「K A R Y Y N」と一致するもの

#4 eastern youth 吉野寿 前編 - ele-king

我慢して学校に行ってても金もらえるわけじゃないから働こうとしたんだけど、16~17歳じゃろくな仕事がなくてさ。

後編はこちらから


eastern youth
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──今回は「レベルミュージック」というテーマでお話をうかがいたいと思います。

吉野:ろくなこと話せんと思いますよ……。

──まずバンドをはじめた頃の吉野さんはどんな少年だったんですか?

吉野:世の中全員敵だと思ってました。みんな死ねって(笑)。

──なんでそんな……。

吉野:もちろん近しい友だちはいましたけど、そもそも仲間っちゅうもんがあまりいなかった。小ちゃい頃からつまはじきになりやすい性格だったんだと思います。それで仲間外れになったり、嫌われたりするということもすごく多くて、こっちだって「けったクソ悪いわい」と世の中に対する憎しみや反抗心みたいなものを着々と募らせていったんでしょうね。

──なるほど。

吉野:いちばん最初に組んだバンド、スキャナーズはその延長線上という感じです。ちょっと大きくなると楽器を弾くようになって、自分のフラストレーションを形にできるようになりました。だからいわゆるレベルミュージック的な「政府が……」「世の中の仕組みが……」とかっていうよりは、自分を閉じこめるやつら、俺は世の中のほとんどのやつらがそうだと思ってたから、そいつら全員ふざけんなって感じでしたね。歌詞とかも生きづらさみたいなことを歌っていたと思います。

──学生時代はどのように過ごしていたんですか?

吉野:義務教育までは実家にいましたけど、高校に上がるタイミングで家を出て下宿していました。とにかく生まれ育ったしがらみから早く出たかったんですよ。

──生まれ育ったしがらみというのは?

吉野:学校間のつながりとかですよ。そういうのに囚われない、何にもないところに行きたかったんですよね。

──高校から下宿というのもすごいですね。

吉野:そこの下宿が劣悪な環境でね(笑)。なんせ食い物がまずくて喉を通らんのですよ。少ないながらも親から仕送りをもらっていたんですが、そういうのはすべて食費に消えてました。「なんだっ!? このツラさは……」とか思ってましたね。

──(笑)。そんな状況だとレコードや楽器に費やすお金はなかったんじゃないですか?

吉野:なんとかなってましたよ。ギターとアンプは兄貴からもらったのがあったから、弦が切れたら買うくらいで。レコードも毎月買うわけじゃないから、何か欲しいのがあったらどうにかやりくりするか、文通してカセットに録音してもらったりしてました。

──文通ですか?

吉野:昔の雑誌には文通欄っていうのがあったんですよ。「僕は北海道に住んでるこういうものですけどやりとりしましょう」みたいな感じで、知らない音楽を録音して送ってもらってました。

──どんな音楽ですか?


THE COMES
『NO SIDE』
(1983年)


GAUZE
『FUCK HEADS』
(1985年)

吉野:COMESとかGAUZEとか日本のハードコア。UKもUSも好きだったんだけどね。田舎だとなかなか買えないんだよ。もちろん通販では買えるんだけど、ソノシートとかはいっぱい出ててお金もそこまではないしさ。

──ハードコアを聴きながら下宿で鬱々としていたわけですね。

吉野:じつはその下宿もすぐに出ちゃうんです。俺、高校を1年くらいで辞めていて。何にも囚われないところに行きたくてちがう街の高校に行ったのに、結局そこもダメだったんですよね。それでいちど実家に帰って、半年くらい引きこもってレコードばっかり聴いていました。

──そうだったんですね。

吉野:落ちこぼれちゃったというか、社会から踏み外れちゃったなという感じでしたね。でも自業自得だしどうしようもないんですけど。

──当時からそう思えましたか?

吉野:そうですね。人のせいにはしてなかったですよ。だって好きで辞めたんですから。でも「やったー、学校行かなくていい!」って喜ぶ反面、「さぁて、どうやって食っていこうかな」って思いはありましたね。

──当時の吉野さんはどうやって食べていくことにしたんですか?

吉野:我慢して学校に行ってても金もらえるわけじゃないから働こうとしたんだけど、16~17歳じゃろくな仕事がなくてさ。それで「よっしゃ」って田森も学校辞めさせて(笑)、いっしょに札幌に行ったんです。帯広にいたやつが札幌で暮らしてたから、そいつの家に転がり込みました。

──じゃあ札幌時代は働きながらバンドをやっていたんですね。

吉野:働いてもいなかったんですけどね。札幌で知り合ったやつらは実家にいたりしたから、そいつん家に飯食いに行ったり。バイトしてるやつのところに行って余った食べ物もらったりとか、あの手この手で食べてましたね(笑)。


俺は格好から入ったから、最初はそういうもんなんだろうなって。スキンズ・コミュニティの中に自分の居場所を見出しちゃって、その中にいたいから右翼的な考え方を受け入れる、みたいな流れでしたね。

──いまのお話がスキャナーズ期ですか?

吉野:そうです。17~19歳くらい。

──壮絶な少年時代ですね……。

吉野:そうでもないですよ。なんとかなってましたからね。とにかく「ここにはいたくない」という感じでした。ここじゃないどっかに行きたかったんです。

──楽しかった?

吉野:楽しかったですね! いま思い返すとあまりの無計画さにゾッとしますけど(笑)。ホント、あの頃は何も考えてなかったんですよ。まあ考えてはいたんだけど、目先のことしか見えてなかった。明日、明後日みたいな。

──スキャナーズはどんなバンドだったんですか?

吉野:Oiパンクです。

──映画『This Is England』のインタヴューで吉野さんはご自身とOiパンクの出会いをお話されてましたよね。

吉野:「なんで全員坊主なんだろう!? カッコ悪いな」って思いましたよ(笑)。でも調べるとパンクじゃないそういう部族がおるらしい、と。同じようなもの聴いてるらしいけど、坊主で服も全然ちがう。俺が好きでやりたいのは、どうやらこっち側らしいぞって感じだったんです。そこからどんどんのめり込んでいきました。

──Oiパンクに感化されて思想面が右翼的になっていたとも話されてしました。

吉野:俺は格好から入ったから、最初はそういうもんなんだろうなって。右翼思想を受け入れないと仲間になれない、というか。スキンズ・コミュニティの中に自分の居場所を見出しちゃって、その中にいたいから右翼的な考え方を受け入れる、みたいな流れでしたね。

──しかしその後、右翼思想から脱却しました。

吉野:彼らが何を以てして伝統と言ってるのかさっぱりわからなかったんですよ。必死に理解しようと思ったんだけどね、考えれば考えるほどわからない。それが日本人のメンタリティとか習慣とかを指すんだったら、一人ひとり自分が大事だと思うものを大事にすればいいだけの話で、何も愛国心とか言わなくてもいいじゃない? 時代のなかで人々が大事にしたいと思うものは大事にされ、いらないと思うものはなくなっていくんだからさ。

──インタヴューでなるほどと思ったのは、ある種の部族にとってはファッションにしろ、思想にしろ、掟は細かければ細かいほどよいという部分でした。

吉野:そうそう、そのほうが団結しやすいんです。

──ユニフォーム的な魅力というのはすごくよくわかります。でも吉野さんは違和感を感じながら、部族で過ごすことは選ばなかったわけですよね。

吉野:まあ選ばなかったというか、普通に疎遠になっていったって感じですよ。「入れてください!」って言って入ったわけじゃないし、「辞めまーす」と言って出たわけでもないので。みんな個人的にはいい人たちだし、意外と風通しもいいんですよ。表面的なイメージよりずっと話のわかる“いい先輩”みたいな感じでした。あと自分たちの音楽性も(Oiパンクから)どんどん離れていったというのもありますね。だから、そういうライヴにも出なくなったし、呼ばれなくなった。

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スティッフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)を聴くように中原中也を読んでいて。


eastern youth
『口笛夜更けに響く』
(1995年)


Stiff Little Fingers
『Inflammable Material』
(1979年)

──吉野さんが東京に出てきたのはいつ頃ですか?

吉野:eastern youthを結成したのがちょうど20歳の頃で、『EASTERN YOUTH』(廃盤)というアルバムを出したくらいの頃に田森とふたりで東京に来ました。この頃はいわゆる右翼期で(笑)、『口笛夜更けに響く』から考え方や歌詞、音楽性もすごく変わったんです。

──『EASTERN YOUTH』ではどんなことを歌っていたんですか?

吉野:下手の考え休むに似たりじゃないけど、まあかぶれちゃってる感じですよね(笑)。ただ自分の生まれ育った環境だとか日本っていう国に愛着持っちゃいけないの?っていう思いはありましたね。当時は、日本語はロックやパンクに乗らねえだなんだって論争があったりして、フル英語詞でやるやつらも増えてきたような時期だったんです。でも俺はそういう意見に「(日本語がロックやパンクに)乗らないんじゃなくて、自分たちが乗せようとしてないだけじゃないの?」って感じていて。

──なるほど。

吉野:それで俺もバカなりに考えて、歌詞を文語体にすることを思いついたんです。文語体にすると言葉が記号化するでしょ。その記号を曲の中にはめ込んでいくような感覚。言葉を形として扱うというか。そうすると意味も普通の言葉みたいにダイレクトに入ってこない。

──初期eastern youth作品の文語体の歌詞はそんな状況で生まれたんですね。

吉野:もともと詩を読むのが好きだったんですよ。スティッフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)を聴くように中原中也を読んでいて。どっちもカッコいいなと思っていたから、自分の聴いてきたパンクと詩をくっつけちゃダメなのかなって思ったんです。最初はそんな感覚でしたね。

──吉野さんは先ほどアルバム『口笛、夜更けに響く』から歌う内容が変わったとおっしゃいましたが、具体的に『EASTERN YOUTH』からどのように変化したんですか?

吉野:『EASTERN YOUTH』の頃はスキンズ・コミュニティの中で“愛国”とか“日本の心を大事にしようぜ”とか言ってたから、それを軸に歌詞を書いていたわけです。でも徐々に「自分のことで精一杯で“愛国”とか言ってらんねえな」って感じになってきたんですよ。

生身で戦わないと自分の人生にならんのですよ。だからどんどん自分の中のハッタリは却下になるわけです。

──右翼的思想よりも他に、自分にはもっと歌うべきことがある、と。

吉野:そう。こっちは生きていくのに精一杯でぶっつぶされそうになってたわけです。暮らしこそが、俺の戦いだったんですよ。仕事! メシ! ツラい! 死にたい!っていう(笑)。「でも、負けねえぞ」ってなってて。そしたら日本がどうとか、日の丸がどうとかはなんだっていいというか。なんだっていいものは、俺にとって歌うべきことではない。だからは俺はその「負けねえぞ」っていう思いを形にせにゃいかんぞと思ったんですね。

──eastern youthの歌詞は年々シンプルになっていると思うのですが、それはなぜですか?

吉野:それは本当のことだけを歌いたいからです。パンクに文語体をぶっこむっていうのは仕掛けなんですね。ハッタリ。頭悪いくせに頭よく見せようとしてもしょうがない。頭悪いなら頭悪いままでいい。変なメッキのようなもので実際より自分を2倍にも3倍にも大きく見せてもしょうがない。むしろ漢字バリバリ間違ったまま歌詞にしたいくらい(笑)。

──本質的なことを歌いたいという欲求が、結果的に歌詞をどんどんシンプルにしていった、と。

吉野:俺は自分が本当に大事だと思うことだけを歌っていきたい。そのためにはハッタリをどんどんとっていかないと。生身で戦わないと自分の人生にならんのですよ。だからどんどん自分の中のハッタリは却下になるわけです。そうやってカッコつけたものを取っていくと、ひょろひょろの芯みたいなもんだけが残って。それがどんなにみすぼらしい針金みたいなもんでも、それで勝負したい。「どうにか頑張れよ」「死にたくないんだろ」って。大事なことっていうのはシンプルなんだと思います。


■ライヴ情報
極東最前線巡業 ~Oi Oi 地球ストンプ!~
2014年8月30日(土) 渋谷クラブクアトロ
open 17:00 / start 18:00  ¥3,500(前売り/ドリンク代別)
出演:Oi-SKALL MATES / eastern youth

ticket
ぴあ(P:230-946)
ローソン(L:77597)
e+(QUATTRO web :5/17-19・pre-order:5/24-26)
岩盤
CLUB QUATTRO

(問い合わせ)
SMASH : 03-3444-6751
https://smash-jpn.com
https://smash-mobile.com


Julianna Barwick - ele-king

 本作『ロサビ』は、デラウェアはミルトンのブルワリー、〈ドッグフィッシュ・ヘッド・ブルワリー〉と、ジュリアナ・バーウィックとのコラボレーション作品である。正確に言えばこのEPだけでは本作は不完全だ。なぜなら、『ロサビ』とはこの企画よって生まれたペール・エールの名であって、ボトルと10インチとが同梱されたものが出荷を待っている。やっぱり、それを味わいながら聴いてみたい。

 ロサビを飲みながら聴きたいというのは、気分の問題からというだけではない。この企画自体が、両者のあいだにおいて、時間的にも内容的にもわりとじっくりと進められたという背景を知ればこそである。スタートは2013年、バーウィックがドッグフィッシュ・ヘッドの新しい醸造所に招かれて従業員たちの前で演奏を披露するところからはじまる。そこはカテドラルのような環境だということだから、バーウィックの音楽と演奏スタイルにぴったりとはまっただろう。そののちに本作収録曲が編まれるわけだが、ドッグフィッシュ・ヘッド側からはビールの製造過程において生まれるさまざまな音──醸造、発酵、濾過、そしてボトリングにおいて発生するノイズが提供された。バーウィックはループ・ペダルによって自身の声をレイヤーしていくあの特徴的なスタイルに、ロサビのための一層を加える。

 ぶつぶつ、こぷこぷ、ガシャンガシャン。あらためてビールを製造している音だということに思いを馳せるとなんだか可笑しいが、そんなふうにどことなくコミカルな、弾むような炭酸っ気と、このエクスペリメンタルなブルワリーを支える従業員たちの心意気や精神、ビール好きだというバーウィックのキャラクターが、彼女のヴォーカル・ループにじつに気持ちよく、のびやかに織り合わされている。つけ加えると、ロサビにはわさびが入っているそうだ。筆者はわさびが苦手で、サビ抜きじゃない寿司を出されると親にキレたりしていたが、「苦みとホップのようなハーバル・ノーツが加わった日本の根菜類」なんて表現されるとちょっとトライしてみようかという気持ちになる。さわやかで、しかしちょっと実験的な性格をもったビールなのだ。

 波が寄せるように、一息ぶんのフレーズが穏やかに高低し、層を重ねていく。バーウィックについては何度も書いてきたので多くを割かないが、彼女をヴォーカリストや歌姫の類に括るのは正確ではないと思う。声楽も学んでいるけれど、彼女が明確な旋律と構成をそなえた「ソング」を歌った作品は『オンブレ』(2012、アスマティック・キティ)というヘラド・ネグロとのコラボ作のみである。むしろ即興性を軸としてサウンド・デザインを施していくスタイルが特徴で、どちらかというと音響派に連なるアーティストだ。そしてまた、リニアな時間性をもつ「ソング」が終曲とともにその単一の時間を完結させ、閉じるものであるのに対し、バーウィックのコンポジションは複数の時間を綴じるように成立している。その意味で、本来こうしたコラボレーションと相性のよいものなのかもしれない。
 ちなみに、“トゥー・ムーンズ”においてアナログ・シンセがフィーチャーされているところが小さな新機軸ではあるが、大部分はいつものジュリアナ・バーウィックである。工場のフィールド・レコ―ディングからのサンプリングが、低域をけずられてきらきらと輝いている。リヴァービーにひきのばされて、ホップが踊る愉快な時間と響き合っている。ブルワリーの創設者にして社長であるサム・カラジオーネは、バーウィックの習慣にとらわれない音楽スタイルが好きで、それは自身のビール製造への思いと変わらないのだと述べる。この企画の銘柄にかぎらず、どこか独創的で若々しい社風を想像させるメッセージだ。そんなブルワリーの気質と、ロサビの楽しくて気持ちのよい性格が、残響のなかから立ち上がってくる。


interview with Passepied - ele-king

 幕の内弁当がいまのような姿を現すのはようやく江戸時代のことらしいというのはウィキペディアで得た情報だけれども、あのとりどりの惣菜が折詰に小さく仕切られて、デザイン性もゆたかに並べられている様子は、吹抜屋台というのだろうか、屋根をとりはらって中のお姫様やお殿様や女官たちを俯瞰で描く『源氏物語絵巻』など、もっとふるい絵巻物の構図を思い出させる。

 フル・アルバムとしては2枚めとなるパスピエの新作に冠されたタイトルは『幕の内IZM』。「全曲シングル出来」と喧伝されるように、各楽曲には卓越したソングライティングや繊細なアレンジ、小技を効かせたタイトなアンサンブルが光り、ニューウェイヴィなシンセ・ポップからソリッドなポストパンク調、ピアノやオーケストラ・アレンジが華やかなロック・ナンバー、変拍子と転調を重ねるプログレ展開……と、さながらいちょう切りのにんじんや、丁寧に俵型に型押しされてごまをかぶった白米のように、幕の内なヴァリエーションが詰め込まれている。しかし、幕の内弁当のように多彩でよくできたアルバムですね、というのでは言葉足らずだ。パスピエの「幕の内」はただ品数やデザイン性という特質を超えて、あの俯瞰構図が思い起こさせる「日本らしさ」へとさかのぼっていくように思われるからだ。

 大胡田なつきのジャケット・デザインもそんな空想を手助けする。ポップアップ式で日本家屋の一隅が展開し、立てて置くとその全体が俯瞰できる。日本画の絵具で塗られた少女たちが遊び、佇み、異なる場面や異なる物語が同一画面に収まってしまうという、あの絵巻的な時間と空間。そこではやがて、ジューシィ・フルーツを垣間見するイエスや、文箱を開ける矢野顕子のホログラムが明滅を繰りかえすだろう──。一人称を起点に歌うのではなく、また三人称の物語を紡ぐのでもない、その両者がとけあいながら並び、時間を混在させ、木と紙でできた箱を華やがせるその様子には、メイン・パーソン成田ハネダが述べるように、頭にJをつけて異物を取り込んでしまう敷島の大和心が奇妙なかたちで表れているのかもしれない。

 今作において成田ハネダは、海外からみた日本を意識したと言う。いや、そもそもの最初からパスピエの音楽にはJ-POPとはどんなものなのかという問いかけがあった。大学で西洋の音楽を修め、ロックやパンクはその後に出会ったというこの鍵盤奏者は、日本のポップ・ミュージックに対しても、その内側からではなく、まさに絵巻物のように俯瞰的で、視線がけっして内面化されないような地点から接してきたのだろう。

 『幕の内ISM』は、そうした意味で日本のポップスを相対化し、イミテートする、過激な実験化合物のような色をしている。これまでの作品に増して「皮をかぶったJ-POP」を加速させ、むしろそのことでその皮が破れ、エクスペリメンタルにJ-POPという幕の内をさらすものに仕上がっている。初期衝動ゼロのつめたい批評性と、限界まで伸張させたJ-POP要素とが激しく摩擦を起こし、いまにも発火しそうだ。


セカンド・アルバム『幕の内ISM』のジャケット展開イメージ

■パスピエ/Passepied
2009年に成田ハネダ(key)を中心に結成。バンド名はフランスの音楽家ドビュッシーの楽曲に由来。2011年にファースト・ミニアルバム『わたし開花したわ』、2012年にセカンド・ミニアルバム『ONOMIMONO』をリリース。2013年には初のシングル『フィーバー』つづけてメジャーで初となるフル・アルバム『演出家出演』を発表。数々の大型ロックフェスへの出演、またワンマン・ツアーを成功させ、今年はEP『MATATABISTEP/あの青と青と青』、セカンド・フル『幕の内ISM』のリリースでキャリアにさらなる弾みをつけている。
Vocal : 大胡田なつき Keyboard : 成田ハネダ Guitar : 三澤勝洸 Bass:露崎義邦 Drums:やおたくや

成田ハネダのポップス観


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まず、整理のためにおうかがいしたいのですが、最初のミニ・アルバム『わたし開花したわ』(2011年)の時点では、メジャー契約前ということになるわけですよね?

成田ハネダ:そうですね。

とすると、ある種の契約関係のないところで作られてきた曲というのは、だいたい『わたし開花したわ』の時点で発表済みということになりますか?

成田:そうですね、僕らの場合は、その作品のリリースまでに作った曲がその作品に収録されるというかたちですね。例外もあるんですけれど。

そうなんですね。最初のミニ・アルバムでひとつ区切りができているという。では、メジャーというところへひとつステージを上げたことによって、何か変化を意識しましたか? たとえば、誰に向けて作っているのか。

成田:うーん、誰に向けて作るというようなことはあまり意識したことがなくて。僕はバンドをはじめたのがすごく遅かったので、「誰に共感させたらいいんだろう?」ってことよりも、「誰が共感してくれるんだろう?」っていう興味のほうが大きかった部分はありますね。
 いまは曲についての感想をツイッターのリプライとかでいただいたりすることが多くなりましたけど、年齢や顔が見えるわけではないので、おもに反応を意識するのはライヴだったりするんですよ。そのライヴのお客さんが、年々変わってきていたりすることは感じます。

あ、やっぱりそうですか。

成田:そうですね。最近はどんどん若い方が来てくださるようになったと思います。

なるほど。その変化に対して自分たちからも投げ返すという感じですか。

成田:そうですね。『わたし開花したわ』の頃はけっこう年齢の上のかたが来てくださっていました。

その感じはわかりますよ。変な言い方ですが、音楽的にちょっとうるさいような、玄人感のあるお客さんというか。若い人が増えたというのは象徴的だと思うんですが、今作について、よりポップに開き直るというような部分はなかったですか?

成田:「開き直る」というのは、よりポップを意識するということですか?

そうです。へんに悪い意味にとられたくないのですが。

どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。   (成田)

成田:そうですね、そもそもの話からすると、僕の場合は、衝撃を受けたライヴ体験が小さなライヴハウスでの経験だったりするわけじゃないんです。どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。そのころは、そういう大きなステージで活躍しているアーティストはメジャー契約というものをしている人たちなんだっていうふうに思っていたし、それならば自分たちもメジャー契約をしたい、という感じだったんです。
 でも、何年かやっていくうちに「彼らはメジャーに行って変わってしまった」というような反応をきくようになりました。そのときに、インディからメジャーへ行くというのは、アーティストだけじゃなくてリスナーにとっても意識を変えさせられることなんだなってことを理解するようになって、だったら僕はその逆をやりたいと思いました。僕の中では『わたし開花したわ』に入っている作品がいちばんメジャーっぽく作ったものなんです。

へえ!

成田:バンドなのに思いっきりオーケストラ・アレンジをしている曲だったり、これだったらテレビで流れてもおもしろいんじゃないかなっていうような曲だったり。はじめはそういうものを作っていたつもりで、メジャー契約したあとは、むしろ自由なことをやらせてもらっているような気がします。

なるほど。

成田:なので、ポップスの純度という点で『わたし開花したわ』がいちばん高いものであって、その濃い薄いが以降の作品の差だというのが僕の感触なんですよ。

先に『わたし開花したわ』というイデアが提示されてしまっていると!

成田:バンドをやる上で、メジャーでやりたいという思いがすごくあったので、だったら最初から出来上がっていればいいんじゃないかと考えていたと思います。

それはまた、ある意味複雑な出発点ですね(笑)。たとえばメジャー・リリースのファースト・アルバムとなる『演出家出演』ですけど、あの冒頭のフュージョンっぽいアンサンブルの一曲を比較しただけでも、今作『幕の内ISM』ってずっとポップでメジャー感があると思うんですね。

成田:はい、はい。

それって、単純に自分たちのモードの変遷だということなのか、それとも、たとえば若いリスナーが増えたというような背景も受けて、いままでとちがうところに向けて開いていこうとするものがあったんでしょうか?

成田:やっぱり、つねに新しい人に聴いてもらいたいっていう欲求があるので、いま聴いてくれている人たちとはべつのジャンルに届かせるためにはどういうアクションがあるかなっていうことはつねに考えながら作っています。でも『演出家出演』は、僕たちのなかではライヴとかフェスを意識して作ったものなので、そのひとつのモードが終わったということはあるかもしれません。
 それで、いざべつのターンに入っていこうとするときに昨年音楽的に影響を受けたのが、「民族性」っていうことだったんです。

え、「民族性」ですか。

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日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて。   (成田)

『幕の内ISM』の民族性

成田:はい。音楽を聴いたり、美術館に行ったりして思ったことがあって、次のアルバムでは「民族性」ということを活かしたいと考えていました。ライヴを意識していく前作の方向性とはぜんぜんちがうベクトルで、今作は民族性というテーマを持ちたいと。

オリジンということですか? それとも、たとえばダーティ・プロジェクターズなんかが実験的に接近していくような「民俗」、土地に固有なカルチャーへの興味ってことですか?

成田:大胡田は絵だったり詞だったり、わりと総合的に発信するものがありますけど、僕の場合は音だけで、音が持つ土地感のようなものに興味を持ったんです。以前からそういうものはおもしろいなと思っていて、それをバンドでも表現したいと思いました。

なんというか、それは槍を持ってたりとか、単純に民族楽器を使ったりとかってことではないわけですよね。もうちょっと「民族性」ということについて教えてもらえますか?

成田:たとえば韓国ならK-POPだったり、イギリスならUKロックだったり、北欧なら北欧でいろんなバンドが存在していますけど、その国らしさというものがあるじゃないですか。先入観かもしれませんが。

はい、はい。

成田:それで、日本ならば民謡だったり雅楽だったりという古い音楽だけじゃなくて、ちゃんとJ-POPにも(民族性というものが)あるなあと感じたんです。

なるほど、日本の民族性、オリジンというようなことですね。

成田:そうですね、それを日本の人に向けて発信するというのではなくて、世界からの視線に対しておもしろいものが作れたらいいなあと思ったんですよね。それに、尺八の音を使ったり和太鼓の音を使ったりということではなくて、いままでやってきたバンドのサウンドでいかに表現するかっていうことに重きをおきました。

おもしろいですね。自分たちのルーツを探るというモチヴェーションならわかりやすいんですが、なぜか世界からのまなざしを意識していると。

巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。 (大胡田)

『演出家出演』までって、やっぱりインディ・バンドだったと思うんですよ。すごくニューウェイヴでロックで、それをある意味でエッジイに追求していて、メジャー・リリースだけどインディ・バンド。それに対して、今作はそういう角が取れている部分があって、曲のアレンジやらプロダクションからいっても、あらためてJ-POPのステージに立とうとしているような気がしたんです。それが、パスピエにとっての民族性の追求ということなんでしょうか?

成田:日本の音楽って、J-POPに限らず融合の歴史だと思っていて。たとえば古い時代なら、中国なり東南アジア由来のものを日本の風土に親しみやすいように取り込んでいく。いまはもっと世界的にいろんなものが混ざり合っていて、音楽もそうなっていますよね。でも日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて、そういうことがおもしろいなあと思うんです。

そのへんは「ガラパゴス」という言葉もありますね。いろんなものが日本という閉じられた環境のなかで奇妙なかたちに煮詰められてしまうと。成田さんのおっしゃる「J」っていうのは、今作だとどのへんに出ていると思いますか?

成田:今回はJ-POPの中のバンドではなく、「POPの中のJ-POPバンド」をテーマに作ったので、どのへんというよりは全体のイメージだと思っています。あくまでも主観ですが。

制服、着物、巫女──大胡田なつきの女の子

大胡田さんの絵の、女子学生、制服、着物、巫女というのも、ある意味で煮詰められた「J」の表現かと思うのですが、ご自身のなかではそういうオリジンとか日本というのはどんなものなんですか?

大胡田なつき:わたしはわりと、小さいころから「日本に生まれてよかったなあ」って。日本が好きだと思うことが多かったんですけど、それは自分が生きているいまの日本とはちょっとちがって、本のなかで読んだりする昔の日本だったんです。

ああ、古い日本なんですね。昭和とかよりずっと昔の?

大胡田:どのくらいだろう……。『斜陽』(太宰治)とか、夏目漱石とか。

なるほど、ちょんまげまではいかない、ぎりぎり写真が残っているような近代文学の日本ですね。

大胡田:そうですね、そのくらいの日本が好きです。本とかもわりと読んでいたほうなので、そのせいもあるかもしれないですね。でも今回のアルバムのジャケットなんかは、『演出家(出演)』を作り終わったくらいのころに浮世絵とか日本画の道具に興味を持ったので、その影響ですかね。パスピエってフランス語なんですけど、日本の色ってフランスの色に共通しているようなところもあって、いろいろ調べたりもしました。
 わたしはとくに成田さんのように民族性を意識したりということはなくて、ただ自分が描きたいから描いただけなんですけど、アルバムになってみると成田さんと似たようなものを表現していきたいと思った時期だったのかなとは感じましたね。

女子学生で制服で着物でってなるとどうしても会田誠さんを思い出してしまったりもするんですが、お好きだったりしますか? あるいはどこかに同じようなアプローチを感じたりとか。

大胡田:どうかな……、並べられるかな(笑)。

ははは。刀こそ出てきませんけどね。

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自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像っていうところがあるんですね。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。   (大胡田)

あるいは、大胡田さんは巫女さんを描かれることも多いですけど、この女性のモチーフってご自身のなかの何なんですかね?

大胡田:巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。

あはは! いや、でもそれって男性に近い感じの目線なんですか?

大胡田:わたしのなかでは、自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像──わたしのなかの女性っていうのはこういうものだ、っていうところがあるんですね。だからわりと、靴下脱いでる女性とか、ポーズがあんまり女性らしくなかったりすると思うんです。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。

男性から見てセクシャルな感じに記号化されている制服とか着物じゃないなってことは、わたしも思うんです。

大胡田:うんうん。

大胡田さんは、小川美潮さんとかがお好きだってよくおっしゃってますよね。成田さんは矢野顕子さんですか。おふたかたとも、ある意味では母性とか、古い制度とか因習に重たくとらわれた女性のありかたから跳躍しようとした人たちだと思うんですが、そんな感じですかね?

大胡田:そんな感じなのかはわかりませんけれど、自分が女性である、ということを全面に押し出していないところはすごく好きです。

泉まくらさんともいっしょに作られてましたよね(「最終電車 featuring 泉まくら」2013年)。彼女とはある意味対照的なタイプでいらっしゃるようにも見えるんですが、実際どうでしたか?

大胡田:わたし、まくらちゃんのアルバムをけっこう聴いているんですけど、わたしが外へ出さない部分──女の子らしさみたいなところを感じました。聴いていて「これはわかる」という部分はすごくあるはずなんですけど、その「わかる」の感覚に出会えるような生き方を自分はしていないなあ、と。まくらちゃんに共感する女の子は自分を含めて多いと思うんですけどね。

ある意味では大胡田さんは女の子らしくない(笑)。

大胡田:どうなんだろう(笑)。わたしは、女の子みんながまくらちゃんのような生き方をしているわけではないと思うけど──

詞にもけっこう対照的に出ていますよね。たとえば大胡田さんの場合は、詞では自分の内面みたいなもののなかに深く入っていかないじゃないですか?

大胡田:うん、そうですね。

それはパスピエの音楽性にとってもすごく重要なポイントだと思うんですが、逆に言うと、どうして、たとえばまくらさんのような詞を書かない/書けないんでしょうか?

大胡田:ちょっと(言葉が)自分に近すぎる……ということですかね。わたしが書いている歌詞の内容は、自分からはちょっと遠いところにあって。自分のなかから出てくるものではあるんですけど、一応「パスピエの大胡田なつきです」というふうに思っているので、自分の内面を書くということはあんまりない……かなあ。なんというか、わたしが歌詞を書くときは、もし自分に5つの面があるとすれば、そのなかのひとつについて書く、という感じなんです。だから、ちょっと自分からは離れているんですよ。

尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。   (成田)

“うた”とヴォーカリゼーション

なるほど、3人称的なものが多いですよね。このあいだニルヴァーナのムックが出ていましたけど(『ニルヴァーナ:グランジの伝説』河出書房新社)、死後20年なんですね。スキルとかじゃなくて、まず俺あっての音楽、というものの説得力が2000年代にはやや後退しましたけど、パスピエ的な音や佇まいは、そういうところにとてもしっくりきたと思うんです。成田さんは、大胡田さんの歌詞についてはどうですか?

成田:僕は、歌詞についてストーリー的な部分はあまり気にしていないので、一人称のものでも三人称のものでもそんなに気にならないですかね。詞で書いてもらう世界観は100%共有できるものではないと思っているので。それでも、そのなかで音楽を発信する身として共通する部分を見出していくとすれば、僕の場合はそれぞれの単語の響きだったりということになりますかね。あとは、実際に声に出しているのは大胡田なので、大胡田が納得する世界観で発信してもらえればそれでいいかなって思います。

なるほど、音として今作のヴォーカリゼーションを考えると、とくに高音で声を抜いたりしなくって、行くところまで行く、その意味で甘いとこがないという感じがしたんですが。歌唱法の変化って感じたりしますか?

成田:今回は歌い方、すこしちがうよね?

大胡田:基本的にはあまり変わらないんですが、曲も新しいので、新しい歌い方を使ったって感じですかね。

たとえば矢野顕子さんって、もし音程を外すことがあったとしても、それはすべて計算内というか、完璧にやれる上での外しだったりするんだろうなっていうイメージがあるんですが、今作の大胡田さんって少しそんな感じに極めていっている気がしました。

成田:ああ、それは目指したところでもありますね。前回は、ここを聴いてほしいっていうようなところとくにがなくて、ポイントポイントで照準を合わせていったという感じがあるんですが、今回ははじめて、どこに発信しても納得してもらえる、どこで演ってもどこで流れても成立するというものが作りたかったので、その点ではどこにも隙がないのがいいんじゃないかと思っていました。

ある面からすれば、ノイズや音程などもふくめて、音楽は作りこまれすぎないところに豊かさがあるともいえると思うんですが、その点はむしろすごく作っていくことで尖らせるというか。

成田:そうですね。まだいまの段階ではリリースされていないので、どんなふうに聴いてもらえるかっていう反応がわからないですが、尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。

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自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。   (成田)

ニューウェイヴ・ジャパン

パスピエは「みんなのうた」になったのかもしれませんね。矢野顕子さんも1曲ありましたよね。ニューミュージック系の人なんかもけっこう「みんなのうた」の後ろにいたりする。きちんと曲が作られて、きちんと演奏されて、隙のない歌が乗って、イメージも完成されていて、あと、日本の独特のものがあるじゃないですか。

成田:「みんなのうた」っていうのが僕の思い描くものと近いのかどうかわからないですが、今回は国内ということではなくて海外から見た日本も意識しているわけなので、そのへんが日本のニューウェイヴっぽかったりはすると思います。

オリジンを考えるときに、ニューウェイヴにいくっていうのはおもしろいですね。

成田:僕は、そこにウソがあったらいけないなと思っていて。僕たちは顔を出さないでやっていたりしたので、音楽までフェイクになってしまったらマズイなと思うんです。それこそ、江戸の趣味とか、雅楽とかを取り入れたとして、でもそれっていまの時代に本来はないものじゃないですか。そういうものは、いい悪いということではなくてフェイクだと僕は思っていて、自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。

さっき「クール・ジャパン」的な外部へ向けた日本のイメージ、あるいは外部から向けられた日本のイメージを意識していると言っておられましたが、それはどういうことになるんでしょう?

成田:「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。そこらへんのさじ加減は気をつかいました。すごく狭いところに行ってしまわないように。

自分の内側にもぐっていって日本を発見するというよりは、外国からの視線のなかにそれを見つけようとするわけじゃないですか。成田さんはピアノで西洋の音楽を本格的に学ばれてきたわけですが、それと日本が結びついた瞬間ってどこにあるんですか?

成田:それがパスピエですかね。「パスピエ」って、ドビュッシーという作曲家の曲名からとったんですが(『ベルガマスク組曲』終曲)、ドビュッシーに限らずその頃のフランスの作曲家とか画家には日本の愛好家がけっこういて、彼自身も楽譜の初版に『富嶽三十六景』(葛飾北斎)を使ったりしているんです。印象派じゃなくてもそれに近い時代の作曲家の作品には、どう見ても日本っぽいメロディがあったりして、それはあくまでフランスのもの音楽だけど、勝手に親和性を感じるところはあります。

「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。   (成田)

フランスは日本の2次元カルチャーなんかにも熱心ですよね。成田さんはたまたまフランスの音楽を学ばれたわけですが、それ以外のUKやUSの音楽にはとくに傾倒されなかったんですか?

成田:好きな音楽やアーティストはいっぱいいるんですけど、僕の場合はバンドをはじめてから掘り下げていったんですよ。

海外のロック、ポップスみたいなものを聴きはじめたのは何からなんですか?

成田:ほんと、レッド・ツェッペリンも知らなかったくらいなんですよ。自分がやるからには、いわゆる名盤と呼ばれているものが何なのかということを知らなければと思って聴きはじめましたね。さすがにビートルズは聴いたことがあったんですけど、オアシスとかからパンク、メロコアなんかまでさらう感じでした。

そうすると、日本のニューウェイヴのほうが、体験としては先にあったんですか?

成田:いや、フェスとかでロックという音楽に触れたことが僕の原体験だと思っていて、オアシスだ、ピストルズだというのが先でした。それでどうやって自分の音楽を作っていこうかなというところをつないでくれたのがニューウェイヴでした。

野田:ちなみに、日本のニューウェイヴっていうとどんなバンドですか?

成田:僕はニューウェイヴのバンドに行きあたる前に矢野顕子さんを知って、矢野顕子さんが当時YMOでツアーをまわったりしていたということでYMOを知って、そこで、どうやら彼らはニューウェイヴと呼ばれているらしいということを知った、という感じなんです。そこから同時期に活躍していたビブラトーンズやP-MODELだったりを知って、あらためてニューウェイヴっておもしろいなと思って、海外にもあるらしいぞ、というふうに広がっていきました。そのなかで、「ニューウェイヴというのはキーボードがいて電子音が使われていて……」という、それまで自分が勝手に固めていた解釈以外のバンドもたくさん知るようになって。だから、きっかけはバンドというか矢野顕子さんでした。

野田:とくにおもしろいと思った日本のニューウェイヴ・バンドは何だったんですか?

成田:僕は、ビブラトーンズですかね。

大胡田さんはジューシィ・フルーツとかヒカシューとか名前を挙げておられたように思いますけども。

大胡田:ジューシィ・フルーツとかは聴いてましたね。でも、わたしはとくに誰が好きで曲を聴くとかってことがないんですよね。あと、名前とかをぜんぜん覚えられない。

ははは! 系統立てて追っていこうとかってことではないんですね。

大胡田:もう、好きな曲を聴くってだけです。その人の曲を調べてどんどん聴いていくというようなことをしないので……。だから、「この時代なら誰が好き?」って訊かれても答えられないことが多いですね。

野田さんはニューウェイヴ観に相違を感じられました?

野田:いや、ビブラって意外だなと思って。時代によってやっていることがちがうけど、初期の歌謡曲っぽさが好きなの?

成田:そうですね、僕はニューウェイヴのバンド・マンがプロデュースしている女性アーティスト──早瀬優香子さんとか、鈴木さえ子さんとかにも並行してハマっていきましたね。だから歌謡曲っぽさに惹かれるところはあったかもしれません。

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アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。   (大胡田)

女性ヴォーカルは絶対という感じですか。

成田:絶対というわけでもないんですが、バンドを組もうと思った2006年くらいの頃は、男性ヴォーカルのギター・バンドがすごく多かったんです。まあ、僕の知る範囲では。それからキーボードの入っているバンドもいまほど多くなかったと思います。それで、なんとなく、これからバンドを組むなら女性ヴォーカルを入れるほうがいいんじゃないかというようなことを考えました。

歌唱力っていうと、大抵は声量が豊かなR&Bのシンガーなんかを暗に基準にしているところがあると思うんですけど、大胡田さんってそうじゃないですよね。太いわけじゃないけど、明確な子音とか、キーボードのようにぶれない波形、みたいな。ある意味で日本的というか。

野田:アニメの音楽の影響があったりというわけでもない?

大胡田:アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。よく訊かれるんですけど、アニメで好きな歌っていうとけっこう古いものになってしまうと思います(笑)。親が歌ってたから知ってる、とか。

成田:でも、絵も描いていたり、自分でマンガを描きたいって言っていたこともあるんですよ。だから、考え方が突飛というか、突然変異的なことが多くて。それこそ、ぜんぜんマンガを読んだことがなかったのにマンガ家になりたいって思ったりとか。僕が見るなかでは、何かにインスパイアされて表現が生まれるというよりは、自分が表現するための手段がそれだった、みたいなところがありますね。

なるほど。アニメの音楽っていっても、Jポップの市場がぶらさがっているだけってところもありますしね。

野田:成田さんから見た大胡田さんのヴォーカルの魅力はどこなんですか?

成田:まず声質ですよね。話し声をはじめて聞いて、普通の声じゃないって。それはいまでも強みかもしれないです。あと、本人がどう思っているかはわからないですけど、曲によって変えようとしているのがおもしろいですね。「どんな曲がきてもわたしはわたしの歌い方で」っていうのではなくて、特異な声質を用いて、曲によって様変わりしていこうとしているスタンスが。

ついアニメと比べてしまうような、ちょっと中性的というか、幼児性のあるような声質というのは、ニューウェイヴ的なものでもあると思いますけどね。

成田:そうですね。僕もアニメはぜんぜん観ないんですよ。ただ、当時のニューウェイヴの曲は、僕は素朴におもしろいと思って聴いていたんですけど、それが『うる星やつら』に使われていたとか、ゲームに使われていたというようなかたちで、思わぬところでそうしたカルチャーとつながることは多かったです。

それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。

バンドの意義、ハードの重み

ボカロはどうでした?

成田:僕はボカロも聴かなくて。ぜんぜん嫌いというわけではないんですけど、とくに感動できないということがあって。自分がピアノをやっていたときには、いかに一音で感動させるかというようなことにずっと取り組んでいたんですよ。ピアノには言葉がないから。ボカロとかも、ひとつの表現手段として、あるいはカルチャーとしておもしろいものだとは思うし、テクノロジーの進化ということで時代性もあると思うんです。けれども、作っている人間の感情を、発する音から求めたいと思うところがあるので……。

ボカロといっても要素は生の人の声なわけで、大胡田さんの声で「あ」から「ん」まで録音したサンプルをつなぐのと同じですよね。でも、彼女の歌と、彼女のあいうえおを単組み合わせたものとは違うんだということですか?

成田:そうですね。そう思っているし、それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ニューウェイヴだ、電子音だ、っていうところで、同期ものをつかわないの? とよく訊かれるんですが、たとえ波形で見れば同じことだとしても、ソフト音源を使ったりとか打ち込みってことをやったことがないんです。全部ハードで録っているんですよね。PC上でMIDIでつないで鳴らすってことではなくて、ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。

野田:そこもすごくニューウェイヴ的なアプローチだよね。フライング・リザーズが風呂場でドラムを録るようなさ。テクノロジーに支配されない、テクノロジーは使うものだ、っていうね。

成田:なるほど、そうですね。

野田:ポップスの歴史ってだいたいはアメリカなんですよね。だから大瀧詠一さんが世界史を分母にして……っていうときの「世界」はアメリカのことで、細野晴臣さんとか矢野顕子さんとか、あの世代まではみんなアメリカの音楽の影響を受けているわけ。でもニューウェイヴだけがヨーロッパの音楽なんですよ。小室哲也っていう例外はあるんだけどね。

成田:はい、はい。

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「理想」と言えない感じ。たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。   (成田)

理想を言えない時代の“Shangri - La”

野田:それで“Shangri - La”(『MATATABISTEP/あの青と青と青』、2014年)をやるっていうのは、電気グルーヴのなかにニューウェイヴっぽさを見たというようなところなんですか?

成田:もちろんそれもあるんですけど、やっぱり僕はその「シャングリラ(理想郷)」っていうテーマ自体に惹かれたんだと思います。なんか、いまやることで時代の気分が出るかなとも思いました。それに、「電気グルーヴがやりたい、そのなかで有名な曲を選ぼう」ということではなくて、電気グルーヴと“Shangri - La”がセットだったという感じですかね。

なるほど。

成田:いまは「理想」っていうことを聞かなくなったと思うんです。世の中的に。

シニシズムということですか?

成田:うーん、そういう「理想」が言えない時代だというか。僕らが“Shangri - La”をやることによって、それを新たな意味で示すことができるんじゃないかという思いがちょっとあります。音楽的にはまじめにやっているんだけど、とらえられかたとしてフェイクに見られてしまいがちなところもふくめて、僕らがやることでぜんぜんちがう意味を乗せられるんじゃないかなと。

ストレートに「理想」というものを蘇生させたいというのとは違って……?

成田:逆ですね。「理想」と言えない感じ。……たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。そういうことに近いと思います。「理想」といっても、だから、「シャングリラ」はユートピアとディストピアのどっちの意味にもとれる感じです。

野田:いま電気グルーヴを何か1曲やるとなったら、大抵は“虹”になると思うんだよね。「やっぱり昔は美しかったね」というか。そこで“Shangri - La”を選ぶというのは興味深いなと思いましたよ。

たとえばtofubeatsさんが森高千里さんをフィーチャーしたりしていますよね。彼はとても頭がよくて、いま誰をどの文脈から引いてくるかというような駆け引きや批評に非常に長けているじゃないですか。

成田:そうですね。

それから、それによってもっとも有効にポップ・マーケットを利用して、時代を手前側に動かしてやろうっていうような志もあると思うんです。お会いする前はもしかすると成田さんにもそういったところがおありかなと思っていたのですが、ちょっとちがってましたね。ポップ・ミュージックのシーンへの向かい方をどんなふうに考えていますか?

成田:そこはむしろすごくコンプレックスでもあったところですね。僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。メンバー集めも、どんな音楽をやるかというのも、全部探しながら見つけてきたものであって、そのなかでおもしろいことをやるなら知識をつけなければだめだなという思いへとベクトルが向いていきました。

僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。 (成田)

 でも、発信したいということの根元には純粋な気持ちがあると思うので、曲作りに関してはとくにまわりやシーンを意識したりすることなくやっていると思います。それをどう見せていくかということには注意していますけどね。『演出家出演』も今回のも、曲自体はそんなに変わっていないんですけど、歌の録り方とかバンドの録り方っていうのは180度変えているので、それでこれまでもお客さんの層が変わってきたし、これからも変わっていくんじゃないかなと思っています。

初期衝動ゼロからのスタートっていうのは、パスピエの音楽を語る上ではとても本質的な言葉のような気がしますね。それに、とくに2000年代は初期衝動的なものを表現の原理とかバネにしづらかったと思うんですよ。そこにうまくはまった部分もあるんじゃないでしょうか。

成田:はまったというか……うらやましかったですね、そういうものが。

野田:神聖かまってちゃんといっしょにツアーを回ったりもしてたするじゃない? 彼らなんて初期衝動の塊だもんねえ。

成田:ああいう音が出したくても出せないわけで、それをどうしていけばいいのかなっていうことです。

パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。 (大胡田)

初期衝動ゼロからのスタート

そこは大胡田さんはどうなんでしょう? 裸足で絶唱する、というようなことはないじゃないですか。激しかったりした時期はないんですか?

大胡田:わたしはほとんど衝動ではじめているとは思うんですが、そのスタートがすでに激しくないというか。

成田:(笑)

大胡田:たとえば絵を描きたい、歌をうたいたいと思っても、それにのめり込めないというか……。絵とか歌とかは使うものだと思っているので。だからそこにすごく熱を入れて「出してやるんだ」みたいなことはあまりないですね。全部が表現する手段のひとつです。

じゃあ、仮にパスピエがなくなったら歌ったり描いたりしないと思います?

大胡田:しない……かもしれませんね。

ははは! なるほど。そしたら何をするでしょうか?

大胡田:……何もしないかもしれませんね。

成田:だって、最近の夢が「よく眠れるベッドを買うこと」ですよ(笑)?

(笑)

大胡田:わたし、最終の目標はそこなんですけど。

それ、永遠のやつじゃあ……

大胡田:パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。いちど全部やめて、またやりたくなったらやるという感じになるかもしれないですね。

へえー。なんでもできるのに。それゆえですかね?

大胡田:「なんでもできる」っていうのは、「なんでもやろうと思えばできる」ってことになるのかもしれないです。

成田:まあ、求められればやると思いますけどね。

大胡田:歌うということ自体、パスピエに入ってはじめたことですし。もしやめたら、次のフィールドを探すことからかな……。

なるほど。超然としていて……かっこいいです。

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『幕の内IZM』ジャケット中面

僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。   (成田)

さて、リスナー層も広がって、やれることも増えて、今作でJ-POPとしてのパスピエはひとつの極点を描いたのではないか、というお話を先にしましたけれども、ステージとしてはいまが最大だっていうふうに思います?

成田:いや、最大……ではないですね。このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。ポップスという領域を壊しても、ポップスでいられるかもなあって。その意味では次につながる一枚にもなっていると思います。
 僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。パスピエを知って音楽を聴きはじめたとか、この曲はこんなふうなものを参照しているとかってことに興味を持ってくれたり、その参照元のアーティストも聴いてみたりとか。

ミニマルな演奏に行ったりってことはないんですか?

成田:それはありますし、ぜんぜんちがうアプローチのアイディアもありますね。

なるほど、なんというか、音やアレンジなんかを、基本的には加えていく方向にキャリアが進んでいる気がするんですけども。

成田:そうですね。でもその点は、今回はいちばん減らしたアルバムになると思います。

あ、なるほど。聴いているところがちがうんですかね。わたしには逆のように感じられたりもするんですが──?

成田:前作なんかは、トラック数とかも今回よりもぜんぜん多いんですけど、そう聴こえないサウンド作りをしていますね。よりライヴっぽく見せるために、ミックスとかサウンド面を工夫しているんです。トラック数を少なくしたり、音源をそのままライヴでやれるようなかたちにするのもちがうなと思っていたので。

あ、むしろギミックとしてライヴらしさを演出していると。

成田:そうです。そのライヴっぽさをよいと思ってくれた人にもまだ聴いてほしいと思って、今作はトラック数をすごくシェイプしました。だけど聴こえ方としてはべつの整え方をしているという。


このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。   (成田)

ジャケットも、いまできたてを見せていただいていますが、すごく豪華ですね。あとは盤が入るだけですか?

成田:そうですね、特典でジオラマが付いたりするみたいですが。

野田:この時代にジャケットにこれだけお金をかけるなんてすごいよね。よく通ったね。

成田:ははは! このフェスの時代にどんどんインドアに向かっていく思考です(笑)。

ははは。音だけ流通すればいいやっていう価値観とも遠いですしね。やっぱり、こういうものを手にする喜びっていうところも意識されているわけですよね。

成田:僕らの音楽を手に取ってもらうための付加価値をどうつけるかってとこでもありますね。

野田:ポップアップがついてるね。昔ポップアップ絵本が好きだったな。

大胡田:わたしも好きです。

ポップアップの部分が部屋になってますね。幕の内ってことなのかな。しかし、ジャケもそうだし、曲の作り方とか録音の体制をふくめて、「プロダクトする人たち」という印象は強いですよ。

成田:ああ、それはそうですね。

衝動ではなく。それは、やっぱり「プロダクトするもの」というあり方のほうがクールだという感覚なんでしょうか?

成田:うーん……。ただ、付加価値を僕らが提供するというよりも、付加価値を求めてもらうようにどうするか、っていうことは考えていますね。いまは、「何か特典がつくよ」ってくらいじゃみんなぜんぜん驚かないですしね。

野田:でも重要なことだと思いますよ。ニューウェイヴの人たちも、それこそ自分たちで絵を描いたりしてるからね。

成田:はい。音だけあればいいってふうには思わないですね。

interview with Kiyoshi Matsutakeya - ele-king


松永孝義
QUARTER NOTE
~The Main Man Special Band Live 2004-2011~

Precious Precious Records 
ライナーノーツ:こだま和文 / エマーソン北村

Tower HMV Amazon

 80年代の日本で、ふたりの偉大なベーシストを見つけるとしたら、ひとりはじゃがたらのナベ、もうひとりはミュート・ビートの松永孝義である、と言いたくなるのは僕だけではないでしょう。ニューオーリンズのファンクからジャマイカのレゲエ、UKのポストパンクまで、異種交配を繰り返しながら、ビート・パンク全盛期の日本で、ふたりはグルーヴを意識したダンス・ミュージック作りのひとりとして演奏に励んでいた。1986年には、インクスティック芝浦ファクトリーの「東京ソイソース」がそのうねりの拠点となって、S-KENのホットボンボンズ、ミュート・ビート、じゃがたら、そして松竹谷清のトマトスの4バンドが集まった。

 初期のじゃがたらは、いまからざっと30年ほど前の下北沢のとあるバーにたびたび集まっていた。当時その店で働いていたのがトマトスを結成する松竹谷清、通称、清さんだった。パンクの熱が容赦なく残っている時代において、音楽の探求者たちは同じ場所と同じ時間を共有した。トマトスには、ベースがナベ、ギターがEBBY──じゃがたらのメンバーして知られたふたりが加入している。

 トマトスはミュート・ビートと同様に、80年代前半の東京の、レゲエのリズムを取り入れたバンドだった。インストのミュート・ビートに対して、しかし、トマトスには日本語の歌があった。やがて初期のフィッシュマンズや一時期のチエコ・ビューティー、あるいはロッキン・タイムなどへと展開する、日本語ロックステディのはじまりと言えるかもしれない。ちなみに、広くはミュート・ビートのベーシストとして記憶されている松永孝義だが、1989年からはトマトスでも演奏している(また、一瞬だが今井秀行もドラムを叩いている)。

 松竹谷清とミュート・ビートとの共演は、1枚の素晴らしい名盤を残している。スカタライツのサックス奏者、ローランド・アルフォンソとの共演盤だ。1988年、松竹谷清はギタリストとして、ローランド・アルフォンソ+ミュート・ビートのライヴに参加していている。それが後に『ROLAND ALPHONSO meets MUTE BEAT』としてリリースされた。また、1992年にはニューヨークの伝説的なレゲエ/ダブ・レーベルのワッキーズにて、『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』の録音にも参加している。後者は、たったの2曲の複数ヴァージョンの収録なのにも関わらず、まったく飽きさせない出来だ。
 
 この6月、松永孝義の3回忌にあわせての未発表ライヴ音源がリリースされる。2004年に、松永孝義にとって生涯で最初で最後のスタジオ録音のソロ・アルバム『The Main Man』を契機に生まれたバンド、The Main Man Special Bandによるライヴ演奏だ(ライナーノートは、こだま和文とエマーソン北村)。ちなみに、カヴァー曲の多いくだんの『The Main Man』のなかで、オリジナル曲を書いているのが松竹谷清である。
 
 写真撮影のときは、チエコ・ビューティーの『ビューティーズ・ロック・ステディ』(こだま和文がプロデュースした日本のロックステディの名作)のなかの1曲、“だいじょーぶ”を弾き方ってくれた松竹谷清は、近年は、日本語レゲエの先駆者として、地味ながらも再評価されている。今回は、清さんに、松永孝義のベースと80年代のミュート・ビート周辺について語ってもらった。

やっぱりミュートからですね。ミュート・ビートが好きで、という感じですかね。それで衝撃を受けましてね。松永は「すげえベースだな」っていうので、まずは音楽ですごく感動しまして。

今回松永孝義さんの3回忌ということで、未発表のライヴ・アルバム『QUARTER NOTE』発売がされます。今回のそのためのインタヴューということで、松竹谷清さんにお時間をいただきました。清さんは松永さんとはもちろん古いつき合いであり、松永さんの唯一のソロ・アルバム『The Main Man』のなかでも作曲されてもいます。

松竹谷清:教えた曲も含めると半分ぐらいになるかもしれないけど(笑)。

松永さんを若い世代にも知ってほしいということで今回の企画があるのですが、まず最初に松永さんがどういう方だったのかのかお話していただきたいなと思ういます。そもそもいつお知り合いになられたんでしょうか?

松竹谷:やっぱりミュートからですね。ミュート・ビートが好きで、という感じですかね。それでおお! という衝撃を受けましてね。

清さんがトマトスをやるのはちょっとあとですよね。

松竹谷:実際はミュートよりもトマトスのほうがちょっと早いんですよ。全然マイナーなんですけど。トマトスは82年ぐらいからやってるんで、トロンボーンズとかルード・フラワーとかやってる頃で。だいたい85年ぐらいだと思うんですけど、こだまとかと知り合ったりとかして、それでミュートのライヴなんかも観ていって。

スタッフ:トマトスがはじまってるのってニューウェイヴより前なんですか?

松竹谷:もうニューウェイヴだね。だから東京ロッカーズのあとだね、ミュートも俺らも。だから80年代入ってからだね。それで松永は「すげえベースだな」っていうので、まずは音楽ですごく感動しまして。で、あとでよくよく考えると、かなり前にライヴハウスで違うバンドで対バンしたこともあったんですけど。やっぱり(意識したのは)ミュート・ビートですね。86年かなあ? 85~6年、そのぐらいですね。

スタッフ:当時は〈クロコダイル〉で?

松竹谷:うん、〈クロコダイル〉とかですね。あと六本木のインクスティックですね。

ミュートもトマトスも、お互いそれぞれ作品を発表された頃ですね。

松竹谷:ミュートが出したのとだいたい同じ時期なんですよ。ミュートが出したのも、86年、87年……『TRA』のカセットが86年で、ファーストの『FLOWER』が87年じゃない。トマトスも87年なんで。一緒ぐらいなんです。まあうちはインディでしたけどね。

その頃パンク/ニューウェイヴがあって、と同時にレゲエがありました。清さんは、じゃがたらやミュート・ビート、S-KENといった、のちの東京ソイソースに繋がるコミュニティのひとりだったわけですけれど、その当時のバンド間の関係っていうのはどんな感じだったんでしょう?

松竹谷:ちょっとこう……俺らはちょっと違うよっていう意識だけは持ってたかもしれないですね(笑)。ツッぱって。あの頃やっぱりイギリスに目が行ってたと思うので。イギリスのクラブ・シーンや音楽が変わっていくっていうのと、俺らも同じところにいるような気持ちでやってたと思いますね。要は、クラッシュにしてもレゲエに影響を受けて変わったり、いろいろあるでしょう。リップ、リグ&パニックとか、あとはファンクとかね。レゲエとかサルサとかアフリカの音楽とかがこう、ぐしゃぐしゃっとなってきた時期だったんで。僕らも同じ気持ちがありましたね。

ちなみに清さんご本人のそれまでのバックボーンっていうのは?

松竹谷:アメリカの黒人音楽ですね。ブルース/ロックンロールですね。しかも、プレスリーのように、違う文化のフィルターがかかって、化学反応が起きているものが好きです。何て言うんだろう……ワープ感というか、そういうようなイメージなんで、僕のなかの音楽って。そのものをやるっていうじゃなく。自分が持ってるものじゃなくて、何かのところに行ってヘンな化学変化が起きたような感じで。根っこはロックンロールやブルースがあったところで、っていうね。この前イエローマンがたまたま日本でツアーしてまして、サポートでバッキングしたんですけど、同世代なので、持っているものは同じというか。アメリカからの影響がレゲエという形で出ていくという。どんなジャンルもそういうのがあっていいと思うので。

トマトスの靴のジャケット(「ROCK-A-BLUE BEAT」)、よく覚えています。ミュート・ビートの『FLOWER』もそうですけど、ああいうのがひとつのメッセージというか。レゲエみたいなものがたんに輸入音楽ではなく、のちに日本に根付いていくきっかけになったんだと思います。

松竹谷:そうですよね、ええ。ありがとうございます。だってねえ、世界中でその国の言葉で歌ってるじゃないですか。いろんなものの影響を受けて。それがグルーヴにすごく影響があるんでね。それが面白いですよ。

ちなみに清さんはレゲエみたいなものはどこから入ったんですか?

松竹谷:ボブ・マーリーとかジミー・クリフとか初期のも好きだったんですが、80年代前後に古いスカやロック・ステディのレコードが若干買えるようになりまして。トリオでトロージャン・ストーリー出たり。あれがまず大きくて。80年代頭の当時は「あのレコード屋に〈スタジオ・ワン〉のレコードが何枚入るぞ」ってスカフレのメンバーとかミュートのメンバーで取り合ってましたよ。早く行って買わないとない、っていう。「ウッドストックに10枚入る」だの……。

はははは。そういうなかでミュート・ビートを通じて松永さんとお会いすると。清さんから見てミュート・ビートというのはどういうバンドでしょう?

松竹谷:いや、もうあのひとたちはワン・アンド・オンリーなんでね。早い話、演奏は素晴らしいですけど、ぶっちゃけて言っちゃうとオーガスタス・パブロの80年代前後のサウンドにかなり近いアレンジとかもしてる。でもこだまの演奏は、日本でないと成り立たないものになってるっていうのが、一番僕がグッときたところですね。日本でないと成り立たないレゲエだっていう。

それはメロディであったり?

松竹谷:メロディであったりですね。でも同じようなトラックの作り方してても……同じような叩き方やベースの弾き方してても、にじみ出てくるものがあって、それがすごく大きかったです。

スタッフ:暗いアルバムってヨーロッパやイギリスでもあるけど、ああいうマイナーな曲が入ってるってないですよね。暗いっていうと違うかもしれないですけど。

松竹谷:いや、暗くていいんじゃない(笑)?

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何て言うんだろう……ワープ感というか、そういうようなイメージなんで、僕のなかの音楽って。そのものをやるっていうじゃなく。自分が持ってるものじゃなくて、何かのところに行ってヘンな化学変化が起きたような感じで。

ニーナ・シモンと美空ひばりとどっちに近いかって言われたら、必ずしもニーナ・シモンとは言い切れないという?

松竹谷:いやいや、ほんとそういうことですよ。僕らはパンク/ニューウェイヴを通ったっていうのが大きかったと思いますね。70年代からロックを聴いていた世代にしたら、パンク/ニューウェイヴっていうのは子どもの音楽だったんですね。僕はそういう風には絶対に思わなかった。壊して新しくなっていくってところにすごく喜びを感じていまして。

ブルースとかブラック・ミュージックをずっと聴いていた方でパンク/ニューウェイヴを受け入れるって――。

松竹谷:だからほんと周りにいなかったですよ。

どちらかと言うとアンチな立場の方のほうがね。

松竹谷:多いですよね。当時だと実際問題「何やってんだ」みたいな感じもありましたからね。

そういうなかで松永さんっていうのは……。

松竹谷:松永なんていうのは、ある種ファウンデーションというか、しっかりと基本的なところを押さえたプレイをする人間なんですけど。人間的には壊していくというか、オリジナリティを出していくことがすごく好きなひとなんでね。だから俺みたいなヘンなのも好きだったんじゃないですか(笑)。こだまとか(笑)。

(笑)じゃあキャラで言うと、こだまさんとは正反対の方だったんですね。いつまでもビールを飲んでいるような感じじゃなくて。

松竹谷:いやーでも、当時は松永もヒドかったよ。朝起きたらビール飲んで、飲酒運転して来てリハして、リハしてるときビール飲んで。(スタッフを指して)こいつなんてミュートのライヴで「このヤロー、ステージにビールないだろ!」って松永に怒られてたからねー。

松永さんは出自がクラシックだから、それが清さんやこだまさんとも違ってらっしゃるというか。

松竹谷:でもあいつ元々は、高校ぐらいまではエレキ・ベースでツェッペリンとかああいうロックをやっていて、ジャズやりたくてウッド・ベースやり出して、足がおかしくなったりで真面目に、ってことで音大でコントラバスやり出したんですよ。根っこはロックなんですよ。

それでレゲエのベースを。

松竹谷:それでレゲエをやりたいっていうんで、ミュートのベースがいなくなるときにピアニカ前田が松永をこだまに紹介したという。それで松永がミュートに入ったんですね。

清さんから見て松永さんのベーシストとしての魅力というのは?

松竹谷:もう言い切れないくらい好きなんですけど……音良しリズム良しセンス良しで、言うこと何にもないですね。で、今回のアルバムのタイトルは俺がつけたんですけど。

『QUARTER NOTE』。

松竹谷:『QUARTER NOTE』って四分音符ってことなんで。そのことで言うと、松永さん四分音符が長いんですよ。それに応える形で俺と松永でグルーヴを作っていったってところがあるんで。「ドゥーン、ドゥーン、ブン、チャッ、チッ」とかね、そういう感じで。簡単な、けど一拍であのしっかりとした四分音符にはまあほんと、しびれましたね。

独特のリズム感ということですか?

松竹谷:うーん、タイム感ですね。独特というか……テンポが遅いわけじゃないんですよ。

僕が思うのは、清さんのトマトスなんかもそうですけど、じゃがたらやミュート・ビートがそれまでの日本のバンドと何が違ってたのかと言うと、それまで日本でロックを聴くって言ってもグルーヴっていうことを言うひとっていなくて。ダンス・ミュージックってことを意識するバンドってそんなにはいなくて。ロックっていうと個人でハマって聴く感じっていうのがどうしてもあったので。

松竹谷:ああー、それがね! それはだから、70年代にそうなっちゃったんじゃないかなあ、主に。

そういう感じがあったところに、たぶんダンス・ミュージックってことをすごく意識されてて。グル―ヴってことをすごく意識したバンドじゃないですか。

松竹谷:それは意識してますね!

レゲエっていうよりはね。そういうなかではベースってすごく重要なポジションですもんね。

松竹谷:重要ですよ。ほんっとに。

そのグルーヴっていうのはトマトスも研究されてましたけど、松永さんもそこなんですね。

松竹谷:ほんとに松永がいなかったらないですね。

たとえばジャマイカのダブの名ベーシストはいろいろいますけど、そういうのと比較して松永さんの持ち味といいますと。

松竹谷:うーん……日本人っぽいのかなあ、それが。カチっとしてますね。柔らかい音で弾いても響きは硬質というか。音色がまず違いますしねえ。まあありがちな言い方だけど、アンプが鳴ってるんじゃなくて、ストリングスが鳴ってますね、松永は。弦が鳴ってますね。極端な話、アンプを選ばないですね。もちろんそれはウッド・ベースにしてもそうなんで。なんせ音色がほんとに色っぽくて、いいですね。

松永さんの唯一のスタジオ録音のソロ・アルバム『The Main Man』っていうのは、彼が初めて主役となって……「メイン」となって作ったアルバムでもありますけれども、そういうときに普通ならもうちょっとベーシストとしての自分が前に出てもおかしくはないじゃないですか。

松竹谷:ブーツィー・コリンズですか(笑)?

ああいうベース・ソロがあっても別に誰も嫌味とは思わないわけじゃないですか。でも、『The Main Man』という作品は、あくまでもひとりのベーシストに徹しているっていう。

松竹谷:それが松永の音楽観だと思うんですよ。メロディあるならメロディを、グルーヴでどれだけ上げるかがベースの役目なんですね。それに徹しているんですよ、ほんとに。

ソロを弾かなかったのは?

松竹谷:いやー、必要ないんじゃないですかね、あのひとにとっては。何て言うんだろう、一音のなかでそういうことを全部表せるっていうか。特別なソロっていうパートは必要ないんですよ。曲のなかでドーンとあることが……だから普通のバッキングで主張しまくってますよ(笑)。

しかも、収録曲はカヴァーであり、あるいは清さんの曲であったり……、要するにご自身で作曲したりしないんですよね。

松竹谷:最初、全部俺の曲だけでやるかって話もあったんですよ。でもそれだと俺のソロ・アルバムみたくなりすぎるんで、で、わざわざ松永が札幌まで来て話して、10曲ぐらい曲作ってあげたんだけど。で、自分で考えて「この曲をこのひとに歌ってもらおう」とか「セッション的に生まれたこの曲を入れよう」とか、そういう風に悩みに悩んでああいう形になったと思うんですよ。松永は、曲のなかに自分の解釈を出したかったんじゃないですか。

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70年代からロックを聴いていた世代にしたら、パンク/ニューウェイヴっていうのは子どもの音楽だったんですね。僕はそういう風には絶対に思わなかった。壊して新しくなっていくってところにすごく喜びを感じていまして。

松永さんはミュート・ビートでベースを弾いて、清さんはトマトスをやってて、そのふたつのバンドの最高の邂逅を音源として残しているものをひとつ挙げるとすれば、やっぱりローランド・アルフォンソとの共演だったと思うんですよね。ワッキーズで録音したヤツ(『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』)です。90年代初頭の美しい隠れ名盤ですよね。

松竹谷:内容は最高ですよね。まずローランド・アルフォンソを呼びたいという石井さ(志津男)んの話があって。その後に、今度はローランドのソロ・アルバムを作らないかってことになりまして。で、トラックをミュートのドラムの今井に作ってもらって、僕らは前田とバッキングして音楽をアレンジして。それをこっちで録って、テープを持ってニューヨークでダビングっていう。1曲は昔やってた“テンダリー”って曲で、もう1曲はまあ俺の曲をやったんですけど……ローランドさんは目が悪くて譜面が読めなかったという(笑)。
 だから前田にメロ吹かせたのを送るんだけど。こんなでっかいお玉(音符)を前田に書かせて(笑)、それを持って行って吹いてもらったりしたんですけど。完璧にはできなかったですけど、でもいいムードになりましたね。

ローランドさんはそのときおいくつだったんですか?

松竹谷:その頃ねえ……だからあれをやったのが20数年前でしょう?

ミュートでもやられてるし、あとはワッキーズでもやってますよね。

松竹谷:そうです。だから……ひょっとすると、いまの僕らぐらいかもしれないですね。僕57なんですけど、60ちょっと手前かぐらい。そんな歳いってなかったと思いますよ。

その当時はほかにもジャッキー・ミットゥが来たりとか。

松竹谷:そうですね。

ただ当時のジャマイカ国内は、スレンテン以降のああいうコンピュータライズした時代で。ジャマイカってやっぱりトレンドが早いんで。

松竹谷:そうですね。ちゃんとしたヒット・ミュージックなんでね。みんなニューヨークにいるって言ってましたね、当時。

そういうなかで、日本で自分たちの曲をこんなにも演奏できる連中がいるっていうのは、やっぱりすごく嬉しかったんじゃないかなって想像するんですけど。

松竹谷:ものすごく喜んでいただきましたね。まずライヴのときにね。

スタッフ:ローランドが来たのは、ミュートとのライヴの当日ですからね。たしかリハぐらいに来て。

松竹谷:いやいや、リハじゃないよ。開演10分前に来たんですよ。で、開演時間30分押して。

それを、ぶっつけ本番の一発でやって、しっかり息が合っちゃったんですからね。すごいですよねえ。

松竹谷:しびれましたけどね、ほんとに。一応、(ローランドは)なしで、こうやって(笑)、練習してました。これは松永の話だからネタとして。じつはリハは松永も京都で足止め食らって来てなかったですからね。で、松永も来ないしローランドも来ないし、どうすんだろって、俺たちしぶーく練習してたんですよ、最初。そのうち松永も戻って来れたんだけど。

今回三回忌ということで、The Main Man Special Bandのライヴ盤が出たわけですけれども、このリリースに関して清さんはどのような感想を持ってらっしゃいますか?

松竹谷:まあ……いいんじゃないですか。スタジオ盤じゃなく、こういうライヴのグルーヴというかムードがちゃんと伝わるものをしっかりまた聴いていただけるっていうのは。

レゲエ以外に、ハワイアン、島唄もありますけれども、そういったものは80年代レゲエをずっとやられてきたなかでの次のステップみたいな風に考えてらしたんですか?

松竹谷:もともと好きでね、松永さん。ああ見えていろんな音楽好きなんで。沖縄にしても小笠原にしてもハワイアンにしてもスウィング感、グルーヴがあるんでね。あと、まず松永は音色でグルーヴするっていうのを大事にしてた。要するにマイク一本で生音でやるハワイアンのCDなんかをあいつよく聴いてたりしたんですけど。昔のジャズとかラテンなんかも同じなんで。音色で、音量も合わせてグルーヴするっていうのがあるんでね、そういうところをすごく大事にしてたことが、よりいっそうそういうところに行ったんだと思いますよ。
 極端に言うと、いまのレコーディングと全然違うんで。たとえばの話、1小節弾けりゃいいでしょ、っていう感じのがあるでしょう? あれってダメですからね。1曲でグルーヴしてないと。何でも直せちゃうとダメなんですよね、やっぱり。いい場合もあるけど。グルーヴが止まったらダメなんでね。影響があるんで、細切れには絶対できない。それって音色も含めてのことなので。

その80年代末、活動のなかでターニング・ポイントだったことは何か覚えてらっしゃいますか?

松竹谷:うーん……自分自身は松永とやることでよりいっそうシンプルになっていったというか。レゲエだアフロだサルサだっていうんじゃなく、ポップスのなかでもロックしているっていう。自分の解釈だったり音色っていうところも含めてやって行きたいっていう風になっていった時期ですかねえ。

松永さんがひとまず入られたのが89年?

松竹谷:そうですね。半年ぐらいミュートとダブってるのかな? ミュートのリズム・セクションに「やれ」って(笑)。引き抜いたっていうより並行してやってもらったんだけど(笑)。

エマーソン北村さんってじゃがたらのキーボードがミュートだったりで。

松竹谷:まあ、ルースターズとかああいうやつらも俺ら仲いいんですけど、ロックンロールが好きなんでね。僕らの好みの音楽をやるにはセンスがやはり、ということで、ただドドドドドドドドってやるわけじゃないんでね。16ビートもラテン色というか。そういうセンスのひとがなかなかいなかったというか。そうするとやはり近場になってきてしまったというのが現状ですね。あんまりいなかったんで、やっぱり。ソイソースやってたメンバーになっちゃうんでね。

ちなみにソイソース・チームのリズム隊が一番お手本にしたものって何かありますか?

松竹谷:僕らはいつも言ってるんですけど、みんなが好きだったのはイアン・デューリーとブロックヘッズかなあ。

それはこだまさんもよく言いますね。

松竹谷:じゃがたらも好きだし、こだまも好きだし、俺も好きだし。松永も大好きだしね。イアン・デューリーとブロックヘッズはね、あれだけフュージョンっぽいアレンジしてもロックだっていうね。あれはほんとにカッコいいですね。ほんっとに大好きですね。ミュートなんてブロックヘッズの曲ちゃんとカヴァーしてるんでね。ブロックヘッズは、71年ぐらいにキルバーン&ザ・ハイローズって名前でデビューしてるんで。もうカリプソとかレゲエやってるからね、そのときに。大好きですね。カッコいいです。
 ちなみに松永に聴かせたいぐらいに、去年出たノーマン・ワット・ロイ(元ブロックヘッズのベーシスト)のソロ・アルバムがいいんですよ。なんか似てるよ。多少ベース・ソロみたいなの入ってるんだけど、松永のセンスとなんか似てるね。曲で(グルーヴを)やるっていうのがあるんで。すごいいいわ。
 まあ、そういう、もちろん(海外のミュージシャンを)お手本にして一生懸命やってたんですけど、日本人なりのノリが混ざって出てくるのも俺はいいんじゃねえかっていうのもあったからね(笑)。

「ROCK-A-BLUE BEAT」も日本語の歌の響きにこだわってますもんね。

松竹谷:戦前からのジャズやシャンソンの替え歌を歌ったりとか、“わたしの青空”とかやってるわけで。60年代入ってから和製ポップス、弘田三枝子が“子供じゃないの”とかやってるのと全然変わらないですよ。感覚的には。向こうのメロディで自分の言いたいことを歌詞で作っていくっていうのは。さっきも言ったけど、多少ズレようがそれが日本人だからいいんじゃないかなっていう。そういう気持ちがありますね。
 だから批判めいちゃうけど、いまみたいに譜割りが細かいのに日本語の歌詞乗せたりするわりと流行ってる音楽は、リズムの譜割り気にするわりに歌詞の量多くて何歌ってるかわからないですからね。それを気にしすぎな気がしちゃいますね。詰め詰めで。グルーヴしてないっていうか。

英語で言うところの子音の部分を何とか埋めようとしちゃってるというか。

松竹谷:そうそう。あれはちょっと違うんじゃねえかなあと思うんですけどね。メロの麗しさみたいなものと一緒になってないという感じがしますね。だって外国語の語感と違うんだからしょうがないですよ。それでいいんですよ。日本人に伝わるのが好きなんで。
 松永もそういうところがあるんで、まあチエコ(・ビューティー)なんかも喜んでやってたしね。英語だけにこだわってるよりは、自分たちが作っていったものをやるほうがすごく好きでしたね。

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松永さん。ああ見えていろんな音楽好きなんで。沖縄にしても小笠原にしてもハワイアンにしてもスウィング感、グルーヴがあるんでね。あと、まず松永は音色でグルーヴするっていうのを大事にしてた。

松永さんとの思い出でよく覚えているものがあれば。

松竹谷:松永との思い出はいろいろありすぎるんですけど(笑)。80年代は松永もヒドかったんでね。飲酒運転してたぐらいなんで。ライヴ終わったあとジェームズ・ブラウンかけたら松永もノってきて義足をひきずりながらこう踊ったりしてて(笑)。

こういう言い方は誤解を招きかねないのですが、義足で、あの大きいダブル・ベースをやるっていうのがまたね。しかもダンス・ミュージックをやるわけじゃないですか。音のグル―ヴってものは、身体的なハンディキャップとは関係ないってあらためて思いますね。

松竹谷:いや、ほんと関係ないですよ。ピッキングに心こもってますからね。なんか日本調の言い方なんだけど(笑)。それで松永に車で送ってもらうんだけど、テキーラ飲みながら帰りましたからね。いまだったら恐ろしいよね。

もう交通刑務所に入れられますよ(笑)。

松竹谷:まあくだらない話ですけどね。松永とは、お互いの楽器でグルーヴし合えたっていうのが大きかったんで。まあ(いまも)松永のことがどうしても浮かんできてしまうんでね。どうしても僕の頭のなかではノリがそうなっちゃいますかね。あまりにも綺麗ごとみたいなんだけど、なんとなくあるんでね。悪く言うと意識してるのかね、やっぱり(笑)。ひとりでやっててもいっしょにやってるような感じですね。

今回のライヴ録音なんかもそうなんですけど、ベースが例によって出しゃばることなく、でもしっかり気持ちよく聞こえるんですよね。

松竹谷:やっぱいい音ですからね。

ほんとライヴ盤っていうのを忘れるぐらいな感じですよね。年齢的にはみんな同じぐらいですか?

松竹谷:松永と俺は学年一緒ですね。こだまは2コ上ですね。前田さんは3つ上です。アケミが1コ上かな。オトも1コ上だね。

飲みの席での音楽談義が白熱したりとかは。

松竹谷:俺が一番やってましたね。オトの譜面ビリビリに破いたりとか。こんなもん見てる場合じゃねーだろ、とかって(笑)。やんちゃでしたね。何言ってんだよ、みたいな(笑)。でもケンカするって言うより音楽の情報交換が楽しかったですね、一緒に飲んでて。それはいろんなジャンルにすごく行くんで。なんせ昔は情報が少なかったからね。
 だからたとえばの話、こだまと話してたりすると、昔の日本の歌謡曲いいよねとかさ、それこそ60年代のイタリアやフランスのヒット曲もいいよねとかさ、マイルスいいよねとか。あっちこっちに飛んでて、そういうとこがお互いの感情わかってる感じがあるよね。

僕なんかからすると、当時はみんなオシャレに見えましたね。古着で着飾っている感じが。

松竹谷:それはイギリス意識であったと思いますよ。ファッションと音楽は一緒のほうが楽しいですね。

ハットかぶってる感じとかがね。

松竹谷:対抗してますから、こだまと俺。あいつには負けねえ、みたいな。

(笑)清さんが札幌に戻られたのはいつなんですか?

松竹谷:94年ですね。ちょっと疲れたってほどでもないんですけど、一回地元に戻ってみるかなって感じですかね。実際問題、俺のファンってこっちのほうが多いんで。当時の空気感っていうのは東京にいたひとじゃないとわからないんでね。僕らの音楽の感じっていうのは、地方にはなかなか伝わってないですね。

それこそフィッシュマンズが有名ですけど、リトル・テンポであるとか、まさにチルドレンたちへの影響があって。

松竹谷:そんな偉そうなことは言えないですけど、いいですよね。フィッシュマンズなんて日本の音楽だって感じがして。ああじゃないとダメですよね。

清志郎さんの音楽は好きですか?

松竹谷:いや、もう大好きですよ。尊敬してますよ。素晴らしいですよ、やっぱり。ブロックヘッズともやられてますからね、いち早く。

でも80年代のときは別々ですよね?

松竹谷:(笑)だって向こうは売れてるから。だから清志郎さんのセンスのやり方もあるけど、俺らは俺らのやり方で日本の音やりたいんで。

こだまさんとか清さんみたいな先達が元気でいらっしゃるのは僕なんかからしても嬉しい限りで。またこういうアルバムがきっかけで、80年代の日本の音楽でこういうのがあったんだよってひとりでも多く知ってくれればいいかなって思います。

松竹谷:過去の遺物じゃないようにね。だから偉そうに言うと、ちゃんと俺らは俺らで音楽できてるっていうことが、過去にならないってことになるんで。ほんとに松永と一緒にやれたっていうのが誇りなんでね。正直な話、そのことですごく(いまも)やってられますよ。だから、ガンになったって松永から電話あったときは音楽やめようかなって思ったんですけどね。
 今回のレコードのレーベル名が〈プレシャス・プレシャス(precious precious)〉っていうんだけど、これはオーティス・クレイに“プレシャス・プレシャス”って曲があるんですよ。松永がこの曲が好きで、酔っぱらうと「プレーシャス、プレーシャス」って(笑)。70年代のリズム&ブルースで、これが好きなんだわー。それから取ってるんですよ。

~ 松永孝義 三回忌ライブ ~
松永孝義 The Main Man Special Band
『QUARTER NOTE』CD発売記念ライブ 

7月11日(金)
開場:19:00 / 開演:20:00
西麻布 「新世界」 https://shinsekai9.jp/

出演:松永孝義 The Main Man Special Band:
桜井芳樹(Gt) / 増井朗人(Trb) / 矢口博康(Sax,Cl) / 福島ピート幹夫(Sax) / エマーソン北村(Key, Cho) / 井ノ浦英雄(Drs, Per) / ANNSAN(Per)/ 松永希(宮武希)(Vo, Cho) / ayako_HaLo(Cho)

ゲスト: 松竹谷清(Vo, Gt) 、ピアニカ前田(Pianica)、Lagoon/山内雄喜(Slack-key. Gt)、田村玄一(Steel. Gt)

料金: 前売り予約:¥3,500(ドリンク別)

INFO・チケット予約・お問い合わせ先:
西麻布 「新世界」
https://shinsekai9.jp/2014/07/11/the-main-man-special-band/

TEL: 03-5772-6767 (15:00~19:00)
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F

Notes of Throwing Snow - ele-king

 スローイング・スノーことロス・トーンズ。90年代のブリストル・サウンドを今日的に蘇生させ、UKのクラブ・カルチャーの突端を走ろうとしているこの新たな才能は、2000年代半ばより自らもレーベル運営を行い、自作とともに他の才能のフックアップにおいてもキレを見せている。以下は、そんなトーンズの「プロデュース」における多面性が詳らかになるインタヴュー記録だ。

わたしはいつでもブリストルの音楽を愛しています。ブリストルには自由があって、イギリスの他のどの場所ともちがうことをしたいという強い願望があるのです。


Throwing Snow- Mosaic
Houndstooth / Pヴァイン

ElectronicIDMDubstep

Tower HMV Amazon iTunes

サウンドクラウドのプロフィールには「London/Bristol/Weardale」とありますが、現在の活動拠点はどちらの町なんでしょう? また、その場所を選んだ理由を教えてください。

ロス・トーンズ:いまはロンドンに住んでいますが、わたしの一部はいまでも昔住んでいたウェアデールとブリストルにいるつもりです。ロンドンはわたしが現在住みたいと思う音楽とカルチャーのメルティング・ポットです。絶え間なくインスピレーションの源になることもその理由ですね。ここならなんでもできるし、世界のどこへも行くことができるのです。

あなたの音楽性を紹介するメディアの文章で、「フォークからダブステップまで」という表現を見かけました。あなたのなかの雑食性はどのようにして育まれたのでしょうか? もっとも影響を受けた音楽は何ですか?

トーンズ:本当にいろんな音楽にハマってきました。なんにでも興味を持っていた時期があって、そのころはどんな音楽でも(それがよいものであれば)好きになったんです。音楽の趣向はとても主観的なものだから、他人を満足させるのは難しいことだと思います。さまざまなスタイルの音楽を受け入れてきたこと以外に大きな影響があるとは言えません。とはいえ、子どもの頃にラジオでジョン・ピール(John Peel)を聴いたことが大きな衝撃でもありました。

あなたにはレーベルの管理者という顔もありますね。音楽の創作だけではなく、レーベルをはじめるようになったきっかけを教えてください。既存のレーベルでは満足できなかったのですか?

トーンズ:myspaceが流行っていた頃に音楽をリリースしはじめました。音楽業界が変わってきて、やり方を変えるチャンスだと感じたからです。アーティストにお金を稼いでほしかったし、クリエイティヴ面で完全な自由を与えたかったのです。そしてデジタル技術の発達による民主化が素晴らしいと思いつつも、フィジカル面はキープしつづけたいと思っていました。ミュージシャンが権利を自分で保持できるシステムも構築したいと考えていました。

〈ア・フューチャー・ウィズアウト(A Future Without)〉と、〈レフト・ブランク(Left Blank)〉では、レーベルの位置づけはどのように異なるのでしょうか? それぞれの特徴を教えてください。

トーンズ:〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉は、いまではポストカード・レコードや折り紙のようなジャケットのレコードなどおもしろいと思うフィジカルでのリリースを目的としています。いままではたくさんのリリースをしてきましたが、もっと特別なプロジェクトに集中したいのでリリース量は減らしています。〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉がいろんなジャンルを扱うのに対して、〈レフト・ブランク〉は一風変わったダンス・ミュージックをアナログでリリースしています。3人で運営していて、全員の意見が一致しないとリリースしません。量ではなくて質が問題なのです。

〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉からはカーン(Kahn)が最初のEPをリリースしていたり、〈レフト・ブランク〉からはヴェッセル(Vessel)が2枚のEPをリリースしていますが、ヤング・エコー(Young Echo)のような音楽はいま「ブリストル・ニュー・スクール」として注目されています。現地のシーンがどのように盛り上がっているのか、教えてください。

トーンズ:〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉からはジョウ(Zhou)とエル・キッド(El Kid)もリリースしています。ラッキーなことにヤング・エコーの最初もここからでした。わたしはいつでもブリストルの音楽を愛しています。新しいアーティストも例外ではありません。ブリストルには自由があって、イギリスの他のどの場所ともちがうことをしたいという強い願望があるのです。つねに前に進もうとしているところも大好きなんです。


このアルバムはわたしが過去にリリースしてきた幅広いスタイルの音楽の集大成です。これでわたしはさらに先へと進むのです。

Throwing Snow feat. Adda Kaleh - The Tempest from Rick Robin on Vimeo.

『モザイク』にはいろんな種類のビートが打ちこまれていますね。ダブステップやジューク、トリップホップ、ドラムンベースのようなビートまで。これをアルバムにまとめるのは大変ではなかったですか? 統合するためのコンセプトなどはありましたか?

トーンズ:アルバムをひとまとめに繋ぎあわせた唯一のものは、まるでモザイクのようにわたしに影響を与えてきたものたちです。トラックに込めた感情やサウンドはすべて同じです。しかし、使ってきた素材はいままでのものを再構築したものです。すべてプロデューサーとしてのわたしから出てきたものなので、うまくひとまとめになったと思います。リスナーにもそれを感じ取ってもらいたいと思っています。

アダ・カレ(Adda Kaleh)、キッド・A(Kid A)、Py、ヤシー・グレ(Jassy Grez)、今回はたくさんの女性ヴォーカリストが参加していますが、人選はどのように行われたのでしょうか? また、ヴォーカルをフィーチャーした作品にしようとしたのはなぜですか? たとえば、ケレラ(Kelela)やFKAツウィグス(FKA twigs)などの存在は意識しましたか?

トーンズ:いつでもヴォーカリストと仕事をしたいと思っています。人間的な要素や、独立した物語を音楽に加えることができるからです。ケレラやFKAツウィグスのやっていることは好きですが、彼女たちがリリースする前から曲を作っていたのでこのアルバムへの影響はありませんでした。今回選んだヴォーカリストは自信を持ってよいクオリティだと思う人だけで、声も大好きな人たちばかりです。たぶんこれがわたしのプロデュースのやり方なんだと思います。わたしは曲が最終的にこのような形になるとは予期していませんでした。曲自体が自然に出来上がっていったのです。

なかでも、2曲で参加しているアダ・カレは非常に印象的です。彼女はFIAC(Foire Internationale d'Art Contemporain)に参加するような現代美術のアーティストだと聞いています。彼女との出会いや、ヴォーカリストとしてどこに惹かれたのかを教えてください。

トーンズ:彼女とはニューヨークでのRBMA(レッド・ブル・ミュージック・アカデミー)で出会いました。彼女の音楽と声だけでなくて創造性と芸術に対する彼女の姿勢も大好きです。彼女は多才ですが、とても控えめな人です。 わたしは彼女のそのような部分もまた好きなのです。彼女が持つ他の芸術分野についての知識は、彼女の歌い方にドラマチックで力強い感性を与えているはずです。

アルバムのタイトルを『Mosaic(モザイク)』にしたのはなぜですか? どんな意味を込めたのでしょう?

トーンズ:プロデューサーとしてのわたしに影響を与えてきたサウンド、音楽は、モザイクのようなものだからです。このアルバムはわたしが過去にリリースしてきた幅広いスタイルの音楽の集大成です。これでわたしはさらに先へと進むのです。


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 2013年にリリースを開始、瞬く間に多面的なリリースを展開してきた〈ハウンズトゥース(Houndstooth)〉を説明するには、その母体であるナイト・クラブと、レーベルのA&Rについて触れないわけにはいかない。


印象的な〈Fabric〉のロゴ

 〈ハウンズトゥース〉の母体は、ロンドンの大型ナイト・クラブ〈ファブリック(Fabric)〉。1999年10月にオープンし、2007年、2008年には『DJマガジン』の「Top 100 Clubs in the World」の1位に輝いた、イギリスを代表するクラブのひとつだ。メインは土曜の、「fabric」というハウスやテクノを中心にした夜。金曜は「FABRICLIVE」というサウンドクラッシュ的な夜で、ヒップホップ、ダブステップ、ドラム&ベース、インディ・ミュージック、エレクトロなど、折衷主義というキーワードのもと、意欲的なキュレーションのプログラムが繰り広げられている。日曜は「WETYOURSELF」というイヴェントが2009年から開かれている。2001年には〈ファブリック・レコーズ〉を設立し、「fabric」「FABRICLIVE」という、クラブ・ナイトのコンセプトを反映させたDJミックスのシリーズを毎月交互にリリース。2012年に、ロブ・バターワース(Rob Butterworth、ディレクター)とレオ・ベルチェッツ(Leo Belchetz、マネージャー)がレーベルの担当に着任し、ミックスだけでないアーティスト主体の新レーベルを立ち上げる構想が生まれる。そこで抜擢されたのが、〈ハウンズトゥース〉のA&Rを務めるロブ・ブース(Rob Booth)だった。


2012年リリースの〈Electronic Explorations〉コンピレーション。
MP3のほうは61トラックを収録

 ロブ・ブースはダブステップを中心にしたエレクトロニック・ミュージックのシーンではすでに知られた存在だった。2007年から「エレクトロニック・エクスプロレーションズ(Electronic Explorations)」というポッドキャストを運営してきた彼の経歴は、90年代前半に遡る。デトロイトとバーミンガムのテクノに魅せられ音楽にハマった彼は、1997年、メアリー・アン・ホブス(Mary Anne Hobbs)のラジオ番組「ブリーズブロック(Breezeblock)」に出会い、さまざまなスタイルのエレクトロニック・ミュージックに愛情を抱く。その後、音楽ビジネスを学び、LTJブケム(LTJ Bukem)の〈グッド・ルッキング・レコーズ(Good Looking records)〉での経験を経て、ロブはメアリー・アン・ホブスの番組を制作していたサムシン・エルス・プロダクションズ(Somethin' Else Productions)で働くことになる。アンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージックを、彼が愛したラジオのようなスタイルで紹介するかたちでスタートした「エレクトロニック・エクスプロレーションズ」は、あっという間に人気のポッドキャストとなった。そして、ジェイムス・ブレイク(James Blake)、ピアソン・サウンド(Pearson Sound)、2562などの新しい才能をいち早く紹介したロブのキュレーターとしての手腕は、多くの音楽ファンや関係者から信頼を集めることになった。「エレクトロニック・エクスプロレーションズ」は、2012年からレーベルとして作品のリリースも開始。第1弾の12インチにはアコード(Akkord)、ミラニーズ(Milanese)、カーン(Kahn)、ラックスピン(Ruckspin)の楽曲が収録されている。


〈Houndstooth〉のロゴはジャケット・デザインにも多用されるモチーフだ

 2013年、〈ハウンズトゥース〉はベルリンのコール・スーパー(Call Super)の作品をレーベル1番としてリリース。以降、キング・カニバル(King Cannibal)として知られるディラン・リチャーズ(Dylan Richards)のハウス・オブ・ブラック・ランタンズ(House Of Black Lanterns)、デイヴ・クラーク(Dave Clarke)のユニット、アンサブスクライブ(Unsubscribe)、シンクロ(Synkro)とインディゴ(Indigo)によるアコード、スノウ・ゴースツ(Snow Ghosts/Hannah Cartwright+Alight)、アル・トゥレッテ(Al'Tourettes)のセカンド・ストーリー(Second Storey)、ポール・ウールフォード(Paul Woolford)のスペシャル・リクエスト(Special Request)、スローイング・スノー(Throwing Snow/Alight)など、新しい才能もしくは、すでに著名なアーティストの別名義に焦点を絞ってリリースを続けている。


Call Super / The Present Tense(HTH001)


Akkord ‎/ Navigate EP
(HTH005)


Snow Ghosts ‎/ And The World Was Gone(HTH011)

 筆者の私見だが、これには、たとえばラジオで流れてふと気になった曲について探っていくような感覚を、同レーベルのリリース作品にも持ってもらいたいという運営側の思惑があるのではないかと考える。『レジデント・アドヴァイザー』のインタビヴューで、ディレクターのロブ・バターワースは「すでに実績を持っている人たちではなくて、フレッシュな人選で我々独自のアイデンティティを見出したかった」と述べている。いまのところ〈ハウンズトゥース〉からは、まったくの新人のリリースはない。しかし、まるで「FABRICLIVE」のクラブ・ナイトをオーガナイズするようにキュレートされた面々によるリリースが、今後どのように広がっていくのか、その動向が楽しみなレーベルのひとつであることは疑いようがない。

https://www.fabriclondon.com/

https://www.houndstoothlabel.com/

Throwing Snow - ele-king

 再生ボタンを押すと非西洋的な音色と旋律が妖しげに鳴らされたと思ったら、およそ1分でそこに大胆に乱入してくるもの凄い低音。痺れる幕開けだ。大作映画がはじまるような思わせぶりなイントロにしておきながら、まず、これはベースがキーの音楽なのだとそこではっきりと宣言する。アルバム・タイトルが『モザイク』で、そのオープニング・トラックが“アヴァリス(強欲)”。不敵だ。自分をイントロデュースする術をよくわかっている。スローイング・スノウを名乗るロンドンのロス・トーンズが正確にいくつなのか知らないが、この年若いプロデューサーは、デビュー作でダブステップが認知されて以降の10年のエレクトロニック・ミュージック・シーンをひとまず簡単に総括してしまおうと言わんばかりの態度である。軸はダブステップを端とするベース・ミュージック、それとややアブストラクト・ヒップホップ。そこにドラムンベース、IDM、テクノ、ハウス、ジャングルを少しずつ、そしてもちろんアンビエント。それを、そう、モザイク壁画のようにあるべき場所に迷いなくすっすっと配置していく手際のよさ。この音楽的語彙の豊富さと編集能力はネット世代ならではなのかもしれないが、それにしても、このクールな佇まいはどうだろう。

 ポスト・ダブステップのプロデューサーがハウス回帰していくなかで、ポストのその先はどうなるんだろうとぼんやりと思っていたが、その回答例のひとつがここにあるのではないだろうか。先に言ってしまうと、決定的に新しいものがあるとは思わない。が、非常に折衷的なスローイング・スノウのビート・ミュージックには、そのぶつかり合いから生まれ得る何かを模索する野心がふつふつと感じられる。にもかかわらず、不思議とガツガツとした印象は受けない。たとえば4曲めの“リングイス”では前半パンタ・デュ・プランスを思わせるような澄んだ高音の金属音を反復させたかと思えば、途中で強烈なベースがそこに割りこんでくる。しかしその入り方はとってつけたような感じではなく、あくまでも平然としているのだ……まるであらかじめ、それらが出会うことは決められていたかのように。あるいは、キッドAというシンガーを招聘しているらしい“ヒプノタイズ”は(声質が似ているため)ビョークがついにダブステップのプロデューサーと組みましたと言われればあっさりと信じてしまいそうな完成度の高さとメジャー感でこそ勝負している。ハイライトのひとつは先のEPでも話題になった“パスファインダー”だが、そこにはヒプノティックで烈しいビートと生音のギターの断片、地を這うベースとムーディなシンセの和音があり、それらはしかしこんがらがることなく同居している。

 アルバムは“マエラ”と“オール・ザ・ライツ”のドラムンベースでエネルギーの上昇線を描き、“ドラウグル(亡霊)”のアンビエント・テクノで一気にダウナーな地点まで持って行く(かと思えば、途中入ってくる硬質なビートでまたドライヴする)。それにつづくラスト、“サルターレ(パーツ1&2)”がアルバムのなかでは比較的オーソドックスなテクノ・トラックとなっているのも興味深い。キックは4/4を打ち、その裏をハットがしっかりと刻みながら、光が溢れるようなメロディが視界に広がっていく。そのクオリティたるや、「そういえば、こういうのもできるけどね?」ぐらいのソツのなさだ。

 「モザイク」というからには、それぞれのパーツが役割を果たして全体像が結ぶ何かがあるはずである。ほとんどのヴォーカル・トラックでメランコリックな女声が聴けることや、禍々しくも圧倒的な“ザ・テンペスト”のヴィデオなどにトーンズ独自の審美眼、その気配が発揮されているように思うが、それとてまだまだほんのいち部だろう。スケールの大きな才能の登場……そしてこのデビュー作離れした余裕は、ビート・ミュージックのこの先をわたしたちに夢想させるにはじゅうぶんだ。

Throwing Snow feat. Adda Kaleh - The Tempest from Rick Robin on Vimeo.

DBS presents PINCH Birthday Bash!!! - ele-king

 ピンチはデジタル・ミスティックズと並ぶダブステップのオリジネーターのひとりだ。彼の作品からリスナーたちはダブステップとは一体何なのかを学び、これからこのジャンルで何が起ろうとしているのかも考えられるようになった。
 従来のダンス・ミュージックでは一拍ごとにキックが鳴らされていた。だが、キックの数を半分に減らしたハーフ・ステップという手法とウォブル・ベース(うねるエフェクトが施されたベース音)がダブステップでは主に用いられ、この魔法にかかると140BPMという決して遅くはないスピードが緩やかに進行する。2005年にピンチがスタートしたレーベル〈テクトニック〉の最初のリリースは、Pデューティー(ギンズ名義でも活動)との共作シングルであり、A面に収録された“ウォー・ダブ”は当時のアンダーグラウンドの空気を詰め込んだかのようなダブステップのナンバーだ。
 この曲に対して、B面に収録された“エイリアン・タン”でも140BPMでハーフ・ステップが用いられているが、その上で速く鳴らされるパーカッションやベースのうなり方がそれまでのダブステップとは違ったノリを作り出している。ピンチと同じく、現在もブリストルに住むRSDことロブ・スミスは、ダブステップを140BPMという曲のスピードの中で自由に遊ぶ音楽と定義しているが、ピンチもいち早くその「遊び方」に目をつけた人物だった。

 ピンチは、2013年に新たなレーベル〈コールド・レコーディングス〉をスタートする。2枚目のリリースが、当時19歳でイングランドのバースにある大学で音楽を専攻していた気鋭のプロデューサーのバツ(BATU)だったように、ピンチは新たな才能の発掘にも力を入れている(現地点での〈テクトニック〉からの最新リリースは、ブリストルの若手クルーであるヤング・エコーのひとり、アイシャン・サウンド)。 新人から経験のあるプロデューサーが〈コールド・レコーディングス〉には集まっている。この新しいレーベルでキー・ワードとなるのは、「120-130BPM」だ。

 今週末、ピンチは日本にやって来る。昨年は、エイドリアン・シャーウッドとともにエレクトラグライドでライヴ・セットをプレイしたが、今回はDJピンチとしてDBSのステージに再び立つことになり、本国イギリスでもなかなか体験することができない2時間半のロング・セットを予定している。もちろん、たくさんのレコードとダブ・プレートを携えて、だ。
 その日、同じステージに立つゴス・トラッドは現在、85BPMという未知なる領域を開拓しており、先日のアウトルック・フェスティヴァルにオーサーとして来日していた〈ディープ・メディ〉のレーベル・メイトのジャック・スパロウに、「これは未来だ」と言わしめた。同じくその夜プレイするエナも、ドラムンベースとダブステップを通過した定義することが大変難しい音楽を探究しながらも、国内外を問わず確実な支持を集めている(〈サムライ・ホロ〉から3月にリリースしたEPは既にソールド・アウト)。
 「ポスト・ダブステップ」という言葉が(安易であるにせよ)使われるようになった現在、プロデューサーたちは、大きな変化を常に求められている。だが、この日DBSに集まるピンチを始めとする先駆者たちは、リスナーたちの期待を軽々と越え、これからいったい何が聴かれるべきなのかを決定してしまうような力を持っている。

6.21 (SAT) @ UNIT
DBS presents PINCH Birthday Bash!!!

Feat.
PINCH (Tectonic, Cold Recordings, Bristol UK)
GOTH-TRAD(Live)
ENA
JAH-LIGHT
SIVARIDER

Extra Sound System:
JAH-LIGHT SOUND SYSTEM

Open/Start 23:30
Adv.3,000yen Door 3,500yen

info. 03.5459.8630 UNIT
https://www.dbs-tokyo.com

Ticket outlets:NOW ON SALE!
PIA (0570-02-9999/P-code: 232-858)、 LAWSON (L-code: 79718)
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia https://www.clubberia.com/store/
渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS(090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、disk union CLUB MUSIC SHOP(5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

Caution :
You Must Be 20 and Over With Photo ID to Enter.
20歳未満の方のご入場はお断りさせていただきます。
写真付き身分証明書をご持参下さい。


ポール・へガティ - ele-king

 ノイズの病がすべての音楽を浸食してから、唯一の希望ある道筋といえば、ノイズの細菌がチーズのバクテリアのように、善良な微生物であるということだ。そして、次のように考えることができる。ノイズは音楽的な健忘状態を生み出す代わりに、これまで聴き手には隠されてきた歓びをもたらすだろう。すべての音楽に存在しているものとはいえ、ノイズの要素は人類にとってのセックスのようなもので、その生と存在にとっては不可欠だが、言及するのは無礼にあたり、無視と沈黙によって覆い隠されている。それ故、音楽におけるノイズの使用はほとんど意識されず、また、議論されてこなかった。おそらく、これは和声や旋律のように深く議論される要素ほどには発展してこなかったからだと思われる。 
──ヘンリー・カウエル「ノイズの歓び(The Joys of Noise)」(1929)より

 ノイズをチーズのバクテリア、つまり俗にいう善玉菌になぞらえた、この楽観的なノイズ論はジョン・ケージよりおよそ一世代前のアメリカ実験音楽の作曲家、音楽理論家、ピアニスト、民族音楽学者、ヘンリー・カウエル(1897―1965)によるものだ。ノイズはあらゆる音楽に偏在し、この世の事物の生成と存在にとって不可欠な要素だが、その内実は性にまつわるタブー同様に見過ごされてきた。そこで、これまでノイズと見なされてきた音、つまり楽音ではない雑然とした音響に改めて光を当ててみようではないか! とカウエルは意気揚々と語る。これが冒頭に引用したエッセイ「ノイズの歓び」の大意だ。このお気楽で全能感溢れるカウエルのノイズ論に水を差すがごとく、カント、アドルノ、バタイユ、アガンベン、ベンヤミン、アタリ、デリダ、ドゥルーズ、ガタリ、アルトー、ベルクソンらの思想とそれらの思考形式を議論の根底に据え、至極シリアスかつ批判的にノイズを考察したのがポール・へガティの『ノイズ/ミュージック』である。

 本書はタイトルからして思わせぶりで、様々な解釈が、いや、深読みが可能だ。これは筆者の単なる思い込みや妄想にすぎないのかもしれないが、「ノイズ」と「ミュージック」のあいだに引かれた「/(スラッシュ)」に注目してみよう(原題は『Noise / Music: A History』邦訳の長い副題とは異なる)。というのも、この「/」が実に厄介なのだ。もしも「ノイズ・ミュージック」(原題ならスラッシュなしでNoise Musicとなるのだろうか)だったならば話は簡単で、字義どおり「ノイズ音楽」についての本だということがわかる。しかし、本書の場合はそう単純ではない。「/」を辞書で引くと「または」「あるいは」という並列の意味を持つ。従って、このタイトルを「ノイズあるいは音楽」と解釈することができる。この場合、ノイズと音楽のあいだにいかなる従属関係もなく、それぞれが別個のものとして存在していると見なされよう。ふたつ目の「/」の深読みは「ノイズ対音楽」である。ここでは、雑音もしくは非楽音としてのノイズ対楽音主体で構成された音楽という図式ができあがる。言い換えるならば、これは不協和音や不快な音響としてのノイズと、快い音響の整然たる形式美による音楽という古典的な二分法だ。最後の深読みは「ノイズとしての音楽」または「音楽としてのノイズ」で、「/」は等号に近い意味を持つ。前者の場合、音楽はノイズに内包される。後者の場合、ノイズは音楽に内包される。

 もう少し「/」の問題にお付き合い願いたい。本書のタイトルが示唆するふたつの事物の関係性(ノイズ/音楽)について考えているうちに思い出されるのがジョン・ケージと同時代のアメリカの作曲家、モートン・フェルドマン(1926―87)だ。キルケゴールの「あれかこれか(Either Or)」を模して「あれでもこれでもない(Neither Nor)」という立場をとったフェルドマンは、一見ノイズとは対極に位置する微弱な音のゆるやかな推移を主体にした作風で知られる。彼自身はノイズを用いた音楽を作曲することはなかったが、新たな音響素材としてのノイズの重要性をエッセイなどで論じ、ノイズをいち早く自作にとりいれたエドガー・ヴァレーズを礼賛した。フェルドマンは音量や音質といった即物的な次元ではなくて、因習打破や実験性の象徴、音楽における時空間の新たなあり方の探求例としてノイズおよびヴァレーズに一種のシンパシーを感じていたのではないかと考えられる。このようなフェルドマンの思想と実践とのパラドックスがノイズをめぐる議論の複雑さ、厄介さ、そしておもしろさだ。ノイズとは音量だけの問題のみならず「静かなるノイズ」もおおいにあり得る。それは実際の音響としてではなく、メタ的なノイズとして立ち現れる。

 以上のように、「/」は本書の論述スタイルを体現する記号だと見なすことができよう。その多様な解釈の可能性と、アドルノの否定弁証法を彷彿させるレトリックによって、へガティは13の視点からノイズ/ミュージックを論じている。ノイズの歴史的背景は「1 はじまり」と「2 テクノロジー」で概観されている。第3章以降は「フリー」や「インダストリアル」など、ノイズを語る上でのキーワードにまつわる各論を展開している。

 著者自身が「序」で述べているように、本書は基本的に理論書の体裁をとるので、個々のミュージシャンやジャンルについて普く言及しているわけではない。また、原書の出版が2007年ということもあり、ノイズ音楽の最新動向を捉えているわけでもない。とはいえ、その対象はダダやシュルレアリズム、ケージらによる実験音楽、ミュージック・コンクレートにはじまり、ロック、パンク、プログレを経て、フリー・ジャズおよびフリー・インプロヴィゼーション、インダストリアル、ノー・ウェイヴ、ヒップホップ、エレクトロ、グリッチ、サウンド・アートまでを守備範囲とする。

 一般的には「ノイズ」にカテゴライズされることはあまりないミュージシャンの名前もたくさん出てくる。「3 フリー」ではデレク・ベイリーやオーネット・コールマンの思想と実践がアドルノの退廃音楽論と絡めて論じられている。ロックおよびパンクにかんしていえば、「6 不条理」にてセックス・ピストルズ、PiL、クラス、DNAが虚無主義や資本主義経済との関係性から語られている。彼らの活動に根底にある疎外や反逆性は概念としての「ノイズ性(noisiness)」にとって不可欠な要素である。

 もちろん、スロッビング・グリッスル、ホワイトハウス、ノイバウテン、ザ・スワンズ、SPK、ライバッハといった、いまとなってはその筋の大御所も大々的にとりあげられている。彼らについて、あるときはバタイユの倒錯的な美学とともに、また、あるときはフーコー的な権力とともに語られている。著者によれば、彼らの音楽は「因習的なキリスト教的、芸術的、道徳的、資本主義的思想や生き方への徹底的な批判」をその本質的な要素とする。これらの音響的な具現化がインダストリアル、ひいてはノイズ音楽全般に通底しているともいえるだろう。この議論の延長で、「8 パワー」の後半にてヒップホップ、とくにパブリック・エナミーに言及しているのは非常におもしろい。サンプリングとDJイング、つまりテクノロジーが音による暗示を可能にし、権力への抵抗と運動への動員を喚起する。インダストリアル・ミュージックにもカットアップやサンプリングが用いられるが、どちらかというと虚無主義や倒錯的な色合いが強い。両者には共通する要素がいくつかあるものの、この点にヒップホップとインダストリアルとの概念上の違いを見出すことができるだろう。

 本書のなかでとりわけ目をひくのが「9 ジャパノイズ」と「10 メルツバウ」の章だ。「ジャパノイズ」の章はもっとも紙幅が割かれている。「ジャパノイズ」の章では、日本のノイズ音楽およびそのシーンの特異性ではなく、むしろそれがいかにコロニアリズムやワールド・ミュージックの文脈、そして日本という特異性とは無関係であるかを論じることが目的とされている。しかしながら、「ジャパニーズ・ノイズが禅であるとすれば、それは〈緊縛〉でもある」というくだりなどを見ると、「日本」という特異性にやや引っ張られている感も否めない。そして、この問題は「ジャパノイズ」という呼称が日本のノイジシャンたちから不興を買う傾向にあることとも通じているのではないだろうか。

 終章「13 聴取」は短い章だが、「聴取なしには音もノイズも沈黙も存在し得ない。」というケージの考えを端緒として、デリダのいうところの、差延としてのノイズと音楽の間の差異化のダイナミズムをとおして本書全体を総括しようと試みる。音を発することよりも聴くことと聞くこと、もっといえば聴き従うことによってノイズは様々な意味や場所の間を常にぐるぐる変転している。円環状のイメージを頭に描きながらこの章を読んだ。

 本書では、著者から読者へのエクスキューズなしに、実際の音響現象としてのノイズ──楽音ではない音、いわゆる爆音、不快な音、不協和な音──と、メタファーや表象としてのノイズ──異端、異物、否定、禁忌など──とが使いわけられている。自分が読んでいる箇所の「ノイズ」ははたしてどちらなのか、読者は常にその判断を迫られる。ここでミスリードを犯してしまうと、そこに書かれている事柄がいまいち判然としない。これが本書を読む上での最大の困難さであろう。次々と出てくる固有名詞の応酬よりも、その「ノイズ」がいったいどの次元でのノイズなのか? レトリックに足元をすくわれることなく、冷静に読み進めてみると、「ノイズとはなんたるか」がいたるところで明言されていることに気付く。まるで著者によるマニフェストのようだ。だが、そういう場合でも、前後の文脈をよくたしかめる必要がある。それは肯定なのか、否定なのか。そして否定の否定なのか。

 たとえば「9 ジャパノイズ」の章では、ノイズにおける自己の喪失と他者性という大仰な議論が展開されている。そこではノイズは次のように位置づけられている。「またしても、ノイズは破綻する運命にあり、ノイズとはこのような破綻であり、だがまるで破綻しないかのように見せかけ、残滓として破綻のなかに生き続ける」と。これはかつてのアングラ演劇にでも出てきそうな科白だ。この場合の「ノイズ」はカタストロフ的な音響現象としての、そして自己の消失と破綻の表象としてのノイズという両側面を有する。このような調子でノイズのあり方が様々なかたちで語られている。ノイズとはなんたるかがひとたび明言されると、その言説は途端に破綻し、さらなる新たな問い「ノイズとは?」が生じる。この雲をつかむようにすり抜ける無間地獄が本書を覆っている。

 本書が参照しているジャック・アタリ『ノイズ:音楽/貨幣/雑音(Bruits: Essai sur l'économie politique de la musique)』がフランスで刊行されたのは1977年(邦訳の初版は1985年)。アタリの『ノイズ』は本稿でいうところのメタファーとしてのノイズ論の先駆けであり、どちらかといえば経済学、思想史、文化史の色合いが強い。ダグラス・カーンの『ノイズ ウォーター ミート:芸術におけるサウンドの歴史 (Noise Water Meat: A History of Sound in the Arts)』が1999年に刊行されたのを皮切りに、ノイズやサウンド・アートにまつわる本格的な書籍が続々と世に出はじめた。最近はデヴィッド・ノヴァクの『ジャパノイズ:流通の際(きわ)にある音楽(Japanoise: Music at the Edge of Circulation)』(2013)が日本のノイズに特化したフィールド調査と考察による書籍として話題となった。

 ここに挙げたのはごく一部にすぎないが、ノイズにまつわる音楽論や音楽史が、この10数年のあいだで確実に「きている」感じがする。とくに日本のノイズ音楽には大きな関心が向けられている。話はそれるが、去年、筆者がモロッコのジャジューカ村に行った際、UKやアイルランドの音楽愛好家とメルツバウ、非常階段、インキャパシタンツ、アシッド・マザー・テンプルの話をしておおいに盛り上がった。ここは時流に乗って、日本の書き手も何かやらかさないといけない(すでに日本のノイズ本が何冊か刊行されているが)。昨今のノイズ本の興隆から、筆者は漠然とそんなことを考えている。

 本書は一般的な音楽書というよりも、思想書や哲学書と位置づけた方がよいのかもしれない。もちろんインダストリアル・ミュージックなど、ジャンルとしての「ノイズ音楽」にも言及しているが、よくよく考えてみると、20世紀以降に生じたほぼすべての音楽と、音楽および芸術にかかわる事象を扱っており、本書が対象とする音楽は幅広い。逆にいえば、ノイズを志向しない音楽、つまり冒頭に引用したカウエルの言葉を借りるならば、ノイズの細菌を含まない音楽などありえないのだ。

interview with Lone - ele-king


Lone
Reality Testing

R&S RECORDS / ビート

AbstractIDMHip Hop

Tower HMV Amazon iTunes

 僕の目の前にあるアルバムのジャケットの表面では、冷たく映るビルの写真がトイ・カメラの多重露光で作り出したようなカラフルな画像のコラージュに飲み込まれる寸前だ。その異なる2つの世界の境目に悲しい目をした青年がひとりたたずむ。彼はローンという名前で知られるマット・カトラーという男で、このアルバム『リアリティ・テスティング』を作り出した張本人だ。

 ここ日本では、2009年、アクトレスの〈ワーク・ディスク〉から発表した(CDR作品をのぞくと)セカンド・アルバムにあたる『エクスタシー&フレンズ』は、何の宣伝も、たいした情報もなしに、口コミでゆっくり広がった。その透明感とビートは、ボーズ・オブ・カナダがヒップホップをやっているようだとも当時はリスナーから言われたそうだが、実際、ローンは自分のルーツとなった音を臆することなく作品で表現してきた。
 2年前の『ギャラクシー・ガーデン』(スペイシーなイソギンチャクがいるジャケット)では、それまでのヒップホップ的なサウンド構築から離れ、これってマッド・マイクじゃんと言いたくなるようなコード感やリズムに、当時ハドソン・モホークやラスティたちの作品に見られた細切れになったビートのシャワーが降ってくる。決して新しいとは言えないスタイルを彼は参照するのだが、向いている方向が完全に後ろ向きではないのだ。懐くかしく、どこにもない音である。

 前作ではマシーン・ドラムと共演、その後はアゼリア・バンクスにも楽曲をするなど、ローン(lone:孤独の意)という名前からはかけ離れた活動にも着手していたが、今作で彼はまたひとりだけの世界に戻った。故郷のノッティンガムを離れ、マンチェスターに新居を構え、自分専用のスタジオまで家の中に作ってしまった彼は、「ヘッドフォンがあればどこでも一緒」と言い切ってしまう。
 ちなみに、彼のDJセットは基本的にハウスやテクノをメインにした、本人曰く、多くの人を楽しませることを主軸としたものだ。孤独でサービス精神がある。面白い男だ。

 今作『リアリティ・テスティング』でローンが奏でる音はヒップホップ色が強い。それも90年代を想起させるものだ。ジャイルス・ピーターソンが2014年のベスト・トラックに選んだ“2 is 8”では、切り刻んだフレーズのループや乾いたドラムの質感がセンス良く鳴っている。
 もちろん、そのリズムの上には現在の彼を形作るアンビエントやテクノのエレクトロなメロディがある。時代や場所を越えた音楽が自分の経験則でブレンドされ誕生する、現在のシーンにはない「新しい」サウンド。ローンは、やはり孤独な男だった。

DJのときはレコードは使わないんだ。でも音楽を聴くときのメインはレコード。レコードを聴くのも好きだし、レコードのノイズをサンプルするのも好きなんだ。音に暖かくてナイスな質感をもたらしてくれるからね。そういうサウンドが好きなんだ。

前作の『ギャラクシー・ガーデン』から2年が経ちましたが、どのような活動をされていたのでしょうか?

ローン:アルバムを作っていた。『ギャラクシー・ガーデン』をリリースしたあとは、しばらく『ギャラクシー・ガーデン』と似たような曲ばかりを作った。それがあまり好きじゃなかったから、少しタイムアウトをとることにしたんだよ。そこから新しいインスピレーションを探しはじめて、違う音楽を聴きはじめたのさ。前作とは違うものが作りたくてね。で、いちどアイディアが浮かんでからすぐ制作に取りかかって、1年でアルバムを完成させたんだ。つまり、自分が何にハマっているかを見つけ出すのに1年かかったってことだね(笑)。

制作活動以外に何か活動はされてたんですか?

ローン:DJもたくさんしてたし、ツアーでいろんな場所を回ってたんだ。それがなければ、もっと早くアルバムを完成させることが出来たかもしれないけど。そういう他の活動で制作はどうしてもスローダウンしてしまうからね。

いろいろな場所を回るといえば、来日されたこともあるんですよね。あなたは2012年に〈R&S〉のショウ・ケースで来日しており、その後のインタヴューで、日本にまた行きたいと答えていましたが、日本のどんなところが気に入ったのでしょうか?

ローン:そうそう。渋谷のWOMBでプレイしたんだ。あそこは僕のお気に入りの場所だよ。日本は大好きなんだ。本当に最高の旅だった。何を気に入ったかって? 何でもだよ(笑)。自分が住んでる国と全然違うし、食べ物も素晴らしいしね。

日本では何をしたんですか?

ローン:渋谷を歩いたくらい。友だちと一緒にいろいろ食べたり、変な店を回ったり(笑)。めちゃくちゃ楽しかった。

前回のアルバムをリリースしたとき、自分のスタジオを作ることを計画しているとおっしゃっていましたが、どのような楽曲制作環境で今回のアルバムを制作したのでしょうか?

ローン:マンチェスターの予備部屋のあるアパートに引っ越して、その部屋からベッドを出して小さなスタジオを作った。いまでもまだ使ってるし、今回のアルバムもそこで作った。なんてことのない普通の小さなスタジオさ(笑)。すごく小さいんだけど、自分のスペースがあるのってやっぱりいいよね。

これからロンドンに引っ越すんですよね? またスタジオを作らないといけませんね(笑)。

ローン:そうなんだよ(笑)。ロンドンだともっと家賃が高いから大変だけど、また作らなくちゃね。やっぱり自分が住んでるアパートに作りたいな。さすがにまずはどこかのスタジオをレンタルするだろうけど、いずれね。

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エレクトロニック・ミュージックをどうやって組み立てていくかの基礎を知ってるだけで、他の人がどうやってるのかは知らない。そっちの方がオリジナルになれると思うんだ。だから、手法が新しい必要はなくて、「あまり理解してない」、「知識がない」っていうことが他との違いを生み出してるんだと思う。

あなたはデータでDJをしますが、作品に散見されるレコード・ノイズからレコードへの愛着も感じられます。CD、レコードのうち、どのメディアを使って普段音楽を聴きますか?

ローン:そう。DJのときはレコードは使わないんだ。でも音楽を聴くときのメインはレコード。レコードを聴くのも好きだし、レコードのノイズをサンプルするのも好きなんだ。音に温かくてナイスな質感をもたらしてくれるからね。そういうサウンドが好きなんだ。

レコードはよく購入するんですか?

ローン:けっこう買うよ。前よりは買う枚数が減ったけどね。DJのためにデジタルでも曲を買うからさ。でもレコード・ショッピングはいまだに大好だよ。

ダンス・ミュージック以外でよく聴くジャンルとミュージシャンは誰ですか?

ローン:どうだろう……。しょっちゅうエレクトロを聴いてるからな……。よく聴くのはテクノとかヒップホップ。エレクトロ以外のものはあまり聴かない。バンド系の音楽も少しは聴くけど、昔のものが多いかな。あとは昔のソウル・レコードとかで、とくにこれっていうのはない。アルバムの制作中は自分の音楽をずっと聴いているしね。

今回のアルバムを作る上で現在のクラブ・シーンから影響を受けている部分はありますか? 

ローン:うーん、デトロイトのクラブ・ミュージックはそうかもしれないな。新しいデトロイトの音楽からは影響を受けていると思う。でも、クラブ・シーンそのものから影響は受けていない。僕のアルバムは自分のヘッドフォンや車のなかで聴く方があっていると思うから。

前作の『ギャラクシー・ガーデン』ではマシーン・ドラムやアネカと共演をし、2013年にはアゼリア・バンクスに楽曲提供をしています。他のミュージシャンたちと楽曲を制作するうえで心がけていることはありますか?

ローン:他のミュージシャンと作業するってことは、すでにその人たちの音楽、やることが大好きってことがわかって共演しているってこと。だから、ただただその人たちのアイディアを曲に持ってきてもらうってことだけでハッピーなんだ。あとは、彼らが持ってくるものが自分の作品に合うことを期待するだけ。そんなわけで、あまり話し合ったりはしないんだよね。流れに任せるだけ。とにかく彼らのやることが好きだから、一緒に出来るってだけで嬉しいんだ。

現在、コラボレーションしてみたいミュージシャンはいますか?

ローン:いや、いまのところいないね。このアルバムもひとりで作完全にインスト・オンリーで作りたかった。でも、これからだれかと共演することは考えるかもしれない。ラッパーとか面白そうだな。アール・スウェットシャツやジョーイ・バッドアスが大好きなんだけど、彼らとコラボできたら最高だろうね。ラッパーと一緒にヒップホップを作りたい。自分のアルバムでというよりは、彼らのために曲を作る感じかな。

“レストレス・シティ”や“オーロラ・ノーザン・クォーター”といった、特定のモノや状況を表した曲のタイトルが多いですが、そのなかで“2 is 8”は暗号のような響きを持っています。このタイトルは何を示しているのでしょうか?

ローン:あの曲はね……、曲を作っているとき僕はときどき紙に書いたりするんだ。とくに楽器に関しては本格的なトレーニングを受けたわけではないから、どうすればいいかわからないことが多々あるんだよ。だからときに自分のやり方でどうにかその音を作らないといけないことがある。で、その書き留めてたなかに"2 is 8"っていう言葉があって、それが良く見えたんだよね。みんなにはわからないかもしれないけど、"2 is 8"っていうのはこの曲のビートがどうやってできたかっていうのを表した暗号みたいな感じなんだよ(笑)。他人には暗号のように見えるだろうけど、僕にとっては意味があるんだ。

今作を日々の記憶を収めた日記のようなものだと答えていますが、普段の生活でどのようなものから音楽的にインスパイアされますか?

ローン:生活で起こるすべてのこと。友だちや家族、彼女との人間関係とか、自分が聴いている音楽といった自分の周りにあるもの全てだよ。それが自然と音に出てくるんだ。正直、それがどう繋がってるのかとか、どうやって出てくるのかは自分でもわからない。曲を作るとき、僕はあまり考えごとはせずに流れにまかせているからね。曲のなかで何かピンとくるものがあると「これあの日のことかな?」とかあとで思ったりするよ。言葉にしづらいけど、インスパイアされる事柄は、主に人、人生、音楽だね。あとは経験。そこからの影響が大きいと思う。

今作『リアリティ・テスティング(Reality Testing)』とは、心理学で用いられる用語で、自分の内面が現実世界とどれだけ一致しているかを試すことを意味していますよね? なぜこのタイトルをアルバム名にしたのでしょう?

ローン:僕が使っている意味でのリアリティ・テスティングっていうのは、夢のなかでどれくらいリアリティが意識できてるかっていうのをテストすることを表している。夢のなかの自分がどれだけ「目覚めているか」をテストすることだね。僕の音楽には夢っぽい部分もあるし、リアルな部分もある。自分にとっては、アルバムのサウンドが、自分が起きているときと夢のなかにいるときの中立のサウンドに感じられるんだ。だからそのタイトルにしたんだよ。

前作では、リズムやベースやコードから分かるように、テクノやハウスのスタイルが印象的でしたが、今作には“2+8”のような90年代のヒップホップを土台にしているとも思える曲があります。そこにはどのような意図があったのでしょうか?

ローン:さっきも言ったけど、前に作っていたような音楽を再び作りたくなかった。『ギャラクシー・ガーデン』とは全然違うものを作りたかったから、そこでまたヒップホップを聴きはじめてハマっていった。すごくインスパイアされたし、自分の音と混ぜることで結果違う音楽になったけど、最初はストレートなヒップホップを作りたかったくらいなんだよね。

あなたの表現する音は新鮮でユニークですが、そこで使われる手法は現在のあなたの音楽を形作っているヒップホップやテクノのシーンで長年使われてきたものです。決して新しくはないジャンルの音楽に、これからどんな可能性があると思いますか?

ローン:だね。僕はとくに新しいことはやってない。僕は、他人がどうやって曲を作っているかっていうのをあまり学ばないようにしているんだ。エレクトロニック・ミュージックをどうやって組み立てていくかの基礎を知ってるだけで、他の人がどうやってるのかは知らない。そっちの方がオリジナルになれると思うんだ。だから、手法が新しい必要はなくて、「あまり理解してない」、「知識がない」っていうことが他との違いを生み出してるんだと思う。僕は、あまり「これが正しい」とかそういうことは気にしないんだ。ただ自分が音楽作りを楽しんでるだけで。
 可能性はかなりあると思うよ。だって音楽はつねに変わっていくものだからさ。新しいスタイルの音楽はつねに出てきているし、そのヴァリエーションも豊富だよね。いまの時代、より多くの人が音楽を作っているから、いまからスタイルが多様になっていくと思う。これからもっとクレイジーになるんじゃないかな。僕みたいにあまり構成を理解できなくてもミュージシャンになる人がたくさん出てくるわけだからね。自分のやり方で作ったら違うものが出来た、みたいな機会も増えはずだ。だからジャンルの新旧は関係なく、数年後には音楽の可能性はもっと広がっていくと思うよ。

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影響を受けたアーティストっていうのは、ボーナスみたいなものなんだよ。ボーズ・オブ・カナダも他のアーティストに影響は受けているだろうけど、彼らは彼らのやるべきことをやってるわけだからね。自分で自分の曲を作るっていうのがまず前提。


Lone
Reality Testing

R&S RECORDS / ビート

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あなたはノッティンガム出身ですが、生まれ育った街でどのようにしてクラブ・ミュージックと出会ったのですか?

ローン:10代の頃、ヒップホップのイヴェントがあったらから、そこに行くようになったんだ。クラブ・シーンとはまた違うけど、そこで街に来たお気に入りのDJがプレイするのを聴いていたよ。オウテカとかスクエア・プッシャーみたいな、後々までインスピレーションを受けるアーティストたちもたくさん来ていたね。それがクラブ・ミュージックを体感した最初の経験なんだ。

10代の頃に〈ワープ〉のミュージシャンに大きな影響を受けたそうですが、なぜその音楽に惹き付けられたのですか?

ローン:〈ワープ〉の作品の魅力は、ジャンルが定まっていないこと。他にはない新しい音楽を常に作り出していると思う。そこがエキサイティングだ。ルールに制限されてないしね。テクノのレコードを聴けばどのアーティストでもテクノに聴こえてしまうけど、例えばボーズ・オブ・カナダなんかのレコードは他と全然違う。そこがすごく面白くて、どんどんハマっていったんだよ。

大きな影響を受けたミュージシャンに、あなたはマッドリブや、いま言ったようにボーズ・オブ・カナダを挙げていますが、彼らの音楽は現在のあなたにどんな影響を与えていますか?

ローン:いまは正直どう影響を受けてるかはわからない。いまはもっといろいろな音楽に影響を受けてるからね。もちろん、彼らの初期の音楽には衝撃を受けたのは事実だ。僕の活動の基盤を作ってくれたアーティストたちだということに変わりはない。だから、いまも直接的ではなくても影響は受けてるかもしれないね。
 でも、ずっと同じものから影響を受けていると、退屈してしまうんだ。そうすると、音楽がダメになってしまうと思う。自分をハッピーにするものを作らないとね。彼らも自分たちで音楽を作っているし、僕もそこに影響を受けて曲を作り始めた。影響を受けたアーティストっていうのは、ボーナスみたいなものなんだよ。ボーズ・オブ・カナダも他のアーティストに影響は受けているだろうけど、彼らは彼らのやるべきことをやってるわけだからね。自分で自分の曲を作るっていうのがまず前提。僕が作ろうとしているものもそれと同じなんだ。

それではあなたが音楽を作るようになったきっかけを教えて下さい。

ローン:最初は9か10歳くらいだったと思う。古いレイヴ・ミュージックなんかを聴いていて、自分が最初に気に入った音楽がそういうジャンルだった。自分で言うのもなんだけど、クリエイティヴな子供だったから、自然にそういう音楽の自分のヴァージョンを作りはじめた。テープレコーダーしかなくて、最悪の環境だったけどね(笑)。それから15歳くらいでコンピュータを買ってもっと真剣にやりはじめたんだ。もっと曲作りに興味を持つようになって、自分の世界にどっぷりつかってキーボードを弾いたりするようになった。そんな流れかな。

ノッティンガムからマンチェスターへ引っ越したことは、あなたのキャリアにどう影響を与えましたか?

ローン:たくさんの人に出会ったことは変化のひとつだった。クラブにも行くようになって、自分がクラブで聴きたいと思う音楽を作るようになったっていうのも影響のひとつだね。でも、それ以外はあまり変わってないんだ。家にいてヘッドフォンをつけている分にはどこにいたって同じだからね。


ルーク・ヴァイバートだね。彼がエイフェックスツインとDJしているのを見たんだ。それは自分が行った最初のフェスでのことだから、2002年だと思う。彼らはジャングルやヒップホップをプレイしていて、テクノもたくさんかかっていて、僕が大好きな音楽だらけのセットだったんだ。

日本であなたの人気のきっかけになった作品は2009年発表の『エクスタシー&フレンズ』でした。国によって、あなたの音楽の受け入られ方にどのような違いがありますか?

ローン:違うとは思うけどあまり直接意見は聞かないから、あくまでも現場で自分が感じる範囲での話だけど、日本ではとくにクリエイティヴなものが好まれているような気がする。そっちのほうが日本っていう場所にも合っているしね。日本の文化や映画もクリエイティヴだし。だから、僕の音楽のような作品は日本では受け入れてもらいやすいのかも。

あなたのアルバムのジャケットのアート・ワークはとても刺激的です。『エメラルド・ファンタジー・トラックス』のジャケットのような時間を忘れてしまうような美しい写真を使ったものから、今作の現実と夢の世界が入り交じった抽象的なものまであり、音楽を聴かずともあらゆるイメージが伝わってきます。あなたの作品にとって、ジャケットはどう重要なのでしょうか?

ローン:ジャケットやアートワークは音楽と同じくらい重要なものだ。レコードを聴くときも、僕はいつもアートワークを見る。良いレコードっていうのは、音楽とアートワークのふたつが繋がっていると思うんだ。相乗効果で、それぞれがより良く感じられる。アートワークとの繋がりが強い方が、音楽もより良く聴こえると思うしね。
 だから、自分のレコードでは毎回その繋がりをかかさないようにしているんだ。僕自身のレコードの楽しみ方は、音を聴きながら、またはその後でジャケットやなかのスリーブを見ること。そのアートワークに情報がつまっていたりもするから音楽とアートワークとの繋がりは本当に大切だと思うよ。

ライブセットよりもDJセットを披露することが多いそうですが、なぜ自身を表現する手段としてDJを選んだのですか?

ローン:エレクトロのライブってめちゃくちゃつまらないと思うんだ(笑)。ひとりの人間がコンピュータの後ろに立っているだけだろ? 今年は僕もライヴをするけど、DJの方は音楽に焦点があたっているから好きなんだ。プレイする人間はメインじゃないし、DJがやるべきことは音楽を皆のために選ぶこと。そっちの方がパソコンの後ろに立っているより楽しいんだ。

では自分のライブをやる時は、どうやってオーディエンスを楽しませることが出来ると思いますか?

ローン:まだあまり経験がないから何とも言えないんだけど、アートワークを担当してくれたトム・スコールフィールドにステージへ来てもらおうかと思っているんだ。ビジュアルを取り入れるっていうのが今考えている次のステップかな。ビジュアルの要素があれば、人が見に来る意味が出来ると思うから。

前回のボイラー・ルームでの自身の曲にDJ スピナなどのヒップホップを混ぜ合わせたDJセットが印象的でしたが、現在はどのようなセットでDJをすることが多いですか?

ローン:自分が音楽を作る上で影響を受けた音楽をたくさん流しているよ。でもあまりヒップホップはプレイしないんだ。みんなクラブへダンスをしに来ている場合が多いからね。だからテクノやハウスをプレイすることが多いかな。あと、もちろんそれに影響を受けた自分の音楽もプレイする。あとはセット全体が楽しいことを心がけていて、あんまりシリアスなDJセットはやらないんだよね。

いままでの人生で最高のセットを披露したDJは誰ですか?

ローン:そうだな……。たぶんルーク・ヴァイバートだね。彼がエイフェックスツインとDJしているのを見たんだ。それは自分が行った最初のフェスでのことだから、2002年だと思う。彼らはジャングルやヒップホップをプレイしていて、テクノもたくさんかかっていて、僕が大好きな音楽だらけのセットだった。当時16歳だったから、年齢もあってそういう音楽を探求するのがめちゃくちゃ楽しかったんだよね。サウンドシステムでジャングルみたいな音楽を聴くのは初めてだったから、「ワーオ! 超クレイジーだな!」って感激したんだ(笑)。

あなたのレーベルである〈マジック・ワイヤー・レコーディングス〉の最後のリリースは2012年でしたが、今後のリリースの予定はあるのでしょうか?

ローン:今実はそれに向けてイタリアの若いプロデューサーと一緒に作業しているところなんだ。僕の活動やツアーで忙しかったからなかなか進められてなかった。でもそれが落ち着いたら、今年と来年はもっと新しいアーティストのレコードをたくさんリリースしたいと思っているよ。

最後に次回作をリリースするまでの計画があれば教えて下さい。

ローン:まずはライブだね。今年はツアーでいろいろ回るんだ。でもすぐに次のレコードを作りたいね。ビートのないアンビエント作品っていうのがいま考えているプランで、ドラムの音のない美しいものを作りたいと思っているんだ。どうなるかわからないけど、とりあえずトライしてみて様子を見てみるよ。これから数週間はロンドンへの引っ越しでバタバタするだろうけど、スタジオを見つけ次第、たぶん来月くらいには作業を始められるんじゃないかな。

なるほど。ありがとうございました。

ローン:こちらこそ。また次回日本に行けるのを楽しみにしているよ!

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