「K A R Y Y N」と一致するもの

Madalyn Merkey - ele-king

 2年ぶり。2作め。前作と同じくダックテイルズのレーベルから。「待った」という感じは以前よりもなかった。サウンドクラウドに上がっていた音源を片端からダウンロードし、とりわけ「スリープ」を繰り返し聴いていたころはマテリアルに落とし込まれるかどうかも定かではなく、『セント(Scent)』がリリースされると知ったときは、自分の好きな音楽とレコード産業には接点があったのかという驚きのほうが大きかった。2作めはつまり、その「接点」が保たれているという保証のような感覚が先に立つ。それは音楽を聴くときにはむしろ雑音になる。ジャム・シティがかつてインタヴューで「(レコーディングのときに)いちばん難しかったのは、自分自身がクリアになること」と話してくれたけれど(『ele-king Vol.9』)、それは大なり小なりリスナーにも当てはまる。作家性ほど音楽自体にとって邪魔なものはなく、語るのに楽なこともない。それぐらい『ヴァレー・ガール』というアルバムを静かに聴きたいと願いながら、なかなか果たせない。かつてとは意識とマテリアルが逆の位置でズレている。

 最初に感じたことはアンビヴァレンスな志向性を持っているということだろうか。この1月に妙な予感でも働いたのかオランダで『セレクティッド・ アンビ ヴァレント・ワークス'05-'12』というアルバムを出した人がいたけれど、実際にはそれほどアンビヴァレントな価値観をプレ ゼンテーションしていたわけでもなかったのに対し、『ヴァレー・ガール』はシンプルながらかつてのようにひとつの志向性に束ねられることはなく、ミュージック・コンクレートの時期によくあったような不条理感を通奏低音としながらも(それだけだと単純な模倣になってしまう)、不条理とはまったく異なるサウンド・エフェクトが微妙に采配されている部分はかなり新鮮だった(オープニングはとくに素晴らしい交錯を体験させてくれた→https://soundcloud.com/new-images/madalyn-merkey-archipelago-1)。そして、それが次第にかつての不条理モードをブラッシュ・アップしたかのように表情だけを変えて収束の方向性に傾き、最終的にはかなりアカデミックな領域に没入していく。ポップ・ミュージックの断片もない。これがミュージック・コンクレートを上書きするという意図のものならば、それを解析する力量は僕にはないので、これ以上は放棄するしかないけれど、せっかくのメデリン・マーキーなので、もう少し食い下がってみよう。だんだん自分がクリアになってきた気もするし。

 このアルバムは「農業と景色」にインスパイアされたものらしい。農業といっても素朴な側面もあれば、モンサントの遺伝子組み換え作物をインドや中国が追放し、アメリカに30億円以上のダメージを与えたとか、思いつくフェイズがさまざまで、どの部分を指しているのかぜんぜん感得できないものの、『ヴァレー・ガール』というタイトルや全体のサウンドから察するにどこか神秘的ながら労働の辛さを感じさせるようなところもある(だから不条理?)。はじまりは「アーキペラーゴ(群島)」だけど、締めくくりは「プルート(冥界)」だし……(農業から「死」が見えてくるとは?)。ちなみにモンサントは昔ながらの品種の改良に立ち返り、新種の野菜でまたしても注目を集めている。ヴェトナムに撒かれた枯葉剤の会社だけに、ホントに逞しいというか。

 ティム・ヘッカーが『ヴァージンズ』(2013)のインスピレイションは新藤兼人監督『鬼婆』(1964)だというなら、『ヴァレー・ガール』はそれこそ同監督による代表作『裸の島』(1960)で、同作でも濃厚に描かれていたように農業にはハレとケの「ケ」を強く意識させるところがある。「ケ」、あるいは、ストレートに「退屈を音楽にしたい」と言ったのはフィッシュマンズで、日常性にも地域によって相当な差があるだろうから一概には言えないとしても、ミュージック・コンクレートの再現として聴いても『ヴァレー・ガール』はここではないどこかへ移動するという感触はなく、積極的に「ハレ」を遠ざけているといえる。もっといえば人間の感情を通したものの見方もやめて、空気になりきろうとしているという感じだろうか。「描写」から「主体」を消すというのもミュージック・コンクレートの時期にはひとつの課題だったけれど。

 あるいはレイヴ・カルチャー以降の身体性をドローンに持ち込むのがゼロ年代のスタイルだったとしたら、かつてブライアン・イーノがプログレッシヴ・ロックの狂騒から平凡な日常性を奪い返そうとしたように(詳しくは『アンビエント・ディフィニティヴ』序文)、USアンダーグラウンドをポスト・レイヴへ誘おうとするものにも聴こえなくはない。レイヴ的な身体の否定ではない。やはり呼吸の間隔などにはレイヴ以降の細切れな区切り方が目立つし、もう一息でトリップへ誘うギリギリのニュアンスは残っている。しかし、最後のところで没入させることを避けているようなところは確実にあり、チル・アウトでいえばワゴン・クライスト『ファット・ラブ・ナイトメア(Phat Lab. Nightmare)』(1994)が醸し出していた曖昧なムードを思い出させる。どこかストイックで、飛行機が墜落するようなことがあっても流れつづけることができるとした『ミュージック・フォー・エアポート』(イーノ)に対して、そういった意味での「無害なBGM性」を踏襲するところもない。なんというか日常でも非日常でもなく、僕には馴染みのない場所に連れて来られたというしかない。

 ネオ・クラシカルのデヴィッド・ムーアが今年、ビング&ラス(Bing & Ruth)の名義でリリースした『トゥモロー・ワズ・ザ・ゴールデン・エイジ』(〈RVNG Intl.〉)はアカデミックな領域にありながら、掛け値なしに気持ちよく響き渡るサウンドを展開していた。モートン・フェルドマンやブライアン・イーノにインスパイアされたという触れ込みはむしろマイナス要因にしか思えず、それこそ今年だったらゴラ・ソウ(Gora Sou)やA・r・t・ウイルスンといったポップ・ミュージックと完成度を競い合ったほうがいいような気がするぐらいに。そう、デヴィッド・ムーアとメデリン・マーキーは立場を入れ替えた方がどちらもすっきりすることはたしかだろう。日本と違ってアメリカにはもはや在野とアカデミックに明確な線引きは存在していないというならば、それはもう、そうかというしかないけれど……。

interview with Ben Frost - ele-king


Ben Frost - Aurora

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 ベン・フロストは、激情の人であり理知の人である。彼の腕には黄金律のタトゥーがある。ムダのない完璧なものを愛するということだろうけれども、その愛し方にはどこか理屈におさまらない過剰さが感じられる。ベン・フロストは矛盾の人でもある。
 しかしその矛盾はいつしか円になって膨大なエネルギーを生む。

 オーストラリアの実験的音響レーベル〈ルーム・40〉より2003年にデビュー・アルバムをリリースし、その後アイスランドに移住、エレクトロニカあるいはポスト・クラシカルの文脈においてアルバムを重ねてきたプロデューサー、ベン・フロスト。近年では映画のサントラやバレエなどの舞踏のための音楽などを手掛けることが増える一方で、大きく注目を浴びたティム・ヘッカーの『レイヴデス1972』(2011)、『ヴァージンズ』(2013)にエンジニアとして参加するなど、その力量の幅を示してきた。

 アルバム・リリースについても、2009年の『バイ・ザ・スロート』の後はサントラがつづくため、このたびの『オーロラ』のような個人的な作品は久しぶりの制作となる。『セオリー・オブ・マシーンズ』収録の“ウィ・ラヴ・ユー・マイケル・ジラ”というタイトルに顕著だけれども、インダストリアル的なアプローチへと接近してきたかにも見える彼が、その久方ぶりのフル・アルバムを今年〈ミュート〉からリリースするというのは、時流と彼自身の個人的な創作モチヴェーションとの幸福で鋭い交差を意味していると言えるだろう。

 とはいえ、硬質で理性的なイメージの裏側に熱くたぎるエモーションを爆発させる、フロストのロマンティシズムは健在だ。今作のモチーフのひとつとして「コライダー(加速器)」が挙げられているが、円形軌道を描いて加速する荷電粒子、そこから生まれる爆発的なエネルギーのイメージは、そのまま音の喩となり説明ともなろう。彼の音楽はハイ・カルチャーからのアプローチを受けつつも、その芯にあっては敷居の高くないものだ。もっとポップでもっとドリーミーな轟音──エクスプロ―ションズ・イン・ザ・スカイや65デイズ・オブ・スタティックといった激情系マスロック・バンドから、シガー・ロスのファーストの若い衝動にまで通じるみずみずしさがその奥に押しこめられている。

 理詰めを加速して感情の爆煙となった音響。音楽は円を描くと彼は言ったが、彼の論理とエモーションもまた円を描いて発熱する。90年代の先に2000年代の黎明の再評価の機運が見えつつある昨今、ベン・フロストが鮮やかにシーンへ帰還した。

オーストラリア出身、現在はアイスランド・レイキャビクを拠点に活動するプロデューサー。ティム・ヘッカーやブライアン・イーノ、ヴァルゲイル・シグルソン(〈ベッドルーム・コミュニティ〉)、コリン・ステットソン、スワンズらとの共作で知られ、最近ではVampilliaの新作『my beautiful twisted nightmares in aurora rainbow darkness』のプロデュースも手がけている。5年ぶりのフル・アルバムとなる2014年作『オーロラ』には、スワンズのソー・ハリス、ブルックリンのブラックメタル・バンド、Liturgyの元メンバーであるグレッグ・フォックスなどが参加する。


今回のアルバムはおもに「光」を題材にしているんだ。そしてそれはエナジー──内省的なものではなくて外に向かってどんどん拡大していくべきものだと思っている。

あなたにとっては少し古い話になるかもしれませんが、『スティール・ウーンド(Steel Wound)』(2003年)をリリースされた頃は、あなたの音楽にはもう少しゆるやかな、ギター・アンビエントといった雰囲気がありました。そこから時間が経って、何作も経て、今回はすごく音の詰まったものになっていますね。
 人は年をとるほど余白を生んでいくものかとも思いますが、今回あなたの音の余白を埋めているものは何なんでしょう?

BF:10年以上前になるけれども、もともと私はオーストラリアのメルボルンに住んでいたんだ。そこは、たとえばこの渋谷にも似ていて、すごく人口密度の高いところだった。建物もたくさんあるし、街自体が、凝縮された濃密な空間だったんだ。何もかもが濃厚というか。街の景色を思い出してみても、どこにも隙間がない。そういうところに住んでいたぶん、自分のなかでもバランスを取ろうと思っていた部分が大きかったんじゃないかな。私は若かったし、いろいろと混乱する部分もあった。安定してなくて、自分の心が平らな状態ではなかった。だからこそ、自分のなかのでこぼこした部分を研磨するような、そんな気持もあったんじゃないかと思うよ。外の環境に対して補正をしていきたいというか。その頃の自分には、外的なものから圧迫されるような感覚があったんだ。そして、それをなんとかして押し返したいという欲求もあった。
 それに比べると、いまは住んでいる環境もちがうし、歳をとることによって自分の感情をコントロールすることもうまくなった。そうしたことが、いまのアルバムに反映されているんじゃないかなと思うよ。

なるほど。この作品はアトラス・プロジェクトという、「ラージ・ハドロン・コライダー(大型ハドロン衝突型加速器)」(※)という装置を用いた実験にインスパイアされたものだともおうかがいしたのですが、今作の音の激しさには、個人的な背景とともにそうしたモチーフも関係しているということでしょうか。

※2008年に完成。史上最高のエネルギーを生み出す装置と言われている

BF:たしかに、ラージ・ハドロン・コライダーからはインスパイアされた部分がある。今回のアルバムはおもに「光」を題材にしているんだ。そしてそれはエナジー──内省的なものではなくて外に向かってどんどん拡大していくべきものだと思っている。具体的にコライダーのどの部分からインスピレーションを得たというようなピンポイントでの影響はないけれども、すべてがつながっているんだよね。リズムというのはつながってできているものであり、サウンドも同様だ。そのなかのひとつだけをとってきても意味はない。つながっているからこそ意味があるのであってね。

リズムでもサウンドでも、基本的には円を描いているものだと思う。

 リズムでもサウンドでも、基本的には円を描いているものだと思う。それらが円を描きながら音楽を構成している。たとえば、完全なる円があると仮定するならば、そこにあるのはテクノのような均一なビートだろうね。しかし、その円をすごくゆがめてみることで生まれる複雑性もあるだろう。しかし音楽自体は円。そしてコライダーも形状的にくっきりとした円のイメージがある。そして、あれは何か新しいものを探したいという実験でもあった。ふたつのものが衝突するからこそ生まれてくる新しいものをね。……というところで今回の作品につながってくるんだ。ふたつのものが衝突して生まれてくる新しいエネルギーという。

なるほど、あの過密な情報量とエネルギーを持ったアルバムとコライダーの比喩はすごくよくわかるんですが、一方に「光」というテーマもあるわけですね。ラージ・ハドロン・コライダーという装置は、ブラックホールを生み出しかねないものだということなんですが、そうすると、光と闇、この世のすべてのエネルギーを持つかのようにイメージがふくらみます。

BF:宇宙は、じつはブラックホールの中に存在しているという説があるんだ。ギャラクシー自体も、トイレの渦なんかと同じで、すべていっしょの方向に回っていっているってね。だから、あらゆる磁場が同じ方向に回っていることによって、宇宙の均衡が保たれているのかもしれない。その意味では、ブラックホールの中にあらゆる情報量が詰まっているというような考え方はアリかもしれないね。
 自分が好きなアーティストなんかを思い浮かべてみると、抽象的で不確かな部分を抱えながら、それを具現化する手段として音楽を用いている人が多い。それはたぶん自分自身にもあてはまる。まだ私自身にとっては、その不確かなものを形にすることを完璧にはできていないんだけど、年齢を重ねるにつれてどんどんと手段を得ているような気はするよ。

想像の追いつかない世界ですね……。年齢とともにバランスがとれてきたということでしたが、まるで青春期の心象風景であるかのような激しさも感じました。

BF:うーん……、そうかもね。

あ、ちょっと違いますか(笑)。

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リズムに頼るというのはもっとも安直な方法のひとつだと思うんだ。リズムの内側に自分自身がいる、それが今回の作品だよ。

ではちょっと話題を変えましょう。あなたの作品は、曲やタイトルまですごく理知的にコンセプチュアルに作られているようでいて、同時に激しさや、感情的でロマンチックなものなどが噴出しているようにも思われます。ご自身ではよりどちらの性質が強いと思っていますか?

BF:エモーショナルな部分もコンセプチュアルな部分も両方あるよ。アートっていうものについて自分自身が高度な教育を受けたわけではないけれど、私には、自分の中のアートな部分がヴィジュアル的で立体的に見えている。そして、きちんとコンセプトを立ててそれらをかためていくことが好きなんだ。それによって自分のなかのどこにどういう引出しがあるのか、そこに何が入っているのかを確認することができる。
 たとえば、コンセプトに比重を置きすぎると頭でっかちになると批判する人がいるけれど、私はそっちに偏りすぎない自信があるんだ。むしろ自分の感情をきちんと使っていくためにコンセプトが必要だという感じかな。
 アルバムを作るからには、ちゃんとしたものを作りたい。その意識はすごく強いと思う。出すからにはよいものを……不要なものは出したくないんだ。世のなかには不要なもの、どうでもいいものがすごくたくさんある。音楽にしても、人は似たようなものを量産しがちだけれども、はっきりいってそんなものは作りたくない。自分が伝えたいことが入っていること、何か新しいものであること、それが必須だよ。だからたとえ何年かかろうと、それがないことには次のアルバムを作らない。いちばんよくないのは「そろそろ時期だな」って思って制作することだね。
 これは世に出さなきゃいけないと認識できるものじゃないと──もし先に誰かがやっていると思ったら、今作だって出していないよ。新しいエレメントを世界に提案したい、その姿勢は確実に必要なものだね。自分に才能があるとかっていうことではなくて、発信者であるというスタンスは譲れないものだよ。

コンセプトに比重を置きすぎると頭でっかちになると批判する人がいるけれど、私はそっちに偏りすぎない自信があるんだ。むしろ自分の感情をきちんと使っていくためにコンセプトが必要だという感じかな。

なるほど、新しいエレメントというところでは、今作では明確にリズムやビートというものが意識されているように思われますが、いかがでしょう。“ノーラン”や“ザ・ティース・ビハインド・キッシーズ”“セカント(scecant)”なんかの、ビートというよりも鉄槌を振り下ろすような打撃の感覚はどこからくるものなんでしょうか。

BF:その3つの曲については、とくに燃料が投下されて燃えあがっていくようなエネルギーが感じられるかもしれないね。ただ、これまでは基本的にリズムを音楽の中心に据えることを避けてきた。というのも、リズムを中心とする音楽にはすごく長い歴史がある──石器時代にさえあっただろうからね。それはものを叩いて音を出して高揚感を得るという古くからあるスタイルであって、だからリズムに頼るというのはもっとも安直な方法のひとつだと思うんだ。
 指摘してくれた3曲については、苦い薬でも砂糖をまぶせば飲めるように、そのまま差し出すと難解すぎるものについて、少し手を加えて咀嚼しやすくしようとした部分があるんだ。そういうガイドとしての役割を果たしているのがこれらの曲におけるリズムだと思うよ。音楽を作るときは、自分自身のために作っているし、自分自身が感動するかどうかを指針にしているから、オーディエンスのことは頭から外している。自分自身が曲作りの中心にいる、リズムの内側に自分自身がいる、それが今回の作品だよ。

リズムの内側に自分がいる……たしかに、外在的なビートではないかもしれませんね。

BF:それに、今回はアルバム全体の長さがやや短いんじゃないかと思う。多くの人はひとつのアルバムの中でアップダウンを作って、息抜きをさせたり長く聴かせるストーリー性を持たせようとしたりするよね。だけど私はそういうのが嫌なんだ。息抜きは聴く前か聴いた後にしてほしい。とにかくアルバムのあいだはぎゅっと凝縮したものでありたいと思う。
 オーロラというのは、じつはひとつの物質なんだ。それをいろんなアングルから見ている。曲によってアングルがちがって、寄りで見ているものがあったり、引きで見ているものがあったりする。でも根本的にはひとつの物体をいろんな角度から見たのがこのアルバムなんだよ。

もしかしたらいま言っていただいたことと重なるかもしれませんが、あなたのフィールド・レコーディングに対するスタンスをおうかがいしたいです。フィールド・レコーディングにおいては「何を」録りたいと思いますか? 素材なのか、感情なのか、土地の文化なのか……。今回は2011年から2013年までの、コンゴやニューヨーク、あるいはアイスランドなどで採音したとのことですね。

BF:いろんな国に行ったんだけれども、フィールド・レコーディングは、その国々を点と点でつないで、隙間を埋めていくようなものだったと思うよ。ドラマ『ツイン・ピークス』の最初のほうの場面で、エージェントのクーパーがダイアンに電話をかけて言うセリフに、とても印象に残っているものがある。「自分の家を離れたら、環境をコントロールする力はそこで100%失われる」──というようなね。でも現代社会においてはもうそうではないような気がするんだ。インターネットがあればいつでもどこにいても友人や家族に連絡できるし、Facebookなんかもそれを手助けよね。それはまるで、自分の環境を連れて世界中を回るようなものだよ。だから、僕自身の世界体験もそうなんだ。コンゴであれどこであれ、そこでした経験はいろいろあって、見たもの聞いたもの味わったものもたくさん存在するけれども、そこにあるものをそのまま反映するという意味でのリアリティを掴み出したいわけではない。そんな究極のリアリズムは持ち合わせていないんだ。もっと、自分なりのリアリティを生み出す手助けになるもの、もしくは自分の中で咀嚼して生み出す新しいリアリティというべきもの、それから、見たままではなくて本来そうあるはずの物事の姿……それを自分の得た経験の中からアダプトしていくというのが、私のフィールド・レコーディングだよ。

なるほど、モバイル・コミュニティというか、人との関係性のなかに世界がすっぽり入ってしまうというか。

BF:ははは、そうだよ。それはとてもコントロール過剰な世界さ。

Mohammad - ele-king

 ある種の「新しい音楽」を聴いていると、リアルな世界崩壊の予感・予兆の聴きとってしまうとの同じくらいに、新時代の「神話」が新しいフィクションとして生成されていくようにも感じられてしまう。2013年にドイツの実験音楽レーベル〈パン〉からリリースされた『ソム・サクリフィス(Som Sakrifis)』が話題を呼んだギリシャ/アテネを拠点とするユニット、モハンマドも私たちをリアル/フィクションの境界線上に立たせてくれる存在である。

 ムハンマドは、ニコス・ヴェリオティスのチェロ(彼はデヴィッド・グラッブスと『ザ・ハームレス・ダスト』というデュオ・アルバムを2005年にリリースしている)、コティ・K.のコントラバス(彼はアテネの実験音楽の中心的人物であり重要エンジニアでもある)、イリオスのオシレーター(サウンド・アーティストとして多くの作品を制作、彼もまた〈パン〉などからアルバムをリリースしている)という編成による3人組のアヴァン・クラシカル/ダーク・アンビエント・ユニットである。そして、その経歴をみてもわかるようにギリシャの実験音楽シーンにおけるキーマンたちによるユニットなのだ。

 その音楽/演奏スタイルは独特である。ユーチューブなどにアップされている映像を観るとわかるのだが、左右に弦、中央にオシレーター担当というシメントリーな配置で演奏しており、その簡素な音響の交錯と相まってミニマリズムを強く喚起させるものだ。しかし同時にその楽曲は痛切なまでにエモーショナルでもある。軋み響くふたつの弦の響きによって、痛み、哀しみ、悲劇、受難が音響化されているような印象なのだ。その印象は、今年2014年に〈アンチフロス〉からリリースされた新作『ゾ・レル・ドゥ』においても変わらない。このアルバムの「悲痛さ」はただごとではない。世界の受難を一身に背負った者(いや世界自身への?)への葬送曲のようである。

 冒頭1曲め“ウルソ・ネスト(Urso Nesto)”はフィールド・レコーディング・トラックだ。まずヨーロッパの民族音楽らしきものも聴こえてくる。牧歌的であり、穏やかで平和な光景が想起される音の記録/記憶だ。
 しかしその平和な音の光景は、続く2曲め“グラーベ(Grabe)”によって、突如、立ち切られる。暴風のような弦の介入弦楽器がノイズ発生機のように軋み、暗く重い旋律が反復する。どこか古楽のような独自の調律が鼓膜を揺らす。
 3曲め“カビラー・メース(Kabilar Mace)”も、硬質な弦のアンサンブルで幕を開ける。まるでディストーションの効いたエレクトリック・ギターのようなチェロによる音響空間。なんという刺激的な音か。
 一転して、4曲め“マリク(Marik)”は静謐なストリングス・アンビエントからはじまる。不安定な揺れを孕んだ弦に、オシレーターから発せられる淡い電子音が重なり、しかし終盤では、またもダイナミック、そして不穏な旋律を弦楽器たちが奏ではじめるのだ。続く5曲め“コウニー・ア・ザワゾ・ヨ(Kounye A Zwazo Yo)”では先の曲を受けるかたちで、空間を切り裂くような旋律/音響の饗宴が展開するだろう。荒れ狂う過酷な冬を思わせる。
 6曲め“サマリナ(Samarina)”ではオシレーターの発する音からはじまり、すぐにチェロとコントラバスがノイジーな音響が発生させ、不安定な旋律を奏でるのだが、しかし、この曲においてある「変化」も聴きとることができる。ほんの少しの希望を感じさせるようなメロディが生まれているのだ。厳しい冬の終わりか、土地を追われた民族の旅の終局か。しかし弦に電子音がこれまで以上に強く絡み合い、この音楽=旅がまだ終わらないことを予感させもする。終盤、狂ったように鳴り響く弦のフリー・ノイズが一瞬鳴りわたり、そこに微かな虫の鳴き声/フィールド・レコーディングの音が重なり、そのままフィールド・レコーディング曲である7曲め“シガル(Sigal)”にシームレスに繋がっていく。
 “シガル(Sigal)”は、一曲めと円環するようなフィールド・レコーディング・トラック 。この曲は4分ほどあり単なる添え物ではない。冒頭のトラックと同じようにアルバムを構成する重要なエレメントである。虫の声ということは夏だろうか。厳しい冬の荒野から真夏への夜へ? ここで、音楽/音響が季節を一気に超えていく感覚が生まれている。このアルバムはトリロジーの1作めだが、続くアルバムへの予感も感じさせる見事な構成ともいえよう。

 クラシカル、ノイズ、ミニマル、ダーク、緊張、不穏、不安。私は、モハンマドのこのような音楽/音響に「ロック」を感じる。ではここにおいてロックとは何か。壊れたブルース=リフによる拘束的/快楽的な音楽の折衷的な生成である。本作において、二つの弦楽器が放出するノイズ・ミニマルな旋律は、まるでエレクリック・ギターのよるロック・リフのようなサウンドを発している。むろん本作にはギターもドラムもヴォーカルも入っていない。ノイジーなチェロとコントラバスと電子音のみ。だがそれゆえ瀕死のロック・ミュージックのようにも聴こえるのである。極限まで痩せ細り、乾いた音響・轟音による最後のロック・ミュージック。〈パン〉よりリリースされた前作『ソム・サクリフィス(Som Sakrifis)』をダイナミックに推し進めた作品といえよう。

 そして何より重要なことは、その瀕死のロック的な音響には、西欧音楽や西洋の時代の「終焉への無意識」が、はっきり刻印されているのである。彼らはギリシャ的な幸福がすでに終焉を迎え、たとえようもないほどの受難の時代を生きていることを実感しているはず。その受難を音楽=ノイズで鳴らしているのではないか。そこに広がっているのは「西洋/西欧の終わり」の寒々とした「冬」の光景だ(グローバリスム以降の極度に洗練された消費社会も「人間の終焉以降」の「冬」の光景といえよう)。
 そして、いまという時代は、そんな不穏さに塗れた猛吹雪のようなノイズが、途轍もなく美しい音として響くのである。前回紹介したリー・ギャンブル『コッチ』とはまったく違う音楽性だが、その「崩壊への予兆と無意識」によって繋がっているようにも思えた(もしくはザ・ボディ『アイ・シャル・ダイ・ヒア』なども、そうだろう)2014年の世界音楽/音響の最新モードが、ここにある。

interview with Dorian Concept - ele-king


Dorian Concept
Joined Ends

Ninja Tune /ビート

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 ドリアン・コンセプトが最初にフィジカルのアルバムを出したのは2009年、オランダの〈Kindred Spirits〉という、当時はビルド・アン・アークやフランシス・モラのリーダー作を出したりと、90年代クラブ・カルチャーとスピリチュアル・ジャズとの接点となりうる作品を出していたことで知られる玄人好みのレーベルからのデビューだった。
 そういえば、〈Kindred Spirits〉は、セオ・パリッシュの力を借りながら、サン・ラー・リヴァイヴァルを促したレーベルでもある。それなりの目利きで、ドリアン・コンセプトは、ほとんど新人に近い存在ながら、マニアが一目置くレーベルから登場し、ジャズに造詣の深いリスナーをも「すごい!」と唸らせた若者だった。
 腕前がすごかった。「朝起きたら、ハムと卵を食べる代わりにコンピュータの前に行くこと」が日課だった、と当時の彼=オリヴァー・トーマス・ジョンソンは話しているが、彼はピアノが上手に弾けるだけの青年ではなかった。彼は、小型のシンセをジェフ・ミルズがターンテーブルを操るように演奏した。つまり、スウィッチ類も、鍵盤である。
 彼はヒップホップのビートも更新した。そもそもビートメイカーの筋から注目された人だった。当時、ウィーン在住の若きベッドルーム・ビートメイカーにとって気になる作品があるとしたら、フライローの『ロサンジェルス』だったのではないだろうか。

 『Joined Ends』は、彼にとってのセカンド・アルバムにあたるが、前作から5年も経っているので、いままでの印象を捨てて向き合ったほうがいい。この作品は、エレクトロニカ・リヴァイヴァルともリンクしているし、同時に彼のバックボーンであるクラシックとスピリチュアル・ジャズ(70年代のひとときの至福な瞬間)の色合いもけっこう出している。『You're Dead!』が動ならこちらは静、『サイロ』がジャングル+IDMならこちらはスピリチュアル・ジャズ+IDM、と喩えられるだろう。メロウで、クラシックの響きもある。さすが音楽の都=ウィーンの人だ。そして、ふだんはドイツ語を話すであろうオリヴァー・トーマス・ジョンソンは、ドイツ人がよく話す素朴で丁寧な英語で答えてくれた。

人間的に成長した結果、ノスタルジックになったりセンチメンタルになったりもします。その一方で、音楽的にも成長して多くの場所へ行けるようにもなりました。なので、今回のアルバムはその異なる感情のミクスチャーだとも言えるでしょう。

いまもウィーンにお住まいですか?

ドリアン・コンセプト(以下、DC):はい、オーストリアのウィーンに住んでいますよ。

すっとウィーンに住んでいるんですか?

DC:3年間ザルツブルグの学校に通っていたとき以外はずっとウィーンに住んでいますね。父親がアメリカ人ですが、僕自身は生まれも育ちもオーストリアです。

引っ越さない理由は、ウィーンという街に特別の愛着があるからですか?

DC:理由はいくつかありますね。ウィーンには家族や友人もいます。10代のころを過ごした場所が自分のホームとなると聞いたことがあるのですが、僕にとってはその街がウィーンです。週末によくライヴをするんですが、街のサイズも大きすぎず小さすぎずで移動しやすく気に入っています。

ウィーンはクラシックの都であり、ヨーロッパの古い文化が残っている街だと思いますが、そういった背景とあなたの音楽には関係があると思いますか?

DC:ウィーンでは一般の学校でもオーストリアのクラシック音楽の歴史が教えられています。さらに僕はピアノのレッスンも受けていたので、その分オーストリアの伝統的な音楽からも影響があると思います。ですが、僕が育った90年代には素晴らしいエレクトロニック・ミュージックがあったので、それらからも影響を受けました。例えば〈メゴ〉のようなレーベルからです。彼らは国際的にも注目を集めていましたが、90年代後期のウィーンではドローン、アシッド・ジャズ、ダウンビートのムーヴメントがありました。クルーター&ドーフマイスターなどをよく聴いたものです。オーストリアには内向的な気質もあるんですが、日本にも似たようものを感じとても落ち着きますね(笑)。

当時〈メゴ〉やクルーダー&ドーフマイスターのような地元のシーンと何か繋がりがあったんですか?

DC:個人的にはUKやアメリカなどの海外のエレクトロニカから強く影響を受けていました。UKの〈ニンジャ・チューン〉や〈ワープ〉、アメリカだと〈ゴーストリー・インターナショナル〉やシカゴの〈ヘフティ〉などです。僕が16歳の頃はまだインターネットがそれほど発達していなかったので、情報源はおもにレコードでした。その情報も曖昧なものだったので、「どうしてコーンウォールのアーティストはこんな音を作るんだろう?」と想像力を働かせていました。当時はそういった海外の音楽のミステリアスな部分に魅せられていましたね。

あなたを有名にしたYouTubeにアップされたコルグのシンセサイザーをジミヘンのように弾く動画は、いま見てもすごいと思います。あれはやはり相当練習したんですか?

DC:あれはかなり自然な流れでやったものです。僕は15歳からジャズ・ピアノを習っていました。マイクロ・コルグを買ったのは20歳のときです。ですがシンセサイザーが欲しかったわけではありません。そのときはザルツブルグとウィーンを往復することが多かったので、持ち運びができるキーボードを探していました。それと同時にライヴで簡単にオクターヴを変更できる機能などが必要だったので、それに応じてテクニックを磨いていたんですよ。

ジェフ・ミルズがターンテーブルでやっていることを、あなたはシンセサイザーでやっているように思えました。

DC:僕はヒップホップ・カルチャーに親しんだ世代でもあります。DMCチャンピオンシップなどもありますが、この文化において競争とは大事な要素のひとつです。テクニックとクリエイティヴィティも求められます。僕はジャズを勉強していたので、その過程で習得した即興性も自分のプロダクションに取り入れています。子供が友だちと競い合いながらビデオ・ゲームを練習していくのと同じですよ。これらは違うジャンルに見えますが、僕なかでは重要な要素です。

まさにそういう意味では、最初のフィジカル・リリースである『ウェン・プラネッツ・エクスプロード』はあなたのテクニックが全面に出ている作品です。それから5年の歳月を経て今作『ジョインド・エンズ』はリリースされました。アーティスト名を聞かされなかったら、あなただとはわからないくらい印象が違うアルバムだと思います。

DC:そうですよね。前作と今作の間で僕は満足に音楽をリリースすることができず、自分の成長や変化をリスナーたちと共有することができませんでした。定期的に作品をリリースすることは大事だと知りましたね。ですから今作までの期間にどういう音楽を作っていたのかをまとめた作品を出すかもしれません。ファースト・アルバムをリリースしたあとの変化はアーティストには付き物ですが、僕にも同じことが起こったんだと思います。

力作だと思います。そういえば、ドリアン・コンセプトとは、ドリアン・スケールから取られた名前ですが、新作のメロディやハーモニーも前作とは違います。また、前作はヒップホップの影響からビートが打ち出されたと思いますが、今作は三拍子の曲があったりとか、ヨーロッパ的なテイストも強く感じました。そう言われて違和感はありますか?

DC:一般的なヨーロッパの芸術や音楽に共通することなんですけど、簡潔性というものを追求している面がありますが、そのシンプルさが衝撃を与えることもあります。今回のアルバムは部屋ではイージー・リスニングのように聴こえるかもしれませんが、ヘッドフォンで聴くといくつものレイヤーが見えてくるような作品にしたいという意図がありました。そういう点で前作とはかなりことなる作品だと思います。

1曲目のシーケンスはとてもミニマルです。アルバムを最初に聴いたとき、2曲目の“アン・リヴァーMN”と4曲目の“クラップ・トラック4”が素晴らしい曲だと思いました。とくに“アン・リヴァーMN”はシンセやリズム、曲のムードから今回のアルバムを象徴しているように思います。

DC:20代になったばかりの頃はミニマリストの反対のマキシマリストだったんですけどね(笑)。その意見は興味深いです。僕も2曲目をとても気に入っています。あなたが言うように、全体の雰囲気から考えて、この曲はアルバムのコアになっていると思うんです。最後の曲も好きな曲です。レーベルと相談しながらアルバムの曲順を決めていきましたが、このプロセスはとても大変だったんですよ。

通訳:この曲名の「MN」はアメリカのミネソタ州のことですか。

DC:はい、そうですね。

なるほど。自身のことをロマンチストだと思いますか?

DC:音楽や映画に関して、僕はロマンチストでしょうね。センチメンタルという言葉が正しいかもしれません。このアルバムを発表するまでの間で、僕は人間的に成長した結果、ノスタルジックになったりセンチメンタルになったりもします。その一方で、音楽的にも成長して多くの場所へ行けるようにもなりました。なので、今回のアルバムはその異なる感情のミクスチャーだとも言えるでしょう。また、映画的な側面も持っているかもしれません。

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スピリットという点では、ジョン・コルトレーンが浮かんできます。彼がモードにスピリチュアルな要素を導入して、それがフリー・ジャズにも繋がっていきますからね。現代のミュージシャンではフライング・ロータスです。コルトレーンとも繋がる自分の家系のバックグラウンドを参照している点でも興味深かいです。

僕はあなたのアルバムを聴いてエモーショナルだと感じました。とくに“クラップ・トラック4”は「喜び」を感じるんでが、いまの話をきいていると感情よりも風景を表現している方が強いんでしょうか?

DC:そういうわけではありません。“クラップ・トラック4”のループを作り終えたあとヘッドフォンでそれを聴いていました。そのときに「このアルバムのテーマはひととの繋がりかもな」とふと頭に浮かびました。アルバム全体を通しては内向的になっているかもしれませんが、4曲目に関しては外に向けたものになっていると思います。今回のアルバムにとって、感情は無視できない要素です。僕はいままでテクニカルなことに重点を置いていたので内向的な部分があったので、今作で自分をもっとオープンにしたかったんです。

あなたに訪れた変化はいろいろとあったと思います。フライング・ロータスやシネマティック・オーケストラなど、多くのミュージシャンとコラボレーションをしたりツアーをしたりしました。前作からの5年でとくにご自身にとっての大きな変化はなんでしたか?

DC:シンプルですが、自然と歳をとっていったことですね。20代後半から30代に入って、人生は繰り返しだと気付き絶望したこともありました。20代よりもあまり興奮を感じなくなったり興味の対象が変化したりもして、そういう発見が自分を変えたと思います。あと、個人的にミュージシャンは30代になったら20代にときと同じことをしてはいけないと思うので、新しい「言語」を身につけるように挑戦したいと思っています。これだけのことを考えさせられたので、やはり歳をとったことは重要ですね(笑)。

クラブ・カルチャーとの距離感をどのように考えていますか?

DC:いまでもとても楽しんでいます。クラブはとても生き生きとしているし、自分の音楽を反映させる場所でもあります。ですが僕はシーンの一部というよりもシーンを追っているタイプの人間です。個人的にはクラブ・カルチャーは自分のホームというよりも、関心を持っている程度なんですよ。ですから、クラブ固有の文脈に自分を当てはめるというよりも、居場所を作っていったほうが性に合っているんです。

初期のあなたには、朝起きるとまずコンピュータに向かったというエピソードがあります。そういったライフスタイルが前作に影響しているとしたら、今作では曲の作り方も変わったんだろうなと思いました。

DC:いまはスタジオを自分の家の外に移しました。誰しも学生時代のときは、部屋に余計な装飾はなくて家具があるだけですよね(笑)。ですがときが来ればいろいろと手を入れてデコレーションをしてみたくなるものです。音楽活動にしても同じことは言えると思います。働く場所を持つことと、帰る場所を持つことは大事なことですよね。家はすべてから距離を取ることができる場所。そして働く場所は、文字通り集中して働くためのもの。僕は朝の8時から仕事をはじめて、夕方6時には家に帰り料理や夕食を楽しむこともあります。昔は典型なベッド・ルーム・プロデューサーだったので、そのための環境と時間があれば十分でしたが、いまはそれを変えることができて嬉しいです。

今回のアルバム・タイトルの『ジョンド・エンズ』にはどんな意味があるのでしょうか?

DC:このタイトルは繰り返しから感情を表現する、ループを基本とする自分の音楽のメタファーなのでしょう。また、終わりを繋げるという意味ではリングを作る職人芸のようなものかもしれません。基本的に即興を頼りにキーボードを弾いて、貯まったサンプルのループを組み合わせていきました。繋げていくという考えは、先ほど述べた人間関係を表しているのかもしれませんね。

今作において、曲のインスピレーションはどんなところからきているのでしょうか?

DC:この作品を作っている間は音楽をあまり聴かないようにしていました。自分で弾いたモチーフが、誰かの真似なんじゃないかと疑ってしまうことがよくあるからです。その代わりに映画をよく観ていました。90年代のもの多く、例えばトーマス・ニューマンが音楽を手掛けた作品などで、彼の手法はミニマリスティックで、ライヒなどの現代音楽家からの影響が明らかです。サム・メンデス監督の『アメリカン・ビューティー』(1999年)で聴くことができる、木琴による三音の繰り返しはまさにその流れを感じますね。意図しなかった音楽的なインスピレーションを映画から貰ったんです。
 さきほど話したヒップホップ文化におけるサンプリングも今回は重要な要素かもしれません。90年代の〈ニンジャ・チューン〉からのリリースでは実験的なサンプリングのメソッドが使われています。例えばセルフ・サンプリングなどです。自分のフレーズをサンプリングする、もしくはサンプリングしているようにみせる手法を使って、古いジャズ・レコードのサウンドを表現したりました。インスピレーション源は90年代の映画とサンプリングのふたつということになりそうですね。

音楽のスタイルではなくて、姿勢やスピリットの面で尊敬するミュージシャンがいたら教えてください。

DC:スピリットという点では、ジョン・コルトレーンが浮かんできます。彼がモードにスピリチュアルな要素を導入して、それがフリー・ジャズにも繋がっていきますからね。
 現代のミュージシャンではフライング・ロータスです。コルトレーンとも繋がる自分の家系のバックグラウンドを参照している点でも興味深かいです。シネマティック・オーケストラのジェイソン・スィンスカーも素晴らしいミュージシャンです。音楽面だけではなく、彼らとは仕事を通して人柄も知れたので人間的にも尊敬できますね。もうひとりはティム・ヘッカーで、僕は彼の大ファンなんです。まだ会ったことはないんですけど、彼のレコードを聴くたびに耳を奪われてしまいますね。
 彼らに共通するのは、決して妥協しないというアーティストとしての素養を持っていることです。尚かつ、妥協ユニークなことに挑戦しても、それが彼らにとっては自然な流れである点も素晴らしいと思います。

マイルスよりもコルトレーンなんですね(笑)?

DC:『ビッチェズ・ブリュー』はあらゆる意味で名作ですよね。でも、僕はどうしてのコルトレーンが好きなんです(笑)。

今回、3拍子の曲が印象的なのは、コルトレーンの影響?

DC:かもしれません。3拍子だけではなく、6拍子の曲もあります。

いつか『ア・ラヴ・シュプリーム』みたいな、大きな作品を作るのかもしれないですね。

DC:いや~、とてもそんなこと……、もしそんなことができれば……、いや、そう言ってくれてありがとう(笑)。

 ロックであれ、アシッド・ハウスであれ、イギリスの音楽に興味を持った人でパイレーツ・ラジオに関心を向けなかった人はいないだろう。たとえばアシッド・ハウスの台風が吹き荒れた際、キュアーのロバート・スミスはバンド活動をおっぽり出してキュアーFMというチャンネルを設け、日夜、DJに明け暮れた(その結果が『ミクスド・アップ』というリミックス・アルバムにつながる)。実際、当時のロンドンにいてラジオを点けるとアンディ・ウェザオールでも誰でも重箱の隅をつつくような選曲で、こんなものがラジオでかかるのかと驚かされたことはいまでもよく覚えている。ラジオは確実にムーヴメントの一部であり、どんなマイナーな音楽でもラジオはオン・エアしつづけた。人気の出たラジオ局はライセンスを取って合法的なチャンネルになったりもした(最近だとリンスFMも合法化された)。

 こうした海賊放送のはじまりが〈ラジオ・キャロライン〉である。1964年に設立され、今年で50周年を迎える……ということは、しかし、インターネットが普及するまでなかなかわからなかった。いまでも雑誌『ラジオライフ』の小さな記事を除いてラジオ・キャロラインについて書かれたものは日本にはなかったからである。海賊放送という呼称だけがイメージを広げていたに等しく、北海に浮かべた船から電波を飛ばせばイギリスの法律を適用されずに好きな音楽がかけられるというロジックが、その語源だった。海賊放送がはじまった当初、イギリスの公共放送ではポピュラー・ミュージックに割り当てられる時間は1日に45分以内と決められていた(あとは要するにクラシック。ダニー・ボイルが演出したロンドン・オリンピックをさして労働階級の文化を世界にさらしたといって非難する声もまだ存在する国ではある)。しかし、誰もがレコードを買えるわけではないし、若い人たちはとくにビートルズやザ・フーをもっと聴きたかった。ラジオ・キャロラインだけでなく、海の上に放送局がどんどんできたのは言うまでもない。ローリング・ストーンズやアニマルズをもっと売りたかった大手のレコード会社が広告費というかたちで費用は捻出していたらしい。

 ラジオ・キャロラインやいくつかのパイレーツ・ステーションが実際に残したエピソードを組み合わせた映画にリチャード・カーティス監督『パイレーツ・ロック』(2009)がある(フィリップ・シーモア・ホフマンやニック・フロストが出演)。ラスト・シーンは明らかにウソだけれど、イギリスの民衆がどれだけパイレーツ・ラジオを必要としていたかということは全編を通してよく伝わってくる。現在、ユーチューブからインディ・レーベルの音源が削除されると聞いても、あそこまで音楽に対する渇望が視聴者の間に起きるとは思えない。実際には海上を通行する船舶の通信を妨害するとして海賊放送の取り締まりは強化され、ラジオ・キャロラインのDJたちは行き場を失い、BBCが新たに設立した「ラジオ1」から後には(PiL『メタル・ボックス』でおなじみ)「ラジオ4」へと彼らはリクルートすることになる。まさに『反逆から様式へ』(ジョージ・メリー)を地で行った展開で はある。

 それにしてもラジオ・キャロラインについて詳しいことや正確なことはまだわかっていない。そこに、いわれてみればなるほどと思いましたけれど、イギリスでラジオ・キャロラインを聴いていたピーター・バラカン氏と、現在、ラジオ・キャロラインのドキュメンタリー映画を制作しているハンス・フェルスタッド氏が11月3日に〈恵比寿ガーデンホール〉で語り合うというのである(いい企画だ!)。謳い文句にいわく「英ラジオを変えた海賊放送局の知られざる事実にせまるレアなセッション」ときた。同プログラムは〈YEBISU MUSIC WEEKEND〉というイヴェントの一環として行われるそうで、もっと早い時間には「岡村詩野×田中宗一郎」による「音楽ライター講座 特別編」とかもあるようです(トーフビーツや大森靖子のライヴもあるらしい)。しかし、この日は先約があってもしかすると僕は行かれないかもしれないので、どなたかイヴェントの内容を録音して海賊放送で流してくれませんか! ……なんて。
(三田格)

■イヴェント詳細
https://musicweekend.jp/lineup/talk-hans-fjellestad-peter-barakan/

■ラジオ・キャロライン
現在はウェブ・サイトとして続いている。
https://www.radiocaroline.co.uk/#home.html


alt-J - ele-king

 2012年のマーキュリー・プライズを受賞したalt-J。というのが彼らのレヴューの普遍的なオープニング文のようだが、ele-king的にいえば、2012年ele-kingベストアルバム・ランキングで16位。わたし個人のリストでは2位だったalt-Jのデビュー・アルバム『An Awesome Wave』に次ぐ2作目が『This Is All Yours』だ。
 あれ? ほんでわたし1位は何にしてたんだっけ。と見てみると、パンク母ちゃんだのロックばばあだの言われているわりには、1位はジャズ系じゃん。と気づいたが、やっぱそれはロック系よりそっち側の人たちのほうが全然おもしろかったからだろう。
 が、alt-Jは相変わらずクールだ。彼らはジャズに負けてない。

              ******

 だいたい日本の地名を曲の題名にするにしても、彼らは“Nara”だ。京都でも、大阪でも、神戸ですらない。緑の芝の上で鹿が寝そべっている日本の古都、奈良を背景に、ジョー・ニューマンが「ハレルヤ、ハレルヤ」と独特のとぼけた哀愁のある声で歌う。フォーク・ステップと呼ばれるサウンドを生んだバンドの面目躍如といったところだろう。実際、2曲目“Arriving Nara”と3曲目“Nara”から、最終曲“Leaving Nara”まで、どうやら本作のalt-Jは、全編を通じて奈良を散策しているらしい。
 ギターの音が前面に躍り出て、ピアノ、フルート、鐘の音などが印象的に散りばめられている本作は、フォーク・ステップのフォークの部分が前作より遥かに強くなっている。よって前作の独特のアーバン・ギーク感は希薄になっているが、聴いているとサウンドから脳内に立ち上がる光景がやけに広がるようになった。というか、リスナーの意識が広がるというべきか。Alt-Jは本作で「マッシュルーム・ステップ」に移行した。と言う人がいるのも頷ける。チル。と呼んでしまうには、なんかこの眼前に広がる森林はドラッギーでいかがわしい。
 
 歌詞もまた、相変わらず淫猥である。

ハレルヤ、ボヴェイ、アラバマ
他の誰とも違う男と 僕は結婚する“Nara”

 アルバムの初頭では、同性愛婚を違法としているアラバマ州や共和党の創設者の1人ボヴェイの名を出したりして、芝に寝そべる鹿を眺めながらホモフォビアについて思索しているようだ。が、奈良を去る頃には

ハレルヤ、ボヴェイ、アラバマ
僕は恋人のたてがみの中に深く手を埋める“Leaving Nara”

 と想いはしっかり遂げたようだし、

女性の中に転がり入る猫のようにあなたの中に侵入したい
あなたをひっくり返してポテトチップスの袋みたいに舐めたい “Every Other Freckle”

 に至ってはもう、いったい彼らは奈良で何をしているのか。
 おタクのセクシネスが濡れぼそった森林の中から立ち昇るようではないか。
 音楽的な実験性いう点で、彼らはよくレディオヘッドと比較される。『ピッチフォーク』に至っては「レディオヘッドの2番煎じ。ギターとコンピュータが好きなUKバンド」などと乱暴に決めつけているが、わたしに言わせれば両者は似ても似つかぬ別物だ。
 alt-Jには、独りよがりではない、コミュニケイト可能な官能性があるからである。
 「ギターとコンピュータが好きなUKバンド」と『ピッチフォーク』が呼ぶジャンルの音楽、即ちナード・ロックを大人も聴けるセクシーな音楽にしたのはalt-Jである。

alt-Jの音楽は70年代のプログレッシヴ・ロックともよく比較される。が、わたしにとってプログレとalt-Jもまったくの別物だ。alt-Jの醒めた目で細部までコントロールし尽くしたサウンドは、自己耽溺性の強いプログレとは異質のものだからである。
前衛的インディー・ロックをすっきり理性的なポップ・ミュージックにしたのもalt-Jなのである。
 今年のUKロックは団子レース状態で似たりよったりゴロゴロ転がっていた。としか言いようがない。が、わたしはalt-Jには大きな期待を寄せている。
 セクシーさというのは、知性ではなく、理性のことだな。と最近とみに思うからだ。
 そして蛇足ながら、『ピッチフォーク』の評価とUK国内での評価が極端に違うUKバンドや個人ほど見どころがある。ということはもう広く知られていることだろう。

interview with Shin Sasakubo + Dai Fujikura - ele-king

 現代音楽という、「芸術音楽」の最前衛の世界で活躍する藤倉大は、これまでに数々の受賞経験を持ち、現代音楽界の巨匠であるピエール・ブーレーズにも認められた、現在の日本を代表する作曲家のひとりである。かたや笹久保伸は、ペルーでアンデス音楽を習得し、帰国してからは「秩父前衛派」なるユニットを立ち上げ、昨今盛り上がりつつある秩父における芸術運動に先鞭をつけるギタリストだ。このまったく出自の異なるふたりを結びつけたのは、音楽に対する態度、すなわち「売れるもの」をまるで忘れて音楽に没頭してしまうという姿勢に、共振するものがあったからだという。ロンドン在住の藤倉と秩父在住の笹久保が、一度も顔を合わせることなく『マナヤチャナ』を完成させ、そしてついに対面を果たした。このインタヴューが行われたのは10月10日であるが、その前日に、ふたりは初めて「出会った」のである。


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■笹久保伸+藤倉大『マナヤチャナ』
作曲家、ギタリスト、映画監督として活動する笹久保伸と、イギリスを拠点に活動する作曲家、藤倉大。フェイスブックで出会ったというふたりが、それぞれ秩父とロンドンからデータを送りあって制作したというサウンド・インスタレーション作『マナヤチャナ(未知のもの)』が本年9月にリリースされた。笹久保がギターのサンプルを藤倉に送り、それにエレクトロニクス処理を藤倉が加えて笹久保に戻し、それをもとにさらに笹久保がパーツを録音して送り……という作業の果てに生まれた9曲にはケチュア語の曲名がつけられ、ワールド・ミュージックにジャズやポップスが溶け合いながら、エレクトロニカやアンビエントとしても楽しめる異色の作品となっている。

『マナヤチャナ』みたいなお金にならない制作をやっちゃったりとかしているけど、そういうことをする人はあまりいないんですよね。だから僕たちは似ているなって思ったんです。(藤倉)

おふたりが実際にお会いしたのは昨日が初めてなんですよね?

藤倉:そうです。

笹久保:昨日初めて直接会って、声も聞きました。電話すらしたことなかったので。

対面してどう思われましたか?

笹久保:Facebookでずっとやりとりをしていたのと、お互いの音楽を通じて人柄はわかっていたので、予想通りといいますか。べつに予想も何もしてなかったですけど。そのままでしたね。

藤倉:音楽って自分のDNAが紛れ込んでいるというか、本質を見せちゃうものなので、自分を隠せませんからね。どういう人なのかっていうのは、そういう面で僕もわかっていました。

『マナヤチャナ』は、Facebookで笹久保さんが藤倉さんに声をかけるところから制作がはじまったんですよね?

笹久保:そうですね。ただ、制作をはじめるために声をかけたわけじゃないです。藤倉さんがこれまでに作曲したギターの曲は“Sparks”というものしかなくて。それはクラシック・ギター・ソロのための曲なんですけど、1分くらいのすごく短い曲なんですよ。だから他にギターのための曲はないのかなと思って、今年の2月ぐらいにFacebookで問い合わせてみたんですよ。新曲があるのかないのか。もしくは新曲はどういうふうに、どんな経緯で依頼したら書いていただけるのかとか。

“Sparks”は、デレク・ベイリーふうのハーモニクスからはじまって、でもそのいわば乱雑なフレーズが繰り返されるという、緻密に構造化された楽曲ですよね。笹久保さんは“Sparks”を聴いてどう思われましたか?

笹久保:あの曲はおもしろいんですけど、すごく短い。たとえばコンサートの中でどのような扱いで弾くかっていうのが難しいんですよ。「これが藤倉大の曲だ!」って提示するには難しい。藤倉さんもあれは自分の作品をつくるというか、ギャラがない仕事で頼まれて作ったんですよね?

藤倉:そう、チャリティーだからね。

笹久保:だから、藤倉大のギター音楽のエッセンスがすごく凝縮されて入っている1分というわけでもないだろうなと僕は思ったんですよ。あれを聴いて。曲はおもしろいんですけどね。

演奏時間の長い“Sparks”的なものを求めたということですか?

笹久保:“Sparks”っぽくても、全然関係なくてもいいですけど、ギターのための作品で気合を入れて書いたものがあったらすごくいいなと思ったんですよ。まぁ、誰しもがそう思っているんじゃないでしょうか。でも、そこでもし仮にそういうギター曲がすでにあったなら『マナヤチャナ』はやってないんですよね。

藤倉:だろうね。

笹久保:だから、よかったな、とも思いますけどね。

藤倉:そうかもしれない。

笹久保:ギター曲があったら「あ、じゃあこれ弾いといて」みたいな(笑)。

藤倉:「はい、これ」って言って(笑)。

笹久保:2000円で買ったりして。「ありがとうございます」って言って終わっていたと思いますね。

藤倉:いやいや、もう、あげますよ。

藤倉さんはそこで笹久保さんのためにギター曲を書こうとは思わなかったんですか?

藤倉:いや、そう思ったんですよ。でも……。

笹久保:こういう国際的に活動している作曲家に、パッと曲を書いてくれと言ったからといって、書いてもらえるわけじゃないんですよ。それは所属している事務所のこととか、さまざまな問題がある。

藤倉:笹久保くんに限らず、そうやって言われたら、委嘱をしてくれる場所とそれを初演する音楽祭とかいろんなところをあたってみようってことになるんですよ。助成金の申請なんかもして、だいたい1、2年。クラシック音楽の世界って2年先までロックされていることが普通なんで。いま僕が進めている仕事の話は2016年か2017年のものですね。2015年なんてもう全部決まっていますから。ほんとに時間がかかるんですよ。

笹久保:僕はその当時、まぁ今年の2月ですけど、そのころコンサートイマジンっていう事務所にいまして、藤倉さんは別の事務所にいて。ギター曲を書いていただくとなると、個人的にできるような規模じゃないから、事務所同士が協力して、藤倉さんに委嘱して、海外のフェスティバルなり特別なコンサートなりでブッキングしなければならない。そうやってお金を発生させて、藤倉さんには委嘱費がいくし、僕にもギャラがいくと。そういうことができるかどうかを相談していた翌日に、僕が事務所を辞めまして。それはただ辞めただけなんですけど、それでその話は成立しなくなってしまった。

藤倉:びっくりだよね。Facebookで「辞めます」って言うから。「え!?」みたいな(笑)。

笹久保:そうそう。だからそこで委嘱するっていう話は終わって。でも「なんかできるんじゃないの?」って藤倉さんが言ってくださって、じゃあとりあえず15秒ぐらいのサンプル音源でも送ってなんかはじめようってなったんですよ。


委嘱するっていう話は終わって。でも「なんかできるんじゃないの?」って藤倉さんが言ってくださって、じゃあとりあえず15秒ぐらいのサンプル音源でも送ってなんかはじめようってなったんですよ。(笹久保)

藤倉:笹久保くんはギタリストであるだけじゃなくて、生活を切り詰めて、レーベルの運営もしている(CHICHIBU LABEL https://www.ahora-tyo.com/)。僕もそうなんですよ。身を削りながらレーベルの運営もしているし。だからお互いに似ているなって思った。やっぱり自分の生活を音楽のまえに置かない人ってけっこう多いんですよ。インタヴューで綺麗なこと言ってても、実際は。

笹久保:じつは音楽優先じゃないってことですよね?

藤倉:うん。だから僕なんかは、笹久保くんも話をきくとそうみたいなんですけど、来月の家賃とかどうなるかわかんないなって思いつつ、『マナヤチャナ』みたいなお金にならない制作をやっちゃったりとかしているけど、そういうことをする人はあまりいないんですよね。すごい高いクルマとか乗ってるのに。だからそういうことしない人が多い中で、僕たちは似ているなって思ったんです。『マナヤチャナ』なんかは誰かが依頼しているわけじゃないですから。1ヶ月かけて作ったんですよね?

笹久保:そうですね。

藤倉:できちゃったんですよ。

笹久保:もちろん1ヶ月で終わらせるつもりじゃなかったんですけどね。

藤倉:合間にやるってことですよ。

笹久保:仕事の合間にちょっとずつやっていって、いつかアルバム1枚分ぐらいになったら、どこか、まぁ自分たちで出そうかって言っていたんですよ。

アルバム・リリースをするために作ったのではなく、気づいたらそれだけの量ができてしまっていたということですか?

藤倉:そうですね。アルバムみたいになっちゃったからね。笹久保くんが秩父でやっているレーベルはCDを作っていて、僕のレーベルはデジタル配信だけなんですよ。でも世界配信。だからもし自分たちで出すのであれば、盤は〈CHICHIBU〉で作って、僕はデジタル配信をやればいい。

笹久保:3秒ぐらいで話が終わりますよね。

藤倉:ビジネス・ミーティング3秒で終わる、みたいな(笑)。

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強いて言えば藤倉さんがやったことは全部狙ってやっていますよね。考えて作っている。そういう意味では、逆に僕がやっていることは何も狙っていないと言えるかもしれない。(笹久保)

『マナヤチャナ』では、ギターにプリパレーションを施していたり、調弦を変則的なものにしたり、素材の段階からさまざまな試みがなされていますよね。

笹久保:プリペアド・ギターはかなり考えて弾いたんですよ、じつは。ジョン・ケージみたいにどこに何を置いたらどんな音がするのか、メモしながらやったわけじゃないですけど。あと素材は多ければ多いほどいいだろうなとは思いました。あとで何かをする上でも選べるじゃないですか。

藤倉:僕の選択肢は多くなるからね。

笹久保:そういう意味で素材のヴァリエーションを豊富にしたほうがいいとは思いました。でもそれよりも、それ以前に、僕が出したい音っていうのがあって、それをいろんなパターンで録音したってことですよね。

藤倉:断片ですよ。たくさんの断片。

笹久保:僕が録音した素材を使って藤倉さんが何をするのかは、その時点ではどうでもよかったっていうことなんですよね。自分にできることをまずやった。僕がいちばん最初に録音したわけですからね。

藤倉:もうほんとに盛りだくさんだったよね。

笹久保:ものすごい量の音源を送ったんですよ。そこから藤倉さんがどんどん引き算して。たとえば僕が2時間の音源を送ったとしたら、藤倉さんはその中の3秒ぐらいを使って、引き伸ばしたりしながら加工していく。

藤倉:たとえばその中のひとつの、プリペアドしたときのギターの音を聴いたときに、笹久保くんが普通のギターで弾いているサウンドを、まぁ古典的な手法ですけど、リングモジュレーターとかに入れたら、プリペアド・ギターと同じような音が出るだろうなって思ったりしたんですよ。それでいろんなサンプルを作っていった。音源をね、1音ずつ。それを組み合わせてやると、プリペアドしているのかエレクトロニクスの音なのかわからないようなトラックができあがる。

素材の音なのか加工された音なのか、聴き手が混乱してしまうようなことを、狙って作っていったということですか?

藤倉:もちろん。

笹久保:強いて言えば藤倉さんがやったことは全部狙ってやっていますよね。考えて作っている。そういう意味では、逆に僕がやっていることは何も狙っていないと言えるかもしれない。

藤倉:あぁ、そうだよね。

笹久保:藤倉さんは僕が録った素材をもとに作曲をしているわけですから。

藤倉:素材を聴いたときに、作曲する手法だとか使うソフトとかが一気に思い浮かぶんですよ。「あ、これだ!」って。

笹久保:リミックス・アルバムとかありますけど、たとえば誰かが演奏したものにビートをつけてとか、ちょっと加工してみたいな、そういうのとはぜんぜんちがうものですよね。あと人によってはシンセサイザーの音を重ねているんじゃないかって言いますけど、このアルバムに入っているすべての音が僕のギターをもとに作られている。歌は別ですけどね。

藤倉:もとからある音色をそのまま使ったりしているわけじゃないんですよ。すべてギターから作っているわけですから。ほわ~っていう音もギターなんですよ。


リミックス・アルバムとかありますけど、たとえば誰かが演奏したものにビートをつけてとか、ちょっと加工してみたいな、そういうのとはぜんぜんちがうものですよね。(笹久保)

それはもう現代音楽の、電子音楽のスピリットですよね。(藤倉)

編集的な態度というよりも、作曲家的な態度で音を置いていったということですか?

藤倉:編集っていうようなものじゃないですよね。笹久保くんが普通に弾いているフレーズとかでも、1音だけとったりするわけですから。1音どころか、波形にしてハーモニクスの上の部分だけを取り出してループさせたりとか。それで10秒ぐらいになったのを、またちがうエフェクトで加工したり、それをさらに引き伸ばしたり。それはもう現代音楽の、電子音楽のスピリットですよね。ポップスの人たちが編集する感覚とはちがいますね。

そこにまた笹久保さんがギターを重ねていったんですよね? それは音源を聴いて、音に合うように考えてギターを弾いたんですか?

笹久保:考えてないですね。ほとんど録り直しとかしないで、聴きながらぱぱって、即興的にやっていったんですよ。

藤倉:弾く前にバッキング・トラックは聴いてんの?

笹久保:聴かないでやっていたかもしれないですね。

直接会うことなく、インターネットを通じて音楽制作を行うことに利点あるいは欠点があるとすれば、それはどのようなものだと思いますか?

藤倉:欠点なんかないんじゃない?

笹久保:まぁ、たまたまこういう方法になっただけですよね。

藤倉:うん、だって僕がもし秩父に住んでいたら、普通に会って録音していたよね。というか会う会わないっていうことはあんまり重要じゃないんじゃないですか?

笹久保:藤倉さんが日本にいてもメールでやっていたかもしれないですよね。

藤倉:そうそう。直接会う必然性が感じられなければそうなるよね。そっちで録音したものを送ればいいだけだし。ただ、会っていっしょにやったりしていたらよくなかったかもしれない。なんでかというと、その時間に僕はそういうモードじゃないかもしれないし、笹久保くんもそうかもしれないから。

笹久保:そうですね。

藤倉:べつに締め切りがあるわけでもないし、さっきも言ったように誰にも頼まれていないアルバムなので、できるときにやればいい。だから笹久保くんに大きな仕事がきて、あと2ヶ月できませんって言われてもべつに問題なかったし。他にやることもあるわけだからさ、笹久保くんも僕も。だからその合間にやったっていうことですよ。ただ、膨大な時間を無収入のプロジェクトにかけて来月大丈夫なの? っていうのはありましたね。うちの奥さんとかはすごく心配していたけど。

制作においてとくに気をつけたことはありましたか?

藤倉:引き算的な発想って言ったらいいんですかね。デイヴィッド・シルヴィアンのようなポップスの人たちと共同作業を行って思ったんですけど、クラシック音楽の世界とポップスの世界ってぜんぜんちがうんですよ。ポップスの人たちは足し算的な発想で物事を進めていく。そういう音楽はすごくシンプルなんですけど、僕はそういうところから来てなくて。僕にとってはそうやって足すのは邪道なんですよ。たくさんの素材からご馳走を作るんじゃなくて、たとえば一本のニンジンからご馳走を生み出すようなところに、創作があると思っているんです。だから素材であるギターの音にこだわったっていうのはありますね。それで絶対に全部やるっていう。笹久保くんの音楽をリミックスする、という感覚とはまったくちがう。


たくさんの素材からご馳走を作るんじゃなくて、たとえば一本のニンジンからご馳走を生み出すようなところに、創作があると思っているんです。だから素材であるギターの音にこだわったっていうのはありますね。(藤倉)

笹久保:ぜんぜんリミックスじゃないですよね。

藤倉:このアルバムのどこを僕が作っていて、どこを笹久保くんが作っているのか、っていうのはわかんないよね。

笹久保:作業の量から言ったら、僕が10%で、藤倉さんが90%っていう感じですけどね。

藤倉:そんなことないよ(笑)。作業の方向性がちがうし。なんというか、たとえばコラボレーションで誰かが楽器を弾いて、もう一人がエレクトロニクスを乗せたとか、そういう感じではないんですよね。お互いの作業がもっと複雑に絡み合っている。一回弾いてそれを渡して、もう一人が加工してそれで意見言うってわけじゃないですから。だって笹久保くんはまた弾かなきゃならないから。それで僕のところにまた返ってくる。だから本当の意味でのコラボレーションですよ、これって。

笹久保:そうですね。

藤倉:あと誰かとコラボレーションするときって、やっぱり「これ俺のアルバムだから」とか言う人がいるわけですよ。最終的にはその人に従わなければならない。でも僕らの場合はそういうんじゃなくて、音遊び以外のなにもなかったですよね。

笹久保:はい。

藤倉:べつに出さなくてもいいわけだし。

笹久保:なんか自分のアルバムって主張する必要もなかったし。

藤倉:だって笹久保くんは他で自分のアルバムを作っているじゃない。僕も他のところで自分の作曲をやっているんで、自分の色がもっと出ないとダメだとかそういうのはぜんぜんなかったですよね。

笹久保:なかったですね。そういうことはどうでもよかったですね。

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笹久保くんの南米的なバックグラウンドとかを学べたらいいなと思って。最初に笹久保くんから送られてきた素材には南米のものはなかったんですよ。まったく。(藤倉)

仕事として依頼されたわけでもないのに、笹久保さんとコラボレーションをすることの魅力というのは、どのような部分にあると思いますか?

藤倉:僕も笹久保くんも一人で曲を作れるんですよ。誰かに手伝ってもらう必要もないんです。なのにわざわざコラボレーションをするのは、相手から学ぶことがあるからですね。それがないと、時間の無駄だと思ってしまう。他に書かなきゃいけない曲がたくさんあって、それは僕の生活にかかっているんですよ。家賃とか。だからそっちを早く終わらせて楽譜を送るっていうのが普通なんですけど、今回のようなコラボレーションがあると、そうしたことが1ヶ月停止状態になるわけじゃないですか。それでもやりたいと思ったのは、笹久保くんの南米的なバックグラウンドとかを学べたらいいなと思って。最終的には学べたんですけど、最初に笹久保くんから送られてきた素材には南米のものはなかったんですよ。まったく。なんでないんだよって思って、笹久保くんが弾いたやつの断片をループさせて南米っぽいトラックを作った。笹久保くんに「南米っぽく弾いてください」って言ったら指示したことになっちゃいますから、嫌じゃないですか。仕事じゃないオアシスの音楽なのに、指示されたくないじゃん。

笹久保:う~ん。僕はべつに指示されてもよかったですよ。

藤倉:あぁ、そうなの?

笹久保:指示されればそれに答えてやってみようかなって。

藤倉:でもどっちも何も言わなかったんですよ。笹久保くんも僕に対して指示したりしないし。

笹久保:こういう反応が来たから、こういうふうに重ねてみようかなって思うようになるわけですよ。

藤倉:でもびっくりしたでしょ?

笹久保:そうですね。送られてきた音源を聴いたとき、ロンドンで別のギタリストに頼んで弾かせてんのかなっていうふうに思ったんですよ。僕が弾いたのとまったくちがったから。ビートができてて。なんだこれと思って。

送られてきた音源を聴いたとき、ロンドンで別のギタリストに頼んで弾かせてんのかなっていうふうに思ったんですよ。僕が弾いたのとまったくちがったから。(笹久保)

藤倉:音源データのファイル名もべつに何も書いてなかったからね。そういうふうに作っていったので、笹久保くんがさらに重ねて送ってきた音源からも、すごく自由な感じはしましたね。そこでの南米的なリズムの揺れとかは学ぶことが多かったですね。あと、統一されたアルバムは作らないようにしようとは思っていたんですよ。1曲めの“マナヤチャナ”って、すごいアンビエントな感じじゃないですか。それを知り合いに聴かせたら、その感じでアルバム1枚できたらいいよねって言われたりして。そう言われたら反対のことしようかなって思って、終わりはぜんぜんちがう感じのアルバムになればいいなと思って。

笹久保:ギターっていう統一性だけですよね。

藤倉:イルマ・オスノさんなんかはいきなり入ってくるし。

笹久保:そうですね、なんの前触れもなく、パッと。

藤倉:そうそう、歌の曲には絶対したくないとも思っていました。またポップスの話なんですけど、ポップスって歌手の声がすごくでかいし、いつもフロントにいるじゃないですか。以前ノルウェーのジャズの人たち、アルヴェ・ヘンリクセンとかとコラボしたときに、女性の声も入っていたんですよ。『マナヤチャナ』と同じようにファイルの交換で作っていったんですけど、その歌手の声をちょっと右にずらしたんですよ。中心じゃなくて。そしたらみんなすごい騒ぎ出して、声は絶対に中心じゃないとダメって。え、なんで? って思った。僕にとって声ってたんなる楽器のひとつなんで。クラリネットの代わりみたいな。でもポップスの人たちにとっては、声が命みたいなことが多いんですよね。僕はぜんぜんそういう重要性を感じられないので。

笹久保:あと、デイヴィッド・シルヴィアンに、藤倉さんの音楽とイルマ・オスノさんのヴォーカルは合わないって言われたんですよね。

藤倉:そう、そう言われたらムカつくから、入れたいなと思うじゃないですか。デイヴィッドと僕はものすごく仲良いんですけどね、彼に限らず誰かに何か言われたら反対のことをしようって僕はいつも思うんで、なんとしてもイルマさんの声は入れたかった。


あと、デイヴィッド・シルヴィアンに、藤倉さんの音楽とイルマ・オスノさんのヴォーカルは合わないって言われたんですよね。(笹久保)

そう、そう言われたらムカつくから、入れたいなと思うじゃないですか。(藤倉)

イルマ・オスノさんはケチュア語を話す方ですが、『マナヤチャナ』に収録されている楽曲はすべてケチュア語で題名がついていますよね。テーマに基づいて楽曲を制作されたんですか?

笹久保:曲名はトラックがぜんぶできた後につけました。僕は最初、英語とかにしたほうがより多くの人に曲のニュアンスが伝わるかなと思ったんですけど。

藤倉:あと〈ソニー〉ですからね。

笹久保:そう、曲名つけたときはもう最後の段階だったので、ソニーから出るってことは決まっていて。せっかく大手からリリースされるし、変なことしたら出ないかもしれないって思ったんですけど、そしたら藤倉さんがせっかくだからとかまた言いはじめて、ぜんぶケチュア語に──アンデスのインディヘナの部族ですけど、ケチュア族のケチュア語でぜんぶやろうって(笑)。よくこれが通ったなとは思いますけど、でもそこには藤倉さんの挑戦があったんですよね。

藤倉:そう、どこまで本気なのかなって思って。ソニーの杉田さんは音楽家でもありますからそういうのわかっているんですけど、大手って僕が想像するに、杉田さんの上にいろんな人たちがいるんじゃないかと思ったんですよ。

笹久保:いるんですよ。

藤倉:音楽的なことじゃなくて、テクニカルなことで最終的にリリースされなくなる可能性も考えたんです。だから本気で出していただけるのかなっていうのを試そうとも思いまして、じゃあ、せっかくだしぜんぶケチュア語でやろうっていうふうに提案したんですよ。

笹久保:1曲でも省いてくれとか言われたら、もう自分たちで出そうって言っていましたね。

藤倉:あと、発売までに時間がかかるのも嫌だなと思って。大手だからと言っても、1年かそこら出なかったりするとね。僕たちのレーベルはまったく規模がちがいますし、もし自分たちで出したらインタヴューなんかあるわけないっていうのはわかっているんですけど、でも出すっていうことであればすぐに出せるので。そうやって素早く出せますかって訊いたら、杉田さんができるって言って、やってくださったんで。6月にできて9月に発売ですから、3ヶ月ちょっとですよ。

笹久保:変にまたアカデミズムっぽいタイトルにしなかったのはよかったですよね。

藤倉:あぁ、そんなの絶対やだよ。

笹久保:“Flagment 1”とか。

藤倉:うわぁ(笑)。

笹久保:“Flagment 1B”とか。

藤倉:やめてほしいそれ(笑)。僕そういう世界にいるので。

笹久保:“Flagment 1+”。

藤倉:う~ん、嫌ですよねぇ。そういうのばっかり書く人たちがいるから。

やっぱりそういう世界とは別のものとして出したかったんですか?

藤倉:もちろん。そっちの世界にいるわけですから。まぁ僕はそういうことやらないですけど、そういう人たちの間でやってるんで。そんなの休暇に会社行くようなもんですよ。たぶん。会社員勤めたことないからわかんないですけど。そんなことしないじゃないですか。せっかく休日があるんだったら行ったことないところとか、いつも行きたくても行けないところに行こうとするじゃないですか。

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苦手なものには惹かれます。苦手な曲とか。(藤倉)

現代音楽の流れをブーレーズ的な前衛音楽とケージ的な実験音楽に分ける考え方ってあるじゃないですか。藤倉さんはブーレーズからの影響のほうが強いと思いますが、笹久保さんが即興的に重ねた音だとか、偶発的に紛れ込んだ響きっていうのは、やはりぜんぶ統括しようとする感じで制作していったんですか?

藤倉:ある意味まったくコントロールできないものを使っていても、最終的には僕がコントロールできるわけですよね。ゴダールの映画みたいな感じで。あれは即興させてんのか知らないですけど、ぜんぶ自由とは言えない中で、でも編集は彼がやる。それとちょっと似ているのかもしれません。ただ、苦手なものには惹かれます。苦手な曲とか。ジョン・ケージも好きになろうとしていて。僕には「苦手な曲を好きになろう月間」っていうのがあるんですよ。その中でジョン・ケージもいくつかやりまして、まぁ、まだ完璧に大好きってわけじゃないですけど。

藤倉さんの音楽に対する思想がケージのそれと対立するのではなくて、苦手ということですか?

藤倉:そうですね、対立するということもあるのですが、音楽的にちょっと苦手な部分がありますね。あったんですけど、でも好きになろうと努力して、いくつかちょっと好きにはなってきましたね。「苦手な曲を好きになろう月間」はこれからも続けていこうと思います。

いまは何を克服しようとされていますか?

藤倉:いまはブルックナー。やっと好きになれたんですよ。あとハイドンとかシューベルトも僕は苦手なので、それもいつか克服したいなと。好きな音楽はもともと好きだからほっといてもいいじゃないですか。でも嫌いなものは僕の問題であって、その音楽の問題じゃないことが多いので、とくにケージみたいに古典になると。そしてその音楽を聴いて発見することは必ずあるはずですし。でも日本で妙にケージを持ち上げる風潮は嫌だなって思いますけどね。
 あと、ポップスで、みんながそうだとは言いませんが、たいして知らないのにシュトックハウゼンとかケージに影響を受けたっていう人いるじゃないですか。そういうふうに見栄を張るためじゃなくて、苦手な作曲家を好きになろうとしています。一昨年ケージの生誕100年祭があったんですけど、そこで僕、曲を書いているんですよ。BBCプロムスから委嘱されて。そのときにケージの本もいろいろ読んだりして、前よりも好きになりましたね。だから自分が快適じゃない状況に持っていこうっていうのが僕にはあるんだと思います。わざと苦手な状況で曲作りしたいなって。それもあってコラボレーションですよ。一人でもできるのに。

自分の世界を崩すというか、押し広げるというか、いわばノイズのような存在として笹久保さんがいると。

藤倉:そうですね。あと学ぶことですね。本を読んで学ぶことももちろんありますけど、音楽から学ぶのがいちばん早いですからね。

偶然性を音楽に取り入れるということと、即興的に音楽を演奏することのちがいはなんだと思われますか?

藤倉:……練習しなくていい。

笹久保:(笑)

藤倉:即興は練習しなくていい。でも偶然性っていっても、ケージ的な偶然ってマイクのフィードバックとかですから。本当の事故的なものをぜんぶ取り入れるものだと思うので。ぜんぜんちがうものだと思いますね。ただ僕はそういうのも好きになってきています。そういう音楽を作りたいかどうかはわかんないですけど。

実演するつもりじゃなかったんですよね。実演なんてできるわけないですし。(笹久保)

録音物は基本的には必然的でしかありませんが、ライヴには必ず偶然的な要素が介入してきますよね。それは音楽にとって良いものだと思いますか?

笹久保:良いものというか、絶対にそうなりますよね。

藤倉:間違いがない演奏を聴きにきているお客さんがいるわけでもないと思うんですよ。間違いがあってもすごい迫力のあるオーケストラのコンサートを聴きたい人も多いでしょうし。そういう意味で言うと、ライヴで演奏されたクラシック音楽の録音物をリリースすべきかどうかというのは、議論が分かれるところだと思います。ラジオ放送はいいですよ。記録ですから。でも作品として出すっていうのはどうなんでしょうね。スタジオ録音と生の演奏だと、演奏者としては目指すものがちがうと思うんですよ。だからライヴでの演奏を繰り返し聴かれるっていうのはどうなんでしょう、まぁわかんないですけどね。

今日これからお二人の初ライヴがあるわけですが、それが録音されて世に出されたとしたら、それは目指しているものとちがうということですか?
藤倉:ぜんぜんちがいますよね。

笹久保:そうですね。

ちなみに今日のライヴはどのようなものにしようと思っていますか?

藤倉:僕たちもわからない、聴いてないから。

笹久保:実演するつもりじゃなかったんですよね。実演なんてできるわけないですし。藤倉さんが僕の音楽をバラバラにして繋げているわけじゃないですか。もうパズルみたいなもんですよ。僕の音ではありますけど、弾けるわけないじゃないですか、そんなの(笑)。それをちゃんと弾くとしたら、紙に書いて同じように弾くしかないですけど、アルバムと同じことをやることに意味はないですから。だからパフォーマンスでやるときは、藤倉さんが素材として作り上げたバッキング・トラックを使いながら、二人で実際に演奏する、っていう感じですかね。

藤倉:まぁ、どうなるかわかんないよね。だって知らないもんこの人、会ったばっかりだから(笑)。

笹久保:僕も知らないですよ、昨日会ったばっかりなんですから(笑)。

今後もコラボレーションしていく予定はありますか?

藤倉:そうやって訊かれると、もう、作んなきゃって感じですよね(笑)。でも何か作るんじゃないですかね。

笹久保:作りますよ。

手塚治虫記念館で「忌野清志郎展」 - ele-king

 クラブで会うような若い人に忌野清志郎が誰かを説明しなければならない時代になってしまった。クラブ・クラシックスでさえ、あまり聴かれていな いんだから、それはそうかと思うしかないのかもしれないし、自分だって若い時は目の前の音楽しか聴かなかった。それこそ忌野清志郎のラジオ番組で構成をやらせてもらえることになり、知らないとは言えずにロックの古典を聴き始めなければどうにも痩せた音楽観しか身につかなかったかもしれな い。アイク&ティナ・ターナー、ミラクルズ、遠藤賢司、リトル・リチャード、クレイジー・キャッツ……清志郎さんに教えてもらった音楽世界は計り知 れない。あまり知られていないところではシルヴィ・バルタンも彼は好きだった。ガロン・ドランクにインタヴューをした際、ジョン・リー・フッカーの話題で盛り上がった時は、どれだけ忌野清志郎に感謝したことか。『ボブ・ディランは何を歌ってきたのか』を萩原健太さんに書いてもらったのも、 個人的には清志郎さんの宿題を片付けたようなものだったと思っている。これについてはあまりにも多くのことを考えたので、それはまた別な機会があれば。

 彼の生前、僕は『忌野清志郎画報 生卵』(河出書房新社)という本を編集したことがある。『新明解国語辞典』の編集部をモデルにしたらしき石井裕也監督『船を編む』(13)を観ていて、その時のことをあれこれと思い出した。400ページもある辞書みたいな本だったからである。あまりにも作業量が多く、地下鉄サリン事件が起きたこと にも気がつかなかったほど忙しかったので、いまになって本を読み返しても思い出せないことは多い。どこでどうしてこのようなページがつくられることになったのか。ダブソニックの丈ちゃんが竜平くんのページが目当てで買ったと言ってくれたことは覚えているけれど、そのページが出来上がるまでのプロセスがまったく記憶にはない。イアン・デューリーの写真もどこで撮ったか、まったく覚えていない。僕だけではない。誰も覚えていないのが「新宿コナ劇場」のページで、そこには忌野清志郎が強く影響を受けた人たちのポートレイトがズラッと並べられているのだけれど、それがどうして「新宿コナ劇場」というフォーマットに収まることになったのか。わからない……

 覚えているのは、オーティス・レディングやヘッセの顔写真を並べようと言いだしたのは清志郎さんで、「手塚治虫も入れないと」と彼が言ったことだった。冷静に考えれば小学生の時にひとりでマンガ雑誌をつくったりしていたのだから、マンガ家の名前がひとりでもそこにあるのはごく自然なこと である。だけど、やはり、それは唐突に聞こえてしまった。「え、手塚治虫?」と僕は聞き返したかもしれない。それ以前にも以後にも清志郎さんと手塚治虫の話はしたことがなかったので、もうちょっと訊いておくんだったと後悔するだけである。そう、「忌野清志郎と手塚治虫」は僕のなかではわかるようなわからない組み合わせとして、そのまま宙ぶらりんになっていた。長い間、それは忘れていたに等しい。

 それからちょうど20年が経って、宝塚の手塚治虫記念館で『忌野清志郎展」が開かれることになった。またしても「え?」というしかなかった。企画したのは手塚治虫の長女で、実は忌野清志郎のファンでもあった手塚るみ子さん。どこでどうやって二人を結びつけたのか。展示の内容は僕は何も知 らない。それこそ想像もつかない。実際に行ってみるしかない。なんでまた宝塚とは思うけど、手塚治虫が生まれた場所なのだから仕方がない。そこに記念館があるのは理にかなっている。同会場では忌野清志郎が歌う手塚アニメ『ジェッター・マルス』のエンディング・テーマ『少年マルス』も販売されるという。リリース元はやはり手塚るみ子さんが主宰する〈ミュージック・ロビタ〉。同展示の特別入館券とセットでローソン・HMV でも限定発売されている。「少年マルス」の歌詞はいかにも清志郎らしい。悪を倒すことは正しいことかもしれないけれど、しかし……と、正義の味方が 躊躇してしまう歌詞である。もしかすると、彼の作詞法にも影響を与えたような気がしないでもない。これがコーザ・ノストラ(当時)の演奏を得てロック・ヴァージョンで蘇っている。元々は手塚治虫生誕70周年記念トリビュート・アルバム『アトム・キッズ・トリビュート・トゥ・ザ・キング“O.T."』(ワーナー)に収められていた曲で、16年を経てのシングル・カットとなる。(三田格)

●忌野清志郎 with KANAME (ex.COSA NOSTRA) 『少年マルス』(Music Robita)
HMV

●開館20周年記念 第63回企画展「忌野清志郎展~手塚治虫ユーモアの遺伝子~」
【会場】  宝塚市立手塚治虫記念館 2階 企画展示室
【会期】 2014年10月31日(金)~2015年2月20日(金)
https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/kikakuten.html#imawano

●手塚治虫の美女画展
【会場】  吉祥寺Gallery KAI
【会期】 2014年11月3日(月)~11月9日(日)
https://gallery-kai.jp/


OG from Militant B - ele-king

漆黒の大地を駆けろ!

ヴァイナルゾンビでありながらお祭り男OG。レゲエのバイブスを放つボムを日々現場に投下。Militant Bでの活動の他、現在はラッパーRUMIのライブDJとしても活躍中。3回目の登場ほぼゴリラのOGです。今回のランキングはダブ! ダブ! ダブ! 歌無し"ハーコーダブ"に焦点を絞って、70年代バンドサウンドから2014年産デジタルキラーなものまで幅広く挙げてみました。音の再構築、破壊と再生。大胆で繊細、最先端なレゲエミュージックを感じてみてください。REBELだろ?

11/4 吉祥寺cheeky "FORMATION"
11/7 山形tittytwister "LIVE AT HOPE"
11/8 秋田re:mix
11/12 新宿open "PSYCHO RHYTHMIC"
11/23 東高円寺grassroots
11/29 池袋bed "NEW TYPE DUB"
12/2 吉祥寺cheeky "FORMATION"
12/6 渋谷asia "IN TIME"
12/30 吉祥寺cheeky


SUN RA - ele-king

 『てなもんやSUN RA伝』は、湯浅学の傑作。この人のPファンクやサン・ラーについての語りは、本当に面白い。その面白さは、彼らの音楽の複層性──大らかだが反抗的で、社会的で、政治的で、実験的で、怒りながら荒唐無稽でしかも笑えるという特徴を巧妙に表している。『ミュージック・マガジン』での連載をまとめた『てなもんやSUN RA伝』は、サン・ラーの評伝であり、ディスクガイドであり、湯浅学の名エッセイ集である。ぜひ手にとって欲しい。

 今年は、サン・ラー生誕100周年。この音楽家は、人類の時間軸では1914年に生まれ、1993年に他界したことになっているが、地球は自分の故郷ではないと主張したことで知られている。もし地球が自分の故郷であるなら差別や戦争があるはずがない、ゆえに自分は宇宙からやって来た。サン・ラーは、彼自身の説明によれば土星人であり、彼のジャズ楽団アーケストラは早い時期から電子機材を取り入れたことでも知られている。40年代から活動をしている彼は、エジプトのマントと宇宙カブトをかぶったピアニストである。50年代にはローファイな宅録作品、ドゥーワップやスウィング・ジャズの楽曲も多く残している。60年代にはヒッピーから愛され、サイケデリック、スペース・オペラ、フリー・ジャズやアヴァンギャルドとも交わり、晩年にはDJカルチャーからも愛されている。彼は地球時間40年もの活動のなかで、100枚ほどの作品を残している。彼のハンドメイドのレコード(サターン盤)は、いまで言えば会場で売られているCDR作品にも近く、世界のコレクターが探している超レア盤だが、この20年のあいだの再発のおかげで、ずいぶん身近に聴けるものとなった。この度も、生誕100周年を記念して、2枚の名盤が日本盤としてリイシューされる。
 1978年の作品『ディスコ3000』、1979年の『スリーピング・ビューティ』、ともに彼のディスコグラフィーのなかでもいくつかあるハイライトの1枚に数えられるだろう。前者はアーケストラのエネルギッシュなスペース・フリー・ジャズを、そして後者では宇宙規模のチルアウト・ソウル・ジャズを堪能できる。とくにフライング・ロータスの新作を評価するあなたは、避けては通れないはずだ。

湯浅学
てなもんやSUN RA伝
音盤でたどる土星から来たジャズ偉人の歩み

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サン・ラー
ディスコ3000【デラックス・エディション】 Limited Edition

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サン・ラー・アンド・ヒズ・アーケストラ
スリーピング・ビューティ Limited Edition

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