「K A R Y Y N」と一致するもの

Satomimagae - ele-king

 時代はめぐり、オレはいま、フリー・フォークの季節の再来を感じている。リキヒダカ、そしてサトミマガエなる宝石。日本のアンダーグラウンド・エクスペリメンタル・フォーク・シーンにおける圧倒的に静かなる迫力。
 再来というのは一方的なオレのこじつけだ。2012年に自主でアルバムを出した彼女は、2014年にセカンドを畠山地平のレーベルから出している
 ブルースとエレクトロニクスにまみれた、日本インディ・シーンにおける屈指の名作SANAKA『BLIND MOON』を想像したまえ。
 6月14日、サトミマガエの3枚目のアルバム『Kemri』がリリースされる。


Satomimagae
Kemri

White Paddy Mountain
2017年6月14日(水)リリース

 この2週間の間に、アトランタとアセンスのバンドを2回観た。どちらも15年以上活動しているベテランで、サウンドも違えば、スタイル、お客さんも違うのだが、アメリカのサウスに住み、音楽を作り続ける彼らについては感じることがある。

 アトランタのディアハンターは、キングス・オブ・レオンとのツアーのオープンで大忙しの合間に、自分たちがヘッドライナーのショーを行った。共演は、同じアトランタのロック・バンド、ジョック・ギャングと、元フェアリー・ファーナシスのエレノア・フライドバーガー。
 会場は、ブルックリンはグリーンポイントにあるワルシャワ。
 この会場は、ポーリッシュ・ナショナル・ホーム(公民館のような役割)の一部にあり、ポーリッシュ・ビール、ピエロギやキルバサなどのポーリッシュ・フードが食べられる。NYに居ながら、ポーランドの雰囲気が楽しめるわけだ。500規模のこの会場、当日はソールドアウトで、20代から40代までのピンポイントな層でいっぱい。みんな目をキラキラさせていた。

 さて、ステージに大きなキャンバスを設置し、キャップを被り、サスペンダーをし、まるでペインターないでたちの、ディアハンターのブラッドフォード・コックスが登場する。その後、エレノア・フライドバーガーが登場し、アカペラで歌を歌いはじめる。ブラッドフォードが好きな曲を、エレノアが歌い、その間に彼が絵を描くと言う新スタイルを展開。パステルカラーを使い、抽象的な絵を描く間、エレノアは歌い続ける。子供の音楽番組を見ているようだったが、物販テーブルには、ブラッドフォードの絵もキチンと売っていた(大$20、中$10、小$5)。

 この日のディアハンターは、かなりご機嫌だった。「NYに来たら、ついつい喋っちゃうんだよね」と言いながら、ブラッドフォードはどんどん飛ばす。この日は、ツインピークスの放送の日だったというのに(アメリカ人には大切な日なのだ)、僕らのショーに来てくれてありがとう──という言葉からはじまり、彼が初めて人前で演奏した曲が(何かのコンテスト)、ツインピークスのテーマ曲で、結局落選した、と喋った。「嘘だと思うなら、お母さんに聞いてみて」、と彼は本当にお母さんに電話する。お母さんも、初めは「??」な感じだったが、いかにブラッドフォードのことを愛しているか喋り、「あなたのことも好きだけど、あなたのファンはみんな好きよー」などと言って、会場を沸かせた。
 そんなアットホームな雰囲気のなか、古い曲と定番曲を混ぜ、びっちり2時間加速。彼らのショーは長い。最後の「nothing ever happened」ではお約束の20分程のジャムがをやって美しく終了。
 彼らはニュー・アルバムを出して、すでに4回ほどNYに来てるが、同じセットリストであろうがなかろうが、会場はつねにシンガロングするお客さんで溢れている。次も見たくなるバンドなのである。
 ブラッドフォードの突拍子もない行動が、良くも悪くも気になり、そのヒヤヒヤ感を求めているのかも知れないが……

 エルフパワーはアセンスで、ローファイ・サイケ・ロックを1995年から続けるベテラン・バンド。5月に13枚目(!)のアルバム『Twitching in Time』をリリースしたばかりだ。
 この日はメンバーも一新、胸キュンなハーモニーと安定した演奏は非の打ち所がなかった。R.E.Mやニュートラル・ミルク・ホテルとのツアーでは大会場で演奏した彼らにとって、ベイビーズは小さい会場だが、お客さんの声援が届く距離が心地良さそうだった。
 お客さんは、30代から50代までくらいの落ち着いた年齢層だったが、最後の方で、次のパーティのお客さんが紛れこんで(20代前半)、ノリノリで踊っていた。
 エルフパワーの曲にはまったくブレがなく、その変わらなさが、ホッとさせてくれる。1曲1曲、丁寧に説明するアンドリューは、淡々としているようで、筋の通った、熱い思いも感じさせる。
 「NYに戻って来れて嬉しい。この会場は、ショーは見たことあるけどプレイするのは初めて。いい会場だね」とご機嫌だった。
 23年間バンド活動を続け、いまでもこれだけ新鮮に、新しい音楽を作り続けることが出来る。アセンスという場所が関係しているのかも。まわりには有能なミュージシャンばかりで、常に創造的になれるし、NYのような甘い誘惑もない。
 オープニングのサン・ウォッチャーズは、元ダークミート、NYMPHのメンバーで構成される驚異のメンバーで、エルフパワーとはアセンス繋がり。サックスやギターをドライヴさせ、ジャジーでエチオピアンな、圧巻インプロを打ち鳴らすグループは、サックスとキーボードを同時に弾いたり、タイ・ギターが登場したり、実にテクニカルである。音楽は激しいのだが、個人個人はおっとりしていて、NY在住だがアセンスな雰囲気を保ち続けている、稀な存在だ。

 サウスの生活は、NYに比べるととてもスローで、コミュニティも小さく、毎日同じバーへ行き、同じ人に会う。もしくは、引きこもってひたすら音楽を作る。どちらのバンドにも言えるが、この生活とNYとのギャップが今回のステージ・パフォーマンスに表れているのかも、と思った。
 自分も生活したことがあるのだが、彼らの生活は本当にスローで、ひとつのことをするのにNYの3倍はかかる。何もしていない時間も多い。でも、これが彼らのパフォーマンスや音楽に、大いに活かされている。時間を感じさせないし、手を抜かない、無駄だと思うところまで考え抜かれている。そんな彼らが作る音楽だから、私たちは気になってしょうがないのだろう。
 来週はまた別のアセンスのバンド、ミュージック・テープスがブルックリンでショーをする。

BLACK SMOKER RECORDS - ele-king

 今年で設立20周年となったBLACK SMOKER RECORDS、すでにいろんなところでいろんなことをやっているようですが、今週末(6/3)から中野のSF DEPT. ギャラリーでは、これまでの250タイトル〈!)を超える膨大なリリース・アーカイヴを展示するエキジヴィジョンが開催されます。開催中には、レーベルの歴史を紐解くトークショウやミニライブもあり(3日には入場無料のオープニング・パーティ、最終日の6/11日にはマヒトゥーのライヴもありの、二木+野田というずぼらな2人も出演します)。真のアウトサイダー、真のミュータント・ヒップホップ、この機会に、本当に本当に偉大なるBLACK SMOKER RECORDSの軌跡をより多くの人に知って欲しい。

「いややこややEP」リリース記念 - ele-king

 DJヨーグルト&Mojaが踊ってばかりの国の「いややこやや」のダブ・ミックスを12インチで発表する。トラックは再構築され、下津の歌は録り直され、新しい曲に生まれ変わったと言っていい。以下、ことの成り行きについてDJヨーグルトと下津が対談してくれた。

text : DJ Yogurt(Upset Recordings)

「踊ってばかりの国との出会いは2012年の夏に"!!!"のPVをたまたまYouTubeで見て、最初イイ曲と思ったのでもう一度聴いて、それでもまだ聴きたかったので珍しく3回連続聴いて、今度は歌詞の内容も気になってきたので歌詞を聴きとりながら聴いたところ、輪廻転生をこれだけポップに表現した日本語の歌は初めて聴いた気がして4回目にして深く感動。歌声とメロディーと歌詞の鮮やかな組み合わせにハマってその日は結局"!!!"を5回聴いた。
 翌日にDisc Unionで"!!!"収録の2011年11月リリースのセカンド・アルバム『世界が見たい』を買って聴いてみたら、タイトル曲の"世界が見たい"等名曲揃いだったのであらためてこのバンドの凄さを実感して、ボーカルとギター、作詞作曲を担当している下津光史の名前を脳に刻んだ。
 2012年10月に尚美学園大の学祭で初めて踊ってばかりの国のliveを見た時は出演時間が短かったこともあってなかなか良いバンドと思った程度だったけど、12月に前任のベースのラストliveだった新代田feverで披露したスローハードコア・サイケデリックな"何処にいるの?"のライヴ・アレンジに激しい衝撃を受けて、2013年以後は踊ってばかりの国のライヴに年に数回以上通うようになり、通っている間にliveヴァージョンの"いややこやや"がとんでもない浮遊感を醸し出していることに気が付いて、下津に"いややこやや"を再録してみない? と踊ってばかりの国の楽屋で提案したところ、下津も快諾してくれたので、2015年から自分と共同で音楽を制作していて、踊ってばかりの国が現在使用している練習スタジオから徒歩3分の場所に住んでいるMojaの自宅兼スタジオで下津のギターと歌を録音。

 それらをYogurt and Mojaの制作したトラックに載せて、Lorde"Royals"やASAP Rocky"LSD"、Massive Attack Meets Mad Professor等の感覚から影響を受けつつ、Mojaと2人でいろいろとアレンジしていって、2017年1月にキムケンスタジオでキムケンさんにマスタリングしてもらって完成。
 マスタリングの終わった"いややこややDub"をEle-King野田編集長に送ったところ、「いいじゃんこれ。マッシヴ・アタック直系ダブだね。このリリースに合わせてヨーグルトと下津が対談したらEle-King Webに掲載してあげるよ」と応援のメッセージをもらったので、今回DJ Yogurtと下津光史の初対談企画が実現!

 野田さんの著作『ジャンク・ファンク・パンク』持参で現れた下津。8時からの踊ってばかりの国のスタジオリハ前に、下北沢のカフェで対談。昨夜から下津と一緒にいるという踊ってばかりの国と同じレーベルに所属のバンドGateballers/GodのKayaくんも同席。

Yog「これまでも下津が対談しているのをネットで読んだことがあって、おとぎ話の有馬くんとか」

下津「Novembersの小林裕介とか……年に一回くらいのペースでやってる感じで、ちょいちょい。みんなバンドマンばかりで、DJと対談するのは初めてです」

Yog「本日はよろしくです! 今回リリースするいややこややは元々はいつ頃出来た曲なの?」

下津「踊ってばかりの国がいつも練習に使っていた代々木Step Wayで作り上げた曲ですね。3年くらい前でまだStep Wayがあった頃で、谷山が当時受付をしていて……。最初はボサノヴァっぽいデモを自分が弾き語りで作って、Step Wayで当時のギターの林くんとアレンジを打ち合わせしたら、Dubというか浮遊感のあるリズムにしようということになって、ドラムはブラシでやろうと最初のうちはJazzっぽいアレンジも試したりしたけど、結局アルバム収録の感じに仕上がりました」

Yog「自分は"いややこやや"はliveで聴いてこの曲の魅力に目覚めた感じで、スタジオ録音の感じとも違うし、liveでめっちゃ映える曲というか……liveのアレンジはこれまで変わってきてる?」

下津「曲が自然に一人歩きしていくのにまかせてます、最近踊ってばかりの国のギターが1人増えてそのことでまた変わっていったり……」

Yog「なるほど……この曲が生まれて以後、ずっとliveでやってるの?」

下津「そうですね。liveで楽しい曲。現実逃避の側面もある曲でもあったり、ドラッギーな雰囲気を漂わせたり」

Yog「最近聴いたんだけど坂本慎太郎さんが歌詞を書いたCorneliusの新曲のBPMが遅くて、たまたまだけどリリースのタイミングが近い今回のいややこややDubのテンポ感と似ていることが面白いと思ったりしてね~」

下津「自分は今回のいややこややDubにはFlying Lotusを感じましたよ。
ひずみを使わないでDopeな感覚を追及しているところに、アンビエントに通じているDJの感覚を感じることもありました。Remixの進行中にまだ完成していないVersionを色々と送ってくれて、できていく過程を聴くことができたのも面白かったです」

Yog「"いややこやや"のRemixは1年以上かけて制作したから、初期からは結構変わっていって、3~4つくらい違うVersionを下津に送ったかも? 遅い曲で盛り上げたり、ハマる雰囲気を作るのは、早い曲で盛り上げるよりも難しいと思っているからこそ、"いややこやや"みたいな曲がこの世に増えたら嬉しいな。今回は"いややこやや"をDub Mixするのがとても楽しかったのでまた何かやれたら」

下津「またやりましよう!」

Yog「踊ってばかりの国の曲じゃないけど、下津がはじめた新しいバンドのGodが去年録音して、下津に頼まれて今年1月にDJ Yogurt and mojaが制作した"De Javu"のRemixはいつ出る予定なの?」

下津「未定ですけどそのうち必ずリリースする予定で、現在はGodや踊ってばかりの国のニューアルバムに向けていろいろ準備中です。まだ詳細は発表できないんですけど」

Yog「"De Javu"は本当にイイ曲だと思っていて、新たに生まれた下津クラシックというか。ジャーマン・ロック的なサイケデリックなアレンジと感じるところもあって、Neu!とかCanとか。下津がソロliveでアコギで披露しているバンドとは違うアレンジも凄く良いし」

下津「ソロの時はデヴェンドラ・バンハートみたいなアレンジでやったりしてますね」

Yog「ソロ・ライヴのヴァージョンも好き。Godで録音したKayaくんのトリップ感溢れるギター、Janくんのうなるベース、光星のタイトなドラム、Rikiの感性が爆発している自由奔放な40分の完全Versionも勿論出してほしいし、自分とMojaで再構築して濃縮した17分Versionも気に入っているのでぜひ」

下津「Godの2ndアルバムのBonusとか配信限定として出すか……どんな形になるかわからないけどリリースするつもりなので!」

Yog「諸々準備中という踊ってばかりの国の新作のマスタリングは中村宗一郎さんにお願いするのも面白いんじゃないかと思ってるんだけど……」

Kaya「ジャッパーズの新作を中村さんがマスタリングしている凄く音が良かった。今年出たアルバムで一番びっくりした」

Yog「いいね~、聴いてみるわ」

下津「ジャッパーズはYogee New Wavesのベースの人がいるバンドで、今度5月30日のHappyと踊ってばかりの国と渋谷でliveしますよ」

Yog「行こうかな……、クアトロで見て以来、踊ってのliveに行ってないわ」

下津「まじで? 乾いてんじゃん?」

Yog「そろそろ行かないと……3月の踊ってのクアトロでは、90年代~00年代にPartyで見かけていた自分の古い知り合いが子供を連れて来ていてびっくりしたよ。その5歳の男の子がめちゃ踊ってばかりの国のファンで楽屋に来て下津に握手を求めにくる姿に感動したわ。小さい子供だけじゃなくて60歳前後の感じの人達も来ている感じもあって、もちろん若い世代もいて、
自分が行くliveやPartyの中で特に色々な世代が来ていた印象を受けたよ」

下津「そういう風になれと思ってるんで……がんばります」

Yog「前からあんなに幅広い世代が踊ってばかりの国のliveに来てたの?」

下津「踊っての音楽性には時代性とは関係無いところもあるから、世代や時代の差を越えて幅広い世代に届くようなところがあるのかもしれないですね。自分がニュージーランドに滞在していた頃に広場におばあさんたちが数人集まっているのを偶然見かけた時に、その中心に置いているラジカセからレッチリの曲が流れていて、車いすのおばあさんとかも普通に聴いててそういうのっていいなって思って」


interview with !!! (Nic Offer) - ele-king

もし世界中の人が己の恐怖にチャレンジして、立ち向かっていたら、この世界はより良い世界になる。


!!! (Chk Chk Chk)
Shake The Shudder

Warp / ビート

Indie RockFunkDisco

Amazon Tower HMV iTunes

 なぜいまディスコなのか。
 いやもちろん、!!!(チック・チック・チック)はその活動の初期からディスコやハウスに触発されてきたし、というか、それらアンダーグラウンドなダンス・ミュージックとパンクとの結合こそがかれらの音楽のシンギュラリティだったわけだけれど、7枚目のアルバムとなる新作『Shake The Shudder』は、チック史上かつてないほどにディスコ色が強まっている。ディスコ、と言ってもかれらが取り入れているのは快楽至上主義の薄っぺらいそれではない。本作にはムーディマンからインスパイアされたトラックが収録されているが、チックが参照しているのは、そういう黒いグルーヴに支えられたディスコやハウスである。かつて『リミックス』誌で、チックのようなサウンドを鳴らすアーティストは一見ほかにもたくさんいるように見えるが、いざ探してみるとぜんぜん見当たらない、強いて近いものを挙げるなら、スコット・グルーヴスがジョージ・クリントンほかPファンクの面々をフィーチャーしてリメイクした“Mothership Connection”の、さらにそのダフト・パンクによるリミックスだろうか、というようなことを三田さんが書いていて、言い得て妙だと思った覚えがあるけれど、そういうデトロイトなどのファンク~ハウスとパンクとの特異な合成こそがチックの音楽のエスプリなのである。
 でも、じゃあなぜ「いま」かれらはこれほどディスコに接近しているのか。あれこれその理由を考えてはみたけれど、やっぱり昨年の政治的・社会的な出来事がきっかけになっているとしか思えない。アルバム・タイトルに込められた「恐れを振り払え」というメッセージもそうだ。チックはもともとポリティカルな事柄に意識的なバンドだったから(そもそもかれらが大きな注目を集めるきっかけとなったのは、ジュリアーニを批判する“Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)”だった)、そういう捉え方をしてもまったく不適切ではないし、じっさい本作には“Five Companies”や“Things Get Hard”といった曲も収められている。けれどもチックは、けっしてシュプレヒコールをあげたりはしない。かれらは音楽が政治の道具なんかじゃないことをよくわかっている。だからチックはスローガンを叫ぶかわりに、最高にホットなグルーヴを編み出して僕たちを踊らせる。ダンスこそがこの暗澹たる時代に対する最高のリヴェンジなんだぜ、とでも言わんばかりに。
 そしてそのグルーヴの上を駈け抜けるのは、これまた最高にロマンティックなリリシズムだ。「空の上には成層圏がある/そこに君を連れて行きたいんだ」(“Throw Yourself In The River”)。この小っ恥ずかしいまでに素直な願望こそがこのアルバムの動機であり、チック・チック・チックというバンドの本懐でもある。

そしていつか全ては過去になる
だから忘れずに彼らを笑わせておこう
(“Dancing Is The Best Revenge”)

 最高のグルーヴは、そして、最高の感傷を引き連れる。いつかすべては過去になる。だからこそ僕たちは「いま」踊ることをやめられないのだ。

俺が「ファックだ!」と言ってもそれは答えにはならない。解決策ではない。まだ議論は続いていて、戦いは続いている。本当は、俺はそんなことはしたくない。人に反論したり反対したりするようなことはしたくない。だからこそ、やはり答えはエンターテインメントにあると思う。

アルバム・タイトル『Shake The Shudder』についてですが、資料によると「身震いを振り払え」ということで、ミュージシャンとしての経験を踏まえてのことのようですが、もっと広い意味でも捉えられるのではないかと思いました。昨年、アメリカでは大きな社会的出来事がありましたが、そんな時代だからこそ「恐れるな」、というニュアンスも含められているのでしょうか?

ニック・オファー(Nic Offer、以下NC):アーティストは、課題に立ち向かわないといけないから、ある意味、恵まれていると思う。俺の友人(でアーティストでない人)たちは、50%くらいのチャレンジしかしていない。チャレンジする必要がないから無難なところに収まりやすい。でも、アーティストはチャレンジするのが仕事みたいなところがある。もし世界中の人が己の恐怖にチャレンジして、立ち向かっていたら、この世界はより良い世界になる。そういう意味では、このタイトルは、幅広い人たちへのメッセージとして捉えられると思う。

ツイッターで拝見したのですが、当初は『Save The Bongos For Later』というタイトルの予定だったのですよね? 変更した理由をお聞かせください。

NC:あれは、ただの冗談だよ(笑)。俺たちは、いつもアルバムの偽タイトルを考えついて、ツイートしたりして遊んでるんだ。

3曲目の“Dancing Is The Best Revenge”は、昨年ライヴで先行公開された曲ですね。このタイトルもとても興味深く、アルバム・タイトルと同じように、こんな時代だからこそあえて「踊ろうぜ」と言っているように感じられました。チック・チック・チックというバンドのアティテュードが示された曲だと考えて良いのでしょうか?

NC:そうだね。バンドと俺たちのアティテュードをまとめてくれる曲になったと思う。また、なぜ俺たちがバンド活動を長く続けられているかという理由もこの曲に表れていると思う。俺たちは、ずっと踊り続け、前進し続けてきたからこそ、まだいまでも存続している。ダンス・ミュージック、エレクトロニック・ミュージック全般は、つねに進化していると思う。つねに新しく、新鮮なものでなければいけない。だから進化を繰り返している。その反面、ロック・ミュージックはあまり変わらずにいる。だから俺たちも前進し続けないといけない。この曲は、そういうアティテュードの表れだと思う。

チック・チック・チックというバンドがこのタイミングでアルバムを出すのは非常に興味深いことだと思います。あなたたちが最初に注目を浴びたのは、2003年の「Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)」というシングルでした。トランプを支持していたジュリアーニは最終的には政権入りを辞退しましたが、当初は閣僚に就任するのではないかと見られていました。昨年の大統領選挙では、いろいろなミュージシャンが反トランプを掲げていましたが、かれらが声を上げれば上げるほど、貧しい人たちは反感を増幅させて、トランプ支持にまわったという話を聞いたことがあります。それについてはどう思いますか?

NC:質問の最後の部分は本当じゃないと思う。どんなセレブレティの声がトランプ支持に影響したのか、教えてくれ。

僕も聞いた話なので、パッと名前が出てこないのですが、えーっと……

通訳:かなりの大御所が出ていましたよね。例えばビヨンセとかJ-Loとかも出ていましたし。

ああ、そうですね。インディ・ロック系の人たちも各地でやっていて、そういう全体的な風潮が、いわゆる「優等生」的というか、そういうふうに捉えられて、本当に貧しい人たちは、「そんなこと言っても彼らはアーティストたちじゃないか」と。そういう話を聞いたことがあります。

NC:なるほど。だが、ドナルド・トランプだって貧しい人たちのことなんか何もわかっていないぜ。彼は黄金の便器でクソをするやつだ。ヴァンパイア・ウィークエンドの言うことには反論するが、黄金の便器でクソをするやつに投票する人なんて馬鹿げている。ヴァンパイア・ウィークエンドを聴くレッドネック(田舎者)なんていない。ヴァンパイア・ウィークエンドはバーニー・サンダースの支持を主張したバンドだ。つまり、ヴァンパイア・ウィークエンドを聴く人たちとレッドネックたちとの間には何の関連性も最初からなかった。ヴァンパイア・ウィークエンドが、あのような活動をしたのは重要だったと思う。ヒラリーとバーニーの間では、支持者が分かれていたから。似たような論議がハリウッドについてもあって興味深い。ハリウッドはリベラルとして有名だが、実際に映画というものはレッドネックに消費されている。ハリウッド・エリートたちがレッドネックたちを排除している、という意見もあるが、俺から言わせれば、ハリウッドがリベラルで偉大という意見は短絡的に考え過ぎている。俺が飛行機で、最新のハリウッド映画を見ると、いつもくだらないアクション映画ばかりやっている。銃でぶっぱなせ!みたいな感じ。それって、アメリカのカウボーイ的美意識が進歩しただけのことじゃないか。主人公は無茶なやつで、ルールを守らない、暴れん坊。これは、まさにドナルド・トランプだ。彼がハリウッド映画の主人公の典型的なステレオタイプだ。だから、ハリウッドは、保守派や共和党と戦えるような、素晴らしい映画をじゅうぶんに作っていないと思う。ハリウッドはもっと頑張らないといけないと思う。それから、「エンターテインメントに関わる人は政治に口を出すべきじゃない」と言っているやつらがいるが、リアリティ番組の司会を大統領に選んだのはどこのどいつだ? トランプだってエンターテイナーだ。そんなこと言うやつは、大バカの能無しだ。そんなやつらはファックだ!
 だが、俺が「ファックだ!」と言ってもそれは答えにはならない。解決策ではない。まだ議論は続いていて、戦いは続いている。本当は、俺はそんなことはしたくない。人に反論したり反対したりするようなことはしたくない。だからこそ、やはり答えはエンターテインメントにあると思う。良いエンターテインメントに接すると、人は自分の考えとは違ったものに触れ、驚きがある。そして考え方が変わったりする。自由で創造的な場所で、そういう方法で、 政治的概念を変えていくことができると思う。また、共通した感情が基盤となって、人が団結したりする。プリンスやデヴィッド・ボウイが死んだとき、人びとは一体となり、彼らの死を悲しんだ。プリンスやボウイは比較的リベラルなアーティストかもしれないけれど、たとえば、ポール・マッカートニーが死んだら、すべての人が悲しみ、みんなで悲しみという感情を共有することになる。そういう形でエンターテインメントが政治への手助けになるという可能性はあると思う。だが、エンターテイナーが感情を露わにしたことについて怒る人はどうかしている。それこそがエンターテイナーの仕事であり、エンターテイナーはそれをやって金をもらっているのだから。政治的なことや、そうでなくてもエンターテイナーには考えがあり、その考えを持つのは彼らの自由だ。そして、彼らの考えに耳を貸さないのも自由だ。

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エンターテイナーが感情を露わにしたことについて怒る人はどうかしている。それこそがエンターテイナーの仕事であり、エンターテイナーはそれをやって金をもらっているのだから。


!!! (Chk Chk Chk)
Shake The Shudder

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アルバムの話に入ります。これまでのチック・チック・チックにももちろんその要素はありましたが、今作はとりわけディスコ色が濃く出ていると思います。そのような雰囲気は意図的に作られたものなのでしょうか? それともジャムをしている間に自然とそうなっていったのでしょうか?

NC:自然にこうなっていった。俺たちがつねにアルバムを通して達成したいことというのがある。ディスコは俺たちが大好きなサウンドだから、そこにいろいろな方法を通して回帰することも多いし、そういうサウンドがバンドのベースとなっている。俺たちのアルバムは毎回違った作品で、毎回成長や学びがあり、新しいサウンドを発見している過程を表現するものであってほしい。だが、過去にタイムスリップして、昔の俺に、今回のアルバムを聴かせたら、「すげー! これ俺たちが作ったの?」と思ってもらえるような作品でもあってほしい。それが俺の願いだ。

7曲目の“Five Companies”は、「緊張した状況から生まれた政治的作品」とのことですが、「5社」というのは何を指しているのでしょうか?

NC:よく言われる「1%の~(上位1%の富裕層が世界の富の半分を握っている)」という話で、「この会社の親会社がこの会社で、その会社の親会社が……」というふうに、結局すべてはワーナー・ブラザーズが所有している、というような話。すべては5つの大企業が実権を握っているという意味。自分は自由を与えられていると思っていても、実際のところは、この金儲けをしている5社の傘下にいるということ。アメリカの政治的状況だってそうだ。ヒラリーも、結局のところワシントンの資産家たちから支持を得ていて、同じ大企業に操られていると非難されていた。下層階級の人びとはそういう文句を言っていた。そこには反論できない。でも、ドナルド・トランプが、大企業とは真逆の立場にいるという主張は、トランプ側のマーケティング作戦がうまかったとしか言いようがない。

9曲目の“Imaginary Interviews”や10曲目の“Our Love (Give It To Me)”はムーディマンを参考にされたそうで、たしかにその影響は感じられました。とはいえ、全体としてはしっかりチック・チック・チックの音楽になっていて、咀嚼のしかたが巧みだなと思いました。2013年のリミックス・アルバム『R!M!X!S』では、ロメアーが1曲リミックスを手がけていましたが、その彼もムーディマンが好きで、そういうアルバムを出しています。ムーディマンのすごいところはどこだと思いますか?

NC:チック・チック・チックが最初に出てきたとき、俺たちはパンクだったからエレクトロニック・ミュージックやドラムマシーンを使った音楽はあんまり聴いていなかった。ハウス・ミュージックを俺たちが知ったのは、ファンクとディスコの後だった。俺たちはずっとバンド活動をしていて、いまではけっこう上手なディスコ・バンドになったと思う。ムーディマンが作り出すハウスは俺たちが共感できるものだった。彼のハウスは、ファンクとディスコがベースになっていて、その時代のロマンスやグルーヴが感じられる。そこにハウス特有の恍惚感が加わっている。そういう点が俺たちにしっくりときて、特に彼の最新アルバムを聴いたときは「これだよ。俺たちがずっと出したいと思ってきたサウンドはこれなんだよ!」と思った。自分が音楽をやっていて、自分がやろうとしていたことを、他の誰かが達成したというのは、とてもエキサイティングだ。自分が音楽を作っているときは、世界でいちばん最高な音楽を作ろうとしている。そこに、他の人が同じ解釈で、自分がやろうとしているのと同じことをやってのけたときは「このアルバムだよ! こういうのが作りたかったんだよ!」って思うんだ。

彼(=ムーディマン)の最新アルバムを聴いたときは「これだよ。俺たちがずっと出したいと思ってきたサウンドはこれなんだよ!」と思った。自分が音楽をやっていて、自分がやろうとしていたことを、他の誰かが達成したというのは、とてもエキサイティングだ。

昨年はフランク・オーシャンやソランジュのアルバムがすごく話題になりました。Pファンク好きのニックさんとしては、最近のR&Bやソウル・ミュージックをどのように捉えていますか?

NC:ファンク音楽の要素などが最近の音楽に取り入れられているのはおもしろいと思う。俺たちが最初チックを始めたとき、ロック音楽の基盤が、まだブルーズ音楽で、それは興味深く感じられた。ブルーズ音楽ってすごく古くさい感じがしたから。「なぜ新しいロック音楽の基盤は、ファンクやディスコではないんだろう?」と思った。最近はその考えが普及してきたみたいで、インディ・ロックのベースとなっているのはフランク・オーシャンやソランジュのようなアーティストだ。それはエキサイティングな変化だと思うし、インディ・ロックの新章となると思う。

チック・チック・チック以外で、いまもっともファンキーな気持ちにさせてくれる音楽は何でしょう?

NC:アンダーソン・パークの新しいアルバムは良かった。ダーティ・プロジェクターズの新しいアルバムも良かった。彼はR&Bとヒップホップをインディ・ロック的にうまく融合させたと思う。(携帯に入っている、2016年ベストのプレイリストを確認中)バンドだけじゃなかったら、たくさんいるよ。フューチャー(Future)、ミゴス(Migos)、DVSN。

通訳:それらはダンス・ミュージックのアーティストですか?

NC:DVSNは90年代っぽいR&Bを作るアーティストで、ドレイクのプロデューサーをやったこともある。彼らが作る音楽は90年代のスロウジャムのようで、彼らのアルバムは良かった。マックスウェルの最近のアルバムも素晴らしいR&Bのアルバムで、最高な曲がいくつもあった。たくさんあるよ。携帯のプレイリストを見てくれよ。本当にたくさんある。良い音楽はたくさんあるよ!

(スマホを渡され、リストを確認中)すごい、いっぱい入ってる……

NC:俺は、年末にいろいろなメディアが出す音楽チャートをすべてチェックするんだ。その中から、俺が好きだったものを、このプレイリストに加えていく。すべて去年のリリースで、その中でも俺が知らなかった音楽。だからメジャーなやつは入っていないよ。

(リストを確認中)

NC:Spotifyがあるなら、リストを送れるけど?

Spotifyは無料のやつしか使ってないんですよ。

NC:まじかよ!? 1ヶ月10ドルだぜ?

最近、入ろうと思っています(笑)。

NC:一度入会したら、絶対手放せなくなるよ!

アーティストの政治的主張が何であれ、俺はそのアーティストが好きだったらその人の音楽を聴き続ける。それができないやつは、そいつの問題だ。そいつはかわいそうなやつだ。自分が好きな音楽を聴くことができないのだから。

今年1月にヤキ・リーベツァイトが亡くなりましたが、チック・チック・チックは2004年に“Dear Can”という曲を出しています。彼の功績や、彼に対してどのような考えをお持ちですか?

NC:ヤキ・リーベツァイトは、彼の音楽を聴くよりも先に、彼の存在について知る、というような人物だった。非常に伝説的なドラマーで、当時のロック・ドラマーよりも、ずっとファンキーなドラマーだったと思う。カンというバンドに非常にユニークなサウンドをもたらしてくれた。カンはドラマーに引率されたバンドだったということがわかる。ドラマーというのは多くの場合、バンドというマシーンを運転する役で、創造的力というリムジンの運転手的な存在だ。だが、ヤキ・リーベツァイトは絵描きのような存在だった。バンドは彼を中心として成り立っていた。ダンス・ミュージックはリズムが基盤となっている。彼は、他のロック・ミュージシャンよりも先にそのことを理解していたのだと思う。本当に偉大な力を持つ人だった。

以上です。

NC:もう一点、政治の話で、ヴァンパイア・ウェークエンドについて言及したい。ヴァンパイア・ウェークエンドが政治的な主張をしたのはすごく良いことだったと思う。当時、バーニーの考えは過激的で途方もないと考えられていた。民主党支持者たちは、ヒラリーとバーニーとの間で選択を迫られていた。だが、ヴァンパイア・ウェークエンドがバーニー支持を表明したことによって、バーニーの考えはクレイジーでもなく、普通だと気付いた人がたくさんいた。バーニーが求めているものは、過激でもなんでもなく、正当なことであり、自分たちはそういうことを求めるべきなんだ、と気付いた人がたくさんいたんだ。だから、あれはとてもパワフルな瞬間だったと思う。彼らがそういう主張をしてくれて俺は嬉しい。俺はずっとヒラリー支持者だったけれど、ヒラリーがルール内でしか動けなかったり、ワシントンの資本家としてしか活動できなかったことが、ヒラリーの敗因となってしまった。だからヴァンパイア・ウェークエンドがそういう活動をしたのはすごく良かったと思う。もし、そういう活動が、誰かの反感を買ったとしても、それがまた別の人のインスピレイションにつながるから良いと思う。いつだって、文句を言いたがるやつはいる。それはしかたがないことだ。でも、もともとヴァンパイア・ウェークエンドのファンだった人が、ヴァンパイア・ウェークエンドの活動を見て、がっかりしてしまったというのは信じがたい。でもそんな人たちは放っておけばいい。俺も、こないだガールフレンドと派手に喧嘩したことがあって、カニエ・ウェストがドナルド・トランプのもとを訪れたとき、彼女は俺にこう訊いた。「あなた、カニエの音楽を聴くのやめるの?」俺は「FUCK NO! (やめるわけねーだろ)」と答えたよ。俺はカニエのファンだし、彼の音楽が大好きだ。トランプに会いに行ったのは得策とは思えないし、後でカニエも後悔すると思う。けど、俺はカニエを聴き続けるぜ。彼が良い曲を作り続ける限り。そんなの関係ない! 逆に、ヴァンパイア・ウェークエンドが過激だと思われていた派を支持して、バーニーを正常化してくれたときは、俺でさえ「そうだ、バーニーの考えは実行可能だし、おかしくもなんともない」と思った。だから、俺は両方の観点から答えられる。アーティストの政治的主張が何であれ、俺はそのアーティストが好きだったらその人の音楽を聴き続ける。それができないやつは、そいつの問題だ。そいつはかわいそうなやつだ。自分が好きな音楽を聴くことができないのだから。それはやつの問題で俺の問題じゃない。俺はとにかくジャムをかけ続けるぜ(笑)!

SONIC MANIA 2017 出演決定!
2017.8.18(金)
OPEN 8:00PM / START 10:00PM
チケット情報
前売り¥11,500(税込)別途1ドリンク代¥500
https://www.sonicmania.jp/2017/

HIP HOP definitive 1974-2017 - ele-king

 2015年のSpotifyの統計によれば世界でもっとも聴かれているジャンルはヒップホップだそうで、CNNのあるレポーターによれば、「ヒップホップはこの半世紀でもっとも影響力のあるジャンル」で、それは「意見ではなく事実」だと。清水エスパルスのFWチョンテセ選手もヒップホップ・リスナーだし、数ヶ月前に会った古いイギリス人の友人(音楽関係者)は、「というか、若い世代はいまヒップホップやR&Bしか聴かない」となかば嘆き節で答えた。ヒップホップは大衆音楽のメインストリームである。ディフィニティヴ・シリーズも満を持しての「ヒップホップ」版を刊行します。
 『bmr』の元編集長、小渕晃・著『HIP HOP definitive 1974-2017』は、ヒップホップがどのようにはじまり、どのような変節点を経てどのように細分化され、混交され、どのように展開しているのかという全史を一望する試みです。ヒップホップは好きだけど全体を見渡しながら聴いているリスナーは少ないだろうし、コンシャスであるとかG-FUNKであるとかウェッサイであるとかトラップであるとか、そのサブジャンル名がいつどこから出て来ているのか曖昧に思っている人もいるでしょう。基本でありながら意外と共有されていない全史、『HIP HOP definitive 1974-2017』は5月31日刊行です。

Chapter 1
1974~ヒップホップの誕生
D.J. Afrika Bambaataa/Grandmaster Flash And The Furious Five
レコード化以前~ライヴ
レコード化のはじまり~バンド・サウンド
ドラム・マシン~打ち込みサウンドの始まり
コラム ヒップホップ・ミュージックを生んだブレイクビート

Chapter 2
1982~エレクトロ・ブーム
Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force
エレクトロ・ビート
エレクトロ・ビート+スクラッチ
エレクトロ~ヒップホップ・ブーム
コラム ヒップホップのごく初期の姿を映す貴重な映画

Chapter 3
1984~ストリート回帰~第2世代の登場
Run DMC
リック・ルービン~デフ・ジャム
ヒップホップの第2世代
ギャンスタ、プレイヤー・ラップの誕生
コラム デフ・ジャムと、ギャングスタ・ラップの背景を知る映画

Chapter 4
1986~ヒップホップ・ネイションの誕生
Eric B. & Rakim
Juice Crew~クイーンズ
Paul C~Studio1212, クイーンズ
”ブギ・ダウン” ブロンクス
First Priority Family~ブルックリン
ブルックリン
Hit Squad~ロングアイランド
Flavor Unit~ニュージャージー
Hilltop Hustlers~フィラデルフィア
ポップ/ダンス・ラップ
西海岸 ファンキー・スタイル
The Dust Brothers~Delicious Vinyl
チカーノ/多人種によるラップのはじまり
マイアミ
UK

Chapter 5
1988~コンシャス~メッセージ・ラップ
Public Enemy
The Stop The Violence Movement
東海岸 知性派/ムスリム/アフリカ回帰
西海岸 ポリティカル/コンシャス
ネイティヴ・タンズ
コンシャス + オルタナティヴ
コラム コンシャス~メッセージ・ラップを理解するための映画

Chapter 6
1988~ギャングスタ~プレイヤー・ラップの隆盛
N.W.A
NWA~Ruthless Records
Lench Mob
DJ Quik Family
LA OG
ベイエリア
サウス&ミッドウェスト
コラム ギャングスタ・ラップを理解するための映画

Chapter 7
1990~ニュースクールからハードコアへ
Pete Rock & C.L. Smooth
Soul Brother No.1
Gang Starr Foundation
Diggin’ In The Crates
ネイティブ・タンズの第2章
NY~東海岸のニュースクール作品
かけ合いラップ・ブーム
Wu-Tang Clan
ヴェテランの逆襲
ネクスト・ウェイヴ
ミッドウェスト、サウス、カナダのニュースクール作品
西海岸のニュースクール作品

Chapter 8
1992~Gファンクの猛威
Dr. Dre
Original G-Funk~Death Row, ロングビーチ
Ruthless, Cold 187um
CMW~MC Eiht
DJ Quik Family
Westside Connection
Gファンク・ブーム in LA
チカーノ
Dangerous Crew~ベイエリア
Sick Wid It
Young Black Brotha
ベイエリア 90s
Tupac Amaru Shakur
コラム 2パックとビギーの生涯を映画で観る

Chapter 9
1992~サウス~ミッドウェスト・シーンの台頭
Outkast
Dungeon Family, アトランタ
Jermaine Dupri, So So Def
クリーヴランド、シカゴ、フリント
No Limit , ニューオーリンズ
Cash Money
マイアミ
ヴァージニア
ヒューストン~テキサス
Screwed Up Click
ヒューストン、カンザスシティ、ナッシュヴィル
メンフィス
コラム サウスのヒップホップをより深く知るための映画

Chapter 10
1994~リリシスト~サグ/マフィオソ・ラップ
Nas
Biggie Smalls
クイーンズ・サグ
Boot Camp Clik, ブルックリン
ブルックリン、ニュージャージー
Jay-Z
Nas
Eminem
0 Cent, G-Unit
リリシスト 00s - 10s
コラム ヒップホップのリリシストをより深く知るための映画

Chapter 11
1994~ポップなスタイルの復活~全米のポップスに
Puff Daddy & The Family
Trackmasters
ポップ・サウンド in ミッド90s
Refugee Camp
オルタナティヴ・サウンド 90s - 00s
ラティーノ
Swizz Beatz, Ruff Ryders
Flipmode Squad
Roc-A-Fella
Murder Inc
The Diplomats aka Dipset
ポップ・サウンド in 00s

Chapter 12
1996~コンシャス派~インディ・シーンの盛り上がり
Slum Village/J Dilla
ネイティヴ・タンズの第3章
ロウカス
フィリー、Soulquarians
東海岸、北中西部、その他
Quannum Projects, 西海岸
Stones Throw
西海岸のインディ・シーン
Kanye West、シカゴ、GOOD

Chapter 13
1999~ウェッサイ・ファンク 2000
Dr. Dre/Xzibit
Dr. Dre + Dogg Pound Gangsta Crips Reunion
DJ Quik Family
Westside Connection
ヴェテランたちのウェッサイ・ファンク好盤
チカーノ 2000
ウェッサイの新世代
ハイフィー・ブーム、ベイエリア

Chapter 14
2000年~サウス&ミッドウェストの時代
Lil Wayne/UTP
ニューオーリンズ
セントルイス
ヴォージニア
アトランタ~ジョージア、ケンタッキー、ミシシッピ
クランク~スナップ
トラップ・ミュージック
マイアミ~フロリダ
ヒューストン~テキサス
メンフィス

Chapter 15
2006~「クール」の再定義
Drake/Currency
カレンシーはストーナーの代表となりシーンを引っ張る

Chapter 16
2011~ヒップホップの新時代
Kendrick Lamar
Black Hippy 
OFWGKTA (Odd Future Wolf Gang Kill Them All)
ASAP Mob
Pro Era
ドリル
トラップ
ラップ新世代
Black Lives Matteの時代におけるヴェテランの力作


小渕晃
HIP HOP definitive 1974 - 2017

(P-Vine / ele-king books)
Amazon

JJJ - ele-king

 まずは“Exp”の衝撃。ソウルのパッチワーク。冒頭にJBのシャウトが一発。ギター・サウンドの連続に「ヘンドリクス」の名が挿入されるライム。ハットはもはや時空間を刻むのを止めている。その分スネアが捩れたグルーヴを刻む。そうだ、これは「ザ・ワン」の証明だ。2017年のJPから生まれた痙攣するファンクだ。それを宣言するためにJBはシャウトした。ギターの5弦3フレットから5フレット、C音からD音へのハンマリング。それが1拍目にドロップされる。あとは3連で寛いだスネアたちが連れ添って、ファンクの余白を埋める。

 続く“Cowhouse”でもハットは時間を刻まない。たまにごく気まぐれに、痙攣するその姿を現すのみだ。時間を刻むのはあくまでも JJJ のライムだ。全てがスタッカートで記述される言葉。つまりスラップ奏法でプロットされる言葉たちが、ハット以上にビートを牽引する。かつてザ・ルーツの一員だったラーゼルが自身のビートボックスとライムを同じ唇と喉から生まれる音源として扱った手つきで、J はライムをリズム楽器として見ていることは明白だ。あるいは Native Instruments社製の Maschine のパッドを叩くのと同じ手つきで、ライムを打ち込む。波形としての言葉が見える。言葉に触知可能な実体を持たせるように、こんなにも見事にビートの上、あるいは隙間に「置く」ことができるラッパーは稀だ。そしてそれらはひとつの流れ=フロウを形作る。

 そんな風にビートを駆動するフロウワーたる J の立ち位置を代弁するのは“Exp”で客演する KID FRESINO のラインだ。「リズムの真ん中/生まれ落ちた俺は/君たちとは論を交わすまでもない」。確かに旧態依然のリズムのアーキテクチャーに拘泥するプレイヤーやリスナーにとっては、彼らの機動力は理解不能だ。対話は閉ざされる。できるのは、一方的に理解しようともがくことだけだ。

 この言葉のスラップ奏法は、むしろハットが打つレギュラーなビート“Place To Go”やブレイクビーツが牽引する“Django!”でより明確にその輪郭を現す。規則正しいハイハットのグリッドが時間軸を分割しているために、彼のライムの音符としての位置を測ることができるからだ。ライムにおいて、子音はドラムだ。その破裂音や摩擦音は、スネアとなり、ハットとなる。J の子音のアクセントを全面に出したスタッカートが、このグリッドに正確に刻まれた小節内を闊歩してゆく。スタッカート・フロウが可能なのは、母音/子音の発声の強弱だけでなく長短のコントロールに長けているからだ。このコントロールの上手さが際立っていることで、彼のライムは言葉である以前に、リズムを刻む短いフレーズの集積である。「グルーヴの支配者」(“Django!”)は言葉をも演奏する。かつてラキムがサックスのフレーズをライムに変換したように。あるいはドラムのハットやタム回しの変奏のように(たとえば“Place To Go”の1分34秒「落ちていく夕日/謎はとける今夜中に」という3連のラインを参照)。

 このようなライムの扱い方が可能であるのは、もちろん彼がビートメイカーであることに由来する。逆に言えばライムを編む手つきがそのままビート制作にも透けている。J のパッチワークを編む手つき。「音が息する瞬間」(“Django!”)を捉えるその手つき。“Exp”や“Cowhouse”ではオーバードライブの効いたギター・サウンドが、とにかくこのアルバムを祝福するように、つまり天から差し込むチョーキング・サウンド=光として燦然と輝く。前作『Yacht Club』の“Yacht”や“Vaquero!”に代表されるノイジーなサウンドがボム・スクワッドと比較されたように、このようなギター・サウンドが駆動するビートはそう多くない。それが単にワンフレーズのサンプリング・ループだけに留まらないとすればなおさらだ。メトロ・ブーミンがヴァン・ヘイレンの“Ain't Talkin' 'Bout Love”を大胆にサンプリングしたヤング・サグの“Alphabetical Order”はその物珍しさにおいて新しい可能性を提示するものだった。しかし J のギター・サウンドの扱い方は、これに留まらない。このパッチワークはヒップホップのビートの自由度を根本的に見直すものだからだ。

 J のビートメイキングが立っている場所は、直接的にせよ、あるいは Down North Camp を媒介とするにせよ、90年代のゴールデンエイジのゲームの延長線上だろうか。ゴールデンエイジが標榜するサンプリング・アートは、極めて高度に洗練された「引用の織物」としてのアウトプットをもたらす。しかしその分競技規定は固定化されている。この競技の共通のルールとは、あくまでもサンプラーを中心に据え、サンプリング・ベースでビートを制作するということだけだ。その他のやり方については自由である。しかし、シーンをリードするビートメイカーたちとそのフォロワーたちにより、徐々に方法論は固定化され、幾つかの様式美の類型が生まれる。とはいえ縛りがキツくなるほどに、美学の探求心に拍車がかかるのもまた事実だろう。
 一方、NYのゴールデンエイジが胚胎しているオーセンティシティの対極に、アトランタのトラップを象徴するビート群を配置するのは有効かもしれない。文字通り北の極と南の極として。サンプリング・アートに対して、ソフトシンセなどによる打ち込みをベースにしたそれは、たとえば Zaytoven によるビートメイキング動画を見れば、各々の方法論に開放された、自由度の高いものに映るかもしれない。しかし幾つかのビートたちを並置し比較してみれば、そこに通底する様式を認めるのは難しいことではないだろう。各ビートメイカーの意匠は、極小な「差異」に表れる。それは、多くのダンス・ミュージックのジャンルと同じように、「差異」を楽しむ音楽だ。70のBPM、FL Studio と Nexus のコンビネーションを中心に、圧倒的なベース・サウンドが基底をなし、TR-808 のハットとスネアが乱打される。そこでもまた明示化されない数々の競技規定が存在し、同時にそれらのルールを前提に研鑽を積むビート職人たちにより、日々独自の美学が築き上げられているのだ。

 J は、これらの二極を基準点とするビートメイキングの航海図において、どこに位置しているだろうか。一見してミニマムなフレーズのパッチワーク。そのスタイルは、オーセンティックなサンプリング・アートに準拠しているようでもあるが、もっと自由なマインドに駆動されている。J はヘンドリクスだけでなく、ジャンゴ・ラインハルトへのリスペクトとともに「feel like Django/grooveの支配者/スネアは前/put your mathafuckin lighter's up/boombap この音 better than you」とライムする。ジャンゴは、火傷により不自由となった薬指と小指という制約を逆手に取り、指板を自由に広く使うコードのフィンガリングを編み出す。そしてこの試みの延長線上で、ギターは伴奏楽器でありソロには向かないという当時の制約すら破壊することになる。

 J が既成概念から逃れ自由を志向していることは、曲ごとにビートメイキングの方法論が異なっていることや、使用する音色がローファイ至上主義に陥っていないことからも明らかだ。レコードなどの音源からのサンプル素材とソフトシンセの音源、ブレイクビーツと単音の打ち込み用ドラム素材を同等に扱うのは、現行のビートメイキングにおいて特に珍しいことではない。しかし J の「パッチワーク」は自由を実現するツールだ。チョップされた数多くの短いサンプル/手弾きのフレーズを数珠つなぎにして楽曲を形成する。たとえば前述の“Place To Go”に耳を傾ければ、メインの逆回転ループの周辺に、ワウギター、声ネタ、ブレイクビーツのシンコペーションなど、数多くの所謂オカズが挿入=パッチワークされていることに気付くだろう。
 さらに言えば、たとえば1曲のうち、複数の異なるスネア・サウンドが現れることすらある。“Midnight Blu”で彼が使い分ける3つのサウンド。左右に広がるステレオ定位のハイが強調されたスネア、モノラル定位のミドルが強調されたスネア、そしてクラップ(ここではいわゆる指パッチンのサウンド)。それは同曲に登場する3つの「ヴォイス」、すなわち JJJ、仙人掌、エミ・メイヤーを象徴しているようでもある。そして言うまでもないことだが、J の出自が febb と KID FRESINO との3ピースのパッチワークであった。この3種のスネアの、度々重なり合うことで互いを補完し合い、かつ単体で鳴ってもそれぞれに存在感を持つというカラーの違いは、そのまま Fla$hBackS の3人の関係性と響き合っているかのようだ。

 いずれにせよ、J によるビートメイキングは自由を志向している。そしてそれを実現するのは、短いサンプルフレーズを数珠つなぎにする方法だった。考えてみれば、ヒップホップ黎明期にはサンプラーのサンプリング・タイムの短さというハードウェア的な制約から、必然的にサンプルフレーズは短いものだった。たとえば BDP の“South Bronx”のように。その制約がなくなった後も、ビートメイキングのサイエンスを活性化させたのはミニマムなフレーズの利活用だった。DJプレミアなどによるフリップしかり、プレフューズ73ことスコット・ヘレンがもたらしたカットアップ的方法論しかり。彼らの意志を継ぐ J は、短いサンプル群を、小節単位のサンプリングのアートと手弾きのシンセの中間に位置するもの、すなわち自由にパッチワーク可能で、ピッチを弄ることで演奏可能なものとして捉える。J は「狂い咲くアイデアを形に/生きた証を残す目の前」(“Django!”)とライムする創作のため、いかなるルールからも逃れようとするのだ。

 “Cowhouse”の冒頭には、そのステートメントであるかのようなラインが現れる。映画化もされたケン・キージーの『カッコーの巣の上で』(1962年)はまさに自由を獲得するための闘争の物語だった。ロボトミー手術に象徴されるように、画一化され、コントロールされようとする人間の有り様。その圧力が凝縮された場が「カッコーの巣の上」だった。J は規格通りのビートメイクを無自覚に踏襲するだけ、あるいは批判的な視線なく受容するだけの「ビッチズ」をその「カッコーの巣の上」に「蹴落とす」と言っているかのようだ。しかし同時に J は理解している。自由とは、自分がいる場所とは違うどこか外側の世界にあるのではなく、いま自分がいる場所にあるのだと。それを獲得する意識の変革こそが必要なのだと。マクマーフィーが病棟に監禁された仲間たちにそのことを示したように、J もビートメイキングの様式美という鉄格子に囲まれながら、自由であることをリスナーに示す。だから彼はライムする。「貧しい心に垂らしたいインク/muthafuckin my beat/脳にぶち当てるkick/rawshit/その自由/鉄格子の中」(“Django!”)と。

 J は闘争の只中にある。ビートの自由を獲得するための闘争の只中に。

YPY - ele-king

 YPY とはバンド goat の頭脳である日野浩志郎のソロ名義である。さらに彼は室内楽アンサンブル・プロジェクト Virginal Variations を始動。その創作意欲は止まる所を知らない。先日の CONPASS でおこなわれた Stephen O'Malley ソロ公演では、YPY 名義でありながら Virginal Variations の多大なインスピレーション源となった『Gruidés』(DDS013)の作曲者 Stephen 当人の前でその成果を披露したかったのであろう、室内楽編成でのLIVEを敢行。見事なアンサンブルを披露してみせた。

 私はカセットテープの再生装置を持っていない。昔はかっこいいデザインのラジカセがあったと記憶しているのだが、今の家電量販店に行ってみても丸っこくて安っぽいダサいデザインのものしか見当たらない。なので日野浩志郎が運営するカセットテープ・レーベル〈birdFriend〉の作品はひとつも聴いていない。もちろん本気で聴こうと思えば bandcamp でデータを買えばいいわけだが、37歳でパソコン・デビューしたてのおっさんにはまだデータを買う習慣が根付いていないし、レコードを聴くだけでも手一杯なのだ。

 よって私が所有している YPY 作品というと、「Visions」〈Nous〉、『Zurhyrethm』〈EM〉、「Different Waves」〈birdFriend〉(Don't DJ との日本横断ツアー時に制作された、彼とのsplit 7"。私はこのツアーの九州方面へ同行する予定でしたが、ちょうど1週間前に脳腫瘍で倒れてしまい、行けませんでした。しかし逝かなくて良かった、ホントに)、そして本作『2020』〈Where To Now?〉。

 “Zurhyrethm”はrhythmの間にZUREが挟み込まれた造語ですが、goat の楽曲に顕著に表れているように、彼は常にrhythmに対して何らかの変容を加えることに意欲的であり続けていることが、この初期から近作までの楽曲を編纂して収録している『Zurhyrethm』を聴くことで体感できます。まだ Don't DJ の音楽と出会う以前から彼の曲と共振するような楽曲を制作していたのが興味深い。私の2016年の正月はこのアルバムに収録する楽曲を選ぶためにCD 6枚?分フル収録の YPY を聴き続けるというYPY地獄でしたが、無事に日の目を見て良かった。Ryo Murakami 『Esto』〈Bedouin〉(BDNLP 002)に収録されている“Sun”に今作の“RIP 505”をここでMIXしています。

 3年ほど前にオファーがあり、音源も送ったものの一向に話が進まず、最近になってようやくリリースされた『2020』。最初に送ったものは古くなってしまったので、新たに制作した楽曲が収録されている今作にはシンコペーションを強く意識した楽曲が多く収録されている様に感じます。〈Nous〉からの「Visions」ではレーベルカラーを意識してか、比較的RAW HOUSE・TECHNOという括りにすんなり収まりそうな楽曲が多かった印象ですが、今作にはより形容しがたい曲が収録されています。

 “2020”。ダラダラとダラしなく繰り返されるベースラインの上をヒョウキンな音が差し挟まれながら生演奏っぽいドラムやピアノなどのサンプリング音もぶち込まれるものの、やはり印象としてはダラしないままそれなりの長尺を貫く Wolf Eyes 臭漂うタイトル作。こいつは一筋縄では行かないぜ、と宣言しているかのようである。

 “Manse”。一転、BPM130でブリブリした音のベースラインがうねり続ける中、シンコペートするrhythmが疾走感を増強、音色的にはRAW HOUSEに近いものの、これはテクノなのかハウスなのか判然としないが、踊る者の心を掻き立てる楽曲であり、早くDJでプレイしたい。

 “Mass”。不穏なムードがrhythmパートの音色が加わるごとに疾走感とともに増強し、人の心を昂揚させていく。ここでもシンコペートするrhythmが効いている。タムの音が重くて気持ち良い。繰り返されるダーティーなサウンドのベースラインが緩やかに人を催眠と覚醒という相反する状態へと同時に誘い、裏打ちの金属音が入ってくる事でその感覚は頂点に達する。

 “Soup”。日野君が何度かプレイしている音が良いと噂のVenue 落合SOUP の事を念頭に置いて制作されたのかどうかは知りませんが、YPY 初のアンセミックな曲だと思います。美しい。彼が敬愛する Atobe Shinichi からの影響がここでは感じられます。

 B sideへ移りましょう。

 “Ant”。どうしてアリなのかよく分かりませんが、曲名とはそういうものかなどと考えながらシンコペートするGONGの音が繰り返されるのに耳をすませていると、いつの間にかアリの生活に思いを馳せていましたが、知っているのは自分の身体よりも大きなものを時に協力しあって地中の巣に運ぼうとする姿くらいのもので、何も知らない事がよく分かりました。ミニマルに推移するロング・トラック。

 “KND”。“Manse”と似たブリブリベースラインに導かれてドラム・トラックもフィルイン、BPM125で疾走しながら奥の方では何やら奇妙なノイズがずっと左右にPANしている上を次第にACIDが絡み付き、高まり、次第に全ての音が順に収束していき、エンジンが止まる様に終わる。ターンテーブルが止まる時の様に。

 “Ash”。ターンテーブルはもう止まったのだから後は人力だと言わんばかりに Wolf Eyes 臭漂うバンドが演奏を再開する。ドラムはBPM90でバスドラムをやる気なさげにキープし、適当にオカズも放り込んでくる。ギターも間延びしたディストーション・コードをやる気なさげに爪弾いている。くぐもった、得体の知れない何かが衝突し続けている様な音が何やら鬼気迫る迫力で近づいてくるのにつられるように、バンドの演奏にもやや力が入るが、それでもやはりダラダラとした印象を強く残して演奏は終了する。もちろんこれはフィクションであり、実際には YPY 個人のトラックだ。けれども本作には生演奏(のサンプリング?)を使用している部分が見受けられ、その事が楽曲たちをある種の定型にすんなりとは収まらせないでいる一要素となっているように思う。この曲を45回転で再生するとBPM120のインダストリアル・シューゲイズ・ハウスになって、多少はシャキッとするのでお試しあれ。

 全体を通じて感じるのは以前よりもRAWな音色が多用されている事や、より効果的にシンコペーションを組み込めている事など。音の感触が近いと思う〈L.I.E.S.〉から日野君がリリースする事になれば面白い。goat もメンバーが大幅に変わり、新しいフェイズに入ろうとしている。一方では Virginal Variations もある。そしてこの YPY。日野浩志郎の探究は続く。

 私はと言うと、早く落合SOUP で“SOUP”をかけたい!

interview with tofubeats - ele-king

 他人のことを気にしないように
 後ろ髪を引く人ばかりに
 これ以上もう気づかないでいい
1曲目“CHANT #1”

 もう良し悪しとかわからないな
 君らが数百万回再生した
 バンドの曲が流れてきた
2曲目“SHOPPINGMALL”


tofubeats
FANTASY CLUB

ワーナー

J-POPDeep HouseBassTechno

Amazon

 高校時代にシカゴ・ハウスやニンジャ・チューンなどを聴いた彼は、しかし自分の出自を曖昧にぼやかし、エレクトロニカや細分化されたインディ・ミュージックしか聴かない類のリスナー〈誰だ?)へ反論するかのように、TSUTAYAや郊外ショッピングモール、安居酒屋チェーン店、地方都市の衰退を日本の現代的土着性として再定義しようとした。文化的焼け野原を故郷とすることによる大衆へのアプローチ。そして、Jポップ的(マーケティングの入った)オリエンタリズムを逆利用すること、これが彼の戦略でありクリティックでもあったように思う。もちろん賛否両論あった。良きことのひとつを言えば、単純な話、若者たちに広く聴かれたことだ(おかげで彼の曲は彼の政治嫌いに相反して、デモにも使われた)。悪きことをひとつ言えば、それは単なるホントの、消費されるだけの商品としてのJポップにしかなりかねないことである(何が大切に聴かれ続けて、何が商品として忘れられるかは、10年後の中古盤屋──残っていればだが──を訪ねれば明らかになる)。
 トーフビーツの根は、インターネットを若者が活用できる時代に培われたという意味でも、セイホーやトヨムやグライム・プロデューサーの米澤慎太朗らとほぼ同じだが、その打ち出し方は極端に反動的で、彼はワーナーと契約したさいも大胆にも「就職」という言葉を使った。音楽を商売に限定することになると反感を覚える者も少なくなかったが、それは音楽業界への皮肉にも見えた。
 こうしてバブルガム・ミュージックを生産しようとした彼は、しかし、いまここにはいない。いまここにいるのは、時代に翻弄されている自分を隠さない彼だ。日本経済の格差問題は、大手メジャーと契約している若いミュージシャンもお金の心配を隠さずにはいられないというところにも滲み出ているわけだが(苦笑)、新作『FANTASY CLUB』で彼が告白しているのは、インターネット社会が信用ならないということで、それは「インターネット世代」という肩書きを甘受してきた彼にとって、言わずにはいられない状況にいま直面しているということなのだ。彼は本作において「見解」を述べている。
 また、喪失感はトーフビーツが最初から表現してきた感覚で、ジャム・シティの『クラシカル・カーヴス』や初期ヴェイパーウェイヴにも見いだせる感覚ではあるが、彼のそれは先述したように、極めて日本的な問題意識に立脚している。『FANTASY CLUB』の最初の2曲では、とくにそれがむき出しになっていると言えるだろう。
 このアルバムの魅力は、アルバム中盤に収められたインストゥルメンタルにもある。ベース・ミュージックを吸収した“OPEN YOUR HEART”とタイトル曲のディープ・ハウス“FANTASY CLUB”は、もうひとつのクライマックスであるということを忘れずに。アルバムの出だしが強烈なので見過ごされがちだが、地味に良い曲である。(まあ、彼らしいメランコリックな曲調でもある)

“ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。

新作を聴いて、驚いたので、担当の岩田さんに電話したんですよ。

TB:その話聞きました(笑)。超笑ったすね(笑)。即レスで電話してきた人なんて初めてじゃないですかね。

「どうしちゃったの?」って(笑)。まさかの展開に驚きましたよ。

TB:はははは!

音楽において自分の感情を露わにすることは無粋だという立場だったじゃない? 音楽はあくまでもポップス、エンターテイメントに徹するべきというスタンスで作ってきたわけで。それが新作ではさ……

TB:今回は奇跡的といえるほど制作に時間をかけられたんですよ。

なんていうんだろう……疑問であったり、居心地の悪さを真摯に伝えようとしている。で、岩田さんに言われて今回の作品のコンセプトにはポスト・トゥルースがあると、『ワイアード』の記事“SHOPPINGMALL”についてのインタビューを読んで欲しいと言われて、「なるほど」とは思いましたけど。

TB:はい。

『POSITIVE』から『FANTASY CLUB』へ、この変化についてまずは訊きたいんですけど。

TB:『POSITIVE』の頃よりも、まずは好きなことをやれる比率が上がったんですね。独立したんで。

なるほど。

TB:『POSITIVE』のときは、制作期間も1~2か月で、しかも敢えてJポップを作りたくて作ったんですけど、今回はその逆というか……、聴き手の好きなものなんてわかんないのに、「こんなん好きでしょ?」と出すのをいまやるのは失礼かなと。そんな風にやるのはやっぱり無理、というか……、あのときは「ポジティヴ」という言葉があったからなんとか明るい方向でまとまったんですけど、「みんなの総意」みたいな部分でいうと、もうそんなものはなかったと。

昔から言われている「細分化」ということ?

TB:そういうこともあると思います。細分化されていったけど、メジャーにいるとJポップを期待されてしまうんですね。プロだから商業として成り立つものを作らなきゃいけないという気持ちはあります。頑張ろうという気持ちもあるんですけど……、『POSITIVE』を作って、やっぱりそんなものはわかんないとあらためて思ったんです。みんながなにを好きなのかなんてわからないと、だったら、その「わからない」と真剣に向き合ってみようと。ノリや理屈で突破するっていうんじゃなくて、とにかく「わからない」と向き合ってみようと。そうして出来たのが“SHOPPINGMALL”という曲です。アルバムは、その曲が出来て転がっていったみたいな感じなんですよ。

『POSITIVE』への反動もあると。ぼくが思ったのはね、『First Album』と『POSITIVE』はプロデューサーとして作品に接していたと、しかし今回は作家として接していると。この違いは大きいですよ。アルバムの1、2、3曲目の流れが前半のクライマックスになっているんですけど、最初の2曲が強烈ですよね。そして6曲目以降はインストが続いている。トーフビーツのビートメイカーの部分をおもてに出しているとも言えるし、7曲目なんて聴くと、あれ、トーフビーツにこんなアンビエント・タッチのメロディ・センスがあるのかとも思ったし。

TB:“OPEN YOUR HEART”や“FANTASY CLUB”は『POSITIVE』のときにはもうあったんですけど、あのとき削った曲なんです(笑)。

それはなに、プロデューサーとしての意識が強かったから?

TB:たしかに『POSITIVE』のときは完全にプロデューサー目線で考えていましたね。『First Album』のときは自分の作家性を自分で解体しようとして、しっちゃかめっちゃかになった、というのが当時は反省としてあったんです。だから、よりはっきりプロデューサーを意識したのが『POSITIVE』です。そして、インディーズ時代の気持ちに戻って作ったのが今回のアルバムとも言える。自分が好きなものを出そうと、そう思って作りましたね。

ソランジュがひとつのきっかけになった、と?

TB:ビヨンセのアルバムの超パワフルさよりも、ぼくはソランジュに感動しました。ソランジュは、新しいことをやろうとしているし、向き合っているものが共同体というよりも自分……というか、範囲が狭いものだと思ったんですよ。この感覚は、ぼくが宇多田ヒカルさんの初期のほうが好きということとも共通するんですけど。『ア・シート・アット・ザ・テーブル』は4年くらいかけて作られて、ヴィデオもちゃんとしているし、丁寧なんですよね。どこかの誰かではなく、自分が見えているものごとを題材にしているからこその丁寧さだと思いますし、ソランジュを聴きながら、あらためて自分が好きなものを出すことにビビっちゃいけないと思ったんですよね。いまだからこそ言えますが、『POSITIVE』のときは、ビビっていたということが大いにあった。最大公約数的に、みんなが好きなものを作らないといけないというか。

そのプレッシャーを払いのけたと? 

TB:独立したし、ソランジュのそういう作品を聴いて、ということですね。

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だいたい、日本の音楽を見ていてこの先絶対に良くなっていくぞ、という予感がしなくなってきているんです。


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で、トーフビーツの新作のタイトルが『FANTASY CLUB』なんですけど……

TB:そうですね(笑)。

で、“SHOPPINGMALL”では「なにがリアル/リアルじゃないのか/そんなことだけでおもしろいか」と歌っているわけだけど、前作が“ポジティヴ”だったら今回は“ネガティヴ”と言えるでしょ?

TB:いや、それは違うっすね(笑)。今回のほうが絶対に明るい。でもこれはさっきも言った通り『POSITIVE』はネガティヴな気分も内包しているんです。やっぱりポジティヴにやらないと売れない、みたいな(笑)。

逆説的なネガティヴさね(笑)。

TB:極端な言い方ですけど、そこからスタートしている。だから“FANTASY CLUB”や“OPEN YOUR HEART”のような曲はハズしたんです。で、今回はそれらの曲を入れたいがために作ったとも言えるんです。なんとか愛着のあるものをまとめてみると、そういう部分が大いにあったんです。

“SHOPPINGMALL”みたいな曲も?

TB:“SHOPPINGMALL”はポッと出の曲みたいな感じなんで、ラッキー・パンチみたいなところもある(笑)。ずっと思っていることがバンと出たんで良かったんですけどね。今回は『POSITIVE』のときみたいに大きなゲストに声をかけるということをやらなくてもよかった。自分的には『POSITIVE』よりも腑に落ちているんです。聴き味はそんなに明るくないかもしれないですけど。

“SHOPPINGMALL”を風刺的と呼べるなら、ぞっとするような空虚な消費社会が見えるじゃない? 

TB:そんなにですかね。

メランコリックでいい曲だと思うし、いまの「これを出したいがために~」という話には納得したんだけど、トーフビーツがまさか否定からはいるとは思わないからさ、「なんでこうなっちゃたの?」という驚きはあった。いい意味でね。

TB:マジすか。でもこれは前作の“別の人間”という曲を聴いたときにも「こういう部分があるのか」って野田さんが言っていたと思うんですけど……その先にある感覚なんですけどね。

今回はその感覚をいちばん最初に持ってきているでしょ。トーフビーツがこんなにも違和感を露わにするなんて思ってもいなかったから。

TB:今回は攻撃的とも言われているんですけど。

はははは。その感想も理解できるな。

TB:他意はないんですよ。1曲目からさっき言った「わからない」ということがずっと続いているみたいな、「俺はわからないぞ」みたいな感じなんです。

1曲目の“CHANT #1”は、明らかにツイッター社会の嫌なところを題材にしているんだろうけど、“ポスト・トゥルース”というかね……ぼくは“ポスト・トゥルース”という言葉はBBCの年末特番で「今年のイギリスの流行語です」といって紹介されて知ったんですよ。トランプを例に挙げながら、なにが真実なのかということはもはや問題ではない、人はネットのなかに自分好みの真実だけを見るようになった、という説明をしていたのね。トーフビーツは自嘲気味に「インターネット世代といまだに言われるんですよね」ってよく言っているけど、インターネットの暗い部分がよりはっきり見えたというか、“ポスト・トゥルース”みたいな現象はその象徴なわけでしょう?

TB:うん、そうですね……というか“ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。もうそれは「インターネットの次の時代」の話というか、ぼくたちみたいに比較的最初のほうにパソコンでインターネットに触れていた人たちが陥っている状況というよりも、あとからスマートフォンで入って来た受ける側にしかいない人たちの話ですよね。

ウェブ・メディアをやっているとわかるのは、PV数の虚しさなんだよ。まとめサイトなんか、あれをニュースだと思ったらまずいよね。あれはトランプも芸能人スキャンダルもすべてが並列されるスーパーフラッター・ワールドで、重要性ではなく人気がすべてを決めるわけだからね。

TB:そうですよね。広告とか、バズみたいなことですよね。

インターネットのおかげで距離が離れた人たちと繋がった、コミュニケーションの可能性が広がった、あるいは自分の作品を聴いてもらえる可能性が広がったという素朴な感動とはもう別物になっているんですよね。

TB:そうなんですよ。もう真逆。ぼくらがインターネットをはじめたときは、地方にいても良いものを作ったらみんなに見つけてもらえる時代が来るぞと思っていた。でも、いまはむしろ逆で、言い方は悪いですけど下世話なものに流れていくようになった。それはもう自分が思っていたインターネットと違うんですよ。別物だけど自分はインターネット世代と言われるみたいな悲しさもあるし……とはいっても自分はツイッターもインスタグラムも使っているし。そんなことは言いながらも、使っているんですよね。こういうときにそういうこと(ネット文化)を揶揄するのは自分も使っているから難しいじゃないですか。ということを曲にできたらいいなと思って作ったのが“SHOPPINGMALL”なんです。

そうなのか。自分が使っているからといって批評性を放棄することはないわけなんですけど、1曲目がドゥーワップでしょう? ドゥーワップというのは肉声の文化じゃないですか。それだって深読みできるよ。

TB:あれはめちゃくちゃ編集してあって(笑)。それがめっちゃ面白い。オートチューンというものに対する接し方面白さを見せたかったんですけどね。

インターネットにはイエス、だけどノー。オートチューンについてもイエスだけどノーという(笑)。そのイエス、だけどノーというのが重要なんじゃないかなという気がするんですよね。どっちか片方に偏ってもろくなことはない。

TB:そうなんですよ。どっちもあるんです。たとえばいまは自分の正しさを証明することが難しくなってきているじゃないですか、というのもソースがインターネットだし。インターネットがどんどん信用できなくなっていくということはそういうことで、かといってリアルに戻ることはもう無理なんですよね。

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UKガラージやシカゴ・ハウスが好きなのは、なんだかんだ言いながらあの気合い……気合いって言い方だと陳腐になるんで嫌なんですけど(笑)。でもぼくが好きな曲は気合いが入っていると思うんですよね。


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すごい時代だよね……では次の質問、『FANTASY CLUB』という言葉を選んだのはなんででしょうか?

TB:昔からこの言葉が好きなんです。ライナーでも書いたことなんですけど、最初に好きになったシカゴ・ハウスがPierre's Fantasy Clubの“Dream Girl”なんですよ。

いいね(笑)! 曲の出だしのリズムなんか、たしかにシカゴ・ハウスっぽい。ベースラインも良いし。

TB:“Dream Girl”を聴いてシカゴ・ハウスを知ったくらい。高校時代かな、知り合いの家に泊めてもらったことがあったんですけど、そこでTRAXのコンピを初めて聴いたんです。すごくいいなと思って、とくにDJピエールが。昔やった連載のタイトルに「Fantasy Club」って付けたほどです(笑)。たしかにアルバムのコンセプトに“ポスト・トゥルース”という言葉はあったんですが、“トゥルース”って言葉を使いたくなかったんです。

楽曲的には、今回のアルバムのなかではいちばんだよね、“FANTASY CLUB”が。ありていに言えば、ディープ・ハウスだよね。Jポップ的なオリエンタリズムに依拠する必要もない、すごく良い曲……で、またそのタイトルも……実はリアリズムについて歌いながらも『FANTASY CLUB』なわけで、そこにも含みがあるというか。面白いタイトルだよ。

TB:そう、イエス、だけどノー(笑)。

だから今回は、トーフビーツのシカゴ・ハウス愛を思い切り出しているんだけど、ただそれだけでもなく、聴き手に考えさせるアルバムだよね。

TB:“FANTASY”という言葉はにもそれがあるんですよね。あとは誤解を招く言い方ですが、リスナーを楽させちゃいけないというか。

なるほど。まあ……いくら音楽に政治を持ちこむことが嫌いなトーフビーツであっても、これだけ世のなかでいろんなことがあったらね。いよいよ(政治性を)出してきたかと(笑)。

TB:いやいや(笑)。……でも今回アルバムを作っていて、政治に関してはマジでうっかりしそうになりましたね。“SHOPPINGMALL”で止めておかないと、みたいな。

そうなの(笑)!

TB:本当にちょっと政治に入りかけて、でもそれは絶対に入れたらアカンと思って、まあ止めておきましたけど。

これはいつか決壊するときが来るぞ!

(一同笑)

TB:だからこれ以上治安が悪くならないで欲しい!

それか!

TB:頑張りきれなかったんですよね。気づかないでいいという言い方とかもそうなんですよね。

いいじゃないですか、ぜんぶ自分でコントロールできちゃうような、悩んでいない表現者なんか面白くないですよ。とにかく、内面ではせめぎ合いがあったんだね。

TB:あったんです。だいたい、日本の音楽を見ていてこの先絶対に良くなっていくぞ、という予感がしなくなってきているんです。

未来が見えないと?

TB:自分の回りの人たちはすごく頑張っているんです。セイホーさんとかすごいし……、セイホーさんからは「詳しく聴いてからもう一回言うけど、極端なアルバムを作ったね」みたいな話をされましたね。本当は極端である必要はないのに、そういうのは身を滅ぼす気もする、みたいな話にもなったりして(笑)。

落ちた?

TB:それはないですけど(笑)。

バランスは失ってないじゃないですか……アルバムは、1~2曲目こそ不安定さ見せるけど、3曲目“LONLEY NIGHTS”のポップスで持ち直すじゃない?

TB:あれはね……ヤング・JUJUがすごくポップに立ち回ってくれましたね。あれはマジで役割をまっとうしてくれたなと思います。

8曲目“WHAT YOU GOT”も面白いよ。日本人が一周回って外側からJポップをやる感じ、歌メロとかさ(笑)。

TB:そう言ってもらえると良いんですけど……でもなんとこう、作っている側も前向きになれないっていうか、そういう現実もあると思うし。

いまはいろんなことが同時に起こりはじめているよね? たとえば7インチ・シングルとカセットテープって、ぼくは一時のファッションで消えると思ったんだよね。しかし、海外はとくにそうなんだけど、新しいレーベルや若い世代であればあるほどカセットテープや7インチ・シングルを作っていっている。彼らはそれを目的とはしていないけど、そういうこと自体がスポティファイやYoutubeだけでいいのかということに対する批評性を持っているよね……まあ、自分もスポティファイは加入しているしさ(笑)。

TB:ぼくはアップル・ミュージックもスポティファイも両方入っていますもん(笑)。ただ、音楽をやっている人がいまの世相を映してないのはなんかおかしくないか、とはめっちゃ思っていて。10年前と同じようなものがあるのって日本だけじゃないですか。まあ世界でもあるけど……。

トーフビーツやセイホー君の世代がいるじゃないか。

TB:いるんですけど、まだ台頭していないというか。これからなのかもしれないですけど。

〈PC Music〉とか、あの辺りはどうなの?

TB:一緒にスタジオに入ったことがあるんですよ。彼らは確信犯で、インテリ、って感じの人たちで。ぼくは……ほら、シカゴ・ハウスの気持ちの入った曲が好きなんで。とりあえずドラム・マシンを鳴らして「ああー、テンション上がってきた!」みたいな。

音楽はやっぱりパッションだと?

TB:ぼくは基本そう思うんで。UKガラージやシカゴ・ハウスが好きなのは、なんだかんだ言いながらあの気合い……気合いって言い方だと陳腐になるんで嫌なんですけど(笑)。でもぼくが好きな曲は気合いが入っていると思うんですよね。

米澤慎太朗みたいなヤツとかね?

TB:シンタ君? そうです。ガリガリやのに気合いとかいうね。いいですね。

トーフビーツは若くしにデビューしたけど、いま名前が出たシンタ君とか、ほかにも京都のトヨム君とか、同じ世代が頭角を出してきているじゃないですか。

TB:シンタ君もトヨム君も同い年じゃないかな。トヨム君はずっとやっていたのを知っていたんで嬉しかったですね。

トーフビーツはデビューが早いからベテランみたいに見えるけど、実はまだ20代半ばちょっとで、若いんですね(笑)。

TB:なんだかんだで10年目くらいなんでね(笑)。だからモヤっとするのかもしれないですけど……、とはいえ、新しいものが出てきたぞって本当に思いたい、みたいなのがあって。セイホーさんはめっちゃそこを意識している。あの人がすごいのは、曲を聴いていて5秒後にどうなるのかわかんないんですよ。そういう感じはすごいと思うし、あんなふざけた感じのキャラしてますけど、ちゃんとやんないとできないんですよね。

よく聴いているってこと? 

TB:いや、「お前らこれ知らないだろ」系はいまはネットがあるんで通用しないですよ。

いや、レコード店でしかわからない情報はまだあるし。

TB:でもそれをカッコいいねと言ってくれる人はもういないから。

それはネットを過信している子たちでしょ。たとえば、〈OS XXX〉とか、レコード店に行かないと目に入らないでしょ。しかもレーベルのネーミングは面白いし。それでアシッド・ハウスとか言っているんだけど。DJプレイステーションとかさ(笑)。

TB:レイヴっぽいハウスみたいな。

そうそう、レイヴっぽい(笑)。若いんですよ。だから確実に新しい世代は出て来ているんだよね。日本でも『レトリカ』みたいなメディアも出てきているじゃない?

TB:野田さんから見ると「ようやく形になってきたぞ」みたいな(笑)。

そういうこと。スケプタとトマド君が並列されているあの感じは、ネットのフラットな世界とは違うよね。いまはネットでだいたいの情報は入手できるし部屋にいるだけでもある程度の文章は書けてしまうんだけど、『レトリカ』は直に取材して、話を聞いて書いている。彼らからはなにかを再定義しようとするパッションは感じた。インターネット世代でありながら紙メディアを作り、しかもバーコードは偽物……あのフェイクさも新しいよね。

TB:『レトリカ』の登場はぼくも久々にテンション上がったっすね。

そういうときに『FANTASY CLUB』という素晴らしいアルバムを作って、ある意味タイムリーじゃないですか。

TB:うん、自分でもけっこう区切りになりそうな気がしていますけどね。さっきも話に出たけど、FANTASYと言いながらリアリティある音楽だと思っているんで。

うん、そうそう。トーフビーツがようやく出てきたという感じ。

TB:残り少ない社会性を発揮したいな、というのもあるんで(笑)。

(一同笑)

Moan - ele-king

 音の遠近法や認識のしかたを、少しずつ、ズラし、溶かしていくサウンド。じっと聴き込んでいくと、音が、時間が、空間が、ノイズが、声が、エレクトリック・ギターの音が、リズムが、音楽が、ゆったりとコーヒーの中のミルクのように溶け出していく。つまりはサイケデリック。カラフルにしてモノクロームに揺れる音楽の生成変化。2017年の日本において、このようなサイケデリックな音楽が生まれ、そして聴くことができるとは。まさに僥倖。

 それもそのはずだ。このモアンは、ただのバンドではない。あの轟音ロック・バンドDMBQのギター/ヴォーカル、そしてボアダムスのギタリストとしても知られる増子真二と、大阪の5人組ガールズ・ノイズ・ポップ・バンドwater fai(2015年に解散)のベーシストで現DMBQのベーシストでもあるマキによるユニットなのである。つまりは音に込められた念/気が違うのだ。
 彼らのファースト・アルバムは、アクロン/ファミリーのセス・オリンスキーが主宰する新レーベル〈ライトニング・レコード(Lightning Records)〉の第1弾アーティストとしてリリースされた『シンク・アバウト・フォーゴットン・デイズ』である。『ピッチフォーク』などの海外メディアからも取り上げられ話題を呼んだ。彼らは同年にも〈データ・ガーデン(Data Garden)〉から『ブックシェルフ・サンクチュアリ』もデータ配信でリリースした。

 本作『シェイプレス・シェイプス』は、モアン、数年ぶりの新作アルバムである。リリースは、アンビエント・アーティス/マスタリング・エンジニア畠山地平主宰の〈ホワイト・パディ・マウンテン〉から。本作もまたドローン、ノイズ、アンビエント、ミニマル・ミュージック、ロック、電子音楽など多様な音楽的エレメントを用いつつ、サイケデリックな音響空間を生成している。しかも、より洗練され、過激になり、そして熟成している。

 アルバムは連作“ザ・ステーツ・オブ・ウォーター(The States Of Water)”から幕を開ける(全5トラック)。1曲め“ドロップ(Drop)”と2曲め“サーフェイス(Surface)”では、電子音の粒のようなランダムな音が滴り落ちる。それらの音は溶け合い、やがてドローン・サウンドを生成する。3曲め“サージ(Surges)”は、加工されたマキの澄んだヴォイスもレイヤーされ、音楽と音響の領域を溶かす、透明カーテンのように美しいサウンドを展開する。4曲め“マス(Mass)”ではエレクトリック・ギターによる暴風のようなサウンドが、聴覚に圧倒的な刺激を与えることになるだろう。このノイズとアンビエントの快楽は筆舌に尽くしがたい。これぞ恍惚。
 5曲め“ストリーム(Stream)”で静かに幕を閉じた“ザ・ステーツ・オブ・ウォーター”に続く6曲め“ヴォイス・イズ・マイ・フェイヴァリット(Voice Is My Favorite)”はマキのヴォーカル/ヴォイスを全面的にフィーチャーしたトライバル/リズミックなトラック。7曲め“カム・イントゥ・ザ・ウォーム(Come Into The Warm)”は増子真二の静謐なギターが鳴り響く美しい曲である。一転して、8曲め“フォレスト、サーキット・ボード(Forest, Circuit Board)”はアルバム冒頭に戻るような粒のような電子音が動きまわるトラック。その“フォレスト、サーキット・ボード”に続くカタチで展開するラスト曲“ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・フィードバックス(While My Guitar Gently Feedbacks)”は、マキのヴォイスを細やかにエディットしたサウンドから、次第に壮大なドローンを生成する。まさにアルバム・ラストを飾るに相応しいサイケデリック・アンビエントである。

 全9曲、どのトラックも、美しく、そして快楽的なサイケデリック・エレクトロニック・アンビエントを展開している。タイプはまったく異なるが、山本精一の傑作『クラウン・オブ・ファジー・グルーヴ』に連なる壊れたミニマル/アブストラクトな音とでもいうべきか。もしくはマニュエル・ゲッチングの系譜にある2017年最新型サイケデリック・アンビエントとでもいうべきか。刺激的な音/音楽を求めているのなら、ぜひ本作を聴いてほしい。時間が溶け出すような刺激/快楽的な音響体験がここにある。

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