「K A R Y Y N」と一致するもの

Caribou - ele-king

 カリブーの音楽の真骨頂は(Manitoba時代も含めて)ドリーミーであることだ。いろんな音楽によく使われる形容詞だが、カリブーはそのハイクオリティー・ヴァージョンである。〝ドリーミー〟であることは何も幻覚剤のみを意味しない。甘くメロウでメロディアスな音楽であることも意味し、未来に対するウキウキとしたオプティミスティックな気分のことも含有する。日々の暮らしのなかの喜びとか。
 クラウトロックをやろうがフォークをやろうがIDMをやろうがハウスをやろうが、カナダ出身の元数学者にして音楽プロデューサーである彼の音楽は、優雅にしてドリーミー、メロディアスにして刺激的、ソフトにして機知に富んでいる。また、いっきに彼の名声を高めた『Swim』(2010)がスウィミングプールに通っていたことが契機となったように、そして前作『Our Love』(2014)の主題に娘の誕生があったように、作品の動機は私的で、素朴極まりない。が、作り話よりも実話が優位であるこの時代においては、それもまた彼にとっての追い風だろう。「僕の場合は音楽が僕についてで、歌詞がまずパーソナルだし、サウンドも僕なんだ」と彼は語り、カリブーらしさとは何かと訊かれることは、自分の人生とは何かと訊かれることに等しいとも語っている

 ひとつ面白いのは、彼のその〝ドリーミー〟で〝私的〟で〝感じの良い〟ただしひと工夫のある音楽は、ハウス・ミュージック(meではなくweの音楽)を取り入れたことで開花していることだ。先に挙げた『Swim』のことだが、そもそもブラック・ハウスには暗い面もあるし、間違っても私的ではない。しかしそれを自由に自分なりに解釈するプロデューサーはすでにたくさんいる。そうしたハウス解釈組のなかにおいて、彼=ダン・スナイスは抜きんでたひとりという話である。『Swim』以降の彼は、Daphni名義でよりフロア向けのダンストラックを作っているし、『Our Love 』もその路線の延長にあった。新作『Suddenly』もまた彼の家族の記録であり、そして変わらずハウスを根幹としている。が、ほぼすべての曲が歌モノであり、何曲かはハウスから離れてもいる。簡単にいえば、フォークやR&Bやラップの要素も取り入れてたポップな出来で、またしても懲りに凝った作りの質の高いアルバムだ。
 
 ぼくはいちどだけダン・スナイスに対面取材したことがある。見るからに誠実そうで、良い人柄の人物だった。その感じの良さが、彼の音楽にも滲み出ているような気がする。で、そのとき彼が言ったのは、アーサー・ラッセルこそ我がヒーローということだった。
 『Suddenly』を聴いていると、彼は本当にアーサー・ラッセルのようになってきていると思う。実験音楽からフォークやポップソング、そしてダンス・ミュージックまで自分が好きな音楽であればなんでもやってしまうその縛りのないアプローチの自由さが似ている。それが創意工夫をもって自分だけのユニークなサウンドに仕上げてしまうことも。
 
 音楽をやりはじめた頃はボーズ・オブ・カナダが好きだったというダン・スナイスは、その時代その時代に応じて自身のスタイルを変化させていった。セオ・パリッシュからの影響が『Swim』の原動力だという話しは有名だが、『Suddenly』にはより広範囲に渡る彼の影響が散りばめられている。もちろんハウスは彼の基盤だし、“You And I”のような美しいメロディとアイデアの盛り込まれたハウシーな曲は出色の出来だと思う。そのいっぽうで、エリック・サティとミニマル・テクノを掛け合わせラッパーの声をまぶしたかのような“Sunny's Time”、R&Bとブレイクビーツとペット・ショップ・ボーイズを滑らかに融合させた“New Jade”、ガラージのリズムをジャズ・ギターの甘いメロディに混ぜ合わせた“Like I Loved You”といった新境地も見事な仕上がりを見せている。ファンクのリズムにディスコのストリングスが交わる“Home”、フュージョン・ハウスの“Lime”、もっとも真っ当なハウスに近い“Never Come Back”や“Ravi”、ソフト・ロックの“Magpie”……はっきり言うが、ぼくはこのアルバムは『Swim』以上だと思う。カリブーは確実にアップグレードしている。

 世界はいまたいへんな局面を迎えている。アメリカにはいま良からぬ緊張感が生まれていると、かの地に住む旧友から聞いている。彼はつい先日東京にやって来たところだが、万が一を思ってぼくとはすぐには会わないという。日本は欧米ほど感染者数が急激に増えていないためか欧米の先進国にくらべて政府の対応はゆるい。日本人は清潔好きだから助かっている面もあるのかもしれないし、海外メディアからバッシングされているように検査数が少ないからかもしれない。いずれにしても、漠然とした不安をみんなが抱えながら暮らしているのがいまだ。困窮している人たちのために毅然とリーダーシップを取れる政治家はいないし、もう何週間も週末のサッカーの試合もない。まさに〝突然〟やって来たこんな難しい時代では、ますます音楽は贅沢なひとときとなっている。家でカリブーの愛らしい音楽を聴くというささやかな幸せ。ドリーミーであること、上等じゃないか。読者のみなさんも音楽を楽しみつつ、そしてまずはくれぐれも気をつけてください。

RAINBOW DISCO CLUB "somewhere under the rainbow!" - ele-king

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、いま世界中の音楽シーンが大きな被害を受けている。大きなところで言えば、すでにUKではグラストンベリー・フェスティヴァルが中止を発表しているが、本来であればGWに開催されるはずだったRAINBOW DISCO CLUBもすでに中止を公表している。しかし、話はここで終わらない。彼らは4月18日(土)「somewhere under the rainbow!」と題して、12時間に及ぶ動画配信イベント(有料電子チケット制)をやることを決めた。出演は、DJ Nobu、Kenji Takimi、Yoshinori Hayashi、Licaxxx、CYK、machìna、Sisiなど。
 主催者によれば、「今回はドローンミラーボールなど〈RAINBOW DISCO CLUB〉の名演出を手掛けたREALROCKDESIGNが撮影を担当。まるで〝あの場所〟にいるような体験を視聴者にお届けするため〈東伊豆クロスカントリーコース〉にて映像収録を行います」とのこと。また、「新型コロナウイルスの影響によって、世界は日々深刻な状況に陥っており、 クラブやパーティー/フェスティバルが閉鎖や中止を余儀なくされ、多くの人が居場所を失っています。その中で自分たちがこの社会やシーンに対してできることはないか? それを考えて今回のイベントを企画いたしました」とコメント。
 動画配信を見るには電子チケット制ライブ配信サービス「ZAIKO」にて有料チケットを購入すること。早割価格(1,000円)は3月31日まで。4月1日以降は通常価格(2,000円)にて販売いたします。電子チケット購入者は4月18日(土)の配信後、1週間アーカイブを視聴することができる。
 来年は笑顔で会えることを願って、その日は家でダンスだ!
https://rainbowdiscoclub.zaiko.io/e/somewhereundertherainbow

■RAINBOW DISCO CLUB "somewhere under the rainbow!"

日 時:
4月18日(土)12:00〜24:00
※アーカイブ映像視聴は(4月25日 23:59まで)

出 演:
DJ Nobu
Kenji Takimi
Yoshinori Hayashi
Licaxxx
CYK
machìna
Sisi
and more

料 金:
早割(1,000円)※3月31日(火)23:59まで
通常(2,000円)※4月1日(水)00:00以降

配信 及び チケット購入:
https://rainbowdiscoclub.zaiko.io/e/somewhereundertherainbow

撮影・演出:
REALROCKDESIGN


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RAINBOW DISCO CLUB
主催者のステートメント

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「RAINBOW DISCO CLUB 2020」開催中止の発表からたくさんのメッセージやご支援いただいております。まず、そのことに感謝させてください。ありがとうございます。

新型コロナウイルスの影響によって、世界は日々深刻な状況に陥っているように思います。我々は、今回の開催中止によって生じた損害を補填すべく、クラウドファウンディングの立ち上げや振替公演の実現に向けて数日前まで奔走しておりましたが、その中で状況は刻々と変化しています。

欧米諸国でもクラブやパーティー/フェスティバルが閉鎖や中止を余儀なくされ、国境が封鎖される国も多く、我々同様に多くのアーティスト/プロモーターが損害を被り、仕事を失っています。同時に多くのダンスミュージックファンが居場所を失っています。

しかし、未知のウイルスに対して我々は団結して立ち向かわなくてはなりません。今は、人混みを避け、ウイルスの拡大を避けねばなりません。人を介したその先に、誰かが大切な人を失う可能性を想像しなくてはなりません。できるだけ社会活動を制限し、限られた家族や友人と慎重に行動することが重要です。

ただ、そんな中でも笑わなければならない。それはこの11年間の中で皆様から教わったことでもあります。

「RAINBOW DISCO CLUB」は多くの方々のご協力を得て、4月18日(土)に有料配信で12時間のパーティを開催することを決めました。初の試みとなりますが、東伊豆でのフェスティバル同様にベストを尽くします。

家に籠る時間が長くなる中で、特別な日にして欲しいと考えています。ホームパーティーを最大限に楽しめるグッズなど企画中ですのでぜひご期待ください。皆様の方でもこの日に向けて、ワクワクしながら準備して欲しいという願いを込めて、早割チケットのご用意もさせていただきました。

より多くの方に届けるため無料配信の可能性も考えましたが、すでに運営状況が厳しい中での動画配信となりますので、有料チケット制にて配信させて頂くことにしました。皆様のご理解・ご協力をいただけますと幸いです。

この企画は焚き火のようなものだと考えています、音楽を囲んで、踊り、語り合い、食事をし、よく笑い、よく愛し、暖まりましょう。

vol.123 NYシャットダウン - ele-king

 コロナヴァイラスが世界的に流行している。NYでは、3月4日に10人ぐらいが感染していると発表があった後、瞬く間に1000人を超える大流行となった(3/21現在)。中国からイタリアへと大流行しているのを受け、3月11日水曜日、トランプ大統領は「13日の金曜日からヨーロッパからの飛行機を制限する」と発表した。3月末にポルトガル行きを予定していた私はヨーロッパ行けなくなるかもと、能天気に考えていたが、とんでもない、そこから事態はさらに加速した。

 3月13日金曜日、たくさんの観光客で賑わうチェルシーマーケットが閉まった。500人以上のショーが中止になったと思ったら、10人以上の集まりも禁止され、15日日曜日までにNYのレストラン、バーがシャットダウン警告を出され、17日火曜日までにテイクアウトとデリバリーのみになった。コスメティック・ブランドのセフォラは全店閉鎖、リテイルストアも閉鎖、空いているのはスーパーマーケットと銀行ぐらいで、NYは完全に真っ暗である。
 オフィスも閉鎖され、自宅勤務にシフト。ホスピタル業、サービス業、人と人が会う仕事はすべてアウト。メトロポリタンオペラは全員クビ、フェスティヴァルやショーはすべてが延期かキャンセル、地下鉄もほとんど人がいない。マスク、手袋をして、お互い6フィート以上離れるソーシャル・ディスタンスをとることを推奨している。「家で待機」が合言葉で、「必要な外出以外はダメ」という状況である。


リテイルストアは全て閉鎖

 私は、突然降ってきたヴァケーションを取り、友だちの家に行ったり、ビーチに行ったり、滝を見に行ったり、毎日気を紛らわそうとしているが、仕事がないことや、家に篭りっきりは本当に辛い。スーパーに行くとトイレットペーパーが売り切れているし、冷凍食品、缶詰、パスタあたりがまったくなかったり、みんなの不安も感じる。13日の金曜日に日本から来たミュージシャンと一緒に共演する予定だったのだが、そのショーもキャンセル、そし彼らはいま何もないオースティンにいる。本来なら、いちばん人が多い時期のオースティン。SXSWが中止になったいま、NYと同じようにゴーストダウンらしい。

 私は、3月の頭にオースティンに行って、ピーランダーZと、たこ焼きイベントをしてきたばかりだったが、NYの窮屈さと、アメリカでいちばん感染者の多さもあり、少しNYを離れ、オースティンに行くことにした。

 空港がいままでにないほどガラガラで、飛行機も5人ぐらいしか乗ってなかった。こんなにのスムーズに、セキュリティを通れたのは初めて。


地下鉄の風景

 オースティンに着いた翌日、NYが22日日曜日からロックダウンされると聞いた。NYに帰れないかもしれない。家に居るしかない生活が平常だが、オースティンのカラッとした天候に少し元気付けられた。日本から来ている人のなかにはフライトがキャンセルになり、「帰れないかも」という人もいる。

 NYの人たちは、ライヴストリーミングをはじめたり、仕事がなくなったレストラン、ナイトライフワーカーのためにファンドレイザーを立ち上げたり、クリエイティヴなことをはじめたり、家を改造しはじめたり、この状況で、少しずつ出来る何かをやろうとしている。国民に$1000支給されるとか、家賃やモーゲージが免除されるとか、いろんな噂が飛び交うが、この状況でも生きていかなければならない。サヴァイヴァル能力が養われるNY。毎日状況が変わるが、この原稿を書いている3月21日はマヤ暦で最後の日らしい。


コロナセルツァー、いまハードサイダー、ハードコンブチャなどビール以外のアルコール飲料が大流行。みんな買いだめしてます


オースティンのサボテンソーダ

ナイチンゲール - ele-king

 ジャングルの緑がとても綺麗だなと思いながら観ていた。「緑」というよりも濃厚な「グリーン」。雨に濡れて輝きを増し、それらが人間たちの暴力を覆い隠している。舞台は植民地時代のオーストラリア。窃盗の罪でアイルランドから流刑地に送られてきたクレア(アシュリン・フランシオーシ)はホーキンス中佐(サム・クラフリン)の口利きで釈放されたものの、好きな時に中佐にレイプされ、夫にはそのことを隠していた。クレアに書くと約束していた紹介状をなかなか渡さない中佐に腹を立てたクレアの夫、エイデン(マイケル・シェズビー)が中佐に抗議を試みるも、プライドを傷つけられたと感じた中佐たちは夜中にクレアたちの家を襲い、クレアはレイプされながら赤ちゃんと夫を目の前で殺される。復讐に駆り立てられたクレアは、出世のためにローンセストンに向かったホーキンス中佐たち一行を追おうとするもジャングルのなかでどっちへ進んでいいかもわからず、道案内としてアボリジニのビリー(バイカリ・ガナンバル)を友人に紹介される。オーストラリアでは当時、アボリジニと見れば撃ち殺すのが日常茶飯で、クレアもビリーには見下した態度しか取れず、銃を突きつけながら案内をさせることに。こうしてギクシャクとしながらクレアとビリーはホーキンス一行を追って奥深いジャングルに分け入り、その道中で白人とアボリジニの凄惨な殺し合いの風景を何度となく目にすることになる。

 この作品には女性差別、人種差別、ゲイ差別が最初からとめどもなく吹き荒れる。さらには差別されているもの同士が手を組めなかったり、殺すことにためらい感じる少年など、『パラサイト』や『ジョジョ・ラビット』がコメディという形式で伝えたテーマが束になってシリアスに語られていく。作品のほとんどを占めるジャングル・クルーズは緊迫感を途切らせることなく、1秒たりとも音楽が流れないのはストーリー展開に自信があるからだろう(登場人物がアカペラで歌う場面は何回もある)。そして、思いつく限り、最悪の展開、最悪のシナリオへと話は流れていく。(以下、ネタバレ)クレアが中佐の部下をひとりめった刺しにして殺すのを見てビリーがクレアの元を去ろうとし、クレアが初めて自分の身の上を語り、彼女がイギリス人ではなくアイルランド人だということをわかってもらえたことで、2人が「イギリス人憎し」で心を通わせる場面は重要なシーンである。それまでにビリーがマジカル・ニグロ(都合のいい黒人)として描かれていたシーンもなくはなかったと思うものの、ビリーが彼にできることはほとんど何もやっていなかったことが、ここからはどんどんわかってくる。

 ようやくジャングルから出られるのかと思った後半、観客は意外な展開に足を掬われる。圧倒的に有利な地歩を得たクレアが中佐に銃を向け、そのまま撃ち殺せたにもかかわらず、その場から逃げ出してしまうのである。支配層に対する「憎しみ」が最後までストーリーをドライヴさせ、白人支配層に対して一矢報いるという感情に染まり、それが果たされると思い込んでいた僕はさらなる悲劇を覚悟しなければならないのかと、より一層の緊張状態に投げ込まれた。ただ、クレアが撃てなかった気持ちに違和感はなく、1人を殺した時点でクレアが少し冷静さを取り戻し、無意識のうちに復讐の連鎖から抜け出したくなっていたということはなぜか理解できた。クレアは終盤、それでもホーキンス中佐に対して言葉で彼を追いつめるという行動に出ることで彼のことを許したわけではないという意思表示は見せる。クレアが逃げ出した後、「復讐」や「暴力」の主体となるのはビリーである。19世紀という時代設定も関係はしていると思うけれど、21世紀につくられた作品として、ここにはちょっとした差別があって、女性であっても白人は暴力衝動を言葉に昇華することはできても、黒人(アボリジニ)にはそれができないという断層が設けられていると、そのように感じられてしまうところはあった。それは否めない。アボリジニが社会をどう定義し、どういうものに制裁を加える習慣があるかを説明しているシーンもあるので、その部分を信じるならば、的外れな展開ではなさそうで、これについては専門家のアドヴァイスや実際のアボリジニたちとも多くの面でコラボレイトしているとパンフレットには記してある。ビリーにはビリーの理由があってやることなのでストーリー的にもご都合主義的なものでないことは確か。あるいは、黒人(アボリジニ)の女性が最も無力な存在として描かれ、これ以上ないというほど最悪の扱いを受けているのは歴史が経過してきた通りだとは思うものの、「復讐」の回路にさえ組み入れられていないのはやはり凄惨な印象を増幅させる。

ボーダー』のアリ・アッバシや『寝ても覚めても』(本誌23号)の濱口竜介とともに「ポン・ジュノが選ぶ20人の若手」としてイギリスの「サイト&サウンド」にリスト・アップされていたジェニファー・ケントが監督を務めた(ほかにポン・ジュノが選んだのは『幸福なラザロ』のアリーチェ・ロルヴァケル、『アトランティックス』のマティ・ディオプ、『ヘレディタリー/継承』(本誌23号)や『ミッドサマー』のアリ・アスター、『ロングデイズ・ジャーニー』のビー・ガン、『イット・フォローズ』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』のデヴィッド・ロバート・ミッチェル、『ゲット・アウト』や『アス』のジョーダン・ピールなど)。ラース・フォン・トリアー『ドッグヴィル』(03)で助監督を務めたケントのデビュー作は『ババドック 暗闇の魔物』(14)というホラー映画だったためにヴィジュアルもそれ風につくられているものの、この作品はオーストラリアという国の成り立ちに焦点を当てた歴史ドラマであり、サスペンスものとしてもよくできた力作だと思う。「ナイチンゲール」というタイトルは鳥のように歌うクレアのことを指し、クリミア戦争で活躍した近代看護婦の祖とは関係がない。

 オーストラリアがイギリスを憎む映画はピーター・ウィアー監督『誓い』(81)もそうだったし、普段は隠蔽されている感情が一気に噴き出してくるのを見るようで、やはり心に重くのしかかってくるものがある。当然のことながら日本が韓国などを植民地にしていたことやアイヌのことも思い出さざるを得ず、他者性をないことにできてしまうニュー・エイジに走れる人が羨ましいというかなんというのか。


映画『ナイチンゲール』予告編

Moses Boyd - ele-king

 サウス・ロンドンのジャズ・シーンにおける最重要人物のひとりであるドラマーのモーゼス・ボイド。2019年はソロや自身のプロジェクトのアルバムこそなかったが、いろいろな作品で彼の演奏を聴くことができた。アシュリー・ヘンリーの『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』、ジョー・アーモン・ジョーンズの『ターン・トゥ・クリアー・ヴュー』、テオン・クロスの『ファイヤー』などがそうで、こうしたジャズ・アルバム以外にもビヨンセが監修を務めた『ライオン・キング』のサントラに、共同プロデューサーのひとりとして参加していた。この中で彼が手掛けた “マイ・パワー” という曲は、南アフリカのゴムの第一人者であるDJラグと一緒にやっているのだが、そもそもモーゼスとラグは2018年に “ドラミング” という曲で共演しており、“マイ・パワー” はそのトラックにビヨンセのヴォーカルを乗せたものだった。ビヨンセもモーゼスやDJラグ、それからゴムにも関心を寄せていることの表れだったと言えるが、モーゼスがジャズだけでなく幅広いネットワークを持っていることも示している。そんなモーゼス・ボイドのニュー・アルバムが登場した。

 『ダーク・マター』はモーゼス・ボイドの個人名義としては初めてのソロ・アルバムとなる。ただし、既にモーゼスはさまざまな活動や客演で知られる存在となっており、これまでにサックス奏者のビンカー・ゴールディングと組んだビンカー&モーゼスでは、『デム・ワンズ』(2015年)、『ジャーニー・トゥ・ザ・マウンテン・オブ・フォーエヴァー』(2017年)、『アライヴ・イン・ザ・イースト?』(2018年)と3枚のアルバムをリリースし、モーゼス・ボイド・エクソダス名義で『ディスプレイスド・ディアスポラ』(2018年)もリリースしている。エクソダスはビンカー・ゴールディングのほかにテオン・クロス、ディラン・ジョーンズ、アーティー・ザイツが参加するバンドで、『ディスプレイスド・ディアスポラ』はそもそも2015年に録音された作品だったので、『ダーク・マター』は正真正銘の現在のモーゼスの姿を見ることができるアルバムだ。

 参加メンバーはナサニエル・クロス(トロンボーン)、テオン・クロス(チューバ)の兄弟に、ヌビア・ガルシア(テナー・サックス)、ビンカー・ゴールディング(テナー・サックス)、ジョー・アーモン・ジョーンズ(ピアノ、キーボード、シンセ)、アーティー・ザイツ(ギター)など旧知の仲間が中心で、特にナサニエルはいくつかの曲でアレンジャーを務めるなど重要な役割を担っている。モーゼスはドミニカとジャマイカ移民の両親を持ち、ヌビアやクロス兄弟などアフリカンやカリビアンの2世、3世が多く活動するサウス・ロンドンをベースとしている。『ダーク・マター』に参加した顔ぶれは、ジョー・アーモン・ジョーンズのような白人ミュージシャンも参加しているわけだが、カラード・ピープルの比重が非常に高い。アフリカ音楽やカリブ音楽などがモーゼスの音楽性の立脚点のひとつであることを、参加ミュージシャンは如実に語ってくれる。シンガーではトム・ミッシュとの共演で知られる女性シンガー・ソングライターのポッピー・アジュダー、ジョー・アーモン・ジョーンズやダニー・ブラウンのアルバムにも参加していたナイジェリア出身のオボンジェイヤーことスティーヴン・ウモー、南アフリカ出身でDJのディオン・モンティと組んで作品もリリースするノンク・フィリ、さらにロンドンのブラック・エクスペリメンタルの急先鋒であるクライン(彼女のルーツはナイジェリアである)も参加するなど、モーゼスの幅広い人脈が伺えるものとなっている。そして、モーゼスにとっては師匠的な存在となるトゥモローズ・ウォリアーズ主宰者のギャリー・クロスビーが、本職のベーシストではなくヴォイスという形で2曲に参加している。

 『ディスプレイスド・ディアスポラ』は自身のルーツに立ち返ったもので、アフロ・キューバン色の濃いジャズ演奏を主体としていたが、『ダーク・マター』はモーゼスのドラム演奏と共にプログラミングやビートメイキングもふんだんに取り入れ、生演奏とエレクトロニクスを融合したスタイルとなっている。こうしたスタイルが現在のモーゼス本来の姿であり、DJラグやリトル・シムズと共演するなどジャズの枠にとどまらない幅広さを生み出す源となっている。ディープで神秘的なイントロダクションを持つ “ストレンジャー・ザン・フィクション” は、ジャズのタイプでいくとスピリチュアル・ジャズになるのだろうが、ダブステップ調のビート・プログラミングを生ドラムに交えている。テオン・クロスのチューバをはじめとした重厚なブラス・アンサンブルが交わり、モーゼスも客演したことがあるサンズ・オブ・ケメットの演奏に近いジャズ・ミーツ・ベース・ミュージックといった趣だ。“BTB” はアフロビートとジャズ・ファンクの中間的な演奏で、ジョー・アーモン・ジョーンズも参加するエズラ・コレクティヴの作品と同じ匂いを持つ。トニー・アレンのアフロビートの薫陶を受けたモーゼスらしい楽曲である。“Y.O.Y.O.” もアーティー・ザイツのギターを交えてアフロ色の強い演奏を繰り広げる。アップ・テンポの疾走感のあるビートを持ち、クラブ・サウンドとジャズが結びついたストリート・サウンドを展開するところは、ニュー・グラフィック・アンサンブルカマール・ウィリアムズあたりと共通する。

 ポッピー・アジュダーが歌う “シェイズ・オブ・ユー” は、アルバムの中でもクラブ・サウンドの比重が強い。往年の4ヒーローやバグズ・イン・ジ・アティックなど、ウェスト・ロンドンのブロークンビーツに近い曲だろう。オボンジェイヤーがダミ声で歌う “ダンシング・イン・ザ・ダーク” は、タイトル通りにダークな雰囲気の漂うダブとジャズのミクスチャー的な作品。オボンジェイヤーの個性やアブストラクトなムードも含めて、ブリストル・サウンドあたりとの共通項が見出せるかもしれない。“オンリー・ユー” はクラインのヴォーカルとボイドのドラム&エレクトロニスによる作品。ダークで陶酔的なグルーヴが繰り返して訪れるミニマルなトラックで、両者の持ち味が見事にひとつとなっている。“2・ファー・ゴーン” はジョーのメランコリックなピアノとUKガラージ的なビートが結びつき、ノンク・フィリが歌うブロークンビーツ調の “ノンモズ・ディセント” と共に、ジャズとクラブ・サウンドがクロスする南ロンドンらしさを感じさせる作品となっている。“ワッツ・ナウ?” は瞑想的なギターやフルートをフィーチャーしたコズミック・ジャズだが、ここでのモーゼスのドラムもダブステップのビートを咀嚼したものとなっている。即興演奏が主体となるジャズと、プログラミングやエレクトロニクスを主体とするクラブ・サウンドを、ポスト・プロダクションを通してひとつに結び付けることは、ジョー・アーモン・ジョーンズやカマール・ウィリアムズなど南ロンドンのミュージシャンがいろいろやっていることだが、モーゼス・ボイドはドラマーだけあって、ビート面でのセンスや嗅覚が並外れて優れていることを改めて示したアルバムだ。

テリー・ギリアムのドン・キホーテ - ele-king

 なんというか、思い切りましたよね。消費税増税で庶民のサイフに大きくダメージを与えてから発生直後の新型コロナウイルスを国内におびき寄せる。高齢者の致死率が高いという情報は春節前からわかっていたわけだし、物流で動いている経済が麻痺し、株も大幅に下落すれば中流以下の国民がもっとビンボーになることは確実。そう、所信表明演説で言ってましたからね。今年は「出生率をアップさせる」って。名付けて「貧乏人の子沢山」作戦でしょうか。英語で言えば「オペレーション・ロッツ・オブ・プアー・ピープル」? 国民が貧しくなれば必ずや子どもをたくさん産むはず。どんな審議会が提案したんでしょうねー。いろんな審議会があるみたいですからねー。議会で話し合うのが筋なんですけどねー。

 というわけで『モンティ・パイソン』です。70年代のイギリスで炸裂したブラック・ユーモアの総本山。BBCのTV放送で初めて「シット!」と発音したのはセックス・ピストルズではなく、コメディアンのジョン・クリーズでした。クリーズと毎晩のように論争を繰り広げていたテリー・ジョーンズは、この1月に亡くなり、『ライフ・オブ・ブライアン』(79)をコメディ映画の最高峰と位置づけるブライアン・イーノも「安らかにお眠りください」とツイッターにメッセージを挙げていた。故人となったテリー・ジョーンズ、同じく故グレアム・チャップマン、そして、ジョン・クリーズ、エリック・アイドル、マイケル・ペイリンの5人は毎週、毎週、会議に会議を重ね、シャンデリアからぶら下げるのはヒツジがいいのかヤギがいいのかで朝まで議論し続けたというなか、モンティ・パイソンの一員でありながら、この会議に一度も参加しなかったのがテリー・ギリアムであった。「15秒空いたから、なんか作って」と言われて、いつもピッタリの長さでアニメを製作していたのがテリー・ギリアムで、彼はそう、『モンティ・パイソン』が83年に放送を終了してから、メンバーのなかでは最も知名度を上げた映画監督となっていく。『未来世紀ブラジル』(85)『フィッシャーキング』(91)『12モンキーズ』(96)と立て続けに管理社会を風刺しまくった挙句、『ラスベガスをやっつけろ』(98)ではゴンゾー・ジャーナリズムのハンター・S・トンプソンをアイコン化し、FKAトゥイッグスが本誌16号のインタビューでフェイヴァリットに挙げていた『ローズ・イン・タイドランド』(05)では貧困とサイケデリックを同時に描くという離れ業までやってのけた。そんなギリアムが構想から30年かけてようやく完成させたのが『ドン・キホーテを殺した男(原題)』。ジャン・ロシュフォールとジョニー・デップをキャスティングし、最初に撮影を始めたのが1998年(以下、ゴシップに属する話題は割愛)、ジェラール・デュパルデュー、ロバート・デュバル、ユアン・マクレガー、ジョン・ハートと次々にビッグ・ネームの配役が決定しては降板となり、最終的にジョナサン・プライスとアダム・ドライバーという布陣で最後の撮影を開始したのが2017年。プロデューサーも最終的にはデ・ラ・イグレシアやケン・ローチの作品を実現させてきたヘラルド・エレーロとマリエラ・ベスイェフシに落ち着いたという結果も興味深い。

 テリー・ギリアムの映画に出ることを熱望していたというアダム・ドライバーがまずはいい(ドライバーいわく、景色がとても美しいので「演技がひどい時は、山を見てくれればいい」!)。オープニングでドライバー演じるトビーはスペインに赴き、『ドン・キホーテ』をモチーフとしたCMを撮っている。近いところではマーティン・スコセッシ(スコシージが正しい)監督『沈黙 -サイレンス-』やスパイク・リー監督『ブラック・クランズマン』(https://www.ele-king.net/review/film/006767/)でシリアスな演技が印象づけられていたために、CMの撮影がうまく進まず、いらいらしているだけで彼の演技は妙におかしい。プロデューサーの妻(オルガ・キュリレンコ)と浮気をしているトビーが、そして、怪しげな物売りから買ったDVDを再生してみると、それは自分が学生時代に撮った『ドン・キホーテを殺した男』。撮影した場所は自分たちがいまいる場所の近くで、CMの撮影現場を放棄したトビーは彼の映画に出てくれたハビエル(ジョナサン・プライス)やアンジェリカ(ジョアナ・リベイロ)がいまはどうしているのかと探しに行ってしまう。学生時代にトビーが撮った『ドン・キホーテを殺した男』は絶賛され、彼を映画界へと導いてくれたものの、彼が実際に進んだ道はCM業界であり、新しい時代に生きる古い男という原作の主題がここではそれとなく重ね合わされている。CM業界では生きられない。彼が本当にやりたかったのは映画ではなかったのかと。そして、彼はかなりややこしい手順を踏んでハビエルを見つけ出す。トビーが学生時代に出会った時、ハビエルは靴職人で、トビーの描いていたイメージにピッタリだったという理由でドン・キホーテを演じてもらったのだけれど、(以下、ネタバレ)10年経ってもなお、ハビエルはドン・キホーテであることをやめていなかった。「戻ってきたのか!」とハビエルは叫ぶ。囚われの身となり、見世物にされていたハビエルを解放すると同時に火事を出してしまったトビーは警察に追われることになり、気がつくと自分はサンチョ・パンサの位置にいる。そして台本通りに2人は、そのまま冒険の旅に出る!(……あとはもう滅茶苦茶でござりまする)。

 こ、これが30年かけて撮りたかったことなのかと驚くほどくだらない。管理社会とか様々なディストピアを描いてきたテリー・ギリアムはどこへ……。わー。この作品はしかし、17世紀に書かれた原作がメタフィクションであることを忠実に再帰させているだけでなく、ドン・キホーテの物語が語られているということを何度も思い出させるところは『バロン』や『12モンキーズ』との接点も見えやすい。テリー・ギリアムだけでなく、吉田喜重監督『血は乾いている』(60)やデヴィッド・クローネンバーグ監督『ヴィデオドローム』(83)など「現実と虚構の区別がつかない」というセルバンテスの主題を20世紀以降のメディア社会にあてはめて反復させた作家たちは少なくない。それらは複製に疎外される主体というモチーフを好み、悲劇として描かれることがほとんどだったけれど、リアリティTVの浸透とともに様相は変化し、ロン・ハワード監督『エドTV』(99)では「見られる」は「見せる」へと能動的な主体に転出し、ケイシー・アフレック監督『容疑者ホアキン・フェニックス』(10)になるとリアリティTVのフェイクを先に仕掛けるという荒技まで飛び出してくる。もはやセルバンテスのような滑稽さは存在せず、リアリティTVが民主化したともいえるSNSが普及したことで、たとえばツイッター上でメタフィクショナルな人格を交錯させることはごく日常的な操作となり、複数のアカウントを持つことで人格分裂も簡単になってくると、アバターを機能させない主体の方が人間存在として不自由だと言えるほどである。『ドン・キホーテを殺した男』は、そういった意味ではノスタルジックなメディア環境を思い出させ、「なりすまし」がまだ「なりきり」だった時代のユーモア感覚を蘇らせた作品だと言える。ナチョ・ビガロンドやアリ・フォルマンといったインターネット世代の監督たちが現代の悲劇を炙り出す一方、複製によって主体が疎外されていた時代そのものを喜劇として捉え直すことで『ヴィデオドローム』や『12モンキーズ』の時代が終わったことを告げ知らせているとも。表立ってはいないけれど、移民差別の問題を盛り込む手腕も見事だし、全体に美術やヘア・メイクの完成度の高さ、あるいは原作を尊重してスペインをロケ地に選び、ペドロ・アルモドバルの諸作でおなじみロッシ・デ・パルマをキャスティングしていることも嬉しい。

 蛇足ながらこの冬、細野晴臣がTVドラマ初出演となった清水康彦監督『ペンション 恋は桃色』(フジテレビ系)や山下敦弘監督『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)もコメディとして出色の出来であったことを付け加えておきたい。斬新な設定を用意するわけでもなく、ごく日常的なドラマを描きつつも新しさを感じさせた前者に、『傷だらけの天使』の右肩下がりヴァージョンみたいだった後者と、どちらもまだまだ観たかった。笑いたかった。

映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』予告編

ele-king Recommend! CD series - ele-king

音楽は最前線こそおもしろい!
いま日本では内容が良いにもかかわらず、しっかりと紹介されない音楽が増えてきている。
そんな逸品たちを埋もれさせないために始動したCDリリース・シリーズ、
「ele-king Recommend!」が展開中です。

Vladislav Delay - ele-king

 サウンドによる黙示録か。ノイズによる終末論の終焉か。リズムによる世界への闘争/逃走か。いや、崩壊する世界への黙祷か。

 ソロとしては2014年の『Visa』以来となるフィンランドの電子音楽/音響を代表するヴラディスラフ・ディレイの新作『Rakka』は、暴風のごときノイズが吹き荒れる極限のインダストリアル/テクノに仕上がっていた。例えるならば極北のインダストリアル/テクノ。そのミュータント的音響が時代の終わりと始まりを告げるだろう。
 もちろん彼の音は、00年代初頭にリリースされた〈Mille Plateaux〉や〈Chain Reaction〉よりリリースされたアルバムからして通常のミニマル・テクノやミニマル・ダブの音響を逸脱するものでしあったし、続く10年代も同様である。〈Raster-Noton〉からリリースされた『Vantaa』『Kuopio』はレーベルカラーどおりの重厚な電子音響テクノに仕上がっていたし、ミカ・ヴァイニオ、デレク・シャーリー、ルシオ・カペーチェらとのヴラディスラフ・ディレイ・カルテット(Vladislav Delay Quartet)のアルバムはノイズとダブに塗れた強度に満ちた実験ジャズの混合体だった。自身の〈Ripatti〉から発表したソロ前作『Visa』も真冬の音響のようなエクスペリメンタルなアンビエンスを生成する作品であった。

 だがこの『Rakka』は、それらの作品すべてを越境するようなノイジーなアルバムへと変貌を遂げていたのである。これには心底から脅かされた。ミニマル・ダブと、その音響工作が行き着いた先とも思った。いささか大袈裟な言い方を許して貰えれば、ベーシック・チャンネルとモノレイクの音響を越えようとする意志すら感じられほどだ(10年代の先端/尖端音楽はミニマル・ダブ以降のサウンドなので、本作はその意味では2020年代のサウンドとも言うことはできる)。
 どうやらヴラディスラフ・ディレイは『Visa』以降、所有した機材をすべて売却し北極圏へと旅に出たらしい。おそらくは人の存在を無化するような大自然のなかで彼の耳と知覚は大いに刺激を受けたのだろう。そこで得られたさまざまなインスピレーションによって本作品は制作された。
 確かに本作のサウンドスケープは北極圏の気候そのもののように過酷である。だが乾いた音の質感は極めて人工的だとも感じた。じっさい本作には環境録音の素材は使われていないらしい。つまり完全に人工的な音によって、ヴラディスラフ・ディレイは大自然の咆哮を生み出したわけだ。加えて強烈な音の横溢の向こうに掠れたビート(の残骸?)が反復している。このアルバムは極めてエクスペリメンタルなサウンドでありながらダンス・ミュージックであることを捨て去ってもいない。ノイズやサウンド、ビートが身体に与える影響を長年のキャリアから熟知しているベテラン・アーティストならではのエクスペリメンタル/フィジカルな音響がコンポジションといえる。

 アルバム1曲め “Rakka”、2曲め “Raajat” は本作を代表するようなトラックだ。ノイズ・アンビエントと不規則な打撃音による強烈な音響空間が耳を拡張する。壊れたマシンが再想像したような崩壊的なEBMのごとき3曲め “Rakkine” はさらに覚醒的である。5曲め “Rampa”、6曲め “Raataja” は打撃音のようなリズムが全面化するトラック。剃刀のような鋭利なノイズとビートが交錯し、ミニマル・テクノとノイズがミックスされていく。本作のクライマックスを明示する曲といえよう。
 アルバム全体から感じられることは、構築への意志が即座に崩壊へと至るような感覚だ。ノイズの構築からビートの崩壊へ。音響の生成から音楽の消滅へ。崩壊空間のさなかに吹き荒れる暴風のごときノイズの蠢き。すべてをゼロへと遡行させるような強靭な意志が本作の隅々に鳴り響いている(サウンド・アーティストAGF(ヴラディスラフ・ディレイの妻でもある)によるアートワークも本作の終末論的なイメージをうまく表現している)。

 リリース・レーベルはシェイプドノイズが主宰する〈Cosmo Rhythmatic〉。これまでもミカ・ヴァイニオとフランク・ヴィグルーの共作、シャックルトン、キング・ミダス・サウンド、ダイ・エンジェルなどのアルバムを送り出しており、リリース数は多くはないもののエクスペリメンタル・ミュージックの最先端を提示する貴重なレーベルである。その最新カタログにヴラディスラフ・ディレイの最新作が加わったことはことのほか重要に思える。この作品はテクノ、ミニマル・ダブ、ノイズなどのアマルガムであり、その終末論的なムードも含めて現在進行形の尖端音楽の見本のようなアルバムなのだ。同時に、同じくフィンランドのミカ・ヴァイニオ亡きいま、彼の意志とノイズを継承する作品ではないかとも思った。そのような意味でも〈Cosmo Rhythmatic〉からリリースされたことも当然といえよう。

Nicolás Jaar - ele-king

 急に精力的になった? この1月にアゲインスト・オール・ロジック名義でリディア・ランチおよびFKAトゥイッグスとのコラボEP「llusions Of Shameless Abundance」を発表し、立て続けにアルバム『2017 - 2019』を送り出したばかりのニコラス・ジャーが、今度は本名名義で、2016年の『Sirens』以来となるニュー・アルバムをリリースする。タイトルは『Cenizas』で、スペイン語で「灰」を意味するそう。どうやら彼自身の人生を反映した内容に仕上がっているようだ。現在 “Sunder” が先行公開中。発売は3月27日。

artist: Nicolás Jaar
title: Cenizas
label: Other People
catalog #: OP055
release date: March 27th, 2020

tracklist:
01. Vanish
02. Menysid
03. Cenizas
04. Agosto
05. Gocce
06. Mud
07. Vacíar
08. Sunder
09. Hello, Chain
10. Rubble
11. Garden
12. Xerox
13. Faith Made of Silk

bandcamp

R.I.P. Genesis P-Orridge - ele-king

野田努

 ジェネシス・P・オリッジが3月14日の朝に他界したと彼/彼女の親族が発表した。白血病による数年の闘病生活の末の死だった。

 いまから70年前の1950年、マンチェスターに生まれたジェネシスは、大学のためにハルに引っ越すと70年代初頭はコージー・ファニ・トゥッティらとともにパーフォーマンス・アート・グループ、COUMトランスミッションのメンバーとして活動し、1976年からはロンドンを拠点にコージー、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(2010年没)らとともに後のロックおよびエレクトロニック・ミュージックに強大な影響を与えるバンド、スロッビング・グリッスル=TGのメンバーとして音楽活動を開始する。

 TG解散後の1981年、ジェネシスはあらたにサイキックTVを結成、そして2019年の『The Evening Sun Turns Crimson』まで、同プロジェクトを通じて数え切れないほどの作品をリリースしている。(80年代末には、クラブ・カルチャー以外のところで派生したアシッド・ハウスのプロジェクトとしてはかなり先駆的な、Jack The Tabも手掛けている)

 コージーの自伝『アート・セックス・ミュージック』における悲痛な告白には、一時期は恋仲にありながら虐待を受けていたことが赤裸々に綴られており、横暴で自己中心的でもあったジェネシスは決して誉められた人格の持ち主ではなかったのだろうけれど、まあ、21世紀の現代からは遠い昔のTG時代のジェネシスにカリスマ性があったのも事実だった。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』やウィリアム・バロウズをバンドに持ち込んだのはジェネシスだったろうし、コージーが主張するようにTGとはメンバー全員平等のバンドであり、誰かひとり抜けてもTGとしては成立しないわけだから、やはりジェネシス抜きのTGはあり得なかったのである。

 TGはたしかにロックを常識では計れない領域まで拡張し、エレクトロニック・ミュージックに毒を盛り込んだ張本人で、残された作品はいまでも新しいリスナーに参照されいているが、彼らのルーツは60年代にあり、ことにジェネシスはその時代のディープな申し子だった。彼/彼女にはブライアン・ジョーンズに捧げた曲があり、初期のサイキックTVにはサイケデリックなフォーク・ソングもある。彼/彼女の手掛ける電子音響による暗黒郷や全裸姿もさながら反転したジョン&ヨーコの『Two Virgins』だ。そして、アレスタ・クローリーの悪魔崇拝をはじめ猟奇殺人やナチスの引用、オカルトや神秘主義の実践やカルトや原始的なるものへの憧憬もまた、社会基準を相対化しようとした60年代的自由思想の裏返った過剰な回路でもあった。

 良くも悪くも常識という縛りのいっさいを払いのける生き方は、やがて自分を妻と同じ容姿にすることによる同一化へとジェネシスを駆り立て、じっさい性も容姿も変えてみせた。それもまた、TGやサイキックTVと同様に彼/彼女にとってのアート・プロジェクトだった。ジェネシスは妻が先立つ2007年まで彼女と服も化粧も共有していたというが、子供のPTAの会議には、ジェネシスは父親として銀色のミニスカートとブーツ姿で出席したそうだ。

 ぼくがジェネシスを見たのは一回キリで、1990年に彼/彼女が(たしかZ'EVなんかと)芝浦ゴールドに来たときだった。SMコスチュームで身をかためて、鞭に打たれながら這いつくばっている彼/彼女をフロアにできた人垣に混じって呆然と見ていたことをいまでも覚えている。ただ、そのときどんなサウンドが鳴っていたかはもう忘れてしまった。ただ、ジェネシスの姿だけがいまでも脳裏に焼き付いているのだ。

野田努

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三田格

 1979年当時、“We Hate You”というタイトルに何かを感じたのだけれど、うまく思い出せない。ルル・ピカソのアートワークに包まれて<ソルディド・センティメンタル>からリリースされたスロッビン・グリッスルのセカンド・シングルで、正確には“We Hate You (Little Girls)”と副題がついている。曲にはあまりインパクトはなく、歌詞は少女たちに向かって「憎い」と叫ぶだけ。前の年にジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッドのデビュー・アルバムで「僕たちは愛されたかっただけ」という歌詞を繰り返していたので、パンクスが共同体への回帰願望を表明しているようで、それはどうかなと思っていたこともあり、“We Hate You”にはそれとは正反対のメッセージ性を感じたということかもしれない。「Hate」という単語がポップ・ミュージックに使われた例は意外と少なくて、ハンク・ウイリアムズの“My Love For You (Has Turned To Hate)”(53)やアルバム・タイトルではレナード・コーエンの『Songs Of Love And Hate』(71)など、まったくないわけではないし、1988年にモリッシーが『Viva Hate』をリリースした時もけっこうなインパクトがあった(1995年にはプリンスがThe Artist (Formerly Known As Prince) ‎として“ I Hate U (The Hate Experience)”をリリース)。ちなみに単語検索をかけてみると、使用頻度では2000年代が最も多く、2005年をピークとして、そのあとは少しずつ減っている。

 いずれにしろ“We Hate You”はスロッビン・グリッスルのキャラクターを端的に印象づけたことは確か。社会に対して攻撃的で、パンクスが退潮した後もアティチュードは死に絶えていないと、そのことは日本にまで伝わってきた。スロッビン・グリッスルがあっという間に解散してもジェネシス・P・オーリッジはピーター・クリストファーソンと共にサイキックTVとして活動を持続させ、彼がその動きを失速させるつもりがないこともよくわかった。だから、当時はセカンド・アルバムとしてリリースされた『Dreams Less Sweet』(83)が僕にはよくわからなかった。イギリスではかなり評価の高い『Dreams Less Sweet』はとても美しい蘭の花にジェニタル・ピアス(性器ピアス)のイメージを重ね合わせたゾディアック・マインドワープとピーター・クリストファーソンによるアート・ワークがあまりにも素晴らしくて、しばらく壁に飾ったりもしていたのだけれど、肝心な音楽に関してはどこか散漫な印象が残るばかりで、良さがわかるまで何度でも聴く癖のある僕にしては早々に投げ出し、クリストファーソン脱退後のセッション・アルバム『Those Who Do Not』(84)ばかり聴いていた記憶がある。さらにいえば、クリストファーソンがジョン・バランスと結成したコイルである。螺旋階段をアナルに見立てるなど、実にユーモラスなゲイ表現とは対照的に強迫的なインダストリアル・サウンドを打ち出してきたコイルはあまりにカッコよく、“We Hate You”を継承しているのはむしろこっちだと思ったのである。

 事態が変化するのはサイキックTVが1984年に「Godstar」と1986年に「The Magickal Mystery D Tour E.P.」をリリースしてから。前者はブライアン・ジョーンズをテーマとし、後者にはビーチ・ボーイズ“Good Vibrations”のカヴァーが冒頭に収録されていた(7インチ2枚組のヴァージョンにはセルジュ・ゲーンスブール“Je T'aime”のカヴァーも)。1986年にNMEがサイケデリック・ムーヴメントの回顧記事を書いた時、それは跡形も残っていないものとして認識され、まったくもって過去の出来事でしかなかった。あれだけ迅速に音楽情報を伝えていたNMEもマンチェスターや北部の諸都市にレイヴ・カルチャーが浸透しつつあることは察知できず、初めてアシッド・ハウスが紙面に取り上げられたのは88年2月だった。明らかにジェネシス・P・オーリッジの方が動きは早かった。“Good Vibrations”のカヴァーを聴いて僕は初めてビーチ・ボーイズに興味が湧き、翌年に入ってジーザス&メリー・チェインが“Surfin' USA”をカヴァーしたことがダメ押しとなってビーチ・ボーイズのアルバムを一気に15枚も買ってしまった。そして、『Pet Sounds』(66)を聴けばどんなバカにもわかったことが僕にもわかった。『Dreams Less Sweet』はビーチ・ボーイズを意識したアルバムだったということが。ビーチ・ボーイズとまったく同じポップ・ミュージックと実験性の共存。サイケデリック・ミュージックはジーザス&メリー・チェインによって復活し、アシッド・ハウス・ムーヴメントへと拡大したというのがニュー・ウェイヴの定説かもしれないけれど、ポップ・ミュージックの文脈で誰よりも早くそれに取り組んだのは『Dreams Less Sweet』だったのである。

 インダストリアルを引きずりつつも、ノスタルジックなベースラインにタンバリンやオーボエ、チューバ、そして、まろやかなコーラス・ワークにヴァン・ダイク・パークスを思わせるメロディ・センスが『Dreams Less Sweet』の中核をなしている。アシッド・ハウス・ムーヴメントとともにようやくそのことを僕は理解した。ジェネシス・P・オーリッジの大言壮語はアシッド・ハウスを最初にやったのは自分だというもので、いくらなんでもそれは言い過ぎだったけれど、『Dreams Less Sweet』をつくっていたことでサイキックTVがインダストリアル・ミュージックからアシッド・ハウスに伸ばした導線が表面的なものではなかったことは実に納得がいく。それどころかジェネシス・P・オーリッジは本気でやっていたとしか思えない。『Jack The Tab』であれ『Tekno Acid Beat』(共に88)であれ、彼らがその当時、量産したハウス・レコードは初期衝動に満ちていて、いま聴いても実に楽しいし、後にはザ・グリッドとして国民的な人気を得るデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが当時のメンバーを務めていたことも見過ごせない。あるいは匿名を使わなくなった『Towards Thee Infinite Beat』(90)では彼らなりにアシッド・ハウスを次のステージへ向かわせようと様々な試行錯誤に努めた痕跡も聴き取れる(結果的にクリス&コージーみたいなサウンドになっているけれど)。そう思って調べていくと『Dreams Less Sweet』には60年代の象徴がちりばめられていたことにも思い当たる。特異な録音方法はピンク・フロイドの踏襲、”Always Is Always”はチャールズ・マンゾン、"White Nights”は人民寺院で知られるジム・ジョーンズの言葉をベースとしていて、これはレニゲイド・サウンドウェイヴ”Murder Music”でオリジナル・スピーチがそのままサンプリングされている。とはいえ、それらはラヴ&ピースではなく、イギリスでは魔術師としても知られるジョン・バランスと結成したテンプル・オブ・サイキック・ユースの活動にも顕著なようにサイキックTVの表現はサマー・オブ・ラヴのダークサイドからの影響が濃厚で、“We Hate You”が単純に“We Love You”へとひっくり返らなかったことはアシッド・ハウス・ムーヴメントにおける彼らの位置を得意なものにした要因といえるだろう。なお、テンプル・オブ・サイキック・ユースの背景をなすケイオスマジックについては→https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック

 また、ジェネシス・P・オーリッジがポップ・ミュージックにおけるトリックスターとしてさらなる役者ぶりを示したのは自らがトランスジェンダーと化したこと(=The Pandrogeny Project)で新たな様相を呈することとなった。噂には聞いていたけれど、ブルース・ラ・ブルース監督『ラズベリー・ライヒ』(04)でその姿を初めて認めた時は僕もかなり驚かされた。その異様さはスロッビン・グリッスルの時よりインパクトがあったかもしれないし、旧左翼と新左翼の対立を描いたハンス・ウェインガートナー監督『ベルリン、僕らの革命』(04)をゲイ・ポルノの文脈で先取りしたような『ラズベリー・ライヒ』(04)はそれこそジェネシス・P・オーリッジはまだストリートに立っている証しのように思えた。最初は反逆者でも結局は規制のポストに収まってしまう人たちとは異なる迫力を感じたことは確かで、トランスジェンダーとして彼(女)はケンダル&カイリー・ジェンナーの父(母)であるケイトリン・ジェンナーのインタビューにも応じ、グランジ・ファッションの祖であるマーク・ジェイコブスのファッション・ショーにも出演している。ヴォーグの編集長アナ・ウィンターの側近ともいえるマーク・ジェイコブスのショーに出たということはニューヨークではかなりなセレブレティにのし上がっているということを意味する。ニューヨーク・タイムスはジェネシス・P・オーリッジをカルトと評し、アヴァンギャルドの宝と讃えていたことがあり、現在はマシーン・ドラムやゾラ・ジーザス、そして、ローレンス・イングリッシュやコールド・ケイヴなどなかなか広範囲の人たちから追悼の声が上がっている。

三田格

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