「K A R Y Y N」と一致するもの

Campanella - ele-king

誰が光で 誰が影で 誰がサグで 誰がオタクで 誰も知らねえ
俺は光で 俺は影で 俺はファックで 俺はカスだ 全部当たりまえ
誰がバビロン 誰がファッション 誰がボスで 誰がルールだ 誰が決めたね
俺がラッパーで俺が詩人で俺が俺であるがゆえの俺のプレイ
“OUTRO” 

 「アンダートウUNDERTOW」という言葉があって、ジャンルを問わないアンダーグラウンド・ミュージックを聴いていてよく思い出す。表面の波に逆らって最深部を力強く流れる底流。KOHHが宇多田ヒカルとコラボレーションし、バトル・ブームの熱気に後押しされた若い世代のトラップが勢いよくポップ・フィールドへと流れこみつつあるいま、日本のヒップホップ・シーンにおけるアンダートウはどこにあるだろう? 2017年1月14日、深夜の渋谷WWWで開催されたCAMPANELLA『PEASTA』のリリース・パーティに足を運んで確信した。現在の日本でもっとも強力なアンダートウのひとつは、NEO TOKAIにある。

 NEO TOKAI。名古屋を中心とする近隣エリアを指すそのスラングを初めて耳にしたのはたしか2、3年前で、やがてそれがHIRAGENのあの『CASTE』を輩出したTYRANTクルーを源流のひとつにしていることを知った。冷却装置がぶっ壊れたように沸騰するその熱をパッケージしたコンピレーション『WHO WANNA RAP』とその破壊的再構築『WHO WANNA RAP 2』。そしてC.O.S.A.が自主流通のみでリリースした傑作『CHIRYU YONKERS』の衝撃……。西日本に大雪が降った1月の真夜中、WWWでのパーティはJET CITY PEOPLEの鷹の目のDJで始まり、Fla$hBackSのJJJとKID FRESINOの東京組がばっちりとオーディエンスをあっためた後には、FREE BABYRONIAとRAMZAのビート・ライヴが会場を襲い、NERO IMAI、呂布カルマ、C.O.S.A.というスタイルは違えどどれもヘヴィ級のMCたちがその夜の主役、CAMPANELLAの登場を準備していた。もちろんその日のアクトに限らず、現在流通している音源や飛び交う噂だけでも、東海地方にうごめく凶暴でソリッドなうごめきを黙殺するのは不可能になりつつある。

 そして名古屋といえばなにより、2004年に急逝したTOKONA-Xという大き過ぎる存在なくしては語れない。しかしその喪失はすでに、彼の姿を熱っぽく見つめていた若い世代によって埋められつつあるようだ。ATOSONEとDJ BLOCKCHECK主催の不定期開催のパーティ<METHOD MOTEL>は名古屋を中心に東海各県の猛者を集めてぶつかり合わせる地下闘技場としてこのシーンの母胎となった。エクスペリメンタルでレフト・フィールド……だがそれだけじゃなく、叩き上げならではのタフな精神性がある。NEO TOKAIはすでに独自の音楽性と毅然としたアティテュードによって東京や大阪に牙をむく、オルタナティヴ・ヒップホップの音楽的爆心地となっている。

 しかし『PEASTA』はNEO TOKAIというよりももっと濃密な、三人の人間のトライアングルから生まれている。C.O.S.A.のシャウトアウトにも登場する名古屋郊外のベッドタウン、小牧市桃花台。そのニュータウンで生まれ育ったCAMPANELLAはまだ十代半ばで、今回すべてのトラックを手がけたビート・メイカーRAMZAとFREE BABYRONIAの二人と出会った。フライング・ロータスに導かれたINDOPEPSYCHICSの子どもたち。そんな言葉さえ浮かぶインタヴューの通り、アンビエント~ノイズ~エレクトロニカのフィールドでも注目を集める二人の仕事は、既存のヒップホップの枠をはみ出し、だが結局はヒップホップと呼ぶしかない異形の音像でそのアートフォームを更新している。

 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』からアーティスト・ネームを拝借したというCAMPANELLAは2014年のミックステープ『DETOX』では、タイラー・ザ・クリエイターの“ヨンカーズ”とともに、レディオヘッドの“ナショナル・アンセム”もビート・ジャックしていた。強烈な個性のラッパーがひしめくNEO TOKAIにあって、CAMPANELLAが武器にするのはときにナンセンスなユーモアとリリシズム、そしてフリーキーなフロウだ。刺繍作家RISA OGAWAの赤い刺繍糸が印象的な今作のアートワークにはオズの魔法使いやアルチュール・ランボーのコラージュが並び、楽曲にはチリの革命詩人パブロ・ネルーダやイスラムのスーフィズム由来の詩がまぎれこみ、ミュージック・ヴィデオでは花飾りで顔を隠したコンテンポラリー・ダンサーが踊る。

 狂騒のパーティを繰り返したその先、退廃を拒絶し、怠惰を遠ざけるストイックなストリート・マナーは、ポスト・Jディラ的なビート・ミュージックの音楽的実験性と融合し、トラップ以降の享楽主義とはひと味違う、洗練されたアートの花を咲かせている。このフレッシュさは、USヒップホップの最新トレンドの日本的翻訳ではなく、世界中に拡散するヒップホップそれ自体の実験性が、極東の地方都市の歴史の中で独自に進化し、溢れだした結果だ。

                   *

 アルバムの幕開け、タイトル・トラック“PEASTA”。丁寧に音響処理されたブレイク・ビート、綿密に計算されたタイミングでインしてくるピアノ、ベース、ヴォーカリーズ的にたゆたう女の歌声。チリチリとしたノイズが鼓膜の内側の空気の圧まで調整するような繊細さと緊張感を漂わせる。仲間とハニー、すれ違うビッチズ。ドラッグでヨレるヒマはねえ、というルードなストイシズムと、リリックはため息混じり、ビートは日々の意味、と言い切る詩情。次いで“THE HAVIT”は低音を抜かれたドラム・パターンとループする効果音、腹を震わせるベースで軽快に疾走する。クラブは太陽で音楽は月、というリリカルなパンチラインとともに、ノー・ギミック、完全に言いたいことを言う宣言。

 「A Little Wind Cleans the Eyes…」。13世紀のイスラム神秘主義者、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩「ライク・ディス」の一節を英女優ティルダ・スウィントンが囁く声で始まる“INDIGO”。「グラスに注いだビアみたいな日々」…それを「うたかたの日々 Mood Indigo」とするなら、ここにあるのは衝動まかせに快楽を追いかける青春を飲み干した後の、葛藤と内省の日々のスケッチだ。美しい恋人と愛する音楽、それ以外のものはすべて消え去っていい。そう言い切れる若い勢いを失って、不規則なブレイク・ビートの上を千鳥足で行ったり来たりする言葉。デューク・エリントンの往年の曲によればインディゴはブルーよりも深い憂鬱を意味する。焦燥と苛立ちから自己を解放するまでの自問自答のモノローグ。

 双璧をなす“BIRDS”は、もともとFREE BABYRONIAのビート・テープ『KOMAKI』に収録されていた同タイトルのインストゥルメンタルを再構築し、ラップをくわえたもの。「わたしになりたい」という回帰願望と「あなたになりたい」という変身願望が、アシッド・トリップ的な鳥の目の幻視を通じて結合される。イントロとアウトロ、そしてピアノのブレイクとともに混線するテレグラフは、タイトルの由来であるパブロ・ネルーダの英詩を伝えるゲリラ・レディオ。去年ついに倒れたフィデル・カストロとチェ・ゲバラは、1956年たった12人でシエラ・マエストラに上陸して始まったキューバ革命の途上、夜になると野営地で兵士たちにネルーダの詩を朗読して聴かせたそうだ。
 
 物騒なのは中盤の2曲。前曲からの鳥のさえずりをディープなベースラインとゆったりとしたブレイク・ビートがかき消す“KILLEME”。幻聴かと思うほどかすかに鳴らされるアコースティック・ギター。ドローン的な音像にのせて引き伸ばされ、それでも棘々しく尖る攻撃的な言葉。次は間髪入れずに威嚇射撃のような強烈なスネアが鼓膜を突き刺す“SHOOT-IN”。逃げ遅れた/あえて逃げ出さなかった人間に突きつけられるC.O.S.A.の16小節。ダセえDJ、ダセえMC、セルアウターをまとめてなぎ倒すタフな殺気と、愛やクルーという言葉の裏に貼りつく寂しさと孤独。「みんな違ってみんないい」とお互いの多様性を認め合って仲良くやれればいいのだけれど、このゲームのルールは「白黒以外必要ねえ」。フックで挑発するのはバンダナを顔に巻いたNERO IMAI。オラついた相棒二人のストレートさに煽られても、CAMPANELLAのラップはフリーキーさとナンセンスさを失わない。このあたりは外野がはやし立てる話じゃないから聴きたければ自分の耳で。

 寝静まったベッドタウンで意識を夜間飛行させる“BLACK SUEDE”以降は、“RELAX, BREAK”の言葉通り、アンビエント的なチル感やナーサリー・ライムを織り交ぜながらぐっとピースフルなムードに変化していく。今じゃUSも日本もビーフの勃発やリスペクトの表明はSNS経由で、便利な反面ずいぶん軽くもなったそのやりとりに「写真にいいね押していい気分に浸ると/なぜか遠くなった気がしたストリート」と正直な逡巡を告白する“NINE STORIES”。ぐにゃりと曲げられたギターの音色がブルース・シンガーのように歌う九番目の雲……そんな幸福な一夜の感覚を永遠に引き延ばすような“YUME NO NAKA”。肌寒い夜にコンビニの前で開ける缶ビールとくゆらすウィード。記憶を飛ばすほどの多幸感は暖かなグルーヴのハンド・クラップによるエンディングに着地する。

 スタンド・アローンでラストに待ち受ける圧巻の“OUTRO”は、ずいぶん前に“COLD DRAFT”というタイトルで配信されていた曲をそっけなく改名したもの。冒頭、きらめき陶然と遊んでいたエレピが、最初のキックの音を合図に意志を持って走り出す。フリークアウトする生のベースとRAMZAのマシンの腕が操るドラムによるコズミック・ファンク。仲間と女、背中を押してくれる歓声、それでもけして他人には触れられない影。吐き捨てるライムの怒りと焦燥の矛先はほかでもない自分自身に向けられ、ラッパーであり詩人であるひとりの青年のメンタルの肖像を彫刻する。たんにエモーショナルというのでもない。アルバムで最初にレコーディングされたというこの曲がすべての葛藤と成熟の出発点だ。

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 DJ クラッシュとDJ シャドウが1990年代に世界中にバラまいたビート・ミュージックとしてのヒップホップ、いわゆるアブストラクト・ヒップホップは、それ自体コンペティティヴ(競争的)な独自のバトル・フィールドを構成した。フリースタイルに端を発した去年のラップ・ブーム以降、バトルと言えばMCバトルのみが想起されるような風潮もあるかもしれないが、ヒップホップでコンペティションに晒されるのはラップだけじゃない、ビートもだ。そしてその熾烈なバトルはもちろんラップとビートの間にも勃発する。トラックに対して、インストゥルメンタルとしても通用する、というのはよく言われる褒め言葉だが、もっといえば、突出したビートは生半可なラップを拒絶する。鍛錬と引き換えに獲得した互いの自由と自由がぶつかり合い、挨拶がわりに口にするだけなら簡単な「リスペクト」という言葉の真の対価を要求する。

 ラップとビートの衝突から生まれる先鋭的な音楽的オリジナリティにくわえて印象的なのが、アートワークや楽曲に臆面もなく散りばめられた古今東西の文化的なコラージュ。ドラッグや喧嘩をやっていれば不良で読書やアートにハマっていればオタクで……なにもかもテレビ向けのキャラクター的なストーリーに落としこんでしまう向きにとってはどうか知らないが、無菌室で育ちでもしない限り、人間は薬物や暴力とも文化や知識とも、自分なりの基準で向き合いながらその人格をつくる。誰に媚びる必要も何を恥じる必要もない。トリップの経験だろうが詩だろうが映画だろうが、自分の血肉になったインスピレーションをすべて遠慮なくつむいで創られたこのアートは、どうにも魅力的だ。傷だらけの拳に光るリングや花束に忍ばされたナイフのように、喧嘩腰の啖呵にリリシズムがきらめき、美しい詩に血の味が混じる。

 「これは音楽、輩の手なら届かない」、「言葉で負けた際に出る手」というCAMPANELLAのラップを聴いて思い出したのは、「誰か殴るわけじゃなく歌詞を書く」というC.O.S.A.のいつかのリリックだった。それはアンセムを一緒に歌うとか、コラボするとか、そんなものよりもっと深いレベルでNEO TOKAIの人間たちが共振していることを教えてくれる。知らざあ言って聞かせやしょう、と居並ぶ男たちのケツを蹴り上げていたTOKONA-Xの豪放なメンタルは、彼が知ることのなかった青春の終わりを生き延びた後輩たちによって、強く、しなやかに受け継がれた。若くして倒れた巨大な背中を見ていたキッズたちが成長し、やがてその年齢を追い越したのだ。

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 現在の東海のこの熱は2010年代なかば、「アンダーグラウンド」という言葉を再定義するだろう。2000年代のハスリング・ラップの本格的な台頭以降あいまいになってしまったことだが、本来アンダーグラウンドとは知名度のあるなしとも、アウトロー的な犯罪性とも本質的には関係がない。ストリートのトラブルで負った傷を地上波でふてぶてしく晒すMC漢のスキャンダラスな態度を見ればわかるように、言ってしまえばギャングスタ・ラップとコマーシャルなショウビズとの相性は必ずしも悪くない。

 清貧主義やギャングスタ・メンタリティの根底にあるアンダーグラウンド・ヒップホップの精神性とはなによりも、インディペンデントであることだ。いまじゃ珍しいものではなくなったアーティストによる独自のレーベル運営という意味で日本のシーンにアンダーグラウンドの種をまいたTHA BLUE HERBのBOSS THE MCのかつての言葉を借りれば、それは「レコード会社の奴隷にならず自ら皿を作り/テレビやラジオに利用されずに利用し/自分だけのアイディアで金を作り/責任を持ち/各地にいる同じ志の仲間達と/イカレた音楽をデカイ音でならす」という独立不遜の哲学だ。

 知っての通り、北と東海とのあいだには因縁がある。今でも語りぐさになるほどのインパクトを持ったTHA BLUE HERBに対するTOKONA-Xのディス“EQUIS. EX. X”、あのトラックを提供したのはINDOPEPSYCHICSのD.O.I.だった。それにSLUM RCのコンピレーションに新たな生命を与えたBUSHMINDやDJ HIGHSCHOOL、MASS-HOLE、アルケミストのビート遺伝子が繋げたC.O.S.A.とKID FRESINOの昨夏の『SOMEWHERE』、そしてあの日のWWWのパーティに集結したNEO TOKAIの面々を迎えた東京のアーティストたち……。M.O.S.A.D.に衝撃を受けたかつてのCAMPANELLA少年は、東京のラッパーのCDをすべて売っぱらったらしい。しょうがない。これは生まれや育ちが違う、ともすればそれだけで拳を交える理由になる物騒なカルチャーだ。しかしそもそも名古屋のレジェンドであるTOKONA-Xその人は、少年期に横浜から東海へと流れてきた異人だった。ウータン・クラン由来の筆で描かれたNEO TOKAIの地図は、すでに地理的な環境の制約をはみ出し、都市と都市を越えた力強いユニティを産み出してもいる。

 実際、このアルバムはとても小さなコミュニティから生まれたレフト・フィールドなたたずまいながら、不思議なほど風通しがいい。「PEASTA」というタイトルは、桃花台にあるショッピング・モールの名だそうで、PEACHにFESTAをかけて作られたというなんとも言えないその造語のセンスは、たぶんいまの日本のニュータウン的な地方都市で育った人間にとってはどこか懐かしいものなはずだ。文化資本など一見まるで見当たらない場所に生まれ育ったキッズたちが、自分や仲間の目と耳、腕だけを頼りに創りあげたアウトサイダー・アート。郊外の子ども部屋やモールのたまり場に響く無邪気な笑い声が聴こえてくるようで、リリースからしばらく経ったいまでも何度も聴き返してしまう。

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 ここ最近熱っぽく口にされる日本のヒップホップの夜明け……やっと朝がきたのだとすればここ10年ほどは夜だったということだろう。だがその長い夜の時代、ひときわ光の射さない地方都市で鍛えられた言葉と音、そして耳は、あらゆる熱狂に浮つきはしない。去年はさんピンCAMPから20年ということで、その黄金時代の思い出が口々に語られたけれど、あの日凄まじいステージングを見せたという弱冠17歳のTOKONA-XとDJ刃頭の姿はその後の映像作品からは完全にカットされている。同じくさんピン以降の東京に敵対心むき出しで登場したTHA BLUE HERBにせよ、日本の地方都市には熱に沸く中央に冷水を浴びせ、強烈なオルタナティヴを突きつける伝統的なマナーがある。

 「オルタナティヴ・ヒップホップなんてものは存在しない。なぜならヒップホップの唯一のオルタナティヴとして知られているのは完全な沈黙だけなのだから(There’s no such thing as Alternative Hip hop Because the only known Alternative to Hip hop is dead silence)」。スワヒリ語で「鳥のように自由」という意味の名を持つミシェル・ンデゲオチェロのファースト・アルバムのインナースリーヴにはそんな書き出しで始まる檄文が刻まれている。「オルタナティヴ」という言葉が切実に求められるのは必ず、ある文化がメイン・ストリームに溢れだし、バブルのように巨大化するときだ。しかし、ヒップホップはオルタナティヴの存在を認めず、対抗的なエネルギーをあくまでその内部に抱えこむ……それじゃヒップホップって?

 バイセクシャルであり、コンシャスなアクティヴィストであり、そして異彩のグルーヴを生み出すベーシスト/コンポーザー/シンガー/ラッパーであるンデゲオチェロの痛烈な檄文は、オルタナティヴ・ヒップホップの存在否定というよりも、むしろ本来オルタナティヴという名で呼ばれるものこそが真にヒップホップの名に値するのだ、と言わんばかりに、次のように締めくくられる。つまりヒップホップとは、「デジタルにグラインドされ、テクノ・モルヒネを生み出すジェームズ・ブラウンの骨盤」……「最高にぶっ飛んでいるときの感覚喪失に対する唯一の解毒剤」……なによりそれは「ドープ認識学/ドープノロジー(DOPE-KNOW-LOGY)」である、と。

 なるほど。たとえ誰もが動画やサイトのヴュー数、視聴率とセールスばかりに目を奪われていたとしても、ヒップホップ・サイエンスの審美眼はいつだってシンプルきわまりない。それは誰が一等ドープかを知るための科学(DOPE-KNOW-LOGY)だ。あらゆるライムとビートはオルタナティヴという冠に満足せず、あくまで文化の正統な後継者の地位を要求する。オルタナティヴ・ヒップホップが存在するとすれば、それは商品ラベルに書きこまれるジャンル名なんかじゃなく、現状の秩序を転覆(Revolve)しようとする、そのエネルギーのことだ。

 CAMPANELLAはつい先日JJJプロデュースでEGO WRAPPINの中納良恵とのジョイント曲“PELNOD”をリリースし、シーンの重鎮YUKSTA-ILLは待望のフル・アルバム『NEO TOKAI ON THE LINE』をドロップ、さらにはMC KHAZZの新譜も予告されている。2017年もNEO TOKAIからの轟音は止みそうにない。ここには確かに、馴れ合いも、ましてや沈黙も拒否する言葉と音がある。なにがドープか知っている人間は、東海の地殻変動からけして目を離せないはずだ。

Kid Cudi - ele-king

「と、ここまで書いて深沢七郎の『東京のプリンスたち』を読みかえして笑ってしまう。この小説に登場する五〇年代末の、面倒臭いことはほとんど何も考えずプレスリーのリズムでからっぽの頭の中をいっぱいにして、細いズボンをはき、体を小刻みに揺っていた高校生たちも、今は六十四、五歳だ。今も何も考えずに生きているだろうか」 金井美恵子『目白雑録2』2006

 Cudi is back!!!
 アメリカ・アマゾンではこんなタイトルで始まるレヴューが新作『Passion, Pain & Demon Slayin'』に付いていましたがキッド・カディは今までどこかへ行っていたわけでもなく、2009年にカニエ・ウェストの〈GOOD Music〉からデビュー作『Man on the Moon: The End of Day』を出して以降、スタジオ・アルバムだけで6枚もあってとくに寡作な人でもない。ないですが、キッド・カディと言えば2008年のデビュー・シングル「Day 'n' Nite」に尽きるかも、という辺りからして少なくとも日本では、最初に打ち上げた大玉花火の残像みたいな扱いかも知れない。

 自分が最初にカディを聴いたのは2013年発表の3作目『indicud』で、そこから遡って耳にした“Day 'n' Nite”よりも同アルバム収録の“Enter Galactic (Love Connection Part I)”や“Up Up & Away”の方がずっと好もしい印象だったのはいまでも同じですが、カニエ・ウェストの“All of the lights”(2010)を始めとした幾多の客演曲も含め、この人は過去作品を一通り聴いてみても嵌まると凄いんだけどダメな時は超残念、といった余りの玉石混淆ぶりが面白く、かつ評価を定めづらいところではある。

 さてこの、歌詞データベース・サイト「Genius」が制作したこの動画は『Passion, Pain & Demon Slayin'』からカディがハミングしているパートだけを集めた、新作及び作家紹介としてはこれに尽きるダイジェストだ。ハミングに限らず、とりわけ彼が旋律を下降していく時に発生する低いノイズの禍々しく官能的な豊穣さは、ちょっと他に思い当たらない類いの感触がする。ただし自分のノドを楽器と見做して日々鍛錬、といったストイックさは微塵も感じられないので行き当たりばったりのだらしない感じが満載だが、例えばちょっと前に大喧嘩してたらしいドレイクの入念に計算された(スタイルとしての)だらしなさとキッド・カディの「だらしなさ」は似て全く非なるものであって、公式音源でさえも音程が妙に外れたままの曲が結構ある辺りからして、この人のだらしなさ加減はミキシングやポスト・プロダクションではどうにもならない天然の――要は獣が唸っているかのようなのだ。
 アルバム冒頭の“Frequency”からして唸っている。暗すぎてカディの姿がよく見えないPV(ほとんど珍獣観察番組である)は自分で監督しているのでその辺りの獣性には自覚があるように思えるが、2曲目の“Swim in the Light”と来ると、聴くほどにこれはひょっとするとフランク・オーシャンの“Swim Good”を遥か遠くに踏まえ、FOが剥き出しにしてみせた傷に5年くらい経って貼られた絆創膏のなのではないかと思えてくる。

 例えばこんな一節があったりする:
 “You could try and numb the pain, but it'll never go away”
 君がその痛みを宥めようとしても、消え去りはしない

 最後の「go away」をまた「ゴウオウオウオウオウオウオウオウウェイ」とぐざぐざに唸るのではありますが、カニエ・ウェストという(現時点ではひとまず「調子の悪い方の人グループ」に入れざるを得ない)人を縦軸に取れば、この2人はある種の好対照でもあり、キッド・カディの新作を聴きながら自分の頭の中で「次」に浮かんでくるのはフランク・オーシャンの『nostalgia, ULTRA.』(2011)だったりする──こんなのはもうFOが5年前にやったことだよ、と批判したいのではない。ある作品からまた別の作品へとバトンが受け渡される為に必要な時間はどれだけ長くてもあり得る、ということである。ラストに置かれたアッパラパーなパーティー・チューンが象徴するように、例えご本人は何も考えてない、としてもである。


Kid Cudi “Surfin' (ft. Pharrell Williams)”

Eccy - ele-king

 Eccy復活のニュースが意外なところからやって来ました。2ndアルバム『Blood The Wave』以来7年ぶりのフルアルバム『NARRATIVE SOUND APPROACH』をリリースするようです。しかも元銀杏BOYZの安孫子真哉が主宰する〈KiliKiliVilla〉から。Eccyは以前から銀杏BOYZのリミックスやプロデュースをしていたから違和感こそないものの、このニュースには驚きましたね。〈KiliKiliVilla〉やるなあ。確実にこの2017年、目が離せないレーベルの一つです。
 今回のニューアルバムにはShing02、そして超久しぶりのあるぱちかぶといったメンツから、泉まくらやどついたるねんといった少し変化球な人たちも参加していて、特にどついたるねんが参加している「Sickness Unto Death」は、いい意味で「今これをやるか!」といったオールド・スクール・チューンで思わずニヤリとしてしまいますよ。
 アルバムのリリースに先駆けて、「Lonely Planet feat. あるぱちかぶと」の7インチもリリースされているようです。アルバム収録曲のMVが数曲公開されているので、お見逃しなく。


Eccy - Lonely Planet feat.あるぱちかぶと

アーティスト:Eccy
タイトル:『Narrative Sound Approach』
レーベル:KiliKiliVilla
発売日:2月22日
品番:KKV-039
価格:2,160円(税込)

TRACK LIST :
01. Splendor Solis
02. 天蓋のオリフィス feat. Shing02
03. After Midnight
04. Sickness Unto Death feat. どついたるねん
05. Modular Arithmetic
06. The Fool (Upright) feat. Candle,Meiso
07. Odd Eye
08. Blood feat. 泉まくら
09. Open Face Spread
10. Lonely Planet feat. あるぱちかぶと
11. あのころ僕らは

[ご予約はこちら]
AMAZON:https://www.amazon.co.jp/NARRATIVE-SOUND-APPROACH-ECCY/dp/B01MSYB1HF


Eccy/エクシー
1985年生まれ、東京育ち。2007年10月、Shing02をフィーチャーしたデビューシングル『Ultimate High』でHip Hopシーンに新しい感性で切り込み、デビューアルバム『Floating Like Incense』が新人としては異例のセールスをあげシーンにその地位を確立。その後、環ROYとのコラボレーションアルバム『more?』、toe柏倉やACOなどをフィーチャーした実験作『Narcotic Perfumer』、2ndアルバム『Blood The Wave』などをリリース。P-Vineから発売された『Loovia Mythos』収録曲はRas GのBTS radio mixでも使用された。Low End Theory Podcastでも曲が取り上げられるなど、活躍の場を世界に広げている。2011年にはSam Tiba & Myd(Club Cheval),Subeena(Planet Mu)をリミキサーに迎えた『Flavor Of Vice EP』を発売。Produceワーク多数。RemixワークもShing02から銀杏BOYZまで多岐に及ぶ。Fuji Rock Fes ’07,’08,’09,’12、Sonar Sound Tokyo’12、Outlook Fes Japan Launch Partyなどに出演。2014年にIRMA Recordsよりリリースされた「Into The Light / Dark Fruits Cake」はZomby(XL Recordings)などのアーティストから幅広い支持を得る。NIKEのランニング用アプリ「NIKE RUN TRACK」、Panasonic「Neymar Jr. Chant」に楽曲提供。米COMPLEX MAGによるThe Best Of Japanese Hip-Hop 25 Artistsに選出。2015年、銀杏BOYZ「Too Much Pain(The Blue Heartsカバー)」トラックプロデュース。2016年、銀杏BOYZ公式ライブ映像作品「愛地獄」OP、ED曲を楽曲提供。

AHAU - ele-king

作業中に聴いている音楽の中から

皆様こんにちは
1976年、神奈川生まれ東京在住。アーティスト活動をさせて頂いているAHAU(アハウ)といいます。
1996年から都内を始め関東周辺、最近では神戸や京都などで行われている音楽のチラシやフライヤー、グッズなどで関わらさせて頂いています。

現在、2月10日(金)から19日(日)まで神奈川県二宮町で行われている「第一回 湘南二宮 菜の花アートフェスティバル」に参加しています。
二宮駅北口徒歩1分にあるVRGI CAFEというカフェと保育室が一つになった素晴らしいお店でAHAU EXHIBITION「AHAU’S HEART」と題し作品展示を行っています。
額装作品、作品集、Tシャツ、マグカップ、ポストカードの販売も行っています。
お食事やコーヒー、お酒もありますので、ご休憩などに利用して頂けたら幸いです。
土日は11:00から17:00まで、平日は11:00からランチ終了まで営業しています。
最終日は1日在廊しています。参加を記念してイベントも用意させて頂きました。

入店された方全員もれなくオリジナルポストカードプレゼントいたします。
オーダー先着5名様に、オリジナルTシャツ、オリジナルマグカップ、作品集のどれでも一つプレゼントいたします。
オーダー100人目の方に、店内にある額装作品どれでも一つプレゼントいたします。
そのほか駅周辺の17カ所の会場では36組のアーティストの方々も趣向を凝らした様々な催し物を行っています。

ご来場の皆様に楽しんで頂けるようアーティストと地元商店街が一つになって盛り上げていきます。
二宮の美しい自然や風土、産物や歴史ある建造物も大変素晴らしいので、
東京駅から電車でも車でも1時間10分ほどなので、ぜひぜひ散歩やドライブに遊びに来てください。
よろしくお願いいたします。

AHAU

作品紹介:
https://www.instagram.com/explore/tags/ahaudesign/

展示:
2016.11「The Flyer 巡回展」BnA HOTEL Koenji(東京/高円寺)
2016.5「The Flyer」udo(東京/渋谷)
2015.9「ADVENTURE OF UNI」LIBRARY RECORDS(東京/東高円寺)
2015.3「ROOM」TERRAPIN STATION(東京/高円寺)
2012.11「ASSERTONESELF」THERME GALLERY(東京/都立大学)
2009.11「STROKE BOOK2」BE-WAVE(東京/新宿)
2008.2「STROKE BOOK」bonobo(東京/千駄ヶ谷)
2007.4「MUSIC VIEW」Cafe KING(現在Cafe FACTORY)(神奈川/鎌倉)

作品集:
2012.11「ASSERTONESELF」

湘南二宮町:
https://www.town.ninomiya.kanagawa.jp

場所:
VEGI CAFE & てんとう虫保育室
〒259-0123 神奈川県中郡二宮879-19
0463-68-0006

Clark - ele-king

 オウテカが『Confield』を出し、エイフェックスが『Drukqs』を出したまさにその年に、『Clarence Park』で鮮烈なデビューを飾ったクリス・クラーク。IDMの礎を築いた世代が路線を変更したり長い沈黙に入ったりした時期に、まるでその空白を埋めるかのような形で綺羅星のごとく現れたのがクラークである。当時日本では彼のことをRom=Pariが高く評価していたけれど、以降クラークはコンスタントに……うん、少しは休んでもいいのよと心配になるくらいコンスタントに作品を発表し続け、その成果もあってか、この国における彼の影響力はいまでも衰えていない。たとえば、先日戸川純とともにアルバムを制作したVampilliaも、リミックスという形でクラークとコラボレイトしている。
 そのクラークの新作が4月7日にリリースされる。『Death Peak』というタイトルや、「危険でおそろしい頂にたどり着き、あらゆるものが壊れた光景を眼下に見渡す」という本人のコメントから類推するに、来るべき彼のニュー・アルバムは、2016年という暗い世相を反映したものになっているのではないだろうか(昨年彼が国民投票の結果を嘆いていたことを思い出すべし)。
 ともあれ、いまは公開された新曲“Peak Magnetic”を聴きながら、「破壊を超えた先の絶景」とやらがいったい何なのか、ああだこうだと想像しておこう。

破壊を超えた先の絶景……
3年振り待望のスタジオ・アルバム『DEATH PEAK』完成!!!
新曲“PEAK MAGNETIC”を公開!

自身の名を冠した前作『Clark』から3年、サウンドトラック制作や舞台音楽、オーケストラへの楽曲提供など、〈Warp〉きっての多作家として活躍の場を広げ、さらなる進化を遂げたクラークが、自身の独創性を爆発させた待望の最新作『Death Peak』を携えシーンに帰ってくる。アルバム完成の発表と合わせて新曲“Peak Magnetic”を公開!

Clark - Peak Magnetic
https://soundcloud.com/throttleclark/peak-magnetic

“Peak Magnetic”では、ここ数年で最も明るく、アップビートなクラークを聴くことができる。そのほとばしるエネルギーこそ、彼の新たなサウンドを象徴している。
- Pitchfork

デス・ピーク(死の山頂)というタイトルは2016年の8月からずっと考えていた。完璧だと思ったよ。まるで呪文のように『デス・ピーク、デス・ピーク、デス・ピーク』と繰り返していた。この山の出発地点は、穏やかに蝶の舞う牧草地が広がっている。でも最後には危険でおそろしい頂にたどり着き、あらゆるものが壊れた光景を眼下に見渡すことになるんだ
- Clark

10代で〈Warp〉と契約を果たし、いまやレーベルの象徴的存在にまで成長したクラーク。前作『Clark』リリース後も、BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)にノミネートされた海外ドラマ・シリーズ『The Last Panthers』の劇伴や、革新的な作品の上演で知られるヤング・ヴィク・シアターで上演された作品『マクベス』の舞台音楽、さらにLAを拠点とするオーケストラ、エコー・ソサエティーへの楽曲提供など、そのサウンドはさらに進化を続けている。また「不健全で強迫神経症じみた人格を潜在的に備えていればいるほど、作品がより優れたものになる」と語るクラークの内なる狂気とのアンバランスさが、いまだ体験したことのないようなコントラストを生み出し、聴く者の聴覚を完全に支配する。また今作での新たな試みとして、自身が「最も完璧なシンセサイザー」と評する人間の声を、収録曲のほとんどに取り入れ、柔らかで美しいテクスチャーをもたらしている。

クラークのキャリア8枚目となる最新スタジオ・アルバム『Death Peak』は、4月7日(金)世界同時リリース! 国内盤にはボーナス・トラック“Licht (Pink Strobe Version)”が追加収録され、解説書が封入される。初回限定生産盤はデジパック仕様となる。iTunesでアルバムを予約すると公開された“Peak Magnetic”がいちはやくダウンロードできる。


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: CLARK
title: DEATH PEAK
release date: 2017/04/07 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-543 定価 ¥2,200 (+税)
初回限定生産盤デジパック仕様
ボーナストラック追加収録 / 解説書封入

[ご予約はこちら]
amazon: https://amzn.asia/2dFmhIQ
bartkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002147
iTunes Store: https://apple.co/2kVM3F6

TRACKLISTING
01. Spring But Dark
02. Butterfly Prowler
03. Peak Magnetic
04. Hoova
05. Slap Drones
06. Aftermath
07. Catastrophe Anthem
08. Living Fantasy
09. Un U.K.
10. Licht (Pink Strobe Version) *Bonus Track for Japan

ROCKASEN - ele-king


 ROCKASENは、DJ/プロデューサーのBUSHMINDの作品にもフィーチャーされている千葉出身のヒップホップ・グループで、2010年にリリースされ、評判となったファースト・フル・アルバム『WELCOME HOME』はいまでも日本語ラップ・シーンのなかで独特の個性を放っている。彼らの面白さはまず音楽的な幅広さにあるが、それはアメリカの物真似ではなく、彼自身の折衷主義によって成り立っている。独特の浮遊感があり、テクノやハウス・ミュージックの感覚もそこには含まれる。言葉は、自己主張するものではない。なにげない日常描写が彼らのリアルを伝達するが、どこかつねに半分夢の中なのだ。
 そして、その新作、つまりセカンド・アルバムは無料配信されることになった。これがまたROCKASENらしく、メロウで柔らかさのある、本当に心地良くポジティヴで、キャッチーでありドリーミーであり、クオリティの高い作品なのだ。アートワークも良いし、これが本当に無料でいいの?
 というわけで、この機会にぜひDLして聴いて欲しい。

ROCKASEN
Two Sides of
ASSASSIN OF YOUTH
配信開始日:2017年2月17日(金)
配信サイト:bandcamp(https://rockasen.bandcamp.com) / AWA / Apple Music / Spotify


01. Intro A *
02. Always There
03. Deez
04. Till Up
05. Dokomademo
06. Intro B
07. Good Catch
08. Hard Drive
09. Strain
10. Dot B

Produced & mixed by Bushmind
*Produced by Issac & Bushmind
Mastered by Naoya Tokunou
Artwork by Wack Wack

Ron Morelli & Will Bankhead - ele-king

 Skate ThingとToby Feltwellがディレクターを務めるブランド〈C.E〉が半年ぶりにクラブ・イベントを開催します! 日時は3 月10 日(金)、場所は渋谷Contact。今回のイベントはブルックリンのレーベル〈L.I.E.S.〉とUKのレーベル〈The Trilogy Tapes〉との共同開催となっており、〈L.I.E.S.〉のオウナーであるRon Morelliが初来日を果たします。〈The Trilogy Tapes〉を主宰するWill Bankheadも参加。さらにスウェーデンからはSamo DJを、上海からはTzusingを迎えるというのだから、これは熱い夜になること間違いなし! 一足先に春の息吹を感じ取っちゃいましょう。

Tinariwen - ele-king

 昔から欧米ではアフリカ音楽に強い関心が寄せられてきたのだが、昨今はその中でもマリ共和国の音楽に注目が集まることが多い。特に有名なものが、マリに住むベルベル人系のトゥアレグ族に伝わるタカンバなどの伝統音楽をルーツに、現代性を取り入れていったソンガイ・ブルースで、俗に「砂漠のブルース」と形容される。今はソンガイ・ブルースを演奏するアーティストもいろいろ紹介されるようになったが、その認知を高めた要因のひとつとして、ティナリウェンの2011年のアルバム『タッシリ』が第54回グラミーのワールド・ミュージック部門でアウォードに輝いたことが挙げられる。マリ北東部のキダルを拠点に、1979年から長い活動をおこなうティナリウェンだが、アルジェリア南部のサハラ砂漠内にあるタッシリでレコーディングされた『タッシリ』は、アメリカからウィルコとTVオン・ザ・レディオのメンバーが参加した。ティナリウェンは2000年代よりヨーロッパやアメリカを含めたワールド・ツアーを重ね、欧米のミュージシャンには彼らのファンが多かったのだが、そうしたところから実現したセッションだった。もともとデビュー時から西欧音楽の要素をアフリカ音楽にミックスすることに長けていた彼らだが、『タッシリ』ではそうしたオルタナ・ロック・バンドとのジャム・セッションにより、自身のバンドとしての存在意義を再確認することになった。また、『タッシリ』の収録曲はフォー・テットやアニマル・コレクティヴなどによってリミックスされ、それによってダンス~クラブ・シーンからも注目されるようになった。

 しかし、そのグラミー受賞の発表に先駆けた2012年1月、マリ北部で長年にわたり独立を目指してきたトゥアレグ族が民族蜂起する。対するマリ政府の政情不安定につけこんだ軍部がクーデターを起こし、そこからアル・カーイダ系武装組織との抗争へと発展。ついにフランスなどの欧米諸国の軍事介入によって戦乱状態となった。現在は西アフリカ諸国の支援による安全保障下にある状態だが、紛争は今も絶えてはおらず、戦乱や無政府状態がもたらした難民や貧困といった社会問題が山積している。こうした社会情勢により“故郷を奪われる”ことになったティナリウェンは、2013年のワールド・ツアーの間にアメリカで『エマール』を録音。レッチリのジョシュ・クリングホファーから、ファッツ・カップリン、マット・スウィーニー、ソウル・ウィリアムズらと共演した『エマール』は、流浪のミュージシャンとなったティナリウェンの、故郷への情景と亡国に対する社会批判などに溢れたものだった。

 『エマール』から3年ぶりのスタジオ録音となる『エルワン』も、そうした故郷マリ共和国に対する政治的・社会的メッセージが込められたものである。ツアーの合間に米カリフォルニアのジョシュア・ツリー国立公園(2014年10月)と、アルジェリア国境に近い南モロッコ(2016年3月)で録音がおこなわれた。ジョシュア・ツリー国立公園内のランチョ・デ・ラ・ルナは、『エルワン』でも用いたスタジオで、周囲の環境はサハラに似た砂漠地帯。前作に続いてマット・スウィーニーほか、ウォー・オン・ドラッグスのカート・ヴァイル、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジに関わってきたアラン・ヨハネスとマーク・ラネガンなど、ティナリウェンに共鳴するミュージシャンが集まった。モロッコではオアシス地帯のムハミドにキャンプを張り、現地の若手ミュージシャンやガンガ(ベルベル人によるグナワのミュージシャン集団)のバンドを呼び寄せ、セッションをおこなった。ツアーやレコーディングでメンバーが入れ替わり、流動的なミュージシャン集団のティナリウェンだが、今回の『エルワン』では昔から参加するベテラン主要メンバーのイブラヒム・アグ・アルハビブ、アルハッサン・アグ・トウハミ、アブダラー・アグ・アルフセインと、比較的若手にあたるエヤドゥ・アグ・レシェ、エラガ・アグ・ハミド、サイド・アグ・アヤドという構成で、そうした新旧世代の音楽観、音楽性が融合されているところもティナリウェンの特徴だ。そして、『タッシリ』以降のティナリウェンの作品には、アメリカなど外部のミュージシャンたちとの邂逅による活性化がある。

 “Tiwàyyen(ティワイェン)”は、ティナリウェン特有の4本のイシュマール・ギターが奏でるメタリックなアフロ・ブルース。パーカッシヴでダンサブルなビートの“Hayati(我が人生)”や“Assàwt(タマシェクの女の声)”とともに、ティナリウェン・サウンドのエネルギッシュでパワフルな側面が表われた楽曲であり、西欧音楽への柔軟なアプローチが生きている。イシュマール・ギターとエレキ・ギターが協奏する“Sastanàqqàm(お前に問う)”もファンクやロックの影響が色濃く、ドクター・ジョンにジミ・ヘンドリックスを想起させるところがある。ディストーションを施した歪んだギターの音色も彼らの持味で、ドープなサイケデリック・サウンドの“Fog Edaghàn(山頂)”にはドアーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドに通じる世界がある。ヴードゥー教の儀式のような“Imidiwàn N-àkall-In(同郷の友ら)”、イシュマール・ギターとパーカッションやハンドクラップがミニマルな雰囲気を作り出す“Talyat(少女)”、瞑想的なムードの“Nànnuflày(充足)”は、ティナリウェンのミスティックなテイストが表われた楽曲だ。一方、“Nizzagh Ijbal(俺は山中で暮らしている)”や“Ittus(我らのゴール)”の枯れた味わいには、ブルース特有の悲しみや苦しさが込められており、故郷を失ったティナリウェンの心の叫びがダイレクトに伝わってくる。インド音楽に通じるピースフルなムードに包まれた“Arhegh Ad Annàgh(俺は伝えたい)”も、愛する人たちを奪われた苦悩から生まれた曲である。“Ténéré Tàqqàl(テネレの成れの果て)”の歌詞に登場する象は、アルバム・タイトルの『エルワン』にもなっている。古代アフリカでは神聖な象徴として崇拝された象だが、ここでは先祖代々の伝統や生活、民族の絆などを踏みにじる荒々しい獣として描かれる。それは民兵や軍事ゲリラ、多国籍軍や傭兵部隊などを比喩しており、民族独立の闘士でもあるティナリウェンの怒りが込められている。

Visible Cloaks - ele-king

 ヴィジブル・クロークスは、ポートランドを拠点に活動をするニューエイジ・アンビエント・ユニットである。メンバーは、スペンサー・ドーランとライアン・カーライルのふたり。スペンサー・ドーランは00年代に、プレフューズ以降ともいえるサイケデリックかつトライバルなアブストラクト・エレクトロニカ・ヒップホップをやっていた人で、00年代のエレクトロニカ・リスナーであれば、知る人ぞ知るアーティスト。スペンサー・ドーラン・アンド・ホワイト・サングラシーズ名義の『インナー・サングラシーズ』など愛聴していた方も多いのではないか。
 その彼が、〈スリル・ジョッキー〉からのリリースでも知られるドローン・バンド、エターナル・タペストリーのライアンと、このような同時代的なニューエイジ・アンビエントなユニットを結成し、アルバムをリリースしたのだから、まさに時代の変化、人に歴史ありである。

 そう、ここ数年(2010年代以降)、いわゆる80年代的なニューエイジ・ミュージックが、エレクトロニカ/ドローン、OPN以降の、新しいアンビエントの源泉として再評価されており、ひとつの潮流を形作っている。そのリヴァイヴァルにおいて大きな影響力を持ったのが、オランダはアムステルダムの〈ミュージック・フロム・メモリー〉であろう。同レーベルは80年代のアンビエント・サウンドを中心とする再発専門のレーベルで、なかでもジジ・マシンを「再発見」した功績は大きい。じじつ、ジジ・マシンのコンピレーション盤『トーク・トゥー・ザ・シー』は日本でも国内盤がリリースされるほど多くのリスナーに届いた。そのピアノとシンセサイザーの電子音を中心とした抒情的で透明で美しい音楽は、現代にニューエイジ・アンビエントという新しいジャンルを作ったといっても過言ではない。まさに「過去」が「今」を作ったのだ。再発レーベルとしては、理想的な成功である。

 その〈ミュージック・フロム・メモリー〉がリリースした、唯一の日本人アーティスト・ユニット作品がディップ・イン・ザ・プールの『On Retinae』の12インチ盤であった。ディップ・イン・ザ・プールは、1980年代から活動をしている甲田益也子(ヴォーカル)と木村達司(キーボード)によるユニットで、日本でも根強い人気とファンがいるし、1986年には〈ラフトレード〉からデビューを飾ってはいるが、しかし、それをニューエイジ・アンビエントの文脈と交錯させた〈ミュージック・フロム・メモリー〉のセンスは、やはり素晴らしい(ちなみに香港のプロモ盤がもとになっているらしい)。だが、ふと思い返してみると、日本の80年代は、細野晴臣をはじめ、安易な精神性に回収されない音楽的に優れたニューエイジ/アンビエント的な音楽が多く存在した。それはときにポップであったり、ときに実験的であったりしながら。

 ヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーランは、そんな80年代の日本音楽のマニアなのだ。細野晴臣、小野誠彦、清水靖晃らを深く敬愛しているという。彼らの楽曲を用いた「1980年~1986年の日本の音楽」というミックス音源を発表しているほど。当然、ディップ・イン・ザ・プールの音楽も愛聴していたらしい。そして、本作『ルアッサンブラージュ』は、そんな日本的/オリエンタルな旋律やムードが横溢した作品に仕上がっている。そして、先行シングルとしてリリースされた“Valve (Revisited)”は、ディップ・イン・ザ・プールとの共作であり、甲田益也子がヴォイスで参加。アルバム2曲めに収録された“Valve”には甲田益也子が参加しているのだ(ちなみに、“Valve (Revisited)”は国内盤にはボーナス・トラックとして収録)。

 ここで思い出すのだが、昨年、戸川純が復活し、ヴァンピリアとの共演盤にしてセルフ・カヴァー・アルバム『わたしが鳴こうホトトギス』をリリースしたことだ。同時期に『戸川純全歌詞解説集――疾風怒濤ときどき晴れ』も刊行されたこともあり、本盤は、かつて戸川マニアのみならず若いファンからも受け入れられ、大いに話題になったが、こちらは「ニッポンの80年代ポップス/ニューウェイブ」再評価における総括のように思えた。
 対して、ヴィジブル・クロークスにおける、ディップ・イン・ザ・プール/甲田益也子参加は、たしかに80・90/2010世代の新旧世代の共演なのだが、文脈はやや異なり、ジジ・マシン再評価以降ともいえる近年のニューエイジ/アンビエント文脈にある。先に書いたように、ディップ・イン・ザ・プールがジジ・マシン再評価の流れを生んだ〈ミュージック・フロム・メモリー〉からリイシューされたことも考慮にいれると、ヴィジブル・クロークスがやっていることは、世界的な潮流である「80年代ニューエイジ/アンビエント文脈」の再解釈なのだろう。そこにおいて、日本の80年代的なニューエイジ・アンビエント、そしてそのポップ・ミュージックが重要なレファレンスとなっているわけだ。〈ミュージック・フロム・メモリー〉からのリイシューや、本作におけるディップ・イン・ザ・プールの参加は、その事実を証明しているように思える。

 くわえて本作には、ディップ・イン・ザ・プール/甲田益也子のみならず、現行のニューエイジ/アンビエント文脈の重要な電子音楽家がふたり参加している。まず、昨年、〈ドミノ〉からアルバムをリリースしたモーション・グラフィックス。あのコ・ラのサウンド・プロダクションを手掛けたモーション・グラフィックスだが、彼が昨年リリースしたアルバムにも、どこか80年代の坂本龍一を思わせる曲もあった。また、〈シャルター・プレス〉などからアルバムをリリースする現在最重要のシンセスト/電子音楽家Matt Carlsonも、参加しているのだ。

 アルバム全体は、ニューエイジ的なムードのなか、現代的な音響工作を駆使し、現実から浮遊するようなオリエンタル・アンビエント・ミュージックを展開する。非現実的でありながら、どこか80年代末期の日本CM音楽のようなポップさを漂わせている。あの極めて80年代的な「日本人による、あえてのオリエタリズム」を、外国人が参照し、実践すること。そのふたつの反転が本作の特徴といえよう。
 本作に限らず現在のシンセ・アンビエントは、80年代中期以降の音楽/アンビエントをベースにしつつ、そこに2010年代的な音響を導入し、アップデートしているのだが、本作などは、アルバム全編から「1989年」的な感覚が横溢しているように思える(たとえば、細野晴臣の『オムニ・サイト・シーング』を聴いてみてほしい)。

 余談だが、この80年代初期から後期へのシフトは重要なモード・チェンジではないか。それは「バブル感」の反復ともいえる。ちなみに、80年代と一言でいっても、前半と後半では随分と違う。いわゆる日本のバブル経済は1985年のプラザ合意以降のことで、世間的にその実感が伴ってきたのは、「株投資」と「土地転がし」が(一時的に)一般化した80年代末期(1988年~1989年あたり)だったはず。
 そう、最近のいくつかの音楽には、この「景気の良かった時代」への憧憬があるように思えるのだ。それこそ大ヒットしたサチモスは、1989年くらいの初期渋谷系(と名付けられる以前。田島貴男在籍時のピチカート・ファイヴ)的なもののYouTube世代からの反復だろう。そういえば、ディップ・イン・ザ・プールの『On Retinae』も1989年だった。

 あえていえば、本作(も含め、近年の音楽)は、「景気が良かった時代の音楽を、景気が悪く最悪の政治状況の時にアップデート」することで、「景気が良かった時代への夢想や憧れ」を反転するかたちで実現しようとしているとはいえないか。つまり、30年以上の月日という時が流れ、新鮮な音楽としてレファレンスできる時代になったわけである。
 これは、若い世代には80年代という未体験の時代への憧憬も伴うのだろうが、私などがこの種の音楽を聴くと歴史の平行世界に紛れ込んだような不思議な感覚を抱いてしまうのも事実だ。しかしこの感覚が重要なのだ。つまり、リニアに進化する歴史の終わりという意味を、現在の音楽は体現してまっているのだから。これこそポストモダン以降の、アフター・モダンというべきで状況ではないか?

 ヴィジブル・クロークスも同様である。逆説的なオリエタリズムの反転。景気の良さへの憧憬。経済の上部構造と下部構造のズレ。その結果としてのニューエイジ・ミュージックのリヴァイヴァル。そこにレイヤーされるOPN以降の精密な電子音楽の現在。
 それらの複雑な文脈が交錯しつつも、仕上がりは極めて端正で美しい電子音楽であること。それが本作ヴィジブル・クロークス『ルアッサンブラージュ』なのである。1曲め“Screen”の細やかな水の粒のような美麗な電子音を聴けば、誰の耳も潤されてしまうだろう。

 本作は、ニューヨークの名門エクスペリメンタル・レーベル〈RVNG Intl.〉からのリリースだ。つまり文脈といい、リリース・レーベルといい、近年のニューエイジ・アンビエントの潮流における「2017年初頭の総決算」とでも称したい趣のアルバムなのだ。非常に重要な作品に思える。

 2017年早々に、南アフリカの最西南端の都市のケープタウンに行って来た。元ルームメイトが南アフリカ人で、彼の兄がケープタウンで音楽ライターをしていると言うので、音楽シーンを紹介して貰おうと思ったのだ。NYからヨハネスバーグまで16時間、そこからさらに2時間のフライトで、ケープタウンに降り立った。天気も良いし景色は最高。左手には山があり、右にはビーチが広がる。アフリカ大陸、最南端のポイント、喜望峰に行ったり、ワイナリーに行ったり、サーフィンをしたり、思う存分自然を楽しんだ。
 こんな平和で自然な場所に、興味深い音楽シーンがあると聞いた。南アフリカは、そもそもヨーロッパから入って来たハウス・ミュージックが人気で、私が好きなインディロック・ミュージックというのはまったく聞かない。南アフリカで、いま人気があるのは、gqom(ゴム)ミュージックで、その発祥は、ケープタウンではなく、東にあるダーバンらしい。勿論ケープタウンでも、若者達が集まる観光地エリア(ロングストリート、ループストリート、クルーフストリート辺り)では、大勢の人が集まり、大音量の音楽がかかり、活気に溢れていた。空港近くのタウンシップという貧しい地域には、朝から晩までダンス・ミュージックがかかり、キッズ達がたむろしていた。車で近くを通ると「窓を閉めろ」「物はやるな」と同乗者に注意されるのだが、そのタウンシップで、ゴム音楽やシャンガーンなどの南アフリカ・スタイルの音楽が生まれている。

 南アフリカは、ヨーロッパの影響を受けていると書いたが、音楽と人、自然に魅せられ、何度も南アフリカを行き来している(なかには移住した)ヨーロッパ人を何人か知っている。彼らは「いま、ヨーロッパのクラブ文化において、新しく新鮮なものを求められていて、ゴムの感覚は並外れている」と声を揃えて言う。ノルウェイで、音楽ディストリビューション会社で働くTrond Tornesもそのなかの一人。彼はここ10年の間に20回以上も南アフリカに来ていて、ダンス・ミュージックに精通している。
「南アフリカには、ハウス・ミュージック文化が入ってくる前に、独自の音楽とダンス文化があったし、90年代には自由への戦いが南アフリカであり、オーガナイズされた国の抗議者は至る所で団結していた。南アフリカのアンダーグランド音楽は、70年代後期のパンク・シーンのように、いつも海外の文化に影響を受けていたし、90年代には、ガレージ音楽やハウスがNYやシカゴから入って来た。南アフリカの新しい世代は、まさにアパルトヘイトが歴史で、新しい文化的な定義にニーズがある新しい社会に乗っかろうとしているんだ。プロデューサーたちは、ハウスをただコピーするだけでなく、自分達の独自の物を作った。例えば、テンポを下げたり上げたり(124 bpmから106bpm)、歌を加えたり、ベースラインを入れたりね。そしてクワイトが生まれ、いまはゴムが台頭している」
と熱く語る。

 ゴム音楽発祥のダーバンで音楽フェスティバル/国際音楽コンファレンス、「KZNミュージック・インビゾ」をオーガナイズするSiphephelo Mbheleは、南アフリカの音楽シーンをよく知る人物。この2人に、南アフリカの音楽(主にゴム)について語って貰った。

Pic credit: Thanda Kunene / Courtesy of Imbizo festival


インタビュー : Siphephelo Mbhele (KZN Music Imbizo)
https://www.kzn-musicimbizo.co.za/


まず自己紹介をお願いします。

Siphephelo Mbhele:僕は、Siphephelo Mbhele。南アフリカのダーバンと言う都市でKZN Music Imbizoと言う音楽フェスティバルをオーガナイズしている。今年(2017年)で9回目、8/31-9/2に開催される。世界中から音楽関係者が集まり、音楽や映画を発表したり、音楽機器のデモンストレーションをしたり、意見交換会をしたり、プロデューサーの研究室があったり、様々な可能性を試している。

南アフリカ版SXSWみたいなものですね。その南アフリカで、今話題はゴム(gqom)ですが、それについて教えて下さい。

Siphephelo Mbhele:ゴムは、ここダーバンで生まれた音楽のジャンルで、ハウス・ミュージックにブロークン・ビートやカットされたボーカル、チャンティングが入っている。ハイテンポで、大体はベースラインがなくて、DIYで、低予算のストリートサウンドで、何にも似ていないパターンで作られた、騒々しいトライバル音楽のコレクション。なんて、ゴムは、実はベース・キック(ダフ音)の音から来てるんだよ。

Pic credit: Thanda Kunene / Courtesy of Imbizo festival

ゴムは、何から影響されてスタートしたのでしょう。

Sphe:主にテクノロジーに帰するね。ほとんどのゴム音楽は、プロダクションを学んだ若者たちの深いループで出来ている。ソフトウエアへのアクセス権を通して、ファイルを共有するウエブサイトはスパークし、たくさんの人が、音楽を作れると信じてる。もうひとつの重要な要因は、ダーバンの人は、ダンスが好きなこと。ダンス音楽の、いろんな種類を見つけたかったら、ダーバンは完璧な所だよ。ヨハネスバーグは、クワイト(Kwaito-アフリカの音とサンプリングを組み込んだハウス・ミュージック)を90年代から2000年中盤にもたらしたのだけど、クワイト音楽が、そのアピールをなくした時、ダーバンが音楽を復活させた。なので、「ダーバン・クワイト」と呼ばれたものは、非常に商業的になり、誰もが作っていた。そして別の音楽が、タウンシップから成長して来た。それがゴム(gqom)音楽。ほとんどの初期のゴム音楽は、主にエクスタシーについてで、音楽は、タウンシップから出た町のなかの、薄汚い所でプレイされ、ミニバス・タクシーによっても広められた。

ゴムとクワイトでは、共通する所はありますか? どちらも南アフリカの音楽スタイルですよね。

Sphe:そうだね。クワイトが出てきた時のように、最初ゴムには悪い印象がついていた。ゴムも、クワイトのように、タウンシップ・キッズの実験で、音楽遊びだったし、音楽の流通は存在せず、いまでさえメジャーの企業は、つかまえることが出来ない。こういうことは今年は変わると思うけど。すべての動きは、洋服、タウンシップのスラング、ダンス、そして主に楽しい時間(歌詞は大体エクスタシーを含む)に関してで、ゴムは、自己表現の必要性から出て来たんだ。

ゴムはどのように広まっていったのでしょうか。

Sphe:ゴムは、特に、何人かのプロデューサー/ビートメイカーが、大きなレコードレーベルにサインしてから、少しずつ評判を得てきた。ミックス、マスターされてない、リッチなループをベッドルームで作る輩からのね。レーベルのAfrotainmentを通して、何年もかけ、全国に知れ渡った曲も少しはあったかな。そして2016年、この国の一番のヒット曲は、ゴムの「Wololo」だった。環境は変わり、ゴム音楽プロデューサーは、ベッドルームから抜け出し、いまでは、合唱音楽(聖歌隊)やヒップホップや他とコラボレーションしているよ。

ゴムは、純粋に南アフリカの現象ですか? それとも、南アフリカ以外の場所でも起こり得るのでしょうか?

Sphe:音楽には、地元のタッチが入っているけど、エレクトリック・ダンス音楽から影響されたもので、David Guettaのような、DJ/プロデューサーから広められた。

少し前に話題になった、シャンガーン・エレクトロとは関係ないのですか?

Sphe:南アフリカのタウンシップ(Soweto)で生まれたシャンガーン・エレクトロは、独自の発展を遂げたダンス音楽のスタイルで、地元のフォーク伝統を再現している。早いテンポで、ハードに、ハイパーに、電子的なニューウェイヴで、パフォーマーは、コスチュームやマスクを被ったりすることもある。プロデューサーのNozinjaによって世界的に広められたけど、ゴムとは直接関係してない。どちらも新しい動きだけどね。

ゴムDJのなかで、南アフリカ以外の、海外でプレイした人はいますか?もしいるならどこで、どのようなフィードバックがありましたか。

Sphe:Dj LAGは、ケープタウンのブラックメジャーによって、マネッジされていて、海外でもたくさんプレイし評価を得ている。事実上、地元では知られてないんだけど。The Rude BoyzとDj LAG に加えて、数人がこの4月にNYでプレイするよ。レッドブルに呼ばれてね。Spoek Mathamboも、音楽を海外に広めるのに重要な役割を果たしてる。僕は過去2年ぐらい、アフリカ中を旅をしたんだけど、南アフリカの音楽は、いつも取り上げられていて、Addis Ababa (Ethiopia) / Gaborone (Botswana)からRabat(Morocco)まで、ゴムはいつもプレイリストに入っていた。

ゴムでは、どのDJに注目すればいいですか?アップデートされたプレイリストはありますか?

Sphe:ほとんどどのアーティストは、www.audimack.comに載ってるけど、Datafile Hostからのリンクにもまだたくさんいるよ。チェックした方が良いDJは、Dj LAG, Dj Nkoh, Babes Wodumo (singer Wololo), Madanone, Rude Boys,Distruction Boys (producers Wololo), Sainty Baby, Nokzen, ManiqueSoulなどだよ。

どのクラブに行けば、キチンとしたゴム音楽が楽しめますか?

Sphe:Havana(ダーバン, CBD)、101(ダーバン, CBD)。

これから、ゴムはどうなっていくでしょうか。世界中から新しいトラックが出てくるのでしょうか。

Sphe:プロダクションの質は向上し、バトルも実験的なレベルで向上するだろうね。アフリカ中がそうなるのが見えるし、新しいダンスの形が伴うだろう。この動きには、たくさんの可能性があるし、メインストリームのディストリビューションを通して、簡単に世界中に広まるだろうね。

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質問作成&翻訳聞き手: Trond Tornes (phonofile)
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質問作成 & 翻訳: Yoko Sawai

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