2011年、音楽における"プロテスト"は何処にいった? 何処にもいかない。ここにある。シミ・ラボに引き続き、ele-kingが注目する若手ラッパー、ハイイロ・デ・ロッシの新曲。昨年末話題となったポリティカル・ラップ「WE'RE THE SAME ASIAN」以来の新曲で、彼は今日の日本のドラッグ・カルチャーのネガティヴな側面を容赦なく浮き彫りにしている。
今週末に、二木信による彼のインタヴュー記事がupされます。乞うご期待!
「K A R Y Y Nã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
ドラムンベース・シーンのビッグパーティー"BUKEM IN SESSION"が2年振りに日本で開催決定! ドラムンベースの神様と称され、90年代にエレクトロニック・ミュージック界を席巻した歴史的名曲"ミュージック"、"ホライズン"でその絶対的地位を確立した超大物が待望の再来日を果たす。ジェフ・ミルズと双璧を成すその圧倒的な存在感とテクニックを要し、DJシーンの主流がデジタルに移行するなか、ひたすらアナログ、ヴァイナルにこだわり続ける孤高の天才ブケムがMCコンラッドと繰り広げる究極のDJパフォーマンス、それが"BUKEM IN SESSION"。当日は、"DBS"15周年カウントダウン第一弾目の幕開けに相応しくブケムの4時間を越す東京オンリー・プレミアム・ロングセットを披露。前回の公演では、すさまじい集客動員を記録、DBSの新たなレジェンド・ナイトに記憶され、今回も最高の一夜になること間違いなし。
脇を固めるのが、UKの人気ドラムンベース・レーベル〈W10〉主催でアジムスをリミックスした「The Brazil Project」(Far Out)も話題のダニー・ウィーラー、日本からはシーンを代表するDBSのトップレジデントDJで本サイトの連載でもお馴染みの3デックス・マスター、テツジ・タナカが強力サポート。
さらにサルーンでは"AUDIO SUTRA SOUND"主催でジャズ・ブラザーズの"ヤマ"主導によるメインフロア級のラインナップを揃えたダブステップ・ナイトを開催。テクノ層のみならず、全エレクトロ二ック・ミュージック・ファンにオススメする必見のユニット公演。混雑が予想されるのでお早めにご来場を!
experience for the next level....free spirit!
Drum & Bass Sessions 2011
"Bukem in Session"
feat.
LTJ BUKEM feat. MC CONRAD
DANNY WHEELER
TETSUJI TANAKA
vj: laser : SO IN THE HOUSE
B3/SALOON : AUDIO SUTRA presents
SAHIB A.K.A.YAMA/DJunsei/DJ Nu-doh /Nick Stone + MILI / MAMMOTHDUB
https://www.dbs-tokyo.com
https://www.unit-tokyo.com
2011. 2.12 (SAT) @ UNIT
open/start 23:30
adv.3500yen door 4000yen
LTJ BUKEM (Good Looking, uk)
"Music"、"Horizons"をはじめとする歴史的名曲を生み、ドラム&ベースを創造したパイオニア、そしてオリジナルなサウンドと超絶的なテクニックで進化を続ける至高のDJ。91年の設立以来、スピリチュアルかつエモーショナルな独自の音楽宇宙を創造するGood Looking Recordsを主宰し、多くの才能を世に送り出す。2000年の1st.アルバム『JOURNEY IN WARDS』は偉大なるブラックミュージックのエッセンスをテクノロジーで昇華し、21世紀のソウル・ミュージックを逸早く提示する。レーベル運営においては『EARTH』シリーズ、サブレーベルCOOKIN'等、ドラム&ベースにとどまらない多様なアプローチを見せ、LTJブケムの世界は拡がり続ける。そしてDJとしてMCコンラッドと共に世界各国をツアーし、今日のグローバルなドラム&ベース・ムーヴメントに最大級の貢献を果たし、シーンの最前線に立ち続けている。08年の"Switch"、09年の"Atmospherical
Jubilancy"と新曲の発表もあり、アルバムリリースが待たれる。最新MIX CDは『FabricLive 46』(09年)。
またGood Lookingから新たにMIXシリーズ『MELLOW YELLOW』がはじまる。
www.myspace.com/therealdannyltjbukem
MC CONRAD (Good Looking, uk)
ヒップホップ・シーンでの活動を経てLTJブケムと知り合い、以来20年近く活動を共にしてきたMCコンラッド。絶妙にコントロールされたハイテンションなMCでクラウドに深いインスピレーションを与える彼の存在は〈Good Looking〉のパーティ"PROGRESSION SESSIONS"に不可欠なものとなり、世界各国で熱烈な支持を受けている。自身のプロジェクト/レーベル、〈WORDS 2 B HEARD〉を主宰し、ドラム&ベースにおけるMC/ヴォーカルをアートフォームに進化させている。
代表的なレコーディング作品に『VOCALIST01』、『LOGICAL PROGRESSION -LEVEL4』があり、彼のオリジナル・スタイルが堪能できる。MAKOTOとの"Golden Girl"、TOTAL SCIENCEとの"Soul Patrol"、FURNEYとの"Drum Tools"等のコラボレーションも話題を集めた。
www.myspace.com/mcconradw2bh
オーブ メタリック・スフィアーズ[Limited Edition] ソニー・ミュージック・ジャパン |
「コケコッコー」からはじまるのが『アドヴェンチャー・ビヨンド・ジ・ウルトラワールド』だ。もういちど言うが、あれは、不衛生なレイヴ会場のラヴインにとっては完璧なBGMだった。"リトル・フラッフィ・クラウズ"は20年後のいまも名曲であり続けている。
ハウスとヒップホップのブレンドで設計されたその音楽は、当時、いちぶの批評家からは「レイヴ世代のピンク・フロイド」などと評されていた。『ウルトラワールド』が発表された1991年の前の年には、アレックス・パターソンが関わったザ・KLFの『チルアウト』が話題となっているが、そのアートワークはピンク・フロイドの『原子心母』のパロディだった。また、『ウルトラワールド』では『アニマルズ』のジャケットのモチーフとなったバターシーの発電所が極彩色に染まっている(ガトウィック空港から電車でロンドン市内に入るとその脇を通るので、初めて見たときは「お、ピンク・フロイド!」、と思ったものだった)。さらにまた、リミックス・アルバムの『ジ・ウルトラワールド・イクスカージョンズ』では発言所が宙でひっくり返っている。"バックサイド・オブ・ザ・ムーン"という曲名もある。ライヴ・アルバム『ライヴ93』では羊が空を飛んでいる。つまり......人がオーブとピンク・フロイドを関連づけてしまうのも無理のないことだった。
だが、多少なりともオーブの音楽に遊んだことのある人なら、アレックス・パターソンの背後にあるのがパンクとダブ、ハウスとテクノ、もしくはヒップホップであることを知っている。彼はスティーヴ・ヒレッジと何度も共演しているが、基本的に彼はヒッピーが嫌いな元パンク野郎だ。ゆえにオーブにとって11枚目のオリジナル・アルバム『メタリック・スフィアーズ』にデヴィッド・ギルモアが参加しているという事実は、すんなり納得できるものではないけれど、充分に興味を抱かせる話ではある。
もうひとつ『メタリック・スフィアーズ』において興味深いのは、アレックス・パターソンにしては珍しく、ストレートに政治性が出ていることだ。そもそもデヴィッド・ギルモアに誘われて参加したという、アメリカ政府に告訴されたイギリス人のハッカーを支援するチャリティ・ソング"シカゴ――チェンジ・ザ・ワールド"を契機にはじまったのが今回のプロジェクトだ。こうした経緯を思えば当たり前かもしれないけれど、どちらかといえば世界を斜めに見ていたオーブのアルバムから「君が正義を信じるなら/君が自由を信じるなら/人間はそれぞれ人間らしい暮らしをすればいい」などという直球な言葉が聴けるのは、感慨深いといえば感慨深い。ピンク・フロイドからの誘いには乗りたくなかったけれど、その政治的な目的において同意し、その結果、オーブとデヴィッド・ギルモアのコラボレーションは実現したと、それが本当のところだろう。そしてそれは悪くない結果を生んだ。前作の『バグダッド・バッテリーズ』と比べると、欧米のメディアの評もすこぶる良い。
『メタリック・スフィアーズ』の音楽には、10年以上におよぶオーブの音楽旅行(ダブ、サイケデリック、エクスペリメンタル、ドラムンベース、デトロイト・テクノ、ポップス、ミニマル・テクノ......)において、昔ながらのチルアウト部屋に戻ってきたようなレトロな感覚がある。全2曲のなかでは、アレックス・パターソンが得意とするダブのベースラインが響き、ハウスの催眠ビートが脈打っている。ドアを開けると汚いレイヴァーがストーンしている......まあ、自分もそのなかのひとりだったわけだが、その懐かしいレイヴな感じは、デヴィッド・ギルモアのメロウなギターの音色によってさらに強度を増している。
あるいはこういう言い方もある。『ウルトラワールド』はポップ・アート的だったが、『メタリック・スフィアーズ』はエモーショナルな作品だと。メランコリックなはじまりがあり、平和な場面があり、アップリフティングな展開がある。それがこのアルバムの魅力で、部屋でかけていると気分を上げてくれる理由だ。
去る1月20日、ライヴ公演のため日本に到着したばかりのアレックス・パターソンに会って、話を聞いた。肝心なところのいくつかは、例によって、曖昧にされてしまったけれど、少々疲れ気味だったアンビエント・ハウスのドクターは、基本的には最後まで真摯に語ってくれた。
『メタリック・スフィアーズ』は棺桶に釘を刺すための釘のうちの1本。帽子に付ける羽根のうちの1本である。もしくは、終わりのはじまりで、はじまりの終わりでもある。そしてギタリストをフィーチャーしたトリロジーのひとつでもある。
■最初にオーブで来日したときにホテルで会っているんですけどね。細野晴臣さんのイヴェントに出たときです。およそ20年前ですかね。
アレックス:そのときのライヴのことはよく覚えていないんだけどね。
■僕はよく覚えているんですけど、昼過ぎかな、あなたとスラッシュ(当時のメンバー)がジャックダニエルのボトルを片手に現れたことを(笑)。
アレックス:ジャックダニエル?
■覚えてない?
アレックス:覚えてない。
■その次は『UFOrb』の頃かな。ポリドールというレコード会社の一室で取材して......。
アレックス:ジャックダニエルは?
■そのときのあなたはコーヒーを飲んでいましたよ(笑)。
アレックス:それは良かった。ちなみに今日はジンジャエールだから。
■ハハハハ。
アレックス:たまにジャックダニエルも飲むんだけど、日本ではほとんど飲まない。ちなみに僕の本当の最初の来日はジャックダニエルの前だよ。リヴェンジで来たのが最初だ。
■ああ、そうでしたね。
アレックス:知ってるでしょ。ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーのベーシストだったピーター・フックのバンドだよ。
■DJとして来たんですよね。
アレックス:僕は覚えているよ。なぜかって、そのとき僕は病気で、調子が悪かったから。だから覚えているんだよ。
■なるほど。それでは質問をはじめたいと思います。あらためてお伺いしますが、『メタリック・スフィアーズ』は長いオーブの歴史のなかでどんな意味をもつ作品ですか?
アレックス:棺桶に釘を刺すための釘のうちの1本。帽子に付ける羽根のうちの1本である。もしくは、終わりのはじまりで、はじまりの終わりでもある。そしてギタリストをフィーチャーしたトリロジー(3部作)のひとつでもある。
■トリロジーというと?
アレックス:ロバート・フリップ(1994年、FFWD名義の作品)、スティーヴ・ヒレッジ(1992年の「ブルー・ルーム」、1997年の『オーブリヴィオン』、2007年の『ザ・ドリーム』)、そして最後がデヴィッド・ギルモアになるわけだ。
■なるほどー。棺桶の釘であり、帽子の羽根という比喩は、それだけ『メタリック・スフィアーズ』が重要な作品であるということを意味しているんでしょうか?
アレックス:違うね。もっとも重要なのはファースト・アルバム(『アドヴェンチャー・ビヨンド・ジ・ウルトラワールド』)だ。オーブとして自信を持って名作だと言えるのは、1991年に発表したファースト・アルバムだね。バンドがはじまるとき、デビュー作はつねにベストでなければならない。『ウルトラワールド』がなければ『メタリック・スフィアーズ』は生まれていなかった。『ウルトラワールド』にはクリエイティヴ面における100%の自由があった。レコード会社の人間から「ああいうのを作れ」「こういうのを作れ」などと指図されなかった。しかし、その後はいろいろと指示されるようになった......。
[[SplitPage]]1992年、ブリクストン・アカデミーでピンク・フロイドがライヴをやるときに、ニック・メイソンが「オーブもいっしょにやらないかい?」と誘ってくれたんだけど、僕は「ファック・オフ」と言って断った。「死ね」と。「俺はパンクなんだ」と言った。
オーブ メタリック・スフィアーズ[Limited Edition] ソニー・ミュージック・ジャパン |
■あなたがプロダクションに関わったと言われているザ・KLFの『チルアウト』と『メタリック・スフィアーズ』を関連づけることは可能ですか?
アレックス:『チルアウト』はKLFだよ。
■部分的なんですけど、『メタリック・スフィアーズ』で、あなたのアンビエント・サウンドのうえにメロウなギターが入る箇所を聴いていると、『チルアウト』を思い出すんですよね、『チルアウト』はジャケもピンク・フロイドだし。
アレックス:オッケー、そういうことね。でも、『チルアウト』はサンプリング・ミュージックだよ。そういう意味では『メタリック・スフィアーズ』とぜんぜん違う。だから今回は、余計な(著作権をめぐる)トラブルも起きなかったからね。
■なるほど(笑)。まったく違いますか?
アレックス:うん。アンビエントという点では同じだけど、『チルアウト』はサンプリング・ミュージックで、『メタリック・スフィアーズ』は演奏している。そしてKLFはビル・ドラモンドとジミー・コーティによるもので、オーブは僕だ。僕はDJとして彼らにネタを提供した。そういう観点で言えば、2枚は完璧に違う。『メタリック・スフィアーズ』ではサンプリングによってプレスリーが歌うことはないけれど、ギルモアが本当に歌っている。
アレックス:(日本盤のライナーをしげしげと眺めながら)あれ、ここにもKLFと書かれているぞ!
■歴史について書いているんですよ。『チルアウト』はたしかにKLFの作品だけど、あなたの存在が大きかったからですよ。
アレックス:実はわりと最近、KLFが100万ポンドのギャラを得て、その自叙伝が出版されたんだけど、本のなかで「どうやって『チルアウト』という名作が生まれたのか」という章があってね、そこに詳しく記されている。ビルとジミーから頼まれて、僕も当時の話を細かく喋ったから読んでみてよ。DJとしてトランセントラル・スタジオに招かれて、ひと晩10時間のセッションをやった。それをカットアップして、そして名作が生まれたという、その伝説が描かれているんだよ。ちなみに本のなかには僕とスティーヴ・ヒレッジとの出会いについても描かれているよ。ある晩、僕は6枚のレコードを同時にかけていたんだけど、そのなかの1枚がスティーヴ・ヒレッジのレコードだった。その場にスティーヴもいて、それでいい友だちになったんだよね。
■なるほど。『メタリック・スフィアーズ』に戻しましょう。
アレックス:そうだね。
■作品がリリースされて時間が経ちますが、反応はいかがでしたか?
アレックス:ポジティヴで良い反応を得ているよ。
■とくに面白かった感想があれば言ってください。
アレックス:メディアの評判も良かったんだけど、マイスペースを通して知った、購入者からの意見が面白かった。興味深いことに、北欧、あるいはチェコやポーランドのリスナーからの感想が多くてね......これもピンク・フロイドのおかげかな?
■ハハハハ。
アレックス:ガイ・プラットってわかる?
■誰でしょう?
アレックス:ファースト・アルバムでベースを弾いている旧友だが、ロジャー・ウォーターズがピンク・フロイドを脱退したあとにベースを弾いたのが彼だった。今回のアルバムでキーパーソンがいるとしたら、彼だ。ユース、ガイ・プラッド、そして僕の3人は、子供の頃からの連れで、同じ学校に通っていたんだ。そんな彼がオーブのあとにピンク・フロイドに入って、今回のデヴィッド・ギルモアに繋がるわけだよ。
■なるほど。
アレックス:実は、いちどだけピンク・フロイドをサンプリングしたことがあって、ジョン・ピール・セッションで"ア・ヒュージ・エヴァー・グローイング・パルセイティング・ブレイン"をやったときに"シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイアモンド"を使ったんだよね。当時その演奏がすごく好評で、リクエストは最多だったそうだ。で、サンプリングの許可を得なければならなかったんだけど、そのときもガイ・プラットが話を付けてくれた。そして......1992年、ブリクストン・アカデミーでピンク・フロイドがライヴをやるときに、ニック・メイソンが「オーブもいっしょにやらないかい?」と誘ってくれたんだけど、僕は「ファック・オフ」と言って断った。「死ね」と。「俺はパンクなんだ」と言った。これはいままで誰にも言ったことがない秘話だよ。面白い話でしょ?
■ハハハハ。たしかに面白いですね。それでは、あなたとピンク・フロイドの関係をはっきさせたいので、敢えて訊きますね。あなたは子供の頃、ヒッピーが嫌いなパンクスでしたよね。パンクに傾倒し、ダブやレゲエが好きで、デトロイトやシカゴのアンダーグラウンドな音楽に関する知識が豊富なDJでした。しかし、『ウルトラワールド』では、ピンク・フロイドの『アニマルズ』のアートワークを引用しました。
アレックス:あの発電所は、たまたま同じ駅だったんだ。同じ街(バターシー)に住んでいたからああなったのであって、ピンク・フロイドの真似じゃないよ。クラフトワークだって発電所をアートワークに使っているよ。
■"バックサイド・オブ・ザ・ムーン"という曲もあります。そして、多くの人はその音楽のなかにピンク・フロイドと共通するものを感じました。90年代初頭は、オーブはレイヴ世代のピンク・フロイドなどど形容されていましたよね。
アレックス:20年前の話だね。
■そう、20年前の話。で、実際はどうなんですか? あなたとピンク・フロイドっていうのは。
アレックス:まったく興味がなかった。もし関連性があったとしても、それが売りになるとも思えなかった。しかし......当時乗らなかったボートに僕は19年目にして乗ってしまったわけだ。『メタリック・スフィアーズ』で残念なことは、すべてを自分でコントロールできなかったことだよね。
[[SplitPage]]地球をテーマに......どうやって地球ができたのかをテーマに僕がオペラを書いているんだけど、それと関連している。そのことがあって、『メタリック・スフィアーズ』というタイトルに惹かれたんだよね......そう、つまり......ああ、僕はパンク野郎じゃなく、ヒッピーだったんだ! いま気がついたよ!
オーブ メタリック・スフィアーズ[Limited Edition] ソニー・ミュージック・ジャパン |
■アルバムにおけるデヴィッド・ギルモアの役割はどんなものだったのですか?
アレックス:ギターを弾いた。
■はい。
アレックス:あとヴォーカル少々、そして......消えた。
■ハハハハ。
アレックス:アルバムがリリースされてから数か月後、(ギルモアと)共通の知り合いのサッカー選手と話す機会があったんだよ。そうしたら、彼がこう言うのさ。「デヴィッド・ギルモアがいままで作ったアルバムでいちばん楽だったと言っていたぞ」って。僕は「そりゃあ、当たり前だ。あいつは3時間しかいなかったんだから」と言ってやった。「1日もいなかったんだぜ。それは楽だろう」ってね。
■あなたが彼にディレクションしたことがあれば教えてください。
アレックス:いいや、何も......ていうか、僕はスタジオには立ち会ってないから。ユースは立ち会っていたよ。とにかくミスター・ギルモアはピンク・フロイド的なギターを弾いた。弾きまくった。まあ、マニュエル・ゲッチング的なミニマルな箇所もちょっとだけあるけどね。
■コンセプト的にはデヴィッド・ギルモアが入る前からあなたのなかではできあがっていたんでしょうけど、前作『バグダッド・バッテリーズ』からの連続性はあるんですか?
アレックス:あるよ。
■それは環境問題とリンクしているんですか?
アレックス:ていうか......『バグダッド・バッテリーズ』は、2000年前のバグダッドの話がモチーフになっているんだけど、『メタリック・スフィアーズ』は2800年前の南アフリカに実際にあったメタリックな造形物なんだよ。ググればすぐにわかるよ。500個も出てきたらしい。
■あなたは、そのメタリック・スフィアのどんなところに興味を抱いたのでしょう?
アレックス:それは子供に名前を付けるようなもので、今後のオーブの方向性を表すようなものとして『メタリック・スフィアーズ』と名付けた。いまはまだ詳細を話せないんだけど、ロンドンのコヴェント・ガーデンにあるオペラハウスで、僕が関わるプロジェクトが進んでいる。それは地球をテーマに......どうやって地球ができたのかをテーマに僕がオペラを書いているんだけど、それと関連している。そのことがあって、『メタリック・スフィアーズ』というタイトルに惹かれたんだよね......そう、つまり......ああ、僕はパンク野郎じゃなく、ヒッピーだったんだ! いま気がついたよ!
■ハハハハ。ちなみに"メタリック・サイド"が何を意味し、"スフィア・サイド"は何を意味しているのでしょうか?
アレックス:とくに意味はないけど、Aサイド、Bサイド、Cサイド、Dサイドと分けるよりはふたつに分けたほうがいいだろうと。CDでは1面しかないんだけど、こうすればふたつに分けられる。もっと詳しく話そう。実はアルバムには10曲入っている。しかし、iTunesでそれをバラにダウンロードすると、アルバムという作品の意味がなくなってしまう。アルバムとして聴いてもらえなくなる。レンブラントやピカソの絵が1枚ではなく、部分部分を切り取ったら作品として成立しないでしょ。そういうこともあって、"メタリック・サイド"に5曲、"スフィア・サイド"に5曲収録した。で、1曲の値段で5曲を売るという、これなら買う人にとってもハッピーでしょ。それにピンク・フロイドは長年、iTunesと闘ってたよね。彼らもアルバムとして聴いて欲しいからそうしたんだけど、これはそういう意味で良いアイデアだと思った。
■ふたつの世界観を表しているわけではないんですか?
アレックス:とくにない。半分に分けているだけで、中間点とも言える。"メタリック・サイド"の曲が"スフィア・サイド"でまた出てきたりしているだろ。
■グラハム・ナッシュの"シカゴ"のような曲を現在取り上げることの意義をどう考えますか?
アレックス:"シカゴ"は僕たちのカヴァー・ヴァージョンだよ。
■"ヒム・トゥ・ザ・サン"では、サンプリングされていますね。この曲は当時の新左翼(シカゴ・エイト)への共感を歌っているそうですが、アルバムのメッセージを代弁していると言えますか?
アレックス:代弁している。つまり希望だ。
■希望?
アレックス:よりよい世界への希望だよ。
■なるほど。
アレックス:ミスター・ギルモアならアルバムのタイトルを"ヒム・トゥ・ザ・サン"にしたかったろうね。まあ......今回はミスター・ギルモアとは電話やメールでしかやり取りしてないからね。もしこんどいっしょにやる機会があれば、時間を作ってじっくり会ってからやりたいよ。
■会ってないというのはびっくりですね。
アレックス:会ったことはあるんだけど、今回のプロジェクトでは会っていない。21世紀のファイルシェアリングのお陰だ。
[[SplitPage]]
僕にとって自由はとても重要な意味を持つ。そういう意味で、ゲイリー・マッキノンのハッカーとしての活動に共感するのさ。イギリス人の彼は、アメリカ政府から政治的に「とんでもないヤツ」という話になって、逮捕された。そして逆に洗脳されて、アメリカ政府のためにハッキングさせられたりもした。
オーブ メタリック・スフィアーズ[Limited Edition] ソニー・ミュージック・ジャパン |
■ちなみに今回のプロジェクトの契機となった、ゲイリー・マッキノンというハッカーを支援するチャリティ・ソングへの参加について話してもらえますか? あなたは政治的な事柄に関しては、それなりに慎重な態度で接してきたと思いますが、あなたをその気にさせた理由はどこにあったのでしょうか?
アレックス:僕も歳を取ったってことさ。
■なるほど。
アレックス:もともとはチャリティー・ソングに参加して欲しいとミスター・ギルモアから話があった。そして彼はギターを弾いて帰っていった。しかし、そのあと僕とユースは余った音源を使ってアルバムを作ってしまった。ミスター・ギルモアはとてもびっくりした。なんでこんなことになっているんだ、と彼は思った。それをマネージャーが入って、なんとか話を付けた。その9ヶ月間、いろいろ僕たちのあいだで話があった。
■ゲイリー・マッキノンというハッカーに関してはどうなんですか? どんなシンパシーがあったんですか?
アレックス:共感があった。やりたいことを自由にやるという点に共感するんだよ。僕にとって自由はとても重要な意味を持つ。そういう意味で、ゲイリー・マッキノンのハッカーとしての活動に共感するのさ。イギリス人の彼は、アメリカ政府から政治的に「とんでもないヤツ」という話になって、逮捕された。そして逆に洗脳されて、アメリカ政府のためにハッキングさせられたりもした。
■なるほど。自由......ですか。先ほど、あなたの口から「希望」という言葉を聞いたときもびっくりしたんですよね。
アレックス:ありがとう。
■昔のあなたはそういう言葉をユーモアで包み隠すところがあったじゃないですか。
アレックス:んー、はははは、そうだっけ?
■逆に、あなたのなかで世界に対する危機感が募っているということでもあるんでしょうね。世界はどんどん悪くなっているっていう。
アレックス:いまの時代、希望はより持ちにくくなっていると思う。イギリスの政府を見てもそうだよ。税金をいくら使っても世のなかはよくならない。それなら国民にお小遣いとしてばらまいたほうがよほどマシだ。あと僕は音楽家だから、できれば人びとに希望を与えるようなことをしたいと思っているんだ。それが今回の方向性を決定づけているね。
■なるほど。そういえば今回トーマス・フェルマンが参加してませんね。
アレックス:彼はいまバンクーバーだかモントリオールのシンフォニーの仕事で忙しいからね。でもまたいっしょにやる可能性はあるよ。
■ユースといっしょにやった理由を教えてください。
アレックス:うん、彼は素晴らしい仕事をしてくれたな。
■あなたは20年以上にも渡ってコンスタントに作品を出し続けていますが、なぜ、それができるのでしょうか?
アレックス:この世を去ったときに、自分が生きてきた証として作品を残したいんだ。家族のためにもね。
■では最後の質問ですが、ジョン・ライドンが昨年『ガーディアン』の取材で「実はピンク・フロイドは好きだった」と告白していますよね。読みました?
アレックス:知ってる。その記事は僕も読んだ。まさか......だよね。パンクがヒッピーの音楽をぶっ壊したんだと思っていたから、その記事のジョンの発言にはホントにがっかりしたよ。
Shop Chart
1 |
2 |
||
---|---|---|---|
3 |
4 |
||
5 |
6 |
||
7 |
8 |
||
9 |
10 |
オオルタイチのライヴで印象に残ったのは、その奇妙なトリップ感だ。ナンセンスだがアップリフティングであるという独特のノリはなるほどイルリメと似ているが、彼の場合はスラップスティックめいたグルーヴのうえに中性的な声による甘いメロディが重なって、そして......決しておさまりが良いとは言えない叙情性がほうき星のように尾を引いているところが特徴的だ。音符は伸びて、消えていく。
また、ダークサイドというものがほとんど見あたらないその音楽は、間違ってこの惑星に漂着してしまった宇宙人の音楽のように浮いている。磯部涼は『ゼロ年代の音楽』のなかでオオルタイチの『Yori Yoyo』(2005年)について「彼の才能は広義のワールド・ミュージックを解体/編集するセンスにあるように感じられる」と分析し、「細野晴臣の正当な後継者」と結論づけているが、3年ぶりの3枚目となった今作では細野晴臣的エキゾチズムを残しつつも、ボアダムスという別の宇宙にもまたがっているようなのだ。
実際のところオオルタイチの音楽には、イルリメとボアダムスの溝を埋めるようなところがある。イルリメが大量の言葉を乱用しながら言葉など信用していない素振りを見せるのとは対照的に、オオルタイチはヤマツカ・アイのように言葉のコミュニケーションをあらかじめ捨てている。さもなければレジデンツとエイフェックス・ツインをブレンドしたような、アメリカでエメラルズが目指すところとは別の、ベッドルームのコズミック・ミュージックを広げている。そしてアルバムにはヤマツカ・アイのリミックスも収録されている......。
その曲、シングルとして先行リリースされている"Futurelina"がまず素晴らしい。こんなことを書くとまたしても「子供の音楽だ」と指摘されそうだが、"Futurelina"にいたってはアフリカ・バンバータの宇宙船で繰り広げられる赤ちゃんのレイヴ・パーティである。派手で目まぐるしく変わる展開は......僕にメリー・ノイズを思い出させる(電気グルーヴの前身の前身)。コニー・プランクのシーケンスが東南アジアのディスコで鳴っているような"Shiny Foot Square Dance"やOOIOOのOLAibiをヴォーカルに迎えたポップ・チューンの"Coco"も面白い。カンが砂場で遊んでいるような"Vofaguela"、ひっくり返ったパスカル・コムラードのような"Sononi"、レジデンツがメロウなシンセ・ポップをやったような"Linking Pi"、酔っぱらったコーネリアスのような"Permanent Candy"......アルバム『コズミック・ココ、シンギング・フォー・ア・ビリオン・イムス・ハーティ・パイ』の収録曲はどれもがチャーミングに輝いているが、とりわけ"Merry Ether Party"は印象深い曲である。アルバムにおいて唯一メランコリックな響きを持つそれは、宇宙人たちが泣き叫んでいるようだ。気がついたらどこにも居場所がなかった......こんな星からは一刻も早く離れたい......オオルタイチの宇宙語を訳せばこんなところではないのだろうか。
アルバムにはヤマツカ・アイのリミックスのほかデイダラスのリミックスも収録されている。前者にいたっては言うまでもなくそれがリミックスだとわからないほどの親和性を見せている。西海岸のビートメイカーによる再構築は、ドリーミーなダウンテンポとして気怠い昼下がりの陽光のなかに溶けていく。それはこの音楽がまだ追求していない可能性をほのめかしている。
ついに......(アマゾンによれば)2月7日発売予定のジェームス・ブレイクのアルバムを聴いた。ブリアルの"アーチェンジェル"を契機にはじまったと言えるポスト・ダブステップにおいて、ジェームス・ブレイクはその闇のなかのトップランナーだ。ブリアルの背中を見ながら、しかしブリアルとは別の領域を開拓している。ダークスターがシンセ・ポップでやったことをジェームス・ブレイクはR&Bでやっている......とも言える。いわば死のR&B、祝祭的な愛の歌の裏側に広がる墨汁のように真っ暗な世界のR&B......である。それを思えばシャックルトンの闇はいくぶんお茶目だ。ハロウィーンであり、妖怪大戦争であり、お化け屋敷であり......ダブステップとミニマル・テクノを最初に繋げたと言われる2007年のリカルド・ヴィラロボスによるリミックス・ヴァージョンの名前が"アポカリプソ・ナウ・ミックス"(地獄の黙示録の駄洒落)だったように、彼には微妙なユーモアがあるにはある。
シャックルトンは......ダブステップのオリジネイターたちの排他主義の外側からやって来たイノヴェイターだ。この一匹狼は、2005年にアップルブリムと共同で設立した〈スカル・ディスコ〉を拠点として、早くからテクノとの接続を試みている。スキューバと連動し、そしてリカルド・ヴィラロボスと重要な繋がりを持った。ミックスCD『Fabric55』は、全22曲が彼のオリジナルであり(いくつか未発表もある)、そういう点でも、あるいまたこの音楽がミニマル・テクノの発展型であるという意味においても、いまのところ同シリーズでもっとも評場の良かったヴィラロボスによる『Fabric 36』と対比されるであろうアルバムである。
彼の怪奇趣味を反映した曲名やヴィジュアルはさておき、シャックルトンの音楽を特徴づけるのは多彩なアフロ・パーカッションとそのポリリズム、ダブのベースライン、そして不気味きわまりない亡霊の声だ。ホラー映画を楽しむ人なら問題なくこのトリップ・ミュージックを面白がるだろう。もっとも前半のハイライトである"後ろ向きの思考"~"死は終わりにあらず"~"死の男"あたりの薄気味悪さに驚いているようではないダメだ。その先の、"ストリングスの男"~"氷"~"破壊された精神"における魑魅魍魎のトランス・サウンドによる目眩こそがこのCDの本当の醍醐味である。メロディはほとんどない、不協和音というよりはパーカッションと効果音のコンビネーションによるミニマル・テクノで、昨年来日したときのDJもこんなにすごかったっけ? と思ったほどすごい。果てしなきバッド・トリップの荒野だ。
そういえば〈モジュール〉に来たときに本人に「ハルモニアのリミックスが良かったよ」と言ったら、しばらくクラウトロックについて熱心に話してくれた。まわりがうるさくて何を言っているのかわからなかったけれど、この音楽の背後からホルガー・シューカイとポポル・ヴーと、あるいはジャー・ウォーブルなんかを引き出すのは難しいことではない。......だとしても、このミックスCDが差し出すのはポップの実験主義ではなく、われわれを縮み上がらせるための恐怖である。
デトロイトのソウルフルなハウス・ミュージックのファンには待ちきれない週末をふたつ紹介しよう。待望のアルバム『アナログ・アクアリウム』を発表したリック・ウィルハイトが1月末に来日する。そして、昨年の暮れに地味にリリースされたアルバム『スケッチーズ』(IGカルチャーやラリー・マイゼルもフィーチャーされたジャズ・アルバム)がじわじわと話題のセオ・パリッシュが2月のなかばに来日。どちらもブラック・ミュージック・ラヴァーズにとってはトーナメントのベスト4並みの重要なパーティ、翌日のことをいっさいに考えずに飲んで、踊ろう。
Rick Wilhite "ANALOG AQUARIUM" Release Tour
■2011.01.29(SAT) 東京 南青山 @Trigram
MAIN ROOM:
Rick Wilhite, Billion Dollar Boys Club (4 the love), Kenta (Time & Space)
SIDE ROOM:
Ken Hidaka (hangouter/Wax Poetics Japan), musiqconcierge (dB UKi/casablanca), Dave Clark III (UCC)
open : 23:00
Discount : 2500yen (contact : info@4thelove.net for discount)
Door : 3000yen
INFO : 4 the love https://www.4thelove.net
Trigram https://www.trigram.jp TEL 03-3479-2530
■2011.01.30(SUN) 横浜 @ Jack Cafe Bassment
- Freedom School presents THE DANCER vol.6 -
Special Guest DJ: Rick Wilhite
Special Guest Dancers: Stax Groove and Broken Sport
DJ: Downwell 79's(14catherine/Jazzy Sport Brooklyn), Kentaro Kojima(Freedom School), Keisuke Matsuoka
Live Painting: Tadaomi Shibuya
Food: Donuts and Hot Dog
Sake: Dareyame
Flower Decoration: Natsu
open 14:00 - close 21:00 再入場、出入り自由です。
Door 2000yen
INFO: Freedom School info@freedom-school.net
https://www.freedom-school.net/
045-664-0822(JACK CAFE BASSMENT) https://www.jcbassment.com/
RICK WILHITE (The Godson/3Chairs/From Detroit)
デトロイト・ハウス最強のユニット3 Chairs(スリーチェアーズ)。メンバーのセオ・パリッシュ、ムーディーマンと並ぶ第3の男が、Rick Wilhite(リック・ウィルハイト)だ。ムーディーマンが運営するKDJレーベルから96年にSoul Edgeでデビュー。デトロイトのレコードショップ『Vibes Rare & New Music』のオーナーを勤める傍ら、ソロ名義"Godson"としてもシカゴのStill Musicからシングルをリリース。昨年末にオランダのRUSHHOURレーベルからリリースしたショップと同名のコンピレーションはカルトヒットとなった。ファーストアルバム『ANALOG
AQUARIUM』を2月9日にリリース予定。プログラミングソフトを用いずキーボードやハンドクラップをあえて「アナログ」な手法で取り込み、ディスコ、ジャズやアフロなど様々なサウンド・マテリアルを呪術的なビートに重ね合わせることによって「濃厚な黒さ」を感じさせる作品となっている。
Theo Parrish "SKETCHES" Release Tour
■2.18(FRI) Kyoto @club Metro
STILL ECHO meets Theo Parrish
Special Guest DJ: Theo Parrish
LIVE: daichi(based on kyoto)
DJ: KAZUMA(MO'WAVE), DJ PODD
LIGHTING: YAMACHANG(POWWOW, □)
FOOD: THE GREEN
open/start 22:00
Advanced 2500yen
Door 3000yen
Advanced Ticket at チケットぴあ (0570-02-9999 / 0570-02-9966 P-code:128-554)
ローソンチケット(ローソンLoppi L-code 52254)にて1/8より発売
JAPONICA music store(075-211-8580) newtone Records(06-6281-0403) Transit Records Kyoto(075-241-3077)
INFO: 075-752-4765(Club METRO) https://www.metro.ne.jp
■2.19(SAT) Gunma Takasaki @WOAL
DJ: Theo Parrish, K, ara
open 22:00
With Flyer 4000yen with 1Drink
Door 4500yen with 1Drink
INFO: 027-326-6999(WOAL) https://members3.jcom.home.ne.jp/woal
access: 湘南新宿ライン高崎駅(新宿/渋谷駅から乗り換えなし)
■2.20(SUN) Niigata @Under Water Bar Praha
DJ: Theo Parrish, 中沢将紫, HONDA(VINYLITE) and more
open 22:00
Advanced 3000yen with 1Drink
Door 3500yen with 1Drink
INFO: 025-249-2121(praha) https://www.peacemaker-inc.com/praha
■2.25(FRI) Hiroshima @SACRED SPIRITS
DISCO UNION "ROUTINE 9th ANNIVERSARY PARTY"
Special Guest DJ: Theo Parrish
Guest DJ: KZA(Force Of Nature)
DJ: DJ ABU
open 22:00
Advanced 4000yen with 1Drink
Door 4500yen with 1Drink
INFO: 082-544-4427 info@routine-net.com (ROUTINE)
082-240-0505(SACRED SPIRITS)
■2.26(SAT) Tokyo @AIR
DJ: Theo Parrish(open-last set)
open 22:00
With Flyer 3000yen
AIR Member 3000yen
Door 3500yen
INFO: 03-5784-3386 (AIR) https://www.air-tokyo.com
Total Tour Info AHB Production 06-6212-2587 https://www.ahbproduction.com
これはそのうち裁判沙汰になるかも? ケミカル・ブラザーズが最初は(尊敬のあまり?)ダスト・ブラザーズと同じ名義を名乗っていて、やはり改名を余儀なくされたように、ビギーや2パック、あるいはナズやカニエ・ウエストのPVなどを総なめで制作してきた映像監督と同名のプロジェクト名をつけた英独3人組(?)による2作目。とはいえ、昨秋、ドレイク"オーヴァー"をスクリュードさせたセカンド・シングル「ドゥー・ドロイズ・アンド・キル・エヴリシング」のカップリングからシャーディーを好き勝手にカット・アップした"ザ・スローニング"を採録するなど著作権に対する対抗意識は満々のようなので、いわゆるひとつの確信犯ではあるのだろう(ま、ケミカル・ブラザーズみたいに売れることはねーか)。
麻の葉が舞い散る1作目同様、スモーカーズ・デライトを予感させるジャケット・デザインがまずは気を引く。『人びとがざっくばらんにゆらゆらしはじめたとき、何が起きているのかわかるのさ』とかなんとかいうタイトルもそれなりに期待を煽る。オープニングもいいし(これも先のシングルから採録)、曲が進むにつれて、フォームはどんどんグズグズに。遠景にもさりげなく小技の効いた音が置いてあり、テープの逆回転(?)も効果を上げている。まー、でも、全体的にはチルウェイヴが骨抜きになったような脱力ポップスといったほうがよく(ヒップホップとして紹介されている記事があるのはやはりオリジナルと混同しているのだろう)、レインジャーズを薄味にしたようなトロ・イ・モアからさらにダイナミズムを差し引いた感じで、そういう意味ではけっこうズレてるし、このズレから次に生まれてくるものを予感させる。そもそもチルウェイヴというのはシューゲイザーではなく、基調にあるのはダフト・パンク由来のシンセ・ポップ・リヴァイヴァルで、"ワン・モア・タイム"のブレイクを延々と長引かせたものだと僕は思っているので、あそこから別な方向に向かう可能性を見い出したと考えてもいいだろう(そう思うとダフト・パンクの底力を思い知らされる年でしたよね、2010年というのは。ちなみに映画『トロン』は音楽が先で、それに合わせて映像をつくったものらしい--おでん屋ロクで太田さんか誰かがそう話していた)。
チルウェイヴといい、ハイプ・ウイリアムズといい、80Sポップをハイファイから遠ざけただけで、こんなにさまざまなヴァリエイションが飛び出してくるとは......(OPNの別名義=ゲームズの12インチをリリースしたヒッポス・オン・タンクスから早くも3月にサード・アルバムも予定されている)。
ちなみにお仲間(?)らしきハウンズ・オブ・ヘイトも似たような音楽性で、デビュー・シングルらしき「ヘッド・アンセム」ではもう少しモンドな食感が味わえるものになっている(両者を合わせたDJミックス→https://soundcloud.com/~)。
2010年、インディは本当にチルウェイヴの年だったのだろうか? ......いや、きっとそうなのだろう。チルウェイヴに属すると言われる若いアーティストは単純に数の問題で言っても見過ごせないほど増えているし、作品として議論に上るものも多かった年だった。だが、それでも「2010年はチルウェイヴの年だった」と結論付けられることに抵抗があるのはどうしてだろう。26歳のインディ・リスナーである自分が、2010年トロ・イ・モワやスモール・ブラックのアルバムに心底興奮しなかったのはどうしてだろう......。現実逃避的な音楽はいつでも必要だし、ますます若者を憂鬱や孤独が襲う2010年においてはなおさらだろう。しかしそんななかにあってこそ、僕がチルウェイヴの心地良い逃避にどうしても逆らいたいと思ってしまうのは、2010年はそれでも現実から目を逸らさなかった音楽に心を動かされたからだ。チルウェイヴ的な動きは今年出るパンダ・ベアの新作が決着をつけるだろうと予想するが、ここではそれとは別のものについて書いてみようと思う。2010年にele-kingでレヴューで紹介されず、かつ欧米で高く評価された作品がいくつかあって、それはチルウェイヴ的な「子どもたちの音楽」に対比させて言うならば「大人たちの音楽」だ。
Arcade Fire The Suburbs ユニバーサル |
北米のインディ・ロックにとって、2010年のハイライトになった作品がザ・ナショナルの『ハイ・ヴァイオレット』とアーケイド・ファイアの『ザ・サバーブス』だ。優れた文学性とリベラルな活動が高く評価されるこのふたつのバンドが同じように経験したのは、オバマの「チェンジ」に少なからず加担したことであった。アーケイド・ファイアの2007年の前作『ネオン・バイブル』は、ブッシュ政権末期に響いた「アメリカには住みたくない」という告白に象徴されるように当時切実に時代とシンクロしていた。そして"ノー・カーズ・ゴー"では「私たちは車が行かない場所を知って」いて、その場所に「行こう!」とエクソダスを宣言し、それを当時の希望としたのである。だが政権交代とオバマへのバックラッシュを経た2010年、アーケイド・ファイアは......ウィン・バトラーが育ったアメリカの郊外に立ち返る。はじめ、それはあまりに感傷的な所作に見えた。つまりそれは自分たちがやったことに対する失意や後悔が苦く滲み出たもので、ある意味では非常にアメリカ的な凡庸なテーマであるように思えたからだ。だがウィン・バトラーはそのような典型的な物語を避けることはせず、スプリングスティーンの道程を思い返しつつ、もう一度アメリカの内部から生まれる物語について見返してみたのだ。『ネオン・バイブル』ほど重くはないが後悔や罪悪感が顔を覗かせ、いくらかのノスタルジックな感傷も呼び覚ましつつ、そしてアルバムは「もし時間を取り戻せたら/もういちど僕は時間を無駄にするだろう」という決意に辿り着いていく。つまり、アーケイド・ファイアは自らが宣言したエクソダスの後始末について決着をつけたのだった。決して苦難は終わらないが、それでも何度でもやり直すことは出来る――というシンプルなメッセージが『ザ・サバーブス』には刻まれていた。
Arcade Fire
The National High Violet 4AD / Hostess |
ザ・ナショナルはいっぽうで、エクソダスにすら参加できずにアメリカの内部に留まり続けたごく普通の人びとの物語を歌にした。自分のことを書けば、2010年にもっとも感動したのが彼らの『ハイ・ヴァイオレット』だ。前作『ボクサー』に収録されていた"フェイク・エンパイア"がオバマのキャンペーン・ソングに大抜擢される経験をした彼らだが、しかしこの新作ではある種の特権的な立場から言葉を紡ごうとしていない。バンドにとっての新たな代表曲である躍動感のあるロック・ナンバー"ブラッドバズ・オハイオ"は、保守的な故郷を嫌ってそこから離れた男が、それでも故郷への想いを捨てきれない心情を歌った1曲である。「俺は結婚しなかったけれど、オハイオは俺のことを覚えていない」
「結婚しなかった」というのは結局リベラルになりきれなかったことのメタファーだろう。「故郷のことを考えるとき、俺は愛について考えなかった」と嘯きながら、自分の本当の生きる場所を見つけられずに苦しむ男の物語を浮かび上がらせる......例えばスフィアン・スティーヴンスの『イリノイ』と並べると見えてくるものがある作品だと言えるだろう。「ニューヨークで生きて死ぬなんて、俺には何の意味もない」と吐露する"レモンワールド"では「とにかくいまはもう、どこかに車を走らせるには疲れすぎているんだ」と言うように、アルバムでは歌の主人公たちはとにかく疲弊しきっていて身動きが取れないというイメージが繰り返される。もっと良く、正しく、幸福に生きようと願いながら、どうしてもそうすることが叶わない普通の人びとの歌を歌うことを、ザ・ナショナルは自らの使命にしたのだ。それは、「チェンジ」後も生きづらいことは変わらない現代のアメリカの歌だ。
そして『ハイ・ヴァイオレット』の素晴らしさとは、そんないまの現実の苦難を引き受けながら、それをセクシーなポップ・ソングとして昇華させてしまった点に尽きる。バンドが自らの音楽を「ダッド・ロック」と冗談めかして言うようにある種の古風なダンディズムに支えられてはいるが、マット・バーニンガーは自分のバリトン・ヴォイスの色気により自覚的になり、そしてバンドの音は何ひとつ奇を衒ったことをしなくともタフにダイナミックに響き渡る。それはこれらの歌の底には、それでも潰えない尊厳があるという宣言のように聞こえる。
ラストのゴスペル・ソング"ヴァンダーライル・クライベイビー・ギークス"では「僕たちの最良の部分をすべて捧げて/愛のために自らを犠牲にするんだ」と、新たな場所に足を踏み出すことも示唆される。人びとに必要なのは劇的な「チェンジ」ではなくて、着実に地面を踏みしめる足取りであると......つまりザ・ナショナルは80年代のR.E.M.を引き継ぐのだと決意したのだった。今年の春に、シカゴではアーケイド・ファイアとザ・ナショナルがともにライヴをやるのだという。それはアメリカにとって、非常に輝かしい夜になるだろうと思う。
The National
LCD Soundsystem This Is Happening DFA / EMI |
「ニューヨーク、俺はお前を愛しているけど、お前は俺を落ち込ませる......」とニューヨークに対する失意と幻滅と、そして愛をこぼしていたLCDサウンドシステムのジェームズ・マーフィもまた、ポップに対する理想を捨て切れなかった男である。インターネットの土壌が進んで出てきた初めてのムーヴメントがチルウェイヴだとしたら、ジェームズはそういった動きに対して最後の悪あがきを繰り広げるような活動をしてきた。70年代のボウイのあり方をポップの理想とし、自分より若くて才能のある連中のケツを蹴り上げるような存在でありたいと、彼は繰り返し語ってきた。分断化が取り沙汰されたゼロ年代にあって、それでもそこに抵抗する形で「ポップ」を定義し直そうとした彼の姿は、僕たち若い音楽好きを虜にした。音楽オタクであることしか誇れることがない男のみっともない恨み言を並べた"ルージング・マイ・エッジ"での彼を未来の自分の姿だと確信した人間は、ジェームズ・マーフィを心底信頼したのだ。だがそんなものはもう終わっていくのだろう、とジェームズ本人が自分たちの挑戦に決着をつける意味で制作されたのが、ラスト・アルバムだと予め宣言された『ディス・イズ・ハプニング』であった。
『ディス・イズ・ハプニング』は音楽的な参照点もやや広げ、例えばOMDのようなシンセ・ポップも溶け込ませながら、これまででもっともキャッチーな佇まいを持った作品となった。全編ダンス・トラックでありながらも非常にメロディアスで、そしてメロウでスウィートだ。歌詞はファースト・アルバムのような自問自答よりも、自分の仲間たちや聴き手に対する目線がこめられている。相変わらず自分の情けなさやみっともなさを綴りながら、しかしどこか清々しさが感じられるのはバンドが辿ってきた道のりやその記憶が明滅しているからだろうか。ラスト・トラックの"ホーム"は間違いなく、彼の挑戦を見つめ続けてきた僕たちに向けて......そしてたぶん、ジェームズよりも若い連中に向けて歌われている。「君が自分に必要なものを気にしているなら/見回してみなよ/君は囲い込まれている/そんなの、何にも良くなりゃしないよ」というのは、明らかにリスナーに向けた愛の言葉だ。ジェームズはツアーを回りながら「やっぱりこれからもアルバムを制作するかも」と思い直したことが明らかにされているが、しかし『ディス・イズ・ハプニング』が2010年において、一つの「ポップ」の時代に対して決着をつけたラスト・アルバムであったことは変わらない。
LCD Soundsystem
これらの「大人たちの音楽」から聞こえてくるのは、現実の困難に何度も何度も打ちのめされながらも、それでも信じるものがある......という不屈さだ。あるいは、LCDの歌にはつねに自虐や情けなさが盛り込まれていながら、しかしそこには必ずユーモアがある。それは自分たちの音楽をきちんと表現へと昇華させるという意志の表れである。「子どもたちの音楽」に何か信じるものはあるのだろうか? もちろん、そんなものが見つからないからこそのリアリティなのだろうが......いっぽうで2010年にこんなにもタフで知性的な音楽があったことも忘れてはならないと思う。
ただ、ここ日本ではそのようなものは共感されにくい。中年男が社会のなかで、正しく生きようと苦しみもがく姿の色気を伝えるのはとても難しい。音楽と社会が、音楽と政治が密接に繋がっていない(ような素振りを見せる)この国では、政権交代した後も相変わらず生きづらい社会についてポップ・ソングが歌うことは大抵の場合避けられる。そして若者たちは、子どもたちはうずくまり、現実に背を向ける......。ある意味で、若者による現実逃避はこの国ではより切迫した問題だ。社会に背を向けるということもまた抵抗だとすれば、日本でこそチルウェイヴ的な(現実や政治から切り離された)まどろみがより必要とされているとも考えられるだろう。
あるいは、社会に根ざした若者の音楽は知性やユーモアや文学性よりも、その感情の質量、その重さが目立っている(それだけ追い詰められているということだろう)。僕が世代的にも立場的にも共感できるはずの神聖かまってちゃんにどうしても距離を感じてしまうのも、そのような理由かもしれない。社会に対する怨恨を隠そうとしない彼らの音楽はアナーキーで切実で生々しいが......あまりにも痛ましい。かまってちゃんがいることは日本においてリアルだが、それがあまりに切実に求められるような状況は辛いとも思う。もしくは曽我部恵一のように、若者たちよりも青春を鳴らそうと目論む大人たちの歌がもっと届いてほしい。
今年はどんな音楽が響くのだろう。アメリカに関して言えば、ブッシュ政権下より現在の方が遥かに表現に求められることが難しくなっている。問題だらけのオバマ政権の下、状況はさらに複雑化しているからだ。チルウェイヴのような流れはもうしばらく続くであろうからそれらは横目で見つつも、僕はそれでも現実を見据えたアーティストに期待したいと思う。比較的若い連中にもそういったミュージシャンはいる。例えば2月に新作が出るアクロン/ファミリーは前作でサイケデリックなアメリカ国旗をアートワークに掲げながら、「太陽は輝くだろう、そして僕は隠れない」と歌うことを厭わなかった。アクロンは不思議なバンドで、初期にはフリー・フォーク的な文脈で、前作頃ではブルックリン・シーンの文脈で語られつつも、実のところそのどちらともあまり関係ない朗らかなヒッピーイズムとアート志向が根本にある。それから、フリー・フォークではなくて新しい時代のフォークとして登場したボン・イヴェールとフリート・フォクシーズ。彼らは何よりも高い音楽性でもってこそ勝負しようとする、真面目さと理想主義的な立場で音楽に真摯に向き合っている。また、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアはきっと、相変わらず頑なにレイヴ・カルチャーの理想を信じる新作を放ってくるだろう。
音楽が現実の状況に追随しているばかりでは寂しい。世界の見方を少しばかり、時には大きく変えてしまうようなものを、僕はいまこそ聴きたいと思うのだ。
大出世作である前作『ボクサー』でつけた自信は、USインディの現在の活況をリプレゼントしたコンピレーション『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』のキュレーターを彼らに務めさせることとなる。そしてそれを経た本作は、バンドとしてより広い場所に進もうとする意欲に満ち満ちたものとなった。ポスト・パンク、チェンバー・ポップ、それに所謂アメリカーナ的なものをしっかりとアメリカン・ロックの土台でブレンドした音楽性はしかし行儀良く収まらずに、感情に任せてややバランスを崩しそうになる瞬間も見せつつスリリングに響く。フロントマンのダンディなヒゲの中年男、マット・バーニンガーの書く歌詞は抽象性もありつつ、より具体的なイメージを喚起しやすいものとなっている。そして彼が、曲によって異なる主人公を――しかし一様に思いつめたようにうなだれた男を演じ、そのバリトン・ヴォイスを響かせることでセクシーなハードボイルド感をも滲ませている。
とにかくオープニングの"ダンス・ユアセルフ・クリーン"が素晴らしい。抑えたイントロがやがてシンセと共にリズムを鳴らすと、ジェームズ・マーフィが絶唱する――「まっさらになるまで踊れ!」。そうしてアルバムは幕を開け、中盤に向けて次第にメロウになっていく。ジェームズは自分がロックンロール・バンドのフロントマンをやっていることの居心地の悪さを何度も語っていたが、それでも開き直ったようにさらに自分を曝け出すようなエモーショナルな歌を聞かせるのは、やはりラスト・アルバムという決意があったからだろうか。前作の"ニューヨーク、アイ・ラヴ・ユー~"のようなバラッドはなくとも、これまでで最も切ないムードが漂っている。「僕が欲しいのは君の哀れみ」なんていう、相変わらずのみっともない歌詞も彼ならではで......そして僕たちはそんな彼のキャラクターを既に知っているからこそ、ジェームズ・マーフィその人の魅力を改めて思い知ったのだった。
グーグルの機能を駆使し、自分の育った土地の住所を入力するとその風景がぐるぐると映し出される"ウィ・ユースト・トゥ・ウェイト"のインタラクティヴなビデオが非常に話題になっていたが、それは本作のテーマを見事に射抜いている。(もしかするとかつて捨ててしまった)自分の出自に立ち返ること......アメリカン・サバービアはかの地において宿命的なテーマだが、ウィン・バトラーはそれに真っ向から取り組んだのだった。アメリカを嫌ってカナダに抜け出した彼は、ここで自身の記憶を呼び覚ましながらアメリカのありふれた物語を描き出す。これまでの作品の悲壮感や演劇性はやや後退し、その分ニューウェーヴ風やパンク・ソングなど、音楽性を広げてとっつきやすいものになっているのも一部の層だけに届くだけでは満足しなかったからだろう。郊外の物語を個人の感傷ではなくて我らのものとして語る、現代の北米を代表するバンドであるという自負と貫禄が備わっている。
★ザ・ナショナル、来日します!
3月17日@Duo、詳細は→www.creativeman.co.jp/artist/2011/03national
木津 毅/Tsuyoshi Kizu
1984年大阪生まれ。大学で映画評論を専攻し、現在大阪在住のフリーター。ブログにて、映画や音楽について執筆中。 https://blogs.yahoo.co.jp/freaksfreaxx
家のベランダにある飼育ケースには、昨年の秋に子供が多摩川で採ってきた虫がまだいる。年末31日まで最後の一匹となったコオロギはか細い声だったがかろうじて鳴き、ツチイナゴは生きていた。元旦に帰省して、1週間経って戻ってきたら、まだ二匹とも生きていた。その後、厳しい寒波に見舞われて......というか寿命の問題だったと思うが、コオロギは死に、そしてツチイナゴはまだ生きている。ツチイナゴは越冬できる唯一のバッタなのだ。
僕のこの3年の毎日は、子供を自転車の後ろに乗せて、幼稚園に送るところからはじまる。毎朝僕は少し遠回りして、蘆花公園のなかの木々のあいだの路を走る。お母さんたちはみんな速い。びゅんびゅん飛ばして、僕を追い抜いていく。彼女たちは遠回りなどしないから公園のなかを通らない。しかし僕は雨が激しいとき以外は、必ず公園を通る。季節を感じるためだ......などと書くと偉そうだが、積雪のある地方では冬にこんな悠長なことはできないだろうから、ある意味ちょっとした贅沢だとも言える。これを毎朝8時半のチルアウトと呼んでいる。
僕は季節を感じることを、自分の精神の健康のバロメイターとしているフシがある。朝、蘆花公園の木々から季節を感じることができないときは、自分の精神が何かに囚われているときだ(それか寝不足か二日酔いのとき)。些細なことだけれど、僕は季節を感じることに重きを置いている。夏の終わりから秋にかけてヒグラシが鳴きはじめ、そして声が聞こえなくなる日について注意を払っている。それは自分の人生において無駄な時間を確保したいという欲求でもあり、つまりひとつの快楽でもある。それはおかしなことなのだろうか? この3年間、僕のように遠回りをするお母さんはひとりとしていなかったけれど、どこか他の場所に......少数派だろうが、いることはいると思っている。そういう人はヤマーンのデビュー・アルバムを繰り返し聴くことになるに違いない。
ナノルナモナイ、CHIYORI、JUSWANNAなどの作品にトラックを提供してきたビートメイカー、ヤマーンの『12シーズナル・ミュージック』は美しいダウンテンポ集である。日本の12ヶ月の情景を12曲で表す......というのがコンセプトで、最初に聴いたときは、これはDJクラッシュ・ミーツ・松尾芭蕉だなと思った。「五月雨をあつめて早し最上川」――雨がたくさん降って流れが速くなる川を見ることでぐっと来るなんて、考えてみれば不思議な感覚だけれど、しかしどういうわけかわれわれはそんな季節の象徴的場面に宇宙を感じるようなのだ。
『12シーズナル・ミュージック』は、音楽的に言えば、〈ブレインフィーダー〉と共振している。ティーブスの夢想的なフィーリングにも似ているが、こだま和文のずば抜けた哀愁の感覚とも交わっている。マウント・キンビーやローンのようなメロウな叙情派のエレクトロニック・ミュージックとも繋がっている。要するに、まったく心地よいアルバムである。その心地よさは、蘆花公園の入口あたりで向きを変え、環八をスピーディに進むお母さんたちからどんどん逸れていくときのそれとも似ている。
ビートは、グリッチやダブステップやウォンキーを聴き慣れた耳には素直過ぎるかもしれないが、彼の気の利いたメロディとアイデアがすべてを補っている。12曲それぞれに面白味があるのだ。ダビーなベースラインが印象的な曲もあれば、ジャズ/フュージョン、あるいはアンビエント・テクノのテクスチャーを取り入れている曲もある。アコースティック・ギターの音色が素晴らしい曲もある。1曲、ナノルナモナイのラップがフィーチャーされた曲もある。派手さはないが丁寧に作り込まれているし、それぞれの楽曲に力がある。アルバムのブックレットには、曲ごとに付けられた12枚の絵画(画家、Nobnuaki Yamanakaによる)が載っている。
この音楽をヘッドフォンを通して耳から注入すれば、なおいっそう季節を感じることができそうだが、まずは、瑞々しい才能を持ったビートメイカーが登場したことに拍手しよう。嬉しいことに、近い将来、ゴールド・パンダのリミックスが聴けるらしい。