我慢して学校に行ってても金もらえるわけじゃないから働こうとしたんだけど、16~17歳じゃろくな仕事がなくてさ。
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eastern youth 叙景ゼロ番地 バップ |
──今回は「レベルミュージック」というテーマでお話をうかがいたいと思います。
吉野:ろくなこと話せんと思いますよ……。
──まずバンドをはじめた頃の吉野さんはどんな少年だったんですか?
吉野:世の中全員敵だと思ってました。みんな死ねって(笑)。
──なんでそんな……。
吉野:もちろん近しい友だちはいましたけど、そもそも仲間っちゅうもんがあまりいなかった。小ちゃい頃からつまはじきになりやすい性格だったんだと思います。それで仲間外れになったり、嫌われたりするということもすごく多くて、こっちだって「けったクソ悪いわい」と世の中に対する憎しみや反抗心みたいなものを着々と募らせていったんでしょうね。
──なるほど。
吉野:いちばん最初に組んだバンド、スキャナーズはその延長線上という感じです。ちょっと大きくなると楽器を弾くようになって、自分のフラストレーションを形にできるようになりました。だからいわゆるレベルミュージック的な「政府が……」「世の中の仕組みが……」とかっていうよりは、自分を閉じこめるやつら、俺は世の中のほとんどのやつらがそうだと思ってたから、そいつら全員ふざけんなって感じでしたね。歌詞とかも生きづらさみたいなことを歌っていたと思います。
──学生時代はどのように過ごしていたんですか?
吉野:義務教育までは実家にいましたけど、高校に上がるタイミングで家を出て下宿していました。とにかく生まれ育ったしがらみから早く出たかったんですよ。
──生まれ育ったしがらみというのは?
吉野:学校間のつながりとかですよ。そういうのに囚われない、何にもないところに行きたかったんですよね。
──高校から下宿というのもすごいですね。
吉野:そこの下宿が劣悪な環境でね(笑)。なんせ食い物がまずくて喉を通らんのですよ。少ないながらも親から仕送りをもらっていたんですが、そういうのはすべて食費に消えてました。「なんだっ!? このツラさは……」とか思ってましたね。
──(笑)。そんな状況だとレコードや楽器に費やすお金はなかったんじゃないですか?
吉野:なんとかなってましたよ。ギターとアンプは兄貴からもらったのがあったから、弦が切れたら買うくらいで。レコードも毎月買うわけじゃないから、何か欲しいのがあったらどうにかやりくりするか、文通してカセットに録音してもらったりしてました。
──文通ですか?
吉野:昔の雑誌には文通欄っていうのがあったんですよ。「僕は北海道に住んでるこういうものですけどやりとりしましょう」みたいな感じで、知らない音楽を録音して送ってもらってました。
──どんな音楽ですか?
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GAUZE |
吉野:COMESとかGAUZEとか日本のハードコア。UKもUSも好きだったんだけどね。田舎だとなかなか買えないんだよ。もちろん通販では買えるんだけど、ソノシートとかはいっぱい出ててお金もそこまではないしさ。
──ハードコアを聴きながら下宿で鬱々としていたわけですね。
吉野:じつはその下宿もすぐに出ちゃうんです。俺、高校を1年くらいで辞めていて。何にも囚われないところに行きたくてちがう街の高校に行ったのに、結局そこもダメだったんですよね。それでいちど実家に帰って、半年くらい引きこもってレコードばっかり聴いていました。
──そうだったんですね。
吉野:落ちこぼれちゃったというか、社会から踏み外れちゃったなという感じでしたね。でも自業自得だしどうしようもないんですけど。
──当時からそう思えましたか?
吉野:そうですね。人のせいにはしてなかったですよ。だって好きで辞めたんですから。でも「やったー、学校行かなくていい!」って喜ぶ反面、「さぁて、どうやって食っていこうかな」って思いはありましたね。
──当時の吉野さんはどうやって食べていくことにしたんですか?
吉野:我慢して学校に行ってても金もらえるわけじゃないから働こうとしたんだけど、16~17歳じゃろくな仕事がなくてさ。それで「よっしゃ」って田森も学校辞めさせて(笑)、いっしょに札幌に行ったんです。帯広にいたやつが札幌で暮らしてたから、そいつの家に転がり込みました。
──じゃあ札幌時代は働きながらバンドをやっていたんですね。
吉野:働いてもいなかったんですけどね。札幌で知り合ったやつらは実家にいたりしたから、そいつん家に飯食いに行ったり。バイトしてるやつのところに行って余った食べ物もらったりとか、あの手この手で食べてましたね(笑)。
俺は格好から入ったから、最初はそういうもんなんだろうなって。スキンズ・コミュニティの中に自分の居場所を見出しちゃって、その中にいたいから右翼的な考え方を受け入れる、みたいな流れでしたね。
──いまのお話がスキャナーズ期ですか?
吉野:そうです。17~19歳くらい。
──壮絶な少年時代ですね……。
吉野:そうでもないですよ。なんとかなってましたからね。とにかく「ここにはいたくない」という感じでした。ここじゃないどっかに行きたかったんです。
──楽しかった?
吉野:楽しかったですね! いま思い返すとあまりの無計画さにゾッとしますけど(笑)。ホント、あの頃は何も考えてなかったんですよ。まあ考えてはいたんだけど、目先のことしか見えてなかった。明日、明後日みたいな。
──スキャナーズはどんなバンドだったんですか?
吉野:Oiパンクです。
──映画『This Is England』のインタヴューで吉野さんはご自身とOiパンクの出会いをお話されてましたよね。
吉野:「なんで全員坊主なんだろう!? カッコ悪いな」って思いましたよ(笑)。でも調べるとパンクじゃないそういう部族がおるらしい、と。同じようなもの聴いてるらしいけど、坊主で服も全然ちがう。俺が好きでやりたいのは、どうやらこっち側らしいぞって感じだったんです。そこからどんどんのめり込んでいきました。
──Oiパンクに感化されて思想面が右翼的になっていたとも話されてしました。
吉野:俺は格好から入ったから、最初はそういうもんなんだろうなって。右翼思想を受け入れないと仲間になれない、というか。スキンズ・コミュニティの中に自分の居場所を見出しちゃって、その中にいたいから右翼的な考え方を受け入れる、みたいな流れでしたね。
──しかしその後、右翼思想から脱却しました。
吉野:彼らが何を以てして伝統と言ってるのかさっぱりわからなかったんですよ。必死に理解しようと思ったんだけどね、考えれば考えるほどわからない。それが日本人のメンタリティとか習慣とかを指すんだったら、一人ひとり自分が大事だと思うものを大事にすればいいだけの話で、何も愛国心とか言わなくてもいいじゃない? 時代のなかで人々が大事にしたいと思うものは大事にされ、いらないと思うものはなくなっていくんだからさ。
──インタヴューでなるほどと思ったのは、ある種の部族にとってはファッションにしろ、思想にしろ、掟は細かければ細かいほどよいという部分でした。
吉野:そうそう、そのほうが団結しやすいんです。
──ユニフォーム的な魅力というのはすごくよくわかります。でも吉野さんは違和感を感じながら、部族で過ごすことは選ばなかったわけですよね。
吉野:まあ選ばなかったというか、普通に疎遠になっていったって感じですよ。「入れてください!」って言って入ったわけじゃないし、「辞めまーす」と言って出たわけでもないので。みんな個人的にはいい人たちだし、意外と風通しもいいんですよ。表面的なイメージよりずっと話のわかる“いい先輩”みたいな感じでした。あと自分たちの音楽性も(Oiパンクから)どんどん離れていったというのもありますね。だから、そういうライヴにも出なくなったし、呼ばれなくなった。
[[SplitPage]]スティッフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)を聴くように中原中也を読んでいて。
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Stiff Little Fingers |
──吉野さんが東京に出てきたのはいつ頃ですか?
吉野:eastern youthを結成したのがちょうど20歳の頃で、『EASTERN YOUTH』(廃盤)というアルバムを出したくらいの頃に田森とふたりで東京に来ました。この頃はいわゆる右翼期で(笑)、『口笛夜更けに響く』から考え方や歌詞、音楽性もすごく変わったんです。
──『EASTERN YOUTH』ではどんなことを歌っていたんですか?
吉野:下手の考え休むに似たりじゃないけど、まあかぶれちゃってる感じですよね(笑)。ただ自分の生まれ育った環境だとか日本っていう国に愛着持っちゃいけないの?っていう思いはありましたね。当時は、日本語はロックやパンクに乗らねえだなんだって論争があったりして、フル英語詞でやるやつらも増えてきたような時期だったんです。でも俺はそういう意見に「(日本語がロックやパンクに)乗らないんじゃなくて、自分たちが乗せようとしてないだけじゃないの?」って感じていて。
──なるほど。
吉野:それで俺もバカなりに考えて、歌詞を文語体にすることを思いついたんです。文語体にすると言葉が記号化するでしょ。その記号を曲の中にはめ込んでいくような感覚。言葉を形として扱うというか。そうすると意味も普通の言葉みたいにダイレクトに入ってこない。
──初期eastern youth作品の文語体の歌詞はそんな状況で生まれたんですね。
吉野:もともと詩を読むのが好きだったんですよ。スティッフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)を聴くように中原中也を読んでいて。どっちもカッコいいなと思っていたから、自分の聴いてきたパンクと詩をくっつけちゃダメなのかなって思ったんです。最初はそんな感覚でしたね。
──吉野さんは先ほどアルバム『口笛、夜更けに響く』から歌う内容が変わったとおっしゃいましたが、具体的に『EASTERN YOUTH』からどのように変化したんですか?
吉野:『EASTERN YOUTH』の頃はスキンズ・コミュニティの中で“愛国”とか“日本の心を大事にしようぜ”とか言ってたから、それを軸に歌詞を書いていたわけです。でも徐々に「自分のことで精一杯で“愛国”とか言ってらんねえな」って感じになってきたんですよ。
生身で戦わないと自分の人生にならんのですよ。だからどんどん自分の中のハッタリは却下になるわけです。
──右翼的思想よりも他に、自分にはもっと歌うべきことがある、と。
吉野:そう。こっちは生きていくのに精一杯でぶっつぶされそうになってたわけです。暮らしこそが、俺の戦いだったんですよ。仕事! メシ! ツラい! 死にたい!っていう(笑)。「でも、負けねえぞ」ってなってて。そしたら日本がどうとか、日の丸がどうとかはなんだっていいというか。なんだっていいものは、俺にとって歌うべきことではない。だからは俺はその「負けねえぞ」っていう思いを形にせにゃいかんぞと思ったんですね。
──eastern youthの歌詞は年々シンプルになっていると思うのですが、それはなぜですか?
吉野:それは本当のことだけを歌いたいからです。パンクに文語体をぶっこむっていうのは仕掛けなんですね。ハッタリ。頭悪いくせに頭よく見せようとしてもしょうがない。頭悪いなら頭悪いままでいい。変なメッキのようなもので実際より自分を2倍にも3倍にも大きく見せてもしょうがない。むしろ漢字バリバリ間違ったまま歌詞にしたいくらい(笑)。
──本質的なことを歌いたいという欲求が、結果的に歌詞をどんどんシンプルにしていった、と。
吉野:俺は自分が本当に大事だと思うことだけを歌っていきたい。そのためにはハッタリをどんどんとっていかないと。生身で戦わないと自分の人生にならんのですよ。だからどんどん自分の中のハッタリは却下になるわけです。そうやってカッコつけたものを取っていくと、ひょろひょろの芯みたいなもんだけが残って。それがどんなにみすぼらしい針金みたいなもんでも、それで勝負したい。「どうにか頑張れよ」「死にたくないんだろ」って。大事なことっていうのはシンプルなんだと思います。
■ライヴ情報
極東最前線巡業 ~Oi Oi 地球ストンプ!~
2014年8月30日(土) 渋谷クラブクアトロ
open 17:00 / start 18:00 ¥3,500(前売り/ドリンク代別)
出演:Oi-SKALL MATES / eastern youth
ticket
ぴあ(P:230-946)
ローソン(L:77597)
e+(QUATTRO web :5/17-19・pre-order:5/24-26)
岩盤
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