「K A R Y Y N」と一致するもの

The Slits - ele-king

 高校に入学した年だ。『カット』のジャケを、実家の近所の輸入盤店の壁で初めて見たときに恐いと思った。そこには裸の、そして泥だらけの3人の女性がいる。アリ・アップはこちら側を見ている。裏ジャケの写真でもそうだ。向かって左下の彼女はこちらをしっかりと見ている。静かに、しかし力強い目で。それは下着姿のランナウェイズとも、男装するパティ・スミスとも、セクシーなデボラ・ハリーとも違う。それは彼女たちがアマゾネスめいた女戦士であることをほのめかすと同時に、あるいは男の、そう男のもっとも嫌らしい視線を嘲り、跳ね返す。
 デニス・ボーヴェルのプロデュースは、女性の音楽が"泣き"や"情緒"ばかりではないことを見事に証明し、パンキー・レゲエのスタイルを創造する。万引きを賞揚する"ショップリフティング"は買い物でしか自分を保てない女性たちへの否定であり、大らかな激励でもある。ディープなレゲエの"ニュータウン"は、都市の再開発に対するストレートな恐怖感を歌う。
 そして『カット』は、ザ・ポップ・グループの『Y』のたったひとつのパートナーだった。プロデューサーも同じで、そしてそのジャケの意味することも同じだった。ふたつのバンドはレゲエのダブを手に入れ、野蛮さを讃えた。
 ザ・スリッツは、セックス・ピストルズやザ・クラッシュができなかったことをやったパンク・バンドだった。女性たちによる最初のパンク・バンドだったし、それがある種のポーズではなく、本当に楽器が弾けないのに演奏してしまった最初のバンドのひとつでもあった。

 アリ・アップの訃報を教えてくれたのは2マッチ・クルーのポエム氏だった。そのメールを読んだのは、井の頭線に乗ってOTOさんに会うために渋谷に向かっている途中だった。OTOさんというのはもちろんじゃがたらのOTOさんであり、サヨコオトナラのOTOさんである。それはたんなる偶然であり、そこに因果関係など......あろうはずがない。アリ・アップはニュー・エイジ・ステッパーズでラスタの神秘主義に浸り、アニミズム的な世界観を展開した。そしてキングストンとニューヨークを往復して、まるでレディ・ソーのようなダンスホール・スタイルを手にした。電話で取材したときには、リアーナは最高だと言った。それから2007年の10月に来日してザ・スリッツとしてのライヴを披露している。"ティピカル・ガール"からはじまったそのときのライヴを、この先何度も思い出すだろう。決して忘れないように。

 彼女に会ったとき、愚かな僕は「あなたは僕のアイドルです」と言った。彼女は真っ直ぐに僕の目を見つめ「アイドルを否定したのが私たちなのよ」と言った。そして「korose sono ai de」と彼女は書いた。

 2009年はザ・スリッツとしては28年振りのサード・アルバム『トラップド・アニマル』を発表した。最初の曲"アスク・ママ"では、「男を生むのは私たち女、男のクソの面倒まで見れないけど、私たちで世界を変えよう」と歌った。"イシューズ"では幼児虐待について歌い、"ピアー・プレッシャー"で彼女は「女子学生のみんな、聞いて」と呼びかけ、外見を気にしながら生きる若い女の子の気持ちを歌った。そしてそのアルバムの"レゲエ・ジプシー"で、2010年10月20日に癌でこの世を去った偉大なる変革者はこう歌った。「アンダーグラウンド代表として地上にやって来た。歳月と涙を費やして恐怖に打ち勝つことを覚えた。私はパンク・レゲエの女王。健全な人間。悪意ではなく高尚な思想のもとにスリッツ宮殿を建てている。かみついたりしない。争わないで。私は放浪者のなかの放浪者。私たちは生き続ける」

interview with Avengers In Sci-Fi - ele-king

 ゼロ年代のダンスフロアのトレンドのひとつに「ロックで踊る」がある。2メニーDJsやエロール・アルカンらインディ・ロックとダンス・ミュージックのクロスオーヴァーを得意とするDJの活躍、そしてフロア・ユースフルな欧米のバンドたち―ーラプチャー、フランツ・フェルディナンド、クラクソンズなどーーの台頭がうながしたこの現象は、いまでは当たり前の光景となった。そのいっぽうで、ライヴハウスの現場におけるそれら海外のシーンと同調する形で生まれたインディ・パーティの多くは、ダンス・ミュージックに造詣が深いDJを招くなどして、そのクロスオーヴァーを試みた。その結果、ライヴ・バンドとDJの相互関係で独自のダンスフロアを形成するパーティもずいぶんと増えた。

 東京の新宿にあるライヴハウス〈MARZ〉を拠点とするマンスリー・パーティ〈FREE THROW〉は、レジデントである3人のDJをメインとしたパーティでありながら、月毎にゲスト・アクトとして若手のライヴ・バンドを招いて開催している。あまり知られていないことかもしれないが、いまをときめくテレフォンズやボゥディーズといったアイドル・バンドたちは、ここを拠点にして全国的な支持へと繋がっていった存在である。他にもミイラズやライトといったロック・バンドたちが多く出演するこのパーティでは、『ロッキングオン・ジャパン』や『ムジカ』などで特集されている日本のコマーシャルなバンドの曲から、『スヌーザー』でピックアップされている欧米のスノビッシュなインディ・バンドの曲まで洋邦/有名無名関係なく幅広くスピンされている。集まったオーディエンスは音楽的な隔たりを作ることなく、ダンスのステップを踏み、とても自由に楽しんでいる。こうした喜びに溢れたムードが、若手バンドのフックアップに繋がることはとても健康的に思える。そしてこのムードは、海外のインディ・シーンへの憧れを伴いながら、全国的なものへとなりつつある。


avengers in sci-fi / dynamo
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 今回の主人公は、その〈フリー・スロウ〉でも幾度となく演奏してきた3人組ロック・バンド、アヴェンジャーズ・イン・サイファイである。自らの音楽のコンセプトを「サイファイ・ミュージック」と名乗る彼らの、メジャーから初のフル・アルバムとなる『ダイナモ』がここに届けられた。
 このバンドは、コズミックなシンセサイザー、シューゲイジングなディストーション・ギターやフィードバック・ノイズを用いて、宇宙空間を遊泳するかのような、ファンタスティックなサウンドを特徴とする。そのダンサブルなビートからは、前述したロックとダンスのクロスオーヴァーからの影響が多分に感じられる。とはいえ、同じくダンサブルなロックを持ち味とする同世代のテレフォンズやサカナクションとはもちろん趣が違う......。アヴェンジャーズ・イン・サイファイの音楽には、よりドライヴ感の効いたパンキッシュなテイストもある。
 バンドのフロントマン、木幡太郎に訊いた。

クラクソンズは好きです。でも彼らは、ニュー・レイヴと括られてしまったことが損している部分ではありましたよね。だって、別に踊れないじゃないですか(笑)。それよりももっとフォーカスするべきなのは、フィジカルな部分よりも、あのホラーというかオカルトじみたゴシックSF的な世界観の部分で。メロディとかも新作は最高でしたね。

アヴェンジャーズ・イン・サイファイ印ともいえる、コズミックなサウンド・テクスチュアだったり、SFの世界を彷彿とさせる歌詞だったり、一貫した宇宙的な世界観というのはどういった経緯で生まれたのでしょうか?

木幡:物心ついた頃に『スター・ウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようなSF映画を観て、そこから影響されたというのが大きいですね。『2001年宇宙の旅』とか、有名どころの作品を観たり。ジミー・ペイジのリフのような、いかにも「ギターです」みたいな、人間の血の匂いがするものよりも、血の通っていない雰囲気みたいなのが自分のなかでのストライク・ゾーンになっていったんですよね。昔、エレクトロニカとか、アンダーワールドやケミカル・ブラザーズのようなロック寄りのエレクトロニック・ミュージックにすごい惹かれていたときがあって。そのあたりのアーティストたちの世界観はSFと繋がりやすいというか。そういった趣味がごちゃまぜになった結果です。

2008年にリリースされた2ndアルバム『サイエンス・ロック』あたりから、宇宙をモチーフにした曲名や歌詞など、コズミックなムードがよりいっそう強まっていった印象があったのですが、自分たちならではの表現方法やカラーを獲得したという実感や自信などはありましたか?

木幡:SF志向や宇宙志向といった方向性は最初期から一貫していたものだったので、いくつかのリリースを経て、何かを自分のなかで獲得していったという意識はとくにないです。表層の部分の変化ぐらいですね。

歌詞に登場する、"サテライト・ハート"や"インターステラ・ターボ・フライト"といった、まさにSF的といえる言葉の数々は非現実観を煽ります。そういった言葉を選ぶ理由というのは?

木幡:カタカナの言葉を使うというのは、単純にSFテイストを盛り上げたいというのもあるんですけど、日本語英語というか、意味があるんだかないんだか定かじゃない言葉のほうが強いと、僕は思っているんですね。いかにも意味ありげなことをちゃんと日本語で歌ってみたところで強さがないというか、頭に入ってこないというか。

たとえば今回のアルバムでいうと、具体的にどの言葉ですか?

木幡:「ミディ・マインド/ホモサピエンス・ブラッド」とかはそうですね。メロディとの共生関係というか、メロディの抑揚を殺さずに音の響きの気持ち良さを表現したいので。意味ありげなことを延々と語り聴かせることよりも、ハードコア・バンドのヴォーカルがデカイ声で叫んだ瞬間に伝わってくるもの、そういった感覚を重視している部分があります。何より音をキャッチしてもらうことが目的なので。もちろん、自分では言葉はすべて整理されていて、語呂合わせのために使っているというわけではなく、どれも意味のある言葉なんですけども。でも、その言葉の意味を100パーセント自分と同じ捉え方をしてもらうために、こと細かく伝えようとしたところで、逆にキャッチすらしてもらえないんじゃないかという感覚を持っているんですよね。

日本語の音楽の多くは意味を大切にしていますよね。カラオケ文化というのも、思いっ切り、歌詞に自己投影する為のものですし。自分たちは、意味を伝えるよりも、音楽をやっているんだという意識の方が強いですか?

木幡:そうですね。多くのJ-POPは、歌詞だけで完結してしまっているものが多いなと思っていて。歌詞を読めばたしかにストーリーはわかるんですけど、メロディをつける必要はないなと。それなら詩の朗読をすればいいし、音楽である必然性はない。

あいだみつをで十分という(笑)。

木幡:歌詞を完結させるためにメロディを犠牲にしてしまっている音楽を腐るほど聴いてきたし、「何の為に音楽があるんだ?」という疑問や反感はすごくありましたね。

自分たちは音と言葉のイントネーションで楽しめるものを作っていきたいと。

木幡:やっぱりそれはありますね。僕らの楽曲のメロディと歌詞は、J-POPといわれるもののそれと比較したときに、それぞれの単体での完結度は低いと思うんですけど、そのふたつを組み合わせたときに、初めて言葉の意味がしっかり見えてくるというか。そうすることで、人の想像力が介入する余地を残しておきたい。バンドを始めた当初から、そういったものを目指しています。

総じてSF的な言葉が印象的ではありますが、今回のアルバムだと、たとえば"キャラバン"という曲では、「生はイージー/無常でファスト」「死はイージー/途上でロスト」というラインがあったり、人の生命や所業は諸行無常だという世界観も描いていますよね。

木幡:今回のアルバムでは、自分たちがこれまでに表現してきた非現実的な世界のなかに、現実的な世界観も盛り込んでみたかったんですね。「生と死」や「愛」といった要素も意識的に取り入れてみたんですけど。聴く人が自己を投影する余地も作ってみたかったという。「宇宙」や「未来」といった言葉からは、何となく、あまり人間が存在している感じがしないんですけど、宇宙のなかで人間が生活している感覚というか、そういった世界観を今回は意識的に描いてみました。

ダフト・パンクは好きですか? 彼らには"ロボット・ロック"という曲があって、近未来では人間の血を感じさせないロボットこそが、純粋無垢を象徴するものに成り得ている、という世界観を描いていますよね。そういったイメージとちょっと近いものを感じたのですが。

木幡:ロボットが感情を持つというシチュエーションはすごく好きですね。映画で役者が涙を流している場面があったとして、そこに入り込めない自分がいたりするんですけど。ロボットに感情が宿るというシチュエーションは、逆にリアルに感情が伝わってくることがあります。

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もちろん、ロックが若者のあいだでヒップなカルチャーではなくなっている現状や、必ずしもロックが必要とされていない現状への危惧だったり、そういったフラストレーションはありますけど。でも、そういった意味合いよりも、わけのわからないパワーを彷彿とさせる言葉として捉えてもらいたい。

ダンサブルなロックを持ち味とする同世代のバンドとして、テレフォンズやサカナクションがいますよね。テレフォンズは「アイ・ラヴ・ディスコ!」というフレーズが象徴的ですが、とにかく「アゲる」という意味で、享楽的な世界観をアッパーに描いています。それと比べてサカナクションは、より繊細な表現を持ってして心象風景を叙情的に描いています。音楽的に彼らは近い存在だろうし、意識することもあると思うのですが、そういった同世代のバンドたちが並ぶなかで、自分たちはどういった表現をしていきたいですか?

木幡:もちろん、彼らのことは意識はしていますけど、本質的なところでいうと、いっしょかどうかはわからないですね。僕らの音楽はダンス・ミュージックではないと思っているので。ダンス・ミュージック由来の素材を使っているんですけど、もうちょっと料理の仕方がパンク・ロック的というか。エレクトロニック・ミュージックのアーティストたちって、あの機材で何をしているかというのがいい意味で可視化されづらいじゃないですか。そういった感覚で、僕らはプレイを見せるために存在しているというよりも、純粋に音楽として存在していたい。そうすれば自然と音楽の面にフォーカスされるというか。ロック・バンドというと、プレイの面が見え過ぎてしまって、音楽面がぼやけるというのは感じていたりしたので。テレフォンズやサカナクションがダンス・ミュージックの要素をどういった意味合いで取り入れているかまではわからないですけど、僕らはダンス・ミュージックのフィジカルな部分よりも、もうちょっとメンタルの部分というか、宇宙的な感覚だったり近未来的な感覚だったり、そういった部分に惹かれるところがあって。

なるほど。

木幡:なぜ自分たちがダンス・ミュージック由来のビートを使っているかというと、いま、現時点で、それがもっとも未来的なイメージを喚起させるのに最適だと考えているからです。例えば、ビートルズのドラムをサンプリングするよりも、ダフト・パンクのドラムをサンプリングする方が、音の響きとして未来を彷彿させられるじゃないですか。なので、必ずしも踊らせることを目的にそれをセレクトしているわけではないです。手段として咀嚼している感じです。

とくに大きな影響を受けたミュージシャンはいますか?

木幡:強いて挙げると、エイフェックス・ツインやスクエアプッシャー、ケミカル・ブラザーズあたりですかね。エイフェックス・ツインとスクエアプッシャーはエキセントリックな部分にフォーカスされがちですけど、メロディが綺麗な部分に惹かれます。ケミカル・ブラザーズは音楽的にはフィジカル過ぎてそれほど好きじゃなかったりするんですけど、あのモロにSFな世界観がドンピシャで好きだったりします。

バンドではなくて、打ち込みに専念しようと考えたことはありますか?

木幡:自分がエレクトロニック・ミュージックに没頭した時期に、そういったノウハウがあればやっていたかもしれませんけど、当時、単純に打ち込みやPCの知識が全然なかったんですよね。自分が手を出せるのはエフェクターやシンセサイザーぐらいだったので、バンドに活かしました。

日本人で共感を持てるミュージシャンはいますか? 抽象的な言葉を並べて風景を喚起させるという点において、手法的にはナンバー・ガールに近いとも思ったのですが。

木幡:音楽性はまったく違いますけど、ナンバー・ガールはすごい好きです。世界観がカッチリしていますよね。聴いていると、酔っぱらいが転がっている新宿が頭に浮かんできたり。

海外で共感を持てるミュージシャンはいますか? これもまた自分の推測ですが、SFファンタジーを描いているという点において、感覚的にはクラクソンズやレイト・オブ・ザ・ピアに近いとも思ったのですが。

木幡:クラクソンズは好きです。でも彼らは、ニュー・レイヴと括られてしまったことが損している部分ではありましたよね。だって、別に踊れないじゃないですか(笑)。それよりももっとフォーカスするべきなのは、フィジカルな部分よりも、あのホラーというかオカルトじみたゴシックSF的な世界観の部分で。メロディとかも新作は最高でしたね。

では、共感する部分は多かったと。

木幡:ニュー・レイヴ全般にいえることですけど、このムーヴメントって、言葉が先行していて、音楽的な共通点はほとんどなかったじゃないですか。でも、70~90年代の音楽をすべて包括しながら、レトロなテイストもありつつ、プロディジーやアタリ・ティーンエイジ・ライオット、プライマル・スクリームのような、デジタル志向の先鋭的なロックの要素もあったりして。そういった歴史の積み重ねを踏まえた上での、前向きな未来志向があるところに惹かれました。その前のニューウェイヴ・リヴァイヴァルは、個人的にあまり受け付けなかったんですよね。どれもギャング・オブ・フォー過ぎるというか。あまりにも焼き直し過ぎなところがあって。ラプチャーとか。

クラクソンズと比べられることはよくありますか?

木幡:ニュー・レイヴの日本版みたいに言われたこともありますけど、最初期から僕らの音楽を聴いてくれている人は、そういうことは言わないですね。

現在と初期を比べて、音楽性はそれほど変わっていない?

木幡:基本的には宇宙的な世界観はずっと自分たちのこだわりですけど、最初期はもうちょっと音楽的にドロドロしていました。妙にプログレやサイケに惹かれていた時期もあったので。ピンク・フロイドとか。でも、最初はそのジャンル名、「プログレッシヴ」や「サイケデリック」という言葉のインパクトにとにかく惹かれていたので、ピンク・フロイドが本当にいいなあと思いはじめたのは、実はけっこう最近だったりします。

アルバム終盤の"スペース・ステーション・ステュクス"では、そういった影響も滲み出ていますよね。一大スペース・ロック的な。

木幡:まさにそうです(笑)。

ピンク・フロイドはどの時期の作品が好きですか?

木幡:『原子心母』あたりから"クレイジー・ダイアモンド"までとか。『ザ・ウォール』も好きですけど。シド・バレットに関しては、ピンク・フロイドというよりも、彼は別物って感じなので。

曲はどうやって作っているんですか?

木幡:最初は僕が弾き語りで作ります。まず歌のメロディがあって、曲の方向性やリズムは大体こんな感じだというのを伝えて、そこから3人でセッションしながらアレンジの細部を詰めていくといった感じです。

エイフェックス・ツインにしてもピンク・フロイドにしても、スタジオのエンジニアリングの技術というのが大きいですけど、そういったレコーディングには興味はありますか?

木幡:もちろん興味はありますし、やってみたいとは思うんですけど、どうしてもひとりの作業が主になってしまうじゃないですか。エンジニアとのやり取りがメインになってしまったり。それよりも、大まかな方向性がぶれない限り、セッションから生まれる偶然の方が自分にも驚きを与えてくれるし、エキサイティングだと感じています。

『サージェント・ペパーズ~』や『ペット・サウンズ』のような、世界観を追求する為にスタジオ・ワークで作ってしまう作品にはあまり興味がない?

木幡:仕上がる音が大体想像出来てしまうんですよね。自分の予想を裏切る仕上がりでないと、120パーセントの満足感は得られないのではないかと思うんですよ。

バンドならではの意外性や、セッションしたときの偶然性に賭けたいと。その辺りもクラクソンズと近いかもしれないですよね。

木幡:そうですね。スタジオ・ワークによってバンドのフィジカル性が失われるのも嫌なので。宇宙的な世界観を追求したり、精神世界を表現する余りに、ドローンが延々と20分流れるものとかになってしまうと、自分が考えるロックの理想と離れてしまうので。自分たちの世界観を追求しつつ、フィジカルの強さも同時に追求していきたいというのが命題です。

ライヴ映像も拝見させて頂いたのですが、"ホモサピエンス・エクスペリエンス"という曲で、「セイヴ・アワー・ロック」という言葉を叫んでいるのが印象的でした。そのまま訳すと「自分たちのロックを守る」ですが、これはどういったメッセージなんでしょうか?

木幡:叫んだときに強く響く言葉だと思っていて。これはメッセージというよりも、何よりも言葉の強さからパワーを感じてもらいたい。もちろん、ロックが若者のあいだでヒップなカルチャーではなくなっている現状や、必ずしもロックが必要とされていない現状への危惧だったり、そういったフラストレーションはありますけど。でも、そういった意味合いよりも、わけのわからないパワーを彷彿とさせる言葉として捉えてもらいたい。自分にとってのロックの理想は、わけのわからないパワーを感じさせるものなので。

Narki Brillans - ele-king

 ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの再発を2枚。

 その前にギュンター・シッカートが75年にリリースしたファースト・ソロがこれまで〈メトロノーム〉から復刻されていたものをイタリアのワウ・ワウがオリジナル・ジャケットで再-再発。どっちが先なのか知らないけれど、同時期にマニュエル・ゲッチングが『インヴェンションズ・フォー・エレクトリック・ギター』で試みていたミニマリズムを荒削りなアプローチで変奏しているようで、ソニック・ユースがマニュエル・ゲッチングをカヴァーしているようなトリップ・スケールは、ダイナミックでありながらヒプノティックな感性も損なわず、複数の情報を同時に処理できるようになった現在のリスナーのほうが楽しめるのでは。もしもダメンバルトが『インプレッショネン』を録音した当時(71年)、その音源をすぐにリリースしていたらアシュ・ラ・テンペルは確実に方向性を変えていたとかなんとかいわれているのに対し(そうだったかもしれないし、あまりにノイバウテンなどの感覚を先取りし過ぎていて、結局はスルーされたかもしれないけれど)、同じ時間軸に存在しながらも『ザムトヴォーゲル』はゲッチングらに影響を与えなかったことが、むしろ、この結果につながっているともいえる。

 また、『ザムトヴォーゲル』の冒頭を飾る比較的短めの"アプリコット・ブランディ"は早くもノイエ・ドイッチェ・ヴェレを先取りしているようなところがあり(偶然だろうなー)、次の世代への橋渡しもせずに消えた人だという印象を強めるところもある。ミッシング・リンクとしては実に興味深い存在だろう。

 同じように、この春に初めてコンパイルされた〈ククク〉(というレーベル)の『クラウド・ククランド』は、これまで同レーベルからはドイターやエバハルト・シェーナーといったアンビエント系のヴェテランばかりが名を残していたので、アトモスフェリックな音楽の総本山のようなものかと思っていたんだけれど、まったくそんなことはなくて、ジミ・ヘンドリクスばりのサイケデリック・コピーからノイエ・ドイッチェ・ヴェレへの助走段階まであらゆるフォーマットが多岐に渡って並べられ、音資料としてはなかなか貴重なものになった。ファインダー・キーパーズからはサム・スペンス『サウンズ』も同時に復刻されている。

 さて、本題。
「81年」にカセットのみのリリースだったというナーキ・ブリラン『ゴーズ・イントゥ・オーボ...』が初めてアナログ化(つーか、CD化されたことはない)。コンテンポラリーばかりをリリースしてきたイタリアの〈アルガ・マーゲン〉が新たに設立したサブ・レーベルの第1弾としてリリースされ(確かに親レーベルからは出せない音です)、数あるノイエ・ドイッチェ・ヴェレのなかでもここまでヒネくれたものもそうはない。のっけっからパレ・シャブールがトリオと合体したような曲の洪水で、さらには現代音楽に通じる感性も呑みこみつつ、すべてをナンセンスという共通項によって押し進めていく。この当時にしてはベースも深々と響き、鼻声のヴォーカルも含めて典型的ともいえるパターンでも(いまごろ聴くからかもしれないけれど)どこか新鮮。楽しいのか悲しいのか感情のコードがまったく読めないのも飽きない要因のひとつかも。奇妙なSEに覆われたサーフ・ミュージックやエンディングはどう説明していいのかさっぱりわからないし、ほんとアイディアが尽きない。よくぞ復刻してくれました。ジャケットも良すぎ(リイッシュー・オブ・ジ・イアーはこれに変更でしょう)。

 80年代前半に4枚のアルバムを残したE.M.A.K.のコンピレイションは、ドイツ国内のクラフトワーク・フォロワーとして、これも当時はありがちだった情緒過多をなるべく回避してこれもラブリーなスタイルを作り出している。すでにヒューマン・リーグやOMDなどイギリスからのリアクションにも影響を受けているらしく、その辺りも吸収しつつ、それをまたドイツのフィールドに戻しているところが興味を引くところ。とはいえ、こちらはロートルのみに推薦。若い人は砂原まりんゴールド・パンダを聴こー。

interview with Mitsuru Tabata - ele-king

 ボアダムス、ゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル......いずれも日本国内にとどまらず世界的な規模で活動しているバンドであり、欧米で高く評価されているバンドだ。そしてこの3バンドにはひとつの共通点がある。それが、今回紹介する田畑満というギタリストである。ボアダムスのオリジナル・メンバーであり、現在もゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノに在籍、それ以外にも数限りないバンド/ユニットに参加して毎日のように世界のどこかで演奏している。

 まずは彼のプロフィールを紹介しよう。80年代前半にレゲエ・バンド「蛹」でデビュー。「関西ノー・ウェイヴ」などと呼ばれ盛り上がりを見せていたポスト・パンク/ニューウェイヴ・シーンの影響を浴びながら、和風ニューウェイヴとでも言うべき奇異なバンド「のいづんずり」に参加、ほぼ時を同じくして当時ハナタラシでの活動悪名高かった山塚アイとボアダムスを結成。

 ボアダムス脱退・のいづんずり解散の後、K.K.NULL率いるプログレッシヴ・ヘヴィ・ロック・バンド、ゼニゲバのリード・ギタリストとしてワールドワイドな活躍を開始。デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラによるレーベル〈Alternative Tentacles〉より数々のアルバムをリリースする。ベースレスのトリオというコンパクトな編成ながら、その緻密かつパワフルなアンサンブルはどんなメタル・バンドにも負けない鋼のようなサウンドだ。


タバタミツル
ルシファー

map / Compare Notes Records

Amazon

 00年代に入ると参加バンド、ユニットの数は加速度的に増殖する。河端一率いる"魂の共同体"アシッド・マザーズ・テンプル関連バンドのひとつ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノでベーシストとしてデビュー。レニングラード・ブルース・マシーンは自身のリーダー・バンドであり、幾多のメンバーチェンジがありつつも現在に至るまでもっとも長く続いているジャム・バンドだ。酔いどれブルース・シンガー/ギタリスト、スズキジュンゾとのデュオ、 20ギルダーズ(20 Guilders)はエレキ・ギターの弾き語りによる歌もので、レニングラードでも垣間見せていた歌心がじっくり味わえる。関西パンクの伝説ウルトラビデのヒデ率いるアマゾン・サリヴァ(Amazon Saliva)はボガルタの砂十島Naniをドラムに迎え強力なテンションで突っ走るスーパー・パンク・バンド。「Pagtas」ではポップながらも奇妙にギクシャクしたリズムをベーシストとして支えている。その他にも個性豊かなさまざまなバンドが活動中であり、その数は依然として増え続けているようだ。
 また、ヨーロッパをはじめとした多くの国のレーベルからリリースされているソロ作品の数々は逆回転や回転数の操作など多様な音響実験の施された、世界に類を見ない奇妙なサイケデリック・インストゥルメンタル・ミュージックを聴くことができる。残念ながら国内ではあまり流通していないようなので、本人のオンライン・ショップをチェックすることをおすすめする。(https://tabata.cart.fc2.com/

 今年7月に渋谷のO-Nestで開催された高円寺円盤主催のフェスティヴァル「円盤ジャンボリー」の初日には「タバタミツル SPECIAL」と称してソロを含めた6バンド/ユニットでの大特集が組まれるなど、アンダーグラウンド・シーンにおけるその信頼と愛され方は既に揺ぎ無いものがある。そんな田畑満という人物の魅力の一端を伝えることができれば幸いだ。

変なところでいっぱいやってますよ。オハイオ州のコロンバスにランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。

ご出身は京都なんですよね。

田畑:京都です。京都府立鴨沂高校中退。同じ軽音部の先輩にピアノのリクオさんがいて。彼が部長でした。

最初の本格的なバンド(蛹)はレゲエバンドだったということですが、軽音楽部で結成したんですか。

田畑:同じ軽音楽部だった小学生からの友人と、学外の人間と結成しました。ベースは『ミュージック・ライフ』で募集しましたね。最初は女の子でしたが、途中から細井尚登さん(壁画家、チルドレン・クーデター)に代わりました。当時ポニーキャニオンが日本のレゲエ・バンドのコンピを出すって言うので、デモテープを送ったら受かって。六本木のS-KENスタジオで録音したんです。中間試験の真っ最中で、それで落第して(笑)。めんどくさくなって中退しました。

軽音部時代はどんな音楽を?

田畑:いやあ......INUのコピーとか(笑)。あとピンク・フロイドとか。

INUとピンク・フロイドじゃだいぶ違いますけど(笑)。

田畑:まあ軽音バンドってメンバーがやりたい曲を1曲ずつ持ち寄ったらたいてい無茶苦茶になるから。

INUに関しては、同じ関西っていう意識はあったんですか?

田畑:まあそうですね。当時どらっぐすとぅあっていうお店が京都にあって、ライヴ・テープがたくさんあったんで聴いてました。当時SSがいちばん好きでしたね。

じゃあウルトラビデなんかもその頃から見てたんですか?

田畑:知ってましたけど、ちょっと高校生にとっては理解を超えてて(笑)。『ドッキリレコード』(INU、ウルトラビデ、変身キリン、チャイニーズ・クラブの4バンド収録のコンピレーション・アルバム)でしか聴いたことなかったんですよ。その他の音源は聴いたことなかったから。EP-4はよく行きましたね。蛹のデビュー・ライヴか何かの時に佐藤薫さんがおめでとうとか言って一升瓶を差し入れしてくれました。高校生やのに(笑)。

S-KENスタジオで録音したものっていうのは、世に出てるんですか?

田畑:『JAPAN REGGAE CRUSH』っていうコンピで。ほかにP.J & Cool Runningsとか。

その後の活動を見てると田畑さんとレゲエってあまり結びつかないんですけど、当時はレゲエがお好きだったんですか?

田畑:ギターが簡単じゃないですか(笑)。ギターが弾けるようになる前にバンドを組んだから。楽器買う前にバンドはじめてたんで。

じゃあできないものを引いていくと残ったのがレゲエだったと。

田畑:あとディレイ。

ダブですね(笑)。

田畑:あ、そうですね(笑)。

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裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。

音源が出た後もある程度は活動されてたんですか?

田畑:すぐ終わっちゃいましたね。ベースの細井くんが辞めて、ドラムの子が進学するって言って。それで解散しました。

高校生バンドっぽい終わり方ですね。それが82、3年。その後はのいづんずりですが、誘われて入った感じですか?

田畑:いや、その前にSSでベースを弾いていた竹野さんがやっていた「アイ・ラヴ・マリー」というバンドでギターを弾いていました。あれは一発でクビになったんかな? そして「セッティング一発」。ニプリッツでギターをやってるジンさんがいまでもやってるダストってバンドがあって、そこのヴォーカルのタチメさんがやっていたバンド。そこにちょっと入ってて、その後のいづんずりに入った理由はわからないですね。志願したのかな。

音楽性は田畑さんが入る前からある程度固まってたんでしょうか。

田畑:もともとまあ、ニューウェイヴですよね。不気味な(笑)。その前にいたのが東京でカメラマンをやっている方で、わざわざ京都まで来てやってたから、その方と交代というか......最初はふたりともいたのかな、録音には。ライヴ活動は僕がひとりでギター弾いてたんですけど。

アルバムには戸川純さんも参加されてるじゃないですか。割とポップ・シーンに近いバンドだったわけですよね。

田畑:あれは何ででしょうね。リーダーの福田研さんの知り合いだったみたいですけど。ライヴもやったりしましたね、ライヴ・インとかで。レコ発だったのかな。そのときに限ってお客さんがいっぱい来て(笑)。ギャラも結構な額がもらえたから、そんなの若いもんに与えたらねえ。帰る頃にはもう一銭もなくなってましたけど。六本木とかで無茶苦茶やって(笑)。レッドシューズってお店に行ったり。

ヴォーカルのインドリ・イガミさんは結構強烈なキャラの方だったそうですが、結局クビみたいな形になるんですかね。

田畑:そうですね、最後は京都芸術大学で少年ナイフとかの出たコンサートがあって、その日にクビになりました。学祭って模擬店というかお店がいっぱい出るじゃないですか。それで早い時間から飲みすぎでほとんど歌が歌えないような状態やったんで、みんな怒って。

当時の関西ってEP-4がいたりINUがいたりして、ニューウェイヴで個性的で魅力的なバンドが多かったですよね。やっぱりそういう環境みたいなものには影響されてましたか?

田畑:そうでしょうね。聴いてる音楽は違いましたけど。高校生のときに京都にDee Beesっていうお店があったけど、あんま行かなかったですね。

当時は京大とか、大学でも東京のニューウェイヴバンドを招聘してやったりしてましたけど、あんまりそういうのは行ってないですか?

田畑:いや、それは行ってますね。お店系に行かなかっただけで。あの頃の京都ってだいたい3つの大きいグループに分かれてたんですよ。EP-4とかのスタック・オリエンテーション。あとは西部講堂のビートクレイジーですよね。コンチネンタル・キッズとか。それと僕らは「服屋系」って呼んでた人たちがいたんですけど。ノンカテリアンズっていう、ノーコメンツにいた人たちが作ったバンドで。あとHIP-SEE-KID(ハープシコード)って、モンド・グロッソの大沢伸一さんがいたバンド。それはお洒落な人たちで、だいたい服屋でバイトしてたから「服屋系」(笑)。だいたい大きくその3つの流れがありました。

のいづずりというか、田畑さんはそのなかではどちらに?

田畑:のいづんずりのファーストLPは〈テレグラフ〉からリリースされたんですけど、EP-4の佐藤薫さんがプロデュースする話もあったりしたから、その周辺ということになるんでしょうね。個人的に良く遊びに行ってたのはビートクレイジーでしたけど。

当時もっともよく覚えてるライヴってありますか? 衝撃を受けたライヴとか。

田畑:裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。終わった後に駐車場のところに水谷孝さんが立ってて、駆け寄って「おつかれさまです!」とか言ったら「煙草持ってる?」って言われて、ピースを差し出して。「何かバンドやってるの?」って言われたんだけど、そのときなぜかボブ・マーリーか何かのTシャツを着てて(笑)。で、「レゲエ・バンドやってるんですわ」って言ったら「あ、そう」みたいな、それはよく覚えてます(笑)。あの頃でいちばん印象に残ったライヴっていったらそれですねえ。わけわからんかったですけど。事前情報も何もなくて、謎のバンドが来るみたいな。

7時から3時までって言ったら8時間ですよね。

田畑:それも何か曖昧な......あっと言う間に過ぎたのか。途中で1回寝てるんですけど(笑)。他にはINUの町田さんがアーント・サリーのビッケさんとやりだした「ふな」ってバンドがいて。あれはすごく印象に残ってます。

キャプテン・ビーフハートみたいなことやってましたよね。

田畑:ちょっとレゲエも入ったりしてて。

あれはすぐ終わっちゃいましたよね。音源とかも出さないで。

田畑:最後のライヴはメンバーが全員いなくなって、ひとりで出たっていうのがありました。経緯を覚えてないんですけど、そのあとで大阪の町田町蔵さんの家まで遊びに行ったことがありますね。停電になったか何かでアルコール・ランプで火をつけようって言って、でもアルコールがなかったからライターのガス入れたらどうやって。やってみたら爆発して眉毛が焦げたっていう(笑)。その後はもう全然会ってないですね。うちの実家に来たこともあったんですけど。何かサンマの頭も食べたはったのは覚えてますね。たんについて回ってただけなんでしょうけどね。子供が兄貴分みたいなのについていくっていう。僕がそのとき17とかだから、向こうも21とかじゃないですか。

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木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。


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ハナタラシはボアダムスをやる前から見てたんですか?

田畑:のいづんずりのライヴで知り合ったのかな。あ、ノイバウテンのライヴがあって、そのときにアマリリスのアリス・セイラーさんから紹介してもらったのか。アマリリスのライヴが血糊とか使ったホラーショウみたいな演出になってて、そこに山塚アイさんが出てたんですよ。これまた経緯が前後しててよく覚えてないんですけど、いっしょのアパートに住んでたんです。京都に安田荘っていうアパートがあって、そこに間借りしたりしてた。ハナタラシがサイキックTVの前座をやったときに爆弾を持ち込んだ事件のときも、僕はその日バイトで、スタッフも同じアパートやったから「まあ頑張ってきてやー」って送り出した覚えがある(笑)。それで夜中に帰ってくる音がして、「アカンかったわー」とか言って。

すごいですね(笑)。同じ部屋に住んでたんですか?

田畑:いや部屋は一応バラバラでトイレは共同でしたけど。いまでもあるんですよ、そのアパート。木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。......アイちゃんもずっと会ってないな。

いっしょに音楽を作ろうってなっていくわけですよね

田畑:とりあえずハナタラシがライヴできないからバンドをやりたいって言ってて。どこも出入り禁止だったから。最初はバズコックスみたいなバンドっをやろうてことで、ボアダムスって名前もバズコックスの曲名から取ったんですよ。メンバーは身近なところで、竹谷郁夫さん(元ハナタラシ、現在はヴァーミリオン・サンズのリーダー)がドラムで、細井尚登さんがベース。でもアイちゃんが持ってくる曲はバズコッコスとは全然違うんですよ。ブラック・サバスみたいなのとか。デビュー・ライヴは映像があるはずなんですよね。こないだハイライズがDVDを出したんですけど、そのときのライヴが入ってたので。デビュー・ライヴはハイライズとオフマスク00が対バンでエッグプラントでやったんです。どんな曲やってたかな。バットホール・サーファーズのコピーとか、あとはブラック・サバスみたいな曲。

山塚さんが曲を持ってくるような感じだったんですか

田畑:そうだったと思うんですけど、うーん......よく覚えてないな。何かもうワケわからんことをやってて、みんなもたぶんわかってなかったと思うんですけど(笑)。

ファースト・シングルの「Anal By Anal」はふたりで録音したんですよね。

田畑:そうです。アイちゃんのアパートで。

同じアパートですか?

田畑:いや、それもよく覚えてないんですけど、そのときはもういなかったんですよ、安田荘には。八尾にアパートを借りて住んでて。ひょっとしたら両方に住んでたのかな。八尾まで行って録音したんですよ。何を録ろうかって喫茶店で相談して、焼き飯を食って。その焼き飯がめちゃ旨かった(笑)。それで録音は村上ポンタさんのドラム教習ヴィデオに音を被せて、歌は後で入れとくわとか言ったのかな。それで帰りにいっしょに駅に行く途中に曲名を考えてて、ずっと「アナルなんとか」って、アナルアナル言うてたのはよく覚えてる。

その頃から曲名にこだわってたんですね。

田畑:そうですよ。そういうノート見たことがある。「アル&ナイナイズ」とか(笑)。

バンド名をいっぱい考えるのが好きみたいな話はよくしてましたよね。

田畑:その前にたしか〈トランス・レコード〉のコンピに参加してるんですよ。そのときは一応録ろうって言ってスタジオで全員で録音したんですけど、使われたのは最後の五秒くらいで。前半はずっとアイちゃんがひとりでやってるノイズみたいなので、何でそうなったのかわからない(笑)。

その頃からそういう、素材を後からいじり回すような感じだったんですね。それはのいづんずりと並行してやってた感じなんですよね。ボアダムスでもライヴは結構やったんですか、そのメンバーで。

田畑:10回以上はやってますかね。まあだんだん客は減ってくる(笑)。途中から吉川豊人くんがドラムになって、その経緯もよくわからないですけど。しばらくしたら細井くんも辞めてベースがヒラくんになって。ヒラくんが入ってからは吉川くんの家で練習するようになりましたね。けっこう大きい家だったんで。集まりが悪いんですよ。それで遅刻したら罰金ってことにして、30分千円とかにしたらピタっとくるようになったんですけど(笑)。それで何回かライヴをやりましたね。

ボアダムスを辞めたのは?

田畑:のいづんずりのメンバーからセカンド・アルバムを出すって話が来て、そのときに「お前、ボアダムスとのいづんずり、どっちを選ぶねん」みたいな掛け持ちに対する圧力があったんですよ(笑)。ウルトラビデのヒデさんとアマゾン・サリヴァを結成したときにその話をしたんですよ。ヒデさんはニューヨークに行ってたから事情を知らないんで。それで「僕ボアダムスにいたんですよ」「ほんま!?」「あのときボアダムスとのいづんずりどっちを選ぶって言われてのいづんずりを選んだんです」って言うたら、「それ人生最大のミステイクちゃうの」って(爆笑)。でもたぶん、俺があのままいたらボアダムスは存在してないですよ。ギターが山本精一さんに変わって、ヨシミちゃんが入ってバッチリ形になった感じがする。

それで、のいづんずり一本でいこうって決めてからは。

田畑:それがその後すぐにイガミさんがクビになった事件っていうのがあって(笑)、宙ぶらりんになった。ベースの福田研さんがボーカルをやるからって言って、ベースを入れたような気もするんだけど全然印象にないんですよ。インパクトが薄れてて。何回かライヴもやってるはずなんですけど。そのうち東京に行くとか言い出したんで、「俺は行かないから辞めるわ」って。イガミさんがインドリイガミ&ワイルド・ターキーっていうのをやってて、もう分裂状態。たしか僕は一時期両方やってたんちゃうかな。それで両方やるとはどういうことだってまた責められた記憶が(笑)。

当時はちょうどバンド・ブームとかインディーズ・ブームがあったじゃないですか。『宝島』あたりの。ああいうのはどういうふうに思ってましたか?

田畑:いやもう、載ったらモテるかなと(笑)。でも自分が載ったときは白塗りで阪神タイガースのユニホームを着てて、これじゃあかんやろっていう(笑)。もうちょっと見栄えのいいバンドに入ったらよかった。でも読んでましたね、時々は。『宝島』とか『フールズメイト』とか。ただ、雑誌がレーベルやるってどうなのかなって思った覚えがある。悪く書けないじゃないですか。

じゃあボアダムスも辞めてのいづんずりも失速していったと。

田畑:その頃何やってたんでしょうね。

レニングラード(LENINGRAD BLUES MACHINE)ってその頃からですよね

田畑:あ、そうですね。ベースが林直人くんって、アウシュヴィッツ(AUSCHWITZ)の林さんとは同姓同名なんです。ドラムが山崎くんっていう。いまはオショーと呼ばれたはるみたいですが、ユニ(UNI)っていうふたり組のバンドをやってます。ドラムと打ち込みの四つ打ちで、すごい人気あるらしいけど世界が全然違うんでまったくわからない(笑)。その3人でやってました。

レニングラードはメンバーを変えながらずっとやってる感じですけど、原型はこの時期に出来てたんですかね。

田畑:その後、僕がいない時期があったんですよ。

ああ、リズム隊のふたりでやってた時期が。そのときって田畑さんはハカイダーズっていうのやってましたよね。

田畑:あー、やってましたね! あれは東京出てきてからちゃうかな。

あ、じゃあもうゼニゲバに入った後ですね。

田畑:そうですね。ゼニゲバは竹谷さんがドラムだったので、関西でやってたんですよ。

ゼニゲバにはどういう経緯で入ったんですか?

田畑:NULLさんから電話があって、やってみようかなという話になったんですよ。それで何回かライヴをやった後に、『Maximum Love & Fuck』というLPをリリースしました。そして竹谷さんが辞めたあとで、吉田達也さんが加入して暫く叩いてました。今のメンバーですね。それでゼニゲバで東京に行くことになって。

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東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。

東京へ出てきた理由は何なんですか?

田畑:当時CBGBってライヴ・ハウスに勤めてて、その上に住んでたんですよ。そこの店長が何と言うか難儀な人で。俺このまま一生ここにいるんやろかって思って。

それで心機一転というか。

田畑:そうですね、環境を変えたかった。

新しいバンドで環境も一新して。関西の人が東京に出てくるときってそれなりに決意とかがあるじゃないですか。

田畑:いないですよ、実際あんまり。俺が知ってる人だと芳垣安洋さんとか向井千恵さんくらいですよね、関西生まれでいまもこっちに住んでる人は。東京に来なくてもできるじゃないですか。東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。アメリカに初めて行った頃には。

ディスクユニオンで働いてたのはゼニゲバで出て来てすぐですか?

田畑:国立で働いてたときに、駅のそばに国立店があったんですよ。それで前をいつも通ってて、肉体労働がキツくなってきた頃に募集してたから。

じゃあ最初から新宿店ではなかったんですか。

田畑:じゃなかったんですけど、そのうちに新宿店から来いよって言われて異動して。

やっぱりレコードに詳しいっていうのがあったんですか。たしかその頃ディスクユニオンのフリーペーパーがあってサイケのマイナー盤を紹介するような連載をやってましたよね。レコードマニアだったのかなと思ってたんですけど。

田畑:いや、あそこにいると詳しくなるんですよ。西口にヴィニールってレコード屋があるじゃないですか。昼休みになると走ってあそこにレコード買いに行ってて。レコード買いすぎて金銭感覚がおかしくなってきて「○○のオリジナルを2万5千円で見つけたよ!」「安いですね!」とか言って。2万5千円のLPのどこが安いねんっていまは思うけど、その頃は真剣に「安いですね」って言ってた(笑)。全部売りましたけどね(笑)。

ゼニゲバは海外ツアーを精力的にやってますけど、最初から海外を視野に入れてやろうっていうのはあったんですか?

田畑:いや、そんなことは全然ないと思います。最初NULLさんがソロで呼ばれて、その後バンドもってことになって。『全体去勢』ってアルバムのレコーディングをシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでやったんですよ。スティーヴ・アルビニのスタジオはいまは「エレクトリカル・オーディオ」って言ってますけど、その頃は普通の民家の地下にあって、トイレが流れる音がすると録音に入っちゃうようなとこでしたね。当時は8チャンネルで。アルバムのレコーディングを5日くらいでやって、録り終わったら初ライヴがあって、対バンがバストロやったんです。

ああ、じゃあ今日のTシャツはそのときに。

田畑:そのときもらったやつです。そのときはXLでブカブカやってんけど(笑)。

アメリカでライヴをした体験は、その後どのようにフィードバックされましたか?

田畑:ほんまに人気あったんやって思いましたね(笑)。アメリカに行く前はお客さんも少なくて、〈トランス・レコード〉周辺なんかのシーンも終わりかけてた頃で。そんな時期に向こうに行ったら、日本の音楽っていうのがこんなに求められてるのかって。その頃からボアダムスとかもみんな知ってましたね。ボアも行く前やったんですけど。それが91年。

日本ではいわゆるバンド・ブームが終わった頃ですね。

田畑:呼んでくれた人の家がマディソンってところにあって、小さい街だったんですけど、そこでライヴをやったりしてて。そこに行ったら対バンがメルヴィンズやったんです。当時は全然知らなくて、そのときに知り合いになったんですけど。その後はNULLさんがツテがあったからサンフランシスコに行って。

ほぁ。

田畑:ペイン・ティーンズが知り合いで、シスコでいっしょにやったんですが、最初に出たのがニューロシス(NEUROSIS)やったんですよ。まだみんな20歳とかで。そのときにジェロ・ビアフラが来てて、うちから出さないかって話になって。

どういう人でした、ビアフラは。

田畑:いや、よくしゃべる親爺やなって(笑)。そのときに録った『全体去勢』ってアルバムは、マディソンの人がやってた〈パブリック・バス(Public Bath)〉ってところから出たんですよ。〈パブリック・バス〉っていうのは日本のバンドをアメリカに紹介するレーベルで。最初にそこから出して、その次からがビアフラの〈オルタナティヴ・テンタクルス〉で。

93年の『苦痛志向』ですね。その前にNULLさんのレーベルから『内破』(92年)が出てますけど、これも録音はアルビニですね。

田畑:そうです。その時から2ヶ月とかツアーするようになって。わけわからへんですよ、2ヶ月も回ってると。最初は全然英語しゃべれへんかったんですけど、しゃべれるようになったからねえ。

じゃあもうそういうツアー生活っていうのも20年近いんですね。アメリカのバンドは、ほんとに小さいところまでツアーを回りますよね。

田畑:変なところでいっぱいやってますよ。ランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。オハイオ州のコロンバスってところで。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。あとゲームセンターね。日を空けたらあかんので、移動の距離が開いてるときは間に無理矢理ライヴを入れたりするんですよ、ゲームセンターでオールエイジ・ショーとか。やらないよりマシやから。最後のほうはここがどこだかわからなくなってきますね。

ゼニゲバって日本のバンドで長い海外ツアーをやるっていうスタイルの先駆けに近かったんじゃないかと思うんですよ。

田畑:どうなんでしょうね。いまだったらメルト・バナナがすごいやってますけど。

そうですね。メルト・バナナもやっぱりゼニゲバの影響はあったんじゃないですか。

田畑:NULLさんが最初にメルト・バナナのアルバムをリリースして、そのときから海外ツアーをはじめたんじゃないかと思います。

91年ならスティーヴ・アルビニってもうかなりのビッグ・ネームでしたよね。

田畑:そうなんでしょうけど、あまりそういう感じを与えない人ですよ。日本にも呼んだりしましたね。シェラックとか。あ、シェラックの前にひとりで呼んだのか。ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニで。あのときは初めての日本だったんですけど、ツアーするバンドと違ってひとりで来るから、着いていきなり日常に放り込まれて。大学の寮に泊まってました。

ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニでライヴ・アルバムが出てますね。『内破』の録音もそのときで。ゼニゲバのヨーロッパ・ツアーはどういういきさつで行くことになったんですか?

田畑:〈サザン・レコーズ〉っていう〈オルタナティヴ・テンタクルス〉の支社があって、ヨーロッパでのディストリビュートもやってるところで。結構もう確立されてたんですね。いろんなバンドが使うバンを貸す会社みたいなのもあった。93年くらいで。そのときのツアーマネージャー兼ドライバーがアメリカ人なんやけどヨーロッパに来て気ままにやってるような女の子で、後でGREEN DAYのマネージャーになりました。フランスからイギリスに入るときにワーキングビザが絶対必要じゃないですか。そしたらイギリスのオーガナイザーがその女の子の分だけ取ってくれてなかったんです。だから前日に物販担当の女の子とふたりで先に行ってるからってことになって。それでバンドだけでワゴンを運転して行ったら、フェリーに乗り込む段階で警官に囲まれて犬がぶわーっと出てきて。いろんなバンドに貸してるから、怪しい匂いでも染み付いてたのか(笑)、身ぐるみ調べられてるあいだに「ああー、フェリーが行っちゃうー」とか。ポーランドで車ごと機材を盗難に遭ったりとか、いろいろとタフな経験もしてます。

ヨーロッパだとどこがいちばん受けましたか?

田畑:当時はイタリアでしょうかね......。いちばんクールな感じなのはドイツで。でもドイツがいちばん重要で、いちばん回らなきゃいけないって言われますけど。

ゼニゲバが活動休止状態になったり、レニングラードも2000年前後にはあんまり活動しなくなった時期があったと思うんですけど。

田畑:あのときはまあプライヴェートでややこしかった時期やったんで、生活をまず立て直さないとあかんかった(笑)。

2002年くらいからまた活動が活発になって、バンドやユニットも爆発的に増えていきますね。

田畑:ちょうどその頃またゼニゲバをやるようになったんですよ。オール・トゥモローズ・パーティーズに呼ばれて。それが2002年だったと思います、ワールドカップがあった年だから。そのときはワイヤーとかチープ・トリックとか。俺らはチープ・トリックの前の前の前くらいやったんです。会場の2階が2000人くらい入る大きいボールルームになってて、ゼニゲバのときも結構満員だったんですけど、チープ・トリックの番になったらごそーっと減って。1階の1000人くらいのホールでザ・フォールがやってて満員になってて、うわ可哀想って思った。ああいうところではやっぱチープ・トリックとか人気ないねんな。

日本じゃ武道館なのに。

田畑:毎日のヘッド・ライナーがワイヤーとチープ・トリックとブリーダーズ。シェラックがキュレーターだったんですけど、シェラックは一階の小さいほうのホールで毎朝オープニングでやるんですよ。普通キュレーターのバンドがトリじゃないですか。シェラックは毎日前座(笑)。

アルビニもチープ・トリック好きですもんね、たしか。

田畑:たぶんはよ終わって観たかったんやないかな。

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いまレギュラーでやってるバンドがたくさんありますけど、それぞれ簡単に紹介していただけますか。まずは20GUILDERS。

田畑:これはスズキジュンゾくんとやってる歌もののデュオで、エレキギター弾き語りです。ギューンカセットからアルバムが11月に発売になります。いっしょには曲作らないんですよ。それぞれの作品で、コーラス入れる程度だったんですけど、最近やっと形になってきたかなと。前は本当に勝手にやってるっていうか、各自の曲をやるだけだったので。


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じゃあここでアルバムが出るっていうのはタイミングとしてはいいですね。20ギルダーズで最近よくやってる、高校のときに初めて作ったって曲がありますよね。名曲だと思うんですけど。

田畑:中学のときですね。あれはアルバムに入りますよ。"ストロベリー・キッス"(笑)。歌詞書いたのはこの前ですけど。30年間ずっとハナモゲラで。最近やっと日本語で歌うようになって。こないだ山本(精一)さんたちのグレイトフル・デッドのトリビュート・ライヴっていうのが大阪であって、練習で入ったときに「お前よく歌詞覚えられるな」って言われて「いやハナモゲラですよ」「うそ!」って。30年間ハナモゲラだって言ったらビックリしてました、それもすごいなって(笑)。ハナモゲラでも良かったんやけど、レコーディングしたらそれはマズいんちゃうかなと思って(笑)。

アシッド・マザーズ・テンプルは、ベーシストとしてはあれが最初のバンドになるんですか?

田畑:そうです。実はベースやってたバンドもあるんですけど、本格的には。

あれはどういう経緯で参加することになったんですか。

田畑:どうやったかな。アシッド・マザーズ・テンプルっていうのはもともと河端一を中心にしたいろんなメンバーの集団であって、それが途中からメルティング・パライソ・UFO(Melting Paraiso UFO)っていうひとつのバンドっぽくなってきたんです。それである時期からまた元の形に帰ろうみたなことで、もうひとつバンドを作るっていう時に「ベースでやらん?」って。同じアシッド・マザーズ・テンプルって名前の下にいろいろ違う名前がつくっていう形で、僕が入ったのはアシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノ。

スタート当時といまではだいぶ感じが変わってると思うんですが。

田畑:変わってますね、最初はもっとワン・グルーヴ一発でハードにやる感じだったんですけど、いちばん大きいのはツインドラムの片方が変わったんですよ。最初はサバート・ブレイズ(SUBVERT BLAZE)の岡野くんと、志村浩二(みみのこと他)さんだった。岡野くんに代わってピカ(あふりらんぽ)が入ってイメージが変わってきましたね。

たしかに、ピカチュウさんの色はかなりありますね。何か大らかな感じがするようになった。いまのレニングラードはいつ頃から今のメンバーになったんですか?

田畑:2004年くらいかな。これがいちばん活動がマイペースで、こうしなきゃいけないみたいなのは全然なくて、ライヴを楽しんでやってる感じですよね。

最近はレニングラードのことを「ジャム・バンド」って言ってますよね。それは昔から感覚としてはそういうものだったけど、当時はそういう言葉がなかったって感じですか?

田畑:そうですね。一般的なジャム・バンドよりはもうちょっと曲があるとは思いますけど。でもそれやったらフィッシュもそうやし、僕らもロック系のジャム・バンドって感じですね。最近はサックスで狂うクルーのアックンが入って。

よりジャム・バンドっぽくなったというか。

田畑:ええ。

ベースを弾いてるバンドだと、最近はグリーン・フレイムス(GREEN FLAMES)がありますね。

田畑:それはほんとについ最近ですね。ハイ・ライズのギターの成田宗弘さんと。ドラムは最初はナツメン(NATSUMEN)の山本達久くんだったんですけど。それがもともとハイ・ライズにいた氏家さんに変わりまして、活動中。

アマゾン・サリヴァはヒデさんがニューヨークから帰ってきて結成したわけですか。

田畑:高校生の頃から知ってるんですけどね、ヒデさんのことは。それでいつの間にかニューヨークに行ったって聞いてて。それで忘れてたんですけどゼニゲバでオルタナティヴ・テンタクルス〉のツアーを回ってたら、ATの次のリリースはこれだって、あの道頓堀のジャケットのやつで。それで「あれ、これって?」と思って裏見たら写真にヒデさんがおるし(笑)。それでイギリスで対バンしたんですよ。イギリスのツアーは全部ウルトラビデといっしょで、アリス・ドーナッツ(ALICE DONUTS)と3バンドで。そのときに久々に会って、またしばらく音信不通になってて。それで帰ってきてるでって話は聞いてたんですけど、東京でウルトラビデの何周年ってことで、オリジナル・ウルトラビデのライヴがモストとかと対バンで、クアトロでやったのかな。そのときに「うち泊まりや」って言ったら泊まりに来たんです。それでいきなりその次の日にイギー・ポップのトリビュート・ライヴみたいなので「ベースで弾き語りしよう思うんやけどいっしょにやらへん?」って言われて、そのままリズムボックス入れてやって。大阪のライヴは対バンがズイノシン(Zuinosin)で、「若くてええのおるやん」ってことで「いっしょにやらへん?」って現ボガルタ(BOGULTA)のナニくんを誘った。

じゃあ結構なりゆきで。

田畑:この前ようやく『AMAZON PUNCH』ってアルバムが出まして。

それまで出してたCD-Rってライヴと全然感じが違いましたよね。

田畑:CD-Rは、物販がないとツアーしてもギャラが......っていう。新人バンドなんで(笑)。いつの間にかたくさん出してますけど、3枚目くらいまで1曲も3人揃ってやってない。

ライヴでヒデさんが「ナニくんの生ドラムを録るのが夢だったんです!」って言ってましたよね。やっぱり基本的にはヒデさんが中心のバンドなんですか。

田畑:全員ヴォーカルは取ってますけど、まあリーダーはヒデさんってことですね。みんな自分のバンドもいろいろあるし、住んでるところもバラバラだから。大阪と京都と東京で、もうツアー・バンドですね。全然新曲が増えない(笑)。もう5年くらい同じ曲やってますね。やらなくなった曲をまた戻したりしてるだけで、ずーっといっしょ。

青春18切符でツアーをするんですよね。

田畑:してますね(笑)、このバンドだけですよ。

あれはヒデさんが言い出したんですか。

田畑:まあそうなんですけど、こないだも疲れたとか言ってサウナに行ってマッサージ受けてるんですよ。その金を回して新幹線乗ったほうがええんちゃうかって言われて、そういえばそうやなって(笑)。18切符の時期しかツアーしてないです。

『AMAZON PUNCH』はたしか高知のレーベルからのリリースですよね。

田畑:高知のカオティック・ノイズっていうところから。

ライヴ・ハウスなんでしたっけ。

田畑:いや、レコード屋ですね。インストアライヴをやってるんですよ。レコード屋の棚を片付けてライヴをやってる。だから週末しかライヴはやってなくて普段はレコード屋。すごくいいレコード屋ですよ、パンク中心で。

あとPagtasはちょうどアルバムが出たところですね(『poi』)。

田畑:〈ペダル・レコード〉から。

昔からやってるバンドというかユニットですよね。

田畑:基本的には坂田律子さんがひとりでやることもあるんですけど、バンド編成でやるときには僕がベースで、NATSUMENの山本達久くんがドラム。それでレコーディングはゆらゆら帝国のエンジニアの中村宗一郎さんが録音してくれました。〈ペダル・レコード〉って中村さんのレーベルなんで。

Pagtasではサポートメンバーみたいな感じなんですかね。

田畑:そうですね、メンバーの都合が悪いときもライヴを断るんじゃなくて坂田さんがひとりでやったりするから。いちばん難しいんですよ、曲が。

独特ですもんね。もともとひとりでやるのが前提で作った曲にメンバーが合わせていく形だからなんですかね。

田畑:拍子とかがクルクル変わるんです、感覚でやってるから。難しいんですよ。

あとWabo-Chaoは。

田畑:それはMandogの宮下敬一くん(ギター)と前にゼニゲバのドラムをやってた藤掛正隆くんの三人で。これは即興ですね。歌ったりもしますけど。活動もそんなに頻繁ではないですけど、今度ダモ鈴木さんがまた来るのでそのときにやります。

あとデュエル(DUEL)っていうのがありますね。

田畑:ああ、あれはギターのケリー・チュルコっていう、オジー・オズボーンのプロデューサーのケヴィン・チュルコの弟なんです。あとASTRO(元C.C.C.C.の長谷川洋、エレクトロニクス)さんとヒグチケイコ(ヴォイス)さんで、これはインダストリアル・ノイズですね。新しく組んだバンドなので、これからです。

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それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。

田畑:それだけやったっけ、バンドって。

まだまだたくさんあるとは思いますけど(笑)、ここらでソロの『ルシファー』の話を聴きたいと思うんですが。


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ルシファー

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田畑:事前に作ってた曲は1曲しかなかったんですよ。ゼニゲバの関西ツアーを3箇所くらいやった後にアシッド・マザーズの河端くんの家の山寺まで行って録音したんやけど、それまで全然準備してなくて。ツアーの最終日が神戸で、打ち上げが朝まであって、酔っ払ってその時にみんなでしゃべってた話を歌詞にしたんです。「キブンハショウニ」ってヤバい歌があるんですけど、それはライヴ・ハウスの店長が何かの拍子に「気分はショウニや」って言ってたから「これや」とか。

今回はソロでは初めての歌ものですが、これまでのソロは全部インストでしたよね。

田畑:今回は〈Mapレコード〉からそもそも歌を入れることって言われてたんですよ。いままでソロは海外のレーベルからしか出してなかったから、日本語で歌うのはどうなんかなってのもあったんですよね。まあギタリストやからギターのアルバムを出さないかんのかなって単純に思って何枚か出してたんですけど。

いままでのソロアルバムと今回のアルバムでは作り方で違いはありましたか?

田畑:まず自分ちで録ってたのと違うのは、帰る日を決めてたんです。だからそれまでにやらなきゃいけない。3日で録ったんですけど、正味2日ですね。毎日終わるたびに鍋とかやってたんでずっと二日酔いで(笑)。声とか擦れてるんですよ。曲はない、アイデアない、ないない尽くしで(笑)。

とてもそうは聴こえないですけどねえ。仕上がりは割と構築感があると思うんですけど。録音がすごくいいですよね、空間処理とか。音数が少ないのも逆にいい。

田畑:それはもうプロデューサーのおかげです。それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。何か参考になるものないかって言ってCD棚探してたけど、「ないな」って。それでレインコーツ出してきて聞いてたんですけど、全然ちゃうやんけ(笑)。

ギター以外の楽器が結構少ないながらも効果的に使われてますが、録音するときには河端さんからのアイデアも結構あったんですか。

田畑:そうですね、それはすごくありましたね。あと自分が弾けない楽器をリクエストしたり。ハーディガーディ弾いてくださいよとか。本当にアイデア無かったので。

「ルシファー」っていうのはどこから来たんですか。

田畑:それは最初から決まってましたね、なぜか。日本語タイトルは"世界最古のヤクザ"で、「ルシファーってヤクザやったんや」っていう(笑)。

何でルシファーなんですか。

田畑:いや、それが何だったのか......悪魔憑きみたいなのに凝ってたことがあったんですよ。エクソシスト系の映画が好きで片っ端から観てたんです。取り憑くやつ。

もともとあった曲っていうのは?

田畑:"海の藻屑"って曲。あとは全部その場で作りました。

"月の石"あたりは結構ちゃんと曲になってるというか、もとからあったのかと思ってたんですけど。

田畑:あれは録る5分前に作った(笑)。かなり焦ってましたね。

歌もので3日間ってすごいですよね。昔のノイ!とかも3日とかで作ってるけど、あれはほとんどインストだから。

田畑:そういうノリで作ってますよ、たぶん。歌は入ってるけど何かワケがわからん音楽なんで(笑)。

たしかにフォーク的な歌ものとは違いますけど、でも歌詞は書いたわけですよね。

田畑:メモ帳が残ってますよ。よく聴くとわかるんですけど、書いて歌ってるのと、頭の中だけでやってるのがあって、書いてないのは歌がちょっと出遅れてるんです。自分だからわかりますけど。よくそんなんで出してくれたな(笑)。

〈Map〉から田畑さんの歌もののソロが出るって話を最初に聞いたのは実は1年以上前なんですけど、随分かかりましたよね。

田畑:だからやるぞって締め切りを作らないとやらないですよ。それまでに準備しとけよって感じですけど(笑)、何かと忙しくて。たくさんバンドやってるのも余裕でやってるように見えるけど結構いっぱいいっぱいなんです。もうわけがわからない(笑)。Pagtasも「パグタスノート」っていうのがあって、そこに自分の演奏メモが書いてあるんです。覚えられないくらい難しいし、それがないと演奏できない。もうそんな状態ですよね。ゼニゲバだけは長くやってるんで身体で覚えこんでますけど、あとは最近やり出したバンドばっかりなんで、曲があるバンドは苦労してますね。

あれだけたくさんのバンドを掛け持ちするっていうのはどういう感じなんですか。

田畑:わけがわからないですよ。

意図して増やそうと思ってたわけでもないんですね。

田畑:まだ楽は楽かもしれないですね。バンド・リーダーとかじゃないんで。

そうか、リーダー・バンドはあまりないですね。

田畑:リーダー・バンドはないけど社長やってるバンドはありますよ。

社長?

田畑:物販の(笑)。リーダーではないけど物販業はずっとやってますね。アシッド・マザーズでもそうだし。

アシッド・マザーズの物販はメルティング・パライソ・UFOのほうは津山篤さんがずっとやってますよね。

田畑:津山さんはたとえマジソン・スクエア・ガーデンでやっても、物販は俺がやるって言ってますね(笑)。

出番までにステージに行くのが大変ですよね(笑)。それでは今後のリリース予定とかを最後にお聞きしたいと思いますが。

田畑:まずこないだ『ルシファー』の後に『Mankind Spree』っていうソロアルバムが出ました。それはインストゥルメンタルで。

いろいろゲストが入ったりしてますよね。

田畑:そうですね、山本達久くんとか、一楽誉志幸くん(FRATENN他)とか、アシッド・マザーズのシンセの東洋之くんとか。あとはPagtasが出たところで、11月に20ギルダーズ。それとGREEN FLAMESを録音するかも。ゼニゲバは今月、イギリスのバーミンガムでスーパーソニックっていうフェスに出ます。対バンがスワンズにゴッドフレッシュにナパーム・デス(笑)。「いつやねん」っていう、どれも微妙に古い(笑)。メルト・バナナもいっしょですね。あ、そのときノイ!も出るんですよ。ミヒャエル・ローターがノイ!の曲をやるっていう。20ギルダーズのレコ発ツアーもやりますね。それは国内ですけど。帰ってきてすぐなんですよ、ゼニゲバのツアーから。かなり音楽性が違うんで頭切り替えんと。その後、11月25日にゼニゲバで初のワンマン・ライヴが新大久保のアースドムであります。

Sufjan Stevens - ele-king

 ワールズ・エンド・ガールフレンドが「気のふれたファイナル・ファンタジー」なら、『ジ・エイジ・オブ・アッズ』はさしずめ「気のふれたハリウッド映画」とでも言えばいいのか......。ああそうだ、こういう音楽はアメリカ人に説明してもらうのがいい。「スフィアン・スティーヴンスの『ジ・エイジ・オブ・アッズ』による最新の宇宙・未来派・教会・少年・モンスター映画・幻覚系を聴いたあとでは、あなたは、彼はスタジオから出てセラピストの診察台の上でヤバくなったという結論に達するかもしれない。彼は狂気の"創造的可能性"の探求者であり、彼はおそらく不遜にもアメリカのアウトサイダー・アートの文化的明るさを利用している。あるいはまた、彼が彼の創造的な忠誠心を失っているという非難から逃れるために狂気を装っている。わからないけど、それらは実は大した問題じゃない。僕にとって重要なことは、『ジ・エイジ・オブ・アッズ』がたまらなく楽しくて、そして複雑なまでにマスターピースであるということである」......、以上は『タイニー・ミックス・テープ』のレヴューからの引用。

 ついでにもうひとつ。『ピッチフォーク』から。「スフィアン・スティーヴンスの6枚目は、われわれが彼に期待するものと一戦を交える。今回は、彼のアメリカに関する雑学や歴史上の人物、そして特定の場所と人間らしさの代わりに、彼は自分自分の精神状態に接続している。バンジョーはない。不機嫌なエレクトロニクス、深いベースとドラムは湯沸かし器のように爆発する。2005年の『イリノイ』ではもっとも長い曲名は53字あったが、今回のそれは"I Want to Be Well"(17字)。彼は囁いていない。叫んでいる。そして『ジ・エイジ・オブ・アッズ』のクライマックスでは、この敬虔なキリスト教徒にして行儀の良いインディの気取り屋は、少なくとも16回は思い切り叫んでいる。『僕はふざけちゃいない!(I'm not fuckin' around!)』と」

 たしかに最後から二番目の曲、アルバムを最初から40分以上聴き続けたときに出てくる10曲目の"アイ・ウォント・トゥ・ビー・ウェル"の後半の叫びとコーラスの掛け合いはすさまじいものがあって、それは黒い笑いというよりは、もはや正真正銘の錯乱状態と呼ぶに相応しい。『僕はふざけちゃいない!』、その叫びはリスナーをますます混迷のなかに突き落とす。『イリノイ』のヒューマニズムと叙情詩は混乱に取って代わり、その音楽性も多彩というよりはケオティックである。IDMスタイルを応用しながら、古きアメリカの音楽(教会音楽からレス・バクスター、スティーヴ・ライヒからプリンスまで)が掻き混ぜられているのだが、それらは甘いようでいてどこか居心地が悪く、陶酔的なようでいてどこか苛立っている。

 そしてサイモン&ガーファンクルのようなハーモニーではじまるこのアルバムで、スティーヴンスは過去の愛、自殺願望、自己欺瞞、利己主義と自己嫌悪、破局、あるいは炎や神話......などについて歌う。20分以上もある組曲風の最後の曲"インポシブル・ソウル"は、もがき苦しむ魂の遍歴であり、最後もやはりサイモン&ガーファンクルのようなハーモニーで終わる。「きみに言ってやりたい:ああ! 力をあわせたら/ああ! ひどいことになったね」

 それが彼の本心なのか、素振りなのか、寓意なのか、悪意なのか、はっきりとわからない。そして、この壮大な内面のドラマについて深く首を突っ込みたくないというのも、正直ある。実際の話、訳詞を読みながら聴いていたら、ひどい船酔いにあったように、頭がくらくらしてきた。いや、だからそうではなく、エレクトロニカ・ポップの優れた結実としてこれを楽しもうと、少なくとも9曲目まではそのセンで聴いていられる......が、それもまあ、無理がある。美しい歌とたたみかけるコーラスを擁したパライノアックでスピリチュアルなこの音楽は、えもしれぬ複雑な幻覚を与えるのだ。容赦なく、それも圧倒的なまでに。

 これはアメリカ文化の廃墟の上で鳴り響く、異端者たちの交響楽団による分裂症的シンフォニーである。いずれにせよ、『ミシガン』と『イリノイ』でソングライターとして大きな賞賛を与えられたデトロイト出身ブルックリン在住のアーティストによる最新作は、ジャケットに使用されたロイヤル・ロバートソンのアートワークを見事に反映する、実にインパクトの強いものとなった。

Glasser - ele-king

「お気をつけなさい。お気をつけなさい。.........」
海に囲まれたこのクールなジャパンは、あらゆる外来文化を不可思議な形に変えてしまうのだから。
「ことによるとデウス自身も、この国の土人に変わるでしょう。支那やインドも変わったのです。西洋も変わらなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。(中略)どこにでも、またいつでもいます」芥川龍之介『神神の微笑』

 「我々」というのは日本の「神々」のことである。舞台は戦国時代、イエズス会の神父オルガンティノが京都の南蛮寺で日本の神々に出くわすという神秘体験を綴った短編だ。史実にはないようだが、引用部分は「日本の精神的風土」を考察する際によく用いられる。とくに補足はいらない。ビョークが森ガールになる風土である。引用箇所のニュアンスは、多くの人が思い当たるものであるはずだ。後述するが森ガールは、男女観と社会をめぐる価値転倒と逃避の契機を含んだ、日本オリジナルの女性類型だ。しかも比較的新しい言葉である。少なくとも逃避の要素のない、しかも2000年代以降の国内事情にほぼ無関係なビョークをここに結びつけるのは短絡と言えよう。

 グラッサーもめでたく変化(へんげ)させられ、ここ日本で森ガール的な受容をされていくのではないかと思う。リスナー側からすれば別段悪いことでもない。さすがにもうその呼称での訴求力は弱いかもしれないが、需要がなくなるわけではない。森ガールが聴いていそうな音楽は何ですか。「ヤフー知恵袋」のベスト・アンサーは以下のとおりである。「コーネリアス、カヒミ・カリィ、高木正勝、INO hidefumi、salyu、yuki」
 なるほど。「ニカ」か、霊妙な女性ヴォーカル。どだい定義があってないような概念であるが、「森ガール」は「鉄子」や「歴女」、「農ギャル」、「カツマー」とさえ共通して、「男性(社会)からどのように距離をとるか」という命題を有しているように思われる。さらにいえば「男女の性的な関係性の外にいかに脱出するか」「男性の気を引かずに(あるいは引かないことを装って)、且つ、可愛くある(女性として充実する)にはどうしたらよいか」といった問題である。その答えとして、資金を貯めて武装するという闘争路線をとるもの、森に向かい、鉄道へ向かい、非日常性と脱世界性を志向するもの等々に分かれるというわけだ。ここに「ニカ」的な音が召喚されるのはわからなくはない。社会の生々しさを脱臭する、エレクトロニカにはたしかにそうした側面もある。サリュやユキなどのエスリアルな女性ヴォーカルにも同様なことが言えるだろう。彼女たちの、つま先がわずかに地面を離れているような在り方にひかれるのである。

 グラッサーはキャメロン・メジローという美貌の才媛によるひとりユニットだ。キャメロンはブルー・マン・グループのメンバーであるという父を持ち、幼い頃からモータウンやニューウェイヴを聴いて育ったという。2009年にリリースされた〈eミュージック・セレクツ〉のコンピ『セレクティッド+コレクティッド』で、ガールズやペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートなど2000年代後期を象徴するバンドとともに収録されて注目を浴び、本デビュー・フルのリリースにいたる。その折の収録曲が、本作の冒頭を飾る"アプライ"である。これがアップル社のガレージ・バンドで作られているというのだから驚きだ。プロデューサーがついたとはいえ、もとのデモはかなり生きているらしい。トライバルで多層的なパーカッションと、信号音のようにぶっきらぼうなベース音以外は、彼女のヴォーカルのみ。しかしこの伸びやかで華のあるヴォーカルのために、じつにヴォリューミーな印象を受けるトラックである。ビョークと比較されることが多いようだが、華やぎと超俗性を兼ね備えたヴォーカルはたしかに共通したものを感じさせる。また、ビートや打楽器自体にはエスニックな趣味性が強いが、アルバム全体としては広がりのある、血色のよいエレクトロニカが基調となっている。要するに、品がよい。スレイ・ベルズのようにやんちゃでも、ボンジ・ド・ホレのようにホンマものの辛口でも、チューンヤーズのようにエクスペリメンタルでもない。どちらかというと美術館の白い壁によく映える音だ。
 決して否定しているわけではなく、この品のよさこそが彼女にポップな存在感を与え、成功の足がかりをつくることになると思う。彼女は次のファイストにもなり得る器である。マイスペースには裸足で機織り機に向かう写真が載っているが、じつに申し分ないショットだ。ここにはキャメロンのトライバル志向や巫女性が、ハイ・プレイシズやラッキー・ドラゴンズ等のブルックリン的なモードと共鳴しながら、高級ファッション雑誌のような完成度で写りこんでいる。あの声を縦糸に、あの美貌を横糸に、ガレージバンドという織り機を彼女は美しく操る......。コアなインディ・ファンから、普段は若いアーティストをチェックしない女性シンガー・ファンのおじさん、洋楽に馴染みがないという若い女性まで広くアピールするはずである。言わずもがな、日本においてはもちろん「森ガール」押しだ。"ホーム"の反復するマリンバは、アフリカンな土俗性を離れ、森深く湧き出づる泉の音となるだろう。"トレメル"のスティールパンはニットのやわらかいベージュにくるまれるだろう。お気をつけなさい。
 しかしどのようにこちらの文脈に捕われようが、音自体が変形するわけではない。グラッサーは文脈や環境にどのくらい対抗することができるだろうか。そして日本と日本の音楽ファンに何を残すことができるだろうか。

Chart by JETSET 2010.10.18 - ele-king

Shop Chart


1

CALM

CALM SAVE THE VINYL - EP1 / »COMMENT GET MUSIC
ニュー・アルバムからの12インチ・カット!アルバムのタイトルは自身のユニット名「Calm」、そこからのアナログ・カットは「Save the Vinyl EP」と尋常ではない思いが溢れた本作。

2

INNOSPHERE

INNOSPHERE SHINE / »COMMENT GET MUSIC
ATCQ + Lucy Pearlのような衝撃...! USから届いた素晴しきネオ・ソウル。心にスッと入ってくるクリアなサウンドとボーカルが堪らないボーナストラック入り全13曲。当店お馴染みのSweet Soulレーベルから何とJETSET先行リリースです!!

3

ALTON MILLER FEAT AMP FIDDLER

ALTON MILLER FEAT AMP FIDDLER WHEN THE MORNING COMES - INCL AMP FIDDLER REMIX / »COMMENT GET MUSIC
Superb Entertainmentの新作はデトロイトの重鎮、Alton Miller!既に、Joe Claussell、Loise Vega、Larry Heardがプレイ中の話題の1枚が入荷!デトロイトの新星、Kyle HallとAmp Fiddlerによるリミックスも収録。

4

80KIDZ

80KIDZ WEEKEND WARRIOR / »COMMENT GET MUSIC
遂に80kidzのセカンド・アルバム発売決定!!当店オリジナル特典付き。説明不要のジャパニーズ・インディー・エレクトロ・デュオ、80kidz!!当店爆裂ヒットを記録したデビュー・アルバム『This Is My Shit』から約1年半、遂にセカンド・アルバムが完成。メチャ楽しみです!!

5

DIPLO & TIESTO

DIPLO & TIESTO C' MON / »COMMENT GET MUSIC
なんとDiploがダッチ・トランス・レジェンドとコラボレート!!Jamie Fanaticのリリース辺りからダッチ・シーンとの交流も始まった辺境探求者Diploですが、今度はなんとトランス・シーン巨匠との奇跡のコラボが実現しました!!

6

MAXMILLION DUNBAR

MAXMILLION DUNBAR COOL WATER / »COMMENT GET MUSIC
12"で既にヤラれた方、お待たせしました!注目の1stソロ・アルバムが遂にリリースです。80'sエレクトロの空気をふんだんに盛り込んだ繊細なサウンドを軸に、あくまでヒップホップ的アプローチで作り上げた極上の全8曲!

7

OK GO

OK GO WHITE KNUCKLES (REMIXES) / »COMMENT GET MUSIC
アルバム"of the Blue Colour"からのリミックス・シングル!!Passion Pitによる胸キュン疾走エレポップB-1を筆頭に、オリジナルのポップ・センスをを見事に活かしたエレクトロ・ダンス・トラック全4ヴァージョン。メチャクチャ良いです〜!!

8

MAGNETIC MAN

MAGNETIC MAN MAGNETIC MAN / »COMMENT GET MUSIC
ダブステップを超越した21世紀型ポップス特大傑作1st.!!SkreamとBengaの親友コンビにArtworkを加えたダブステップ最強トリオ・プロジェクトMagnetic Man。特大アンセム"I Need Air"も搭載の大傑作1st.アルバムの登場です!!

9

JAMES BLAKE

JAMES BLAKE KLAVIERWERKE EP / »COMMENT GET MUSIC
神がかり緻密エディット。魅惑のパウダーシュガー・ポップ傑作が到着しました!!同系統の超新星Pariahによる"Safehouses EP"も爆裂ヒット中のベルギー老舗から、"Cmyk EP"や"Bells Sketch"も聖典化した天才James Blakeが再光臨!!

10

BAS AMRO

BAS AMRO LE HUITIEME ARRONDISSEMENT / »COMMENT GET MUSIC
Radio Slaveも大興奮のアトモスフェリック・テック・ハウス、これはかなり最高です!!データ配信主体での活躍も目覚しく、テクノ/テック・ハウス・シーンから絶大な期待を寄せられていた若干19歳のダッチ・アクト"Bas Amro"。手腕を振るったWolfskull Limitedからの素晴しい一枚をご紹介させていただきます。

DJ NOBU (FUTURE TERROR) - ele-king

地下室でヴァイナルで鳴らしたい10曲


1
Jens Zimmermann - Sequenz 31 - Treibstoff

2
Lucy - Kalachakra -Prologue

3
L.B. Dub Corp - It's What You Feel - Ostgut Ton

4
Schermate - Schermate 005 at (YELLOW) - Schermate

5
Donor/Trusss - Sude 3 - Thema

6
DJ Nobu - Friday (Nobu's Edit) - Grasswaxx Recordings

7
Mike Parker- GPH14 - Geophone Record

8
Silent Servant -Discipline - Sandwell District

9
Planetary Assault Systems - Hold It (Deuce Remix) - Ostgut ton

10
tobias. - Balance - Ostgut ton

KJ a.k.a DJ PATROL (ECHOPARK) - ele-king

最近のBest10


1
Baker(s) Dozen - Piano Lessons - Foot And Mouth

2
Tracey Thorn - Why Does The Wind? - Buzzin' Fly

3
Justin Vandervolgen - I Love You - TBD Classics

4
DJ Oji - Sweet Intoxicated Woman - White Label

5
Shahrokh Dini - Chewed Life - Compost

6
Frisvold & Lindbaek - Bozak - Full Pupp

7
Doomwork - Fever Sax - Arearemote

8
Walter Gibbons - Jungle Music - Strut

9
Joaquin Joe Claussell - The Drifting Of A Snow Flake Into Darkness - Sacred Rhythm Music

10
Smith & Mudd - The Surveyor -Claremont 56

DJ NOZAKI (PRIMO ONLY / IOIOP) - ele-king

DJ NOZAKI's HOT10TOT10TROT10 vol.1


1
Buddah Brand - Ningen Hatsuden Syo classic mix inst. - 76 Records

2
Miroslav Vitous - Purple - cbs/sony

3
Die Verboten - Eivissa - love&peace

4
Carlos Santana - One With You - cbs

5
Ray Mang - Angel - mangled

6
Marvin Franklin - Kona winds - kkua

7
Andre Carr - Disco frisco - harmony

8
Tatsu Yamashita - Love space - air

9
Tatsu Yamashita - Windy Lady - air

10
YOTSU KAIDOU Nature - Urban Combatt 2001 - guntez
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