「K A R Y Y N」と一致するもの

Young Fathers - ele-king

 White Men Are Black Men Too.とはまたポリティカルな。というのは誰しも思うところだが、うちの連合いと隣家の息子の反応は、「ほんなん聞いたらブラックの男どもが怒るだろ」だった。「なんで?」と言うと、「一緒にすんなって言うぜ。あいつら自分たちのことすげえクールだと思ってるから」「そうそうそう」とか言って頷き合ってるので笑ったが、ガーディアン紙が「UKのアイデンティティ・ポリティクスとブラック・マスキュリニティを想起させるタイトル」と書いていた後述の部分がその辺だろう。
 昨年10月、かのFKAツイッグスを押さえて「番狂わせ」で彼らがマーキュリー賞を受賞したとき、個人的には「スコットランド出身だからじゃないのか」と思った。英国中を騒然とさせたスコットランド独立投票は9月だった。あれから半年が過ぎ、またなぜかスコットランドが英国総選挙の主役に躍り出るというシュールな状況になっているが、「スコッツにUKを支配させてたまるか」という感情が皆無のわたしのような外国人にすれば、いまスコットランドがおもしろい。右傾化と緊縮でノー・フューチャーな英国に揺さぶりをかける力が、意外なところから出現した。リベラルや左派で当たり前のUK音楽メディア界にも、スコットランドに夢を感じている人は少なくない筈だ。
 そのスコットランドは昨年の独立投票で、在住外国人には投票権を与えたが、仕事の関係で国境の外に住んでいるスコットランド人には投票権を与えなかった。White Men Are Black Men Too. という言葉がそうした場所から出てきていると思えば、これはプログレッシヴ・ポリティクスをも想起させる。

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 彼らがマーキュリー賞を獲った1stは所謂オルタナティヴ・ラップだったので、昨今の風潮からすればスコットランド→ポリティカル→ラップという構図は非常にわかりやすいので「ブリット・アワードのオルタナティヴ」を自称するマーキュリー賞が彼らに賞をやりたくなった気持ちもわかるが、2枚目は一転してポップ・ソング・アルバムになっている。
 で、これがやけにいい。ラジオから聞こえてくる懐かしいポップ・ソングの肌触りがするのだ。音楽性は全く違うが、わたしがこの肌触りから思い出したのは、ザ・スペシャルズの”Ghost Town”だ。ガーディアン紙に「UKチャート史で最も重要なポップ・ソング」と評され、いまでも史上最高の流行歌と呼ばれるあの名曲は、ロンドン暴動後に再評価された。
 ポップ・ソングとは、好いたのはれたのふられて泣いただのいうことを歌うだけのものじゃない。ということを十代のわたしに教えてくれたのはUKだった。政治や社会や時代のムードを鋭く抉ったポップ・ソングが普通にチャート1位になり、幼い子供たちがそれを口ずさみながら育つというポップの伝統が英国にはあった。
 が、いつしかその伝統は途絶えた。UKチャートは公開オーディション番組出身のボーイバンドや、白人の兄ちゃんや姉ちゃんたちが黒人の声を真似た歌い方で好いたのはれたのふられて泣いただのいうことを歌っているばかりで、”Ghost Town”のようなポップ・ソングが聞こえなくなった。ここは本当にUKなのか。

 白人を責めるのは飽きた
 彼の軽率さは本心じゃない
 黒人だって彼のように振る舞うことがある
 白人には黒人でもある奴らがいる
 奴らはニガー
 君たちはジェントルマン
 白人には黒人でもある奴らがいる
 ニガー
 ニガー
 ニガー
 目を覚ませ              ‟Old Rock’n Roll″

 “Old Rock’n Roll”のシンプルな歌詞と歌いやすさは、むかし子供たちが歌っていたオールド・ポップ・ソングを思い出させる。本作のレヴューを読むと、エレクトリック、クラウトロック、ゴスペル、ロック、ソウル、ヒップホップ、グライム、ミニマリズム等々、ありとあらゆる音楽のジャンルや、ビーチ・ボーイズからレディオ・ヘッドまで、ボ・ディドリーからアウトキャストまで節操がないほど広範な人々の名前が「like(〜のような)」という言葉の後に使われている。が、個人的には「like」の後につけたいのはザ・スペシャルズの”Ghost Town”だ。彼らがやろうとしたのはきっとその現代版だ。何よりもこのアルバムは、UKのポップ・ソングが先鋭的で政治的でユーモラスでクールだった時代を思い出させる。

 英国全土を揺るがすスコットランドのSNPが掲げるマニフェストの一つがスコットランド沖の核兵器トライデント撤廃だが、科学者や芸術家によるトライデント撤廃運動Time to Move On Tridentのテーマ曲に使われいてるのが本アルバム収録の‟Rain or Shine″だ。

 僕に力をくれ 僕に痛みをくれ
 永遠なんてすべて同じこと
 未知のものを探し続けて
 力をつけても救いにはならない
 力をつけても救いにはならない       ‟Rain Or Shine″

 スコットランドには昔の英国にあった気骨のようなものが残っている気がする。その古臭さがいま進歩的と注目されているとすれば、それは時代が動く兆しだろう。
 「White Men Are Black Men Too」は、プログレッシヴ・ポリティクスの地から出て来たプログレッシヴ・ポップだ。

Prurient - ele-king

 ドミニク・フェルノウ(Dominic Fernow)がやり過ぎなのは誰の目にも明らかだ。レインフォレスト・スピリチュアル・エンスレイヴメント(Rainforest Spritual Enslavement)やヴァチカン・シャドウ(Vatican Shadow)としてあいも変わらず怒濤のリリースを続けるなか、プリュリエント(Prurient)とエクスプローリング・イザベル(Exploring Jezebel)の新作も発表。一体どうやって〈ホスピタル・プロダクション(Hospital Production)〉代表を務めながらこれだけの制作をこなすことができるのか、完全に理解を超えているとしか言いようがない。

いまでこそUSインディの先端を担う〈ホスピタル・プロダクション〉も元をたどればドミニクが若干16歳でスタートさせたDIYノイズ・レーベルであったわけで、ドミニク自身から止めどなく溢れんばかりに湧出する、かたちを成さない感情であるノイズをひたすらにアーカイヴ化することでその複雑な自身の表出にコンセプトを見出し、ラベリングすることが当初の目的であったと言える。

ノン及びボイドライスやデス・イン・ジューン、カレント93やコイルにSPK、ナース・ウィズ・ウォンド等のニューウェーヴ/インダストリアルからの多大な影響とブラック・メタルへの偏執的な傾倒をノイズ/エクスペリメンタルといった実験的な手法で自身の表現を模索してきたドミニクにとってプリュリエントはつねに彼の主たるプロジェクトであった。

シンセ・ダークウェーヴとパワー・エレクトロニクスの融合を試みてきたプリュリエントが、ドミニクのコールド・ケイヴへの参加を機に劇的な変化を迎えたのが2011年に発表されたバミューダ・ドレイン(Bermuda Drain)である。それまでになくメタル、もといロック的な起承転結が明快なダイナミズムとシーケンス/ビートにプリュリエントの手法を落とし込んだ意欲作であった。BEBからの前作、スルー・ザ・ウィンドウ(Through The Window)で90年代ハード・テクノを骨抜きにしたような作風を披露し、ヴァチカン・シャドウのサウンドと重複したことを危惧したのか、本作フローズン・ナイアガラ・フォールズ(Frozen Niagara Falls)ではドラマティックな展開を強調して再びプリュリエントの明確な差別化を意識したように聴こえる。ツインピークス風の不穏かつ幽玄なダークウェーヴからアコースティック・サウンドを基調とした激情、お馴染みの激昂とパワエレは以前より洗練された形でヴァリエーション豊かなトラックと共存している。活動歴約20年に及ぶ彼のプリュリエントな(卑猥な)試みの集大成として放つロック・アルバムだ。USインダストリアルの今後を占う90分近い圧倒的ヴォリュームの意欲作。


interview with East India Youth - ele-king


East India Youth
Culture Of Volume

Indie PopElectronic

Tower HMV Amazon iTunes

 ファースト・アルバムのジャケットには、人肌の表現としてはいささか大胆な色づかいの、抽象的な自画像が用いられていた。『トータル・ストライフ・フォーエヴァー(Total Strife Forever)』と名づけられたその作品は、タイトルやアートワークにたがわず混沌とした印象のサウンドだったが、人気もメディアによる評価も高く、同年の英マーキュリー・プライズにノミネート。彼自身、その後はロンドンという舞台を同じくして活躍するファクトリー・フロアとのツアーを行ったり、ジーズ・ニュー・ピューリタンズのサポート・アクトを務めるなど、目ざましい──そして自身にとってもかけがえがないと述べる体験や活動を経てきた。
 イースト・インディア・ユースことウィリアム・ドイル。彼は特定ジャンルにおけるフロンティアの掘削者というよりも、英ポップ・シーンの表舞台でマイペースに自己探求をつづける、みずみずしいプロデューサーである。エレクトロニックな方法を用い、実際にテクノ、インダストリアル、エレクトロ・ポップ、あるいはジェイムス・ブレイクなどと比較されて語られるのを目にするが、大仰にそうしたジャンル名をかぶせるよりは、たとえば“エンド・リザルト”などがそうであるように、レディオヘッドが、キーンが、ザ・スポットライト・キッドが、つまりは英国ロックのある傍系の遺伝子が現在という空気と時間のフィルターをかぶって表出したものだと言うほうがしっくりくるだろう。しかしもちろん、さまざまに比較を受けているエレクトロニック/ダンス・ミュージック的な要素・傾向もまた、アンダーグラウンドの成果やトレンドの渦を反射するようにEIYの音楽を豊かにしている。

 そうした充実の中でかたちを成したこのセカンド・アルバムにはふたたび自画像があしらわれた。今回はより写真的なかたちで自身を映し出しているのが興味深い。それはこのインタヴューのなかでも述べられているように、「プロデューサー気質を発揮するよりも、自分がラップトップの前に出たかった」という気持ちをいくばくか象徴するものなのかもしれない。その意味で、多様性はそのままに、しかし格段に整理され、ポップ・パフォーマンスという方向性を得た音は、前作に比較してもすばらしく表現の威力を増している。

ちなみに、これまた以下に回想されているのだが、ファクトリー・フロアとのツアーの興奮や影響は冒頭の“ザ・ジャダリング(The Juddering)”に思いきり顕著で、微笑ましい。

■East India Youth / イースト・インディア・ユース
現在はロンドンを活動の拠点とする、ウィリアム・ドイルによるソロ・プロジェクト。デビュー作『トータル・ストライフ・フォーエヴァー』が高い評価を受け、FKAツイッグスやボンベイ・バイシクル・クラブとともに2014年度のマーキュリー・プライズにノミネートされた。第10回Hostess Club Weekenderで初来日、本作はその後初にして2枚めのフル・アルバムとなる。

昔のコンピュータにもかかわらず、そんなにレトロな感じがしなくて、どちらかというといまっぽいものになっているんじゃないかと思って

今作も自画像がジャケットのアートワークに用いられていますね。しかしいくらか抽象度が下がりました。これは前作と今作の音における表現の差でもあるでしょうか?

ドイル:たしかに今作は、音としても以前よりカラフルで、それがアートワークに反映されているかもしれないな……。これは80年代のアミーバ(Amoeba)というコンピュータを使ってつくったものなんです。もっとピクセルが粗くって、それによってローファイなアートになっているんだけれど、それをキャプチャー画像として使用していて。おもしろいのは、昔のコンピュータにもかかわらず、そんなにレトロな感じがしなくて、どちらかというといまっぽいものになっているんじゃないかと思って……そのへんが今回のアートワークとしておもしろいところかなと思いますね。

あなたがプロジェクトを始めた当時は2012年ということですね。今作までで機材環境にはどのような変化があったのでしょうか。可能でしたらどのようなものを用いていらっしゃるのかということもふくめて教えてください。

ドイル:メインの機材はラップトップなんだけど、すべてはそこからはじまっていて、ソフトウェアをたくさんつかっているけど、ハードウエアはそんなに使用してないんです。それはライヴでもいっしょで、最近、ベース・ギターはライヴでも楽曲制作のときでもよく使うようにしているんですけど、それ以外はツールも少なくて。どちらかというと個人的にはソフトウェアに興味があるんだけど、プロデューサーやエンジニアさんというのはやっぱりハードに関心のある人が多いんですよね。だからヴィンテージな機材を掘り出して使う人も多いと思います。
僕の場合はソフトの中からいろんな音を出すというのが好きで、そうやって遊んでいますよ。もともとは、前にいたバンドではアコギをメインとして弾いていたし、10歳のころからすでに自分のメインの楽器はギターだったんです。これからはもっとギターをこのプロジェクトにも投入していきたいなと思っていますよ。ただ、機材ということでいえば、このプロジェクトがはじまってからいまでもベーシックは変わっていないですね。3年に一度くらいは自分のセットアップを更新しているというか、コンピュータやソフトを見直して変えていて、それが環境の変化といえばいえるかもしれないです。

音楽をつくりはじめることになったきっかけは? 最初からいまのようなDAWソフトを用いたエレクトロニックなものだったのですか?

ドイル:10歳のときに父がエレキ・ギターを買ってくれたんです。それが音楽人生のはじまりでしょうか。当時、アコギを友人から借りて自分なりに独学で弾いていたのを親が見て、それでギターを買ってくれたんだと思います。いっしょにアンプなども買ってくれたので、自分でももっと練習するようになったし、見よう見まねで曲もつくりはじめました。10歳か11歳のときにバンドも組んだりして、13歳か14歳の頃にはコンピュータを使いはじめたかな……。というのも、生まれ育った町から引っ越したので、友だちもいないし、バンドも組めなかったから。仕方なく自分だけで音楽をつくる方法を探すしかなかったし、ちょうどベックとかモービーとかを好きになりはじめてもいたから、アコースティック要素はあるけどエレクトロニックなところもあるような音楽に心が向かったというところもあったかなあと。そのときキューベース(Cubase)を独学で学ぶようになっていまにいたりますね。10年経ったいまでも同じプログラムを使って音楽を書いています。とくに音楽的な家庭に育ったわけではないし、環境としても音楽的だったわけではないけど、いまでは本当に音楽が人生の一部という感じですね。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『ラヴレス』を最初に聴いたときっていうのは、いまでも覚えているんだけど、その音の印象や衝撃がすごく自分の中に焼きつきましたね。

シーンとして、たとえばベースミュージックだったり、ダンス・ミュージックの流れを意識していますか?

ドイル:じつはぜんぜんシーンやジャンルを意識したりということはないんですよ。自分がどういうところにカテゴライズされているのかとか。ある楽曲はすごくダンス寄りだったり、ある曲はシンセ・ポップだったり、急にインストゥルメンタルなものが入ってきたり、クラシック寄りのものだったり。それから、シーンやジャンルっていうものにずっぷりとはまってしまいたくないなとも思います。そういうものが嫌いなわけではないし、テクノのイヴェントやレイヴなんかに遊びにいくのも大好きですけど、自分がどこにも該当しないというポジションがとても気に入っているので、これからもそんなかたちで活動していきたいとは思っていますね。

“マナー・オブ・ワーズ(Manner of words)”などにとくに顕著ですが、今作においてはリヴァーブや歪(ひず)みがサウンドのひとつの特徴になっているようにも思います。M83など、エレクトロニックな特徴をもったシューゲイザーなどを思い浮かべました。そういった音楽やギター・ノイズ、その増幅によってつくられる音楽に興味があるのですか?

ドイル:そうですね、意識しているというほどではないですが、たとえばマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『ラヴレス』を最初に聴いたときっていうのは、いまでも覚えているんだけど、その音の印象や衝撃がすごく自分の中に焼きつきましたね。それは根づいているからこそ知らないうちに表現の中に出てきているものだと思います。たしかにそう言われると、この“マナー・オブ・ワーズ”のどの部分を指しているのかということがすごくよくわかります。ただ、それは意識したものではなくて、自分の中の感覚としてすごくナチュラルに出てくるものなんだろうなと思いますね。おもしろいのは、『ラヴレス』とか、いま日常的に聴いているものじゃないのに、そうやって影響を及ぼしているってことですよね。最初の印象が強いばかりに、そんなふうになるのかな。

資料によると、あなたは今回、プロデューサーとしてよりもポップ・アーティストとして歌い、パフォーマンスを行ってみようというひとつの転換点を迎えたということですね。それはマーキュリー・プライズにノミネートされるというような出来事にもきっかけがありますか?

ドイル:そうですね、マーキュリー・プライズにノミネートされたというのもひとつのきっかけだったと思います。このイースト・インディア・ユースのパーソナリティをもっと表に出して、みんなに知ってもらいたいたかったんですよね。自分が前に出ようと思った。以前はラップトップの後ろにいて、地味な感じだったんです。でもライヴをやるごとにみんなが楽しめる要素を増やしてきているかなと思います。そういうことに対するリアクションを見ながら、もっと自分としてもエネルギッシュなパフォーマンスを楽しんでもらいたいと思っていたんですが、まさかこんなに人気の出るプロジェクトになるとは思ってもみなかったので、こうやってノミネートしてもらったり楽しんでもらったりすることで、そうやって好まれるようなかたちになっていきたいなという思いも自然にふくらみましたね。それが、こうやってプロデューサー気質を前に出すというよりも、パフォーマンスを楽しんでもらうというような、そしてそんな道をもっと突き進みたいというような気持ちになっています。

プロデューサー気質を前に出すというよりも、パフォーマンスを楽しんでもらうというような、そしてそんな道をもっと突き進みたいというような気持ちになっています。

詞はどのようにつくるのですか? ご自身が観念的なタイプだと思いますか?

ドイル:じつは、歌詞を書くっていうのが自分にとってもっとも難しいことなんです。苦手なので、いまでもなんで自分がこんなことをしているんだろうって不思議な気持ちになります。いつも苦しむところなんですよ。自分がおかれている環境や場所をモチーフにはしていて、それを最終的には抽象的なかたちで表現するので、歌詞によってはすごくアブストラクトになっていると思います。どちらかというと、空間を絵具で塗ってつくっていくような感覚で言葉をつくっていますね。……本当に自分ではいつも苦しむ、もっとも音楽制作のなかで難しいことだと感じています。

今作にはより大きなスケール感が備わっていて、映像表現との相性もよいのではないかと感じましたが、あなたの「ポップ」なあり方は、今後どのような展開をしていくものなのでしょう?

ドイル:自分の理想的なポップのかたちは、みんなが聴いて楽しめるもの、ですね。でもその背景にはアンダーグラウンドなものの要素が隠れているというのが目指すところでもあります。聴いてすぐに楽しめるものだけれど、何度聴いても発見があったり、耳に冒険を与えられるものだったり、そんなものが見え隠れする曲をつくりたいですね。すぐに惹かれるようなメロディやリズムがあって、ポップ感のあるものがいいけど、その後ろに複雑な要素が見え隠れするもの──でも、そうやってうまく成功している人たちもたくさんいますよね。1曲でそれをやるのは難しいけれど、アルバムを通してそれが感じられるようなものをつくりたいなと思います。自分の好きな要素、ポップに反した要素なんかも、ね。

ファクトリー・フロアとのツアーはいかがでしたか? 印象に残っていることと、もっともよかったと感じるショウの模様について教えてください。

ドイル:そうですね、僕にとってすごく多大な影響を与えてくれている存在です。自分のいまの道すじや、制作において重要な人々につないでくれたキーマンともいえるかも。彼らがツアーにきてくれないかと言ってくれたときは本当に二つ返事で、自分自身もこれはぜったいに行くべきだって心から思えたしうれしい出来事でしたね。彼らとツアーをしてあらためて思ったのは、毎回誰とツアーをやっても素晴らしいなと思うんだけど、そのうちそう思いながらも最初の数曲だけ聴いて場を離れるようなことが増えてきたんですね。でもファクトリー・フロアについては、最初から最後まで本当に目が離せなくて、毎晩ライヴを楽しんでましたね。セット・リストが同じだったりするのに、毎回ちがうワクワク感があって、とくにドラムのゲイヴがライヴで披露するダイナミックさというのはそれぞれの晩で異なっていたんですよね。それが「ゾーン」に入ると、もう言葉では表せないくらいすごいものになっていて……。いまでもその興奮はうまく言い表せないですね。アルバムも大好きですけど、ライヴがとにかく素晴らしい。多大な影響を与えてくれた人だし、よき友人たちです。

ジェイムス・ブレイク、よく較べられるんですよ(笑)。その理由は顔が似てるからだと思うんですよね。

ジェイムス・ブレイクなどはどうでしょう?

ドイル:よく較べられるんですよ(笑)。その理由は顔が似てるからだと思うんですよね。イギリス出身で、同じような髪型で、雰囲気がなんとなく共通しているからなのかなって……(苦笑)。自分としては音楽的にも、背景として持っているものもまったくちがっていると感じています。彼のメロディのうしろにあるものは、どちらかというとソウルとかブルースとかっていうものだけど、僕の音楽はそうではない。そして彼の音楽のほうがデリケートだと思いますよ。僕の場合は、もっとバンってみんなのまえに差し出すものだというか。スタンスも参照点もちがうので、音楽として較べられる理由はあまりよくはわからないですね。

UKにおいて、インディで活動することとメジャーで活動することの差はどんなところにありますか?

ドイル:自分がメジャーとインディのどこに属するかというようなことは、自分でもあまり考えたことはなかったんですけど、こうやって日本のインタヴューを受けさせてもらっているわけだから何かしら成功した部分はあるのかなとは思いますね。ただ、自分としては、外からの変な影響なく音楽をつくりつづけることが夢なので、その理想に近い部分ならインディでもメジャーでもいいなと思います。

出身もロンドンですか? ロンドンでの音楽体験について教えてください。

ドイル:生まれたのはボーマスという場所で、ロンドンに来たのは4年前です。ロンドンというのは音楽にまつわるカルチャーが本当にたくさんある場所で、エキサイティングで楽しいです。でも、最近は自分のライヴが忙しくなってしまって、音楽のイヴェントにはあまり行けてないんですけどね。引っ越した2年間くらいは本当にいろんなところに通いました。すごくメジャーなアーティストから、すごくマイナーなアーティストまで、たくさんのものを同じタイミングで見れる場所ですね。

昨年、今年と、あなたが観た映画や読んだ本などで印象深いものはどんなものでしょう?

ドイル:スカーレット・ヨハンソンが主演の『アンダー・ザ・スキン(邦題:アンダー・ザ・スキン 種の捕食)』という映画があるんですが、それが素晴らしかったですね。スカーレット・ヨハンソン自身もブリティッシュ・アクセントだったりするんですけども。久々にすごいものを観たと思いました。サントラもいいんですよ。それがとても印象に残ってますね。

 今週末、ファッション・ブランドC.Eとレーベル〈ヒンジ・フィンガー〉共同の主催のイベントで来日する、ウィル・バンクヘッドとピーター・オグレディことジョイ・オービソン。当日を待ちわびている皆さんのために、なんと今回が初来日のジョイ・オービソンがインタヴューに答えてくれました。
 ここで簡単に彼の経歴の説明を。音楽のバックグラウンドはジャングルのミックス・テープにあるというロンドン在住のジョイ・オービソンのデビューは2009年。そのトラック“Hyph Mngo”はいわゆるダブステップが「ポスト」へ移行した時代の象徴的な曲として記憶されており、ジャンルを越え本当に多くのDJたちがプレイしました。
 ですがその後ドラムンベースの鬼才ユニット、インストラメンタル(Instra:mental)の元メンバーであるボディカ(Boddika)とレーベル〈サンクロ(SunkLo)〉の立ち上げなどを経て、深淵なハウスやテクノの方面に舵を取りました。ツアーでヨーロッパを回るようになった彼は、デザイナーとしてのキャリアやレーベル〈ザ・トリロジー・テープス〉で知られるウィル・バンクヘッドとベルリンで出会い、よりロウなトーンを突き詰めたレーベル〈ヒンジ・フィンガー〉をふたりで始動させ現在にいたります。
 インタヴューには普段はあまり応じていないという彼ですが、最近買ったベスト・レコードから、一緒に来日するウィル・バンクヘッドについてまで、激多忙なスケジュールのなかシンプルにそして丁寧に答えてくれました。

いまどちらにいらっしゃいますか? ロンドンの自宅でしょうか?

ジョイ・オービソン(Joy Orbison、以下JO):うん。ロンドンのエレファント・アンド・キャッスルにある家の予備部屋兼スタジオの椅子に座っているよ。

あなたの来日が決定して、多くのファンが喜んでいます。が、ここにひとつ問題があります。ロンドンと東京って結構遠くて、片道10時間くらいかかるんですよね。どうやって時間を潰す予定ですか? やっぱり本を読んだり映画を見るんでしょうか? それともひょっとして機材を持ち込んで作曲ですか?

JO :ウィル・バンクヘッドと僕の彼女の間に座ることになったから、めちゃくちゃお酒を飲むことになりそうだ。少しは眠れるといいなぁ。いつもは飛行機のエンタメ・サービスを使ってチェスをするんだ。小さな子供に連敗しないように練習しないといけないからね(笑)。

今回はしかも初来日です。DJノブといった日本のDJたちもこの日は出演しますが、日本の音楽シーンや文化に関心はありますか?

JO :日本のシーンは全然知らないんだけど、いつも耳にする音楽と日本文化の関係性にはわくわくするよ。C.Eの素晴らしいスタッフたちの協力のおかげでDJノブと同じイベントへの出演が決まったことが単純に嬉しい。最高の初来日になるといいね!

最近買ったベストのレコードは何ですか?

JO :Automat & Max Loderbauerの“Verstärker”だね。

それでは最近注目しているプロデューサーは?

JO :Herronかな。

さて、あなたのキャリアを少々振り返ってみようと思います。2009年にあなたはスキューバの〈ホット・フラッシュ・レコーデイングス〉からのシングル “Hyph Mngo”でデビューを飾り、この曲はいわゆるポスト・ダブステップのアイコンのひとつとしてみなされています。ですが、あなたは〈ドルドラム〉から “BB / Ladywell”のリリース以降、テクノやハウスの方面へシフトし現在に至っています。この転機のきっかけとはなんだったのでしょうか?

JO :個人的にはその流れを変化だとは思っていなかったんだよ。でも当時の自分が周りからどうやって見られていたのかは理解できる。 “Hyph Mngo”はそれまでの僕の曲のなかでDJやオーディエンスに一番サポートされたものだったけど、同時に僕はたくさんの曲を作っていた。当時作った曲を見てみても、ハウスやテクノっぽいものもあれば、ドラムンベースみたいなものもある。そういう曲は世間が僕に抱いていたイメージとはかけ離れているだろうね。そんな感じでこれからも縛られないスタイルで曲を作っていこうと思うんだけど、その課程でシーンや時代性の呼吸が合っていたら最高だよ。

Joy Orbison – Hyph Mngo

あなたはボディカとの共作でも知られていますが、彼とのレーベル〈サンクロ〉からの最新リリースは2014年の2月にリリースされた“モア・メイム / イン・ヒア”なので、それから1年以上が経っています。最近はボディカと曲を作っていますか? 〈サンクロ〉は日本でもすぐにソールド・アウトになってしまうので、ファンは新作を期待していますよ。

JO :ボディカとは少なくとも週に2、3日はスタジオに入るように心がけていて、しばらくの間この作業を継続していたよ。おかげで本当にたくさんの曲が完成したね。実はもうすぐ新曲がリリースされるんだ……!

ウィル・バンクヘッドは何度かDJとして来日しており、去年もアンソニー・ネイプルズやレゼットと東京でプレイしました。彼は才能溢れるデザイナーであると同時に、違ったジャンルで活動するプロデューサーをつなぎ合わせる重要な役割も果たしていると思います。そして現在、あなたはバンクヘッドとともに〈ヒンジ・フィンガー〉を運営しているわけですが、アートワークやDJスタイルを含めて彼の「作品」をどのように評価しますか?

JO :彼の作品の大ファンだよ。ユニークなものの見方をしているから、いつも僕は驚きっぱなしさ。僕の音楽やレーベルのコンセプトを可視化してくれるひとは彼くらしかいないから、出会えてすごくラッキーだ。
 それに彼のDJも本当にヤバいんだよね。たぶん僕がいままでで出会ったなかで、飛び抜けて強烈なレコード・コレクションを彼は持っているんじゃないかな。あのレコードの壁を探索するのにかなりの時間を使ったよ。あそこでは必ず特別な曲が見つかるんだ(いまそのレコードは地下室にしまってあるんだけどね)。自分自身の知識をワクワクさせるような何かに変換させることに関して、彼の右に出る者はいないと思う。なんせブジュ・バントンからフランソワ・ベイルに繋いだりするんだからね!

ウィル・バンクヘッドの作品でお気に入りを挙げるとしたら何でしょうか?

JO : うーん、難しいね……。T++の「ワイアレス」かブラワンの「ヒズ・ヒー・シー&シー」ってことにしとこうかな。

様々なスタイルを経てあなたは現在に至るわけですが、2015年に私たちはどんなことを期待できるでしょうか?

JO :目標はたくさんリリースをすることだね。とにかく目の前のことに集中しなくちゃいけないな。

それでは最後に日本のオーディエンスにメッセージを!

JO :(日本語で)「トリッキーは、お茶を作ります」

 最後のひと言がどういう意味なのか質問してみたところ、英語では“Tricky, you make the tea”と打ったようです。 “Tricky’s Team”という似た名前のタイトルの曲をボディカとリリースしていますが、それから察するにインタヴューで触れている次なる新曲の名前なのでしょうか!? 週末に期待!

Joy Orbison & Boddika – Tricky’s Team


The Trilogy Tapes, Hinge Finger & C.E presents
Joy Orbison & Will Bankhead

2015/04/24(Fri)
@ Daikanyama UNIT & SALOON

[UNIT]
Joy Orbison(Hinge Finger)
Will Bankhead(The Trilogy Tapes / Hinge Finger)
DJ Nobu(Future Terror / Bitta)
[SALOON]
Edward Occulus
Toby Feltwell (C.E)
1-Drink
Koko Miyagi
Bacon
Open/Start 23:30
Early bird 2,000yen(Resident Advisor only) / Adv. 3,000yen / Door 3,500yen
Ticket Outlets: LAWSON / diskunion 渋谷 Club Music Shop / diskunion 新宿 Club Music Shop / diskunion 下北沢 Club Music Shop / diskunion 吉祥寺 / JET SET TOKYO / TECHNIQUE / DISC SHOP ZERO / Clubberia / Resident Advisor / UNIT / min-nano / have a good time
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)
More Information : Daikanyama UNIT
03-5459-8630 www.unit-tokyo.com https://goo.gl/maps/0eMrY

2015/04/28(Tue)
@CLUB CIRCUS

Joy Orbison (Hinge Finger)
Will Bankhead (The Trilogy Tapes / Hinge Finger)
AIDA
Matsuo Akihide
qands
Open/Start 22:00
Door 2,500yen
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)
More Information : CLUB CIRCUS
06-6241-3822 https://circus-osaka.com

当日は東京と大阪の両会場にてイベントの開催を記念したC.EのTシャツの販売が決定!
CETTT T #2 (イベントTシャツ)
Price: 4,000yen (Tax incl.)
問い合わせ先: Potlatch Limited www.cavempt.com

Joy Orbison
2009年にHot Flush から〈Hyph Mngo〉をリリースしデビューを飾ったのち、〈The Shrew Would Have Cushioned The Blow(Aus Music)〉や〈Ellipsis(Hinge Finger)〉、Boddikaとの共作による〈Swims(Swamp81)〉など精巧かつ念密に構築された楽曲を次々とリリースし続ける傍ら、Lana Del ReyやFour Tet、José Jamesといったアーティストのリミックスを手がけている。ハウスや2ステップ、ジャングル、テクノ、ダブステップ、これらの要素が融合し生まれた〈ガラージハウス〉とはJoy Orbisonの作り出した“音”だと言っても過言ではないだろう。レーベル〈Hinge Finger〉 をThe Trilogy TapesのWill Bankheadと共に立ち上げるなど異質かつ独自な動きを行う中、最近ではBBC RADIO 1の人気プログラムである〈Essential Mix〉に登場するなど、トラックメーカー/プロデューサーとしてはもちろんDJとしても高い人気を誇っている。
https://soundcloud.com/joy-orbison
https://www.residentadvisor.net/dj/joyorbison

■Will Bankhead
メイン・ヴィジュアル・ディレクターを〈Mo’Wax〉で務めたのち、〈PARK WALK〉や〈ANSWER〉といったアパレル・レーベルを経て、〈The Trilogy Tapes(TTT)〉を立ち上げた。現在、前述したTTTやJoy Orbisonとのレーベル〈Hinge Finger〉の運営に加え、〈Honest Jon's Records〉や〈Palace Skateboards〉などのデザインを手がけている。2014年10月には、渋谷ヒカリエで行われた〈C.E〉のプレゼンテーションのアフターパーティでDJを行うため、Anthony NaplesとRezzettと共に来日した。
https://www.thetrilogytapes.com

■DJ NOBU(FUTURE TERROR / Bitta)
FUTURE TERROR、Bitta主宰/DJ。NOBUの活動のスタンスをひとことで示すなら、"アンダーグラウンド"――その一貫性は今や誰もが認めるところである。とはいえそれは決して1つのDJスタイルへの固執を意味しない。非凡にして千変万化、ブッキングされるギグのカラーやコンセプトによって自在にアプローチを変え、 自身のアンダーグラウンドなリアリティをキープしつつも常に変化を続けるのがNOBUのDJの特長であり、その片鱗は、 [Dream Into Dream]〈tearbridge〉, [ON]〈Musicmine〉, [No Way Back] 〈Lastrum〉, [Creep Into The Shadows]〈Underground Gallery〉など、過去リリースしたミックス CDからもうかがい知る事が出来る。近年は抽象性の高いテクノ系の楽曲を中心に、オーセンティックなフロアー・トラック、複雑なテクスチャーを持つ最新アヴァ ン・エレクトロニック・ミュージック、はたまた年代不詳のテクノ/ハウス・トラックからオブスキュアな近代電子音楽など、さまざまな特性を持つクセの強い楽曲群を垣根無くプレイ。それらを、抜群の構成力で同一線上に結びつける。そのDJプレイによってフロアに投影される世界観は、これまで競演してきた海外アーティストも含め様々なDJやアーティストらから数多くの称賛や共感の意を寄せられている。最近ではテクノの聖地〈Berghain〉を中心に定期的にヨーロッパ・ツアーを行っているほか、台湾のクルーSMOKE MACHINEとも連携・共振し、そのネットワークをアジアにまで拡げ、シーンのネクストを模索し続けている。
https://futureterror.net
https://www.residentadvisor.net/dj/djnobu

■Edward Occulus
イラストレーター・グラフィックデザイナー。2011年にToby Feltwell、Yutaka.Hとストリートウエアブランド〈C.E〉を立ち上げた。www.cavempt.com

■Toby Feltwell
英国生まれ。96年よりMo'Wax RecordsにてA&Rを担当。
その後XL Recordingsでレーベル を立ち上げ、Dizzee Rascalをサイン。
03年よりNIGO®の相談役としてA Bathing Ape®やBillionaire Boys Club/Ice Creamなどに携わる。
05年には英国事務弁護士の資格を取得後、東京へ移住。
11年、Sk8ightTing、Yutaka.Hと共にストリートウエアブランドC.Eを立ち上げる。
https://www.cavempt.com/

■1-Drink
TECHNO、HOUSE、BASS、DISCOの境界を彷徨いながら現在にいたる。 DJユニット"JAYPEG"を経て現在は個人活動中。 ときどき街の片隅をにぎわせている。
https://soundcloud.com/1-drink


interview with trickfinger (John Frusciante) - ele-king


Trickfinger
Trickfinger

Acid Test / Pヴァイン

ElectronicRockHouse

Tower HMV Amazon iTunes

 ジョン・フルシアンテを知らずにこのインタヴューを読む方はおられるだろうか。90年代から2000年代の音楽シーンをいわゆるミクスチャー・スタイルと強烈なファンク・ロックによって風靡し、いまなおその支持の揺らぐことのないモンスター・バンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。同バンドのギタリストとして活躍したジョン・フルシアンテは、RHCPには欠員を埋める形で中途加入し、彼らの音に叙情的でエモーショナルな「歌」の力を呼び込んだ──名ギタリストであるとともに名ソングライターとしての力量をも遺憾なく発揮してみせた。一時の脱退から復帰したタイミングで制作された中期の名盤『カリフォルニケイション』におけるフルシアンテの功績は広く評価されるところである。そして2度めの脱退後の彼は、その才と持ち前の求道的な音楽探求と鍛錬の姿勢をよりストイックに追求し、さまざまなアーティストたちに学びながらともにアルバム制作を行っていった。そのなかで近年顕著だったのが、エレクトロニックな表現とダンス・ミュージックへの接近、またはヒップホップとの邂逅だと言えるだろう。今回のインタヴューでは、驚くべきことにそうした音楽性の萌芽と発露がすでにRHCP時代から見られ、かつ、本作が脱退直後につくられていた作品だったということが明らかになっている。新機軸かと思いきやソロ以降のディスコグラフィを倒立させなければならなくなるようなアルバムなのだ。そうしたことに思いをいたしながら耳をかたむけると、きっと新たな驚きと愛着が生まれてくることだろう。
 しかしそれにしても、ジョン・フルシアンテという人は、音楽に対してはいつになっても変わらず生真面目で、迂遠にも思われる努力と勤勉さをもって向かい合うアーティストである。あれだけのリリカルなセンスを持ちながら、まるで頑迷ともいえる彼の信念と音楽哲学──ひいては人間観──はしかし、これまでもずっとリスナーと彼の間の信頼関係を結ぶ強い紐帯でありつづけてきた。そのあたりのゆがみなさはなかば狂気的にすらみえ、また彼の楽聖的な相貌を深めてもいる。
それではどうぞ、日本国内では弊誌一誌、独占インタヴューをお届けしよう。


■trickfinger / トリックフィンガー
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストとして知られるジョン・フルシアンテによるソロ・プロジェクト。ソロでキャリアを突き詰めたいとして2009年に同バンドを脱退し、ジョシュ・クリングホッファーやマーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス、フガジのイアン・マッケイ、RZAなどさまざまなアーティストとともにいくつかの名義で精力的にアルバムをリリース。2015年4月、本名義では初となる同名アルバム『トリックフィンガー』を発表した。

シーケンサー、コンピュータのようなエレクトロニクスの楽器の場合、限界となるのは自分のマインドだけ。だから、エレクトロニクスを扱うことで、自分の思考プロセスも早くなったんだ。

トリックフィンガー(trickfinger)というプロジェクト名にはどのような意味や意図が込められているのでしょう?

ジョン・フルシアンテ(以下、J):俺の奥さんがつけた名前なんだ。俺があるとき、トリッキーなギター・フレーズを演奏しているのを見て、「あなたはトリックフィンガーね」って(笑)。トリックフィンガーっていう名前の響きがおもしろいと思ったから、使うことにしたんだ。

あなたは近年のソロ作品について語るインタヴューのなかで、繰り返し「人間の知能と機械の知能の競合」というアイディアを語っておられますね。AIが人を超える音楽をつくり得ることがあると考えますか? また、そのときその音楽はどのようなかたちにおいて人の音楽に秀でるのでしょう?

J: そうだね。人間の思考には限界があるんだ。ギター、ベース、キーボードのような楽器を演奏するときは、もちろん思考の訓練にはなるけど、指の限界、それから人間にはふたつの手しかないという限界もある。だからそれぞれの楽器のフィルターを通して音楽に取り組むことになるし、自分の肉体の限界というフィルターも出てくる。それに対して、シーケンサー、コンピュータのようなエレクトロニクスの楽器の場合、限界となるのは自分のマインドだけ。コンピュータは人間よりも素早く計算ができるし、人間より正確だし、人間が通常の楽器を演奏するよりも、コンピュータのほうが正確に指示の通りに動く。だから、エレクトロニクスを扱うことで、自分の思考プロセスも早くなったんだ。
 アシッド・ハウスを作りはじめたときは、180BPMから190BPMの曲を作りたかった。ジャングルも作りたくて。でも俺の思考プロセスがそこまで追いついてなかった。ブレイクビーツで曲を作りはじめる前に、まずステップ・プログラミングをマスターしたかったんだ。それでステップ・プログラミングを学んで2年くらいすると、160PMから190BPMの曲を作れるようになってたんだ。いままで作った曲の中でいちばん早かったのは、250BPMだったよ。それ以上になってくると、ナンセンスになっちゃうよね(笑)。260BPMになってくると、ビートの違いがわからなくなるんだ。早すぎて、四分音符の意味がなくなっちゃう。3、4年のうちに、俺の思考プロセスが、人間の可聴範囲内での速い曲に追いつくようになったんだ。ギターで考えるよりも、脳の回転を早くさせたいと思っていたけど、それが実現した。
 俺はティーンエイジャーの頃は、エディ・ヴァン・ヘイレン、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ヴァイのような速弾きのギター・プレイヤーに憧れてたんだ。当時は速弾きができるようになったことが大事だったんだ。ヴェネチアン・スネアズとかスクエアプッシャーを知るようになって、彼らの音楽ではドラムのプログラミングが人間のドラマーが叩けるスピードよりも遥かに速いんだ。それに、人間の速弾きよりもぜんぜんカッコイイ。ヴェネチアン・スネアズとかスクエアプッシャーのドラム・ビートは、人間のドラマーのビートよりもカッコイイんじゃないかな? そして、ミュージシャンなら、自分ができないことに挑戦することが大事なんだよ。俺がドラマーだったら、ヴェネチアン・スネアズとかスクエアプッシャーみたいなビートを叩けるように練習してるよ(笑)。いまの俺は、自分の肉体よりも、脳を使って音楽を作ってるんだ。

3、4年のうちに、俺の思考プロセスが、人間の可聴範囲内での速い曲に追いつくようになったんだ。ギターで考えるよりも、脳の回転を早くさせたいと思っていたけど、それが実現した。

数年来、あなたはコンピュータのプログラミングによって理論的に音を組み上げる実験や研究をつづけてこられたわけですが、そこでとくに(アシッド・)ハウスにフォーカスするのはなぜなのでしょう?

J: ひとつクリアにしたいんだけど、もしかしてこのアルバムは、最近作ったアルバムだと思ってる?

そうですね。

J: このアルバムは8年前に作ったんだ。

すごいですね。知らなかったです。

J:だから最初の質問で、徐々に速いビートを作れるように段階を踏んだ話を説明したんだ。このアルバムの曲は、俺がエレクトロニック・ミュージックを作りはじめたときにできたものだよ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)のツアーが終わって、バンド活動をやめて、自宅のリビング・ルームに機材をセッティングしてひたすら実験してたんだ。エレクトロニック・ミュージックを作りたかったんだけど、まずはアシッド・ハウスからはじめようと思った。アシッド・ハウスから出発して、エイフェックス・ツイン、ルーク・ヴァイバート、ヴェネチアン・スネアズのようなアーティストの流れが誕生したからなんだ。だから、その原点に戻りたかったんだ。ブルースのギタリストになりたかったら、まずはロバート・ジョンソンやアルバート・キングの音楽を勉強するだろ? ルーツをまず勉強しないといけないんだ。アシッド・ハウスから、UKアシッドとかIDMが派生したんだよ。

 エレクトロニック・ミュージックを作りはじめたときは、とてもエキサイティングだった。それまでは、ひとりで音楽を作るというのは、オーヴァーダビングでやるものだと思ってた。ギターをレコーディングしてから、キーボード、ヴォーカル、リード・ギターなどを一つ一つ重ねていくものだと思ってたんだよ。それまでは、そういう方法でホーム・レコーディングをしていた。RHCPをやめる1年前から、エレクトロニクスの機材のマニュアルを読んだり、使い方を習いはじめてね。ホテルとか飛行機の中で、そういう機材を使って練習してたよ。いろいろなアーティストのことについて読んだり、ネットで調べていくうちに、ほとんどのアシッド・ハウスのアーティストは、808を1台と、303を1台と、101を1台繋げて、同期させて音楽を作ってることを知ったんだ。一人のアーティストが機材を操作して演奏してたんだ。当時のアーティストはそれをダイレクトにカセットにレコーディングして、次の日のクラブ・イヴェントでプレイしたわけだ。最初の頃は、そうやって一人の人が音楽を作れることを知らなかったんだ。一人のプロデューサーが、機材をプログラミングして、ツマミをいじったり、パターンをその場で変えて、それをそのままライヴ録音をしてたってことをね。

このアルバムの曲は、俺がエレクトロニック・ミュージックを作りはじめたときにできたものだよ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)のツアーが終わって、バンド活動をやめて──。

俺のアシッド・ハウス・アルバムの楽曲はすべて、CDバーナーにダイレクトにレコーディングしたんだ。それぞれの楽曲では、俺が5台から15台の機材を同期させて演奏してるんだ。それをMackieのミキサーでミックスしながら、CDバーナーにレコーディングしてるわけだよ。だから、オーヴァーダビングはまったくしてないんだ。このアルバムは、RHCPを脱退してから、4ヶ月以内に作ったものなんだ。じつは、『ジ・エンピリアン(The Empyrean)』も同時進行で制作していたんだけど、どっちかというと、アシッド・ハウスのトラックを作ることのほうを優先してたんだ。『ジ・エンピリアン』の制作は、2、3週間の間に1日くらいの作業。それ以外は毎日アシッド・ハウスを作っていた。そして『ジ・エンピリアン』はリリースする意図で制作を進めてたけど、アシッド・ハウスのトラックは、リリースする予定はまったくなかったんだ。それでも、あのときはアシッド・ハウスを作ることがプライオリティだったんだよ。それに、学ぶことが多かったから、作ることがすごく楽しかったんだ。オーヴァーダビングで曲作りをするんじゃなくて、いくつかの機材をプログラミングして、一人でジャム演奏をしているような感覚だったから、エキサイティングだった。他のミュージシャンと演奏するときと同じように興奮したけど、誰も自分の演奏を邪魔する人がいないんだ。他のメンバーと口論になることもないし、説明する必要もないし、指示する必要もないし、指示されることもないんだ。エレクトロニクスで曲を作る場合は、前もってアイデアがなくても曲を作ることができるんだよ。過去に4トラックでレコーディングしたことはあったけど、アシッド・ハウスのトラックを作ったときは、初めて自分でエンジニアリングをしたんだ。オーヴァーダビングをするのではなく、同時にすべての音を一人でレコーディングすることも初めてだった。

『ジ・エンピリアン』と同時期にアシッド・ハウスを作っていたというのは驚きです。

J: 2007年9月にRHCPのツアーが終わった頃には、半分くらい完成してたんだ。そのあとの4ヶ月間は、ほとんどアシッド・ハウスのトラック作りに集中してた。『ジ・エンピリアン』は、2、3週おきに1日くらいしか作業してなかった。いつか完成することはわかっていたけど、べつにどうでもよかったんだ。

俺はトラックにギターを入れるようになったんだけど、オリヴァーはそういうトラックは選ばなかった。

なぜ何枚もソロ・アルバムをリリースしたあとのこのタイミングで、そのアシッド・ハウスのトラック集をリリースしたいと思ったのでしょう?

J: いや、トリックフィンガーのトラック集をリリースするのは、俺のアイデアじゃなかったんだ。じつはリリースされなかったアシッド・ハウスのトラックがまだたくさんあるんだけど、たまたまレーベルを運営してる人が選ばなかっただけなんだよ。アシッド・ハウスのトラックを作った1年後に、友達のアーロン・ファンク(ヴェネチアン・スネアズ)がマスタリングしてくれたんだ。アルバムには8、9曲収録されてるけど、じつは22曲くらい作ったんだ。それをCDに焼いて、20人くらいの友だちにクリスマス・プレゼントとして配ったんだ。あげた人たちはみんな友だちだから、それをネットに上げたりはしない。それで、友だちのマーシーが、アシッド・ハウス・レーベルを運営してるオリヴァーに聴かせたんだ。そしたらオリヴァーがリリースすることに興味をもった。マーシーが、彼のレーベルのレコードを何枚か聴かせてくれて、俺はそれをかっこいいと思った。だから、オリヴァーにOKを出して、彼がどの曲をリリースするかを選んだんだ。俺が焼いたCDには、8、9ヶ月分の曲が入ってたんだけど、たまたまオリヴァーは最初の4ヶ月以内に作った曲だけを選んだんだ。途中から、俺はトラックにギターを入れるようになったんだけど、オリヴァーはそういうトラックは選ばなかった。この作品をリリースするつもりはもともと俺にはなかったから、リリースのアイデアも俺が思いついたわけじゃない。どちらかというと、リリースしないつもりでトラックを作ってたんだけどね。だいぶ前のことだし、俺の歴史の一部だから、みんなに聴かせられるのはうれしいことだけど。

この時期のトラックの後に、あなたのソロ作品でのエレクトロニック・ミュージックとギターやヴォーカルの組み合わせが生まれてきたわけですね?

J:そうなんだ。あの頃のトラックは、まだ俺がビギナーだったし、あまり高い基準を設定してなかったんだ。当時から、メロディのないアブストラクトなエレクトロニック・ミュージックとか、ブラック・サバス的なグルーヴの入ったジャングルを作りたかったけど、まだその技術が俺にはなかったんだ。あの頃がエレクトロニック・ミュージシャンとしての俺の出発点だったんだけど、808ステイトとか、〈Phuture〉からリリースされたものとか、アルマンドとか、80年代のシカゴ・ハウスの連中を模倣しようとしてたんだ。俺が作りたかったタイプの音楽は、まだやり方がわからなかった。でも80年代初期のアシッド・ハウスを真似ることなら、当時の俺にはまだできたんだ。だから、それをやっていた。

エレクトロニック・ミュージックは俺にとって聖域だったし、そのとき俺が演奏していた音楽よりも、レベルが高い音楽だと思っていた。

RHCPに入っていた頃から、シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスを聴いてたんですか? もしそうだったら、ぜんぜん予想もしなかったことですね。

J:そうなんだ。当時はインタヴューを受けたときも、あまりそういうことについて話さなかったんだ。エレクトロニック・ミュージックは俺にとって聖域だったし、そのとき俺が演奏していた音楽よりも、レベルが高い音楽だと思っていた。俺が聴いていたエレクトロニック・ミュージックは、クラブで踊るために作られたものか、エイフェックス・ツインやオウテカのように自分をミュージシャンとして高めるために作られている音楽だったんだ。RHCPみたいなポピュラーなバンドだと、レコードを売ることがどうしても第一の目的になってしまう。でも、そういう音楽よりも、エレクトロニック・ミュージックのほうが次元が高いところにあると思った。俺は自分が尊敬するエレクトロニック・プロデューサーの生徒だと思っていたから、あえて彼らの名前を出す立場ではないと思っていたんだ。だから、当時はインタヴューであまり話してなかったけど、1999年にRHCPに戻ったときから、じつはいろいろなテクノ、ハウス、IDMを聴きまくってたんだよ。

誤解を恐れずにいえば、一連のさまざまな取り組みは、ジョン・フルシアンテというギタリストが、ギターという楽器と、ギターによって生み出される音楽とを対象化する作業であるように思われます。あえてギターから遠ざかろうとするように見えるのですが、ちがいますか?
そうだとすればなぜそのようなことを目指すのでしょう?

J: 当時はギターを完全に放棄しようとしてたわけじゃないんだ。あとから徐々にギターを取り入れるようになったんだ。でも、ギターをアシッド・ハウスに入れるんだったら、まずアシッド・ハウスをマスターしないといけないと思ったんだ。いつか、自分が好きな音楽的要素を何でも組み合わせられるようになりたいと思ってたけど、まずは自分が慣れ親しんでない音楽をマスターしたかった。アシッド・ハウス、テクノ、ジャングルを作るには、それなりに時間をかけないといけないし、それができるようになってから、いろいろな要素を融合させようと考えてたんだ。 ギター・プレイヤーというのは、ネックの仕組みとか、指の限界があるから、いろいろな罠に陥りやすい。しかし202、303、101を使うと、ギターのような制限はない。でも当時の俺は、ギターの制限に慣れ親しんでいたから、それを問題だと思ってなかったんだ。アシッド・ハウスを作ることで、自分の音楽的ボキャブラリーと思考プロセスを広げることができたんだ。しばらくすると、マシンを扱うことが、ギターと同じくらいに楽になったんだ。ギターを演奏するのと同じようにマシンを扱えるようになったし、マシンから学んだことを、ギターに応用できるようにもなった。ギタリストの自分と、プログラミングする自分が繋がったんだ。マシンをしばらく使うことで、ギターに由来する典型的なメロディとか音楽的理論に陥らない自分を作り上げることができたんだよ。

ギタリストの自分と、プログラミングする自分が繋がったんだ。ある日突然、アシッド・ハウスを取り入れたロック・スターではないんだよ(笑)。

少しあとから、アシッド・ハウスにギターを組み合わせるようになって、いい曲もできたけど、もともとの目的は一人で音楽を作れるようになることだった。そして、自分が好きな音楽的要素をすべて融合できるようになることだったんだ。でも、アシッド・ハウスの作り方がわからないのに、突然アシッド・ハウスを作って、そこにギターを乗せるような人にはなりたくなかった。『PBX』とか『エンクロージャー』には、アシッドっぽいセクションが曲に入ってるけど、80年代のアシッド・ハウスとはまったくちがうんだ。伝統的なアシッド・ハウスを長年作ってる人が思いつかないようなパートだった。アーロン・ファンクやクリス・マクドナルド、それにザ・ダウトフル・ゲスト名義でリリースしているリビーとコラボレーションでトラックを作ったことがあるよ。スピード・ディーラー・マムズでは、長年いっしょにアシッド・ハウスを作ったこともある。だから、『PBX』や『エンクロージャー』でアシッドの要素を取り入れるというのは、アシッドを長年作った経験のある視点からやってるんだ。ある日突然、アシッド・ハウスを取り入れたロック・スターではないんだよ(笑)。

今作ジャケットのアートワークとして用いられているたくさんの数字は何を意味していますか?

J: 俺は歌詞、アイデアをノートに書き留めるんだけど、全部とってあるんだ。そして曲作りするときに、数値をノートに書き留めないといけないときもある。この時期に使っていたノートには、数字を書き留めたページが何枚かあった。──ロック・バンドと演奏するときは、小節の数を数えながら演奏する必要がないんだな。つまり曲のセクションが終わって、次のパートがどこからはじまるかだいたいわかるんだよ。でもエレクトロニック機材をプログラミングするときは、1小節めから16小節め、17小節めから32小節めの間に何をプログラミングするかを意識しないといけない。いまは意識しなくてもわかることだけど、当時はまだ経験がなかったから、そういった数字を全部書き留めてたんだ。マシンの音が変化するようにプログラミングしないといけなかったんだ。どこからどこまで、どの音を入れたり、何小節めから展開を入れるかとか、そういう数字を書き留めてたんだ。

本作制作の過程や録音時の模様について教えてください。もっともこだわった点、また、もっとも優先したことがらについてもおうかがいしたいです。

J:当時は、それぞれの曲はちがう記事の組み合わせで作ってたんだ。ゼロからの状態で作りはじめて、まずは一つの機材をプログラミングしはじめる。それを別の機材と同期させて、次の機材をプログラミングする。さらに3つめの機材をつなげたり、どんどん音を足していく。一つの機材をプログラミングしてから、もう一つの機材をプログラミングして、2つの機材だけでやりとりができるんだ。既成概念がなくても、機材をいじってる間に、曲ができあがる。テニスとかボクシングの試合みたいに、機材とやりとりしてるような感覚だね。一人でジェム・セッションをしてるような感覚。
 そして徐々にどういう曲にしたいかが見えてきて、そこから機材をソング・モードに変えて作業したりしたんだ。手動でリズム・パターンを変えることもあるし、音を加工させたりもした。エンジニアリングの問題が出てくると、それを自分で解決しないといけなかったし、いつも学ぶことが多かった。ディレイとリヴァーブも何台か持ってるし、Mackieのミキサーも使ったんだ。Rolandのドラム・マシンをいくつかと、Monomachine、Yamaha R8みたいなものも使った。だから、トリックフィンガーの曲ではどれも、いままでやったことがないことに挑戦したかったんだ。しばらくはDIN Syncで機材を同期させてたけど、のちにDin to MIDIコンバーターを入手してから、MonomachineとかYamaha R8とかAkai MPC 3000などのデジタル機材を導入するようになった。DIN SYNCを使っていた頃は、909, 808, 707, 101, 303, 202のみを使ってたけど、途中から80年代半ばの機材も取り入れるようになった。今回のアルバムは、303, 606, 808の使用度が高いね。

オーヴァーダビングがないから、ライヴ・レコーディングみたいなものだった。もちろん、満足いくまで何回かテイクをとったから、厳密にワンテイクとは言えないけどね。

では、今回はコンピュータはいっさい使ってない?

J:そう、いっさい使ってないよ。レコーディングもCDバーナーにしたんだ。

では、ワンテイクでライヴをレコーディングしてるような感じですね。

J: そう、オーヴァーダビングがないから、ライヴ・レコーディングみたいなものだった。もちろん、満足いくまで何回かテイクをとったから、厳密にワンテイクとは言えないけどね。ただ、一人でライヴ・バンドをやってたような感じだったんだ(笑)。

当時からすでにモジュラーシンセも使ってたんですか?

J:そうだね。すべての曲で使ったわけじゃないけど、いくつかの曲では使ってたよ。

イクイップメントやスタジオの環境、アイディアの生まれる環境についてはだいたいそんなところでしょうか。

J:機材はだいたい全部教えたと思うよ。EMT 250、ARP 2500、Doepfer Modular Synthesizer, Roland MC4、Roland 202, 303_, 606, 707, 727, 808, 909も使った。Yamaha R8, Monomachineも使ったね。Machinedrumはたしか使ってなかったと思う。それ以外はあまり使わなかったから、けっこうベーシックなセットアップだった。

マシンからインスパイアされることもあるんですか?

J: マシンを使っていると、事前にアイデアがなくても曲が作れるから楽しいんだ。インプロヴィゼーションで楽器を演奏するのと同じ感覚だよ。トリックフィンガーの曲も、最初はハウスのキックを打ち込むところからスタートして、そこから発展させていった。目の前にある音に対して反応していくうちに、トラックを構築できるんだ。機材をいじっていくうちにアイデアが湧きあがってくる。ポップ・ソングの作曲家の場合は、頭の中にアイデアを思いついてから、それを楽器で演奏するんだけど、そのプロセスとはちがうね。まったくノープランでスタートして、機材をいじっている間にアイデアが見えてくるんだ。メロディが思い浮かんだら、それを202にプログラミングするんだ。でも、202やMonomachineを使って、頭の中のアイデアを形にしていくうちに、想像していたものと、まったくちがう音になることもあるんだ。そういうアイデアがいちばん刺激的だと思う。マシンとの相互作用によって、自分の想像を超えたアイデアが生まれるんだよ。マシンを使ってアシッド・ハウスを作る醍醐味は、最初からアイデアがなくても、曲が作れることなんだ。聴こえてきた音に反応して曲を作っていくんだ。当時は、レコードよりも、とにかくドラム・マシンで作ったシンプルなハウス・ビートが聴きたかった。ドラム・ビートが鳴っていると、それに触発されて別のマシンをいじって、音を重ねていきたくなる。それがとにかく楽しかったね。

いまはコンピュータとトラッキング・ソフトウェアを使っているんですよね?

J:そう。同じ機材を使っているけど、いまは使い方が変わったんだ。いまのほうがドラム・コレクションが増えたんだけど、コンピュータを使って演奏してる。コンピュータを使わずに、606を使ってモジュラーシンセをトリガーさせることもある。ほとんどのドラム・マシンは、コンピュータからトリガーできるから、いままでとはちがう方法でコントロールできるんだ。リズムをずらしたり、ポリリズムを作り出したり、ブレイクビーツっぽいリズムも作り出せるんだ。最初はステップ・プログラミングを学んだけど、そこからマイクロ・リズムを研究するようになったんだ。リズムをずらすことで、もっとキャラクターのあるリズムの作り方を学んだ。コンピュータを使うことで、ドラム・マシンの表現力が広がったんだ。ヴィンテージのRolandのドラム・マシンには、マイクロ・コンピュータが入ってるんだよ。コンピュータを使うことで、ドラム・マシンの脳に入り込んでコントロールできるんだ。機材だけを使っていると、ボタンを使ってプログラミングするしかない。でもコンピュータを使うことで、909に入り込んで、もっと表現力のあるプログラミングができる。909を使って、生のドラマーのようなリズムが作れるんだ。Renoizeのソフトを使って、909の中のコンピュータをコントロールしてるんだ。それがいちばん大きい違いだね。
 トリックフィンガーのそれぞれの曲で、ちがう機材の組み合わせを使ってるんだ。いまは、セットアップは固定されてるし、理想のかたちになったんだ。それもひとつのちがいだね。当時は202を2台持ってたけど、いまは6台持ってるんだ(笑)。当時は303をほとんどの曲で使ってたけど、いまはあまり使わないんだ。

純粋に自分の中にあるエネルギーを表現している音楽が好きなんだ。だからパンクやジャングル、50年代のロックンロール、40年代のカントリーが好きなんだろうな。

他の未発表音源はいつかリリースしますか?

J:このアルバムもそもそもリリースしようと思ってなかったわけだしね。だから、1年後にオリヴァーがまた他の未発表音源をリリースしたいと言ったら、承諾はすると思うよ。でも、自分からリリースしようとは思わない。

最近は何を作ってるんですか?

J:いまは自分のために音楽を作ってるだけなんだ。2013年の12月から、リリースを意識せずに音作りがしたくなったから、しばらくはそのモードで制作してる。ブラック・ナイツの新作が今年リリースされるけど、それは2013年に作ったものなんだ。だいぶ前に完成させたから、もっと早くリリースしたかったけど、5月にリリースされる予定だよ。

最近はどんな音楽を聴いてますか?

J:いつも変化してるよ。最近は音楽を作るときは、サンプリングから作りはじめるんだ。いまはこの作り方がいちばん楽しいし、自由だし、表現力があるんだ。ギタリストとして、俺はいろいろなレコードにインスパイアされたから、RHCPにも楽曲を提供できたんだ。それがなければ、できなかったよ。音楽の歴史を勉強することがインスピレーションになってるんだ。だから、サンプリングをすることで、俺は音楽の歴史を取り入れて、そこからまったく新しい音楽を生み出せるんだ。だから、ギタリストとしてやってたこととアプローチは同じなんだ。サンプリングで心地よく曲を作れるようになるまでしばらく時間がかかったけど、それができるようになってから、自分のソロ作品やヒップホップ作品で多用するようになった。サンプルに対して反応して、そこから曲を作っていくんだ。いまは、とくにアルバムのプランをもたずに曲を作っている。
 それから最近は90年代のジャングルをよく聴いてるよ。あと、80年代のニューヨークで流行ったフリースタイルも大好きなんだ。70年代後半と80年代初期のパンクもよく聴いてるね。ジャームス、ブラック・フラッグ、ザ・ワイパーズ、ミスフィッツみたいなハードコア・パンクのバンドだよ。レコード店に行って、カントリー、フォーク、プログレ、50年代のジャズ、キャット・スティーヴンス、コメディとか、いろいろなレコードを買い漁ったりする。最近ハマってるのは、ジョー・ジャクソンなんだ。幅広くいろいろな音楽を聴いてるよ。ノイズも聴くしね。
 最近、友だちのオーレン・アンバーチがLAにきてライヴをやったのを見たけど、すごくよかった。最近俺が作った曲がノイズの曲だったんだけど、リズムやメロディの要素が入ってないんだ。そういうアプローチも楽しい。ピタ、エクハルト・エーラーズ、ファーマーズ・マニュアルなんかも最近は聴いてるよ。40年代から60年代の音楽を聴くこともあるし、自由でピュアなアプローチで作られてるものが好きなんだ。巧みなものを作ってやろうという意図のある音楽じゃなくて、純粋に自分の中にあるエネルギーを表現している音楽が好きなんだ。だからパンクやジャングル、50年代のロックンロール、40年代のカントリーが好きなんだろうな。有名人になろうとかじゃなくて、純粋に自己表現をしている音楽。だから、ピュアな音楽を聴くことが多い。ミュージシャンがみんな同じ部屋で演奏しているレコーディングが好きだよ。オーヴァーダビングを多用することで、ミュージシャンの技術は落ちたと思うんだ。モダンなバンドは、オーヴァーダビングを多用したり、巧みなエンジニアリングを使って、実際よりも歌が上手いように聴こえさせることができるんだ。そういうバンドよりも、40年代のカントリー・バンドを聴くほうが楽しいね(笑)。

Alabama Shakes - ele-king

抗うことのできない、力づよい王道 木津毅

 細かいところは忘れてしまったけれど、スティーヴン・フリアーズの映画『ハイ・フィデリティ』のクライマックスでジャック・ブラックが思いがけず“レッツ・ゲット・イット・オン”を歌い出すところはいまでもよく覚えている。あの歌のスウィートな調べ、あるいは場の空気を一気に溶かすようなマジックにやられていたのは、誰よりも、手に負えない音楽オタクのスノビズムを体現するかのような主人公だった。どれだけ音楽のことを他の人間よりも知っていようとも、いや、だからこそ、抗うことのできない王道の威力。であるとすれば、アラバマ・シェイクスは登場した当時、インディ・ロック・シーンにおける“レッツ・ゲット・イット・オン”であった。
 彼女らのデビュー作『ボーイズ&ガールズ』における最良の瞬間はたとえば、“アイ・ファウンド・ユー”でタンバリンがロックンロール・サウンドとともに武骨に鳴らされるなか、ヴォーカルのブリタニー・ハワードが腹の底から発する「ハッ!」という叫びに宿っていた。あるいは“ハング・ルーズ”の、演奏するのが楽しくて仕方ないというようなベースのリフと鍵盤によるイントロ。スカスカで飾り気のないリズム、ロック・クラシックを素直に受け継いだギター、そしてブリタニーの一瞬で聴き手を黙らせるパワフルな声。アメリカにおけるルーツ音楽を発掘し現代的な文脈を与えるという「知的な」トレンドがひと段落したところに現れた、あまりにもあっけらかんとして素朴な、レトロ・ソウルとロックンロールを演奏する歓びがそこにはあり……だから、そのとき「I found you!(見つけた!)」と叫びたくなったのは小賢しいインディ・ロック・スノビズムに飽き飽きしていたリスナーのほうだったのだ。

 3年ぶりのアルバム『サウンド&カラー』の「サウンド」のほうはまず、オープニングのヴィブラフォンの響きにおっと思う。ストリングス・アレンジメントにロブ・ムースが参加していることもあるのだろう、前作からのラフでごつごつしたバンド・サウンドだけでなく、オルガンやストリングスなどの多彩な装飾によって抽象的かつ繊細なニュアンスを出すことに腐心している……ごくまっとうなセカンド・アルバムらしい歩の進め方だと言えるだろう。その成果がよく表れているのがアコースティックな“ディス・フィーリング”で、ずいぶん抑制したアンサンブルによって彼女らのいちばんの良さ、すなわち歌のスウィートネスを封じ込めている。“ジェミニ”のようなスロウでサイケデリックな長尺ナンバーは、バンドとしてはもっとも冒険した例だろう。もちろん、“ドント・ウォント・トゥ・ファイト”のようなロック・チューンでは太いベースが醸すグルーヴとブリタニーの迫力のあるヴォーカルが変わらず聴ける。なんというか、この実直に成長を見せようとする姿がじつにこのバンドらしい。「たんなるレトロ・ソウルのリヴァイヴァル・バンドだと思われたくなかった」との発言を証明するように本作では音の多様さを見せながら、しかしソウルの血を忘れることはない。

 「音と色に包まれて生きること(“サウンド&カラー”)」……という、「カラー」のほうはやはりブラック・ミュージックのことを指しているのだろうと思う。高校の同級生で結成されたロック・バンドといういまどき珍しいぐらいの普通さ(矛盾しているが)に驚くけれど、そこが黒人音楽の豊穣な歴史が息づくアメリカ南部としてのアラバマ州の田舎町だったことはバンドの成り立ちを考える上で重要だ。かつてブリタニーが白人の男の子たちだったバンド・メンバーを「黒人のスラム街のど真ん中」にある自宅のパーティに招待したというエピソードはそのまま、バンドのプライドとコアと直結しているだろう。ソウル、ロックンロール、ブルーズ、性別と人種が混在するアンサンブルで生き生きと演奏されるエモーショナルなラヴ・ソング。アルバムの僕のフェイヴァリットはどこまでも甘いソウル・チューン“ミス・ユー”だ。「もしかしてあたしってあんたのもの? あんたのものよ!」……ブリタニーのドスの効いた声は一瞬でわたしたちを隔てる壁をトロトロに溶かそうとする。
 そして僕は、つい先日他界したアラバマ州出身のソウル・シンガー、パーシー・スレッジのレパートリーにあった(元はジェイムス・カーの)“ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート”のなかで、許されない恋をしていた恋人たちのことを思い出す。「やつらは僕らを見つけてしまう……いつの日か」。それが不倫なのか、あるいは人種を隔てた恋なのか……ただ、パーシー・スレッジは大人になるまで黒人の歌手の存在を知らなかったという。ひと目を忍んで暗がりで会っていた恋人たちは、アラバマ・シェイクスの温かく力強い愛の歌をいまどこかで聴いているだろうか。南部出身の黒人の女の子が元気いっぱいに、白人のインディ・ロック・キッズと奏でる現代のソウル・ミュージックを。

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いのち──ソウルの洗練とは
岡村詩野

 7曲めの“ゲス・フー”の仕上がりに思わず溜め息が出る。大音量、音圧のガツンとした手応えを与えてくれる曲が揃った本作中では、恐らくこのフィリーな感触すら伴った滑らかなソウル・チューンはやや地味な印象を残すかもしれない。だが、トム・ベルとリンダ・クリードが手がけていた頃のスタイリスティックス(わけても“ゴーリー・ワウ”あたり)を思わせるような流麗で美しいメロディとストリング・アレンジ。こんなに洗練された楽曲を作るようになったのか、と感嘆させられたと同時に、2年前の初来日時、彼らと会話をしたときのことを思い出した。取材に応じてくれたブリタニー・ハワードとザック・コックレルは筆者にこういうような話をしてくれた。「ブルーズがアメリカ南部で“発見”(discoverd、という言葉を用いていた)されたときの驚きはいまもっとも僕らが必要としている感覚だと思う。なぜなら、ブルーズは本来洗練されているものであり、生命の象徴のような音楽だからだ」と。つまり、生きるということは元来、洗練されているべきである、と、彼はこう言ってのけたのだ。アフリカから連行されてきた当時の黒人たちに聞かせてあげたい発言である。

 武骨で土臭いサウンドを鳴らすブルーズ・ロック・バンドというアラバマ・シェイクスへの一般的な賛辞はけっして間違いではないが、そういう意味でもそれだけではやはり不十分だろう。そこには生命の希求があり、讃歌があり。そうやって泥臭くたくましく生き抜いていくことがいかにソフィスティケイトされた作業であるかを提示し、さらにはその源がブルーズやソウル・ミュージックであることを提示する、そんな大きな志を抱えたバンド。ブルーズを鳴らしソウルを歌うことに喜びを感じ、そこにこそ人間の洗練がある、と唱えるバンド。それを前作より遥かにしなやかに伝えているのが、このセカンドの、中でも冒頭で書いた7曲め“ゲス・フー”や、ハーモニックなヴィヴラフォンの音色に導かれるタイトル曲、アコースティック・ギターの穏やかながらもリズミックなカッティングがロバート・ジョンソンを少し思い出させる“ディス・フォーリング”、対して中盤にかけてエレクトリック・ギターが唸る“デューンズ”といった曲たちだ。そして、これらの曲に共通しているのが、まさにトム・ベル張りのダイナミックで気品あるストリングス・アレンジ。アントニーやジョアンナ・ニューサム、ボン・イヴェールやザ・ナショナル、最近ではアエロ・フリンなども手がけるロブ・ムースがほとんどのアレンジと演奏を担当していることで、楽曲に膨らみと抑揚を与え、結果、メンバーが求める生命力の洗練された輝きを抽出することになったことは間違いないだろう。前作には挿入されていなかったこのストリングスのアイデアが、本作のプロデュースをつとめるブレイク・ミルズ経由でのことだったとしたら(ロブ・ムースはブレイク・ミルズの作品にも参加している)、これこそが何よりのファイン・プレーだと言っていいのではないか。
 全曲ストリングスを入れてもよかった、と思ってしまう以外は申し分のない最高の仕上がりだ。ファーストのタイトルが『ボーイズ&ガールズ』、そして今作が『サウンド&カラー』。何かと何かを“&”で結ぶタイトルを続けてきたのは果たして偶然か。いや、互いに距離のある何かと何かが邂逅することによって生まれるスパークにこそ、アラバマ・シェイクスというバンドは命の源泉を見ているのではないか。それこそ、強制的だったとはいえ、アフリカから黒人が米南部の港町に初めて降り立ち、奴隷として働かせる立場の白人と対峙した時の戸惑いと不安と、そして次第に強まる怒りと反発。だがしかし、そこに伴う哀しみがブルーズという音楽を誕生させた事実をきっと彼らは尊く思っているのだろう。

DJ KOPERO - ele-king

TOP 10(家でよく聞いている曲)

■初めまして! 9sari Group/BlackSwanのサポートDJをしております、DJ KOPEROです! 今回からゆるりとチャート書かせてもらいます!今回は、この2ヶ月ほどの間で家でよく聞いている曲から選んでみました。意図せずUnsignedでFREE DLのものが多いですが、楽しんでいただければと思います。iTunesの肥やしにでもDLしてみてください。最後に少し告知させてください! 毎月第一水曜にSocial Club Tokyoで開催されているパーティー"FOREMAN"ですが、5月は〈DOGMA gRASS HOUSE Release Party〉と称して、5月4日月曜日みどりの日にYENTOWNtokyoのサポートのもと開催されます! 皆様ぜひ!

一冊をつかみに - ele-king

大好評発売中! 染谷将太さんが本を手にする表紙が目印、別冊ele-king第2弾は“音楽ファンのためのブックガイド”。「やってみたらほとんどが戦前のものになってしまった……」という編集長テヘペロ号だが、われわれ編集部員もこの本のなかに無数に開いた入口から、ぜひ一冊をつかみにいきたい。素敵な導き手と友人たちにいざなわれて。

4月、読書をはじめましょう。
“音楽ファンのための”ブックガイド


表紙には映画『寄生獣』などで注目の染谷将太さんが登場!

別冊ele-king 読書夜話──音楽ファンのためのブックガイド
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■インタヴュー
保坂和志、染谷将太、友川カズキ、寺尾隆吉、佐々木敦、増村和彦(森は生きている)、高城晶平(cero)、山崎春美、湯浅学

■ブックガイド
小説
小島信夫の6冊あまり 松村正人/21世紀の国内文学10 矢野利裕/21世紀の海外文学 石井千湖/終わりから70年目の戦争の4冊 松村正人/1990年代の6冊 矢野利裕

政治、思想、批評と教育
いまだ表現の自由は可能か!? 対談:五野井郁夫×水越真紀/古典と歴史 その読み方 石川忠司/転向論を読み直す 矢野利裕/「学校では教えてくれない」が意味すること 若尾裕/実践により「社会」を読むための5冊

詩と詩人たち
21世紀の短歌研究 永井祐/詩写真 Making Time 辺口芳典

サブ/カルチャー
オラリティー(声)とリテラシー(文字)の相克 三田格/意味もなく内側のスリルだけを頂くための20冊 山崎晴美/失われた音楽書を求めて 大谷能生/シーナ『YOU MAY DREAM』を再読する モブ・ノリオ/映画を観る筋肉 いま発見すべき映画本 樋口泰人


PREFUSE 73 - ele-king

 プレフューズ73の最初の12インチ(透明ヴァイナルだった)、これには本当に度肝を抜かれたものだった。当時の彼はほぼ無名だったが、しかし、その1枚はまったく衝撃的で、彼は瞬く間に時代の寵児となった。
 ソフトウェアを使うからこそ可能なエディット、10年後にはお決まりになった声ネタのチョップ、それら新しい技術(IDM的アプローチ)をヒップホップのフォーマットに応用したシングル「Estrocaro EP」は、アブストラクトと呼ばれたジャンルを更新した。これは誇張でなく言うが、時代を切り拓いた作品だった。たとえるなら、DJシャドウとフライング・ロータスの溝を埋めたのがプレフューズ73だった。
 
 プレフューズ73は、それから、〈ワープ〉レーベルを中心に多くのアルバムを発表している。作者のスコット・ヘレンには、サヴァス&サヴァラスやピアノ・オーヴァーロードなどの他名義での作品もあるが、プレフューズ73が彼のメイン・プロジェクトだ。
 今週の4月22日(木曜日)、プレフューズ73年の4年ぶりの最新作が日本先行発売される。CD2枚組。彼の静と動はより複雑にアップグレードされているが、相変わらずの優美なメロディが流れてくる。
 エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーと続いて、そしてここに来てプレフューズ73の登場と、IDMのベテラン連中は完全に息を吹き返したな。やれやれ。


Rivington Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness
AWDR/LR2 / RUSH PRODUCTION
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Ryuichi Sakamoto、Illuha、Taylor Deupree - ele-king

 私はジョン・ケージが「聴くこと」のみを単純に推奨したとは思えない。どう考えても事態は逆だ。ケージはむしろ「聴こえないこと」の問題を人生かけて追及したのではないか。あの有名な無響室での彼の経験は、聴こえないことの驚きであったはずだ。ケージは音を「生きているもの」「捉えられないもの」として、いわば不確定な運動体として認識していたと思うのだが、無響室においては音が止まっている経験をした(のかもしれない。そんなことは本人しかわからない。だがそれで何が問題あるのか?)。音が聴こえず、真空状態にいること。音が止まっている経験。聴こえるのは体内の音のみ。それは死に限りなく近い体験であったともいえよう。つまり音の極限地点であったのだ。

 その意味で「静寂な」エレクトロニカ以降のアンビエント/ドローンやフィールド・レコーディング作品がときにケージの美学を援用するのは、「ジョン・ケージという作曲家のイメージ」を借用・援用したに過ぎない。大谷能生が言うように、「4分33秒」は休符の音楽だし、休符はカウントしなければならないのだから、そのとき演奏者は厳密には世界の音のざわめきなどを聴いて恍惚になっている場合で(暇)はないはずだ。演奏者は自分の/他人の音楽を聴かなければならない(黙々とカウントしている)。
 とはいえケージの思想は極端な両義性をもっているからこそ誤読できるし、誤読できるからこそ、普及しやすい。それゆえ誤読の豊かさがあるともいえる。それは事実だ。だが、本当にジョン・ケージは「聴くこと」のみを推奨していたのか。彼の言説にはどこかにトリックがないかともう一度疑ってみるのも悪くはないはずだ。それこそ誤読の可能性として。そもそも「音楽を演奏する」と、「世界の音を聴く」というのは、相反する矛盾を孕んでいないか。

 坂本龍一もまた、音楽/ノイズという両義性を生きてきた音楽家だ。坂本は類稀な作曲家でありながらも、同時に、ノイズに対して柔軟かつ鋭敏な感性を持ちつづけているサウンド・アーティストであり、ノイズ・コンポーザーであった。私はこのような両義性こそ、この音楽家の本質ではないかと思っている。たとえば、あのYMOの活動も、坂本にとっては新しい音色の探求と発見という側面も強かったはずである。だからこそ彼は2000年代を通じてカールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)やクリスチャン・フェネスらエレクロトロニカ/電子音響アーティストとのコラボレーションを続けてきたのではないか。そして細野晴巨、高橋幸宏ら「盟友」との再会・再合流もエレクトロニカを介してものではなかったか(90年代には『愛の悪魔』のサントラがある。坂本ノイズを満喫できる傑作だ)。
 その音楽/ノイズという両義性は、2009年にリリースされた坂本のソロ・アルバム『アウト・オブ・ノイズ』以降、より随所にあきらかになっている(正確には2004年の『キャズム』をもうひとつの中継点とした00年代全般だが)。彼は作曲家として世界のノイズをリ・コンポジションしようとしている。そこで坂本が取った方法論は何か。私は、即興=インプロヴィゼーションとコンポジションの交錯であったのではないかと思う。さまざまな音への反応によって、世界の音を再構築していく行為だ。彼が2000年代を通じて行ったカールステン・ニコライやクリスチャン・フェネスとの共同作業もインプロヴィゼーションからはじまってコンポジションへと行きつく創作であったはずである。グリッチからアンビエントへ、という変化もこれに呼応している。だが、これは世界的な傾向でもあった。坂本はつねに世界の無意識にアジャストする。

 この2015年にNYのレーベル〈12k〉からリリースされた坂本龍一とテイラー・デュプリーとイルハ(コリー・フラーと伊達伯欣)の3組(4人)による『パーペチュアル』がリリースされた。本作もまた、エレクトロニカ以降のインプロヴィゼーションとコンポジションの交錯としてのアンビエントを、より深い次元で実現している傑作であった。
 演奏は2013年夏、山口のYCAMで繰り広げられたもの。4人での演奏はこれが初という。もっとも坂本はテイラーと共演経験があり、すでに〈12k〉からデュオ・アルバムを出しているし、イルハも〈12k〉からアンビエント作品をリリースしており、いまや新時代のアンビエント・アーティストと目されている。彼らのファースト・アルバム『shizuku』は、鎮静と静寂を与えてくれる傑作だ。もちろんテイラー・デュプリーとの競演の経験もある。
 だが、4人という状態になったことで、それぞれの共演とがちがう奇跡が起きたようにも思える。坂本龍一、テイラー・デュプリー、イルハらによる3組4人の演奏は、偶然とコントロールの狭間で揺らめいている。まるで光のように。まるで空気のように。坂本は彼らしいピアノをほとんど演奏していない。そのかわりに叩く、擦る、落とすなどしていてサウンドを生成させている。まさに「アウト・オブ・ノイズ」。

 何より、これがインスタレーション的なサウンド・アートではない点が重要だ。彼らはそれぞれの演奏者の音を意識しつつ、ときに受け流し、ときに反応をしている。つまり「音楽を演奏している」のだ(と同時に彼らの音はパフォーマンスである。かつて坂本が影響を受けたナム・ジュン・パイク的な演奏ともいえる)。
 朝霧のような持続音からはじまり、まるで明け方から早朝にかけての大気の変化のような1曲め“ムーヴメント1”、繊細な音と微かにプリペアドされた異物感のある音などが蠢く2曲め“ムーヴメント2”、カサカサと鳴る静かなノイズの狭間から、水滴のように美しいピアノが鳴り響く3曲め“ムーヴメント3”まで、まさに光の陰影のような音響/音楽である。
 このアルバム(録音)で注目すべき点は何より3人の個が音の空気の中に融解している点だ。反応と生成によって生まれる音響空間は、それぞれ個性的な音楽家の個性を消し去る。音を聴いているかぎりでは3曲めに僅かにあらわれる坂本のピアノなどを除き、どの音を3人が発生させているのかは即座にはわからない(担当楽器のクレジットと照らし合わせ、よく聴けばわかるが)。インプロヴィゼーションからの無の生成。それはけっしてネガティヴな意味ではない。美しい音響の空間の生成のみ貢献しているのだから。個人的には2曲めに突如響くコインが落ちる音のようなサウンドにとても惹かれる。なんという美しい音だろう……!

 そうして生まれた美しい音の群れは、私たちの耳を静かに通り過ぎていく。「聴く」という後期の恣意性は宙吊りにさせられ、音の繊細な変化に、ただ耳を傾けることになる。そう、聴き手は音を捕まえることはできない。音響による無の生成。それはアルバム名とおり「永遠」をも意味しているはずだ。永遠=無。この「永遠」の領域においては「聴こえる/聴こえない」の距離は、そう遠くないものとして存在している。「生きること」と「死」が常に隣り合わせのように。動き。持続。変化。永久。無。つまり「音楽」とは生と死の営みなのであり、即興と作曲は人生そのものを刻みつける行為なのだろう。


(追記)
 本年2015年に入り、坂本龍一関連のリリースが相次いだ。中でも2005年から2014年までの未発表曲集『イヤー・ブック2014-2015』は非常に重要なアルバムである。2005年以降ということは、坂本流のグリッチ・ミュージックの消化ともいえる『キャズム』以降であり、また、アンビエント/ドローン(およびポスト・クラシカル)の時代を先駆けた2009年の『アウト・オブ・ノイズ』直前と以降を挟んでいる重要な時期に当たる。クリスチャン・フェネスやカールステン・ニコライ、クリストファー・ウィリッツなどと共作を行っていた時期でもあり、どの楽曲も(とくに2011年以前)、彼の音楽のドローン性とそのドローンの内部に運動する微細なサウンドが、静謐な音響の中に生成していくさまが手にとるようにわかってくる。また、2009年以降の音には、来るべきソロ・アルバムの萌芽を聴きとることも可能だろう。美術館やCMなどのために作られた音楽だが2000年代中盤から2010年代初頭の坂本龍一が、いかにサウンド・アーティスト/ノイズ・コンポーザーとして充実していたのかをあらためて知ることができる。このような充実した曲がいままでリリースされなかったことは、彼の現在進行形としての音楽家としての全体像を私たちは捕まえていなかったことになる。まさに発表されなかった幻のソロ・アルバムといっても過言ではない。また、ようやくリリースされた『音楽図鑑 2015エディション』は、本編であるディスク1のリマスターも、いたずらに音量・音圧を上げずに音の解像度を明確するというじつに素晴らしいリマスタリングが行われており必聴だったが、マニアなら未発表曲・テイクのみを収録したディスク2も貴重な音源だ。とくにラストに収録されたアンビエント/ドローンな未発表曲“M33 アンタイトルズ”は、この作曲家にとって音の内部にミクロに動く音の運動がいかに重要なエレメントであるのかわかってくる。坂本本人もインタヴューで語っていたが、たしかに彼の現在の作風に近く、非常にいまを感じる曲だ。

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