「K A R Y Y N」と一致するもの

Bristol House - ele-king

 ブリストルと聞いて思いつくのはどんな音楽だろうか?
 先日、BBCでジャイルス・ピーターソンをホストにしてブリストルの音楽史を総括するラジオ番組が放送されたときには、サウンドシステム、ポストパンク、トリップホップ、ドラム&ベース、ダブステップという言葉と共にキーパーソンたちのインタヴューがフィーチャーされた。そうした音楽がブリストルの一面を映し出しているのはたしかだが、一方で同市には数年前からハウス・ミュージックの潮流が渦巻いている。
 面白いのはブリストルのハウスがいわゆるブリストル・サウンドと呼ばれる音楽に必ずしも直接的な影響を受けているわけではないところだ。例えばシーンの中心人物であるシャンティ・セレステは、アメリカ(とくにニューヨーク)やドイツのハウスにインスパイアされていると公言しているし、パーティにブッキングされるのはジェイ・ダニエル、アンドレス、スヴェン・ワイズマンなど市外のアーティストであることが多い。
 シーンとしてまだまだ大きな規模とは言えないが、献身的なハウス好事家たちによって運営されるレーベルやパーティは貴重なコミュニティの場として機能し始めており、今後のさらなる発展が期待される。ここに挙げた新旧5作品はその歴史の一部だ。

Typesun - Last Home DJ Nature Remix - Boogiefuture 2013

 デトロイトやシカゴ周辺のビートダウンを彷彿とさせるラストホームを、マイロの別名義であるDJネイチャーがリミックス。マイロというとマッシブアタックの前身ワイルドバンチのメンバーとして語られることが多いが、約20年ぶりに再始動したDJネイチャーの原体験になっているのは、1989年にニューヨークへ引っ越したときに味わった黎明期のハウスミュージックだ。タイプサンはブリストルの主要ハウスパーティーであるフォーリング・アップのメンバー。

Jay L - Looking Up Pt1 - brstl 2012

 同じくフォーリング・アップのメンバーであるジェイ・L のデビュー作。自身のDJセットで多用するガラージ、そして、普段から聞き親しんでいるソウルやファンクの要素をミックスしたUK産ディープハウスの傑作ルッキング・アップ・パート1を収録。〈brstl〉は、ブリストルのレコード店アイドルハンズのクリス・ファレルとシャンティ・セレステ、そして、〈イマース・レコーズ〉のキッドカットがブリストル産ハウスを紹介するために始動したレーベルだ(現在はファレルとセレステのふたりで運営されている)。

Typesun - Make It Right - Don't Be Afraid 2016

 再びタイプサン。数年前にロンドンからブリストルに拠点を移したセムテックが手掛けるレーベル〈ドント・ビー・アフレイド〉の2016年第一弾リリースでは、バンドマンでもあるタイプサンらしいセッション感溢れるアレンジが映える。別作品だが、彼がドラムを担当した珠玉のナンバー、ザ・ピーエルも必聴。

Shanti Celeste - Days Like This - Idlehands 2014

 シンプルなビートに自身の歌声を乗せた陶酔感と浮遊感が漂うトラック。ミックスしやすいように考慮されたスネアの挿入タイミングや展開には、DJとしてパーティをこよなく愛する彼女らしさが表れている。レコード店でもある〈アイドルハンズ〉はこうしたハウスだけでなく、ひとつのスタイルに限定しないディープで面白い音楽を提案し続けている。

Borai - Anybody From London - HOTLINE009 2015

 ブリストルでもっともDIYなレーベル〈ホットライン〉は決してハウスレーベルではないが、オクトーバーとのコラボレーションで知られるボライのこのトラックにはジャッキンなシカゴ・ハウスに通ずる音楽観があり、フィルインとして挿入されるブレイクビーツはかつてのフリー・レイヴを彷彿とさせる。

interview with DMA's - ele-king


DMA's
DMA's

Infectious / ホステス

Rock

Tower HMV Amazon

 DMA'sを本当にオアシスの後継だと考えるひとはいるだろうか? もちろんひとつの売り文句にすぎないが、そうした喧伝が彼らに翼をつけるとも思われない。われわれはべつに次のオアシスを求めているわけではなく、ただそこで90年代のUKインディを思わせる音が素朴に素直に鳴っていることを喜び、また、オーストラリアのバンドであるという出自が、洒落っ気と愛嬌を伴った「いなたさ」としてうまく読み替えられていることに大いに反応しているのだ。

 素朴さの価値はいまそれほどまでに高い。そして、コートニー・バーネットの存在によってにわかに熱いまなざしを向けられているオーストラリアは、その金脈であるかのように幻想されている。彼女は先日グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネートされたが、むしろその事実よりも、ロンドンでのゲリラ・ライヴの様子のほうが、この現象をうまく伝えているといえるだろう。みな、ロックを継ぎ得るヒーローではなくて、ふと聴こえてきた素朴さ、その清新な力に足を止めているのだ。

 それに加えて、昨年作『カレンツ』の絶賛ムードで存在感を増したテーム・インパラもオーストラリア熱を支える。系譜としては彼らに近いサイケ・バンド、ガンズにジェザベルズ、あるいはシドニーのインディ・ポッパー、アレックス・ザ・アストロノート、もう少しヴィンテージ感のあるオーシャン・アレイなどなど、ロックはどこに残っているのかと「発掘」が止まらない。

 しかしてDMA'sは? 彼らもまた、素直で少し懐かしい音を聴かせてくれる。ただし、アークティック・モンキーズ以降のロックであることがわかる。かつ、90年代のUKインディだけではなく、同時期のUSインディの感覚もうっすらと漂う。「オルタナ」という名のまま古びていった音を、彼らはいまの感性のまま無邪気に楽しんでいる。

 また、キウイ・ポップの牙城にして、USインディとかの地のロックとの紐帯である〈フライング・ナン〉とも関わりが深いようだ。一貫してガレージ―で素朴なスタイルによって強固なレーベル・カラーを築き愛されてきた彼らの縁戚に、このようにフレッシュなバンドが生まれていることは、現在のバブル状況に関係なく、そもそものシーンの層の厚さを証明しているといえるだろう。

 よって、DMA'sについてはもう、聴くだけだ。彼らが楽しむようにわれわれも楽しめばいい。ただ、ロックというジャンルの可能性について割合にクールな視点を持っているところは現代ふうというべきである。けっしてレイドバック志向なわけではない。コートニー・バーネットがそうであるように、彼らはとても自然にその音を呼吸していて、それがなにより気持ちよいと感じる。もし「大型」新人と呼ぶのなら、そのような点をこそ大型と表現したい。

■DMA's / ディー・エム・エーズ
オーストラリアはシドニー出身の3ピース。トミー・オーデル(Vo)、ジョニー・トゥック(Gt)、マット・メイソン(SW, Gt,Vo)によって2012年に結成。地元の小レーベル〈I Oh You〉からのシングル・リリースなどを経て〈Infectious〉と契約。2015年11月、日本独自EPをリリースし、その直後初来日している。2016年2月、デビュー・アルバム『ヒルズ・エンド(Hills End)』を発表。

シドニーではオーストラリアのヒップホップがとても人気だよ。あとはEDMみたいなエレクトロニック・ミュージックとかね。(ジョニー・トゥック)

みなさんは何歳なんですか?

マット・メイソン:平均26ってとこかな。俺は25歳、ジョニーが26歳で、ここにはいないトミー(・オーデル)が27歳だから。

楽器やバンドをはじめるきっかけになったアルバムやアーティストを教えてください。

マット:俺は13歳のときにソニック・ユースを聴いたのがきっかけでギターを弾きはじめた。友だちのバンドに巻き込まれて、みんなと同じ音楽を聴くようになった。

ジョニー・トゥック:若いころはそこまで音楽が好きじゃなかったんだけど、学校で楽器ひとつをクラリネットとベースの二択からを強制的に選ばせられて、自分はベースを弾くようになった。クラリネットでもよかったかもね(笑)。それでベースをやるようになったら、お父さんがジョニー・ミッチェルの曲を教えてくれて、それを聴いてすごくインスパイアされた。

シドニーではどんな音楽に人気がありますか? またUKとアメリカを比べるとしたらどちらの影響が強いですか?

マット:オーストラリアはイングランドの子どもみたいなものだけど、アメリカの影響のほうが最近は強いと思う。

ジョニー:シドニーではオーストラリアのヒップホップがとても人気だよ。あとはEDMみたいなエレクトロニック・ミュージックとかね。でもヒップホップのMCがオーストラリアなまりでラップしてると、ちょっと笑っちゃうよね(笑)。アメリカでもイギリスなまりでもなくて、オーストラリアなまりで歌うひとも一部にはいるよ。俺たちが好きなポール・ケリーもそうだし、最近出てきたコートニー・バネットなんかも彼にすごく影響を受けているねと思う。あと、ハードコア・メタルが人気で、他の街のメルボルンにはメルボルンのシーンがあったりする。

オーストラリアのインディ系レーベルで1年以上続いているってすごいことだよ。(マット・メイソン)

〈アイ・オー・ユー(I Oh You)〉というレーベルについて教えてください。とくにロック専門レーベルというわけではないですよね。シドニーでどのような役割を担っているのでしょうか?

マット:最初はレーベルもマネージャーもいない状態でやっていたんだけど、あるときビデオをとってネットにアップしたら、マネージャーやブッキング・エージェントみたいなひとたちから、連絡が舞い込んでくるようになった。その流れでいまのマネージャーが決まって、彼が〈アイ・オー・ユー〉を教えてくれたんだよね。大きなレーベルじゃないし、所属アーティストもそんなにいないんだけど、オーストラリアのインディ系レーベルで1年以上続いているってすごいことだよ。すごくヘヴィーなバンドや、俺たちに似ているバンド、女の子のポップ・シンガーとも最近契約したよ。音楽的には幅広いし、運営の仕方もすごくうまいからオーストラリアですごく大きな存在になると言われているし、俺たちも彼ならそうなれると思っているよ。

ニュージーランドについても教えてください。〈フライング・ナン(Flyng Nun)〉やサーフ・シティといったバンドがいて、彼らにはオリジナリティがありますが、同時に90年代の音楽を参照することもあります。ニュージーランドのシーンは馴染み深いものですか?

ジョニー:よく行き来はするよ。実際にいまのライヴ・バンドのギタリストはポップ・ストレンジっていう〈フライング・ナン〉と契約しているバンドのメンバーなんだよね。だから好きなバンドも多いけど、いろんな音楽を聴いているから、とくにニュージーランドのシーンから影響を受けているわけではないかな。

新しい音楽はどのようにして知りますか? 

マット:友だちから教えてもらうことは多いよ。〈アイ・オー・ユー〉のヨハン(Johann Ponniah)がいろいろおすすめしてくれるんだ。あとスポティファイはいいよね。それからいまはライヴ・サーキットにもよく出ているんだけど、知らないバンドのライヴが見られるから、新しい音楽を知るきっかけになっている。

自分たちが楽しめる曲を書いていたらそうなっただけ。だから、昔の音楽に似ているものをやろうとは思ったことはないね。(マット・メイソン)

いまの音楽と比べると、90年代や80年代の方に好きなバンドは多いですか?

マット:たしかに普段聴く音楽は昔のバンドが多いけど、その理由は自分でもよくわからない。でもだからといって、いまの音楽がよくないとは言いたくないし、いいバンドもたくさん出てきているけど、全体的なテイストは時代とともに変わってしまって、自分たちは昔の方が好きなんだと思う。

よく80年代や90年代のバンドと比較されることが多いと思いますが、あなたたちはそういった音楽を参照している意識がありますか? また〈ファクトリー〉や〈クリエイション〉といったレーベルに興味がありますか?

マット:90年代の音楽はよく聴くんだけど、ものすごく影響を受けたわけでもなくて、自分たちが楽しめる曲を書いていたらそうなっただけ。だから、昔の音楽に似ているものをやろうとは思ったことはないね。それからトミーはイギリスの音楽を聴くんだけど、曲を作る俺たちはそこまで聴くわけでもない。

エレクトロニック・ミュージック、たとえばダンス・ミュージックといった他のスタイルにも興味がありますか? 

マット:バンドをはじめたときは生ドラムじゃなかったから、ドラムマシーンを使っていたんだけど、いまはリアムっていうものすごくいいドラマーがいるから必要ない。でも将来的にはまた使う可能性もあると思う。自分たちが新しいシンセを買えば、セカンドではそれを使うし、個人的にヒップホップのビートを作ったりもしているから、エレクトロニック・ミュージックの要素を取り入れる可能性はいまでも十分にあるよ。トミーはダンス・ミュージックのファンでいろいろ聴いているしね。

アルバムの構成はどのように考えたのでしょうか?

マット:本当にシンプルに全体のバランスを考えただけだよ。ビリヤードの玉を三角に並べるときって隣に同じ玉がこないように揃えるけど、そんな感じでラウドな曲と静かな曲が続かないように意識した。

ジョニー:あと全体のダイナミズムは考えたよね。

マット:ストーリー・ラインがあるわけでもないし、曲の流れを決めていたくらいで、そこまで考えて構成したわけでもない。でもEPで作った流れをこのアルバムでも続けたいとは思った。

世の中を変えるような可能性があった頃からやっているひとたちにとっては、そんなこと意味がないように見えるかもしれないけど、いまやっていることにだってちゃんと意味があるんじゃないかな。(マット・メイソン)

「DMA」とはどのような意味を持つ名前なのでしょうか?

マット:初期のバンド名の省略で、とくに意味はないよ(笑)。自分たちの音楽を表すシンボルみたいなものなんだけど、みんなどんな意味があるのか勘ぐるんだよね。オランダのラジオ局へ行ったときは20個くらい意味の候補があって、ここでは言えないような名前の省略形を考えついたひともいた(笑)。そういうのもおもしろいけど、実際には何の意味もないんだよね。

ロックという音楽はいまでも多くのバンドを生んでいますが、音楽的なポテンシャルやその可能性は出尽くしたと思うことはありませんか?

マット:新しく出てきて一気に世の中を変えてしまうような音楽が生まれるという点に関しては、ロックはポテンシャルを失っていると感じることはあるけれども、もう既にあるジャンルで自分が好きなことをやることはできるし、それを楽しむことも可能だと思うよ。世の中を変えるような可能性があった頃からやっているひとたちにとっては、そんなこと意味がないように見えるかもしれないけど、いまやっていることにだってちゃんと意味があるんじゃないかな。

みなさんにとってロックバンドがどのような価値を持ったものなのか教えてください。

マット:ロックバンドをやるってことは、やっていることを楽しむってことだよ。自分たちにとってはね。

IO - ele-king

イメージがリアルを追いつめる “CHECK MY LEDGE”

 2015年の東京のアンダーグラウンドを騒がせたビッグ・ハイプのひとつは、間違いなくKANDYTOWNだった。世田谷区南西部のベッドタウンを拠点とするこのクルーは、ランダムにドロップするヴィデオやミックステープ、さらにはストリート限定のフィジカルCDを通じて、東京の山の手エリア特有の、アーバンで洗練された空気を緻密に演出してみせた。トラックメイク、ラップとともに、映像制作やモデルまでこなす総勢15人。北区王子や川崎南部など、東京の郊外エリアからハードコアなバックグラウンドのトラップ・ミュージックが隆盛する中、「KANDYTOWN」という架空の街のコンセプトと、メロウなサンプリング・アートによって構築される90’Sサウンドは異彩を放っていた。じゅうにぶんに盛り上がったハイプと、おそらくは水面下でくすぶるジェラス混じりの反感。デビューの舞台としては申しぶんない好奇心が渦巻く中、KANDYTOWNの中心人物であるIOのファースト・ソロ・アルバム『SOUL LONG』はリリースされた。

 結論から言おう。IOは見事にハイプの内実を埋めた。彼はこの30年来の日本のヒップホップの伝統の正統な後継者だ。そして同時に『SOUL LONG』は、ジャンルの壁を超え、CEROやSUCHMOSなど、ヒップホップ以降のソウルやファンク、ジャズの咀嚼を通じてシティ・ポップスを現代的に更新/拡張しようとする、新世代のインディ・バンドたちの隣に置かれるべきレコードでもある。つまり、日本の若い世代による、アメリカ音楽のコンテンポラリーでフレッシュな再解釈。そこには、これまでの日本のヒップホップのエッセンスの継承だけでなく、それ以前から東京の文化エリートが綿々とつむぎ続けてきた、外国音楽の真摯な翻訳の伝統が息づいている。豪華プロデューサーたちの集結をうけて、巷では「日本版Illmatic」との言葉も飛び交っているみたいだけれど、『SOUL LONG』は20年前の黄金期ニューヨーク・ラップの焼き直しなんかじゃない。これは、噴出するリアルに対抗しようとする、想像力を武器にしたスタイルの美学だ。

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 ルー・コートニーの“SINCE I LAID EYES ON YOU”の流麗なコーラスをバックに亡き親友の肉声をサンプルする”CHECK MY LEDGE”から期待を裏切らない。腰を落ち着けたIOのラップはどこまでもスムース。いわゆるトラップ以降の、フロウの独創性とフレーズの面白さで勝負する最近の流行とはまるで真逆だ。フロウを壊さぬようになめらかなライミングをキープし、ヴァースの終わりには狙いすましたパンチラインをキックしてみせる。それ以降も、なかばクリシェ的なセルフ・ボースティングやワン・ナイト・スタンド的な色恋沙汰、警察の職務質問をかわすきわどいシーンまで、あくまで一線を越えないクールさだ。

 世代を超えた精鋭プロデューサーたちによるトラックもそれぞれの個性を際立たせながら統一感を失わない。新世代の筆頭、ビート・アルバム『OMBS』で世界水準のビート・メイカーであることを証明したSIMI LABのOMSBによる“HERE I AM”、そしてDOWN NORTH CAMPの若きキーマン、KID FRESINOがビート・メイクとリミックスでの客演をこなす“TAP FOUR”が、とにかく素晴らしい。NEETZが笠井紀美子の楽曲をサンプルして90年代生まれのIOが歌う“PLAY LIKE 80’S”も、いまの東京のバブリーで、どこか殺伐とした空気をうまく切り取っている。KANDYTOWNの面々をゲストに迎えた“119MEASURES”ではスリリングに、BCDMGのJASHWONによる“CITY NEVER SLEEP”では叙情的に、それぞれ対照的にストリングスを使いわけるバランスも新鮮だ。
 クライマックスの終盤、ライムスターのMummy-Dによる完全に90’Sマナーの“PLUSH SAFE HE THINK”ではジャン・ミシェル・バスキアをさらりと引用し、生歌の日本語フックに挑戦した疾走感溢れる追悼タイトル・トラック、“SOUL LONG”はKING OF DIGGIN’、御大MUROプロデュース。いまや太平洋を越えた現象である、90年代の黄金期ニューヨーク・ヒップホップ再評価の流れに呼応して、どれもトラップ的なアプローチとは一線を画す、メロウな90’Sサウンドだ。とくにMummy-DとMUROのベテランならではのプロデュース・ワークは、フレッシュでありながらオーセンティック、というアルバム全体の印象を決定づけている。リリックには故DEV LARGEの名もさらりと飛び出すけれど、彼が存命中ならきっとこの豪華布陣に名を連ねていたに違いない、なんてことも思わずにはいられない。

 日米の90’Sリヴァイバラーの中でのIOの個性は、間違いなくそのメロウネスにある。それはけしてサンプリングを基調としたサウンドのムードだけのことではない。スムースなラップというのはたいてい歌に接近するものだけれど、IOはあくまでクラシカルなラップによって、ソウルフルなフィーリングを表現する。たとえば、ビースト・コーストの震源であるニューヨークのPRO ERAとその中心人物JOEY BADA$$には、サウンドにもリリックにもハードコアなヒップホップ・マナーが顕著にみてとれるし、そもそも長らく90’Sヒップホップの文法に呪縛されてきた日本のシーンで、真の意味での90’Sリバイバルを決定づけたFla$hBackSの洗練されたサウンドにさえ、そのフロウやビート・マナーには言語化以前の鋭い反抗のアティチュードが感じられる。それに対してIOは、あくまで優雅でドライなスタンスを崩さない。葛藤や苛立ちの棘、強い叙情を完璧なまでにコントロールして、ひたすらソフィスティケートされたドラマを演出してみせる。

 ラップというのはえてしてリアルを追求するものだけれど、ここにあるのは逆に、イメージを駆使してリアルを塗り替えようとする想像力だ。KANDYTOWNのミックスやヴィデオにはアメリカのソウルだけでなく、山下達郎の“甘く危険な香り”など、日本産のシティ・ポップスが印象的に登場する。そのことを踏まえれば、口にしてはいけないことを口にしない、この禁欲的な美学は、かなり確信犯的に選びとられている。東京郊外でリアリティ・ラップが盛り上がり、地上波ではフリースタイル・バトルの泥くさい熱気が溢れる中、サウンドの感触と言葉選びによって演出されるこのクールネスは、そのスムースな見た目とは裏腹に、とても野心的なものだ。郊外のトラップ・ミュージックがVICE JAPANのショート・ドキュメンタリーをきっかけに注目を浴びたのとあえて対比させるなら、IOとKANDYTOWNのバックボーンには明確に、映画的な感性がある。

 シティ・ポップス的な想像力を媒介とした、ヒップホップ以降のソウルやジャズ、ファンクのメロウネスの再構築。その音楽的な方向性は、足取りはまったく真逆だけれど、現在の日本のインディ・ロックともリンクする。それは、たとえばCEROがディアンジェロやロバート・グラスパーを経由して最新作『OBSCURE RIDE』で完成させたサウンドや、KANDYTOWNの一員である呂布も客演するSUCHMOSのデビュー盤『THE BAY』とも、切れ目なくつながっている。事実、CEROの“SUMMER SOUL”の12インチのリミックスを担当したのはOMSBだし、STILLICHIMIYAの田我流とカイザーソゼ、5lackの生バンドとのセッションなど、最近のアンダーグラウンド・シーンはバンドサウンドとの実験的融合に舵を切りつつある。
 ただ、こうした交錯現象は、いわゆるクロスオーヴァーとは少しおもむきが違う。本作には昨年急逝したKANDYTOWNの創設者、YUSHIが残したラップやビートがいくつか使われているけれど、彼はかつて、現在のOKAMOTO’Sの前身バンドのフロントマンをつとめていた。つまり、異なった音楽的バックグラウンドを持つ者たちが異種交流し、ハイブリッド的になにか生み出しているというよりは、もともと共通の音楽的素養を持つ者たちが、アウトプットとしてそれぞれ異なる表現方法を選ぶことで、自然にジャンルの壁を超えた交錯が生まれているとみるべきだ。これはディアンジェロやグラスパーの登場を背景とする、90年代以降のヒップホップを軸にしたソウルやジャズの更新なしにはありえなかったことだ。

 少し大げさな話になってしまうけれど、文句なしに去年のベスト・アルバムだったケンドリック・ラマーの『TO PIMP A BUTTERFLY』は、ヒップホップの人脈と若手のジャズ・プレイヤーの人脈が実際の血縁関係も含むクランとしてつながり、その制作を支えていた。サウンド面でのリーダーだったテレス・マーティンにいたってはア・トライブ・コールド・クエストとの出会いがきっかけでジャズの魅力に没頭していったというから、ようはヒップホップ以降の世代にとって、マシンのビートと生楽器による演奏というのはとくに大仰に線が引かれるものじゃない。J・ディラ以降の身体的なズレを反映させたマシン・ビートはすでにクリス・デイヴなど、ディアンジェロやグラスパーのサウンドを支えるドラム・プレイヤーによって、再帰的なプレイ・スタイルに昇華されてさえいるのだ。もちろん『SOUL LONG』そのものは、オーソドックスなヒップホップの方法論で制作されているけれど、そのスタイルがメロウネスを結節点にシティ・ポップスとの共振の萌芽をみせていることは、今後のシーンの動向を占ううえでも非常に重要だ。

 このアルバムのリリースされた2月14日は、KANDYTOWNとっては肉親同然の幼馴染みだった、故YUSHIの一周忌にあたる。作品に昇華するにはいまだ生々しいだろうその傷も、YUSHIの遺した謎の言葉を「ソー・ロング(さよなら)」と読ませるタイトル、詩的なリリックやアートワークを通じて、あくまでも寡黙に、コンセプチュアルに表現される。KANDYTOWN名義のミックステープ『KOLD TAPE』では、サックスをフィーチャーしたバンドサウンド、大橋純子の“キャシーの噂”といった昭和歌謡、JAY-Zやディアンジェロなどの90’Sクラシックをひょうひょうとビートジャックする、自由奔放な実験が繰り広げられていた。『SOUL LONG』のストイックなサウンドとワード・チョイスはおそらく、確固たるスタイルの美学に従って構築されている。

 KANDYTOWNのベースにシティ・ポップス的な洗練の美学がある、というのは、けして表面的な直感だけにとどまらない。1980年代に誕生したシティ・ポップスという日本独自のジャンルを牽引した大瀧詠一や山下達郎といったミュージシャンは、アメリカから遠く離れた島国で、本来は借りものであるソウルやドゥーワップ、ロックンロールなどの海外音楽のエッセンスを抽出し、綿密な計算にもとづいて、なかばフィクショナルに都市的な洗練を演出しようとしていた。それは同時に、直前の学生運動の熱狂、そしてその運動に同期したフォーク・ミュージックの情念や直接的なポリティカル・メッセージから意識的/無意識的に距離をとり、自分たちの新たなリアリティを創造する試みでもあった。

 海外音楽をヒントにした新たなリアリティの創出、というその伝統の遺伝子は、90年代来の日本のヒップホップのルーツにも、もちろん強く刻印されている。そもそもヒップホップのサウンドは、ジャズやソウル、ファンクの偉大な遺産を切り刻み、自分勝手なフレッシュさで再構築するという不遜な哲学にもとづいているけれど、参照先の音楽的遺産がもとより輸入文化である日本では、その情熱はいよいよレコードというフェティッシュなモノへのネクロフィリック(屍体性愛的)なものにならざるをえない。掘りおこした黒いヴァイナルに封印された異国の音楽の屍骸をむさぼり、その音の魔力を血肉化して、自分たちの新たなリアリティの発明を試みる若者たち。そのとても豊かで、どこか屈折した光景は、日本のヒップホップにとっての、愛すべき原風景でもある。

 おそらく、リアリティ・ラップの台頭をうけて最近よく口にされる、裕福なフィクションの時代が終わり、より切実なリアルの時代が始まった、という一見わかりやすいストーリーそのものが、ひとつの罠なのだ。なぜならヒップホップの母胎となった1970年代のニューヨークのゲットーは、警察も立ち入れない、ギャングによる熾烈な内戦状態にあった。いくら経済格差が拡大しているとはいえ、数字上の治安状態としてそこまでの荒廃を経験してはいないはずの日本から、生々しいラップ・ミュージックが生まれる理由は、なし崩しに下降線をたどる自分たちの社会の現実に、ゲットーという虚構=フィクションの補助線を引くことによって、初めて理解される。いかなる切実なリアリティも、リアルにフィクションを足すことなしには存在できない。客観的に現実を切り取ろうとするドキュメンタリーさえ、作り手の主観なしにはけして成立しないように、ここには、リアルとフィクションをめぐる、根源的な秘密がある。

 そして、ヒップホップにおいてそのリアルとフィクションの配合の秘密は、誰もが知るひとつの言葉で表現される。つまり、スタイル、と。いみじくも「スタイル・ウォーズ」という言葉に端的に表れている通り、ヒップホップにとってスタイルとは、けして表層的な飾りではない。明確な意志で選びとられたスタイルこそが、リアルに拮抗するリアリティを創りだし、やがてリアルそのものを変えていく。東京の地下のクラブで、物静かなベッドタウンで醸成された異国由来の夢は、いまその狭い空間から溢れ出し、震災後の東京の真っ暗な路上を覆おうとしている。このロマンティックなドラマは、リアルから逃避するのではなく、リアルをなぞるのでもなく、リアルに牙をむいているのだ。

 KANDYTWONのホームである世田谷区喜多見は閑静な住宅街だ。そこから大規模な再開発によってバブリーな賑わいをみせる二子玉川を抜けて、さらに多摩川を下流にそって橋を渡ると、東京近郊のリアリティ・ラップの雄、BAD HOPを擁する川崎市がある。デ・ラ・ソウルやパブリック・エネミーら、ロングアイランド郊外のサバービア・ヒップホップに対し、インナーシティのプロジェクトから突きつけられたのが、Nasのハードコア・ラップだった。KANDYTOWNが提示するのは、むしろ東京の山の手エリアの音楽的な歴史の蓄積の豊さだ。そこには、ニューヨークと東京の地政学的なズレを背景とした転倒がある。音楽の力学は、都市の力学の反映でもあるのだ。音とイメージはからみあい、ほどけ、予想もしない仕方で連鎖する。

 そして2015年のもうひとつのビッグ・ハイプは、また別な架空の街をつくりあげたYENTOWNのクルーだった。トラップをドラッギーかつフレッシュなスタイルに昇華した彼らの本格的な活動も、今年は期待されている。それにシーンは違うけれど、SUCHMOSのフロントマンであるYONCEのインタヴューなんて、茅ヶ崎のフッドへの愛着やあけっぴろげな上昇志向、社会に中指を立ててみせる挑発的な態度などなど、完璧にヒップホップ的なストリート・マナーで笑ってしまうほどだ。2016年の東京は大きく動くだろう。自由な想像力が、Googleの無味乾燥なマップを上書きし、街を塗り替えていく。異なるスタイルと異なるリアリティがせめぎあう、その衝突のなかで、10年代のリアルは生まれようとしている。時代を語るヒマがあったら想像力を語れ、この音の強靭な美学はそう告げている。

Massive Attack, Young Fathers - Voodoo In My Blood - ele-king

 すでにご存じの方も多いかと思いますが、マッシヴ・アタックの新作PV、格好良すぎです。昨年『ホワイト・メン・アー・ブラック・メン・トゥー』が前作『デッド』に続いて高評価された、エンジンバラの3人組ヤング・ファーザーズをフィーチャーした新曲のPVですが、なんといまもっともエロティックかつデンジャラスな女優、ロザムンド・パイクが出演!!!! 
 これは2016年のベストPVでしょうな。ロザムンド・パイクの演技を見れるだけでも素晴らしい……

Andrew Weatherall - ele-king

 音楽を聴き続けている者として、ひとつの好奇心、興味、関心のあり方として自分と同年齢の者がどのような表現の変遷、作家活動を辿るのだろうか、というのがある。ぼくより年下の人にもぜひ意識することをオススメしたい。自分と同じ歳で共感できるミュージシャンを探すことである。自分が25歳のときに、同じく25歳のあいつはこんな音楽を作って、35歳のときはこんな音楽を作ったと。そういうふうに聴いていると、なにかと考えさせられることがある。ときには励みにもなる。
 ぼくと同じ歳のミュージシャンというと、──ミュージシャンというよりDJだが──、デリック・メイとジェフ・ミルズがいる。この人たちは、しかしこう言ってはナンだが〝ハイパー〟なので、じつはそれほど同年齢意識を持っているわけではない。日本では菊地成孔がまったく同じ歳で、辿ってきた音楽体験が違いすぎるのだけれど、やはり、わかるところはすごくわかることがある。彼の近著『レクイエムの名手』がまさにそうだった。
 アンドリュー・ウェザオールもぼくと同じ歳である。今年で53歳という、立派な中年だ。そしていま〝中年〟であること、それはぼくがウェザオールに抱く関心のひとつとしてある。
 そもそも、アシッド・ハウス/テクノを直撃した世代の多くは、いま中年期に差し掛かっている。現役でがんばっているDJの多くも中年になってきた。この中年期は、ひとの人生においてじつにむずかしい。以下、エドワード・W・サイードの文章を引用する。

 中年期という年頃は、より明快に定義された二つの時期や事柄の間に挟まれたものの常として、かくべつ有益なものとはみられてこなかった。もはや将来を嘱望された青年でもなく、かといって敬われる老人でもない。不惑を過ぎてなお反抗的な若者ぶってもしばしば愚かしく、いっぽうで早くから老いた重鎮のようにみなされてしまうと、おぞましい尊大さや制度そのもものの厳格さを背負うことになりかねない。(中略)中年期は不確実性と、ある種の喪失性、身体的な弱さ、心気症、不安とノスタルジーの時期である。大多数の人びとにとって初めて死を意識するようになる時期でもある。
 いずれにしても、いま述べたことは経験にもとづいた現実の一部である。(中略)しかし誰であれ実際に中年にさしかかった者にとって、喜ぶよりは考えさせることのほうが多い。過去を繰り返すことなく(いっぽう悲しくもありがちないように)過去を裏切ることも避けながら、そこから学びつつあらためて来し方行く末を思い、猪突猛進してきたそれまでのエネルギーを新たな現実に合わせて修正しなければならないからである。あらゆる決まり文句が示唆するとおり、野暮ったく退屈な、色褪せた状態にもそれなりの真実はある。そしてそれが中年というものなのだ。

エドワード・W・サイード『サイード音楽評論』二木麻里訳

 なんの反論もない。思春期はたしかに人生においてむずかしい季節だが、中年期もすごくむずかしいのである。そのむずかしい季節をアンドリュー・ウェザオールは試行錯誤しながら生きている。ぼくと同じようにだ。
 そのアンドリュー・ウェザオール、彼こそはアシッド・ハウスにイングランドのゴシック趣味を注いだ張本人、彼こそは誰もがスニーカーを履いていた時代にラバーソウルを履いてDJをしていた男、彼こそは誰もが太陽を歌った時代に雨と霧を愛した人物である。近年流行っているゴシック/インダストリルの美学なんぞは、90年代の愛(バレアリック)の季節から表現し続けている。凡庸なDJがそんなことをすればただの異端児だが、ウェザオールという男は、その手の掟破りを最高に格好良く思わせてしまうのだ。彼の才能は、迎合しないその非凡なセンス、それをやってしまう思い切りの良さ、きわめて英国的な目利きにある。
 ロッターズ・ゴルフ・クラブとは彼のレーベル名であるが、この「ゴルフ・クラブ」という言葉を持ってくるところがいかにも彼らしい。ゴルフ・ファッションの元となったラウンジ・スーツは、19世紀つまりヴィクトリア朝時代の後期に流行っている。それはその時代のアウトドア・ファッションである。また最近の彼は顎ひげを生やし、ワークシャツを着ている。これも19世紀から20世紀初頭にかけての英国のスタイルだが、こうした服装からも読み取れることは、彼が〝現在〟に対して深い疑問を抱いているということだ。
 ファンションの問題もあるだろう。近年のウェザオールには見習うべきところがある。もしぼくが40代〜50代をターゲットにするファッション誌の編集者だったら、間違いなくこの男を特集するだろう。多少やり過ぎのところはあるが、もっともむずかしい中年期の身だしなみを彼になりに表現しているからだ。
 とはいえ、完璧な人間などいやしない。ウェザオールは、いまから12年前、中年期を目前としながらロカビリーを取り入れたことがある。41歳において過度に若者ぶったのだが、この気持ちもわかる。この年頃にありがちな、俺はまだいけるんだという、最後のあがきなのだ。そういう意味でウェザオールの作品からは、人生を生きるひとりの人間としての迷いや恐れといったものを感じるし、今作が7年ぶりになったのは、やはりこの歳のむずかしさがあったのだろう。誰もがいつでも時代に乗れるわけではない。  

 俺たちは川に蹴りを入れている
 流れを止めようとして
 無理そうな気がしてきたんだ
 俺が願うほうには流れていきそうにない
 “Kick In The River”

 先日書いたYuri Shulginのレヴューからも続く話だが、アンドリュー・ウェザオールがアシッド・ハウスのなかに注いだゴシック(リヴァイヴァル)運動は、ヴィクトリア朝時代の産業革命への抵抗の表れだった。いま起きている現実の変化こそ悪夢にほかならない。19世紀のテクノロジーの革新による変化をうながす原動力は資本主義だったが、それは現代にも通じる話であり、ゴシックという名の警鐘がいままさに打ち鳴らされていることはここ数年の音楽シーンをみればよくわかる。ゴシックの作家たちが150年前の最新テクノロジーを有効利用したように、彼らもデジタルを使いながらデジタル化社会を批判する。
 しかし、アンドリュー・ウェザオールという、その知性と趣味の良さ、アティチュードによって、長きにわたってDJカルチャーのトレンドに多大なる影響を与えてきた人物の最新ソロ作品は、ハウスでもテクノでも、トリップホップでもない。場末のライヴハウスで10人の客を相手に演奏する、誤解を恐れずに言えばうだつのあがらないバンドのようだ。強烈なまでにくみしたいと願うダンス・ミュージックのスタイルがいまの彼にはないのかもしれない。これもまた一考に値することだが、泉智のレヴューのように長くなってしまったので、先を急ごう。
 場末のライヴハウスで10人相手にするようなバンドは、ある意味では自由である。世間からのプレッシャーもなければ、自らを追い詰めるようなオブセッションもない。過去を美化するノスタルジーもない。曲が出来て、歌詞が書ければ、楽曲は生まれる。『コンヴェナンザ』は、いまのアンドリュー・ウェザオールの気持ちをもってして生まれた誠実な作品である。「野暮ったく退屈な、色褪せた状態にもそれなりの真実はある」とサイードが言うように、ここには若さゆえの勢い、老境ゆえの悟りにはない真実がある。

 どうかこの手紙を許して欲しい
 難破した魂が綴ったんだ
 残骸の専門家 砕けた石のなかで失われた名前
 どんな祈りも僕を救えなかった
 もう一度亡霊を呼び出そう
“Ghosts Again”

SUSUMU YOKOTA - ele-king

 昨年のもっとも悲しいニュースのひとつに、横田進の死があった。彼の早すぎる死は、世界中のDJにもリツイートされたが、それはいかに彼が国際的に評価の高いプロデューサーであったのかを証明した。
 さて、ときの経つのは早く、3月で1周忌となるわけだが、横田進が90年代に長く在籍していたサブライム・レーベルから、ススムヨコタ名義としてはデビュー・アルバムとなる1994年の『Acid Mt.Fuji』が復刻リリースされる。当時日本に上陸したサマー・オブ・ラヴを真っ向から捉えた作品で、時代のドキュメントでもある。
 オリジナルマスターからハイレゾに対応したリマスターを施したのに加えて、ボ ーナス・ディスク(CD アルバム限定)では、過去 CD シン グルのみに収録された3曲に、7インチ限定曲、完全未発表曲、さらに1994年6月のライヴ音源も収録。500枚限定生産なので、欲しい人はお早めに。発売日は3月23日。
 
 また、彼が名声を決定づけた3作、『1998』『1999』『ゼロ』の3枚のアルバムもボーナストラック付きでデジタル配信される。
 詳しくは、こちらをどうぞ。https://www.musicmine.asia/yokota/index.html

Yuri Shulgin - ele-king

 よくアナログ盤は音がいいからという感覚的な話を聞くが、いま現在、12インチのヴァイナルEPなるメディアが意味するところは、90年代(=欧米のインディにとってカジュアルなリリース形態)とも、80年代(=ディスコ目的のリリース形態)とも違っている。高価にはなったが、その意味するところは、19世紀ヴィクトリア朝時代のウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動と似ている。そう、〝量〟に抗する手段である。
 いや、〝量〟というよりは、インターネット地獄に抗する手段というべきだろうか。カイル・ホールの素晴らしいアルバムがヴァイナル・オンリーの配信ナシで5千円することも、まったくもってアーツ・アンド・クラフツ運動のコンセプトと重なりはしないか。
 ウィリアム・モリスとは、19世紀の大英帝国を代表するデザイナーで、そして貧困を憎む社会主義者だった。イギリスで『資本論』を真っ先に読んだ人物としても知られ、英語版のデザインを手がけてもいる。カール・マルクスの娘とともに社会主義同盟のメンバーとして、ストリートでラジカルな演説をうったほどの人だ。モリスが世界を変えるために試みたアーツ・アンド・クラフツ運動による工芸品は、しかし結果、高価であるがゆえに、彼が味方した労働者に買えるものでなかったという矛盾があった。
 だからといって大量生産された安いものばかりを買うことは、職人気質や手工芸というものをこの世界から追放することに加担する。インディ音楽シーンにおいて、いまさらアナログ盤やカセットが重要な意味を持つに至った理由と大いに重なる話だ。そして、Yuri Shulgin(ユーリ・シュリジンと読むのでしょうか。わかる方教えてください)の2年ぶりの新作からは、これが12インチ・ヴァイナルでなければならない理由がよくわかる。デジタルで満足している人には悪いけど、ずば抜けている。そろそろ音楽について語るべきだろう。

 ホアン・アトキンスが「ジャズは先生(Jazz Is The Teacher)」なる曲を発表したのは1992年で、いまここでその時代に起きていたことを振り返ってみるのは、Yuri Shulginの新作を絶賛する理由がより見えやすくなるかもしれないが、そうした分析はときにうっとうしくもあるので、まず単刀直入に言うべきことは、このアナログ盤に彫られた4曲すべてに気持ちが揺さぶられる力があるとういこと。計算されながらも、優れた直観による力強い音響と抱擁、個性、美しい逸脱がある。ミスよりも勢い(グルーヴ)を重視しているところもいい。
 A面1曲目の“Nothing In The City”の出だしのリズムとコードは、飲んでいるビールを思わず吹き出してしまうほどマッド・マイク直系だが、タメの効いたベースライン、ブレイク、躍動するサックスと美しいソウル・ヴォーカル、華麗なピアノのソロ、これら抑制されたジャズの断片と連続してアシッド・ハウスがミキシングされたとき、まあ、微笑まずにはいられない。ジャズが〝先生〟で、音楽的向上心を意味するなら、アシッド・ハウスとは下々の祝祭へのリスペクトを意味する。
 続く“Polyphonic Mind ”を特別なものにしている要素のひとつにもリズムを刻む彼のベースがあり、ヴィブラフォンとサックス、ギターの即興がある。タイトルが言うように、すべての音が“ポリフォニック”に構成される、混然としていて、パワフルで、ハウス・ミュージックが本来持っている猥雑さが根を張るようにある。“Nothing In The City”と同様に、トランペット以外の楽器はすべて彼自身によって演奏されているが、これはフュージョンではないしIDMでもない。1993年のURを継承する音と言えるだろう。
 B面の2曲はダブの探求となる。“Livetrackrecording (Dubby) ”はベーシック・チャンネルを彷彿させ、“#1stereo (Analog Jam) ”はアンビエントを展開、こちらの2曲にもアシッド・ハウスとジャズがある。
 
 Yuri Shulginはロシア在住のプロデューサー(ベーシストとしてヴァクラなどの作品に参加している)で、アントン・ザップのレーベル、〈Ethereal Sound〉から2011年にEPを出している。いや、EPしか出していない。Mistanomistaという名義でもイタリアのレーベルから2枚出していて、その2枚と本人名義の3枚すべてがもっと広く賞賛されるべきものだ。本作は2年ぶりの新作になる。彼の音楽は小さなレーベルから発売されたアナログ盤でのみ発表されている。

HIROSHI WATANABE『MULTIVERSE』 - ele-king

 〈トランスマット〉からのリリースを控え、ヒロシ・ワタナベが今週末から日本全国ツアーを開始する。無茶苦茶気合いが入っていると思われるので、この機会にぜひ彼のDJを体験して欲しい。〈コンパクト〉のKaitoだけが彼のスタイルではない。彼の新作のように、エモーショナルなところも彼の魅力のひとつであり、その音楽は、きっとあなたを悪夢から覚ましてくれるでしょう。
 なお、アルバムも4月20日に発売が決定しました。

 90年代から現在までを通じて、もっとも幅広いシーンで愛されてきたといえるエレクトロニック・アクト、アンダーワールド。来月には6年ぶりにフル・アルバム『イフ・ラー』が発表される予定で、2012年にロンドンオリンピック開会式の音楽監督を務めて以来だという新曲“アイ・エグゼイル(I Exhale)”も公開され話題を集めている。
 そして今回は緊急来日の情報が解禁となった。抽選で一夜限りのスペシャル・ライヴ(彼ら推奨のハイファイヘッドフォンを使用)を体験できるほか、2次会場にて360度映像のライヴ・ストリーミングも楽しめるようだ。なお、この企画はの一環であり、本展ではカール・ハイドとリック・スミスによるペインティングと音のインスタレーションも見られるとのこと。それぞれ日程や詳細は以下のとおりだ。

アンダーワールドが緊急来日! ライヴで渋谷をジャック!
世界的デザイン集団「TOMATO」結成25周年記念大型企画展に登場!

3月16日に6年ぶり7作目となる最新スタジオ・アルバム『バーバラ・バーバラ・ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』をリリースするアンダーワールドの緊急来日が発表された。3月12日から4月3日に渡って、Parcoが東京・渋谷から世界に向けて開催する、世界的デザイン集団Tomato (www.tomato.co.uk) の結成25周年記念エキシビション「THE TOMATO PROJECT 25TH ANNIVERSARY EXHIBITION “O”」 のハイライトとしての来日となり、エキシビション初日に「Underworld Live: Shibuya Shibuya, we face shining future」と題したパフォーマンスで華を添える。

Tomatoの創立メンバーでもあるアンダーワールドのカール・ハイドとリック・スミスは、3月12日渋谷某所で、抽選に当選された幸運な200名のオーディエンスに向け、彼らが推奨するBowers & Wilkins 社製P5 ハイファイヘッドフォンを 使った一夜限りの「SUPER-HIGH-QUALITY-LIVE-TO-HEADPHONE」ライヴを行う。

さらに、今回のライヴは、この春開局する「渋谷のラジオ」(87.6MHz FM)とのコラボレーションで、ラジオ電波を通じて、渋谷の街へ生放送。最新アルバム「Barbara Barbara, we face a shining future」に収められた楽曲も初披露される。(詳細後日発表)

また、このライヴでは、「Galaxy」プロデュースによるライヴストリーミングを2次会場にて開催予定。「Gear VR」とともに360度映像で楽しめるかつてない体験をお届けし、さらに本企画に協力する「Galaxy」と「Bowers & Wilkins」がよりその空間を盛り上げます。(詳細後日発表)

この他、エキシビション本展への参加としてKarl Hydeによるペインティング作品と、Rick Smithによるサウンド演出からなるアートインスタレーションも展示される予定。(Gallery X: 渋谷パルコ・パート1 B1F)

詳細はコチラ >>> www.parco-art.com

また先日ブリストルで開催された6ミュージック・フェスティバルから、不朽の名曲「Cowgirl」と新曲「I Exhale」のパフォーマンス映像も公開されている。

「Cowgirl」 https://youtu.be/BmpBbnPSOTI
「I Exhale」>>> https://youtu.be/l2wOC1JIP1o

8月にはSUMMER SONIC 2016にも初出演を果たすアンダーワールドの6年ぶり7作目となる最新スタジオ・アルバム『バーバラ・バーバラ・ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』は3月16日にリリース。 日本盤CD限定のスペシャル・フォーマットとして、Tomatoがデザインを手がけたTシャツ付セットも限定数販売される。なお、2月29日(月) までに対象店舗(※オンラインストアは除く)で、日本盤CDを予約すると、オリジナル・A4クリアファイルがアルバム購入時にプレゼントされる。

Labels: Smith Hyde Productions / Beat Records
artist: UNDERWORLD(アンダーワールド)
title: Barbara Barbara, we face a shining future
『バーバラ・バーバラ・ ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』
release date: 2016/03/16 WED ON SALE
price: ¥2,450+tax
商品情報はこちら:https://www.beatink.com/Labels/Underworld/BRC-500/

Vol.81:Random access NY - ele-king

 今年もまたこの時期がやってきた。あー、アメリカにいるなー、と思える瞬間。スーパーボウルである。アメリカのプロフットボール「NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)」の優勝決定戦。アメリカで感謝祭の次に多くの食料が消費される日。

 アメリカでは、プロ・アメリカンフットボールが国民的にいちばん人気のあるスポーツ(33%)で、次が野球(15%)、その次が大学アメリカンフットボール(10%)である(ハリス・インタラクティブ2015年12月調べ)。プロと大学を合計した場合は43%で、2人に1人のアメリカ人はアメリカン・フットボール好き、というほど人気ぶり。アメリカの国技になっている。

 筆者は去年まで、スーパーボウルにも、ハーフタイム・ショーにもまったく興味はなかったが、たまたま去年、スーパーボウル時にいたバーで、ゲームを大きな画面で上映していた。周りはやんややんやの大盛り上がりで、ルールのわからない私には、まったく「???」だったのだが、そこまでアメリカ人を惹き付けるスーパーボウルとは何ぞや、と興味を持った。ルールは、実際きちんとは把握できていないのだが、4回の攻撃権で10ヤード進むと得点を入れることができる。まわりの友だちが、「いまのは……」とプレイごとに説明してくれるのだが、すぐに次のプレイに進み、「お~、ぎゃ~、ダメ~!!」など大声で野次を飛ばすので、ルールはいつまでも理解できないまま。詳しくはこのリンクを参照(https://www.nfljapan.com/guide/rule/)。

 観るほうも、自分の人生をかけるように真剣で、私はまわりの人の反応を見るほうがおもしろかった。

 ゲームの前に、真っ赤なパンツ・スーツと真っ赤なアイシャドウのレディ・ガガがナショナル・アンセム(国家)を独唱。グランドピアノ一台とガガのみで、後ろには、巨大なアメリカ国旗が広げられ、選手、オーディエンス、会場が一つになり、皆が胸に手を当て敬意を払う。その前では手話で国歌を通訳している女性がいたり、中継で海軍が敬礼している様子が写されたり、あらためて国家的行事なんだなと。ガガは堂々と落ち着き払い、その様子はオペラ歌手のようにもみえる。そしてお決まりの飛行機が飛ばされ、ゲームはスタート。

 ゲーム内容は割愛するが、スーパーボウルはCMの祭典といわれるほど、流されるCMにも気合が入っている。バドワイザー、T Mobile、アマゾン、コルゲートなど、ここで流すCMは500万円を超えるとか。私が好きだったのは、ケチャップのヘインズ。

 ホットドッグになったダックスフンドがヘインズ・ソース・ファミリーに向かって、パタパタ走っている。「かわいいー」と周りの反応も○。緊張感あるゲームの間、ひととき癒される。スーパーボウルのCMはどれも気合が入っているので見る価値ありだが、オーディエンスのダイレクトな反応もわかりやすい。いけてるユーモアを入れると反応するが、さじ加減がちがうと×なのだ。受けると思って作るとだめらしい。

 ハーフタイムショーには、今年はコールドプレイ、ビヨンセ、ブルーノ・マーズが出演。演奏者、ダンサー、チアリーダー、エキストラ、たくさんの人を巻き込み、豪華絢爛に会場を一つにする。

 コールドプレイがメインアクトなのだが、まずフィールドで歌うクリス・マーティンの後ろをたくさんのファンが走り抜ける。ステージは虹色に飾り付けられ、マーチング・バンドや応援団が登場、虹色の花傘を振りまわし、フィールドがお花畑のようになる。彼らが3曲歌った後にブルーノ・マーズが登場。そこで雰囲気ががらりと変わり、その後のビヨンセで、観客の心をガツーンと鷲づかみにした感がある。ビヨンセはこの一日前にニュー・シングル“Formation”をリリースしたばかりで、その曲を披露。ブラックパンサー党を彷彿させる、黒人女性ダンサーを何十人も従え、娯楽の場に政治的意味を盛り込み、ハーフタイムショーの主役を軽く持って行った。その後にコールドプレイが“Clocks”を演奏しはじめると、いままでのハーフタイムショーの映像が映し出され(ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、U2など)、3人がいっしょに登場し、“Fix You”、“Up&Up”と続く。最後は、観客席が「BELIEVE IN LOVE」と文字になって映し出され、まわりがすべて虹色に染まる。

 このショーだけでジーンと来るし元気を100倍ぐらいもらった気がする。これだけアメリカが一つになる日ってあるのでしょうか。 今年は、大統領選もあり、すでにドナルド・トランプとヒラリー・クリントン、バーニー・サンダースあたりの話題で持ちきりだが、皆アメリカにプライドを持っているし熱い! いろんな暗い話もあるが、これを観ると万事OK。スーパーボウルへの情熱は、アメリカを象徴している気がする。この国から生まれる音楽がタフなわけである。

Setlist:

Coldplay“Viva La Vida”
Coldplay“Paradise”
Coldplay“Adventure of a Lifetime”
Mark Ronson and Bruno Mars“Uptown Funk”
Beyonce“Formation”
Coldplay“Clocks”“Fix You”“Up&Up”

(参考リンク)
https://pitchfork.com/news/63378-beyonce-mark-ronson-bruno-mars-join-coldplay-for-super-bowl-halftime-show/

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