「K A R Y Y N」と一致するもの

Satoshi & Makoto - ele-king

 ele-kingに寄稿したCHAI『PINK』のレヴューで、「いま、80年代のカルチャーが注目されている」と書いたが、それはエレクトロニック・ミュージックも例外ではない。なかでも特筆したいのは、ヴェロニカ・ヴァッシカが主宰する〈Minimal Wave〉の活動だ。〈Minimal Wave〉は、2000年代半ばから現在まで、チープで味わい深い電子音が映える80年代のミニマル・シンセやニュー・ウェイヴを数多くリイシューしてきたレーベル。いまでこそ、80年代の作品を発掘する流れはブームと言えるほど盛りあがっているが、そんな流れの先駆けという意味でも重要な存在だ。

 そうしたブームは、日本で生まれた音楽を再評価する動きにも繋がっている。この動きに先鞭をつけた作品といえば、ヴィジブル・クロークスが2010年に発表したミックス、『Fairlights, Mallets And Bamboo ― Fourth-World Japan, Years 1980-1986』だろう。細野晴臣やムクワジュ・アンサンブルなどの曲を繋ぎあわせたそれは、ここではない想像上の風景を示すレトロ・フューチャーな雰囲気が漂うもので、時間という概念から解き放たれた自由を感じさせる。
 その雰囲気はさまざまな人たちに伝染した。アムステルダムの〈Rush Hour〉は、パーカッショニストの橋田正人がペッカー名義で残した作品をはじめ、坂本龍一、吉田美奈子、大野えりといったアーティストの作品を再発して大いに注目された。さらに先述の〈Minimal Wave〉も、トモ・アキカワバヤが80年代に残した珠玉のミニマル・シンセが収められた、『The Invitation Of The Dead』をリリースしている。
 変わり種でいえば、ストックホルムを拠点とするナットリア・トゥナーも見逃せない。2016年にウクライナのウェブマガジン『Krossfingers』へ提供したミックスで彼は、アドバルーンス、比企理恵、インプル加工など、80年代のポップスやインディーものを繋いでみせたのだ。彼もまた、〈Rush Hour〉や〈Minimal Wave〉とは違う角度から、80年代の日本の音楽を再評価した1人と言える。

 そして2017年、またひとつ日本のアーティストに注目した作品が生まれた。サトシ&マコトの『CZ-5000 Sounds & Sequences』である。本作は、1986年から日本で活動してきた2人のアーカイヴ音源をまとめたアルバムで、全曲カシオのCZ-5000というシンセサイザーで制作されたそうだ。リリース元の〈Safe Trip〉が選曲し、マスタリングに至るまでの過程もサポートするなど、かなり熱烈なバックアップを受けている。〈Safe Trip〉を主宰するヤング・マルコが、YouTubeにアップされた音源を聴いてサトシ&マコトに連絡したのがリリースのキッカケという物語も、非常にドラマチックだ。
 こうした背景をふまえて聴くと、確かにヤング・マルコが好みそうな音だと感じた。彼はイタロ・ハウス好きとしても知られ、それが高じて『Welcome To Paradise (Italian Dream House 89-93)』というコンピを〈Safe Trip〉からリリースしている。このコンピは、リスナーの心を飛ばすトリッピーなサウンドが印象的で、それは本作にも見られるものだ。さらに本作は、ジ・オーブやYMOを引きあいに語られることも多い。確かに80年代から90年代前半のエレクトロニック・ミュージックの要素が随所で見られ、インターフェロンやフロム・タイム・トゥ・タイムといった、日本テクノ・シーンの礎を築いたアーティストたちの音が一瞬脳裏に浮かんだりもする。

 一方で本作は、2010年代以降の音楽とも共振可能だ。たとえば、本作を覆う夢見心地な音像は、チルウェイヴ以降に一般的となったドリーミーなインディー・ポップとも重なる。エレクトロニック・ミュージックに馴染みがない者でも、サファイア・スロウズや『Visions』期のグライムスなどを通過した耳なら、本作にもコミットできるだろう。
 もちろん、本作は過去の音源を集めた作品だから、現在の潮流を意識して作られたものではない。だが、その過去が時を越えて現在と深く繋がるのは非常に面白い。そこに筆者は、“表現”という行為のロマンと、それを残すことの尊さを見いだしてしまう。

BS0xtra - ele-king

XtraDub

Giggs - ele-king

 自分がMSCとか、SATELLITEとか、日本の「ギャングスタ・ラップ」を初めて聞いたとき、言葉は完璧に聞き取れるが、歌詞の意味は全く分からなかった。一聴平易な言葉遣いだが、ギャングスタの話法で語られるために、ストリートの外側には言葉が意味をなさない。それは「普通の言葉」に別の意味を重ねることによって、エリアの抗争・ドラッグディールといった内容を隠すことができる。彼らのダブルミーニング・比喩は、揉め事を回避するテクニックであり、ユーモアであり、エンターテインメントである。ここに紹介するUKのラッパー「ギグス」による最新ミックステープ『ワンプ・トゥ・デム(Wamp 2 Dem)』は、UK流の「ギャングスタ」の巧みな言葉遊びとストーリーを感じることができる。

 ギグスを〈XL Recordings〉に紹介したマイク・スキナー(ザ・ストリーツ)は彼のことをこう表現した。

ギグスは突如として現れ、一切妥協なしのリアルなストリートの話をスピットした、最初のUKギャングスタ・ラッパーだ。――マイク・スキナー

Don't Call It Road Rap

https://www.youtube.com/watch?v=xn-70oSrLgA

 ギグスは真のギャング上がりだ。10代の頃は、南ロンドンのペックハム・ボーイズ傘下のSN1に加入しギャングのメンバーとして活動しながら、ストリートでの高い人気から2009年に〈XL Recordings〉と契約し2枚目のアルバムをリリースした。しかし、彼は警察の圧力で出演を中止させられ、メディアに取り上げられることも少なかった。
 こうした状況を変えたのは、2013年頃から出てきたGRMデイリー(GRM Daily)、リンク・アップ・ティーヴィー(Link Up TV)といった動画メディアであった。彼らはギグスをはじめとするギャングスタ・ラッパーのミュージック・ビデオを制作し、世界に公開した。
 昨年リリースされた待望の5枚目のアルバム『ランドロード』のヒット、そしてドレイクのアルバム『モア・ライフ』への参加は、UKラップの盛り上がりに火を付けた。しかし、一部のアメリカのラップ・ファンからはギグスのラップを「退屈だ」と批判したり、「ヒップホップの物真似だ」と揶揄したりする声が彼自身にも届いた。このビデオでは、彼自身に向けられたディスに対する怒りを隠さない。

 前置きが長くなったが、本作『ワンプ・トゥ・デム』(ジャマイカの英語「パトワ」で「What happened to them? (彼らになにがあった?)」)は、「ギグスら」を攻撃する「彼ら」をポップカーン、ヤング・サグら第一線のラッパー・歌い手とともに皮肉っぽくたしなめる。

くだらないトークショーはクソだ、奴らは吸いまくってる
あいつらは今や文無しだ、奴らのただ男同士のオナニーだ
奴らはマカーレーを見ながら、コカイン吸ってるだけだ * ――“Ultimate Gangsta feat. 2 Chainz”

* マカーレーとは、アメリカの俳優、マカーレー・カルキン(Macaulay Culkin)のこと。「コカインを吸う(Niggaz is coking)」とマカーレー・“カルキン”の言葉遊びでもある。

 目下クラブヒット中の6曲目“リングオ”のフックは、彼らの「言葉」に焦点を当てている。

ウィングにいる仲間に感謝
別の仲間は道を歩く、合法的に
2人のビッチがキス、まるでバイリンガル
奴らは俺の言葉(“Linguo”)がわからない
ブラッ、ブラッ!
そう、それが俺の着信音
俺はピンクの札束を持ち歩く
ベイビー、プッシーをこっちに寄越しな
「あのこと」については気にしなくていいぜ
――“Linguo feat. Donae'O”

 ウィング=刑務所、ピンクのお金=50ポンド紙幣と言った言い換えは、彼ら独特の「言葉」である。そして文字通り、スラングがわからない「奴ら」とは、他のエリアのギャングであり、アメリカでギグスを批判するラップ・ファンのことを言っているのかもしれない。10曲目“アウトサイダース”では、ギグスが南ロンドン、客演のグライムMC、ディー・ダブル・イー(D Double E)&フッチー(Footsie)が東ロンドンをそれぞれ代表し、知ったかぶる「部外者」を口撃している。
 歌詞が聞き取れなくても、ギグスの低くホラーな声、ゆっくりと間を取ったフロウ、冷たいメロディとハイハットは十分魅力的だ。ロンドンのギャングスタのスカしてない「マジな」ラップが聴きたければ、この1枚がぴったりだ。

Shuta Hasunuma - ele-king

 蓮沼執太が12月14日(木)に最新シングル「the unseen」を配信限定でリリースする。この曲は昨年「Panasonic Beauty」のCMに起用された楽曲のフル・ヴァージョンで、来年初頭発売のアルバム『windandwindows』にも収録される予定となっている。同曲には、彼と縁の深い石塚周太やゴンドウトモヒコ(METAFIVE 他)、千住宗臣が参加。ミックスを担当しているのは蓮沼執太フィルのメンバーであり、トクマルシューゴやスカートも手掛ける葛西敏彦で、マスタリングはROVOやDUB SQUADとしても活躍する益子樹が務めている。今回のリリースに合わせて特設ページもオープンしているので、そちらもチェック。なお蓮沼は1月に『東京ジャクスタ』の公演を控え、また2月にはニューヨークで個展も開催する予定となっており、2018年は彼にとってアクティヴな1年となりそうだ。

蓮沼執太による、2012年から2017年の約5年間に作曲した未発表音源をセレクトしたアルバム『ウインドアンドウインドウズ』が来年2018年初頭に発売決定。このアルバムは、2012年リリースの未発表音源集『CC OO|シーシーウー』の続編的とも呼べるような、映画音楽からダンス、舞台、広告やプロデュース作品などの様々なジャンルの作品のために書かれた膨大な楽曲を収録した作品集になる予定です。

そして、アルバムの内容を少しずつ紐解いていくように、配信シングルを毎月リリースすることが決定しました。

第1弾シングルは、昨年の「Panasonic Beauty」のCMに起用された“the unseen”のフル・ヴァージョンになります。ソロ・アルバム『メロディーズ』以降の流れにある蓮沼執太の歌モノ・サイドを突き進めたような、気品のあるメロディアスな楽曲。CM放映当時、数多くの音源化希望があった楽曲が待望のリリースです。

アーティスト:蓮沼執太
タイトル:the unseen(ジ・アンシーン)
フォーマット:Digital only
商品番号:windandwindows 03 / HEADZ 223
価格:250 円
発売日:2017 年12 月14 日(木)
レーベル:windandwindows / HEADZ

iTunes MS(Mastered for iTunes)、Amazon MP3にて販売。
タイアップ:「Panasonic Beauty 2016年CM曲」

参加メンバー:石塚周太(Guitar)、ゴンドウトモヒコ(Flugelhorn)、千住宗臣(Drums)
ミックス:葛西敏彦
マスタリング:益子樹(FLOAT)
ジャケット・デザイン:佐々木暁

『windandwindows | ウインドアンドウインドウズ』特設ページ:
https://www.shutahasunuma.com/windandwindows/

■蓮沼執太(はすぬま・しゅうた)
1983年、東京都生まれ。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィルを組織し国内外でのコンサート公演、映画、演劇、ダンス、音楽プロデュースなどでの制作多数。作曲という手法を様々なメディアに応用し、映像、サウンド、立体、インスタレーションを発表し、個展形式での展覧会やプロジェクトを活発に行っている。12月14日にシングル「the unseen」を配信リリース、未発表音源集『windandwindows』を準備中。来年2018年2月にニューヨーク・ブルックリンにあるPioneer Worksにて個展開催予定。

C:Shuta Hasunuma / windandwindows
P:Shuta Hasunuma / windandwindows / HEADZ

Hello Skinny - ele-king

 トム・スキナーというドラマーは一般的に知られる存在ではなく、どちらかと言えばミュージシャンズ・ミュージシャン、すなわちプロの間で信頼の厚いミュージシャンである。イギリス人の彼は若い頃にゲイリー・クロスビー主宰のトゥモローズ・ウォリアーズで研鑽を積み、いろいろなレコーディングやセッション、ライヴに参加してきた。共演アーティストを上げると、マシュー・ハーバートフローティング・ポインツ、ゼロ7、ジョナサン・ジェレミア、ジョニー・グリーンウッド、エルモア・ジャッド、クリーヴランド・ワトキス、ムラトゥ・アスタトゥケ、フィン・ピーターズ、バイロン・ウォーレン、シャバカ・ハッチングスなど、幅広い分野に渡っている。実際のところトムの基本はジャズで、アレキサンダー・ホーキンスのバンドでフリー・インプロヴィゼイションも磨いてきたが、ロックやファンクなど多岐の音楽にも通じており、それゆえオルタナティヴな表現を可能としているミュージシャンである。そんな彼だから自身が主体のバンドやユニットも多彩だ。オウニー・シゴマ・バンドではアフロを切り口にジャズ、テクノ、ディスコを縦断し、サンズ・オブ・ケメットではブラス・サウンドにスカやダブステップの要素を融合。メルト・ユアセルフ・ダウンではジャズ・ファンクにロックやパンク~ニュー・ウェイヴのテイストをミックスし、ワイルドフラワーは中近東からアフリカの民族音楽の色彩が強いフリー~スピリチュアル・ジャズ、ジェイド・フォックスはインディ・ロック寄りのジャズ・ファンクといった具合だ。

 ハロー・スキニーはトム・スキナーの変名で、彼の個人プロジェクトでもある。この名前はUSオルタナ・ロックの始祖的存在であるザ・レジデンツの楽曲から名付けたものだ。今までにデビュー・ミニ・アルバム『スマッシュ+グラブ』(2012年)、ファースト・アルバム『ハロー・スキニー』(2013年)、12インチEP「レヴォリューションズ」(2013年)をリリースしており、これらではドラマーとしての演奏面のみならず、総合的なサウンド・プロデューサーやコンポーザーとしての才能も見せている。『ハロー・スキニー』はシャバカ・ハッチングスやトム・ハーバートなど周囲の仲のよいミュージシャンが参加し、エクスペリメンタル・ジャズ、アヴァンギャルド・ロック、インディ・フォーク、電子音楽からダブを繋ぐオブスキュアな作品集で、前述のとおりザ・レジデンツの「ハロー・スキニー」のカヴァーも披露している。そんなトム・スキナーをジャイルス・ピーターソンも高く評価し、ハロー・スキニーはじめ彼の関わるプロジェクトの作品をコンピに取り上げてきたが、このたび彼が主宰する〈ブラウンズウッド・レコーディングス〉からハロー・スキニーの新作『ウォーターメロン・サン』がリリースされた。

 『ウォーターメロン・サン』はファースト・アルバムの実験性、音楽ジャンルにとらわれない自由さを継承しつつ、そこにダンサブルな要素を取り入れたものとなっている。その重要な鍵を握るのがトロンボーン奏者兼作曲家のピーター・ズムモである。ニューヨークを拠点に1960年代後半から活動する彼は、故アーサー・ラッセルの親友であり、コラボレーターだった。ダイナソーLやインディアン・オーシャンはじめ、アーサーのユニットや作品の数々へ参加している。ロック、ジャズ、エレクトロニック・ミュージック、パンク、ディスコ、ニュー・ウェイヴ、ワールド・ミュージックを横断した演奏スタイルや活動は、ちょうどトム・スキナーのそれをはるか以前に先駆けたものでもあり、そんなところから両者の間に共感が生まれ、今回のコラボレーションが実現したようだ。“ミスター・P.Z.”はピーターへの敬意が込められた作品。ダイナソーLの“ゴー・バン”や“キス・ミー・アゲイン”を下敷きに、そこへ現在のレフトフィールド・ハウスやディスコ・ダブなどのアレンジを加えたものとなっている。“ラシャド”はタイトルからわかるように、故DJラシャドへの追悼の意を込めたもの。ジューク/フットワークのトラックに、民族音楽からダブを縦断するようなピーターのヒプノティックなトロンボーンがフィーチャーされていく。“コーダ”は四つ打ちを取り入れたダブ・ハウス的な作品で、1990年頃のアンダーグラウンドなニューヨーク~ニュージャージー・ハウスのエッセンスが詰まっている。ディープ・ハウスをやっていた頃のボビー・コンダースとか初期のジョヴォンあたりを思い起こさせる曲だ。10分を超す表題曲“ウォーターメロン・サン”は、四つ打ちのリズムを基本とした上で、トムのドラムとピーターのトロンボーンをはじめとした楽器群がフリー・インプロヴィゼイションを展開していく。ほかにもフローティング・ポインツにも通じるようなスローモー・ハウス“アイデス”、ダビーでアンビエントな空間に包まれたロー・ビート“ブルーベルズ”、遊び心と実験精神に富むフリーフォームなエレクトロ“サインズ”といった作品が収められ、トム・スキナーのリズムに対する飽くなき探求を実践したものとなっている。

B12 - ele-king

 げに許すまじ。ブラック・ドッグの『Bytes』が落選したことに関してはつい先日もぶうたれたばかりだけれど、件の『ピッチフォーク』のランキングからはもうひとつ、重要な作品が抜け落ちている。B12の『Electro-Soma』である。たしかにポリゴン・ウィンドウやオウテカ、ブラック・ドッグといった錚々たる顔ぶれが居並ぶA.I.シリーズのなかでは、相対的に地味で控えめなアルバムだったかもしれない。けれど当時、ある意味もっとも純粋にIDM~アンビエント・テクノを鳴らしていたのは、もしかしたら『Electro-Soma』だったのではないか。
 B12はマイケル・ゴールディングとスティーヴ・ラッターからなるユニットで、ふたりは同名のレーベルを主宰してもいる。00年代後半より鳴りを潜めていた彼らではあるが、近年は〈B12〉傘下の〈FireScope〉から精力的にシングルを発表している。今回ヴァイナルとしてリイシューされた彼らの記念すべきファースト・アルバムは、もともとふたりがミュジコロジーやレッドセルといった名義で発表していた曲を〈ウォープ〉のロブ・ミッチェルがコンパイルしたものなのだけれど、どうやらその選から漏れた音源も数多く存在したようで、『Electro-Soma』と同時に、彼らのレア・トラックをかき集めた『Electro-Soma II』という編集盤もヴァイナルでリリースされている。その2枚をまとめてパッケイジしたCDが、この『Electro-Soma I + II』である(ちなみに今回のリイシューはアナログのオリジナル盤が元になっているので、かつてのCD盤『Electro-Soma』に収録されていた“Debris”、“Satori”、“Static Emotion”の3曲は今回『II』の方に収められており、逆に当時CD盤でオミットされていた“Drift”が今回『I』の方に収められている)。
 改めて聴き直してみて思ったのは、やはりデトロイト・テクノからの影響が大きいということだ。このアルバムを聴いていると、かつてカール・クレイグがサイケ/BFC名義で発表していた曲たち(それらは『Elements 1989-1990』として1枚にまとめられている)を連想せずにはいられない。きめ細やかなハットに、どこまでもノスタルジックでメロディアスなシンセ、そこに加わるUKらしいベースライン……デトロイトから受けた影響を独自に咀嚼し、それを当時のUKの文脈に巧みに落とし込んだ作品がこの『Electro-Soma』と言えるだろう。そういう意味で本作は初期のカーク・ディジョージオやリロードの諸作とも通じる響きを持っている。このアルバムは、テクノが今日のように商業化され制度化されてしまう前の、ある意味で牧歌的とも呼びうる時代の風景を浮かび上がらせる。このようなセンティメントは、昨今のエレクトロニック・ミュージックからはなかなか感じられないものだ。

 今回のリイシューはおそらく、昨今のアンビエント・ブームあるいはIDM回顧の機運に乗っかって企画されたものなのだろう。〈ウォープ〉は今年エレクトロの波に乗ってジ・アザー・ピープル・プレイスもリプレスしているが、そこでひとつ心配なのが、最近ちょっと過去のクラシックに頼りすぎなんじゃないか、という点だ。もしかしたらかのレーベルはいま、リリースの方向性をめぐって大きな岐路に立たされているのかもしれない。……いや、『Electro-Soma』が名盤であることに変わりはないんだけどね(この時期のB12の音源をもっと掘りたい方は、『Prelude Part 1』を探すべし)。

interview with Ian F. Martin - ele-king


バンドやめようぜ! ──あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記
イアン・F・マーティン (著) / 坂本 麻里子 (翻訳)

Pヴァイン/ele-king books

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 その本を作った編集者が著者に取材するということはあまりないと思うが、この本に限っては、自分も音楽ライターの端くれであり、音楽メディアに携わっている人間なので、仮に自分がこの本の編集者ではなかったとしても、話を聞きたかった。
 『バンドやめようぜ!』(原題:QUIT YOUR BAND!)は、イアン・F・マーティンという在日英国人によるじつに示唆に富んだ内容の日本のロック/ポップス批評だ。通史を描くというのもひとつの批評であり(すべてを万遍なく描くことは不可能ではないかもしれないが、膨大な文字量を要する)、そこには著者の史観や選択も入るわけで、どうしたって語り部独自の批評が介在する。そして、この世に生まれてから20年以上ものあいだの英国文化圏での経験は、日本文化圏の音楽を語る上でも照射される。その見え方が、日本文化圏におけるこの本の面白さのひとつとしてある。
 日本の音楽が海外でブームというのも、最近の音楽界が、新譜を追うよりも過去の掘り出し物を探したほうが刺激的という、ある意味後ろ向きな潮流のなかにあるなか、『バンドやめようぜ!』は、過去の再評価ではなく、現代そして将来へと向かう本であり、そうなると、Jポップ/アイドルについても触れなくてはならないわけで、よくここまで書いてくれた! というのが編者の正直な感想だった。というのも、この本で描かれているのは日本からは見えづらい日本だからだ。
 なんにせよ、イアン・F・マーティン氏は、僕が知る限り、日本でもっとも全国のライヴハウスに足を運び、日本人音楽ライター以上に、もっとも大量のジャパニーズ・インディ・ミュージックを聴いている人物である。その成果は彼のCall & Responseレーベルをチェック。以下のインタヴューは、『バンドやめようぜ!』を未読の方にはよくわからない話かもしれないが、ちょっとのあいだお付き合いいただければさいわいである。

これは日本に限らず一般論としての文化的視点として西洋、と言ってもアメリカとイギリスの英語圏、においてはものすごく日本寄りになってきていて、それは音楽というものにおける自分のアイデンティティの拠り所的な見方が強まってきているからなんだと思う。

そもそも日本に移ることになったきっかけはなんだったんですか?

イアン・F・マーティン(以下、イアン):その質問はよく聞かれるんだけどじつは答えるのが難しいところで、(日本に移った)16年前の自分がどういう人間だったかも覚えていないんですよね(笑)。とにかくUKから遠く離れたところに行ってみたかったんです。ただしトイレがちゃんとしているところじゃないと嫌だった(笑)。トイレに関してはフランスより悪いところには絶対に行きたくないという基準があったんですね。
 ただじつはそんな単純な話でもなく、音楽についてではないけれど日本に関しては多少知っていたということもあったんですね。というのも、大学で日本の映画について学んでいたというのがひとつ。前に日本に来たことがあったということがひとつ。だからいい場所かなと思って来たんです。せいぜいいても2年くらいかなと思っていたけど、こんなに長くなっちゃった。

日本の音楽シーンに惹かれてとか、レーベルをやりに来たとかいうわけでもないんですよね。

イアン:白人の救世主として日本の音楽シーンを救いに来たというわけではないんだよね(笑)。

はははは。

イアン:UK時代にもいろんなバンドを観に出かけたりはしていたので、日本に来ても同じようにバンドのライヴを観に行きたいとは思っていたんですね。ただそうするうちに東京周辺の小さな会場に出入りするようになって、とくに高円寺にはよく行っていて結局そこに住むことになるんですけど、そうするうちにそういうシーンと自分との関わりあいができていったんですね。UKでそうはならなかったのはあくまでも自分は客のひとりという立場で、バンドが有名でも成功していなくても向こうの人はロックスター的なんですよね。それに対して日本の会場で見るバンドの姿というのは、お客さんとバンドの境界線がそこまで厳密に別れていないというか、混じっているようなところがあって、そういう状況だったからこそ僕みたいな人でも日本の音楽と絆を持っていくことが出来たんだと思うんだけど。
 とにかく、そういう日本のありかたが自分にとっては啓発というか、目から鱗みたいなところがあったんですよね。それが自分の気持ちのフックになったきっかけですね。この本(『バンドやめようぜ!』)に「日本にいる外国人って結局孤独で悲しくて、友だちもいないなかでこういうところに救いを求める」みたいなことを書いたんですけど、それは半分はジョークで半分はアイロニーで書いたつもりだったのに、在日の外国人の人たちがこれを読んで「そうだよね!」っていう反応がけっこうあったんだよね(笑)。たまたま思いついて書いたことだったんだけど、じつは真実を突いていたのかも。

その孤独な外国人にとって、客が二桁も入らないようライヴハウスみたいなマニアックな空間というのはなおさら行きづらいんじゃないかと思うんですけどね。

イアン:20人いたらいいほうだよね(笑)。知っているバンドを観にいくわけなんだけど、例えばこの本の最初にスチューデンツというバンドのことを書いたけど、少年ナイフの前座をやったことのあるバンドということで知っていて、少年ナイフといえばUKでも活動しているし、すごく人気ってわけじゃないけど音楽好きなら聞いたことがあるというバンドなので。それと関わりのあったバンドということでスチューデンツのチラシを見て、八王子の客が6人くらいいたライヴハウスに行ったんですよね。

なるほど。

イアン:そういうところに行くと観たかったバンドのほかに4つくらいバンドが出ているんですよね。そうするとひとつくらいはいいと思うバンドがいるんですが、アフター・ショウ(打ち上げ)でミュージシャンたちが話をしてくれるんです。そういう人たちに「どういうバンドが好き?」とか「ほかに共演していいと思ったバンドはいる?」とか、そういうことを聞くなかで、だんだん知っているグループが増えて、自分なりに追いかけていきたいバンドが増えていきましたね。いまだにそのあたりのバンドで記事になっているような情報がないんだけど、というか書かれているものはたくさんあっても整理されていないので情報が得にくいところはあるんだけどもね。

話は変わりますが、本のなかで「1978年生まれの自分はブリット・ポップ直撃世代」というようなことを書かれていますよね。そのブリット・ポップ直撃世代だったがゆえのトラウマというか、あの騒ぎの国家主義的だったというネガティヴな側面についても書かれていますが、音楽リスナーとしてのあなたには、ブリット・ポップというのはどのような影響を与えたのでしょうか?

イアン:そのブリット・ポップ時代に僕はティーン・エイジャーだったんだけど、あの時代そのものがネガティヴだったと言っているつもりはないんです。というか当時はそういう自覚もなかったんだけれど、いま振り返って距離を持って見たときに、たぶんあのムーヴメントは国家主義的なものを意図していなかっただろうけれども、そこにいた人たちの考えかたのなかには種として国家主義的なものがあったということは否めないんじゃないかっていまは感じるんだよね。モチベーションがなんであれ、自分がなにかの一員になってしまって一緒に旗を振ってしまったら、なにかしらの問題がそこで生まれてくるということはほかの現象を見ていてもわかると思う。
 「愛国主義(Patriotism)」と「国家主義(Nationalism)」という言葉の違いは僕自身もはっきりと差別化はできないけど、いずれにしても邪悪で危険なものをはらんでいると思う。というのも人間というのはどこかに所属したいという気持ちが必ずあるから、その思いがあまりにも強いためにいまの世界の人々はアイデンティティに苦難しているところがあると思うんだよね。それは商業主義にしても、資本主義にしても言えることだし、あとはネットがこれだけ氾濫してくるなかで自分のアイデンティティに自信が持てなくなってきている人がいろんな意味で増えてるでしょ? ナショナリズムというのはそういうなかで「自分がなにか確固たるものを目指しているという気持ちを持ちたい」という人びとの欲求が作り上げている動きだと思う。だから国家とかいうものじゃなくて、なにか違うところにアイデンティティを見つけられればいいのになと僕は思うんだけれども。だってそれが右翼じゃなくて、左側の政治家の人たちだって性別や民族などのさまざまなアイデンティティを問うているわけだよね? 自由だと言いつつもやっぱりそこはなにかしら問うているわけで、音楽のシーンのなかにも同じようなことがあったと思う。アイデンティティに悩むがゆえに、なにか自分が帰属するシーンはないかって。
 例えば80、90年代は服装ひとつ取っても「お前はゴス」って決まられるようなことがあって、そういうなかのひとつとしてブリット・ポップという動きはあったんだと思う。たぶん自分があのシーンを考えたときになにか落ち着かないものがあるのは、国家主義に通じる帰属を求める動きに対する違和感と、あとは自分自身が典型的な英国人というものと共通項を見出せない人間だからだと思う。同じ土壌に生まれたということ以外には本当に共通項が見つからないんだ。だったら国は違ってもアートやカルチャーの面で自分と共通する価値観を持つところのほうがアットホームに感じられるし、そういう意味ではいまのモリッシーには非常に失望しているね(笑)。

(通訳さんに)うちはモリッシーの本を出していることもあって、最近イアンにメールで「モリッシーは好き?」って聞いたんですよ。聞くんじゃなかったな(笑)。

イアン:モリッシーはそういう人じゃなかったのにね……。80年代のモリッシーはオタクから何から、英国社会というものに馴染めないでいた人たちの体現者であり代弁者だったし、そういう人たちにとっての解毒剤的な存在だったのに……。彼も歳を取ったんだよ。ブレグジットの話のなかで、「これが真のワーキング・クラスだ」とか「ワーキング・クラスの精神だ」みたいなことを言っていたんだけど、考えるとマンチェスターやロンドンやブリストルや、ああいう都市は投票ではビックリするくらいブレグジットに反対しているんだよね。僕が思うに、そういうなかにあってモリッシーを含むちょっと年配の人たちは変化についていけない、混乱のなかでノスタルジーに走るみたいなところがあるんじゃないかな。
 ある意味では僕と似ているところがあるのかもしれないね。UKを離れていったというところでね。モリッシーもたしか90年代にアメリカだったかに行っているし、僕がいまUKを離れている以上に長い期間離れていた人だから、遠くから自分の国を見るというなかでやっぱり失望は味わうと思うんだよね。その失望を味わっている対象は僕とは違うかもしれないけども、そういう感覚というのは事実としてあると思う。そういう意味で僕みたいな人間にイギリスについて語らせちゃいけないんだ(笑)。聞かれるんだけどね(笑)。

そりゃ、聞かれるでしょう(笑)。

イアン:とても危険だよ(笑)。イギリス人のってことがね(笑)。だから信じちゃいけないよ(笑)。

だから僕なんかから逆に言うと、モリッシーみたいに表に立って炎上する人がいるというところがイギリスっぽいなと思うんですよね。ああいう、音楽と政治との太いリンクは日本にはいないから。

イアン:いや、音楽というのは根っこにそういう性質を持っていると思うんだよね。ただ音楽というだけじゃなくて、そこにはアイデンティティを窮する気持ちがあるし、ということは当然ポリティクスに繋がってくるわけで、音楽と政治は分けては考えられないんじゃないかな。

それはあなたもこの本のなかで書いていますよね。

イアン:それに関連して、この本の紹介のされかたのなかで「日本においては音楽をネガティヴに語ることはタブー視されている」ということに注目がいっているみたいなんだけど、現状として僕の考えかたってまだ過去の世界にいるのかなって自覚するところもあって。ジャーナリズムについてこの本で言っているのは、昔からの対立を煽るみたいなところ、ようするにレスター・バングスやポストパンクの時代、80年代の『NME』のような時代というのは音楽シーンでさまざまな意見があって、とくにクリエイティヴな意見のバトル・グラウンドみたいな書きかたをしていたよね。それに対してミレニアム以降のいまというのは、じつは西洋の人たちも日本人と音楽観が似ているというか、ようするにあまり煽り立てないし叩こうとしなくなってきているんだよね。
 その理由というのはいくつか考えられるんだろうけど、これは日本に限らず一般論としての文化的視点として西洋、と言ってもアメリカとイギリスの英語圏、においてはものすごく日本寄りになってきていて、それは音楽というものにおける自分のアイデンティティの拠り所的な見方が強まってきているからなんだと思う。日本で「NO MUSIC, NO LIFE.」というスローガンがあるけど、まさにあれだと思うんだよね。「音楽=自分の暮らし、自分自身」みたいな考えかたが広まってくると、今度は「音楽を叩く=個人攻撃」ってことになってしまうと思うんだ。音楽自体じゃなくてやっている人を攻撃するというような考えかたになってしまっている。結局のところ音楽というのはその人の聴いている音楽がその人物を語るってところもたしかにあるとは思うんだけど、やっぱりミュージシャンのキャラクターみたいなところに自分のアイデンティティを感じている人が多くなってくると音楽批判というのがなかなか難しくなるんじゃないかと思うんだ。日本の場合はそもそも業界の構造上(批判が)難しいというところがあるんだろうけども、感覚的にいまの日本の若い人たちといまの英語圏の若い人たちの音楽に対する観点というのはすごく近くなっているんじゃないかって思うんだ。かつてのような批評というのは成り立たなくなっているような気がする。
 理由としてはすべての雑誌を読まなければいけなかった時代とは違って、いまはツイッターやなんかで作品を発表すればすぐに反応が返ってくる時代だから、じっくり読んで考えるということじゃなくて、もしかしたら作る側も出した途端にフッと返ってくるとか、あらゆる方向から攻撃されるということを常に念頭に置いて作っているのかもしれないし、東京の変化というのは昔と比べたらかなり早いよね。そういうなかで僕の批評性というのはオールド・スタイルな厳しい人たちとミレニアム世代のあいだにいるんだろうけれど、昔の人に比べたら全然優しいよ(笑)。もうひとつは細分化された音楽のなかで読む人が非常に限られている、そこで言ったことがすべてという世界になっているということにおいてはインディ・バンドを相手に厳しい批判をするなんて、赤ん坊をいじめているみたいだから僕はしないな。ある程度批評に足る存在にまでなっていないと厳しいことは言えないというのが僕の考えかたとしてありますね。

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いまルールがわからない怖さというものを、みんなが自分らしさを探るなかで感じているんだと思う。世界中どこでもツイッターなんかでちょっと変なことを言ってしまったら受信箱にバーッと脅迫状が届くような世界だから、本当に自由に自分らしさを追求できないなかで、なにか「これに従っていれば大丈夫だ」というルールを探す、その末に行きついているのがあのアイドル文化なんじゃないかと思う。


バンドやめようぜ! ──あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記
イアン・F・マーティン (著) / 坂本 麻里子 (翻訳)

Pヴァイン/ele-king books

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海外のレヴューは点数制でいまでも平気で1点とかつけるわけじゃないですか。そういう意味でいうと残っていると思いますけどね。

イアン:残ってはいるにしても、(悪く)書かなくなってきていると思う。逆に筋の通らないような批評に対するリアクションというのもソーシャル・メディアのおかげで出てきたし、反対意見が聞けるようになったという点ではいいことかもしれないね。

アイデンティティのことを言うと、ジャン・コクトーが1930年代に日本に来たときに「なぜ日本人は和服を着ていないんだ」って言ったんですね。フランスから来たコクトーにしてみたら「日本人のアイデンティティはそこだろ」「なに欧米化されてんだ」と思ったんだろうけど、1930年代の時点でも日本人はそうじゃなかった。イアンも日本に来てわかったと思うけど、日本人というのは、京都や桂離宮や歌舞伎に行っていればいいという簡単なアイデンティティではなくて、とくに東京みたいな都市ではアイデンティティは不安定で、流動的で、つねに揺れ動いている部分があるんですよね。だから、日本を発見する必要がないと思っているほうが発見できるくらいな逆説的な日本が横たわっていたりすると思うんですよね。そういう意味で、僕がこの本のなかでおもしろいとおもったところのひとつに、イアンはこの本を通じて京都や桂離宮や歌舞伎ではない、コクトーがかつて求めたような日本でもない日本を発見しているんじゃないかなと思うんだよね。それが日本人の読者としてすごく新鮮でしたね。

イアン:たしかに日本に対してあまり先入観を持っていなかったかもしれない。それは逆に思っていたのと違うか、思っていた通りだったかのどちらにしても、僕にとっては大きなことではなかったのかもしれない。僕の考えかたとして基本的には世界中どこも似ているっていうことが大前提としてあって、そもそも僕はなにか違うものがあったとしても違うところより似たところを探すタイプなんだよね。似ているところにばかり目がいくので、他の人からしたら「なんでこのふたつが一緒なわけ? 全然違うじゃない」って言われるときもあるんだけど。
 もちろんイギリスと日本は全然違うよ。全然違うんだけど、それはそれとして置いておいて逆にどんな共通点があるのかなって考えかたの人間だから、逆に根本的な考えかたの違いというのがのちのち見えてくるということもあるんだよね。例えばイギリスにずっと暮らしていると人に対する無礼さというのに慣れてしまってなんとも思わなくなるんだけど、日本に来たときにその親切さに驚いたのかというとそうではなくて、イギリスがああだったということを忘れてしまっていたんだよね。それで里帰りしてロンドンに戻るとこんなに無礼だったのかってことにあらためてショックを受けるんだけど(笑)。
 僕はブリストルの出身なんだけど、ブリストルに行くとすごくオープンでフレンドリーなことに驚くんだよね。東京は礼儀正しいけどフレンドリーではないよね。ブリストルのコンビニに行くと女性の店員さんから「お元気?」とか「いかがですか?」なんて笑顔で声をかけられて、しかもそれがブリストル訛りで言われるんで日本だったらたぶん大分訛りって感じなんじゃないかな(笑)。でもそれに対して言葉を返せない自分がいるんだ。東京だったらこんなふうに声をかけられることがないから、どうしようってなっちゃうんだよね(笑)。そういうことを忘れていたということに驚くということはあるんだよね。日本に驚くんじゃなくて、地元に帰ったときに驚くんだ。
 念のために言っておくと、ブリストルのって言ってもちょっとした郊外のエリアに住んでいるみなさんのことを言っているのであって、ブリストルの中心街に行けばみんなアスホールだよ(笑)。

(一同笑)

イアン:まあ、いい人もいるけどね(笑)。ブリストルは大好きだよ。UK全体を見て自分が愛着をもって語れるのはブリストルくらいだよ(笑)。

なるほどね(笑)。本のパート2の通史の部分なんですけど、ここはいろいろと調べて、そうとうご苦労されたと思うんですけれども、どのように調査したのでしょうか?

イアン:いろんなミュージシャンに出会って聞いた話ももちろんあるし、本を読んでということもあるけど、ジャーナリストの人たちからも話を聞いたんだよね。とくに70、80年代のポップスに関してはそういった人たちからロード・マップ的なものをもらって、自分なりに人脈図を解明していったんです。ジュリアン・コープの本があるけど、ああいうのは取扱注意なんだよな(笑)。あの本に出てくるような実際の人に言わせれば「あれはフィクションだ」ってことになってしまうけど(笑)、事実じゃないと言われていたことが時代を経てのちに事実化していくみたいなこともあるからおもしろいよね。「本当だったよ!」って言ってあげればジュリアン・コープは喜ぶんだろうけどね(笑)。でもやっぱり事実とフィクションは分けきゃいけないと思う。ただ彼の本のなかにおいてはその境目がはっきりしないんだよね。たぶん本人にもそのボーダーがはっきり見えていないというタイプだからだと思うけど、ここは真実でここは違うという見分けは難しいところだったよ。
 ただ自分の本として書いていくときにやっぱりフィクションは別のところに置いておきたかったから、とくにパート3においてはそのあたりを注意しつつ、3つ4つ起こった出来事を組み合わせてそのなかから出てきた事実とか、あとは様々な新聞の見出し記事とかを見ていって、自分なりに考えてこうだろうと思った真実ももちろん入ってきてはいます。ただ事実を事実って書くときは正確にと思っていたので、それがもし正確に書けていけないところがあったとすれば、それは僕が取材のなかで誤解したことがあったということなんだろうと。それは認めます。ただソースにいくつか当たって再チェックもしたので、そこは慎重を期してはいます。あとはジュリアン・コープの話に戻るけれども、あの本のなかでも裸のラリーズのメンバーが飛行機をハイジャックして北朝鮮まで飛んで行ってという話を出したけど、それは嘘だと思っていたら事実だったということが後にわかったりもしているので、やっぱり魅力的なストーリーというのは嘘だと思っていると事実は小説よりも奇なりということもあるんだなと思ったね。ベーシストが20人とかさ。そのなかでひとりでもおもしろい人がいたらその人に注目が集まるし、その人ばかり大きくなっていくということは当然あると思う。事実かどうかは別として、おもしろい話というのはおもしろいんだよね。

海外の人は、ジュリアン・コープ的な人は、とかくジャックスとラリーズに対して抱く反体制的な幻想が大きいと思うんですよね。例えば日本映画の足立正生や若松孝二といった人たちの作品は、60年代当時のラディカルな政治運動と本当にリンクしていましたが、日本のロック・バンドは必ずしも彼らのように政治運動と深くリンクしてはいないんですね。

イアン:まずは野田さんが政治的というときの意味合いと、僕はこの本のなかで語っている政治的の意味がちょっと違うのかなと思いました。僕が言っているのは存在としての政治性ということなんだよね。とくに70年代のそのあたりのバンドというのは曲の内容とか、実際に政治的な活動をしていたかどうかということとは別として、いわゆる日本の社会からはステップ・アウトしている人じゃないとできないようなところにいた人たちじゃないですか。その存在が後にすごくヘヴィ―に政治的なものだったと見られるようになった人たちだったということなんだよね。だから曲自体がポリティカルじゃなかったということは僕も理解しているけど、それが彼らがポリティカルな存在ではなかったってこととイコールではないと思うんだ。彼らがどういう人物でどういう暮らしをしていたか、そのことの政治性ではなくて、彼らを見ている側からどういう存在だったのかというところで政治性が感じられた人たちだったということだね。
 僕は今回本を書くにあたって、読んでくれる人には二種類いると最初から思っていて、それは日本の音楽のことなんてなにも知らない外国人と、あとは日本の音楽オタク(笑)。僕がこういう文を書いたところでその両方を100%満足させるってことは無理だし、とくに歴史においてはある程度読みやすく端的にということをしないとどちらの人にとっても満足できない本になってしまうと思ったので、ことによってはわりと簡略化して書いて、そのなかでもラリーズは刺激的なバンドだったし、頭脳警察なんてもっとそうだから度合いの違いはあるとは思うんだけど、でも類としては同じだろうという語りかたになっているんだよね。日本の社会のそういう一面を代弁していたバンドという括りになっているんです。そうしないとどちらかはものすごく喜ぶけどどちらかにはつまらない、あるいは詳しい人にはわかるけどわからない人には難しいものになってしまう。パート2の歴史の部分はそういった姿勢で書いているんだ。ある程度慣らして書いたところも省いて書いたところもあります。
 でももちろん勝手に話を作ってしまうのはダメだけれども、情報やニュアンスというところでの手加減があったということですね。他にも重要なバンドがいるだろうと言う人もいるかもしれないけど、それは省く必要があったということで、これは百科事典じゃないんだからね。野田さんのおっしゃることは僕もポイントとしては理解しているけれども、全部まとめて細かいところまで書きこむということじゃなくて、ちょっと太い筆でバーッと書いたという感じかな(笑)。

(通訳さんに)この本を作っているときにイアンに、メールで「なんで大瀧詠一と山下達郎とゆらゆら帝国が載ってないの?」って聞いたんですよね(笑)。

イアン:そういえば訳者の坂本さんが「ユーミンと四畳半が一緒なのはおもしろいね」と書いてくれていたんだけど、同じところに入れたつもりはないんだけどね(笑)。とにかく、その理由は、全部入れるスペースがなかったということとと、ユーミンと四畳半がそうであるように、同時期に出てきたものは、その後に現れた新しいムーヴメントのなかではわりと似た感じで語られていたんじゃないかなということなんだ。だから僕も決して同じカテゴリーで認識しているわけじゃないんだよ。でも僕の頭のなかではカテゴリーは違うんだけれでも、流れやコンテキストとしては繋がっているんだ。

この本であなたが称揚しているオルタナ系ロック・バンドよりも、現代のとくに英米ではエレクトロニック・ミュージックのほうがより身近な音楽になっていますね。でもこの本のなかにはエレクトロニック・ミュージックやヒップホップについてはまったく語られていない。それはなぜですか?

イアン:(エレクトロニック・ミュージックやヒップホップについては)知らないからですね(笑)。

あなたが好きなステレオラブは、エレクトロニック・ミュージックともリンクしていたよね?

イアン:70年代後半から80年代あたりまでのミニマルなエレクトロニクスやインダストリアル系、クラフトワークやニューウェイヴ的なものの余波で出てきたようなものは多少聴いてはいたけれども、その手のものは日本ではなかなか見つからなかったね。いくつかあるのは知っているけど、それほど見かけていない気もするんだ。そのへんの影響というのはなんなんだろう。サブカルチャーの世界のゴシック・テクノとか、そっちに吸収されちゃっているような気がするけど。

ブリット・ポップ時代というと、トニー・ブレアがナイトライフを賞揚した時代でもあって、クラブ・カルチャーがメインストリームの産業に吸い込まれた時期とも重なるんで、あなたはあまりクラブ・ミュージックというものに対していい印象がないんだろうと深読みをしたんですが(笑)。

イアン:そこまでクールな人間じゃなかったからね(笑)。僕にとってのクラブはそういう場所じゃなかったし、そういうわけで僕はクールな人間じゃなかったからドラッグが出てくるようなところには全然行けなかったんだ(笑)。

ブリストルなのにね(笑)。

イアン:そうだよね。でも大学はボーマスという海沿いの小さな町にあったんだ。大学時代にブリストルにいなかったというのもひとつ理由としてあるかもしれないね。そうはいっても小さな町でもいくつかクラブはあったし行ったりもしていたけど、どちらかというとバンドのライヴを観に行ったり、あとはインディ・ディスコに行っていたね(笑)。インディ・ディスコは名前がすごくダサくて、聞いたとたんにあか抜けない感じのイメージが湧くのが好きなんだけど(笑)。自分のイベントをその名前でやっているのはそういう理由からなんだ。でも90年代のブリストルの有名なエレクトロニック・ミュージックは聴いてはいたよ。
 90年代のエレクトロニック・ミュージックでピンときたのはオービタルかな。あの時代のその手のバンドのなかではもっともクラフトワークに繋がっているところがあるバンドだったと思う。

話は変わりますが、ツイッターで「アイドルについては本当は書きたくなかった」というようなことをおっしゃっていて、でもパート3はやっぱり読んでいてすごくおもしろいんですよね。よくここまでJポップやアイドルを聴いたなと思いました(笑)。

イアン:はははは。やらざるをえなかったんだよね。ビジュアル系は無視できても、アイドル・カルチャーをなかったことにはできなかったかな(笑)。
 頭の良さそうな分析が簡単にできてしまうところがアイドル文化の危ないところなんだ。メカニズムとしてすべて表面化しているというところがアイドル・カルチャーの特徴で、隠していないんだよね。「どうぞ、ご覧ください」って感じでみんな見せてしまっている。見せたうえである程度参加させてくれる。そういうマシーンのありかた自体がアイドル・カルチャーが売り出している商品の一部であるというところが特徴なんだと思っているね。しかもそれをメディアがどんどん取り上げるでしょ? それで僕みたいな人間がそれについていって引っかかってしまうんだ(笑)。30、40代ジャーナリストの多くもその罠に引っかかっていると思う。ようするにすごく知的で、あたかもポップスを解析しました的な文章を書きたくなるんだよ。だけど実は秋元康さんみたいなそのマシーンを作った人の手のひらの上で遊ばされているに過ぎないんだよね(笑)。「どんどん私たちについて語ってください」という罠がそこに仕掛けられているんだ。昔や90年代のポップだったらその罠に対して「フェイクだ」と大声をあげることがあったと思う。それは表は取り繕っていて裏に隠している何かがあったから、声をあげてそれを暴露しようという気持ちになったんだろうけど、いまの日本のアイドル・カルチャーは裏がないんだよね。みんな見せちゃっている(笑)。それに対して何かカッコイイことを書いたと思っている人は多いんだろうけれども、実はそれはパンの残りかすを拾い集めている作業にしか過ぎないんだよね。そういうことを考えると(アイドルについて)一部書いてしまったことは、あーあと思っているね(笑)。自分が罠にかかっていることを肯定しているよね(笑)。

はははは。ずっと日本に住んでいると慣れて忘れてしまっていることもすごくあるので、この本でいくつもの「気づき」があることも僕にとっては興味深く思えたんですね。例えば「日本は独立国ではない」というふうに書いている箇所があって、それは、「アメリカ軍が駐在している国である」ということですね。ここでは、たとえば「反米」という考えが、英米の左翼/右翼のようにはいかないと、当たり前のことなんだけど、なるほどと思ったんですね。そういうことはつい忘れてしまうことであって。みんな日本は立派に独立国だと思っているんだけど、あなたから見れば「じゃあ、なんでアメリカ軍が駐在している?」と。

イアン:取り込んでしまって考えなくなってしまうというのがイデオロギーってやつの一面だよね。今日のインタヴューで「アイデンティティ」ってよく言っているわりには、本のなかではその言葉はあまり使っていないんだけど。いま世界のなかで変化するアイデンティティが問われる世のなかになってきているということから振り返って考えると、こういうことが言いたかったんだなと、いま「アイデンティティ」という言葉が出てきているんだ。この本を書いた3年前にはまだそういう状況になかったということだと思う。
 それでアイデンティティの権化のひとつがまさにアイドル文化だと思っているよ。あのアイドル文化的なものが成功してビジネス・モデルとして日本で成り立っているというのは、まさに帰属意識を煽るからなんだと思う。DJをやっていてもインディ・アイドルとかそういう人たちがいるし、パンク系でもアイドルの人がいたりするようないまの状況を見ていると、僕はDJもやるからそういう人たちの姿もよく見ているんだけど、アイドルの世界においては客との距離感の近さがとにかく極端だよね。しかもインタラクションまでできてしまうし、アイドル・オタクの人たちの動きかたって振付けでもしているくらい同じことをやるでしょ? それを外から見ているとすごく不思議なんだけど、中にいる人にとってはそれが極めて自然なありかたであるんだよね。自然の押しつけみたいなことがそこではなされていて、すごくストレスを感じるんじゃないかなって思うんだけど、どうなんだろうね。ルールがわからない人にとってはやっぱりああいうのは見ていて怖いよね(笑)。入っていけないと思う。でもそのルールに従ってしまえばものすごく居心地がいいんだろうな。
 いまルールがわからない怖さというものを、みんなが自分らしさを探るなかで感じているんだと思う。世界中どこでもツイッターなんかでちょっと変なことを言ってしまったら受信箱にバーッと脅迫状が届くような世界だから、本当に自由に自分らしさを追求できないなかで、なにか「これに従っていれば大丈夫だ」というルールを探す、その末に行きついているのがあのアイドル文化なんじゃないかと思う。
 その居心地の良さというものの魅力もわかることにはわかるんだ。さっきおっしゃったような左/右の伝統的な価値観が日本の現状にはなかなか当てはまらないということにも繋がってくるんだけど、右/左というものにはまり切らないなにか、サブカルチャー的なものが実はこの日本においてすごくメインストリームになっているんだよね。そういう意味では混ざり合っているなにかみたいなところで、僕は本来はそこに居心地の良さを感じるようなタイプなんだけど、そこを切り取ってまた細分化していくようなことがいまの日本では行われているような気がしているんだよ。いまはひとつに絞って「こうだ!」と言うことがなかなか難しい。
 本来のメインストリームというものがすごくわかりづらい遠いものになってしまって、本当はそうじゃなかった日陰の存在がすごくメインストリームなものになっている。あんまりそういうことを言っていると陰謀論みたいに思えるかもしれないね(笑)。すごく売れているものや、社会的にすごく高レベルなものというのがすごく遠いものになってしまってリアルに感じられなくなるなかで、自分のリアルというものはなんだろうと探している人たちが大勢いるという現実があるから、そういった細かいところでアイドル文化的なものに居心地の良さを感じる人もいるし、木製のテーブルのカフェでコーヒーを飲むのが自分の居場所だと思う人もいるし、すごく細かくなっているよね。そこまでしてそういう居場所を探す情熱があるんだったら、インディ・バンドのライヴを観に行ったほうがいいよ。

たしかに(笑)。

イアン:ああいうところには本当に自分の作りたいものを作ろうと頑張っている人が大勢いるわけで、それを支えるということをやったらいいじゃない。そこに自分の居場所を生み出すことができたら、そんな健康的なことないじゃない? 資本主義やビジネスの人たちというのはそこらへんのことがわかっているんだよ。わかりやすいものをポンと投げて、こういう動きが起こっているなというところを嗅ぎつけて、それを商品化していっている。そういうことに異を唱えすぎるとマルクス主義で『赤旗』を配っているんじゃないかって思われるかもしれないけど(笑)。僕もコピーライターをやっている人間なので広告の仕組みはわかっているから、「“I am MUJI」じゃないけどね。「“I am MUJI」ってお前が言うなって話で、人から言われることじゃないような押しつけがいっぱいあることはわかっているから、いわゆる本当にその人が好きでこれがリアルなんだって追いかけていたものを後ろからビジネスが追い抜いて、「はい、これがトレンドですよ」って出してくる仕組みの権化がまさにアイドル・カルチャーだと思うんだよね。あそこまでオープンにフェイクなものを認める社会があって、それがいまの彷徨えるアイデンティティ的な現象のシミュレーションなんじゃないかって思うんだよね。

結局のところ、きゃりーぱみゅぱみゅが表現する自由っていうのは、「好きなものを買える自由だ」ってことを書いてるけど、昔から日本は消費するのは得意だけど生産(創造)することに関しては苦手という意見があるんですよ。

イアン:逆に音楽の世界では作るのが苦手というのは違うと思うな。少なくとも音楽業界においては、作っている人が大勢いて、買う人のほうが少ないですよね(笑)。作る人間が多すぎる! もっと聴いて!

そうだね(笑)。それは見かたの違いですね(笑)。

イアン:(『バンドやめようぜ!』を取り出しながら)そういうときにこれだよね。「バンドの数が多すぎるから、お前はやめろ!」っていうのもひとつの解釈だよね(笑)。でもこの「やめろ!」というのは決して命令ではなくて、逆にこっちから挑んでいる問いかけなんだよね。「やめるだけの勇気が君にはあるか?」ってね。

「やめられないだろ?」って意味だよね。

イアン:これを括弧のなかに入れるとみんなに言われている気がするよね。音楽だけじゃなくて社会においても「やめちゃえばいいじゃん」って声がどこからも聞こえてくる感じね。

最後の質問にしますね。影響を受けたライターを教えてください。

イアン:インタヴューでミュージシャンがよく影響を受けたバンドについて聞かれているじゃない? そこであんまりはっきり言わない人が多いことに「なんで言わないんだよ」って思っていたけど、結局コピーしていることがばれるのが嫌だってことだよね(笑)。いまそういう立場になってわかった(笑)。

はははは。

イアン:実は音楽批評はあまり読まないんだ。子どもの頃はよく『メロディ・メーカー』を読んでいたから自分のなかに入ってはいるんだろうけど。僕がとても若いころに影響を受けたのはダグラス・アダムスだね。彼はコメディを書く人だからおもしろい言い回しというか、わざと小難しい言葉を重ねて文章を構築する人なんだよね。モンティ・パイソンや70年代のコメディに通じるようなおもしろさの人だね。スチュワート・リーというコメディアンがいて、彼はスタンダップ・コメディもやるんだけど作家でもあって、ちょっと保守的な表現をする人なんだよね。そこからもけっこう影響を受けているんだろうな。書きかたについてもそうだし、「コメディとは?」というような本を書いているんだけど、彼のコメディ観みたいなものを音楽に当てはめて考えてもおもしろいなと思うような発想をくれるんだよね。もちろん書くことにも応用の効くような発想だったし、スチュワート・リーはアートの作りかたみたいなものの発想自体がすごくおもしろいんだ。日本語になっているものがあるかどうかはわからないけど、そもそもがスタンダップ・コメディアンということもあるからね。イギリスのコメディというのは作品が出回っているということでは狭い世界かもしれない。
 音楽の本で影響を受けたのは、Artemy Troitskyというロシアのジャーナリストが書いた『Back in the USSR:The True Story of Rock in Russia』(1988)。これはソヴィエトのロック史を彼自身の経験を織り込みながら絶妙に描いた本で、今回の執筆において大いに助けられました。

 

※ちなみに、「QUIT YOUR BAND!」の直訳は「バンドをやめろ!」で、原題は「CLAP YOUR HANDS」とか「KILL YOUR IDLE」など英文でよく使われる「●●YOUR●●」の言葉遊び。

Takehisa Kosugi - ele-king

 個と集団の即興、イヴェントとコンセプト、電子音楽からサウンド・インスタレーション――小杉武久の歩みをたどりなおすと1960年代以降の実験的な音楽の歴史がみえてくる。かたわらにいるのはケージやテュードアやマース・カニングハム、ナム・ジュン・パイクとフルクサスのながれがある一方でジム・オルークやボアダムスのヤマタカEYEら、ピチピチした音楽ファンにもおなじみの名前が登場するのも小杉武久の作品がくりかえし問題にされてきたゆえんである。その可能性はときを経るごとに古典的な風合いを帯びるどころかいよいよ存在感を増しつつある、ひとつには作品の射程の広さと深さにおいて、さらにそれが継起的につねに現在にありつづけることによって。たとえば《マノ・ダルマ,エレクトロニック》(1967 / 2015年)は数個の発信器とトランスミッターと受信機にあたるラジオを、間隔をあけて天井から紐で吊し扇風機の風をあてると場内の空気の状態で受信状態が変わるさまを聴くサウンド・インスタレーションであり、これはのちに《キャッチ・ウェーブ》へ発展していくことになるだろう。あるいはソーラーパネルを電源に電子音を発生させる多数のオブジェクを机の上に乗せ、ちかづく観客がオブジェの光を遮断すると音がかわる《ライト・ミュージックⅡ》(2015年)しかり、本展のサウンド・インスタレーションは視聴覚上の体感はむろんのこと観客の鑑賞が作品にかかわることで、観る(見る)こととつくることが共存するひらかれた作品でもある。小杉武久は音をながれるにまかせ、西欧的な形式はもとより、そこにこびりついたしつこい制度も洗いながそうとした。タージ・マハル旅行団はその結晶のひとつだがヒエラルキーがないからすばらしいのではない。音は囁いたり呟いたり飛び跳ねたかと思えば、寝転んでいる、即興という名称からして自由な、ところがじつはそうでもないこともすくなくない方法を小杉武久は60年代末から70年代にかけてすでに解放していた。その時代的な背景を述べるのは本稿の主旨ではないが本展に足を運べば、1938年に生まれたたぐいまれな音楽家の足跡を一望できるチャンスがある。

タージ・マハル旅行団 (1971 年)

 展覧会は5部構成。まずは「グループ・音楽から反音楽へ(1957~1965年)」(第1章)からはじまり、ついで「フルクサスからインターメディアへ(1965~1969年)」(第2章)さらに「タージ・マハル旅行団(1969~1976年)」(第3章)、「マース・カニングハム舞踊団(1976年~)」(第4章)と、時間軸に沿って記録写真、チラシやポスター、プログラムなどのアーカイブ資料で小杉の履歴を俯瞰する構成をとっている。上述の《マノ・ダルマ~》などは第5章「サウンド・インスタレーション(1963年~)」での展示だが、これだけ網羅的な記録が集まる機会はまたとないだろうし、会期中はトークや映像など(フルクサス的な意味じゃないほうの)イヴェントももりだくさんなので、関西圏はむろんのこと、それ以外のみなさんも、音楽のピクニック気分で足を運ばれるのをはげしくおすすめします。(松村正人)

小杉武久 音楽のピクニック

会場:兵庫県芦屋市立美術博物館
会期:2017年12月9日(土)~2018年2月12日(月・祝)
開館時間:午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(ただし1/8・2/12は開館、1/9は休館)、年末年始(12/28-1/4)
観覧料:一般800(640)円、大高生500(400)円、中学生以下無料(括弧内は20名以上の団体料金)
フリーパス:一般:1,200円/大高生:800円
※ご本人様に限り、会期中何度でも展覧会をご覧いただけるお得なパスポートです
高齢者(65歳以上)及び身体障がい者手帳、精神障がい者保健福祉手帳、療育手帳所有の方ならびにその介護の方は各当日料金の半額
※同時開催「昔のくらし」展の観覧料も含む
※観覧無料の日:2017年12月24日(日)、2018年1月8日(月・祝)

■関連イベント
1. トークショー
高橋悠治(作曲家・ピアニスト) 聞き手:川崎弘二(電子音楽研究)
日時=2017年12月23日(土・祝) 14:00~ *約1時間を予定
会場=講義室
定員=80名
参加費=無料(ただし要観覧券)
*要事前申込(締切12月7日(木))

2. 対談
小杉武久(音楽家) × 藤本由紀夫(アーティスト)
日時=2018年1月13日(土) 14:00~ *約1時間を予定
会場=講義室
定員=80名
参加費=無料(ただし要観覧券)
*要事前申込(締切12月25日(月))

3. 上映会
日時=2018年
1月27日(土) プログラム1「小杉武久 演奏記録」
1月28日(日) プログラム2「現代美術とのかかわり」
2月10日(土) プログラム3「PR映画・記録映画・科学映画」
2月11日(日) プログラム4「マース・カニングハム舞踊団」
いずれも13:30より(開場13:00~)
会場=講義室
定員=80名
参加費=無料(ただし要観覧券)
*申込み不要、直接会場へお越しください。
*上映予定作品は芦屋市立美術博物館の公式HPよりご確認ください

4. ギャラリー・トーク
日時=2017年12月16日(土)、2018年2月3日(土)
いずれも14:00~ *約1時間を予定
会場=展示室
参加費=無料(ただし要観覧券)
*申込み不要、直接会場へお越しください。

〈1、2の申込方法〉
往復はがきに参加希望者全員の氏名(2名までお申込可)、代表者の住所・電話番号と希望のイベント名を明記のうえ、芦屋市立美術博物館までお送りください。
【申し込み注意事項】
※お申込みは1つのイベントにつき1通、申込多数の場合は抽選。
※申込締切日の2~3日後に結果や参加方法をお知らせいたします。お知らせが届かない場合は、お手数ですがご連絡ください。




グループ・音楽 「即興音楽と音響オブジェのコンサート」 チラシ (1961 年)

SILENT POETS - ele-king

 サイレント・ポエッツとは、UKダブやアシッド・ジャズ、初期マッシヴ・アタックへのリアクションとして1992年に登場した下田法晴のプロジェクト。現在で言えば、ボノボやシネマティック・オーケストラにも繫がる折衷的ダウンテンポで、2017年のアルバムも良かったウィーンのトスカらのの欧州トリップホップとも通じている。が、その名の通り無口なこのプロジェクトは、クールなヴィジュアルやリミキサーのセレクト、そして硬派かつスタイリッシュな作風によって独自の世界を切り開き、90年代の日本クラブ・シーンにおいてひときわ輝いていたひとつ……なのである。それが12年ぶりにアルバムを出す。
 参加メンバーが「らしい」。5lackこだま和文ホーリー・クック、櫻木大悟(D.A.N.)などなど。素晴らしいです。
 発売は2月7日でタイトルは『dawn』。うーーーん、これは楽しみ!!
 ※ホーリー・クックをフィーチャーした先行7インチはすでに発売されているようです。
 

SILENT POETS
dawn

ANOTHER TRIP
発売日: 2018年2月7日(水)

収録曲:
東京 feat. 5lack [Extended DUB]
Eternal Life feat. NIPPS
Simple feat. 櫻木大悟 (D.A.N.)
Shine feat. Hollie Cook
Asylums for the feeling feat. Leila Adu
Division of the world feat. Addis Pablo
Non Stoppa feat. Miss Red
Rain feat. こだま和文
Distant Memory etc. (全12曲程度収録予定) 


SILENT POETS プロフィール

東京在住のDJ/プロデューサーである下田法晴のソロユニット。1992年のデビュー以来、長きに渡る活動を通じて、メランコリックでエモーショナルなDUBサウンドを育んできた。これまでにフランスのYellow Productions、ドイツの99 Records、USのAtlanticといったレーベルからアルバムがリリースされ、イビサ・チルアウトの歴史的名作『Cafe del Mar』をはじめ、世界各国の40作品を超えるコンピレーション・アルバムに楽曲が収録された。2013年に自身のレーベル、ANOTHER TRIPを設立。再構築DUBアルバム『Another Trip from the SUN』を発表し、エンジニアの渡辺省二郎とSILENT POETS LIVE DUB SETとしてリキッドルームなどでライヴを行った。ラッパーの5lackをフィーチャーしたNTTドコモ「Style’20」CMソング「東京」が2016 56th ACC CM FESTIVAL(現ACC TOKYO CREATIVE AWARDS) クラフト賞サウンドデザインを受賞。2017年、FUJI ROCK FESTIVAL出演を果たし、7インチシングル「SHINE feat. Hollie Cook」のリリースを皮切りに、デビュー25周年プロジェクトを始動。2018年、12年ぶりとなるオリジナルアルバムのリリースを予定している。

ハテナ・フランセ - ele-king

 みなさんボンジュール。前回のエレクトロニック・ミュージックに続いて、ここ数年フランス音楽市場の最重要ジャンルとなっているフレンチ・ヒップホップについてお話したく。
 日本にはほとんど入ってくることはないが、90年代初頭からラップはフランス音楽市場で重要な位置を占めてきた。第一世代にはポエティックなMCソラー、フランスのもっとも柄の悪い港町マルセイユのIAM(アイアム)、映画「憎しみ」で有名になったパリ郊外のゲットー、サン・ドニのNTM(エヌテーエム)などがいた。フレンチ・ヒップホップのフロウはもちろんフランス語。そしてスラングを多用しているのでフランス語圏から外に出ることは滅多にない。だが、最近ではStromae(ストロマエ)がイギリスやアメリカでも若干話題になり、コーチェラに出演したこともあった。Stromaeは厳密にはベルギー出身なのだが、フロウはフランス語だしフランス人にとってはベルギーはほぼほぼフランス。なのでStromaeはフレンチ・ヒップホップと認識されている。
 そのStromaeに続いて2017年にコーチェラにブッキングされたのがPNL(ペーネヌエル)。兄Ademo(アデモ)、弟N.O.S(ノス)からなるアラブ系の兄弟2人組は、パリ郊外のレ・タルトレというフランス有数のゲットー団地出身。2015年3月にファーストEP ”Que la famille”(ファミリー・オンリーの意)をリリースし、程なくイタリア・マフィア、カモッラの本拠地スカンピアで撮ったクリップ”Le Monde Ou Rien”を公開。
 

「天国へのエレベーターは故障中? じゃ、階段でヤク売るわ」とゲットーでのドラッグ・ディーラー生活を極端なオートチューンに乗せて歌い、タイトル通り「世界制覇かゼロか」と高らかに宣言。その言葉通りフランスはあっという間に制覇した。そしてコーチェラを足がかりにアメリカにも上陸せんと目論んだが、その野望は逮捕歴のある兄Ademoにヴィザが下りなかったことによりあっけなく頓挫した。PNLのトラブルはそれだけではない。2016年6月にはセカンド・アルバムから先行して発表されたトラック”Tchiki Tchiki”のMVが1ヶ月もしないうちにYoutubeから削除されたのだ。坂本龍一の”Merry Christmas Mr. Lawrence"をサンプリングしたこの曲のMVは日本で撮影された。だがサンプリングの権利処理をきちんとしていなかったようで、結局御蔵入りとなってしまった。日本で撮影する手間を惜しまないならクリアランスくらいちゃんとすればいいものを...。これらを不遜ゆえの不手際ととるのか、DIYゆえのリスクと取るのか。どちらにしろPNLへのフランスのオーディエンスによる支持は現時点では揺らいでいない。
 その点フレンチ・ヒップホップ界きっての男前Nekfeu(ネクフュ)は、ストリート感やDIY精神はありながらもチンピラ臭はぐっと低め。2007年ごろからS-crewと1995、そしてその2つが合体した13人の大所帯l'Entourage(ロントゥラージュ)といったヒップホップ・クルーで活動を開始。2014年には早くもl'Entourageでパリの殿堂オランピア劇場をソールド・アウトにする人気を博した。2015年にメジャー・レーベルから満を持してリリースしたソロ・アルバム『Feu』が30万枚のセールスを記録し、その年のフランス版グラミー賞、Victoire de la Musiqueを獲得。メジャーで契約しつつも、活動初期からS-crewの仲間とレーベルSeine Zoo Recordsを立ち上げレコーディングからMVの撮影まで自前でこなしている。Seine Zoo Recordsの仲間と勝手に日本に行ってMVを撮影したり、なぜかクリスタルKと一緒にレコーディングしたりするものだから、状況や背景がよく理解できないメジャー・レーベルの担当者はすっかり振り回されて参っているようだ。

 クリスタルKをフィーチャリングしたこの”Nekketsu(熱血)”はセカンド・アルバム『Cyborg』に収録されている。パパへのリスペクト、ママンへのアムールを歌い、自らをドラゴンボールの悟空にたとえ、神龍を呼び出そうと念じたりしている。そのドラゴンボールを始めとする少年漫画はNekfeuの重要なバックグラウンドといえるようだ。S-crewの”Fausse Note”では「東京喰種トーキョーグール」の金木研に扮して「歪んだ音こそビューティ。俺たちがスタンダードを変えてやる」と息巻いている。

 そんなラッパーらしい俺様アティテュードの一方、フランソワ・リュファンの立ち上げた政治運動「Nuit Debout(夜、立ち上がれ)」でゲリラ・ライヴを敢行するするなど政治的グッド・ボーイな面も持ち合わせている。9月にはフランス映画界の至宝カトリーヌ・ド ヌーヴと共に主演を張った映画「Tout nous sépare」も公開され、オーバーグラウンドでの活躍は増す一方だ。
 ドラゴンボールが歌詞の中に登場するのはNekfeuだけではない。”Makarena”が2017年夏のアンセムの1曲となったDamso(ダムソ)もその一人。

”Makarena”で浮気な彼女への恨みつらみをメロウに(でも下品に)歌っていたのとは一転、”#QuedusaalVie”では自分がいかにヘンタイ(フランス語でエロマンガのこと)でバビディ(ドラゴンボールの悪役)のように悪辣かを、フランス版Fワード゙満載で歌っている。Damsoのような超マッチョ系バッドボーイ(男尊女卑ゲス系とも言う)ラッパーは、男女を問わず中高生を中心としたフランス中のコドモたちに人気だ。12歳の女の子が学校に向かう道すがらDamsoを口ずさんでいるのを同じクラスの子が軽蔑の眼差しで見ていたりする。そんな両極端が共存しているのがフランスのヒップホップを巡る現状だ。
「はーい、今から基本的なこと言うよ。じゃないとお前らクソバカはわからないからね!」と、Damsoとは別のベクトルで振り切ったイントロで度肝を抜くのはOrelsan(オエルサン)。

 OLさんをそのままアルファベットにした奇妙なMCネーム(本人談だが真偽のほどは不明)を持つこのラッパーは、毒舌フロウとポップで先鋭的なビートで日本でいうとDotama的立ち位置というとわかりやすいだろうか。
「よく知らない人と子供作っちゃダメ。政治家が嘘つくのはそうしないとお前らが投票しないから。あ、あとイルカはレイプするからね、見た目に騙されないこと」。
 サード・アルバムの先行シングルとなった「Basique(基本)」は、その他のラッパーとは一線を画したクリエイティヴなMVも相まって大ヒット。新陳代謝の激しいフレンチ・ヒップホップ界において、35歳、6年ぶり、サード・アルバム、と重なるネガティヴ要素を物ともせず、『La fête est finie』はリリース1週間でプラチナ・アルバムに認定された。そんなフレンチ・ヒップホップ界のスター、Orelsanは「ワンパンマン」のサイタマ役声優をしたり、アルバム・ジャケットで忍者の格好をして満員電車に乗ってみたりと日本愛がダダ漏れの様子。彼の日本贔屓への好感度は別にしても、今回紹介した中でもっともフランス語がわからなくても楽しめるサウンドだろう。よければ一度チェックしてみてほしい。

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