叩いたりしてニセ現代音楽をやっている上にデタラメなスペイン語でサルヴァドール・ダリが自作を語るナレーションが入るんです(笑)。

ダリのモノマネされてもだれだかわかりませんよね。

中尾:最初に日本語で「サルヴァドール・ダリはこういった」っていうんですけどね(笑)。

それはうまいですね。

中尾:さいきん新しくはじまった番組でも、フラメンコのギタリストとパーカッショニストの前でデタラメのファドを歌いあげていましたから私なんかぜんぜん敵わない(笑)。私は家で多重録音をニヤニヤしながら聴くくらいが関の山ですから上には上がいるということです。それがコンポステラとストラーダのせいで、マジメで真剣なひとだと思われてしまったので、そうじゃないということをね、死ぬ前にそのことをみなさんにお伝えしなければならない、自己開放をも兼ねたムーヴメントが私のなかに起こってきているのです。人前でデタラメに歌ったりするのも、そういうことに努めているともいえます。

コンポステラとストラーダのせいで、マジメで真剣なひとだと思われてしまったので、そうじゃないということをね、死ぬ前にそのことをみなさんにお伝えしなければならない、自己開放をも兼ねたムーヴメントが私のなかに起こってきているのです。

コンポステラをシリアスに聴いていたお客さんのなかにはそれを聴いて引いてしまうひともいるかもしれませんね。

中尾:お客さんにも悩んでいただいたほうがいいんです。一面的なところで納得されても困るじゃないですか。「こんないい加減なやつがやっていたんだ」って思ってもらいたい。それで「なんであんなふうに聴こえたんだろう?」と考えてもらったほうがよいのではないでしょうか? これも前にいいましたが、コンポステラはイヤではあったけれども、やるからには真剣であったわけで、シリアスさにはウソはないんです。しかし一方では人間はシリアスではないと伝えなければならない。そうすると「中尾勘二は切り捨てる」ひともいると思いますけど、逆に「中尾はいい加減なやつだ」だと思っているひとにもそこから別の発想が出てくるかもしれない。そういうふうに影響し合えば面白いかなと思いました。

ご自分の過去の活動に対する、自分なりの再定義を試みる時期なんでしょうか?

中尾:そうかもしれません。当時は「あー、終わってよかった」くらいの勢いでした。最後は篠田くんと絶交していましたからね。それがいまは、あれは何だったんだろうっていうのは考えます。ひとからいろいろ訊かれるたびに、いまの考えを含めて語るようになりました。そしてむしろ仲がおかしいときのほうが、なあなあのときよりもよかったのではないか、そういう話になってくるわけですよね(笑)。だからイヤななかで自分が何をするのかを考えるも、自分のためになるとは若いひとにいっているんですよね。「嫌いだからやらない!」というのは簡単ですけど、あえて嫌いなヤツのとこに入り込んで何をするのかというのも意義あることだと思います。私には「ゴキブリ共生論」というのがむかしからありましてね。

ほう。

中尾:「ゴキブリは嫌だ、見つけたら殺す」という考えはわりとあるじゃないですか?

普通ですよね(笑)。

中尾:でも全滅させるのはムリですよね。だったら嫌いなやつがうろちょろしていても、いいじゃないか、ともに地球で生きていけないだろうか。私はノンポリですけどね、宗教上の問題とかもそうやって考えればね。それにそう思えば、アジられて利用もされにくい。なびかないためにも、そういうゴキブリ思想をもっていたほうがいいんじゃないかと。

そうかもしれません。

中尾:それは音楽にも全部繋がっていて、思うわけですよ、あれはイヤだから、と排除しても、同じ地球上にいるかぎりかかわらないとしたら、自分の領分がどんどん狭くなるだけなんです。
 私は20代のときはすごく好き嫌いがはっきりしていましたから、イヤなら絶対にやらなかった。というより、イヤなことはまずできないし、拒否反応で体が動かなかった。音も出なくて、リハは行ったけど本番では逃げ出しちゃったこともあります。

そういうなかでも自分で何かやる道筋みたいなものを見いだせるようになったということですか?

中尾:いや、逆に自分を呼ぶひとが選んでくれるようになったんです。まちがって呼んだひとがそういう目に遭う(笑)。そのなかで諦めるひともいるでしょうし、もうちょっと出てくるかもしれないって粘るひとも出てくるかもしれない。いまは粘っているひとだけが残っているんじゃないでしょうかね。でもそれもいつかは愛想を尽かすかもしれない。転換期がきたらそれでおしまいかもしれないわけですが、どうなるかはわかりません。私は「なんとかお願いしますよ」と頼んだことなんてないですから。

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音楽を生け捕りにするのは難しいですよ。名曲は歩いているときに思いつくんですけど、ほとんど忘れます。


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中尾さんはNRQでここしばらく曲は書いていませんね。

中尾:今度出るアナログ盤用に曲を書いたんです。まあ駄曲ですけどね。

アナログ盤だけに収録するんですか?

中尾:そうみたいです。

どうしてまた?

中尾:もっていくのが遅かったからじゃないですか? それと、みんなにくだらない曲だということもちゃんと説明しちゃったから、みんなあまり真剣にとりくめない。

私はファーストの“台湾のおじさん”はよい曲だと思いましたよ。

中尾:あれは偶然できたようなものですから。あの曲は相当古いんですよ。パソコンでいろいろつくっていた頃の曲で、オクラ入りになりかけていたんです。それが、みんなが曲をもってこいとあまりにもうるさかったので、しょうがなくもっていったんです。

いまはパソコンでつくらないんですか?

中尾:環境を整えようと必死でとりくんではいますが、なかなか難しいですね。ネットをやっていないでしょ? いまのソフトはネット認証、ネット登録なので現行のものはまず使えない。それでちょっと前のMiniMacを2台買ってしまいました。クラシック環境で使える1台とOSXになりたてのヤツ。

がんばって2台買うなら、その分でネットを引きましょうよ(笑)。

中尾:ネットに接続するとアップデートの渦に巻き込まれるだけです。それくらいなら、壊れなければなんとかなるっていうのでいきたいんですよ。それでうまくいかなかったら、OS7.56くらいに戻れば済むハナシです。

OS7代の可動品があるんですか?

中尾:実家にあるんですよ。モノクロで、ヒューレット・パッカードの可動品のプリンターもあるので、それでMIDIといっしょにできる環境はあるわけですから、いざとなればそれを立ち上げればいいだけです。これからはコンパクトにいきたい。ソフトも新しくしたいなと思っているんですが、それがなかなかうまくいかない。プリンターが問題というのもありましてね。何も考えずに近所のハードオフでキャノンのプリンターをドライバーと説明書付570円で買ったんです。そしたら、OSが10.4くらいの中途半端なヤツで、最新のOSでもクラシックの環境でも動かないんです。

過渡期だったんですね。

中尾: OSXのMiniMacではプリントできるんだけど、クラシック環境のMiniMacではソフトがインストールできない。だったらPDFアウトにすればいいとか、いろんな技を試しているところなんです。

総じて中尾さんの家の外とは互換性のないシステムですね。

中尾:それでも、つくった曲を譜面でプリントアウトしてひとに配れる体制は復活させなきゃいけないと思っています。ここ6、7年そういう環境から離れていますから、それはいつでもできるようにはしないといけないとは考えているんです。外界と繋がるにはそれしかない。なんでもいいからインチキな譜面をつくってばらまいて、適当にやってもらう。

楽曲を自動的に譜面化するソフトを使われているんですか?

中尾:むかしはオールインワンのソフトはあまりなくて、シーケンスはシーケンスだけ、譜面は譜面だけ独立していたんですが、そこで手弾きでデタラメなアウトラインの雰囲気だけをつくるんです。それを頭のなかで四捨五入し、みずからクォンタイズをかけながら省略しつつ譜面ソフトで打ち込んで、正しいかどうかわからないから、再生しながら聴いてたしかめる(笑)。

めんどうな話ですね。アナログに収録される新曲もそうやってつくったんですか?

中尾:それはもうできていました。鼻歌ですぐに思いついて、それを忘れなかった。だいたい駅で切符を買ったときに忘れちゃったりするんですけど。ワッハッハ。みなさんは譜面を書けたり、もしくはiPadでつくっちゃったりするんだけど、私はそれはムリなので、公衆電話で歌って自宅の留守電に録音する手段も何回か試みましたが家で聴いてみると何をいっているのか見当がつかない(笑)。音楽を生け捕りにするのは難しいですよ。名曲は歩いているときに思いつくんですけど、ほとんど忘れます。たまたま生け捕りに成功した例もあるんですけど、たいした曲じゃなかった。いま私がいる従業員2名の会社で健康診断を受けに行くのに三鷹駅から会場の役所の施設まで歩いていたときに思いついたんです。そのときのシチュエーションもふくめ憶えています。

私はNRQ色をあの3人にもっと出してもらいたいと思うし、かたちになっていないものもふくめ、その因子はいっぱいあると思うんですよね。

そのときは曲の全体像が出て来るんですか?

中尾:そうです。つまり何かに似ているんですよ、ローランド・カークのつくる曲が何かに似ているように(笑)。断片のはっきりしたセオリーに適わないコラージュのようなものです。

それでも、コラージュにおける断片の位置関係には中尾さんは独自なものがあると思いますが。

中尾:それは音楽がわかっていないからヘンになっちゃうんですね。私はぶつかる音がきらいじゃないし、コードに合わない音もOKだと思っている、それがみんなを悩ませるんです。関島くんに「ここぶつかっているよ?」といわれたこともありますが、むしろぶつかっているほうが好きだったりするからヘンになっちゃうんですね。

作曲された曲についてそういう指摘を受けることはあるんですか?

中尾:しょっちゅうです。あとは、鼻歌を12音に置き換えるというズレるというのもあります。平均律で(音を)拾って調整するとニュアンスがちがってくることはありますね。先日「マヘル(Maher Shalal Hash Baz)30周年」のライヴに呼ばれて、短い曲ばっかりやったんですけど、「譜面が読めないからこれはやんなくていいや」と思って、ずっと座っていようとしたら、(工藤)冬里くんが1曲ずつ説明してくれるんですよ。メロディを弾いてくれたり歌ってくれたりして。そのメロディを聴かせてくれたときに歌ってごらんっていわれてマネたら、冬里くんは「低いでしょ?」というわけです。冬里くんは譜面が頭に浮かぶひとですが、それでも自分で歌って鍵盤でメロディを拾うと実際の音程よりもちょっと低いらしい。

頭のなかの音と身体で鳴らす音のあいだにズレがあると。

中尾:向島ゆり子さんにも私はちょっと低めに取っているといわれたことがあります。あとで聴き直すと気持ち悪いからわかるんですけど、それで12音に割り振っていくと、落とし所がズレていってヘンなことになっちゃうことがあるんですよ。

それがわかっていれば、作曲時にクォンタイズすればいいのではないですか?

中尾:それはもう諦め、それにより自分でも思ってもいない譜面ができあがるんです。だからやる気がしない反面、演奏によっては意外と面白くなることもある。

譜面を牧野くんや吉田くん服部くんに渡して、試しながら微調整していく?

中尾:お任せです。気になるところがあったら指摘しますが、私自身多重録音をしているときのことを考えたら、そこまでやりませんからそうなったらなったでいいんです。他の団体で「その曲はそうじゃない」といったことは1、2度ありますが、NRQではまだありません。NRQを思い通りに動かせないという悩みが牧野くんにはあったりするんですが、もうこの曲をやめようと私からいったことはありません。向こうはそう思っているかもしれないけど(笑)。

でももう5、6年はつづけてこらたわけですからね。

中尾:まだ何かでるんじゃないかと思っていますけどね。

どういったことか、具体的にことばにできますか?

中尾:私はとにかく、あのひとたちの色を出したい。自分のことをやるなら、多重録音という基本が私にはあるからいいんです。そういう意味ではあんまり曲をもっていきたくないんです。むしろNRQ色をあの3人にもっと出してもらいたいと思うし、かたちになっていないものもふくめ、その因子はいっぱいあると思うんですよね。ヘタにヘンな私の曲をやって、それが面白いとなったらそれはちがうと思うんですよ。「中尾がやっている面白いバンド」にはしたくないんですよ。彼らはネタが枯れたとかいったりすることありましたけど、まだまだだと思うんですよ。それをもっと出してほしいから私の曲をあまりもっていきたくない。もっていくなら、NRQを想定して新たにつくらなきゃならない。

それは今後の課題ですか?

中尾:そうですね。MiniMacがどうのこうのって体たらくですから全然進んでいません(笑)。生きているうちにはできないかもしれませんが。

ShotahiramaをTOWER RECORDS渋谷店で! - ele-king

 Shotahirama、この若き才能は何に苛立ち、何に戸惑い、そして何に向かって疾駆しているのだろうか──。本日掲載のディスクレヴューに加え、近日公開の三田格氏によるインタヴューからは興味深いアーティスト像が次々と露わになるようでいて、むしろミステリアスさの度合いも強まっていく(乞うご期待!)。ぜひともこの最新作『Stiff Kittens』や、それを記念するインストア・ライヴも目の当たりにしたい。

■shotahirama 『Stiff Kittens』発売記念ライブ+特典引換会

shotahirama (LIVE)
Ametsub (DJ)

開催日時:
2015年3月1日(日)

開始時間:
16:00

場所:
TOWER RECORDS渋谷店
8F Space HACHIKAI

内容:
ライブ+特典引換会

参加方法:
観覧自由(*)

ノイズ/グリッチミュージックの新機軸として、いま国内で最も注目を集めるshotahiramaによる待望の最新作『Stiff Kittens』発売を記念してタワーレコード渋谷店での貴重なライブパフォーマンスが決定!また、日本が世界に誇る音楽家AmetsubがスペシャルゲストとしてDJセットで登場!エレクトロニック・ミュージックの新たな地平を切り開き、シーンの最前線を直走るサウンドを発信する両雄の一夜限りの豪華共演、絶対にお見逃しなく!(担当:高野)

◆shotahirama by Shota Hirama Independent sound label SIGNALDADA
https://www.signaldada.org/

◆Ametsub Official Website
https://www.drizzlecat.org/

(*)
2/22発売(渋谷店先行2/15入荷)shotahirama『Stiff Kittens』(SIGNAL010)をタワーレコード渋谷店、新宿店にてお買い上げいただいたお客様に、先着で特典引換会参加券を差し上げます。特典引換会参加券をお持ちのお客様はライブ終了後の特典引換会にご参加頂けます。

対象店舗:
渋谷店 ・新宿店

対象商品:
shotahirama『Stiff Kittens』(SIGNAL010)
2015/2/22発売(渋谷店先行2/15入荷) 2,000円(税別)

※対象商品のご予約、お取り置きはお電話とタワーレコードホームページ(https://tower.jp/)の店舗予約・取置サービスでも承っております。
※特典引換会参加券の配布は定員に達し次第終了いたします。終了後にご予約(ご購入)いただいてもお付けできませんのでご注意ください。
※特典引換会参加券を紛失・盗難・破損された場合、再発行はいたしませんのでご注意ください。
※ライヴ終了後特典引換会を実施致します。
※特典特典引換会参加券1枚で1名様ご参加頂けます。(ライブ観覧自由です)
※当日は必ず特典引換会参加券をお持ちください。盗難・紛失等による再発行は致しません。
※当日の混雑具合により入場規制をかけさせて頂く場合がございます。
※イベント対象商品は不良品以外での返品をお受け致しません。
※カメラ及び録音機器等によるLIVE模様の撮影及び収録は固くお断り致します。
※店内での飲食は禁止となっております。
※都合によりイベントの内容変更や中止がある場合がございます。あらかじめご了承ください。


interview with Future Brown - ele-king


Future Brown
Future Brown

Warp/ビート

rapgrimefootworkdancehallR&Breggaeton

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 アンダーグラウンド・スーパーグループ? ホントかよ? いかにもハイプな称号に思えるが、フューチャー・ブラウンはたしかにアンダーグラウンド・スーパーグループだ。欧米メディアはもちろんのこと、僕のまわりでも昨年末から「12インチ聴いた?」とか「アルバムどうだった?」とか、なにかと話題になっている。「アルバムよりシングルのほうが良かったんじゃない?」とか、「でも、よくよく聴いたら良かった」とか、FKAツイッグスのときに似ているかもしれない。
 メンバーは、ファティマ・アル・カディリ(クウェート出身で、昨年ハイパーダブからアルバム・デビュー)、ダニエル・ピニーダ&アスマ・マルーフ(LAを拠点とするイングズングスのふたり組。ナイト・スラッグス一派)、Jクッシュ(シカゴのジューク天才児、ラシャドの作品で知られる〈Lit City Trax〉主宰)の4人。ね、スーパーグループでしょ?

 いまアンダーグラウンドがどこにあるのか、それがレッドブルでないことは『vol.15』に書いたけれど、ひとつは確実にインターネット空間にある。ポルノのことではない。たとえば、我々は液晶画面の向こう側に見えるワールド・ミュージックを知っている。サイバーな探索旅行を通してアクセスするワールド・ミュージックだ。イラクの音楽も南アフリカのバカルディもアンゴラのクォドロも、もちろんプエルトリコのレゲトンだって、なんだって聴ける。エジプトのシャアビも、シカゴのドリルも、なんだって。
 フューチャー・ブラウンは、まさにそんな時代を反映している。世界中のビートに影響を受けて、世界中にアクセスしている……といったら大袈裟だが、イメージとしてはそうなる。ディアスポラ音楽、ハイブリッドという言葉は、従来は、USの黒人音楽ないしはラテン音楽における文化的衝突に象徴されるものだったが、フューチャー・ブラウンを聴いていると、インターネット時代における「ワールド」を意味するものへと変わりゆくんじゃないかと思えてくる。
 もちろん、なんでもかんでもあるわけじゃないけど。フューチャー・ブラウンの基盤にあるのは、おそらく……UKのグライムとシカゴのジュークだろう。
 以下、4人揃ってのインタヴュー。

 F=ファティマ
 J=ジェイミー (J-クッシュ)
 D=ダニエル
 A=アスマ

 4人とも、自分の言いたいことを言ってくれたおかげで面白い取材になった。ちなみに、UKでは2014年はグライムの「セカンド・カミング」と言われたほど、ディジー・ラスカルのデビュー以来の、グライム熱が高まった1年だった。インターネット時代のグライム、ディアポラ音楽としてのグライム、ハイブリッド・ミュージックとしてのグライムを代表するのが、この若さとエネルギーに満ち満ちた4人組なのである。

外交上、丁寧な物の言い方をしましょう。文章でも何でも、積極的に誰かをディスすることはしたくないわ。私たちはディプロのことは好きじゃない。それだけ。

このプロジェクトは、世界中のアンダーグラウンド・シーン/ローカルなダンス・ミュージックにコネクトしながら、ハイブリッドな音楽を創出するものだと思います。メンバー4人もNY、シカゴ、LA、レーベルはロンドンとそれぞれ距離的に離れていてながら、ひとつにまとまっている点も現代的だと思います。そもそも、このコンセプトはどのように生まれたのですか? 

F:メンバー同士が、一緒に音楽を作っていたけれど、グループとしてではなかった。つまり、ダニエルはアスマと音楽を作っていたし、私はジェイミーと音楽を作っていたし、私はアスマとも音楽を作っていた。そんな状況で仕事をするのはまったく効率的じゃないと思ってグループで仕事をすることにした。

レーベルの資料によれば「グライムの進化型」をファティマさんが描いたことが発端となったそうですが、我々としては、そうだとしたら、なぜ「グライム」という言葉を使ったのか、気になりました。

F:それは本当じゃない! 悪いけど、嘘だわ。全然本当じゃない(爆笑)! ワオ、誰がそんなこと言ったの!? クレイジーだわ。

J:グライムの進化型??

F:そんな表現は聞いたこともないわ!

J:ひととつだけ言いたい、それは……

F:幻想よ。

J:矛盾してるときって何て言うんだっけ?

F:知らない。

通訳:Oxymoron(=矛盾表現)でしょうか?

J:そう! 「グライムの進化型」って表現はoxymoron(矛盾表現)だ! グライムとは、その当時、盛んだった音楽だ。そのシーンを経験した奴じゃなければグライムは作れない。それを、よりスマートなグライムとか、グライムの進化型と表現するのは屈辱に近い。だって、歴史的実例をひっくり返して、進化型と称してるんだぜ。過去のレイアウトを使ってるくせに進化型と呼ぶのは、どうかと思う。

F:「グライムの進化型」という考えを描いたことは一度もないわ。今後もそういうことはないと思う(笑)。

J:グライムが自由な音楽だということを前提で、そういう表現を使ったなら少しは理解できる。俺たちも自由な音楽を作っているから。

A:なんて訊かれたの?

J:フューチャー・ブラウンは、ファティマが「グライムの進化型」を描いたことが発端か?

F:(笑)とにかく、それは全くの嘘よ。

いちばん最初にサウンドクラウドに“Wanna Party”を公開したのが2013年ですよね? それから2年後のアルバムとなったわけですが、プロジェクトのコンセプトや脚本は、最初からある程度決まっていたのですか?

F:ええ。“Wanna Party”をネット上で公開したときから、アルバムに収録された曲のインスト版がすでに出来上がっていたの。

J:あの時点で、ヴォーカルに関しては半分くらいが出来上がってたよな。

A:グループとして何がやりたいのかというのはわかっていたわ。

J:このプロジェクトをはじめた当初から、ヴォーカリストのためにビートを作りたいと思ってた。

そもそもこの4人はどうやって知り合ったのですか?

J:音楽活動を通じてだよ。ニューヨークで。

D:ああ。

J:シェインとヴィーナスが、ゲットーゴシックというパーティを毎週やっていて、そのパーティでプレイするために、イングズングズが隔月でNYに来ていた。俺もけっこう頻繁に、そのパーティでプレイしていた。そこで俺たちは、音楽の趣味が似ているなとお互い感じた。ファティマもこのパーティによく来ていたから、みんなでよく一緒にいた。そこで意気投合したんだ。でもアスマとファティマはそれ以前から知り合いだったのかな? よく知らないけど。

今回のプロジェクトが生まれる上で、もっとも重要だった4人の共通項って何だったのでしょうか?

A:音楽を愛していること。

F:私たちの音楽の趣味というのはかなり同系だと言えるわ。それがもっとも重要な事だったと思う。同じような音楽が好きだとコラボレーションも容易にできる。それに、お互いが、各自の安心領域から、出なきゃいけなくなるような流れになるの。他の人と一緒に仕事をすると、自分の安心領域から出ざるを得なくなるから、とても良いチャレンジになっているわ。

J:自分がいままでやったことのないことをやるようにと、追い込んでくれるのは、このメンバーが一番ハードにやってくれる。あと、新しいことを学んだりするのも、こいつらと一緒のときが多い。誰かがクールなことをして、それがインスピレーションになり、自分もそれに影響されて何かをやってみたくなるんだ。俺たちが一緒に音楽を作るときは、すごく楽しいエネルギーが充満してるよ。

ファッション・ブランドの「HBA(フッド・バイ・エア)」があなたがたをバックアップしたそうですが、どんなブランドなのですか?

F:フッド・バイ・エアのデザイナー、シェイン・オリバーとは長年の友だちだった。彼がフッド・バイ・エアを立ち上げる前からよ。だから、昔からの友だちがある日突然、有名デザイナーになったという感じ。私たちはお互いの作品のファンでもあるわ。

J: ファティマは、シェインと6年くらい仕事をしてたんだよな? フッド・バイ・エアの音楽を何シーズンもやっていたよな? それから……

F:そんなに何シーズンもやっていないけど。フッド・バイ・エアの音楽を頼まれたことは何度かあった。それから、私とシェインは2008年に音楽プロジェクトを一緒にやった。だから長い間、一緒に仕事をしていることになるわね。でも、それより大事なのは、私たちがそれ以前から友だちだったということよ。

それでは、アルカもそのブランドと繋がっているそうですね。

J:アルカは俺たちの友だちだよ。

F:そう、彼も友だちなの。フッド・バイ・エアは友だちとしか仕事をしないブランドなの。ファミリー志向が強いブランドよ。フッド・バイ・エアが仕事相手に選ぶ人やサポートする人というのは、フッド・バイ・エアと長い間、友だちだった人、親しい間柄の人だということ。

アルカも、自分のバックボーンにはチャンガトゥキ(Changa Tuki)という地元ヴェネズエラの音楽を持ちながら、インターネット時代らしく、国境を越えていろいろな文化にアクセスし、ハイブリッドな音楽を作っていますよね。そういう姿勢には、やはり、共感するところはありますか?

J:俺たちはコンセプトを思い付いて音楽を作っているわけではない。俺たちの曲は、コンセプチュアルな作品ではないんだ。

F:でも、訊きたいのは、インスピレーションについてよね? アルカは地元の音楽にインスピレーションを得て音楽を作っているけど、私たちはどうか、ということよね? 私の場合、クウェートの民族音楽にインスピレーションを得てフューチャー・ブラウンの音楽制作に影響を与えているか? ということよね。アスマの場合、インドの民族音楽にインスピレーションを得てフューチャー・ブラウンの制作に影響しているか? ということ。

D:俺は、インドの民族音楽に、すごいインスピレーションを受けてるよ!

A:私もインドの音楽からインスパイアされているわ!

F:でも、それがフューチャー・ブラウンの制作に影響している?

A:直に繋がっているわけではないけれど……

J:意識している部分はあるということか。

A:むしろ、無意識に、影響として表れてくるんだと思う。自分の耳にどう聴こえるか、というような影響。私がインド人だからこそ、ある種の音に魅力される影響とか。そんな感じのこと。

F:直接的な影響と間接的な影響があると思う。ひとりが回答するインタヴューなら、まとまった答えができるけど、私たちは4人だから、回答も難しくなってしまうわ。

A:でも、私たちはみんな……

F:私たちはみんな、様々な音楽にインスピレーションを受けている。それがたとえ地元でも地元じゃなくても。

A:その通り! たとえば、私たちは、イラクの曲の構成にインスピレーションを受けたりする。別に私たちがその場所の出身でなくてもインスピレーションを受けるわ。だって、私はレゲトンやダンスホールにも強いインスピレーションを受けるもの。

J:俺たちの出身がどこかというのはとくに関係ないと思う。むしろ、何を経験して聴いてきたかということや、どんな響きに愛着を感じるかということの方が大きい。そういうものが影響して、俺たちが作ったものが出来上がった。

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例えば、私たちは、イラクの曲の構成にインスピレーションを受けたりする。別に私たちがその場所の出身でなくてもインスピレーションを受けるわ。だって、私はレゲトンやダンスホールにも強いインスピレーションを受けるもの。


Future Brown
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みなさん、ふだんはネットでやり取りしていると思うのですが、4人揃うことって、やはり大変ですか? 

J:そんなに大変じゃないよ。

A:計画は必要ね。

F:そう、前もって計画するだけよ。

フィーチャリングされているラッパーやシンガーもいろんな人がいますが、レコーディングはスタジオでおこなわれたそうですね。そこはこだわったんですか? よくあるデータ交換ではなく、あくまでもリアルな現場を共有しながら作るんだということに。

J:それは、実際のところ、全てがその過程でおこなわれたわけではなかった。スタジオでレコーディングをやったのは50%ほどで、残りの50%は俺たちがいないスタジオでレコーディングされ、ファイルが送られてきた。

A:でもたしかに、スタジオに入ってリアルな現場で音楽を作るというのは私たちにとって大事なことだわ。可能な限りそうしたいと思っている。

F:毎回、可能というわけではないから。

A:そうなの。

J:距離的、金銭的な限界がある。

実際は、どんな風に作品が生まれていったのでしょう? 4人で話ながら作っていくんですか?

F:スタジオに入って(笑)、ワニを呼んで、象の鼻を引っ張って(爆笑)、フレンチブルドッグのお腹をさすって……まあ、とにかく……創造する過程は個人的なものだから、それを説明すると、その魔法が解けてしまう気がするの。

J:みんなでスタジオに入る。みんな、一緒に仕事ができることにワクワクしている。誰かがアイデアを出して作業が始まり、そこから作り上げていく。

A:曲の作り方はそれぞれ違うわ。決まった作曲方法があるわけではないの。アルバムの曲を聴けば、それが分かると思う。

〈ワープ〉と契約したいきさつについて教えて下さい。

J:〈ワープ〉が俺たちの音楽を聴いて気に入ってくれた。そこで契約について話し合い、契約がまとまっただけだ。音楽面では、自分たちがコントロールできるような状況を与えてくれた。〈ワープ〉は、俺たちにとって一番フィットするレーベルだった。

D:俺たちがどんな音楽を作るか、ということに関して〈ワープ〉は、とくに指示を出さなかった。だから自由にできた。

フューチャー・ブラウンのような音楽は、アメリカよりも欧州のほうがウケが良いですか?

D:それはマジでわからないな。まだアルバムを出してないから。

F:そうよ、まだアルバムはリリースされてないのよ。

J:正直言って、俺は、メディアが書いているものをあまり読んでない。

通訳:では、ライヴの反応はいかがでしょうか? アメリカでライブはやりましたよね?

D:えーと、ああ。やったことあるね。

F:ええ。

J:アメリカでライヴってやったっけ?

D:PAMM(マイアミ美術館)とかPS1とか。

J:それはパフォーマンスだろ。

D:最高だったよな。だから、アメリカでの反応もすごく良かったよ!

F:いままでやったライヴでは、観客はみんなノリノリで楽しんでいたわ。でも、アメリカとヨーロッパで反応の違いというものは、とくに感じていない。

J:アメリカはひとつの国だけど、ヨーロッパは幾つもの国を指す。ヨーロッパの方が何カ国でもプレイする機会は多いわけだけど、それが果たして、ヨーロッパの方が受けが良いからなのかというのはわからない。

F:物事を一般的に捉えて答えるべきではないと思う。

J:アルバムには、いくつものサウンドが含まれている。アメリカにインスピレーションを受けた曲や、ヨーロッパにインスピレーションを受けた曲。他にもいろいろあるから、それをひと言でまとめるのはムリだ。

みなさんは、たとえば、エイフェックス・ツインやオウテカのような、〈ワープ〉の古株のアーティストの作品を聴きますか?

J:俺は聴いたことはあるよ。

F:私も。ティーネイジャーのときに聴いていたわ。

D:俺も昔、聴いていた。新作ももちろん聴いたよ。

プロジェクト名にある「ブラウン」は何を意味するのでしょうか? 

F:「フューチャー・ブラウン」という名前全体が……

J:「ブラウン」単体の意味というのは無い。

F:そう、「ブラウン」には何の意味も無いわよ。

J:前もそんな話になったよな。ま、いいけど。

F:「フューチャー・ブラウン」とは、(DISマガジンの)ソロモン・チェイスが思い付いた言葉で、それは、自然界に存在しない茶色なの。

“Wanna Party”や1曲目の“Room 302”でフィーチャーされているティンクについてご紹介ください。かなりの評判のシンガーだそうですね。

J: 彼女と制作をはじめたのは……

F:2013年5月。

J: 本当に意欲のある人。彼女と話してみると、彼女がどれだけ音楽に情熱を持っているかということがすぐに分かる。彼女にデモをいくつか聴かせたら、彼女は4時間以内に2曲分の歌詞を書いた。そして、撮り直しなど一切せずにそれらの曲を完成させた。正直言って新鮮だったよ。あれほど完璧な体験は、そう頻繁に起こるもんじゃない。最高の仕事相手だったよ。

F:まさに神童ね。素晴らしい才能に恵まれている。

J: ヴォーカリストはみんな意欲的で、一生懸命、俺たちのビートに乗っかってきてくれたから、俺たちはヴォーカリストには恵まれていた。ヴォーカリストたちが、安心領域というか、身近な人たちのいる環境よりもアウェイな状況に挑んでいく様子を見るのはクールだった。

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私たちは、政治に無関心なわけではない。真空の住人ではないのよ(笑)。


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ロンドンのロール・ディープ・クルーのメンバーも参加していますね?

J:参加しているのは、ロール・ディープの元メンバーのローチー、それにラフ・スクワッドのラピッドとダーティ・デンジャー。俺たちはみんな、ロール・ディープとラフ・スクワッドのファンだったから。俺のロンドンの友だちが、ロール・ディープとラフ・スクワッドと仕事をしていて、長年グライムのシーンに関わっていた。その彼が、俺たちにラピッドを紹介してくれた。そこから連絡を取り合い、ダーティ・デンジャーとローチーにも曲に参加してもらおうということになった。そこでビートをいくつか彼らに送ったというわけさ。

最近は、ワイリーをきっかけに、ウェイトレス・グライムという、アンビエント・タッチのグライムが注目を集めてますが、好きですか?

J:それはグライムのファンが作った言葉で、その人なりのグライムの解釈の仕方なんだと思う。よくわからねえ。ある意味、冗長表現だと思う。ワイリーの、デビルミックス・グライム・ミュージック、つまりビートレスなグライム・ミュージックをリ・ブランディングしたというか……。それにグライムは、以前よりも自由でなくなっている。みんな、ワイリーのサウンドに似たようなものを作りたがる。グライムの本質は、自分特有の音を作ることなのに。だから、とにかくばかげてるよ。

F:グライムとは自由であることなのよ。プレデタが以前、こう言ったわ。「グライムを作るのにグライムをリブランディングする必要はない」と。グライムはグライムなのよ。

A:そうよ。

F:グライムの進化型でもないし、ウェイトレス・グライムでもない。ただのグライムってこと。

J:自分特有のことを表情豊かな音楽でやるということ。過去をやり直すとしたら、こうなります、って言ってるようなもんで訳が分からない。作品をウェイトレス・グライムと称している人達は、ワイリーにそれを聴かせるだろうか?多分しないだろう。なぜなら、それはワイリーの作品のリメイクに聴こえるからだ。コンセプチュアルの面にしてもそうだ。アイデアが……

A:でもときには、優れた作品だってあるわよ。

J:もちろん、良い曲はたくさんあると思う。

A:問題になってしまうのは、音楽を理解したいがために、新しい呼び名やジャンルを作ってしまうことだと思う。

F:元々あった呼び名で十分だったのにね。

J:それを、元のものより、優れているとか、進化しているとか、表現してしまうのが問題だ。

F:元のものより新しいとか。

A:そう、新しくてパワーアップした、みたいな。

J:ウェイトレス・グライムというのはワイリーのデビルミックスと同じコンセプトのもので、それは2002年、2003年から存在し、存在し続けているものだ。新しくも何ともない。ウェイトレス・グライムが新しくエキサイティングなものだというのは真実では無い。

F:リ・ブランディングね。

A:そうだわ。

J:マーケティングの良い訓練にはなると思うが。

メンバーの役割みたいなものはどうなっているのでしょうか? いまどちらに住んでいるんですか?

F:私はクエート出身で、いまはどこにも住んでいない。NYに住んでいたときもあったけど、いまは……

J:素晴らしい音楽を普及させるために世界を飛び回っているのさ。

F:プロデューサーとしての強みや弱みは、私たちそれぞれにあると思う。だけど、同時に、自分の安心領域から抜け出すために、あえて弱みに焦点を当てて、自分を成長させて行くこともできる。私たちは、強みを磨き、お互いを通して、弱みの部分を成長させて行っている。

J:役割に関して決まり事は作っていない。それを決めたら……

F:快適過ぎてしまうから。

J:自分を追い込んで、普段とは違ったことをした方が、エキサイティングなものができるかもしれないだろ。

ちなみにJクッシュさんのルーツはどこなんですか?

J:母はイラン人。父はリトアニア系のアメリカ人だ。

通訳育ったのはシカゴでしたっけ?

J:いや、シカゴに住んだことは一度もない。

通訳:そうでしたか、でもDJラシャドの作品でも知られる〈Lit City Trax〉を立ち上げたのはあなたですよね?

J:そう、俺が立ち上げた。シカゴのフットワーク・シーンが盛り上がっていたから、音楽をプッシュするために俺が出来る限りのことをやった。シカゴには何度も行ったことはあるけど住んだことはない。生まれたのはNY。そこに10年住んで、ロンドンに移住して10年住み、その後またNYへ戻ってきた。

ふだんもネットで世界中のビートを探しているんですか?

A:(笑)ええ。そういうときもあるわ。

F:DJ用にってこと?

J:たしかに俺たちはネットで音楽を見つけている。

F:でも、曲のビートは、スタジオに入って作るの。

J:アイデアとしてはじまるけど、そこから積み上げて曲を作っていくんだ。

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グライムの進化型でもないし、ウェイトレス・グライムでもない。ただのグライムってこと。


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これはDJクッシュさんにおたずねしますが、シカゴの新世代のゲットー・ラップ、メディアが「ドリル」と掻き立てているシーンとジュークとは実際に繋がりがあるのですか? 

J:いや、別物だ。ジュークはハウス・ミュージックがベースになっている。ドリルはラップから来ている。類似点はあるかもしれないが、別物と考えていい。

ドリルに対して、「シカゴ・バップ」は、よりダンサブルで、DJネイトなどジュークともより繋がりがあるのでしょうか?

J:バップ・シーンはジューク・シーンから直に発展したものだ。DJターボはバップの曲でよく名前が挙がる人だが、彼がバップ・シーンをけん引したひとりだ。他にもそういう人が何人かいるが、みんなフットワークのシーンから出てきた人たちだ。だからそこにはたしかな繋がりがある。

ドリルとバップ、シカゴのいまのヒップホップ・シーンがどうなっているのか教えて下さい。

J:この質問はみんなも答えてくれよ。シカゴのヒップホップ・シーンはみんな好きだし、アスマとダニエルは、以前何年もシカゴに住んでいたんだぜ。

D:俺たちがシカゴに住んでいた頃は、ドリルやバップはなかった。シカゴは音楽シーンが盛んで、才能のある人がたくさんいる。

A:とても独創性のある街よね。私とダニエルがシカゴにいた頃はドリルやバップはなかったけど、またたく間に大きなシーンが出来上がったもの。シカゴからは、素晴らしい才能の持ち主がたくさん現れてきている。今回のアルバムにも、意図的ではなく、シカゴのアーティストがたくさんフィーチャーされているわ。

J:シカゴでは面白いことがたくさん起こっている。シカゴに住む人の状況や環境などが、その人のパワーとなり、良い音楽を作らせている。シカゴから抜け出すためにね。シカゴから出たいという願望を持ったアーティストを俺は何人も知っている。治安の悪いシカゴから逃れたいと言う。シカゴの人は、ダンスに対してありがたみを感じているし、シカゴの音楽にはソウルが溢れている。俺たちはシカゴが大好きだ!

ドリルの、たとえばリル・ハーブなんかは、緊張感のあるニヒリスティックな作風を打ち出していますが、フューチャー・ブラウンは、もっとパーティに寄っているように思います。

F:私はその意見にとても賛成できない。私たちのアルバムを聴けばわかると思うわ。アルバム聴いた?

通訳:聴きましたよ。

F:あなたはいまの意見に賛成?

通訳:すべてがパーティというわけではないと思います。パーティ曲は1曲だけだったかと……。

F:私たちのアルバムは「パーティ」感が前提となっているわけではない。まったくそうではないわ。「パーティ」感は、いち要素として存在するけれども、アルバム全体のコンセプトではない。

では、みなさんはディプロをどう思いますか? 彼は早い時期からボルチモア・ブレイクやバイレ・ファンキなど、グローバル・ビートを取り入れて自分なりに編集した人です。影響を受けているのでしょうか?

J:奴のグラミー賞を取り下げるべきだ。

通訳:ディプロはグラミー賞に値しないと……?

F:外交上、丁寧な物の言い方をしましょう。文章でも何でも、積極的に誰かをディスすることはしたくないわ。私たちはディプロのことは好きじゃない。それだけ。

J:彼は、アンダーグラウンド・ミュージックを商品化し、金銭面で大きな得をしただろう。だが、彼は、元々そういう音楽を作ってきた人たちのために、シーンが持続できるような未来を用意するまでに至らなかった。

昨年はアメリカで人種暴動がありましたし、シャルリ・エブド事件やISによる人質事件があったり、ウクライナ情勢とか、国際舞台では政治的な事件が続いています。関心はありますよね?

D:もちろんだよ。アメリカの出来事は、人種暴動というより、警察の暴力に対するデモと表現した方が的確だろう。

フューチャー・ブラウンの政治的関心をひとつ挙げるとしたら?

F:警察の残忍性について。

D:こういうことは、みんな各自で興味を持つべきだと思う。グローバルな問題だから、世界の人すべてが関心を持つべきだと思う。

F:私たちは、政治に無関心なわけではない。真空の住人ではないのよ(笑)。

J:だが、フューチャー・ブラウンに、ひとつの政治的アジェンダや動機があって、それを人々に伝えたいというわけでもない。個人において、それぞれ強い政治的信念や意見があるということだ。

もし誰かにリミックスを依頼するとしたら、誰がいいでしょう?

J:ディジー

D:トータル・フリーダム

F:トータル・フリーダム

J: トータル・フリーダム、ディジー・ラスカル……

A: トータル・フリーダムでいいんじゃない?

最後に、みなさんが注目しているシーン、もしくはいま面白いと思っているビート/リズムについて話してもらえますか?

F:たくさんあるわ。たくさんありすぎて……。アルバムを聴いてちょうだい。そしたら私たちが聴いている音楽のバイブスがわかるわよ。たくさんあるから。

A:そうね。

F:クドゥーロもみんな好き。

J:クラブ、ラップ……

F:ラップ……

D:クラブ、バップ、ドリル……

A: まだまだあるけどいくつか挙げるとこんな感じ。

愛国と狂気を見つめる - ele-king

アメリカン・スナイパー
監督 / クリント・イーストウッド
出演 / ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー 他
配給 / ワーナー・ブラザース映画
2014年 アメリカ
©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
2月21日(土)より、全国公開。

 『アメリカン・スナイパー』劇中、ある海兵の葬儀の場面では弔砲が鳴らされ、トランペットの高らかで悲壮な演奏が響く……日本に住んでいる僕たちでも、この儀式は知っている。なぜならば、何度もその場面をアメリカ映画のなかで目撃してきたからだ。そう、何度も何度も……そこで広がっていくアメリカ映画的としか言いようのない叙情。だけど僕たちは、どうして繰り返し兵隊たちの死を見届けているのだろう?

 イラク戦争で160人を射殺したクリス・カイルを取り上げ、予想を遥かに上回る大ヒットとなっているイーストウッドの新作は、「殺戮者を英雄視する、コンサバティヴな映画」との批判も受けつつ、まさにいまもっともコントラバーシャルな一本としてアメリカを揺らしている。立場的には共和党支持者である(実際は中道に近いとも言われるが)イーストウッドへの色眼鏡もあるのだろう、とくにリベラルを自認するメディアからは疑問の声も多い。オバマ政権の行き詰まりに際して、ブッシュ政権時の「英雄」を浮上させる試みなのではないか、と。
 しかし、たとえばキャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』(2008)を「戦意昂揚映画だ」とするひとがいたときも、自分にはどうも、そんなふうには思えなかった。戦時下のイラクの張り詰める死の匂いのなか、地雷処理という命懸けの作業に向かって行くジェレミー・レナーは大義もないままただ「処理」としての戦争に向かいつづけるアメリカの呪われた姿の化身にしか見えなかったのである。たしかにそこに立ち向かっていく兵士たちは勇壮にも見える。が、イラク戦争においてはそれがいったい何のための勇ましさか見えなくなっていたのは誰もが多かれ少なかれ気づいていたことで、だからそこには剥き出しの映画的反復のみが残っていたのだろう。『アメリカン・スナイパー』のブラッドリー・クーパーも自宅とイラクの戦場を往復するなかで壊れていくが、それでも戦地で遥か彼方の敵に銃を向ける。そうしないと生きる理由を見失う、とでも言うかのように。
 だからこれはイーストウッドが繰り返し描いてきた、トラウマを抱えた男の物語であるだろう。そしてその傷痕は、紛れもなくアメリカの歪みが生んだものである。『ミスティック・リバー』(2003)の頃には「良心的な」アメリカのリベラルたちは「この国にいるのが恥ずかしい」と言っていた。だが、ラストで償いようのない罪を背負うことになるショーン・ペンを思い返すとき、そこに横たわっていたのはイーストウッドからの「それを負え」という重々しい念のようなものだった……かつてひとを殺しまくっていたダーティハリーだけがあのとき、そのことを告げていたのだ。

 『世界にひとつのプレイブック』(2012)でも怒りをコントロールできなくなったブラッドリー・クーパーは、ここでは「レジェンド」と讃えられるいっぽうで精神に混乱をきたし、父であることも剥奪されている。強い父になることがアメリカのかつての理想だったとして、太平洋戦争における『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』(2006)、すなわち「父たちのアメリカ」と、イラク戦争における「アメリカの狙撃手」であることには大きな隔たりがあるようなのだ。彼を所有するのはあくまで国家であり、個人であることは後回しにされている。イーストウッドはこれまでも――とくに21世紀の作品において――二分される政治的立場を超える倫理的葛藤を問いつづけてきたが、舞台がイラクであることで、フィルム自体が混乱しているようにも見える。クリス・カイルは英雄か被害者か? ではなく、同時にそのどちらでもあることが起こってしまっている。
 映画ではクリス・カイルが志願したきっかけはテロのニュースを見たからだとされているが、そこで「国のために」と迷いなく宣言する姿を理解することが僕にはできない。しかし理屈ではない何か強烈にエモーショナルな迸りがそこにはあり、だとすれば、それは「政治的立場」なんてものよりも遥かに恐ろしいもののように思える。愛国という狂気の下で、クリス・カイルは英雄の自分と被害者の自分に引き裂かれていった。ただそのことが痛切だ。

フォックスキャッチャー
監督 / ベネット・ミラー
出演 / スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ 他
配給 / ロングライド
2014年 アメリカ
© MMXIV FAIR HILL LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
2月14日(土)より、全国公開。

 ベネット・ミラー『フォックスキャッチャー』もそのような愛国の下で熟成される狂気を見つめる一本である。映画は財閥の御曹司がレスリングの金メダリストを殺害するまでを張り詰めた空気で映し出すが、スティーヴ・カレル演じる御曹司ジョン・デュポンは経済力によってチャニング・テイタム扮するレスリング選手の疑似的な父親になろうと試みているように見えなくもない。が、それはけっして達成されないまま、関与した人間たちの運命をひたすら狂わせていくことになる。
 それはデュポン自身の内面の問題であったからなのか、母親との確執のせいだったか映画では明示されないが、しかし「強いアメリカ」を標榜する彼の目は宙を泳いでいるようだ。それが「ありもしないもの」だったことが証明されたのがこの四半世紀ないしは半世紀だったとして(映画の舞台は30年前)……しかし彼らはなおも、諦められないのだろうか? 映画はそして、「USA!」の大歓声で幕を閉じる。

 愛国心にまつわる問題をアメリカ映画や、あるいはスプリングスティーンの作品などに見出してきたとき、ヘヴィなものだと認識はしつつもそれでも「よそのこと」だと感じていたのだと僕はいま認めざるを得ない。なぜなら、ここに来て日本に住む人間にとってもそれが急激に生々しいものとして立ち上がってきているからだ。「強い国家」「美しい国」が幻であると、うすうすそのことに気づいていたとしても、熱狂は止められないのだろうか? だとすれば、それはいったいどこに向かっているのだろうか?

 『アメリカン・スナイパー』のエンド・クレジット、そこで流れる映像にはただうなだれるしかなかった。それはたぶん、これからもその場面を繰り返し見なければならないという予感が的中しているからだろう。

『アメリカン・スナイパー』予告編

『フォックスキャッチャー』予告編

Sleater-Kinney - ele-king

 伝説のバンドのカムバック盤はクリーンでタイトになりがちだ。ミドルエイジになっても健在。みたいな、元気でわかりやすい音にしたほうが売れるからだろう。だから、10年の沈黙を経て帰って来たスリーター・キニーの新譜が、初期スージー&ザ・バンシーズのエクスペリメンタル版みたいで個人的には好きだった前作『The Woods』で閉じた本の、まったく同じページからのやり直しになるわけがなかった。「とにかく良いロック・ソングを作る」というベーシックに戻った新譜は『Dig Me Out』、『All Hands Are On the Bad Ones』辺りを髣髴とさせる。

 しかし「クリーンでタイト」もやり過ぎるとバンド独特のテイストが希薄になるもんだが、スリーター・キニーの場合は逆に濃厚になっている。アクロバティックに尖ったギターの不協和音、ザ・ストーン・ローゼスのレニが女装してるのかと思うぐらいヴァーサタイルなドラム、そしてハスキーさに肝の据わりを加えブルージーにさえなったヴォーカルが、個別にも、バンドとしても、ばーんとスケールアップしていて冒頭から「お。」の声が出る。過去4作を手掛けたプロデューサー、ジョン・グッドマンソンがこれまで以上の仕事をしている。そうか。関係者も含めてみんな加齢したせいかもしれない。年を取ると余計なことを考えなくなるからだ。10曲で32分(日本盤は11曲らしい)。見事に迷いも無駄もない。

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 他所で書いた与太話だが、2015年はワーキングクラスのミドルエイジの女たちが政治を変えるという説がある(提唱したのはわたしではない。オーウェン・ジョーンズだ)。昨年、UKで草の根の運動を起こして成功したのは下層の女たちだった。運営打ち切りのシェルターから追い出されたホームレスのシングルマザーたちが公営住宅を占拠して自分たちでシェルターを作ったり、公営住宅が投資ファンドに売り飛ばされて退居を迫られたお母さんたちが抗議運動を展開し、ついに投資ファンドが公営住宅を手放した件など、市民運動は成功しないという近年の常識を覆し、彼女たちは現実に求めるものを手に入れたのである。

 そして今話題の、反緊縮の急進左派が政権を握って(しかも右翼政党と連立を組んで)EUにタイマンを張るというとんでもないパンクな状況になっているギリシャでも、選挙運動中に左派を象徴するシンボルになったのは、アテネの財務省の前で座り込みを続けた元清掃作業員の失業した女性たちだった。彼女たちは役所の前にキャンプを張り、警察の威嚇にライオットし、粘り強く権力に拳を上げ続けた(彼女らが使ったポスターには、ゴム手袋をはめた拳が描かれていたそうだ)。

 この地べたの女たちの怒りと底力。はミニスカ姿のテイラー・スウィフトやパリコレでプラカードを掲げて行進したスーパーモデルたちが体現できる類の「女性の力」ではない。サヴェージズだって詩的に構えすぎる。こんだけフェミニズムがどうのと言われてるわりには、ゴム手袋をはめた拳のサウンドトラックが見当たらなかったのだ。

 私はアンセムじゃない かつてはアンセムだった
 それは私のことを歌っていた
 でも今は アンセムが存在しない
 聞こえるのは残響 鳴り響く音
‟No Anthems″

 その残響をリアルに変えるのだというロマンティックな使命は彼女たちの中にあった筈だ。
 ‟Surface Envy″やタイトル曲‟No Cities to Love″などはそれこそ堂々たるロック・アンセムだし、プラスティックなギャング・オブ・フォーみたいな‟A New Wave″のソリッドなグルーヴ、WギターとドラムとWヴォーカルが5匹の蛇のようにタイトに絡み合って一本の太いロープになって飛び跳ねている‟Bury Our Friends″など、ベースレスのバンドがなんでここまでどっしりしているのか。なんかこう、音に覚悟がある。若い頃に弄んだスカスカした洒脱さを、帰って来たスリーター・キニーは覚悟で置き換えている。

 息子の学校の保護者会に行ったらそこら中にいそうな感じの風貌になった3人組がこんな音楽を奏でているというのがまたいい。これを聴いた後では今年はロックが聴けるのかしらん。と不安になっている。2015年の「ゴム手袋の拳」大賞は早くも決定した。

Carlton and the Shoes - ele-king

 恋したときの気持ちというのは、悲しいかな、時間とともに薄まり、そして忘れていくものである。理屈でわかっていても、それが性の衝動と結びついている以上、動物としてやむを得ないのかもしれない。しかし、カールトン・アンド・ザ・シューズを知っている私たちは、恋したときの気持ちを何度でも思い出すことができる。私たちは生きている限り、“ラヴ・ミー・フォーエヴァー”や“ギヴ・ミー・リトル・モア”を何度でも繰り返し聴くだろう。
 ジャマイカが生んだ伝説的なロックステディ・グループ、カールトン・アンド・ザ・シューズが来日する。すでに涙ぐんでいる人もいるのではないだろうか……来日を記念して、7インチ・シングルもリリースされる。

 以下、OVERHEATから告知文です。

 1992年に開催された”Rock Steady Night”でGladstone” Gladdy” Andersonらと初来日し、SKA、Rock Steady、Reggaeファンを驚喜させたCarlton and the Shoes(カールトン・アンド・ザ・シューズ)が帰ってくる!!!

 1966年から1968年のジャマイカでは、それまでのSKAに変わりRock Steady(ロック・ステディ)が大流行。その中でもRock Steadyを代表する最高峰のコーラス・グループと言えばCarlton and the Shoesをおいて右に出るものはいない。しかし、当時(76年)わずかたった1枚のアルバム『LOVE ME FOREVER』をCoxsone Doddのレーベル、Studio One(ジャマイカのモータウンと言われる)からリリースしただけであったが、その高い評価は今でも同じである。こうしてジャマイカ音楽の発展に多きな影響を与えた1stアルバムはクラッシックと呼ばれ、その作曲センスと絶妙なハーモニー・ワークは唯一無二、その後にリリースされた2ndアルバム『THIS HEART OF MINE』(Quality)の発売は82年である。
 そのアルバムは日本でもフィッシュマンズの曲「ランニングマン」にも影響を与え、クレモンティーヌが「Give Me Little More」をカヴァーしたり、最近ではCHAN-MIKAも同曲をカバーしたりというように何度も再発やカバーが繰り返されている超名盤である。
 そして昨年(2014年)は精力的にLAやシエラネバダ・ワールドミュージック・フェスへの出演を果たしている。

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〈ツアー日程〉
4月23日(木) 名古屋 クラブクアトロ(Tel:052-264-8211) /
ADV ¥4,500 DOOR ¥5,500
4月24日(金) 代官山 UNIT(Tel:03-5459-8630) /
ADV ¥4,500 DOOR ¥5,500
他、追加予定あり
チケット:2月28日 各プレイガイドにて発売予定
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■来日記念盤として7インチ・シングルも発売!!

発売日:2月20日 1,200円(税別)OVE-7-0123
Side A : You(Part1) / Carlton and The Shoes
Side B : Wanna Be Free / Carlton and The Shoes

 『LOVE ME FOREVER』(Studio One)をリリースした後、『THIS HEART OF MINE』をQualityからリリース。どちらも再発され続けているのはご存知の通り。ジャマイカン・アーティストの中でもオリジナルな曲センスとコーラス・ワークには世界中のマニアが一目置くところ。 昨年のLA公演も話題となっている彼らの来日にも期待がかかるが、今回は90年代の音源から選曲されたRock SteadyとSKAがカップリングされた良質な7インチ発売です。

Side A : You(Part1) / Carlton and The Shoes
『THIS HEART OF MINE』に続き95年、OVERHEATからリリースされたアルバム『Sweet Feeling』収録の純甘Rock Steady曲。 エレキ・ドラムにうねるベース、ジャマイカのゲットーを思わせる重いスリリングなリズムに極上のハーモニー。Rock Steadyに似合うのはやはりLove Songだと確信させられる曲。

Side B : Wanna Be Free / Carlton and The Shoes
ディーン・フレイザーとヴィン・ゴードンのホーンで始まる軽快なスカ・チューン。
2002年にOVERHEATからリリースされたアルバム『Music For Lovers』に収録されていた曲。カールトンの脱力ヴォーカルにからむコーラスとホーン・セクションに加え、ピアノの裏打ちはメロウ・キーボーディストことロビー・リンである。


Ryoko Akama - Bruno Duplant - Dominic Lash - ele-king

 〈アナザー・ティンブレ〉は英国の即興/実験音楽レーベルであり、現在、この種のシーンにおいて大きな存在感を示しているレーベルでもある。その横断領域は広く、即興から電子(電気)ノイズ、現代音楽までも射程に入れており、非常に個性的なレーベル・キュレーションが行われている。
 なにしろレーベル初期にはデレク・ベイリーらとミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニーで活動したヒュー・デイビスの作品集『パフォーマンス 1969 - 1977』や、音素材を極限まで切り詰め、聴覚/知覚への自覚的なプロセスを浮上させていく静寂の音響・音楽、ヴァンデルヴァイザー楽派の6枚組ボックス・セット『ヴァンデルヴァイザー・アンド・ソー・ヴァイタ―』までもリリースしているのである。また日本のICCで作品が展示された英国の実験音楽家スティーヴン・コーンフォードのアルバム(コラボレーション含む)も多数リリースされている。
 そう、いわば即興/実験/作曲の境界線を越えていくようなレーベルなのだ。ある意味ではマイケル・ナイマン著『実験音楽-ケージとその後』の思想を受け継ぐレーベルともいえよう。

 昨年2014年もジョン・ティルバリー、フィリップ・トーマスらの演奏によるモートン・フェルドマン『ツゥー・ピアノ・アンド・アザー・ピース 1953-1969』もリリースするなど、即興、ノイズ、電子音楽、現代音楽まで幅広く、かつ大量のリリースを続けていた(個人的にはベルリン・シリーズと銘打ったアーティスト・コラボレーション・シリーズにも注目)。また、英国のエクスペリメンタル・ミュージック・マガジンの老舗『ワイアー』誌の2014年トップ50内に選出されたマグナス・グランベルク率いるスクーゲン『ディスペアズ・ハッド・ガヴァンド・ミー・トゥー・ロング』と、ローレンス・クレイン『チェンバー・ワークス 1992 - 2009』も重要な作品だ。10人の演奏家によるスクーゲン(日本からは中村としまる、笙の石川高が参加)は、コンポジションとインプロヴゼーションを明確なコンセプトとともに両立させ、ローレンス・クレインは室内楽であった。両作とも即興と作曲への境界を越境している。インプロヴィゼーション/コンポジションが同時生成するようなレーベルの新しい志向=思考が明確になってきたのである。

 今回紹介するリョーコ・アカマ(VCS3シンセサイザー)、ブルーノ・デュプラント(パーカッション、トーン・ジェネレーター)、ドミニク・ラッシュ (ダブル・ベース、クラリネット、ラップトップ、パーカッション)らによる『ネクスト・トゥ・ナッシング』(2014)もまた純白のミニマリズムでインプロヴィゼーション/コンポジションを越境する素晴らしいアルバムである。まずは各メンバーのことについて簡単に書いておこう。
 リョーコ・アカマはAGFらとのユニット(The Lappetites)、カフェ・マシューズ、そしてエリアーヌ・ラディーグ(!)などとのコラボレーションでも知られる電子音楽家(https://www.ryokoakama.com/)。この『ネクスト・トゥ・ナッシング』でリョーコ・アカマが演奏するVCS3は、70年代にキング・クリムゾンやピンク・フロイドなどのプログレ・バンドに導入されたアナログ・シンセサイザーだが、本作では、それら伝説的なバンドの使い方とは異なり、静謐な音の層/霧のような音響が持続している(VCS3は、昨年発表のソロ・アルバム『コード・オブ・サイレンス』でも用いられていた)。

 そして、ブルーノ・デュプラントは精力的なリリースを続けるフランス人アーティストで、コントラバス、パーカッション、コンピューターなどを駆使したミニマルな作品/演奏を多数送り出している。自身もレーベル〈リゾーム〉を運営している(https://rhizome-s.blogspot.co.uk/)。ドミニク・ラッシュ はコントラバス奏者。彼は〈アナザー・ティンブレ〉からリリースされているヴァンデルヴァイザー楽派のアントワーヌ・ボイガーの作品『カントル・カルテット』などにも参加している(https://dominiclash.blogspot.jp/)。
 インタヴューなどを読むと、このアルバムを主宰したのはどうやらブルーノ・デュプラントのようだ。彼はこれまでもリョーコ・アカマなどとコラボレーションを行ってきたわけだが、その経験を踏まえつつ、さらに新しい音楽を生み出したかったようである。私見だが、このアルバムにおいてはトリオ編成における新しいミニマリズム/アンサンブルを追求しているように思える。

 1曲め“ア・フィールド、ネクスト・トゥ・ナッシング”はブルーノ・デュプラントによる曲で、淡い音色の電子音が持続する静謐な楽曲(このトラックが本アルバムのベーシックとなっているのではないか?)。持続とピッチの繊細なコントロール/コンポジションが素晴らしい。2曲め“グレード・ツー”はリョーコ・アカマの曲。透明な持続音に、ベースの点描的な音。鐘のような響き。電子音の層による静謐な音響アンサンブルだ。3曲め“スリー・プレイヤーズ、ノット・トゥギャザー”はドミニク・ラッシュの曲で、鐘のような響きから幕を開ける。日本の雅楽のような持続や、クリッキーなリズムも刻まれていく。そのうえフィールド・レコーディングされた風や空間のような音(多分、電子音主体のノイズではないかと思う)が鳴り響くのだ。この曲では、さらに音の層が増えており、即興/コンポジションのあいだに、音の揺らめきが生まれている。ラスト4曲めは、リョーコ・アカマによる“グレード・ツー・エクステンデッド”だ。電子音響的な高周波のチリチリしたサウンドが持続し、低音部分は震えるような持続をつづける。

 ブルーノ・デュプラントは「自分はヴァンデルヴァイザー楽派の音楽家ではない」と語っているが、たぶん、彼の目指すべき音は、サウンドのラディカリズムをミニマリズムとアンサンブルとコラボレーションによって生成していく点にあるのではないか。
 静寂と持続の音楽空間を誇る本作は、ほとんどファイル交換によって作り上げられたという。本作では演奏家は、同じ場所・時間で演奏・録音をしていない。しかし実際に会うことなく演奏・録音された本作は、その距離の効果によって独自のサウンドの磁場を形成しているように思えるのだ。反応のアンサンブルではなく、時空間を超えた「応答」のアンサンブル。リアルタイムの反応ではない以上、作曲と即興の境界線は無化していく。
 変わりゆく/移ろいゆく音響の饗宴。その古楽の一瞬の響きを引き延ばしたかのような響き。日本の能楽のような静寂と緊張。それは現代音楽的なコンセプチュアルなミニマリズムではなく、音自体の生成に拘る新しいミニマリズムといえよう。90年代と00年代の即興/音響シーンを経由した2010年代の音楽。ポスト・インプロヴィゼーションから新しいミニマリズムへ。そして、その音は、とても澄みきった響きを獲得しているのだ。

 最後に。ミニマルなイメージのジャケット写真もブルーノ・デュプラントによるものだという。このアルバムの音楽/音響を象徴する見事なアートワークである。

The Body & Thou - ele-king

 昨年、某エナジー飲料協賛、某ベース・ミュージック・イヴェントに招聘されたボディ(The Body)の二人を諸事情でホテルから会場へサウンド・チェックのため連れて行く道中、それまで気にかかっていた質問を投げかけた。

「ハクサン・クローク(Haxan Cloak)とのレコード、最高だったけど、あれライヴでできるの?」
「できないよ。」

……だよね。

 昨年、〈リヴェンジ・インターナショナル(RVNG Intil.)〉からリリースされた『我、ここに死すべし(I Shall Die Here)』はボディのレコーディング音源にハクサン・クロークがリミックス/リエディットを施した秀作である。この晩、彼らが披露したライヴはやはり過去音源で聴ける乾いたテクスチャーが特徴的なドゥーム/スラッジ全開のセットであった。

 ボディにとっては古巣ともいえる〈スリル・ジョッキー〉からリリースされた本作は米国南部のDIYエクストリーム・ミュージック・シーン出身のベテラン2組、ボディとザウ(Thou)によるコラボレーション・アルバムである。両者による異なるヘヴィネスへのアプローチが、疎外/孤立、憂鬱、絶望といった共有のテーマの下に聴者を圧殺、さらなる深淵へと落とし込む。彼らいわく、「黄昏時のダンジョンに迷い、狂王の城跡へ、盟友と肩を並べ、敵の屍を足下に、神秘は解き明かされ、秘宝は発掘される」のようなサウンドだとか……ってベタにメタル過ぎるよ! 中二病だよ!

 もう最近こんなんばっかり書いてる俺ほんと気持ち悪いわー勘弁してよーと思いつつ聴いているこの音源、たしかに圧倒的破壊力で圧殺されるドゥーム/スラッジではあるのだけれども、上記の説明的なメタル的な絶望や鬱屈といったドロドロ感は控えめにカラっと怒れるクラスティな要素が強い。バーニング・ウィッチからアイヘイト、ヌース・グラッシュなどを信奉するクラスティ・ドゥーム・ファンには堪らないだろう。どうやらこの音源、昨年リリースされたヴァイナル・オンリー音源である『愛からの解放(Released From Love)』に新譜『おれが常に憎んでいたのは、おまえだ(You, Whom I Have)』を追加した形でリリースされているようだ。こういう乾いた遅くて重いサウンドはアメリカのバンドならでは。ナイン・インチ・ネイルズ、ヴィック・チェスナットのカヴァーも収録。

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