「K A R Y Y N」と一致するもの

Alexis Taylor - ele-king

 これよりいい音楽作品はたくさんある。なんてことをアレクシス・テイラーは自分から言わないかもしれないが、すくなくとも、ホット・チップと離れたところで彼が発表するプロジェクトに共通してうかがえるのは、世の完成された音楽とのあいだに距離をおきくかのように、自らの作品に未完成性を残したまま発表するような姿勢だ。彼の以前のソロ作『ラブド・アウト』はGarageBandを用いてつくられたさしずめホーム・デモ集だった。ジョン・コクソン(スピリチュアライズド/スプリング・ヒール・ジャック)/パット・トーマス/チャールズ・ヘイワード(ディス・ヒート)との連名作『アバウト』は一堂の会したその日のジャムで、同メンバーの2作目にあたるアバウト・グループによる『スタート & コンプリート』はスタジオ入りの数日前に聴かせたデモ音源をもとに1日で録音されたプリプロ段階のような半即興アルバムだ。いずれも、ホット・チップのようにプロダクションを作り込む、ということを避けている。

 なぜアレクシスは未完成性を作品に残すのか。
 おそらく、彼は気持ちのどこかで引っ込み思案になっているのではないかと思う。グッド・ミュージックへのコンプレックスめいた葛藤とでも言えるだろうか。
 アレクシスにはミュージシャンであるのと同じかそれ以上にオタクなまでにリスナー気質があるように思える。自分の音楽趣味を歌うことがよくあるし("ダウン・ウィズ・プリンス")、ミュージシャンである自分を俯瞰さえした歌詞もある("フルーツ")。インタヴューでも好きな音楽に関して雄弁になっていることが多い。世にいい音楽がたくさんあることを知っていて、そのなかであえて自分が音楽を作って世に送りだすとき、たとえそれがオリジナルなものであると自信を持っていようと、他人が自分の作品をよしとするかどうかに期待がないのだろう。未完成性を残すのは、グッド・ミュージックで満ちあふれる世の中あるいは(ホット・チップが活動してきた)メジャー・フィールドからの、アレクシスなりの降り方なのではないか。そして、そうしたある種のプレッシャーから自由になれる彼の居場所が、自宅にあるという音楽部屋なのだろう。ひとりの作業で、自らの内に内にこだわりをもって向かっていく。ビートルズやビーチ・ボーイズのようなオールディーズのレア音源(ブートレグ)を彼は多く所有しているし、ホーム・デモや初期テイクの演奏の質感への憧憬もあるかもしれない。

 今作『ナイム・フロム・ザ・ハーフウェイ・ライン』は、とにかく全4曲とも、アレクシスなりの音や楽器へのフェティッシュなこだわりがうかがえる。というか、おそらくそれだけのために作られている。
 反復するリズムボックスのうえから、"ローズ・ドリーム"なんて曲もあるようにローズを得意気に弾きながらも、ぎこちないベースを弾いてみせたり、ワウをかけまくった(おそらく)ギターの音や、風呂場で録ったようなドラム/パーカッションのやはりぎこちない音が披露される。4曲中3曲で聴かれるドラム/パーカッションは、特にフェティッシュな響きを曲に与えていて、ぎこちなさが楽器へのこだわりそのものを際立たせている。それらが挟まれるタイミングが、彼の親友であるブライアン・ディグロー(ギャング・ギャング・ダンス)のカットアップと似た響きをもっているのも微笑ましい。
 逆に、アレクシスの最大の魅力である歌声があまり聴かれないのも、楽器への偏重を物語る。ヴォーカルが入っていても、それはピッチ操作をされていたり、ロボ声に取って代わられていたりする。少ない言葉のリフレイン、無感情のヴォーカルなど、今作はいささか挑発的でひねくれた感覚があり、これまでの彼が披露してきた魅力を自ら封じているのは明らかだ。クリスマスに録音されたという"ジーザス・バースデイ"にいたってはまったくのインストで、エコーとディレイがかった微細なノイズが間隔を空けながらも情感的に鳴らされる。外のことを忘れ、音楽部屋にこもりきり、ひとりでこれを作っているアレクシスの姿を容易く思い浮かべられる。誰の理解をも求めないフェティシズム、ここに極まれり。

 しかし、そのフェティシズムはどこからくるのか。
 アレクシスは音楽部屋にこもりながらも、間違ってもトクマル・シューゴのような楽器の名手というわけではない。ドラムが苦手だと僕に話してくれたこともあれば、本誌インタヴューではギターがまったく下手で、ナチュラルに弾けないと答えている。が、しかし、そのふたつは今作でも目立って聴こえる楽器だ。
 以前、アレクシスといっしょにオーネスト・ジョンズに行ったとき、おすすめを尋ねたところ、オマー・ソウリーマングループ・ドゥウェイで、そのころのアレクシスのギターのエフェクトはこの両者のサウンドとよく似ていた。
 今作『NFTHL』についての『ディス・イズ・ザ・フェイクDIY』誌でのインタヴューでは、彼の大好きなロイヤル・トラックスのギタリストの名をあげている。アレクシスは、自らの音楽ヒーローへの憧れ(あるいはワナビズム)と不得意の狭間で楽器を演奏しているのかもしれない。そうだとすればこそ、その狭間で生じるやりきれなさや、憧れが背後にあるフェティシズムが、未完成性をともなった作品としてレコードに着地してしまうのではないだろうか。

 いずれにせよ、昨年のホット・チップのようなポップネスや完成性を今作に求めてもいけないし、アバウト・グループのような歌心も期待してはいけない。あくまでリスナーにできるのは、決して雄弁になれないもどかしさのつきまとう楽器演奏をあたたかく見守ることだけだ。
 
 残る疑問として、なぜこのタイトルなのか。昨年のホット・チップ来日公演でもオリンピックのマークを模したTシャツを着ていたし、フットボールネタが熱かったのだろう。ロンドンのフットボール・チームであるアーセナルとトッテナムの確執念頭にあるようだが、アイロニーをこめているのかも不明瞭である。


参照記事

トッテナムがアーセナルを嫌いな理由 - Fun!!Footba!! -:
https://shamoonyouspurs.blog118.fc2.com/blog-entry-73.html

Alexis Taylor: 'I Can Make More Enjoyable Mistakes On My Own' | Features | DIY:
https://www.thisisfakediy.co.uk/articles/features/alexis-taylor-i-can-make-more-enjoyable-mistakes-on-my-own/

interview with Hot Chip - いいですか? 絶対に真実は言わないください | ホット・チップ | ele-king:
https://www.ele-king.net/interviews/002235/

さあ、世界よ、グッドメロディのポップ・ソングをもって小躍りせよ―ホット・チップが新作『イン・アワー・ヘッズ』を発表&来日! | Qetic - 時代に口髭を生やすウェブマガジン "けてぃっく":
https://www.qetic.jp/interview/hot-chip/80557/

DJ MINODA - ele-king

2013はスローモーションがいろいろお騒がせするかもしれません。
とりあえず、今後のスケジュールを。

3月16日土曜日 SLOWMOTION @ Galaxy
3月19日火曜日 JDI @ en-sof Tokyo
6月22日土曜日 SLOWMOTION @ 旧グッゲンハイム邸

あと春ころにMix CDをリリースします。

DJ MINODA
「Low-Pass Mix」
-live mix in SLOWMOTION 2012.12.21-

よろしくお願いします。

脳内再生多めの10曲 -'13冬- (ABC順)


1
Night Bazaar / Alfred Beach Sandal
https://www.youtube.com/watch?v=NFtSdxAd9XY

2
Walk Out To Winter / Aztec Camera
https://www.youtube.com/watch?v=AprZd47arUA

3
outdoors / cero

4
スマイル / cero

5
Call Of The Wild / Jimi Tenor
https://www.youtube.com/watch?v=OEWSHhaEo-8

6
煙突 / ミツメ
https://www.youtube.com/watch?v=3yDSagU_gJw

7
めくらまし!/ザ・なつやすみバンド

8
パラード / ザ・なつやすみバンド
https://www.youtube.com/watch?v=ZU1iGO7FoBw

9
The Mayor of Simpleton / XTC
https://www.youtube.com/watch?v=5Da9sc6YDBo

10
閉鎖されてた / yojikとwanda
https://www.youtube.com/watch?v=zCY8OuUtjhU

工藤キキのTHE EVE - ele-king

 「ニューヨークはみんなが半分遊んでいる街だよ......」と言ってくれた長くNYに住む友だちの言葉で、人生はじめての大きな引っ越しの不安は多少和らいだと思う。世界はインターネットでつながっていて、さほどどの都市も変らないともいわれているけど、実際に住んでみるといままでとは別次元を生きている感じで、言語も習慣も違うと、寂しい、不安だ、英語わかんない、などにマジメに向き合えないほど、とにかく驚いてばかりの日々も1年が過ぎた。だけど良かったと思うのは、大人になってから来たので、すでに自分の好きなものを知っているから闇雲に何にでも手を出さなくてもいい。だって、あれもこれも、というぐらいNYは月曜から日曜まで毎日どこかでパーティがある。
 そんななかでもハーレム育ちのドミニカン・フィメールDJ(......というかアーティストと言った方がいいかも)のVenus Xと'HOOD BY AIR'というファッション・ブランドのデザイナーでもあり彼女の幼なじみの$HAYNEでオーガナイズしているパーティGHE20G0TH1K(ゲトーゴシック)は、フリークドアウトできるパーティのひとつだ。

 ダウンタウンやブルックリンのヤング・ジェネレーションが集まるパーティには案外ミュージック・ナードが少ない。サウンドシステムにうるさい人もあまりいない。'グッドミュージック'を楽しもうとするよりも、ウイード吸ってハイになって、MDMAやマッシュルームでどれだけ踊り狂えるか、フリークドアウトできるのか......というような音楽の楽しみ方をしている若い子が多いと思う。だからほんとストレス発散には最高だし、そして最近のMDMAは翌日のディプレスもない......!  
 とはいえ、GHE20G0TH1Kにはもちろんグッド・ミュージックで踊るために行っているんだけど、そのパワフルな動きを一緒につくっているのが、FADE TO MINDのKingdomやNguzunguzu、MikeQ、Fatima Al QadiriそしてPhysical Therapy、Dutch E Germ、 Brenmar、Total Freedom(この人は最高!)など、同時代にタイミングよくメンツが揃っているのも、このシーンを強いものにしていると思う。

 フロアでかっている曲は、シカゴのジュークやグライム、レゲトンやラテン・ハウス、ハード・ハウス、ローカル・アンダーグラウンドや南部のゴス・ラップ、テクノ、R&Bにアルジャジーラの放送や、メイクアップに倒錯したアメリカのティーンのYoutubeをかぶせたり、ニルバーナの"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"を激重くチョップド&スクリュードしたり......さらに初音ミク的なものも。そうだ、ゲストに元Three 6 MafiaのGangsta Booや地元ハーレムの仲間としてA$APも登場したこともある、かなりラジカルでクレイジーなパーティ。
 客層もゲイ・ピープル、フェミニスト、アーティスト、ミュージシャン(というかNYで出会った人の80%はアーティストまたはミュージシャンと名乗る人ばかりだけど......)。ファッション系はNYのオールドスクール「V」や「W」 ではなく、まさにGHE20G0TH1Kと同時期にスタートした、ニュースクールのファッション・サイト『DIS MAGAZINE』や、そのフォロアー。
 ハッキリ言ってNYの若い子は東京やロンドンに比べたら全員がとびきりオシャレではない、と思う。パーティに集まる若い子も、90'Sのレイヴの独自の解釈? Tumbler的なインターネットに転がっているゴミをかき混ぜたような......ファッショントレンドというよりも、DIYで混ぜこぜにしたイメージを楽しんでいる。そして、どれだけパーティのブッ飛び要素になれるか......。

 GHE20G0TH1Kも最初は小さいバーからスタートして、2010年にはそれを面白いと思ったMoMA PS1のキュレーターが毎夏開催しているWarm UpというシリーズのパーティにGHE20G0TH1Kを抜擢、その後はブッシュウイックのトルティーヤ工場などのウエアハウスのパーティで知られるようになって、2011年には『NY Magazine』や『Village Voice』のベスト・パーティに選ばれ、さらに2012年にはガゴシアン・ギャラリーでのダミアン・ハースト展のアフター・パーティ、Gang Gang Danceのフロント・アクトとして一緒にツアーを周り、ファッションウイークのDJ、そしてマイアミのアートバーゼルにも呼ばれてと......。'アメリカンドリーム'じゃないけど、新しい動きには必ずフックアップする人たちがいて'次へのステップ'が用意されているのも興味深い。しかも、そういったヤングのアンダーグラウンドのトレンドをファッションよりもアートが先に眼を付けるのが、アートマーケットが確立しているNYならではだ。
 GHE20G0TH1Kって名前もそうだけど、NYはヴェルヴェット・アンダーグラウンドしかりヒップホップしかり昔から、ラリー・レヴァンさながらダンス・ミュージックを'言葉'でつなぐようなリリカルなものに反応するDNAがある街だと思う。Venusたちにもパーティのフライヤーには'Mind Fuck'や、いつもアナーキーなパンチラインがあり、それこそエジプトのデモがあった時のアルジャジーラの放送をビートにのせるような、わけのわからないサウンドを生み出しているけど、それが狂乱の夜にがっちりとハマる。まさに言葉で煽るというNYのダンス・ミュージックの伝統を継承しているニュースクールだ。
 最初は一緒にパーティに行く友だちも少なくて、あのパーティ行ってみたいけど......ひとりだと嫌だなーと見逃したこともたくさんあったけど、開き直ってひとりでも遊びに行くうちにだんだん、いつものメンツがいたりして、東京にいた時もそう思っていたけど、一緒に酔っぱらったり踊っているうちに仲良くなるって世界共通なんだよね

みんなサイボーグ

もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。(佐々木)

サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤

野田:ダークスターという、ダブステップ・シーンから登場したバンドが2009年に出したシングルに“エイディズ・ガール・イズ・ア・コンピュータ(エイディの彼女はコンピュータ)”という曲があります。当時ヒットしたし、評論家受けもしたエポックメイキングな作品なんですけど、これが初音ミク的にコンピュータのソフトウェアに歌わせた曲でしたね。それまでダブステップに歌がのる場合、たいていはR&B調のヴォーカルだったんですが、ダークスターはコンピュータのソフトが合成する声に、アンニュイなシンセポップを歌わせたんですね。
 今回、佐々木さんにお会いするので、僕なりにミク的なものを考えてみたんですけど、いろいろありました。そもそも、エレクトロニック・ミュージックのこの10年は、「声の10年」だったとも言えるかもしれないんです。たとえば、ジェイムス・ブレイクの“CMYK”、この曲の元ネタがケリスの“コート・アウト・ゼア”とアリーヤの“アー・ユー・ザット・サムバディ”だということはいまでは知られていますが、最初は誰の声かわからないほど加工されていました。
 こうした声ネタ加工が流行した発端は、レイヴ・カルチャーだったんじゃないかと思います。たとえばプロディジーは、声ネタのサンプリングを子どもの声になるようなハイピッチでやって、そのまま使って馬鹿馬鹿しさを出した。DJスクリューはまったくその逆で、速度を落として再生して、お化け声みたいものを面白がった。ダブステップ世代になると、たとえばブリアルなんかは、バカみたいな甘々のラヴ・ソングR&Bの言葉を幽霊のような声に加工しているんですね。00年代以降のポップスの主流はR&Bなわけですから、日本で言えばエグザイルみたいな連中の曲の歌の断片をリエディットして、意味まで別にものにしているんですね。そのいっぽうで、R&Bの泣き虫(ウーピー)系は、カニエとかドレイクとか、オートチューンを使いまくっていました。ポップスのサボーグ化とういか、ポップスのなかで声の加工という領域がここまで盛んだったことは過去になかったように思います。昔は、ギターが生から電気になっただけで騒がれたほどで、声は生にとって最後の領域だったと思いますが、それがいよいよ大々的にサイボーグ化している。
 そういうなか、メデリン・マーキーは最新型です。彼女は、ヴォコーダーを使って小鳥のさえずりのような音を出すんです。かつて戦争兵器として使われたなんて考えられない、というようなすばらしい使い方です。僕なりに初音ミクに繋がるような、いろいろレコードやCD持ってきたんですが、これがまずその1枚です。
 もうひとつ、音楽作品というのが、ソフトウェアとなったというか、ソフトウェアとしての音楽作品というのを実践したのが、ビョークが去年リリースした『バイオフィリア』でしたね。これは、アプリとしても制作・販売しています。それによって1曲1曲をインタラクティヴに楽しめるというのが彼女のコンセプトでしたが、これは、ソフト開発というものが技術屋ではなくて、アーティストの仕事になっていくという事態を象徴する作品だったと思うんですね。この道ではそれこそモノレイクが先駆的に、ソフトウェアの開発者でありIDMの作家であり続けていますが......。そういえば、昔、ローランドの909の発案者に取材で会いに行ったことがあったんですが、開発者はふつうに社員なんですよね。でもこれからはそうじゃなくて、909を作った人がアーティストになるようなことです。
 それから、もうひとつ、ヴェイパーウェイヴという新しいジャンルがあって、これもある意味初音ミク的というか......、いや、ミクのジャンク・ヴァージョンのように思います。アメリカ人ですが、日本語を多用していて、それも適当な翻訳ソフトで翻訳したであろう、壊れた日本語になっています(笑)。
 ヴェイパーウェイヴのサンプリング・ネタのほとんどはユーチューブであったり、ネット上に落ちているものです。作品自体は凡庸で、とくに新しいわけではないんですが、ネット上の海賊盤の交流会みたいな感じが新しいんです。ヒップホップのミックステープと違って、自分の音楽の売り込みのためにやっている感じではないんです。むしろ売る気がぜんぜんないというか、まったくやる気がないというか、「がんばれば君もポップスターになれるかもしれない」という夢をいかがわしい虚妄として見せているようにも解釈できるので、反資本主義などと評価されたりするような、デジタル時代のカオスがあるんですね。しかも、外から見た日本のイメージがかなり偏ったカタチで流用されています。ヴェイパーウェイヴでは、日本のアニメやオタク文化は、健全なアメリカ社会がもっとも望まないであろう、忌まわしきアイコンとなっているようなんです。ミクはアニメじゃありませんが(笑)。とにかく、やってしまえという感じでやってしまって、いまいちばん意味を求めているシーンです。
 もう1枚紹介させてください。メイン・アトラクションズです。クラウド・ラップというジャンルに分類される、USのラップ・グループです。この「クラウド」という言葉はサウンド・クラウドとかのクラウドです。やはりいろんなところから音を引っぱってきて、ルーピングしたりする。ギャングスタなのに、パフュームなんかも使っているほどです(笑)。〈タイプ〉というUKのアンビエント系のレーベルからも1枚出てるんですけどね。
 サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。

佐々木:声から受ける情報は、人間にとって他の音とは比較にならないほど大きいし、重要ですから、エレクトロニック・ミュージックにしろ『声を扱える可能性』を持っていた時点でこうなる運命だったのだと思います。ヒップホップとか、ドラム+語りですしね(笑)。野田さんが言及されている声にまつわる音楽は自分にとっても興味深いです。ダークスターなどダブステップの拡散の中で、声の効果的な活用法というのは先鋭化されているのは音楽の流れとして必然と思いますし、メデリン・マーキーなどドローンのソースとしての声は、「動物の鳴き声」を掘り下げるような試みで、意味深に聴こえます。声の応用でサウンドメイクしているという情報と、波長が強調された音像が相まって身体的・肉感的な音楽に聴こえますね。まぁ妄想ですが(笑)。
 ヴェイパーウェイヴなど動画共有サイト時代のサンプリング感覚に関しては、おっしゃるとおりにもう時代は変わってしまっていて、情報=音源に関する認識も変わっていっているなと思います。もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。それが「初音ミク的」と呼ばれるのであれば、同時代的なのだろうなと。親戚みたいな感じでしょうか。

野田:高周波数のサンプリングが一般化していく一方で、ロービット・サウンド熱も高まっていますよね。チップチューンとかね、一部の人たちがゲームボーイで音楽を作りはじめました。むしろ8ビット・サウンドがかっこいいんだという。その種の反動というのは必ずあるもので、もしかしたら初音ミクを用いる人にも無意識にそうした傾向があるのかもしれないですね。エイフェックス・ツインがジョン・ケージをカヴァーするいっぽうで、ガバをやるようなものです。

佐々木:そうですね、そこは表裏になっているなという感じもしていて、ロービット・サウンドの前にも、パトリック・パルシンガーのバキバキに歪んだテクノとか、エリック・Bのモコモコしたビートとか、そこまで音を悪くしなくていいでしょう? というくらいダンゴになったようなサウンドの人たちがいましたよね。昔はそれ自体が作家オリジナルであり異端でした。ユーチューブからのサンプリング・コラージュも、たぶん15年前だと〈ロス・アプソン?〉とかが世界中から集めて売っていたような、変態的な(笑)人々の音楽、というような認識しかなかったわけで、変わりましたよね。昔は、アナログ作業的でマイノリティでしかなかったものが、いまだと別の意味性を帯びてコラージュされたりしているわけですから。
 とにかく、変な音とか、気になる音とか、音に対して行き過ぎた興味を持っていくと、どういうふうになるんだろう? という好奇心が自分のなかにはあって。自分はそもそも音に対する捉え方が狂っていたなと思います。そういうなかで、初音ミクというのは、それまで自分のなかでイメージしたことのなかった「機械による可愛い声」を目指したものでもあったんです。でも、その「可愛い」自体がちょっとズレていたんですけどね。自分がアニメなどのカルチャーに詳しい人間だったらいちばんには選ばないような、基本「歌わない」人をセレクトしたし、自分が声優ファンではないからこそ、テンションの低いディレクションをしたんだろうなとは思います。
 余談ですが、自分が聴いた声の加工のなかでいちばん怖かったのは、エイフェックス・ツインが竹村延和の『チャイルズ・ヴュー』のリミックスでやってたものですね。あのなかで、声のピッチをグニャグニャにいじってすごく綺麗でロリータっぽくしている部分がありますが、あれは狂気です。綺麗で可愛い声を、暴力的に扱っている感じが怖かったですね......。

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『D.o.A.』、ポルノ、初音ミク

(藤田咲さんの声は)「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。(佐々木)

次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど(鏡音リン・レン)、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。(佐々木)


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野田:なるほど。女性の声を選ぶときに、セクシーな大人の声か、ロリータかという選択肢があったと思うんですけど、少女っぽいほうにしたのはなぜなんですか?

佐々木:ロリータ系の声というのは、いっぱい聴いたんですよ。要は声優さんの声って、ロリータのヴァリエーションの宝庫だったりするわけなので......。いろんな声を聴きましたが、この藤田咲さんというのは、ある種、演じるというより少々感情的に声を前に出すのが強い演者さんで。「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。それが個人的にはおもしろいなーと思っていて。ある意味では、素人性みたいなものにフォーカスしたところがよかったなと思っています。

野田:そこに挑発はなかったですか? たとえばイギリスは、ロリータに対して厳しい国です。イギリスの友人が日本に来てモーニング娘。を観たときに怒り狂ってました。「ありえねえよ!」って(笑)。多くのイギリス人はAKBにも怒るでしょう。マッシヴ・アタックの3Dが反イラク戦争のデモに参加して、反ブレアを訴えていた頃、当局は彼を幼女ポルノ画像を集めていた罪で逮捕しましたからね。ドラッグよりもロリータのほうがスキャンダルなんです。

佐々木:初音ミクの次、2作目(鏡音リン・レン)を作っていたときに、頻繁に電話をかけてくる人はいましたね。次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。真剣に何度も説得されました。そんな電話対応の記憶もありますね(笑)。

野田:佐々木さん自身はどうなんです?

佐々木:それこそモーニング娘。があり、その前の東京パフォーマンスドールがあっておニャン子クラブがあってという流れ、「若さ」とか「生命力としての鮮度」を誇張するトレンドのなかで、ロリータというのは重要な記号にどんどんなっていっているんだろうなとは思います。コンビニエンス・ストアなんかに行くと、アダルト雑誌のコーナーなんてとんでもないことになっているわけじゃないですか。のどかな田舎も含めた日本全国。そういうものがすごくノイジーだなとは思いますね。自分が中学生の頃にレンタルビデオ店でデスファイルってのが流行ってたんですけど酷い国だなと思いましたね......(苦笑)。

野田:スロッビング・グリッスルの『D.o.A.』もそうですよね。あのジャケットは、当時イギリスではずいぶんと物議を呼んでいるんですよね。幼女のパンツ姿が映っていたからです。タブーだからこそ彼らはやったわけです。

佐々木:スロッビング・グリッスルって「脈打つ男根」って意味でしたっけ(笑)。小難しい空気もありつつ、小学生男子のスカートめくり的というか、直感的におもしろがってやっている風というか、彼らはファンキーですよね。それを喜ぶリスナーも、まぁ子供っぽいというか直感的ですよね(笑)。ストック、ハウゼン&ウォークマンで、おもちゃと性器がコラージュされているような、いたずらの感覚に近いと思いますね。そもそもノイズやコラージュと、ファッションやロリータ、エロって親密じゃないですか。カエルカフェの白石さんや、嶽本野ばらさんや、ディアステージの喪服ちゃんとか、皆さんそんな要素を持っている方が、90年代~00年代の東京アンダーグラウンドに根付いていた。
 たとえば実験音楽のCDショップに行ったらもっとひどいものあります。部屋のなかにレコードをざーっと敷き詰めて、その上で猫とか豚とかを殺しまくって返り血を浴びせまくった返り血レコードだったり、豚の頭の剥製で鼻ところにカセットテープがポコッとはまっていたり、っていうジャケットとかですね。刺激的で目立てばなんでも良い世界(苦笑)。自分は、10代の頃にサウンドアートにハマってしまった関係で、それはそれで表現の極北っていう感じがあったので......。全部、人間の所業として存在するものと感じます。 
 ただ、アートとしてのエログロと、コンビニでエロマンガだとかDVDだとかが無造作に並んでいるような状況は、それはまたべつの次元ですごいものだな、とは思っていて。そのあたり、インターネットで気軽に検索してはいけないワード(惨殺動画~グロ動画)とか、xvideos(何でもありのエロサイト)とか、いろんなものをキャーキャー喜んで見ることができるというような状況が一般的になっているのはアングラ文化ではないわけで。もしくは世界中がアングラを気にしないようになったんですよね......。特に日本は性的な興味関心の部分ではずっと先取りしていたんじゃないかなというようなことは感じます。CD-ROMが安くなった時点からコンビニにはハッキングまがいの裏ツール本とか、エロデータ本とか、そういうものが並んでいたわけですから。
 それに、日本のエロマンガとかのデフォルメの仕方もそうですよね。日本のなかの性的暴力と幼児退行みたいな感覚は、物心ついたころからそのへんに兆しがあふれていたし、音楽でもマゾンナやゲロゲリゲゲゲ、もしくはへーターズ的なアートもノイズ文化として一部で支持されていました。自分のなかでは、そうした極端な表現や破滅的な表現の傾向は、個人の好き嫌いに関係なく、すでに世のなかにあるものとして考えています。だから自由という暴力がまかり通るインターネットの時代に「目立てばなんでも良い表現」がクローズアップされてしまうのも、現状しょうがないし当たり前のものになっていくのだろうな......としか言いようがありません。

YouTube(=海)の向こうの初音ミク

インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。(佐々木)

野田:初音ミクは海外でもかなり多くの人に受け入れられていると聞いています。ライヴでも、アメリカや台湾ですごい人数の現地の人たちが日本語で歌っているとか......。

佐々木:これはほんとにショックですよ。日本のライヴよりも、アメリカや台湾のライヴのほうがお客さんが熱狂してるんですよ。日本人は比較的冷静というか、精鋭のファンたちが集まってるといった感じになってるんですけどね。日本では、みんなで作ってみんなで選別してっていう、ウェブ上でみんなが育てた実感のあるインタラクティヴなカルチャーが、台湾や西海岸の人たちには変なバイアスがかかってハイパークールジャパン(笑)みたいに受け入れられている。日本からとんでもないカルチャーが出てきた、みたいな感じですね。それに、インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。ユーチューブの再生数であるとか、ものの注目のされ方、ネットの構造みたいなところにそれが表れている。みんながどういうふうに時間を使っていくのか――学生は時間があるわけじゃないですか、そんな子たちが見ているものが、似てきていると思うんですね。世界同時に。自分もたまにユーチューブのアクセス解析みてみるのですが、初音ミクはやばいです......。

野田:やっぱ、エクストリームなものとして受け入れられてるんでしょうね。ホントに『D.o.A.』ぐらいに、キリスト教的な縛りから解放しているのかもしれませんよ(笑)。向こうのマッチョイズムは日本なんて比較にならないぐらいすごいから、その分、ナードなものがカウンターとして機能して、熱狂を生んでいるのかもしれませんね。

――いま佐々木さんがおっしゃったなかには、日本の中高生も海外のティーンの子たちも、ウェブで見聞きする情報に対しては同質な視線やリアクションを持っているのではないかという問いが含まれていましたが、そのあたりはどうですか?

野田:初音ミクがこの先、どこまで広まっていくのか興味がありますね。テクノは、00年代以降もさらに国境を横断しています。ジャカルタとか、イスタンブールとか、サンパウロとか、イスラエルのガザまで。ケン・イシイが海外のレーベルから出て、「テクノは国境を越えた」なんて言ってましたけれど、まだまだ欧米文化圏のなかでの話でした。それが最近はさらに多様な文化圏を横断しています。僕は初音ミクのグローバリゼーション......というと語弊がありますが、その広がりに期待したいですけどね。あれで世界中を腑抜けにさせるとか(笑)。

佐々木:まぁ、腑抜けという表現は鋭いですね(苦笑)。自分の立場でいうと、逆に従来のロックやテクノがいまとなっては真面目な硬いカテゴリー過ぎるんだと思うところがあります。今後、大多数の電子音楽が気になるような若者たちは、ゲーム音楽とテクノと初音ミクのエレクトロニカ風ポップスを区別しないでしょう。テクノには、チルアウトなアンビエントがありますが、リラックスする聴き方はあっても、ユーモラスだったり、ジョークだったり、もしくはプリティだったり、日常的な表現は少なかった気がしますね。 昔、電気グルーブがプッシュしていた、ポンチャックっていう、韓国のテクノ歌謡がありましたが、あんなテイストは本当に少なかった。ポンチャックのような、日本で言うところの嘉門達夫もしくは昔の電気グルーヴやスチャダラパーの言動のような「緩さ」や「日常のなかの感覚」は、いまの他のジャンルの音楽に本当に少ないですよね。それが、ニコニコ動画や初音ミク・カテゴリーではすごく上手く取り上げられていて、他のエンタメにない魅力の一部として確立されつつあります。ただただ、ひたすらに需要があったのだと思います。

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音楽カルチャーの敷居

同人音楽やボーカロイドなんかは、とっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。(佐々木)

だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。(野田)


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初回盤 通常盤

野田:佐々木さんの昔のインタヴューを読んでいたら、ムスリムガーゼという名前まで出てくるからびっくりしましたよ。その名前はよほどのハードコアなリスナーでないと出てこないです。「この人のテクノ愛はハンパじゃない」と思いました。彼らはマンチェスターのIDM系の人たちですよね。10年以上前ですが、イラン女子卓球チームのテーマ曲を作っています。イスラム文化の女性の服装規制に抗議するためにね。

佐々木:ムスリムガーゼは、本当にイスラムという文化的なコンセプトを最後まで貫き通していてカッコ良かったです。ヒーローですね。あの多作性も含めて個性が強すぎて、シーンとか、テクノ・カルチャーから切り離されているのもイイ。やっぱり自分はY.M.O.やクラフトワークからテクノを聴きはじめたわけではないんで、電子音楽の歴史観はちょっと狂ってますね。まず、『アンビエントワークス』とか、ピート・ナムルックとか、『ガーデン・オン・ザ・パーム』とかから超個人的な妄想っぽい音楽から出発していて(笑)。ベットルーム・テクノというより、夢のなかのグニャグニャしたエフェクト音を聴いていた気がします(笑)。「これは何なんだろう?」という驚きのようなものが根元にあるんですね。『高城剛X』って深夜番組でタンツムジークを聴けた変な時期(笑)。抽象的なものが尖っていてカッコイイんだなぁとも思ったし。クールにぶっ飛んでれば、作家として認められるんだーとも思いましたね。いま思うと結構勘違いですが(笑)。ともあれ、自分としてはテクノは自由で、発展途上の可能性があって、カッコイイ! とすんなり思えたんですね。これはとても重要だった。
 いまの若い子たちは、物心ついた頃からジャンルも細分化していて、いろんな名称で呼ばれるいろんな音楽があるわけですよね。しかも新しい手法的は結構出尽くしていて、テクノにしても『音の新しさ』『新しい流行』みたいな単純な評価軸は少なくなっている。しかもテクノやハウスのコア・ファンやメディアはコマーシャルな音や、ポップ過ぎる音を無視する風習もあるじゃないですか? なので、敷居の低いテクノ風のゲーム音楽やジブリのリミックスなんかから入った子が、気軽にジャンルにのめり込める環境がなかったりする。
 同人音楽やボーカロイドなんかは、そういうとっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。既成のシーンのような、すでに確立されてしまっているムラ社会に入りこんでいって評価されるのは難しいよね、っていう気持ちもあるでしょうしね。で、敷居が低くて、かつ面白い音楽やショートムービーが、動画サイトなんかで世界の一般向けに増幅されて伝わっていくという流れになっているのではないでしょうか。
 結局、アニメ・ソングだって、みんなが知ってるものだからみんなで盛り上がれるというだけであって、ジャンルではないです。初音ミクの曲だって、実際のところ初音ミクに歌わせなければならない曲なんていくつあるか知れたものではないんですが、ミクが歌っているという共通意識があればそこから入っていきやすくなります。それに初音ミクの曲は無尽蔵にありますから、それを網羅している評論家や、決定的な評価軸がないんですね。ですから、ミクを語るということについてはすごくゆるい状態があります。ミクについて、ボカロについて、自分の知っている断片的な情報から好きなことを言えばいい。そこが、若い人にしてみれば「ウザくない」ということになるんだと思います。その傾向が発展していけば、AKBがJ-POPビジネスを破壊したように、ボカロが20世紀ルーツの音楽評論の一部を破壊することにもなってしまうんですが。とにかく、若い人にとっては初音ミクの声が気に入らなくても、この音楽を聴くことはウザくないんです。それはもしかすると日本でも海外でもいっしょなんじゃないか。僕はそういう部分を「アリかもな」と思いつつ、一方ではさびしいなと感じています。

野田:商業的には大成功なわけですから、佐々木さんのなかにその葛藤があるのは、変な話ですが、良いですね(笑)。ヴェイパーウェイヴなんか、ポストモダン的な面白さはあるけど、音楽の快楽性ということで言えば、まあ、聴いてとくに面白いものでもないんです。僕の父は修行を積んだ板前だったこともあって、ずぶの素人でもマニュアル通りやれば料理として売れるファミレスのような文化には抵抗があります。だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。もちろん、だからといって、素人がモノを作るってことは、絶対に否定できないもので、僕も下手の横好きでしたが、音楽を作るのが好きでした。サッカーだって、観るのもいいけれど、下手でも自分でプレイすることも楽しいわけで、初音ミクのヒットは創作の快楽ともうまく結びついているんじゃないかと思います。

佐々木:テクノの価値基準は特殊で、オウテカなんかは現代音楽的だったり芸術的とも言えるわけですが、一般的な商業音楽って、いつしかTVドラマのタイアップで恋愛を彩るように仕組まれているものが多くなり、CMとか、アニメの主題歌や、メジャーなゲーム音楽は、ある種プッシュ型で大勢の耳に届くように構造設計されている。「よく聴く音楽って、どこかの企業が、リスナーというか消費者に聴かせるもの」になっているわけです。若者にとって刺激的でカッコイイとされてきた音楽が、メディアや代理店の都合で調整されているなんて、音楽とプロモーションの歴史的な難しい事情を知らない若い人からしたら、酷い話じゃないですか。自分はボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。視聴者が受け身になる商業音楽に対して、ネットの音楽は視聴者のストレス発散要素が高い。ボーカロイドの周辺のムードというのは、良い意味でしきたりが無いと思うんです。既存の音楽ジャンルでは上の世代の耳や先輩のアーティストを気にしながら、ジャンルに入っていこうとしても入口は狭いし、まず、先駆者や功労者が飯を食えるようなピラミッド型の仕組みになっている。それでいてメジャーなスポーツほど後続を育てて引き立てる仕組みになっていない。はっきり言っていまの若い人って才能があっても既存の音楽ジャンルの枠で活躍していくのはかなり難しいですよね。音楽に限らず、ダンスでも映画でも同じ。スポーツみたいに「身体の衰え」が表面化しないジャンルは、そういう傾向だと思います。
 ただ、ボーカロイドというのは、シンガー自体が虚構ですから、それを取り巻く付き合いがなく、しがらみが弱く、若い発想で何か表現をしたい人たちが、何かに入っていくためのポイントとして、可能性を見せてくれていると思っています。過去と未来を歴史的につないでいくような、積み上がっていくものじゃないもの――断片化して集合化して、それでもジャンルいうかテリトリーとして成立するような見え方・あり方というのは、今後重要になっていくのかなとは思います。

「コンセプチュアル」ではない、コンセプトを

ボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。(佐々木)

ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの 次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。(野田)

野田:三田格と『TECHNO definitive 1963-2013』を書いたんですが、テクノって何だろうって考えて、僕は、それは「聴覚の歴史」じゃないかと結論づけたんです。クラシックは譜面(作曲家)の文化、ジャズは演奏者の文化ですよね。レコード店でも演奏者別に区分けされています。ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。いま、ロンドンにハイプ・ウィリアムスという男女のふたり組がいます。インガ・コープランドというロシア系の白人女性とディーン・ブラントというアフリカ系の男性ですが、まず、ハイプ・ウィリアムスという名前は、すでに実在する有名な映像監督の名前なんですね。で、インガ・コープランドとディーン・ブラントという名前も偽名、昨年、『ワン・ネイション』というアルバムを出していますが、真っ白がレコードがあるだけで、タイトルも曲名は一切なし、盤にも「818/1000」といかにも限定版を思わせるシリアル・ナンバーが入っていますが、これもたぶん大嘘なんですよ。

佐々木:そこまで行くと徹底的ですね(笑)

野田:2012年は『ブラック・イズ・ビューティフル』というアルバムを出したんですが、そのタイトルはどこにも書かれていないんです。代わりに「エボニー」と書いてあります。すべてデタラメなんです、ひとつもたしかなものがないんですね。アイロニーとも解釈できます。彼らは、音楽性がどうかというより、コンセプトが面白いんです。さっき言ったヴェイパーウェイヴにも似ています。音自体やスタイルではなくて、コンセプトに新しさを注ぐというやり方は、これからもっと出てくるんじゃないかと思います。
 さっき佐々木さんがいまのテクノは敷居が低くないって意味のことを言ってましたが、たしかにその通りで、出てきたばかりのテクノは敷居がもっとも低いジャンルでした。それが20年経って、熟練の域にさしかかってしまっています。「うまい」「下手」というのが、素人にもわかるようになっているんです。敷居が低すぎるのも、古本屋がブックオフみたいになって嫌なんですが、テクノがブルースのギター教室のように制度化されたら、それはそれでマズいと思います。エイフェックス・ツインがガバをやるのも、いちどそれを破壊しないと、昔のような自由な感じにはなれないということをわかっているからでしょう。ホアン・アトキンスが、エレクトロにディストピアというコンセプトを加えたことでデトロイト・テクノが生まれたように、いまは新しいコンセプトが求められているんだと思います。

佐々木:パンクとか、ダブとか20世紀的なジャンル・コンセプトは確実に真新しさが無くなってますよね。定着したので当たり前ですけど。コンセプトは必須ではないと思いますが、どんなジャンルのエンタメでも一定条件を満たす「コンセプト」がないと新しい世代の若者にどんどん無視されていくような気がして気になります......。昔はテクノと言っただけで、一般の方もコンセプトは認識してましたよね。「低音がドンドンドンドンってやつ」みたいな。そういえば、当時聴いていたもので、日本で作られた、はっちゃけたコンセプチュアル・ミュージックとしては、アステロイド・デザート・ソングスっていう......

野田:あははは、すごい、よく知ってますねー(笑)。

佐々木:はい(笑)。あれは自分のなかで大きなショックのひとつなんですが、好きか嫌いかで言えば、最初はすごく苦手だったんですね。フリージャズなんかもそうですが、コンセプトが強すぎてクオリティが低い気がした。無音のレコードとかなると、もう訳がわからないし(笑)。

野田:決して新しいとは言えませんけどね。「コンセプチュアル・ミュージック」ということになると、それこそジョン・ケージは先駆者だし、マイルス・デイヴィスやPファンク、レジデンツやアート・オブ・ノイズ、ザ・KLF、それこそ今回の『増殖』もそうだと思います。

佐々木:ええ、ええ。なんというか、アステロイド・デザート・ソングスの話をさせていただくと、あれってすごくぐちゃぐちゃで、テンポも合っていなければ、バランス無視でベートーヴェンにエレクトロビートを勢いだけで乗せる、その上でチビ声ラップが乗る、でもグルーブ感は結構ヨレてる、みたいな音楽でしたよね(笑)。バンドとしては、ライターさんとかの集合体だったわけですけども、あのかたたちは、いろんな音楽を聴いてきた結果としてああいう音を鳴らしていたわけではなくて、おもしろいと思ったアイディアをごちゃまぜにしていったという側面のほうが強かったと思うんです。それは昨今で言うところのニコニコ動画的なものというか、2ちゃんねる的なものと、いまから考えればけっこうな類似性があったんじゃないか。コンセプトということをきいて、いまそんなふうに思いました。

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音楽とルーツの関係

DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。(佐々木)

カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

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佐々木:思えば過去にあったよねというアイディアはいくらでもあって、いまの音を新しいと思う瞬間は少なくなっていると思います。DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。逆に本格的に、DTMによっていろいろな楽器の音が、無秩序に自由になり、奏法を無視して扱うのが当たり前になったりすると、それはそれで可能性ではありますが、いろいろな音がデジタル・ツールの操作の中でのクリシェや、グリッドという範囲のなかで、印象が似てきてしまうというか、その人のルーツや血につながる空気感や身体感覚で合奏しているようなグルーヴの違い方というのは余り出てこないんじゃないかなという気がします。国境やルーツ、そもそも自分が根ざしていたという部分への意識が、今後薄くなっていくんだろうなと。そして、民族が薄くなっていくからこそコンセプトを欲してしまうというか。積極的にコンセプトを欲しがるのか、それとも自分のなかにルーツが無くなるから別立てしてコンセプトを持たなければならないのか、そうなるとしたら、ひょっとしたら初音ミクみたいなものに依っていかざるを得なくなるのか......ともかく、音楽ジャンルが、歴史で積み上げられた音楽内容や民族性ではなく、もっと個人の趣向的なコミュニティや、コミュニケーション・スタイルを指し示すワードになる気がします。

野田:ルーツっていうことで言えば、この先雑食化は進みつつも、なくそうと思っても失えないものもあるんじゃないでしょうか。変わってゆく同じモノは黒人音楽だけのものではないと思います。弘石君(U/M/M/A Inc.代表)みたいに、ロンドンに住んでもカツ丼を食べたがるのと同じようなものです。たとえばMIAってスリランカでしたよね。8歳でイギリスに亡命して英語を覚えても、スリランカ訛りだけは消えなかったというように、音節なんかにもそれは残るでしょう。
 クラフトワーク――本当はクラフトヴェルクなわけですが――とか、タンジェリン・ドリームとか、アシュ・ラ・テンペルとか、カンとか、あの頃のクラウト・ロックのバンドの名前は、みんな英語の名前ですよね。曲名も英語のタイトルが多い。そのなかでクラフトワークは、全部ドイツ語の曲名だし、デザインは思いっきりバウハウスで、いかにもジャーマンでインダストリアルなスタイルを持っていた。それで当時はドイツ国内からの批判もあったそうですね。カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?

佐々木:言葉の音韻は影響しますよね。日本人である以上、ジャパニーズ・ヒップホップの呪縛ように、大勢の日本人に対して主義主張がそれと認められるには、分かりやすい日本語であることは決して避けられない。ポルトガル語の歌がどんなに音楽的に美しくても、歌が言葉である以上、声が綺麗なことより「意味が読み取れないデータ」ってことになっちゃいがちですから。初めの話に戻りますが、たとえば竹村延和さんは、ずっと子どもをテーマにしていくわけですけれども、そこには子どもや鳥の鳴き声のなかにしかない暴力性や無(無邪気)の感覚、あるいはアジアのにおけるイタコや巫女のようなもの、アメリカ等とは違うニュアンスでの処女みたいなものをどう見ていくかという。日本人は無意識の世界などにドラマを感じ続ける。考えても終わらない、むしろ妄想的になっていく日本人文化の流れを感じるんですね。 テクノで言い換えると、ケンイシイさんの『ガーデン・オン・ザ・パーム』で「え、何これ?」って思って、フレアを聴いて「抽象的なすごさは、何なんだろう?」、『グリップ』を聴いてテンポ・チェンジが激しい曲でさらにわけがわからなくなって、『リ・グリップ』を聴いて、竹村さんが出てきてグリップの音源を暴力的にスクラッチしてて「ああ、もうダメだ」と......

野田:はははは!

佐々木:そしたら『メタル・ブルー・アメリカ』になって、「ああー」と納得できた(笑)。とても頭のいい人が作った音楽で、商業音楽にもなるんだと。日本の音楽レーベルは前衛芸術家を育て続けるのかと思った(笑)。
 音楽と作家のルーツ文化という観点でインドで切り取ると、タルビン・シンなんかは直接タブラを持ち出すわけですが、ケンイシイさんが当時アンビエント作家として推薦してたベドウィン・アセントは、直接そこには行かないで、先にドローンやアンビエントをやって、〈ライジング・ハイ〉の流れでドラムンベースともドリルンとも言えない妙にパーカッシヴなビートを作っていて、「個性的過ぎるけど何なんだろうな?」と思っていたらインドの音楽がスパイス的に効いているんですね。DJオリーブ、ラプチャーなんかが実践してますけど、一段階、溶け込んだかたちでルーツが出てきているようなものが、これからもっとネットを通じて見えてくるようになるのかなと思います。あと、前情報でインドって強く思うとインドにしか聴こえないわけですよ、マハラジャみたいなイメージが付きまとう。日本人=芸者とアニメみたいな(笑)。オリエンタルが良い悪いじゃなくて、オリエンタル文化はインパクトが強すぎてイメージを支配をする。絶妙のバランスじゃないと料理できない。北海道の羊料理みたいな。

野田:いま、2012年に、ベドウィン・アセントの名前を聞くとは思わなかったです(笑)!

佐々木:はい(笑)。彼は「インド人でござい」と出てきたわけではないし、そういうふうにはならなかった。あくまでルーツのようなものがにじみ出ているというだけです。またそもそもインドの音楽の発想がアンビエントと似ているということもあります。

野田:ああ、それを言えばテクノ全般もそうですよね。クラフトワークの『マン・マシーン』のエンジニアって、アメリカの人で、たしか黒人なんですね。その人はクラフトワークの音を初めて聴いたときに、黒人だと思い込んでいたらしいんです。で、会ってみたら白人が来てびっくりしたと。あんな真っ白な音が、黒い耳には黒く聴こえてしまうという音のマジック。音楽の伝わり方はつくづく不思議ですよね。

佐々木:ええ。グルーヴやノリの話もとても深いですよね。でも逆にクラフトワークやベドウィンみたいな自身のルーツに対してストイックな音楽もあれば、一時期のビル・ラズウェルみたいに「とりあえずヤバい民族楽器のフレーズにディレイかけた音をカブせればいいじゃん。ワールド・ワイドで斬新な音楽じゃん?」というようなものもあって。音って、テンポやキーさえ合わせてしまえば混ぜられるというようなところがあると思うんですけど、そのなかでも音響に寄っていく律儀なやり方もあれば、にぎやかしを優先してエスニックな要素を入れていくというやり方もあるわけですよ。
 で、音楽ってかつて何度となくミクスチャーされてきたものだし、80年代のリヴァイヴァルなんかも、もうリヴァイヴァルとは呼べないようなレベルで溶けてしまっていますよね。僕はそういう意味で、ネット時代で、音楽が飽きられたり、再発見される......といった、リヴァイヴァルの2周め以降、限りなくミクスチャーが進んでいってグルグルグルグル混ざるのだろうなと思っています。実際に音や聴かれ方がどうなるということはわかりませんが、インターネットなんかを介して、感覚的にも、概念的にも、音楽を作る人のハードディスクにデータがどんどんたまっていって、時間が膨れ上がっていって、俯瞰してみるとひとつひとつ粒が小さくなっていく......そうすると最後にいったい何がもたらされるのか。それとも、文化を意識することと、音楽を楽しむこととは、近かったけど、また別のことなので、それぞれは別軸に進んでいったりもするのかな? とか。なんかTTPとかとも無関係じゃない時代の流れなのかな? とか。

いま、なぜ『増殖』なのか

坂本龍一さんはオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。(佐々木)

サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も笑いがない音楽は嫌いです。『増殖』にはそういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。(野田)

――最後に、この『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では企画段階から佐々木さんも制作にご協力されていたということですけれども、いかがでしたか? ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βヴァージョン)も貸し出されているとのお話ですが。

佐々木:まず『増殖』に関してですが、そもそも坂本龍一さんなんかは一時的ではなく、70年代からいままでずーっとコンセプトに意識的な方ですよね。リアルな未来派と初音ミクって結合はそもそも面白い切り口なんだと思います。彼はオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。それは彼が『未来派野郎』とかでやろうとしていたことなどに、おそらくどこかで結ばれている。しかも音像としてのぎこちなさがおもしろいというような感覚は、あのときに出揃っているというか、そのプロトタイプではあったんだろうなと思いますね。

野田:日本社会のネガティヴな伝統のひとつとして、なにかというと陰湿な、ウェットな方向に進みがちになるということがありますが、『増殖』には、そういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。しかもけっこう、ブラックで、危険な笑いです。だいたい、『増殖』とは、わかりやすく喩えれば、忌野清志郎にとってのタイマーズですからね。僕にとっては、唯一リアルタイムで買ったY.M.O.の作品でした(笑)。サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も基本、笑いのある音楽が好きです。“アナーキー・イン・ザ・UK”は笑い声ではじまっているし、ドレクシアにだって笑いはあります。話は逸れましたが、『増殖』には当時としては画期的な笑いがあったと思います。

佐々木:はい。これは日本のポップスの枠で成立した実験音楽作品だと思います。そして笑いもニヒルさも含まれている。だから『増殖』は圧倒的に異端でヤバい。正直なところ僕はY.M.O.をそれほど好きだったわけではないんですが、何だったのかということを考えると、やっぱり時代を解きほぐした発想のセンスであったり、そういうものをうまく配して、コンセプチュアルに固めていたところかなと思います。HMOさんの『増殖気味』もその辺りは、SF作家の野尻抱介さんを迎えるなどしてアップデートされているのが、挑戦的で素晴らしいと思います。デトロイト・テクノとかのほうが黒人とか宇宙とかコンセプトがストレートだったなと思うんですが、こういう社会風刺的な部分もふくめた音楽のあり方というのは、初音ミクとも繋がってくるし、音楽に何か一枚、かぶせてるなと思うんですよね。いまはとにかく人を惑わせるものが多く、鬱屈していて先が読めないみたいな、情報社会の弊害が大きくなっていく時代で、『自分にとって楽しいコンセプト』を求めている人たちは、案外いっぱいいるのかなと思います。まぁ、AKBなんかも音楽中心かどうかはともかく、完全にそうですよね......。

野田:AKBとか、僕はホント、いまだによくわかっていないんですが、洋楽がいまほど売れない、聴かれないということは、当たり前ですけど、かなりの問題意識があります。音楽について書いている人やメディアが極端に邦楽に偏っている状況に問題があると思います。今回の司会をやっている橋元優歩なんかは海外旅行に興味がないそうですが、先進国で海外旅行に興味がない国といえば、アメリカです。多くのアメリカ人はまた、海外の音楽も聴きません。しかし、アメリカの若い世代はインターネットの普及で、上の世代が聴かなかったクラウトロックやテクノや日本のロックを聴いています。逆に日本の若い世代が古いアメリカのように、洋楽を聴かないようになってきているとしたら、なんだか内側で妄想に耽っているようで、すごくマズいんじゃないかと思います。僕の世代の女性の多くは、洋楽を聴いていれば、ほぼ間違いなく、大胆に海外に出かけています。女性が海外文化の紹介者でもあり、媒介者でもありました。DJのマユリちゃんなんかその代表格で、日本にテクノを紹介したのも、実は女性たちの力も大きかったんです。あの頃活躍した女性が、現代では、初音ミクになっているのでしょうね。だから今回、こうして、ミクの力を借りて、ちゃっかり洋楽をアピールさせてもらいました(笑)。

佐々木: 女性の大胆さと適応力は推進力になりますよね。弊社の海外担当もみな女性です。また、自分もいま、ソニー・ミュージックで〈ソニーテクノ〉の立ち上げに関与し、当時のアンダーワールドから〈ワープレコード〉までを相手に、様々な交渉や調整などを担当していたレーベル・マネージャーの女性の元でプロモーション戦略についての勉強させてもらってるんです。当時の音楽と洋楽の繁栄を成功体験として知っている人に学ぶところはいまだからこそ大きいと思います。
初音ミク現象については、2005年くらいからいまにかけて、ネットの進化と相まって、音楽の聴かれ方が大きく変わったと思っています。エレキングを0号から読んできて、テクノを軸に文化的なことや音楽に関する考察の面白さを教えてもらった人間として、テクノ専門学校の卒業生として(笑)、このいまのネットの状況には思うところがあるし、野田さんと対談させてもらって、趣味としてライフワークとして音楽×社会のことは意識し続けたいと、対談を通じてあらためてそう思いました。ボーカロイドや音声合成ソフトもリアルになるでしょう。それこそドラム音源ソフトのように一聴すると生か機械かわからないような時期が、早ければ10年後には来ると思います。声って複雑で感情的で神秘的ですらあったわけですが、それがデータになって揺らいできてる。音楽のなかの楽器やルーツ文化という記号が、もっと溶けてしまうこの時期に、楽器って何だったんだろう? 声って何なんだろう? ってことを、初音ミクを通じて考えたり、感じたりするのは来るべき時代の文化にとって予兆になりえると思います。それこそ90年代に、高橋健太郎さんらが、ハードディスクや音楽データを題材に語っていたわけで、日本人が未来を信じていた頃にサスペンスと思い込みたかったような予言が、初音ミクといっしょにちらほら現実化してきていると痛感しています。

My Bloody Valentine - ele-king

 ざばあっと海水がスローモーションで跳ね上がり、巨大なシーラカンスが現われる。
 1曲目の冒頭で、脳内スクリーンにそんな映像が映し出された。
 なんでこんなに変わっとらんのだ、この人たちは。
 この曲の題名には、"現われ出でたるシーラカンス"が相応しい。しかし、この雄大なシーラカンスのテーマは、22年のときを経て発表するアルバムの冒頭としては、全年齢層のリスナーをびっくりさせる上では有効かもしれない。実際、わたしなんかも狼狽してマグカップを落としそうになり、体勢を立て直して大笑いしたではないか。と思いながら2曲目に進む。
 と、そこでもざばあっとスローモーションで海水のしぶきが上がっていた。

 英国では、『mbv』のリリースは、ボウイ新曲発表のインディ界ヴァージョンのようなものだった。しかし、どちらが熱いリアクションを呼んだかといえば、『mbv』だ。『ガーディアン』は出血絶賛状態だ。しかも、レヴュー文がやけに長い。書き手の年齢的なものもあるのだろう。一般レヴェルでも、リスニング・パーティをオーガナイズした個人やバーがあったと聞いている。ミドルクラスのインディおやじたちにとっては格好の週末イヴェントだったのだろう。そういえば、最速でレヴューをあげた媒体のひとつは『ファイナンシャル・タイムズ』だった。

 しかし、どうしてこのタイミングなのだろう。
 UK版『ハフィントン・ポスト』にときどき時事ネタを書くおっさんになっていたアラン・マッギーが、昨年5月に「本を書いたり、映画を製作したり、絵を描いたりする暮らしも気に入っているが、音楽業界に戻るかもしれない。日本の人びとと話をしている」と書いていたが、どうやらその「Tokyo Rocks 2013」のブッカーの仕事で思うところがあったようで、年末には「新レーベルを立ち上げたい」と宣言した。そして、「Tokyo Rocks 2013」のヘッドライナーはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインらしい。これらの動きと『mbv』は、おそらくリンクしている。ファンにせっつかれてどうしようもなくなって、というのはいまいち説得力に欠けるし、浪漫派の人びとが言うような、シューゲイズ・シーンを爆破終結させるためのアルバムなら、2013年じゃないだろう。
 あるいは、ギターの時代が戻ってくると騒いでいるUKメディアや、80年代末から90年代初頭のようなファッションで歩いている若者たちを見て、ざわざわ血が騒いで踊り出て来てしまったのだろうか。

 4曲目から唐突に曲調が変わった。
 キーボードがピロピロいっている。でも、これだけ? 6曲目も衝撃的だ。単なるクリアーなインディ・ポップだからである。後からもっと加工して創意工夫するつもりで、かったるくなったんだろうか。いや、22年もかけといて、面倒になったはないだろう。新譜は『Isn't Anything』のほうに近い。とケヴィン・シールズが言っていたのを読んだが、でも、それにしても、なんかちょっと、デモテープみたいで。

 現在のケビンの風貌は、スクラッフィでいかにもアイルランド人だなと思う。アイリッシュ・ロックのコンピレ・アルバムでは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは常に除外されているし、ダブリンで結成されたこと自体、知らないアイルランド人が多い。若き日のケヴィンがダブリンでアドバイスを乞うたのは、ヴァージン・プリューンズのギャヴィン・フライデーだった。
 「Get the fuck out of Dublin for a start」の彼の一言で、ケヴィンはアイルランドを後にする。
 だが、いまのケヴィンみたいな、どうでもいいようなセーターやシャツを着て、クレイジー・プロフェッサーみたいな髪型をした、もう音楽以外には何もないというような、ダブリンのおっさんを何人か知っている。新曲ができたんだよ、と聴かされるたびに、若い頃に聞かされた曲とまったく同じなのが彼らの共通点だ。2年も20年も大差ないような、溶解するダリの時計が刻むような時間があの辺りには流れている。

 7曲目で、お。と思った。8曲目はヴァージン・プリューンズを思い出した。最後の"Wonder 2"がいちばん好みだ。とり散らかっているが、勢いがある。何故これを冒頭に持って来なかったのだろう。
 ざばあっと現れ出でたるシーラカンスが、帰り際になって、波間でちょっとした躍動的な暴れを展開して海中に戻って行った。
 全編を通じて映像の手ブレが激しかったため、わたしはまだ船酔いしている。

〈StarFes.2013〉に期待できること! - ele-king

斎藤:僕が怪獣エレキングだぞー、ガオー! エレレレレレレレ! チュドーン!

菊地:もう1月も終わってしまったのに、なに言ってんだよ斎藤くん!

斎藤:いやいや、盟友・菊池くん! 僕は昨年のトラックスマン来日公演でクラブ遊びしたとき信じられないほど楽しかったのが衝撃的で、それ以降も友だちとイヴェントで踊ったり遊んだりする楽しさもあらためて体感できたから、いろいろ音楽の鳴る方へガオーっと出没できたらなって思ってるんだよ。

菊地:それだったらさ、この〈StarFes.2013〉(https://star-fes.net)っていうイヴェント知ってる? 

斎藤:いやー、まったく知らなかったな。昨年からやってる新しめのイヴェントなのか。自分でイヴェント企画をしたり、いまもいろんなライヴ会場で手伝いをしている菊地くんから、おすすめポイントを教えてくれよ。

菊地:実は僕も〈StarFes.2013〉のことを知らなかったんだけど、3月23日(土)に、神奈川県の川崎市にある東扇島東公園で開催されるイヴェントらしいんだ。

斎藤:ああ! その公園って、僕が第0回目の〈フリードミューン〉でアルバイトしたところじゃないか! 実はあの日、現場の公園にいたんだ。本当に大変な荒天で中止になっちゃったけど、ロケーションがとてもいい公園(☆1)だったことを鮮明に覚えてるよ。高い建造物も周りになくて、空が広いんだ。海を臨んでいて、地面も原っぱで、コンクリートの道もあって会場はほどよい広さだから移動もしやすいし。あそこでフェスが開かれるなんて、最高に気持ちよさそう。あの場所で音楽浴びながらビール飲みたい!

菊地:そうそう、野外なんだよね!

斎藤:あのきもちよい野外で10時開場/11時開演か。 最高だな! 土曜の朝から公園でビール飲めるなんて! バイト先のチーフがたまに「幸福ってなんだっけー」って歌い出すんだけど、幸福とは休日の午前から飲むビールでしょ(☆2)!

菊地:それ推すね(笑)。そういえば僕も去年、相模湖で開催された〈XLAND FESTIVAL〉に遊びに行ったんだけど、神奈川県ってそもそも音楽のイヴェントが開催されるようなイメージがなかったから、まずそれだけで新鮮だと思ったし、興味が湧いたんだよね。単純にどんな場所でやるんだろうっていうかさ。

斎藤:そうなのか。近すぎて盲点だったのかもしれないね。

菊地:っで、実際に行って感じたのは、新潟みたいな大自然ではないけれど、ローカル過ぎないし、そのバランスがとにかく素晴らしかった。神奈川っていうのは、実はすごくフェスに適した良い場所なのかもって思ったね。〈StarFes.2013〉も神奈川県だし、そういう環境に適したイヴェントを期待したいな!

斎藤:「都市型音楽フェス」と謳っているだけあって、東京やその周辺からなかなか遠出しづらい人たちといかにフェスを作り上げていくかを考えているみたいだね。おまけに今回の会場最寄駅の川崎駅は、品川駅から約10分前後で行けちゃうようなところだから、都心からのアクセスのしやすさといったら半端じゃないよ(☆3)。駅から会場の公園までは無料シャトルバスも出るみたいだし。

菊地:そもそもフェスっていろんな楽しみ方を自由に選択できる場所なんだけど、いわゆる、有名な大型のフェスって良くも悪くも詰まってるというか、余韻に浸る隙間があまりない気もするのよ。出演するアーティストがたくさんだから、疲れちゃうけど観なきゃっていうかさ。

斎藤:それは本当に言えるね。疲れを乗り越えたり無理をしてこそフェスっていうわけでもないし、ほどよく楽しみたい人がちゃんと満喫できるイヴェントがこうしてあるのはいいことだよ。会場も広すぎないし。なおかつ、“日本一早い夏フェス”っていうのも、つまりはその解放感を打ち出していきたいっていう意識なのかな。開催日は立派に春だから、暖かいといいなー。ビール、ビ--ル!

菊地:〈XLAND FESTIVAL〉はステージが少ないぶん、ポイントが分かりやすかった。だから昼から遊びに行っても全然疲れなかったもんねー。同じくらいの規模だし、そういうの期待しちゃうなー。

斎藤:アクセスが良くて、野外の公園で昼からきもちよくビール飲めて、ライヴやDJが観れて、申し分ないね。都心からのアクセスのよさもあるし、昼から遊んで土曜の夜遅すぎない時間に帰ることもできるだろうから(☆4)、次の日に負担がかかったりしないのはありがたいね。終わった後ゆったり余韻に浸ることもできれば、そのままどこかまた遊びに行ったりもできるじゃん! 僕は友だちといっしょに気軽に遊びに行きたいかな。パーティーをハシゴできるー! HoooooooooooooOOOOOO!!!!!!!!!!!!

菊地:ちなみにさ、前売り券の値段いくらだと思う?

斎藤:いやー、気になるのはそこだけだよ、マジで。ラインナップは有名どころ多いし、海外のアーティストもけっこう来てくれるみたいだし、安くて7000円とか、そのくらいなんでしょ。お金のことは考えないようにしてここまで会話が弾んでたのに......。

菊地:なんと前売3500円なんだって! これってクラブと同じくらいの値段でフェスに参加できる(☆5)ってことだよ、つまり!

斎藤:マジかよ! 安いな、おい。 普段の小さなライヴとかクラブと変わらない入場料でフェスが楽しめるのか! しかも出演アーティストは大物揃い(☆6)じゃん! ジャザノヴァとか、渋いとこ押さえてるよなー。 Pヴァインから昨年に出たポール・ランドルフのアルバムは部屋でひとり笑っちゃったほど気持ちよかったし。セオ・パリッシュも昨年の来日公演が観れなかったから楽しみだよ。

菊地:斎藤くんからみて、他にも気になるアーティストってなんだろう?

斎藤:日本のアーティストも有名どころが出るよね。regaやmouse on the keysのようなインストロック勢だったり、AFRAとDaichiのヒューマンビートボクサーとしての競い合いにも期待できるかな。DE DE MOUSEDJ KENTAROのようなエレクトロニック/ダンスの趣もあるし、昨年のロンドン五輪の公式イヴェントでヘッドライナーにもなったフレンドリー・ファイアーズが日本でのDJでなにをかけるか楽しみだな。あとは、HIFANAを観たい! 僕がいっしょにラップをやってる友だちもHIFANAのサンプラー演奏を観てヒップホップを作りたくなったって言ってたし、いまどんな衝撃を与えてくれるかが楽しみ。昨年開催された、〈StarFes.2013〉出場権をかけたコンテスト・イヴェント〈StarExhibition.2012〉を見事勝ち抜いたregaとDaichiの2組も楽しみだね。若手(Next Star)枠として出場するわけだけど、大御所に囲まれるなかでどう勝負に出るのかってのも見所だろうね。電気グルーヴ昨年のエレグラでも人が多すぎてフロアに入れなかったから、ちゃんと観たい!
 ふだん小さいイヴェントにしか行かない僕みたいな人間は、有名なアーティストの音楽とかライヴって実は知らなかったりするから、ぜひこの機会に楽しみたいな。

菊地:本当にこういうフェスこそ、まだフェスっていうものに行ったことがない人に是非参加してもらいたい(☆7)。

斎藤:いやー、いいこというね。菊地くんもいっしょに音楽浴びながら昼からビール飲もうよ。

菊地:ねえ、斎藤くん、それ言いたいだけでしょ!

斎藤:夜は川崎の隣駅、飲み屋がたくさんの蒲田で食って飲もう。あるいはハシゴでクラブでもいいよ! 僕はギャングスタだぞー、ガオー!


☆1:会場が野外の公園で、ロケーションが快適。

☆2:土曜の昼前から音楽とお酒がたのしめる。

☆3:都心から驚くほど近くて、アクセスがよい。無料シャトルバスもあり。

☆4:土曜の昼にはじまり、夜遅すぎない時間に帰れるので、祭りのあとのほどよい余白がある。

☆5:前売り券が3500円ととても良心的。普段のライヴやクラブと変わらない値段でフェスに参加できる。

☆6:出演は有名どころ多数。海外のアーティストもおもしろいところを押さえてある。

☆7:フェスをふだん敬遠しがちなひとも気軽に参加できそう。初心者にもおすすめ。



出演アーティスト紹介

■The Orb
1993年、英国のグラストンベリー・フェスティヴァルの土曜日のトリがジ・オーブだった。数万人をいちどにトランスさせたそのときのライヴは、伝説となっている。さて、ジ・オーブことアレックス・パターソンは、説明するまでもなく、アンビエント・ハウスのオリジネイターで、テクノの大ベテランとして長きにわたってシーンに君臨している......君臨? いや、仰々しいと思われかもしれないが、もうそう言って良いだろう。初期の2枚のアルバムはリマスリングされ、再発され、昨年はリー・ペリーとの共作でも話題になった。ダンスのビートとダブの空間、トランシーで色とりどりの電子音。ある意味では、ジ・オーブこそ野外に相応しいと言えるだろう。ソロ・アーティストとしても人気の、トーマス・フェルマンももちろん参加。つまり、完璧なジ・オーブである。(野田努) 

■電気グルーヴ
彼らは、変な話だが、アウェイ感のある場にいくと力を発揮すると言われている。昨年のエレクトラグライドが良い例である。そういう意味では、今回は、どっちなんだろうか......、アウェイというよりもホームに近い、よりホームに近いアウェイと言えるのだろうか。ともかく、今年は新作を出すんじゃないかと期待されている日本のテクノ・シーンの、いまだ主役をはっている電気グルーヴの出演は心強い。大きな会場でのパフォーマンスも保証済み。ナンセンスと笑いと、そして昨年のエレグラではイタロ・ディスコめいた(ジョルジオ・モロダーめいた)ビートで会場を100メートル押し上げている。今回のフェスでもみんなを満足させる請け合いである。(野田努)

■FRIENDLY FIRES
2007年のシングル『パリス』の衝撃は、2000年代のリアルなインディ・ロック・リスナーには深く記憶されていることだろう。ダンス・オリエンティッドなロック・バンドの最新鋭としてマーキュリー・プライズにノミネートまでされたUKの3ピース。ニューレイヴと呼んで親しまれた多くのバンドのなかでもひときわ輝く存在だったが、とくに彼らのバレアリックなフィーリングはセカンド・アルバムにおいてさらに突き詰められ、シカゴ・ハウス・リヴァイヴァルの気運へもつながっていくこととなった。DJセットには、ミックス・アルバム・シリーズ『Bugged Out!』で見せたような正統的なダンス色に加え、もともとのロック的な出自が反映されることもぜひ期待したい。 (橋元優歩)

■JAZZANOVA feat. PAUL RANDOLPH
ベルリンのクラブ・ジャズの大ベテラン・チームで、昨2012年は、久しぶりのアルバムを発表。健在ぶりを証明している。ヴォーカルとベースで参加するポール・ランドルフは、年季の入ったアーティストで、ムーディーマンのレーベルからも作品を出している。ソウルフルなグルーヴで、会場を温めること請け合いだ。(野田努)

■Theo Parrish
もっとも影響力の高いデトロイト・ハウスのDJ/プロデューサー。それがどれほどのものかといえば、フォー・テットやカリブーに影響を与えているほど。ハウス・ミュージックといっても極めて実験性が高く、エディットから音響加工まで、ほとんどサイケデリックな領域で語ってもいいほどのインパクトを持っている(ゆえに、ロック・リスナーにもファンが多い)。彼の黒いグルーヴを体験しよう。(野田努)

■80KIDZ
東京のクラブ・シーンを大いに盛り上げてきた80KIDZが堂々のスター・フェス 2013出演決定! 笑みを浮かべずにはいられない、まるで魔法のようなユーフォリック・ハートブレイクなメロディーや、刺激的でヴァリエーションに富んだリズム・パターンは、僕やアナタを惹き付け、時間を忘れさせてくれること間違いなし! 年内4枚目のアルバム・リリースを控えている彼らに今一度注目だ! 80KIDZで踊りましょう!(菊地佑樹) 

■DJ KENTARO
 13才頃からDJを始めて、その7年後にはバトルDJの世界大会(DMC WORLD FINAL)でアジア人として初の1位を獲る......人の活躍に年齢は関係ないとはいえど、それはたとえばDJケンタロウのように実際活躍している人がいてこそ説得力をもつ言葉だろう。ヒップホップを根っこに持つ英国の〈ニンジャ・チューン〉から昨年もアルバムをリリースし、海外をツアーしている。日本国内のシーンを俯瞰できる確かな認識を本誌インタヴューでも語ってくれていたが、昨年におけるダンス・カルチャーの盛り上がりを経て、この2013年の春にどういった展開への導きを披露するのか。(斎藤辰也)

■DE DE MOUSE
サンプリング・ヴォイスが、キャッチーで明快かつ重層的なシンセリフと重なり、煌びやかな演出が神奈川の会場を包んだとき、僕らは夢を見るだろう。DE DE MOUSEが作り出すユーフォリックなサウンドには、どんな深い孤独も、まばゆい光に変えてしまう希望がある。そう、あとはビートにあわせて踊るだけ。感情を解き放った君にはきっと最高の体験が待ってるはず。日本で一番早い夏フェスで、日本で一番早い感動を!(菊地佑樹)

■HIFANA
 ハイファナのふたりを観て、少年が自分でもビートを作りだす。ポスト・モダンだとかシーンの細分化とはいっても、原体験としての衝撃を与えうるにふさわしいほどハイファナの提示する姿はシンプルだ。そこにあるのはMPCだけ、でもないが、スクラッチ/パーカッションの演奏/ノブを回す......なかでも、やはりMPCのパットを叩く光景は、楽器が最高のおもちゃであることを教えてくれる。ユーモアあふれる映像へのこだわりも、自分たちのあまりにもシンプルな姿のライヴをいかにショーとして、観客を楽しませるか、そしていかにより自分たちも楽しむかを考えてのものだろう。このいい循環しか生まないサービス精神をもつユニットも、デビューから10年経つ。(斎藤辰也)

■AFRA
 ケンタロウのターンテーブルもハイファナのMPCも、それはヒップホップの姿として非常にシンプルなものだが、やはりこのヒューマンビートボックスという形態以上にシンプルな姿はないだろう。それは広くビートを持つ音楽のなかでも最もシンプルだ。人がいるだけなのだから。2004年、アフラがテレビに登場した時の衝撃は、やはり忘れられがたいものがある。ヒューマンビートボックスを日本に驚きをもって認知させた彼は、昨年、曽我部恵一とも手を組み、ヒューマンビートボックスの繊細な息遣いを打ち出している(なかでも、はっぴいえんどの“春らんまん”での逆回転はナイスなアイディアだろう)。フェスティヴァルのなか、どんなステージをつくるのだろうか。(斎藤辰也)

StarFes.2013
開催日 2013年3月23日(土)
時間  OPEN:10:00 START:11:00
会場  東扇島東公園(神奈川県 川崎市)
出演
*第三弾発表アーティスト
THE ORB / 電気グルーヴ / Theo Parrish / 80KIDZ / [Champagne]

*第二弾発表アーティスト
FRIENDLY FIRES -DJ SET- / JAZZANOVA feat. PAUL RANDOLPH / DJ KENTARO / DE DE MOUSE

*第一弾発表アーティスト
mouseon the keys / HIFANA / AFRA / rega / Daichi  and more !!

料金 
前売:3,500円(税込)
・イープラス
https://eplus.jp/starfes2013
・チケットぴあ
https://pia.jp/t/starfes/
・ローソンチケット
https://l-tike.com/starfes/

お問合せ:Zeppライブエンタテインメント 03-5575-5170 (平日13時~17時)

主催:StarFes実行委員会
企画:Zeppライブエンタテインメント
制作:インフュージョンデザイン / turquoise / TOW
特別協力:YME事務局
後 援:「音楽のまち・かわさき」推進協議会/公益社団法人 川崎港振興協会/川崎港運協会

注意事項
※当イベントは、20歳未満の方のご入場は一切お断りさせていただいております。
チケットご購入の際は十分にご注意ください。
※当日、入場の際に全ての方にIDチェックをさせていただきますので、運転免許証・パスポート・住民基本台帳カード(写真付きのみ)・外国人登録証のいずれか(コピー不可)をご持参ください。
※出演アーティストの変更等による払い戻しは行いません。
※雨天決行・荒天中止
※会場に駐車場はありません。川崎駅からの無料シャトルバスでご来場ください。

 ありそうでなかった。とはこういうときの言葉だ。フリーペーパーにライヴハウスのスケジュールが並んでいるのは目にするけれど、ライヴハウスに行こうというときにフリーペーパーを開いていることはあまりないだろう。だいたい、そういったフリーペーパーをパラっと開くときはだいたいがライヴハウスにいるときだし、持ち帰らないし......。
 「DIY/ALTERNATIVE TEAM(組合)」を標榜する〈DUM-DUM LLP〉が、「LIVEHOUSE N.O.W.」の正式版を2月8日(金)に開設する! ベータ版である厳選された数か所のライヴハウスの週毎のスケジュールを集約し、一覧にしてとても見やすく紹介してくれている。点在したライヴ情報を集約しているので、「ライヴハウスにでも行こうかと思うけど、今週はどこでなにが観れるかな」という気分のときに重宝できるだろう。実際、そうした気分を掬ってくれるサービスとして貴重なものだ。

 2月8日の正式版オープンを記念したイヴェントが、同日夜の18:00から渋谷クアトロで開催される。
 出演者は、デビュー・アルバムも噂されているTHE OTOGIBANASHI'Sから、トイプードル(岡村靖幸)とのタッグOL KILLERでも知られる=DJ WILDPARTY、快速東京のフロントマン・福田哲丸がギターを弾いているらしいカタコト、最近たて続けにアルバムをリリースをしたどついたるねん、奇をてらいながらボトムも頼もしい演奏をするFat Fox Fanclubなどなど。ヒップホップ色のあるユニークなメンツだ。

■LIVEHOUSE N.O.W. | DUM-DUM MAGAZINE
https://magazine.dum-dum.tv/livehouse-n-o-w

■DUM-DUM LLP weblog - DUM-DUM通信 LIVEHOUSE N.O.W.正式版完成(2/8 Open)
https://dum-dum.tv/blog/?p=852


今回DUM-DUM LLP監修のライブハウス情報一覧サイト「LIVEHOUSE N.O.W!」の正式版完成記念してライブハウス自由化計画イベント開催します!

ポップミュージックの世界では再結成の流れも顕著で元気な大人が人気ですが、これは若者の椅子が次々とられていく流れでも確かにある。

若者は若者らしく、 先人を敬わず、大人はわかってくれない、或いはDon't trust over 30のスタンスで、形骸化したこの業界に切り込んで欲しいと切に願います。

大人が眉をひそめ、躊躇することを若者が本能的に平然とやってのける!その瞬間に私たちは痺れています!

「N.O.W!-Don't trust over 30-」
2013年2月8日(金)@渋谷クラブクアトロ
OPEN/START:18:00
Charge :Free !!!!(Drink charge 別)
Lineup :
THE OTOGIBANASHI'S
told
DJ WILDPARTY(Maltine Records)
アンダーボーイズ
どついたるねん
カタコト
GAGAOSA(GAGAKIRISE+MARUOSA)
POLTA
Fat Fox Fanclub

司会進行:キクリン(ele-king / DUM-DUM)×210yen(ele-king / パブリック娘。)

問い合わせ:
LIVEHOUSE N.O.W.
https://magazine.dum-dum.tv/livehouse-n-o-w

ISSUGI from MONJU - ele-king

 ここ数年のヒップホップで僕が衝撃を受けたひとつは、いまさらながらDJスクリューだった。ヒューストンのこのDJは2000年に他界しているので、正確に言えばDJスクリュー再評価とその影響力に心奪われるものがあったということだ。気になったのは、どろっとスローにミキシング(エディット)する手法的なことだけではない。その独特の音響は、リスナーにある種のイメージ、ある種の感覚を誘発する。それは、いわゆるハキハキとした前向きさとはほど遠い感覚だ。どうにもこうにもならない。カフカの『城』に登場する測量士のKのようだ。つまり、いつまでたっても城には辿り着けない。いや、Kと違うのは、辿り着こうとしていないことだ。そして、Kのように、辿り着かなくてもその過程には、さまざまな出来事が起こりうる。

 辿り着けなさという点において近しい感覚を、いよいよ台風の目になりつつあるDOWN NORTH CAMPのひとり、ISSUGI(MONJU/SICK TEAM)の、ISSUGI名義でのセカンド・アルバム『EARR』からも感じる。2009年にリリースされた最初のソロ・アルバム『Thursday』のアートワークにある彼のスケボーが暗示するように、動きはあって、場面はいろいろ変われども、『EARR』にも目指すべき「城」がない。城には向かわず、そこに向かわずして過ごしていることのほうが重要なのだ。そのことは、彼のCDにリリック・シートがないこととも関係しているように思える。シャイというよりも、本能的に、リリックから啓発的な意味を見いだそうとする行為を拒んでいるのだろう。

 全15曲、計33分の男前のフロウが詰まった1枚、『EARR』には、ソウル、ルーツ・レゲエ、ジャズ、ほかにも古い録音物の音がサンプリングされ、ルーピングされ、エディットされている。基本ミニマルで、ダブからの影響が注がれ、ときにJディラ風でもあり、ビートは際立っているが、ここにも(ある意味坂本慎太郎的な)反ドラマ的な抑揚のなさがある。S.L.A.C.K.や仙人掌、Mr.PUGも参加しているが、意味よりも音が耳に入ってくるという具合だ。初めて1枚通して聴いたときに覚えた言葉は「ただハイになりたい」というフレーズぐらいで、実際の話、曲そのものが陶酔的だ。要するに、音的に言って、SICK TEAMから引き伸ばされたものが『EARR』にはある。『Thursday』を軽く越えている。
 出だしが良い。レトロなR&Bからクラシックの弦楽器の演奏が交錯し、揺れながら、はじまる。トラックを担当しているのは16FLIP(昨年、アルバム『SMOKYTOWN CALLIN』を発表)、ブダモンク(Budamunk)はキーボードで2曲、パンピーもミックスで参加しているが、すべての音を手がけている16FLIPの貢献は大きい。メロウなソウル・ヴォーカルを華麗にチョップする"GET BLUN"、ビートとラップがリズミックに絡みつく"MANY WAY"といった先行発表の曲をはじめ、"FUTURE LISTNING"の瞑想的なビート、リー・ペリー的な音響の妙技を見せる"EYEWALL"、単調さの美学を貫く"BULLET"、インダスリアル調の"FIVE"、"SHADOW LIKE A MONSTA"のブロークン・ビーツ風の展開も面白い。

 「良い歌だけじゃ満たせない心」と、"ONE ON ONE"というアルバム終盤の力強いビートを持つ曲で、ISSUGIはラップしている。そして、自分が「煙に巻かれた住人」であると言っているが、彼はその「煙に巻かれた」状態を良しとしている。もちろんダブル・ミーニングだ。ひとつは言うまでもないことだが、もうひとつを僕なりに解釈すれば、「良い歌」に表象されるもの、つまり「城」、目指すべき場所、いわゆる世間でいうところの頂点とされるもの、端的に言えば、そうしたものに距離をおいているということだ。むしろそういったものごとに、警戒心が働いているのではないかと思われる。クールである。繰り返すが、彼の出自はバトルMCだ。時代のなかで、目指すべき場所の変化がここにも如実に表れている。one for the money, two for the showは、いまやセピア色である。

 もしも『EARR』のなかに、落ち込んだ人生に勇気を与えてくれると思わせられるような言葉があれば、もっとたくさんの数を売りさばくこともできるのだろう、が、しかし、裏を返せば、城には辿り着けなくてもいいじゃないかと言っているのが『EARR』だ......とSORA君に言ったら「いや、それは違いますよ」とまた言われてしまうのだろうか。コーラを飲みながら。

Gabby & Lopez, Dustin Wong, tickles - ele-king

 2月11日、3連休の最後の日。場所は青山のCAY。楽しい連休のフィナーレを心地よい音楽とともに締めくくってみませんか? ほっこりと幸せな気分になるナイスなアーティストを集めたイヴェント〈BUILD〉が開催されます。
 注目はなんといってもギャビー&ロペスのライヴです。なにせ、この人たちはめったにライヴをやりませんから。昨年は5年半振りに素晴らしいアルバム『Twilight For 9th Street』(ele-kingにて栄誉ある"E王"も獲得)をリリースしたにも関わらず、その後、ライヴを披露したのは2回だけ。今回はむちゃくちゃ貴重なライヴになります(しかもバンド・セットでパフォーマンス!)。え、そもそもギャビー&ロペスを知らないって? たしかにアルバムは5年半振りだし、ライヴもほとんどやっていませんから、知らないという方がいても不思議じゃないでしょう。ギャビー&ロペスはナチュラル・カラミティやウマウマで知られる森俊二とティカの石井マサユキというふたりのベテラン・ギタリストによるプロジェクトで、マーク・マグワイヤとか、マニュエル・ゲッチング、あるいはドゥルッティ・コラムあたりのサウンドが好きな人ならば、もうこりゃ堪らんといった感じの音だと思います。トミー・ゲレロやレイ・バービーみたいなフィーリングもあるので、その手の音が好きな人にもオススメです。まあとにかく聴いていると、綺麗な星空の下、誰もいない浜辺で穏やかな波の音を聴いているような......、なんともおおらかで、心地よくて、ちょっと素敵な気分にさせてくれる音楽なんですね。彼女や大事な人と一緒に聴きたくなる感じです。伝わるかな、この感じ?
 共演するアーティストたちも素晴らしいです。ビーチ・ハウスやダーティー・プロジェクターズのUSツアー、ジャパン・ツアーに出演し、いま日本でもファンが急増中のダスティン・ウォン。多数のエフェクターを足元に並べ、ディレイやループなどを駆使し、様々な音像を作り、重ねていく彼のパフォーマンスは、まさに"エフェクターの魔術師"という異名の通り。まるでオーロラのようなその美しさといったら......、かつてライヴ会場では、手を合わせ、祈っている人がいたほどです。
 またCDの帯につけた「線路は続くよ どこまでも」という名キャッチ・コピーこそ野田編集長にダメだしされたものの、その音楽性においては非常に高い評価を得た〈MOTION±〉のティックルズも出演。聴いていると胸がグッと熱くなる魔法のようなメロディ、エレクトロニクスと生楽器をブレンドした温かみのあるサウンドは、いつまでもずーっと聴いていたくなる心地よさです。そんなほんわかしたサウンドを作っていながらも、バックボーンはゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラー、エンヴィ、トータスだったりもするので、その辺も記憶の片隅に置きつつ彼のパフォーマンスを見ると、またいっそうグッとくるものがありますよ。
 さらにDJとして、山崎真央(gm projects / AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)、青野賢一(BEAMS RECORDS)によるDJユニット「真っ青」も参戦。ディープな音もお洒落な音も知り尽くした3人によるスリリングなバック・トゥ・バックに注目です!
 DJスタートは早めの16時、ライブは17時から。美味しいお酒でも飲みながら、心地よい夕刻のひと時を一緒に過ごしましょう!
(加藤直宏)


MOTION± presents BUILD
2013年2月11日(月・祝日)
CAY(スパイラルB1F)
OPEN / START 16:00 *ライブ・スタート 17:00

出演: Gabby & Lopez / Dustin Wong / tickles
DJ: 真っ青

料金: 前売り ¥2,800 / 当日 ¥3,300
- チケットの取り扱い: 1月11日より発売開始
≪プレイガイド≫ ローソンチケット 0570-084-003 [Lコード: 76209]
- 前売チケットのご予約: 1月11日より受付開始
≪電話予約≫ CAY 03-3498-5790
≪メール予約≫ CAY 申し込みフォーム
 
企画・制作: MOTION±
お問い合わせ先: MOTION± 03-3793-5671 / motionpm@music-airport.com
CAY 03-3498-5790
MORE INFO: https://motion-pm.com/?p=2439

 カラフルな音色とともに、絶妙の浮遊感と叙情感を紡ぎ出す3アーティストによる待望の共演が実現。コンポージングではなくインプロヴィゼーションを繰り返して楽曲を制作し、ライヴではさらにインプロ度合いの増したスリリングな演奏をみせるGabby & Lopez。
 一方、緻密にコンポーズされた楽曲を、足元にならべた多数のエフェクターを駆使し、ミニマルでカラフルなレイヤーを描き出し再構築していくDustin Wong。そしてエレクトロニクスとリアル・タイム・サンプリングを駆使した、胸打つメロディを幾重にも重ねていくライヴ・スタイルが高い評価を得ているtickles。
 さらにはクラブのみならず、ファッションショーやホテル、ショップ、カフェなど、およそ音楽と触れ合うことが出来る空間すべてに良質な選曲を提供してきた、山崎真央(gm projects / AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)、青野賢一(BEAMS RECORDS)の3人の頭文字を並べて命名されたユニット「真っ青」がDJで参加。
 ドリーミーで心地よくも極めて刺激的な、めくるめく音の共演に酔いしれて頂ける一夜になること必至。是非ご自身で体感して下さい。

Gabby & Lopez
森俊二(Natural Calamity)と石井マサユキ(Tica)の二人によって2000年に結成されたギター・インストゥルメンタル・ユニット。2004年にファースト・アルバム『Straw Hat, 30 Seeds』を発表。続いて2006年に発表したセカンド・アルバム『Nicky's Dream』はその年のベスト・アルバムとして多くのメディアで取り上げられた。同アルバムからの楽曲は、様々なコンピレーションや映画『ホノカアボーイ』のサウンドトラックにも収録。2012年4月には渾身のサード・アルバム『Twilight For 9th Street』をリリースした。また、トリップ感溢れるライヴ・パフォーマンスも各方面で絶賛され、これまでにFUJI ROCK FESTIVAL、GREENROOM FESTIVAL、Sense of Wonder、SUNSET LIVEなどの大型フェスへも出演を果たしている。

Dustin Wong
ハワイで生を受け、2歳の時に日本へと移住。中高時代はパンクやオルタナに開眼し、ハイティーンの頃には友人のユタカ、Delawareの点、そして立花ハジメとLow Powersのメンバーでもあったエリと、携帯電話の着信音をオケに使用し歌うというユニークなバンド、The Japaneseを結成し活動した。そしてボルティモアに渡った後、マット・パピッチとエクスタティック・サンシャインの活動を始める。同時に彼は通っていた美術大学のクラスメート達と共にポニーテイルを結成。カオティックなサウンドと怒濤のライヴ・パフォーマンスは瞬く間に話題となる。また、エクスタティック・サンシャインとしても〈カーパーク〉からデビュー・アルバムをリリースし、多方面から高評価を得るもののダスティンは脱退する。ポニーテイルもさらなるブレイクを期待されていたが突然活動休止を発表(2011/9/22に解散を発表)。そしてダスティンは〈スリル・ジョッキー〉と契約し、サード・ソロ・アルバムをリリースした。多数のエフェクターを足元にならべ、ディレイ、ループ等を駆使し、ミニマルでカラフルなレイヤーを描き出していくギター・パフォーマンスは注目を集めている。2012年通算4作目となるアルバムをリリースし、4月にはレコード発売記念の日本ツアーも敢行。NHKライヴ・ビートへの出演も果たす。7月にはNYで行われたダーティー・プロジェクターズの最新作のリリース記念ライヴのオープニングに抜擢され、10月の日本ツアーでも全公演オープニングを務めた。9月から10月前半にかけてビーチ・ハウスとのUSツアーを行った後、朝霧JAM2012にも出演を果たした。

tickles(MOTION± / madagascar)
エレクトロニクスと生楽器を絶妙なバランスで調和させ、力強さと繊細さを自然体で同居させる。湘南・藤沢を拠点に活動を続け、人間味溢れる温かいサウンドを志向するアーティスト、鎌田裕樹による電子音楽団tickles(ティックルズ)。2006年発売のファースト・アルバム『a cinema for ears』リリース後から続けてきたバルセロナやローマ、韓国などを巡ったライブ・ツアーでは、人力の生演奏を取り入れたスリリングでドラマチックなライブ・パフォーマンスで大きな賞賛を得た。そんな数々の経験を経て紡がれた珠玉の楽曲をたっぷりと詰め込んだ待望のセカンド・アルバム『today the sky is blue and has a spectacular view』(2008年)は自身のレーベル〈madagascar(マダガスカル)〉よりリリースされ、TOWER RECORDS、iTunesを中心にセールスを伸ばし、高い評価を得た。2011年、次なるステップへと進むべく〈MOTION±〉と契約。ピアノ、シンセサイザー、フェンダー・ローズ、ピアニカ、オルガン、鉄琴、オルゴール、ギター、ベースなど、様々な楽器を駆使しながら感情的なメロディーと心地良いリズムを生み出していくスタイルに更なる磨きをかけ、2012年4月にニュー・アルバム『on an endless railway track』をリリース。6月にはSchool of Seven Bells来日公演のサポート・アクトを務めるなど、リリース後はエレクトロニクスとリアルタイム・サンプリングを駆使するライブ活動を精力的に展開。柔らかいビートの上で胸を震わせる旋律が幾重にも重なり合い、交錯していく夢幻のサウンドスケープは、聴く者の心を捉えて離さない。

真っ青
クラブのみならず、ファッションショーやホテル、ショップ、カフェなど、およそ音楽と触れ合うことが出来る空間すべてに良質な選曲を提供してきた山崎真央(gm projects / AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)、青野賢一(BEAMS RECORDS)の3人の頭文字を並べて命名されたユニット「真っ青」。20年以上のDJキャリアに裏付けされたスキル、レコード・CDショップのバイヤー経験がもたらす豊潤な音楽的バックグラウンド、そしてアート、文学、映画などにも精通する卓越したセンスから生まれるそのサウンドは、過去、現在、未来に連なる様々な心情を呼び起こし、聴くものの目前に景色を描き出すものである。リミックスを手掛けた「中島ノブユキ/Thinking Of You (真っ青Remix)」 はまさに青いサウンドスケープ。

vol.6 『Journey』 - ele-king

 

 明けましておめでとうございます。と言ってもいまさらですね。年が明け、早くもひと月が過ぎました。本来ならこの記事も1月中に載せたかったのですが、あーだこーだしているうちに月をまたいでしまい、この挨拶の部分も書き直すことになってしまいました。

 それはともかく、今年は次世代ゲーム機の発表が予想されている他、〈Valve〉のSteam BoxやOuya、〈Nvidia〉のProject Shieldなどなど、新しいコンセプトのゲーム機も続々と発表されており、業界の転換期が近く訪れるのではと個人的に思っております。

 さて新年1発目のレビューなのですが、当初は年末企画での予告どおり、『Dishonored』について書こうかと思っていました。しかし正月に遊んだ『Journey』が何かと考えさせられる作品だったので、急遽こちらのレヴューを行いたいと思います。

 『Journey』(邦題『風ノ旅ビト』)は昨年PlayStation 3専用ソフトとして発売されたアクション・ゲーム。開発の〈thatgamecompany〉においては、PlayStation 3での3作めのリリース(『Flow』『Flower』に次ぐ)となり、前評判から発売後まで一貫して非常に高い評価を集め、また数多くの受賞を果たしている作品です。

 本作をはじめ〈thatgamecompany〉の作品は、どれも大作志向とは正反対のミニマルで雰囲気重視の作風で、その点では多分にインディーズ的と言えます。しかし一方でソニーと独占契約を結び、大資本のバックアップ下で作品を作ってきたという点では、他のインディーズ・スタジオとは違う特殊な立ち位置にあるとも言えましょう。

 
初期作の『Flow』はPCでもこちらで遊ぶことができる。

 そんな傑作と呼び名の高い『Journey』ですが、しかし僕は元来天邪鬼なところがあって、あまりにも周りで絶賛されているのが逆に鼻について、発売当時はやる気が起きませんでした。それから1年近くが経過してさすがに話題になることも少なくなってきたので、こっそりやってみたのですが、まぁやっぱりすごい作品でした。

 ただ僕は世間の評価軸とは違う部分で考えさせられた点がひとつあり、それはインディーズ・ゲームのなかでもとりわけアート・ゲームと呼ばれる作品との関係性についてです。

 インディーズとひと口に言ってもそのなかにはさまざまな系統があり、いままでの連載でご紹介した『Fez』や『Hotline Miami』は、古典ゲームへの懐古主義的な側面を強く持っていました。そしてこれとはまた別の思想で作られているゲームのなかに、アート・ゲームと分類されるものがあるのです。

 数々のアート・ゲームをリリースしつづけているベルギーのゲーム・スタジオ〈Tale of Tales〉や、また昨年『Dear Esther』で注目を集めた〈the chinese room〉等がその中心的な存在と言え、彼らの作品はメジャー・ゲームや一般的なインディーズ・ゲームともまた違った肌触りがあります。

 
〈Tale of Tales〉は最も勢力的なスタジオ、ジャンルを牽引している。画像は最新作の『Bientôt l’été』。

 しかし現状アート・ゲームの定義は曖昧にされがちで、世間では雰囲気重視でミステリアスな作風のゲームはなんでもかんでもアート・ゲームと呼んでいるような一面があるのも確か。

 この大雑把な括りで言えば、今回の『Journey』もアート・ゲームに分類されて不思議ではありませんし、〈Tale of Tales〉の作品や『Dear Esther』と類似する点も多々あります。しかし実際に遊んでみるとコアの部分ではむしろ真逆の性質を持っている作品だと気づきました。

 『Journey』のこの絶妙な立ち位置を大変興味深く感じたとともに、本作を比較対象としていけば、曖昧な定義のままにされがちなアート・ゲームについてもわかりやすい説明づけができるのではないか。これが今回のレヴューを書こうと思った動機です。

 そんなわけで今回は名目上は『Journey』のレヴューですが、これ自体についてはすでに語り尽くされている感もあるので、むしろ『Journey』を引き合いにしてアート・ゲームとは何か、その特性と問題点、今後どうなるべきかを中心的に書いていきたいと思います。

■旅という名の原始体験

 とは言え、まずはたたき台となる『Journey』についての解説からはじめましょう。本作は見た目もゲーム性もとてもシンプルで、プレイヤーは旅人に扮し前進しつづける。言ってしまえばそれだけの作品です。

 しかしその旅路はとてもディテールが深くかつ美しく描かれており、例えば上り坂や下り坂などといった地形の微妙な変化に細かく対応する移動感、そしてその移動感を乗りこなして新たな土地に到達し、その光景に見入るカタルシスという、まさに旅とか探検とか登山などの体験性と面白さを、そのままゲームとして再現しています。

 
美しい背景に見入りつつ、ひたすら前に進む。その体験は作品のタイトル通り、まさに“旅”だ。

 また本作を評価する上で欠かせないのが、いっさいの言語的説明に頼っていないという点。次に向かうべきところはどこかという目下の課題から、そもそも主人公は何を目的で旅をし、この世界は何なのかといった大局的な話にいたるまでのすべてを、プレイヤーは目の前の情景から察する他ありません。

 しかしここでのプレイヤーへの誘導が本作はとてもうまい。次に向かうべきところを自然とプレイヤーに感じさせつつ、安易な説明を省くことで、プレイヤーが能動的に目標を発見できたと感じさせることに成功しています。物語についても同様で、あえてミステリアスにすることで、プレイヤーに自主的に想像させ、自らの意志と力でゲームの世界に参加し、旅をしていると感じさせることができています。

  本作のオンライン機能もこの延長線上にあり、プレイヤーはゲーム中、同じエリアにいる他のプレイヤーと出会うことがありますが、ここでもシグナルを発する以外の意思伝達手段が設けられていません。しかしそれによって性別や国の違いなどさまざまな現実のしがらみをシャットアウトし、いまここにともにいる旅人同士の一期一会な関係に素直に感じ入ることができるようになっています。

 
ゲーム中に出会う他の旅人は、同じタイミングで同じ場所を遊んでいるどこかの国の誰かだ。

 まとめると、『Journey』は旅という行為を原始体験と呼べるレベルにまで抽出・再現した作品で、その原始性の純度の高さは、時代や特定の文化圏に左右されない普遍性を備えるまでにいたっていると言っても過言ではありません。だからこそ国内外問わず高い評価を集めたのでしょう。

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■アート・ゲームか否かは攻略性の有無にあり

 さて、ひと通り『Journey』の特徴について解説し終えたところで、改めて考えてみましょう。『Journey』はアート・ゲームなのか否か。答えはノーです。理由は簡単で、作品の面白さの根幹がゲームとしての「攻略性」に頼って設計されているからです。

 先ほども説明した、環境に細かく左右される移動感、言語説明が省かれた不明瞭な目標は、プレイヤーにとっては攻略すべき課題なのです。このふたつはスキルの習熟と謎解きと言い換えることもできるでしょう。

 環境と移動感の対応を学び、状況に応じて最適な操作をすることで、より素早くスムーズに移動できる気持ちよさ。周りの光景の因果関係を突き止めて適切な操作をすることで、新たな道が開けたり、秘密の部屋を発見できる気持ちよさ。本作のゲーム的な構造を分解すると、以上のふたつの掛け合わせで成り立っていると考えられます。

 
どこかに隠されていて、手に入れると飛行距離を伸ばせる光のオーブは、本作の攻略性を象徴している。

 詳しくは後述しますが、これらふたつの要素について、難易度はきわめて低く保ちながらも、攻略できたときの気持ちよさを最大限にプレイヤーに感じさせているところに、本作の尋常じゃないセンスと革新性がある。しかしいまここで考えたいのは、攻略性を軸にゲームの面白さや感動を形作っているという構造が、本作とアート・ゲームの違いを考える上での重要なポイントになるということです。

 ここで『Journey』からいったん離れ、今度は『Dear Esther』という作品について触れてみましょう。冒頭でも挙げたとおり、本作は明らかにアート・ゲーム側の作品ですが、ゲームの目的がひたすら前に進むのみという点では『Journey』にとても似た作風でもあります。

『Dear Esther』はもともとは『Half-Life 2』のMODとして開発された。
今回は触れないがMOD界にも実験的で魅力的な作品は多い。

 しかしながら『Dear Esther』が『Journey』と異なるのは、操作に習熟していったり謎を解いていくような要素、つまり攻略性がないということです。そしてこのゲームとしての攻略性のなさこそが、『Dear Esther』に限らず、アート・ゲームと呼ばれるもの全体の構造的な特徴とも言えるのです。

 僕のこの定義のひとつの根拠となっているのが、一昨年行われた“NOTGAMES FEST
”という小さなゲーム・エキスポ。インディーズ・ゲーム界ではあちこちでローカルなパーティをやっており、このNOTGAMES FESTもそのうちのひとつなのですが、注目すべきはトレイラーの冒頭に出てくるこの一文。「Can interactive media express ideas without competition goals winning or losing?」(インタラクティヴ・メディアは、そのアイディアを競争やゴールや勝ち負けなしで表現できるのか?)。



 要するにゲームをゲームたらしめる重要な要素である攻略性、これを用いずにゲームというかインタラクティヴ・メディアを成立させられるのか、というわけですね。もちろんこの発言はあくまでもNOTGAMES FEST内での提言に過ぎませんが、実際さまざまなゲームを遊んでみても、この線引きは有効だと感じています。

 そう考えると『Journey』という作品は、アート・ゲームと類される作品が否定しているゲームの攻略性、またそこから生じる感動を機軸にしている点においては、じつはアート・ゲームとは対極的な作品とも言えるのです。

■アート・ゲームは純粋体験を追い求める

 アート・ゲームについて、もっと詳しく掘り下げていきましょう。僕が個人的にこのジャンルを興味深く思っているのは、ゲームの攻略性を否定しようとしているところが、翻って純粋な没入感や体験性そのものへの追求に繋がっているからです。

 一方で観客自らが参加し、そこで得られる体験を至上とする点や、あるいは単純にアートという名称を使っているところからは、インタラクティヴ・アートとの類似性も指摘できるでしょう。しかしアート・ゲームがインタラクティヴ・アートの文脈ともまた異なるのは、母体となっているゲームが持つ攻略性以外の要素を、逆に深く引き継いだ上で体験性を構築している点にあるのです。

 これは同時にかつてのマルチメディア作品との違いとも言えます。ゲームには過去にも純粋芸術に近づいたジャンルがあり、90年代に当時のマルチメディア・ブームに乗る形で現れた、多分に実験的でゲーム性が極端に乏しいゲーム、つまりはマルチメディア作品と呼ばれていたものがそれです。

 日本では恐らく〈シナジー幾何学〉の『GADGET』がもっとも有名で、ゲーム的な駆け引きがいっさい無いまま架空世界をさまよう内容は、現代のアート・ゲームの性質に似ている。また先程のNOTGAMES FESTにも『Ceromony of Innocence』という当時のマルチメディア作品そのものが出展されており、現代のアート・ゲームの下敷きになっているのは明らかです。


上から『GADGET』及び『Ceremony of Innocence』。『GADGET』の方は近年iPhone、iPad向けに復刻された。

 90年代のマルチメディア作品の流れは、以降のゲーム市場の成熟と淘汰のなかでいったん途絶してしまいます。それから時は流れ、今度は07年あたりに台頭しはじめたインディーズ・ゲームの流れから現代のアート・ゲームが生まれてきたわけですが、重要なのはこの間に体験性や没入感に関わる表現手法は驚くほど進化し、アート・ゲームも当然その進化の上に立っているということですね。

 もともとこの進化はメジャー・ゲームが牽引してきたものですが、一方でメジャー・ゲームはマス向けの商品として成立するために、没入感を磨く以外にも、正しく攻略性であるとかゲームとして遊べる要素も同時に作品に込めていかなければなりません。もちろんマス向けであるがゆえに、表現内容そのものもある範囲で規定されてしまう。

 またときにゲームとして遊べるようにするために、かえって没入感が阻害されてしまうようなケースもままあり、そうでなくとも近年のメジャー・ゲームは没入感や体験性というものに対して挑戦的な作品が減ってきているという事実があります。

 アート・ゲームは、そんなメジャー・ゲームが築いてきた手法を継承しつつも、メジャー・ゲームでは掘り起こせていない体験性や没入感を、それに特化して追求できる、それができる可能性を持ったジャンルだというところに魅力があるのです。

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■アートと言えば何でもあり、なわけはない

 しかしながらこれは多分に理想論的な話であって、実際にアート・ゲームを名乗る作品のすべてがユニークな体験を生み出せているわけではありません。ハッキリ言ってしまえば、ほとんどの作品は完成度が低いのです。

 とくに説明不足、要素不足で後はあなたの方で想像してください、というパターンがとても多いのですが、これは僕から言わせれば投げっぱなし。想像力に委ねること自体には意義がありますが、それは決して作品側の不足を鑑賞者に埋め合わせさせるようなものであってはなりません。このバランスはじつに難しいのですが、ほとんどの作品が踏み誤っているのが実情です。

 また上記の煙に巻くような内容に、アート・ゲーム特有の攻略性のなさが加わると、本当に何の取りとめもない体験になってしまうし、他にも操作性が劣悪だったりとか、アートに関係なくゲームの基礎がなってないことも多いのが悲しい。

 完成度の低さはインディーズ全般の問題ではあるのですが、とりわけアート・ゲームに酷さが目立つのは、おそらく「アート」であることが逃げ口上になっている部分があるからでしょう。現代のアート・ゲームの直接的なはしりである〈Tale of Tales〉の『the Graveyard.』からしてそもそもそういう作品でした。

 08年初頭というインディーズがちょうど台頭しつつあるときに出てきた『the Graveyard.』は、老婆を操作して教会前のベンチに座らせて、BGMを聴き終えたら来た道を戻る、たったそれだけの内容です。当時は「これでゲームって言っちゃうの!?」みたいな感じで一部で議論を呼びましたし、それもあって後続のアート・ゲームの呼び水になった部分はあると思います。しかし素直に作品として見ると、やはり圧倒的に要素が足りない。

 
『the Graveyard.』は、製品版では老婆がランダムで死ぬ要素が追加されている。うーん......

 そういう事情もあり、期待感とは裏腹に現時点で僕が本当に良いと思えているアート・ゲームは、同じく〈Tale of Tales〉の『The Path』と、前半でも名前を挙げた『Dear Esther』の2作のみ。

 『The Path』は赤ずきんをモチーフにした作品で、『the Graveyard.』の翌年09年にリリースされました。アート・ゲームのお約束どおり、いっさいの攻略性がない代わりに、プレイヤーが触れたものに応じて結末が変わるという、分岐というか双方向的な変化を楽しむシステムになっていています。ヴォリュームも必要十分に備えており、『The Graveyard』の反省も活かされていて、アート・ゲームのもっとも典型的かつお手本的な良作と言えます。

『The Path』数あるTale of Talesの作品のなかでも最高傑作だ。
6人の赤ずきんの物語が不気味なホラータッチで描かれている。

 また『Dear Esther』のほうは前項でも触れたとおり、ただただ歩くだけの作品で、『The Path』の双方向的な面白さもありません。しかしモデリングやオブジェクトの配置のセンスが抜群に良く、さらに砂埃のエフェクトや風の音響等の繊細な表現が加わることによる環境の実在感は、ただ歩いているだけなのにゲームの世界に深く没入させてくれます。

 
単純なテクノロジーで『Dear Esther』より高度なグラフィックスのゲームは数多くあるが、実在感という点で匹敵するものはない。

 これはまさに『Half-Life 2』が示したグラフィックスと演出の向上による深い没入感と同一線上にある表現で、そこからさらにいっさいのゲーム性を廃し、純粋に没入するためだけの作品に仕上げたという点では、アート・ゲームの理念にいちばん忠実な作品とも言えるでしょう。

 これらの2作はいままでの僕のなかでは理想的なアート・ゲームという評価でした。しかし今回感じたのは、じつはこれらすらも『Journey』には及んでいないということです。ここにアート・ゲームとしての今後の課題が見出せるかと思います。

 ■『Journey』というベストアンサー

 再び『Journey』に話を戻しましょう。本作をアート・ゲームと比較して改めて感じるのは、プロダクトとしてまったく隙がないということ。無駄が無く最小限の要素が完璧に機能していて、またそれらすべては気持ち良さの表現という方向性で一貫している。

 とくにアート・ゲームとの分かれめになっている攻略性がすばらしく機能していて、攻略していく行為が本当に気持ち良い。しかも本作は難易度は低く抑えているにも関わらず、攻略したときの気持ちよさを最大限に描けているのは革新的とさえ言ってもいいでしょう。

 いままでの常識では、課題の難易度と攻略したときの気持ちよさは比例関係にあるとするのが普通でした。難しい課題を乗り越えたときほど、達成感や気持ちよさも高まるもの。しかしこの関係は一歩誤ると、難易度が必要以上に高くてストレスが溜まったり、攻略に精いっぱいでかえって没入感を削いでしまうことが起こり得ます。逆に難易度が低いと攻略行為が単なる作業と化してしまい、これまた没入感を削いでしまう。

 とりわけ『Half-Life 2』の登場以降、没入感や体験性重視のゲームは戦場を主な表現の舞台にしてきたわけですが、戦場の極限状態をプレイヤーに体験させる上で、どうしてもこのジレンマがつきまとってきました。そして今日にいたるも根本的打開策は見出せておらず、この問題は半ば放置されつつあります。

 一方で、そもそもこうした攻略性と体験の衝突を忌諱して、アート・ゲームは攻略性を捨て、それでも成立する純粋体験の確立を目指しているのですが、そこにもいろいろと問題がある、ということを前項までで書いてきました。

 『Journey』の攻略性はこれら既存の問題点をすべて乗り越えた上に成り立っています。そしてそれを成立させているのは、攻略性そのもののデザインのセンスが圧倒的に良いことももちろんあるのですが、卓越した演出力による部分も相当大きい。

 グラフィックスから音響まで一級品で、絵作りの方向性はインディーズ的ですが、完成度は他とは比較にならないぐらい高い。そしてこれらが、課題をクリアしたときや迫る脅威をダイナミックに演出していて、実際以上に物事を大きく感じさせることに成功しています。

 
先に進むために橋を架ける。やることは簡単だが、その結果は壮麗に演出される。

 この、かつてはゲーム・デザインで表現していた感動を演出で代替するという考え方は、没入感や体験性重視のゲームの基本ではありますが、これほどうまくいっている作品はいままで遊んだことがありませんでした。そして本作のこのアプローチと成果は、攻略性を捨てて純粋体験を追い求めていたアート・ゲームの界隈にとっては、痛烈なカウンターになっているのではないでしょうか。

 『Journey』は攻略性の有無という点でアート・ゲームとは決定的に違うと書いてきましたが、逆に言うとその点以外はとてもアート・ゲーム的なアプローチを取っている作品です。それがかえって現状のアート・ゲームの問題点を浮き彫りにしているし、いっぽうアート・ゲーム側からすれば『Journey』から学び取れることは多大でしょう。

 たとえば『Dear Esther』なら、『Journey』のような攻略性を入れろとは言いませんが、少なくとも地形によって変化する移動感は、そのまま取り入れるだけでもかなりプラスになるはず。坂や階段、ぬかるんでいたり草が生い茂っていたりと、現実で起こり得る移動感を克明に描写することは作品のテーマに沿っているし、とくに『Dear Eshter』は一人称視点ですから、これによる没入感の向上は『Journey』以上のものになれる期待も持てるはずです。

■まとめ

 『Journey』自体は紛うことなき傑作。PlayStation 3を持っている人なら誰もが遊ぶべき価値ある作品です。そのいっぽうで『Jouney』以外のアート・ゲームの作品、とくに『The Path』や『Dear Esther』にも触れてみてほしいのが僕の正直な気持ちです。総合力では『Journey』には及んでいませんが、それぞれユニークな体験をさせてくれる作品であることには変わりありません。

 正直に言って、『Journey』は見かけはインディーズみたいだけど、予算も開発体制もまるで違うはずなので、それを考慮すると『Journey』と他のアート・ゲームを比較するのはフェアじゃない気もするし、越えられない壁は確実にあると思う。

 しかしいざ市場に出ると、こういった生まれの差はまったく関係なく同じ土俵で評価されるのが海外のゲーム業界の面白いところでもあります。つまり究極的には感動させたもの勝ちの世界であり、感動させるのに必ずしも大規模な開発リソースが必要なわけではありません。

 今後のアート・ゲームは『Journey』から見習える部分は見習い、よりいっそう表現内容を突き詰め完成度を上げていってほしいし、そのいっぽうで『Journey』に物怖じしないユニークな作品を作り続けてほしいです。

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