ポスト・ダブステップ、ジューク、フットワーク、トラップ、フューチャー・ベース......と新たなスタイルが誕生し続けているダブステップ以降のクラブ・ミュージックにおいて、目下、従来のベース・ミュージック・ファン以外も巻き込んで、とりわけレフトフィールドなハウス/テクノのDJやリスナーからも一際注目を集める"UKベース"ムーブメント。それはUK発の例にもれずまたもや明確な定義が難しいハイブリッドなクラブ・ミュージックだが、"UKベース"の面白さはレゲエ由来の低音の太さやスモーキーなムードにとどまらず、むしろハウス、テクノ、エレクトロニカ、ヒップホップ、ダブ、UKソウルetc.の、様々なエッセンスを「ベース」というキーワードのもと自由に組み替えた音楽性の豊かさと、イーブン・キックのDJセットとも親和しやすい楽曲が多い点にあるのだと思う。
また、UKにおけるダブステップのハウス・シフト傾向とも相まって、既存の各ジャンルからは少しずつはみ出したような、味わい甲斐のあるダンス・ミュージックが"UKベース"の名の下に次々と生み出されている。その事実に、遊び心に満ちたDJやレコード・バイヤーたちがいち早く反応を示しているというわけだ。この現象はかつてUKファンキー、ブロークン・ビーツ等々で見られた、隙間の音楽を愉しむ数寄心の再燃だとも言えるが、一方で「ダブ」を合言葉にディスコもサイケもハード・ロックも料理した"ディスコ・ダブ"が、ダンスフロア/レコードショップの勢力図を塗り替えた時のようなダイナミズムもまた感じられる。そうするとこの春、どうしても連想するのがドメスティック・ミックスCD三部作"Crustal Movement"におけるムードマンの『SF』である。勿論『SF』が"UKベース"だとは軽はずみには言わないし、その『SF』こそ、それが一体何なのかを容易には定義できない音楽なのであるが......。
そんな折にロンドンから"UKベース"の寵児デフト(Deft)───かの「未来的すぎるセット」でDJシャドウもピックした新鋭アーティストと、彼を擁するレーベル〈WotNot Music〉を主宰するJJ・マンブルズ(JJ Mumbles)が来日した。彼らを招聘したのは〈ライフ・フォース〉。長期にわたるUKでの生活から90年代初頭に日本に帰国したミュージシャン、プロデューサーのMassa氏と、後に〈DOMMUNE〉、名古屋〈MAGO〉、静岡〈CLUB four〉、岡山〈YEBISU YA PRO〉などの音響設計で名を轟かすサウンド・デザイナーのAsada氏とでスタートし、いまではフェスの人気者ともなったニック・ザ・レコードを、20年前に日本へと紹介した老舗パーティである。
〈ライフ・フォース〉といえば、そのAsada氏によるサウンド・デザイン───原音忠実再生にしてパワフル、でありながらフロアで長く聴いても耳が疲れない、箱が震える音量なのに隣の人の声は聞こえる、といった画期的なクラブ・サウンド設計は〈DOMMUNE〉の前身〈Mixrooffice〉で広く知られることとなる───が大きな特長であり、長年に渡ってパーティを支えてきた心臓部である。
Asada氏自身も音響設計の視点から「最新のダンス・ミュージックにおける低音の構造がキックやパーカッション主体から『ベース』主体へとシフトしてきているのを感じていた」と話す。デフト、JJマンブルズ、"UKベース"、そうした新しい音楽的潮流は、Asada氏の音響実験精神をも刺激していたようだ。Asada氏は今回ふたりがプレイした渋谷〈seco〉ではウーファーを増量して低音を強調するだけではなく、ベースの輪郭と定位をいままで以上に感じられるような、新たな音響実験に取り組んでいた。それによりもたらされた極めて重く、しかもスピード感に優れたベースの鳴りは、ダンスフロアを未だ見ぬ角度で切り裂いていた。
それではデフトとJJ・マンブルズのインタヴューをお届けしよう。なぜ〈ライフ・フォース〉が新しく彼らをフィーチュアしたのか、といまだに首を傾げている向きも、その理由をさまざまに感じ取れると思う。取材は東日本有数の労働者街、東京・山谷でおこなわれた。
ロンドンのクラブ・シーンはお金中心で回っているというのが現状なんだよね。そんな状況もある中で、音楽自体が大切にされているパーティに関われているのは嬉しいことだよ。
■〈ライフ・フォース〉でプレイした感想はいかがでしたか?
デフト:すごく楽しかった! お客さんも楽しんでくれていたみたいだったし、ファンタスティックな経験だったよ。実はあの夜は、いつもとはちょっと違った感じでセットをはじめてみたんだ。というのは、日本に着いてから〈ライフ・フォース〉のクルーやその周りの人たちと一緒に音楽を聴いているときに、UKファンキーをすごく面白がってくれた人がいたんだ。だったら、パーティに来てくれたお客さんはどんな反応をするかな、と思ってUKファンキーからスタートしてみたら、実際うまく行って。その後テクノに移行してからの方がお客さんはもっと踊っていたかもしれないけど、全体的にとてもうまく行ったセットだったと思うよ。それと〈ライフ・フォース〉は映像・空間演出も素晴らしかったね。
■あの日、自分が会場で聞いた声によると、ふたりはやっぱり、ベースミュージックをずっと追いかけているリスナーやDJからの注目度がすごく高くて。そうしたお客さんと、〈ライフ・フォース〉のファンとが混じり合ってそういう反応になったのかもしれませんね。
JJ:比較的年齢層の高いお客さんが集まっていたのも印象的だったよ。ロンドンで僕らがDJしたりするパーティは20歳前後の若いお客さんが多いんだけど、渋谷SECOの〈ライフ・フォース〉にはいろんな年齢層のお客さんが集まっていたよね。しかもパーティに騒ぎに来てるというよりは、音楽に対して熱心なお客さんが多いと感じたよ。
■ふたりがプレイした〈ライフ・フォース〉というのはたしかにいろんな年齢層、いろんな音楽的嗜好のパーティ・ピープルから、非常に高い信頼を得ているパーティなんです。というのは、〈ライフ・フォース〉は約20年前にコマーシャルじゃないところでのレイヴをいち早く紹介したりだとか、また1990年代後半、テクノとニューヨークのハウスがメインストリームだった日本のダンスフロアに、サイケデリックなオルタナティヴ・ハウスを持ち込んだりだとか、要は常にリスナーが驚くような音楽体験を、高いクオリティで提示し続けてきたからなんです。で、その〈ライフ・フォース〉がいままた、新しい方向に舵を切ろうという段階で、そのメインアクトとしてあなたたちふたりを選んだという。そのことについて、何か思うところはありますか?
デフト:自分たちを選んでくれたことについては、もちろんすごく光栄に思っているよ。全く想像してなかったことだし、まだ全然ビッグネームではない自分たちを、新しいディレクションのメインDJとして選んでくれたことが本当に嬉しいんだ。最初に話したように、ロンドンのクラブ・シーンはお金中心で回っているというのが現状なんだよね。そんな状況もあるなかで、音楽自体が大切にされているパーティに関われているのは嬉しいことだよ。
■そもそも〈ライフ・フォース〉のクルーとはどういう出会いだったんですか?
JJ:実は昨年の夏に、ガールフレンドと一緒に日本に旅行に来てたんだ。DJとかじゃなくて、本当にただの旅行で。それで、ちょうど日本にいるときに〈ライフ・フォース〉のMassaからコンタクトがあったんだ。すぐにパーティがあるからDJしないかって(笑)。以前から彼が、サウンドクラウドで僕のミックス音源を聴いてくれていたみたいで。
Cossato(LifeForce):ちょうど去年秋の〈ライフ・フォース・アルフレスコ〉のDJを探していた頃に、候補に挙がっていたJJ Mumblesの活動をフェイスブックでチェックしたところ、「どうもこの人、いま日本にいるらしい」と(笑)。それでMassaさんがコンタクトを取って、で1ヵ月後にもう一度来日してもらって〈アルフレスコ〉でプレイしてもらったという。今度、6月14日と22日の〈ライフ・フォース〉に呼ぶアントン・ザップ(Anton Zap)と一緒にプレイする予定だったんですけどね。そのときはアントン・ザップはビザの都合で来られなかったですけど。
■その後、昨年12月に〈ライフ・フォース〉でJJがプレイしたときはベース・ミュージック主体、今回は四つ打ち主体と結構違うセットだった印象なんですけど、それは東京のクラウドや〈ライフ・フォース〉に合わせてきたところがあるんですか、それとも自身のなかでハウス・テクノ主体の音がホットだということなんですか。
JJ:実は12月は体調が悪くて、ジュークみたいな激しい曲をたくさんかけることで自分自身を鼓舞していたようなところがあって(笑)。今回はロシアのディープ・ハウスなんかを結構かけたんだけど、そのなかには〈ライフ・フォース〉のクルーから教えてもらった曲も多かったんだ。自分としてもその辺の音が好きだしね。自分の何となくの印象だけど、ジュークとかをかけたときよりも、今回の方が反応が良かったような気がしているよ。ツアーのアフターパーティ(インタヴューの3日後に渋谷kinobarで開催された)では、チルアウトしたUKビートをたくさんかけようと思っているんだ。
[[SplitPage]]自分たちの音楽はハウス、ヒップホップ、ベースミュージック、そういったものを全部ミックスしてやっているものだと思ってる。レーベルのアーティスト達とは人間的にもちゃんと付き合っていけて、人間同士の関係性を築けるかどうか、というところはすごく重視している。
■ところでふたりはおいくつなんですか?
JJ:26歳(1986年生まれ)。
デフト:23歳(1989年生まれ)。
■パーティでプレイする側も遊ぶ側も若いんですね。ロンドンでふたりが関わっているパーティ・シーンについてもう少し聞きたいのですが、パーティ・オーガナイズもやるんでしたっけ?
JJ:〈WotNot Music〉でリリースがあったときには、レーベルとしてリリース・パーティをやっているよ。レーベルのクルーみんなでレギュラー・パーティ的なものも運営していきたいとは思うんだけど、ロンドンはいま、そういうパーティをやるには難しい状況でもあって。パーティが飽和状態なのと、日本みたいなサウンドシステムがいいクラブが少ないんだ。なのでレギュラー・パーティをやるには難しい面もあって。
デフト:去年、ロンドンで教会を借りてD.I.Yスタイルのパーティをやったんだ。メンバーは僕、DA-10、マニ・D(Manni Dee)、アルファベット・ヘブン(Alphabets Heaven)、アニュシュカ(Anushka)、チェスロ・ジュニア(Chesslo Junior)という〈WotNot Music〉周辺の仲間たちで。PAは自分たちで入れたし、ヴィジュアルはウィー・アー・イェス(WeAreYes)というチームに担当してもらって、普通のクラブ・イヴェントとは少し違った感じで、ライヴをたくさん入れて。
JJ:教会だから椅子があるよね。最初はみんな椅子に座ってチルしながら映像を楽しんでる感じだったんだけど、だんだん盛り上がってくると前の方に出て踊りだすんだ。他にない雰囲気で楽しかったよ。
デフト:なんでそういうパーティをやったかというと、クラブでパーティするというマジョリティに対して、自分たちはちょっと違うことをやりたかったんだ。DJだけじゃなくヴィジュアルやライヴ・アクトも一緒くたに楽しんでもらうというのが目的で、これまでにもウェアハウスや電車のガード下とか、クラブじゃない場所でそうしたパーティを開催してきたんだ。とはいえそうしょっちゅうやっているわけじゃないんだけど、ロンドンでマジョリティなクラバーたちも、だんだんそういうパーティの楽しさに開眼してきているように感じているよ。
■ロンドンでのふたりの活動の様子をいろいろ聞いたのは、日本でもいま、ふたりがやっているようなイギリス発のハイブリッドなベース・ミュージックが「UKベース」というキーワードのもと非常に注目されてるからなんですけど、ふたりの活動や〈WotNot Music〉の音楽は、地元のロンドンでも「UKベース」というワードで盛り上がっているんでしょうか。それとも何かまた別のキーワードもあるんでしょうか?
JJ:自分たちの音楽はハウス、ヒップホップ、ベース・ミュージック、そういったものを全部ミックスしてやっているものだと思ってる。それを言い表す名前はないけれど、他の誰かに説明する時に「UKベース」という言葉を使うことはある。けど、自分たちとしてはUKベースという言葉はそんなに好きじゃなくて。〈WotNot Music〉に関してもUKベースだけじゃなくて、いい音楽なら何だってリリースしたいと思っているんだ。例えば(WotNot Musicからリリースしているアーティストのなかでも)DA-10とチェスロ・ジュニアとでは、作っている音楽も全然違うよね。DA-10はハードウェアのみでビートミュージック的なサウンドを作るアーティストだし、チェスロ・ジュニアのサウンドはトラップ・ビートの進化型ともいえるものだし。
■いま話に出たように〈WotNot Music〉のサウンドは幅が広いのが特徴ですね。そうなると、リリースする音源を選ぶ基準はどうなっているんですか?
JJ:これまでのリリースに関して言えば、レーベルに関わる全員が楽しんで聴けるものばかり、ということになる。デモもいろいろ届くんだけど、自分でいろんなところに出かけていって、レコードを掘るようにアーティストをディグするのが好きなんだ。あとリサーチの一環としてサウンドクラウドなんかでもいろいろ聴くけど、例えば100回しか再生されてないけどメチャクチャいい曲があるとするよね。そういうのを見つけるとものすごく嬉しいんだ。もっとたくさんの人に聴いてもらいたい、と思えるような人を見つけるのが楽しいんだよね。あと、アーティストのパーソナリティは重視しているんだ。人間的にもちゃんと付き合っていけて、人間同士の関係性を築けるかどうか、というところはすごく大切だと思っている。
■例えば〈WotNot Music〉がフックアップしているアーティストに、沖縄在住でまだ17歳のスティルサウンド(Stillsound)という人がいますよね。彼についてもそういう感じだったんですか。
JJ:スロウ・ディスコというのかスロウ・ファンクというのか、そういう曲を作っているアーティストを1年ぐらいずっと探していて、サウンドクラウドでいろいろ聴いているなかにスティルサウンドがいたんだ。すごくツボだったね。まだ17歳ですごく若くて、例えばミキシングのやり方や音の作り方も未熟というか若さを感じるサウンドなんだけど、そこがすごく気に入ってるんだ。未完成なところもあるけどすごく才能を感じるし、これからどんどん伸びていくアーティストだと確信してるよ。今年の終わりにはロンドンに来てもらって、一緒にギグをする予定なんだ。
DA-10 - The Future Is FuturelessChesslo Junior - Move South
Stillsound - Live A Little
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DJシャドウ、デイデラス、ジャイルス・ピーターソン、そして〈ライフ・フォース〉......僕らは新しい音楽というものにすごく興味があって、それを常に探し続けているという共通点はあるんじゃないかな。
■まあ、ふたりも若いと思いますけど(笑)、これまでにはどんな音楽を聴いてきたんですか?
デフト:いちばん最初はブリンク182とかランシド、ミスフィッツみたいなポップ・パンクが好きで、12歳のときにドラムを叩きはじめたんだ。で、いつからだったか、義理の兄が音楽制作ソフトのFL Studioを持っていたから、それをいじりはじめたんだよね。最初はそれでループを組んでるぐらいだったんだけど、だんだんプログラミングを覚えていって。そこから聴く音楽もヒップホップ、トリップホップになって、そこからサンプリングに興味を持ちはじめたんだ。大学に入る頃には、ボノボ、クアンティック、シネマティック・オーケストラとか、チルアウト/ラウンジ的な音楽を聴いていたかな。そこからドラムンベースやダブステップ。フライング・ロータスや〈ブレインフィーダー〉みたいなのを聴きはじめて。だから何か特定の、というわけではなく、興味を持った音楽をどんどん聴いていくタイプなんだよね。まわりの友だちはサッカーだとか、スポーツに熱心な人が多かったけど、自分は16歳ぐらいのときに、ずっと音楽をやっていこうと思うようになったんだ。
JJ:僕の場合は、義理の父がソウルとかルーツ・レゲエのレコードをすごくたくさん持っていて、そうした音楽がルーツなんだ。祖母もクラシックが好きだったし、家族みんなが音楽好きだったから、いろんな音楽を聴きながら育った。祖父が南アフリカのケープタウンの出身で、ジャズ・バンドでピアノを弾いていたから、自分も音楽をはじめたのは祖父からの影響もあるのかな。最初に大きく惹きつけられた音楽はヒップホップで、そこからMPCで自分でビートを作ったりしはじめたんだ。
最初にビートを作りはじめたのは13歳のときだね。その頃はマッシヴ・アタックとかトリッキーがすごく好きだった。とくに、父親が持っていたマッシヴ・アタックvsマッド・プロフェッサーの『ノー・プロテクション』のレコードが好きで。アメコミ風のジャケットの絵も含めて、あの作品にはすごく影響を受けてるよ。家族もそうなんだけど、まわりの友だちにも昔から音楽好きが多くて、新しいCDやレコードが出るたびにいろいろ交換し合って聴いてたんだよね。
デフト:僕のまわりには、音楽好きな友だちはあまりいなかったんだ。ジェド(JJ)と知り合って、彼からもいろんな友だちを紹介してもらったりして、ようやく自分と同じような志向の人に巡り合えたという感じ。だからすごく嬉しかったんだ。
JJ:デフトの音源は元々ネットで聴いてたんだけど、たまたま共通の友だちがいて紹介してもらったのが僕らの出会いなんだ。最初に会ったのは約2年前。Wotnotの最初のパーティのときだった。あとそうそう、ヒップホップのビートをメインに作っている時期があったんだけど、その頃のクルーと一緒にUKをツアーして回ったことがあって、そのときにビジネスとして音楽をやるための基礎を学んだんだ。その経験が、〈WotNot Music〉のレーベル運営にすごく役立っているよ。
■クラブ、パーティ体験については何かありましたか? クラブで忘れられない体験だとか。
デフト:初めてクラブに行ったのは16、17歳の時なんだけど、その頃のクロイドン(デフトの地元、南ロンドン。かつてあったレコード店〈Big Apple〉と共にベース・ミュージック縁の地として知られる)にはクラブ・シーンといったものはなくて、あったとしてもコマーシャルな感じで、音楽を聴きに行くというよりはお酒を飲んで騒ぐための場所という感じで、自分が行ったのもそういうクラブだったんだよね。その頃はダンス・ミュージックというよりもヒップホップにハマってたし。
自分がクラブ・ミュージックに目覚めたのはブライトンの大学に入ってからで、ある時にDJシェフ(DJ Chef)のプレイを聴いたんだ。そのとき彼が、当時はまだリリース前の、フライング・ロータスのマーティン・リミックスをかけた瞬間があって。それで初めて、クラブのサウンドシステムや空間でクラブ・ミュージックをすごく楽しむことができた。その瞬間にクラブミュージックに開眼したというか、「これだ!」と思ったんだよね。自分もこういう音楽がつくりたいと思って、その時から音楽をやってるつもりだよ。
JJ:自分はクラバーだったことは一度もないんだ。クラブ・ミュージックは部屋でヘッドフォンで楽しむもので、クラブという場所はナンパしに行く場所だと思っていた(笑)。自分の好みとしてはクラブで遊ぶよりも、ライヴ演奏を聴くことの方が好きかもしれないな。ラップトップでもバンドでも。
■さっき音楽遍歴について伺いましたけど、デフトのバイオグラフィを見ると、トキモンスタのリミックスコンペティションであったり、デイデラスのツアー・サポートだったり、またDJシャドウがあなたの曲『Drop It Low』をプレイしたらしい、など、国境や世代に関わらずいろんなアーティストとの絡みが出てきますよね。彼らと自分自身との間で、共有しているものは何だと思いますか?
デフト:うーん、自分ではよくわからないけど、ひとつ挙げればヒップホップが好きで、それが基本にあることなのかなぁ......。
シャドウに関しては、自分の曲をデモで送ったりしたわけじゃないから、彼がただ自分のトラックを見つけて気に入ってくれて、自分のセットに入れてくれたんだよね。シャドウはすごく有名になったいまでもアンダーグラウンドな音楽にちゃんと目を向けて、ずっとディグし続けている人なんだっていうことを実感できたし、すごく嬉しい出来事だったよ。
デイデラスとはツアー・サポートをした時に結構長く話をしたんだ。すごく情熱的な人だった。一緒のツアーがきっかけで、今もビートを交換したりしているんだ。うん、いま名前が挙がった人たちと僕とで何か共有していること......ひとつ言えるのは、僕らは新しい音楽というものにすごく興味があって、それを常に探し続けているという共通点はあるんじゃないかな。
■そういう、アンダーグラウンドのフレッシュなサウンドを一貫してディグし紹介し続けている存在としては、あなたたちの国にはジャイルス・ピーターソンもいますよね。そしてデフトは、ジャイルスのレーベル〈Brownswood〉から出ているギャング・カラーズ(Gang Colours)のEPにリミックスを提供しています(『Fancy Restraunt (Deft Remix)』)。
デフト:そのリリースのオファーにはものすごく驚いたし、同時に本当にすごく嬉しかったんだよ。ギャング・カラーズ自身から「サウンドクラウドで君の曲を聴いたんだけど、リミックスをやってくれないか。マシーンドラムのリミックスなんかと一緒にリリースしたいと思ってるんだけど」というメッセージが届いて、それを読んで即決したんだ。彼の曲は以前から好きだったし、「自分の曲を聴いてくれて、好きになってくれる人がいるんだ」という意味でもすごく自信となったし。自分のキャリアもそれをきっかけとして上がっていったところがあるしね。
■なるほど。ジャイルス・ピーターソンについてはどう思いますか。
デフト:彼がホストしているラジオ番組でも常に新しい音楽をプレイしているし、自分も影響を受けてるね。〈Brownswood〉を運営しているスタッフも人間的にもすごく良くて、そういうところも尊敬しているんだ。ジャイルスの凄いところは、エレクトロニック・ミュージックだけでなくてワールド・ミュージックやヒップホップとかも含めて、常に新しいものを、幅広く紹介し続けているところだよね。UKでそういったことを続けているのは、もしかしたらジャイルスただひとりかもしれない。ベンジ・Bも昔はそういうところがあったけど、いま彼はハウスやベース・ミュージック寄りの活動が中心だしね。
■JJの方は、単独名義での初リリースは〈WotNot Music〉カタログ2番の『Boxes & Buttons EP』になると思うんですけど、美しいUKソウルのオリジナル・ヴァージョンと、6ヴァージョン収録されたリミックスとで、ノース・ロンドンとUKのベース・ミュージックのいまが象徴されているように思えるんですよね。フィーチャーしている女性シンガーのナディーナ(Nadina)も魅力的ですし。このシングルが完成した背景を教えてください。
JJ Mumbles - Boxes and Buttons (Jamie Wilder remix)JJ:ナディーナは当時、僕の友だちと付き合っていたんだけど、彼女の声が最初から好きで。どんな風に唄ってもらうかというシンガーとしてのプロデュース、ディレクションも僕がやったんだ。あのEPに入ってる僕のビートが完成して2、3日後に彼女を家に呼んで、そこで歌ってもらって完成した。EPに6ヴァージョンもリミックスが収録されているのは、そう、いろんな音をつめ込んだEPにしたかったからだね。友人の中には「ヴァージョンの数が多すぎるんじゃないか」と言う人もいたんだけど。
『Boxes & Buttons』は、歌詞も僕が書いたんだ。音楽をしている者として「あまりお金はないけれど、楽しくやるのにそういうことは関係ないんじゃないか」みたいなことを唄っているんだ。一方で自分のなかにある、不安な気持ちだったりね。いまは別の男性シンガーと、新しい曲に取り組んでいるところなんだ。これはファンクというか、スロウなハウスのようなトラックになりそうだよ。
デフト:その曲は僕もまだ聴かせてもらってないんだ。
[[SplitPage]]未来は若者の力にかかっているというのは、日本もUKも同じだよね。若者をきちんと育てていかなくてはならない、というのは日本にもUKにもすごく重要なことなんじゃないかな。
■音楽を世に出すことで、何か伝えていきたいメッセージはありますか?
デフト:メッセージ性は曲にもよるけど、何で音楽をやっているのかというと一番はやっぱり楽しいからだし、メシを食っていくために頑張るものでもあるよね。曲を作る、ということはすごくパーソナルな行為なので、その動機に関しても、やっぱりパーソナルな部分が大きいよ。つまり何かのメッセージを伝えたいというよりは、自分はこれまでいろんな音楽を聴いて育ってきたし、それによっていまの自分があるわけだから「他の人にも自分の音楽を聴いてもらいたい、自分が音楽にしてもらってきたことを他の人にも経験してもらいたい」ということが目的やモチベーションになっている。だからとくに何か、ポリティカルなメッセージとかがあるわけではなくて。あとは「自分の感情を表現する手段」という部分もあるかな。その時のフィーリングによってつくる曲も違ってくるしね。感情やフィーリングを曲を通じて表現するために、昇華するために音楽を作っているというのはある。
JJ:自分は本当に、曲を作っていれば1週間でも2週間でも作り続けられるような人間だし、本当に楽しいということが第一だよ。ただ自分の場合はそれと同時に、メッセージを伝えたいという気持ちもある。さっき話したような、歌詞のある曲を作っているのもそういう理由、動機からで。自分は良質なポップ・ミュージックを作りたいという思いがあるんだ。それは17、18歳ぐらいのキッズのための音楽というよりは、もっと大人が楽しんで聴けるような音楽、そういうものを作りたい。それは自分がソウル・ミュージックなどを聴いてきたというバックグラウンドがあるからなんだけど、自分もそういうところを目指してみたい。あと自分の場合はポリティカルな部分で思うこともあるから、もしそれを音楽を通じて表現できるのであれば、やっていきたいとも思っている。
■それはどういった思いなんですか。
JJ:仕事でユースワーカー(若者の自立を支援する専門職)をしているから、10代の子たちと日常的に接しているんだけど、2011年のイギリス暴動に見られるように、僕らの国でも若者を取り巻く状況は厳しいんだ。お金があれば大学に進んだりもできるけれど、そういうチャンスがない人も多くて。若い人たちになるべくたくさんのチャンスが与えられるような社会にしていきたい、と僕は思っている。
■音楽のメッセージ性というのは、JJの場合はずっと親しんできたソウル・ミュージックなどの影響なんですよね、きっと。あと、例えばルーツ・レゲエにもいわゆるレベル・ミュージック、被抑圧者の音楽という面がありますけど、現在のUKのベース・ミュージックにもそうした面は引き継がれているのでしょうか?
JJ:まず、いまのUKで言う「ベース・ミュージック」というのは、ルーツ・レゲエの系譜というよりは、パーティ・ミュージックとしての側面が強いと思う。ルーツ・レゲエみたいに、抑圧された人たちが声を上げるための音楽としては、グライムやロード・ラップがそれにあたるだろうね。グライムやロード・ラップで唄われていることや音楽のスタイルはすごくアグレッシヴなのはたしかだけれど、それは彼らが正直に自分たちの気持ちを表現していることの表れなんだ。
デフト:ベース・ミュージックにも「コミュニティ」があるけど、それは政治的なものというよりもパーティをするために集まっているものだよね。一方、グライムやロードラップのコミュニティは自分たちの声を上げて、何とかして状況を変えるために力を合わせているんだけど。誤解している人も多いみたいだけど、グライムやロードラップはギャングスタ・ラップとは全然別物だよね。
JJ:2011年のイギリス暴動に話を戻すと、アッパー・ミドル・クラスといわれる人たちよりも上の階層の人たちは、何で暴動が起きたのかをまったく理解していないんだ。単にトラブルメーカーの若者たちが起こした騒ぎだとしか認識してないし、ちゃんとした形で理解しようという動きもない。若者がトラブルを起こしたから静かにさせなきゃ、というぐらいのことしか考えてないんだよ。
「階級の低い」子どもたちがそこから抜け出すための機会が全然与えられずにそこにとどまるしかなくて、抜け出そうとしても抜け出せないという状況になっている。だからこそ子どもが犯罪に走ってしまうという悪循環があるわけだし、あの暴動にはそういう背景があるんだけど......僕は、これからそういう若者に力を与えることで、社会を変えていかなくてはいけないと思っている。〈WotNot Music〉も、レーベルがもうちょっと大きくなったらインターンを募集したりして、若者たちが犯罪など以外で生きていく術を見つけるための手助けをしていきたいと思っているんだ。
■このインタヴューを行っている山谷という地域は日雇い労働者の宿場街なんですけど、いまはこの街に長期滞在している労働者の多くは、生活保護を受けて過ごしているんです。日本もイギリスに追随して新自由主義主義の道を進んでから格差がどんどん広がってきていて、このまま行くと、いまJJが教えてくれたイギリスの状況のようになりかねないですね。そんななかで2年前の原子力発電所の爆発事故に際して政府への不信・怒りが強くなっていて、日本でもかつてないほど、社会運動に自発的に参加する若者が増えてきているんです。パーティ・ピープルのなかにもそういう子は多いですし、彼らの精神的支えであるようなラッパーやミュージシャンも出てきています。社会運動に関しては、イギリスは日本の大先輩ですから。
JJ:未来は若者の力にかかっているというのは、日本もUKも同じだよね。そうでなければディストピアというか、『ブレードランナー』みたいなお金持ちだけがいいところに住んで、それ以外は皆スラムに追いやられる、という世界になってしまうよ。そうならないためにも若者に投資して、若者をきちんと育てていかなくてはならない、というのは日本にもUKにもすごく重要なことなんじゃないかな。
たしかに僕も日本人には、例えば「労働時間がメチャクチャ長くてもそんなに文句を言わない」みたいなイメージを持っていた(笑)。一方でUKは反政府運動の歴史がすごく長くて、行動の参考にできるものがたくさんあるから、その点はいいといえるね。日本もUKも、お互い勉強しあって進んでいけばいいんだと思うよ。
■本当にそうですよね。
JJ:あと、そうだ。さっきも言ったけど僕の祖父母は南アフリカのケープタウン出身で、まだアパルトヘイトが実施されていた時代をそこで過ごしたんだよ。当時のケープタウンは、アパルトヘイトにちょっと反対するようなことを言っただけで牢屋に入れられたりするような状況だったという。その点、いまの自分は政治的なメッセージを発したり、行動したぐらいでは逮捕されたりはしないから、それを思うと勇気をもらえるね。祖父母から学んだことというのは「その人を憎むのではなくて、その人がそういうことをしている理由は何かというのを考えなさい」というメッセージなんだ。
■最後に、今後の予定を教えてください。
デフト:まずはリミックスを提供した、フランスのアーティスト・123MRKの作品が〈インフィニト・マシーン(Infinite Machine)〉というレーベルから5月早々に出る。それと〈WotNot Music〉からも新しいEPを出す予定で、これはほぼ作り終わっているんだ。あとはオランダの〈Rwina〉からの新しいEPとか、ほかにもいくつかリリースの話が来てる。リリース先は未定だけど、アルバムの制作も進行中だよ。あとはフェスでのDJ。ヨークシャーとマンチェスターとでフェス3本、あとカンタベリーのフェスでは〈WotNot Music〉でステージを1つ用意するんだ。DJじゃなくてライヴのセットも準備しているよ。
JJ:僕自身のリリース予定は、先ほど言った、DA-10のDAnalogueをシンガーにフィーチャーしてのシングル。〈WotNot Music〉としてはDA-10の新しいEP『The Shape Of Space』と、それから僕がコンパイルするコンピレーション『Dancefloor Sweets vol.1』が出たばかり。これはヨーロッパのアーティスト中心の内容で、これをチェックしてもらえば、いま自分がどんな人たちに注目しているかががわかると思う。次のリリースにはグレン・ケリー(Glenn Kelly)というロンドン郊外のディープ・ハウス・ガイのシングルが控えている。その後はK15というアーティストのアナログ・リリース。これには大阪のメトメ(Metome......3月にファースト・アルバム『OPUS cloud〈moph records〉』をリリースした新鋭)と、カイディ・テイタム(Bugz In The Atticのメンバー)とによる2ヴァージョンのリミックスを収録予定なんだ。
アルバムも2枚出したいと思っていて、ひとつはさっき話に出た沖縄のスティルサウンド。あともうひとつはサッカー96という名義でも活動するDAnalogueと10-Davidによるふたり組・DA-10。彼らは〈WotNot Music〉が初めてリリースしたアーティストなんだけど、プログラミングではなくて、自分たちでハードウェアを叩いたり弾いたりして曲を作るんだ。そういうスタイルのアーティストがいることが、〈WotNot Music〉としてはすごく重要なんだよ。あとは、〈ライフ・フォース〉と〈WotNot Music〉でコラボレーションしてコンピレーションCDをリリースする話も進行中なんだ。