「K A R Y Y N」と一致するもの

Oliver Sperl - ele-king

 なにかにつけてベルグハイン最高と言われると、どうにもケチを付けたくなるものだが、そんな皮肉屋も、しばらくベルリンに住んでいたデザイナーの真壁昂士(日本でもっともぶっ飛んだ雑誌『Erect Magazine』を手がけるデザイナー)の話は耳を傾けるに値する。ベルリンに滞在した数年間、ベルグハインに通い続けたこの男が言うには、「ベルグハインは音の良さばかりが日本で言われているが、実はアートもすごい」とのことで、そのアート(主にフライヤー)を手がけているのが、Oliver Sperlである。
 エッシャーとバンクシーとジェイミー・リードをマルキ・ド・サドがミックスしたような混沌とした世界は、たまらく魅力的である。この機会にベルリンのクラブ・カルチャーに深く関与するアートに触れてみよう。

Oliver Sperl 個展 「raw material」

2014/4/26(土)- 5/2(金)
13:00-20:00
at KATA (東京・恵比寿 LIQUIDROOM 2F)
https://www.kata-gallery.net

闇に差し込む躍動の光は、現代社会を反映し、不条理なフォルムを描き、原始の鼓動と来るべき未来を彷彿とさせる! オリバー・シュピールは、あのベルリンのウルトラフロア=BERGHAINのアートワークも手がける最前衛アーティスト! 彼の眼差しは、URのアイコンを無数に生み出したアブドゥール・カディム・ハックがデトロイトを象徴したように、 現在のベルリンのエクストリーム・ミニマル・ソサエティを表層する批評眼なのだ!!!!!宇川直宏(DOMMUNE)

イラストレーションとコラージュという工具を使い、漆黒の闇の中、地下深くに広がる真っ黒なメルヘン世界をデザインし続けている。そして、それは現代社会を記した絵巻物なのだ河村康輔(ERECT Magazine)


■オープニングレセプション
2014.4.26(Sat)18:00-21:00
入場無料
DJ:
37A (PANTY)
DJ Soybeans
Takashi Makabe
※オープニングレセプションでは、作家が在廊いたします。
作家と共に作品の世界に触れられる機会ですので、どうぞ足をお運びください。


■クロージング・パーティー
「Orange Lounge」
2014.5.2(Fri)19:00-23:30
entrance free *1st drink charge 1,000yen(include music charge)
at Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]

music by
Nobu (FUTURE TERROR/Bitta)
河村康輔
JUBE (BLACK SMOKER RECORDS)

※Orange Lounge詳細は以下より
https://www.timeoutcafe.jp/
news/140502000726.html

::ARTIST PROFILE::
Oliver Sperl https://oliversperl.de

70年代後半 - 幼いOliverの目に焼き付いたのは、ローゼンタール磁器工場に金色のポルシェで通うグラフィック・デザイナーの隣人の姿だった。
この強烈な印象が彼をグラフィック・デザイナーに道へと進ませるきっかけとなった。
ベルリンのLette-Vereinでグラフィック・デザイン、そしてHamburg’s University of Applied Sciencesでイラストレーションを学んだ後、サンディエゴでフリーランス・デザイナーとしてキャリアを積む。
2000年にベルリンに拠点を移し、現在に至る。主なクライアントは音楽レーベルや出版社、ベルリンのテクノ・クラブとして名高いBERGHAINや日刊紙tazなどがある。



When Oliver was a little boy in the late seventies he once saw his neighbour, a graphic designer at the Rosenthal porcelain factory, drove by in a gold-coloured Porsche.
This powerful and lasting impression was the impetus for him to study graphic design at the Lette-Verein Berlin and illustration at Hamburgs University of Applied Sciences- He has also worked as a graphic artist in San Diego, California, and since the year 2000 has been working as a self-employed designer in Berlin.
Among his clients are music and publishing houses, the party temple Berghain, as well as the Berlin-based daily newspaper taz.


 本堂の障子から西日がこぼれ、畳の上に大きな影ができる。すっかり肌寒くなった頃、ステファン・マシュー、テイラー・デュプリー、フェデリコ・デュランド、そしてイルハのふたり、計5人は機材を囲むように座ってドローンをはじめた。音量は小さく、本堂の外の音も耳に入る。僕の隣では、外国人の女性がひたすらメモを取っている。が、しばらくするとメモを置いて、畳の上に身体を仰向けに倒して、目を閉じて聴き入ってしまった。僕と一緒に行った連れ合いも、同じように目を閉じている。いや、寝ている。
 光明寺は、浄土宗の大本山だけあって、広く、その日、200枚以上のチケットが売れたというが、来た人たちは、みんな、窮屈な思いをすることなく、ノビノビと聴けた。本堂の前にはいくつかの出店もあって、そこでは飲み物や食べ物が売られていたので、ちょっとしたフェス……とまではいかないまでも、居やすさ、居心地の良さ、フリーな雰囲気があった。オーディエンスは思うがままに、地ベタに座って飲食も楽しみ、気が向けば本堂に入ってアンビエント・ミュージックに浸った。寺を出ればすぐ目の前は海だし、飽きたら誰かと話せば良い。

 鎌倉駅から徒歩で30分以上、バスで10分ほどの、決してアクセスが良いとは言えないところに、よくもまあ、みんな来るものである。イルハの伊達トモヨシは時代の変化を肌で感じていただろう。ひと昔前ならこうしたイベントは、マニアの集会のようになっていたが、現代では、主に若い世代が集まる身近なものになっているようだ。
 僕は、青山CAYのライヴ──そのときは、イルハ→オピトープ→ステファン・マシュー+テイラー・デュプリーという順番だった──も見ているのだが、音楽体験においてロケーションは重要で、正直、電車を何本も乗り継いで鎌倉まで来た甲斐があった。
 アンビエント・ミュージックは、必ずしも、ゆるくて、のんびりしているものではない。中村としまと秋山徹次のふたりによる緊張感ある即興は、その場にすっかり溶け込んでいた。住職による琵琶による「耳なし芳一」が演奏されたが、それとて違和感なく、その前後に演奏された電子の残響と混じった。
 「音を聴いていると寝てしまったが、鈴の音が近づき、遠のくのもわかるように、寝ていても頭は醒めて、音は耳に入って来た。どこかに連れて行かれたようだったが、すーっとまた戻ってきて、目が覚めたときには新鮮な気持ちだった」と、僕の知り合いのひとりは感想を言ったが、同じような経験を覚えた人は少なくないだろう。初めてアンビエント・ミュージックのライヴに触れた何人かも、それぞれの新鮮な驚きを説明してくれた。
 お昼過ぎにはじまった演奏は、6時過ぎに終わった。バスに乗る頃には、あたりは暗くなって、気温はぐっと下がっていた。次回があるのなら、また来る人は多いだろう。時代のなかで芽生えた、音楽のあらたなる現場。そうだ、今度こそマサやんを誘おう。

Rainbow Disco Club 2014 - ele-king

 4月29日、晴海で開かれる注目の「Rainbow Disco Club 2014」、タイムテーブルが発表されました!
 お昼から夜の8時まで濃いですが、マジック・マウテン・ハイはどちらかと言えばゆったり目の音楽なので、やはりプリンス・トーマスから上がっていく感じでしょうか。
 ムーディーマン2時間~ヘッスル・オーディオ1時間半の後半は、ちょっとすごいですね。
 そういえば、ベンUFOのインタヴューがRAに載ってますが、彼は現在のロンドンのナイスなDJのひとりだと思います。
 あとはどうか、4月29日に雨が降りませんように……と祈るだけです。

Rainbow Disco Club 2014
-TIME TABLE-

[Rainbow Disco Club Stage]

1000 - 1230 Sisi
1230 - 1400 MMH live
1400 - 1630 Prins Thomas
1630 - 1830 Moodymann
1830 - 2000 Hessle Audio

[Red Bull Music Academy Stage]

12:00-14:00 Kez YM
14:00-15:00 Hiroaki OBA live
15:00-17:00 San Soda
17:00-18:00 Kuniyuki live
18:00-20:00 Secret Special Guest

※タイムテーブルは予告なしに変更する場合がございますので予めご了承ください。


Family Fodder - ele-king

 表現手段を追い越した衝動があちこちで胞子をまき散らし、頭にポストをくっつけたパンクがわがままで色とりどりな花を咲かせた時代——1979年にアリグ・フォッダーを中心にUKで結成されたニューウェイヴ・バンド=ファミリー・フォッダー。現在も活動を続ける彼らの入手困難であった作品が、ドイツからフランスに移転した(いつの間に?)新旧おもしろ音楽発掘レーベル〈シュタウブゴールド〉よりリイシューされた。しかもCD盤にはファースト・アルバム『モンキー・バナナ・キッチン』(1980)、12インチEP『スキゾフレニア・パーティー』(1981)、そして、7インチEP『フィルム・ミュージック』(1981)と『ザ・ビッグ・ディッグ』(1982)がまとめてみっちり収録されていて、初期ファミリー・フォッダーの魅力を余すことなく伝えてくれるから耳からヨダレだ。

 さて、内容のほうはというと、かのナース・ウィズ・ウーンド・リスト(ストレンジ・ミュージックをたしなむものにとっての教科書)に掲載されていたり、ディス・ヒートのチャールズ・ブレンやザ・ワークのミック・ホッブスとリック・ウィルソンが参加していたりと、好きものにとっては文字情報だけでもんどり打ってひっくり返りそうな事態になっている。そして、そのサウンドがまた機知に富みまくりですこぶるぶっ飛んでいるのだから二度びっくりだ。
 基本はキーボードが導入されたポストパンクながら、マルチ・インストゥルメンタリスト、アリグの実験小細工が、ところどころ絶妙に盛りこまれていてとても愉快。シャープでプリミティヴなパーカッション、エフェクティヴなギターに、ヴァイオリンがギ〜コギコ、サックスがブビベボ〜、ハープがシャリラ〜ンと愉悦を与え、高らかにハメを外す男女混成コーラス(チャールズ・ブレンのあの歌声も聞こえるではないか!)に心躍らされる。まるでデルタ5が膝をカックンとされ、レインコーツが猛ダッシュし、ルーダスがサイケに寝返り、エッセンシャル・ロジックがレコメン化したようなこの感覚。そして、感覚といえばファミリー・フォッダーのサウンドの土台をなすのがレゲエ/ダブの要素だ。「これってデヴィッド・カニンガム(フライング・リザーズ)の仕事ですよ〜」と言われても信じてしまいそうな、でかいベースにぴゅんぴゅん音が舞い飛ぶ空虚で乾いた音響質感は、UK産パンキー・レゲエ好きならいちころ。さらに女性ヴォーカル、ドミニクの英語とフランス語が入り混じった歌と言葉の脱臼も、存在感ありまくりのエスプリ効きまくりでポップでキッチュな微光を発している。

 こんなバンド、いまもなかなか見当たらない。あわや複雑骨折な危なっかしいアレンジ、調子っぱずれな男女コーラス、予測できない突然の爆発力に、ふと、ダーティー・プロジェクターズなんかを思い出したりもしたけれど、ファミリー・フォッダーはもっと思いつきで、ずっとフットワークが軽い。考える前にやってしまう。パンクの燃えカスを横目に、クールなふりしてひねくれながらも、ツノ出せヤリ出せするささくれ感がとびきりだ。
 
 アルバム『モンキー・バナナ・キッチン』も最高だけれど、ぜひ、本作にカップリング収録されているポストパンク・クラシック“ダイナソー・セックス”を聴いてほしい。カウベルの連打と軽妙なダブ処理。そして、ミニマル・ファンクがどんどん先鋭化していきクラウト・ロック化する場面もあったりして、コンク、リキッド・リキッドらNYニューウェイヴ・ダンス一派との親和性も皮膚感覚で味わうことができて発奮。さらにはエリック・サティ“グノシエンヌ第1番”のへっぽこダブ・カヴァーなんかも飛び出したりして、根底に横たわるパーティ感覚と出し惜しみのないサービス精神も旺盛だ。
 
 スタイルだけを模したポストパンク・リヴァイヴァルなんていまは昔。少し話がそれるけれど、今年、電子音楽界の新進気鋭shotahiramaが『ポストパンク』なるタイトルを掲げたアルバムをリリースしたのは極めて重要なことである。なぜなら、本来のポストパンクとはまったく異なるスタイルであるコンピューター・ミュージックに、初めてポストパンク(パンクではなく)のアティチュードを持ちこんだ作品だからだ。そんな年にリイシューされたファミリー・フォッダーのオリジナル・ポストパンク作品。80年代初頭の音楽でありながら、いまに連なる精神性をそこここに発見できるはずだ。いまこそ好きものだけでなく、多くの人に聴いてほしい。誰もが鼻孔を広げて息を荒げ、ふんふんうなずきながら膝を打つことうけ合いだから。

interview with patten - ele-king


patten
ESTOILE NAIANT

Tower iTunesAmazon

 音楽の「ジャンル分け」が卑しいものなのかどうか、これは音楽について考えたり書いたりする際に必ずつきまとってくる問いのひとつだが、アーティストの側からすれば気持ちのよいものではないのだろう。しかし物事を分節し名づけることでわたしたちの生活と歴史が成り立っている以上、ジャンルを立てて括ることもまた、わたしたちが音やアートというものに向かい合う上での本質的な行為のひとつだと言える。いつか人が言語を話す必要がなくなったら、ジャンル分けというものもなくなり、音楽も言葉も人も完全にひとつにつながるのだろうけれど──。

 新作とそれに先立つEPを〈ワープ〉からリリースし、先日のOPN来日の際にもその存在をあらためてアピールしたロンドンのプロデューサー、パテン。彼との問答は、そうした「物事の分節」をめぐってつねに同じ場所で岩に乗り上げる。以下のインタヴューは対面ではないため不必要な重複を生んでいるところがあるが、しかし、「心と体は同じ」「主観と客観も同じ」「作品はひとかたまりのもの」「好きなもののいちばんを決めない」等々、あるものを切り分け、整理して捉える思考を忌避するパテンのスタンスが非常にはっきりと感じられると思う。これは彼の強い特徴であり、おそらくは倫理であり、それはたとえばジャケット・デザインのコラージュなどに端的に表れている。パテンの音や思考はつねにその「物事がひとつながりの世界」からはじまる……、あるいはそこからはじめたいという願いからはじまっている。
 彼が、最初のアルバムに誰も発音の仕方がわからない『グラックジョー・ザックソウ(GLAQJO XAACSSO)』(〈ノー・ペイン・イン・ポップ〉、2011年)というタイトルをつけたり、そのリリース当初のインタヴューでは映像で回答したりと「謎の」存在感を醸していたのも、話をきいてみれば謎でもなんでもなく、ただ物事はそうはっきりと分節できるものではない、そう簡単に説明し分類できるものではない、ということを繰り返し主張していたのだということに思い当たる。

 さて、〈エディションズ・メゴ〉と〈メキシカン・サマー〉をまたぐOPNが〈ワープ〉とサインしたインパクトに次いで、現〈ワープ〉のアブストラクトでアンビエントな方向性を明確にするものとなった新作『エストイル・ネイアント』。このアルバムを携えて来日したパテンに質問状をぶつけることができたので、ご覧いただきたい。この思索的な言葉の端々から感じられるのは、彼もまた「分節」の能力に長け、むしろ見えすぎるほど物事の分析を行って生きてきたのではないかということだ。そのことを否定しながらみずからの表現を立てていく姿に、リアリティと共感を感じずにはいられない。
 言葉には分けられないものの存在を、彼は水の中に放した。『泳ぐ星(エストイル・ネイアント)』は、手を差し入れればゆらゆらと輝く。

音を楽しむということについて、知的な部分と経験的な部分に隔たりはないと思っている。

今作も『グラックジョー・ザックソウ(GLAQJO XAACSSO)』につづいてアートワークにコラージュがもちいられていますが、何か意図があるようでいて、意図をもたせているように見せかけるところに主意があるようにも思います。あなたの音楽にとってジャケットはどのような意味を持っているのでしょう?

D:作品のヴィジュアル要素は、音楽そのものと同じくらい大切だと思っている。このインタヴューだってそう。なぜなら、作品に関する考えや意見を文章という情報にして世の中に送り出しているから。そういったものはすべて作品とつながっている。そういう意味において、ジャケットのアートワークやミュージック・ヴィデオなどは音楽そのものと同等の価値を持つものだ。それぞれが、作品のアイディアを発展させたり、作品のアイディアを世の中に広める役割を果たしてくれる。
 意図をもたせているように見せかけるところに主意がある、という表現は興味深いね。意図があるのか、意図があるように見せかけているのか、ということだね。作品のすべての部分──つまりサウンド/ヴィジュアル/ヴィデオ/ライヴ体験など──に関して言えることは、それらの主な目的というのは、人々に独創的な考え方をする機会を与える助けとなることだ。物事の多様な意味を考えたりする環境を提供したい。作品を通して、「認識する自己」というものを体験して自己発見をしてもらいたい。
 われわれは、慣れ親しんでいるもの──たとえば見たことのあるヴィジュアルや展開が予想できる状況など──に直面すると、先入観が働いて、認識するという機能が敏感に働かないことがある。だが、親しみのない、未知のヴィジュアルやサウンドや環境に直面すると、それをちゃんと意識する。よって、「認識する自己」というものを体験することができる。外部からの情報を認知して、能動的に現実を創造する個人として自己を認識することができる。パテンというプロジェクト全体を通して僕が望んでいるのは、作品のさまざまな要素がそういう環境を生み出すことだ。そしてそれが、人々が自分自身について掘り下げて考え、また世界のあらゆることについて再考する機会のきっかけになればいいと思う。

とくにこだわっているわけではないのかもしれませんが、コラージュを手法として好んで用いるのはなぜですか?

D:コラージュは、並置や再文脈化や異なる見解を用いて、アイデアが存在できる環境を生み出し、個人に働きかけることのできる手法の一つだ。先ほども話したように、個人に働きかけるというのは、与えられた情報・状況を認知して多種多様な論理として自己で探索するという意味だ。そういう意味でコラージュはとても有効だと思う。

あなたの音楽においてビートは複層的に展開されていますが、これはより快楽的に追求されたものなのでしょうか? それともコンセプチュアルに目指されたものなのでしょうか?

D:まず、体と心は一体であるように、身体的なものと心理的なものは対立するものとして存在していないと僕は思っている。音を楽しむということについて、知的な部分と経験的な部分に隔たりはないと思っている。そして、この作品に関して言えるのは、リズミックであるとか、メロディックであるという、後づけと認識できる情報をベースにした区分けはとくにしていないということだ。つまり、ひとつのものが作られたということ。ビートを作って、次はメロディを作って……という感じではなくて、統一性を持って制作が進められている。だから、制作プロセスは区切られたものではない。
 だが、作品全体が、コンセプチュアルに作られたか身体的な快楽を追求したものか、と訊かれると、さっきも話したように、僕にとってそのふたつに大きな違いは感じられない。対立するものではないと思うから。だが、質問には「僕の快楽を追求したものか」という部分に関して面白い発想があって、僕はいまそれを追求しているところだ。ようは、自分のマインドに制限されないようにしている。つまり、自分自身のイマジネーションを超越しようとしている。自分の想像を超えるようなものを作りだせるような選択ができるようにさまざまな方法を試している。
 詳しく話そう。たとえば、あるアイディアがあってそれを実現させたいと思う。アイディアについて考え、それを形にして作り、世の中に出す。だけど、この方法で作業すると──もちろん、この方法に何の問題もないし、人々がこの方法でやっていくのは大事なことだと思う。個人的なプロジェクトとしての話だ──自分のイマジネーションに制限されてしまう。自分が想像するものしか作れない。なぜ自分のイマジネーションに制限される必要があるのか、と僕は考える。自分が作れると想像していなかったものを作ることのできる状況を作り上げてみてはどうだろう? この考えが、このプロジェクトの重要な部分を担っている。加えて、自分の嗜好というものは、制作の障壁になることもある。たとえば、何かを作っていて「これは素晴らしい。よいものだ。」と思い、その作品を価値あるものとみなし、作品は完成したものとして制作を終了する。その一方、何かを作っていて「これはダメだ。良くない。」と思い制作をやめる。でも、なぜそれが(良いのか良くないのか)わかるのか? 意味のないもののように見えるものは、本当に価値がないものだとなぜわかるのか? 個人的には認知できない何かがその作品にはあるかもしれない。だが、他の人には何かしら価値が認知できるかもしれない。反対に、「これは素晴らしい。よいものだ。」と思って完成だと思ったものは、完全に取り壊して作りなおした方がより良いものができたかもしれない。だから、「自分を中心に物事を考える」という考え方から自分を離して、自己という制限を超越したところで制作に臨める方法を模索している。

それは主観ではなく客観的に制作をするという意味でしょうか?

D:主観も客観もどちらとも個人の状態なので、先ほども言ったように、必ずしも対立しているものではないと僕は思う。僕が説明しているのは手法であって状態ではない。だが、具体的にどういうことかというと、たとえば、異なる精神状態で制作をしてみる。集中して頭が冴えているときに制作をしたり、睡眠不足で集中力が100パーセントでないときに制作をしたりする。さまざまな状況における選択を制作過程の一部分として取り入れる。もしくは、楽器などのツールを使うときに、当たり前の使い方以外の使い方をしてみる、など。
 たとえば、ピアノを弾くとき、実際に弾く前にすでに手のポジションが決まっていることがわかっている。そういう先入観を覆すような使い方をしてみる。物事に対して、オープンに、変わった考え方をする、ということだ。そういう考え方をこのプロジェクトでは大事にしている。

過去50年間の情報というのは、タンブラー(tumblr)などでたくさん出回っている。でも、それ以前の情報というのはあまりない。情報社会に存在していないものについて考えるのも興味深いと思う。

”エイジェン(Agen)”のMVにおいてはサブリミナルに、高速でイメージが提示されますね。俳句に「二物衝撃」という手法がありますが、これはまったく異なるふたつのものを故意にぶつけることで、新しいイメージを引き出すというものです。俳句は短いためこのような手法で表現の領域を広げます。ですが、そもそも表現として広い選択肢をもっているはずの映像や音楽が”エイジェン”のように二物の対照を生むと、そこに含まれる情報量はさらに乗算的に増えるように思います。あなたや映像作家のジェーン・イーストライトは、情報社会とアートや音楽との関わりについてとくに関心があるのでしょうか?

D:俳句の手法に喩えるのはとても興味深いね。まったくちがう分野に属するニ物をぶつけると、第三のものが新しく生まれる。面白いことに、その第三のものとは、言葉では表現できないものだったりする。前言語的な分野──つまりアイディアなどの、言語では説明しにくいもの。詩の持つ気品というのは、幻想を明確に表現できることにある。あなたが言うとおり、音楽やヴィジュアルを作っている場合でも同じ目的でそういう手法を使ったりする。幻想的なイメージや明確に表現しづらいものを、上手く表現するためにね。
 情報社会と言ったけど、この世には驚くほどの量の情報が出回っている。だが、考えてみてほしいのは、その一方で、情報の種類として限定されたものも存在するということ。詳しく説明しよう。過去50年間の情報というのは、タンブラー(tumblr)などでたくさん出回っている。でも、それ以前の情報というのはあまりない。たとえば17世紀の画像などはあまりない。実際、17世紀に関する情報は何千もの本や教科書などに資料として残されている。情報社会に存在していないものについて考えるのも興味深いと思う。人間がいままで世に生み出したマテリアルを掘り起こす、というアイデアとして面白いのではないかと思う。欠けている情報というのもあるから、情報社会といっても奇妙なものだ。
 ヴィデオに関して言えば、たしかにさまざまなヴィジュアルが並置されている。ヴィデオも、先ほど話したようにアルバムのジャケットや、アルバムの音楽と同じように作用してほしいという期待のもとに作られている。それは、作品が、人々が考えたり認知したりする環境を提供するものとして作用するということだ。だから寛容に作られていると言っていい。俳句に関しても、言葉単体は不活性なものだ。読み手の頭の中で初めて生きてくる。われわれが制作するものも、そういった作用を人々に及ぼしてくれたらいいと思っている。

国立美術館テート・ブリテンで行われた、〈ワープ〉とジェレミー・デラー(Jeremy Deller)とのインスタレーションは非常に反響があったようですね。あなた個人にとってはどのような影響がありましたか? 感想もふくめて教えてください。

D:とても面白いイヴェントだった。異なる組織が協力して、コラボレーションとして何が作り出せるのか、を考えて実行するのはとても興味深い。俳句のように、ちがった世界に属していたと思っていたものたちをぶつけて、新しいものを生み出す。でも、実際に〈ワープ〉やテートがやっていることというのは、存在する・体験する・感じるというような、人間らしさというさまざまな面で価値あると思えるものをアイディアとして表現するということだ。だから、〈ワープ〉とテートがコラボレーションするのはある意味、当然のような、理にかなったことに思える。観客がその感性を理解してくれるのは素晴らしいことだし、観客もそのコラボレーションの結果に関与してくれたことは最高だと思う。今後も、世界中でそういった大胆な活動が増えていけばいいと思う。

アシッド・ハウスはおそらくリアルタイムでご経験されていないのではないかと思いますが、いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」についてあなたはどのような認識や意見をお持ちなのでしょう?

D:世界において、ある特定の時代に、さまざまな状況が重なり合って、クリエイティヴな作品がものすごい勢いで生み出されるという状況をもたらすのはとても興味深いと思う。限られた集団のなかで、限定された社会のなかにおいて、そういった現象が起こり、その現象は世界各地のさまざまな時代で起きてきた。その現象は予測することもできないし、作為的に作ることもできない。自然に起きる現象だ。たとえば、カフェの出現を取ってみても、本来の目的からはじまり、その後、カルチャーにも大きな影響を及ぼすものとなった。ルネッサンスという時代も、人々は、人間というものがどのような存在であるかという思考に関する想像性が過剰に働き、それがヴィジュアル・アート、音楽や建築として実を結んだ。概して、僕はそのような瞬間に対して魅了されると言える。そういう現象は、社会や人間を評価したり、再考・再検討する機会になるし、新しいものの見方で自分たちのアイディアを表現できる機会になる。「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」もその現象のうちに含まれると思う。

あなたの「RE-EDITS」シリーズについて教えてください。これは何の「RE-EDIT」なのでしょうか。そして、どんな基準で「RE-EDIT」の対象物を選んでいるのでしょう?

D:「RE-EDIT」の対象になるのはさまざまな音楽だ。「RE-EDITS」の作品はすべて、4つか5つのトラックから成っていて、トラックが何層にも重なっていたり、トラックの要素がほかのトラックの要素と混ざったりしている。「RE-EDIT」の曲が、ある特定の曲のリエディットだ、という意見をよく耳にして面白い。ヴォーカルの部分を聴いて、ヴォーカルに気づくから、その曲のリエディットだ、と思うらしい。でも、ヴォーカルの要素以外にもたくさんの要素が入っている。べつに隠しているわけではないから、そういうヴォーカル以外の要素にも、オリジナルの曲を知っている人だったら気づくと思う。作品を発表して、人の反応を見るのはとても面白い。
 対象物を選ぶ基準についてだが、「RE-EDIT」ではない作品を作るとき、僕はとてもオープンな姿勢で制作に臨む。だから想定外の衝撃が起こったり、先ほども話したように、自分でも驚くような選択をすることもある。

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僕にとって重要なプロセスの一つは、分類やジャンル分けといった行為を避けるということだ。できるだけオープンな姿勢でありたいね。


patten
ESTOILE NAIANT

Tower iTunesAmazon

アルバム収録の曲よりももう少しシンプルなトラックやUKガラージ風のものが目立つように思いますが、そういうわけでもないのですか?

D:そういう見方で曲を捉えないようにしている。曲を世に送り出した時点で僕の役割は終了している。僕が発表した曲に対して人々がどのような反応をするかを見るのは面白いけど、僕にとって重要なプロセスの一つは、分類やジャンル分けといった行為を避けるということだ。できるだけオープンな姿勢でありたいね。

OPNは意識しますか? もしよければ『アール・プラス・セヴン(R Plus Seven)』、『リターナル(Returnal)』、ゲームス「ザット・ウィ・キャン・プレイ(That We Can Play)」、フォード・アンド・ロパーティン『チャンネル・プレッシャー(Channel Pressure)』のなかでどれがいちばん好きか教えていただけないでしょうか。

D:プロジェクトの途中だと、それがどんな作品になるかを見極めるのは不可能だ。僕はその不可能性を受け入れている。繰り返すようだけど、僕にとって重要なのは、作品を分類したりする必要のない状態にいることだ。自分の作品や他の人の作品に対してオープンな視点を持っていたい。だから、どれがいちばん好きかを選ぶことはしないようにしている。すべての作品を同等なものとして見たい。OPNの作品とは関係ない話だが、評価方法について。自分がいちばん楽しめないものが、じつは、自分にとってもっとも価値のあるものだというケースもある。だから自分がいちばん好きなものが、もっとも価値のあるものであるとは一概に言えないのではないかな。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは好きですか? 

D:マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの作品はとても興味深いと思う。興味をそそられるし、魅了される部分がたくさんある。心を打つ。僕が興味をそそられる音楽の多くは、言葉を超越したところにあるものだと思う。それが音楽すべての目的なのかもしれない。説明するのが不可能なことをはっきりと伝える。はっきりと伝えなくても、それを体験として作り出す。ものごとを表現するだけでなく、実際の体験を作り出す。そういうことを達成してくれる音楽が存在する。そういう意味でマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの作品はとても面白いと思う。

UKのロックとUSのロックではどちらにより親しみを感じますか?

D:UKのロックとUSのロックをまったく別のものとして見るのは難しいと思う。僕は、そういう区別の仕方で音楽を捉えていない。UKのロックもUSのロックもロックだし、ふたつは繋がっている。ロックとそれ以外の音とのつながりを見つけるのだってそんなに難しいことではない。もっと統合的な見方で僕は物事を捉えている。

〈ワープ〉の歴史はあなたの個人史において大きな意味を持っていますか?

D:〈ワープ〉とパテン・プロジェクトの面白い点というのは、ある特定の美学や技術的アプローチに基づくというよりも、イデオロギーに特異性があるところだ。そのイデオロギーというのは、実験や、人間という存在についてのアイディアを伝える行為に焦点を置いている。そして、感情的に共鳴できる作品を作る。それは難しいことかもしれない。その作品は、ただ感情を引き起こすだけでなく、個人の持つ技術をさらに探求し発展させ、自分と自分の住む世界に対する理解を深めていくのが目的だ。そういう意味において、〈ワープ〉とパテンはつながっていると思う。

来日されたのをうれしく思います。日本という場所は、あなたの音楽や演奏に何か影響を与えますか?

D:日本に来たのは初めてだ。とても特別で魅力的な国だと思う。僕がつねに言っているのは、親しみのない場所や状況に影響され、そういった場所や状況に対して、不思議さに驚嘆する感性を持って臨むのが大切だということ。だけど、慣れ親しんだものや日常的に目にするものに対しても、同じような(新鮮な)姿勢で臨むのが大事だと思う。いま、日本でいろいろなものを見ていろいろな体験ができているのは素晴らしいことだと思う。だけど、母国でも同じような感性を持っていられることが大事なことだ。普段目にしているものに対しても、そのものが有する豊かさをしっかりと認めることができるのが大事だと思う。まるで、それを初めてみるかのように。そういう見方はとても大事だと思うし、パテン・プロジェクトにおける重要な部分でもある。

人生について語るとき、人は作家である必要はない。なぜなら人生は人それぞれちがうもので、それを言葉にして表現できなくても、人生を生きるという行為で、人生の主張をしていることになるからだ。

ダンス・ミュージックでありながら、一貫してアンビエントなムードが目指されていますが、これはあなた自身のパーソナルな音楽性によるものでしょうか? それとも時代を読んでのことでしょうか?

D:いままでの会話から、僕の答えはそのどちらでもない、ということがわかると思う。話したように、パテン・プロジェクトはさまざまなプロセスを経て特定の結果がもたらされるわけだが、ある人はそれをいま言ったように(「ダンス・ミュージックでありながら、一貫してアンビエントなムードが目指されている」)表現する。そういう人の反応を見るのは面白い。僕個人としてはそういう表現はしないけれど、他の人がどう表現するのかを見るのは面白い。プロジェクトは、現在という瞬間に存在する、ということを大事にしていて、先を読んでのことでもないし、この10年を見越して作られたものでもない。今後20年でも30年でも50年を見越したものでもない。それとはまったく別の規模の考え方で、歴史や現在に関わり、できるだけ完全に、また豊かに表現するように試みたものだ。だから来週や5年後は関係なく、先週や5年前も関係ない。それよりもっとオープンな方法で捉えている。

たとえば『グラックジョー・ザックソウ』というタイトルがそうであるように、「発音のしにくさ」「正体のつかめなさ」はあなたの作品全体について当てはまることのように思います。テクノロジー一般は、物事を単純明快にする方向に発展していますが、あなたにはそうしたものに対するカウンターとしての意識はありますか?

D:テクノロジーが物事を単純明快にする、という発想はとても興味深い。スマートフォンやパソコンを使える人は、この世界の特定した地域においてはかなりの数が存在すると思う。だが、実際にスマートフォンやパソコンがどのように機能するのかを理解している人は非常に少ない。僕が言いたいのは、テクノロジーによって不透明性を増した物事もあるということ。テクノロジーによって、以前は見えていたものが、見えなくなってしまう。だから、テクノロジーが物事を単純明快にするという発想は必ずしも真実とはいえない。たとえば、太陽系の惑星をすべて挙げよ、と言われたら人はすぐスマートフォンで調べるかもしれない。だけど、実際に、太陽系の惑星を記憶している人は少ないかもしれない。でも単純なことだ。知っているべきことだ。情報はたしかに存在する。だが、テクノロジーによって物事は単純明快になっているのか、それとも物事を隠して不透明にしているのか? テクノロジーによってというよりも、われわれがどのようにテクノロジーを使うかによる。テクノロジーに依存した社会というのは、より単純明快な社会であるのか? それは誰にもわからない。
 タイトルの話に戻るが、「発音のしにくさ」という感覚はない。あなただって完璧に発音できたでしょう。『グラックジョー・ザックソウ』の裏にある理論としては、「あるもの」に特殊な名前をつけたいという思いからだった。音楽・ヴィデオ・ヴィジュアルに存在する「あるもの」ができた。そのあるものが『グラックジョー・ザックソウ』だ。そしてタイトルそのものも、音で構成されたものである。また、視覚的な構成物である。

「エストイル・ネイアント(ESTOILE NAIANT)」とは何なのですか?

D:「エストイル・ネイアント」は、紋章記述(Heraldic blazon)という中世の言語を使い、僕が考えた言葉だ。紋章記述というのは、盾や旗に用いられる紋章の正式な説明文である。この言語を調査して詳しく調べていた。俳句もそうだけど、この紋章記述も、ヴィジュアルを作るために特化した言語ということで非常に興味深い。僕はこの言語を使ってあるヴィジュアルを作った。そのヴィジュアルは、プリズムのようなもので、それを通してこのレコードを経験してもらいたいと思っている。レコードだけではなく、いままで話してきた内容や、われわれが作成するマテリアルすべてを経験してくれたらいいと思う。
 われわれの制作物は、存在意義についての考え方や、存在意義の認知について、また人と関わり合う事についての考え方を人々に伝えるという目的のもとに作られている。人々とコミュニケーションをとるためにマテリアルを作っている。人生について語るとき、人は作家である必要はない。なぜなら人生は人それぞれちがうもので、それを言葉にして表現できなくても、人生を生きるという行為で、人生の主張をしていることになるからだ。われわれはみな、その人生に関する対話の一部分を構成している。一人ひとりの人生は微々たるものだが、人生の対話は、とてつもなく巨大だ。それはわれわれという人々であり、われわれの都市であり、国であり、大陸であり、世界である。その対話というのは、人間が地球に存在したときからずっと行われてきたし、この先も人間が滅びるまでつづくものだ。
 ヴィジュアルというのは、「泳ぐ星」だ。「ESTOILE NAIANT」は「泳ぐ星」という意味。水に反射している太陽を、泳いでいる星に見立てた。このヴィジュアルは、日常的で微々たるもの、見慣れたもの、そして流動的なものと、巨大で想像を絶する規模のもの、つまり太陽のように不朽のもの、遍在するものとのデリケートなつながりの瞬間を象徴している。太陽がわれわれの生命を可能にする。そういうアイディアを追求したものだ。

リミキサーとしてもひっぱりだこですが、あなたはご自身のオリジナル作品を作ることよりも、作品というメディアを通して人と自分や人と人をつないだりすることにより興味があったりするのではないですか?

D:僕にとっては、そのどちらも、クリエイティヴな仕事に関与することの一環だと思う。音楽という仕事をするということは、音楽を作ることも仕事の一つだけど、同じように、他の人のために状況をセッティングしてイヴェントをやったりすることも音楽という仕事の一つだと思う。イヴェントを実現したり、レーベルを運営したりするのは、新しい考え方ができるような環境を作る、という意欲の延長に過ぎない。だから全てはつながっていると思う。

STRUCT - ele-king

 O.N.OといえばTHA BLUE HERBのトラックメイカーだが、ここ数年は、onomono名義を使って、DJとして、プロデューサーとして、ソロ活動を続けている。超限定でミニマルの12インチ「onomono_ep」シリーズをリリース、それらを2枚組のCD『Unifys』にまとめている。そんなO.N.Oが自身のレーベル〈Struct〉を立ち上げた。注目の第一弾は、フューチャー・ガラージの旗手SATOLとのコラボレーション「O.N.O x SATOL/Struct-001」。日本のアンダーグラウンド・シーンへの新しい活力となることを期待したい。
 なお、SATOLのほうも5月14日に新作『Enhance cell Survival』を〈Cold Dark〉からリリース予定とのこと。こちらも注目しよう。

Edo Kanpachi (Hole and Holland) - ele-king

https://www.hole-and-holland.com/

こんな曲、聴いたことないでしょう?” をテーマに楽曲製作を始めて10年。
泣いて、笑って、チビった、徹夜の日々をまとめた1stアルバムを遂にリリースします!! 、、、 っと思っていましたが、やっぱりレコード、VINYLにしよう!
Edo Kanpachi - Labyrinth - Hole and Holland EP 003(CD付き)

DJのお知らせです!
2014.4.18 (金)
OPSB & HOLE AND HOLLAND Presents [ UP ]
@中野heavysick ZERO
https://www.heavysick.co.jp/zero/

Hole and hollandのキャラクターイラストや
各種アートワークを担当しています。
https://edokanpachiholeandholland.tumblr.com 

Hole and Holland とゆかいな仲間たち。


1
Kouta Andou - SUPER DELUXE - HOLE AND HOLLAND
https://itunes.apple.com/jp/artist/kouta-andou/id272159079

2
YO.AN - Journey and Playground - HOLE AND HOLLAND
https://zozo.jp/sp/shop/beams/goods/3535764/

3
CHELOOK - SHIFT - HOLE AND HOLLAND
https://diskunion.net/sp/clubh/detail/100911HH007?dss_mode=sp

4
V.A - RIDE MUSIC - HOLE AND HOLLAND
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B004S6KIKO/ref=redir_mdp_mobile

5
MAMAZU - BREATH - HOLE AND HOLLAND
https://lighthouserecords.jp/?pid=56202476

6
OPSB - WHEELS on DENPA Remix by YOUSUKE NAKANO - OPSB
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00HDH5CRO/ref=redir_mdp_mobile

7
YO.AN - SON OF THE CHEESE - HOLE AND HOLLAND
https://www.hole-and-holland.com/shop/music/

8
FUSHIMING - HEAVY MOON EP - HOLE AND HOLLAND
https://m.soundcloud.com/hole-and-holland/sets/fushiming-heavy-moon-ep

9
KUJI TAKUYA
https://m.soundcloud.com/nosetail92

10
STONE'D
https://m.youtube.com/watch?v=Nz0dKByTNUs

interview with Yakenohara - ele-king


やけのはら
SELF-PORTRAIT

Felicity

Amazon

 やけらしい……というか、総じて、のんびりしている。カリブ海の影響を受けたリズムも、控え目に鳴っている。ジャケはかわいいイラスト。
 『SELF-PORTRAIT』はやけのはらのリミックス集で、2007年から2013年までのあいだに彼が手がけた楽曲が12曲入っている。
 このリミックス盤は……、彼のファースト・アルバム『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』が2010年のリリースなので、2007〜8年という、より初期のやけのはらが聴ける作品だと言える。リミックスを依頼しているのは──中村一義 、奇妙礼太郎、idea of a joke、ランタンパレード、アナログフィッシュ、Spangle call Lilli lineなどなど──名前を並べるとあまり統一感のないように思えるのだが、彼らの曲をやけのはらが再構築すると1枚のアルバムの1曲に収まる。
 個々のアイデアについては、彼自身が書いたライナーに詳細が記されている。ライナーをいつか自分で書きたかったということだが、たしかに力が入った言葉をみっちり書いている。

 ボヘミアン気質の初期の作風、オプティミスティックな感覚はいまでもやけのはらのトレードマークなのだろうが、やはりある時期までの初々しさは、その時期──彼がまだ真冬でもサンダル履きで街をうろついていた頃──だからこそ出せたものだと言えるだろう……ふと、いまこれを書きながら思ったのだが、サンダル履きのやけのはらは、日本でチャヴ・ファッションを先んじて実践していた男なのかもしれない。

 彼は、2000年代なかばの時点では、ラッパーというよりも、若手のDJのひとりとして評判だった。いろんなところから声をかけられ、よくDJをしていたと思う。ファースト・アルバムを出すのが遅すぎただけで、早い時期から彼のもとにリミックスのオファーがあっても不自然ではない……

ずっとリミックス盤を出したかったんですけど、タイトルが決まらなかった。エイフェックス・ツインのタイトル、『26ミクシーズ・フォー・キャッシュ』がずーっと頭にあって、ほんと最高のタイトルだなと思ってたんで(笑)。あの秀逸なタイトルが、ハードルとして高くありすぎましたね。

率直な感想を言うと、けっこうリミックスをやってたんだなっていう。

やけのはら(以下、やけ):あ、そうですか。まずそこから(笑)。

(笑)すごくやってたんだね! 奇妙礼太郎のリミックスは知ってるけど、他のはほとんど聴いてなかったなあ。知らないものばかりだったよ。

やけ:野田さんの聴きそうなところとはちょっと違うかもしれないですね、もしかすると。

日本では、リミックス作品のリリースが90年代ほど盛んじゃないし、あとポップスとDJカルチャーとの溝、いま日本では開いちゃってるからね。

やけ:その頃だったらリミックス盤ってけっこうありましたもんね。1枚丸々リミックスとか。

だから、いまエレキングでもリミックス盤って作ってるんだよ。12インチのアナログ盤で。

やけ:知ってますよ。踊ってばかりの国。

そうそう、それが1枚目で、次はオウガ・ユー・アスホールの新曲をアルツくんにリミックス頼んでいて……いま気がついたんだけど、やけちゃんってアルツくんに似てるよね?

やけ:それ見た目でしょ(笑)? たしかによく言われます。

へへへへ、それにしても、やけちゃん、こんなにリミックスをやってるんだなあ。売れっ子じゃない。

やけ:けっこう、長いタイムスパンのなかから選んだんで。でも、もっといっぱいあるから。まあ、あんまクラブ仕様って感じでもないですけどね。

そうかなー。やっぱ、どちらかと言うとクラブ寄りの感性だなと思ったんだけど……と言っても、オリジナルを知らない曲が多いから、オリジナルがクラブ寄りだったりするのかもね。でも、やけらしさは感じるよ。ちょっと清々しい感じとか、タイトルを『SELF-PORTRAIT』ってつけたくなる気持ちもわかる。良いタイトルだね。

やけ:はい。ありがとうございます。

やっぱ、フェリシティから出してから、リミキサーとしての仕事は多いの?

やけ:いや、わかんないです(笑)。ひとと比べて多いのか少ないのかわかんないですけど、まあたまに誘ってもらったり。さっきの、ポップスとクラブとの溝の話で言えば、僕がロックとかポップスが好きだったり理解があった上でクラブっぽいものができると思われてるのかもしれないですね。頼んでくれるひとからしたら。

ああー。(DJ)ヨーグルトとちょっと近いよね、その見られ方は。

やけ:あくまで想像なんで、実際はわからないですけどね。頼む側からすると、自分たちの音楽はあんまりわかんない人間がただクラブ仕様にするっていうのは、ちょっとなって思うのかもしれないです。

なるほど。頼まれると絶対断らないタイプでしょ?

やけ:基本は。ただ自分のそのときのスケジュールとかもあるんで。

よほどのことがない限りね。

やけ:まあそうですね。

相手は選ばない?

やけ:選ばないって言うとヘンですけど、なんというか、挑戦というか。例えばこれには入ってないですけど、てんぱ組.ってアイドルみたいなひとなんかもやらせてもらったりしたんですけど。そういう普段聴かなかったり自分の作っているものと距離があっても、リミックスだと、チャレンジでやってみようかな、っていうのはありますけど。

なんで入れなかったの。

やけ:リミックスは、今回選んだ曲の倍ぐらいあって、そのなかからこれにしたんで。なんとなく、評判が良かった風のやつから逆算して入れていったというか。あと、ぼんやりなんですけど「あのとき友だちがいいって言ってくれたな」とか。3票ぐらい。ゼロか3かくらいの小さい差なんですけど(笑)。あとは自分がいままで関わったやつの、一番端と端まで入れちゃうとぐちゃぐちゃになりすぎるんで。いちおう1枚の整合性とバランスを考えつつ。

なるほど。でも、昔から議論されることだけどさ、リミックスを楽しむ文化が、いまだに日本では定着してないんじゃない?

やけ:どういうことですか?

いまだにビョークの曲をハーバートがリミックスするとビョークのファンが怒っちゃうみたいな。

やけ:はい、はい。ミュージシャンのクレジットのほうが大きいのは仕方がないけど。

だから、アイドルだろうが何だろうがさ、リミックスする側からすれば関係ないじゃない。

やけ::そうなんですけど、でも僕の場合は、たとえば歌のひとの曲だったら歌は全部残すとか、素材にはしないって自分内での決めごとにしてるんで。元のひとの中心軸は、まあ歌なら歌で、全部残すんで。あとなんだろう、そのサジ加減を楽しんでるんですけど、思いっきり全部素材にはしないで、いちおう元のリアレンジって風にやってるんで。だから自分ヴァージョンにはなってるけど、元のひとの核は全部尊重してるっていうか残してるっていうか。

なるほどね。たしかにリミックスっていうのは原曲に対するリスペクトがあるかどうかっていうのは、ひとつあるかもね。

やけ:リスペクトって言葉かはわからないですけど、素材にしちゃうんだったら何でもいっしょになっちゃうんで、やっててもつまらないっていう。

まあね。エイフェックス・ツインがそれこそ「カネのためにやったリミックス」って言ったりね(笑)。

やけ:あれが頭にあったんですよね、あのタイトル。

『26ミクシーズ・フォー・キャッシュ』(2003年)だっけ。あれは、リミックス文化に対するシニカルな批評だもんね。

やけ:そうなんですよ。ずっと(リミックス盤を)出したかったんですけど、タイトルが決まらなかったんですよね。で、エイフェックス・ツインのあのタイトルがずーっと頭にあって、ほんと最高のタイトルだなと思ってたんで(笑)。『26ミクシーズ・フォー・キャッシュ』みたいなのがいいなーって。あの秀逸なタイトルが、ハードルとして高くありすぎましたね。それで、なかなか出せなかった。

ああー。それでなんで『SELF-PORTRAIT』にしたの?

やけ:これはね、もう……まあボブ・ディランなんですけど。

うわ、大きいこと言うねー(笑)!

やけ:いや、ディランのアルバムであるじゃないですか。カヴァーが多く入ってる『セルフ ポートレイト』。あの感じでいいかなっていう。いま言った話の流れに通じるかもしれないですね。一見ひとの曲だけど、意外と俺のエッセンスがあるぞ、と。

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リミックスって、トム・モルトンとかウォルター・ギボンズとか、初期ディスコのひとたちのリエディットが最初じゃないですか。もっと過去に遡れば、やっぱりジャマイカのダブって発想があるでしょう。すでに録音してある素材を並べ替えたり、抜き差ししたりっていうか。


やけのはら
SELF-PORTRAIT

Felicity

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このジャケットの感じも、2000年代半ばぐらいの、やけのはらが自主で作ったミックスCDを思い出すなー。

やけ:たぶん一貫してそういうノリが好きなんじゃないですかね、僕。

これって、どういうノリなんだろうね?

やけ:まあ明るい感じ。楽しい感じ。

かわいい感じ好きだよね。ちなみに、リミックスしても歌詞を残すっていうのは、ひとつのこだわり?

やけ:うーん、歌詞を残さないとつまらない。なんだろうな、元からあった自分の曲のストックにちょっとヴォイス・サンプル乗せるとかやり出したら、なんかあんまり楽しく取り組めないんで。

ある程度縛りがあるなかでオリジナリティを出すっていう。

やけ:そうっすね。あとはアレンジって意識なんで、元の曲の一番大事なところは残さないとアレンジにならないんで。野田さんはどれが面白かったとかありますか?

意外なことに、中村一義のリミックスがいちばん良かったね。

やけ:意外(笑)? 何に対して意外なのかわかんないですけど(笑)。僕もけっこういいと思ってるから2曲めにしてるんですよ。

あと1曲めも良かったけどね!

やけ:それはイントロですよ(笑)。大丈夫ですか、2曲めまでしか聴いてないんじゃないですか?(笑)

はははは、中村一義のリミックスは、ちょっとハウシーな感じじゃない?

やけ:ハウスではないですよ。アンビエントですよ。

ピッチが遅いけどビートはあるし、ビートダウン・ハウスって感じじゃない? 

やけ:キックがないし。

ああ、これはアンビエントという解釈なんだね。で、続く奇妙礼太郎はダブんだけど。

やけ:リミックスやるときに限らず、あんまり打ち出すタイミングがないんですけど。ダブとアンビエントはすごく好きなんですよ。ただそれだけなんですよね。

ダブとアンビエントっていうのは、自分のスタイルとして意識しているの?

やけ:それはね、違うんですよねー、なんとなく。でもリミックスって、トム・モルトンとかウォルター・ギボンズとか、初期ディスコのひとたちのリエディットが最初じゃないですか。もっと過去に遡れば、やっぱりジャマイカのダブって発想があるでしょう。すでに録音してある素材を並べ替えたり、抜き差ししたりっていうか。どうしてもリミックスって、ダブにたどり着くところがあるような気がしますけどね。

なるほどね。そういう理解かー。音色はどういう風に選んでるの?

やけ:マニアックな質問ですね(笑)。それはそのときどきで、「これが合うな」とか、逆に「合わないから面白いな」とか、ケース・バイ・ケースですけど。

なんで訊いたかって言うと、基本的にはわりとストレートな音色っていうかさ。

やけ:まあ、そうかもしれないですね。作っていくなかで、自分がしっくり来るものを選んでいるだけなんですけどね。

基本的にはキラキラした感じの、気持ちいいサウンドだよね、って言っちゃうと単純だけど。

やけ:まあ、そうですね。やっぱ自分のなかの要素としてはあんまりないんじゃないですか、インダストリアルとかは。

あんまり気持ち良すぎて、気持ち悪くなったりしない?

やけ:(笑)すごい質問ですね! 面白いですね。あ、でも、それがギリギリ僕のなかでテクノですかね。ちょっと砂糖多すぎるなと思うとテクノ聴いたり。

いまの世のなかの一部っていうのは、どんどん快適な方向に行ってるからさ。

やけ:いや、そこの対立軸には置いてほしくないっていうか。

はははは!

やけ:いや、この気持ちいい世界観は直接的にわかりやすい気持ち良さじゃないですよ。もうちょっと隙間産業的なもので。

(笑)ニッチな。

やけ:でもストレートに、「こういう風にしたら気持ちいいだろう」っていう風には行ってないっていうか。自分の意識としては。

すごく抽象的な質問だけど、じゃあどの辺に落とし込もうとしてるの?

やけ:それは毎回チャレンジというか。でも、けっこう行き先を決めないで作ってるかもしれないですね。自分の曲でもそうですけど。とりあえず、最短距離には行かないようにはしてるんですよね。たとえば「シティ・ポップ風のアレンジにしよう」とか、そういうのは自分のなかでは無いっていうか。

そうだね、当たり前だけど、やけのはらの個性が出てるもんね。

やけ:僕の好みは出ていますよね。

今回のリミックスで一番古いのってどれ?

やけ:Aira Mitsukiってひとかな。2008年とかだから。

このひとは知らないんだけど、どういうひとなの?

やけ:ちょっとアイドル的な。パフューム的なことをやってたひとですね。

とくに大変だったものってある?

やけ:うーん、どれが極端に大変だったってことはないかもしれないですね。もちろん、どれも頑張ってやってるんですけど、でもそんなに苦労しなかったやつのほうが入ってるかもしれないですね。こねくり回してやったやつは、なんだろう、悪いってわけでもないですけど。ここには入ってないやつのほうが、むしろこねくり回したり悩んじゃったのが多いかもしれないです。

「こういうリミックスをお願いしたい」みたいな、リクエストをされたことはある?

やけ:うーん、思い出す限り、基本的にはないですね。そういうオファーだったら他のひとに行くんじゃないですか(笑)。もっと器用にできそうなひとに。

「クラブでかけられるダンス・ミュージックにしてくれ」っていう依頼はなかった?

やけ:思い出す限りそういうのはなかったですね。あと、僕がリミックスやるときは、そのメディアのことも考えてやるんで。CDのあとにボーナス・トラックで付くのか、5曲ぐらいのシングルのカップリングで入るのか、レコードの7インチや12インチで出るのか、とかは、いちおう考えて作ってるんで。最初からレコードだったら、クラブでもかかる可能性のあるようなのにしようとか。
 あと、対象のミュージシャンを僕が知ってる場合もあんまり知らない場合もあるんですけど、どんなリスナー層が多いのかな、とかもぼんやりとは気にするというか。そのひとたちがまったく好きにならないものは避けたいけど、合わせてもつまらないので、そのバランスは最初に考えますけどね。ギリギリ楽しんでくれるかな、ぐらいの感じだけど、その層のひとが聴かない要素も入れたりとか。そういう案配は考えます。

時代的な難しさはとくに感じなかった? リミックスって、そのファンのためにやるものでもないんだけど、そのファンに聴いて欲しいものでもあるし。

やけ:リミックスなんで、ひとから頼んでやってることが前提にありますからね。まずは、頼んでくれるひとがいたからできたものなんで、そこは受け身は受け身ですから。ただ、今回リミックスを出したいと思ったのは、自分なりにそのときどき──バイト的にではなく──ちゃんとリミックスをやってるって意識があったり、それが世のなか的にどう取られるのかはわからないですけど、まとめて聴いて面白く聴いてもらえるんじゃないかと思ってるからなんですね。

ダンスフロアのことは考えない?

やけ:僕の曲ってもともと日本語の歌とかが入ってるのが多いので、ダンスフロアのど真ん中、2時とかの感じではないですよね。アレンジや曲調によっては時間帯が違えばかけられるかも、とかはあっても。

昔、ディスコをよくかけてたじゃない?

やけ:ディスコはいまでもかけてますよ。ダンスフロアの感覚はどれもあるんですけど。でも、けっこう(自分が頼まれるリミックスは)歌ものが多いからなー。そういう意味ではダンス・リミックスって言うより、やっぱりリアレンジしてるって意識かもしれないですね。あんまり想定はフロアではなかったりもする。
 そういう意味で言えば、たしかに直接的にダンスフロアを目指したものは少ない。っていうかそういう意識はないかもしれないですね。でも後半のアンビエント的なやつも、自分のなかではダンスフロア的な感覚でアンビエントになってはいるんですけどね。自分としては、ハウスやテクノもやってみたいんですけどね。あんまりそう見られてないのかもしれないですね。いまは、あんまりダンスのイメージがないのかもしれない。

選曲は、それなりに大変だった?

やけ:選曲は、けっこう大変でしたね。リミックス盤は、5年前からずっと出したいなと思ってたんですよ、ファースト・アルバム(※2010年の『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』)の前ぐらいから。僕の気持ちとしてはもっと前からやりたかったんですけど。

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僕のことをラッパーだと知らなかったひとも多かったと思います。自分でラップをしてるひとが、ひとの曲をリミックスしてアルバム出すっていうのも前代未聞な気がするんですけどね。


やけのはら
SELF-PORTRAIT

Felicity

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2007年から2013年までに作った曲が入っているわけだけど、やけのはらは、2007年のあたりはクラブ系だと括られていたじゃない?

やけ:ある意味、いまでもそのつもりなんですけど(笑)。でもリミックスって、クラブ・ヴァージョンにするもんだってことも忘れて作業してましたね。普通にただリアレンジのつもりっていうか。アレンジャーの気分っていうか。ただ自分の手駒として、ギターを上手く弾けるとかじゃないんで、どうしてもクラブ的な感覚が自分のできる解釈になるっていうのはありますけど。

2007年から2013年だと、デビュー・アルバム前からの仕事も入っているわけだけど、自分自身のリミックス・ワークに対する姿勢はあんまり変わらなかった?

やけ:聴き返して思うのは、変わらないっていうとヘンかもしれないですけど、古い曲でもいま作りたいものや好きなものと細かいポイントはあんまり変わらなかったり。興味あることなんかはそのときどきで変わるんですけど。今回振り返って、逆に連続性を感じましたね。半分ぐらいミックスも直したりしたんですよ。古い曲に手を入れたりしてたら、そんなに断絶したものと感じなかったというか。

統一感があるよね。

やけ:さっきの話とも繋がるんですけど、そのときに流行ってる音のモード/ジャンル/スタイルをちょっと取り入れてても、そのときそのときで飛び石的に変えていくってことをやってないですからね。自分なりのやり方でいつもやってるし、そういう面では時間軸はあんまり関係なかったりする。良くも悪くも。この時代は流行ってたからエレクトロやってたけど、いまではEDMですねとか、そういう直接的な進み方ではないっていうか。

たとえば、アイドルには興味なくても、アイドルのやけのはらリミックスには興味がある人もいるはずだし。

やけ:僕も、自分と関わりのないひとのリミックスもしてみたいですけどね。

それもやっぱ、それはやけのはら的なものに落とし込まれるんだろうね。メローで、アンビエントなフィーリングなものに。

やけ:わからないけど、自分の好きテイストには持って行こうと努力しますね。

やけちゃんって不思議なポジションだよね。ヒップホップでもないし、ロックでもないし、ハウスやテクノのクラブDJでもない。なんか、カテゴライズできないよね。

やけ:そこは僕も悩みどころなんですよ。

なんで(笑)? 良いことじゃない、カテゴライズされたくないって言いながらカテゴライズされた音楽をやるより。

やけ:いや、それは自然にやっててそういう状況になってるんですけど。どれもやりたくてやってるからいまから変わりようもないんですけど、普通の感じの売り方──っていう言い方が合ってるかもわからないですけど──でいったら、こういうのじゃダメなんだろうなーとか思ったりするんですけど。どれも楽しく、思い入れあってやってるんで難しいんですけど。

2007年って言うとDJばかりをやってた頃?

やけ:そうですね。その頃やってたことを今回まとめられたりしたんで。そのときにアルバムって形で直接出せなくても、やってたことがいままとめられたし良かったかなとは思います。今後に関しては、自分のアルバムを5年に一度、10年に一度ではなく、もっと早いペースで出したいなっていうのは思っていますね。

もうちょっと制作に力を入れたいんだ。

やけ:なんていうか、作るのが遅いんですよね。

ファースト・アルバムもリリースが遅かったもんね。

やけ:そうですね。たぶん遅いんです。27歳とかでアルバム出せても良かったのかもしれないし。20代のときはいっぱいDJをやってそれが楽しくて良かったっていうのもあったんですけど、形に残ることでいろいろしたいなっていうのは思いますけど。

最近はクラブとライヴハウスだったらどっちからのオファーが多い?

やけ:けっこう同じぐらいになってるかもしれないですね。ちょっと前までは基本DJやクラブをバーッといっぱいやって、ライヴのほうがちょこちょこって感じだったのが。

ライヴのオファーがけっこう増えてるんだ?

やけ:それと、DJが減ってる。で、ラップのアルバムを出すとライヴに誘ってくれるひとが増えて、クラブ系のひとは「あれ、この頃あんまりDJやってないのかな」みたいな感じで両方のバランスが動くというか。自分としてもそれをどっちかだけに振り切りたいわけでもないし。DJのオファーが減ると寂しいんですけど。

ははは。

やけ:だけどDJばっかり年100本とかできないな、とかもあるし。そのペースでやってるとアルバムが作れないんですよ、結局。

そうだよね。ファースト・アルバム出る前は、DJとして評判だった男だもんね。

やけ:まあラッパーであることを知らなかったひとも多かったと思いますしね。ひとの曲にたまに参加しても、そういうことを知らないひとはいっぱいいたんじゃないですか。このひとはラップをしてる、みたいなことは。ちなみにその話で言うと、自分でラップをしてるひとが、ひとの曲をリミックスしてアルバム出すっていうのも前代未聞な気がするんですけどね。普通あんまりないっていう。それだったらどっちかって言うと、自分のラップをいろんなひとにリミックスしてもらったアルバムは出すでしょうけど。

たしかにそれは言えてる。だからそういう意味でヘンなポジションだと思うんだよ。

やけ:そうですね。そういう認識は自分でもあります。

良くも悪くもオリジナルなポジションだよね(笑)。

やけ:もっとわかりやすいほうが良かったのかなと思ったりもするんですけど、でも変えようがないんでね。

でも、やりたいことは、はっきりあるでしょう?

やけ:それはつねにありますね。いつでもいっぱいある。10個ぐらい先までありますね(笑)。そういう意味で言うと。アンビエントのアルバム出してみたいとか、ブレイクビーツのアルバム出してみたいとか。ラップのアルバムはラップのアルバムで、僕のなかにいろいろあるんですよ。たとえば全部バンドでやってみたいとかもあるし、全部ひとにプロデュースしてもらってやってみたいとか。そういうやりたいことはいっぱいあって。「でも次はこれをやろうかな」とか、いまのことより次のことを日々考えてるって感じですね。

じゃ、次はアンビエントだ。

やけ:アンビエントは僕のなかで取っといてるんですけどね。20年後ぐらい後にやろうかなと。

はははは、20年後生きてるかどうかわからないよ(笑)。

やけ:ま、そうですけど、いまはまだ、先に、もっとフィジカルなものをやりたい気分ですね。


※初回盤特典のダウンロードEP(5曲入り)は思い切りダンス仕様でした。


語られていないことが多すぎる!
磯部涼×九龍ジョー、
ライヴハウスからネット・ミュージックまで、
音楽と“現場”のいまを考える対話集。

磯部涼と九龍ジョー。
音楽やそれを取り巻く風俗を現場の皮膚感覚から言葉にし、時代を動かすアンダーグラウンド・カルチャーをつぶさに眺めてきた人気ライター2人が、これからの音楽の10年を考える連続対談集『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』、ついにリリースとなります!
2010年代に、音楽はどのような場所で鳴っているのか、それは政治や社会とどのように関係しているのか……。
過剰な情報に取り巻かれながら、いまいる場所に希望を生むための、音楽のはなし。
ele-king booksから4月25日、発売です!

●まるで問題集。考えるためのヒントがぎっしり!
日々おびただしい音源とニュースが行き交う音楽シーン。しかし、「話題」はあふれていても、「問題」はぼんやりとそのなかに埋もれてしまっているもの。小さなシーンやコミュニティの豊かなあり方から、隣国韓国インディの現在や風営法や原発をめぐる運動、あるいはシティ・ポップ再評価を通した東京と都市の考察まで、インターネット上も含めたさまざまな「現場」を軸として、見えない問いに色をつける4つの対話を収録。もっともっと考えたくなる、音楽カルチャーのいま。

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銀杏BOYZが残した本当のインパクト/日本にインディが根づくとき/音楽に可能な“下からの再開発”/ミュージシャンと政治の関係/風営法は何を守るのか/「すべてをかける」音楽の終わり/アートと倫理/韓国インディのいま/世界標準か、「ガラパゴス」か/「ずっとウソだった」──ヒットソングが示すもの/2万字インタヴュー再考/東京とシティ・ポップ/圧縮情報のシャワー/なぜ音楽のなかで社会について語ろうとするのか
……などなど既視感を越えていく充実の議論。

■磯部涼
音楽ライター。1978年生まれ。主にマイナー音楽、及びそれらと社会との関わりについてのテキストを執筆し、2004年に単行本『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)を、2011年に続編『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)を刊行。その他、編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(ともに河出書房新社)がある。

■九龍ジョー
編集者、ライター。1976年生まれ。ポップ・カルチャーを中心に原稿執筆。『KAMINOGE』、『Quick Japan』、『CDジャーナル』、『音楽と人』、『シアターガイド』、などで連載中。『キネマ旬報』にて星取り評担当。編集近刊に、坂口恭平『幻年時代』(幻冬舎)、岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』(河出書房新社)、『MY BEST FRIENDS どついたるねん写真集』(SPACE SHOWER BOOKS)などがある。


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■磯部涼+九龍ジョー・著
『遊びつかれた朝に
──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』

ISBN:978-4-907276-11-9

発売日: 2014年4月25日(金)

価格: 本体1,800円+税

仕様:
182mm×122mm
並製 256ページ


■磯部涼&九龍ジョー、出演情報!

・6月4日(水)
紀伊國屋書店新宿本店
磯部涼、九龍ジョー著『遊びつかれた朝に』刊行記念トーク・セッション

開催日時:
2014年6月4日(水) 19:00~(開場18:30)
場所:
紀伊國屋書店新宿本店 8階イベントスペース
定員:50名
参加費:1,000円
参加方法:
2014年5月20日(火)午前10:00時より紀伊國屋書店新宿本店7階レジカウンターにてご予約を承ります
ご予約電話番号:03-3354-0757
新宿本店7階芸術・洋書売場(10:00~21:00

出演:
磯部涼
九龍ジョー
北沢夏音
前野健太

スペシャル・ゲスト、北沢夏音さん前野健太さんを交えてのトーク・セッション!
アンプラグドな前野さんの演奏も間近く聴ける!
詳細はこちらまで

https://goo.gl/Ml61dK

■これまでの出演

・4月16日(水)
dublab.jp Radio Collective #55 From Tokyo @cafe_malmo

インターネット・ラジオdublab出演!
『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』の刊行にちなんで、磯部涼がネット時代の“マイナー音楽”について考察。

時間:20:00 start
Labrats DJs:AZZURRO , 磯部涼
場所:Malmö(東京都目黒区青葉台1-15-2 AK-3ビル 1F)
詳細:www.malmo-tokyo.com


・4月27日(日)
磯部涼×九龍ジョー×cero高城晶平
「ライヴトークで紐解くインディ・ミュージックのいま」
~『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』刊行記念~

下北沢の本屋B&Bにてイヴェント開催!
本書のなかでも重要なバンドとして紹介されるceroの高城晶平さんを迎え、音とトークでインディ・ミュージックの現在を考えます。

時間:19:00~21:00 (18:30開場)
出演者:磯部涼、九龍ジョー、高城晶平(cero)
場所:本屋B&B(世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
入場料:1500yen + 1 drink order
詳細・予約:
https://bookandbeer.com/blog/event/20140427_b_asobitsukaretaasani/


・4月29日(火・祝)
TBSラジオ
荻上チキ・Session-22


「Midnight Session」コーナーにゲストとして著者ふたりが出演!

時間:23:55~24:50
出演者:荻上チキ、南部広美、磯部涼、九龍ジョー
番組ホームページ:https://www.tbsradio.jp/ss954/

・5月10日(土)
タワーレコード渋谷店
磯部涼、九龍ジョー著『遊びつかれた朝に』刊行記念 トーク&サイン&特典お渡し会

開催日時:
2014年05月10日(土) 14:00

場所:
渋谷店 3Fイベントスペース

出演:
磯部涼
九龍ジョー
寺沢美遊
どついたるねん

参加方法:
観覧フリー。サイン&特典お渡し会への参加は参加券が必要です。4月25日(金)発売の書籍『遊びつかれた朝に─10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(磯部涼、九龍ジョー著 ISBN:9784907276119)を一点ご購入につき先着で参加券を一枚お渡し致します。

対象店舗:
渋谷店 ・新宿店

対象商品:
磯部涼、九龍ジョー著『遊びつかれた朝に─10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ISBN:9784907276119) ¥1,800(税抜)
・参加券はイベント時のみ有効とさせていただきます。
・参加券による特典のお取り置き等は致しかねます。特典のお引き換えはイベント当日のみです。               
・参加券はアーティストの都合により無効とさせていただく場合がございます。予めご了承下さいませ。
・参加券を紛失・盗難・破損された場合、再発行はいたしませんのでご注意ください。
・観覧はフリーですが混雑の場合入場規制をかけさせて頂く場合がございます。予めご了承下さいませ。
・ご購入いただいた書籍にサインをさせていただきます。イベント当日、参加券と一緒に必ずご持参ください。

※出演情報は随時更新されます!
まだまだ更新予定!


SEWN LEATHER - ele-king

 先日LAから東京に戻った折に、たまたまビジネストリップで東京を駆け巡っていた〈ハンデビス・レコーズ(Hundebiss Records)〉代表のシモーネ・トラブッチに会う機会があり、いままでミラノやLAなど、さまざまな場所ですれ違い、顔を会わせることがなかった彼と東京で出会うのはなんとも妙な気分であった。

シモーネは最高の尊敬に値する男だ。グラフィック・デザイナーとして多忙な毎日を送るかたわら、つねにカッティング・エッジなアーティストのサウンドを、ダイカット変型ジャケ仕様でお馴染みの美しいパッケージに包んでリリースしつづけ、おまけに自らドラキュラ・ルイス(Dracula Lewis)として精力的にツアーに出かけ、ミラノに戻れば国内外のアーティストを招聘した最高にイケてるパーティを主催する。
んなやつぁシャブ中かコークヘッドに違いねぇ! ......といつものひがみ全開目線で見つめる僕の前に立つこの男の心身健康たる風貌。ウルティメイト・リスペクトである。しかし何よりも尊敬に値するのは「あの男」への惜しみないサポートだ。そういえばあの男もノー・ドラッグ/メガ・ハイ野郎である。腕にも「健康パンクス(HEALTH PUNX)」って書いてあったし。

グリフィン・ピンことソーン・レザー(SEWN LEATHER)と最後に会ったのはたしか2012年の秋。当時LAを徘徊していたグリフィンはおそらく人生で初めて賃貸したであろう自分のスペースを僕に自慢しながら「ドリフト人生は終わりだ。俺はLAで暮らすぜ!」と鼻息を荒げていた。彼の寝袋が敷いてある硬質なハードフロアを見つめながら僕は彼の幸運を祈った。
先月のある晩、いっしょに暮らしていたマシュー・サリヴァンとアレックス・グレイに最近グリフィンに会ったか? と訊ねると、あれ以来会っていないとのこと。彼は再びツアーとドリフトの日々に身を委ねたのだ。グリフィンがいないと寂しいねぇと僕が漏らすと、マットとアレックスが「いや、会えたら楽しいけど、ぜんぜん寂しくはないね。アイツ常時ハイパーだし。」と。そうそう、そういう意味で言ったのだ。

ソーン・レザーはシモーネのサポートの下、近年ほぼ毎年ヨーロッパ・ツアーをおこなってきたし、US国内でもツアーは組まなくとも東西問わずかなりの頻度でライヴをこなしてきた。両サイドに全身ハードコアがねじ込まれていながらも、まさかのスプリット・ソノシート(やる気ねぇー)も記憶に新しい、盟友ホアクス(Hoax)と歴戦を重ねた彼は、最近までホアクスの連中の本拠地であったウェスト・マサチューセッツをヤサにしていたようだ。どうやら昨年暮れにそこでソーン・レザーは死んだらしい。グリフィンはソーン・レザーからスカル・カタログ(SKULL KATALOG)へと改名した(ややこしー)。
おそるおそるバンドキャンプを開いて、決して洗練されることのないマッシヴ・グダグダ・サウンドを聴きながら、とくに変わっていないことに安心した。ウルティメイト・リスペクトである。

このアルバムはソーン・レザーのラストアルバムだ(とも言える)。そしてこのレヴューは少しだけフライングでもある。このレコードを引っさげて、ソーン・レザーとしては最後のヨーロッパ・ツアーをドラキュラ・ルイスとともに絶賛爆走中のグリフィン。来月の発送まで待てないぜ! という明らかにクレイジーな人はひとまず先行シングルで一足先に世紀末感に浸ってみるのもいいだろう。

正直、僕の持っている音源がファイナルではないと思うので一概には言えないが、このアルバムはソーン・レザー史上もっともつくり込まれ、かつヴァラエティに富んだものに仕上がっている。ヒップホップを通過したスロッビング・グリッスル、ゴミのようなシンセパンク、ゴスなチューンに時折覗かせる超ピュアな内面性……。
御託を並べても仕方あるまい。春の狂気に誘われてYoutubeで彼のライヴ映像を見ながら、プレスされたこのレコードが届くのを楽しみに待とうではないか。

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