「K A R Y Y N」と一致するもの

Marii (S・THERME) - ele-king

フロアでだれかに話しかけたくなるような、いいにおいが漂う90'sよりのハウスを選んでみました。
音攻めパーティ「S」をオーガナイズしたり、THERME GALLERYというギャラリーの運営をしていたりします。
6月はSクルーみんなでHOUSE OF LIQUIDに出張します。
6/15 @ KATA (Liquid Room) 【HOUSE OF LIQUID】

THERME GALLERY https://thermegallery.com/
SOUND CLOUD https://soundcloud.com/mariiabe
BLOG https://cawgirl.exblog.jp/

いいにおいのするハウス10曲 2013.5.10


1
Enrico Mantini - The maze(What you like) - Smooth sounds

2
Jump Cutz - Meditate on this - Luxury service

3
The visionary - Free my soul (duke's deep skool mix) - Music for your ears

4
Pierre lx - Gabita - Initial cuts

5
Aly-us - Go on (club mix) - Strictly rhythm

6
Vapourspace - Vista humana - Ffrr

7
Cazuma & Hiroaki OBA - Alphonse - TBA

8
Raiders of the lost arp - Stealing my love - Snuff trax

9
Reese&Santonio - Truth of self evidence - KMS

10
Kornel Kovacs - Baby Step - Studio Barnhus

Heavy Hawaii - ele-king

 ここはタブーのない世界ですよ、というところに連れて行かれたら、われわれは、じゃあ思い切りタブーを犯してやろうと考えるだろうか? そう考えられる人はむしろ大物というか、将来何か偉業を成し遂げるかもしれない。多くの人は、たぶん、ただ弛緩するのではないかと思う。「やってはいけないことがない」→「よかったあ」である。タブーのない世界はただちに「無法地帯」を意味しない。......ヘヴィ・ハワイとはそんな場所のことであるように感じられる。このサンディエゴのデュオは、奇妙なリヴァーブを用いながら安心して弛緩できる空間を立ち上げてくる。

 あまりにもキャンディ・クロウズな"ウォッシング・マシーン"からはじまるこの『グースバンプス』は、彼らの初のフル・アルバム。最初のEP『HH』がリリースされたのが2010年で、キャンディ・クロウズの『ヒドゥン・ランド』も同年だから、なんとなく髪の色のちがう双子のように感じられる。ドリーム・ポップというマジック・ワードが、まさに多彩な方向へと実をつけた時期だ。これまでも散々書いてきたところなので詳細は割愛するが、それはベッドルームが舞台となり主戦場となった数年でもある。三田格が『アンビエント・ミュージック 1969-2009』に1年遅れで収録できなかったことを悔やんだキャンディ・クロウズが、おとぎ話のようにフィフティーズの映画音楽を参照したのに対し、ヘヴィ・ハワイはビーチ・ポップからネジを抜き去る。前者を浮遊と呼ぶなら、後者は弛緩。ふわふわとぐにゃぐにゃ。どちらも似たプロダクションを持っているが、音色は対照的だ。

 もともとは4人ほどの編成で活動していた彼らは、ウェイヴスのネイサン・ウィリアムスらとともにファンタスティック・マジックというバンドを結成していたこともあり、〈アート・ファグ〉からリリースしている背景にはそうした人脈図も浮かび上がる。ガールズ・ネームズとスプリットをリリースしたりもしている。レトロなサーフ・ロックをシューゲイジンなローファイ・サウンドで翻案し、ときにはポスト・パンク的な感性もひらめかせながら2000年代末を彩った一派のことだ。そのときもっとも新しく感じられたサイケデリック・ムードである。シットゲイズと呼ばれた音も彼らと共通するところが大きい。ヘヴィー・ハワイの弛緩の感覚は、ただしくこの系譜に連なるものであることを証している。
 ただし、いかなる様式化も拒みたいというようにぐにゃぐにゃしている。"ファック・ユー、アイム・ムーヴィング・トゥ・サンフランシスコ"や、"ボーン・トゥ・ライド"のように軽快な2ミニット・ポップをスクリューもどきに変換してみたり、ボーイ・リーストリー・ライク・トゥの皮をかぶったパンクス・オン・マーズといった感じの"ボーイ・シーズン"、幻覚のなかで出会うペイヴメントと呼びたい"フィジー・クッキング"などをはじめ、隙間の多いアリエル・ピンク、ピントの合わないユース・ラグーン、ちゃんとしてないザ・ドラムス、ザ・モーニング・ベンダース......いくらでも形容を思いつくけれども、とにかくユルんでいるからそのどれでもないという、ある意味で強靭なボディだ。

「あんまりマジにビーチ・ボーイズ・リスペクトとか言うなよ」という、2010年当時のビーチ・ポップ・モードに対するひとつの回答であるかもしれない。カユカス(Cayucas)のような、ザ・ドラムスやザ・モーニング・ベンダースらからほとんど更新のない音を聴いていると、彼らの骨を一本一本抜いていくようなヘヴィ・ハワイの音の方が間違いなくリアルだ。少し90年代のハーモニー・コリンを思わせるジャケットは、ぼんやりとしたエフェクトや図像を好むドリーミー・サイケのアートワークとは対照的に、クリアな視界のまま夢を見るという矜持があるようにも感じられる。そう思って眺めれば、ここでエフェクトではなく消化器でモヤを張って作られているバリアには、ここ最近というよりはナインティーズ的なフィーリングが顔をのぞかせているとも思われてくる。まあ、ぜんぶ筆者の妄想の域だけれども。

interview with The National (Matt Berninger) - ele-king

 スティーヴン・スピルバーグの『リンカーン』は伝記映画ではなく、黒人奴隷を合衆国全土から解放するための憲法修正案を下院で通すためにリンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)が行った政治工作の描写にほとんどの時間を費やしている。保守的な議員には見返りを与える代わりに票を求め、逆にあまりに急進的な議員(トミー・リー・ジョーンズ)には「みんなビビるから、まあ、ちょっと妥協してくれや」と言うのである。何としてでも、修正案を通す......その執念に駆られた男の物語。つまり、100年後実現しているかもしれない理想のために、「いま」見失ってはならないものについての映画であり、ここにはふたつの時間が出現しているように思える。つまり、過去から見た未来としての現在と、未来から見た過去としての現在だ。前者については、ここから黒人の大統領が誕生するに至るまで、を思わせるし、後者については、未来のアメリカのために医療保険改革に奮闘(し、票集めを)したオバマ政権が重なって見えてくる。いま見失ってはならないもの......スピルバーグはそれだけ切実に現在のアメリカを見ているということだろうし、また、「見失った」日本に住むわたしたちには重いものである。

ひるませるような屈辱の白い空の下で
"ヒューミリエーション(屈辱)"


The National
Trouble Will Find Me

4AD / Hostess

Amazon iTunes

 ザ・ナショナルはいつも、「いま」を生きる名もなき人びとの物語を歌っている。だが、その現在は自覚的でも気高くもない。「彼ら」がいるのはいつもそんな場所である。屈辱、後悔、悲哀、諦念、混乱、卑屈さ......そういったものに囚われて、身動きが取れない人間たちの歌を、ヴォーカルで歌詞を担当するマット・バーニンガーが韻を踏みながら滑らかなバリトン・ヴォイスで歌う。
 バンド・メンバーは仕事をしながら音楽活動をする時代を経て、サウンドの緻密さとスケールを増すことで世界に評価され、そしてその言葉においてアメリカで絶大な支持を得るに至った。前作『ハイ・ヴァイオレット』のレヴューにおいて、『ピッチフォーク』は「もしザ・ナショナルがたんに良いだけでなく重要なのだとすれば、それはロック・バンドがあまりうまく描かない瞬間というものを描いているからである」とし、『タイニー・ミックス・テープス』はそこに描かれた沈痛さを「時代精神」と呼んでいる。その歌のなかには、アメリカの内部で埋もれそうになっている生が息づいていたのである。

 先の選挙戦におけるオバマの支援ライヴ、同性婚支持のアーティストが集まったコンサートへの参加などを経て発表される『トラブル・ウィル・ファインド・ミー』においてもまた、作品のなかには政治的なメッセージがあるわけではない。厄介ごと(トラブル)に見つからないように怯える人間たちの取るに足らない日々が、しかし詩的な言葉で表現されている。双子のアーロン兄弟のサウンドはより思慮深さを増し、英国ニューウェーヴやポスト・パンク、レナード・コーエンのフォーク、ポスト・クラシカル......といった要素が丁寧に織り込まれ、静かな高揚や陶酔を湛える。知性と理性をもって。
 ザ・ナショナルがたんに良いというだけでなく重要なのだとすれば......それは、彼らの描く物語がヘヴィなときでさえ、そこには音楽的なスリルと色気が宿っているからである。自らの死を甘美に夢想する "ヒューミリエーション"は、クラウト・ロック調の反復でじわじわとその熱を上昇させる、が、沸点に達することなく終わっていく。それはまるで、地面に足をつけて生きる人びとをそっと鼓舞するかのようだ。

 ザ・ナショナルが日本にもいれば......と僕は思わない。マットが以下で話しているように、彼らは何もアメリカに生きる人びとに向けてのみ歌っているわけではない。この歌はとくに進歩的でも立派でもない、「いま」を見失いそうなあらゆる人びとのそばで鳴らされている。ポスト・パンク風の"ドント・スワロー・ザ・キャップ"では「俺は疲れている/俺は凍えている/俺は愚かだ」と漏らしながら、しかしこう繰り返されるのである......「俺はひとりじゃないし/これからもそうはならない」。

自分たちがやっているロック・バンドに興味を持って、ロック・ソングに注目して聴いてくれる人がいるのが、どんなにラッキーなことか、どんなに恵まれているか......。

今日はお時間いただいてありがとうございます。家にいるんですか?

マット:ああ、ブルックリンにいるよ。

新しいアルバム『トラブル・ウィル・ファインド・ミー』を聴きました。素晴らしいアルバムだと思います。

マット:それはよかった。ありがとう。

そのアルバムの話に入る前に、ここに至る数年の間に起きたバンドに関係あるかもないかもしれないいくつかの出来事について振り返ってコメントしていただきたいのですが......。

マット:ふむ。

ひとつはR.E.M.。あなた達にとっても音楽的にお手本のような存在だったバンドだと思いますが、彼らがあの時点で解散を決めたことについて何か思うところはありましたか。

マット:まず、彼らが僕らにとって道しるべとなる灯りのような存在だったのは、その通り。とくに、マイケル・スタイプは僕らのバンドの友だちであり、一時期は擁護者でもあった。彼からは本当に良いアドバイスをいくつももらったし、そんなアドバイスのひとつに、けっして当たり前だと思うな、というのがあったんだ。自分たちがやっているロック・バンドに興味を持って、ロック・ソングに注目して聴いてくれる人がいるのが、どんなにラッキーなことか、どんなに恵まれているか......と。それがひとつ。
 あと、彼はすごく洞察力のある人だ。友だちや兄弟のような存在だといっても、やっぱりバスのなかでいっしょに暮らすように旅をして回るのは大変なことで、ときとしてバンド内の状況が悪くなる場合もあるわけだよ。彼も彼のバンド・メンバーも、そんな暗い時期を何度も経験して、くぐり抜けてきた。そんな彼が僕に言っていたのは、「忘れちゃいけないのは、バンド以前に友だちだということだ。バンドより先に友だちだったことを忘れちゃいけない」ということで、僕らはまさに友だちであり兄弟であるところからはじまっているバンドだから、彼に言われて、バンドそのもの以上に個人的な繋がりを重んじるということを改めて大切に考えるようになった。あれは良いアドバイスだったよ。
 彼らの決断は、要はバンドとしてレコードを作るのをやめる、ということだと僕は理解しているけれど、そうだな......どうなんだろう。まあ、僕としてはそれを尊重するよ。個人的には彼らにもっとレコードを作ってもらいたいと思うし、あそこで立ち止まらないでほしかったけど、彼らの選択は尊重したいと思う。状況は変わるもので、それはそれとして人生の違う段階へ進まざるを得ないときだってあるさ。そうすることに決めた彼らの選択は、とてもエレガントで美しいものだったんじゃないかな。これでもし将来、彼らがまたレコードを作ることになったとしても、それを侮辱するひとはいないだろうし。とにかく、彼はものすごく品のあるひとだ。ものすごく良いひとで、頭の良いひとでもある。彼のすることなら、何であれ僕は全面的に認めるし尊重する立場だ。

ありがとうございます。もうひとつは、「俺たちは自分たちで支え合う(We take care of our own)」と歌ったブルース・スプリングスティーンについてなのですが。あのメッセージに共感するところはありましたか。

マット:そうだなあ......わからないや、というか、あまりよく把握していないんだ。ブルース・スプリングスティーンとの関わりはいままでに無かったわけじゃないけれど、この件については、はっきりしたことは言えない。「We take care of our own」という彼のメッセージに関しては、僕らにそのままあてはまるものだとは思わないし、確信も持てない。その点においては、あまり繋がりは感じないな」

[[SplitPage]]

僕らが熱心に政治的な活動をしたり社会的な意識を強く持っているのは個人として、つまり僕ら5人がそれぞれにやっていることであって、僕はこのバンドがそうだとは思っていないんだ。

少し変わった質問からはじまってしまいましたが――。

マット:いや、いいんだけど。

こういった質問をしたのは、ザ・ナショナルもいま、かつての彼らのような、オルタナティヴなロック・ミュージック・シーンをリベラルな側から代表する存在になっているのではないかと考えたからです。

マット:ああ。

いまの答えからすると、必ずしもそれは自覚的ではない?


The National
Trouble Will Find Me

4AD / Hostess

Amazon iTunes

マット:いや、言ってることはわかるんだ。ただ、「we take care of own」という、あのメッセージに関しては、曲自体が何を言おうとしてい るのか僕がちゃんと把握できているかどうかわからないんで、こういう返事になってしまう、ということで。まあ、僕らもオバマを支持したりなんかしてきたから、そういうレッテルを貼られている部分はあると思う。とくに、海外から見ると僕らはものすごく政治的に熱心に動いている、政治的な意識の高いバンドであるかのような印象を受けるかもしれない。実際そうだしね。ただ、僕らが熱心に政治的な活動をしたり社会的な意識を強く持っているのは個人として、つまり僕ら5人がそれぞれにやっていることであって、僕はこのバンドがそうだとは思っていないんだ。マイケル・スタイプだってそうだったんじゃないかな。
 オバマの件......対立候補ではなくバラク・オバマの支援に回ったのは、ああいうケースにおいては自分の立場を決める必要があるからにすぎない。僕はいまだにアメリカは本来あるべき状況から20年遅れていると思っている。社会問題の進展具合からすると、ね。甚だしく遅れている。オバマになってからも、まだ全然本来あるべきところに到達していない。アメリカはつねに後ろ向きな勢力との闘いがあって......まあ、どの国にも似たような状況はあるんだろうけど、アメリカには極めて後ろ向きで保守的な動きがあって、とくにここ10~15年はそれが非常に危険な様相を呈している。ジョージ・W・ブッシュの時代はもちろんだったけれど、もっと最近になっても、悪い連中が力をつけて危険になっている......ということは僕もはっきり言えるし、そういった問題はロック・バンドなんかよりずっと重要なんだよ。だけど、僕らの音楽がリベラルであるとか、進歩的であるとかいうふうには思わない。むしろ僕らの音楽は、単純にロマンスと恐怖心についてのものがほとんどから。

よくわかります。日本もまさにいま、そういう状況がありますし。

マット:うん。

乗り越えていけたらいいのに
だけど僕は悪魔と共に身を潜めてる
"デーモンズ"

そしておっしゃるように、ザ・ナショナルの曲に描かれているのはアメリカの普通のひとたちの日常であり感情ですよね。ただそれが、アメリカの真ん中あたりの、とくにリベラルでもなさそうな人びとのことを描いているようも思えます。あなた方がニューヨークという大都市を拠点にするリベラルなバンドなのになぜだろう、と思うこともあるんです。たとえば、前作の"ブラッドバズ・オハイオ"や、"レモンワールド"の「ニューヨークで生きて死ぬなんて、俺には何の意味もない」というフレーズに、そんな印象を受けるのですが。

マット:うーん、たぶん僕の視点というのは、こう説明した方がわかってもらえるかな。要は、どこに属しているのか自分でもわかっていないひとの視点だと思うんだよね。ニューヨーカーでも、アメリカ人でも、あるいは男でもない。もちろん、そういう事実に影響されていないとは言わないけれども、アメリカのニューヨークに住む白人男性であるという事実は、わずかな......ごくごく小さな、小さな要素でしかない。僕らの曲が言わんとしていることへの影響は、ごくごく微々たるものだと思う。だから、例えば世界の......どこでもいいや、どんな人種でもいい、どこかの女性が聴いても恐らく共感してもらえると思うんだよね。その、僕が考えていることに対して、それも、かなり近い形で。

なるほど。

マット:とにかく僕はそう思うんだ。僕の興味をひくこと、わくわくさせることは、アメリカ人だから、でも、男だから、でも、アメリカの白人男性だから、でもない、と。僕にとって重要なこと、僕が考えたり書いたりしていることは、たぶん......これは僕の推測だけど、たぶん同じことを考えて、同じように感じているひとが大勢いるはずなんだ。そういう、大きなことなんだよね。大きな......普遍的なこと。

いまの僕は善良 しっかりしてる
背が前より高く見えるとデイヴィは言う
だけどそのことが理解できないんだ
どんどん小さくなってる気がずっとしてるから
"アイ・ニード・マイ・ガール"

たしかに。そうやってあなた方の曲は日本のリスナーにも響いているわけですが、しかし、そこには不器用で苦しんでいるひとが多く登場しますよね。

マット:ああ。恐怖心、不安、あとは......喪失感、悲しみ......そして愛。そういうのは誰でも理解できる感情だから。ムラカミ(村上春樹)なんかは、僕からするとまったく違うところから出てきたひとだけど、彼の書いていることを僕は理解できる......と思う。それも、彼が書いているのがそういう大きな、当たり前の......いや、当たり前ではないにしろ、人間の心の、人間関係の素晴らしさを......素晴らしさと、あと悲しみもちゃんと描いているからだと思う。

たしかに、個人的なことを書いているようで、それが普遍的なテーマになる、というのはありますよね。あなたの場合も、あくまで個人的なことを書いているんだけれども、それが結果的にアメリカのポートレートになっていく。

マット:うん、僕自身は「これが僕の感じていること、考えていることですよ」と言っているだけなんだ。自分なりに推測すると、僕が自分に対して正直にそういったことを書いているから、他のひとにも伝わるんじゃないか、と。こんなことにこだわっているのは自分だけなんじゃないか、という恐怖心は、じつはつねにある。

[[SplitPage]]

ニューヨーカーでも、アメリカ人でも、あるいは男でもない。もちろん、そういう事実に影響されていないとは言わないけれども、アメリカのニューヨークに住む白人男性であるという事実は、わずかな......ごくごく小さな、小さな要素でしかない。

なるほど。では音的な話を。新しいアルバムには、あなたたちが影響を受けてきたであろうさまざまな要素――パンク、70年代のシンガーソングライター、イギリスのニューウェーヴ、90年代のオルタナティヴ・ロック、クラシック音楽など――が見事に融合しているように思えますが、制作にあたってバンド内で合意していた音的なテーマはあったんですか。


The National
Trouble Will Find Me

4AD / Hostess

Amazon iTunes

マット:いや、僕らはあらかじめレコードについて話し合うということはしない。それどころか、完成するまで方向性の確認なんかしないに等しい。......うん、昔はもっと話し合っていたけれども、最近はむしろ、曲が勝手に発展していくに任せて、僕らはその後を追いかけていく、という感じ。今回、ある程度自分たちが自信を持っているという自覚はあったように思うよ。いままでのレコードだったら入れていなかったかもしれないような、聴いた感じがセンチメンタルすぎる曲とか、古風すぎるからもっとクールに、モダンにしたい、とかいう曲が出来ても今回は気にせずに、とにかくどんどん書いて、僕らが恋に落ちた要素を素直にレコードにしていったんだ。
それを後から改めて聴いたいまだからわかるのは、ああ、ここには僕らの大好きなものや影響が集約されているな、ということ。ニュー・オーダーからロイ・オービソンにまで及ぶ僕らのレコード・コレクションの、あっちもこっちも入っているな、とね。でも、いずれにせよ意識的ではなかったし、戦略会議のようなものは僕らにはあり得ない。いろいろなもののミックス――漠然としたミックス――が僕らで、いまとなってはそれ自体が意味を持つようになっている。だからもう、話し合いは必要ないんだ。

つまり、これぞザ・ナショナルのサウンドだ、という作品だ、と。

マット:思うに、たぶんこのレコードは......うん、最もピュアかもしれないね。良い曲を書くということ以外には何も考えていなかった、という意味で、良し悪しは別として僕らの本質をいままでの作品以上に体現しているんじゃないかな。

はい。では、これが最後の質問になりますが。はじめの方でお話したようなことを踏まえて、あなた方はアメリカのバンドだということに意識的ですか。

マット:ふむ......意識はしてないよ。だけど、きっと音楽には僕らの気づかない形で滲み出てはいるんだろうな。アメリカ的なバンドでありたいと思っているわけではないし、アメリカのバンドであることを重要視しているわけでもないし、アメリカに対しては僕なりにたくさん愛情を感じている一方、それと同じくらいの怒りとフラストレーションも感じているし、だからといってアメリカのバンドであるということを意識するかというと......いや、してないな......うん、僕は自分たちがアメリカ的なバンドだとは思わないよ。音楽的な影響でいったら、英国のバンドや、どこの国か知らないけれどもクラシックのコンポーザーとか、作家ではムラカミだったりするわけで、そういうものから受けた影響は、恐らくアメリカ的なものから受けた影響に勝るとも劣らない。アメリカ人がやっているバンドである以上、DNAの一部であり成長過程の一端であるアメリカ的なものは否定できないし、僕らの音楽の一部にも間違いなくなっている。それはこれからもなっていくんだろうけれども、僕らはそのことにことさら意識的ではないし、それだけのバンドだとは思っていない、ということだ。

 「なんかさー、あのチアリーダーみたいなルックスの子、20代にして認知症なのかなって」
 スタッフ休憩室で新人の娘がVのことをそう評すと、ペンギン組責任者Dは紅茶を吹きそうになって笑った。
 30歳のDは、ペンギン組に配置されているわたしの上司でもあるわけだが、彼女は部下である23歳のVが大嫌いである。

 ブルネットの髪に顎の尖った理知的な顔立ちをしたD(実際に、キレキレで仕事もできる)と、ブロンドに水色の瞳をしたプリティ&おっとりしているV(実際に、よくいろんなことを忘れる)は、見た目からして正反対なのだが、生まれ育った環境も正反対だという。
 Dは3人の子供を育てあげた公営住宅のシングルマザーの娘だ。父親は無職のアル中だったそうで、1年の半分は家におらず、ちょっと帰って来ては、すぐ何処かに消えていたらしい(路上生活やシェルター生活を好んでする癖があったようだ)。こういう父親のいる家庭はアンダー・クラスに多いものだが、Dの家庭はあくまでも労働者階級だったらしい。
 忘年会で泥酔した帰り、彼女はタクシーの中で言った。
 「私の母親は、いつも働いていた。昼は工場で働き、夜は他人の子供を預かっていた。週末は映画館でポップコーンを売っていた。それでも家にはお金がなかったから、学校の制服なんか、お下がりのまたお下がりで、破れて穴が開いていた。アンダー・クラスの子のほうが、よっぽど裕福な家の子に見えた」

 そんなDは、何かにつけてVに辛くあたる。というか、いじめる。というのも、Vはミドルクラスのお嬢さんだからだ。
 通常、良家の子女は、限りなく最低保証賃金に近い報酬で働く保育士などの職には就かないものだが、英国版ハンナ・モンタナみたいな外見のVはディスレクシアであり、職場で読み書きするのに、わたしのような外国人の助けすら必要とする。彼女の兄たちはケンブリッジ大卒のエリートだそうで、裕福な両親や兄たちに守られて育ってきたのだろうVは、気持ちの優しい娘だ。ディズニーのプリンセスみたいなので子供たちに人気もある。ぼんやりしているので失敗は多いが、それにしたってご愛嬌と思える性格の良さがある。が、Dは許せないらしい。
 「ファッキン・ポッシュな糞バカ」と陰でVを呼び、彼女が失敗する度に、何もそこまで言わなくとも。と思うほど叱るので、Vはよく泣く。
 と書くと、Dはまったく嫌な女のようだが、実際には情に厚く、知的な姐御肌だ。しかし、Vのこととなると、人が変わる。
 英国は階級社会だといわれるが、その階級は法的なものでもなければ、制度的なものでもない。それは人びとの意識のなかにあり(ソウルのなかにあると言った人もいた)、人びとはその意識と共に育ち、育つ過程でその意識も大きく、逞しく、成長して行く。
 「人間の最大の不幸は、自分で生まれて来る地域や家庭を選べないことだ」
 が口癖の英国人を知っているが、保育園などというキュートな(筈の)職場での、若いお嬢さんたちの階級闘争一つを見ても、この国の人々にとり、階級というのがどれほど根深い概念なのかというがわかる。
 もはや、業といっても良い。Dにしたって、自分がやっていることがいじめであることがわからないようなアホな人間ではない。わかっている。わかっているのにやめられないのだ。ヘイトレッド(憎悪)というのは、業のことだ。一時的なセンチメントではない。

 だからこそ、音楽であれ、映画であれ、書物であれ、この国の文化芸術には、階級という業から解き離れているものは一つもないように思う。階級は、ヘイトレッドを生み、コミュニティを生み、闘争と愛を生む。人種、性的指向、宗教、障害などはヘイトレッドを生む人間同士の差異として万国共通のものだが、この国には、それらに加え、階級意識。という宿業のエレメントがある。
 このエレメントは、実は最もパワフルで根深いものかもしれない。しかも、「金持ちの足を引っ掛けて転ばせる貧乏人はクール」みたいな、ワーキング・クラス・ヒーロー賛美の伝統もあるので、貧者から富者への攻撃は許される。特に、保守党が政権を握り、貧乏人がいよいよ貧乏になってから、この風潮は強くなっている。ネオ・ワーキング・クラス意識の盛り上がり。とでも呼ぶべきだろうか。低賃金で働く若い労働者の層が、被害者意識をやたらと肥大させ、妙に頑なになっている。
 貧者が貧者であることを高らかに叫ぶことのできる社会は素晴らしい(わたしが育った時代の日本では、貧者は「いない」ことにされていたから)が、時折、どうしてそこまで階級に拘泥して生きるのか。と思う若い子に出会うのだ。
 思えば、わたしがペンギン組に配置された当初、Dが最初に確認してきたのは
 「あなたの氏育ちはわからないけど、私は本当に貧乏な家庭で育ったの」
 だった。
 「わたしの親も、相当な貧乏人ですよ」
 と答えたが、もしわたしがミドルクラス出身で、しかも外国人という場合、いったいわたしはDにどんだけのいびりを受けていたのだろう。

 「なんでそんなにVのこといじめるの」
 忘年会の帰り、タクシーをシェアしたDに、わたしは尋ねた。その日のDは、わたしが尻を押さなければタクシーにも乗れないぐらい泥酔していた。
 「いじめてないでしょ」
 「ありゃいじめだよ。虐待と言ってもいい」
 わたしが言うと、Dはのけぞって大笑いした。
 「ははははは。下層の人間には、上層の人間を虐待する資格がある」
 「ないよ、んなもん」
 「あるの。この国では」
 愉快そうに笑うDを見ていると、まあ、わたしも人のことは言えないか。と思う。わたしも、むかし、「わたしは金持ちは嫌いである。なぜなら、彼らは金持ちだからだ」と書き放ったことがあったからだ。
 まあ、要するにその程度の、バカなことなのだ。
 そしてそれだからこそ、呪いのように変わらないのだ。

              ************

 そんなDが、先日、保育園をやめた。
 海辺の豪邸に住む金持ちに、現在の2倍の報酬でお抱えナニーとして雇われたという。
 「こんなこと言うのはナイスじゃないとわかってるけど、でも、嬉しい」
Dがやめると知った時、Vはそう言ってロッカー室でそっと涙ぐんだ。
 ようやく、ペンギン組の階級闘争に幕がおりるのである。

 Dが園を去る日、ピザ屋で送別会が行われた。来ないかな。と思ったが、Vはやって来た。敢えて「行きません」という勇気はなかったのだろう。
 送別会の席上でさえ、Dは、労働者階級の人間特有のあけすけなブラック・ユーモアで、本人が目の前にいるのにVの失敗談をジョークにしてげらげら笑い続けた。
 酒が飲めないVは二次会には来ないと言い、先に帰ったが、帰る間際にバッグから花柄のプリティな箱を出してDに渡した。
 「また、最後までこんなポッシュなもん買って来て!」
 Dは笑う。地元では有名なフランス人ショコラティエのいる高級チョコレート店の箱である。
 「Good Luck.」「Take care of yourself」「You too」などと社交辞令を言い合い、ふたりはハグを交わし、Vは店を出て行った。終わり良ければ全て良し。か。なんやかんや言っても。と思いながら見ていると、Dが、箱と一緒に渡された小さな封筒を開けた。
 可愛らしい水玉のGood Luckカードが入っている。Dがカードを開くと、中にはこう書かれていた。
 「Thanks for nothing」

 Dの顔は、見る見る真っ赤になった。その晩、またもやわたしが尻を押さねばタクシーに乗れぬほど彼女が泥酔したのは言うまでもない。
 「あの女、やっぱりムカつくっ!」
帰りのタクシーの中でもDは荒れていた。
 「親が金持ってるってことはね。行きたきゃ上の学校にも行けるし、将来できる仕事だって無限にあるってことなんだ。それを彼女はあたら無駄にして、ぼんやり生きて」
 Dが、大学のファンデーション・コースの通信講座を受けたがっていたことを思い出した。
 「だけど、それは個人のチョイスだからね」
 「あんなに恵まれてるくせに」
 「それぞれが、自分で選ぶことだからね」
 「これだからミドルクラスの奴らは」
 彼女が脇を向いて静かになったので、寝たのかな。と思って顔を覗き込む。BBCラジオ2からオアシスの曲が流れていた。
 Dは虚空を睨みながら、小声でリアム・ギャラガーと一緒に歌っている。

 Because maybe
 You're gonna be the one that saVes me
 And after all
 You're my wonderwall

 彼女にとってのワンダーウォールとは、階級意識なのだろうか。とふと思った。
 それは、生きるバネとなり、慰安となり、回帰する場所にもなるものだから。
 それは、冷たく厳然としているのにどこか暖かい、不思議な壁である。
 人間が先へ進むことを阻む壁であり、人と人とをディヴァイドする腐った壁であることには、変わりないとしても。

Mark Ernestus presents JERI-JERI - ele-king

 ときにケオティックに、厳密に、それ自身が生き物のように動めき、しかし、あたかも機械のように展開するポリリズムの醍醐味、情け容赦ないリズムの反復、多彩なドラミング──アフロ、ラテン、ファンク、そしてダブとテクノ。
 録音が素晴らしい。この気持ちよさは、ヘッドフォンよりもスピーカーで聴いたほうが良い。ベーシック・チャンネル級の低周波が出ている。とはいえ、ここはベースをやや引き締めて、中音をクリアにしたほうが、この打楽器協奏曲の陶酔は伝わる。13人もの打楽器奏者によるアンサンブル、打ち鳴らされるビートが心地よい雨粒のようにスピーカーから空間に広がる。
 芸術的な録音──昔から耳の肥えたドイツ人は、こういう仕事を精密にやる。という印象がますます焼き付くだろう。いや、ドイツ人だからこれができるわけではないのだが......セネガルの民族音楽そのものは、いまさら珍しくはないにせよ、欧州のミニマル・ダブの音響がそれと出会ったときに奇跡的な音楽が生まれた、としか言いようがない。

 ベルリンのマーク・エルネストゥスと、そして、セネガルの音楽、ンバラ(Mbalax)との出会いは偶然だった。デンマークを旅行中、とあるガンビア人のDJがその大衆音楽をプレイしたのをエルネストゥスは耳にした。衝撃を受けたドイツ人は、パリのレコード店で売っているアフリカ音楽のレコードを漁った。それからエルネストゥスは、より多くを知るためにセネガルへと向かった。ンバラの打楽器奏者、Bakane Seckとは、思ったよりもすぐに出会えたと、レーベルの資料には記されている。
 ンバラの面白いところは、キューバ音楽の影響を思い切り受けている点にある。70年代に定義されたという西アフリカのダンス・ミュージック=ンバラは、セネガルにおいて根強く人気のあったというラテン音楽にインスパイアされている。当時のラジオ局やクラブはサルサばかりをかけていたのだ。
 かくして、スペイン語とコンガがサバール・ドラム(セネガルの打楽器)に変換されるのは時間の問題だった。それはパーティ・ミュージックであり、悪魔払いにもなった。植民地主義への抵抗ともなって、酒飲みのBGMにもなった。
 ンバラは、もともとはサバール・ドラムによるリズム・パターンの名称だった。レーベルの説明によれば、それが多彩な打楽器演奏によって、「セネガンビア」なる大衆音楽へと発展したという話だが、「セネガンビア」とは、同じ民族でありながらイギリス領とフランス領に分断されたセネガルとガンビアの連合名でもある。レーベルが言うには、「セネガンビア」の音楽的発展のプロセスに大きく関与していたのが、Aziz Seck、Thio Mbaye、Bada Seckといったジェリ・ジェリ家の人たちだった。エルネストゥスが出会ったBakane Seckは、高名なサバール・ドラム奏者であり、先生であり、広範囲における影響の源だった。
 そしてある日、首都ダカールのスタジオには、ジェリ・ジェリ家から紹介された現地のミュージシャンが集まった──Bakane、Bada Seck、Doudou Ndiaye Rose、Babacar Seck、Moussa Traore、Laye Lo、Assane Ndoye Cisse、Yatma Thiam、あるいは歌手のMbene Diatta Seckなどなど。13人の打楽器奏者もやって来た。そして、トーキング・ドラムは叩かれ、ベース・ギターが弾かれ、DX-7もミックスされた。(ミュージシャンは、その筋では有名な人たちだそうで、メンツの解説は専門家に委ねたい)

 『800% ダガ(Ndagga)』、そのダブ・ヴァージョン『ダガ・ヴァージョン』との2枚同時リリース。レーベル〈ダガ〉は、エルネストゥス自身が主宰する(そのくらい気合いが入っているのでしょう)。昨年から今年の春にかけて、12インチ・シングルがすでに4枚切られている。アフロであり、ファンクであり、ダブであり、テクノとしても楽しめる音楽である。「ウェイリング・ソウル(レゲエのコーラス・グループ)の歌メロのようじゃないか」とはレーベルの弁だが、たしかに言われてみれば、それもあながち的外れな喩えではない。『ダガ・ヴァージョン』には、はっきりとレゲエ色が出ている。
 このところの休日、布団から出たらまずかけるのがこの2枚。台所に立ちながら、サバール・ドラムのポリリズムを浴びている。

Charles Bradley - ele-king

 1948年生まれ、少年期をニュー・ヨーク/ブルックリンで過ごしたチャールズ・ブラッドリーは、14歳のとき(1962年)にアポロ劇場でジェイムズ・ブラウンを見て衝撃を受け、その歌真似をしはじめ、自分も歌手になることを心に決めた。しかし、その道に順調に敷石は並べられなかった。若くして野宿生活を余儀なくされ、職業訓練でコック職を得てからはヒッチハイクで全米を転々とする。その間の音楽活動も実を結ばず、1990年代半ばまでの約20年間は、カリフォルニアでアルバイトで食いつないでは、歌手として小さな仕事を取る暮らしを送っていたという。
 90年代の後半には、ブルックリンのクラブでジェイムズ・ブラウンの物まねパフォーマンスの仕事をするようになるが、およそ50歳になってもまだ"自分の歌"を聴いてもらえる機会をつかめなかったばかりか、それ以降もペニシリン・アレルギーで命を落としそうになったり、ガンショットによって弟を失ったり、芽の出ない下積み生活に深刻な不幸が追い討ちをかけるという、話に聞くに散々な日々を送りながらも、とにかく歌うことは止めなかった。
 そしてJBなりきり芸人と化していたチャールズ・ブラッドリーは、遂にそのブルックリンのクラブで、〈ダップトーン(Daptone)・レコーズ〉の主宰者、エンジニア兼レーベルの中心バンド:ダップ=キングス(Dap-Kings)のバンマス/ベイシストでもあるゲイブリエル・ロスの目に止まるのだ。

 ブルックリンに拠点を置き、ファンク、ソウル、アフロ・ビートを主な守備範囲とする〈ダップトーン・レコーズ〉は、今世紀創業の新興ながら、当初からディジタル録音を一切行わず、アナログ・レコードをリリースの基本メディアとしていることで知られているインディ・レコード会社/レーベルだ。音楽の種類とサウンドの質に硬派な職人気質のこだわりを示す同プロダクションは、チャールズ・ブラッドリーのよく言えばヴィンテージ・スタイルの、悪く言えば堅物の唱法/個性を丸ごと評価し、この歌手を、そこから大切に"育てはじめる"。
 そしてレーベル最初期の2002年から、ブラッドリーの7インチ・シングルが定期的にリリースされはじめ、その計8枚のドーナツ盤によってじっくりと仕上げられた長い長い下積みの努力が、ダップトーン内のダナム(Dunham)・レコーズからのファースト・アルバム『No Time For Dreaming』に結実したのは2011年、ブラッドリー62歳のことだった。

 歴史上のA級ソウル・シンガーたち(O.V. ライト、ジェイムズ・ブラウン、シル・ジョンソン、ジョニー・テイラー、ボビー・ウォマック......)の面影がちらつくブラッドリーの歌のなかには、むしろそれゆえに、彼のそうした偉人たちには及ばない部分が浮き彫りになる。率直に言えば、それは"華"と呼ばれる類のものだろう。だけど一方でこの男の"歌"とは、そこを補って余りある誠実さと熱量なのだということ、この質実剛健を絵に描いたようなたたずまいと生命力それ自体が歌い、メッセージと化しているような存在感なのだということもまた、聴けばすぐにわかる。歌唱力ばかりか、"華"にも運にも恵まれたスターたちの圧倒的な輝きのなかには望むべくもない、古いソウル名盤には刻まれていない種の"ソウル"が、62歳の"新人"シンガーにはあった。それでこの男に日の目はようやく、しかし当たるべくして当たり、人びとはこの素敵な、同時にほろ苦い美談を愛でては、"あきらめずにやっていれば、いつかはものになる"、という教訓をそこから汲み取った。そしてジャケットで寝っ転がっている当人が、「夢を見てる時間はないのさ。起きて仕事しねえとナ(gotta get on up an'do my thing)」と歌うのに感じ入った。

 そして、その初作で広く賞賛され、ここにきていよいよ仕事期の本番を迎えたブラッドリーが、"たった2年しか"インターバルを置かずにこの4月に放った2作目『Victim of Love』がとにかくみずみずしいのだ。苦み走り、枯れ味も立つ、還暦を越えて久しいシャウターが、このフレッシュでエネルギッシュな歌い飛ばし方一発ですべてを魅惑的に潤していくカッコよさは、実力派歌手の技巧的成熟とは全く質の違うものだ。長い潜伏期の果てに、"はらわた"からマグマのように噴出する歌だ。

 サウンドの面では、自己紹介盤にふさわしくファンキー~ディープ・スタイルを重視したファースト作よりも、少し曲調が多彩な広がりを見せた。歌メロには60~70年代ポップスの薫りもするし、サイケ・ロック/70'sモータウン・サイケ風のアレンジもある。総じてダークでスモーキーな前作から明るくカラフルな方向へ歩みを進めた印象を受けるのは、この間に彼が浴びたスポットライトの光量も反映している気がするし、今作のリード・チューン"Strictly Reserved for You"のPVの彩度も関係していると思う。

 それにしても、都会に疲れた男がベイビーを愛の逃避行に誘うそのPVの、絶妙に制御されたダサあか抜け具合が素晴らしい。苦労人の背中に染みついた陰影も、人としてのチャーミングさも殺がずに映し出しながら、現代的な色彩感やカットと、わざと古臭いPV風に演出したゆるい絵づらとを繋ぎ合わせている。このセンス、バランス感覚に、〈ダップトーン/ダナム・レコーズ〉と、ブラッドリーの専属バンド:メナハン・ストリート・バンド(Menahan Street Band)に特徴的な"ネオクラシック哲学"が見て取れる。

 ダップ=キングスや、人気アフロ=ビート・バンドのアンティバラス(Antibalas)にブドーズ・バンド(Budos Band)などから精鋭たちが集い、ブルックリンの通り名を冠したメナハン・ストリート・バンドの演奏は、一聴するとかなりオーソドックスな70's南部サウンドのようでいて、細部にはソウル・マニアの白人ならではの美感とイマジネイションがさりげなく補われている。言わば21世紀のスティーヴ・クロッパーやドナルド・ダック・ダンたちが、60~70年代サウンドの洗練の一段先で、今の耳が望む痒いところにさらに手を延ばしたような音作りだ。メナハン・ストリート・バンド名義で洒脱な(ジャケットからして!)インスト・アルバムを2作出していること、そしてその1枚目『Make the Road by Walking』(Dunham)のタイトル曲を、ジェイ=Zが2007年の"Roc Boys (And the Winner Is)"で効果的にサンプリングしていたことを記憶している人も多いだろう。

 さらにチャールズ・ブラッドリーの2枚目が今年4月にリリースされたのと同じタイミングでジェイ=Zが発表したニュー・シングル「Open Letter」(内政問題に発展した、ビヨンセとのキューバ渡航について言及した内容が話題を呼んだ)では、ブラッドリーの1枚目に入っていた"I Believe in Your Love"をサンプリングしている。ブルックリンの話題の新多目的スタジアム《バークレイズ・センター》の昨年のこけら落としに抜擢され、8公演を全ソールド・アウトにした地元愛に篤いブルックリン・ボーンの超スーパー・セレブが、地元インディ・レーベルの〈ダップトーン〉の作品をバックアップし、さらには62歳でデビューしたブラッドリーのセカンド作のリリースに、前作からのサンプリングで花を贈るなんていうのは、なかなかにいい話である。

 しかし、何にも増していい話だと思うのは、ブラッドリーがこの5月、遂に、彼が50年前にあのJBを見たアポロ・シアターに、齢60代半ばにしてデビューすることだ。夢は叶うものなのだ......。ブラッドリーの歌が、しみじみ、生きる歓びの歌に聴こえてくる。

interview with Baths - ele-king


Baths
Obsidian

Anticon / Tugboat

Amazon iTunes

 天才の中二病は格が違う。前作の青(『セルリアン』)が天上を描き出したのとは対照的に、今作の黒が象徴するのは地獄のモチーフ、そして破壊、終末、死、無気力だ。天から地下への、まったく極端な直滑降。あの天衣無縫に暴れまわるビートは、どうやらそのエネルギーの矛先を地の底に向けて定めたようである。かつて"ラヴリー・ブラッドフロウ"が生命やその輪廻をおおらかに、そしてアニミズム的に描き出したのとはまるで異なる宗教観が、『オブシディアン』には強く表れている。ビートは直截的に鈍重に、きらきらとしたサンプリングは地響きのようなノイズに姿を変えた。それが、彼がこの間しばらく患っていたことに関係しているのは間違いないが、筆者にはもうひとつ別の病のかたちが見えてくる。若き魂に特有の病、破壊や死や傷や毒を求めてやまない、あのやっかいで輝かしい――「中二」の――病である。14才を10も過ぎているが、この制作期間にデフトーンズを聴いていたというのだから、やっぱりティーンだ。ミューズに愛され、デイデラスら偉大な先達から愛され、音も経歴もまったく怖いもの知らずなこの天使はいま、ありったけの力と思いを、そのべったりと暗い淵に注いでいるかに見える。

 名門〈アンチコン〉からセカンド・アルバムをリリースする「LAビート・シーンの鬼っ子」――フライング・ロータスやデイデラスにもつづく血統書付きの才能、ハドソン・モホークらに並べられる新世代の筆頭――バスは、その輝かしい肩書きをまるで引き受ける様子がない。今作はそうしたシーンを熱心にチェックしている人や、アブストラクトなヒップホップ、IDMなどのファン、クラブ・リスナーたちではなく、まさに「ブルーにこんがらがった」ベッドルームの青少年たちにふさわしい。死とか運命とか、替えのきかない「きみ」に執着するような、ロマンチックでドラマチックで激しいエモーションが、まるでそのエネルギーを削がれることなく切り出されている。もしあなたが『カゲロウデイズ』にイカれているなら、あなたにこそ聴いてほしい作品だ。『セルリアン』は歴史に残るが、今作は若いたくさんの人の胸にひっそりとインストールされるべきものである。バスはこの新作を「優れた一枚」ではなく、ある種の人間にとって「必要な一枚」に仕立て上げてみせた。
 国内盤にはしっかりとした対訳がついているから、彼がどれだけ今作で灰色や黒や破壊や無気力の病や、あるいはそれと同じだけピュアな恋を歌っているのか読んでみるのもおもしろい。だがテクニカルでありながら青く柔らかい感情のかたまりであるようなビート・コンプレックスは、ヴァイオレンスやネガティヴィティもまぶしいエネルギーに変えてしまう。

 人類の歴史はもはやチルアウトの方向にしか進まないのかと思っていたが、個々の小さな人生にはまだまだバスのような激しさと潤いが必要なようだ。PCのプレイヤーでかまわない、今宵、ベッドルームで逆回転のミサを執り行おう。『オブシディアン』とともに。

つねづね、LAビート・シーンというカテゴリから抜け出すように努めてきました。僕が達成しようとしているものではないからね。僕の目標はまさに『オブシディアン』が僕にしてくれたものだよ。

たとえば、ある種の良識や凡庸さに絡めとられていくことを大人になることだとするならば、あなたは今作でもまったく大人になりませんね。すごいと思います。前作『セルリアン』は、その「子ども/少年」のエネルギーが天上へ向かっていましたが、今作では地の底=死に向かっているように思います。死や破壊のモチーフが出てきたのは、あなたの経験した病気と関係がありますか?

バス:このアルバムの計画は『セルリアン』ができる以前からあったんだ。すごく暗い感じのトラックはいくつかすでに作っていたんだけど、たしかに病気になったことによって、アパシーであるということについての理解がより一層深まったよ。曲を書く気力も情熱も何もない状態で。こんな心理状態はいままでいち度も体験したことがなかったから、アルバムの核をなすテーマのひとつにもなった。本当に変(ビザール)な感覚だったよ。

ペストのイメージに行き着いたのは何がきっかけです? またあなたはそれを恐れますか? それとも魅了されるという感覚なのでしょうか?

バス:どちらもだよ! 悲しみや怒り、恐怖を通り越していた時代だった。人間の歴史においても最も暗くアパセティックな時代であったとも言われているよね。そんな衝撃的な題材を見過ごすわけにはいかなかったんだ。またこのテーマをいかにしてポップ・ミュージックに落としこむかという考えはすごく面白かった。

"インター"がキリエ、"アース・デス"がグローリア、"ノー・アイズ"がクレド、"マイアズマ・スカイ"がサンクトゥス、"ウォースニング"がアニュス・デイ。わたしには、『オブシディアン』が、ラストを1曲めとして冒頭へといっきに逆走する「反転の(暗黒の)ミサ曲」というふうに感じられました。宗教音楽については念頭にありましたか?

バス:わお! そんなこと考えもしなかったけど、本当に素晴らしい関連性だね! とても光栄だよ! ミサ音楽や中世の時代の音楽はたしかに聴いていたけど、そこからテーマ等を特に見出すというよりは、それらの音楽が持っている雰囲気から影響を受けたんだ。

死、終末、破壊、無気力、テーマは重く暗いですが、音にはそれがとてもロマンチックに出ているとも思います。それがとてもあなたらしいように思うのですが、ご自身にはそう感じられませんか?

バス:そういったプッシュ・アンド・プル、足し算と引き算、明と暗みたいなものこそが、僕が全体を通して『オブシディアン』で求めていたものだよ。音楽自体は(少し暗い要素のある)エレクトロ・ポップ・ミュージックにも聴こえるけど、歌詞は完全に暗くて、ときどきそれらが調和していない部分もあるかもしれない。けれど、その違和感や一致しない感覚こそが大事であって、それが他のアルバムにも共通して浸透していると言えると思うよ。

[[SplitPage]]

中世というのは、悲しみや怒り、恐怖を通り越していた時代だった。人間の歴史においても最も暗くアパセティックな時代であったとも言われているよね。そんな衝撃的な題材を見過ごすわけにはいかなかったんだ。


Baths
Obsidian

Anticon / Tugboat

Amazon iTunes

今作では複雑と呼ばれるあなたのビート・メイキングが、まっすぐに、リニアになっているように感じました。"オシュアリー"のハンマー・ビートも意外でしたし、"ノー・アイズ"の16ビートとか"フェードラ"や"インター"の8ビートなんかが生む切迫感は、『セルリアン』にはなかった感覚であるように思います。今作の激しいテーマがそうさせたのでしょうか?

バス:はい、と言ったら嘘になってしまうんだけど、そう考えるのも良いと思う。このアルバムには異なったタイプの緊張感がたくさんあるんだけど、たぶんそれらは偶然に生まれたものかもしれない、はは。とにかく一曲一曲、互いと違ったものでありながら、テーマ的には同じ、という感じにしたかったのはたしかなんだ。そんな目標があったから、流れで聴くとビートが互いを押し合って、緊張感や切迫感みたいなものが生まれたのかもしれない。

また、鉄槌のように重たい音やビートもありますね。"ウォースニング"もそうですし、"ノー・パスト・リヴズ""アース・デス"もそうです。インダストリアル的ですら、またブラックメタル的ですらあります。音楽的なインスピレーションとして何かヒントになったものがあるのでしょうか?

バス:あなたがいま言ったとおりだよ! インダストリアルな音、鉄、うるさくて、寒々と荒れ果てたような音楽に影響を受けたんだ。これらの音は、僕が開拓したかった新しい別のサウンドを見つけ出すのに大きな役割を果たしたと思う。友だちのジミ--が紹介してくれたエンプティセットというグループはその点においてとても大きなインスピレーションになったよ。

今回の作品で、「LAビート・シーンの鬼っ子」といった印象を大きくはみ出ることになったと思うのですが、あなた自身には実際のところ「LAビート・シーン」を牽引するという意識があるのでしょうか?

バス:つねづね、LAビート・シーンというカテゴリから抜け出すように努めてきました。僕が達成しようとしているものではないからね。僕の目標はまさに『オブシディアン』が僕にしてくれたものだよ(ビート・シーンからはみ出してくれたということ)。だからあなたがそう感じてくれたことはとても光栄だね。

雨のサンプリングが好きなのですか? 前作の"レイン・スメル"につづいて今作でも"マイアズマ・スカイ"に使われていますが、今回は「本降り」という感じで雨音が激しくなっていますね。

バス:はは、雨のサンプリングは前作から今作まで続いた小さな恋心とか片思いってところかもしれない。外の世界にあるものをなんでもサンプリングするのが好きなんだ。まったく音楽的じゃない音たちを、ポップ・ミュージックという文脈に入れることによって音楽的にするという感覚はスリリングで大好き。現に"インコンパーチブル"のほぼすべてのリズムは、石を投げたり、それが欠けたりする音からできているんだ。

「運命」という言葉も何度か出てきますが、あなたはあなたの生が運命に規定されていると感じることはありますか?

バス:自分の人生が運命づけられているとはまったく思わないけど、そう考えること自体とても宗教的な感覚だよね。ときに自分の人生やこのアルバムが宗教的な何かに畏怖の念を抱いているように感じると同時に、まったくそういうことと合致しないときもある。よく神を恐れたり、自らの罪を認識したりしているような信心深い人の視点から歌詞を書くこともあるよ。

いちばん時間をかけたのはどの曲でしょう? 録音についてとくにこだわった点があれば教えて下さい。

バス:"フェードラ"が長い間しっくりこなくて、構想を練るのにも時間がかかったんだ。とにかくなぜかすごく時間がかかった。 僕はアルバム全体をひとつのものとして捉えてもらいたいから、なにか特別こだわった点を挙げるのは避けようかな。

今作までのあいだに世界をまわってツアーをされたことで、何かご自身に変化はありましたか? また、何か音楽上で大きな出会いがあったりしましたか?

バス:多くのとても重要な出会いがあったし、個人的に憧れている人々とも会ったり、いっしょにショーをしたりする機会もあった。ツアーで会った人々の数は本当にクレイジーなくらい多かったよ。自分自身の変化について言えることは、世界中の人々はみんな同じ、ということに気づけたことかな。最高な人もいれば、嫌なやつ、美しい人、かっこいい人もいて、世界中どこにいても同じなのだなと思った。そしてそれは素晴らしいことであるとも思えるよ。

この制作の間、よく聴いていた音楽があれば教えてください。

バス:そうだなあ、アゼダ・ブース(Azeda Booth)とエンプティセット(Emptyset)のふたつは確実に大きな影響を与えてくれたよ。他にもたくさんいると思うけどね。デフトーンズ(Deftones)もたくさん聴いたと思う。

DJ BAKU - ele-king

 ヒップホップのクリシェを破壊し、ノイズをぶちかます若きターンブリストとしてシーンに忽然と現れ、躍動的で、ラジカルなカットアップによる2006年の『Spinheddz』、ダンスの熱狂が注がれた2008年の『Dharma Dance』のリリース......あるいはDIYシーンのコミュナルな感覚を意識したフェスティヴァル〈KAIKOO〉の主催など、DJバクは、ゼロ年代、もっとも果敢な試みをしているひとりだ。
 いま、シーンの革新者は、5年ぶり3枚目となるアルバムのリリースを控えている。ゲストには、N'夙川BOYSのリンダとマーヤ、mabanua、Shing02、Carolineなど。
アルバム・タイトルは『JapOneEra(ジャポネイラ)』。発売は6月26日予定。注目しよう!


https://djbaku.pop-group.net

L.Pierre - ele-king

 戸川純@新宿ロフトの追加公演で久しぶりに"隣りの印度人"を聴いて、ポリティカリー・コレクトネスもクソもない誤解だらけのエキゾチズムが急に懐かしくなってしまった。アダモステあたりが最後になるのか、映画『愛と誠』でけたたましくカヴァーされていた"狼少年ケン"や、ボクダン・レチンスキーがホームレスをやりながらサンプリングしたらしきフザケた中国語の類いが"隣りの印度人"を聴いている間にまとめて記憶の彼方から押し寄せてきた。日本だけでなく、アラン・シリトーもアフリカ人は道に迷ったらドラムを叩いて知らせてくるさとか随分なことを書いていたし、デヴィッド・ボウイーのジャッジ役に笑い転げた映画『ズーランダー』ではいい加減な日本のイメージをわざと再現するなど(それでいてナイキを告発するというメッセージ性もあったりするんだけど)、人種ジョークはむしろ世界平和につながるだろーと思ってしまったり(最近では映画『ディクテイター(独裁者)/身元不明でニューヨーク』でも相変わらずサシャ・バロン・コーエンに笑わせてもらいました!)。

 そこへエイダン・モファットによるラッキー・ピエール名義の4作目である。かつてアロハ・ハワイの名義で10インチ・シングルをリリースしていたモファットがジャケット・デザインからしてグレッグ・マクドナルド『アロハ・フロム・ハワイ』をそのままパクり、片端からインチキなハワイのイメージで固めたエキゾチック・サウンドのバッタもんである。ハワイ王家がどのようにして滅びたかを描いたマーク・フォービー監督『プリンセス・カイウラニ』を観たばっかりだったので、 悲しくドラマチックにはじまる導入もとくに違和感はなく、ラフマニノフ"嬰ハ短調"のループから運命を叩きつけるようなパーカション、さらにはメロドラマ風の安っぽい旋律と、森山大道を思わせるダークなハワイが延々と続く。それこそやる気の出ない毎日や、やる気を出したところでなんになるのだろうかという気持ちがどんどん増幅されていく。悲しきハワイ。ブルーハワイ。あるいは昼メロのハワイがインスタントな感情を波打たせ、生きることはほかの誰かがやってくれると思わせてくれる。透き通るような運命論に翻弄され、それがいつしか快感へと変わり、クロージングではついにこの世の虚空に溶けていく瞬間が訪れる。トロピカルなのに終始物悲しく、過剰な自己憐憫が肯定される感じはさすがアラブ・ストラップ(解散はしていない)である。レイディオヘッドに疎外感を覚えたこともノスタルジーに感じられ、チープなサウンドはそのまま人生には実体がないことを確認させてくれる。

 また、10年ぐらい前に(マーティン・デニーと並び称される)アーサー・ライマンのエキゾチック・サウンドをまとめてカヴァーしていたマイク・クーパーが久々にリリースした新作も40年来のテーマである南の島をコンセプトとしてぶり返し、異様な南国ムードへとリスナーを導いていく。先日他界したロル・コクスヒルらとともにレシデンツを結成していた70代のギタリストだけにフリー・ミュージックやブルース、ジャズ、カントリー、近年はポスト・ロックも気楽に行き来し、あらゆる手法がイメージのために総動員される。そこはまだ未開の地であり、一見、パラダイスのようでありながら、何が出てくるかわからない恐ろしさを併せ持つ。一歩一歩=一曲一曲が未知の空間をイメージさせ、虫の声とループされたドローンによる「毎日の夕暮れ時」はそれこそ不安と安寧の二重構造を象徴する。いくつかの曲で繰り返されるディレイをかけたトゥワンギー・ギターだけが、いわゆるリゾート気分を準えるものであり、おどろおどろしいパーカッションや鐘のように鈍く鳴らされるベースは未開の地へ足を運んだ後悔を先取りさせてくれる。「肺がつぶれた」という曲ではもう死ぬしかないという気分になるだけで、何もかも放り出してどこかへ行ってしまいたいという感覚は見事に挫かれてしまう。これは一緒にいたくない人たちと過ごさなければならない毎日に戻っていくためのトロピカル・ミュージックなのだろう。こ んなものを聴いてしまうと諦めもつくというものである。

EP-4、来るべき二夜 - ele-king

 もしや寝首でもかかれたのではあるまいかと思わせた、昨年の衝撃的な復活劇からはや一年、別働隊の活動もふくめ、その活動はひきもきらないEP-4(unit3については、いま出ている紙のエレキング9号をご参照ください)によるイベントをふたつ。

 5月18日土曜、恵比寿リキッドルームの「クラブ・レディオジェニク」は1980年、EP-4誕生の場となった京都のクラブ・モダーンを一日かぎりで復活させるコンセプトのクラブ・イベント。ゆえにスタートは24時きっかりだが、遠い記憶をいたずらに伝説のベールにつつむのではなく、ミラーボールの下にさらし、現在のオーディエンスに届けようとするのは、クラブ・カルチャー黎明期の実験主義者の面目躍如たるものだろう。メイン・フロアではフルバンドのEP-4をはじめ、佐藤薫みずから人選したという、ドライ&ヘビー、JAZZ DOMMUMISTERS(菊地成孔+大谷能生)、かつて佐藤薫がプロデュースしたニウバイルがライヴを行い、ムードマンと、宇川直宏が15年ぶりのDJプレイを披露する。だけでも気が抜けないのに、2階のタイムアウト・カフェには中原昌也、コンピューマ、Shhhhh、Killer-BongがDJで登場する、水も漏らさぬ布陣である。
 その3日後、EP-4の生誕祭にあたる5月21日の生地京都でのライヴでは、オリジナル・メンバーである佐藤薫、ユン・ツボタジ、鈴木創士に、山本精一、千住宗臣、須藤俊明、家口成樹、YOSHITAKE EXPE、つまりほぼPARAの面々が加わることでEP-4がどのような化学変化を起こすのか、新作にとりかかっているという彼らの今後を占うのにも恰好の夜となるにちがない。


写真:石田昌隆

公演情報

「クラブ・レディオジェニク」
2013年5月18日(土)
恵比寿リキッドルーム
開場・開演:24時

■1F MAIN FLOOR
Live:
EP-4
DRY&HEAVY
Jazz Dommunisters(菊地成孔×大谷能生)
ニウバイル

DJ:
MOODMAN
宇川直宏(from DOMMUNE DJ SYNDICATE=UKAWA+HONDA+IIJIMA)

■2F Timeout Cafe
DJ:
中原昌也
compuma
Shhhhh
Killer-Bong

「EP-4 / 5・21@京都」
2013年5月21日(火)
京都・KBSホール
会場:18時 開演:19時

Guest:
KLEPTOMANIAC+伊東篤宏、ALTZ.P
VJ: 赤松正行
DJ: YA△MA


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727