「K A R Y Y N」と一致するもの

Autechre - ele-king

 先日「NTS Radio」への連続出演がアナウンスされ、その第1回が放送されたばかりのオウテカですが(音源はこちらの特設サイトにてアーカイヴ中)、なんとなんと、急遽来日が決定しました。6月13日(水)、恵比寿LIQUIDROOMにて8年ぶりの日本公演です。〈Skam〉のファウンダー、アンディ・マドックスが一緒に来るのも嬉しいですね(彼はオウテカのふたりとともにゲスコムのメンバーでもありました)。いや、これはきっとすぐソールドアウトしてしまうでしょう。

 さらに、トータル8時間におよぶ件の「NTS Radio」のセッション(残り3回は12日、19日、26日に放送予定)がパッケイジ化されることも判明。タイトルは『NTS Sessions 1-4』で、CD盤は8枚組(!)、アナログ盤は12枚組(!!)のボックスセットとなります(いずれも24-BIT WAVのダウンロード・コード付き。WAVのみのヴァージョンもあり)。予約はオウテカのストア「AE_STORE」から。

オウテカ来日公演緊急決定

先日ロンドンのラジオ局「NTS Radio」に4月中に4度に渡って出演することを発表し、突如始動したオウテカが、今度は来日決定! 6月13日(水)に恵比寿LIQUIDROOMにて一夜限りの、そして2010年以来、8年振りのヘッドライン公演となる。サポート・アクトとして、〈Skam Records〉主宰のアンディー・マドックスが帯同する。主催者先行は本日18時より、BEATINK.COMにてスタート。

Autechre Live
Japan 2018
With DJ Andy Maddocks (Skam Records)

公演日:2018年6月13日(WED)
会場:恵比寿LIQUIDROOM

OPEN 19:00 / START 19:30
前売 ¥6,000(税込/別途1ドリンク代) ※未就学児童入場不可

チケット先行発売:
★4/10(火)18:00~ 主催者先行:BEATINK.COMにて
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9590
★4/13(金)正午12:00~4/19(木)18:00 イープラス最速先着先行受付 [https://eplus.jp/autechre/]
★4/23(月)正午12:00~4/25(水)18:00 イープラス先着先行受付 [https://eplus.jp/autechre/]

一般発売:4月28日(土)~
イープラス [https://eplus.jp/autechre/]
ローソンチケット (Lコード: 73287) 0570-084-003 [https://l-tike.com/]
BEATINK [www.beatink.com]

企画・制作:BEATINK 03-5768-1277 [www.beatink.com]


オウテカ|Autechre
20年を超えるキャリアにおいて、常にエレクトロニック・ミュージック・シーンのカリスマであり続けるショーン・ブースとロブ・ブラウンによる孤高のユニット、オウテカ。『Incunabula』 『Amber』で90年代初期のアーティフィシャル・インテリジェンス(IDM)を牽引し、名盤『Confield』の革新性はレディオヘッドの歴史的傑作『Kid A』の誕生にも大きく影響を与え、近年でも『Oversteps』『Exai』といった重要作を次々と生み出し、エレクトロニック・ミュージックの歴史を更新し続ける真のイノヴェーター。

The Caretaker - ele-king

 秀逸なアンビエント作品で知られるザ・ケアテイカーの新作『Everywhere at the End of Time - Stage 4』が4月5日、自身のレーベル〈History Always Favours the Winners〉からリリースされた。今作は2016年に始動した6連作の4作目で、2018年にシリーズは完結するとのこと。「ele-king vol.21」における2017年の年間ベストでは、去年発表されたシリーズ前半3作をまとめたコンピレーション『Everywhere at the End of Time Stages 1-3』が選定された。


 この機会にこの作家の経歴をざっと振り返ってみたい。ザ・ケアテイカーとはジェイムズ・リーランド・カービーによる記憶と時間をテーマにしたプロジェクトだ。カービーは多くの名義を持つ作家だ。V/Vm名義ではハードコア・テクノやグリッチ・ノイズの作品を90年代から発表。ザ・ストレンジャー名義では2013年に〈Modern Love〉から傑作『Watching Dead Empires in Decay』をリリースしたことも記憶に新しい。また本人名義でもアンビエント(時にポストクラシックとも呼ばれる)作品を多数発表しており、これらの作品の多くはは自身のレーベル〈History Always Favours the Winners〉からリリースされている。
 カービーはイングランドのマンチェスターから車で20分ほど離れた街ストックポート出身で、現在はポーランドのクラクフに在住。彼の作品のアートワークの多くは、同じくストックポート出身でベルリン在住の画家、イヴァン・シールが手がけている。地元が近いアンディ・ストットやデムダイク・ステアとも交流があり、最近では2006年に録音され2017年にリリースされたV/Vm『Brabant Schrobbelèr』のミックスをデムダイク・ステアのマイルズ・ウィテカーが担当している。
 その作品はアンビエントやノイズのリスナーだけではなく、ダンスミュージックのファンも魅了してきた。海外ではフライング・ロータスをはじめとするミュージシャンたちも彼のファンであることを公言している。

ツイッターでザ・ケアテイカーに言及するフライング・ロータス


 日本における紹介者としては、評論家の阿木譲が積極的にカービーの作品をとりあげており、本人と直接連絡も取り合っているようだ。三田格はV/Vm時代からその活動に注目しており『裏アンビエント・ミュージック 1960-2010』(INFASパブリケーションズ、2010年)でカービーに言及し、ザ・ケアテイカー名義の『Patience (After Sebald)』(2012年)の評がウェブ版「ele-king」には掲載された。(筆者は「ele-king Vol.20」(2017年)のダンス・ミュージック特集で、カービーの『The Death of Rave』(2014年)における「レイヴの死」の表象について思想サイドから考察を行っている。)
 ザ・ケアテイカー名義では1999年に第一作『Selected Memories From The Haunted Ballroom』を発表。「ザ・ケアテイカー(The Caretaker)」とはスティーヴン・キング原作(1977年)でスタンリー・キューブリックが1980年に映画化した『シャイニング』から着想を得ている。この第一作目のタイトルにある「The Haunted Ballroom(取り憑かれた社交パーティ舞踏室)」とは、ジャック・ニコルソン演じる主人公が誰もいないはずのボールルームで、パーティを楽しむ大勢の幽霊(あるいは記憶)たちに遭遇するあの場面を指しており、「ザ・ケアテイカー(管理人)」とはそのシーンで主人公が出会うかつてホテルの管理人(彼も幽霊、あるいは記憶)を務めていた登場人物からとられている。


The Caretaker - Selected Memories from the Haunted Ballroom

 そのサウンドの特徴は、端的に説明すれば、レコードのクラック・ノイズのカーテンの向こうから聴こえてくる過剰なエフェクトが加えられた78回転レコードのサンプリング・ループである。また、このプロジェクトのコンセプトには、ザ・ケアテイカーという存在は認知症を患っているため、過去を正しく思い出すことができない、という設定がある(ちなみにカービー本人は認知症を患ってはいない)。『Everywhere at the End of Time』のシリーズ前半である1−3作は「Awareness」(「Consciousness」と同じく「意識」も指すが同時に「気づき」も含意する)がテーマで、4作目以降は「Post Awareness」、つまり「気づき」が及ばない領域におけるより混沌としたサウンドスケープが展開されていくそうだ(この連作では同様のサンプリング・マテリアルが違ったアレンジで各所に何度も現れてくる。それを認知症の設定と関連づけて「ele-king vol.21」の年間ベスト評で筆者は考察した)。なお、今シリーズを最後に、ザ・ケアテイカーとしてのプロジェクトは終了することをカービーは既に発表している。
 『Everywhere at the End of Time』をテーマにした2017年12月のライヴでは、ザ・ケアテイカーとそのライヴのヴィジュアルを手がけるウィアードコア(Weirdcore。エイフェックス・ツインとのコラボレーションでも知られる)がステージに現れた。ステージ上にはソファーが二つ、コーヒー・テーブルが一つ、マイクスタンドが一つ、コート掛けが一つ、ウィスキーが一瓶。そのどれもがヴィンテージ調である。爆音で音楽が流れ、ステージ上空の大きなプロジェクターに映る映像と大量のスモークがそれを彩る。その一方でふたりは機材を操作する行為は一切行わない。ただソファーに腰掛け、ウィスキーと会話を楽しんだ後、黙って回想に耽り、ザ・ケアテイカーはたまに立ち上がると曲に合わせて歌うふりをするだけ……、という強烈な「パフォーマンス」が披露された。ちなみに過去のライヴで、カービーはバニー・マニロウやブライアン・アダムスをアンコールで熱唱し(ジョークなのだろうが、これがなかなか良い)、V/Vm名義では豚の仮面を被りステージ上を豪快に動き回っていた。
 先日の『Stage 4』のリリースと同時に、2017年に発表された『Take Care, It's A Desert Out There...』も再発された。もともと同作は、ポーランドの音楽フェスティバルであるアンサウンドがロンドンのバービカン・センターでその年の12月に開催したイベントにザ・ケアテイカーがライヴ・アクトとして出演した時に無料配布されたもので(先ほど紹介したライヴはこの時のものだ)、マンチェスターに拠点を置くディストリビューター/ウェブ上の販売店であるブームカットから後ほど発売された。
 同作は今年の2月に日本語訳版が刊行された『資本主義リアリズム』(堀之内出版、2018年)の著者である批評家故マーク・フィッシャーに捧げられている。フィッシャーとカービーの親交は10年以上に及び、ザ・ケアテイカー名義で発表された『Theoretically Pure Anterograde Amnesia』(2005年、CD は2006年。なんと6枚組である)のライナーノーツを担当したのはフィッシャーだ。このライナーノーツの結びの言葉である「気をつけろ、外は砂漠なのだから……」から件の2017年作のタイトルはとられている。その文章と、英誌『Wire』2009年6月号に掲載されたフィッシャーによるカービーへのインタヴューは、彼の著作『Ghosts of My Life: Writings On Depression, Hauntology And Lost Futures』(Zero Books、2014年)に収録。本書において、フィッシャーはカービーをブリアルと並べて考察し、もはや未来が輝いていない現代を描いた作家として大きく評価した。
 フィッシャーは2017年1月に自らその命を絶つ。享年、48歳。晩年はうつ病を患っていた。彼の死に対して、コード9やサイモン・レイノルズをはじめとする多くのミュージシャンや批評家たちが哀悼の意を表してきたが、カービーはこの作品を発表するまで沈黙を通してきた。『Take Care, It's A Desert Out There...』の売り上げはイギリスのメンタル・ヘルス支援団体Mindへ送られるという。本作のCDには、並んで街を歩くフィッシャーとカービーの後ろ姿の写真がプリントされている。
 同様のジャンルで活動する他のミュージシャンたちに比べると、日本におけるザ・ケアテイカーをはじめとするカービーの作品の認知度はあまり高くはないかもしれない。しかしイギリスをはじめとする欧米の電子音楽のリスナーからの支持は大きく、その背景にはその独自なサウンドだけではなく、フィッシャーの文章による力や、その活動の方法なども影響しているのかもしれない。カービーはインディペンデントでの活動に重点を置くプロデューサーだ。基本的に毎回少数しか作られないLP(すぐにソールドアウトになる)とデータでのみ作品はリリースされる(新作のLP盤を手に入れてみたいという方は、彼のフェイスブック・ページで事前に発売日が発表されるのでチェックしてみてください。現時点ではアップル・ミュージックやスポティファイに彼の主要作品はなく、過去作の大半は〈History Always Favours the Winners〉のバンドキャンプのページで入手が可能だ。『Theoretically Pure Anterograde Amnesia』を購入すると、フィッシャーによるライナーノーツのPDFファイルも付いてくる。 
 「残念ながら、未来はもはやかつてのようなものではない」。カービーは2009年の自身名義のアルバム・タイトルでそう述べている。カービーはこの現代をどう見ているのか。ザ・ケアテイカーはなぜ記憶について語るのか。マーク・フィッシャーはどのようにこれらの作品を聴いていたのか……。そんなことを考えながら、認知症を患った記憶の管理人と、それを操るジェイムズ・リーランド・カービーの恐ろしく奇妙で美しいサウンドに耳を傾けてみてはいかがだろうか。

DJ Taye - ele-king

 DJテイがビートを作り、同時にラップをはじめたのは11歳のとき、つまり小学時代のことだった。16歳になると彼は地元のクルー、故DJラシャド、DJスピン、トラックスマン、DJアールらのTeklifeに最年少メンバーとして加入する。

 シカゴのジューク/フットワークが発見されてから、そろそろ10年が経とうとしている。昨年はジェイリンの素晴らしい『ブラック・オリガミ』があって、今年はまずはDJテイの『スティル・トリッピン』というわけだ。DJテイの名は、OPNが3曲も参加したDJアールの『オープン・ユア・アイズ』でもクレジットされているが、わりと早いうちから〈ハイパーダブ〉がEPを出しているので、Teklife期待の若手がいよいよ同レーベルからの初アルバムを発表ということでシーンでは盛り上がっている。

 DJテイは、18歳のときに最初のアルバムを自主で出しているのだが、そのタイトルは『オーヴァードーズ・オン・テックライフ』という、若気の至りに尽きるタイトルを冠している。そして今回は、『スティル・トリッピン』、「まだぶっ飛んでるぜ」というわけだ。
 とはいえ、『スティル・トリッピン』は23歳の若さにまかせてぴょんぴょん跳びはねるというよりは、音楽的にじっくり聴かせる側面を持ち合わせているアルバムだ。ヒップホップ色も強く、ことトラップからの影響も見せてはいる。もちろん、ここ10年で発展したシカゴの革新的なダンスのビートはある。
 しかしたとえばカナダの女性シンガー、オディール・ミルティルをフィーチャーした“Same Sound”における優雅なソウル・テイスト、テンポを落とした“9090”や“Anotha4”におけるドリーミーな叙情、ニュージャージーの女性DJ、UNiiQU3を招いての活気溢れる“Gimme Some Mo”、女性シンガーのファビ・レイナをフィーチャーしたチルアウト・トラックの“I Don't Know”……。
 アルバムには多様性があり、DJペイパルやDJメニーたちに混じって、シカゴのダンスバトルには女性陣もいるんだよと言わんばかりに女性たちも参加し(サンプリングではなく実演として)、早熟なDJテイの音楽的な才能はいろんな意味で光っている。なかでも“Trippin”は最高の出来の曲のひとつ。

 うーん、日本語の「フットワーク」という文字がデザインされたジャンバーも格好いいです。そしてフットワークらしいすばしっこい動きを見せる“Need It”や“I'm Trippin”──。
 「トリップ」という言葉には、もちろん「旅をする」という意味も含まれているわけだが、じっさいにこうしてロンドンの〈ハイパーダブ〉から新作がリリースされているのであり、シカゴのフットワークはいまも世界を旅行中なのだ。シカゴがこの「旅」を止めたことはない。ハウス・ミュージックが生まれたときからずっと、シカゴはいまもなお、アンダーグラウンド・ダンス・ミュージックの王国である。

ハテナ・フランセ - ele-king


 ボンジュールみなさん。今回はマーベル映画『ブラックパンサー』についてお話ししたく。

 本題に入る前に少し前に日本でもフランス映画としては近年稀に見る大ヒットとなった『最強のふたり』(12)について。障害者の富豪とそのケアをする貧しい黒人青年の友情を描いたこの驚異的ヒット作は、フランスのインテリやいわゆる映画批評家たちからはこき下ろされた。日本では全く放映されていないが、フランスには小人症の女優が主演する『Joséphine ange gardien』というご長寿人気ドラマがある。いっぽうオマール・シィは、カナル+という人気有料チャンネルの、シュールでバカバカしい芸風のコント番組で若者の人気を博した人だ。この2番組のエッセンスを組み合わせたのが『最強のふたり』というわけだ。しょうもないギャグとヒューマニズムを掛け合わせると、最強のポリティカリー・コレクト映画が出来上がる。というマーケティング通りに作られた映画だというのが批評の主軸だ。実話に基づいた映画だが、実際はアラブ系だったドリス役はアフリカ人のオマール・シィに変更された。見た目のギャップが際立つコンピに変えるという変更が、実話をリアリティのないマーケティングの産物に変えてしまったという批判も多く聞かれた。

 さて、本題の『ブラック・パンサー』だが、フランスでは2月14日に公開され興行収入1位を2週間連続で奪取し、観客動員も300万人越え。フランスでも大ヒットとされる本作は、日本やアメリカで、黒人文化、そしてアフリカ文化を描いている非常に重要な作品と評価されているように見える。もちろんアフリカを舞台にアフリカ人のヒーローが活躍する前代未聞のブロックバスター映画、という意味では純粋に立派だ。また主役のブラック・パンサーより強いと思える女戦士オコエの魅力といったらない。彼女やブラック・パンサーの妹にして天才科学者シュリなど、女性キャラクターが強く重要な役割を持っていることも素晴らしい。そして私が個人的に一番グッときたのは最初と最後に出てくるオークランドのプロジェクト(低所得者向け団地)のシーンだ。この2シーンは、決してこれ見よがしに貧しさを強調しているわけではない。だがオークランドのタフさを、短いが意味と説得力を持って描いている。それはオークランド出身のクーグラー監督が自身の経験として知っているからではないだろうか。クーグラーの『フルートベール駅で』(14)は警官による黒人の射殺事件を扱い、ブラック・ライヴス・マターのエスプリで作られた映画。

 それに比べてアフリカやその文化の描かれ方については、どうも肯定的にはなり難い。フランスのインテリ紙などでは「この空想上のアフリカの国ワカンダは、悪趣味なディズニーランドにしか見えない」や「ドバイの成金が演じるライオン・キングのよう」などと揶揄されている。フランスの多くの都市にはアフリカ系を含む移民コミュニティがあり、それらを見ている身からすると「なんか違う」と思えてしまうのではないだろうか。そして私もそれに同感なのだ。

 19区の私が住んでいる地区は、パリを代表するアフリカン・コミュニティではないが、家賃の安い地区なので移民も多い。赤ん坊をウエストポーチみたく腰にくくりつけてるまだ十代と思しきお母ちゃん。ウォロフ語とフランス語ちゃんぽんで話している、昼間から暇そうなお兄ちゃんたち。彼らは私のご近所さんたちだ。映画『アメリ』でもおなじみのモンマルトルのそぐそば、18区Barbes Rochechouartではメトロの出口でアフリカ人のおっちゃんがトウモロコシを焼いてる。そのBarbes Rochechouartから隣の駅La Chapelleへの道すがらにはしょっちゅう無許可の市場が立つ。アフリカ系もアラブ系もごった煮だが、もっぱら移民系の人たちがそこには集まる。用途のよくわからない中古の電子機器の一部や、山盛りの古着や、違法感ムンムンのスマートフォン(私がiPhoneを引ったくられた時には、警察に「アフリカ系の若い子にやられたんでしょ。Barbes行けば見つかるかもよ」と笑えない冗談を言われた)などが売っている。ガイドブックにも必ず載っているクリニャンクールの蚤の市に行こうとすると、まずはぱちモンのベルサーチのベルトやら2パックのTシャツやらの洗礼を受ける。イケメンのアフリカ系の兄ちゃんはいつ警官が来ても逃げられるように地べたに布切れを敷いてそれらのぱちモンを売っている。パリの人にとってのアフリカのイメージは、ファンタジーとして語るにはあまりにも生活感がありすぎるのだ。そしてブラックパンサーの描くアフリカは生活感がまるっと抜け落ちているのだ。

 もちろんマーベルのヒーロー映画に生活感を求める方が間違っているのだろう。だが、監督のライアン・クーグラーは、キャストの大半をアフリカ系俳優にしたことからもうかがえるとおり、正面きってポリティカリー・コレクトをやろうとしたはずだ。そしてその観点から、アフリカで現実にある問題を取り上げている。そう、これはあくまで取り上げている、というふうにしか見えない。それこそが問題なのだ。例えば人身売買業者と思しき悪者たちをやっつけるシーンがある。これが紋切型で薄ぼんやりとしたシーンなのだ。「人身売買、ダメ、絶対」的な標語以上のものは感じられない。オークランドの短いシーンでは、ゲットーのリアルを表現できていたライアン・クーグラー。ことアフリカに関してはその問題を、おそらく自分自身のものとして感じられていないのだろう。

 加えて音楽にも物足りなさを感じる。ケンドリック・ラマーが参加することの商業的、政治的重要性は理解できるので、そこに異論を唱えるつもりはない。そのケンドリック・ラマーのプロデュースした曲に負けず劣らずのインパクトがあるのが、たびたび登場するトーキング・ドラムの音だ。たしかに通信手段にも使われるトーキング・ドラムはよく響くのでアイコニックだが、アフリカにはリュート型弦楽器コラも瓢箪を使った木琴バラフォンも親指ピアノもあるのに、トーキング・ドラム一本槍というのはもったいないのでは。スコアを手がけたスウェーデン人のルドヴィク・ゴランソンは、これまでライアン・クーグラーの長編2作の音楽を手がけてきた映画音楽作曲家だ。今作を作るにあたり、セネガル出身のバーバ・マールに協力を仰いだらしい。バーバ・マールはアンジェリク・キジョーやリシャール・ボナに並ぶアメリカで成功したアフリカ人アーティストの大御所の一人。スコアの中でも透明感のある声を聞かせてくれるすばらしい歌手だ。だが、64歳のベテランよりもう少しフレッシュな人材もいたのでは? と思わずにいられない。これまで仕事を一緒にしてきた人に任せたいというクーグラー監督の気持ちも理解できるが、そこはもう少しアフリカ音楽に造詣が深い人に任せても良かったのではないか。例えばイギリス人だがアフリカ音楽のエキスパート、デーモン・アルバーンとか。そしてマリのソンホイ・ブルースや、もっと思い切って南アフリカのNakhaneなんかが聞けたら、今のアフリカ音楽が感じられて刺激的になったのでは。そうしたらもっとアフリカと真剣に向き合ってくれたんだ、と思えた気する。

 とはいえ、セネガル人の知り合い達に言わせると「アフリカ人がヒーロー設定の映画でこんな大ヒット作が出てきただけでありがたいよ」ということらしい。さらに「アフリカン・アメリカンにとってはアフリカは現実じゃないでしょ。今の子たちは行ったことすらない世代なんだから、彼らにとってのアフリカはファンタジーというフィルターを通して思い描く必要がある場所なんじゃないの」ということなのだろう。私だってワカンダのように、搾取されないアフリカが現実になればいいと思う。それにマーベル映画にコンゴ映画『わたしは、幸福(フェリシテ)』やタンザニア映画『White Shadow』のような、アフリカにおける過酷な現実の考察を求めているわけではもちろんない。だが、『ブラック・パンサー』の描く理想化されたアフリカが、マーケティング的結果なんだとすると、アフリカ文化を描いた重要映画という称号はあげられない気がしませんかねえ?

Chris Carter - ele-king

 70年代中期から末期、ポスト工業化していく社会にむけて「インダストリアル・ミュージック」を提唱したスロッビング・グリッスル。その創設メンバーであり、電子音楽家/電子音響サイエンティスト/サウンド・デザイナーでもあるクリス・カーターのソロ・アルバムが老舗〈ミュート〉からリリースされた。前作『Small Moon』以来、実に18年ぶりのソロ新作である。
 これまでリリースされた彼の純粋なソロ作品自体は4作品のみだが、寡作という印象はまったくない。近年も再始動したスロッビング・グリッスル(ジェネシス脱退でX-TGに)、クリス&コージー、カーター/トゥッティ/ヴォイドなどのアルバムやEPを継続的に活動・発表をしていたから常に現役という印象である。
 逆にいえばソロとコラボレーションの違いをあまり気にしていない職人気質の人ともいえる。なるほど、こういう人だからこそスロッビング・グリッスルという過剰な(人たちの)存在をまとめることができたのだろう(スロッビング・グリッスルは、その過剰・過激・批評的なコンセプトやパフォーマンス、センセーショナルなアートワークのむこうで音楽性自体はどこか端正な側面もあったと思う)。

 本アルバムは、インタビューでも語っていたようにクリス・カーターがさまざまなプロジェクトを同時進行していくという多忙な活動の中で、一種の息抜きのように制作されたトラックをまとめたアルバムのようだ(コージー・ファニ・トゥッティは参加していない)。そのせいか過去のソロ・アルバム以上にリラクシンなムードの電子音楽集となっていた。
 “Blissters”、“Nineteen 7”、“Modularity”などは彼のルーツであるクラフトワークを思わせるシーケンシャルなモダン・テクノ・ポップといった趣である。同時に“Field Depth”、“Moon Two”などのアンビエントなトラックは、どこか50年代、60年代の電子音楽、たとえばディック・ラージメイカーズを思わせもした。じっさい、クリス・カーターはこんなことを言っている。「特にこのアルバムに関して影響を受けたものがあるとすれば、それは間違いなく60年代の電子音楽だね」(国内盤をリリースする〈トラフィック〉のサイトより引用)

 加えて“Durlin”、“Corvus”、“Rehndim”などのX-TGの『Desertshore / The Final Report』を想起させるモダンな音響感覚が強調される曲も収録されているが、何より“Post Industrial”、“Ars Vetus”などは完全に現代的インダストリアルで痺れるほかない。

 どのトラックも時間が2分から3分ほどの小品であり、どこかクリス・カーターのハードディスクにあるマテリアルを聴いているような興味深さもあった(もしかすると、ありえたかもしれないX-TGとして?)のだが、しかし、どの曲もミックスのバランスは完璧だ。素朴であると同時に、無駄がなく聴きやすいのである。
 さらに聴き込んでいくと、その奇妙な音響処理にも不意を突かれる。特に“Cernubicua”をはじめとする「声」処理の独特さにも注目したい。本作における「声」は、「存在しながらも不在を強く意識させる幽霊的な音響」を実現しているように思えた。じじつ、彼は、こうも語る。

「スリージー(スロッビング・グリッスルの創設メンバーで2010年に逝去したピーター・“スリージー”・クリストファーソン)と僕はかつてソフトウェア、ハードウェア双方を使って人工的な歌声を作っていく作業を共同で担当してたんだ。今回はそれを僕だけで、さらに進んだことをやろうと思ってね。自分の声もしくはかつてスリージーと一緒に作った音声コレクションを引っ張り出して、それらを思いっきり切り刻んで歌詞を作っていったんだけど相当ヘンテコな感じになったね」(国内盤をリリースする〈トラフィック〉のサイトより引用)

 そう、この「声」は、ある意味、ピーター・クリストファーソンとのコラボレーションの延長線上にあるともいえるのだ(それが本作にX-TGらしさを感じる所以かもしれない)。

 そして何より25曲というボリュームにまず驚く。だからといって壮大な「コンセプト・アルバム」ではない。むしろEPを聴いているような軽さがある。もしくはミックス音源のような流れも感じた。天才のメモやスケッチを観る(聴く)感覚に近いアルバムともいえるし、架空のエレクトロニック・バンドの「グレイテスト・ヒッツ」を聴いているような感覚もあった。要するにクリス・カーターという電子音楽家・音響デザイナーのエッセンスが、最良のかたちでアルバムに収められている、という印象である。

 ではそれはどういったエッセンスなのか。おそらく、カーター自身が使っているモジュラーシンセなどの電子楽器における最良のメロディとトーンを追及するという姿勢・実践に思える。オールドスクールな曲調は、むしろ楽器と音色にとって最良の選択なのだろう。
 そのような彼の技術志向は「生真面目さ」などではなく、マシンと音の「必然」性を及しつつ、そこに、これまでにない「逸脱」をどう組み込むのかに肝があるはずで、むしろ技術者の心性に近いのではないか。私見だが「逸脱」に関しては、カーター/トゥッティ/ヴォイドのトラックのほうで実現され、「必然」がこのアルバムに結晶されたようにも思える。
 むろん、この場合、「必然」とはあくまで電子音楽/電子楽器の必然であり、何か社会的主題のようなそれほど意味はない(と思う)。そこがスロッビング・グリッスルとの大きな差異であり、クリス・カーターのソロたる所以でもあるのだろう。彼は「匿名性」を希求している。本作を聴きながらそんな印象を持った。

 電子音/音楽への研究と耽溺を経て、そのむこうに「匿名的な音楽」を見出すこと。スロッビング・グリッスルというあまりに巨大な署名を背負っているクリス・カーターだが、意外と彼が希求する音楽/音響は、匿名の果てにあるマシニックな機能性の美なのではないかと思う。そしてそれこそが言葉の真の意味での「インダストルアル・ミュージック」ではないか、とも……。
 いずれにせよこれこそがクリス・カーターの考える電子音楽である。それはわれわれの耳が求めてしまう魅力的な電子音楽作品でもあるのだ。

 バンドのライヴの合間にプレイされるDJなんて、じっさいのところ誰もちゃんと聴いちゃいない。だから何かにつけて考えすぎてしまう僕のようなタイプの人間からすると、こんなふうにセットリストを組んでプレイすることはどこかで、想像上の友だちとじっくり会話することに似ている。フロア全体の注意を惹きつづける義務を負っているクラブのDJとは違って、バンドの合間のDJの役割は曖昧だ。なにより雰囲気を保つことが大事。あとはたまたま居あわせた好奇心の強い観客や、ハードコアな音楽オタクの興味を惹きつけさえすればいい。こういうDJの場合、それが成功したかどうかは、どれだけの人を躍らせたかとか、何人が自分のところにやってきて、「ねえ、今かかってる曲ってなに?」と聞いたかといったことでは計れないわけだ。
 だけど、日本の音楽シーンについての僕の本『バンドやめようぜ!』のリリース・パーティーで、バンドの合間のDJのひとりとしてプレイしたとき、僕は自分に、もうふたつだけ別の義務を課していた。ひとつは、短いふたつのセットリストを、かならず日本の音楽だけで組みあげること。そしてもうひとつは、好きなようにやってとにかく楽しむこと。イベントのオープニングから、シンセ・パンクトリオJebiottoのライヴまで、そしてその後で、 (M)otocompoのアイドルさながらなニューウェイヴ・テクノ・ポップ・スカから、The Fadeawaysの昭和なガレージ・パンクへ─ 僕に任されていたのは、このふたつの場面の転換を、ゆるやかに導いていくことだった。そこで僕は、1曲1曲の空気が生む全体的な流れのなかに、なによりも自分自身が楽しむため曲を何曲か入れるようにした。ツイッターで誰かが、僕の本がミッシェル・ガン・エレファントにふれていないことを批判していたので、彼らの曲もリストのなかに入れておいた。ローリーの “Love Machine”は、めったにないような笑えて陽気な楽しい曲で、レコードを探し歩くようになったばかりのころ、八王子のブックオフの値下げコーナーのなかで、その変わったジャケットかタイトル以外なんの理由もないままに、本当にたまたま出会ったものだ。
 それとは同時に僕は、今回のセットリストで、ステージに上がるミュージシャンたちや、彼らもまた今の音楽シーンで活発に活動している、会場にやってくる他のミュージシャンたちと、個人的なコミュニケーションを取りたいとも思った。最初のバンドJebiottoは、表面的にはシンセ・パンク・バンドだが、その深い部分では、1980年代にスタジアムを沸かせたようなロック・バンドの心臓が脈打っている。布袋寅泰のは“Poison”をかけたのは、 それがまさに彼らのためにあるような1曲だからだ。
 一方で、Falsettosの“Ink”でパーティをスタートさせたのは、僕の本を物販のテーブルで売ってくれていた、何人かのP-Vineスタッフのためだった。たまたまだったとはいえ、じっさいそのうちのすくなくとも1人か2人は、この曲のリリース時にも動いていた人だった。
 つづけて、僕自身が運営している〈Call and Response〉レコードからリリースしたLoopriderの“Farewell”をかけたのは、誇りに思ってとかそういうこと以上に、自分たちのような小さなレーベルでも、すばらしくキャッチーで、質の高いポップなロック・ミュージックを世に出せるのだという事実を示すためだった。それをスーパーカーの“Fairway”に繋いだのは一種のパーティ・ジョークで、2つの曲が似ていることを示して、友だちでもあるLoopriderのメンバーを楽しませたかったからだが、『バンドやめようぜ!』のなかに書いた曲を取りあげておくためでもあった。
 プレイしたふたつのセットリストをとおして僕は、本のなかで言及した音楽にふれるようにつとめ、あわせて、日本の音楽についての僕自身の探求のなかで、僕にとって重要だった音楽にふれるようにつとめた。ボアダムスやメルト・バナナ、コーネリアスといった、日本に来る前にUKで知っていたバンド。2000年代のはじめに日本に着いた僕を迎えてくれた、スーパーカー、くるり、ナンバー・ガールの三位一体。もっと後になってから恋に落ちた、P-Modelやくるりといったバンド。ともかく素晴らしいということ以外まだよくわからないままな、otoriやFluid、Nicfitといった、日本中のアンダーグラウンドなライヴハウスで見つけたアート・パンク・バンド。結果としてそれは──たとえ自分以外誰一人としてちゃんと聴いていなかったとしても──僕にとって本当に意味深い日本の音楽との出会いの数々を巡る、誰にも思いもよらないような、ノスタルジックな小旅行になった。


1st Set:
Ink - Falsettos
Farewell - Looprider
Fairway - Supercar
I Ready Needy - Yolz in the Sky
Mutant Disco - Fluid
Zero - Melt-Banana
反転 - otori
Poison - 布袋寅泰
So Wet - Tropical Death
Bore Now Bore - Boredoms
Creeps - Nicfit

2nd Set:
You Think You’re A Man - Motocompo
モデル - ヒカシュー
美術館であった人だろ - P-Model
Haru Ichiban - キャンディーズ
Paul Scholes - Yukari Fresh & Tomorrow’s World
I Hate Hate - Cornelius
水中モーター - Quruli
透明少女 - Number Girl
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No Permanence - The Routes

interview with Unknown Mortal Orchestra - ele-king


Unknown Mortal Orchestra
Sex & Food

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  60年代に産声を上げたサイケデリック・ロックは、ある時期までのロック史観においては、その時代にのみ瞬間的な爆発をみた徒花的存在として扱われてきたきらいもあった。しかし、商業ベースに乗らない自主制作盤の世界では、サイケデリック暗黒時代と言われる70年代にも少なくないアーティストが蠢いていたことが近年振り返られつつ有るし、オルタナティヴ・ロックの興隆以降、ペイズリー・アンダーグラウンド・ムーヴメントなど80年代におけるリバイバルを始めとして、折に触れてサイケデリックという奴は歴史に顔を出し続けてきた。そしてそれに伴っていつからか、一個の音楽スタイルという括りを越えて、特有のテクスチャーやムードを持ったもの/ことに対して使う形容詞としても定着し、時には安易に使われ過ぎる言葉ともなっていった。
 アンノウン・モータル・オーケストラこそは、そういった捉えがたい霧のようになってしまった「サイケデリック」というものを、今一度リスナーの耳元に引き据えてみせる。しかも、この「サイケデリック」は、往時に描かれたムードとはかなり質感を異にする。それは、これまでサイケデリックを表象してきた攻撃的酩酊感とでもいうべきものと、一般的にはそれと相反すると思われてきた所謂「メロウネス」との巧みかつ大胆な融合によるものだと言えるだろう。90年代後期から米国中心に再び勃興してきたローファイでガレージーなインディ・バンド/アーティスト群や、チルウェイヴやシューゲイザー・リバイバルとの共振も感じさせた初期作品を経て、彼らは徐々に仄暖かでメロウな海へと漕ぎ出してきたのだった。それは一見、かねてよりギャラクシー500やヨ・ラ・テンゴといったアクトが住処としていた海であるようにも見えるが、アンノウン・モータル・オーケストラの眼前に広がるそれは、各種のブラック・ミュージックやビート・ミュージックからの影響も垣間見える、コンテンポラリーなメロウネスと躍動に満ちたものだ。その沖合では既にアリエル・ピンクが帆船を浮かべていたかもしれないが、彼らはそれを横目に見ながら密航者のように鮮やかな手つきで彼らだけの海域を見つけ、そこで巧みに遊んでいる。

 ……そして時に言われるように、サイケデリックへ沈潜し時にノスタルジーの蠱惑にも誘われながらそこに遊ぶことにより、ライブリーな生活圏や政治的世界と隔絶するという現象は、どうやら確かに起こることなのかもしれない。もしかするとここに聴かれる世界は、現在の政治空間からのスキゾ的逃避ととらえられても仕方のないことかもしれないが、しかしながらそもそも逃避とは、その表現者自身に社会に対する鋭敏な問題意識が蟠っているからこそとも言える。この逃避の欲求というのは、かねてよりこの世界に生きる我々皆が少なからず背負い込んでいる問題でもあろうし、その重荷を肩に感じながら、音楽そのものに耽溺するとき、ひょっとしたらメロウネスこそが鬱屈を和らげるオピウムのような役割を担いつつあるのかもしれない。
 サイケデリックは今新たなフェーズを迎えつつある。「官能と飽食」という、いかにも示唆深いタイトルを与えられた今作は、その象徴として捉えられる傑作であるとともに、メランコリーに揺られるからこそメロウネスがひとりでに立ち昇るという仮設を提供してくれていることで、サイケデリック・ロックに限らない昨今の音楽シーンを読み解く優れたテクストにもなるだろう。

 今作での音楽性の深化や、メロウな音楽への関心、シーンを取り巻く状況、ドラッグ・カルチャーについてなど、バンドのリーダーであるルーバン・ニーソンに話を訊いた。

音楽を作る時も、すごく馴染みのある気持ちになることもあれば、暗闇を歩いている気持ちになったりもする。様々な気持ちになるんだけど、時にはその暗闇を歩いている時こそがいい時だったりするんだよね。

今作『セックス&フード』、とても素晴らしい内容で非常にワクワクしながら聴かせていただきました。第一印象として、これまでに増してメロウな感覚が強まったと感じます。バンドにとって、70年代のソウルなどのファンキーでメロウな音楽はどんな存在でしょうか? また、それらはインスピレーション源として大きなものでしょうか?

ルーバン・ニールソン(以下RN):ありがとう! そう言ってもらえて嬉しいよ。そうだね、70年代の音楽にはすごく影響を受けたって言えると思う。ソウルやファンクは、小さい頃に聴いていたような音楽だった。家の中で流れていたものだから自然と聴いて育った音楽なんだ。今でもその頃の音楽は聴いたりするよ。

一方、リード・トラック“アメリカン・ギルト”などのように、鮮烈なギターリフが先導するガレージーな楽曲も収録されています。ガレージロック的なものとメロウなものというのは、一般的には一見背反する要素のように捉えられているかと思うのですが、アルバム全体ではその融合を目指しているようにも感じました。制作にあたってそういった意識はありましたか?

RN:曲作りをアコースティック・ギターで作り始めるから、最初はメロウな感じでいつも始まるんだ。だけど書いていくうちにもっとロックになってきたり、他に試してみたいことが出てきたりして、プロダクションを重ねていくうちにそういう感じに変化して行ったんだ。

ミックスなどの音響面でも、これまで皆さんに対して言われてきたようなローファイな感覚から、曲によってはかなりハイファイな音作りに変化したような気がするのですが、これはなぜなのでしょうか?

RN:僕はレコーディングする時に用いる手法があるんだけど、ヴィンテージのテープレコーダーやカセットテープを使って作業しつつ、コンピューター処理も行う。昔ながらのアナログな手法とモダンな手法が混ざっているんだよね。ディストーションとかはわざと残したりしているよ。でもアルバムを重ねるごとに、自分の技術も上がってきて、よりいい機材を使ったりしているんだ。アルバムごとに少しずつ手法やスキルも上がってきてるからサウンドも変わってきたんだと思う。

近年脚光を浴びている、いわゆる「ヨットロック」のリバイバルについては、どんな認識をもっていますか? ここ日本でも自国の「ヨットロック」である70~80年代の音楽が「シティ・ポップ」として海外からも注目されるなど、今までダサイとされていたものの問い直しが起こっています。

RN:僕が幼い時は、父親がジャズ・ミュージシャンっていうこともあって、家ではジャズ・ミュージックが主に流れていて、ヴォーカル・ミュージックを聴くことが少なかった。でも唯一父親も好きで聴いていた「ポップ」と呼べる音楽は、スティーリー・ダンだった。だからスティーリー・ダンは自分にとってすごく心の中に残ってる音楽なんだよね。今またなんでヨットロックが注目されているかというと、多分今の時代に生まれる音楽とすごく違うからだと思う。あの頃はプロダクションレベルとかミュージシャンシップとか、今よりもすごく高いものが多かったと思う。だからそういう音楽に触れるとすごく珍しい気持ちになる。それに、昔聴いていた音楽はノスタルジーに浸れるっていうのも大きい気がする。ノルタルジーってやっぱり人の心や記憶の中でとても強いものだと思うから。

メキシコシティやアイスランドのレイキャビク、韓国のソウルやベトナムのハノイなど世界各地でもレコーディングを行ったとのことですが、創作にあたって、どんな刺戟がありましたか? また、そういった地域のポップスや民族音楽からの影響はあったのでしょうか?

RN:ローカルの音楽を聴いたりもしてみたんだけど、あまり影響されないようにはしてたんだよね。でもベトナムでは、レコーディングしてたスタジオでいつも顔を会わせるバンドがいて、いつも会うから彼らと仲良くなったんだ。一緒に音を鳴らしたりしているうちに、いろんな音楽ができて行った。結果的にすごくたくさんの楽曲が増えたから、また別の形でそれは出そうと思ってる。音的にはエレクトロニック・ジャズとかクラウトロックみたいな感じなんだけど、それを年内か来年出す予定だよ。あとは、ローカルなライブとかも何度か行ったよ。でも自分的には影響されて、まるでそこの土地の音楽を盗むような真似をしたくなかった。

昨年米国の再発レーベル、〈ライト・イン・ジ・アティック(Light in the Attic)〉より日本のフォーク・ロックを集めたコンピレーション・アルバム『木ですら涙を流すのです』が発売されました。そういったフォーク・ロックに限らず、サイケデリック・ロックなど、ここ日本の音楽に興味はおありですか? また特定の好きなミュージシャンがいれば教えてください。

RN:当然YMOは大好きだよ! あと僕たちが一回日本で共演したTempalayっていうバンドがいるんだけど、彼らはすごく好きだよ! でも残念ながら日本のサイケロックはあまり詳しくないんだ。誰かオススメいる? いたらぜひ知りたいよ!

高度資本化した社会、またポストインターネットといわれる現代の時代状況において、様々な情報や音楽ジャンルが並立し、時にガラパゴス化した様相を呈するようになってきたと感じます。その中で、一部で「死んだ」とすら言われるロックを今演奏し続けることの意義はどんなものだと思いますか?

RN:ロックが死んだって言われたり、どんな状況になっても僕自身は気にしないかな。僕自身、レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、僕の中ではロックンロールと思っているデヴィット・ボウイとかを聴いて育って、今でも僕にとって大切な音楽だから、そういうロックな部分が自分の音楽の一部となってしまうことは変えられないと思う。だからロックが死んでようが生きてようが僕には関係ないな(笑)。あと、僕たちのバンドは僕たちの世界というかコミュニティがあるというか、あまり流行に左右されたりするようなポジションには身を置いていないと思う。

人はずっとモーツァルトもベートーヴェンもジミ・ヘンドリックスも聴き続ける。そういうものって政治を超えている気がして、それに比べると政治的なものってちっぽけに感じてしまったりするんだよね。

これまで、ポピュラー・ミュージックは「新しい」ということを至上の価値として歩んできたと思います。しかし、昨今ではそういった感覚すらも相対化されて、特にインディ・シーンでは各々が各々の表現を自身の尺度で自由に行うようになっているようにも思います。そんな中で今一度、「新しい」とは一体どんなことだと思いますか?

RN:すごくいい質問だね。難しいけど、僕にとって新しい音楽とは、まだその音楽が評価されたり、意見を言われたりしていない時だと思う。例えば、音楽を聴いた時に、まだその音楽がいいかどうか分からなくて、でも何か強い思いみたいなものは抱く時とかあると思うんだけど、そういう時が新しいって思っている瞬間なのかもしれない。自分の音楽を作る時も、すごく馴染みのある気持ちになることもあれば、暗闇を歩いている気持ちになったりもする。様々な気持ちになるんだけど、時にはその暗闇を歩いている時こそがいい時だったりするんだよね。それがいいのかどうか自分でも分からず、でも何かすごく強い思いがこみ上げてくる時こそが新しいものを誕生させられる時なのかもしれない。

ルーバンさんはバンド活動を続けてく中で娘さんを授かったと聞きます。彼女の存在が創作に与えた刺戟はどんなものでしたか? また、家庭人と、ロック・バンドのメンバーとしての活動を並立して続けていくことに、時になにか葛藤があったりするのでしょうか?

RN:僕自身音楽一家で育ったんだ。父親もミュージシャンだったし、父親の父親もミュージシャンだった。だから幼い頃から音楽は普通の仕事として見て育ったんだ。人によっては音楽なんて趣味の延長にしか見えないものかもしれないけど、僕はちゃんとした職業として捉えていたよ。僕は父親のツアーに同行したり、サウンドチェックを見たり、常に仕事の現場を見ていたから、音楽が仕事なのは僕にとってはすごく自然なもの。だから自分に娘ができても同じなんだよね。父親であり音楽家でもある姿は自分が見てきたものだから、すごく自然なものだよ。

様々な文化の分野でポリティカル・コレクトネスが更に敷衍されつつあるように感じる昨今、自身の創作にあたって、そういったものを(肯定的か否定的かいずれにせよ)意識したりすることはありますか? または、そういったことへの問題意識が歌詞表現へ反映されていたりしますか?

RN:政治はすごく大事なことだと思うけど、あまりそれに支配されないようにしているよ。政治よりも音楽の方が大きいものだと思っているから。音楽は歴史を変えることはできないかもしれないけど、帝国が建てられては滅び、イデオロギーも立てられては壊され、それでも人はずっとモーツァルトもベートーヴェンもジミ・ヘンドリックスも聴き続ける。そういうものって政治を超えている気がして、それに比べると政治的なものってちっぽけに感じてしまったりするんだよね。だから僕はあんまり政治的なことに左右されたりしないようにしているよ。

ポートランドのシーンの面白さがここ数年で日本でも認知されているのですが、みなさんが注目する新たなポートランドのアクトはいますか? また、そういったミュージシャンとは交流もあるのでしょうか?

RN:仲良いバンドはたくさんいるよ! 特に自分たちのピアグループ(仲間)とはすごく仲が良くて、すごくいいアーティストがたくさんいるよ。例えば、Portugal the man(ポルトガル・ザ・マン)、The Dandy Warhols(ザ・ダンディー・ウォーホールズ)、Star Fucker(スター・ファッカー)、Wampire(ワンパイアー)とか、ポートランドでは人気があって、僕たちとも仲がいいバンドだよ。新しいバンドでは、Reptaliens(レプタリアンズ)と仲がいいよ。あと僕のバンドのベーシストがいたBlouse(ブラウス)っていうバンドもすごく良いよ。

今年からカリフォルニア州で大麻の販売が解禁されたことが日本でも報じられ、一部で話題となりました。日本ではいまだマリファナも麻薬の一種と捉えられ、大きなタブーとして扱われています。米国における現在のドラッグ・カルチャーは、インディ・ロックの文化圏にとってどのような役割を演じていると思いますか?

RN:やっぱりシーンにドラッグは当然存在はしていると思う。でも僕は、いい大人になってきたし、ドラッグのことを考えたり関わったりする時間はすごく減った。個人的には、ドラッグが僕の愛する人たちを破滅させたりするのを見てきたんだ。でも、時にはすごく創造性を掻き立てるものにもなるものなのだと思う。でもやっぱりパワフルなものは、危険も伴うんだよね。だから僕はあまりドラッグはやるべきではないと思ってるよ。

ニュージーランドご出身ということでお訊きします。80年代前半、米国で「ペイズリー・アンダーグラウンド」と呼ばれるサイケデリック・ロック復興的なシーンがありましたが、The CleanThe Batsなど、同時期のニュージーランドにも「ダニーデン・サウンド」と呼ばれるようなザ・バーズなどの60年代ロックからの影響を感じさせるギター・ロックのシーンがあったとききます(日本ではあまり知られていません)。そういったシーンが何かあなた達の活動にも影響を与えていると思いますか?

RN:まずペイズリー・アンダーグラウンドといえば、ザ・バングルズの“マニック・マンデー”を思い出す。ペイズリー・アンダーグラウンドの最大のヒットなんじゃないかな。あとは、プリンスのアルバムに“ペイズリーパーク”っていう曲があるんだけど、きっとプリンスもペイズリー・アンダーグラウンドのフェーズがあったんだと思う。
ニュージーランドのダニーデン・サウンドは、たくさんのバンドが〈フライング・ナン・レコーズ(Flying Nun)〉からリリースされた時代だった。僕が初めて組んだバンドが兄とのもの〔質問者註:ザ・ミント・チックスのこと。2003年デビュー〕だったんだけど、実は〈フライング・ナン・レコーズ〉からリリースしているんだよ。このレーベルからリリースすることが多くの少年の夢だった。〈フライング・ナン・レコーズ〉やダニーデン・サウンドのアーティストは、すごく強いDIY精神をもっていて、レコーディングやアートワーク含め、大きな会社のバックアップがない状況で全て自分たちでやってしまうアーティストばかりだった。僕はそれにとても憧れていたから、自分に必要なスキルを身につけるという点ですごく影響を受けたよ。バンドをやる上で何が必要なのかを学べたし、それができてすごく良かったと思っている。

これまで聴いてきた中で、ベスト・サイケ・アルバム(一般的にサイケとされていなくても自分がサイケと思うものでもOK)3枚を教えていただけますか?

interview with Kaoru Inoue - ele-king

問い:人はいかにして、このハードな人生を生きながら、そのなかにゆるさを保てるか?
答え:井上薫の新作を聴くことによって。


Kaoru Inoue
Em Paz

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 かすかに夏の匂いがする。時間はあっという間に過ぎる。贅沢な時間に人は気が付かなかったり、すぐに忘れたり。ものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。DJとはある意味たいへんな職業だ。週末のもっともアッパーで過激な時間帯の司祭を20年以上も務めるということは、まずは自分をコントロールできなければ難しいだろうし、生きていれば誰もが平等に老いていくわけだから、若い頃と同じ体力は保てなくなる。それは誤魔化しようのない、うんざりするほどのリアリズムだ。そういう現実を受け止めながら活動を続けているDJ/プロデューサーのひとりに井上薫がいる。
 井上薫、Chari Chari名義の作品で広く知られる彼は、つい先日、リスボンのレーベルから『Em Paz』という、アナログ盤2枚および配信の新作をリリースした。力の抜けた柔らかいアルバムで、ぼくはこの音楽を聴いていると幸せな気持ちになれる。巡りあうことができてラッキーな音楽なのだ。
 幸せな気持ちにさせたいと思う音楽はこの世にはたくさんあるだろう。前向きだったり、楽観的だったり、いい人だったり。そういう音楽の多くには作者のわざとらしさが出てしまいがちだ。『Em Paz』にはそういうあざとさやつかえるものがない。水の音、タブラ、チェロ、ギター、エレクトロニクスはゆっくりとさざ波を立てる。応援しているフットボールのチームが負けた翌週の月曜日でさえも、なんかいいことあるかもという気持ちにさせることができるのが『Em Paz』だ(これは言い過ぎか……)。

 とまれ。もともとはレコード店に勤務しながらワールド・ミュージック系の音楽ライターとしても活動していた彼が、DJ/プロデューサーとして精力的に動きはじめたのは90年代なかばからだった。ワールド・ミュージック的なセンスとアンビエント・タッチのダウテンポで脚光を浴びた井上薫は、1999年のChari Chari 名義のアルバム『Spring To Summer』によって日本のクラブ・ミュージックの表舞台に登場した。
 ここ10年はフロアとリンクしたダンス・ミュージックのスタイルにこだわって制作を続けていたが、新作では初期の彼が持っていた優しいロマンティシズムが行きわたり、音楽的にもアンビエント・ポップめいた新境地を見せている。

 井上薫とは、何故か偶然会ったり飲んだりする機会があったのだが、ちゃんと取材するのは12年ぶりのこと。以下、ぶっきらぼうながらも彼の正直な心境をぜひ読んで欲しい。

日常で何をやっていたかというと、ずっと本を読んでいましたね(笑)。週末ギグをやって過激に過ごして、週の前半はサウナでデトックスして(笑)。それから平日は、ただ、やたら本を読んでいましたね。

前回インタヴューさせてもらったのが、アルバム『The Dancer』のときだから、およそ12年前なんですよね。すごいよね。生まれた子供が小学生卒業するぐらいの時間だよ。

井上:そうですね、2005年ですね。古いですね。

下田(法晴)君も12年ぶりだったんだけど。

井上:下田君は満を持してって感じでですね、ぼくも下田君には会ってないんですけど。……松浦(俊夫)君とはたまに仕事で会いますけどね。

前作の『A Missing Myth Of The Future』が2013年だから今回の『Em Paz』はおよそ5年ぶりになるのかな?

井上:そうですね。

『Em Paz』は、ある意味ではすごく、Chari Chariらしいゆるさのあるサウンドで……

井上:レイドバックしていく部分と……。

アンビエント・テイストであり、ハイブリッドであり。

井上:そうですね

『A Missing Myth Of The Future』までは、思いっきりダンス・カルチャーに直結したサウンドだったんだけど。しばらくは……10年以上ものあいだ、ずっとダンス・ミュージックであることにこだわっていたよね?

井上:それは、ドメスティックなダンス・カルチャーが生まれ、そこの現場のリアリズムに揉まれ。揉まれっていうのも変ですけど……。いろいろDJなんかをやらせてもらって、そこで自分がDJとして出している音やその場の雰囲気であったりとの地続きじゃないと伝わらないなみたいなものもあるし……。

過去、どのくらいのペースでDJはやっていたんですか?

井上:DJはほぼ毎週末みたいな。

何年ぐらいの間?

井上:もうずっとですね。40代後半に向かうとやっぱいろいろ受け止めなければいけない状況とかあって。

それは体力的な部分?

井上:体力も中に入ってますね。やっぱり。だから、それに対応できるような体力作りといったらいいのか……。そういうものも、視野にいれていろいろやっていたんですけど。

その職業として10年以上もDJを続けるっていうのは、体力以外にはやっぱり、マンネリズムみたいな感じはあったんですか?

井上:マンネリズムはありますね。あとなんだろうな……。本当にこれ言うとちょっとネガティヴな話になってしまう…。

書けないことは言わないでくださいね(笑)。

井上:〈AIR〉っていうクラブあったじゃないですか。ぼくは結局、あれがなくなるまで、13年間、2カ月に1回あそこでやっていたんですよ。

それは長いですね。

井上:オープン当初からやっていたもんで。オープンは2001年とか2002年ですね。それであの規模のクラブを運営するためのリアリティを近くで見たり、議論したり、いろいろやりながらみていたもんで。経営する側の目線とアーティスト、DJで関わる目線とか……やっぱそれはあるんですよね。下の世代にとっても経なきゃいけない登竜門というか。売り上げがよければ、みんなよかったねって。その数字が当たり前のようについて回って。それにに対してみんながどう努力するのかということとか。
 ぼくの目線からだと、リリースも含めてDJとしていかにアーティスティックに活動しているか、みたいなものの折衷点がわからなくなるときがあったりとか。そういうなかで切磋琢磨やってきて非常に良い経験だったなといまでは思っているんですけど、キツイときもあったりして。

やはり、ある程度の集客が求められる場所では、自分の本意ではない曲もかかなければいけないときもありましたか?

井上:そういうのもありますね。

選曲によってオーディンエンスが変わるモノなんですか?

井上:選曲によって変わるというよりも、具体的に、どういうハウスやテクノがかかっているのかを問われることはけっこうありましたね。それで集客が変わっていくのかっていうまではわからないですけど。ガチアーティスティックにやればいいのかっていうわけでもないし。ある種、難しさや葛藤みたいなものを抱えながら……。

職業としてのDJのジレンマですよね。

井上:スタッフから、「最近井上薫はBPMが速すぎる」と会議で話題になったと言われたことがありましたね(笑)。

井上薫のDJが速いっていのは、ちょっとぼくなんかには想像しにくいんですけど(笑)。

井上:それは、店側からの要求でもなく、お客さんからの要求でもなく、自然にそうなっていってた、ひとつのマックスみたいなものが振り返るとありましたね。何を言いたいのかわからなくなっちゃいましたけど(笑)。

現場で毎週DJを続けていくってやっぱりAIがやるわけじゃないから、同じことを繰り返せばいいってものじゃないし?

井上:定期的にやっているとそれなりの難しさはありますね。クオリティーコントロールをしっかり考えていかないと続かないし。ただ総じて言うと良い経験をさせてもらったなというか。良い意味での緊張感もあったし、悪い意味でのストレスもあったんですけど。いまはもう、そういうのから解放されて。

〈AIR〉の閉店がひとつのタイミングなの?

井上:かなり大きかったですね。DJの活動拠点、あの規模のクラブがなくなると、「今後どうやっていけばいいのか?」みたいなものが当然あって。

レジデンシーがあるかないかってね。

井上:そうですね。それもいい意味で職業と捉えて、真面目にやってきたつもりだったんですけど(笑)。

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時代はピースじゃないですし、年齢的には、いま50歳なんですけど、40代後半からの数年間っていうのは本当に楽しくやってはいたんですが、未来が見えないというか、孤独死まっしぐらみたいな。笑っちゃうんですけど。そんな感じもあって、そこに対する反動的な希望の言葉ですね。

いまのクラブ・カルチャーには何が必要だと思いますか?

井上:ざっくりいうと、下から若い子がはいってきてなんぼですよね。世代交代と新陳代謝がないと……。

しかし井上君の立場としては難しいですよね。若い世代は、自分にとってのライヴァルなわけだからさ。

井上:そうですね。悩まされた部分もあります。非常に良い感じで穏やかに、DJギグみたいなものが減っていくんですよ。いろんな要因が考えられて。とにかく、(DJを)できるところが無くなっていく。

だから、チルアウトな作風になったっていうのもあるんでしょうけど、まあ、そういう人生の浮き沈みがあるなかで、それでも、今回のように前向きな作品が生まれたのは何故なんですか?

井上:まあ、あまり書かないで欲しいんですけど、結婚したのが大きいですね。メンタル的に非常に落ち着いたというか。
 それと同時に、とにかく楽曲を作ることが気持ちの上でかなりウェイトを占めていく。シンプルな話ですけど、毎週末DJギグがあってその渦中ですったもんだやっているときは、どこかポイントでリリースをまとめてしているじゃないですか。でも、例えば、ヒロシワタナベみたいな人は、DJやりながらもとにかく作って、コンスタントにリリースしている。そういう、自分には日常的な制作時間がなかなか確保できていなかったんです。40代に入って中盤くらいまで、日常で何をやっていたかというと、ずっと本を読んでいましたね(笑)。週末ギグをやって過激に過ごして、週の前半はサウナでデトックスして(笑)。それから平日は、ただ、やたら本を読んでいましたね。

どういう本を読むんですか?

井上:いろいろですね。小説も読みましたし。「創作とは何か」に立ち戻りたいというか。読んだら内容を忘れてしまうので震災以降に読書したものは全部記録してあります。小説はあんまりリアリズムに即していないやつですね。立脚しているんだけど、ものすごいSF的であったりとか。南米の小説とか、飛んでるやつですね。2年前に出したChari Chariのシングル「Fading Away」のB面の曲は“Luna De Lobos”っていうんですけど、これはスペイン人のフリオ・リャマサーレスという作家の『狼たちの月』という本があって、そこから影響を受けました。スペイン内戦の話で、哀しいだけの話なんですけど。でも詩的で美しいんですよね。
 あとは文化人類学とかいろいろですね。震災以降は現代のポスト資本主義社会の行方というか。日本も、反体制のデモが盛んになってきたし。人文系の学者が何をいっているのかなというところが気になって。そういうのは良く読んでましたね。宮台真司なんかも面白かったです。要するに、国家の政治状況に期待してもしょうがないからという前提で考えると、単純に隣近所のコミュニティみたいなもの、いわゆる仲間、みたいな話に行きついていく。

リアルな話ですよね。DJの立場からすると風営法問題は?

井上:そこはいろいろありすぎて……(笑)。法に関しての話と少しずれるけど、パーティ・カルチャーが日本では根付いてないですよね。パーティというモノがちゃんと生活のなかの一部として認識されてないというか。しかしこないだの蜂じゃないけど、やっぱニュースを見ていると気になります。

井上君はDJっていうよりはプロデューサーなのかと思ってましたけど。

井上:そういうイメージがいまだにあると思うんですけど、完全にスタート地点はDJなんですよ。20代前半くらいまでバンドでギターを弾いていて。自分で作った曲をアレンジして他のメンバーに指示するとウザがられる。その頃にAcid Jazz系の日本のDJカルチャー黎明期のような現場に出会ってバンド止めて、サンプラーとシンセサイザーで音楽が作れるという革命的な事実に出会って。〈WAVE〉で働いていたころは、〈MIX〉で、ワールド系のDJとかを時々やっていました。あとは、ソウルIIソウルが自分にとっては大きかったんで、ブレイクビーツなんかを小箱でかけていました。そこでの経験のフィードバックみたいなものを4メガくらいのサンプリングマシンで一生懸命作ってました。それがまとまったのが〈File Records 〉から出ている初期作品ですね。

初期のファンキーなブレイクビーツとは違うけど、最新作にはやっぱ90年代のChari Chariっぽいピースな感じがあるんですよね。

井上:2006年に『Slow Motion』というタイトルで8曲入りくらいのアルバムをリリースしたんですね。で、それがなぜできたかというと……、日本でヨガが一般的になりはじめたときがあって、『ブルータス』という雑誌でヨガの特集をやりたいという話になったんです。人づてで僕に連絡がきて。井上薫さんはいかにもヨガをやっていそうだから、付録で付けるインストラクションDVDの音をつけて欲しいという仕事の依頼がきて(笑)。その時点で3回しかヨガをやったことがないけど、依頼を受けて。

3回もやったことあるだけすごいよ(笑)。

井上:下高井戸の寺とかでやっていて(笑)。それで面白いですねということで受けて。そのとき曲を作ったんですけど……それらの曲をベースにしたのが『Slow Motion』。ビートはタブラだけみたいな感じだったり。その頃の音源をミックスし直して今回も使ってるんですよ。リスボンの〈Groovement〉というレーベルから、最初はダンスものをやろうという話だったんですけど、〈Organic Series〉というサブレーベルもやっているから、こっちでLPをやらないかっていう話が一昨年の後半にきまして……。それでつくったのが『Em Paz』という。

レーベルのほうから話があったんですね。リスボンの〈Groovement〉とはどうやって知りあったんですか?

井上:DJ KENTやChidaが何年か前くらいにリスボンでDJをやって。その流れがまずあって、向こうにはぼくの作品を知っている人がまあまあいたという。

彼らがリスボンとのラインをつくったんだ?

井上:そうですね。Chidaはティアーゴっていう、リスボンの〈ラックスフラジャイル〉というクラブでDJやっている人を日本に4~5回招いているんですよね。ぼくも初めてきたとき会ったことがあるんですけど。あと、ヨーロッパのイタリア人とか、ポルトガル人とかに、過去のぼくの音を知っているひとがいて。フェイスブックのメッセンジャーでメールをもらったりすることがあったんですけど。イタリア人が多かったですね。

最近、よくヨーロッパ行っている人たちからは、リスボンは第二のベルリンっていう話を聞くよね。

井上:今後そうなるのかな?

ベルリンはじょじょに家賃が上がっているでしょう? リスボンは家賃が安いし、ボヘミアンな若者が集まりはじめているって。

井上:移民に寛容なんでしょうね。

ヨーロッパってそういうところあるよね。流れていくっていうかさ。

井上:政治的に移民を排斥する動きがありますよね。極右政党が政権をにぎりそうな動きがけっこうあるじゃないですか。フランスもそうです。新しいタイプの右翼だとは思うんですけど。そういう排斥傾向もけっこうあって。

そんななかでリスボンとのコネクションができ上がって。

井上:井上薫、Chari Chari、知っているよみたいな話があって、それでメッセージをもらうようになって。いずれ一緒に仕事がしたいと。で、具体的にプランを振ってきたのが一昨年の年末ですね。それだったら過去の、『Slow Motion』の頃の曲を入れたりリメイクもいいんだったらわりと早くいけるかもということで。

そのオファーや作品の方向性が井上くん個人のいろんな状況と重なったんだ。〈AIR〉の話もそうだし、DJに対するマンネリズムみたいなのもそうだし。長年やってきたことがいったん区切りがついたっていうか、張り詰めていた糸が切れたっていうか。

井上:ありましたね.。それと、2016年にはChari Chari名義でさっき言ったEP出したんですけど。一緒に作っている奴がもともとは東京に住んでいたのですけど、長野に住んでいて。ハードコアのバンドでギターを弾いていたりで、自分が10代のときに体験したパンクからポストパンクみたいな音を知っていたりとか共通項が多くて。それもあって、クリエイションの目線がまたドバーっと広がりましたよね。

共作者?

井上:そうです。そつは長野に住んでいて、ぼくの家で1カ月に1回くらい合宿をして、ずっと家でやっていました。実は2014年に縁あってageHaのテントサイトでChari Chariとしてバンド編成でライヴをやる機会があって、その時の主力メンバー、DJの後輩繋がりですけど、ほぼ同時期に『狼たちの月』を読んでトラウマになったやつですね(笑)。そいつと合宿レコーディングをさんざんやって、でも、全然できなくなって、揉めたりとかもして。お前と全然できないな、進められないなというときに、この話(『Em Paz』)がきて。

じゃあ、当初の予定では、Chari Chariのシングルをもっと膨らませることが先だったんだ。

井上:そうです。2017年はアルバム出すまでやりましょうみたいな。今後やりますけどね。

それが途絶えてしまったわけね。あの「Fading Away」のシングルはすごく良かったし、今回への伏線とも捉えられるところもあったし。とにかく、それで今回の『Em Paz』が先に出たんだね。これなんて読むんですか?

井上:『エン・パス』だと思います。In Peaceのポルトガル語ですよ。うちの14年生きた飼い猫が、死んだときに捧げる……。これもちょっとやめて欲しいですけど(笑)。

では、なんて説明したらいいんでしょう(笑)?

井上:そうですよね(笑)。時代はピースじゃないですし、年齢的には、いま50歳なんですけど、40代後半からの数年間っていうのは本当に楽しくやってはいたんですが、未来が見えないというか、孤独死まっしぐらみたいな。笑っちゃうんですけど。そんな感じもあって、そこに対する反動的な希望の言葉ですね。

そういう不安もあったんだ。

井上:やりきって死んだなら野垂れ死んでもいいかとよぎるくらい内面が荒廃しつつも、生きていけはしているという。ただ、面白い現実もあるし。

それはやっぱDJという職業が、非日常的でアッパーな、危険な仕事だということもあるのかね? 反動として絶対下がるだろうし。

井上:そうですね。自分をオーガナイズしていくための、週の前半は温泉にいってサウナに行くとかはわりと儀式みたいにして、またその1週間生きていくみたいな。その循環とか、自分をオーガナイズする手法みたいなものは体験的にあったんですけど。それで合宿レコーディングして頑張ったんですけど、うまくいかず。なかなかうまく回らないんだなって。自分がそれをリードできなかった部分もあったので。(Chari Chariのメンバーに対して)いまはお前とはできないみたいな感じになったりして。


Kaoru Inoue
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じゃあこのリスボンのレーベルからの話はタイミングが良かったんだね?

井上:非常によかったと思います。過去の曲も入っているんですけど。去年の2月下旬くらいに納品しました。

去年の2月ということはもう1年くらい前にできてたんだ。

井上:そうです。

でもリリースされたのは最近でしょ?

井上:そうですね。向こうのリリースプランとかがあって。プロモーションがどれくらいできているかわからないですけど、プロモーション期間という話もあって。

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80年代の音楽がおもしろいなっていうのがいまありますけど、それはなぜなら掘り起こしてる人がいるから目に見えてくるもので。そういう過去は参照するんですけど、あのときは良かったなみたいなのは思わなくなりましたね。いま、その瞬間どんだけ自分があげられるかしか主眼がいかなくなっている。

話前後してしまうけど、DJを25年やるってタフだよね。

井上:そうですね。本当に好きだなと。全部やめたいって思ったこともありますけど。振幅が激しいというところが……。

そこがやっぱり辛い? 楽しいことはたくさんあると思うんだよ。DJは女の子にもモテるしさ(笑)。

井上:そういうわかりやすいところはどんどんなくなりますよね。まあいいんですけど(笑)。わかりやすい楽しさ抜きでフレッシュに構えられるところがありますね。言ってみれば、どれだけ未知数の人間にフィジカル性を叩きつけられるのかということとか、立って聴いているやつにどれだけサイケデリック体験みたいな影響を与えられるかみたいなものもあるし。あとは、振幅が激しいということ。ドーンってあがっているときはアドレナリンの世界です。そういう作業と音楽の流れとでどんどん上がっていって……、最後に疲れる。ただしそれは非常に得難いですね。誇りをもってやれることだなって自覚しながらやっていました。じゃないと続かないですよね。

それは体力的な部分?

井上:『Em Paz』もそうですけど、ダンス・カルチャーというところから離脱したいというわけではまったくないです。三田格さんの『Ambient Music 1969 - 2009』がすごいきっかけになって、そこからハウス、テクノのラインじゃない音楽をまた改めて良く買うようになりました。それでレコードを買うことにまたハマっていて。いまは〈ミュージック・フロム・メモリー〉みたいなニューエイジとかからピック・アップしているものが面白いですね。当時評価されなかったここが評価に値するって引っ張ってきて。面白くないものは当然あるんですけど。すごいなという人はいますね。

ニューエイジっていって、レコード屋さんもタグをつけなきゃいけないからね。なんでもかんでもニューエイジって言ってしまうけど。ニューエイジって思想が入ってくるし、宗教観とかね。だからデリケートな言葉なんだけども(笑)。ぼくはビートレスの音楽のことを海外のように、ウェイトレスって言ってくれた方がいいかな。でも、ニューエイジがここまで売れる背景もわかるよ。やっぱり心の渇きみたいなものでしょ? 

井上:そんな気もしますね。これは大型のレコード屋で働いていたから分かるんですけど、まずニューエイジってヒッピー文化由来のカウンターカルチャー的なところが当初ありましたよね。それで音楽のカテゴリーに関して言うと、そのニューエイジ・カルチャー由来のアングラな音からどんどん派生して、しまいにはインストで区分けが曖昧だというものがすべてニューエイジのカテゴリー、棚に収められるようになったという。たぶん70年代後半くらいからそうなったと思います。
 だからたしかにデリケートな言葉だと思うしカルトみたいなものに対する揶揄という側面もあったと思うんですけど、いまやそういう文脈がなくなって棚問題もほとんどなくなって、三周くらい経て言葉だけが残ってどこかクールなもの、という印象づけが生まれて、逆に面白いと感じてます。


Kaoru Inoue
Em Paz

Groovement Organic Series

AmbientNew AgeDeep House

Light House Jet Set

なるほどねー。タームの意味も時間のなかで変わっていくのはわかる。まあ、そういう意味で今回の井上君のアルバムはすごいタイムリーだったなって思うんだよね。1曲目から5曲目までは本当にパーフェクトだと思ったね。

井上:そこからは?

チェロの音とか入るじゃない?

井上:それがあんまり良くなかった?

すごくいいよ(笑)。最初のでだしとかすごい良くて。これなんで水の音からはじめたの?

井上:1曲目がさっき言った2006年のものに入っているやつで。その辺はあんまり意味性はないですね。

エコロジー的なことなのかなって思ったんだけど。環境破壊問題的な。

井上:エコロジーは究極的な思想だとは思うんですけど。

あれはたまたまだったんだ。

井上:振り返るとリズムですよね。水が、不規則ですけど、ループに聴こえるポイントがあるんじゃないかなって。というのはありました。

これは何人で作ったの? ひとり?

井上:これは当時レコーディングしたのがチェロしかり、タブラしかり、残っていて一部の曲で再利用していますね。

『Slow Motion』のプロジェクトのときに?

井上:そうですね。タブラ、ギター、バイオリン、それぐらいかな。ぼくもエレキ・ギターは弾いていますね。それが使われています。

音源としては昔の音源を再構築したんだ。

井上:全曲ではないですが、再構築も含まれています。音響的な部分は、いまの自分が好きで買って聴いているような音と並べて聴いてみたりとか。ミックスは全部自分でやったんですけど。ミックスひとつとっても、微妙な潮流があるので。リメイクして、ミックスをし直すだけで、何かすごくアップデートされたり。自分で再発しているみたいな気持ちはあります。あとマスタリングを~scapeのPOLEことStefan Betkeが手がけていて、最終的にさらにアップデートされた感じです。

ぼくはここ5年はUKのとかよく聴いてるんですよ。

井上:どういうものですか?

ダブステップ以降ですかね。ディストピックなものというか。井上君は同じ時代を生きていても、表現の仕方がそういう風にはならないよね。かつては同じように、ポップ・グループを聴いていたわけじゃない?

井上:なかなかディストピックにはならなかったですね(笑)。でも、今後なるかもしれないですね。ただそれに、埋没したくないというか。難しいですね。自然にそうなっている部分もあるんで。何かを課してやっているわけでもなく。ひとことで言うと暗い音楽好きですね。PiLとか。突き抜けていて、思想性の裏付けの裏に暗さといったらいいか……。大好きでしたけど。でも、いまそれをことさらやろうという感じではなかったですね。

ところでさ、DJのブッキングがはいらないとやっぱ不安?

井上:それはありますね。でもそれは自分がすでにさんざんやってきているじゃないですか。当たり前なんですけど、自分がすごいブックされていたときの年齢の人間がいま活躍しているって当たり前ですよね。機動力の違いっていうのと、あと、コミュニティも変わっているし。自分たちがやっていた頃のお客さんも、みんな来なくなっていますよね。

そりゃそうだろうね。みんな良い歳してさすがにこう……(笑)。

井上:ですよね。家庭もできてっていうのが大きいですよね。ぼくも遊びには行かなくなってしまっていて。それもどうかなと思っていたんですけど。それすら度外視して、いまはとにかく作りたいですね。

最後に、井上君の90年代ってどういう時代だったと思う?

井上:90年代はクラブ・ミュージックの成熟進化ですね。

成熟進化の始動だよね。

井上:ただはじまりであっても拡散しているものが、目に見えて成熟しているものを目の当たりにしているような時期だった。たとえば、日本の社会的な背景がどういうものだったか考えると、95年以降っていう話になるじゃないですか。そういうものを完全に度外視されてしまうような吸引力が、クラブを軸にした音楽にすごくあったんではないかと。自分自身の経験に即して言うとあったような気がしますね。あと、渋谷が世界一レコードの在庫量があって売れていた時代ですよね。90年代後半って。音楽産業もピークだったし。

ただ、このDJカルチャーにしては、むしろ勝手にやっていたから大きくなったっていた気がするけど。自分も当事者のひとりとして思うね。誰もこんなものが職業になるなんて思っていなかったわけじゃない? 有名人になりたくてやったわけじゃないし、新しくて、面白いからやっていたわけであって。

井上:あんまり総括っていうのができないんですよね。でも傾向みたいなものはありますよね。野田さんはどう思います?

オルタナティヴな共同空間っていうものは、具現化できたんじゃないかなって。音楽をエンジンにして。それは、政治思想をもたない政治的な運動だったと思うのね。ただし、思想を持たないがゆにえ脆弱さもあったけどね。

井上:まさに、レイブカルチャーそのものというか。

誰かひとり仕掛け人がいてっていう世界ではないからね。いろんな
人たちが、いろんなことを、ただ好きだからやった。すごく無垢だったと思うよ。

井上:レイブ・カルチャーの良さみたいなものはたしかにそうだったなと思うんですけど。ぼくは東京都内の小箱カルチャーみたいなところにいたから。

いや、だからこそ小箱カルチャーがいいんじゃない?

井上:そうですね。独自のコミュニティで完全にそうですね。

ぼくだってそうだよ。小箱カルチャーから来ている。30人いれば今日入っているなみたいな(笑)。

井上:そうですね(笑)。客引きじゃないですけど、クラブの前で、「一杯おごるから行かない?」とか女の子に声かけて(笑)。そんなことやっていましたよ。笑っちゃうんですけど。

(笑)逆にいまの方がいいと思うところって何?

井上:それは矢沢とか、ロックンローラーじゃないですけど、いまが最高みたいなのがしみついちゃっているんで(笑)。80年代の音楽がおもしろいなっていうのがいまありますけど、それはなぜなら掘り起こしてる人がいるから目に見えてくるもので。そういう過去は参照するんですけど、あのときは良かったなみたいなのは思わなくなりましたね。いま、その瞬間どんだけ自分があげられるかしか主眼がいかなくなっている。全然食っていけねぇなとか本当具体的にいろいろあるんですけど。ブッキングされないなとか(笑)。

はははは、しかしはからずとも『Em Paz』には初期のシーンの無垢さが出ていますよ。今日はどうもありがとうございました。

Ryan Porter - ele-king

 カマシ・ワシントンやサンダーキャットらが所属するロサンゼルスのジャズ集団ウェスト・コースト・ゲット・ダウンの一員で、カマシのバンドのザ・ネクスト・ステップのメンバーでもあるライアン・ポーター。トロンボーン奏者の彼は昨秋にもミニ・アルバムの『スパングル・ラング・レーン』を出していたが、年が明けて早くも新作『ジ・オプティミスト』をリリースした。『スパングル・ラング・レーン』は幼い娘との遊びの中からアイデアが生まれたもので、子供向けの歌をジャズ・アレンジした一種の企画アルバム的な要素が強く、肩の力を抜いた気軽なセッションという感じであったのだが、『ジ・オプティミスト』は一変して気合十分のセッションで、彼の本領発揮と言うべき演奏が収められている。そうした本気度は、11曲収録してトータル100分ほどの演奏時間、10分を超す長尺曲も多い2枚組CD、アナログ盤では3枚組というパッケージからも汲み取れる。

 ただし、実際のレコーディングは2008年から2009年と10年ほど前に行われたもので、カマシ・ワシントンの両親(カマシの父親はミュージシャンのリッキー・ワシントン)の家にある地下スタジオで録音されている。セッションにはカマシ・ワシントン(テナー・サックス)、マイルズ・モスリー(ベース)、キャメロン・グレイヴス(ピアノ、フェンダー・ローズ)、ブランドン・コールマン(フェンダー・ローズ)、トニー・オースティン(ドラムス)などザ・ネクスト・ステップ、及びウェスト・コースト・ゲット・ダウンの面々が参加しているが、カマシが『ジ・エピック』(2015年)でブレイクする以前の録音で、彼らの年齢も20代半ばから後半といったところ。現在のカマシ周辺のミュージシャンたちが頭角を表わし始めた頃の演奏が収められていると言っていいだろう。演奏にはまだ粗削りな部分も見受けられるが、いろいろとアイデアが湧き出てさまざまなスタイルに挑戦する、そんなミュージシャンとして伸び盛りの時期に彼らがあったことが伺える。当時の彼らは著名なジャズ・ミュージシャンのバンドから、ヒップホップやR&Bアーティストのバック・バンドに呼ばれて生計を立てることが多かったようだが、そうした場では抑えていた本来の彼らがやりたいジャズ、演奏がここに収められていると言える。そうした意欲はこのアルバムの隅々から感じられるし、それがジャズという音楽の持つ熱さとなって表われている。

 今から10年前、2008年秋のアメリカではオバマが大統領選に当選し、翌2009年より初の黒人大統領として執務につく。アメリカの黒人たちはオバマ政権の誕生に沸いており、それは“オバマノミクス”という曲に表われている。ファンファーレ風のホーン・アンサンブルにはポジティヴな力が込められており、オバマの演説の「チェンジ、イエス・ウィ・キャン」を楽曲にしたようなものでもある。そして、そうした姿勢はアルバム・タイトルの「楽観主義者」にも繋がっているのだろう。それから10年、オバマの政策には成功と失敗があり、ノーベル平和賞を受賞する一方で、経済面などでは成果を得られなかったと批判されることがある。現在のトランプ政権はその反動から生まれたが、いろいろな部分で混迷を巻き起こしていることも事実で、たとえば人種差別や女性差別に関して問題がクローズアップされることも多い。そうしたアメリカのこの10年の変遷、10年前と現在との対比が、“オバマノミクス”ひとつとっても見えてくるのではないだろうか。賛美歌を意味する「サーム」からつけられた“ザ・サーミスト”には、彼ら黒人ミュージシャンのゴスペル的な音楽性が見えてくる。演奏はハード・バップ的なスタイルに基づくもので、ライアンたちミュージシャンがしっかりとしたジャズの基本を学んできたことを示している。

 カマシに捧げた“K・ウォッシュ(K-Wash)”は、ジャズ・ボッサ風のアクセントを持つビートにヒップホップのテイストをミックスしており、“ザ・インストゥルメンタル・ヒップホッパー”はヒップホップを意識したようなファンク調のナンバー。このあたりがヒップホップを聴きながら育ったジャズ・ミュージシャンならではと言えるだろう。いくつかカヴァーもやっており、彼らが影響を受けたであろうミュージシャンや楽曲が取り上げられている。フレディ・ハバードの“リトル・サンフラワー”、ジョン・コルトレーンの“インプレッションズ”、キャノンボール・アダレイの“チョコレート・ニューサンス”を演奏しているが、このうち“リトル・サンフラワー”はブラック・フィーリング溢れる怒涛のアフロ・ジャズ・ファンクとなっており、カマシの『ジ・エピック』の世界を先取りしていたような演奏と言える。この“リトル・サンフラワー”には、奴隷制時代の黒人たちが働く農場の風景を象徴するヒマワリが、人種差別の暗喩として登場する。黒人奴隷について歌ったビリー・ホリデイの“奇妙な果実”、黒人労働者たちの労働歌であるキャノンボール・アダレイの“ワーク・ソング”、黒人社会の葬送曲であるアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの“モーニン”など、黒人のジャズには暗喩としてこうした表現が見られることがあるのだが、ライアンたちミュージシャンの演奏にもそうした黒人ならではのフィーリングが息衝いている。

KOJOE × ISSUGI - ele-king

 ずっと動き続ける――ラッパーでありシンガーでありトラックメイカーでもあるKOJOEが、昨年リリースしたアルバム『here』から、とくに人気の高かったISSUGIとのコラボ曲“PenDrop”のMVを公開しました。それまでのふたりのイメージを覆し大胆にアニメイションを導入したその映像は、哀愁を誘うトラックとも見事にマッチ、独特の味わいを堪能することができます。また、4月13日に開催されるリリース・パーティの追加情報も解禁され、同時にKOJOEのオフィシャル・サイトもオープンしています。合わせてチェック!

KOJOEの最新作『here』よりISSUGIとのコラボ曲“PenDrop”のMVが公開!
また4/13に開催するリリース・パーティの前売特典も決定し、同時にオフィシャル・サイトもロンチ!

 AKANE、Awichをフィーチャーした先行シングル“BoSS RuN DeM”が大きな話題となり、それに加えて5lack、ISSUGI、BES、OMSBら地域/世代/クルーの枠を越えた多彩なゲストが参加した待望の最新作『here』が各所で話題となっているラッパー、KOJOE! 同作から特に人気の高かったISSUGIとのコラボによる“PenDrop”のミュージック・ビデオが新たに公開! これまでの両者のイメージと異なるアニメーションをフィーチャーした作品に仕上がっている。
 その『here』に参加しているゲスト・アーティストがほぼ全員出演するリリース・パーティがいよいよ4/13(金)に渋谷WWW Xにて開催! 同公演ではMUDとFEBB(R.I.P....)をフィーチャーした“Salud”のillmoreによるリミックス音源収録のCD-Rが前売券購入者特典として配布されることが決定! また、その公演に向けてKOJOEのオフィシャル・ウェブサイトもロンチしている。

KOJOE “PenDrop” feat. ISSUGI (Official Video)
https://youtu.be/vO8C_aiGHrc

Kojoe Official Website :
https://kojoemusic.com


Kojoe " here " Release Tour in Tokyo - Supported by COCALERO -
日程: 2018 年4月13日 (金)
会場 WWW X

[Live]
Kojoe

[Featuring Artists] (A to Z)
5lack
AKANE
Awich
BES
BUPPON
Campanella
DAIA
Daichi Yamamoto
DUSTY HUSKY
ISSUGI
MILES WORD
MUD
OMSB
PETZ
RITTO
SOCKS
YUKSTA-ILL

[DJ / Beat Set]
BudaBrose ( BudaMunk x Fitz Ambrose )
illmore
Olive Oil

OPEN / START:24:15 / 24:15
※本公演では20歳未満の方のご入場は一切お断りさせて頂きます。
年齢確認の為、ご入場の際に全ての方にIDチェックを実施しております。写真付き身分証明証をお持ち下さい。

料金:前売り ¥3,000 / 当日 ¥3,500 (ドリンク代別)
U25チケット ¥2,500 (ドリンク代別) ※枚数限定
※〈U25チケット〉は、25歳以下の方を対象とした割引チケットとなります。ご購入の方は、入場時に顔写真入りの身分証明書をご提示ください。ご提示がない場合は、正規チケット料金の差額をお支払いただきますので、予めご了承ください。

※前売り特典:Kojoe - Salud Feat. MUD & FEBB ( illmore Remix ) 収録CD-R

チケット発売中
e+ / チケットぴあ[P:111-011] / ローソンチケット[L:73906] / WWW店頭

公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/008824.php


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